お知らせ

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東京教区ニュース第382号

2021年05月07日

主がともにおられる喜び

タルチシオ 菊地 功 大司教

新型コロナ感染症が、社会生活に大きな影響を及ぼすようになってから、すでに一年以上が経過しました。この数週間は、新たな感染者の増加が報告され、政府の判断でまん延防止等重点措置の適用が決定され、東京教区の一部が同重点措置の対象となりました。教区内の対象地域は23区、八王子市、立川市、武蔵野市、府中市、調布市及び町田市とされ、期間は4月12日(月)から5月11日(火)までとなっています。また、千葉県も対象となる模様で、20日から5月11日まで、指定地域は市川や船橋など東京都の隣接区域や周辺の5市と報道されています。

なかなか安心出来る状況ではありませんが、教会は、これまで行っている感染対策をあらためて徹底して、慎重に活動したいと思います。自分いのちを守るためだけではなく、他の方々のいのちを守るための積極的な行動としての対策であることを心にとめて、行動いたしましょう。

今年は幸いに、聖週間から復活祭への典礼を行うことが出来ました。感染対策にあたられた、小教区の司祭や信徒の方々に、心から感謝いたします。昨年の聖週間は、公開のミサを行うことが出来ず、さらには数ヶ月にわたって、日曜に共にミサにあずかるという、祈りの時をともにすることが適いませんでした。苦しい一年でした。

教会に集まれないことで、それぞれの方の霊的な渇きが深まったことは、大変申し訳なく思います。同時に、集まれないことが、わたしたちから喜びを奪ってしまったようにも感じています。それは単に、行事が出来なかったという個人的な喪失感ではなくて、今回の事態が、教会に共同体として集まるという行動それ自体が、喜びを生み出しているという事実を、あらためてわたしたちに自覚させたのです。祈りの時をともにするために集まることは、それだけで喜びを生み出します。ミサにあずかるために共に祭壇を囲むことは、それ自体が喜びを生み出します。

これまで当たり前のように日曜日に教会に集っていたときには、あまり気がつかなかったのかも知れません。それが奪われてしまったことで、気がつきました。 集まることに喜びがあるのは、親しい友と出会うからではありません。そこに主が現存しておられるからです。現存しておられる主と、ともに過ごすからです。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と、マタイ福音18章20節に記されていますが、わたしたちが教会に集まるところに喜びが生まれるのは、そこに主が現存しておられるからであります。わたしたちは、主イエスをよい牧者としていただく群れとしての共同体であり、「聖体の集会においてキリストの体に養われた者」として、「神の民の一致を具体的に表す」共同体です。(教会憲章11)

またヨハネ・パウロ二世は、「聖体は、信者の共同体に救いをもたらすキリストの現存であり、共同体の霊的な糧」だと、回勅「教会にいのちを与える聖体」に記しています。この一年以上の状況は、わたしたちに、実際に集まって聖体を頂き、共同体としての喜びに生かされることの大切さをあらためて実感させました。同時に、物理的には離れていても、共同体との霊的な絆によって結ばれていることを思い起こさせ、教会に伝えられる「霊的聖体拝領」によって、個人的な満足に留まらず、共同体との霊的一致に生かされることをも思い起こさせました。

わたしたちは、どこにいても、独りで祈っていても、独りで愛の業を行っていても、自分のためではなく、共同体の絆の内に、共同体のわざとして行います。

まだまだ困難な状況は続くでしょう。このままでは、あと一年以上は、さまざまなレベルでの感染対策を続けなければならないものと思われます。困難な中にあるからこそ、互いを結び合わせる共同体の霊的絆に思いを馳せ、互いに支え合い、助け合い、祈り合いながら、歩んで参りましょう。

今年はあたかも復活の喜びの先取りであるかのように、受難の主日と桜の満開が重なった。 ©Y.Akai

 

