東京大司教区

ミャンマー

ミャンマーとの友好関係

1954年に神田教会で司祭に叙階されて間もなく、若き白柳誠一神父は、さらなる研究のためにローマに行くことを命じられました。戦後、東京の教会はまだ復興の途上にあり、カテドラルも仮設だったため、白柳神父は海外に行くために必要なラテン語、イタリア語、英語の勉強に励んでいました。世界中から集まった司祭と共に、彼はローマの布教聖省(現:典礼秘跡省)のウルバノ大学で学びました。1960年、教会法博士の学位を取得した白柳神父は東京に戻りました。そこでは、ケルン教区の援助によってカテドラルや上智大学をはじめ、多くの新しい教会が建てられていました。もちろん、彼が後に東京大司教、そして枢機卿となったことは周知の通りです。

1970年代後半、東京の教会は復興を遂げ、今度は東京が手を貸す番になりました。白柳大司教のウルバノ大学時代の同級生がミャンマーで司教になっていました。彼はミャンマーが軍事政権下に置かれ、教会は強い圧力を受けているので力を貸してほしいと白柳大司教に頼みました。

1979年には東京・ケルン大司教区の友好25周年のお祝いが行なわれました。来日したヘフナー枢機卿(当時のケルン教区長)と白柳大司教は、ケルン教区の精神をさらに発展させようと考え、25周年以降は力をあわせてミャンマーの教会を支援することに合意しました。こうして東京大司教区では、毎年11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定め、ミャンマーの教会のための献金を呼びかけることになったのです

そして1980年、東京とミャンマーの姉妹教会関係が始まりました。当時のミャンマーでは、ほとんど全ての宣教師が追放され、外国の神学校との関わりも禁止されていたため、国内の神学校を発展させる必要性が高まり、東京からの援助は、主に神学校の建設と運営に使われることになりました。当時、全国で100人にも満たなかった司祭が、今では1000人を超え、海外にも派遣されるようになりました。

2004年1月、岡田武夫大司教はミャンマーの教会を訪問し、ミャンマーの司教協議会の総会に出席しました。ミャンマーの司教たちは総会の中で東京教区の「ミャンマーデー」にならって、11月の第3日曜日を「東京デー」とし、ミャンマーの全教会を挙げて東京大司教区のため、とくに司祭・修道者の召命のために祈ることを約束しました。

ミャンマーの教会は司祭召命が数多く、大神学校は希望に燃えた若い神学生で溢れています。しかし、神学校の建物は志願者を受け入れるには十分な大きさではなく、また老朽化もかなり進んでいます。この問題を解消するためにミャンマーの司教協議会は新しい神学校の建設を進めています。現在、東京教区はケルン教区と協力してミャンマーの神学校建設支援を進めています。

2020年の2月、菊地功大司教はミャンマーを訪れました。菊地大司教は東京からの寄付によって建てられた神学校を自分の目で見ました。そして、そこで学ぶ大勢の神学生に会いました。私たちが訪れた教会は大司教を盛大に歓迎しました。それは、感謝と喜びの時間でした。

私たちの姉妹教会関係は、二人の司教が同級生としてローマで育んだ友情から始まり、年月を重ねるごとに深まってきました。今、ミャンマーの教会は大きな助けを必要としています。姉妹教会のために、私たちができる限りのことをしていきましょう。