お知らせ

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東京教区ニュース第158号

1998年12月01日

宣教司牧評議会 答申提出までの歩み

昨年10月、新たに発足した宣教司牧評議会は、10月19日付で、諮問課題A「司祭の高齢化と召命の減少に伴うこれからの小教区司牧に対する修道会・宣教会司祭の協力について」同B「地域の修道会・宣教会と小教区の相互理解と協力について」に対する答申書を提出した。(答申書全文は差込みに掲載)答申提出までの歩みを教区事務局長・稲川保明神父に伺った。答申提出までの歩み

-新しくなった宣司評の最初の実-
昨年9月1日、白柳枢機卿は宣教司牧評議会(以下宣司評と略す)を刷新する旨、発表なさいました。教会法によれば宣司評は、各母体の利益代表ではなく東京教区全体の視点から信徒・修道者・司祭というそれぞれの立場にある人々が、教区長の権威のもとに教区における宣教司牧活動に関する事柄を研究・検討し、これについての実際的な結論を提示することを目的とするものと位置づけられています(教会法・第511条参照)。

これまでの宣司評のメンバーがブロックから選出され、ブロックとのつながりを重視していたため、修道者や司祭の参加が難しく、また議題も毎年行われていた教区総会を意識したものになっていました。実際的な結論を提示するという性格よりも、総会という集まりにアピールする議題を検討したり、総会における分団会の司会者を担当し、広く意見を吸い上げるための役割に重点があったと思います。

新しく選出されたメンバーは、小教区より6名の信徒、男女修道会から6名(シスター4名、司祭2名)、司祭評議会より2名の司祭というバランスのとれたものにし、1年間の出席率も90%を超える高いものとなりました。また従来の2カ月に1度の集まりを司祭評と同じく月1回の集まりとして効率化をはかりました。

1997年10月20日、第1回目の会合が行なわれた際、森司教の司会のもと、この新しい宣司評の使命が、「宣教司牧に関する事柄を研究し、実際的な結論作りに中心的課題があること」が明確に示されました。今回の答申は東京教区の宣教司牧の方針を白柳枢機卿がお考えになるとき、直接的に材料になるレベルのものだと思います。

-諮問課題への取り組みととまどい-
新しく宣司評に選ばれたメンバー全員に共通していた思いは「自分たちはそれぞれの教会体験はあるものの東京教区という多くの小教区、修道会、活動団体を有している全体のためにどのような意見を提示できるか」ということにとまどいを感じていたというのが正直な感想と思います。

答申の序には、そのとまどいから一歩ずつ前に向って歩んでいった背景が語られています。そのプロセスの中で、宣司評に参加していた私たちは「これまでの形ややり方の限界」に気がつきました。一つひとつの教会共同体が何でも自分たちのできる範囲での努力で解決していこうという姿の限界です。それはイエスが示した新しい掟「私が愛したように互いに愛しあいなさい。それによって人は皆あなたたちが私の弟子であることを知るようになる」(ヨハネ13・34〜35)をこの東京の教会の中に実現することに気がついたとも言えると思います。

時には私たちのありのままの姿を認めることのつらさ、自分の都合の良い今のままの形を守りたいという痛みと闘いました。自分たちが日ごろ属している共同体では今のところ不便も不都合もないことに安住し、隣の共同体のことはできれば見ないでおきたいという気持ちもありました。そこから一歩ずつ抜け出していったのは、教会は人とのふれあい、出会い、交わりによって成り立っていること、制度や組織よりも教会を教会たらしめているキリストの弟子であることの自覚でした

論議のポイントは、こうして共通の使命に対する共同の責任、そしてそれを実行してゆく協働の精神とシステム作りという方向に発展してゆきました。

-諮問課題に対する具体的提案-
諮問課題の一つは、「司祭の高齢化と召命の減少に伴い小教区司牧に対して修道会、宣教会司祭とどのように協力していくか」ということでした。
修道会には会としての固有の使徒職としての事業があります。しかし主の日を共に祝うというキリスト者の最も基本的なサイクルは、信徒も修道者も司祭も同じです。主日のミサをキリスト者全体として盛り上げてゆくことは、本来の姿だと思います。修道会、宣教会の司祭が小教区という場にもっと参加し、ミサという神の民の集会の豊かさを生かせるチャンスを作ろうというのが、具体的に三つのポイントで提案されました。

提案の一つひとつは平凡にみえるかも知れません。でもこの現実的な提案こそ、新しい宣司評の特色を示していると思います。すなわち目は高く天に向けていますが、まず目の前へ第一歩を着実に踏み出していこうという姿勢です。

諮問課題のもう一つは、「地域の修道会、宣教会と小教区の相互理解と協力」に関しての提案です。実はこのテーマは1990年に旧宣司評が「教区内の協力の推進」という諮問課題に対して、中間答申という形で停滞していたものを新めて堀り起こしたものです。

1990年当時の中間答申は、ナイス1を経て東京教区が開かれた教会を目指していた過程にあり、大まかな方向性を打ち出したところで、次のナイス2に対する準備へ取りかからなければならず、残念ながら具体性のある答申には至りませんでした。今回、新しい宣司評でこの相互理解と協力ということについて、まず「相互に理解するための出会い」を作ろうという点が強調されました。互いのもっている良さ、特長を知らなければ生かしあえないと考えたからです。

もうわかっていると考えて、可能性がないと失望する前に、もう一度、相手の立場、その共同体の持っている使命、特長、長所も短所も受け入れようとする心が大切だと思いました。

事実、この諮問課題を論議していった過程の中では、協力を試みたのに失敗に終わった例や、自分たちの共同体の調和を乱されたくない気持ち、こんなことをしても良くならないのではという不安も、正直に表現される場面もありました。

しかし今年の10月19日、白柳枢機卿に答申を提出した時、白柳枢機卿から「ここに集まって下さった皆さんが明るく打ちとけた雰囲気で語っている様子に驚きました」と感想を言って下さった時、私たち宣司評のメンバーは、この一年を経てようやくお互いが仲間になってきたことに新めて気がつきました。これは小さな出発です。この答申を生かすことはこのニュースを読まれる皆さんに与えられた使命ではないでしょうか?
(稲川保明神父)

新世紀に向けて時代に応える宣教ビジョンを

語り合った本音で司祭研修会

今年度の東京教区の司祭研修会が、10月13日から3日間の日程で、熱海市・ビビ熱海で開催された。テーマは「司祭の人事異動と東京教区の宣教ビジョン」で、身近なテーマだけに、司祭同士の真剣な討議があちこちで見られ、例年にない盛り上がりを見せていた。

司祭の高齢化と召命の減少は、日本に限られた現象ではないが、それにしても司祭不足は、10年後に不安を抱かせるところであり、小手先の調整ではすまされない事態であることを痛感させられる研修会だった。

いつもながら、司祭評議会で十分に準備され、9月の月例集会をプレ研修会として用い、参加した司祭に違和感を感じさせない周到ぶり。テーマがシリアスにもかかわらず、会期中は終始なごやかで、本音が出せる雰囲気だったことは、将来に明るい希望を投げかけるものだったと言えるだろう。

今回の研修会は、森司教の思い切った問題提起から始まった。東京教区が教区大会から始まって、新しい時代に応えていこうとしてきたこれまでの経過を振り返りながら、自分たちで東京教区のビジョンを作り、それに基づいてリーダーシップを取っていかなければならないことを切々と訴えた。それを受けて、参加者たちはいくつかのグループに分かれて話し合った。問題が身近なことであるだけに、話し合いにも力がこもり、本音を出し合う場となったことが各グループの報告にも現れていた。宣教ビジョンを築きあげていくための提言として5つの立場の司祭が発題するパネルディスカッションが2日目に行われた。

滞日外国人との関わりから大原猛師(潮見教会、CTIC所長)が、宣教師の立場からレオ・シューマカ師(豊島教会、聖コロンバン会)が、他教区との関わりの中から山根克則師(新潟教区出向)が、修道会の立場から森山勝文師(吉祥寺教会、神言会)が、そして予定されながらも、葬儀のため参加出来なかった辻茂師(船橋教会)に代わって、青山和美師(上野教会、司祭評)が小教区担当者の立場からそれぞれ意見を述べた。

それぞれユニークで、鋭く現実をついたものであり、宣教ビジョンを作っていくにあたって大きなヒントを与えたにちがいない。近年の司祭研修会を顧みると自分たちの足もとを見つめ、取り組んで行かなければならない課題を探るという流れで、ブロック制度、小教区制度、滞日外国人への対応、司祭職の見直し等々、他人任せでは通れない課題を取り上げている。また、会期中に、参加した司祭たちが堂々と本音を語り合う雰囲気が、徐々に定着しつつある。司教が、自分の言葉で考えているところを参加者にぶつけるという前向きの姿勢は、大いに評価していい。

