東京教区ニュース第156号

1998年09月01日

教会学校サマーキャンプ報告 〜アンケートから〜

近年、少子化、進学競争の激化等のため、教会学校主催のサマーキャンプ(錬成会)への参加が少なくなっているとの声を聞く。東京教区ニュース編集部では、92年の夏、全小教区を対象に教会学校サマーキャンプに関するアンケートを実施し、今後の課題は、「参加者の減少」、「リーダー不足」、「リーダー養成の必要性」、「キャンプの場所の確保」等であることが浮き彫りにされた。(96号)

今回は、教区の各地域協力体からひとつの小教区に対して、92年と同様のアンケートを送り次のような回答を得た。回答をよせてくれた小教区で、サマーキャンプを実施した教会はいずれも小教区単独でサマーキャンプを実施している。なお、神田教会(中央地域協力体)は、「子どもの数が少ない」「リーダーがいない」ため、サマーキャンプは実施していない。

回答のあった小教区

神田(中央地域協力体)、三河島(城東)、三軒茶屋(城西)、葛西(総武)、洗足(城南)、西千葉(千葉)、府中(武蔵野)、八王子(多摩)

1 サマーキャンプを実施した教会に対して、
(1)いつごろ、何日間?
・7月下旬・2泊3日:三軒茶屋、洗足、府中
・7月下旬〜8月上旬・3泊4日:三河島
・8月上旬・2泊3日:西千葉、葛西、八王子

(2)どこで?
・中軽井沢・修道会施設:三軒茶屋
・湯沢・民宿:洗足
・妙高高原・修道会施設:三河島
・秋川渓谷・民宿:西千葉
・五日市・カトリック施設(小学生)、秩父・教会(中学生):葛西
・茅野・修道会施設:八王子
・北秋川・自然休暇村:府中

(3)テーマと内容
・神様が下さった自然の中で楽しく遊ぶ:三軒茶屋
・都会の喧噪を離れて、自然の豊かな所で、数日を共に過ごす:洗足
・大自然の中で、神様に感謝し、ひとつの家族としてなかよく過ごそう:三河島
・キリストとともに:西千葉
・野外生活、共同生活を通して、新たな子どもの個性、優しさなどを発見する(小学生)
自然の中で、仲間との親しみを深める(中学生):葛西
・神様がわかるでしょ:八王子
・信者外の子供たちが1人でも多く参加し、家族的なつながりと、その中にキリストのみ言葉を伝える:府中

(4)費用は?(参加者の個人負担分)
・8、000円:葛西(小学生)
・9、000円(兄弟割引有):八王子
・10、000円:府中
同(中学生):葛西
・15、000円(兄弟割引有):三軒茶屋
・18、000円:西千葉
・20、700円:三河島
・27、000円:洗足

(5)教会の補助は?
・出していない:府中
・2万円(中高生会)、
5万円(小学生):葛西
・8万円:三軒茶屋(日曜学校父母の会のミニバザーの収益金)
・15万円:洗足
・20万円:三河島
・25万円:西千葉
・50万円:八王子

(6)参加人数
・小学生42名:三軒茶屋
・小学生45名:洗足
・小学生11名、中学生2名、高校生4名:三河島
・小学生40名:西千葉
・小学生19名、中学生5名、高校生1名:葛西
・小学生26名、中学生3名:八王子
・幼稚園6名、小学生19名、中学生2名:府中

(7)リーダー数は?
・9名(M=2、F=7、すべて社会人):三軒茶屋
・11名(M=1、F=10、すべて社会人):洗足
・4名(M=3、F=1、神学生1、シスター1、社会人2):三河島
・15名(M=9、F=6、中学生3、大学生3、社会人9):西千葉
・小学生のキャンプ
14名(スタッフ8、食事係5、司祭1)
中学生のキャンプ
6名(スタッフ3、手伝い1、シスター1、司祭1):葛西
・12名(M=9、F=3、大学生2、社会人10):八王子
・16名(M=6、F=10、高校生1、社会人3、母親10):府中
(注)M=男性、F=女性

2 今後の課題は?
・教会学校としてのサマーキャンプのあり方。受洗している子どもとしていない子どもが対象なのでポイントの置き方に課題がある。
・子供たちが自主的に活動できるプログラムを工夫する必要性がある。
・若いリーダーがいない。
・開催期日の検討。
・中高生の参加人数をいかに増やすか。
・リーダーの育成

