東京教区ニュース第390号

2022年03月07日

ミャンマーの教会に想いを寄せて

 

クーデター発生から一年を迎えて

2021年2月1日のミャンマー国軍によるクーデター発生から1年が経過した。いまだミャンマー全域は戒厳令下に置かれ、民主化を求める声は封じられている。治安維持の名の下に暴力を振るわれ、殺害された市民も少なくないと報道されている。また、そのような市民を匿い、共に歩むカトリック教会も度々軍による攻撃にさらされている。

東京教区では、姉妹教会であるミャンマーの教会と連帯し、一日も早くミャンマーに平和と自由がもたらされることを祈るため、1月30日の夕、築地教会で「ミャンマーの平和のための祈り」を開催した。 新型コロナウイルス感染防止のため、参加者を制限しての開催となったが、菊地功大司教、レオ・シューマカ神父(築地教会主任司祭、東京教区ミャンマー委員会担当司祭)ラズン・ノーサン・ヴィンセント神父(府中教会助任司祭、ミャンマー・カチン州出身)が在日ミャンマー人信徒の方々と共に祈りを献げた。 ここに、当日の菊地大司教によるメッセージの書き起こし原稿を掲載する。

ミャンマーの平和のための祈り 菊地功大司教メッセージ

暴力的な力をもって人の身体を殺すことはできても、暴力をもって人の心を殺してしまうことはできない。それは、教会が長年にわたって迫害の時代を生き抜いてきた時に、実際に体験をしてきたことですし、そこから学んできたことだと思います。

私たちは今、この2年間の新型コロナ感染症の状況の中で、互いにいのちを守っていくために連帯して助け合うことの大切さを学んでいるはずです。一人で助かる人は誰もいない。それは、教皇様が何度も何度も繰り返し言われていることですが、今、この状況の中から私たちがより良く抜け出していくためには、互いに連帯し、助け合わなければならない。それはなぜならば、わたしたちのいのちは、神によって創造されたあの創世記の物語のはじめに、互いに助ける者としていのちを与えられていると書いてあるからに他なりません。わたしたちは、互いに助け合い、連帯のうちに支え合って生きていくようにいのちを与えられています。

にもかかわらず、世界のあらゆるところで、今、この状況の中にあっても紛争は終わりを見せず、いのちを粗末にするような様々な事件が起こり、そしてまた、このミャンマーの兄弟姉妹の方々のように、暴力によってその心を抑えつけようとする政治まで存在している。この理不尽の中で、わたしたちは、一人ひとりの人間が大切にされる、神によって与えられたいのちがすべてその尊厳を守られて、与えられた豊かないのちを十分に生きていくことができるよう祈り続け、そして、行動していかなければならないと思います。

東京の教会にとって、ミャンマーの教会は「知らない人たち」ではなく、長年にわたって様々なかたちで支援を続けてきた、本当に兄弟、そして姉妹の方々です。ですからこの、今までの長い関係を大切にしながら、わたしたちは、ミャンマーで本当に平和が確立されるように、一人ひとりが本当に大切にされる社会が実現するように祈り続けていきたいと思います。そして同時に、その国を今実際に導いている軍の、そして政治のリーダーたちの上に神様の、聖霊の働きが本当にあるように、正しい道を見出して、それに従って歩んで行くことができるように、わたしたちは祈り続けたいと思います。

残念ながら今、この感染症の状況の中で、たくさんの人が一緒に集まって祈りを献げることはできません。けれども、今日、こうやって祈りの時をもっていることを、東京教区でも、教区の方々にお知らせをして、これからも、一緒に祈りの中で連帯して平和のために祈っていきたいと思います。もし、今この状況の中で、困難に直面している兄弟姉妹たちのためにわたしたちが祈らないのであれば、次に、わたしたち自身が困難に直面している時に、わたしたちのために祈ってくれる人は誰もいないかもしれないのです。

わたしたちは常に、誰でも困難に直面しているときに、その方々と連帯して、祈りをもって支え合う、そして実際に様々な行動を持って支え合うということを心がけていきたいと思います。それは、その人たちのためでもあり、そして、自分たちのためでもあるということをしっかりと心に刻んで、この、今日の祈りの一時、本当にミャンマーに平和がもたらされるように祈り続けたいと思います。

◆ ◆ ◆

「ミャンマーのための平和の祈り」はカトリック東京大司教区YouTubeチャンネルにて配信中。どうかわたしたちの兄弟姉妹であるミャンマーの人々と心を一つにして、共にお祈りいただきたい。
※視聴はこちらから