最終日のミサで、大司教は、聖霊の導きを強調し、今回の研修会が聖霊の賜物を豊かにいただいた集いであったこと、そして、話し合われたことを大いに取り入れ、前向きに応えていくことを約束した(関連…白柳枢機卿説教6面、司祭研修会参加司祭の感想、2面)。
(西川哲彌神父)

司祭研修会に参加して 参加司祭たちの感想・意見

司祭研修会に参加して
今年も司祭研修会へ行くのを楽しみにしていました。他の司祭と教会の大事な問題について話し合えるし、多忙な毎日の中でよい休憩にもなりました。会議と分団会の時間は多かったが、温泉やサウナ、プールを楽しむ時間もありました。去年の研修会もそうでしたが、司祭同士が何も飾らない本音で話す様子は印象的でした。

人事異動のあり方が最初のテーマでしたが、話は教区全体の宣教ビジョンと組織のあり方について終始しました。司祭の現象と高齢化のため、「司祭がいない」教会はこれから増えるだろう。早く何か変えなければ、近いうちに組織が崩壊するという不安は、一部の司祭に見られました。どうすれば、もっと信徒と一緒に教会運営と宣教の責任が分かち合えるだろうか。

昔は司教と司祭が教会の責任をほとんど担い、信徒はお客さまのような存在でした。今はいろいろな意味で信徒も協力はするが、まだまだ司祭がいなければ教会共同体が成り立たない状態とも言えるでしょう。教会行事や事務、財務だけではなく、宣教にも、司牧にも、教会全体の大事な決定にも信徒が参加する必要が感じられます。

これから小教区の枠を越えて、教区の中に働く助祭、カテキスタ、共同体リーダーが不可欠になっていきます。でもこれらの人権費は、どうすればまかなえるでしょうか。一部は小教区の整理や必要でなくなった土地の処分、あとは小教区同士、教区同士の資金の共有化、修道会と宣教会の財政協力も必要でしょう。

今までに教会建設に投資していたけれども、これからは共同体を作る人材に投資する必要があると思います。カトリックの宣教に携わっているすべての団体は心だけではなく、ある程度、財産も人材も共有する必要があると思います。全国で何百人、何千人、フルタイムで教会のために働く信徒がいれば、今心配されている教会組織の崩壊は避けられるし、新しい力で、新しい形で第二千年期を迎えることが出来ると思います。
(府中教会 チェレスティーノ・カバニア神父)

ナイスの精神を見つけた
研修会が終わった翌日、森司教に出会って、研修会に参加させていただいたお礼を述べたところ、「つまずきになりませんでしたか」と言われた。実際、これまで続けて4回、この司祭研修会に参加させていただいたが、今年の研修会程、司祭たちの本音が聴けたことはなかったように思う。教区長の行政上の判断に対する厳しい意見や、司祭異動の命令によって、深く傷つけられた司祭の声も上がった。しかし、私自身、そのようなことでつまずきを感じることはひとつもなかった。むしろ、そのような本音が語り合える場が作られたこと、そして司祭に本音を語らせ、その声にじっと耳を傾ける司教たちの勇気と、本音を語る司祭たちに感動すら覚えた。

「ナイス(福音宣教推進全国会議)はどこへいったの」といわれる今日、私はこの司祭研修会の中に、深いところで息づくナイスの精神を見た。これまで参加させていただいたこの研修会のテーマ、つまり、「ブロック制度について」、「滞日・在日外国人の宣教司牧」、「司祭職について」、そして今回の「司祭の人事異動と東京教区の宣教ビジョン」、そのいずれもが今日における福音宣教を推進させるための重要なテーマであり、ナイスで取り上げられたテーマそのものであった。そしてさらに、そこで取られた方法、つまり皆が同じテーブルについて、本音で語り合い、聴き合うということも、ナイスの方法そのものであった。今後は、信徒を交えた場で、同じようなテーマと方法が取られ、具体的な福音宣教のビジョン作りが行われることであろう。

教区長一人が、教区の行政に関する全責任を背負い、宣教司牧のビジョンを作り、実行を命令する時代は確実に終わろうとしている。神の民一人ひとりが聖霊の息吹きの中で、それぞれの役割を果たしながら、それに参与していかなければならない。そのための第一歩は、情報の公開と共有化であろう。そのようなことを学んだ研修会であった。
(広島教区 澤野耕司神父)

司祭の生きがいとは
この度の司祭研修会では、さまざまな立場からのたくさんの意見、体験談が交わされ、それぞれ大変有意義でしたが、参加者の最大の収穫は、互いに信頼し合ってホンネを交わせた喜びが共有でき、教区の将来に希望が持てたことではなかったかと思います。でも、いくつかひっかかる発言もありました。今後の宣教司牧のまともな発展を願って書いてみます。気になったことの第1は、司祭たちがヤル気満々なのに、その意欲を発揮する場が上から与えられていない、と嘆く声があったことでした。第2は、その意欲が、時に、「責任感の名を借りての支配欲の充足」-それは、信徒の自発性、自主性の封殺につながる-に向かいかねないという、司祭の陥りやすい最大の危険に曝されている、と感じたこともありました。第3は、福音宣教を新信者を作ること、それが司祭の役目と、あまりにも短絡的に受け止めているようにみえたことです。

この3つは関連しています。司祭の働く場は、本来、上から与えられた場です。出来事の後ろに「神の御手」を見ましょう。福音宣教の本来の意味は、「キリスト魂を吹き込んで価値観を転換する」ことで、その活動対象は、「外の世界」と「神の民」です。外の世界への担い手は、第1に信者でない人達と毎日つき合う信徒で、日々の生活の中の喜びで信仰を証し、「何故、あなたは?」と尋ねて来る人に、自分の言葉で信仰を証しするのです。さらに、信徒は、周囲の人たちを巻き込んで、グループを作り、聖霊のうながしと「愛の世界」の一部を実現しようと自主的に取り組むのです(その協力者の中からたくさんの求道者が生まれてきました)。

目を自分の遣わされた世界の福音化に向け、使徒職に目覚めた信徒が、聖霊に導かれ、支えられて生まれ、育っていくお手伝いをさせていただくことこそ、司祭の第一の役目であり、司祭の生きがいではないでしょうか。
(佐原教会 杉田 稔神父)

本音で語る 研修会 後の始末をどうつける

考える 心の奥の 思いこみ 本音建て前 消して生きたい

人のこと 語る前には 見つめよう 自分の心の ウラオモテなど

口に出る 司祭の本音 聞きながら お祈りをする 教区長

飲み会は 聖なる話 はばかられ
(五十嵐良和神父)

信仰の“共通性”に支えられて

「あなたは、仲間から誤解され、信者さんからも誤解され、長上からも誤解されるような状況に出会った時どうなさいますか……」最終日のミサのなかで、白柳枢機卿はこのように語られた。これは、叙階式直前の新司祭にご自身がよく問いかけ、またかつて自らも土井枢機卿から問いかけられた言葉だそうである。「私たちがそんな状況で向かうべき方は神しかいない。頼むべきものはともに歩んでくださるキリストであり、聖霊の導きへの信頼しかない」このような話を伺いながら、この私たちの信仰の“共通性”こそ、多様化・相対化の今の世の中で困難な歩みを進めていく私たち教会を支え、導くものではないかと感じた。

今回の司祭研修会では、司教・司祭間の共通ビジョン(特に人事・宣教などに関する)の模索、そして司教・司祭のみならず、福音宣教の協働者の集まりである教会全体の共通ビジョンの模索が大きなテーマだったように思う。森司教の問題提起に始まり、パネルディスカッション、その後の分団会、全体会と続いた2泊3日の研修会は、和やかな雰囲気の中にも想像以上に真剣な語り合いがあった。このような場の中で私が感じ取ったもの、それは各司祭の抱くビジョンの多様性とそれを求めていこうとする諸先輩司祭方の真剣で真摯な姿の「共通性」だった。そしてこの“共通性”は、上述の信仰の“共通性”に支えられ、これら“共通性”こそが今後さまざまな困難な課題に直面し、多様性のなかで思考錯誤を重ね成長していくであろう私たち教会の歩みの力となるのではないかと感じたのである。

