お知らせ

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東京教区ニュース第409号

2024年01月10日

大司教司牧書簡

「つながり」の教会のために
2024年1月1日 東京大司教 タルチシオ 菊地 功

はじめに

2017年12月に東京教区の司教として着座して以来、今年で7年目を迎えました。この間、様々な出来事がありましたが、わたしが牧者としての務めを果たすことができたのは、みなさんのお祈り、ご協力、そしてご支援のおかげです。東京教区の信徒のみなさん、修道者のみなさん、そして司祭団が、ともに歩んでくださったことを、こころから感謝しています

この7年間、わたしは「つながり」、あるいは「交わり」を大切にしようとしてきました。それは11年前の2015年に発表された教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』に触発されてのことです。

教皇様はこの文書で、いわゆる環境問題についての具体的な行動を求め、とりわけ「エコロジカルな回心」を求めておられます。しかし、よく読んでみると「つながっている」という表現が何度も登場します。「すべての被造物はつながっている」(42項)、「あらゆるものはつながっている」(117項)などです。

「関連」、「結びつき」、「つながり」、「統合的」といった、あるものとあるものを結びつけ、その関わりあいを示す言葉が回勅のキーワードとなっています。ですから回勅『ラウダート・シ』は環境問題に関する教会のメッセージにとどまるのではなく、現代社会が忘れている「つながり」をもう一度回復しようではないかという、信仰におけるメッセージともなっています

わたしたちが洗礼の時にいただいた恵みをさらに豊かにするためには、「つながり」という視点からわたしたちの生き方と生活を見直す必要があります。

宣教司牧方針

2020年に『東京教区宣教司牧方針』を策定しました。これを策定するためには時間をかけ、広く皆さんから意見や活動の様子を教えていただきました。どの小教区共同体でも、それぞれの状況に応じて活動を工夫し、抱えている課題や困難に挑んでいる様子がよく分かりました。

わたしは、こういった教会の生きている姿を、教区全体で分かち合いたいと考えました。また、同じような方向性を持っている活動や取り組みの「つながり」を作りたいとも考えました。一つひとつの行動は小さなものであっても、「つながり」を作ることで大きく、堅固なものになると信じているからです。また、教区全体の「つながり」の中で、皆でこころを一つにして祈ることは大切だと思ったからです。

そこで「つながり」を念頭に置いて、この『東京教区宣教司牧方針』を書きあげました。例えば、教区内のさまざまなグループがおこなっている「愛のわざ」が教区全体として統合できるようにと「教区カリタス」としてカリタス東京の設立を優先課題に盛り込みました。また、教区内の多くの外国籍の信徒の皆さんの「つながり」を強固なものとすることも記しました。孤立しがちな人たち、とりわけ社会的弱者、社会的マイノリティーとの連携ができる小教区共同体となることを呼びかけました。さらには、長年の姉妹教会であり、現在も紛争の中で苦しんでいるミャンマーの兄弟姉妹への援助もお願いしました。

すべては「つながり」という視点からです。教会においては、誰も一人で孤立して活動することはあり得ません。時間と空間を超えてつながっているのが、教会共同体です。2020年は新型コロナウイルス感染症の蔓延による、いわゆる「コロナ禍」が始まった年でした。パンデミックに影響され「つながり」が薄らぎつつある社会にあって、わたしたちの教区は神と人と、人と人の「つながり」を大切にするようにと努めてきました。『東京教区宣教司牧方針』をもう一度見直してみると、三分の二以上の項目において、この4年間で何らかの進展が見られます。特に、カリタス東京と教区カテキスタ制度の活動は目覚ましいものがあります。ここに関わってくださった方々に改めてお礼を申し上げます。

現代社会と教会

現代社会は「無関心」、「使い捨て」、「対立の文化」が顕著に見られます。個人を重視するあまり、逆に隣人への「無関心」が生まれます。自分の生活に精一杯で、他人に対してこころを砕くことが忘れられています。大量消費が経済の基調となっていますから「使い捨て」は当然なことです。使い捨てて、新しいものを購入するからです。物事の評価は役に立つか否かが基準となりますから、人間ですらも使い捨てられるようになります。人の集まりは分断されて「対立の文化」が生じます。生活の格差、経済の格差が生じて、格差の上にいる人々と下にいる人々は決して交わることはありません。

このような現代社会にあっては、「わたしたち」という共同体の意識は生まれてきません。なぜなら「わたし」が世界の中心だからです。当然、「ともに」という思いも生まれません。「つながり」がないからです。

いつの間にか、こういった社会の風潮に教会も流されているように感じます。人と人との「つながり」が希薄になるということは、わたしたちキリスト信者の神との「つながり」にも影響をおよぼします。もしわたしたちが神との親密さを生きれば、当然、隣人との親密さも生きるようになるはずです。なぜならば、聖霊は「つながり」において働かれるからです。すなわち「つながり」は愛の働きなのです。神との交わりを生きようとするとき、当然、人との交わりはないがしろにはできません。どちらも愛の介在があるからです。

