お知らせ

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東京教区ニュース第384号

2021年07月07日

ミャンマー 私たちの姉妹教会

東京教区ニュースでは、前号に引き続き、今号でもミャンマーの教会に関する情報をお届けする。はじめに、ミャンマー委員会担当司祭のレオ・シューマカ神父に、東京都ミャンマーの教会が姉妹関係を結んだ経緯とその歩みから、ミャンマーの教会の現状までを振り返っていただいた。

1954年に神田教会で司祭に叙階されて間もなく、若き白柳誠一神父は、さらなる研究のためにローマに行くことを命じられました。戦後、東京の教会はまだ復興の途上にあり、カテドラルも仮設だったため、白柳神父は海外に行くために必要なラテン語、イタリア語、英語の勉強に励んでいました。世界中から集まった司祭と共に、彼はローマの布教聖省(現:典礼秘跡省)のウルバノ大学で学びました。1960年、教会法博士の学位を取得した白柳神父は東京に戻りました。そこでは、ケルン教区の援助によってカテドラルや上智大学をはじめ、多くの新しい教会が建てられていました。もちろん、彼が後に東京大司教、そして枢機卿となったことは周知の通りです。

1970年代後半、東京の教会は復興を遂げ、今度は東京が手を貸す番になりました。白柳大司教のウルバノ大学時代の同級生がミャンマーで司教になっていました。彼はミャンマーが軍事政権下に置かれ、教会は強い圧力を受けているので力を貸してほしいと頼んできました。1980年、東京とミャンマーの姉妹教会関係が始まりました。当時のミャンマーでは、ほとんど全ての宣教師が追放され、外国の神学校との関わりも禁止されていたため、国内の神学校を発展させる必要性が高まり、東京からの援助は、主に神学校の建設と運営に使われることになりました。当時、全国で100人にも満たなかった司祭が、今では1000人を超え、海外にも派遣されるようになりました。

2020年の2月、菊地功大司教はミャンマーを訪れました。菊地大司教は東京からの寄付によって建てられた神学校を自分の目で見ました。そして、そこで学ぶ大勢の神学生に会いました。私たちが訪れた教会は大司教を盛大に歓迎しました。それは、感謝と喜びの時間でした。

そして今、多くのことが変わってしまいました。軍政が復活したのです。国民の自由は奪われ、人々は恐怖の中で生活しています。学校や病院は閉ざされ、多くの人々が定期的な収入を失いました。 キリストの教えに従って、教会は、最も小さな兄弟姉妹を助けています。教会は家族に食料を提供したり、緊急の診療所を運営したり、人々に希望を与えるためにできる限りのことをしています。国軍はこれらの活動を反体制派への支援と見なし、責任者の司祭や修道女を脅しています。 最近では、ハッカー教区やロイコー教区の教会が銃撃され、爆弾まで落とされました。

東京大司教区では、2月以降、ミャンマーの各教区に祈りを込めて何回か寄付金を送っています。現在のミャンマーでは支援を求めている人は大変多く、地域経済も混乱しているので、東京からの支援は地元の教会からとても感謝されています。そして、彼らはまた、姉妹教会である私たちがミャンマーの教会を忘れず、彼らのために祈りを捧げていることにも感謝しています。

私たちの姉妹教会関係は、二人の司教が同級生としてローマで育んだ友情から始まり、年月を重ねるごとに深まってきました。今、ミャンマーの教会は大きな助けを必要としています。姉妹教会のために、私たちができる限りのことをしていきましょう。

レオ・シューマカ神父

お弁当を配り続けて

豊島教会には「一歩の会」というグループがあり、長年、ホームレスや生活困窮者の方々に対する食糧支援を続けている。今回は一歩の会メンバーの矢崎茂樹さん(豊島教会信徒)に、一歩の会の活動や、コロナ禍における社会的に弱い立場の方々の状況などについてお話を伺った。

「一歩の会」はどのような活動を行っていますか。
矢崎◉月に一回、最終金曜日に西池袋公園でお弁当を配布しています。教会の厨房で調理したお弁当を持っていきます。頻度も配布の方法もコロナ禍以前から同じですが、今は一人一人に手の消毒をしていただき、マスクも配布した上で、間隔を開けて並ぶようにお願いしています。