「従うべき過去のモデルがない」これが、これからの日本の教会の歩みの困難さかもしれない。しかし、そのような中でも、同じ信仰に支えられ失敗を繰り返しながらも祈り、熱心に新たな道を模索していけば、必ず光は見えてくる。そのような希望を心の底に見出した今回の研修会であった。
(立川教会 伊藤幸史神父)

教区としての宣教司牧のビジョンを出す時期が来た

教区長は、その考えのもとに司祭の力が発揮出来ることを願い、小教区及び他の任地に司祭を派遣します。派遣された司祭は、自分の宣教司牧方針をたて、それに基づいて活動していきます。ただ、問題は前任者との引き継ぎです。宣教司牧方針の違いが、多様性として信徒に受け入れられる範囲を越える時、信徒に戸惑いが生じます。そこに、教区としてのきちんとした宣教司牧方針(ビジョン)が示されていれば、戸惑いは最小限ですまされます。もちろん、ビジョンは流動的なものであり、現場の要請によって訂正あるいは軌道修正されていくものです。しかし、あくまでも、きちんとしたビジョンに基づいての事だと思います。ビジョンがなければ、しばしば、司祭の宣教司牧活動がその司祭の個人的色彩の濃いものになり、よき結果を得ずして終わりかねません。結果的に派遣した司教の期待に応えられない時もあります。それは残念なことです。

ところで、ビジョンは、誰かが作って誰かに渡すというものではなく、現場の事情を汲み上げながら、作りあげていくものだと思います。さらに、作られたビジョンをもって、現場に当てはめようとすると、相当な無理が生じることも十分考えられます。そこで、ビジョンを実現していく過程の中で、司教と司祭、また司祭同士のきめ細かい話合いが必要となってきます。結果的に、宣教司牧は、司教と司祭団の緊密な共同作業ということになろうかと思います。

共同(協働)司牧というテーマも今回の研修会で話題になりました。この共同作業の一環として考えられると思います。今回の研修会のひとつの収穫は、やっと司祭が本音を語るという雰囲気が生まれてきたことだと思いました。本音で語り、司祭が、司祭団として、司祭の使命を受けていることを確認していくことを、司祭として働く第1条件だと思っています。
(鴨川教会 福島健一神父)

「大聖年」に関する祈りと詩の募集

1、大テーマ『キリストが誕生して二千年を迎えて』

2、「祈り」または「詩」
形式は自由です。内容は、キリスト誕生二千年を迎えて、イエスご自身やイエスの教え、自分の信仰や今の社会、人間について思うことを聖書の言葉や神学用語を使わないで、自分の言葉で表現したもの。

3、応募先
〒112-0014 文京区関口3丁目16番15号
東京大司教館事務局
「大聖年祈りと詩」募集係

4、各作品はオリジナル未発表のものに限り、いずれも応募作品は返却しません。

5、締切日は、1999年3月末日とします。

なお、採用作品の著作権は主催者に属することをあらかじめご承知願います。応募者には、記念品等の贈呈を予定しています。

東京大司教区 大聖年特別準備委員会

マタタ神父のインタビュー 遠藤順子さんを訪ねてその3

生きていらっしゃる時もそうでしたが、ご主人が亡くなってからあちらこちらで彼をたたえるイベントが開催されました。ご主人の考え方の展開とかその影響についてどう思いますか。

『深い河』は21世紀(新しい1000年)の先取りのような小説だと思います。1000年という単位で時間を考えてみると確かに文化が発達しています。ミケランジェロやダヴィンチ、皆いるわけだから…しかしそれと同じ位殺し合いがあったわけです。その殺し合いは自分だけが正しいということでずーっとやってきていたわけですね。そしてその最低なものはアウッシュヴィッツです。そこに働いていたナチの連中はユダヤ人たちにやっていることがとてもいい事だと言ってやっていたわけです。だから狂気というものが如何に恐ろしいことかオウムもそうですね。

そういうことで21世紀というのはやはりお互いの文化からお互いの美点を学び合って、もっと新しいものを創造していく時代だと思います。そうでなければ、3000年までに人類が滅びるでしょう。3000年に人類が到達できるかどうかを占う21世紀はとても大事な世紀です。ですから宗教もその潮流の例外にはならないと思うのですよ。宗教もお互いの宗教のいいところを学び合って、この間、東洋はここからこういうのを学んでとおっしゃった神父さんがいました。今はとても物質的に流れる世の中だから、それからお互いに精神的な新しい世界を造っていく大事な世紀だと思う。

遠藤周作さんについて本当に言い切れないほどたくさんの事がある。彼は信仰が本当に誠実な人と言ってもいいんですけれども、彼は小さい頃から信仰は堅く守らせるものだというよりもわかりやすく人に表現できるものだと言い続けてきた。最初は一人での戦いみたいだったが、後はだんだん…

矢代さんとか安岡さんとか加賀乙彦さんとかそういうような同志が増えてきて、とてもそれは主人が嬉しいことで、どなたかに今世界で一番カトリック作家が多いのは日本だと言われてとても嬉しそうでした。主人はほとんどの人のゴッドファザーだからそれはとても嬉しいことです。「自分は捨て石にはなりたくないけど、踏み石には喜んでなる」といつでも言っていました。だから自分を踏んで自分を乗り越えて次へと行ってほしいことを努めて言っていました。私は主人のような大きい踏み石にはとてもなれませんが小さい砂利のような人の踏み石として、日本的な日本人の信者に合うような日本の教会ができるように、そのためにも小さいなりに小さいじゃりんこのような踏み石になりたいと今思っているところなのです。

日本ではキリスト教の精神を伝える為に先ず経験を踏まないとどうにもなりませんか?

そんなことは今ないでしょう。だって今は信教の自由…

最後に、私たちに残された宿題がまだまだたくさんあるので、遠藤さんはキリスト教に限らずに全ての日本人のための救いというよりも喜んでいける道、神様はとてもいいものだ。遠藤さんや矢代さんが言ったように『食べたり飲んだり享楽的な生活を送ったり、たっぷり喜んで生きることは神様が望むべきものだ』と、今の我々の世界を見てどう思いますか。

私は今一番、日本の子供が心配。特に中学生くらいは…
ああいう事件があるととても心配で、やっぱりそれはものすごく家庭が崩壊していると思いますよ。皆が生活、生活で、生活に追われすぎて、生活にばかり目がいっていて全然人生に目がいっていない。親が生活、生活と言っているから、子供は人生の色々なシグナルを出しているのだと思う、今は子供が色々な曲がり角にさしかかっている。そのシグナルを親には見えるのに全然受けられない。それで要するに生活さえ上手くいっていれば…。学生なら成績さえよければそれでいい。成績しかみないでしょう。それでは子供が救われない。それで子供が悪くなるのは当たり前で、親に言っても親が今生活で忙しいのだからしょうがない。だからもっと年上の人たち、周りの人たちが手を出して子供たちのために何ができるか考えないと。21世紀を生きて暮らす子供たちが暴れるじゃないですか。だからその人たちがしっかりしてくれなければどうしようもないのです。だからそのことを教会でなさることです。教会の中でも今のようなやり方で続ければ仲間が減るでしょう。だからもっと精神的なことを学校へ行く前に家庭できちんと教えるべきです。人生論を戦わせなくても。例えば人に物を頂いた時、亡くなったお祖父さんの仏壇に上げるとか、そうすることにより子供はお祖父さんがいてそのまた上の先祖がいて…自分たちの命に繋がっていく事がわかるでしょうし、2歳3歳位の時から敬語とか言葉使いとか目上の人にどういうふうにするとか礼儀をきちんと教えるべきでしょう。今は教えていません。これは親の怠慢。今は自分がまだ皆に世話してもらったり注意してもらったり、成長している段階だと子供たちにわかれば、あんなに野放図に自分たちさえよければいいというふうにならないわけです。それはやはり親の責任だと思う。だからそういうところはこれからもやっていかなくてはいけないと思います。

本当に時間をとって頂いてありがとうございました。

訃報 ルカ 千葉大樹神父(東京教区司祭)

◆略歴
1909年(明治42年)7月22日生まれ
1939年3月18日 ローマで司祭叙階
1939年9月 関口小神学校に赴任
1940年8月 神山復生病院院長に就任
1948年 浅草教会主任
1968年 原町田教会主任
1971年 ブラジル宣教
1994年12月 ブラジルより帰国
1998年11月5日 帰天(89歳)