ペトロ岡田武夫名誉大司教追悼ミサ

4月19日(月)13:00より、東京カテドラル大聖堂にて、菊地功大司教司式による、ペトロ岡田武夫名誉大司教の追悼ミサが行われた。追悼ミサは1月に行われる予定であったが緊急事態宣言発出を受けて延期されていた。

ミサの説教は学生時代から岡田大司教と親交があり、補佐司教として共に働いた幸田和生名誉司教によって行われた。説教の中で幸田司教は「『主に望みを置く人』というのが岡田大司教のモットーでした。紋章には、五つのパンと二匹の魚の絵が描かれていました。わたしたちの持っているものはわずかなものであっても、主に望みを置き、みんなでそれを出し合い、分かち合えば、豊かなものになる。岡田大司教は本当にそう信じていました。そして、いつも教区の信者のために祈っておられました。大司教館の中にチャペルがあります。岡田大司教が祈る姿がいつもそこにありました。」と述べ、在りし日の岡田大司教の姿を偲んだ。

新型コロナウイルス感染防止のため、残念ながら、追悼ミサへの出席は「各教会・修道会2名まで」という制限を設けた。それ以外の方々にはミサ後の献花への参列をお願いしていたが、参列者の方々が分散しての来場を心がけてくださったためか、行列ができたり、蜜の状態が発生したりすることなく岡田大司教をお見送りすることができた。ご協力・ご配慮くださった皆様に、心から感謝申し上げます。

幸田司教による説教

祈りを捧げる修道女たち

CTIC カトリック東京国際センター通信 第247号

フィリピン宣教500年

今年はフィリピンへのキリスト教宣教500 年にあたります。この大きな記念は3月14日バラの主日に、聖ペトロ大聖堂で行われたフランシスコ教皇の司式の特別ミサで開幕しました。ミサは、前マニラ大司教のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿はじめ10人の司祭が共同司式しました。参列出来た信徒は在ローマの様々なフィリピン人共同体の代表としての100名ほどでしたが、簡素でありながら、荘厳で意味深い典礼でした。ミサはイタリア語で捧げられ、ミサ中の歌のほとんどはタガログ語でした。

1521年にリマサワ島で捧げられた最初のミサを思い起こすこの式典は、世界中のフィリピン人共同体をいっぺんに一つにつなげました。現代のテクノロジーのおかげです。世界中のフィリピン人がソーシャルメディアを使って、簡単に教皇ミサに与ることが出来たのです。遠く離れた国からでも、バチカンで行われているミサを見ることが出来るのは、フィリピン人信者にとって歴史的な体験と言えます。新型コロナの感染の影響で、大聖堂に入れた人数は100名ほどでしたが、聖ペトロ広場に設置された巨大モニターを通して参加した人々もいました。教皇は、お告げの祈りを唱えるバルコニーから、広場に集まった人々に祝福を与えました。

フィリピン宣教500年の記念は、すべてのフィリピン人信者が、自分たちにとって信仰がいかに大切かを思い起こす機会になるでしょう。例えば、フィリピンの文化にしても、信仰と切り離すことはできないのですから。信仰の賜物を生きるようにという呼びかけに答え、私たちは、「Gifted to Give(与えるために恵みを受けた)」というこの記念の年のテーマを大切にしたいと思います。私たちは自分の持っているもの以外を誰かに与えるということはできません。自分の持っているものを、それを必要とする人と分かち合わないこと、それが利己主義です。「与えるために恵みをうけた」とは、神の恵みの基本に基づく、忘れてはならない特徴です。与えることが出来ない人は、神の恵みを知らない人です。神は世を愛して、世を救うために、独り子、イエス・キリストをお与えになりました。イエスは人生を分かち合うことで、信仰を生きるための模範なのです。

「カラクバイ2021年4月号より」(エドウィン・コロス スカラブリーニ会司祭)  

Entrance procession

●お知らせ●
本郷教会の場所をお借りして行っておりました活動は3月をもちまして終了となりました。本郷教会の皆様やボランティアの皆様はじめ、今までこの活動を支えてくださいました多くの皆様に御礼申し上げます。 なお、今まで本郷教会で行っておりました活動のうち、食料支援は、目黒のCTIC事務所での「生活に困っている外国人のための食糧支援」に統合し、継続いたします。 今後ともよろしくお願いいたします。