どのようなお弁当を配っているのですか。
矢崎◉ご飯の上に肉野菜炒めを乗せて、漬け物などを添えたものです。それをフードパックに詰めて手提げポリ袋に入れてお渡しします。コロナ禍以前はうどんの入った温かい味噌汁も作っていました。これも教会の厨房で調理し、保温ポットに入れてその場で器に入れて配っていました。コロナ渦になって、感染を防ぐため、味噌汁をやめて、ペットボトルの飲み物を冬は温めて弁当と一緒に配っています。

毎回、どのくらいの人数の方がいらっしゃるのですか。
矢崎◉5月は急に40人ぐらい増えて150人ほどいらっしゃいました。こんなに大勢は初めてで弁当が足りなくなってしまいました。長い時間並んで待っておられたおじさんたちにはお詫びして我慢してもらったのですが、かなり緊迫した雰囲気がありました。コロナ禍以前は平均80人くらいでしたが、だんだん増えてきて100人を超えることが多くなりました。6月も150食用意する予定です。

どのような方を対象としていますか。
矢崎◉そこにお弁当を求めてくる人なら誰でもかまいません。そもそも、いらっしゃる方の立場を聞いているわけでもありませんので、ホームレスではなく、NPOから提供される低家賃のアパート暮らしで生活保護を受けている方や、生活困窮者の方も多いようです。池袋近隣に住んでいる方だけでもありません。先日は「横浜から数時間かけて歩いてきた」という方がいらっしゃいました。これは、5月の会の活動に報道番組が取材に来て、その人とのやりとりをテレビで見てわかったことです。

「一歩の会」のメンバー構成を教えていただけますか。
矢崎◉現在、名簿に名前のある方は20名ほどで、その中から10名ほどが活動してくださっています。豊島教会の信徒ではない方の方が多いです。以前、豊島教会の近くには池袋聖公会がありました。その教会は小竹向原のインマヌエル新生教会に統廃合されて、信者の方々はその教会に通っているのですが、昔からのご縁で今でも参加してくださいます。聖公会の牧師の奥様もずっと続けて一緒にやってくださっています。信者でない方もいらっしゃいます。

活動を続けていく上で困難なことはありますか。
矢崎◉お弁当を配っている公園の近隣に住んでいる方々や公園を利用する一般の方々のご迷惑にならないようには、いつも気を配っています。

活動の中で忘れられないエピソードがあれば教えてください。
矢崎◉(豊島教会に隣接する)聖パトリック幼稚園で園長をなさっていてもう帰天されたシスターが、10年ほど前、教会の協議会という会議の席でおっしゃったことです。ある時タクシーに乗って一歩の会でやっている炊き出しの近くを通ったら、運転手さんが『私も以前そこに並んでお弁当をもらっていたことがあるんですよ』と言われたことがあったそうです。一歩の会を続けていて一番嬉しかったエピソードですね。

お弁当を作っている教会の厨房。毎回、ガス釜3台分のご飯を炊くとのこと。

池袋でホームレス支援を行っているNPO「TENOHASHI」が配布している炊き出し情報

CTIC カトリック東京国際センター通信 第249号

技能実習生の問題から

ヒエンさん(仮名)の実習先の問題は、仕事の大変さや上司の暴言だけでなくコロナ禍で増加している休業に対して何の補償もしてくれないことでした。来日のために作った借金を返し、家族へのわずかな仕送りをすると、自分のための生活費はほとんど残りません。ヒエンさんと10人の同僚は、一人の実習生のトラブルをきっかけに、実習生全員で一致して会社に向き合うことを決めました。そのため、まずはユニオンのスタッフに自分たちの権利について教示を求め、会社への要求を文書にまとめました。そして、所属する小教区の通訳の方に日本語への翻訳と、言葉で伝わるよう日本語指導をお願いし、会社と話し合いを行いました。最初は強気だった会社も、教会の支援者や労働組合の影が見え隠れしていたことに加え、新たな失踪者が出たこともあって、現在は要求の大部分を受け入れる約束をしています。

「現代の奴隷制度」と批判され続けてきた技能実習制度において、このようなことが可能になった背景には2017年に施行された「技能実習法」による管理団体への監督強化があります。実習生の受け入れを行ってきた管理団体は「技能実習機構」という組織から認可を受けなければならなくなりました。実習機構の指導に従わない場合には、管理団体としての認可が取り消されることもあります。実習生に対する人権侵害についても禁止規定が設けられ、違反した場合には罰則が課されるようになったのです。

