東京教区ニュース第389号

2021年12月29日

東京教区のみなさん、主の降誕と新年のおよろこびを申し上げます。

大司教 タルチシオ 菊地 功

東京教区のみなさん、主の降誕と新年のおよろこびを申し上げます。

「明けない夜はない」などと言われますが、この二年ほどの間、私たちは感染症によってもたらされた世界的規模の暗闇の中で彷徨ってきました。たびかさなる波の襲来や変異株の出現など、不安を増し加える出来事が相次ぐ中、徐々にウイルスの研究も進み、夜明けは近いと感じることができるようになりました。

しかし、さまざまな形で影響を受けた世界では、感染症からだけではなく経済的にも、いのちが危機に直面し続けています。

この二年間、教区からお願いしたさまざまな感染対策をご理解くださり、協力してくださっている皆様に、心から感謝申し上げます。自分の生命を守るためだけでなく、互いの生命を危険にさらさない行動は、隣人愛の選択であるとともに、神から与えられた賜物である生命を生きている私たちの努めでもあります。ミサの公開中止などは極力避けたいと思いますので、今後も状況を見極めながら、判断を続けます。感染対策の指針がしばしば変更となって混乱を招く場合もあり恐縮ですが、ご理解いただきますようにお願いいたします。新しい年になっても、今しばらくは慎重な対応が必要だと思われます。互いに支え合いながら、歩んで参りましょう。

さて、教会は今、シノドスの歩みをともにしています。詩編100の3節に、「わたしたちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ」と記されていますが、洗礼によってキリストの体において一つに集められた私たちは、神に養われる羊の群れとして、神の民を形作っています。わたしたちはともに歩む共同体です。

第二バチカン公会議の教会憲章は、教会が個人の信心の積み重ねであると同時に、一つの神の民であることを強調しました。教会憲章には、「しかし神は、人々を個別的に、まったく相互の関わりなしに聖化し救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に神に仕える一つの民として確立することを望んだ」(教会憲章9)と記されています。

神の民を形作るわたしたち一人ひとりには、固有の役割が与えられています。共同体の交わりの中で、一人ひとりが自らに与えられた役割を自覚し、それを十全に果たすとき、神の民全体はこの世にあって、福音をあかしする存在となることができます。わたしが司教職のモットーとしている「多様性における一致」は、それぞれの役割を認識し、その役割を忠実に果たすところに多様性の意味があり、キリストの体をともに作り上げることに、一致があります。

わたしたちの信仰は、共同体における「交わり」のうちにある信仰です。わたしたちの信仰は、キリストの体である共同体を通じて、キリストの体にあずかり、いのちを分かち合い、愛を共有する交わりのなかで、生きている信仰です。

交わりによって深められたわたしたちの信仰は、私たち一人ひとりに行動を促します。「交わり」は互いの声に耳を傾ける「聞く」態度を生み出し、そこから「参加」を生み出します。一人ひとりが共同体の交わりにあって、与えられた賜物にふさわしい働きを自覚し、それを十全に果たしていくとき、神の民は福音をあかしする宣教する共同体となっていきます。ここにシノドスのテーマ、「ともに歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」の意味があります。

今回のシノドスの歩みを通じてわたしたちは、共同体における信仰の感覚をとおして、神の民であるという自覚を深めるように招かれています。確かに会議を開いて、設問に回答を見出していく作業は、何かを成し遂げたという実感を与えてくれます。ところが今回、教皇様は、会議をして結論を出すことよりも、「神の民」であることの自覚を共有するための学びや分かち合いの過程そのものが大切なのだと強調されます。

教区担当者である小西神父が中心になって、さまざまな学びのためのビデオを作成しておりますので、是非ご覧いただき、その内容について、複数の方と心に浮かんだ思いを分かち合うことを、それぞれの小教区では続けていただければと思います。

教会は社会の現実の苦しみ、特に今般のパンデミックによる痛みへの共感を持つように招かれています。社会にあって今を一生懸命に生きている人たち、すなわち貧しい人々との対話や連帯へと招かれています。いのちを生きる道や文化の多様性を尊重するように招かれています。

シノドスの歩みに合わせて、東京教区では先に発表した宣教司牧方針を深めてまいります。宣教司牧方針は、私たちの教会が、「宣教する共同体、交わりの共同体、すべてのいのちを大切にする共同体」となることを目指しています。この実現のため、シノドスの歩みから私たちはさまざまな示唆をいただくことができます。

宣教司牧方針を具体化して行くにあたって、この春には、東京教区のカリタス組織である「カリタス東京」が誕生します。教会にとって愛の奉仕の業は、福音宣教と祈りや典礼と並んで、欠かすことのできない本質的な要素です。同時に、現在の教区の体力の中で、広くさまざまな課題に取り組むためには、組織を集中させることが不可欠です。教区内ですでに活動しているさまざまな動きと連動しネットワークを強化しながら、教会の愛の奉仕の業を深めてまいります。

教区カテキスタ養成を含めた生涯養成に関しては、コロナ禍で実施が滞ってしまったところがありますが、状況の緩和に合わせて、さらに充実させていくよう努めます。

また、宣教協力体の見直し作業と、小教区規約の規範版の作成を、教区宣教司牧評議会に諮りながら、作業部会を設置して議論を深める予定でした。残念ながら宣教司牧評議会を開催することができずに一年が経過してしまいました。これも状況の緩和を見極めながら、早急に作業を再開する予定です。

ところで、この2月からわたしは、日本カトリック司教協議会の会長に就任することになりました。任期は3年です。選出していただいた司教様方の期待に応え、日本の教会のために全力を尽くしたいと思います。また、先般わたしは、アジア司教協議会連盟の事務局長にも選出されました。アジア各国の司教協議会のこの連盟は、日々の実務を香港に駐在する事務局次長に委ねるものの、任期の2024年末まで、できる限り責務を忠実に果たしたいと思います。求められている責務を忠実に、ふさわしく果たすことができるように、皆様のお祈りによる支えを、心からお願いいたします。