しかし、毎週のように主日のミサに通いながらも、普段の生活では「無関心」、「使い捨て」、「対立の文化」を生きているのであれば、それは主イエスのみ心を生きたことにはならないでしょう。

ですから、わたしたちには『ラウダート・シ』が示すように統合的な回心が必要になります。生活のあり方、生き方のすべてを見直す回心が必要です。

ケアする教会

ここで「ケア」という言葉に思いをはせてください。もともとは「お世話する」という意味ですが、現在、いろいろな分野で使われるようになりました。そして、教皇の文書でもよく使われています。「お世話」、「気づかい」、「配慮」、「他者への寄り添い」、「関わり」などと言い換えることができます。社会科学の分野では、この言葉の翻訳の難しさが指摘されています。そのため日本語に直さずに「ケア」とそのまま使うようになりました。

「ケア」は人と人との「つながり」を表す言葉です。そして、「ケア」する者とされる者という上下関係の意味はありません。むしろ兄弟姉妹として、お世話し、気づかい、配慮し、寄り添うのが「ケア」です。

「ケア」はお互いを大切にし、お互いに耳を傾け、向き合い、対話することを目指します。言い換えれば「ともに歩む」ことです。

教会はケアの場所です。人と人との「つながり」を大切にするからです。誰も排除されず、相手の言葉を聞きとり、違う立場の人と向き合い、対話を重ねていきます。そして、神から造られたものであることを、ともに喜び、感謝します。

ケアする教会の中心には、いつも聖体祭儀、すなわちミサがあります。ご聖体のイエスは、わたしたちのお世話のため、わたしたちに気づかうため、わたしたちに寄り添うために、小さなホスチアの形になってわたしたちのこころに来てくださるからです。ご聖体のあるところには、「ケア」する主ご自身が、いつも共におられます。

いくつかの勧め

『東京教区宣教司牧方針』を実行するために、そして、「つながり」を大切にするために、わたしは東京教区の牧者として、次の四つの点を呼びかけます。

1.ミサを大切にしましょう。
ミサは「ともに祝うキリストの過越の記念」です。近年の個人主義的な生き方が尊ばれる風潮にあっても、教会はともに集うことを大切にします。ミサを通じて神さまと出会い、人と出会うのです。ミサ無しの教会は考えられません。
キリスト信者としての生活にミサ、とりわけ主日のミサを中心に据えることを重要視しないことは考えられません。主日にはできるだけミサに参加してください。できるだけ定期的にミサに参加してください。

御聖体の神秘は、わたしたちの想像をはるかに超えるものです。できるだけ頻繁にミサに参加して、神との「つながり」、隣人との「つながり」を深く味わっていただきたいものです。

残念なことに司祭の高齢化と召命の減少のため、小教区の中には司祭が兼任となるところも増えつつあります。教区としてはできる限りミサが行えるように、小教区司牧以外の使徒職に携わる司祭の応援も得て、ミサが継続できるように努力をして参ります。

2.お互いに受け入れましょう。
ケアする教会では誰も排斥されてはなりません。幼児、子ども、青年、大人、高齢者、障がい者、外国籍の人、社会の中で異質と見なされる存在など。共同体から退けられる可能性は誰にでもあります。大多数にとって異質だと見なされたとき、排除や排斥が正当化されてしまいがちです。異なる存在に目をふさぎ、自分たちだけの都合のよい集いになってはなりません。

教会は、貧しい者のための教会です。低迷するいまの日本の社会にとって、貧しい者とはわたしたち一人ひとりのことをも指しているのかもしれません。教会にある豊かな「つながり」のおかげでわたしたちは貧しくとも、ともに歩んでいけるのです。この豊かな「つながり」に、一人でも多くの人を招き入れましょう。

3.「分かちあい」を目指しましょう。
ケアする教会は、ともに歩む教会です。それは、聞く教会であり、分かち合う教会でもあります。一人ひとりが考えたこと、感じたことを分かち合う時、大きな実りを共同体にもたらすはずです。

少数の人の声に従っていくのではなく、互いに耳を傾け合い、互いの声を聞きながら、多数決での結論を急がずに、ともに祈って聖霊の導きを見いだしながら、共同体のために何かを決定していく姿は教会ならではのものです。それこそが「シノドス的な教会」と言えるでしょう。

4.宣教する教会となりましょう。
「ケア」は人との「つながり」を表します。家庭で、地域で、職場で、わたしたちは隣人との関わりを生きます。十字架上で「自分のいのちをささげるまでにケア」なさったイエスのように生きたとき、人々はそこに神の姿を見いだすのです。わたしたちは「ケア」を通じて、福音宣教をしているのです。自分のために生きるのではなく、惜しみなく隣人に自分自身を与え尽くすような生き方を目指していきましょう。

