お知らせ

お知らせ

東京教区ニュース第386号

2021年10月01日

コロナ禍の多宗教センター

東京オリンピック・パラリンピック秘話

現代のオリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)では選手たちの宗教的ニーズに応えるため、「宗教センター」が設置されている。宗教センターには五大宗教 (仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教)から訓練を受けたチャプレンが派遣され、礼拝を行ったり、選手たちに宗教的な助言やカウンセリングを提供したりしている。

もちろん、東京オリパラにおいても選手村の中に「多宗教センター」が設けられることになっていた。開会の数年前から、カトリック東京大司教区も加盟している東京都宗教連盟の中に「多宗教センター委員会」が組織され、東京都やオリパラ組織委員会とも協議を重ねながら様々な準備を進めていた。東京教区ではマルコ・アントニオ神父(グアダルペ宣教会)をオリパラ担当司祭に任命、マルコ神父は多宗教センター委員会にも出席し、選手たちを迎える準備は整いつつあった。

そして迎えた2020年、新型コロナウイルス感染症が世界を、そして日本を襲う。3月30日には東京オリパラの1年延期も決定された。それでも、この時点では1年後には通常通りのオリパラが開催されることを誰もが信じていた(願っていた、と言う方が正しいかもしれない)。多宗教センター委員会でも、1年後の活動に備えて、リモート講演という形ながら、感染症の専門家から宗教者の感染防止対策を、ロンドンオリパラで多宗教センター責任者を務めた聖公会の司祭からチャプレンの心構えを学ぶ機会も設けられた。

しかし、年が明けても新型コロナ感染症は終息の気配を見せない。東京オリパラも中止とはならなかったものの、様々な制限下での開催となった。その一つが「選手・関係者以外の選手村への立ち入り禁止」である。チャプレンさえも選手村へは立ち入れないことになり、事実上、多宗教センターは現地での活動が不可能となった。

代替手段として各宗教に求められたのはオンライン礼拝の提供である。東京教区本部事務局がこの事実を知ったのは6月も半ば。オリパラ開催は目前に迫っていた。 コロナ禍以降、ミサのライブ配信や「週刊大司教」等を行ってきたため、カトリック教会にもオンライン礼拝のノウハウはある。しかし、世界中から集まるアスリートたちへとなると勝手が違う。多宗教センター委員を努めるプロテスタントの牧師先生と打ち合わせを重ねたり、海外のカトリック事情に詳しい司祭の助言を受けたりしながら、

◉英語、フランス語、スペイン語で10分程度の「みことばの祭儀」の動画を作成する。構成は「週刊大司教」に準ずる形とする。
◉上記3カ国語でロザリオの祈りの動画も作成する。
◉日曜のミサは多言語で行われている麹町教会のライブ配信を紹介する。
◉選手から要請があった場合に備えて、オンラインで宗教カウンセリングができる司祭を登録しておく。

という基本方針が決まった。まずはそれぞれの言語ができる司祭をピックアップし、個別に事情を説明して依頼する。承諾を得たら、自分で撮影ができる司祭には撮影までお任せし、撮影が難しい場合にはカテドラルで撮影するか、事務局から出向く。作業開始から締切までほぼ1ヶ月という強行日程ではあったが、なんとか多宗教センターと約束した分の動画を提出することができた。ロザリオに関しては、司祭たちの協力もあって、上記3カ国語に加え、ポルトガル語、イタリア語、ルーマニア語版も作成することができた。

動画は選手・関係者への限定公開という決まりになっているので、皆様にご紹介できないのが残念だが、切り取った画面をいくつかご紹介する。困難の中開催された東京オリパラ。その裏には選手たちの信仰を支えた宗教者たちがいたことを心に留めていただければ幸いである。

ガブリ神父(ケベック会)によるフランス語動画。松竹梅のストラを身につけ、和風の小聖堂から。

マルコ神父(グアダルペ会)によるスペイン語動画

レオ神父(コロンバン会)による英語動画。キリシタン史の解説を交えながら。

シャリニョン神父(フランス語共同体)によるフランス語のロザリオ

 

平和旬間2021 平和を願うミサ

8月10日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功大司教司式による平和旬間2021「平和を願うミサ」が行われた。

昨年に続き今年もコロナ禍の中、すべての企画を中止とせざるを得ない状態となり、例年カテドラルで土曜日に行われていた「平和を願うミサ」も行われず、8月8日の主日10時の関口教会のミサが、大司教司式によって平和を求める意向で献げられることとなった。