先般教皇様は、仙台司教として淳心会会員のエドガル・ガクタン師を任命されました。仙台教区の皆様にお祝いを申し上げると同時に、東京教区にとっては松原教会の主任司祭を失うことにもなりました。ガクタン被選司教のこれからの活躍の上に、神様の祝福を祈ります。

なお、今年2022年の待降節第一主日から、日本語の典礼式文が変更となります。30年余にわたる翻訳作業と、試行錯誤と、典礼秘跡省との交渉の実りです。今後、式文以外のミサのさまざまな祈りの文章も新しくなっていきます。よりふさわしい典礼を行うことができるように、この際、典礼についても学びを深めていただきますようにお願いいたします。

新しい年の初めにあたり、皆様の上に、全能の御父の豊かな祝福がありますように、お祈りいたします。

仙台教区に新司教任命

教皇フランシスコは、12月8日20時(ローマ時間お昼)、2020年3月から空位であった仙台教区司教にエドガル・ガクタン(Edgar GACUTAN)師を任命された。

ガクタン被選司教は、フィリピン出身の淳心会会員で、現在は東京教区松原教会主任司祭。2014年1月から2017年3月までは仙台教区に派遣されていた。

詳細は追って仙台教区から発表される。ガクタン被選司教様、仙台教区の皆様、おめでとうございます。

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ガクタン被選司教は、日本のカトリック教会にとって初のフィリピン出身の司教となる。また、那覇教区のウェイン・バーント司教(アメリカ出身)、さいたま教区の山野内倫昭司教(アルゼンチン国籍)、福岡教区のヨゼフ・アベイヤ司教(スペイン出身)と、近年外国籍の司教任命が続いている。このことが持つ意味を菊地大司教に伺った。

菊地大司教 長い禁教の時代が終わり、1846年にキリスト教の宣教が再開されてからしばらくの間、日本で働く司教の多くは外国人が任命されていました。これは、再宣教以降、司教にふさわしい日本人聖職者の養成にしばらくの時間を要したからです。日本人で最初に司教に叙階されたのは早坂久之助司教で、1927年のことです。

現代の日本のカトリック教会で外国人司教の誕生が相次いでいるのは、これとは事情を異にしていると思います。今や、日本のカトリック教会は多様なルーツを持つ人が集まる場であり、数の上では外国人信徒が日本人信徒を上回っているという推計もあります。日本の教会は日本人だけのものではないのです。その中で、牧者である司教にも多様性が求められているのは自然なことではないでしょうか。 中でも日本の教会を各地で支える存在となっているフィリピン出身の信徒の皆さんのことを思うと、フィリピン出身の司教が初めて日本で誕生したことには意味があると感じています。

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クリスマスを一週間後に控えた年の瀬、松原教会にガクタン被選司教を訪問し、今の率直な思いを聞かせていただいた。

笑顔でインタビューに応じるガクタン被選司教

─仙台教区司教の任命を受けたお気持ちを聞かせてください。
ガクタン被選司教 12月1日のことです。教皇庁大使館から「大使館に来てください」との電話があり、その日の夕方に大使館に向かいました。大使館に着くと教皇大使のボッカルディ大司教から直接「教皇様があなたを仙台司教に任命しました」と告げられました。突然のことで驚きました。もちろん光栄なことではあるし、恐縮でもあります。色々な感情が起こり、ぽろっと涙が出てきました。しかし私は修道者です。修道者は役職や奉仕を命じられたら「はい」と答えなければなりません。大使とは英語で話していたので「Yes, I accept.」と答えましたが、日本語の方が綺麗な表現があります。心の中では「謹んでお受けいたします」と答えました。

─被選司教様は以前仙台教区でも働いていましたが、仙台教区の思い出は?
ガクタン被選司教 最初の縁は2011年、東日本大震災の直後です。大阪教会管区に対して仙台教区へ司祭派遣の依頼があったので、そのための視察に行きました。岩手県の大船渡教会が大阪教会管区の拠点となることが決まっていたので、まずは大船渡教会を訪れました。2014年1月から2017年の3月までは実際に仙台教区に派遣され、大船渡に住み、カリタス大船渡ベース長、 仙台教区第4 地区担当司祭、仙台教区外国人支援センターセンター長を務めました。2015年にはベース長を信徒に引き継ぎ、その後は落ち着いて教会の復興に関われるようになりました。2016 年の夏には教会と司祭館をリフォームし、「御殿ができた!」と喜んだのですが、2017年には大船渡を去ることになってしまったので建設の元を取るまではいきませんでした(笑)。

その他、2011年9月のアキノフィリピン大統領の石巻市訪問に随行したこと、2015年2月にマニラ大司教のアントニオ・タグレ枢機卿(現・福音宣教省長官)の日本訪問に随行し、仙台でともにミサを献げたことも心に残っています。

─フィリピン人として初めて日本の司教に選ばれたことをどのように感じていますか?
ガクタン被選司教 恐縮ではありますが、もちろん誇りとも思っています。私はあくまでも日本人ではないので、身についていない習慣、思想、表現があります。それでもできる限り、自分の想いを通じる言葉で伝えていきたいです。そして、今の日本の教会には大勢のフィリピン人信徒がいます。彼らとフィリピンの言葉でコミュニケーションできることはアドバンテージだと思います。 外国出身ではあっても、30年間という長い年月の日本滞在によって、日本の風が私に染みこんでいるところがあります。日本に吹いている聖霊を受け入れて、仙台の皆さんとともに歩みたい、皆の司牧者になりたいと思います。

カリタスの家だより 連載 第139回

子どもたちの気配を感じながら
子どもの家エラン ボランティア 大森もと子

私たちは、週に一度エランの一室で教材を制作したり補修したりするお手伝いをしています。

はじめのうちは、先生方が用意してくださる本を参考に、この中から何を作ろうか、どれなら作れそうかと迷いながら少しずつ作品が出来ていきました。そのうち先生方から必要な教材のリクエストをいただくようになり、思案したり迷ったりする時間が減り、作業はスムーズになってきました。材料を色々と揃えてくださるので工夫にも熱が入ります。