※東京教区ニュース381号「CTIC カトリック東京国際センター通信 第246号」に掲載されている写真はフリーライターの室橋裕和氏が撮影したものです。クレジットが漏れておりましたのでお詫びして訂正いたします。

福島の地から カリタス南相馬 第1回

10年を超えて

わたしは今、東京教区から派遣されて、福島県の原町教会とカリタス南相馬で働かせていただいていますが、10年前はもちろん東京に住んでいました。2011年3月11日、東日本大震災が起こり、首都圏に住んでいたわたしたちはまず大津波のニュース映像に衝撃を受けました。また、この地震と津波によって福島第一原子力発電所で重大事故が起こり、大量の放射性物質が拡散し、周辺の何万人もの人が避難を余儀なくされたことにさらに大きなショックを受けました。その時まで、わたしたちの多くは首都圏の電気が福島県で作られているということをほとんど意識してこなかったからです。

東京教区のカトリック東京ボランティアセンター(CTVC)は2012年6月、福島第一原発から北へ25キロメートルの地点に「カリタス原町ベース」を開設し、ボランティア活動の拠点としました。その後、「カリタス南相馬」と改称し、今も一般社団法人として活動を続けています。コロナ禍でボランティアの受け入れは中止していますが、今後も津波と原発事故の影響を受け続けている福島の方々とともに歩んでいきます。

フランシスコ教皇は2019年11月に来日され、被災者・避難者の声に耳を傾け、帰りの飛行機の中で次のように語られました。「これは個人的な見解ですが、使用上の完全な安全性が確保されるまで、核エネルギーは用いるべきではないでしょう」「大惨事を食い止める安全性が確保されていないのです」教皇はいつも、被害者の声に耳を傾けるところから考えようと呼びかけておられます。

教会がこの地の人々とともに歩み、その人々の叫びを聞き続けるために、カリタス南相馬は存在しています。このコーナーでは毎回、カリタス南相馬の活動や原発周辺地域の様子、そこに住む人々の声をお届けしていく予定です。 今後とも、皆さまのお祈りとご支援をよろしくお願い申し上げます。

東京教区名誉司教 カリタス南相馬代表理事 幸田和生

カリタス南相馬スタッフと協力シスター方

カリタスの家だより 連載 第132回

今できることを大切に~子どもの家エランより

2017年10月に杉並区に誕生した「子どもの家エラン」は、今年の3月、3年間ここに通った3名の子どもたちが修了し、小学生として巣立っていきました。初めて修了生を送り出したのですが、感慨深いものがありました。現在は、週4回、お弁当持参で朝9時頃から1時頃までの通所クラス、週1回、午後3時30分から1時間の通園クラスがあります。

子どもの家エランは発達支援を必要とする未就学児とそのご家族のための通所施設です。「エラン」はフランス語の「飛翔」という意味で、一人ひとりのお子さんが自分らしく羽ばたいていけるようにとの思いを込めています。私たちのミッションはお子さんとご家族の幸せ作りのお手伝いです。

ここでは職員の他にボランティアが週1回の活動を行っています。ボランティアは直接子どもと関わることはしません。主に子どもが使う教材や遊び道具の制作、お庭の整備です。同じものを示しても一人ひとり興味は違います。色に興味を示す子、形にこだわる子、手触りにこだわる子等々。子どもの良き理解者である職員さんからのリクエストに応えて、その子どもにあった教材やおもちゃを作るのは楽しい作業です。

お庭の整備も大切なボランティアの仕事です。花壇に季節のお花を植え、畑ではお野菜を栽培しています。開設当初は小石がゴロゴロしていたお庭も今は全面芝生になり、子どもたちが走り回っています。ここは、けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会の東京修道院から譲り受けたものなので、庭作業をしていてもシスターたちが「天からの恵み」を大切にされていたことを強く感じます。