おわりに

昨年の終わりに、わたしたちの教区に新しい補佐司教が誕生しました。みなさんのお祈りのおかげで、主は、新しい牧者をわたしたちのもとに送ってくださいました。アンドレア・レンボ補佐司教が主から委ねられた牧者の務めを力強く果たすことができるようにと、これからもお祈りください。

菊地大司教とアンドレア補佐司教。11月7日、ローマの福音宣教省にて

東京教区の牧者として着座して6年、多くの方々に支えられて過ごせたことに感謝しています。教区の長い歴史の中に、わたしもつながっていることに感謝しています。またその責務の重大さに、いつもこころを震わせています。しかし、帰天された先輩の司教さま方と司祭の方々が天国から見守ってくださっているおかげで、主から課せられた牧者の務めを果たすことができています。

社会の厳しい現実にみなさんと一緒に向き合い、担い合えるのは大きな喜びです。このように共同で責任を担うことで、将来に向けた歩みを少しずつ進めることが可能になります。これこそがカトリック教会が求めている「ともに歩む」教会の姿です。みなさんと一緒に聖霊がわたしたちの教区に求めている道を祈りの中で識別していきましょう。

アンドレア被選補佐司教 司教叙階式ミサ

青空の下、司教団、司祭団と

2023年12月16日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功大司教の主司式で、アンドレア・レンボ被選補佐司教の司教叙階式ミサが行われた。

この日は2017年12月16日に菊地大司教が東京大司教として着座してから丁度6年目の記念日でもあり、東京教区にとって二つの意味で忘れられない日となった。 叙階式は、日本の現役の全司教16名、名誉司教2名、そして姉妹教会であるミャンマー・バーモー教区のレイモンド・サムラット・ガム司教という司教団、ファブリス・リヴェ教皇庁臨時代理大使、そして教区の内外から100名を超える司祭団という壮大な共同司式で行われた。さらに、小教区や修道会の代表者をはじめとする500名以上の参列者で大聖堂は埋め尽くされた。

説教の中で菊地大司教は「アンドレア司教様、ともに歩むために、そして神の平和を確立するために、率先して愛を告げる牧者となられますように。支配する者ではなく、みなに仕える者として、歩みを共にする牧者でありますように。声なき声に率先して耳を傾け、社会のただ中で、『希望を預言する者、希望をあかしする者、そして希望に仕えるもの』でありますように」と述べ、自身の協力者となるアンドレア被選司教に司教のあり方を説いた。その後、諸聖人の連願に続く、叙階の祈りと司教団の按手によって、アンドレア被選補佐司教は司教に叙階された。

聖体拝領の後、成井大介新潟司教とガクタン・エドガル仙台司教に先導されながら、アンドレア新司教が聖堂内を祝福して回ると、自然発生的に拍手が起こり、それは会場全体へと広がった。待ち望まれた補佐司教誕生の喜びの爆発とも言える拍手だった。 ミサの最後の挨拶でアンドレア補佐司教は「司教と司祭がイエスが教える新しい掟によって結ばれることは、この厳しい世界に向かって、より良い宣教の言葉、行いとなるだろうと確信しています」と述べ、司祭団との連帯の内に司教職を果たしていくという決意を述べた。

第二朗読はアンドレア被選司教の義兄によってイタリア語で朗読された

連願が歌われる中ひれ伏す

福音書が受階者の頭に乗せられ、叙階の祈りが唱えられる

ミトラ(司教帽)の授与

バクルス(司教杖)の授与

叙階式後、祝賀会場を移動するアンドレア司教

在日ウクライナ正教会のポール・コロルーク長司祭。教派を超えて叙階式に出席してくださった

※司教叙階式ミサの様子は関口教会YouTubeチャンネルからご覧になれます。

福音宣教への招き

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭 
小西 広志神父

既に還暦を過ぎたわたしにとって、老いは避けて通れない現実です。いつの間にか、人生の秋を迎えました。『人生の秋に』という珠玉の随筆集を残されたのはイエズス会のヘルマン・ホイヴェルス師でした。それを最初に読んだときは分かりませんでしたが、今は少し実感として分かるようになりました。そう考えると歳を経るというのはありがたいものだと思います。

教会で出会うわたしと同世代の方々には、家族の介護の務めを担っている方々が実に多いです。日常の生活に加えて、家族のお世話をすることは大変だろうなと思います。いつもいつも平常心で関わることはなかなか難しいでしょう。時には恨み辛みがこころの奥底から生まれてくるのも確かだと思います。そして、相手に対してネガティブな感情がわき上がってしまったことに、落ち込んでしまう。そんなこころの動きも体験していると思います。

教会は、こういった家族のお世話に対してあまり関心を払ってこなかったように思うのです。家族はお世話の場です。食事を作ったり、掃除をしたり、洗濯したりなど家事はすべて家族へのお世話です。育児をしたり、子どもたちの面倒を見たり、病人の世話をしたり、弱く老いた両親を助けたりなど、家族は誰かが誰かのために尽くすことで成り立っています。