教区教会学校委員会から

今、教会が現代社会からチャレンジを受けているように、教会学校も同様である。リーダー不足、信仰の伝達の困難さ、家庭と教会学校間の意識の相違など、教会学校が抱える問題点を上げればきりがない。上記のように、各地区協力体の教会からサマーキャンプについてのアンケートの報告が載せられている。来月号には、9月15日に行われたリーダーの集いの記事も載るはずである。今月号、来月号の教会学校についての記事を通して、教会学校の意味、リーダーとして働く意味(別な表現をすれば、他者のために自分の時間、力を提供するの意)を、一人ひとりのこととして受け止めることになれば、素晴らしい。

現代社会からチャレンジを受けている今だからこそ、教会や教会学校の出番でもある。教会や教会学校はイエスのメッセージとつながっているという点で意味がある。教会や教会学校は、イエスの伝えたメッセージの実現の場である。特にサマーキャンプなどは、その恰好の例である。いろいろな人がキャンプを支え、自分と関わりのある子どもが参加していなくても、その成功のために祈ったり、共同体のために自分の力を提供することに喜びを感じたりなど、まさにイエスのメッセージの体験、そのものであろう。この体験のためには、棚からぼた餅式ではなく、努力が必要である。努力には痛みも伴う。その痛みを受け入れることができるか問われている。
(浦野雄二神父)

マタタ神父のインタビュー 遠藤順子さんを訪ねてその(1)

遠藤順子さんの「夫の宿題」

ご主人が亡くなってから2年になりますね。遠藤周作さんについてどんな思いでいらっしゃるのでしょう。

私は死が終わりじゃないことを本に書きました。主人は亡くなる前3年半、苦しい闘病生活をしていましたけど、私が思うにはカトリックとしての最高の死、理想的な死を頂きました。私は主人の看病の為に結婚したようなもので、主人の死は私にとって最大の恐怖でした。しかし、実際に息を引き取る瞬間は光輝く感じがあって、「ああ、今神様をこの目で見たんだろうな」という感じで、とても喜びに満ちた感じになりました。

主人が亡くなる1年半前から(完全にではないけど)ほとんど口が利けなくなりました。そしてコミュニケーション「水が欲しいとかちょっとお使いに行ってきますとか」には手を握り合うことで意思を伝え合いました。主人はユーモアに溢れる人で人を笑わせるのがとても好きでした。ですから主人がそういうふうになるのは私にとって非常に悲しくて、毎日祈っているにも関わらずどうして酷いことになるかと思いました。だけど、最後の時に、手を握り合うことで「俺はお袋や兄貴の所へ行ってお前をまっている」と言ってもらえました。もしそれまで口が利けて突然亡くなったのなら、それまで手を握り合って意思を伝える訓練ができなかったでしょう。

主人はパウロという洗礼名を頂きました。聖書の中でパウロは一番復活をアピールした聖人だと思います。主人はパウロという洗礼名を頂いた人間らしく自分も復活をアピールしてきたと思います。私はもともと仏教でしたから復活ということは聖書を読んでもなかなか信じられなかった。しかし主人の死の瞬間の時はわかりました。私は悲しくないというのは嘘なんですね。しかし、「愛したものを亡くしたのはお前だけじゃないし、また会えるよ」とむしろ亡くなった主人の方から勇気をもらったという感じでした。そして主人がその時必死に伝えてくれた『復活』というメッセージを私が私なりに主人の気持ちを人々に伝えるべきではないのかなと思って本を書くことにしました。

そしてご主人が復活するということはまだ生きていらっしゃるということになるでしょうね。

生きている時は取材の旅行等で出て行ってしまうと連絡もくれませんし、いつ帰るかわからない時があったし、また家にいる時は仕事に没頭していたら本当にお月様に行っているようなもので、何を言ってもまともに返事をしてもらえなかったことはいっぱいありました。しかし今はいつもいて何か問いかければ必ず返事が返ってくるという感じです。しかも病み衰えて苦しかった時の主人の姿ではなくて、『沈黙』を書いていた頃の一番元気だった主人がそのままいつも身近にいる感じです。ですから最後の時に手を握ってメッセージを伝えてもらったのは私の希望的観測ではなくて、やっぱりそれは本当のことだったんだ。そしてその主人が生きているというイメージは毎日毎日強くなっているという感じです。だから復活ということが本当にあるのだということは今になって信じられるのです。

