教区の歴史

教区の歴史

教区の歴史

1846年

日本への布教は日本代牧区の設立という形で始まる。パリ外国宣教会に委託されたが、当時は禁教令下にあったので公の活動はできず、実際に宣教が開始されるのは1858年から。

民家を聖堂とした浅草教会

1876年

日本の教会は南緯代牧区、北緯代牧区の二つに分かれる。北緯代牧区の司教座は横浜に置かれる。中部、関東、奥羽、北海道が北緯代牧区の管轄。 

1878年

北緯代牧区の司教座が横浜から築地教会へ移される。 

1891年

北緯代牧区は東京教区と函館教区の二教区に分割され、東京教区は大司教区に昇格。初代東京教区長にP.オズーフ大司教が就任。
関東7県と中部地方9県が東京教区の管轄に。

関口の小神学校(まいかい塾・中神学校も併設)

1906年

オズーフ大司教の逝去にともないP.ムガブル大司教が教区長に就任。 

1910年

ムガブル大司教の逝去にともないF.ボンヌ大司教が教区長に就任。 

1912年

ボンヌ大司教の逝去にともないJ.レイ大司教が教区長に就任。
同年8月、新潟知牧区が設立され富山、石川、福井の3県が東京大司教区より神言会に分割・委譲される。

聖体行列、各教会旗を先頭に。司教座聖堂にて

1920年

司教座聖堂が関口に移される。 

1922年

名古屋知牧区が設立され愛知、岐阜の2県が東京大司教区より神言会に分割・委譲される。 

1927年

レイ大司教の引退にともない、J.ジャンボン大司教が教区長に就任。 

1937年

東京大司教区がパリ外国宣教会より邦人教区として独立。東京と千葉県を除いた地域は横浜教区に分割・委託される。

1938年

土井辰雄大司教が教区長に就任。 

土井辰雄枢機卿

1945年

関口の司教座聖堂が戦災のために焼失。神田教会が仮の司教座聖堂となる。 

1954年

ケルン教区との友好関係が始まる。 

1960年

土井辰雄大司教が日本人初の枢機卿に任命される。

1964年

東京カテドラルが新しい司教座聖堂として建てられ献堂式が行われる。

1970_4.29白柳枢機卿着座式浜尾司教叙階式

1970年

土井枢機卿の逝去にともない、同年4月に白柳誠一大司教が教区長に就任。
濱尾文郎師、東京教区補佐司教に。
東京教区大会がはじまる。 

1979年

東京・ケルン友好25周年。  

1985年

森一弘師、東京教区補佐司教に。

1981.2教皇ヨハネ・パウロ2世来日 東京カテドラルにて

1991年

東京教区創立100周年。
カトリック東京国際センター(CTIC)が設立され、滞日在日外国人への司牧活動が本格的に始まる。 

1994年

白柳誠一大司教が枢機卿に任命される。 

2000年

白柳枢機卿の引退にともない岡田武夫大司教が教区長に就任。 

2001年

岡田大司教は「新しい一歩」を発表し教区の改革を行うことを表明。同年7月、改革に向けて教区集会を召集。 

2002年

教区の改革プロジェクトチームより「福音的使命を生きる 新しい一歩のための提案」が出される。

2004年

ケルン教区友好関係50周年・ミャンマー25周年

ケルン教区友好関係50周年・ミャンマー25周年

2003年

「宣教協力体のための指針」が出される。
同年4月20日より宣教協力体という新しい協力体制が始まり、教区の改革がスタート。 

2004年

東京・ケルン友好50周年。

2005年

幸田和生師、東京教区補佐司教に。

2005年

白柳枢機卿帰天。

2011年

東日本大震災の発生に伴い、カトリック東京ボランティアセンター(CTVC)を設置。

2017年

岡田大司教の引退にともない菊地功大司教が教区長に就任。

2017年

幸田司教、補佐司教を辞任。

2019年

教皇フランシスコ来日。

2020年

教区YouTubeチャンネルにて「週刊大司教」配信開始。

岡田大司教帰天。

「宣教司牧方針」発表。、三つの柱として「宣教する共同体」、「交わりの共同体」、「すべてのいのちを大切にする共同体」を据える。

2021年

「多国籍の人々がつくる豊かな教会共同体を目指して」(司牧指針)発表。