これまでは家族のお世話は女性の仕事でした。しかし、今は様子が変わってきました。男性が家事を担う場合もあります。男性が介護を行うことは珍しくありません。さらには、家族の中の弱い立場の人のために子どもがお世話をしたり、介護をしたりすることもあります。若年者による家族へのお世話をヤングケアラーと呼ぶのは皆さんもご存知のことだと思います。 

家庭は憩いの場であるはずですが、家族のためにお世話をしなければならない人にとっては、決して憩いの場になるわけではないでしょう。それでも、「ありがとう」という相手の小さな言葉に支えられながら、お世話なり、気づかいなり、介護をするのです。弱い立場にあるひとのために寄り添うのです。 

同年代の方々から、家族のお世話の様子を聞かされるたびに、本当に大変だということを知らされます。それでも、頑張っている姿を見るにつけ、祈ってさしあげたいという思いに駆られます。もちろん、世間知らずの初老の神父が祈ったところで事態が改善するわけはないのですけど。それでも祈らない訳にはいきません。

お世話を生きるのは家族だけではありません。それぞれの労働の現場、仕事の現場でも人はお世話を生きます。年長者が若い人に仕事を教えるのは立派なお世話のわざです。相手の人格を最大限に尊重しながら、ていねいに自分がつちかった仕事のノウハウを伝えるのは並大抵のことではないでしょう。忍耐も必要です。感情のコントロールも必要です。 

かつて、わたしの教会にあるグラウンドで日曜日に活動する少年野球団がありました。子どもたちは白球を追いかけ、練習に励んでいました。しかし、指導者の大人たちの態度にわたしは疑問を感じていました。なぜならいつも子どもたちを罵倒し、叱りつけていたからです。「ここは教会の土地ですから、日曜日の朝から子どもたちを叱りつけたり、どやしつけたりするのはやめてください」と注意しても、聞いてもらえませんでした。そこで、数年前にグラウンドをお貸しするのをやめました。

子どもたちに野球を教えるのも立派なお世話のわざです。なぜもっと優しく、分かりやすく指導できなかったのでしょうか。指導者から叫ばれるたびにバッターボックスで背を丸めて身を縮めている子どもたちがかわいそうでした。 

お世話は支配ではありません。相手を尊重しなければなりません。いわば、相手のために自分というものをいったん宙づりにする必要があるのです。それはとても厳しく、苦しいものです。家族のお世話を生きる人、職場でお世話を生きる人、誰もがけっこう厳しい人生を送っているのではないでしょうか。

ところで「ケアの文化」という言葉があります。カリタスジャパンのホームページをご覧ください。その要点が記されています。誰かのために自分を使ってもらう、そして、相手と向き合い、対話する。そして「ともに」歩む。これが「ケアの文化」と言えるでしょう。ですから、「ケア」は単に「お世話」ではなく、「関わり」、「気づかい」、「寄り添い」などの意味も含まれています。 

家庭でお世話を生きる人も、職場でお世話を生きる人も、相手との関わりや、気づかいや、寄り添いをしているのです。知らず知らずのうちに。ですから、「ケア」を生きているのです。そして、その生きる姿は、十字架のイエスさまにつながります。すべてを無にして愛のために自分自身を十字架にささげたイエスさまに。

もしかしたら、これが現代の福音宣教ではないかと思います。本当に知らず知らずのうちに、わたしたちは福音宣教を生きているのです。「ケア」をしながら。 

これまでの福音宣教への招きは世間知らずの聖職者の戯言(たわごと)のようなものだったのかな?と思ったりもします。厳しい日常生活を生きている兄弟姉妹に対して、「あなたはイエスさまのように生きていますよ。神さまはあなたの人生を祝福してくださいますよ」と声をかけて祝福するのが、わたしたち聖職者の務めなのです。

「ケア」という名の福音宣教が実りますように。

カリタス東京通信 第11回

「カリタス東京ニュース」(LINE版)創刊しました
事務局 田所 功

この度「カリタス東京ニュース」(LINE版)を創刊いたしました。今後定期的に、カリタス東京が関わる愛の奉仕、正義と平和、人権問題、災害対応、環境問題などの情報を発信してまいります。また、「愛の奉仕活動紹介コーナー」として、教区内でカトリックの精神に基づいて愛の奉仕に取組む活動団体や小教区内の活動グループなどの活動の様子を紹介してまいります。これは、教区内活動団体・グループの交流会を開催した際、活動団体の方々からは「活動の様子をもっと広く知ってもらいたい」との希望がありました。また、教会の方々からは「活動団体のことを教えてほしい」「住んでいる近くにある団体に協力したい」などの要望があったからです。

2024年1月号が創刊号となり、すでにカリタス東京の公式LINEアカウントとホームページで読むことができます。1月号では、行事予定のお知らせや、「愛の奉仕活動紹介コーナー」では徳田教会の活動グループ「ぶどうの木とくでん」と高円寺教会の「高円寺子ども食堂」を載せています。