エランにやって来るお子さんたちが、与えられた能力を、それぞれにちょうど良いペースで伸ばしていけるように、先生方が毎日たゆまず取り組んでいます。数の概念、数え方、色彩の種類と美しさを楽しむことと、手先の使い方、指先の意識を促す、生活に必要なものの扱い方等々、さまざまな用途の為に楽しく遊びながら習得につながる教材があります。お子さんたちの成長や喜びを想像しながら、手を動かして、制作していくのは私たちにとっても、なかなか良い時間です。

私たちは生徒さんたちと接触することはありませんが、年に一度教室に伺い、エランでの一日の始まりを見学したり先生が私たちを紹介なさったりします。お子さんたちは、元気いっぱいで先生を信頼しているし、先生方は可能性が潜在している事に信頼して子供たちを一人の人間として尊重している、その双方のやりとりを拝見するのは、普段糸や針やクレヨンで教材制作を続ける私たちのよい動機になり貴重なひとときでした。

神様は、一人として同じ人間をお造りにならないので効率を望むこの世では、折り合いをつけ、我慢も求められます。けれども、私たち大人も含め一人一人、違いながら各々にとって居心地の良い場所のあるこの世であってほしい、その場所で一緒に神さまに喜ばれる者に成長していけますように、と願っているのが、ここエランなのでしょう。

福島の地からカリタス南相馬 第8回

援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子
共に住み共に生きる

2016年7月に、東京電力福島第一原発事故被災20キロ圏内の、南相馬市小高区が避難指示区域解除されました。

ボランティアセンター「カリタス南相馬」で活動を続けていた、私たちの姉妹が、この地域の復興には時間がかかると判断し、しっかり腰を据えて働きたいと、修道会本部に支部修道院を開設するよう要請し、2018年3月19日聖ヨセフの祝日に、小高区に修道院が開設されました。修道院を開く前に、そのシスターは地元の方に、この小高で自分たちに何ができるのだろうかと、尋ねたところ、「街に私たちと一緒に住んで、一緒に生きてください、街に明かりをつけてください。」と言われ、それなら自分たちにもできることで、共に生きることによって、地元の方々にとって、本当に生きる希望となれるようにと願って、決断しました。

小高に最初に帰還した方の街の第一印象は、色もない、生活のにおいもない、無味無臭無明の街と感じたそうです。 そしてカリタス南相馬のボランティア支援活動に参加させていただきながら、小高の住民の方との関わりも少しずつできてきました。

小高工房の中に「なんばんひろば」という誰でも来て憩える場(前身プラットホーム)、を開いて、小さな関りの場をつづけていますが、「なんばんひろば」を開いたちょうどその頃、コロナ感染拡大のため、活動は事実上空転している状態ですが、細々と続けています。コロナが終息することをひたすら願っています。

戸別訪問では、何回か訪問を重ねているうちに、ポロッと本音を吐き出して、「ああ、安堵した!」と言われたときは、私の最高の喜びです。何も大きなことはできませんが、一人でも多くの方に、十年以上も背負い続けた荷をおろすお手伝いができればと願って、日々の小さな関りを大切に、明かりを灯し続けたいと思っています。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第254号

CTICのベビーブーム

CTICでは妊婦さんや生まれたばかりの赤ちゃんを抱える人たちからの相談が増えており、ちょっとしたベビーブームが起きています。ベビーブームというと昭和20年代の、終戦の安堵と希望から生まれたものを思い浮かべますが、CTICのベビーブームはそれとは全く雰囲気の異なるものです。新型コロナウイルス感染症蔓延やミャンマーの内戦により祖国に帰国できない若い人たちの間で起きているものだからです。本来なら親元で、両親や親せきの方々に助けられ見守られながら新しい命の誕生を心待ちにして過ごす希望に満ちた時期を、日本という文化の異なる場所で、夫婦だけで、出産費用や赤ちゃんの衣類の心配をしながら、自分たちの家庭を作ろうとしている人たちが主役だからです。

そんな方々から出産や出産の準備についていろいろ尋ねられた時にきちんと返答ができず困っていたところ、「私にできることがあったら手伝いますよ」と連絡をくれたのが、6月に2人目のお子さんを出産したばかりの、ラテンアメリカ出身のRさんでした。幼いころに来日し、日本で育ったRさんですが、彼女も初めての出産を、夫婦だけで乗り切った女性です。早速、出産を間近に控えた2人のミャンマーの妊婦さんと配偶者のための「マタニティクラス」(母親学級・両親学級)を彼女にお願いしました。目黒教会内の一室で、いくつかの小教区からいただいた妊婦さんや赤ちゃんのための雑貨や衣類を使って行われたマタニティクラスには、Rさんの5か月の赤ちゃんも参加したため、おむつ交換などの実習も行うことができ、参加者は大喜びでした。「入院に必要なものは?」「真冬に生まれる赤ちゃんのためにどれくらい衣類が必要?」「哺乳瓶は耐熱ガラスとプラスチックとどちらがいい?」「腰痛が辛いけれどどうすればいい?」など質問は尽きませんでした。

マタニティクラス

Rさんは、「日本で一番つらかった時期、その時間がずっと続くように感じて絶望していたけれど、そんな時間は永遠には続かなかったし、今はとても幸せです」など、自身の体験談を語りながら妊婦さんたちを励ましてくれました。

東京都で出産する場合、妊婦検診や出産入院の自己負担額が、健康保険加入者でも23万円以上かかると言われています。健康保険に加入できない人は、どんなに安く見積もっても80万円は準備しなければいけないとのことです。さらに衛生用品製造メーカーの調べでは、「新生児の育児用品には10万円以上かかる」とのこと。コロナ禍で収入が減少している外国人夫婦に準備できる額ではありません。そんな方々のために、いくつもの小教区の皆さんがマタニティ用品やベビー用品を準備してくださっています。また、近くに住む妊婦さんを継続的に支援し、励ましてくださっている小教区もあります。費用が準備できない方のために、日本カトリック管区長協議会・日本女子修道会総長管区長会からもご支援をいただいています。この厳しい時期の日本での出産が、ご夫婦と赤ちゃんにとって「それでもよかった」と思えるものであるために、今後も皆様の祈りと支援が必要です。

