東京教区ニュース第393号

2022年06月08日

「シノドスへの歩み 10の設問」について

教区シノドス担当者 
瀬田教会主任司祭
小西広志神父

世界代表司教会議(シノドス) 第16回通常総会は「ともに歩む[=シノドス的]教会のため—交わり、参加、そして宣教」のテーマのもとに昨年、2021年10月より始まりました。今回のシノドスはいくつかの段階を経て準備され、来年の11月に本会議へと歩みを進めます。現時点では各教区のフェーズ(段階)となっています。

各教区はシノドス事務局から提示された基本的な質問と、それに基づく10の設問に取り組むようにと勧められています。

シノドス事務局からの「準備文書」には「この基本的な質問がどのような経験を思い起こさせるか、自問すること。これらの経験をより深く読み直してみること。…霊はわたしたちに何を求めているか。…どのような道が開かれているか」とあります。ですから、基本的な質問とそれに続く10の設問が求めているのは、これまでの歩みのふり返りであり、今の歩みの様子であり、将来どのような歩みをするかの展望なのです。そうしますと、基本的な質問と10の設問は観想的な次元で読み、味わい、内省し、そして回答していかなければなりません。

多くの方々はこの点を誤解しているようです。これらの質問や設問はアンケート調査ではありません。回答することは、勝手な自分たちの思い込みを発表することとも違います。そして、個人で質問や設問と向かい合うのではなく、3人以上の共同体の中でそこにおられる主イエス・キリストに信頼して、聖霊の息吹の中でなされるべきです。

今回のシノドスへの歩みを

1 教会の民主化とみなす。
2 現行の位階制の打破のきっかけとする。
3 教会批判の先駆けとする

といった態度で理解するのは、はなはだしい誤解だと言えるでしょう。

ですから、設問への回答の締め切りは6月5日とはなっていますが、その期日にこだわらずに、教会のあり方、信仰の共同体(小教区共同体と信者が集う小共同体)のあり方を問い直すよい機会として、これらの質問と設問をたびたびとりあげていただきたいと思います。

すでに東京教区のシノドスチーム(菊地大司教以下5名)はこの設問についての分析と解題を実施し、分かち合いをおこないました。ほかには見られない話し合いとなりました。

実際にはこの基本的な質問と10の設問は大変難しいものですので、それぞれに説明が必要になります。背景にあるのは何か、問われていることがらは何かを明らかにする必要があるでしょう。すべての設問に答えることはできませんので、それぞれの共同体にとって必要とされていることがらについて設問を選び出して回答を試みることが求められます。

東京教区内の信仰の共同体で設問への取り組みができるような、より簡素化した設問集のようなものを用意する予定です。


※小西神父によるシノドス解説動画シリーズ「シノドスへの歩み」(毎週更新)はこちらからご視聴ください。

ともに祈るロザリオの一時

菊地大司教による招きのことば

東京教区広報では、昨年の5月、10月と、ロザリオの祈りの一助としていただくため、栄えの神秘一環の動画を作成してYoutubeチャンネルで公開している。

動画は毎回少しずつ構成を変えているが、今回は、菊地大司教による招きのことばに続いて、5つの共同体・グループの方々に1連ずつロザリオの祈りを捧げていただいた。ご協力くださった方々は以下の通り。

第一連 フランシスコ会聖アントニオ修道院 兄弟の皆様
第二連 カトリック東京大司教区 神学生一同
第三連 師イエズス修道女会関口修道院 姉妹の皆様
第四連 稲川保明神父 柴田弘之神父 浦野雄二神父
第五連 聖体奉仕会 姉妹の皆様

聖母月である5月が終わっても、動画は引き続き公開している。ロザリオは5月と10月だけのための祈りではない。日々の祈りにお役立ていただければ幸いである。 菊地大司教による招きのことば