東京教区では、今年の平和旬間を、姉妹教会であるミャンマーの教会に思いを馳せ、ミャンマーの人々のために、またその平和のために特に祈るときと定めている。「平和を願うミサ」にもミャンマー出身のラズン・ノーサン・ヴィンセント神父(府中教会助任司祭・ミラノ外国宣教会)が共同司式に加わり、東京在住のミャンマー人信徒の方々もミサに参加してくださった。

拝領の歌より。ギター伴奏によるビルマ語の聖歌

ヴィンセント神父によるビルマ語の福音朗読

カリタスの家だより 連載 第136回

東京カリタスの家ミサ=天国に住む方々に=
賛助会委員 ボランティア 浅井恵美子

「東京カリタスの家ミサ」は、ボランティア主催により毎月(8月を除く)第2土曜日の午後1時30分よりカテドラル内の小聖堂にて行っています。現在はソーシャルディスタンスを保つためカトリックセンターを使わせていただいております。どなたでも参加可能ですが、現在は参加者名簿を提出する必要がありますので、事前にご連絡いただいています。

ミサは、カリタスの家霊性指導担当理事の小宇佐敬二神父様の司式で行われています。当日は、ミサの準備から、オルガン奏者、朗読奉仕者、共同祈願者、奉納者、先唱者を参加した人たちによって分担します。後片付けは参加者全員で行います。これがみんなで支え合う東京カリタスの家の基本的な姿なのです。

また、このミサは、「天国に住む方々」を追悼するミサでもあります。記念唱が唱えられるなかで、新しく帰天された方のお名前を読み上げ、続いて、帰天月の名簿に書かれた方のお名前を読み上げていただいています。30名を越える月もありますが、神父様は全ての方々のお名前を読み上げてくださいます。創設当時にご尽力いただいた方、御指導いただいた先生、神父様、元職員、元スタッフ、元ボランティア、利用いただいた相談者、更に活動を支えてくださった家族、など等、宗教の有無に関わりなく、皆さまが東京カリタスの家の家族なのです。昨年度及び今年度、緊急事態宣言下で「東京カリタスの家ミサ」は、度々延期されています。解除の合間に行われたミサでは、神父様は数か月分の帰天者名簿のお名前全部を読み上げてくださいました。お世話になった方のお名前には、改めて感謝を祈り、担当した相談者のお名前がありますと平安を祈ります。また、懐かしい思い出が甦ることもあります。諸々の事情を待たれ帰天された、ご相談者の為に追悼ミサを行うこともあります。その時は、相談担当だった方々が中心になりミサ設定をします。そして関わりを共にした人たちが参列して、天国にお送りします。

ミサ終了後には会場を変え、「ボランティア・スピリットを語る会」を平時は行っています。

現在の公益財団法人東京カリタスの家は、1969年にカトリック東京大司教区の中の一つの団体として始まりました。苦しんでいるすべての人々の兄弟姉妹として温かいつながりを持ち寄り添うために「カリタスの家」が設立されました。故三好満神父様、故濱尾文朗神父様(当時)が発案された【カリタスの家の祈り】の精神は、公益財団法人組織となった現在でも法人の根底に息づいています。 その象徴としてボランティアによる月一度の「東京カリタスの家ミサ」が行われているのです。

教区合同追悼ミサ中止のお知らせ

11月7日(日)に東京カテドラル、カトリック府中墓地、カトリック五日市霊園にて予定されていた教区合同追悼ミサですが、新型コロナウイルス感染症が終息していない現況を考慮し、昨年同様中止といたします。 ご理解の程よろしくお願いいたします。

福島の地から カリタス南相馬 第5回

カリタス南相馬 スタッフ 福田 仕
コロナ禍にわたしたちができること

昨春、日本各地でコロナ禍により生活困窮者が急増しているとの情報を受け、私たちはまず南相馬市内にある復興公営住宅および災害公営住宅の代表管理人や自治会長さんを訪れ、状況を伺いました。集会所のサロンは中止され、住民同士が顔を合わせることが難しい中、ある方が孤独死で発見されるということが起きてしまいました。私たちは安否確認を兼ねてメッセージ入りのチラシを戸配し、副食になる食品をお渡ししました。現在も一部の戸別訪問を継続しています。集会所では感染防止をしながら再開されたサロンもあります。一方、生活困窮者の窓口となっている社会福祉協議会(社協)の支援物資が不足しているとのことで、福島県浜通りおよび宮城県南部の社協等を通じて必要な米や副食となるレトルト食品をお分けしています。

