お知らせ

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東京教区ニュース第385号

2021年08月02日

平和旬間を迎えるにあたって

大司教 タルチシオ 菊地 功

今年も8月6日から15日まで、日本の教会は平和旬間を迎えます。1981年に日本を訪問された教皇聖ヨハネ・パウロ2世は、広島での「平和アピール」で、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われました。それ以来、日本の教会は、戦争を振り返り、平和を思うとき、平和は単なる願望ではなく具体的な行動が必要であることを心に刻み、この10日間を過ごしてきました。

東京教区ではこれまで、平和旬間委員会を設け、平和旬間の企画運営を行ってきましたが、昨年に続き今年もまた感染症の状況の中、特に今年は緊急事態宣言の下、すべての企画を中止とせざるを得ない状態になっています。

そこで2021年の平和旬間は、特に東京教区の姉妹教会であるミャンマーの教会に思いを馳せ、ミャンマーの人々のために、またその平和のために特に祈るときとしたいと思います。

ご存じのように、2021年2月1日に発生したクーデター以降、ミャンマーの国情は安定せず、人々とともに平和を求めて立ち上がったカトリック教会に対して、暴力的な攻撃も行われています。聖霊の導きのもとに、政府や軍の関係者が平和のために賢明な判断が出来るように、弱い立場に置かれた人々、特にミャンマーで、数多の少数民族の方々のいのちが守られるように、信仰の自由が守られるように、この平和旬間にともに祈りましょう。

また具体的な行動として、8月8日の主日のミサで「ミャンマーの人々のため」の意向で、特別献金をお願いいたします。皆様の献金は、東京教区のミャンマー委員会(責任者、レオ・シューマカ師)を通じて、ミャンマーの教会に届けられます。 なお、例年カテドラルで土曜日に行われていた「平和を願うミサ」についても、緊急事態宣言下ですので行わず、翌8月8日の主日10時に、関口教会のミサをその意向を持っての大司教司式ミサといたします。それぞれの小教区でも、この日の主日ミサで、ミャンマーの人々のためにお祈りください。

なお、これまでに何度かお知らせしている通り、現在、東京教区では「教区カリタス」創設に向けての作業を進めています。8月8日には具体案の第一報をお伝えできる予定です。来年度以降は、平和旬間も教区カリタスが主体となって計画することになりますので、これまでは違った形での企画となる可能性があることをご理解ください。 神の望まれる平和が、この世界に実現しますように。御旨が行われますように。

知っていますか?私たちの「信仰」を?「共に歩む信仰の旅─同伴者イエスと共に─」

生涯養成委員会からの御報告
「教区カテキスタ養成講座」(第4期生)応募結果について
東京大司教区 生涯養成委員会担当司祭 猪熊太郎

毎日のようにシトシトと小雨が降り続く梅雨というのは、もはや、ないのかもしれません。真夏のような天気になってみたり、大雨が降ったりと、実に、天気が安定しません。

皆様、如何、お過ごしでしょうか?

今、時候の御挨拶は、主に「ワクチン打った?」であります(もちろん、ワクチンを打たない選択をなさった方々もいるので、ワクチン・ハラスメントにならないように、気をつけなくてはいけませんが)。

私のもとにも、ようやく、接種券が届きましたので、これから予約を済ませ、夏までには、なんとか、2回の接種を受けたいと思っているところです。

さて、今日は、先日(6月27日)、締切日を迎えました、第4期生の応募状況について御報告いたします。

今回は、喜ばしいことに、総勢6名の方々から受講の申込みがあり、全員の受付をすることができました(高円寺1名・高輪1名・調布2名・習志野2名 / 50音順)。

オリピック・パラリンピックの強行開催によって、これから、大きな第5波が来るであろうと、巷間、噂されていますが、ワクチン接種も普及し始めていますし、9月末の講座開設の頃には、なんとかなっているのではないかと思っているところです。

