お知らせ
東京教区ニュース第388号
2021年12月07日
目次
東京大司教区のシノドスへの取り組み方
教区シノドス担当者
小西広志神父
東京教区のシノドスの歩みはすでに始まっています。これは2023年に開催されるシノドス(世界代表司教会議)第16通常総会の本会議へと向けた歩みではありません。教会がすでに備えているシノドス的特性を発見し、再確認し、豊かにしていく歩みなのです。
いわば、フランシスコ教皇さまが教会全体に呼びかけている新たな教会の姿への旅路なのです。
具体的取り組み
すでにお知らせいたしましたように、東京教区ではシノドスの歩みにあわせて特別なイベントなどは開催する予定はありません。その代わりに関連する動画を公開して、皆さまの教会についての理解を深める、体験を深める機会を提供したいと考えています。
シノドスへの歩みで必要なもの
シノドスへの歩みに関する教皇さまの発言に耳を傾けていますと大切にしなければならない態度、あり方に気づかされます。
識別する
今までの歩み、今の歩み、これからの歩みを静かに黙想し、聖霊はわたしたちをどのように導き、どのように力づけ、どちらの方へと向かわせているのかに気づくことが求められます。
聞く
教会に集う人々が教会をどのように受けとめているのかについてお互いに耳を傾けなければなりません。
参加する
参加するとは、わたしたちキリスト信者の基本的な姿です。ミサに、祈りに、ボランティアグループに、ひいては地域の活動に、社会に積極的に参加することが求められます。コロナ禍で参加の形は変わりつつあります。参加の仕方の工夫が求められています。
柔軟な取り組み
シノドスの歩みを通じて教会がどのように変わっていくのかは誰にも分かりません。父なる神さまの想いの中で、イエスさまのおことばに従って、聖霊の働きにわたしたちは身を委ねていくのです。ですから、2023年までの具体的なプログラムを計画書のように取りあげるのは難しいです。
宣教司牧方針を大切に
しかし、歩みの道しるべとなるのは2020年に発表した教区宣教司牧方針です。ここで取りあげている三つの柱(宣教する共同体、交わりの共同体、すべてのいのちを大切にする共同体)を実現させることを目指します。
2022年12月までの取り組み予定
2021年10月−11月 教会とは何でしょう?:共通理解を求めて
2021年12月−2022年6月 識別する:これまでの歩み、今の歩み、これからの歩み
2022年7月−12月 分かち合う:日本の教会とともに、アジアの教会とともに
教会ってすばらしい
2023年の取り組みについては未定です。皆さんの「識別する」、「聞く」、「参加する」に応じて取り組みを計画し、実施します。
2023年11月に本会議が開催されますが、その頃にわたしたち一人ひとりが、司教も司祭も奉献生活者も信徒も、そして教会に集うすべての人が、「教会っていいな。教会ってすばらしいな」と感じていただけたら、東京教区の取り組みは成果があったと言えるでしょう。
社会の状況が困難を極めているのと同じように、教会が直面する様々な課題もまた厳しいものです。それでも、「教会とは神の家なのだ」、「教会をよりよくしていくのはわたしたち一人ひとりなのだ」という実感を得たいものです。そのためにも日々の祈りは欠かせないと思います。
シノドス解説動画シリーズ「シノドスへの歩み」
東京教区では、小西神父によるシノドス解説動画シリーズ「シノドスへの歩み」を作成し、原則的に毎週新しい動画を公開している。シノドスへの理解を深めるだけでなく、第2バチカン公会議以降の日本の教会の歩みを学んだり、主日の聖書朗読を黙想したりすることにも役立つプログラムになっている。是非ご視聴いただきたい。
シノドス解説動画シリーズ 「シノドスへの歩み」の視聴はこちらから
李宗安神父様ありがとうございました!