市内で働く外国人労働者および技能実習生については、昨年末に食糧支援を実施しました。その後も技能実習生を受け入れている企業を通して、のべ300名の外国人の方々にお米をお渡しすることができました。今夏には原ノ町駅前に行政委託の外国人支援センターが開設され、相談や交流の場となっています。

同じく昨年末に教育委員会の協力のもと、市内の幼稚園、保育所、小学校、中学校を通して、ひとり親家庭を含む困窮されている家庭の支援を開始しました。「子育て応援」として、のべ100世帯にお米とレトルト食品や地元の野菜をお渡ししてきました。しかし未だコロナ禍が収まる気配はなく、新たに困窮されている方々がいます。再度チラシを配り、今年末まで「子育て応援」を継続して、クリスマスおよび新年を少しでも安心して迎えられるようにと思っています。障がいを持つお子さんの家庭にもニーズがあることが分かり、ご案内をしたところです。

私たちが関わる地域は、都市部に比べると、生活困窮者の件数やその度合いは異なります。これまで埋もれかけていた困難にある方々との出会いもありました。その要因は、コロナ禍に限らず原発事故など震災の影響にもあります。食料品などの経済的な支援とあわせ、今後も心の支えとして関わりたいと考えています。国内外問わず大変厳しい現状ではありますが、「新型コロナ感染症流行下での緊急支援」のお願いをホームページに掲載しております。詳しくはカリタス南相馬にお問い合わせ下さい。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第251号

ゴーヤプロジェクトの実り

今回は6月号でお知らせしたゴーヤプロジェクトの実りについてお伝えしたいと思います。

まず、参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。育てていただいたゴーヤは、7月から9月にかけて食料支援を受けに来られた方々にお渡しすることができました。「ゴーヤを食べますか?」と聞くと、ミャンマーやネパールの方からは「食べる!」、「大好き」という声が多く返ってきました。一方、イランやアフリカの方となると食べ方がわからないという方がほとんどでしたが、食料支援を受けに来る方のために作られたと知ってチャレンジしてくれた人もいました。またタイミングよくボーイスカウト東京港第5団の青年たちが育ててくれた野菜が届くこともあり、ゴーヤを食べない方にも心のこもった野菜をお渡しできることもありました。

このプロジェクトは、缶詰やレトルト食品だけでなく彼らが自分の国の味で調理できるように野菜もお渡しできたらという思いで始まりました。いくつかの教会、修道院、個人の方が参加してくださいましたが、育てていただいたゴーヤは食料支援という以上に心を伝え合うコミュニケーションの手段になってくれたのではないかと思います。渡す時に育てた方の写真を見せて説明すると様々な反応があり、皆喜んで作った方の真心を受け取ってくれました。また時には、とても小さかったり、すでにハリがなくやせ細っていても「だいじょうぶ! ありがとね」と受け取ってくれる彼らの人間的な温かさに触れる機会でもありました。

ゴーヤから生まれる小さな会話にはいつも笑顔が生まれ、互いの距離を少し縮めてくれるものでした。1、2本のゴーヤでは一回の料理で終りでしょう。スーパーに行けば安く買い求めることもできます。でも祈りを込めて育てていただいたゴーヤは、様々な労苦を担いつつ、この社会に生きる人々に「あなたが大切な存在であり、共に生きる仲間であること」を伝える具体的な言葉であったような気がします。ゴーヤを育ててくださった方々を始め、私たちが今までより少しだけ助けを必要としている外国籍の方の存在を身近に感じられたら、それはゴーヤプロジェクトの一番の実りではないでしょうか。

右田紋子(師イエズス修道女会・CTICスタッフ)

お礼とお詫び  

前号で食料支援へのご協力をお願いしましたところ、個人、教会、修道会など、多くの皆様からご寄付をいただき、ゴーヤプロジェクトへのご協力ともどもありがとうございました。仮放免中(就労が許可されない)の人をはじめ、なお多くの方が支援を必要としている状況でございます。引き続きご支援いただけましたら幸いです。なお、前号でCTICの問い合わせ電話番号が間違っておりご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。今後ともよろしくお願いします。

高木健次(東京教区司祭・CTIC所長)