プログラム
◉招きのことば:レオ神父
◉福音朗読:ヴィンセント神父
◉メッセージ:菊地大司教
◉共同祈願
◉ミャンマーの現状を伝えるビデオ(ミャンマー出身信徒作成)
◉主の祈り(ビルマ語で):ヴィンセント神父
◉派遣の祝福:菊地大司教

集いに先立って行われたビルマ語によるミサ(司式:ヴィンセント神父)

沈黙のうちに祈る菊地大司教とレオ神父。

メッセージを語る菊地大司教

 

長崎教区新大司教任命

2021年12月28日、教皇フランシスコは、長崎大司教区ヨセフ髙見三明大司教の退任願いを受理し、ペトロ中村倫明補佐司教を後任の長崎大司教に任命した。これに伴い、2022年2月23日、カトリック浦上教会にて中村大司教の着座式ミサが行われた。 中村大司教は1962年3月21日長崎県西海市生まれ。1988年3月19日司祭叙階。小教区での司牧の他、長崎カトリック神学院や福岡サン・スルピス大神学院で後進の育成にも務めた。2019年5月31日、長崎教区補佐司教に任命、 同年9月16日司教叙階。中村大司教様、おめでとうございます。

中村大司教紋章

着座式直前。菊地大司教と中村大司教、笑顔のツーショット。

中村大司教着座式のミサ動画はこちらからご覧になれます。

カリタスの家だより 連載 第140回

みんなの部屋から就労移行へ
地域活動支援センター みんなの部屋卒業者 浅水菜保美

私は2018年より約3年間通った地域活動支援センターみんなの部屋を卒業し、2021年秋から就労移行支援事業所に通っています。

みんなの部屋では新型コロナウイルスの影響で、通えない日々や、週一日半日の通所が続いていたため、就労移行へ切り替えるのは大変でした。 みんなの部屋の活動で、特に好きだったのは、グリーティングカード作りとビーズ作品作りです。カード作りでは、様々なスタンプを組み合わせて自分のイメージを形にするのが好きでした。そして、立体カードも印象に残っています。気を配ったのは、色紙を細かなパーツに切り取り、貼り合わせるときです。微妙な位置で仕上がりが変わってしまうので気を付けました。ビーズ作品は、細かい作業なので苦手意識がありましたが、やってみると意外にできたので自分でも驚きでした。

さて、そんな私はみんなの部屋とはまったく違う就労移行支援事業所という環境に今はいます。特に自分のためになっていると感じるプログラムは、①SST②就職セミナー③目標設定・振り返りです。

① SSTはロールプレイを通してコミュニケーションの向上を図るものです。もっとこうするとよくなるアイデアを皆で出し合い、その後の宿題で、ロールプレイで練習した課題を実践します。私は電話が苦手で、みんなの部屋にいたとき無断欠席をしたことがあったため、出欠席の電話連絡の練習をしました。

② 就職セミナーでは、就活中の方や先輩OBの話を聞くことができます。実習や就活、仕事に就いてからの生活について聞くことができる貴重な機会です。最近では履歴書の作成もしています。

③ 目標設定・振り返りでは、設定した目標を二週間ごとに振り返り、他メンバーに自分のいいところや、もっとよくなるところを出し合ってもらいます。私は、自分の症状もあり、なんとなく毎日を過ごしてしまいがちなので、メリハリができるよう努力しています。他メンバーの「自分はこうしているよ」という話も参考になります。

その他、グループワークや委員会活動もあるのでチームワークでコミュニケーション力が培われる機会も多いです。もちろんパソコンのプログラムもあります。

通い始めの1、2か月は環境や毎日の通所に慣れるのに不調な日々もありましたが、現在は安定しています。最近ではみんなの部屋の職員さんに「成長したね」と言っていただけて嬉しかったです。これからもマイペースに無理せず努力を続けていきたいです。

福島の地からカリタス南相馬 第9回

聖心会 畠中千秋
技能実習生との繋がり

コロナ禍の食糧支援を通して、福島県南相馬市内の外国人労働者と技能実習生との繋がりが生まれました。その一つに「南相馬市外国人活躍支援センターSAKURA」があります。毎週日曜日、2時間程度の日本語教室が開催されていて、日本語支援ボランティアを始めました。日本語検定試験に向けて日々の努力をしている人もいれば、日本が全く分からない人もいます。国籍も様々ですが、一番多いのはベトナムで、タイ、ラオス、フィリピンなどのアジアの国々の方々です。南相馬市内には約25の国籍で約450人の外国人労働者と技能実習生が生活しているそうです。日本語教室には毎回40人程度の参加者がいます。

