お知らせ

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東京教区ニュース第408号

2023年12月07日

シノドスホールから-続・菊地大司教ローマ滞在記-

先月号の東京教区ニュースでは、菊地大司教のブログ「司教の日記」より「シノドスホールから」と題した投稿の「その1」と「その2」の1部を紹介したが、今号では主にシノドス総会の最終週と今後の歩みについて書かれている「その3」を掲載する。是非、先月号と合わせてお読みいただきたい。

シノドス総会会場、パウロ6世ホールの入り口にて

10月28日の土曜日の午後に最終の全体会議が行われ、29日の閉会ミサをもってシノドスは終了しました。長い一ヶ月でした。季節も変わりました。

最終の第四週は、23日月曜日朝のミサで始まりました。今回はアジアの担当で、司式がFABC(アジア司教協議会連盟)会長のチャールズ・ボ枢機卿(ヤンゴン大司教)、その横にFABC前会長のオズワルド・グラシアス枢機卿(ボンベイ大司教)、そしてFABCの事務局長のわたしがつきました。聖歌隊は、ローマ在住のフリィピン出身修道者が務め、侍者はローマ在住のフィリピン人若手司祭を中心に構成されていました。この中には、フィリピン宣教会の司祭で、以前日本におられた若手司祭もおり、香部屋で突然日本語で話しかけられてびっくりいたしました。

そのミサ後、朝の全体会で、シノドスから教会全体への書簡が採択されることになりました。これが多分、事務局の誤算の始まりとなりました。この後、一週間の当初のスケジュールが、毎日のように変更されます。なお書簡をシノドスから発出することは教皇様ご自身の希望で、前の週に、教皇様が出席される中で、圧倒的多数(11の反対票)で書簡を発出することが採択されました。

その書簡の採択に当たって、用意された文書を英語で読み上げて(もちろん同時通訳が会場にはあります)拍手で採択しようとしたのですが、さすがにこれには異論が続出。結局、全員に書簡を配布し(つまり、イタリア語、英語、スペイン語、フランス語に翻訳して)、それから全体会を開催して個別の意見発表を受け付け、さらにそれを書き直すために起草委員会を開催するので、急遽月曜の午後と火曜終日が休日となりました。わたしはこの間に、国際カリタスの行事と、所用での国務省訪問が入ったので、休日とはいきませんでした。

その後、25日水曜に再開され、「神の民への手紙」が採択され、同時に今回のシノドスの位置づけについての事務局長からの説明が行われました。「神の民への手紙」は、なるべく早く多くの人に読んでいただくためにと、各国の司教協議会に翻訳を急ぐようにと指示があり、日本語訳も、中央協議会の翻訳担当が頑張ってくださり、一日で完成。すでに中央協議会のホームページで公開しています。

この書簡は、まだ第一会期が終わろうとしている段階で、さらに来年また同じメンバーで同じシノドスの第二会期が行われる中、決定したことを伝えているのではなく、また話し合われた内容を伝えているのでもなく、シノドスに参加している多くの思いを伝え、歩みを共にするようにとの呼びかけの文書です。この手紙を読んで、結局シノドスは何も決めていないと失望する声も聞こえてきますが、そういう類いの文書ではありません。この後に、さらに膨大な、討議の内容を伝える文書が出てきます。「神の民への手紙」は、シノドス参加者の思いを代弁するものですので、是非ご一読ください。

この日の夜、平和を求めて、サンピエトロ大聖堂内で、シノドス参加者が集まり、ロザリオの祈りが捧げられました。

日本からの参加者3名。左からSr.弘田鎮枝、菊地大司教、西村桃子さん

また25日の水曜日の昼前には、今回の全体の内容を伝える文書の原案が示され、それについての小グループでの話し合いが、26日の木曜日丸一日、行われました。35のそれぞれの小グループから、最終的には千を越える修正の動議が提出され、起草委員会の修正作業が始まりました。