CTIC問合せ
電話:03-5759-1061
 E-mail

ミャンマーの教会に想いを寄せて

コロナの危機に対するミャンマーの小教区の取組

今年2月のクーデター以降、ミャンマーでは医療システムや病院が十分に機能しておらず、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、国民は十分な医療を受けることができない。そのような状況下でも教会は特に弱い立場の人々への支援を続けている。現地の司祭から寄せられたレポートを、東京教区ミャンマー委員会担当司祭のレオ・シューマカ神父にまとめていただいた。

ミャンマーは開発途上国であり、医療システムもまだまだ未発達です。しかし2020年の間、新型コロナ・パンデミックとの戦いを勇敢に導き、限られた資源の中で良い仕事を果たしました。しかし、クーデター以降、公共の医療システムは混乱に陥っています。 保健省は軍に占領され、それに反対した多くの医療従事者がストライキを行いました。国民は何が行われているのかを信用することができません。そのため、デルタ株がミャンマーで確認された時も協調的な対応はなされず、1万人以上の人々が亡くなりました。

カトリック教会は、教会の診療所を小規模な病院に拡大したり、検疫施設を設置したり等、できる限りの支援に努めています。ほとんどの小教区には聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会(SVP)があります。この会は、貧しい人々を助けるという特別な使命のための信徒団体です。教会には、この活動を支える寄付のための献金箱が置かれています。

聖ミカエル教会で、SVPは困っている人たちに食料を配給する役割を担っています。クーデター以降、多くの人が失業し、さらに今では、新型コロナ感染症により多くの家族が隔離を余儀なくされています。米は田舎から直接トラックで運ばれ、教会に保管されます。そして、米一袋と食用油一本を必要な人に配ります。小教区の女性グループは、野菜や缶詰があれば、それを入れた袋詰めを作ること等によってこの活動を支えています。

米と食用油の配給

女性グループのメンバーたち

聖ミカエル教会では、青年グループが新型コロナ患者に酸素と薬品を運ぶ役割を担当しています。防護服の使い方や安全な距離の取り方の訓練を受けた後、彼らは午前と午後のグループに分かれて活動しています。最初に民間企業で酸素タンクを補充した後、酸素を使っている患者さんを訪問し、少なくなったタンクを交換します。 また、患者さんやご家族に食事を提供することもあります。

食糧と薬品を届ける青年グループ

小教区には、葬儀のお手伝いをするグループもあります。適切なガイドラインに従ってご遺体を家から安全に運び出し、教会で簡素な葬儀を行います。その間、遺族は隔離されなければならないので、葬儀奉仕グループは家族のために食事を用意し、健康状態をチェックします。この緊急事態の中、病院も救急車もなく、彼らを手伝う葬儀屋さえいないのです。

現在、大都市では感染者数は減少していますが、中小都市ではむしろ増加しています。聖ミカエル教会の信者達は病気の人や貧しい人への支援を続けており、今や、彼らの経験は近隣の町でも生かされています。これこそ、小教区による信仰の実践です。

平和旬間2021 「ミャンマーの人々のため」特別献金の御礼

平和旬間2021「ミャンマーの人々のため」特別献金につきましては、9月21日現在、¥6,785,641のご厚意を頂きました。この場を借りて心より御礼申し上げます。
◉平和旬間2021「ミャンマーの人々のため」特別献金の受付は8月31日をもって終了といたしました。
◉これからミャンマーの人々のために献金をなさりたい方は、教区本部事務局までお問い合わせください。
◉通常、小教区で皆様にお願いしている「ミャンマーの教会のための献金」は、ミャンマーの神学校の建設と運営のために使われています。クーデターで苦しんでいるミャンマーの人々のために献金をなさりたい方は、上記の通り教区本部事務局までご連絡ください。


ヴィンセント神父インタビュー
イエス様の喜びを分かち合うために

府中教会では、今年の4月からミャンマー出身のラズン・ノーサン・ヴィンセント神父(ミラノ外国宣教会)が助任司祭を務めている。ヴィンセント神父にご自身の生い立ちや、現在のミャンマーへの想い等を語っていただいた。

─最初に簡単な自己紹介をお願いします。
ヴィンセント神父◉ラズン・ノーサン・ヴィンセントといいます。ミャンマーのカチン族の出身です。ミャンマーとイタリアで10年間養成を受け、2009年の8月15日に司祭に叙階されました。その後ローマで霊性の勉強をした後、ローマ、フィリピン、ミャンマーで働き、日本に来て5年になります。日本では、広島教区の岡山教会やさいたま教区の佐野教会で働きました。