国別、レベル別などのグループ分けがその都度あり、知り合いがどんどん増えていきます。

1月9日には、感染対策を徹底したうえで「新年会」が開催されました。約50人の参加があり、民族衣装を着ている人もいました。それぞれのお国自慢のお料理を作り、皆で会食しました。餃子、トムヤムクンなど馴染みのあるものも沢山ありました。バインセオ(ベトナムのお好み焼き)が手軽に作れて美味しくいただきました。その後はカルタで盛り上がり、言葉の壁を超えて楽しい時間が過ぎていきました。日曜日に必ずお休みが取れるとは限らないので、参加できない人へのサポートが課題だと聞いています。

この人達の中には、カトリック原町教会にも所属していて、日曜日にお休みが取れないので、平日にお祈りに来られる方もいらっしゃいます。 また、日本語教室で知り合った2人のベトナム女性からのリクエストで始まった「ケーキ教室@カリタス南相馬」も3回持つことができました。講師は原町教会の方にお願いしました。このようにして少しずつ人と人との繋がりの輪が広がっています。

しかし、コロナ禍で制限がさらに厳しくなってきましたので、2月6日、日本語教室はオンラインで試してみたところ、うまくいったので、しばらく、このオンラインを活用することになりました。何もないよりは良いので、繋がりが途切れないことがまず大切だと思いました。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第255号

支援は教会を駆け巡る

ハヤトウリと大根
12月の寒い朝。小平教会の小池神父様が、立派な葉っぱ付きの大根30本とハヤトウリ1箱をCTIC事務所に届けてくださいました。小平教会の信者さんが神父様に持って来てくださったものだそうです。ハヤトウリはベトナム人が大好きな野菜なので「こんなのあるよ」と江戸川区葛西教会のベトナム支援グループに写真を送ったところ、「これはベトナム人の野菜です」とコミュニティーが大反応! 

すると葛西教会の信者さんが「私が運びましょう」と申し出てくれ、大根とハヤトウリ一箱が昼過ぎには葛西教会に届けられました。その後、信徒の方々が徒歩や自転車で技能実習生や苦学している留学生らのお宅に配達。夜にはCTICにハヤトウリで作られた夕食の写真とお礼のメッセージが届きました。12時間の間に東京の端から端へ、日本人の畑からベトナム人のお腹の中に、大根とハヤトウリが大移動した1日でした。

翌日、大根はベトナムのナマス(バインミーに入っているあのナマスです)になり、クリスマスの日にベトナムの方々に配られました。小平教会の小池神父様にも宅配便で届けられました。

電気毛布と防寒グッズ
東北地方でも寒くて有名な久慈市に来たばかりのベトナム人実習生の女性が、東京にいる彼氏T君に「寒くて眠れない」と泣きながら助けを求めました。T君は大切な彼女の一大事にパニックになり、自分の通う東京のカトリック教会の通訳さんに助けを求めました。「彼女を助けて!」と。通訳さんは久慈市を知るはずもなく、しかし、T君のあわて様に何かせずにはいられなくなり、CTICに相談しました。久慈市のことは全くわからないCTICスタッフは、少し前に別件でお世話になった仙台教区の佐藤神父様のことを思い出し、久慈市に知り合いがいないかと問い合わせをしたところ、なんということでしょう! 佐藤神父様の前任地が久慈教会で、久慈では信者さんたちと共に実習生支援を行っていたのでした。佐藤神父様はすぐに久慈教会の信者さんに連絡を取り、彼女の窮状を伝えてくださいました。彼女がT君に助けを求めてから24時間も経たない翌日の夜の7時、真冬の久慈教会の前で、彼女は電気毛布とたくさんの防寒グッズを受け取ることができました。

あたたかい布団
千葉県成田市の外れ、人の往来のあまりない場所にも「寒くて眠れない」実習生がいました。経済的に余裕のない生活を送っている技能実習生は、支給されるもの以外に自分のために余分な寝具を購入することはできません。その日のうちにCTICが届けることが困難だったため、彼の住む場所に一番近い成田教会の泉神父様に相談しました。泉神父様は翌日の堅信式の準備で忙しくしていたにも関わらず、兼任している佐原教会にある「あたたかい布団」のことを思い出して取りに行き、夜遅くに実習生の働く工場裏の寮にまで届けてくださいました。実習生はその日のうちに「あたたかい布団」が届いたことだけでなく、「祖国では神父様がこんな不便な場所にまで夜に布団を持って来てくれるなんて考えられない」と声を詰まらせていました。 カトリック教会の中を、今日も善意の支援が駆け巡っています。    

大迫こずえ

大根とハヤトウリ

ベトナム料理

 

知っていますか?私たちの「信仰」を?