大迫こずえ

※現在、マタニティ及びベビー用品は在庫が十分ですので募集はしておりません。

ベビーバスの使い方

1月23日は「ケルンデー」

第2次世界大戦の傷あとの癒えない1954年、当時ドイツのケルン大司教であったヨゼフ・フリングス枢機卿は、ケルン大司教区の精神的な復興と立ち直りを願い、教区内の信徒に大きな犠牲をささげることを求めた。それは、東京教区と姉妹関係を結び、その宣教活動と復興のための援助をするという形で実現された。

日本と同様ドイツも敗戦国であり、ケルン大司教区も決して豊かではなかったが、フリングス枢機卿は「苦しい時にこそ、他人を助けるのが真の愛というものだ」と語ったという。それ以降、ケルン教区からは戦災で焼失した教会、諸施設の復興のため、毎年多額の資金が寄せられた。

東京教区は祈りによってそれに応えるとともに、日本人修道女をケルン教区に派遣し、保育や養老事業に協力した。

1960年、ケルンにて。東京大司教(当時)土井辰雄枢機卿(左)とケルン大司教(当時)ヨゼフ・フリングス枢機卿(左から2人目)

東京とケルンで姉妹関係を結ぶにあたり、ケルン教区では「東京デー」、東京教区では「ケルンデー」を定め、祈り合うという形がスタートした。姉妹関係25周年の1979年からは毎年1月の第4日曜日が互いの「東京デー」「ケルンデー」と定められている。

また、姉妹関係25周年にあたり両教区は、ケルン教区の精神をさらに発展させようと考え、25周年以降は力をあわせて、当時最も貧しい国の一つであったミャンマーの教会を支援することに合意した。こうして東京大司教区では、毎年11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定め、ミャンマーの教会のための献金を呼びかけることになった。

今年のケルンデーは1月23日。同じ日に東京のために祈りを献げているケルン教区の兄弟姉妹を想い、祈りを献げていただきたい。

東京教区とケルン教区、ミャンマーの教会との関係の詳細は東京教区ウェブサイト「ケルン・ミャンマーとの友好関係」コーナーをご覧ください。

2018年12月、ケルンにて。菊地功大司教とケルン大司教ライナー・マリア・ヴェルキ枢機卿(右)

レジオマリエ100周年

レジオマリエのシンボル

12月12日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、レジオマリエ100周年記念ミサが献げられた。司式は菊地功大司教。東京レジア指導司祭のオノレ・カブンディ神父(淳心会)をはじめ、レジオマリエに関係する多数の司祭が共同司式に加わり、150名ほどの会衆が参加した。 「レジオマリエ」という名前を聞いたことはあっても、どのような団体なのか詳しくは分からない方は少なくはないのではないだろうか。そこで今号ではレジオマリエ東京レジア指導司祭のオノレ神父に、レジオマリエについて詳しく解説していただいた。

オノレ神父

レジオマリエは、カトリック教会の承認を受けた祈りと活動のグループです。100年前、アイルランドのダブリンで、フランク・ダフという信徒の男性によって始められました。まだ第二バチカン公会議の前でしたが、レジオマリエは信徒が積極的に活動するための団体として始められました。1921年9月7日、「聖マリアの誕生の祝日」の前夜、ダフ氏は15人の婦人を集めてひざまずき、ロザリオの祈りを献げました。それがレジオマリエの出発点です。

今ではカトリック教会がある国にはどこにでもレジオマリエもあります。100周年を迎えた今年、ほぼ182カ国で、およそ1000万人の会員と賛助会員がいます。

レジオマリエの目的は、鳥の翼のように二つから成り立っています。一つは祈りを通して霊性を高めること、もう一つは使徒的活動です。この二つの目的から、レジオマリエは「祈りと活動のグループ」と呼ばれています。レジオマリエの祈りと言えば、ロザリオの祈りとテッセラの祈りです。ロザリオの祈りは、人類を救われるイエス・キリストのそばに尽くしておられる聖母マリアに心を合わせることです。「テッセラ」という祈りのパンフレットの中に、集会の時のレジオマリエの祈りが記されています。ゆっくり読んでみると、「教会の祈り」との共通点も多いのですが、「カテーナ・レジョニス」というマリアの賛歌(マニフィカト)が中心になっています。会員は、毎日欠かさずこの祈りを唱えます。

会員の霊性を目指しながら、小教区の司祭の指導のもとに自分の洗礼と堅信による福音宣教の使命を果たすために、聖母マリアと一致してキリストの救いの希望と喜びを人々に伝えることがわたしたちの目的です。その方法は、絶えず聖母マリアの取次ぎを願いながら、その生き方にならい、できるだけ謙遜に人々への奉仕に生きることです。

ダフ氏は、聖職者ではないのに、1964年に第二バチカン公会議に教皇パウロ6世に招待され、オブザーバーとして参加しました。1979年に教皇ヨハネ・パウロ2世は個人的にダフ氏をバチカンに招待し、各地でレジオマリエの使徒的活動を感謝しました。

その頃、レジオマリエは世界中で盛んになっていて、多くの司祭と修道者がレジオマリエから生まれました。わたしも15歳からレジオマリエに加わり、レジオマリエを通じて司祭として、宣教師としての召命を得ました。わたしの母国であるコンゴ民主共和国のレジオマリエには若い人が多く、多くの司祭や男女の修道者がそこから生まれています。

日本ではレジオマリエのことをよく知らない司祭も多いと思いますが、多くの国では神学生はレジオマリエに派遣され、そこで使徒職を学びます。レジオマリエの使徒職の中には病者訪問があります。日本では司祭だけが病者訪問を行っているケースも多いと思いますが、レジオマリエの会員はそれを助け、必要なことを司祭に報告することができます。レジオマリエは司祭を助けるためのグループだからです。「司祭の手と耳はレジオマリエ」という言葉もあります。もちろん、小教区でレジオマリエをスタートする時は主任司祭の許可が必要です。なぜなら、レジオマリエは司祭の指導のもとに祈り、さまざまな奉仕を積極的に協力することによって自分の聖性を生きることができるからです。