早春にはふきのとう、そして至る所から花を咲かせる水仙、ハナニラ、夏にはマリア様のご像の回りはユリの花でいっぱいになり、茗荷が出てきます。秋には野菊が咲き誇り、冬の寒さの中でミツバがひっそりと芽を出します。思わず「ごらんよ空の鳥」を口ずさんでしまいます。

最後に故岡田名誉大司教様が作ってくださった「子どもの家エランのため祈り」をご紹介します。

いつくしみ深い主なる神さま あなたはすべての人の父であり、すべての人を慈しみすべての人の幸せを望んでおられます。

どうかこの家に集う子どもたちと子どもたちに寄り添うわたしたちを祝福してください。

この家に集う一人ひとりの子どもが、かけがえのない、大切な神の子であることをわたしたちが深く知ることができますよう、また子どもたちの健やかな成長のために良い働きをすることができますよう、わたしたちに聖霊の助けを豊かに注いでください。

慈しみの母・聖マリア、どうかいつも子どもたちを見守り、助け、導いてください。

わたしたちの主イエス・キリストによって、アーメン。

新型コロナウィルスの蔓延で制限されてしまったこともありますが、この祈りを念頭に、今出来ることを大切に、丁寧に心を込めて活動を続けていきたいと思っています。

ボランティア開発養成室スタッフ・子どもの家エランボランティア 鳴海 京子

●ご寄付のお願い●
エランでは子どもたちにお庭で泳ぐ「鯉のぼり」の姿を見せたいと思っています。もし、もう使っていない鯉のぼり(1m以上の大きさ)があればご寄付下さい。よろしくお願いします。 連絡先◉子どもの家エラン Tel. 03-3332-5115(担当:鈴木)

災害対応チームオンラインパネルディカッション

コロナ禍の今、教会(わたしたち)のミッション  第3回開催!

パネラーの皆さん

3月21日(日)14時00分より、東京大司教区災害対応チーム主催によるオンラインパネルディスカッション「コロナ禍の今、教会(わたしたち)のミッション」第3回が開催された。

コロナ禍にあっても様々な活動を継続している小教区やグループの取り組みを紹介するために始まった災害対応チーム主催のオンラインパネルディスカッションも3回目を迎えた。

この日紹介されたのは、府中教会カリタス府中による子ども食堂(パネラー:佐藤幸雄さん、筒井美恵子さん)と大森教会PANEの会によるフードパントリー(パネラー:烏川博子さん)。いずれも社会的に弱い立場の方々に「食」の支援をする活動である。また、大森教会PANEの会に協力している大田区社会福祉協議会(社協)の髙橋七海さんにもパネラーとして参加していただいた。

カリタス府中では、2018年から子ども食堂『LA MENSA DEGLI ANGELI』(イタリア語で「天使の食卓」の意味)を運営していた。コロナ禍によって教会の食堂で食事を作ることは困難となったが、お弁当を提供する形で活動を継続。会場も、より広く換気も容易であるということでホールから聖堂に移した。

カリタス府中子ども食堂の紹介

「天使の食卓」で提供しているお弁当

大森教会では、コロナ禍以前からホームレスやシングルマザーの方が食べ物を求めて教会を訪れていたこともあり、当初は子ども食堂を開催する可能性を考え、大田区社協にも相談に行ったという。会場や台所等の関係で子ども食堂の実施は困難であることが分かったが、社協からの助言もあり、「PANEの会」という名前で、無料で食料を配布する「フードパントリー」を月に一度開催している。

PANEの会で提供される食料の見本

大田区社協の髙橋さんからは、社協が担っている役割や、教会等の民間団体と協働することによって、社協だけではカバーできない支援を行うことができる意義に関してお話しいただいた。