妊娠した実習生ハインさん(仮名)が、多くの先輩たちのように「強制帰国」されることを恐れながら会社に「妊娠」を伝えたところ、軽作業への異動が行われました。送還を恐れ、妊娠を打ち明けらなかった実習生の「生まれたばかりの子どもが命を落とす事件」が相次いだため、実習機構から出された「妊娠や出産を理由に解雇などの不利益な扱いをすることは禁止」の注意喚起の成果なのでしょう。

しかし、ハインさんの実習先のような大企業ではない、地方の小規模な企業や農家に同様の対応は行えません。

事実、日本での出産を希望している実習生マイさん(仮名)は、会社に「妊娠」を伝えられずにいます。彼女が日本で出産した場合、出生届、大使館での登録、入管での在留資格取得など、やるべきことがたくさんあり、それらを行う時には、管理団体の外国人コーディネーターの手を借りなければなりません。ただでさえ過重労働になっているコーディネーターには、「新生児の手続きのサポート」が大きな負担となるため、嫌がられることを彼女は知っているからです。会社に「妊娠と日本での出産を希望していること」を告げる時には、同時に、「公的な手続きを手伝ってくれる教会の人たちがいる」ことを話すことを決め、マイさんは会社に妊娠を伝える決心ができたようです。

技能実習制度だけでなく、日本の外国人政策や労働政策の歪みを負っているのは、実習生だけではありません。実習機関と実習生の板挟みになって疲弊し切った管理団体のコーディネーターや、「外人さん」と接した経験がないために、実習生とコミュニケーションに悩む地方の小さな受け入れ企業の人たちも同様です。彼らの中のある人たちは、それぞれの立場で、「社会の中で小さくされた人」なのかもしれません。ひとつひとつの問題と丁寧に向き合い、解決のためにできる支援を、惜しまずに行うことが求められています。

相談員 大迫こずえ

CTICは葛西教会に集まるベトナム青年たちの支援を行っている

福島の地から カリタス南相馬

カトリック原町教会の今
カトリック原町教会 信徒会長 高野郁子

カリタス南相馬と敷地を共有するカトリック原町教会です。東京教区の教区報に投稿する機会に恵まれて感謝しています。私は原町教会を代表して、一度正式に東京教区の教会、修道院及び信徒の皆様に御礼をお伝えしなくてはと思っていました。

今から10年前の2011年3月11日の東日本大震災では、教会の建物、信者、地域が地震、津波、原発事故の放射能被害等大きな被害を受けました。信者は各地に避難をし、共同体はバラバラになってしまいました。当時、全国各地に避難された信者さんは約20名以上。10年の間に正式に避難先の教会に転出され今に至ります。原町教会は震災前から信者の数が少なかった教会でしたが、20名以上の転出は残された人々へ大きな変化と衝撃を与えました。

その時から、東京教区の多くの方々がいち早く駆けつけてくださり、CTVC(カトリック東京ボランティアセンター)のボラパック一行様や各教会の信徒の方々が原町教会を巡礼され、日曜のミサでは小さな聖堂が満杯になりました。私たち原町教会は、祈り、励ましのお言葉、支援金及び支援物資、また未来に向けての勇気と立ち直る力を頂き、言葉では言い表せないほどの感謝でいっぱいです。地震でひどく破損した教会は修復され、以前のようになりました。

今では、幸田司教様の司式によって毎週のミサが捧げられ、外国の方々を含めて毎週25名から30名ほどの方々が参集しています。 今のコロナ禍の中では、全国の緊急事態宣言や福島県独自の非常事態宣言期間中の公開ミサは中止となりましたが、それ以外では感染防止対策をとりながら、午前7時と午前10時の2回体制で行われています。献堂70周年記念ミサ(2021年1月30日予定)以外、昨年の12月のご降誕ミサ、今年の4月の御復活のミサ、信徒全体会を無事に終えることができたことは感謝しかありません。

原町教会(南相馬)

カリタスの家だより 連載 第134回

カリタス翼~温かい人・温かい場所~

東京カリタスの家では、年3回、4月、8月、12月にカリタスニュースという広報誌を出しています。各教会にも送付していますのでご覧になった方もいらっしゃると思います。今回は、そのカリタスニュース4月号に掲載されました記事をご覧ください。カリタス翼を利用していらっしゃる保護者さんからの投稿です。