韓国ソウル教区から東京教区へ派遣されていた李宗安(い・じょんあん)神父(あきる野教会・青梅教会主任司祭)が、10月30日で任期を終え、韓国に帰国した。李神父には2007年から今年まで14年の長きにわたって東京教区を支えていただいた。 帰国にあたって李神父は「沢山いただいてありがとうございました。それしか言いようがありません」と教区の皆様へメッセージを残してくださった。 李神父様、14年間ありがとうございました。母国でのさらなるご活躍をお祈りいたします。
離任の挨拶に教区本部事務局を訪れた李宗安神父(左)と菊地大司教
CTIC カトリック東京国際センター通信 第253号
交わりから生まれた豊かさ
CTICの活動は多くの方のご寄付によって支えられていますが、先日も頂いたご寄付によって、小学生の体育着や上履きを購入することができました。それは、多くのご家庭では当たり前に買いそろえることができる物も、あるご家庭にとっては大きな負担であることに改めて気づかされる出来事でした。
約2か月前、CTICの食料支援を受けているミャンマーの方が、家庭の事情により急きょ引っ越すことになり、小学生の息子さんも転校することになりましたが、新しい学校が指定する体育着や上履き、帽子などを買いそろえる必要がありました。全部そろえると1万円以上になり、収入のない家庭にとっては大きな出費となります。準備ができないでいることにスタッフのシスターが気づいたのは新しい学校生活が始まる6日前のことでした。どうにかならないか、と思ったシスターは「子どもの特別の必要のために」寄付されたお金があることを思い出しました。それはシスターの所属する修道会を母体とする「典礼センターピエタ」の名前でご寄付いただいたものでしたが、このような時にこそ、その献金を使わせていただくのがよいのではないかということになりました。それは多くの方の協働の実りだったからです。
今年の春、コロナ禍の応援としてある民間企業から自社製品の消毒ハンドスプレーを無償で100本提供したいという話がシスターのところに来ました。シスターは、CTICに直接提供してもらうのも一つだけれど、この社会で生活に困っている外国籍の方がいらっしゃることを多くの人々に知らせ、協力していただくために活用することはできないだろうかと考えました。企業側の賛同も得て、シスターはピエタのシスターたちに、無償で提供していただくハンドスプレーを通して困っている方の存在を知らせ、献金の協力を求めることはできないか提案しました。この提案にピエタのシスターたちは喜んで協力してくれたそうですが、果たして訪れる方々が関心を持ち、実際に協力してくださるかどうかは全く未知数だったとのことです。しかし、蓋を開けてみると、信徒であるかないかを問わず、実に多くの方が関心を寄せ喜んで協力してくださったそうです。「コロナ禍で自分も何か協力したかったからこのような形で協力できることが嬉しい」という声が多く聞かれたことはシスターたちにとっても大きな喜びだったそうです。多くの方が少しずつ寄付してくださったお金でCTICにたくさんの食料が届けられました。そしてその一部は献金として「子どもの特別の必要のために」という意向で頂きました。今回、転校することになった小学生の体育着、上履きなどはここから使わせていただきました。
典礼センターピエタは、四谷駅前に新しく出来たビルの2階にあります。お店に並ぶクッキーやご像にひかれて子どもたちが多く訪れるそうです。お店の奥にはくつろげるスペースがあり、訪れる方々との交わりの場となっていました。この日常があって、多くの方の積極的な参加は実現し、交わりを通して豊かさを体験する機会になったのではないでしょうか。シスターたちも多くの方とつながる機会になったと話されていました。
学校の体育着や上履きなら誰かのポケットマネーで買うこともできるかもしれませんが、このように共に歩む交わりと一人ひとりの小さな参加はシノドスが掲げる「交わり、参加、宣教」を生きる一つの具体的なかたちではないでしょうか。
多くの方の善意が困難のうちにあるご家族を励まし、新しい学校で歩み始める小さな子供に大きな勇気を与えるものでありますように。
高木健次(東京教区)
福島の地からカリタス南相馬 第7回
地の塩、世の光として
東京教区名誉司教
カリタス南相馬代表理事
幸田和生