大田区社協髙橋さんによる社協の活動の紹介

菊地功大司教は開会の挨拶の中で「現代の日本は先進国であって、食料は充分に行き渡り、『衣・食・住』の課題で、いのちが危機に陥ることはあまり考えられないと信じてきた。しかし、この数年の経済格差の広がりや、この一年のコロナ禍における経済危機、雇用危機が、『衣・食・住』を、いのちを危機に陥れる連鎖の重要な要因としつつある現実に直面している」と、また総評として「教会ができることは限られているし、行政の活動にも限界はある中で、両者が手を結び合うことで相乗効果が期待できると思う」と述べた。

菊地大司教による総評

災害対応チームでは今後もオンラインパネルディスカッションを継続していく予定。自分たちの活動や取り組み「コロナ禍のミッション」を分かち合いたい小教区や団体は、災害対応チームメールアドレスまでご連絡いただきたい。

※パネルディスカッションの動画はこちらから視聴可能です。

ヨセフ年特別企画 東京教区のヨセフ像

前回の本所教会に続き、今号では五井教会のヨセフ像をご紹介する。

房総半島の東京湾に面した千葉県市原市にある五井教会は、昭和30年代後半から盛んに開発された京葉工業地帯に転勤してこられた九州出身のカトリック信者と、聖コロンバン会のオドワイヤー神父様が家庭集会を持つことで歩みを始め、仕事の為に移住して来られる人が多いので「労働者聖ヨセフ」を守護聖人として1965年に教会堂も献堂されました。

全世界で5月1日に「労働者」聖ヨセフをお祝いするように定められたのは1955年のことでした。

働く人々の模範、ゆるぎない信仰をもって黙々と働く姿、父親として神への信仰を子に伝える大事な役割をマリアとともに果たす聖ヨセフのことを、もっと身近に感じ知ることができるように、2009年には当時の主任司祭・坂倉恵二神父様と信徒数名によってヨセフ祭壇新設プロジェクトチームが結成されました。教会ホールの壁をくり抜き、はめ込み式の祭壇を造ることと並行して、五井教会オリジナルの「労働者聖ヨセフへの祈り」も日英2か国語で作られました。

この祭壇の前でお祈りする人も多くいますが、教会ホールの隅から聖ヨセフ様は、信徒が集会をし、共に食事をしたり、気軽な立ち話をしたりする様子をいつも静かに見守っていてくださいます。

コロナ禍で昨年は集会もミサすらも教会堂で挙げられなかったのですが、5月の第一日曜日には皆で持ち寄った花で祭壇を飾り、聖ヨセフにちなんだ聖歌や「労働者聖ヨセフへの祈り」を唱えてお祝いします。5月1日に向けてノベナもささげるようにしていましたが、そんな集いがまた戻ってくるのを待ち望む今日このごろです。

カトリック五井教会 広報部

労働者聖ヨセフへの祈り

労働者聖ヨセフよ あなたは主イエスの養父に選ばれ、 お告げのとおり、幼子イエスを聖母マリアと共に 守られました。

あなたは御子イエスと共に暮らす中で、 仕事を、すべての人に仕える事へと高めて下さいました。

こうしてあなたはイエスが成長するまで、 天地創造の御業を行う天の御父の姿を示す役割を、 担って下さいました。

それは、人間の父としての最高の姿でありました。

仕えられるためではなく、仕える者として、 いのちまでも私たちにお与え下さった、 御子イエスに倣って 私たちの日々の勉強や仕事も、 すべての人に 仕える事へと変えられていきますように。

また、イエスとともに、 御父の創造の御業の良き協力者となれますように、 私たちを導いて下さい。

アーメン。

 

Prayer to St. Joseph

the Worker O Blessed Joseph, Patron saint of all workers,

Through the message of God’s angel,

You were chosen by God

To be the foster father of His Divine Son

and protector of the Blessed Virgin Mary.

Working alongside Jesus,

You raised all works of service

to a new level of dignity,

and modeled the Fatherhood of God,

Creator and ruler of the universe.

Help us to follow your example and

to offer our lives in service of one another.

Guide us as we strive to be

Faithful co-workers in our daily lives,

Protecting your creation

and building up the Kingdom of God.