第一連:フランシスコ会聖アントニオ修道院兄弟の皆様。

第五連:聖体奉仕会姉妹の皆様。鳥のさえずりとともに。

※「ともに祈るロザリオの一時」はこちらから視聴できます。

東京大司教区司祭人事(第5次)について

東京教区では、2022年度の司祭の人事異動(第5次)を以下のように決定しましたので、お知らせします。

大司教
菊地 功

5月25日付

任地 名前 現任地
主任司祭を解任 ラニエル ベルドス師
(スカラブリニ宣教会)
潮見教会
潮見教会小教区管理者(兼任) レオ シューマカ師 築地教会主任

追記:ラニエル ベルドス師は、スカラブリニ宣教会からの要請により解任とする。

カリタス東京常任委員と中央協議会社会司教委員会系教区担当者について

東京教区の皆様                         

☨主の平和

本日5/24(火)午後、カリタス東京常任委員会が開催され、常任委員と中央協議会社会司教委員会系教区担当者が集まりました。以下の方々が任命されましたので、お知らせします。

事務局長
浦野 雄二

常任委員長
天本昭好神父(司教代理<社会司牧再編担当>)
常任委員
Sr.石川治子(聖心侍女修道会)
Sr.弘田鎮枝(ベリス・メルセス宣教修道女会)
高木健次神父(CTIC所長)
アントニオ カマチョ神父(目黒教会主任)
猪俣勲(目黒教会信徒)
稲川保明神父(司教総代理の役職により)
浦野雄二神父(教区本部事務局長の役職により)
門間直輝神父(教区本部法人事務部長の役職により)
田所功(カリタス東京事務長の役職により)
 
中央協議会社会司教委員会系教区担当者
日本カトリック正義と平和協議会 斉木登茂子(徳田教会信徒)
カリタスジャパン 小池四郎(関口教会信徒)
難民移住移動者委員会 高木健次神父(CTIC所長)
部落差別人権委員会 枝松緑(潮見教会信徒)

※東京同宗連は6月からカリタス東京事務局が窓口となり担当者を派遣します。

福島の地からカリタス南相馬 第12回

カリタス南相馬代表理事・名誉司教 幸田和生
3月の福島県沖地震に関して

今年3月16日午後11時36分、福島県沖を震源とするマグニチュード7・4の地震がありました。南相馬市などで震度6強を観測し、南相馬市鹿島区、相馬市、新地町では停電・断水の他、住宅や道路にも大きな被害がもたらされました。地震の揺れは11年前の東日本大震災の時より大きかったという方も少なくありません。

カリタス南相馬では、断水した地域の方々に水を届けることから始まり、3月18日に始まった南相馬市社協の災害ボランティアセンターの運営の手伝いもさせていただきました。新型コロナ感染予防のため、ボランティアは福島県内の人に限るとされていました。しかし今回の地震では屋根が傷んで雨漏りが心配される家が多く、専門業者に修理を依頼しても何ヶ月も待たなければならない状態のため、高所作業の特別な技術を持ったボランティアによる応急修理が必要とされていました。そこで屋根に限っては県外からのボランティアも受け入れることになりました。

3月20日に愛知県から来られたFさんは東日本大震災の後、福島県浜通りで支援活動されていたこともあり、今回の地震にも心を寄せられ、5月5日までの長期にわたって活動を継続されました。Fさんは全国各地の災害現場で知り合ったボランティアに呼びかけてチームを作り、屋根の応急修繕にあたられました。2019年の千葉県での台風災害でのボランティア活動に参加された方も多く、首都圏からも多くのボランティアが参加されました。カリタスではこの方々に宿泊の場と食事を提供させていただきました。コロナ禍の2年間、まったくボランティアを受け入れることができませんでしたが、コロナ前のようなカリタス南相馬の姿が戻ってきました。災害は辛いことですが、このボランティアの方々との出会いは、被災された方々にとっても、カリタス南相馬にとっても恵みの体験ともなりました。

今回も支援物資や支援金をお送りくださった皆様に心から御礼申し上げます。また今後とも今回の地震で被災された方々のための支援活動は続きますので、皆様のお祈りをお願いいたします。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第258号