『夫の宿題』とお書きになった本は遠藤順子さんのクレド(信仰宣言)だとおっしゃいましたが、…

私がずーっと仏教でいたからです。主人と結婚して洗礼をうけて、何か本当の自分とは違う感じがして、本当に自分のものではないような感じがしていたからです。主人が死ぬ瞬間に「カトリックとはこういうものだ」と私に必死になって伝えてくれた。私は3年半主人の看病をしたけれどそれに換えられないほど大きなものを主人が残していってくれた。神様のメッセージが本当に伝わった時、神様が「お見事」だと思いました。もしずーっと喋れて最後は急に人工呼吸になっていたらこんなことが伝わらなかった。1年半手を通してしか喋べれない時間があったから、こんなことが伝わったと思います。主人がどんなに愛情を持っていてくれたか非常によくわかりました。

「夫の宿題」ですね…ご主人が多くの宿題を残して下さったですね。

私は習わない本からたくさん宿題が出たわけです。今まで本を書くことがなかったし、インタビューも初めてです。お料理を作ったり看病したり(私は非常に看病が上手いですよ)例えば、心の温かい医療の問題でもまだその運動が始まったばかりです。始まったばかりの時に主人が亡くなりました。「やはり日本の医療がおかしい。少し人間的な触れ合いがあった方がいいじゃないかな」と主人が一生懸命言い続けましたけれども、自分が色々な酷い目に遇って亡くなり、たくさんの課題を残していきました。私みたいな小さい者が一人で一生懸命声を上げてもどうにもならないかも知れませんが、皆が一人づつ声を上げておけば日本の医療も段々変わっていかざるを得ないだろうとおもいます。だからこれも一つの宿題です。主人が心温かい医療を言い出してから、例えば検査の採尿が男女別々と改善されました。そのことは病院にとって一銭もかからなくて結局お医者さん自身の意識の問題です。

そしてターミナルケアの問題…

現代医学でこれ以上できないとわかってからが、患者と医者との間での本当の人間的な触れ合いがあるかどうかで大変違うということをよく言っていましたし、本当に治ればもちろん一番いいのですけれども、仮に終着点はもし死だとしてもいかに死を心安らかに迎えるかの為にお医者さんと看護婦さんと患者がチームを組んでそういうふうなことをやっていかなければならない。今は日本の医学はそういうふうではなくて金儲け主義的なこともあるし、患者さんの心のケアを全然しないし、病人を診るのではなくて病気を診ているの。病気が独立してあるわけではなくてむしろ病気というのは人間の中にいるのだから病人を診なければしょうがない。病人を診るということは病気のことも診るしハートのこともケアする必要がある。病人のハートのケアが全然ないわけだから、そういうことをこれから見付けていくことはもう一つの宿題ではないかなと思います。

ご主人はよく「人間としてではなくて患者として診られていた」とおっしゃいましたが、薬の副作用の問題についてはお医者さんにどういう感情でいらっしゃいますか。

お医者さんにもこの間、週刊誌から取材が入って、やはり薬害の問題はお医者さんの方で却下されました。後でかかった皮膚科のお医者さんのインタビューによると、その問題は内科の先生になかなかわからないものだそうです。しかし、皮膚科の世界では一目で薬害であることが簡単にわかるものです。すなわち皆が専門バカになっています。自分の専門のことなら何でもわかっていますが、他の分野について何もわからないのです。日本は一つの体を腎臓内科とか肝臓内科とか心臓内科とかに縦割りにして、腎臓の先生は自分の出した薬が皮膚科の先生が出した薬と合わせて他の臓器にどのような影響を与えるかあまり考えていません。役所の縦割り行政と同じように思えます。

長い間ご主人の世話をして、立派にご主人がその時を迎えるまで一緒に病と戦ってきましたね。

初めから病気だと知って結婚しましたからある程度覚悟はできていました。でも正直いって、こんなに病気するとは思いませんでした。主人は3回手術しました。しかし手術では色々な神経が切れて繋がらなかったり元通りに戻らなかったりもします。それが他の臓器にあらゆる影響を及ぼします。しかし、日本のお医者さんには、切れた神経がどういうふうにつながるかノータッチで、患部を除去し手術が済んだら自分の仕事が終わったと思う人がたくさんいます。確かに手術すれば治りますが、それは治したからで、自然に治ったからではない、接着剤で治した割れた茶碗と同じように、漏らないという意味は初めから割れていない茶碗と同じかも知れませんが、やはり違いますね。