CTIC 東京国際センター通信

フィリピンのクリスマス

フィリピンで、4回クリスマスを迎えたことがある。「寒いクリスマス」になれた私にとっては、常夏の国のクリスマスは、気候的にも、教会・街の飾りも日本の七夕のような感じだった。フィリピン最大のイベント、クリスマスはなんと9月からはじまる。9月1日になると、ラジオからはクリスマスソングが流れ、街ではクリスマス商戦が始まる。あるフィリピン人によると、berのつく月(Sptember9月、October10月、Nobember11月、December12月)はクリスマスの月だそうだ。以前は、11月からだったそうだが、随分早まったものだ。そのうち、一年中クリスマスになるかもしれない。それほど、フィリピン人はクリスマスが大好きだ。教会は、クリスマス当日はもちろん、12月16日から24日までの9日間行われる、雄鶏のミサ(MisadeGalloSimbangGabi)には、早朝4時からにも関わらず連日、人で溢れかえる。

約600万人といわれる海外への出稼ぎの労働者の多くも帰国し、しばしの留守家族との団らんを過ごす。そしてクリスマス、大晦日になくてはならないのは、「爆竹」「花火」だ。華僑の影響だろうか。政府が毎年、法律で規制し、事故防止キャンペーンを繰り広げるにもかかわらず、クリスマス、大晦日の深夜にかけて、フィリピン中が大音響につつまれる。その結果、新年の最初の新聞は、「今回は爆竹、花火で○○人死亡し、○○○人が指をなくした」と見出しのトップをかざる。私がいた村でも、兵士が発砲し、流れ弾に当たって亡くなった人もいた。道を歩くと、歩行者めがけて爆竹を投げてくる。フィリピンで、クリスマス、大晦日を過ごす人は出歩かないのが賢明だ。

ああ、燃えちゃった

年も押し迫って、「家が火事になりました。助けて下さい」とCTICにフィリピン人女性から連絡が入った。子供の洗礼式のパーティの準備をしていて、失火してしまった。彼女たちが住んでいた2階部分が消失し、1階も水浸しで使いものにならない。彼女は4年前に来日し、国に残した家族を支えるために働いた。その間知り合った、フィリピン人男性と一緒に生活を始める。程なくして、妊娠するが、夫は結核で入院。生活に困窮する。何とか、出産したのもつかの間、今度は彼女にガンが見つかる。医者から手術を勧められるが、夫は入院中、健康保険もなく、生まれたばかりの子供を抱えて途方に暮れていた。彼女が、友人に連れられてCTICに相談に来たのが今年の復活祭のころだった。関係諸団体と連絡をとり、何とか治療できるように知恵をしぼった。「医療費」、「入院中の子供の世話」、「退院後の生活支援」等、それぞれ重い課題だった。彼女の近所のT教会に支援を呼びかけたところ、思いがけなく、驚くほどの多くの支援が寄せられたのは彼女とその支援者を勇気づけた。多くの人々の有形無形の助けで、入院して、無事手術することができた。術後の経過も良く、夫も退院し、子供と、3人で新しいスタートを切った矢先の火事であった。彼女も今回、4度目の日本でのクリスマスだ。静かな、寒い日本のクリスマスにはもう慣れただろうか。
(CTICスタッフ 有川憲治)

生涯養成委員会養成コースが研修会

「現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問いなおしてみよう」

東京教区生涯養成委員会主催による「現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトッリクの教えを問い直してみよう」4回シリーズの最終回「コムニオンとしての教会共同体の神学的考察」の研修会が、9月26日から27日にかけて、船橋クロスウエーブで開催された。

26日の午前の第1講話でシェガレ師が、「コムニオンの概念と歴史」と題して、コムニオンの基礎理解となる内容を話された。まず、コムニオンという言葉の意味と人類学・社会学・哲学などの視点からコムニオンへの現代的関心についてふれた後、コムニオンの原点を聖書に求め、コイノニアとそれに類するいくつかの表現をあげ、コムニオンとしての教会の本質は「兄弟的交わり」にあることを明らかにされた。そして、教会発展の歩みを振り返る中で、コムニオン神学の理解と深化は必ずしも順調に発展してきたわけではなく、教義の確立や組織、秩序の強化によって限定され、むしろ後退した事実もあることを指摘された。

第2講話で幸田和生師は、「コムニオンと教会の使命」と題し、第一講話の内容を一歩進め、教会をコムニオンと捉えるとき、「それは堅牢な組織や制度、位階制を表すものではなく、その中にある人のつながりのあり方を問い直す概念である」と話された。「それは、バチカンと地方教会、司教と司祭、司祭と信徒、小教区相互間の関係などを考えるとき大切な観点」であると。さらに前出した聖書の中のコイノニアの表現にふれ、「イエスはそれをどのように生きられたか」に注目し、さらに「旅する教会にあってはコムニオンも未完成である。今だけを見ていてはミッションは見えてこない。コムニオンの完成に向う大きな流れの上で教会のミッションを考えていくべきであろう」と提起された。

続く第3講話も幸田師でテーマは「コムニオンと小教区」。コムニオンとしての教会をさらに絞り込んで、今の自分が属している目に見える現実の小教区共同体を検証していく内容であった。「小教区におけるコムニオンの意味は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」(ローマ12・15)ような集いであり、「互いに愛し合うならば……わたしの弟子であることを知る」(ヨハネ13・35)ような場」であるということ。

「それはわたしたちの願いであり、願い続けること。振り返りいつも原点に帰ることが大切である。根本においてミサとはそういう場であり、社会の現実の中で真のコムニオンであるミサを祝い続ける共同体は、もっと生き生きとした交わりにおいて、分かち合い、考え合い、仕え合い、助け合い、祈り合う場となる必要がある。小教区の現状に目を向けてみよう。福音を伝えることは?苦しむ人びとへの奉仕は?教会に来られない人に何ができるか?社会に対して何ができるか?障害者や外国人に対しては?今この地に私たちの教会がある意味に目覚めることが求められる」と話された。

最後の第4講話ではシェガレ師が「世界に開かれたコムニオン」という題で、ともすれば内向きになりがちな教会に、外に向う姿勢をとり続けることの大切さを指摘し、教会は世界の只中で交わりのしるしとなるものだと話された。そして、教皇を中心とした同心円の教会の構造を図示する中で、コムニオンを強調しすぎることでおこる歪みや危険にもふれながら、内向きと外向きの双方に働く矢印を書き入れ、世界に向って広がり続けながらコムニオンの完成に向かう教会を提示し、しめくくられた。
(S・A)

一粒会主催 召命祈願のミサ行われる

10月25日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京大司教区一粒会主催の召命祈願のミサ(森一弘司教主司式)が捧げられた。同司教は、「召命祈願とは、小さな共同体を支えるための祈りではなく、人類を救うため、叫びに応えるための祈りである」「召命の減少は、教会共同体全体の責任である」と強調した。ミサ後、カトリックセンターホールで、東京教区の神学生、宣教会、修道会の神学生と参加者の懇談会が行われた。

AMOR広島大会へ向けて

AMOR(アジア・太平洋修道女会議)は、3年毎に大会を行い、昨年のインド大会テーマ「エコ・フェミニズム」の報告をしながら、2000年の広島大会へ向けて女性の連帯のうねりを準備しています。

修道女と女性信徒 女性の連帯を!

エコ・フェミニズム?

アジアの女性たちの多くは支配原理に基づく開発による自然破壊や人権が認められない苦しみを訴えています。すべての人が自然との共存共生を目指す新しい原理を生み出す必要があります。AMORインド大会のテーマ「エコ・フェミニズム」は、違いが優劣を生み出す支配原理ではなく、違いが豊かさになるよう、全被造物の共存・共生を可能にする新しい原理を皆で探求する必要を説き、環境に敏感に反応し、変化を引き起こす潜在能力をもつ女性たちの役割に気づくようにと招いています。エコ・フェミニズムは、エコロジーを大切にし、その中で生かされている人間も、他の被造物と同じく、神の創造された宇宙の一員としての役割を果たせる世界へと変革する使命を呼びかけます。いのちを生みだし、育てる女性の生き方そのものへの招きです。

2000年・広島大会の準備

AMOR報告会は、日本各地で行なわれ、既に1200人の修道女や女性信徒が参加しアジア・太平洋の女性たちの現実に思いを馳せ、また連帯への熱い思いと日本人の責任と反省を分かち合いました。日本の修道女、6000人余りと女性信徒たちや市民運動の人々と共に、この世界の現実に目覚め、1つの心になれば、アジアの大きな力になるでしょう。