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カリタス東京ニュースに関するお問合せは、
カリタス東京事務局
電話:03-6420-0606
メール:info@caritastokyo.jp

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アンドレア・レンボ補佐司教ロングインタビュー

一緒に果たすべきことは、互いに愛し合うことです

12月16日に司教叙階を受けたアンドレア・レンボ補佐司教。東京教区ニュースでは、そんなアンドレア司教に緊急ロングインタビューを敢行。子ども時代から神学生時代の思い出、司教任命を告げられた時の本心まで赤裸々に語っていただいた。このインタビューを読んでアンドレア司教の人となりに触れていただければ幸いである。

司教正装のアンドレア司教

「アンドレア」と呼んでください!

初めに、司教様のことはなんとお呼びすればいいですか?
アンドレア 是非「アンドレア」と呼んでください。「レンボ」と呼ばれてもピンとこないことが多いです……。

出身地について教えてください。
アンドレア ロンバルディア州のトレヴィーリオ(Treviglio)という街です。ベルガモの近くの街なのですがミラノ教区に属しています。しかし、ミラノ教区はミラノ典礼でミサを捧げていますが、トレヴィーリオでは通常のローマ典礼を用いていました。
※ミラノ典礼:4世紀のミラノ司教聖アンブロジウスにちなんで「アンブロジウス典礼」とも呼ばれる。

トレヴィーリオはどんな街ですか?
アンドレア 田舎なのですが、ベルガモ、ブレシア、ミラノという三つの大きな街の間にあるので、昔から貿易で栄えてきました。主な産業は農業と貿易です。3世紀頃の教会も残っています。

ご家族は?
アンドレア 父、母、姉、わたしの4人家族です。

どんな子ども時代でしたか?
アンドレア 父が保険会社の経営者で、街の中心部ではなく自然が多い郊外に家がありました。まるで「野生動物」のように自然の中で楽しく遊んでいました。そのせいでしょうか、小学校は厳しいシステムの学校に通わされることになり、あまり自由がありませんでした。中学高校はサレジオ会の学校に通いましたが、ドンボスコの精神に従って、生徒一人ひとりの心に合わせてくれる学校でした。ドンボスコのような先生が大勢いる学校でした。高校卒業後は、父の会社を継ぐために大学の法学部に通いながら、父の会社で働いていました。

宣教師になりたくて

司祭になりたいと思ったきっかけは?
アンドレア 通っていた教会の主任司祭、アンジェロ神父様の影響が大きいです。子どもや青年を大切にしてくださる方で、子どもの頃は夏のキャンプに一週間、成人してからは貧しい地域で奉仕活動をするために、夏に毎年1ヶ月くらい、エジプト、ヨルダン、イスラエルのような非キリスト教国に連れて行ってくれました。初めは「司祭になりたい」というよりも「アンジェロ神父様のような人になりたい」という感覚でしたが、非キリスト教国に連れて行ってもらった経験から、「キリスト教を知らない国に行って宣教師になりたい」と思うようになりました。

そこで、中高とお世話になったサレジオ会に「宣教司祭になりたい」と相談に行ったところ、「宣教師になるのはいいと思う。でも、あなたはいつも自由に思い通り動いている人だから、サレジオ会ではなくもっと『ゆるい』会が向いていると思う」と言われ、ミラノ会を紹介されました。

1年半くらい、月に2、3回、ショートステイという形でミラノ会の養成の家に泊まりに行く生活を続け、1995年の9月にミラノ会の神学校に入学しました。

ご両親には反対されなかったのですか? 会社を継いでほしかったのでは?
アンドレア 父はいつも「自分のやりたいことをやってください」と言う人で、後を継ぐように言われたことは一度もありませんでした。父はいつもお客さんに心を合わせる優しく寛容な人で、父の後を継ぎたいという思いももちろんありました。司祭になることは反対されませんでしたが、宣教師になって外国に行くことは心配されました。ちなみに、わたしが「ミラノ会に入ります」と両親に告げたのは入学の一週間前でした……。

ミラノ会には、神学生だけでなく家族も一緒に養成するという特徴があります。家族は神学校を訪問することもできます。このシステムのおかげで、家族もミラノ会について理解することができて安心してくれたようです。

神様に信頼を寄せること

神学生時代の思い出は?
アンドレア 家族から離れて生活するのは初めてでした。いきなり4人暮らしから40人での生活になり、慣れるまで時間がかかりましたが、慣れてからはとても楽しかったです。最初の2年間はミラノ、次の1年半はアメリカ、そしてフィリピンで4年間を過ごしました。フィリピンではマニラ近くのタガイタイという街で、ミラノ会の神学院で生活しながら、神言会の神学校に通って勉強するという生活でした。教義学の先生は現在ローマで福音宣教省の副長官を務めているアントニオ・タグレ枢機卿(当時は司祭)でした。