27日金曜日は、午前中に小グループで、来年の10月までの間をどのように進めるのかについての小グループでの話し合いと全体会が行われ、午後は休会して、午後4時から、各国の司教協議会会長を集め(50名ほどが参加しました)、第二会期までの司教協議会の取り組みについての意見交換がありました。一年弱の時間しかないことと、これから帰国して、すぐに待降節から降誕節、年末年始となるので、いずれの国も、全国レベルでの取り組みをするには時間がないことが指摘され、今後、事務局が何らかの方向性を提示することになりました。
なおこの27日の夜は、教皇様がシノドス全体会の中で呼びかけられた平和のためのロザリオの祈りが、午後6時から、サンピエトロ大聖堂で行われ、シノドス参加者のほか、多くの方が参加されました。ロザリオの祈りと聖体顕示式が、教皇様の臨席で行われました。以下、バチカンニュース日本語版からの引用です。

『教皇はロザリオの祈りに続き、平和の元后、聖マリアにご自身の祈りを捧げられた。
この中で教皇は、「紛争に引き裂かれ、武器に蹂躙されたこの時代」、「平和を見失った人類家族に憐みの眼差しを向けてください」と聖母に祈った。
そして、教皇は、「危険と混乱の中にあるこの世界のためにとりなし、いのちを受け入れ大切にすること、死の種を播き未来をかき消す戦争の狂気を拒むことを教えてください」と聖母により頼んだ。
「御子がいなければ、わたしたちはひとりでは何もできません」と言う教皇は、「わたしたちの平和であるイエス」に立ち返らせ、「憎しみに囚われた人の魂を揺さぶり、紛争をあおる人を回心させ、子どもたちの涙をぬぐい、孤独な人やお年寄りを助け、負傷者や病者を支え、祖国や愛する人を置き去りにせざるを得なかった人を守り、気落ちした人を慰め、希望をよみがえらせてください」と祈った。
「救いのあけぼの」である聖母に「争いの闇に曙光を差し込んでください」と教皇は願いつつ、「国々の指導者たちに平和の道を励まし」、「悪にそそのかされ、権力と憎悪に目がくらんだあなたの子らを和解させ」、「神の調和を心に注いでください」と祈り求められた』

菊地大司教が宿泊していた外交官養成所の台所を担当するシスターたち

起草委員会は、27日金曜日の午後9時から集まって、最終報告書の書き直し作業を行い、28日土曜日の午前11時頃にできあがりました。土曜日は午後4時から、その報告書についての採決があり、教皇様のお話の後、第二会期まで休会となります。最終報告書は、例えば英語の原案がA4で50ページ近くありますから、修正を入れると60から70ページほどになるかもしれません。またお知らせします。

この一ヶ月間の、皆様のお祈りに感謝いたします。なお、週刊大司教の号外編が、短い現地報告として12回ほど、東京教区のYouTubeチャンネルで公開されていますので、是非ご覧ください。

ローマの街角の典礼用品店。こんなお店が沢山あるのもローマならでは

アンドレア・レンボ被選補佐司教司教叙階式のお知らせ

日時:12月16日(土)12:00~
場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂
司式:菊地功大司教

◉当日はカテドラル構内に駐車はできません。公共交通機関をご利用ください。
◉叙階式準備のため、午前中は聖堂に入ることはできません。
受付は午前11時から開始いたします。受付開始時間前の構内での待機はご遠慮ください。
◉多数の参列者が予想されますので、一般の方の入場に制限をかける場合があります。聖堂に入れない場合の別室、パブリック・ビューイングの準備はありません。
◉当日、式の様子はYouTubeで配信予定です。URLは後日教区ウェブサイトで発表いたします。
◉小教区、修道会(共同体ごとではありません)、諸団体からの参列者の内、2名は代表者として聖堂内に座席を準備いたします。それ以外の方は一般での参列とご理解ください。
式中、聖堂内での撮影はご遠慮ください。
◉式後、来賓、小教区、修道会の代表者の方々には、ケルンホールにて祝賀会を準備いたします。それ以外の方々にはルルド前に軽食の準備を予定しておりますが、参列者の人数によっては行き渡らない等のご無礼があるかもしれません。