健康保険は必要ですか?
大迫こずえ

外国人の若い人たちから「私、病気しないので、健康保険を止めることはできますか?」という質問を受けることが度々あります。若くて元気な人たちが、使うことのない小さなカードのために、毎月安くはない額を給与から天引きされたり、区役所から送られてくる納付書を持ってコンビニに行ったりすることを何とか無くせないかと思ったとしても不思議ではないでしょう。

「滞納した健康保険料について、督促を受けています。払わなければなりませんか」という相談を受けました。入国管理局から「週28時間」(夏休み、冬休みなど、学校が公式に定めている長期休暇期間中は週40時間)を超えて働くことを厳しく禁じられている「留学生」だった時、彼はそのルールを守りながら学費と生活費をすべて自力で賄っていました。風邪でアルバイトを休み、支払いが困難になったことをきっかけに、その後就職するまで保険料の支払いを怠ったということです。これまで一度も使ったことのない健康保険。そう遠くない時期に帰国することを検討しているので、今後も使うことがないかもしれない健康保険。現在の保険料だけでも負担なのに、かつての滞納分、さらには延滞金まで請求され、驚き、「支払わなければならないのだろうか」と悩んでいたのです。

日本の健康保険制度は「皆保険制度」であること、「皆保険制度」とは、全ての人が公的医療保険に加入し、全員が保険料を支払うことでお互いの負担を軽くする助け合いの制度であること、そのおかげで体が弱かったり、慢性的に治療が必要な人や通院回数が多い人でも医療費全額を支払わなくて済むこと、入院や手術、医療費が高額になる場合にも、一定の条件の元に定められた負担割合の支払いで医療を受けられること、さらに様々な医療助成が受けられることなど、病気がちだったり、透析治療を受けていたりする共通の知人のことを思い出しながら時間をかけて話し合い、一緒に返済計画を立てました。

この10年、アジア出身の若い世代の留学生、技能実習生が急増し、かつてのフィリピン、ペルー、ブラジルなどの労働者にとって代わっています。在留資格を持って滞在する外国人の29%が18歳~28歳の若者です。「2019年の新宿区の新成人の2人に1人は外国人」と報道されたことも記憶に新しいところです。彼らの中には祖国での社会経験が浅く、「日本に来て初めて働く」という人も少なくありません。祖国の社会制度もよく知らないままに来日し、日本社会の、自国にない多くの複雑な制度の中に身を置き、格闘しているのです。

外国人が急増した90年代後半から、特別な窓口を設け、弁護士など専門家を交えての「外国人相談」が各地で行われてきました。しかし在留の目的も、年齢も、国籍も変化している今、若い彼らが日本社会の中で「無事に」生きて行くためには、専門窓口における専門家による「外国人相談」よりも、日常生活について、また、身近な手続きや制度について、気軽に尋ねることのできる「安心できる場」と「信頼できる人間関係」がより重要なのではないかと感じています。更に親元を離れて暮らす若い人たちに対して、「保険料の未払い分を払うべきか、払わなくてもいいのか」の答えだけではなく、社会や社会制度にどう向き合わなければならないのかを、身をもって示すことが求められているのではないでしょうか。カトリック教会だからこそできる、そして行わなければならない外国人支援の姿を、彼らと共に日々模索し続けて行きたいものです。

カリタスの家だより 連載 第143回

「神のはからいは限りなく」
引地路子

愛されている子どもらしく 
神に倣うものとなって
愛をもって愛のうちに 歩んでいこう
キリストは あなたのため
キリストは わたしのため
愛をもってご自身を 捧げになった 
闇から 光へ 今は主にあって 

照らされて生きる 光の子 カリタス翼の子どもたちを想うとき、いつも私の心に流れるメロディーです。カリタス翼は発達に何らかの課題を抱える小中高生が放課後と長期の休みに利用する施設(放課後等デイサービス)で、本郷教会の信徒会館4階をお借りして運営をしています。在籍する子どもたちは約30名で、スタッフは職員、ボランティアや実習の学生と多岐にわたります。

初めてカリタス翼にいらした方の多くは「障がいのある子どもとの関わりは初めてです」と話されます。けれどもひと言で障がいといっても、ひとりとして同じ人がいないように、ひとりとして同じ障がいを持つ人はいないことを、関わるものはみな学んでいきます。