各教会で活動しているレジオマリエのグループは「プレシディウム」と呼ばれ、「レジア」というより大きなグループに属しています。現在、東京レジアの中には、横浜コミチウム、群馬クリアと韓人クリアも含めて275正会員と645賛助会員が所属しています。レジオマリエ会員は、カトリック信者であれば、誰でもなれます。毎週の集会に出席し、祈りと奉仕をします。会長の判断と指導司祭の許可で3カ月集会に出席した後、レジオマリエの会員に加えられることを望んだ訪問者は誓約することができます。

岡田武夫名誉大司教を偲んで

2020年12月18日に岡田武夫名誉大司教が帰天して、1年あまりの時が過ぎた。今号では生前の岡田名誉大司教をよく知るお二人にお話を伺い、岡田名誉大司教のエピソードや人柄について語っていただいた。

岡田大司教の思い出
関根 英雄神父(世田谷教会主任司祭)

哲学院生時代のことです。大学時代からの友人から「プロテスタントからカトリックに改宗したいという友人を紹介したい」という連絡を受けました。それが岡田大司教との最初の出会いでした。岡田学生は「高校時代に千葉のプロテスタントのファンダメンタリズム(キリスト教原理主義)の教会に通っていたが、カトリックに改宗したいと思うようになった」と言いました。なぜ改宗したいのかは詳しく聞きませんでしたが、当時は昭和30年代、まだ社会は暗く、貧困の時代です。誰もが新しい空気を求めていました。その中で岡田学生はファンダメンタリズムに行き詰まりを感じ、カトリックに光を求めたのかもしれません。

カトリックに改宗するためには公教要理を学ばなければなりません。当時はそれぞれの司祭の下に公教要理を習っている人が大勢いるような時代でした。岡田学生はとにかく真面目な人でしたので、彼の性格を考えると、くだけた人よりは真面目な人の方が合うだろうと思い、神秘家としても有名だったイエズス会のウィリアム・ジョンストン神父(※1)を紹介しました。

勉強を始めて1年ほど経った頃、岡田学生はカトリックの洗礼を受けることになりました。当時は、ファンダメンタリズムの教会で受けた洗礼の有効性には厳しい時代だったので、改宗式ではなく「条件付き再洗礼」という形になったのです。場所は上智大学のクルトゥルハイム。私や後の小林敬三神父をはじめ、数名の神学生が立ち会ったことを覚えています。

洗礼を受けた岡田学生は、麹町教会ではなく高円寺教会の所属になりました。当時の高円寺教会主任司祭は後に名古屋教区司教となる相馬信夫神父でした。相馬司教も岡田大司教も平和問題に関心の強い方でしたが、洗礼を受けたばかりの岡田学生にとって、同じ東大出身でもある相馬神父からの影響は少なくなかったのだと思います。

その後、大学を卒業した岡田学生は就職して四国へ引っ越しましたが、2年ほど経った頃「教区司祭になりたい」という手紙をもらいました。深刻な話はしませんでしたが、実社会に出て彼なりに思うところがあったのでしょう。未熟さにおける失敗もあったのかもしれません。実際、司祭生活は敗者復活の連続です。それが認められているからこそ、司祭は司祭であり続けることができるのだと思います。とにかく岡田学生は、自分の将来を考えた時に、カトリックの中に自分の人生を委ねたのでしょう。

岡田神学生が哲学院(市ヶ谷)に入学した時、私はすでに神学院(上石神井)で生活していたので、同じ場所で生活することはありませんでしたが、同じ司祭職を志す仲間が増えたのは嬉しいことでした。神学校では特に福島禎一神父(※2)の神学に惹かれていたようです。

神学校を卒業した岡田神父は、船橋教会、西千葉教会での司牧の後、ローマに留学します。ローマで宣教論も学んだ岡田神父は帰国後、日本カトリック宣教研究所所長も務めました。第二バチカン公会議十周年を記念して1975年に発表された教皇パウロ6世の使徒的勧告『福音宣教』の影響もあって、当時の日本の教会は宣教の熱気が満ちていました。ヨハネ23世とパウロ6世という二人の教皇によって導かれた第二バチカン公会議は、当時の若い神父や神学生にとって励ましであり、希望のしるしでした。

もちろん、第二バチカン公会議の精神は急に生まれたものではありません。19世紀ドイツの典礼刷新運動に始まり、教会刷新に熱心だった教皇ピオ12世の精神も受け継いでいます(※3)。カトリックには「二千年の歩みを日々新たに」というメンタリティがあります。現在のシノドスの歩みもその道筋の中にあります。岡田大司教はまさにそのメンタリティの中に生きた方でした。

(※1)ウィリアム・ジョンストン William Johnston S.J. 1925-2010 アイルランドのベルファスト生まれ。1951年来日。1957年土井枢機卿より司祭叙階。上智大学教授、同東洋研究所所長、東京大学講師党を歴任。2010年帰天。主著『愛と英知の道-すべての人のための霊性神学』他、永井隆や遠藤周作の英訳等。
(※2)福島禎一 1929-1991 東京教区司祭、上智大学神学部教授、神学博士。長年、東京カトリック神学院で教鞭を執る。ヨーロッパ的なキリスト教を日本文化の中でどのように解釈するかの研究に努めた。
(※3)ピオ12世の教会刷新の精神は、回勅『メディアトール・デイ』(1947)から特に読み取ることができる。

「アレルヤ会」の名付け親
森脇 友紀子(東京大司教区アレルヤ会 会長)

1969年7月3日、土井枢機卿により認可された「東京教区婦人同志会」が設立され、白柳大司教が顧問となられました。

1993年「東京教区女性同志会」と名称が変更され、2000年には岡田大司教が顧問となられ、2002年、会の名称を明るく「アレルヤ、アレルヤ」と神を讃える会にしようとのことで、創立時とは全く違う名称に変わり、「東京大司教区アレルヤ会」となりました。