「共に歩む信仰の旅 ─同伴者イエスと共に─」

無事、開講の御報告 担当司祭◉猪熊太郎

コロナ禍が始まって、既に2年余り。 最近の東京や日本は、諸外国とは異なり、コロナが収束の方向に向かっているかのようですが、変異種の発生に脅かされているのが現実。これからの1~2ヶ月、まだまだ、気が抜けない状況が続きそうです。

ちょうど昨年の今頃、東京でも感染が本格的になり、緊急事態宣言の発出もあったので、私たちの「カテキスタ養成講座」は、中途での休講を余儀なくされました。このため、第3期生7名は、丸々1年間、ひたすら、講座の再開を待つことになってしまいました。

一方、講座が再開された時に備えて、毎年のことになりますが、新規の募集もしていました。第4期生たちの募集でした。この募集に、6名の方々が応募して下さいました。 1年間待たされた第3期生たちと、コロナ禍の真っ只中、新たな募集に応えてくれた第4期生たち。総勢13名が、去る10月23日(土)に集まり、第3・4期生として、無事、開講の日を迎えることができました。

この記事が出る頃には、既に、9~10回の講座を終えていると思います。 彼らは、これから来年の9月まで、隔週の土曜日に、講座に参加を続け、2022年9月に予定されているカテキスタ認定・任命ミサを迎える準備をすることになります。

彼らが現場に立つ日も遠くありません。

彼らがその日を迎えることができるよう、経口治療薬が早期に承認・販売され、感染が大きくなっても対処できるようになっていることを、私たちの講座がコロナによって中断されることなく、継続していくことができるよう願うばかりです。皆様のますますのお祈りをお願いしたいと思います。

最後になりますが、2022年1月末になりますと、各小教区宛に送付された案内書によって、新たに、第5期生の募集も始まっています。 皆様の応募をお待ちしています。

カテキスタ受講生の声

私をお使いください
受講者◉第3期生
碑文谷教会 宮島智美

「あなた、行ってらっしゃい」と、一昨年の4月に着任されたばかりの主任神父様に、突然、声をかけられたのは、カテキスタ第3期受講生申請の締め切り10日前のタイミングでした。

取り敢えず申請書に記入して神父様にお届けしたのは、締め切り一週間前を切っていたと思います。その少し前に開催された宣教司牧委員会のミーティングで、「規模が大きな教会なのに、教区のカテキスタに誰も奉仕していません。教区の活動に小教区として参加していくことは大切です。検討してください」と神父様が言及されたのですが、そういうご奉仕があるのだなと思った程度で、その件はすっかり忘れていました。神父様が声をかけられた本命ターゲットは、その時、私と立ち話をされていた大先輩であり、おそらく隣にいた私は「ついで」だったのだと思います。

神父様に申請書を託したのち、「厳しいプログラムらしいけど、大丈夫?」「仕事との両立は大変らしいよ」など心配くださる方もいらっしゃり、不安になってきました。指導司祭より「講座の見学をお勧めします。」とお誘いをいたただいたときには、「きっと見学した後に申請を撤回する方がいらっしゃる程厳しいのだ」と余計な深読みをして、本当に自分にできるのかと随分自問自答しました。

でも考えてみれば、受洗以来、「私が必要とされていることがあれば、私をお使いください」という思いを、漠然と心に抱えていたのです。そう思いつつも、更に葛藤がありましたが、最終的に私の背中を押してくれたのは、郷里に帰省した折にお世話になっている教会の仲間の「素晴らしいご奉仕だし、今一番教会が必要としているお役目ですよ」という言葉でした。

その教会は、郷里の地区では一番規模が大きな教会なのですが、数年前に神父様が司教様に叙階され、それから随分長い期間、隣町の神父様が掛け持ちでミサをたてられていました。ある日の司祭のお話しで、「この地でも、司祭不足の波が押し寄せています」とお話になり、司祭の減少が深刻な状況であることを知りました。

巡礼で訪れた五島では、多くの教会が巡回教会となり、数週間おきにしかミサに与れない信徒の現状を見聞きして、司祭職の激務を想像するとき、今まで全て神父様任せで何の疑問も抱かずに過ごしてきた自分を省み、信徒が担えるお役目があるのなら担っていかなくては、この先の教会は立ち行かなくなるのではないかと思うに至りました。

今までミサの中で聖書の言葉を見聞きしていても、その奥にある神の姿、イエス様の言葉や行いを通して伝えられる神の思いまで深く考えることはなかったように思います。よく知られているたとえ話や奇跡に関しても、イエス様がそれらを通して私たちに伝えようとなさった本質的な意図を追求することもありませんでした。

カテキスタのレジュメを構築する過程で、多くの書物を読み、インターネットで調べ、自分なりの解釈ではありながらも答えを見つけたるたびに、それが単に2000年前に語られた言葉ではなく、現代にも通じる教えであることが明確になってきました。