◆ ◆ ◆

カリタス翼が文京区第1号の放課後等デイサービスとして開設されたのが2013年4月ということですので、息子が小学5年生の時から利用させていただいたことになります。そして、今年3月の高等部卒業と共に、カリタス翼を巣立ちます。節目にあたり、我が子がカリタス翼で過ごした日々を振り返ってみたいと思います。

我が家は、就学前の五歳から「カリタス翼」の前身である「子ども相談室」を利用していました。当時は週に1回、2時間程度を、目白台の東京カテドラル構内にある東京カリタスの家子ども相談室で、2~3人のお友達と課題学習やグループ遊びをしていたと記憶します。また、「家族福祉相談室」でもお世話になりました。月に1回程度、娘の習い事の日に、スタッフの方に自宅で息子とお留守番をしていただいていました。どちらも、子育て(我が家は双子)が一番大変な時に必要な支援をしていただき、大変感謝しています。

そして、小学5年生の時にカリタス翼の第1期生として通所出来ることになりました。様々な苦手のある息子が、学校生活や小集団に慣れてきた頃でしたので、新しい場所で、学校とは別の仲間と放課後活動が出来ることは、更なる成長のステップにもベストでした。また、これまでと同じスタッフの方がいてくださることも安心でした。

息子はカリタス翼を週2回ほど利用しました。送迎サービスが無いことの負担は時にありましたが、お迎え時のスタッフとのやり取りや他のお子さんの様子からも、カリタス翼が安心して過ごせる場所だということを実感出来ました。個別の課題や余暇、グループ活動、運動、おやつタイムなど大変充実していて、さらに目で見て分かりやすくスケジューリングされています。学年が上がると成長とニーズに応じた作業学習の時間もあり、大変有難かったです。年に2回の面談でしっかりと個別目標について話し合い、それを日々の活動に反映していただきました。息子は、特に調理やお買い物学習、リサイクル活動に積極的にチャレンジしていたようです。

放課後等デイサービスは文京区内にも事業所が増え、利用する側としては選択肢が増えました。それぞれがニーズに合わせて選ぶことができますが、私は、息子が家に居るよりも有意義な放課後を過ごせる場としてカリタス翼を選びました。温かいスタッフの皆さまや仲間との充実した活動は、息子を大きく成長させてくれたと思います。 カリタス翼では、スタッフの皆さまが人と人との繋がりをとても大事にされています。息子が5歳の時から長年カリタス翼に通い続けることが出来たのも、なかなか理解してもらえない自分の思いを分かってくれる人がいる温かい場所だということを自然と感じていたからだと思います。今後も子どもたちにとってそのような場所であり続けていただけたらと思います。13年間本当にありがとうございました。

保護者 新見顕子

2020年 決算報告

教区本部一般会計

2020年の経常収入合計は4億5350万6000円、2020年の経常支出合計は4億9万4000円でした。

小教区一般会計と霊園会計の合計

2019年の経常収入合計は10億7284万5000円、2019年の経常支出合計は7億2125万2000円でした。
以上の結果、経常収支は3億5159万3000円でした。

一粒会会計

例年であれば、一粒会の会報「一粒の麦」で決算を発表しておりましたが、2019年に続き2020年も新型コロナウィルス感染症により、決算は掲載しませんでしたので、一粒会会計の2020年度決算を、教区ニュースで発表いたします。 一粒会は、2020年の総会、世界召命祈願日のミサ、修道会神学生への援助金等が中止になりました。収入は一粒会献金や世界召命祈願日のミサが減額となり、経常収入は1414万円(前年65%)、支出は修道会神学生への援助金等が中止となり、経常支出は2606万円(前年89%)でした。 神学生の養成費は、一般会計から支出しているが一粒会からの振替金だけでは、まかなえていません。信徒の皆様の一層の祈りと献金をお願いいたします。

「ZOOM日本語教室」を通じて心の支えに

現在、日本には技能実習生をはじめとして、多くのベトナム人青年が滞在している。教区ニュース382号(5月号)に掲載した葛西教会のように、東京教区にもベトナムの青年たちとの関わりを持っている教会がある。今回はそのような取り組みの一つとして、碑文谷教会で行われている「ZOOM日本語教室」について担当する4名、大学でも教えている中野さおりさんと、田村まりあさん、宮脇篤子さん、宮脇智子さんにお話をうかがった。