子どもたちの多くは高校を卒業する18歳でカリタス翼から巣立っていきます。10年以上通われるお子さんもおり、その成長を見守らせてもらえることには大きな喜びと励ましがあります。

子どもたちはいつもオープンであり、純粋で、真剣です。私はそのまっすぐな眼差しのなかに神様の存在を確信します。なんと幸せな仕事なのかしらと思います。「幼な子を遠ざけてはならない」と仰ったイエス様のみ言葉が真理であり、また神様がどれほど私達ひとり一人を慈しみ憐れんでくださっているのかを、子どもたちとの関わりを通じていつでも実感します。

一方でまたスタッフのひとりとして、常に自戒を込めて毒麦のたとえ話を思い出します。神様を愛し人を愛すること、私を新しい人にしてくださいと祈ること、変化を生み出し変容を生きること、それらはなんと難しいことなのかしらと途方に暮れることもしばしばです。神様に委ねることに尽きるとは思うのですが、エゴとの識別が困難だからです。

ところで子どもたちの姿からいつも学ばせてもらうことのひとつに、人は物理的・人的環境にその存在を受け入れられているという安心や安全の感覚を礎にして初めて、周囲への信頼感が育まれ、経験が意味を持ち、達成感や自己効力感に繋がっていくということがあります。例えば、感覚の過敏さや体幹の弱さゆえにバランスボールの上に立ってジャンプするのが苦手な子どもが、運動療育の場で楽しそうにそれをする他児を眺め、自分の順番になった時に、果たして手を伸ばしてきたスタッフの、その腕の支えを信頼して挑戦するか否かを逡巡し、非常に慎重にその一歩を踏み出す時、またバランスボールの上に立って恐る恐るジャンプし、徐々にその高さと揺れといった未知の世界を経験し笑顔になる時…そのようなささやかな体験を共にする瞬間に煌めきを感じます。

2022年度は約10名の新しい子どもたちが利用を開始し、さらにワクワクしています。日々成長する子どもたちと共に、スタッフも組織も開かれた存在でありたいと思います。イエス様のみ心の限りない愛に、いつでも喜んで応えられるよう、マリア様のお取次ぎを願っております。どうか引き続き神父様、シスター方はじめ教会共同体の皆さまのお祈りとお導きを賜りたく存じます。

ポーランドにおけるウクライナ避難民支援の現状

ウクライナの隣国から

日本に住んでいるわたしたちの耳にも、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが届かない日はない。しかし、ウクライナやその隣国で生活している人々の生の声を聞いたことがある方は少ないのではないだろうか。 東京教区ニュースでは、ウクライナの隣国であるポーランド南部の都市ビトムの「シレジア州立歌劇場」でバレエダンサーとして活躍し、カトリック信者でもある牛坂久良々さんにZOOMによるインタビューを行い、現地の状況を聞かせていただいた。

ポーランド、ウクライナ両国の国旗が掲げられている、ポーランド最古の都市ポズナンの劇場。この劇場は紛争のため帰国できなくなったウクライナ人ダンサーを受け入れているという。

──最初にウクライナ紛争を身近に感じたのはいつですか。
牛坂 ウクライナ侵攻が始まってすぐ、チェコ国境付近の街であるカトヴィツェを訪れた時のことです。カトヴィツェ駅の外にテントが立てられていて、ウクライナ語で「ウクライナから来た人の支援をしますよ」と書かれていました。突如、生活の中にウクライナ語が出現しました。その後も3月以降、ロシア語など、ポーランド語ではない言葉を耳にする機会が増えました。ウクライナにはロシア語話者も多いので、ロシア語を話しているのもウクライナから逃れてきた人たちなのだと思います。そのような人は主に女性です。特に子ども連れのお母さんやお婆さんが多いです。

また、普段はツアー中でもコーヒーを飲みに街に出かけるくらいはできるのですが、ウクライナ国境近くのプシェミシルという街を訪れた時は、「(危ないから)ここでは出歩かないように」と言われました。