─生まれたのはどんなところですか?_
ヴィンセント神父◉ミャンマー北部のカチン州です。インド、中国の南部と国境を接しているので、カチン族はインドや中国の雲南省にも住んでいます。山や川、沢山の自然に恵まれた地域で、翡翠の産地としてとても有名です。カチン族のほとんどはキリスト教徒で、カトリックとバプテストが多いです。カチン族の中にも様々な言語があるので、ジンポー語という共通語を使っています。

─どのような子ども時代を過ごしましたか?
ヴィンセント神父◉カトリックの家庭で、伝統的なカトリックの信仰で育ちました。兄が一人、姉が二人いて、姉二人は子どもの頃に亡くなりました。今、兄には6人の息子がいます。

記憶にある限り、私は恐怖とともに育ち、難しい時間を過ごしました。ミャンマーには大きく8つの部族がありますが、ビルマ族が人口の7割を占めていて、常に民族間の争いがありました。少数民族にとっては「大きな魚が小さな魚を食べるような」感覚がありました。

教育も貧しいものでした。学校生活や公教育は貧弱で、学校では覚えることばかりで、考える教育はありませんでした。私の父の世代はいい時代で、アジアの中でもいい教育で有名だったのですが。

軍は地方の村にもやって来て、そこで色々な悪いことを見ました。今はどんなこともすぐにインターネットで分かりますが、当時はニュースになることもありません。昔から民族問題はあったのに、それが報道されることはありませんでした。 そんなに幸せではありませんでしたが、その中で誰もがベストを尽くしていました。

─なぜ司祭になろうと思ったのですか?
ヴィンセント神父◉子どもの頃、私が住んでいた村には年に5回位しか司祭が来ませんでした。小学生の時に大きな町に引っ越し、それからは毎週ミサに与ることができました。私が司祭になりたいと思った理由はシンプルです。イエス様の喜びを人々に伝えたいからです。イエス様のミッションは何かすごいことではなく、ありのままの自分でイエス様の喜びを分かち合うことです。もちろん、司祭だけではなく、洗礼を受けた人は誰もが宣教者ですが、私は司祭としてイエス様の喜びを分かち合いたいと思いました。はっきりと神からの呼びかけを聞いたわけではないので、識別には何年もかかりましたが、神様から友人として呼ばれていると感じました。

─ミラノ会との出会い、宣教師になろうと思った理由は?
ヴィンセント神父◉ミャンマーの神学校で哲学科を終えた時に、始めてミラノ会の司祭と出会いました。子どもの頃にはコロンバン会の宣教師にしか会ったことがありませんでした。ミラノ会の司祭と出会って宣教師になることを考え始めました。ミャンマーの教会は若く、すべきことは沢山あります。しかし、イエス様の喜びを世界中の人と分かち合いたいと思いました。

ミラノ会に入会してからは、イタリアの神学校で学びましたが、当時のミャンマーの状況では出国するのは大変でした。パスポートが発行されるまで6ヶ月かかり、ビザも留学ではなくビジネスビザでした。私はバチカンの本屋さんで働いていることになっていて(笑)、毎月、大使館に税金を納めに行っていました。

─日本の印象は?
ヴィンセント神父◉最初、自分が日本に来るとは思っていませんでした。夢でもありませんでした。日本には強い伝統文化があるので、そこで宣教するのは難しいと思っていました。日本の第一印象は「タフ」です。日本人も日本文化もタフだと感じました。徐々に、タフさの中に愛があふれていると気づき始め、安心感を得るようになりました。 日本で好きなところは自然の美しさです。好きな食べ物は焼き肉と寿司です。納豆も好きです。カチンにも納豆があるのですが、カチンの納豆は日本のものより「強い」です。

─今のミャンマーのために、日本人、日本のカトリック信者は何ができるでしょうか?
ヴィンセント神父◉今のミャンマーは危機的状況です。人々は暗闇に包まれ、うんざりしています。何の罪もない人が苦しみ、死んでいくのを目にしています。いつまでこの不要な十字架を背負わなければならないのかと、希望の光が見えなくなっています。しかし、人間としては希望を見失っているかもしれませんが、キリスト者としては希望を失っていません。祈りの中で希望を受け取ることができます。東京教区の皆さんからのお祈りにいつも感謝しています。まずは祈りによって、そして可能であれば物質的にも励ましてほしいと思います。