2017年に創立50周年を無事に迎え、岡田大司教と菊地大司教の共同司式で記念ミサをささげていただくことができました。

会の顧問となられてから岡田大司教は、ご自分の願いを何かアレルヤ会に話しておられると常々、私は感じておりました。創立当時と時代は刻々と変わり、活動内容も変遷してまいりました。岡田大司教から何か相談を受ける時は、一歩立ち止まり、呼吸を整え、緊張したことを思い出します。そんな時、いつも笑みはなかったからです。頭を抱え込み、何をどのようにすればいいのか解決を見出せず、常に考えていらしたお姿は忘れられません。顧問になられた2年後「司祭のための祈り」を作り、多くの方々に祈っていただこうと、発案がありました。これがまず数々の困難を乗り越えられるための最終手段だったのではと今にして思います。ご一緒に祈りの内容を考え、最終的には岡田大司教がまとめられて、祈りは完成しました。

祈りの内容を考える時、司教、司祭、神学生が、その道を完走するのは容易ではないので、有終の美を飾れるよう、切に祈ってほしいことと改まって私に「森脇さんは、お義兄様を司祭にささげられた家族だから、気持ちがわかりますよね」と言われました。私は「はい。兄弟姉妹や義母のことはよくわかります」とお返事いたしましたところ、「そこなんだ。家族から司祭を出すことは大きな恵みだけれど、そのことから家族は、人には言いにくい種々の犠牲をささげている。このことを皆にわかってもらえるように、祈りの中に加えましょう。カトリック国ではない日本でしか理解できない問題だからね」と。ああ、岡田大司教が悩んでいらしたことの一つはここだったのかと、私も同感し「司祭のための祈り」が完成しました。

会の創立当時からの会員もいらっしゃいますが、高齢化が進みました。外出不可能な方も増えました。ただ、「祈る」ということは、どこでも、いつでもできるということを会員はよく理解していますし、祈りの力を信じているのです。 コロナ禍に入り、会はいろいろな行事を開催することができない状態です。現在は観想修道会のように、ひたすら祈りに徹しています。世代交代をし、魅力のある会にしなければ、若い方は集まらないのではとのご意見も多く聞こえてまいりますが、「祈る」ということの重大さを岡田大司教は無言のうちに語られたのです。あの難しいお顔が目に浮かびます。今はきっと天国で「そうそう。祈ることが一番です」と微笑んでいらっしゃるとわたしは信じています。

ご家族がカトリック信徒でない神学生、司祭も多くいらっしゃいます。岡田大司教のお苦しみの一端であった、司祭をささげた家族のことを多くの信徒にご理解いただくことこそによって、皆様ご存じのあのお顔が輝くことでしょう。岡田大司教が地上に残していかれた願いのためにアレルヤ会は祈り続けます。

岡田大司教様、どうぞご安心くださいませ。必ずいつまでも祈りは引き継がれてまいりますから。

知っていますか?私たちの「信仰」を?

「共に歩む信仰の旅 ─同伴者イエスと共に─」

無事、開講の御報告 担当司祭◉猪熊太郎

コロナ禍が始まって、既に2年余り。

最近の東京や日本は、諸外国とは異なり、爆発的な感染状況もなく、むしろ、コロナが収束したかのように鎮静化していますが、変異種の発生に脅かされているのは現実。これからの1~2ヶ月、まだまだ、気が抜けない状況が続きそうです。

ちょうど昨年の今頃、東京でも感染が本格的になり、緊急事態宣言の発出もあったので、私たちの「カテキスタ養成講座」は、中途での休講を余儀なくされました。このため、第3期生7名は、丸々1年間、ひたすら、講座の再開を待つことになってしまいました。

一方、講座が再開された時に備えて、毎年のことになりますが、新規の募集もしていました。第4期生たちの募集でした。この募集に、6名の方々が応募して下さいました。

1年間待たされた第3期生たちと、コロナ禍の真っ只中、新たな募集に応えてくれた第4期生たち。総勢13名が、去る10月23日(土)に集まり、第3・4期生として、無事、開講の日を迎えることができました。

この記事が出る頃には、既に、5~6回の講座を終えていると思います。

彼らは、これから来年の9月まで、隔週の土曜日に、講座に参加を続け、2022年9月に予定されているカテキスタ認定・任命ミサを迎える準備をすることになります。

彼らが現場に立つ日も遠くありません。

彼らがその日を迎えることができるよう、経口治療薬が早期に承認・販売され、感染が大きくなっても対処できるようになっていることを、私たちの講座がコロナによって中断されることなく、継続していくことができるよう願うばかりです。皆様のますますのお祈りをお願いしたいと思います。

最後になりますが、2022年1月末になりますと、各小教区宛に送付された案内書によって、新たに、第5期生の募集も始まります。 皆様の応募をお待ちしています。

カテキスタ受講生の声

信仰を伝えるために
受講者◉第3期生 関口教会 中井美帆

「80代の教皇様が日本でこんなに頑張ってくださったんだから、僕らももっとがんばらないとねえ」。教皇フランシスコが来日され、カトリック関口教会での「青年の集い」「東京ドームミサ」にあずかった後の帰り道、一緒にいた友人が言った言葉です。教皇様が目の前にいらした、不思議なお祭りの後のような感覚は人生で初めてで、今でも時々思い出し、ひたることがあります。

20~30代の若者たちが集まった「青年の集い」で、教皇フランシスコは真摯に、情熱をもって、時折、ユーモアを交えて我々に一番大切なことを語りかけてくださいました。

「大切なのは人生で何をなしたかではなく、どれだけ愛したか」。成果主義、能力主義を前提に、毎日、ものすごい速さで進む現代に生きていると、本当に大切なことをすぐ忘れてしまいます。

「こんな忙しいスケジュールでいいのか」と心配する他ないようなスケジュールで日本各地を訪れてくださった80代の教皇様。30代の私が、今、日本でできることがなんなのか、ずっと考えています。 私が「カテキスタ養成講座を受けてみよう」との思いにいたったのは、確実に教皇フランシスコの来日がきっかけだったのです。 カテキスタ養成講座の最初の3回、猪熊神父様の「信仰の基本の『き』」とも言えるような講義を受けたところで、コロナ禍に飲み込まれ、講座自体がお休みになってしまいました。