2000年のAMOR広島大会は、8月6日にアジアの修道女が広島に集まって共に祈り出会うことによって、日本の修道女にとって、恵みの時を希望しています。広島大会では、いのちを生み出す女性の使命をもっと深く知り、ヨベルの年の精神に従って、アジアに、そして全世界に新しい次元がもたらされるように願っています。準備を通して女性の使命への目覚めと共に、私たちの祈りや聖書理解も変わるように問いかけています。それは、私たちキリスト者の生き方そのものへのチャレンジです。
小野島照子(援助修道女会)

-蛇のように賢く、鳩のように素直な心で- 千葉の風土に、キリストの息吹を 東京大司教区の聖コロンバン会の歴史(1)

9月23日、かずさアカデミア・メインパークで第24回千葉地域協力体大会が行われた(東京教区ニュース11月号1面)。当日は、聖コロンバン会の日本宣教50年を記念して、聖コロンバンの宣教の歴史について、ジェラルド・グリフィン神父が講演した。講演の要旨を3回に分けて掲載する。

聖コロンバン会とは

わたしは聖コロンバン会の会員と共に当会の在日50周年を記念しての集いに皆様がお出掛け下さいましたことを心から御礼申し上げます。

まず当外国宣教会[以下《SSC》]の発足については簡単に説明させていただきます。現在18カ国で活動しています。創立は1916年(大正5年)アイルランドで2人のアイルランド人の神父たちによるものです。その神父たちの1人、中国で宣教活動をしていたエドワード・ガルヴィン神父が、アイルランドに帰って、そこの大神学校で教鞭をとっていたジョン・プロヴィック神父と共にSSCを創設しました。その後プロヴィック神父はアイルランドで、多くの信徒たちの協力のもとに当会を組織し、ガルヴィン神父が実際に働く場の準備に取りかかりました。始めはSSCは中国を中心にしていましたが、ローマ教皇庁の布教聖省に依頼されて、1929年にフィリッピンへ、1933年に韓国へ、1936年にビルマへ会員を派遣しました。それから第二次世界大戦終了後は、日本、南米、フィジー諸島などにも宣教師を送りました。

聖コロンバンとは

コロンバン[ラテン語で「コロンバヌス=白い鳩」]は西暦では543〜615年に活躍しました。日本の歴史で言えば飛鳥時代で、聖徳太子が栄えた時でした。聖徳太子が日本で仏教を普及するために活躍するときに、地球の反対側にあるヨーロッパで、コロンバンはキリスト教に活気を入れるために積極的に活動しておりました。

コロンバンは591年、40才の時に12人の弟子と共にアイルランドを出ました。当時はローマ帝国がいわゆる野蛮人、たとえば2、3百年のあいだに、フン族、バンダル族、ゴート族の侵入によって、ローマの文化文明が次第に崩壊していきました。ヨーロッパはその遊牧民族によって荒らされ、修道院や教会が破壊され、学問も劣ってしまいました。キリスト教徒は信仰を失ったばかりでなく、風俗も乱れていて国王や地元の主権者などはふしだらな生活をしていました。コロンバンとその弟子たちが登場した西ヨーロッパの国々は、まったく暗黒時代だったのです。

コロンバンという人は精神的にたくましい人で、また強情なアイルランド人でした。彼は主権者の不道徳的な生活を非難することにちゅうちょしませんでした。あげくのはては、彼はゴール(現代のフランス)から追放されましたが、また違う方向からヨーロッパに戻ってきました。方々に修道院を建てたり、ゴールとドイツ、スイスとイタリアの広い範囲内に福音を伝えて、再キリスト教化のために活躍し続けました。SSCの創立者たちはこの聖人を会の保護者やモデルとしてを選んだのです。

SSCが東京大司教区に来る

昭和21年(1946)4月に、東京大司教区の土井大司教はアイルランドにあるSSCの本部に手紙を出して、ご自分で指名なさったある2人の会員を東京大司教区に派遣していただくように頼まれました。その2人はジェームズ・ドイルとジョセフ・オブライン神父でした。土井大司教はその2人を戦前から知っておられたので、ぜひ差し支えがなければ東京大司教区に来てほしいとのことでした。また当時の在日の教皇使節マレラ大司教も、土井大司教の願いを裏付けて、SSCの総長に手紙を送られたそうです。

指名されたドイル神父とオブライン神父は東京に派遣されましたので、昭和23(1948)年に来日しました。着いてからしばらくの間聖母病院に身を寄せさせてもらっていましたが、翌年ドイル神父が現在の豊島教会の敷地を確保して、教会の施設を建てて、そちらに移ったのです。
(つづく)

シリーズ揺れる司祭像(3) 司祭とは… ジョバンニ・プッチ神父(三軒茶屋教会)

私は、司祭になって25年以上経ちましたが、皆からいつもたずねられます。「どうして、司祭になったのか。日本に来たのは命令ですか。自分で望んだのですか」と。この質問に、私はすべて答えられません。確かに司祭になることを考えたのは小学生のときでした。その時、兄から「司祭になるために試練を越えなければならないことを知っているのか。例えば、生木に火をつけるとか、ざるで水を汲むとか、そのような試練にあなたは耐えられるか」と言われて、私と無理かなと思いましたが、「やってみます」と答えました。

小神学校に入ってからも、父や兄から、「まだやる気かい」と言われて、「今までやってきたんだから、やってみます」と言い続けました。しかし、その生活が普通の学校生活ではなくて、特殊な生活になっていくのを感じて、『本当にこの生活が、私にとっていいのか』と考えるようになって、家に戻ろうかと思ったこともありましたが、その度に指導司祭に助けられてきました。

いろいろの試練を乗り越えましたが、その間に私のまわりから何人もの人たちが去っていきました。その人たちは、私よりも頭のよい人たちです。大神学校の時、1人がやめることになり、私が「残念ですね」と言うと、彼は「私にはこの生活は出来ない。でも君は、この生活しか出来ないかもしれないよ」と言いました。それは、私には社会生活、家庭生活は向いていないということらしい。それなら、神が私を選んで招いて下さったかもしれないので、私はこの道を生きることによって、自分の使命を果たすことができるのではないかと考えました。理由は、何年か前に、私が自分には司祭になるのがどうしてもできないと思った時、指導司祭に、「あなたの心の中にある愛を限られた4〜5人の家族のために与えるのと、出会うすべての人々のために与えるのと、どちらを選びたいのですか」と問われて、私は司祭になる決心をしました。

司祭がどんなものであるかを勉強してよく考えたけれど、司祭になって日々を過ごすことによって、だんだん解ってきました。特にヘブライ人への手紙の5章1〜4を読んでその自覚を深めました。私は、司祭になった時、自分の才能にふさわしい道を歩もうと思っていましたが、パウロは、この手紙のなかで、「司祭は自分のため、また人々のためにいけにえを捧げる人です」と教えて下さいました。それで、私は司祭としていけにえを捧げない日があれば、本当に神に対しても、自分の使命を果たさなかった気分です。それは私にとって非常に恥ずかしいことです。なぜなら、聖パウロの言葉に基づくと、「司祭になるのは、自分の選択ではなく、神がいけにえを捧げてもらうために選んでくださった」からです。

私は、25年以上司祭生活を、自分で選ばなかった道を歩んで来ました。確かに司祭として世間の人々のようにではなく、神のために、同時に神を通して人々のために生きるべきでしょう。そして、司祭も弱い人間であるがゆえに苦しんでいる人たち、迷っている人たちの気持ちが分かります。それだけではなく、その人たちの求めているもの、神の恵み、導き、照らしなどを与えることができますし、その人たちの希望、苦しみ、悩みなどを神に捧げることができます。その意味で、司祭職は栄光ある任務と言えるのですね。祭壇の上の司祭は共同体の中心ではなく、キリストを中心とし、キリストに自分の姿、自分の手、自分の声、自分の心を貸してあげることが使命です。時々1人ぼっちで、司祭は人間として寂しさを感じますが、その寂しさを神との出会いの部屋と考えなければならないでしょう。とにかく私は、司祭になったことを毎日神に感謝しています。それは神が私のために、1番ふさわしい道を歩ませてくださったからです。私は司祭として、キリストの使命に参加して、人々の霊魂を救うことが出来ることはすばらしいことと思います。また、神に召された親族、友人、信徒の方々のために、いけにえを捧げることによって、最高の恵みを与えることができると考えると、司祭職に導かれたことを大きな喜びと感じます。

これから、私はどこで、どんな働きをするか分かりませんが、そこに祭壇さえあれば、私は司祭職を果たすことが出来るに違いありません。これは神の不思議な業ではないでしょうか。どうして司祭になったのか、どうして日本に来たのか、神に聞いてください。神はすべてご存じですから。