──ご自身がウクライナ支援に関わった体験があれば教えてください。
牛坂  丁度この頃、わたしはポーランド初のツアーカンパニーでチャイコフスキーの「白鳥の湖」の主役を頂き、ポーランド中を回っていました。プシェミシルを訪れた時のことです。そこには多くのウクライナ人が避難していました。プシェミシルでは最初から公演の予定があったのですが、急遽その公演はチャリティとして行われることになりました。同じくウクライナ国境近くのトマシュフという街では、新たにチャリティ公演を追加し、ウクライナ避難民の方々をお招きしました。

チャリティ公演に先だって、監督からダンサーとスタッフ全員に話がありました。「我々の中にはダンサーにもスタッフにもウクライナ人がいます。わたしはチャリティ公演をしたいが皆はどう思いますか」と(わたしたちは多国籍の集団で、ポーランド人は3割くらいでした)。もちろん、皆が賛成しました。

──カトリック教会による支援活動を目にしたことはありますか。
牛坂 ポーランドではカトリックはとても大きな宗教なので、様々な支援を行っているようです。クラクフでボランティア活動をしている友人の手伝いに行ったことがあるのですが、そこには様々な団体が活動していて、カリタスもシェルターや炊き出しをしていました。

クラクフ大司教区のカリタスによるウクライナ支援ブース。

──ポーランドの人々はこの状況をどのように捉えているようですか。
牛坂 ポーランドは、長い間国土の一部をロシアに奪われていたという歴史もあって、今回の侵攻以前から、ほとんどの人がウクライナに同情的でした。危機が迫っているという感じはありますが、それでも「ウクライナの人々を助けるのは当たり前」という感覚があります。

食料品や生活雑貨等の支援物資。

ウクライナ避難民のためのシェルター

カトリック美術展とカトリック美術協会

5月20日から5月25日までの6日間、有楽町マリオン11階の朝日ギャラリーにて「第66回カトリック美術展」が開催された。昨年、一昨年はコロナ禍によって中止されていたため、3年ぶりの開催となった。

開場には、油彩画をはじめ、水彩画、フレスコ画、刺繍、写真、木彫、モザイク、ステンドグラスや陶芸など、45点に及ぶ多彩な作品が展示された。聖母子や天使、聖書の場面といった宗教画が中心ではあるものの、風景画や静物画などジャンルも様々。どの作品も、司祭、修道者、信徒の手による信仰の賜物である。

同展を主催するカトリック美術協会は、1930年、ヘルマン・ホイヴェルス神父(イエズス会)の指導の下、「カトリック信仰生活の造形的表現を目的とした宗教美術の団体」として創立された。

中心メンバーの相次ぐ帰天により、1970年代は活動停止状態となっていたが、1980年に「カトリック美術家協会」として再発足、1997年に名称を「カトリック美術協会」に戻し、現在に至る。なお、歴代会長は東京大司教が、歴代名誉会長は駐日ローマ教皇大使が務めており、現在の会長は菊地功大司教。

コロナ禍等、特別の事情がない限り、カトリック美術展は毎年開催される。今年足を運ぶ機会に恵まれなかった方は、来年こそは信仰の賜物である芸術作品の数々を鑑賞していただきたい。

美術展の初日に足を運ぶ菊地大司教

「牧者の像」作:安藤 眞樹
宗教画というと西洋画を思い浮かべるが、日本ならではの水墨画も展示されていた。

「割高台十字門茶碗」作:丸山 陶李
高台の裏側が十字架になっている陶器の茶碗

「聖母子」作:大野 訓子
作者(カトリック美術協会事務局長)によれば「神の子を預かったマリア様の覚悟、意志の強さを目の力に込めた。マリア様は肝っ玉母さんのような女性だったと思う」とのこと。