ヨセフ年特別企画 東京教区のヨセフ像

上野毛教会の聖ヨセフ像

正門を入りすぐ右、隣家と接している塀の近くに上野毛教会の聖ヨセフ像は設置されています。大きさはちょうど人の背丈ほど、右手には花の咲いた小枝を、左手には巡礼の杖を持ち、城壁を背にたたずむ立像です。手に持つ枝に花が咲くのは花婿のしるしとの古い伝説があります。聖堂献堂(1959.7.15)50周年を記念して、2010年に礼拝所のカルメル山の聖母マリア像と共に建立されました。

ヨセフ様とカルメル会とは伝統的にゆかりがあります。アヴィラの聖テレジア様は、創立した多くの修道院のうち13の女子修道院に「サンホセ」(聖ヨセフ)の名をつけ、ご保護を願い、また模範とされました。フランシスコ教皇様も、『使徒的書簡「父の心で」』の中で、「アヴィラの聖テレジアはこのかたを弁護者、執り成し手とし、深く信頼し…」と記しておられます。

ヨセフ様のご像をもう一つご紹介いたします。

ヨセフ年も半ばの5月、聖堂と駐車場との間にある植込みの中から高さ、幅50センチほど、厚み30センチほどの重い石の塊が掘り出されました。一つの面に、ヨセフ様と幼いイエス様が彫られています。ヨセフ様は足を組んでゆったりと座り、歩けるようになったばかりの幼児のイエス様を転ばないように両手でしつかりと抱き支えているほほえましいお二人の姿です。どなたが、いつ置いたかはわかりませんが、当初はよく見える場所に置かれていたものが、月日が経つうちにまわりに樹木が茂り、落ち葉に隠されて、いつの間にか見えなくなっていたのかもしれません。

思いがけない「聖ヨセフ年」の贈りものです。聖堂と信徒会館の間のスペースにプチガーデンを急造し、感謝して大切に設置されました。カルメル会の保護者であり、普遍教会の保護者である聖ヨセフ様に、あらためて世界の平和とご保護をお祈りいたします。

(上野毛教会信徒)

ヨセフ像の写真募集します!

「ヨセフ年」を記念して、東京教区の教会や修道院にあるヨセフ像の写真を募集いたします(個人所有は含みません)。その像が制作・設置された由来や像にまつわるエピソードの文章を添えて、教区本部事務局広報部宛に郵送かEメールで写真をお寄せください。お送りいただいた写真と文章は教区ニュースと教区ウェブサイトでご紹介いたします。沢山のご応募お待ちしています!

送付先

郵送:〒112-0014 東京都文京区関口3-16-15  カトリック東京教区事務局広報部
E-Mail
 ※メール添付の場合、ファイル形式は問いませんが、 できる限りサイズの大きな写真を添付してください。

コロナ禍における神学生の想い

神学院のミサ

コロナ禍にあって神学院での生活も様々な制約を受けている。本来であれば、夏休みは司牧実習やサマーキャンプの引率で信徒と神学生が触れ合う機会も多いが、今年はそれも適わなかった。そこで、東京教区の4人の神学生たちに「自分にとっての司祭職とは」を振り返っていただいた文章をご紹介する。神学生たちの人柄を感じながら、彼らの召命のためにお祈りいただければ幸いである。

自分にとっての司祭職とは
アンセルムス 今井 克明 ◆予科

夏季休暇を通して、司祭として生きる上で「愛されている者として、何をするのか」と自ら問い、また神さまから問われているのだという意識の中に自分を置き続けるということが大切であると改めて感じました。 私は今年四月に神学院に入学したので、この夏が初めての教会での生活となりましたが、コロナ禍であったこともあり、多くの方とミサ後や教会の集まりなどで話をすることはできませんでした。それでも様々な想いを持った信徒の方々と出会う中で、ミサに与れないという苦しい状況においても、キリストが私たちのために来てくださったという喜びの中で、自分の生活の場所で何ができるかを祈り、考えながら生きる姿を見ることができました。 まず、ただ愛されている喜びを受け取ることで、それが「何をするのか」考えることで、自分を超えて広がってゆく、行動になってゆくような信仰を深められるように、またその事を伝えることができるように祈りと学びを深めてゆきます。