ご主人はユーモア溢れる方だと言われていますが。

主人は体が弱くて「いつ死を宣告されるような病気になるかわからない」といつでも自分の心の中で思っていたと思います。それはとても辛いことだったと思います。主人はバランス感覚に富んだ人ですからその辛さを補うためにユーモアを利用する部分もあったと思います。

『沈黙』の中で踏絵の問題を通してご主人は体の弱い人間のことを強調していました。ご主人の、体が弱かったことがそれと関係があると思いますか。

主人が1回目と2回目手術を受けた時は麻酔科が独立していない頃で麻酔が完璧ではありませんでした。主人はその手術の痛さをキリシタンの拷問の痛さとオーバーラップさせていました。また、3回目の手術は大変危険な手術で、主人がその手術のことを心配していた時にある方が紙の踏絵を主人に見せに来ました。銅板の踏絵と違って紙の踏絵ですから踏んだ人たちの足の裏の汗や油がいっぱい染みついて真っ黒でした。主人がそれを見て、踏んだ人も転んだ人もどんな辛い思いで生きていたか伝えたかった。しかしその時、手術を無事乗り越えられるかどうか、もしかして自分の本当に書きたいことを書くことなく死ぬのではないかと思ったらしいです。
(次号へ続く)

「家族のための祈り文」から

土・日に出掛けるお父さんへ
お父さん またゴルフいくんだね
ぼくとサッカーするって約束しておいて!
ぼく 少し怒っているんだけど いいや
神さま ぼくね お父さん許してやるよ
かみさまへの手紙
こんどあうときは なにか話してください
そしてなにか見せたいものがあったら
見せてください
(7歳 小学2年 男)

自分を他の人に見てもらう 神学生合宿 in 湯河原

毎年恒例となっている東京教区神学生合宿が、8月26日から28日までの3日間、今年は湯河原の厚生年金会館で行なわれました。参加者は森司教をはじめ、東京教区神学生養成担当の大原神父と古川神父、そして今井、荒川、関、加藤、福島、小池、田村、豊島、眞壁、林神学生。計13名での合宿となりました。

初日(26日)、車、電車等の交通手段で各自現地に集合。厚生年金会館内の会議室に全員が集まったところで、いよいよ合宿がスタート。先ずは司教、司祭も含め、全員が画用紙とペンを執り、各々の『心の風景』をスケッチ。そしてそれを基に3グループに分かれ、分かち合いを行いました。視界の拡がらない窓無しの部屋の中で、それでも多くの名画(迷画?)が生み出され、各自の解説にも力が入っていたようです。その後、晩の祈り、夕食を経て、夜は親睦会。風呂上がりの身体を浴衣に包んだ神父と神学生が、文字通り「腹を割って」語り合いました。

2日目(27日)、朝の祈り、朝食を済ませた後、会議室で大原神父司式によるミサ(聖モニカ記念日)、そして話し合いに入りました。この2日目の話し合いは、先ず森司教の話があり、その後、司祭職、司祭生活についての、神学生から神父への質問、また将来の小教区、教区司祭の在り方についても意見が交わされ、なかなか白熱した時間となりました。午後はグループに分かれて、海釣り、温泉等、各自が自由な時間を楽しみました。釣りの成果はここには記しませんが、神学生同士の親交は大いに深まったようです。

最終日(28日)は前日と同じく、朝の祈り、朝食の後、森司教の司式でミサ(聖アウグスチヌス記念日)が行われました。参加者全員が心をひとつにして神のみ言葉を聞き、キリストの生きたからだを食べ、最後に森司教の派遣の祝福、そして「行きましょう、主の平和のうちに」の言葉をもって、神学生合宿の日程は全て終了しました。

今回の合宿の主要な目的の一つに「自分というものを、他の人に見てもらう」ということがあったと思います。森司教も説教の中で言っておられましたが、私たちの心の内には明の部分もあれば、暗の部分もあります。しかしそのどちらをも、かけがえのない「自分」として受け容れ、またそれを他の人にさらけ出す、そこにこそ神学生同士の連帯感は生まれてくるのでしょう。今回の合宿の体験は、これからの生活において、大きな糧となるに違いありません。
(林正人神学生)