フィリピンでの生活は人生の節目でした。金土日は教会ではなく、スラムにある貧しい家庭に泊まって一緒に過ごすというシステムでした。同じホストファミリーに4年間通い続けるのです。最初の頃はわたしにとってはハードルが高い体験でしたが、半年ほどすると慣れてきました。

フィリピンの人々は深い信仰と信心を持っています。わたしが通っていたスラムは、大雨が降れば腰まで水があふれ、台風が来れば家が壊れるような地域です。それでも人々は笑顔を絶やさず、神様に信頼を寄せていました。これは性格ではなく信仰によるものだと思います。イタリアでは月から金まで学校に行き、土日に教会に行くのが「流れ」になっていました。しかしフィリピンで、祈りは本当に神様とのやりとりであり、神様に助けを求めることなのだと気づきました。自分にとって信仰も日常生活も変えられる経験でした。

その後、司教になって1年目のタグレ司教(当時)から助祭叙階を受け、フィリピンで1年間助祭奉仕をした後、2004年3月にイタリアに戻り、6月に司祭叙階を受けました。

司祭叙階の後は?
アンドレア 総長から「4年間フィリピンにいたのだから、3~4年はミラノ教区のため、そしてミラノ会の召命のために働くように」と言われました。同時に、ミラノ教区の司祭生涯養成プログラムに加わり、週に1回の学びがありました。教区司祭が25~6名、ミラノ会の司祭が3名のプログラムでしたが、教区司祭との間に人生と信仰の価値観の差を感じました。当時のイタリア、特にミラノの教会は典礼と理屈、そして伝統を重んじ、教会の外にいる人を大切にしていないようにわたしには感じられたのです。もちろん典礼は大切ですが、大切にし過ぎてもおかしくなります。典礼は立派でも人間的には貧しいということもありえますから。もちろん、友人になった教区司祭もいますし、教区司祭と一緒に学び合うのは貴重な体験でした。

そして、日本へ

日本に来ることになったきっかけは?
アンドレア 2008年9月に「来年、あなたを外国に派遣します」と言われ、2009年の1月になって派遣先の希望を聞かれました。フィリピンでアジアの雰囲気を味わっていたので、できればアジアに行きたいと思っていました。アジアであればタイ、香港、日本の選択肢があったのですが、総長に任せたところ、日本に派遣されることになりました。

それ以前に日本に来たことはありましたか?
アンドレア ありませんでした。日本の歴史を勉強したこともなく、アニメや漫画で知っている程度でした。

日本の第一印象は?
アンドレア 成田空港に降りた瞬間、とても静かで、警察官もお辞儀をしてくれるほど、皆が親切だったことを覚えています。次の日に朝の電車に乗り、ラッシュアワーの混雑に驚きました。それでも誰も大声を出さずに静かにしていることにはもっと驚きました。イタリアの電車では皆大声で話していますから。しかしそれも楽しい体験でした。

日本での生活にはすぐ慣れましたが、日本語の勉強は辛かったです(今も辛いです)。しかし、今まで出会った日本人は皆親切で、失礼な態度をとられたことは一度もありません。日本人は意見がぶつかる時でも失礼な態度をとりません。イタリア人は、皆同時に話すので会話が喧嘩のように聞こえます。わたしはもう日本式じゃないと無理です……。

好きな日本食は?
アンドレア フィリピンで何でも食べられるようになったので、好き嫌いはないですが、今の時期に食べるしゃぶしゃぶやすき焼きは美味しいですね。

食事は基本的に自炊とのことですがよく作るイタリア料理は?
アンドレア 野菜が好きなのでミネストローネのような野菜スープをよく作ります。たまにスパゲッティ、お肉ならラムが好きですね。

ご趣味は?
アンドレア 神道に興味があるので、どこに出かけてもその土地の神社に行くようにしています。神道の神話は出エジプト記以前の旧約聖書の記述によく似ています。そして温泉「依存症」です。基本的にはどこに行っても楽しめるタイプです。

周りの喜びを感じながら

司教に任命された時のお気持ちは?
アンドレア 「どうしてわたしなのですか」と思いました。自分は日本での経験も浅く、日本語もまだまだ足りないし、司教になるのはもっと成長している人間でなければならないと思いました。今年の11月にイタリアで宣誓を立てた時、タグレ枢機卿と久しぶりに話す機会があり、自分の不安を伝えたところ、枢機卿は「一つ聞きたい。周りの人の反応は?」と言いました。わたしは「喜びの爆発でした」と答えました。実際、司教任命が発表されて2時間、わたしの携帯電話は爆発しそうでした。日本でもイタリアでも、会う人皆が喜んでくれました。するとタグレ枢機卿は「それが聖霊の印じゃないですか。安心してください。喜んでください」と声をかけてくださいました。まだまだ不安ですが、周りの方々の喜びを感じているから、神様に委ねていけると信じています。

最後に読者にメッセージをお願いします。
アンドレア 「わたしがあなたがたを愛したように」というモットーのように、この厳しい環境の中で、キリスト教徒の我々が一緒に果たすべきことは、互いに愛し合うことです。司祭と信徒が一緒になって、社会に証ししていきましょう!