麻布教会信徒会館竣工式

11月12日、麻布教会にて、菊地大司教を招き、新しい信徒会館「みこころ会館」の竣工式が行われた。信徒会館の建替、補強工事に関しては10年以上前から議論が重ねられていたが、今年一月から新信徒会館の建設を開始。今年の9月には完成し、使用は始まっていたが、この度大司教を招いて正式な竣工式が行われることとなった。

ミサに続いて行われた竣工式では、大司教が2階建ての信徒会館の全ての部屋を回りながら聖水による祝福を行った。

信徒館内を祝福する菊地大司教

建物全体の祝福

主任司祭の江部純一神父は、新信徒会館について、「信徒の皆さん、特に若い世代と子どもたちが集う場となってほしい。霊の促しによって共に前に進んでいきたい」と希望を述べた。

江部神父(中央)による乾杯の音頭

ワールドユースデーに参加して

今年の8月に行われたワールドユースデー・リスボン大会には日本から、そして東京教区からも多くの青年が参加した。そのうち2名の方から貴重な体験記を寄稿していただいた

恐れずに、神が私に望まれる道を
内田彩耶子 上野毛教会所属

初めてのワールドユースデーは、「ワールドユースデーとは何か」がつかめないまま、不安と期待の入り混じった気持ちで始まりました。

この17日間、私は世界の様々な青年たちと出会いました。「世界にはこんなに多くの青年信者がいるのだ!」と純粋に驚きましたし、自分の持つ信仰が、広い世界につながる切符だったのかもしれないということに初めて気が付きました。

青年たちはとにかくエネルギーに溢れていました。信仰についてお互いに語り合う時間は多くありませんでしたが、そのエネルギーの根本には信仰があるということに感動を覚える瞬間が何度もありました。「世界の青年たちには、信仰が当たり前のものとしてある。私は日本で過ごす中で、どこか信仰を特別なものと捉えていないか」という疑問が、今自分の中にあります。加えて、現地に集まった青年たちとのカテケージスで結婚前の同居や妊娠に関して考えを分かち合った際には、日本人として信仰と向き合う難しさを感じました。何が日本の文化(道徳観)で、何がキリスト教の教えなのか、自分自身に根付いているのは、果たしてどちらなのか。「私は純粋なキリスト信者として生きているのだろうか?」という問いが、頭をもたげ始めたのです。その答えはどちらであっても、思いや行動が神様の望むものであればよいのかもしれません。ただ私は世界の青年と出会って、自分が日本人という背景を持たずに信仰を持っていたら、いったいどのような感覚だったのだろうかと知りたくなりました。そしてこの問いは、自分の中の信仰を深める契機になるのではないかと感じています。

また、こだわりを捨て、ただキリスト者として集えば、初めて出会った人とも最初から友人のように笑顔を交わし合えるという現実を目の当たりにしたこと、そのための適切な距離があると学んだことは、ワールドユースデーに参加して得た大きなものの一つです。一方で、初めて出会った日本巡礼団のメンバーや世界の青年と関わる中で、自分が普段いかに居心地のよい世界にいたかということも痛感しました。その世界に戻りたいと思う瞬間もありましたが、教皇様は私たち青年に「恐れないで」とおっしゃいました。今回のテーマである、身重ながら喜びをもってエリザベトのもとへ駆けつけたマリア様のように、私たち青年は、居心地のよい場所から飛び出して、神様が私たち一人ひとりに望まれている「何か」を果たしにいかねばならないのではないかと、帰国してひと月以上を経た今、感じています。その「何か」をこれからの日々で見つけ、喜びをもって自分の役目を果たしていきたいです。

コインブラでのカテケージス

歩み続けている信仰
滝澤 和華乃 赤羽教会所属

わたしにとって、ポルトガルでのワールドユースデーはあまりに特別なものでした。

大学4年間、ポルトガル語を専攻し、ポルトガルのファティマで神様に出会い洗礼を受けたわたしにとって、ポルトガルでワールドユースデーが開催されたことは神様からのプレゼントでしかありませんでした。初めて参加したワールドユースデーがリスボンでの開催で本当によかったと感じています。