マザーテレサに学ぶもの -愛と祈り-

マザー・テレサ帰天一周年を記念して各地でその愛をたどり祈りをささげる写真展、講演会、追悼ミサが行われた。銀座教会では9月3日〜13日まで百瀬恒彦氏の写真展が開かれ、その会期中の5日(土)14時から同教会東京福音会センター地下会議室で粕谷甲一神父の「マザー・テレサに学ぶもの……日本の現実の中で……」と題する特別講演会が催された。(要約)

「マザー・テレサと初めて会ったのはマザーがシンガポールで開催された『アジア宗教者平和会議』に出席した時だった。サリーのしわ、手のしわ、顔のしわのあるおばあさんだった。マザーは学者たちを前に2つの聖体拝領に支えられて生きていると語る。「朝のごミサでの聖体拝領と、カルカッタの町に出て溝に落ちウミとうじだらけのおばあさんを助けおこした時『マザーありがとう』といったその顔の美しさ、それはキリストの体だった。そこに参加した宗教者達は自分の宗教の神髄をマザーの言葉にみる。神を礼拝する心がどの宗教にもある。

その後、マザーについてカルカッタの終末宿に行った。安らかな臨終を助ける場所である。マザー達はそこでその人の宗教を聞き、「あなたは神様にとって大切な人、神様がまっている」とその人の望むままに相手の気持ちを大切にする。心の奥底は神とその人の聖域。そこには踏み込もうとはしない。これは新しい時代の方向性を示している。マザー・テレサは「愛は家庭からはじまる」という。子供が非行に走ると大きな問題になるが、大人の非行(不倫など)に対してはどう考えているのか。目標はどこに向いているのか。マザーの生き方の根本にキリストの最後の晩餐の出来事がある。「汚れた足をひざまずいて洗う」それを夫婦の間で、親子、兄弟の中でできるか。また自分の心の中まで見透かしている方の前で「恥じない生き方をしたか、人を大切にしたか…」祈る。一人ひとりの聖域でそういう部分を持たないと人間は狂ってくる。それが霊性、新たな一瞬、先ず親が行うようになれば家庭は変わってくる。大切なことは実行すること」マザーの特徴は無私性と匿名性と語った。

CTIC東京国際センター通信

アメリカ大陸訪問記

6月18日から7月10日にかけて、米国、メキシコ、およびホンデュラスを訪れる機会に恵まれた。米国は管区会議のため、メキシコとホンデュラスは、11年ぶりに恩人に出会うためであった。13年前、私は、青年海外協力隊の隊員として、ホンデュラスに派遣された。派遣に先立つ6週間、メキシコでスペイン語の研修を受け、残りの1年10ケ月を、ホンデュラスで過ごした。今回私は、米国での会議の機会を利用して、この2つの国の恩人達を訪ねた。

メキシコの恩人、それは1人の初老の御婦人である。彼女は、私が語学研修の際、ホームステイしていた家庭のメイドであった。彼女は、私がその家族との人間関係に苦しんでいた時、様々な助言を与え、慰めてくれた人である。異国の地で、孤独に苦しんでいた私にとって、彼女の存在は大きなものであった。彼女は、孤児院で育ったのであるが、他者への愛を溢れんばかりに持っている人である。彼女は、当時も貧しかったが、今も貧しい生活をしていた。子供は10人近く持ったのであるが、今は1人の息子が家に残っているだけである。家には、その他に3匹の犬と二匹の雄鶏がいる。3匹の犬は、極めて敏感で、夜間、家に何者かが近寄ろうものなら、真夜中でも吠え出す始末。お陰で1泊目、12時くらいまで眠る事ができなかった。やっと眠れると思いきや、今度は朝方の4時に雄鶏が鳴き始めた。「おおー。主よ助けて下さい」

翌朝早く、シャワーを使わせてもらった。シャワーは、薪を燃やして水を温める方式のものである。米国の後に立ち寄っただけに、彼女の生活が貧しいもののように思えた。彼女は、私がホンデュラスへたつ日、石鹸やトイレットペーパーをくれようとした。ホンデュラスは、それらの物もない、もっと貧しい国と言うイメージが彼女の中にあったようである。私は状況を説明し、彼女に感謝しつつも贈り物を辞退し、ホンデュラスへ向かった。

11年ぶりに見るホンデュラスは、様々な点において、11年前とは異なっていた。当時、まだ存在しなかった銀行、スーパー、ファーストフード店が乱立していた。固定為替相場制が、変動制に変わっており、物価は5〜6倍に跳ね上がっていた。その一方で、ストリートチルドレンの数は増し、犯罪は増加していた。たとえば、市場を歩く老若男女は、時計をはじめ何の装飾品も身につけていなかった。というのも、犯罪者がそれを狙うからであった。