Amen.

 

ヨセフ像の写真募集します!

「ヨセフ年」を記念して、東京教区の教会や修道院にあるヨセフ像の写真を募集いたします(個人所有は含みません)。その像が制作・設置された由来や像にまつわるエピソードの文章を添えて、教区本部事務局広報部宛に郵送かEメールで写真をお寄せください。お送りいただいた写真と文章は教区ニュースと教区ウェブサイトでご紹介いたします。沢山のご応募お待ちしています!

送付先 郵送:〒112-0014     
       東京都文京区関口3-16-15
       カトリック東京教区事務局広報部  
       E-Mail 

※メール添付の場合、ファイル形式は問いませんが、 できる限りサイズの大きな写真を添付してください。

ベトナムの青年たちへの支援について

希望が絶望に覆われてしまわぬように

葛西教会では昨年末からベトナム人の青年たちへの支援を行っている。支援を始めた経緯と現場の様子について、実際に支援に関わっている方から報告を寄せていただいた。

ことのはじめは、昨年の11月下旬。葛西教会の活動にご協力いただいているシスター(聖心のウルスラ宣教女修道会)がベトナムの青年たちの苦しい状況を耳にしたことからでした。その頃、ニュースでも報じられていたベトナム人の困難な状況は葛西教会のミサに与る青年たちも同様だったのです。食べ物だけでも提供できないだろうか……シスターの意を神父様に伝えて許可を得ると、有志者の奉仕の心に火が灯り、彼らへの食糧支援が具体的に動き始めました。

12月中旬、日曜日のミサの後に配布できるよう食料の提供を我々の共同体の連絡網で呼びかけると、すぐにさまざまな食料品が集まり、教会にストックしてあったカップ麺等々も加えて食料支援がスタートしました。

最初の日は10名ほどが教会に来ました。中には「自分はカトリック信者ではないけどいいのでしょうか」と心配している子もいましたが、そこは事前にカトリック信者でも未信者でも分け隔てなく支援することと決めていました。彼らの多くは友人たちと共同生活をしていますが、教会に来なかった仲間の分も渡し、かつ、支援対象の人数は予想を上回ったために食料品の提供だけでは追いつけず、担当者は募金を呼びかけました。きっとその熱意が通じたのでしょう、数ヶ月先も見込めるほどの善意が集まりました。

年末には、温かいモノを食べさせてあげたいと、おでんの提供を行い、日本語を早く修得したいと望む青年たちのためにシスターは日本語教室を開始し、日本の冬の寒さを憂いて衣服の提供を募ると教会の一角はまるでフリーマーケットのようになりました。

以来、担当者は毎週買い出しに走り回り、シスター方はお手製の炊き込みごはん等を用意され、美味しい食パンも定期的に提供されています。また、国際グループの世話人がフェイスブックにこの支援について投稿したところ、他の教会の方からは一俵の米が届けられました。感謝です。

ベトナムの青年たちは、このコロナ禍でアルバイト、勤務先の就労時間短縮によって経済的な困窮に陥り、中には心のケアが必要な子、法的な情報提供が必要な子もおります。そういう彼らのために、CTIC(カトリック東京国際センター)の方々に来ていただき、彼らの心の重荷も軽くなったのではないかと思っています。

このような活動において、支援している側である我々の方が気づきを与えてもらったことがありました。それはベトナムへ帰国するはずだった7名の未信者の青年たちがコロナの影響で飛行機が欠航となってしまったために、彼らにも食料を支援したときのこと。経緯を聞いたベトナム出身の日本在住の方が、〝カトリック信者でもない青年たちを日本の教会が助けてくれた、今後は我々で彼らを援助します〟と言われました。教会の外の人から見ると、葛西教会の誰々がやってくれたではなく、葛西教会がやってくれたこととなるのです。個人ではなく、教会の行為として見られます。教会とは建物ではなく共同体であり、また、一人ひとりが教会であることを改めて認識させてもらいました。