わたしは、神様に出会ったのと同じ地で、新しい神様の一面と出会えたらと期待していました。ワールドユースデーは本当に怒涛の体験で、色々な人と出会い、祈る中で自身の信仰を新たにしました。

5年ぶりにポルトガルを訪れましたが、ワールドユースデーでの体験は本当に真新しいものでした。公式巡礼団ではなく、セルヴィエヴァンジェリー宣教会の宣教師たちと参加しましたが、みんなと共に活動し、食べ、祈り、分かち合い、眠った日々の全てが、溢れんばかりの恵みでした。日本の社会で生きる日常とはいい意味でかけ離れ、いい疲れを感じていたと思います。いろいろな国の人、そして初めて出会った日本の青年たちとも交流し、たくさんの感情を抱きましたが、共通していたのはその全ての場面に神様がいるということでした。言葉が通じなくても、文化が違っても、ただ唯一、わたしたちの信仰だけは、神様の存在で通じ合っていました。

わたしはこのワールドユースデーでの体験を通し、自分の信仰が揺るぎないものだと改めて感じました。

ただ同時に、揺るぎないものではあるけれど、そこに留まり続けているのではなく、歩み続けているものだとも気づくことができました。5年前と同じ教会を訪れ、同じキリスト像や十字架を見ましたが、感じることや見えるものはあの頃とは違っていました。そのなかで、わたしはちゃんと神様と一緒に自分なりの信仰の道を歩めていることに気づきました。ワールドユースデーというこの真新しい体験のなかで、揺るがずも進み続けている自分の信仰に気づくことが出来たこの恵みに、心から感謝しています。

ワールドユースデーに関わった全ての人、いつも一緒に歩んでくれるセルヴィエヴァンジェリーの宣教師たち、そして、わたしをここへ呼んでくれた神様に感謝します。

シノドス第一会期を終えて

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭 
小西 広志神父

9月の末より10月の末までのシノドス(世界代表司教会議)第16回通常総会の第一会期が終わりました。東京教区の皆さんには会議の様子をYouTubeで毎日のように配信してきました。また、菊地大司教さまも会議の様子や期間中の宿泊先の様子などを動画で配信してくださいました。また、会議の後半からは、日本から撮影クルーがローマに到着して、会期の様子を写真に収めました。

動画や画像を通じて会期の様子をこれほど積極的に教区内に紹介したのは他にはあまりなかったようです。聞いたところによれば、ニューヨーク大司教区は専属のレポーターが寄り添ったそうですが、それに匹敵するほどのことを東京教区はしたと自負しております。

今回、筆者は第一会期の様子を遠く離れた東京から見守っていたのですが、ソーシャルネットワーク(SNS)を十分に活用しました。とりわけ、イエズス会のアメリカの若い神学者たちの発信が参考になりました。いままでのシノドスはどちらかというと閉鎖的な感が否めませんでしたが、今回は、討議の詳しい内容までは分からないまでも、討議全体の様子を把握することができました。

SNSのおかげで情報がほぼリアルタイムで得られるのはすばらしい体験だったと思います。その反面、理解力の乏しさが誤解を生むこともありました。会議中盤で菊地大司教さまは、プレスリリースに登場し、ご自分の意見を世界に向けて発信しておられました。残念なことに、冒頭の数語に敏感に反応された方々が日本には多かったです。大司教さまの発言と、それを受けての記者たちとのやり取りはよいものがあったと考えております。実は同じようなことが今年2月のバンコクでのアジア大陸のシノドス会議でも生じました。

誰かの発言をじっくりと聞き、理解し、対応していくということが、恐らく世界全体で難しくなっている現代なのだと思います。ですから、このような時代だからこそ「すべてのものに聞く」という姿勢は求められているのでしょう。「教える教会、教わる教会」から「聞く教会」へと変革していかなければならないのです。教皇庁シノドス事務局が2021年の開会宣言から一貫して「聞く教会」を呼びかけているのは、この言葉が単なるスローガンではなく、教会の本質を表すものだということを筆者は遅まきながら実感した次第です。