ただ、自分が感じ理解していることを、何かを求めてカトリックに興味を持っている人たちに伝えることは簡単ではなさそうです。自分が要理を勉強していた時に分からなかったこと、知りたかったこと、または知っておくべきだったと後々感じたことを思い出しながら、求道者と一緒に考え、感じながら共に学び歩んでいけるカテキスタを目指したいと思います。

コロナウィルス蔓延で講座が1年間延期となり、まだ収束する気配もない中、9月の任命式まで無事にすべての講座に参加できるか、自分が任命を受けるだけの資質を身につけられるかなど、不安は多々あります。それでも、講座に参加していることで、交流の機会がなかった他の教会の方々との出会いを通して、その知識、経験や考えに触れ、圧倒されながらも貴重な体験を共有し、自分でも多くのことを調べ、学んでいます。この時間は、これからの信仰生活においても、社会生活においても有難い経験になるに違いありません。「ついで」だった私が、神の国の実現のために「使っていただく」役目を担えますように……、今はそのような気持です。

ご指導いただいている神父様、先輩や講師の方々、私たちのために会場や諸々の調整をしてくださるスタッフの皆様、支えあう同期の仲間、後ろ向きになると叱咤激励してくださる教会の兄弟姉妹、そして背中を押してくださり相談にのってくださる所属教会の神父様、皆様に感謝しつつ、コロナの影響に負けずに無事に任命を受けられるよう、そして、その先にある出会いを想像しつつ、楽しみながらこの講座に参加していこうと思います。

教区カテキスタと「福音宣布」
受講者◉第3期生
赤羽教会  林 孝三郎

今から25年くらい前のことですが、とても語学が堪能な神父様が「『福音宣教』という訳語は『福音宣布』の方が良かったかな」ということをおっしゃっていました。その神父様のお生まれから(1919年生)、「福音宣教」という日本語訳を定着させた世代の神父様と推察されます。理由は「『教』という漢字が入ると、どうしても上から目線の印象を与えてしまうので、『広く行き渡らせる』という意味の漢字『布』をあてた方が現代においては良いのではないか」ということでした。

「福音宣教」という言葉が定着し始めた当時は司祭の召命も多く、カテケージスの役目はもっぱら司祭にありました。哲学と神学を数年間も学んだり、ローマに留学経験のある司祭も多かったでしょうから、求道者にとってはむしろ「教えてもらう」という感覚が自然だったと思います。そのような状況で「福音宣教」という言葉が定着するのは、むしろ、当然のことだったのです。

2019年、教皇様が国賓として日本を訪問された際に、政府は、それまで使っていた「法王」という呼称を、本来の働きの内容に則して「教皇」と改めましたが(「王」ではなく「先生」として)、「宣教」を「宣布」に変えた方が良いのではないかという意見も、同様な問題を内包しているように思います。

福音書において、復活したイエス様が弟子たちを派遣する際の言葉にも「教える」と「宣べ伝える」の二つがありますので、「どちらも正しい」のでしょう(マタイ28:19~20「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」、マルコ16:15「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」)。

現在、私たちは、信徒の立場で「教区カテキスタ」となるための準備をしていますが、その概要は、約1年間で70時間足らずの講義と模擬授業です。神学の知識や、信仰生活の経験が極めて拙い状態で、カテキスタとしての奉仕を始めることになります。その心構えとして「教える」のか「宣べ伝える」のかを問われたときに、答えは間違いなく、後者の「宣べ伝える」になると思います。

キリスト教は「愛の宗教」だと言われています。そうであるならば、教区カテキスタの第一義的な役割は、「神の愛」、すなわち、「一人ひとりの救い(神の義/神からの贈り物)」を求道者の皆さんにお伝えし、「この地上の世界における『神の国の実現』に向かって共に歩んでいきましょう」とお誘いすることなのだろうと思います。

それなりに信仰生活を重ね、教区カテキスタとしての準備を始めた今、若い頃に読んだ小説に示されていた「愛の定義」の意味が少しわかったような気がします。 「ぼくら以外のところにあって、しかもぼくらのあいだに共通のある目的によって、兄弟たちと結ばれるとき、ぼくらははじめて楽に息がつける。 また経験はぼくらに教えてくれる。愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと」(サン=テグジュペリ著『人間の土地』 堀口大學訳 新潮文庫)。

教会とシノドスとは同義語である

教区シノドス担当者(瀬田教会主任司祭)・小西広志神父

今号から数回にわたって、教区シノドス担当者の小西広志神父に、シノドスに関わることばを選んで提示、解説していただく。まだ馴染みのない、つかみ所のない「シノドス」を理解する手がかりとなれば幸いである。