11年の歳月は、恩人達の人間関係をも変えていた。何と、3組の夫婦が別れていたのである。家族を捨てたのは、いずれも男性の方であった。このような悲劇がある反面、うれしい事もあった。それは、若者たちの成長である。私が当時、下宿していた家庭の子供が、立派に成長していたのである。彼の両親は、前述した3組の夫婦のうちの1組である。彼の父親は、ある日、こうぜんと失踪した。それから3年間、行方不明だった。父親が失踪した当時、彼は小学校高学年であった。彼は、休み時間になっても友達と遊ぶ事なく、木陰で誰とも口をきくこともなく過ごした。成績も下がり、家では毎日涙に暮れていたらしい。その彼が、今は高校を卒業し、立派な社会人として母親を支えながら生活していた。私は彼の中に、ある希望を見出した。

私達が日本で接している子供たちの中には、彼に境遇の似た子供たちもいる。その子供たちも、このように成長してくれたらと思う。彼らが、困難を乗り越えて成長し、他者に希望を与える者となっていけるよう、寄り添っていきたい。
(遠山満神父)

CTIC絵はがき販売中!

CTIC所長の大原猛神父による絵・詩のハガキを販売しています。好評です。売上金は、CTICの充実と外国人支援に使われます。
4枚1組カラー250円
2種類あります。お申し込み、お問い合わせは、お気軽にCTIC事務局まで

第25回 平和祈願祭

8月8日(土)午後5時30分から、千鳥ケ淵戦没者墓苑で、第25回平和祈願祭が開催された。第1部は平和を願って、白柳誠一枢機卿主司式者とする25人の司祭の共同司式のミサが600人を越える参加者のもとで捧げられた。第2部は、地域協力体の代表による献花が行われた後、祭壇の火が参加者のローソクに点火され、司祭団を先頭に墓苑を一周(光の行列)し、平和を祈った。ここでは、白柳枢機卿の説教全文を掲載する。

白柳枢機卿説教

皆さん、今日私たちは例年のように、平和を祈り求めるためにここに集いました。平和への祈り、それは日本各地で熱心な祈りが捧げられています。日本だけではなく、世界の津々浦々でますます熱烈な祈りが捧げられています。このことは裏返してみますと、戦争への不安、平和を脅かす暗雲が日本でも、また世界の各地でも、地球を覆っているということを意味いたします。

恐るべき核兵器の開発、備蓄が推進、保持されていること、あるいは地域抗争、特に民族間の争い、血を流す争いが続いていること、あるいは富める国と貧しい国の格差がより大きくなっていること、そのような平和を脅かす大きな問題が私たちの前に山積しているとき、私たちは何か無気力になる、あるいは無関心に陥る危険性も持っています。今まさに人類は、その存続すら脅かされる状況にあります。

まず、核兵器の脅威について考えてみましょう。ヨハネ・パウロ2世が、1981年日本においでになり、広島で平和アピールをなさいました。そのなかで、「広島、長崎を考えることこそ、核戦争を拒否し、平和に対して責任を担うこと」だと、とても力強くアピールなさいました。しかし、その恐怖はいまだに減っているのではなく、かえって増えているということが言えます。今年の春、インド、パキスタンのあの核実験は、私たちに悲しい反響を呼び起こしました。しかし、それだけではなく、世界の各地に、そして特に国際的に世界の平和を担っている国連の一番中枢国にある国々が、核を減らそうとしていません。兵力の均衡、あるいは戦争への抑止力としてという言い訳のもとにです。でもこれはいつでも使用できる状況、大量殺伐がくり返されることが準備されていることを意味します。核兵器が人間の生命、人間の尊厳をいかに傷つけることであるかということは、特に私たち日本人は、よく感じ取っています。

次に極貧にさらされている多くの人が世界に存在していることを忘れてはなりません。なぜなら、平和とは単に戦争がない。争いがないということだけではなく、すべての人間が、人間にふさわしく生きることができる状況を意味するからです。食べるもの、着るもの、住むところがない人々が全世界に満ちあふれています。世界の4分の1の先進国の人々が、世界の資源の4分の3を消費しているといわれます。そして開発途上国の人は、それに苦しみを深めています。