御存知のように、今期は、度重なる緊急事態宣言のために休講をせざるを得なかった第3期生たち8名と合わせ、総勢14名が講座に参加することになります。

もちろん、今後のコロナの状況を注視しなければなりませんが、可能なかぎり、新たなスタートを切りたいと思いますので、皆様の更なるお祈りをよろしくお願いいたします。

まずは御報告まで。

カリタスの家だより 連載 第135回

手紙でこころの交流~出会いと別れ
ボランティア 庄司昌子

「みんなの部屋」は職員、ボランティア、利用者さんが一緒に作り上げている家庭ですが、本当に楽しく暖かい、お互いを思いやることの多い、素敵な一家です。その家族の一員である利用者 那須由希子さんは、東日本大震災で福島から東京に自主避難されてきましたが、このコロナの時期、ほとんどお別れもできないまま故郷に帰られました。手紙で近況を知らせてくださっていますので今回はその手紙を紹介したいと思います。

◆ ◆ ◆

みんなの部屋の皆様へ 福島に戻ってから早や三ヶ月が経ちました。引越し荷物の整理も終わり、新しく仕事も始め、ようやくひと段落したところです。そして改めて“みんなの部屋”で過ごした日々を懐かしく思い返している今日この頃です。

「みんなの部屋」には5年位?在籍していたと思いますが、最初の頃は休みがちでこの私も緊張していました。何度か通ううちに職員の方々の明るさと暖かさに触れることで、安心していられる大切な大切な居場所になっていきました。カード作り、石けんデコパージュ、刺しゅう布巾、リースなどどれも初めてで、不器用な私は試行錯誤しながら、夢中になっていました。加えて季節のイベント、カリタスパーティーなどなど楽しい思い出で一杯です。福島の生活ですが、10年ぶりになります。仕事はピアノの生徒さん募集をしたり、一からチラシを作り近所にポスティング、新聞の折込をしたりしました。レッスンのない日は、市内の小学校(山の中の小さな学校)の放課後児童クラブで支援員をして過ごしています。普段は自宅のお庭が少しあるので、ガーデニングをしたり、ヨガ教室に通ったりしています。体調の方はおかげさまで落ち着いているので、月一回の通院を続けながら様子を見ているところです。福島-東京間は車で三時間の距離ですから、たまには「みんなの部屋」に顔を出してもいいですか?

これから暑い暑い夏がやってきますが、どうぞ皆様お体には気をつけてお過ごしください。お元気で。

那須由希子より

◆ ◆ ◆

那須由希子さんへ

那須さん、コロナでみんなの部屋に長い間行けなかった間に転出なさったと聞き、驚き寂しく思っています。でも私は那須さんが転勤、転勤で「私の故郷は何処?」と捜し求めておられた本当の故郷に帰られたのだと思い、今はお祝いしたい思いでいます。これからは福島に落ち着いて、新しい那須さんらしい生き方をゆっくりと歩んでくださいね。みんなの部屋に頂いているお手紙で、今の充実した生活が目に浮かびます。ピアノの先生、小学校の放課後児童クラブの支援員、素晴らしいことですね。みんなの部屋でも音楽サークルでは美しい声と正確な音程でアルトを支えてくださいました。みんなの部屋は、クリスマスカードを始めいろんなカードや、石鹸デコパージュ、刺繍布巾、アクセサリーなどいろんな作品の製作販売をしていますが、那須さんはそのほとんどの製作に挑戦してくださいました。でもやっぱり「那須さんと言えばリース」ですね。もうリースはクリスマス時期だけ、という枠を超えましたね。我が家の壁も季節を問わず、布のリースとかドライフラワーのリースが部屋を彩ってくれています。コロナが収束した時には、また今まで通りの心の通い合った楽しいみんなの部屋が戻ってくると思います。新しい挑戦、新しい作品も生まれることでしょう。福島からも応援してくださいね。私達も那須さんの応援続けます。

庄司昌子より

私(庄司)はボランティアですが、作品作りの席が近く那須さんからは多くのことを学びました。明るかった部屋は那須さんの存在で一層明るくなりましたし、同じものでも自分らしさを出す作品作りを学んだ気がします。

福島の地からカリタス南相馬 第4回

学校法人カトリックさゆり さゆり幼稚園 
園長 鎌田文代

子ども達の願いを……

震災そして新型コロナ、この10年、世の中の想像を絶する現象に普通に生活していた頃が懐かしく、また、普通に生活できることが何よりの幸せであったことを今更ながら感じている今日です。