「聖母子」作:石原 信三
モザイク画による聖母子像。

「光を集めて」作:御正 牧子
フレスコ画は壁画に使われる技法なので、額装されたものは珍しい。

「マリアさま」作:原田 陽子
刷り上がった銅版画に彩色が施されている。

「聖人おめでとう!」作:武田 知子
今年5月15日に列聖されたばかりの聖シャルル・ド・フーコーの肖像画も。

※作品紹介は敬称略

ミャンマーの教会に想いを寄せて

マンダレーに到着した避難民たち

四百年間の信仰を守るために

ロシアによるウクライナ侵攻は未だ出口が見えないが、国軍のクーデターによって戒厳下に置かれているミャンマー情勢も改善の兆しが見えない。

常に現地の司祭や支援者と連絡を取っているレオ・シューマカ神父(東京教区ミャンマー委員会担当司祭)に、ミャンマーの教会の歴史を踏まえながら、現地の状況をレポートしていただいた。

ミャンマー情勢に関する報道は少なくなってしまったが、皆様には、ミャンマーの兄弟姉妹は今でも痛みと苦しみの中にあることを忘れずに祈り続けていただきたい。

ミャンマーの国土はダイヤモンドのような形をしており、伝統的に国王は、自ら選んだ新しい都市を国の中心にして統治してきました。それは首都が何度も移転したことを意味します。中心部にはかつての首都の遺跡がいくつも残っており、最も有名なものは観光地としても人気があるバガンです。また、ミャンマーの中央部、エーヤワディー川の北側には、400年以上前から続く古いカトリックの村が点在しています。仏教王国の中で、カトリックの信者は、長い間外界から遮断されながらも、信仰を守って生活していました。

現在、ザガインと呼ばれるこの地域は、国軍と国民防衛隊(民主派市民による自衛組織)との激しい戦いの場となっています。多くの村は戦場と化し、国軍は国民防衛隊の兵士を追い立てるために村々に火を放っています。戦闘に巻き込まれた住民たちは、安全を求め、より大きな町やマンダレーに逃げ出しました。マンダレー大司教区では、カトリックの村からの避難民を保護するため、教会の敷地内に3つの一時宿泊施設を建設しました。さらに、食べ物や薬は、カトリック信者にも仏教徒にも、それを必要とするすべての人に配布されています。

戦闘で焼かれるサガイン州の村

クーデターが起こったのは15ヶ月前ですが、政府はまだ危機的状況にあるため、教会は何千人もの人々に医療、教育、生活必需品を提供することに介入せざるを得ませんでした。教会の資源は限られていますが、それでも地元の人々は、新たにやって来た避難民のグループを助けるために自分たちにできることをしています。米は地方から大量に運び込まれ、それを食用油や野菜と一緒に包み直して配ります。修道女たちはクリニックを運営したり、子どもたちを教えたりしています。そしてボランティアは、避難民が回復し、将来への希望を持てるようにできる限りのことをしています。

米の配給

マンダレーのカトリックの村人たちは、何百年もの間、神に信頼を置いてきました。東京に住むわたしたちは、彼らが再び先祖が建てた教会を訪れ、真の平和のうちに生活を再建できるようになることを祈りましょう。

レオ・シューマカ神父

家の焼け跡

新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けて

感謝の典礼3

今年の待降節から導入される新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」。教区典礼委員の小池亮太神父によるミサの流れに沿った解説も今回が最終回。今号では「感謝の典礼」の後半部分と閉祭について解説していただいた。

今回は、〈感謝の典礼〉の後半部分と〈閉祭〉を見ていきます。

※「司」は「司式者」、「会」は「会衆」の意味です。

【平和の賛歌】  

世の罪を取り除く神の小羊、いつくしみをわたしたちに。  世の罪を取り除く神の小羊、いつくしみをわたしたちに。  世の罪を取り除く神の小羊、平和をわたしたちに。」

最後の部分は、現行版では「平安」になっていますが、直前の【平和のあいさつ】の「主の平和」という言葉と一貫性を持たせて、「平和」に変更されました。

【拝領前の信仰告白】

司「世の罪を取り除く神の小羊。  神の小羊の食卓に招かれた人は幸い。」
会「主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。  おことばをいただくだけで救われます。」  
または
会「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、  あなたをおいてだれのところに行きましょう。」