コロナ禍にあって集会や各種催し等の活動は全くできず、先の緊急事態宣言が延長された際にはミサも非公開(ネット配信あり)となるなど、不自由な状況が続いています。

ベトナムの青年たちへの支援は、このような状況においても共同体としてできることを与えてもらった恵みなのかもしれません。 ベトナムの青年たちは、それぞれに未来を描き、希望を抱いて日本にやってきたことでしょう。しかし彼らが思い描いた絵はぼろぼろに壊されてしまいそうです。希望が絶望に覆われてしまわぬよう、絵の続きを描けるように、少しでも彼らの助けとなれれば幸いに思います。

散髪代、理容院の費用を惜しむ彼らのアタマを見たシスターは、誰か髪の毛を上手にカットしてくれる人はいないかしらと言い、幾人かに打診してみたら、手をあげてくれた人がおりました。これから葛西教会は、ときどき理容院にもなります。

葛西教会 ベトナム支援グループ

 

食料や日用雑貨だけでなく、十字架やメダイも置かれている。信仰に寄り添うことも大切な支援。

その場でメダイや御絵を祝別する柴田神父(葛西教会主任司祭)

 

この日は手作りのお弁当の他に、ベトナム料理で使われる香草も配布されていた。

 

衣料品支援コーナー「ブティック・チャーチ・葛西」

プロの美容師によるカットサービス

 

知っていますか?私たちの「信仰」を?

「共に歩む信仰の旅─同伴者イエスと共に─」

皆さんへの問いかけ
東京大司教区 生涯養成委員会担当司祭 猪熊太郎

世の中には「識者」と呼ばれる人々がいます。何かあると、これらの人々がマスコミに登場し、「あぁでもない、こぅでもない」と、様々な考えを披露します。

コロナの流行が世界的な規模で本格化しはじめ、もはや中国だけの問題ではなくなった頃、これらの人々は、早くも「パンデミック」が終わった後の世界について、その考えを披露していました。いわゆる、「アフター・コロナ」の世界の予想でした。

しかし、時間が過ぎていく中で、コロナの終息が、そんなに簡単ではないこと、すぐには実現しないことが分かってくると、「アフター・コロナ」から「ウィズ・コロナ」と、表現と内容を変えてきました。そして、現在は、これらの単語を使うことすら珍しくなっています。もはや、ほんの少し先のこと、未来のことなど、誰にも予想することができない状況になってしまったのかもしれません。

私は気になったこと、心にひっかかったことをメモに残す癖があります。

そんなメモのひとつに、誰が言ったのか、何を根拠としていたのか、今となってははっきりしないのですが、気になった言葉だけが、走り書きのようにして残っていました。コロナについてでした。

曰く。「コロナによって世界は変わる。確実に変わる。その時、人々は、今後の様々な危機に立ち向かう際の自分の『武器』を見直し、自分に与えられている、人生固有のミッションに気がつくことになる」というものでした。

「武器」というと物騒ですが、「価値観」「指針」などと言い換えてもいいかもしれません。いずれにせよ、これからは、今まで頼りにしてきた「もの」ではない、他の「何か」を手にすることによって、自らの人生を生きていくことになるのだということです。

今、コロナの時代にあって、それでも、教会の門を叩かれる人々がいます。むしろ、コロナの時代だからこそ、尋ねて来られるのかもしれません。今まで当たり前とされてきた生き方ではない、何か新しい生き方を求めて教会を尋ねてこられるのです。単に、救われたいとか、助けてほしいとかいうよりも、もっと深刻な、新しい時代を生き抜くための、今後の生き方そのものを支える「価値観」「指針」のようなものを、切実に求めておられるようです。

イエスの人生、特に、公生活における目的は、たった一つでした。 この世に「神の国」を実現することでした。 そして、そのための方法は四つありました。

◉御言葉を宣べ伝え、御言葉によって、人々を福音化すること。
◉共に祈ること。
◉仲間を作り、仲間と共に歩むこと。
◉いつも社会の中にあって、人々と関わり続けること、