さて、私たちさゆり幼稚園は平成30年4月、学校法人の認可を受け「学校法人カトリックさゆり さゆり幼稚園」と新しく運営母体が変わり、現在は、園児数も震災前より増え97人、職員数10人、バス運転手1名となりました。

しかし、今年に入ってからも東日本大震災の余震で園舎(築68年)の天井が落ちそうになったり、壁が崩落したりすることで応急措置をとるなど、まだまだ震災の影響が続いております。今後は、老朽化した園舎を新しくしていくことを目標に努めていきたいと思います。

それに加え、昨年からの新型コロナ流行に私たちも感染対策を取りながら日々の保育を行っております。

さて、先日の七夕祭りでは、心弾ませきれいな飾りを作りました。一人一人完成した笹竹を喜んで持ち帰る姿が可愛らしく思えました。

しかし、ひときわ輝く願い事には 「コロナがはやくなくなってマスクをはずしてあそびたい」 「コロナがおわったらおでかけしたい」 「コロナでくるしんでいるひとがげんきになりますように」 「一つだけの願い事、小さい子供たちの切実な思いがどうか神様にとどきますように」と書かれていました。これらを読むと、コロナの終息を願うとともに、テレビ等で報道される大人の方々の「もう我慢できない」「罹ってもしかたがない」という安易な考えを見直していただきたい気持ちでいっぱいです。

私たちはこのような子どもたちのよき環境を作りながら、カリタス南相馬の方々に協力していただき、時には一緒に活動し、喜びを分かち合っていきたいと思います。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第250号

食料支援をよろしくお願いします

CTICで行っている「困難にある外国人のための食料支援」では、毎月150 人から180人の方に支援物資をお渡ししています。国籍別では3分の2以上がミャンマーからの方で、ボリビア、ウガンダ、ナイジェリア、バングラデシュなどと続きます。また、コロナ禍の影響か、入管の収容施設に収容されていた多くの方々が仮放免になり、外に出ることができています。それ自体はご本人たちにとってうれしいことですが、仮放免の人は、仕事をすることが許されていません。生活は家族、友人、色々な団体の支援に頼らざるを得ないのが現状です。CTIC食料支援にも、仮放免の方が増えてきました。 お配りする食料品はフードバンクや皆様からのご寄付で支えられており、必要に応じて購入もしています。

どのような食べ物が好まれているのかと言えば、まずはお米です。お米はどの国の方でも欲しいようです。現在、原則としてお一人1か月に3キロずつお渡ししています。中には、他の物と交換でもお米を多めに欲しいという方もおられますが、皆に配る分を確保しておかなければなりませんので、心苦しいところです。パンも喜ばれます。パンはたくさんご寄付頂いた時には、冷凍しておきます。缶詰類では、みそ味は敬遠されるかと思いきや、ミャンマーの方は食文化が日本と似ているのか大丈夫のようです。ただ、サバやツナの水煮が、イスラム教の人にも味の好みに関係なくお渡しできるので、どちらかと言えば助かります。

乾麺では、ミャンマーの人にとって人気なのはそうめんです。そうめんを見せると、ミャンマーにも同じ食べ物があると言って、喜ばれます。他の国の人にはスパゲティがいいようです。野菜もありがたいとのことです。もし家庭菜園などでたくさんの収穫がありましたら、CTICを思い出していただけましたら幸いです。車で頂きに伺うこともできます。必ずどなたかが、受け取りに来られますので、まとまった数がなくてもその時にいらした方にお渡しいたします。

色々書きましたが、ここに挙げたことは大体の傾向ですので、どのようなご寄付を頂いてもありがたいですし、誰かしらの好みには合うものだと感じています。 なお、ご寄付頂く食料品につきましては、賞味期限が切れていないものに限らせていただきます。受け取る方が、自分は支援を受ける側なので期限の切れたものを渡されたと感じることがあるからです。 最後になりましたが、これまでに、個人や教会で様々なご支援をいただいていますことにお礼申し上げます。このような状況ですので、引き続きのご支援をいただけましたら幸いです。