アンドレア司教紋章

モットー 「わたしがあなたがたを愛したように」(ヨハネ 13:34)

紋章の説明

「愛」この世では、神の愛がイエスを通して金のように輝きます。
「赤」この愛は、聖霊の働きによって炎のように燃え続け、世界を聖化し、すべての民を御父のもとに引き寄せます。
「青:海と空」マリアを中心とした使徒たちを基礎とする教会は、福音を告げ知らせるために海を渡る船のようなものです。同時にそれは天上のエルサレムの反映でもあります。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第274号

大司教様とベトナム人信者のミサ

近年、日本社会でも、教会でもベトナムの人々の存在感が増していることは、皆様も感じられていると思います。とはいえ、教会がすぐに現状に対応することは難しく、東京教区においては、ベトナム人司祭やベトナム語ができる司祭が、それぞれ任命された別の職務を持ちながら、自主的にベトナム人信者の司牧にあたっており、また、いくつかの小教区が場所の提供などで協力しています。しかし、たとえ正式の任命がなくても、実際に司牧にたずさわっている司祭たちが、互いに協力し、また教区との連携を保つ目的で、昨年からベトナム人司祭たち、そしてCTICから私も入れていただいた会合を数か月に一度持つようになりました。

その会合の中で、ベトナムの若者たちと菊地大司教様が共に捧げるミサを、という希望が出され、数か月の準備を経て12月3日にカテドラルで実現の運びとなりました。ベトナム人司祭たちは若者たちに関わる予定をよく把握しており、その日は、多くのベトナム人の若者が受験する日本語検定の日に当たっていることにすぐに気づき、少しでも参加しやすいようにと、教区の行事としては異例の17時からの開式となりました。ミサは、直前の11月24日に記念日(ベトナムの教会では祭日)があったばかりのベトナムの殉教者たち、聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者のミサとして捧げられ、麹町、調布、習志野の各教会に集まるベトナム人の若者たちと、それぞれの場で司牧に携わっている司祭が準備しました。大司教様の司式ですので、ミサの言葉は日本語で、その他の聖書朗読、聖歌、主の祈りなどはベトナム語で行われました。700人余りの参加者による力強い聖歌や祈りがカテドラルに響きました。

大司教様は説教の中で、神様に創造された人間は、いのちの尊厳を守り、互いに助け合うために生きている。しかし、世界ではその反対のことが起こっている。殉教者は自らの十字架の死によって、逆説的にいのちの尊厳をあかししたが、わたしたちも勇気をもって福音宣教者として生きることができるようにと、祈りを呼びかけられました。

ミサ後には青年たちからの質問に大司教様が答える時間があり、その中で教区のベトナム人司牧の方針に関する質問も出され、大司教様はまずは司牧者間の連携の促進を図ると述べられました。最後は大司教様と若者たちの記念撮影大会となり、大司教様はかなり長時間にわたってそれぞれの参加者との撮影に応じてくださっていました。

ミサを準備した司牧者の一人であるゴ・クァン・ディン神父様(東京教区・習志野教会主任司祭)は、「今回のミサは、大司教様とベトナム人の青年たちが直接交流でき、大司教様が司牧の方針を語られるきっかけともなり、また司牧者たち同志や、司牧者と大司教様とのつながりを確認することができた点で、目的を達したと言えると思います。関口教会の天本神父様をはじめ、協力してくださった現地の方々に感謝します。」とコメントを寄せてくださいました。

CTIC所長 高木健次

カリタスの家だより 連載 第159回

秋合宿のおもいで
カリタス翼 職員 山嵜 美佳

放課後デイサービスカリタス翼は、何らかの発達上の課題を持つ小学生から高校生のお子さんが放課後や長期休暇に利用する施設で、本郷教会の信徒会館4階で運営されています。10月21日(土)、22(日)の2日間で河口湖にある富士緑の休暇村に行ってきました。カリタス翼としては3年ぶりの合宿!子どもたち、職員、ボランティアさん合わせて22名が参加しました。

1日目の朝、お見送りに来てくださった保護者の皆さんに元気に「行ってきます!」と手を振り、河口湖に向かう高速バスに乗り込みます。車内ではDVDを観たり、窓の外を眺めたり、先生たちとお手紙交換をしたり、それぞれ楽しく過ごしました。