東京教区のシノドスへの取り組みはどうなっているんですか? というご質問もいただきます。まあ、まだ寒いですし、オミクロンなのでと言い訳を考えながら過ごしております。昨年の9月に大司教さまからこの務めを任命されて、いろいろと考えることたくさんです。

教皇さまが「シノドス性」についてハッキリとお話しなったのは今から7年ほど前の2015年10月17日、世界代表司教会議設立50周年記念式典でのことでした。しかし、すでに「シノドス性」についての研究はなされていました。国際神学委員会では「教会の生活における信仰の感覚」という文書を発表しています。第二バチカン公会議には盛り込まれながらも、その後あまり顧みられなかった「信仰の感覚」についての考察がなされたのです。これを受けて教皇さまは、先ほどの世界代表司教会議設立50周年記念式典での演説で古代の教父の表現を引用しつつ、「教会とシノドスは同義語である」と発言しています。それまでシノドスとは教会会議を指す言葉でした。しかし、言葉の成り立ちや教会の歩みを振り返ってみると、「共に歩む」という特性を教会は備えているのです。「教会とシノドスは同義語である」という一文をこころに刻み込みましょう。同じ演説で「教会は、神の民が主キリストに向かう歴史の旅路を『共に歩む』ことに他ならないのですから、その中では、誰も他の人の『上に』立つことなどできないということも理解できます。むしろ教会の中では、旅路において兄弟姉妹に仕えるために、人は自らを『低く』する必要があるのです」とも話しておられます。 この教皇さまの発言を味わってみますと、わたしたちの教会は人々に「仕える」教会であることが分かります。しかも、多くの人々と「共に歩む」教会であることがわかります。

2015年の教皇さまの発言を受けて、さらに国際神学委員会は「教会のいのちとミッションにおけるシノドス性」を2018年に発表しています。

こうして「シノドス性」について神学的な考察の深まりは整いつつあります。しかし、教会は考察の対象ではありません。教会を生きることが大切です。教会の中に息づく「いのち」が大切なのです。そこで、「シノドス性」に基づく「シノドス的」教会への取り組みが世界中の教区でなされています。実は、誰も「シノドス的」教会がどういった教会になるのかは分かっていません。教皇さまだって分からないかもしれません。ただ、教会がそもそも備えている「シノドス性」という美しさに従えば、きっと教会の本当の姿はこのようになるだろうという希望といいましょうか、ヴィジョンがあるのです。

社会は袋小路に入ってしまいました。民主主義は行き詰まりました。施政者たちによる権力の私物化にわたしたちの社会は疲れました。経済も行き詰まりました。新自由主義経済という名のもとに格差が広がり、貧困が拡大しつつあります。もしかしたら、教会も行き詰まっているかもしれません。教皇さまが来日したのは三年前ですけど、あれから教会は何も変わっていませんし、教会が社会全体に何かを発信することはなくなってしまいました。

それに加えて、この新型コロナです。教会に集いたくても集えない日々が続いています。もはや、かつてのような教区、小教区共同体には戻れないかもしれません。そんな中で、「シノドス性」という新しい言葉は、わたしたちに新しい視点を与えてくれるように思います。

小西神父によるシノドス解説動画シリーズ「シノドスへの歩み」(毎週更新)はこちらからご視聴ください。

新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けて

ことばの典礼

今年の待降節から導入される新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」。前号から、ミサの流れに沿って、教区典礼委員の小池亮太神父による具体的な変更点の説明を掲載しているが、今号では「ことばの典礼」部分のお話を伺った。

今回は、主に朗読台で行われる〈ことばの典礼〉の変更箇所を見ていきます。

※「司」は「司式者」、「会」は「会衆」、「先」は「先唱者」、「朗」は「朗読者」の意味です。

【第一(第二)朗読】

朗読の終わりに
朗「神のみことば」
会「神に感謝」

今まで、朗読の後に侍者が「神に感謝」と言うと、会衆が「神に感謝」と答える、あるいは、朗読が終わると朗読者は無言のうちに席に戻る、など小教区の伝統や主任司祭の意向などによってさまざまでした。 今回の改訂で、規範版に従って、朗読が終わると朗読者は手を合わせてはっきりと「神のみことば」と言うことになりました。

会衆の「神に感謝」という言葉の後、朗読者は聖書に一礼してから自分の席に戻ることになりますが、これは「日本のための適応」、つまり「規範版のとおりではなく、日本の習慣や言語に合わせて変更され、典礼秘跡省の認証を受けたもの」です。

「朗読の終わりに何も言わないなら侍者の役割が無くなる」と思われるかも知れませんが、朗読者を先導して朗読台に案内すること、朗読聖書の朗読箇所を間違えた時や見つからない時に朗読者を助けること、会衆に聞こえやすいようにマイクの向きを調整することなど、侍者の役割はあると思います。