東日本大震災と福島第一原発事故から10年を経過した今年、福島県南相馬市は、これまで復旧復興支援活動をしてきた県外の団体・個人に感謝状を贈ることになりました。カリタス南相馬は福島県内に本拠を置く一般社団法人ですから、これを受ける資格はありません。 ところが地元の方で、どうしても「カリタス」を推薦したいという方がいらして、「もともと2012年にカリタス原町ベースを設置したのはカトリック東京大司教区でした」と説明すると、市に推薦してくださいました。感謝状は11月3日の感謝の集いで贈呈される予定でしたが、コロナ禍のため集いは延期となり、感謝状だけを受け取らせていただきました。
2011年7月、わたしが震災後初めて福島を訪れた際、原町教会を担当しておられた故・梅津明生神父(仙台教区)に「東京や横浜の教会の者にできることは?」とお尋ねしたところ、「ミサに集まる信徒が減ってしまったので、できたら来て一緒に祈ってほしい」と言われました。東京でわたしからその話を聞いたある高齢の信徒の方は、「わたしには泥かきや瓦礫の片付けはできないけれど、ミサで祈ることはできる」と考えられたそうです。それから、昨年92歳で亡くなられるまで、ほぼ月に一度、娘さんの運転する車で原町教会のミサに通ってこられました。このような応援にこの地の信徒は大いに励まされました。
全国からボランティアとしてこの地を訪れてくださった皆さま、物資や金銭面での支援をしてくださった皆さまだけでなく、被災地に心を寄せ、祈り続けてくださった方々のおかげで、今のカトリック原町教会やカリタス南相馬があります。 福島県浜通りの多くの方々にとって、震災前は「カトリック」も「カリタス」も「シスター」も聞き慣れない言葉でした。今回の市からの感謝状は、この10年間、教会がこの地で、小さくとも「地の塩、世の光」として歩んでくることのできた証でもあります。神さまと皆さまに心から感謝します。
カリタスの家だより 連載 第138回
お見舞いボランティアとしての日々
真夏の眩しい太陽が照りつける日、緑に囲まれた修道院の小聖堂で小さな葬儀ミサが捧げられました。祭壇前に置かれた遺影の方はYさん。101歳での帰天で、長く関わられたA神父様司式のミサには、ご遺族である長男夫妻と、最晩年に親しくさせていただいた四名が参列しました。
Yさんは姿勢も良く90歳を超えても元気に大きな広い家でお過ごしでしたが、2009年に自宅の庭の手入れ中に転倒し胸骨圧迫骨折で緊急入院。お母様の状態を心配した長男さんが東京カリタスの家の家族福祉相談室に相談にいらっしゃいました。「母の苦しい気持ちを分かち合ってほしい」と言うボランティアへの要望を受け「お見舞いボランティア」として入院中の病院に向かいました。
病室では呼吸にも響くほどの痛みのために全く動けず、苦しみのあまり聞こえてくる声はか細く、よく聞き取れないほど。「リハビリは辛すぎて、死にたい」と、よく長男さんを困らせたYさん。精神的に落ち込むこともあり、心のケアも受けられる病院に転院して心身ともにかなり回復しました。更にリハビリのために転院を重ねたのち、自宅近くの老人施設に入居しましたが、病院とは違う環境に馴染むのもとても大変な様子でした。ここでも入退院を繰り返しながらも起き上がり小法師のように回復し、長男さんの手厚いお世話も受けて最後までここで過ごされました。
体調の良い時には楽しかった少女時代、人格者のご主人に大切にされた時代、長男さんの長い外地勤務中の気持ちや今の辛い気持ちが具体的にお話の中に出てきました。ある時、「食堂でひとりテーブルになったの」と満足そうな笑顔に「その方が楽なのね」と同意しながら「九〇歳を超えて人に合わせるご苦労が大きかったのね」と『お疲れ様賞』でもあげたい気持ちになりました。大怪我を境に環境が激変し、転院を重ねるたびの緊張感、ホームに慣れるまでの日々、そこには誰にもわからないような「孤独感」に覆われていたのかもしれないと、今になって思うこともあります。