◉お願いしたい食品
米・乾麺・スパゲティ・インスタントラーメン・レトルト食品・缶詰・お菓子など
 
※古着の献品は現在募集していません。

◉お問い合せ
カトリック東京国際センター
Tel. 03-5759-1061
CTIC所長 高木健次

災害対応チームオンラインパネルディカッション

コロナ禍の今、教会(わたしたち)のミッション 第4回開催!
働く若者ととも

パネラーの皆さん

7月17日(土)14時00分より、東京大司教区災害対応チーム主催によるオンラインパネルディスカッション「コロナ禍の今、教会(わたしたち)のミッション」第4回が開催された。

コロナ禍においても、また、コロナ禍だからこその取り組みを続けている小教区やグループの取り組みを紹介するオンラインパネルディスカッションも4回目を迎えた。今回はコロナ禍にあって、「働く若者」のサポートをしている、2つのグループの活動が紹介された。

パネラーは、「葛西教会ベトナム支援グループ」のSr.岸里実さん(聖心のウルスラ宣教女修道会 東京修道院長)と秋元多美子さん(教会委員会副委員長・ベトナム支援担当)、そして、「働く若者のグループJOC」の新谷葵さん(日本JOC 働く若者のグループ全国会長)とレネ・カンデラリア神父(淳心会司祭・日本JOC働く若者のグループ全国協力者)の4名。

葛西教会のベトナム支援グループは、2020年の12月から活動を開始。食料品や衣料品、生活雑貨、祈りのための十字架やメダイ等、様々な物資の提供から、プロの美容師によるヘアカットサービスまで、これまでに20回の支援活動を行ってきた。秋元さんは「このような支援は一日にして始まらない。葛西教会には元々様々な国籍の信徒がいたこと、フィリピンの方々への物資支援や心のケアを25年以上続けていること、ホームレスの方々への食糧支援も30年ほど続けていること、この3つの土壌があった」と述べた。Sr.岸は活動継続の秘訣として「支援を『仕事』にしてしまわないこと。喜びではなく義務感になってしまうとぎすぎすしたり、疲れ果てたりしてしまう。仕事ではなく関わり、DoingではなくBeingをメインにすることが大切」と述べた。

葛西教会ベトナム支援グループの発表より

働く若者のグループJOCは、働いている・働きたいと思っている15歳~35歳の若者が集うグループ。コロナ禍はJOCに集う若者の生活にも影響を及ぼし、収入が減って副業を余儀なくされたり、感染防止のために職場以外で人と合うことを制限されたりしている若者も多いという。新谷さんは「若者たちが『つながれない』状況が見えてきた反面、全国から『もっとつながりたい、会いたい』という共通の声も聞こえてきた」と述べ、自身も「人と会えないことはこんなにも心を疲弊させるんだ」と感じていたという。そのため、現在、東京JOCではリモート、対面どちらも選べる形で定例会を行っている。レネ神父は「JOCの中で、私たち協力者の大人は、青年たちと歩む姿勢で、青年たちの可能性を引き出す役割を果たしている。コロナ禍の中でも素晴らしい青年たちと出会って、一緒に歩むことは私にとっても大事な体験」と述べた。

災害対応チームでは次回のオンラインパネルディスカッションを企画中(開催日未定)。コロナ禍における活動や取り組みを紹介したい小教区やグループは、災害対応チームメールアドレスまでご連絡いただきたい。

菊地大司教による挨拶

※葛西教会ベトナム支援グループは教区ニュース第382号で、JOCは第384号で特集しています。
※パネルディスカッションの動画はこちらから視聴可能です!

ひとつの棚から始まったフードバンク

習志野教会では、月に一度ベトナム語のミサが行われ、多くのベトナム人信徒が集う。その中にはコロナ禍によって仕事を失ったり、収入が減ったりして生活に苦しんでいる方々もいる。教会では、そのような方々へフードバンクや帰国費用補助等の支援活動を行っている。今回は支援活動の詳細に関して、主任司祭のディン神父と担当者の立松さんにお話をうかがった。