なお、現在、日本カトリック典礼委員会が信徒の奉仕の分野についてまとめているそうなので、ここで触れた侍者の役割などについては、別の機会に改めて説明できたらと思っています。

【福音朗読】

朗読の前に
司「主は皆さんとともに」
会「またあなたとともに」
司「〇〇による福音」
会「主に栄光」

朗読の終わりに
司「主のみことば」
会「キリストに賛美」

開祭でも触れましたが、会衆は「またあなたとともに」と答えるように変更されます。

すでに実践していることと思いますが、福音朗読の前に「司祭(助祭)が額と口と胸に十字架のしるしをする時、その場にいるすべての人も同じように十字架のしるしをする」と所作も規範版のとおりにすることになっています。

今までは、福音朗読の終わりに司祭(助祭)は、「キリストに賛美」と言い、会衆も「キリストに賛美」と答えていました。変更後は、司祭(助祭)は「主のみことば」、会衆は「キリストに賛美」と変更されます。

なお、規範版では朗読の終わりの言葉は、第一(第二)朗読も福音朗読も同じですが、日本語版が第一(第二)朗読の時は「神のことば」、福音朗読の時は「主のみことば」と訳し分けているのは、福音朗読が主キリストの言葉であることを明確にするためです。

【信仰宣言】

〈ニケア・コンスタンチノープル信条〉
…わたしたちの救いのために天からくだり。
(一同は頭を下げる)
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、 人となられました。
(一同は頭を上げる)
ポンティオ・ピラトのもとで…

〈使徒信条〉
…イエス・キリストを信じます。
(一同は頭を下げる)
主は聖霊によってやどり、 おとめマリアから生まれ、
(一同は頭を上げる)
ポンティオ・ピラトのもとで…

信仰宣言の中での「キリストの受肉の神秘について述べる部分で一同は礼をする」という所作が明記されるようになりました。

信仰宣言は、基本的に〈ニケア・コンスタンチノープル信条〉を唱えますが、「日本のための適応」として、季節に関係なく〈使徒信条〉を唱えることができます。

なお、規範版では、洗礼を思い起こすために、四旬節と復活祭に〈使徒信条〉を唱えることが勧められています。

 次回は〈感謝の典礼〉の変更箇所を解説する予定です。

SIGNIS JAPAN 第26回「教会とインターネット」セミナー

2月19日(土)、聖パウロ修道会若葉修道院にて「SIGNIS JAPAN『教会とインターネット』セミナー―インターネットが拓く新・福音宣教 第26回「酒井司教様とともに教会の広報について考える」が開催された。講師は酒井俊弘司教(大阪教区補佐司教・日本カトリック司教協議会広報担当司教)。このセミナーは今回で26回目となるが、会場参加とオンライン参加を選べるハイブリッド開催は初の試み。オンライン参加を取り入れたことによって全国からの参加が容易になった。

講話の中で酒井司教は、今年の「世界広報の日」教皇メッセージ「心の耳で聞く」に触れながら、広報とは「耳の使徒職」であり、伝えることと同様に聞くことの大切を説いた。

また、現在わたしたちが歩みを進めている第16回通常シノドス(世界代表司教会議)に関しても「大切なのは意見を集めることではなくプロセス、聞いてくれる人がいるということ。特に大切なのは、あまり発言しない人の声を聞くことで、それはシノドスが終わっても続けていかなければならない」と述べられた。

さらに、「インターネットが拓く新・福音宣教」に関しては、教皇フランシスコが演説でアドリブを交えること等を紹介しながら、インターネットメディアであっても「人の匂いがする情報を伝えるという役割」が重要であると語り、「あなたもわたしも派遣された宣教師」であり、「一人ひとりが広報による宣教を」行うよう勧められた。

2022年 キリスト教一致祈祷週間 東京集会

エキュメニカルオンライン礼拝

世界のキリスト教諸教会は、毎年1月18日~25日を「キリスト教一致祈祷週間」と定めている。東京では毎年この時期に、日本キリスト教協議会(NCC)とカトリック東京大司教区の共催で「キリスト教一致祈祷週間 東京集会」が行われている。今年の東京集会は、初めての試みとしてオンライン配信で行わた。

1月18日の配信開始に先立ち、年明けすぐの1月6日午後、日本聖公会聖バルナバ教会にて礼拝の収録が行われた。当日は大雪の天気となったが、司式の菊地功大司教、説教を担当した吉髙叶牧師(NCC議長)をはじめ、朗読や祈願のために諸教派から奉仕者が集まった。