日本語教室を始めた経緯を教えてください。
宮脇篤◉元々、サレジオ会の「ドンボスコ・オラトリオ」の活動の一つとして、調布教会でベトナム人向けの日本語教室が開かれていたのですが、交通の便の関係もあり、昨年の10月から毎週木曜に碑文谷教会でも教室を開くことになりました。日本語を教えるだけではなく、一緒にお菓子を食べたり、ゲームをしたりといった分かち合いを大切にしていたのですが、コロナ禍で12月から活動が中止になり、しばらくは何もできない状態でした。

ZOOMによる教室が開かれるようになった経緯を教えていただけますか?
田村◉私は調布教会のドンボスコ・オラトリオに関わっていることもあり、ベトナムの青年から「日本語で話がしたい」という相談を受け、緊急事態宣言中もSNSを使い絵本を教材に日本語の勉強をしていました。参加者にN3(日本語能力試験)を受けたいという方が何名かいた為、専門的に開催する必要を感じ、皆で検討して2月からZOOMによる日本語教室を始めました。毎週土曜夜8時30分から日本語教室をやっています。

対面とは違ったオンライン教室ならではの工夫はありますか?
中野◉オンラインですとジェスチャーなども伝わりにくいですし、音声がよく聞こえない場合もあります。できるだけわかりやすく、楽しいスライドを作るように心がけています。

どのような方々が教室に参加しているのですか?
宮脇智◉オンラインなので日本中から参加があります。愛媛県の今治や秋田の工場で働いている技能実習生の若者が参加したこともあります。また来日前のベトナムにいる若者が「予習」として参加してくれたこともあります。カトリック信者に限定しているということもありません。Facebookページを作って告知もしていますが、口コミで参加する若者も多いようです。
宮脇篤◉事前申込制ではないので、当日になるまで何人参加するのか、どんな日本語レベルの人が参加するのか分かりません。人数も少ない時だと3名ほど、多い時だと8名ほどになりますし、日本語のレベルも様々です。参加者と同じ寮の部屋に住んでいる若者が突然入ってくることもあります。

日本語習熟度の違いにはどのように対応していますか?
宮脇智◉対面授業の時から習熟度の違いを考慮していましたが、今は初級から初中級に対応するようにしています。日本語が上手な参加者が苦手な若者の手助けをしてくれることもありますし、ZOOMのブレイクアウト(グループ分け)機能を使って、個別にお話しする機会を設けるなど、誰でも参加できるように工夫しています。

教会の活動として大切にしていることはありますか?
宮脇篤◉単に日本語を教えるだけではなく、心配事を聞くなど、心のケアにもなれるよう心がけています。深刻な問題を打ち明けられたことはありませんが、仕事や生活の大変なことは話してくれます。ただでさえ外国で働くことは大変なのに、今はコロナ禍が追い打ちをかけています。そんな状況の中、日本人に話を聞いてもらえる、自分を分かってくれる日本人がいるということは彼らの支えになるのではと思っています。

日本語教室連絡先 https://www.facebook.com/profile.php?id=100063117585841

ミャンマーの教会に想いを寄せて

ミャンマー情勢はいまだ解決の糸口さえつかめない。前号に引き続き、あるミャンマーの司祭から寄せられた手紙をご紹介する。なお、筆者や関係者の安全のため、具体的な個人名や地名は伏せてあることをご了承いただきたい。

私たちは非常に悪い状況に置かれています。カヤー州に住む人々の1/3が家を捨て、より安全な場所に逃げました。しかし、実際はそこも安全ではありませんでした。多くの人々、特にカトリック信者が、まだジャングルに隠れています。少なくとも、すでに6つの小教区が、仮設キャンプや親戚のいる遠くの村に完全に移転しています。(カヤー州の)デモソとロイコーで最も危険で狙われやすいのはカトリックの村です。ロイコー教区の二つの教会と、ペッコン教区のカテドラルも攻撃されました。(ロイコーにある)カヤンタヤル村の教会襲撃では、4名の信徒が亡くなり、8名が怪我を負いました。私の出身地近くには引退したシスターのための修道院があります。そこには20人以上の高齢のシスターと180 人の村人がいますが、どこにも行く当てがないので移動することを拒んでいます。障害を持つ私の兄弟と彼の家族はその人々の中にいます。彼は人々と高齢のシスターたちに食事を作っています。