─フードバンクを始めることになった経緯を教えてください。
ディン神父◉習志野教会では月に一度ベトナム語のミサを行っています。その中には仕事を失って帰国を待っている人もいます。そんな時、職を失って食べるものにも困り、寄付で生活している群馬県在住のベトナム人のニュースを見ました。もしかしたら習志野教会にも、そのような人がいるかもしれないと思い、支援活動に詳しい信者さんに相談して、「じゃあフードバンクをしてみよう」と。最初は一つの棚だけの「フードコーナー」でした。
立松◉大森教会で行っているフードパントリー(※)に刺激を受けたこともフードバンクを始めた理由の一つです。食料を置くための棚はディン神父が作ってくれました。もちろん、ベトナム人に限らず、困っている人は誰でも持って行っていいことになっています。

フードバンク

─どのようにして食料を集めていますか?
立松◉寄付を求めるチラシを作って信者さんに配り、回収場所を作りました。習志野教会では以前から「無人売店・タンポポ」というコーナーを教会の玄関前に作って、靴や衣類、雑貨を販売しています。今は100円ショップもあるので、100円以下の品物が多いです。平日に教会に来て利用する方もいらっしゃいます。売り上げは福島等、東日本大震災被災地に寄付しています。

無人売店・タンポポ

─以前から、物資を集めて提供する活動のノウハウはあったわけですね。では、帰国費用の補助についても教えてください。
ディン神父◉仕事を失って帰国したくても、ベトナム行きの飛行機はなかなか飛んでいません。何ヶ月も待っている間に手持ちのお金も少なくなってしまいます。そこで、ベトナム語のミサでカンパをつのりました。「ベトナム人同士の助け合い」という形にしたかったのです。「ベトナム人のために使ってください」とお預かりしていた寄付と合わせて、飛行機代10万円、帰国してからの隔離期間のホテル代10万円を渡しました。次に同じようなことがあった場合もカンパを呼びかけますが、いくら集まるかはその時次第ですね。

─他にも取り組んでいる活動があれば教えてください。
ディン神父◉とある会社から、段ボール100箱のポロシャツとTシャツの寄付を頂きました。ベトナムの貧しい地域に送りたいのですが送料が数10万円かかります。そのための献金をしてくださった方にシャツを差し上げるという形で、送料を集めているところです。

※大森教会のフードパントリーに関しては東京教区ニュース第380号で紹介しています。

「受けとめるヨゼフ」像 設置秘話

東京教区ニュース第380号にてご紹介したカテドラルのルルドの横に立つ「受けとめるヨゼフ」像。この度、この像の設置に深く関わる斉藤宏子さんがお手紙を寄せてくださったのでご紹介する。

「二人のヨセフ」

東京カテドラルの庭に立つ「受けとめるヨゼフ」像。このヨセフ像の作者と寄贈者の話を伝えます。

作者の彫刻家関谷光生氏は1947年生まれ。彫刻家関谷充氏の次男で、練馬区は桜台に住まわれ、私はご一家と近所づきあいさせていただきました。

父上の充氏は木彫の第一人者と目される最中、視力を徐々に失われ、60歳には全盲となられた方です。そして木彫から粘土制作に移り、いのちが立ち昇るような作品を生み続けられました。光生さんは青年の頃より父上を礼儀正しく、そして静かに支えておられました。そのお姿はまぶしいものがありました。父上のご葬儀の時、空いっぱいの光をご覧になったそうです。「み仏のような」と、その光を表現なさいました。さもあろう、と伺いました。

その後、光生さんは結婚し幸せな家庭を築かれましたが、その数年後、ご伴侶の恵美子様は余命の宣告を受けられました。その頃、私の主人実も患っており、私はヨセフ様に祈っておりましたので、小さなヨセフ様のご像がほしくなり、光生氏に制作をお願いいたしました。

その前後、恵美子様は夢をご覧になったそうです。「私の夫、関谷光生が、丹下氏の設計した教会の庭に聖人のご像を建てる」と。びっくり仰天、丹下さんと言えば東京カテドラルです。30代とまだ若い恵美子さんの願い……。ホスピスで死を待つ方の願いを夫に話し、当時の森補佐司教様に訴えました。司教様は光生氏の作品をご検討くださり、ご承諾を得ました。

そして、白柳枢機卿様ご提案の場所、大聖堂の十字架型の屋根の延長線上に設置が決まりました。大聖堂に釣り合う大きさとなりますと相当な大きさです。費用はどうしようと悩みました。その頃余命1年余りの宣告を受けた主人が私に言いました。「ボクの墓石代だよ」と。そして恵美子様は他界なさいました。