ミンガラバNo.10 11月15日 第19回を迎えたミャンマーデー

『自分の心と自分の手を相手のために使うことがある』

姉妹教会の関係を結んでいるミャンマーの教会のために、11月の第3日曜日に東京教区の全教会で祈ることは、戦後のケルン教区からの姉妹関係、援助の精神に習い、1980年に始まりました。ミャンマーの教会は、1962年の社会主義革命後、政府の国有化政策により、教会所有の建物、土地、学校などが没収や移転、縮小を余儀なくされ、1966年には外国人宣教師の追放が始まり、苦しい状況に置かれました。しかし、貧しい少数民族の中にカトリックが多く見られるこの国の教会は、その逆境をバネとして、残された人たちでの教会の自立を促し、その結果現在では、神父、修道者やカテキスタの召命が、年々増えています。ミャンマーデーの日のミサ献金は、主にミャンマーの神学生養成に用いられます。また最近、活発になっている教会・宣教活動のためにも、東京教区はさまざまな形で援助しています。

『与えられたものよりはるかに多くのものをいただいています』

戦後のまだ苦しい時期、ドイツのケルン教区は、「たとえ自分たちが困っている時でも、さらに困っている人に手をさしのべるのが、本当のキリスト者の精神です」というフリングス枢機卿の意向に基づき、東京教区への援助が開始されました。「お礼を言うのは私たちのほうです。私たちは、与えたものよりはるかに多くのものをいただいています」これが、東京教区からのお礼に対するフリングス枢機卿の答えでした。私たちはこのケルンの精神にならって、ミャンマーの教会との姉妹関係を続けています。

12人の学生が訪問

ミャンマーの教会から要望のあった青年の交流が今年の3月に実現しました。12人の学生が、主に3つの教区を回って各教区の学生や青年カテキスタ、神学生と会い、農村にホームステイをし、さまざまな施設をまわって、多くのことを学び体験して帰国しました。ミャンマーの青年にとっても、大学が長く閉鎖されているような状況で同世代の日本人信徒に会い、分かち合えたことは、大きな励みになったようです。厳しい社会状況の中で、強い信仰を持って生きる人々に出会い、「人生の意味」について考えた学生たちは次のように体験を振り返っています。

深い信仰とホスピタリティ

人々の信仰の深さには驚かされた。おやつを食べるにしても感謝して十字を切る習慣は日本ではまず見られないことだと思う。バナナチップスを食べる時にもお祈りをしていた。「あの時苦しんでいたのは私なのである」というイエスのことばがあるが、苦しんでもいない、皆の役に立つわけでもない小さな私をまるで「信仰深い偉いひと」のように扱い、握手を求めてきた村の人々のホスピタリティは深い信仰心からわき出てきたものなのだと思う。これからは、きちんと教会へ行き、ミサに与かろうと決心している。

私に足りないもの

私に足りないものをたくさん持っていた。何をするにもまず相手。相手への気遣い、優しさ、素直に喜んだり、1つひとつのことに感謝して生きている姿が印象深い。私はミャンマーで出会った人たちより恵まれ、、自分のやりたいこと、好きなことが出きるが、ほとんどそれをするだけで精一杯だった。そこにあるのは「自分のことだけ」しか考えていないような生活で、今思えばとても恥ずかしい。お祈りを通して、もっと自分が「仕える人」になれたらと思う。(つづく)

ミンガラバとは
ミャンマー語で「こんにちは」を意味する。

お詫びと訂正
157号3面ミャンマーデーは18回目ではなく19回目でした。

教会・修道院巡り(63)『ミラノ外国宣教会』

ミラノ外国宣教会は、非キリスト教国(特にアジア諸国を中心)における福音宣教に奉仕をして、その国の司教団の指導の下で、教会の発展と司祭の養成に力を注ぐ会です。イタリアから始まった宣教会ですが、現在、多国籍の宣教者(司祭及び信徒宣教者)がイエス・キリストの召し出しに応え、教会から派遣されて、生涯、宣教活動に携わっています。

宣教会の歴史

ミラノ外国宣教会は1850年(嘉永3年)にミラノ教区の司祭アンジェロ・ラマッツォッティ神父によって創立されました。彼は教皇ピオ九世と北イタリアのロンバルディア州の司教たちの希望に応えて、外国で宣教する教区司祭のグループを集め、ロンバルディア州の外国宣教神学校を創立しました。最初はロンバルディア州の教区司祭として外国へ宣教に行く方法でしたが、だんだん独立して「ミラノ外国宣教会」になっていきました。
1926年に、同じような使命をもって中央イタリア、南イタリアで活動していた教皇庁立外国宣教神学校との合併が行われ、イタリア全国から外国に宣教師を送る会となり、その時に現在の正式名称PontificioInstitutoMissio-niEstere(P.I.M.E)が付けられました。

宣教会の組織や活動

ミラノ会の宣教者は、5人の司教、505人の司祭、8人の助祭、32人の信徒宣教者から成り、アジアでは日本の他、ミャンマー、インド、バングラディシュ、タイ、カンボジア、フィリピン、香港、アフリカではグイネア・ピッサウ、カメルーン、コテディプアル、その他アメリカ、ブラジル、パプア・ニューギニアで働いています。本国イタリアやアメリカでの活動は、主に宣教者の養成と広報活動で、宣教地では福祉活動、文化や教育事業などによる福音宣教、開発推進への手伝いなどが行われています。また小教区の司牧を通して、教区司祭の召し出しのために働き、困難な状況の中にある人への愛の証し、他宗教の信者との交流などを行っています。

日本における宣教活動

初めて日本にミラノ会の会員が派遣されたのは、1950年のことでした。横浜教区と福岡教区の依頼を受け、山梨県と佐賀県で働きました。その後、神奈川県、兵庫県でも働くようになり、現在は26人の会員が、山梨県で5つの、神奈川県で3つの、佐賀県で7つのそれぞれ小教区を担当しています。東京では府中教会がその働きの場となっています。
(チエレスティーノ・カバニア神父)

日本管区本部:
〒206-0021 東京都多摩市連光寺6-11-6
Tel042-371-9844Fax042-371-9624
e-mail: superior@pimejapan.com
インターネットホームページ: http://pimejapan.com

「聖霊の年にふさわしい研修会」 10/13〜15司祭研修会のミサでの白柳誠一枢機卿の説教

今週で、教皇が在位20周年を迎えられます。ペトロの後継者として教会を導き、また、平和の使者として全世界をくまなく歩いて、平和の大切さを説いてこられた教皇に大きな拍手を贈るとともに、教皇のために、これからも神の大きな恵みが注がれますようにお祈りしたいと思います。

教皇のお働きと今回の研修会のテーマである「司祭の人事異動と教区のの宣教ビジョン」の間には大きな関係があります。といいますのは、聖霊は、教会の位階制(ヒエラルキー)を通しても働いているということです。同じひとつの聖霊が、教皇から始まってすべての司教、すべての司祭・助祭、そのほかすべての位階に属するものに及んでいるということです。それは、とてもすばらしいことで、私たちは絶えずこのことに気づいていかなければならないと思います。私たちは召し出されたものであり、それぞれの使命が与えられています。働きはそれぞれですが、ひとつの聖霊に導かれているということを心に留め、召し出された神の期待に少しでも応えていかなければなりません。そのために聖霊の促しをよく分別し、心をひとつにして与えられた使命を果たしていく覚悟が必要です。

今日、教会は、日本だけではなく、全世界の教会が大きな節目にさしかかっていると思います。第二バチカン公会議を通してせっかく差し出された課題がまだ消化されていないということであり、社会の急激な変化に、教会がどう対応していいか戸惑っているともいえます。ひとつの危機といってもいいでしょう。しかしながら、教会の歴史を顧みると、もっと厳しい時代があったことも事実です。そのような時期にあっても、必ずそれを乗り越える導きがあったのです。それは、聖霊の導きでした。ひとつの危機ならば、同じ聖霊が働いてくださり、力強い導きを与えてくださっていることを確信しなければなりません。

私たちには、キリストの教えを伝える使命があります。方法や形態は多様ですが、使命はひとつです。そしてその使命を果たすために派遣されているのです。くり返すようですが、私たちは、心を空っぽにして、聖霊の導きに応えていかなければなりません。聖霊は絶えず私たちの心の扉をたたいています。私たちに必要なことは、聖霊に心を開くということです。そこで、今回の研修会で皆さんが、教区の将来とそれに向かってのビジョン作りに意見をたたかわせてくださいました。特に司教に与えられた権限である司祭の人事についてもとてもすばらしい意見を出してくださいました。