でした。

教会は、イエスが遺された、この目的と方法を受け継ぎました。具体化してきました。どの時代、どの文化、どの言語にあっても、これらを基本の価値観・指針としてきたのです。

この二千年の間、戦争をはじめとして、今回のコロナをしのぐような大きな出来事は幾つもありました。そのたびに、人々は、生き方の変更を求められてきました。

にも関わらず、教会は、なんら変わることなく、イエスを唯一のお手本として、イエスが遺された、この一つの目的・四つの方法を人々に示し続けてきたのでした。どんな状況になっても、私たちが、神と共に、人々と共に、この世を生き抜いていくこと自体に変わりはなかったからです。

さて、既に、信仰者である皆さんに問いかけたいと思います。

今、私たちの信仰生活にとって必要なことは、いったい、何なのでしょうか?

知っていますか?私たちの「信仰」を?その土台を?

私たちは、「共に歩む信仰の旅 ― 同伴者イエスと共に ―」の仲間であることを?

そのために、私たちは、呼び集められているのだということを?

コロナの状況にもよりますが、今しばらくしたら、より広範囲の講座を準備し、開催したいと思っています。私たちの信仰生活の共通の土台を知り、確認していくための「信徒のためのフォロー・アップ講座」や、長い間、開催されて来なかった「聖体奉仕者養成講座」など、この世において、私たち信仰者が、固有の役割を果たしていくための準備となる数々の講座です。

これら講座を通して、私たちカテキスタは、皆様のお手伝いをしていきたいと思っているのです。

コロナ禍のカトリックスカウト

コロナ禍の中、多くの教会活動と同様、スカウト活動もまた大きな制約を受けている。しかし、カトリックスカウトでは様々な工夫をしながら活動を継続している。カトリックスカウトが行っている取り組みのいくつかをご紹介したい。

B-P祭特別プログラム「祈りのリボン・プロジェクト」

スカウト運動の創立者であるロバート・ベーデン=パウエル卿の誕生日が2月22日であることから、スカウトは毎年2月にパウエル卿に敬意を表し「B-P祭」を開催している。今年は例年のような形での開催が困難であるため、日本カトリックスカウト協議会(JCCS)東京支部では、「祈りのリボン・プロジェクト」に取り組んだ。これは、スカウト各々が自分の祈りをリボンに書くという取り組み。祈りが書かれたリボンはカテドラルに集められ、3月13日にJCCS東京支部指導司祭の高木健次神父によって祝福された。

923カトリックスカウトの日/矢車菊プロジェクト ―いのちのリレー・優しい気持ちのバトン―

毎年、9月に行われる「カトリックスカウトの日」にボーイスカウト、ガールスカウトたちが同じ場所に集まって一日を過ごしていた。昨年はコロナ禍で一堂に会することが困難だったため、都内カトリックスカウト有志団(麻布、渋谷、成城、瀬田、田園調布、大森)がこれまでとは違う形での取り組みを行った。 「矢車菊プロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、「ラウダート・シ特別年の祈り」や矢車菊の育て方が書かれたパンフレットと共に矢車菊の種をスカウトに送り、育ててもらうという試み。矢車菊の開花時期は4月中旬から6月下旬で、咲いた花は押し花やドライフラワーにして誰かにプレゼントすることもできる。矢車菊を育てることによって、「神様が造られた『いのち』を大切にしよう。世界中に、優しい気持ちをバトンタッチしよう。」(パンフレットより)という心を養う取り組みである。

編集後記

今年も桜は満開に咲き誇った。こんな当たり前のことに「今年も」と付けてしまいたくなるほどに、私たちの日常は大きく変わってしまった、と私たちは思っている。思わされている。

こんな時だからこそ、変わらないものに目を向けることを忘れずにいたい。変えられることなどないものを信じ続けていたい。

キリストは復活し、今も私たちと共におられる。そんな神秘を信じている私たちだからこそ、誰よりも。(Y)