6歳からミッションスクールに通い、結婚後に受洗し長らく教会の奉仕活動にも熱心に関わったYさんから、訪れて間もない頃に「やはり、教会の神父様に来ていただきたいわ」とお願いがあり、所属の教会の神父様にカリタスの家からの依頼ということで来ていただくこともできるようになりました。神父様の異動やYさんの転院などにより訪問が途絶えていた時もありましたが、その後A神父様との新たな出会いがあり、毎月ボランティアが同行しての訪問が続いていきました。時によっては「神父様とお話ししたいことがある」と私たちは控えることもあるほど神父様の訪問をとても楽しみにお待ちでした。ボランティア2人が同行する時には3人でお祈りをして歌を歌ってご聖体を頂き、楽しいお喋りをして帰って来ました。お茶目なところがあるYさんは、時々独特の毒舌がエスカレートすることがあって、神父様が「ちょっと、ちょっと……」と笑いながらストップとなることもありました。100歳のお誕生日も、喉越しが良いゼリー状の小さな紅白のバースデーケーキを手作りして持ち込みローソクをつけてお祝いをしました。コロナ感染症が始まる直前のことでそれ以降は訪問もできなくなり、真夏の小聖堂での祈りでの交わりとなりました。特別に仕立ててくださった葬儀ミサでカリタスの家のボランティアとして12年間を過ごし、お見送りまでできたことに神様のお見守りを感じた日になりました。
ボランティア 志立章子
新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けて
日本の司教団は2021年度日本カトリック司教協議会第1回臨時司教総会(7月開催)で、日本のカトリック教会では2022年11月27日(待降節第1主日)から、新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」等によるミサを行うことを決定した。なぜこのような変更が行われたのかの経緯や、今から信徒が準備すべきこと等について、東京教区典礼委員の小池亮太神父に解説していただいた。
─なぜ日本語のミサ式文の変更が行われることになったのですか?
小池神父 1978年発行の日本語版『ミサ典礼書』は暫定的な認証を受けたものだったこと、2002年にラテン語規範版第3版が発行されたこと、この二つが大きな理由です。
第二バチカン公会議の典礼刷新で国語使用が原則となり、『ローマ・ミサ典礼書』ラテン語規範版第2版(1975年発行)に基づいて、1978年に現行の日本語版『ミサ典礼書』が発行されました。
しかし、規範版の全訳ではなかったため、典礼聖省から暫定的な認証を受けて使用されることになりました。 日本語版『ミサ典礼書』に対するさまざまな意見や要望を受けて、1994年に改訂の準備が始められ、2000年に正式に『ミサ典礼書』改訂委員会が発足し、作業が始まりました。
しかし、2001年に典礼秘跡省から発布された『リトゥルジアム・アウテンティカム』で規範版に忠実な翻訳が求められたこと、2002年に『ローマ・ミサ典礼書』ラテン語規範版第3版が発行されたことから、改訂作業は全体的な見直しが必要になりました。
規範版の膨大な式文すべてを翻訳してから提出するのではなく、ミサの主要部分から翻訳して認証を受けることとし、2006年に最初の日本語訳を典礼秘跡省に提出しました。その後、典礼秘跡省との協議、日本語の検討と訂正をしての提出を繰り返して、2021年5月に「ミサの式次第と第一~第四奉献文」と「ミサの結びの祝福と会衆のための祈り」と「水の祝福と灌水」が、正式に認証されました。
─具体的に、どのような部分が変更されるのですか?
小池神父 具体的な変更部分は何回かに分けて説明したいと思いますが、日本語版『ミサ典礼書』の改訂作業には基本方針があります。
①『ローマ・ミサ典礼書』ラテン語規範版第3版(2002年)に基づいて翻訳し、典礼秘跡省から正式な認証を受ける。
②『リトゥルジアム・アウテンティカム』(2001年)の求める「忠実な翻訳」を目指すが、式文として唱えるためにはふさわしくないと思われる箇所は日本のための適応を行う。また、他の重要な文書の翻訳表現に合わせる。
③すでに採用されている日本のための適応を再検討し、必要な場合は修正する。
④式文は原則として口語体で翻訳するが、文語的表現は排除しない。 ⑤教会管区ごとの典礼研究会や全国典礼担当者会議などで寄せられた意見を参考にする。
─今後も式文の変更は続くのでしょうか?
小池神父 基本的に式文の変更はありませんが、まだ翻訳されていない部分の日本語訳が追加されていきます。 『ローマ・ミサ典礼書』ラテン語規範版には、季節固有の典礼、公式祈願(集会祈願・奉納祈願・拝領祈願)と叙唱、入祭唱と拝領唱など、膨大な式文が掲載されています。
これらの翻訳作業を順次行い、典礼秘跡省の正式な認証を受ける予定です。
─実際に新しい式文でミサが行われるまで一年ほどありますが、今信徒がすべきこと、注意すべきことはありますか?