「神の民への手紙」と「まとめの文書」が、今回の第一会期の最後に発表されました。前者はすでにカトリック中央協議会によって日本語となっています。また、先月号の教区ニュースにも概要を載せておきました。後者の日本語訳もまもなく発表されると思います。二つのことに気をつけましょう。

大きな問題よりも、身近な取り組みへ

第一会期の目的は何かを決めるためにあったのではないでしょう。むしろ、教会が直面している現実について数百人の参加者が分かち合うことにありました。その中には「より大きな課題」、「大きな問題」があります。例えば、女性助祭のこと、あるいは聖職者についての評価システムのことなどです。おそらくSNS上では、こういった「より大きな問題」が面白おかしく取り上げられるでしょう。確かに大切な諸問題ではありますが、シノドスが求めているのは、それぞれの大陸、地域、国でどのように「ともに歩む」教会を作りあげていくかです。東京教区の現状に基づいて、教会の変革のために取り組むことが求められるでしょう。

精神論よりも、具体的なものへ

確かに今回の第一会期は、何か雲をつかむような話し合いだったようにも思います。まとめの文書も難しくなります。しかし、シノドスが目指したのは宣教する教会です。「ともに歩む教会」は宣教をする教会なのです。すでに2021年の教皇フランシスコの開会宣言で指摘されたように「宣教」については、抽象的な議論になりがちです。具体的なところから「宣教」を考えていかなければなりません。このことは「神の民への手紙」でも再度指摘されています。

長い教会の歴史の中で大きな二つの転換点が公会議によってもたらされました。一つは16世紀のトリエント公会議です。もう一つは20世紀の第2バチカン公会議です。トリエント公会議の決定事項が完全に実施されるまでにはずいぶんと時間がかかりました。第2バチカン公会議も同様です。その時代に比べて現代は情報を的確に捉えることはできます。

問われているのは、教会に集うわたしたち一人ひとりが「ともに歩む」教会を作りあげていく決断と努力なのです。

最後に東京教区シノドスチームとしては、今後も動画の発信を通じて、皆さんとともに歩みたいと考えております。よろしくお願いします。

カリタス東京通信 第10回

「東京同宗連」に参加して
司教協議会部落差別人権委員会東京教区担当者 枝松 緑

私は、カリタス東京が加盟する東京同宗連(「同和問題」にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議)に2022年6月から東京教区の担当として参加しています。部落差別問題に関わる学習や活動を進めるうちに、歴史の流れ、その時代ごとの権力者、強者からの圧迫差別が明らかになり、この構造は対応の仕方は異なっていますが、本質的には現代にも共通していると感じています。

今年9月に行われた、関東大震災犠牲者追悼式に参加しました。会場では「2023年第二回日韓ユース平和フォーラム宣言文」と「市民の力で東アジアの平和を創っていきます」の文書が配布されました。宣言文には「真実を学ぶ権利を行使し、歴史的証言を継承していきます」「痛みを負い続けている人々の深い苦しみを共にします」「現実社会及び、インターネット上でのあらゆる差別と暴力を絶対に許さず、そのような言動があった場合には勇気を持って声を上げます」「内面化されている自身の加害性に向き合い、国籍や性別、バックグラウンドにかかわらず、すべての人の命と尊厳が守られ、誰もが個人として尊重される社会を日常生活の中で実践していきます」「軍事ではなく市民による平和外交を進めていくために、互いに協力して実際に行動をします」など若者の力強い決意が記されていました。軍事ではなく市民による平和外交、これは個々人が相手国の人と友人になることにより実現すると思います。互いに理解し合い、知り合う、違いを認め合う姿勢、そして常に対等、相手に対して本音で向き合う必要があると感じました。