今の状況は私にとって大きな試練です。私たちに協力してくれている司祭は、彼の緊急対応チームと共に、様々な支援者の助けを借りながら、人々を助けるために最善を尽くしています。私たちが緊急に必要としているのは、米、薬品、そしてシェルターを作るための資材です。町や村への主要道路が封鎖されたり、橋が破壊されたりしているため、苦しんでいる人々に手を差し伸べるためには、交通手段が最大の問題の一つとなっています。私の小教区の信徒会館には、300人以上の人々が避難しており、そのほとんどが高齢者、女性、子どもです。警察や兵士が居住区を巡回し、CDM(市民被服従運動)の関係者、デモのリーダー、PDF(人民防衛軍)*1 のメンバー、ジェネレーションZ*2と呼ばれる人々を、老若男女を問わず捜索・逮捕しています。人々はそのことに不安を感じています。

ロイコーの病院は兵士に占拠され、監視されているため、人々はそこに行くことができません。その代わりに、私たちの診療所にやって来ます。しかし、交通の便が悪いため、今では患者数が少なくなってしまいました。

ある神学校では、人々が、建設中の校舎をシェルター代わりに使っているのですが、そこでひとりの村人が射殺されたと、神学校の校長から電話がありました。なんと悲しいことでしょうか。 私たちのために、父である神にお祈りくださいますように。

*1 ミャンマー民主派や少数民族代表によって結成された「国民統一政府(通称:NUG)」が設立した防衛組織。
*2 1990年代中盤から2000年代終盤に生まれた世代。現在、ミャンマーのデモを牽引している世代と言われている。

ミャンマーの司祭から
ロイコー教区で最近起こった事件

5月24日

カヤンタヤル村の聖心教会にて、聖堂が砲撃を受け、4人が死亡、数十人が負傷村は一時的に捨てられて、村人は国内難民になった。

5月24日 ペッコン教区のカテドラルが砲撃による被害を受けた。
5月25日 デモソ村にて、聖ヨセフ教会の聖堂や村人の家が砲撃を受け、いくつかの家は全焼。この村も、村は一時的に捨てられ、村人は国内難民になった。
5月29日 小神学校で避難している人々が襲われた。一人のボランティアが死亡、避難人の金品が盗まれた。
6月 3日 ドミャレー村にて、ルルドの聖母教会の聖堂や村人の家が砲撃を受け、村は一時的に捨てられて、村人は国内難民になった。
6月 6日 ドウアンカ村にて、平和の聖母教会の聖堂や村人の家が砲撃を受け、いくつかの家は全焼。この村も、村は一時的に捨てられて、村人は国内難民になった。

※現在ロイコー教区では4万人の国内難民を抱えている。

日本で暮らすミャンマー人の声

日本には約3万3千人の在日ミャンマー人が生活している。これは全ての在日外国人を国籍別に見た場合、13番目に多い。ミャンマー国民の6.2%がキリスト教を信仰しており、在日ミャンマー人の中にもキリスト教徒は少なくない。今回は、国内のカトリック系病院に勤務するミャンマー人修道女、Sr.セシリアに母国の状況や現在の想いを語っていただいた。

ご自身のことを簡単に教えてください。
Sr.セシリア◉2003年に修道会に入会し、2013年に終生誓願を立てて日本に派遣されました。現在は病院で受付と通訳の仕事をしています。

ミャンマーの会員やご家族のことを教えていただけますか。
Sr.セシリア◉壁の厚い家や森に逃れ、不安の日々を送っている会員もいます。自分たちが避難するためではなく、避難する人々のお世話のためです。 家族と連絡は取れますが、国軍は一般人を無差別に殺害しているので心配です。警察に勤務していた親戚は、軍に協力するように言われたのですが「自分は人々を守るために警察官になったのであって、殺すためではない」と言って同僚と一緒に逃げたようです。

最近、教会が襲撃される事件が増えていますが。
Sr.セシリア◉教会は弱い人々を助けたり、匿ったりしているからだと思います。国軍は弱い立場の人々を助けている人を攻撃しています。怪我人を助けるために白旗を掲げていても撃たれるのです。少数民族が暮らす地域にはキリスト教徒が多いという事情もありますが、仏教のお寺も攻撃の対象にされています。兵士が教会やお寺から食料や金品を略奪する事件も増えています。兵士たちへの給料の支払いが遅れていることもその一因のようです。

日本で暮らす私たちがミャンマーのためにできることは何があるでしょうか。
Sr.セシリア◉ミャンマー国内では自由に発言することができないので、外国から声を上げることはとても大切です。ミャンマーのシスターからも「海外の姉妹から情報を発信してほしい」と言われています。