私は幼児洗礼で、物心ついて、気づいたらクリスチャンだったような人間なので(言い訳になりませんが)、最初の3回の猪熊神父様の講義は、本当に本当に、目から鱗というか、大変わかりやすく勉強になり、漠然ととらえていた「信仰」に輪郭を与えてもらえるような講義で、とにかく、「めっちゃ」面白かったです。ちょっとでも興味がある方は、見学だけでもいらっしゃったらいいのではないでしょうか? 心からおすすめします。

コロナ禍で人に会えなくなり、緊急事態宣言中は特に、コミュニケーションといえば、インターネットや電話を使って「話す」ことぐらいでした。

コロナ禍でたくさんの人とオンラインで会話をしましたが、私の友人で現代アートの作家をしている人がおり、その人はクリスチャンではないのですが、世界史に興味があって、世界史を理解するにはキリスト教世界のことも知りたいと、私にキリスト教についていろいろ聞いてくれました。

私も知っている限りのことを一生懸命話しました。このような話をゆっくりできたのは、家にいる時間をたっぷりくれたコロナ禍のおかげだったかもしれません。

その友人は私の話を興味深げに聞いてくれましたが、「あ~、こんなことを言っても、大前提、「信仰」がないと、よくわかんないだろうな~」という場面が何度もありました。

というか、「信仰」が根底にないと、全て理解できないことなのかもしれません。これを書いていて、今、思いいたりました。

教会を訪れた方に「信仰」の体験を語るのがカテキスタだと、猪熊神父様が何度も説明してくださいますが、自分でも納得できるくらいの語りかけをできるような人間に早くなりたいです。

私は知識不足ですし、「頼りないな~!」と、ほぼ毎日、クヨクヨしていますが、お祈りし、イエス様に励ましていただきながら、進んで行けたらと思います。

声をあげてみたら
受講者◉第3期生 亀有教会 田中芳保

ある日のこと、近所の郵便局へ行った帰り道、信号機のある横断歩道で自転車に寄りかかるようにして、路上に尻餅をついた一人の男性を見かけました。私は、てっきり自転車から落ちたのだろうと見ていました。すると男性は肩に掛けたバッグから、携帯電話を取り出し耳元にあてた途端、そのまま車道へ仰向けに倒れ込んだのです。

この事態を目撃した私は慌てて男性に駆け寄り、「どうしました! 大丈夫ですか?」と声を掛けたものの反応はなく、すぐさま、119番に通報しました。

「火事ですか? 救急ですか?」という問いかけに事態を告げました。署員からは、「呼吸していますか?」と尋ねられましたが、男性の息は感じられません。続いて署員は、「心臓マッサージができればお願いします」とのこと。

私は「分かりました」と答えたものの、男性は片側一車線の車道に倒れ、このままでは往来する車に引かれかねません。先ずは安全な歩道へ男性を移すべく、辺りに立つ人たちに向かって、「この方を歩道へ移すので、どなたか手を貸してください!」と幾度も声を張り上げお願いしましたが、誰一人として手を貸そうとしません。

取り巻く人たちは多いが、傍観者のように思えました。そこで、見物人の一人を指差し「あなたの手を貸してください!」と協力を求めた結果、どうにかして歩道へ移すことができました。そして、心臓マッサージを始めようとした矢先、救急車が到着し男性は直ちに搬送されました。

現場が千住消防署の目と鼻の先であったことが幸いしました。その後、警察官から目撃した時の様子を尋ねられ、「倒れた男性のすぐ目の前を、歩行者と自転車が通り過ぎた」のを見たのです。なぜ、男性は携帯電話を取出すまでもなく、この人たちに声をあげて助けを求めなかったのだろう? あるいは、路上で尻餅をつき動けずに困っている男性を見掛けた人たちが、声を掛けることもなく、何事もなかったように素通りしたのだろう? もし、素通りした人たちが、この男性と顔見知りであったならどうであっただろうか? 多分、見て見ぬふりでは難しいでしょう。 この出来事はコロナ感染の始まる一年ほど前に起きました。

私たちは命と暮らしを守る戦いを強いられている一方で、周囲の苦痛から自らの目を背けることによって、今ある、「壊れやすい幸福」を精いっぱい維持しようとするのだろうと思うのです。

私の場合、路上で物乞いをしている人の目を見る勇気がなく、目を逸らすことがあります。しかし時として、そのような自己防衛に気疲れし、耐えられないこともあるのです。人々との関わりや絆に支えられている筈の、しなやかで張りのある心と体まで鈍とくさせるような、移り変わりの激しい現代社会にあって、私は、カテキスタ養成講座において、言葉や知識だけでない、学びの「体験」を育んで、信仰者としての足腰を鍛え直したい思っているのです。

新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けて

ミサの構造と<開祭>

前号では新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」が導入される概要について、教区典礼委員の小池亮太神父に解説していただいた。今号から複数回にわり、具体的な変更点に関して小池神父からの解説を連載する。

新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」で変更される、会衆と奉仕者が唱える箇所を具体的に見ていく前に、ミサの構造について簡単に確認したいと思います。

ミサは、〈開祭〉〈ことばの典礼〉〈感謝の典礼〉〈閉祭〉という四つの部分で構成されています。〈開祭〉と〈閉祭〉は司式者の席で行われ、〈ことばの典礼〉は朗読台、〈感謝の典礼〉は祭壇で行われます。聖堂の内陣の大きさや構造、配置などによって若干の違いはありますが、基本的に「どこで行われるか」によって「今、何が行われているか」が分かります。