司祭の唱える部分は、「招かれた者」から「招かれた人」に変更されます。

会衆の答える部分にも変更があります。どのような理由や経緯があったのかわかりませんが現行版は〈ペトロの信仰告白〉(ヨハネ6:68)に基づく日本固有の式文が採用されました。規範版は〈百人隊長の言葉〉(マタイ8:8)に基づく式文ですので、改訂版にはこちらも載せることになりました。

どちらかを選ぶことができますが、「一つに決めて唱える」、「奇数週は現行版、偶数週は規範版、というようにして両方を唱える」など、それぞれの共同体で工夫をして混乱の起きないようにしてください。

〈閉祭〉

【派遣の祝福】

司「主は皆さんとともに」
会「またあなたとともに」
司「全能の神…」
会「アーメン。」

他の箇所と同じように「司祭とともに」が「あなたとともに」に変更されます。 また、司祭が任意で用いることができる【荘厳な祝福】も改訂版に掲載されています。

【荘厳な祝福】は、「…くださいますように。」と「アーメン。」が三回繰り返された後に祝福を願う言葉があります。

司「…くださいますように。」
会「アーメン。」
司「…くださいますように。」
会「アーメン。」
司「…くださいますように。」
会「アーメン。」
司「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にいつもありますように。」
会「アーメン。」 

【閉祭のことば】

司「感謝の祭儀を終わります。  行きましょう、主の平和のうちに。」
会「神に感謝。」  
または
司「感謝の祭儀を終わります。  行きましょう、主の福音を告げ知らせるために。」
会「神に感謝。」  
または
司「感謝の祭儀を終わります。  主の平和のうちに行きましょう、 日々の生活の中で主の栄光をあらわすために。」

会「神に感謝。」

この部分に変更はありませんが、司祭の言葉が二つ追加されましたので、不思議に思わないように載せておきます。

今回で、〈新しい「ミサ式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けて〉の連載は終わりますが、日本カトリック典礼委員会から情報が発表された時には、教区ニュースで紹介と解説をしたいと思います。

また、実際に改訂版を使い始めると「あれ? ここはどうしたら良いのだろう?」「ここは他の小教区はどうしているのだろう?」というようなことが出てくるでしょう。使い始めて分かった曖昧なところはハッキリさせ、各小教区の取り組みや工夫などの紹介もできたら考えています。 最後になりますが、現在の皆さまの声をお聞かせいただければ幸いです。

※お詫び
教区ニュース第393号誌面版では、【閉祭のことば】の会衆の応答が「アーメン」となっていました。正しくは上記の通り「神に感謝」となります。お詫びして訂正いたします。

お声を聞かせてください

今年の待降節第一主日から『新しいミサの式次第と第一~第四奉献文』を使用するにあたって、会衆として参加する皆さん、また、小教区などで典礼奉仕をされている方の現在のお声を聞かせてください。

内容:① 変更にあたって不安に感じていることはありますか?    
   ② 曖昧、また、分かりづらいのでハッキリさせて欲しい箇所はありますか?    
   ③ 実際に自分が奉仕する時のために、確認しておきたいことはありますか?    
   ④ その他     

方法:①~④のどれに該当するかを示した上で、具体的な内容をお知らせください。     

受付 FAX:03-3944-8511     
   E-mail

お寄せいただいた声は、〈信徒向けの研修会〉(予定)などのために役立てさせていただきます。なお、教区ニュースで答えることは今のところ考えていません。

また、変更される文言についての「ご意見」や「ご提案」などをお寄せいただくものではありませんので、予めご了承いただけますようお願いいたします。

編集後記

今年の五月は気ぜわしかった。春から初夏、そして梅雨から真夏まで、一月の中で季節が行ったり来たり。

体も心もなんだか落ち着かないまま、あっと言う間に五月は去って行く。もうすぐ長い梅雨が始まる。

長雨の中で思い出す五月は、きっと新緑の青空なのだと思う。今年の五月だって、何度もそれを目にしているのだから。(Y)