教会にとって、司祭の人事は決して小さいことではありません。適材適所を旨として、司祭にも、信徒にも、喜びをもたらす人事を心がけ、最善を尽くしております。人事は常に苦しみを伴うものです。せっかくなれ親しんだ人々から引き裂かれる苦しみ、やりかけた仕事をやり残す苦しみ等々。司教は、その苦しみを知りつつ、新しい人事を伝えていく苦しみを味わっていかなければなりません。しかし、それはさらに、大きな喜びをもたらすために、どうしても受け止めていかなければならない苦しみです。

時代の求めに応えていくために、司祭人事も新しい対応が求められています。今回の研修会で出された意見は、そのための大きな恵みだと受け取っています。ここで出された意見を無駄にしないように、司祭評議会で諮っていただき、これからの司祭人事に役立てていきたいと思います。司祭評議会に入っていない方々の意見も大いに聞いていくつもりですから、どしどしご意見を寄せていただきたいと思います。

わが輩はペトロである(2) 人間は、何故走るのだろう

O神父は「忙しい、忙しい」という言葉を連発しながら毎日飛び回っているようだ。それがO神父の生き甲斐なのか、ぼうっと時を過ごすのが苦手らしい。「忙しいという字のりっしんべんは、元々『心』と同じ意味で、『忙』は心を失なうことを意味している」とO神父は得意気に語っているが、自分が心をなくしていることに気付いていないらしい。心に余裕がないせいか、教区や小教区のことなど何かにつけてぶつぶつ言うことが多く、完全に自分を見失っているようだ。

この教会に赴任してきた頃のO神父は、仕事があまりなかったらしく、庭に出て花や樹木に触れていたが、「忙しい」という言葉を発するようになってから、花や木、そして私にも目をくれようとしなくなった。夏の暑い昼さがり、私が木陰で、渡っていく心地よい風に身をまかせ、うとうとしていると、「猫はいいな。ただ食って寝ているだけだもんな」とO神父が嫌みを言った。じっとしていることに耐えられないくせに、そんなこと言ってほしくないものだ。O神父は「さっきから、お前、耳をぴくぴくさせているが、何を聞いているんだ」と言いながら、食堂の床に腰かけ、足を地面に降ろして目を閉じた。しばらく黙ってじっとしていたO神父は、丁度そこに居合わせたシスターSに「いやー、驚いたよ。ペトロは色々な音を聞いているんだね。葉むらのそよぐ音や鳥のさえずり、自動車の音や遠くに聞こえる電車の音、そして風が渡っていくのを感じている。ぼくらは色々な音や現実を遮断しているんだね。人々の叫びも聞いているようで聞いていない。こころが他のことに捕らわれているからだろうね」と言って、しきりに感心している。O神父は毎日どんな祈りをしているのだろう。祈りの時でもぶつぶつ言っているのだろうか。

O神父が私のことを説教で話したらしく、ある信徒が私のところに来て「ほうー、お前が哲学者のペトロか」と言ったが、私は哲学者でも思想家でもなく、ただの野良猫だ。私が哲学者に見えるのは、人間がみな忙しすぎるからだ。いくら私が猫でも、13年も教会の庭に生きていれば、子供たちが益々忙しくなっているのが分かるってもんだ。「塾だ」、「野球だ」、「サッカーだ」と言っては、息つく暇もなく追い立てられている。人間は子供の頃から何に向かって走っているのだろう。私たち猫の寿命は、長くて精々15年だが、長い人生の大部分を走り続ける人間のことを思うと何だか哀れだ。

O神父は暫くの間、「回心しなくちゃ」と言いながら、時々庭に出ては、目を閉じて私の真似をしたり、庭の花や樹木の手入れをしていたが、2週間もたたないうちに、そんなことはすっかり忘れ、「忙しい、忙しい」を連発するようになった。春から夏、夏から秋にかけて庭にどのような花が咲き、ミンミンゼミやツクツクボウシの鳴き声、秋の虫のすだく音に、O神父は何度心を寄せただろうか。

キリスト生誕2000年の大聖年に向けて 1999年は「父である神」の年

第4回リレー式『祈りと黙想の集い』

期日:1998年12月31日20:00〜1999年元旦6:30まで
場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂
主催:東京教区大聖年特別委員会

1998年12月31日(木)
20:00〜21:30 「若者と、祈る」青年を中心に、祈りと黙想
22:00〜23:30 「修道者と、祈る」男女修道者たちを中心に

1999年1月1日(金)
00:00〜1:30 新年深夜ミサ「神の母」(門馬神父・関口教会)
ミサ中、それぞれの感謝・ゆるし・決意・祈りをカードに込めて、ささげます。
2:00〜2:50 「生ける神に、祈る」マタイ6章26〜34節
3:00〜3:50 「聖なる神に、祈る」ヨハネ1章3〜18節
4:00〜4:50 「ねたむほど愛される神に、祈る」エフェソ1章3〜10節
5:30〜6:30 新年早朝ミサ(森司教)

どなたでもご参加ください。

編集部から

ラジオ「心のともしび」で朗読を担当されていた女優の河内桃子さんが11月5日に大腸がんのため帰天。葬儀・告別式は、9日聖イグナチオ教会で行われた。河内さんは、新劇、映画、テレビ、ラジオと幅広く活躍される中で、1964年から「心のともしび」の朗読を始められた。番組が5千回に達した時にバチカンから「聖十字架章」を、また河内さんの朗読が1万回を迎える1996年8月10日の放送を記念して「感謝の集い」が9月6日に東京都内のホテルで開かれ、教皇代理のカルー大司教から「聖シルベストロ騎士団長章」が贈られている。その当時、河内さんにインタビューした『カトリック新聞』の記事によると「好きな聖書の言葉は、聖パウロのコリント人への手紙の中の『心に愛がなければどんなに美しい言葉も相手の胸に響かない』」という箇所をあげられている。人生の半分を「心のともしび」とともに生きて、愛と心で明るく語りかけて下さった河内さんは今年秋から体調を崩し入院、10月29日に心のともしび運動専務役員の近藤雅弘神父より受洗。洗礼名はマリア。

金大中大統領の訪日(10月)を機に日本大衆文化の規制緩和が期待される韓国で、日本映画の上映第1号は『愛の黙示録』になる。『愛の黙示録』は、98年の「広報の日」特別企画として、東京教区広報委員会とOCIC・JAPAN(カトリック映画視聴覚協議会)が共催した「映画と講演の夕べ」で上映され、金洙容キムスヨン監督の来日講演もあった。東京教区ニュース153号でも紹介したが、『愛の黙示録』はカトリック映画賞を受賞した作品で、尹鶴子(ユンハクチャ)という日本人女性(田内千鶴子)の生涯を映画化したもの。3年前にできた日韓合作のこの作品は、韓国では日本映画と見なされ、一般公開はされなかった。OCIC・JAPANによると金洙容監督が韓国から「12月下旬を封切日と決め、ソウルの人々にはクリスマスの良いプレゼントになりそうです」とFAXを下さったとのこと。

宣教司牧評議会 答申書(全文)

白柳枢機卿様

序:私たち、東京大司教区宣教司牧評議会のメンバーは、枢機卿様から示されました諮問課題について審議を重ねて参りました。

諮問課題A:司祭の高齢化と召命の減少に伴うこれからの小教区司牧に対する修道会・宣教会司祭の協力について

諮問課題B:地域の修道会・宣教会と小教区の相互理解と協力について

(司教様を中心に、司教様とともに)
この諮問課題について審議していく過程において、私たちは、神の民の具体的表現である司教を中心とした教区という地域教会のあり方に対して信徒・修道者・司祭全員がそれぞれ固有な立場に応じて宣教と司牧に関する共同責任をもっていることをあらためて確認いたしました。

(私たちの現実の中で)
私たちが日常的に関わりを持つのはひとつの小教区であったり、また修道会の一共同体であり、それぞれ固有の使命や使徒職をもっています。それと同時に、この時代に同じ地域、すなわち東京教区というカトリック教会の単位の中に所属しているという意識には多様性があったり、濃淡があることにも気がつきました。