検温する今井神学生

自分にとっての司祭職とは
ガブリエル 田町 英紀 ◆哲学科2年

司祭の主な仕事に司牧があります。司牧は魂の世話と言われます。魂の世話と言い切ってしまうと、その世話の範囲は精神の範囲を超え得ない印象を受けます。魂と訳されている言葉の持つ総合的な意味を深めることで司牧の全体像が見えてきます。この言葉は命とも訳されます。魂や命という個々のものではなく「魂や命を含む全てにおけるもの」を指している言葉なのだと思います。「魂や命を含む全てにおけるもの」とは「その人そのものである」とも考えられ、この「その人そのもの」の世話をするのが司牧です。これは途方もなく大きな仕事で、たくさんの困難もあることでしょう。その上で私が司祭職を生きる上で大切にしたいのは「私は良い牧者である。良い牧者は羊のために命を捨てる」というキリストの言葉です。良い牧者は司牧のために自分自身そのものを賭する必要があります。このキリストの言葉に倣い、また励まされながら司祭職への道を深めたいと思います。

田町神学生。Windowsの更新中。

自分にとっての司祭職とは
フランシスコ・アシジ 冨田 聡 ◆神学科3年

司祭は、サッカーのクラブチームに派遣される監督に似ている。一般的に強いチームは、監督の指示が制限される試合中の課題対処能力が高い。そこには一人一人の自立と、監督との信頼関係がある。司祭と信徒も、このような信頼関係でありたい。そのために司祭は、直面する問題に対して、安易な答えを示して、自分への依存を強めるあり方を避けなければならない。確固とした方向性を示しつつも、共同体全体が対話を通して課題を解決してゆけるよう見守り、管理でも放任でもなく共に歩むこと、これがおそらく、司祭に強く求められている事柄なのだろうと思う。 ただ、聞くこと、待つこと、信頼すること、相手を自由にすることといった司祭職に求められる素養は、単なる勉学によって身に付くものではなく、その人の佇まい、すなわち存在様式に依存するものである。とすれば究極的には、司祭には、祈りに支えられたその人の存在のあり様が問われるのだと思う。

自分にとっての司祭職とは
フランシスコ・アシジ 熊坂 直樹 ◆神学科3年

御子は、ご自身の救いの業を継続するように弟子たちを世界中に派遣されました。教会はそれを二千年間、脈々と受け継いで、今もその業を行っています。そのため、将来自分自身が司祭として働くのであれば、その奉仕は自分の業ではなく、教会の業であり、ひいては御子の業の一端を担うものであります。ですから、自分が何を望むかということよりも、御子が私を通して何をなさりたいのかを探し求めたいと、思いを新たにしています。同時に、私が行うであろう奉仕がどれほど尊く、どれほどの献身が求められるものであるにしても、それは御子の業の一端でしかないことも、自覚したいものです。教会には実に様々な人々がいて、異なる役割を担いながら、教会全体として御子の業を継続しているからです。そのような訳で、様々な方々と協力しながら、すべてを一つに集めてくださる御子に信頼して、司祭職を全うしていきたいと願っているところです。

オンライン授業を受ける冨田神学生(右)と熊坂神学生。


授業風景

イエズス会司祭叙階式


9月4日、麹町教会にて菊地功大司教司式による ペトロ・グエン・ヴァン・トアン助祭(イエズス会)の司祭叙階式が行われた。トアン神父様、おめでとうございます!

左からレンゾ神父(イエズス会日本管区長)、菊地大司教、トアン神父、具正謨神父(イエズス会神学院長)

コロナ禍のカトリックスカウト

リモートによるキリスト教章取得プログラム

日本カトリックスカウト協議会(JCCS)は、リモートでキリスト教章取得プログラムを実施、基調テーマはスカウトのちかい「いつも他の人々を助けます」、福音「善いサマリア人」としました。 ボーイスカウト・ガールスカウトは、教会やお寺、神社などを活動の拠点にしている団と宗教色のない地域団とがありますが、明確な信仰を持つことを奨励しています。

高校生年代を中心に宗教章という章を設けて、それぞれの宗派が取得のための課題を設定し、それを履修すると宗教章を授与します。これにより、スカウトたちの信仰への芽生えを促しています。

JCCSでは、宗教章としてキリスト教章(カトリック)の授与基準を定めております。大きな課目として、カトリックの教義と歴史を学び、教会行事に参加すること、また、スカウトの「ちかい」と「おきて」について、カトリック教会の教えをもとに説明できること、また、実践プログラムとして奉仕活動があります。