朗読奉仕として参加した永井裕子さん(小岩教会所属)は「録画収録のための、一般の会衆者がいない小さな集まりでした。コロナ禍はエキュメニズムにも困難をもたらしていると感じられるとともに、キリスト教一致祈祷週間に向けて、関係の方々が知恵を集めて準備しておられることを実感しました。(エキュメニズムに関しては)以前、プロテスタント神学校の司書の方々の集まりで歴史資料の取り扱い方法について講師をしたことがあります。信徒として、身近な分野で、協力できることに取り組んでいけたらと思います」と述べた。

同じく朗読を担当した牧由希子さん(CWS  Japan ディレクター)は「日本キリスト教協議会(NCCJ)の書記を務めているという立場もあり、日頃からNCCJとカトリック教会間の友好な関係や交流に関心があります。私はエキュメニズム推進派で、また、多様性を重んじています。単一であるよりも異なる価値観との融合の中から、新しい価値観が生み出されることに魅力を感じており、従来の生活様式や秩序が覆されるような現在の社会状況下ではそれがブレークスルーになると信じています」と語った。

なお、オンライン礼拝はNCCのYouTubeチャンネルで視聴可能。

菊地大司教による派遣の祝福

共に祈りを唱える参加者たち

 

東京大司教区司祭人事

東京教区では、2022年度の司祭の人事異動を以下のように決定しましたので、お知らせします。
東京大司教 菊地功

東京大司教区司祭人事(第1次)について (2022年1月11日)

(4月17 日付)赴任は復活祭後

新任地 名前 旧任地
高幡教会 主任司祭(兼任) 辻 茂師 八王子教会主任
多摩教会      主任司祭      宮下 良平師  目黒教会主任
立川教会      主任司祭      荒川 博行師 梅田教会主任
本所教会      主任司祭      豊島 治師 多摩教会主任
銚子教会      主任司祭      渡邉 泰男師  本所教会主任
高円寺教会 主任司祭 高木 健次師 潮見教会主任
目黒教会      主任司祭 アントニオ・カマチョ師
(グアダルペ宣教会)
京都教区
梅田教会      主任司祭  ジャンルーカ・ベロッティ師
(ミラノ外国宣教会)
高幡教会主任
潮見教会      主任司祭      パル・ベルドス師
(スカラブリニ宣教会)
千葉寺、西千葉教会助任
西千葉、千葉寺教会助任司祭 古市 匡史師 八王子教会助任
本郷教会      協力司祭(居住) 門間 直輝師 立川教会主任
高幡教会      小教区管理者、
八王子教会協力
ホルヘ・ラミレス師 関口教会助任
青梅、あきる野教会
小教区管理者
石脇 秀俊師 教区本部協力
高松教区      出向(3年) 森 一幸師  銚子教会
     
法人事務部長 退任 髙木 賢一師  
法人事務部長 新任 門間 直輝師  
ペトロの家 吉池 好高師 高円寺教会主任
教区外・神言会管区本部へ ディンド・サンティアゴ師
(神言修道会)
事務局次長・司教秘書
生涯養成委員会 退任 森 一幸師  
生涯養成委員会 新任 ホルヘ・ラミレス師  

 

東京大司教区司祭人事(第2次)について (2022年1月28日)

(1月31日付)

任地 名前  現任地
松原教会主任を退任、仙台司教へ  エドガル・ガクタン師(淳心会) 松原教会主任司祭
松原教会小教区管理者
(2022年4月17日まで) 
ガル・アルジャンタ・ブブン師
(淳心会)
松原教会助任司祭

 

(4月17 日付)赴任は復活祭後

任地 名前 現任地
麹町教会主任  サトルニノ・オチョア師
(イエズス会)
福岡修道院
松原教会主任 ウィフリデュス・ガッラ師
(淳心会)
姫路教会主任司祭
教区外へ
大阪教区六甲教会へ
英 隆一朗師(イエズス会) 麹町教会主任司祭

 

東京大司教区司祭人事(第3次)について (2022年2月9日)

(4月17 日付)赴任は復活祭後

任地 名前 現任地
麹町教会助任  グエン・タン・ニャー師(イエズス会) 麹町教会協力司祭

(4月1日付)

任地 名前 現任地
大司教秘書   キム・イル師(神言修道会)  刈谷教会主任(名古屋教区)

以上

 

編集後記

平和とは、平和を願う心から生み出されるものだろう。では、争いとは、争いを願う心から生み出されるのだろうか。

たとえ争いを願わなくても、誰かが傷つくことを望まなくても、平和への願いが欠けた時、その隙間を埋めようとする悪の誘いは、争いを生む。

だから私たちは、どんな時も平和を願い続けるのだ。それができないなら、平和を願えるように願い、祈るのだ。

私たちの小さな願いが、想いが、祈りが、平和という実りの種となりますように。(Y)