東京同宗連では、現代の様々な差別に向き合い、ジェンダーや性差別、LGBTQについても、特別委員会、研究センター等を設けて啓発活動を重ねています。先日は、浄土宗東京教区主催の研修会「『性の多様性と私たち』LGBTQについて考える」に参加しました。この研修会では、3人のカミングアウト当事者の方々の発言がありました。当事者の皆さんがゲイやトランスジェンダーであったと気づいた時のことや、数々の葛藤、カミングアウトできた時の状況などの気持ちを語られました。初めて耳にした「ことば」たちに感激し登壇者の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。話せる勇気は理解者に出会えたからでしょうとも思いました。研修資料には、浄土宗教団として檀家信徒の問い合わせや仏前結婚式、戒名などにどう対応するのかなど、自分事として研究している事例が記されていました。現代人の悩みに寄り添い、人々の必要に応えようとしている姿勢が感じられました。

日常の私たちの周囲に生きづらさを抱えた当事者の方々がおられることを忘れないでいたい、もし相談されたら、しっかり寄り添えるよう研修での学びを役立てたいと思います。カトリック教会も、自分らしく活きられる信者の共同体として成長し続けるグループでありますように。東京同宗連との関りは異なる教義、教団との協力、交わりの豊かさを実感できる場であり、聖霊の働きを体験できる場であると感じています。

ミャンマーの教会に想いを寄せて

2023年東京教区ミャンマーデー

今年の東京教区ミャンマーデー(11月19日)は、二つの教会で特別なミサが捧げられた。正午からは築地教会にてミャンマー共同体によるビルマ語のミサが行われた。本来、このミサはロイコー教区のセルソ・バ・シュウェ司教が来日して司式する予定であったが、11月11日からロイコーにおける武力紛争が激化、シュウェ司教は牧者としてロイコーに留まることを決断し、残念ながら来日は見送られた。

ロイコーでは無差別砲撃と空爆が昼夜を問わず行われ、800人の住民がカテドラルに逃げ込んだ他、多くの教会で避難民を受け入れているとのことである。

シュウェ司教の代わりにミサの司式を務めたのは、大阪高松教区の松山教会担当司祭でドミニコ会所属のピーター・ジャレ神父。ロイコー教区のあるカヤー州出身のジャレ神父は、昨年の司祭叙階直後にも東京教区のミャンマー共同体を訪問してくださったという縁がある。

ジャレ神父司式によるビルマ語のミサ

築地教会に集まったミャンマー共同体

午後5時からは、目黒教会に場所を移し、東京、ケルン、ミャンマーという三つの姉妹教会の友好を記念し、東京教区の日本人信徒、ミャンマー共同体、ドイツ語共同体の奉仕によってミサが捧げられた。司式は府中教会主任司祭でミャンマー・カチン州出身のラズン・ノーサン・ヴィンセント神父。その他、アントニオ・カマチョ神父(目黒教会主任司祭)レオ・シューマカ神父(築地教会主任司祭・ミャンマー委員会担当司祭)、ミルコ・クイント神父(ドイツ語共同体主任司祭)等、国際色豊かな司祭たちが共同司式に加わった。さらに、ソウル教区のドイツ語共同体で奉仕しているエドガル・クルンペン終身助祭もミサに加わった。

国際色豊かな司祭団

エドガル終身助祭による福音朗読

ヴィンセント神父によってシュウェ司教の説教が代読された

聖歌はビルマ語とドイツ語で歌われたが、ドイツ語の聖歌は来日中のヴェルニゲローデ放送少年合唱団によって歌われ、ミサ終了後には同合唱団によるミニコンサートも行われた。

ヴェルニゲローデ放送少年合唱団によるドイツ語聖歌

ミサ後の茶話会では、ミャンマー共同体有志によるミャンマー各地の郷土料理が振る舞われ、参加者たちはミャンマー料理を楽しみながら、国籍や共同体を超えて歓談の時を過ごした。

ミサ後の菊地大司教によるメッセージ

CTIC カトリック東京国際センター通信 第273号

感謝をこめて

今年一年の活動を振り返り、協力してくださったすべての皆さまにスタッフ一同心から感謝の気持ちで一杯です。

CTICの食料支援活動は、その方が難民であるかどうかを問わず、生活に困っている外国籍の方を対象にしていますが、このような方々は社会全体から見ると非常に少数派で目立たない存在です。このように、社会の中でなかなかその声が聞かれることのない人々の必要に共に耳を傾け、教区の皆さまとの協働のうちに行われる食糧支援活動は、シノドス的な教会の姿を表すものだと感じます。