光生氏のヨセフ像制作が始まりました。光生氏は信者ではなかったのですが、聖書を読み、ヨセフ様をデッサンしていたある夜、「ヨセフ様の手と足はどのようであられたのだろうか……」と思いながら床につかれた時、明け方の眠りの中にヨセフ様が現れ、み足とみ手を出してくださったと話してくださいました。

こうしてヨセフ像は、1999年3月に建てられました。 晩年の十余年、光生氏はパーキンソン病を患いながら、ヨセフ像を作り続けられました。

大阪聖ヨゼフ宣教修道女会本部に置かれている、関谷氏の手によるヨセフ像

ご入院中、聖ペトロ・パウロ労働宣教会のルイ神父様から洗礼を受けられ、霊名は勿論ヨセフです。その後ほどなく、2017年4月1日、逝かれました。東京カテドラルでの葬儀ミサでのルイ神父様の説教を想い出します。「今まで私たちは彼のことを祈ってきた。これからは彼が私たちのことを祈ってくれる」と。

次に、寄贈者斉藤実のこともお話しさせてください。 彼の洗礼は没前1週間前です。毎日曜日、信者で妻の私はミサに、彼は渓流釣りでした。

主人が病に倒れた後、夫婦で敬虔なカトリック信者の中村さんが再三お電話くださいました。「斉藤さん洗礼受けられましたか? 奥さんでも授けることができるよ。彼は十分資格あるし、ずーっと一緒にいられるよ」と。「中村さんからお電話いただきました」と告げると主人は答えました。「受けるよ」と。

お風呂に入り、着替え、家族の写真を並べました。ルルドのお水で「父と子と聖霊のみ名によって洗礼を授けます」というおぼつかない私の声。そして一緒に主の祈りを唱和しました。 小康状態の三日の後、急変し、緊急入院。「あー面白かった。恩に着るぜ」と。私の「他にはないの?」という想いを受けるように「愛しているよ」と。その翌日、止めるのも聞かずに起き、点滴スタンドにつかまりながら歩くこと数歩の後、突然上を向き、少年のような喜びの顔を見上げ、目を大きく見開き、崩れ落ちました。私の腕の中でした。 葬儀は森司教様の司式で、身に余るものでした。

斉藤実は1975年、多発する漁船の海難事故を取材中、救助船が着く前に死に急ぎ、自ら海に飛び込みさえしてしまう、救命ボートで漂泊中の漁師たちのことが心を占領してしまいました。その疑問を解くために自ら単身「漂流実験50日」を生き抜き、奇跡とも言える生還を果たした男です。そして漂流後の院内感染と思われるC型肝炎を25年も耐えた後、亡くなりました。私との結婚は「漂流実験50日」以後です。澄んだ、優しい眼の人でした。

歯医者の父上は貧しい人から診療代を受け取らず、朝暗いうちから患者さんが立っておられたとのことでした。

関谷光生、斉藤実両人は、共に与えられた役目、仕事に情熱を尽くしながら、共に何事があっても大声を立てない人でした。そして共に病苦に耐えながら家族を支えて、明朗で、文句を言わない人でした。共に、「天の御父」を想像させる父上に訓育された静かな男で、私のヨセフ様です。

マリア 斉藤宏子

※斉藤実氏の著書『太平洋漂流実験50日』(童心社、1980年)は第27回(1981年)青少年読書感想文全国コンクール・中学校の部の課題図書となっています。

関谷光生氏から斉藤さんへの直筆のお手紙

手紙が貼られていたヨゼフ像の写真

 

ミャンマーの教会に想いを寄せて

東京教区のミャンマー人グループ

築地教会では、月に1回ミャンマー人カトリック信者の集いが行われ、ミャンマー委員会担当司祭のレオ・シューマカ神父(コロンバン会)、ミャンマー出身で府中教会助任司祭ラズン・ノーサン・ヴィンセント神父(ミラノ外国宣教会)司式によるミサの他、共に食卓を囲みながらの交流が行われている。 今回は、長年そのグループに関わっているミャンマー人女性Sさんにお話を聞かせていただいた。