小池神父 式次第の日本語訳が変わることに戸惑いがあるのは、信徒も司祭も同じです。そして、それぞれの立場からのさまざまな不満が出るのは仕方がないことだと思います。しかし、「良い日本語版『ミサ典礼書』を作りたい」という思いで困難な翻訳改訂作業を行い、典礼秘跡省と根気強く協議を続けてきた人たちがいることを忘れないでほしいと思います。
幼児洗礼の人も未受洗者だった人も、初めてミサに参加した時のことを覚えているでしょうか? 司祭は、叙階されて初めてミサを主司式した時のことを覚えているでしょうか? 信徒はミサに初めて参加した時の戸惑いや驚きを、司祭はミサを初めて司式した時の畏れと喜びを、この機会に思い出せたらと私は思っています。
録画動画の配信によるザビエル祭(神学院祭)について
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、昨年に引き続き2021年のザビエル祭(神学院祭)も動画配信の形で行われることとなった。今年、皆さまにご覧になっていただきたい動画は次の3本。
1.神学生へのインタビューを中心としたドキュメンタリー「わたしの愛にとどまりなさい」
2.当初ザビエル祭が予定されていた11月23日のミサ
3.白浜満司教(広島教区司教)による講話
これらの動画は2021年12月3日~2022年1月10日までの限定配信となる。神学院のキャンパスで直接神学生たちと接することができないのは残念だが、動画を視聴することによって神学生を身近に感じ、神学生のためにお祈りいただければ幸いである。
ザビエル祭動画の視聴はこちらから
死者の月、大司教による追悼ミサと祈り
新型コロナ感染症防止のため、昨年に引き続き、今年も教区合同追悼ミサは中止となったが、11月7日、菊地功大司教は五日市カトリック霊園の隣にあるあきる野教会で死者の月の追悼ミサとして主日ミサを献げ、ミサ後は、五日市霊園の教区合葬墓の前にて祈りを献げた。
菊地大司教はミサ説教の中で「亡くなられた方々のために祈ることは、大切な教会の伝統ですし、地上の教会と天上の教会の交わりの中で私たち自身の霊的成長のためにも、死者のために祈ることは大切なことです。」と、死者のために祈ることの意義について述べた。
「島の教会」大島教会
伊豆半島から南東25 kmに位置する伊豆大島は、「大島町」という東京都の自治体でもあり、約6000人が居住している。今回はカテドラルから最も遠くに位置する教区の教会である大島教会を訪問し、大島教会信徒の成田さんと平塚さんにお話を伺った。
─大島教会の現状について教えてください。
成田 ミサは月に一回、第4日曜日に教区本部事務局から神父様が来てくださいます。ミサに参加する人数は6~8名ですが、8名集まることはなかなかありません。大島でも信徒が高齢化して、教会に通うことが難しくなってきているからです。ミサは月に一度ですが、ここに教会があることが心の支えになっています。
─新しいメンバーが増えることはありますか?
成田 転勤で島に来る公務員の中に信者さんがいることがあります。島での任期は2~3年ですが、そんな時は楽しいですね。
─大島教会のPRポイントを教えてください。
平塚 自然しかありませんが、情報過多な世の中で静かに祈りの時間を過ごせる貴重な場所です。コロナ禍が落ち着いたら是非いらしてください。10名くらいは泊まれます。信徒一同お待ちしています!