今年、コロナ後に始まった新たな状況に対応するために、実に多くの方々がCTICの呼びかけに応えてくださいました。

まだコロナ禍だった昨年、食料支援の利用者は、ある程度日本の生活に慣れ、ラーメンやカレーも食べられるアジア諸国の方が大半を占め、お米さえあればなんとかなる状況でした。それがコロナ後になると、来日してまだ一年経たない方々が増え、そのほとんどが宗教上の理由から豚肉は食べず、お米を主食としない人も多いという状況に変わり、寒い冬を迎える前に防寒着や毛布も必要になることが予想されました。このような状況に対応するために、何回かに渡って支援の協力を広く呼びかける中で、実に多くの方々が行動を起こしてくださり、ご自分にできる形で協力してくださいました。一生懸命ハラル食品を探してくださった方々やそれまでのお米の支援からパスタ類にシフトしてくださった方々。こちらのリクエストに沿って食品や日用品、毛布などを集めてくださった小教区や修道会。また、北アフリカ諸国の食事事情をネットで調べて、思いがけないものを送ってきてくださった方もいました。

食料支援の現場にいると、皆さまの支援が具体的に一人ひとりの存在を支えていることを実感します。所持金がほぼ底をつきて不安に押しつぶされそうになっている人を力づけ、慣れない食事に体調を崩した人を回復させ、寒がる人の身体を温め、誰かの真心は暗い顔を笑顔にし、言葉の通じない国で頑張る力となっています。一人の人が受ける支援が誰か一人から届いたものではなく、実に多くの人の協働の結果であることに改めて驚かされます。

「ありがとう」と何度も日本語で感謝を表す人たちに、「これは教会からの寄付です」、「多くの方が寄付してくださったものなのです」と私たちは伝えています。遠い異国の地で自分を助けてくれたのは教会だったという驚きを、祖国の家族に話したという青年もいました。
助けを求める小さな声に共に耳を傾ける神の民として、活動を支えてくださる皆さまとの協働のうちにこれからも活動してゆけることを願っています。一年を通してご支援くださったすべての皆さまに心からの感謝をこめて。

食料支援担当・師イエズス修道女会
右田紋子

※尚、お陰様で衣類と毛布類は十分に集まり募集は終了させていただきました。ご協力ありがとうございました。

カリタスの家だより 連載 第158回

みんなの部屋の活動と私の近況
みんなの部屋メンバー 井上 幸恵

東京カリタスの家・地域活動支援センター「みんなの部屋」では、今年もXmasに向けての作品を作っております。2020年以降、各教会のバザーは中止となったところが多く、私達の作品を必要としてくれる方々と直接の対面ができず、利用者・ボランティア・職員一同、歯痒い思いをしておりました。今年は一部の教会でバザーが再開されたとのことで、ラストスパートをかけ創作を頑張っているところです。そんなみんなの部屋から、今年の作品制作にかける思い、作業以外の時間をどのように過ごしたかについて近況を語ってくれた利用者さんがおりました。ここで、作品の写真とともにご紹介させていただきます。

* * * *

今、みんなの部屋ではクリスマスカードを一生懸命製作中です。昨年までは、コロナ禍もあり作業日数が少なかったので、クリスマスカードも沢山は作れませんでした。今年は作業日数も増えてきて、新作の試作品を作れる時間が出来てきたので、私が作っているクリスマスカードは2種類デザインができました。クリスマスリースのデザインと雪だるまのデザインです。リースのカードは色ちがいで3種類、台紙の色の組み合わせで数種類できました。雪だるまのカードは雪だるまの型をフェルトで切って、目をつけて、帽子や雪の結晶を貼り、毛糸をマフラーとして貼って出来上がるので、色のバリエーションがいっぱい出来ました。私の中では、リースのカードは大人っぽく、雪だるまのカードは可愛らしくできたと思っています。