この度JCCSでは、完全リモートでキリスト教章取得プログラムを行いました。高校生年代を中心に、中学2年生から大学2年生まで25名が参加しました。

6月は6日、日曜日から毎週16時から2時間の講義を計4回行いました。7月は実践プログラム期間として、それぞれがコロナ禍で出来る活動を計画して実施しました。テーマは「あなたのために、祈りと共に、わたしをお使いください」です。また、8月は1日に再度講義を行い、22日には実践プログラムの発表会、8月29日、日曜日16時から修了ミサを行いました。

リモートで行ったこともあり、全国から北一条教会・札幌第26団をはじめ、水戸教会(水戸第5団)、東京大司教区からは赤羽、麻布、田園調布、高幡、豊島の各教会と地域で活動しているボーイスカウト及びガールスカウトの参加がありました。横浜からは中原、藤沢のボーイスカウト、山科教会京都府第59団のガールスカウト、大阪は聖母女学院在学のスカウトが参加しました。また、それぞれのスカウトの指導者にも参加いただき、参加者はスタッフも含めて45名程になりました。指導司祭は東京大司教区スカウト担当司祭の高木健次神父様にお願いしています。

研修内容は、JCCSで定めているキリスト教章(カトリック)授与基準に沿って行いましたが、スカウト活動は「実践を通して学ぶ」ことを大切にしています。しかしながら、コロナ禍で実施が難しい課目は、「〔奉仕〕カトリック教会の教えと価値観に基づき、地域社会のために奉仕すること」と考えていました。

コロナ禍で、「人との接触が無くても実践できることは何か」を考え、計画し、実践することは中々難しいと思いました。ところが心配することもなく、スカウト達はそれぞれが色々工夫して実践してくれました。

例えば、町のゴミ拾い(タバコの吸い殻が圧倒的に多い)や家庭でお母さんのお手伝いを兼ねてゴミの分別、ロザリオを作って教会の信徒の方に使ってもらう、シトラスリボンプロジェクト(*1)に参加する、普段会えない人に絵葉書を作り手紙を書く、NPO法人のワールドギフトという活動に参加し、鉛筆を集め寄付する、家のプランターで育てた野菜をCTICに寄付する。ボーイスカウト日本連盟が行っている「モノでもったいない寄付」として、古本を集めてブックオフに引き取ってもらい経済的に困っているスカウトを支援する等々、それぞれ暑い夏に活動をしていました。

昨年に続き今年もコロナ禍で、すべての夏季キャンプは中止になっています。スカウト同士が集まって活動することも難しいのですが、そのような中でも出来ることを小さなことでも熱心に行ってくれました。

修了ミサは高木健次神父様の司式で行われ、修了証の祝福もいただき、今回のキリスト教章取得プログラムの全てを終了することができました。 ご協力いただいた方々に感謝を申し上げますとともに、スカウト達の成長を祈りつつ。

神に感謝

JCCS事務局 鈴木英彦

*1 シトラスリボンプロジェクトとは COVID-19(新型コロナ)に感染されている方、感染から回復された方、家族、医療 従事者などへの差別偏見を無くす為の思いを広めようと愛媛県から全国に広まっている取り組み。 愛媛特産の柑橘にちなみ、シトラス色のリボンや専用ロゴを身につけて、「ただいま」「おかえり」の挨拶がcovid-19流行前の様に偏見無く自然に言える日常の生活を取り戻す運動。リボンやロゴで表現する3つの輪は、地域と家庭と職場(もしくは学校)です。

ボーイスカウト日本連盟主催の「モノでもったいない寄付」で経済的に苦しいスカウトの活動支援に参加。古本回収 (高幡教会 日野第2団)

自宅のプランターで育てた野菜をCTICに寄付。エチオピアの方に届きました。(麻布教会 港第5団)

 

編集後記

秋分も過ぎ、夜の方が長い。夕焼けを眺めていた帰り道に、今は月が見える。今年も季節は巡る。

わたしたちの毎日は、日々変わっていく。毎年繰り返される変化もあるけれど、全く同じ日は一日もない。

そんな移りゆく人生の中で、それでも変わらないもの。それがあると信じることが、そこに希望を託すことが、信仰という道なのではないだろうか。

時の流れに身を置きながらも、決して変わらないものを見つめ、手を伸ばし、掴んでいたい。(Y)