四季折々の花が咲く広い庭は綺麗に整えられている。
スカウトがキャンプで使うこともあるとのこと。
東京から大島までの交通手段
竹芝客船ターミナルから | 大型客船(夜行)で約8時間 ジェット船で約2時間 |
調布空港から | 19人乗り旅客機で約25分 |
ヨセフ年特別企画 東京教区のヨセフ像
習志野教会の聖ヨセフ像
今年の6月に主祭壇の右側に安置し、ミサ中に「聖ヨセフの取り次ぎを願う祈り」を唱えています。 背景のポスターを用意し、台座のレースやクロスなどは信徒による手作りのものを使用しています。 ヨセフ様が習志野教会共同体を、あたたかい父の心で導いてくださるようお祈りいたします。 どうぞよろしくお願いいたします。
習志野教会典礼部
ヨセフ年記念企画「東京教区のヨセフ像」へのご投稿ありがとうございました。
投稿していただいたヨセフ像の写真は東京教区ウェブサイト内特設コーナーで見ることができます。機会があれば是非、教会で実際のヨセフ像と出会ってみてください。
教区ウェブサイト「東京教区のヨセフ像」コーナーはこちら
「週刊大司教」50回目を迎える!
昨年の11月7日年間第32主日から配信を開始した「週刊大司教」は、今年の10月30日年間第31主日で50回目の節目を迎えた。 コロナ禍によってミサの参加を制限せざるを得ない状況の中、「信徒の皆様の霊的な助けとなれば」との思いで始められた週刊大司教だが、菊地大司教によれば「わたし自身の原稿の準備もそうですし、広報職員も撮影と編集にかなりの時間を費やすことになっていますので、このままいつまでも続けるのは難しいかと感じています。一つの目安として、視聴してくださる方が千人を割り込むことが続いた場合は、その段階で他の形への移行を考えることにしたいと思います」とのこと。
現在、毎回の視聴者数が千人を下回ったことはなく、今後視聴者数が減少した場合も、何らかの形で定期的に大司教メッセージを配信することは継続する予定。これからもオンラインによる大司教メッセージ、をそれぞれの祈りや分かち合いに役立てていただきたい。
撮影中の一コマ。画面中央に高く伸びているのは撮影用LEDライト。
大司教メッセージから
時にはNGテイクも
ミャンマーの教会に想いを寄せて
今年のミャンマー・デーを迎えるにあたり、ミャンマー北部マンダレー教区のマルコ・ティン・ウィン大司教から菊地大司教宛にメッセージが届けられたのでご紹介したい。東京教区では、ミャンマーの司祭養成支援の一つとしてマンダレー教区の神学院校舎建設を支援しており、2020年2月の菊地大司教と司祭団によるミャンマー訪問の際もマンダレーを訪れている。
親愛なるタルチシオ菊地功大司教様
「2021 東京大司教区ミャンマーデー」、そして「王であるキリスト」の祭日にあたり、皆様のために祈りをお献げいたします。
「王であるキリスト」の日曜日によって典礼歴の一年が終わり、主のご降誕へと向かう祝福された待降節が始まろうとしている今、ゴルゴタの愛の王であるキリストが、神学校建設のために寄せてくださった皆様の寛大な助けに報いてくださいますように。
皆様がわたしたちの苦境に祈りをもって寄り添ってくださっているように、私たちも熱烈な祈りと感謝をもってあなたに寄り添います。この待降節、そして来る2022年を通じて、平和の王である幼子イエスが、大司教様、司祭、修道者、そして信徒の皆様をお守りくださいますように!
姉妹教会として、わたしたちは心から皆様に親しみを感じています。そして、姉妹教会の間にしか存在しない温かさに守られているとも感じています!
あらためて感謝を申し上げます。王であるキリストの平和と祝福がありますように。主キリストによって。
マンダレー大司教
マルコ・ティン・ウィン
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25.40)
ミャンマーの日の出
支援物資の薬品を仕分けする女性
物資支援に感謝する女性
暗闇の中の光
配給のお米を持ち帰る女性
子どもたちに教えるシスター
編集後記
2021年も過ぎ去ろうとしている。昨年の春以降、私たちは「コロナ禍」という一つの時の中に生きているように感じられる。その中では年の区切りさえ曖昧なようでさえある。
それでも私たちは、かけがえのない毎日を生きている。コロナ禍であろうとなかろうと、同じ日は一日もない。
今年も、不安な日々が慌ただしく過ぎていった。それでもやはり、年の瀬くらいは一年を丁寧に振り返ってみたい。その時は気づかなかった神との出会いに、イエスとの歩みに気づいてみたい。
去りゆく年の中にもあったはずの幸せを、こぼれ落とすことなく両手に包んで、新しい年に進むことができますように。(Y)