行楽シーズン真っ只中のこの日、大渋滞のため2時間の乗車予定が、なんと倍の4時間に!急遽予定を変更し、車内でお弁当を食べました。河口湖に到着したら、バスを乗り換えて宿泊先へ向かいます。荷物を置いたらすぐにハイキングに出発!2日目の製作のために落ち葉やお花を探しながら歩きました。自分の背丈よりも大きなススキやたくさんのイガグリなど、はじめて見るものにみんな興味津々。見つけたものをお友だちや先生たちにプレゼントしてくれる素敵な姿も見ることができました。ハイキングから帰ったら、お楽しみの飯ごう炊飯の時間です。班のみんなで協力しながら調理をすすめました。まずは火の準備。風が強く、風下の班は「目が痛いよ~!」と言いながらも、おいしいカレーを楽しみに、一生懸命うちわであおぎました。次に調理です。カレーの下準備は普段の調理活動の成果でしょうか、慣れた手つきで、役割分担をしながら材料を切っていきます。お鍋を火にかけたら、あとは煮えるのを待つだけ!河口湖の夜はとっても寒く、おしくらまんじゅうをしたり、火のそばでおしゃべりをしたり、みんなで暖を取りながら過ごしました。寒くて震える私に「あったかいからここおいでよ」と優しく声をかけてくれ、心まであたたかくなりました。やっとの思いでカレーが完成!あまりのおいしさにみんなのおかわりが止まらず、あっという間にお鍋が空っぽになりました。

2日目の朝はハイキングで拾った葉っぱやお花を使ったはがき作り。材料がたくさんで選ぶのが大変でしたが、みんな思い出いっぱいのはがきを作ることができました。はがき作りの後は最後のプログラム、山梨名物ほうとう作りです。お顔を真っ白にしながら生地をこねてめん棒で伸ばし、同じ太さになるように気をつけながら大きな麺切包丁で麺を切りだしました。他の班に「おかわりありますか?」とおねだりするほどおいしいほうとうでした。楽しい時間はあっという間。富士山に別れを告げ、バスに乗り込みます。帰りのバスではみんなすやすや夢の中。目が覚めるころには東京に到着し、修了証を受け取ってカリタス翼の秋合宿はおしまいです。

福島の地からカリタス南相馬 第28回

一般社団法人カリタス南相馬代表理事
東京教区名誉補佐司教 幸田和生

見さ来ぅ南相馬!

「見さ来ぅ南相馬!」というのは、2014年のカリタス南相馬のキャッチフレーズです。「みさこぅ」と読みますが、浜通りの言葉で「見においで」という意味です。

カリタス南相馬の前身であるカリタス原町ベースは、全国から東日本大震災被災地に来るボランティアの方々に宿と食事を提供するために始まりました。その後、ボランティアだけでなく、特に原発事故の被災地の現状を知りたいという方々も受け入れて、その方々の案内をするのも、わたしたちの重要なミッションと考えるようになりました。

しかしこの3年間、新型コロナウイルス感染症の流行によってカリタス南相馬では宿泊者の受け入れをすることがほとんどできませんでした。2023年の夏は大幅に制限を緩和することができて、多くの人、特に高校生や大学生のグループを受け入れることができました。そこで、2024年は、以前カリタス南相馬に来られた方で、久しぶりに福島に行ってみようかという方、またボランティア活動をしてみようという方、さらにまだ行ったことはないけれど福島県浜通りのことを見たい・知りたいという方を大いに歓迎したいと考えています。

福島の原発事故は過去のことではありません。今も福島第一原発には大量のデブリが残ったままで、その処理や廃炉の目処は立っていません。一方で周辺地域の状況は年とともに変わってきています。ALPS処理水の海洋放出の問題、除染によって出た除去土壌の再利用の問題は決して福島だけの問題ではありません。政府が原発の再稼働や増設・新設に向けて動き始めた今だからこそ、原発事故の影響が今もどのように続いているか、あの震災と事故から学ぶべきことは何なのか、自分の目で見て考えることが大切だと感じています。

来てくださった方々には、震災からの復興状況や原発事故の現在だけでなく、福島県浜通りの四季の風景、この地ならではのイベントや美味しいものなども紹介していきたいと考えています。

「ミサコゥ」という言葉は、カトリック信者にとっては「ミサに来てね」と聞こえるかもしれません。そう受け取ってくださっても良いのです。この地でミサにあずかり、この地で祈ることに大きな意味があると感じています。「巡礼のつもりでここに来ました」と言われる方も少なくありません。福島は自然との関係やわたしたちの生活を見つめ直す回心の地でもあると言えます。

東京駅から南相馬市原ノ町駅まで、常磐線特急で約三時間半。どうぞ皆さま、「見さ来ぅ南相馬」、南相馬を見に来てください!

編集後記

新しい年には新しい何かを期待するものだ
新しい生活、新しい関係、新しい出会い

でも、それはもう訪れているのかもしれない
今まで気づかなかっただけなのかもしれない

ずっと目の前にあった宝が宝であると気づいた時
それはやはり新しい一歩なのだ

新しい年、皆様の日々の生活の中に
そんな出会いがありますように

父である神の祝福のうちに(Y)