ヴィンセント神父司式によるビルマ語(ミャンマー語)のミサ

─ミャンマー人グループに関して、どのような集まりなのかを教えてください。

S◉20年ほど前から、コロナ禍以前は週に1回、現在は月に1回集まっています。(ミャンマー委員会担当司祭の)レオ神父がいる教会に集まることにしています。ミサや食事の他、黙想会を行うこともあります。夏には泊まりがけで海の近くに行き、リラクゼーションを兼ねた分かち合いをしたり、お正月には日帰り旅行をしたりしています。ミャンマー人の結婚式があれば、式やパーティのお手伝いもします。献金を集めてミャンマーに送ることも続けています。

─何名ほどのグループなのですか?
S◉30~40人くらいです。

─現在の状況で困っていることはありますか?
S◉母国から離れているので何もできないことが悔しい、情報がコントロールされているので何が起こっているかが分からないということは皆が思っています。自分が安全なところにいるとしても、ミャンマーの家族に何があるか分からないのが辛いです。家族に電話をすることはできますが、無意識にでも政治の話はしないように気をつけています。

ある日のミサから。この日は幼児洗礼式が行われた。

ミャンマーの司祭から

今号でも、あるミャンマー司祭からの手紙をご紹介する。ミャンマーではクーデターによる困難に加え、新型コロナウイルス感染症の拡大も深刻な様子。引き続き皆様のお祈りをお願いいたします。

5月 1日 東京からの寄付金に感謝します。
我々はそのお金で米を買い、家庭に配布した。
5月 2日 今日はいたる所でストライキが行われている。
軍が発砲するので街中には誰もいない。
5月10日 頂いた寄付金を他の教区にも送金した。
多くの銀行が閉まっているので送金は簡単ではない。
今日は50世帯に1袋ずつ米を配布した。
5月12日 子どもたちへの教育プログラムを開始した。
学校は閉鎖され、子どもたちは学ぶ機会を奪われている。
5月14日 人々が田舎で採れた沢山の果物や野菜を届けてくれた。
5月31日 軍はロイコー教区の町や村を爆撃した。 6つの教会が銃撃、そして爆撃された。
これまでに8万人もの人々が家を追われている。
6月 1日 ロイコーからの難民支援の要請あり。
ヒヨコ豆、麺類、薬、ロウソク、トイレットペーパー、避難所用のビニールシート、そして石鹸。これらを500人分送る予定。
6月12日 ロイコーにに再び支援物資を送る。
シスターが物資を届けるのを手伝ってくれる。
ソーラーパワー照明とサンダルが求められている。
6月16日 12人のグループがロイコーから避難してきた。
彼らは何も持っていないので、食料と服を提供した。
彼らは赤ん坊をかごに入れて連れてきた。
6月17日 軍によって村全体が焼かれしまった人々がいる。
私たちは彼らに食糧支援を行っている。
6月24日 ロイコーにさらに物資を届けた。
マンダレーで戦闘が起こった。 電気が通っていない様子。
6月29日 カラフ(最もインドに近い教区)で二人の司祭が新型コロナウイルスによって死んだ。
教区は新型コロナウイルス緊急計画を準備中。
病院は閉ざされ、とにかく物資が不足している。

マンダレー大司教区を代表して、皆様からの尊く温かいご支援に感謝を申し上げます。苦しみの中にある人々が、慰めの涙を流しながら感謝の言葉を口にしているのを目の当たりにして、皆様からご支援に心を打たれています。

かごに入れて連れてこられた赤ちゃん

 

編集後記

梅雨が明け、今年も夏がやって来た。社会の動きや人の想いがどうであれ、季節は変わらず巡る。

一人一人の人間にとっては、同じ夏など一つもない。去年も今年も、思うように出かけられない夏。でも、それは全く同じではない。

神の愛はどんな時も私たちに注がれている。それでも、神と人との関わり方は、人の数だけあって、時と共に変わってもいく。

今年の夏、私たちはどのように神と語らい、関わっていくのだろうか。一人ひとりの神との関わりが豊かなものでありますように。その豊かさは、どんな時も傷つけられはしないのだから。(Y)