今回は、ミサの始めに司式者の席で行われる〈開祭〉の変更箇所を説明していきます。

※説明にある「司」は「司式者」、「会」は「会衆」、「先」は「先唱者」の意味です。

【あいさつ】

司「主は皆さんとともに」
会「またあなたとともに」

「司祭とともに」という言葉が使われて来ましたが、ここでの「司祭」とは「祭儀を司る者とともに」という意味です。しかし、カトリック教会には叙階の秘跡を受けた「司祭」がおり、さらに、小教区でミサを司式するのが「司祭(神父)」であることが多かったので、「司祭」という言葉を「祭儀を司る者」というより「叙階を受けた司祭」という意味で受け取られるのは自然なことだと思います。例えば、「司教が司式するミサで『司祭とともに』と言う時に違和感を覚える」という原因もここにあると思います。

この箇所のラテン語規範版には「祭儀を司る者」という言葉は無く、直訳すると「またあなたの霊とともに」となります。しかし、日本語の「霊」は、人それぞれに様々な意味に受け取られるので、他の国々や他教派の式文を参考にして「霊」という言葉は使わずに「またあなたとともに」となりました。「あなた」という呼びかけは、日常生活の中で使われることがほとんどありませんから、慣れるまで少し妙な感じがするのは仕方がないでしょう。

【回心の祈り 一 】

司「全能の神と」
会「兄弟姉妹の皆さんに告白します。…  …すべての天使と聖人、そして兄弟姉妹の皆さん…」

「兄弟」が「兄弟姉妹」に変更されて、より普遍的な(いつでもどこでも誰にでも当てはまる)唱え方になりました。 この時、唱え始めから「アーメン」まで、手を合わせて頭を下げます。このような姿勢で、罪を悔いる心を表しますが、これは「日本のための適応」、つまり「規範版のとおりではなく、日本の習慣や言語に合わせて変更され、典礼秘跡省の認証を受けたもの」です。

【回心の祈り 二 】

全員で唱えるようになっていましたが、規範版に従って司式者と会衆が対話形式で唱えるように変更されました。
※式文は省略します。

【回心の祈り 三 】

連願形式で唱えることに変更はありませんが、「あわれみたまえ」という言葉が、司式者は「いつくしみを」、会衆は「いつくしみをわたしたちに」と変更されています。

また、「日本のための適応」として典礼歴に合わせた例文が加えられました。
※式文は省略します。

【いつくしみの賛歌(キリエ)】

先「主よ、いつくしみを」
会「主よ、いつくしみをわたしたちに」

式文が「あわれみたまえ」という文語から、「いつくしみを(わたしたちに)」と口語で唱えるように変更されます。歌う時のことを考え、「いつくしんでください」ではなく、「いつくしみを」となりました。会衆が唱える言葉に「わたしたちに」を加えることで、神への強い願いを表しています。

式文に合わせて、表題も「あわれみの賛歌」から「いつくしみの賛歌」に変更されました。なお、ギリシア語の読みをそのままラテン語で記した式文がラテン語規範版に載せられているので、日本語版にもカタカナにした式文が加えられています。

【栄光の賛歌(グロリア)】

天には神に栄光、

地にはみ心にかなう人に平和。

神なる主、天の王、全能の父なる神よ。

わたしたちは主をほめ、主をたたえ、 主を拝み、主をあがめ、主の大いなる栄光のゆえに感謝をささげます。

主なる御ひとり子イエス・キリストよ、

神なる主、神の小羊、父のみ子よ、

世の罪を取り除く主よ、いつくしみをわたしたちに。

世の罪を取り除く主よ、わたしたちの願いを聞き入れてください。

父の右に座しておられる主よ、いつくしみをわたしたちに。

ただひとり聖なるかた、すべてを越える唯一の主、

イエス・キリストよ、

聖霊とともに父なる神の栄光のうちに。アーメン。

※口語に変更された箇所が多く有りますので、全文を載せました。

聖書朗読や祈願などでは、「御子」は「おんこ」と読むように統一されていますが、栄光の賛歌では「みこ」という読みがあえて残されました。混乱しないように表記は「み子」となっています。 「天には神に栄光」という歌い出しは、司祭だけでなく、適当であれば先唱者や聖歌奉仕者が担当することもできます。

なお、表題にラテン語の表記「グロリア」が追加されています。

【集会祈願】

司式者が唱える集会祈願の「結びの定句」が、三種類になりました。

①祈りが御父に向かう場合
司「聖霊による一致のうちに、  
あなたとともに神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、  わたしたちの主イエス・キリストによって。」

会「アーメン」

②祈りが御父に向かうが、結びが御子に言及されている場合
司「主キリストは、聖霊による一致のうちに、  
あなたとともに神であり、生きて、治めておられます、世々とこしえに。」

会「アーメン。」

③祈りが御子に向かう場合
司「あなたは、聖霊による一致のうちに、  
御父とともに神であり、生きて、治めておられます、世々とこしえに。」

会「アーメン。」

①の「わたしたちの主イエス・キリストによって。」と言われれば「アーメン。」と自然に続けられますが、②と③の「世々とこしえに。」という終わり方は今までありませんでしたから、「アーメン。」と続けるのは難しいと思います。これは少しずつ慣れていくしかなさそうです。

次回は、〈ことばの典礼〉の変更箇所を説明します。

2022年キリスト教一致祈祷週間 東京集会

日時:1月18日(火)13:00~
司式:菊地功大司教(カトリック東京大司教区)
説教:吉髙叶牧師(日本キリスト教協議会議長)
主催:日本キリスト教協議会・カトリック東京大司教区

エキュメニカル礼拝をオンラインで配信します。
視聴は日本キリスト教協議会(NCC)の YouTubeチャンネルから。 

編集後記

新しい年の始まり、私たちは一年間の幸せを願う。同時に、まだ見ぬ未来には不安や恐れもある。「分からない」ということは誰だって怖い。でも、分からないからこそ、期待に胸を膨らませることができる。どきどきしたり、わくわくしたりすることができる。

新しい年がどんな一年になるかなんて誰にも分からない。悪の誘惑に引っ張られた時、「分からない」は絶望に変わる。しかし、「分からない」を胸いっぱいの希望に変えることだって、私たちにはできるはずだ。残酷な死の象徴だった十字架を、復活の栄光の象徴に変えた方と、私たちは歩んでいるのだから。(Y)