リースのカードは、丸の形にクラフトパンチで抜いていたものを指でスライドさせていたら、上手く円形になりました。そこから丸と丸の間に金色の紙を星の形に小さめに切り抜いたものをつけてみました。シンプルになると思いついたのですが、逆に「デザインがいいね」と皆が言ってくれたので良かったと思いました。

いろんなメンバーさんが素敵なカードを製作していて、毎年クリスマスカードのデザインが更にパワーアップしていて、この時期はとても楽しい雰囲気になります。カード以外にも、クリスマスリースや小さめのかわいいツリーやマスコットなどクリスマス関係の作品でみんなの部屋一杯になるのが好きです。

私自身はみんなの部屋と就労支援施設に通所しているのですが、就労支援施設でも作品作りや受注の内職の作業が色々できるようになりました。ビーズのヘアアクセサリーを作れるようになったり、自分のオリジナルのイラストで描いたものが缶バッジとして売れたりと、日々少しずつ良い経験値の上がり方をしている気がします。

今年は、みんなの部屋のレクリエーションで永青文庫へ行ったり、目白庭園でカルガモの親子をものすごく近くで見られたりと、みんなでワイワイ出来る機会が増えてとても楽しく、就労支援施設でも、楽しく作業できるようになってきました。友人に会える機会も増えて、コロナやそれ以外の感染症に気を付けつつ楽しいことが増えていけばいいなと思います。

福島の地からカリタス南相馬 第27回

カリタス南相馬 所長 南原 摩利
大切な活動拠点として

今年の夏休みには、全国から(東京、京都、広島、福岡)6グループの学生の皆さんがカリタス南相馬を訪れ、福島の現状を学び、ボランティア活動にも参加してくださいました。

震災から12年経って復興の進んだ場所もあれば、12年経っても帰還困難区域で未だに人が住めない場所があること、処理水の海洋放出の時期が重なったこともあり、原発事故による放射線災害がもたらした多くのことを学んだことと思います。多くの学生さんから「被災地の現状を実際に自分の目で見て、五感で感じることの大切さを学びました」という感想を頂きました。学園祭でどのように発表したら同世代のみんなに伝えることができるだろう、と毎晩遅くまで真剣に話し合っている姿はとても頼もしかったです。福島での教訓を生かすためには、次世代を担う若者に伝えることによって未来に繋げていくことが大切だということを改めて感じました。

学生さんが来られた同時期に、秋田の豪雨災害が起こり、急遽被害の甚大だった聖霊高校や個人宅の災害ボランティアに3校の学生さんと共に参加しました。学生さんにとっても貴重な体験になったことと思います。9月には、福島県いわき市においても豪雨災害が起き、「チームふじさん」の皆さんが秋田に続き、すぐに被災地に入って活動されました。秋田では、聖体奉仕会の修道院、福島県いわき市では、湯本教会をボランティアの宿泊場所として紹介することができました。チームふじさんは、信徒の方は一人もいませんが現在も秋田といわきで活動されています。「カリタスさんのおかげで、屋根のある場所を拠点にしてボランティアができる」と感謝の言葉を頂いています。

今回、災害が起きた時に急遽ボランティアに来ていた学生さんを被災地にお連れできたこと、技術系の常連ボランティアさんに宿泊所を紹介できたこと、学生さんに福島の原発被災地の現状をお伝えできたことは、カリタス南相馬という拠点がなければできなかったと思います。

「いつか東京で震災が起きた時は、今度は僕たちが支援に行く番だよ。」と、山田スタッフが生前言っていた言葉をふと思い出しました。今後もカリタス南相馬が支援の手を必要としている人、支援する側の人にとっても大切な拠点となり、全国のボランティアさんと活動を共にし交流できる場となるよう願っています。

編集後記

日本では、クリスマスシーズンは教会だけのものではない。教会よりも世間の方が盛り上がっているかもしれない。

もしかしたら、変なのは教会の方なのではないだろうか。教会の盛り上がりが全然足りていないのではないだろうか。

神の子が人として生まれたと信じているキリスト者こそ、クリスマスは誰よりも盛り上がろう。誰よりも喜び、愛し合おう。愛そのものである神が、人となってこの世に生まれたお祝いなのだから(Y)