こんな時だからこそ会いにいきたい、出会いたい

「働く人の家」の聖堂に掛けられている木彫のシンボルマーク

東京教区にはいくつもの青少年の団体があり、コロナ禍において自分たちの存在意義や活動の在り方を模索している。今回は、働く・働こうとする若者のグループである「東京JOC働く若者のグループ」を訪ね、数十年にわたってJOCで青年と関わり続けるピエール・ペラール神父(パリ・ミッション会)と、日本JOC全国会長の新谷葵さんにお話を伺った。

JOCとはどのようなグループなのか、簡単に教えてください。
ペラール神父◉JOCは福祉団体や支援団体ではありません。そのような団体は困っている人を「助ける」ためにあります。JOCは青年たち自身が気付いて目覚めていく場です。そこでは結果だけではなくプロセスに意味があります。

JOCで仲間と出会うことによって、自分に自信のなかった若者が少しずつ目覚めていきます。JOCとは「教育の場」だと考えています。

どのような青年がJOCに集まってくるのですか?
新谷◉本当に色々な背景の青年が集まってきます。カトリック信者、キリスト者ではない人もいます。
ペラール神父◉JOCでは教会に行けと言ったり、洗礼を勧めたりしないからね。それがJOCの目的ではありません。あくまでも人間として、労働者として成長していくことが目的です。

コロナ禍の影響でJOCの活動にはどのような影響がありましたか?
新谷◉JOCでは自分自身の仕事について表現していくことが大切だと考えているので、コロナ禍以前から頻繁にここ(カトリック東京働く人の家)に集まって、皆でご飯を作って食べ、分かち合いをしていました。

コロナ禍となり、最初は感染の怖さもあって集まることを中止し、LINEだけで仲間とつながっていました。しかし、LINEではちょっとしたことも話せず、もどかしさを感じていました。しかし、「こんな時だからこそ、人と会えずに辛い思いをしている青年に会いに行きたい、出会いたい」と考え、一度に集まる人数を少なくして、互いの距離をきちんと空ける等の感染症対策をとりながら、リアルで集まることを再開しました。私たちはむしろ、コロナ禍になってからの方が活動が盛んになっているかもしれません。

働く青年たちへのコロナの影響を感じることはありますか?
新谷◉青年たちは人と関わる機会が減り、ストレスを抱えながら仕事や生活をしています。

もしコロナにかかってしまったら仕事を辞めさせられるかもしれない不安もあります。仕事が減ったり、失業したりして収入に影響している人もいます。

医療の仕事現場や、会社から人と会わないようにと強く言われ、メンタルの不調が出てきている人もいます。その気持ちを一人で抱え込む人も多いです。

そのような青年のためにしている活動はありますか?
新谷◉以前からJOCと関わりがある、東京都労働相談情報センター元職員の方による、無料の労働相談室(日時応相談)を行っています。主に職場のトラブルや、雇用条件、労働法に関わる相談を随時受け付けています。一週間に何人も申込みがあることもあります。こちらも、カトリック信者ではない方からの相談も多いです。

これからの展望、新しい試みがあれば教えてください。
新谷◉コロナの中で新しいつながりを探していきたいと思っています。JOCは直接集まって相談できるのがいいところですから。
ペラール神父◉青年たちは「心がいい」ね。ここに来て自分にも価値があることに気づいていってほしいと思います。

隅田川沿いに建つ「働く人の家」。民家と蔵がつなげられているとのこと。

左からピエール・ペラール神父、新谷葵さん(JOC全国会長)、宇井彩野さん(JOC事務職員)

編集後記

この一年、ミサに与れない日曜日が増えた。ミサに与れない日々が続くと、どれほど自分がミサによって整えられていたかに気づかされる。

日曜でも早く起きて身支度をし、電車に乗る。駅から歩いて教会へと向かう。一週間ぶりに会う人々と挨拶を交わし、席について入祭を待つ。

ミサが終われば世間話を交わしたり、週によっては会議に出席したりして、家路につく。途中、買い物をしたり、昼食を食べたりすることもある。

ミサの一時間だけでなく、こんな日曜の時間の流れが、私たちの心を整える。イエスに会いに行く道のりは、それ自体がイエスと歩む道のりなのだ。イエスと歩む一歩一歩が私たちの心を整える。(Y)