(私たちの気づき)
この諮問課題を考え、意見を交換してゆくプロセスの中で、私たちキリスト者は、現実に所属している共同体が小教区であれ、修道会・宣教会の共同体であれ、ある人々が持っているニードに応えるために存在していることに改めて気がつきました。またこの諮問課題に対する具体的な提案を考え出す中で、「新しい方法論が必要なのではなく、お互いが向き合うこと」が大切なこと、また「新しい方法論でなければ解決もしない」ものもあることにも気がつきました。私たちが変えてはならないのは「いつもキリストの価値観で見ること」であり、私たちが変えなければならないのは「自分たちに都合のよい姿に安住する傾向」であることに気がつきました。

(私たちの望みとして)
枢機卿様が示されたこの諮問課題は、第二バチカン公会議の精神、ナイスで検討された様々な諸意見をベースにしながら、今、21世紀を迎えようとする東京という地域に住む私たち、信徒・修道者・司祭全体に対して、キリスト者の共同体として、さらなる協力と宣教司牧に対する共同責任への具体的なあり方を促すものであると受け止めました。以下に2つの諮問課題に対する具体的な提案を提示させて頂きます。

諮問課題Aに対する具体的提案

1教区長と男子修道会・宣教会の管区長・地区長(責任者)との公式の話し合いの場を設置する事を提案いたします。

(説明):司教様と修道会・宣教会との間の意志の疎通は、会によって異なるように見受けられます。密なるところもあれば疎なるところもあるようです。同じ思いで宣教活動に従事するためには東京教区の現状や方針を司教様が直接伝え、最も根本的な共通理解を絶えず、確認してゆくことが必要であると思います。このためには、少なくとも年に1度は修道会の責任者との話し合いの場が必要であると考えます。

2教区長と東京大司教区内に存在する男子修道会・宣教会の院長の話し合いの場(あるいは教区本部と修道会・宣教会院長とのネットワーク)を設置することを提案いたします。

(説明):女子修道会のためには東京修道女連盟というネットワークがありますが、男子修道会にはそれに類するものがありません。また、1で提案した管区長・地区長レベルの話し合いが直ちに各修道院全体に伝わることも難しいことと思われます。全修道者が教区長との直接の話し合いに参加できれば理想的ですが、これも非常に困難なことと予想されますので、実務的なコミュニケーションと協力関係を培っていくためには、各共同体の責任者である院長たち(東京教区における男子修道院・宣教会共同体の数は50余りですので)との交流の場(ネットワークなど)をお考え頂けますようお願いいたします。

3小教区を担当する司祭と修道会・宣教会司祭との間の情報を交わす窓口・機関を設置することを提案いたします。

(説明):この窓口・機関を通して、小教区を担当する司祭と修道会・宣教会司祭との不断の交流、情報交換を行うことにより、必要が生じたとき容易に対応できると思います。この窓口・機関については、各地域協力体とも連絡しながら教区全体の事情を把握してゆくためにも教区事務局にそのような対応する部門を設置してゆくことが望ましいと考えます。

提供される情報として、
(a)小教区が必要とし、求めている援助、協力して欲しいこと。
(b)修道会・宣教会の側から、協力可能な人材、事柄、時期などについて。

諮問課題Bに対する具体的提案

*宣教司牧評議会は、各修道会の固有のカリスマとその諸事業に敬意を払いつつ、地域における福音宣教の促進と充実のために、その地域に在住するキリスト者(信徒・修道者・司祭)が責任を負うという認識のもとに以下の提案をいたします。

1一年に何回かは、同じ地域で別々の主日のミサをするのではなく、ひとつの場(小教区の聖堂、学校の講堂などで)に集う機会を持つことを提案いたします。

(説明):聖週間を例にして考えてみますと、聖木曜日の主の晩餐のミサは一つの地域に一つの典礼という考え方があります。同じ地域の信徒・修道者・修道会司祭・教区司祭が一つの典礼に集う機会を持つことで、出会うことの大切さ、またそのような企画を小教区と修道会・宣教会が一緒に考えることがお互いを知るチャンスになると思います。

2小教区における宣教司牧活動に男女修道者(修道女・修道士・修道司祭)が参加する可能性を拡げることを提案いたします。

(説明):男女修道者が小教区活動に直接に参加、体験する機会を徐々に増やしながら、東京教区という司教様を中心にした地域教会のあり方を実現してゆくための共同責任を担ってゆくために、可能な場合小教区における宣教司牧を一つの使徒職として、修道会から小教区へ派遣するということを教区長から促して頂きたいと考えております。小教区の宣教・司牧を信徒・司祭・修道者によるチームワークで行うことが望ましい姿であると考えております。

3小教区との関係を常に考慮に入れバランスを取りながら、小教区の家庭集会の拠点のひとつとして、修道院を活用する可能性を考えて頂くことを提案いたします。

(説明):多くの小教区には、家庭集会(地区集会)という集まりがあります。この集会の場として修道院という場所が開放される可能性はないでしょうか。小教区が行う家庭集会にその地域にある修道会の会員もその地域の小教区のメンバーである意識をもって参加することが、信徒たちに大いなる励ましを与えることを期待しています。

また、このことが相互の立場(修道会のカリスマと小教区の宣教司牧活動)を理解しあう機会になることが望ましいと思います。家庭集会はあくまでも小教区の司牧活動の一部でありますから、その集会の内容は主任司祭の指導に従うべきものと考えています。また時には、その家庭集会に場所を提供している修道会からの呼びかけ・企画に応える機会もあってよいものと考えます。

これらの試みが「対話と協調」の精神をもって行われ、小教区・修道会のそれぞれの立場を理解しあう機会となれば幸いに思います。

4青少年の司牧など、幼稚園・学校教育・家庭・小教区で共通している課題について、様々な協力を推進してゆくことを提案いたします。

(説明):修道会で幼稚園・学校を経営している場合、小教区の青少年を対象とした司牧活動(教会学校・スカウト活動・中高生会などの)と共通する課題が多くあると思います。学校・家庭・小教区で今、いろいろな困難、社会の影響を多く被っている青少年に対する関わりなどについて、積極的な協力が可能なことを探る話し合いの場を設けて、例えば小教区や学校で、研究会・講演会やシンポジウムの企画などを持つことは出来ないでしょうか。また地域で青少年を対象とした健全育成活動をしている人々との連帯も可能であり、必要であると思います。

5小教区における様々な奉仕活動やボランティア活動と修道会の活動とリンク出来るものについて呼びかけ合うことを提案いたします。

(説明):小教区には様々な奉仕活動・ボランティア活動が行われています。また修道会の経営する学校や事業体においても同様のことが行われていることと思います。すでにこのようなことが行われている実例を教区ニュースなどでシリーズで取り上げ、他の小教区や修道会への呼びかけとして継続的に啓発を行って頂きたいと思います。

終わりに:
昨年、新しい形で招集さた宣教司牧評議会は1997年10月20日に第1回の会合を持ち、その折りに白柳枢機卿様よりご指示のありました諮問課題に取り組んで参りました。約1年をかけて審議を続け、本日、答申書を提出する運びとなりました。この答申が東京教区の宣教司牧のために少しでも役立つことが出来ますよう祈りつつ、ここに謹んで提出させて頂きます。

1998年10月19日 東京大司教区 宣教司牧評議会一同

東京教区生涯養成委員会主催 第12回生涯養成コース

「現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう」
(その2)
-私たちは、「三位一体」をどのように理解し、どのように伝えてきたか-
「現代人の目で、これまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう」と題し、昨年の秋から4回シリーズで、「聖書」・「イエス・キリスト」・「教会」・「コムニオンとしての教会共同体」の4つのテーマについての学びを企画してきました。大きな問いかけをする、というねらいを持ったこのシリーズは、新しい知識を学ぶ単なる学習会ではなく、これまでの信仰理解の見直しを促すものとなりました。それに続いて今回は、前回のシリーズの流れの上に立ち、「三位一体の理解」にしぼって、深めていこうという企画を立てました。広く皆様のご参加をお待ちしています。

第1回 1999年1月23日(土)
13時30分〜16時30分
「三位一体とカテケージス」
講師 百瀬文晃師(イエズス会)

第2回 同 2月13日(土)
13時30分〜16時30分
「三位一体と教会」
講師 小笠原優師(横浜教区)

第3回 同 3月20日(土)
13時30分〜16時30分
「三位一体と信仰生活」
講師 星野正道師(カルメル会)

会場 東京教区関口会館
ケルンホール
参加費(3回通し)1,500円
申込・問い合わせ先
〒112-0014 東京都文京区関口3-16-15 東京教区事務局・東京教区生涯養成委員会生涯養成コース係 Tel03-3943-2277Fax03-3944-6677郵送またはFAXで。参加費は当日会場で。