私たちは毎日のように、テレビを通してやせ細った子供たち、あるいは母親たちの姿に接し、本当にやるせない気持ちがいたします。あるいはまた、食べるものもなく、足を引きずって歩く難民たちの姿、この人たちも神様から造られ、愛されている人たち、私たちの兄弟姉妹です。そして私たち豊かな国に住むものの豊かさは、このような人々の犠牲の上に、成っているということも事実です。いったい私たちはどうすればよいのでしょうか。

今日のミサのなかで読み上げられたあの朗読個所を見てみましょう。キリストは十字架上でお亡くなりになる前に、最後の晩餐の席で弟子たちに向かって、「私はあなたたちに平和を残し、私の平和を与える。私はこれを世が与えるように与えるのではない」とおっしゃっています。ところで、キリストが与えようとする平和は、どんな平和なのでしょうか。また、どのようにキリストは、その平和を与えようとなさるのでしょうか。それについて今日の第2の朗読(エフェゾ人への手紙2・14〜19)エフェゾ人への手紙の中で聖パウロは、「実にキリストは、私たちの平和であります。2つのものを1つにし、ご自分の肉において、敵意という隔ての壁を取り壊し、平和を実現されました。すなわち十字架を通して両者を一つの体として、神と和解させて下さったのです。ここに平和がどのようにもたらされるかがわかります。

真の平和を達成するためにキリストは、十字架の死を通して、また、ご自分を捨てる愛によって、人々を隔てていた壁を打ち壊されたのです。「神との和解、神との正しい関係を取り戻すことによって、私たちも互いに和解するとき、平和が生まれること」を教えております。したがってどんな困難な状況のもと、たとえ無力感に襲われることがあっても、私たちが平和に対して、希望を失わない根本的理由は、神様の人間に対する愛と慈しみ、神のゆるしへの信頼があることを思わなければなりません。

キリストは、山上の垂訓の中で、「平和をもたらす人は幸い、その人は神の子と呼ばれるであろう」とおっしゃいました。キリストの時代も、今の時代と同じように、平和が脅かされた時代であり、平和のために働くことを、キリストは弟子たちに求められたのです。歴代の教皇、ヨハネ23世は「地上の平和」、パウロ六世は「諸民族の進歩」、という回勅をお出しになって、私たちに平和への努力を促されました。現教皇ヨハネ・パウロ2世は、「慈しみ深い神」という回勅の中で、「神の慈しみと祈りこそが平和の原点である」とおっしゃっておられます。そして教皇さまは、平和への巡礼を繰り返し、世界の各地を回って、人々へ平和の努力を訴えかけられているのです。先日、ローマでアジア特別シノドスがありました。アジアの司教たちの報告を聞いているとき、アジアの至るところでこの平和への努力が絶え間なく続けられていることを耳にいたしました。今アジアの諸教会でも、聖霊に促されて平和への努力が活発に生き生きと続けられていることを感じ取ることができました。私たちもキリスト者(キリストに従う者)として、使命であるこの平和への努力の自覚を深め、イエスのように己を捨てて、自分の十字架を担って、キリストの歩みに従うようにしたいものです。

平和のためにそれぞれの立場に応じて、あらゆる努力を重ねてまいりましょう。しかし私たちがいかに全力を尽くしたとしても、それで私たちに平和が確実に到来するという保証はありません。真の平和のためには、神の許しと、神の慈しみに委ねられる部分があります。そしてそれこそが平和の源であるからです。

祈りましょう、心を尽くし、心をこめて、神の慈しみを願い、神のゆるしを求めましょう。

「大聖年」に関する祈りと詩の募集

1、大テーマ
『キリストが誕生して2000年を迎えて』

2、「祈り」または「詩」
形式は自由です。内容は、キリスト誕生2000年を迎えて、イエスご自身やイエスの教え、自分の信仰や今の社会、人間について思うことを聖書の言葉や神学用語を使わないで、自分の言葉で表現したもの。

3、応募先
〒112-0014 文京区関口3丁目16番15号
東京大司教館事務局
「大聖年祈りと詩」募集係

4、各作品はオリジナル未発表のものに限り、いずれも応募作品は返却しません。

5、締切日は、1999年3月末日とします。

なお、採用作品の著作権は主催者に属することをあらかじめご承知願います。応募者には、記念品等の贈呈を予定しています。

東京大司教区 大聖年特別準備委員会

「待つ時を知る」 東京教区生涯養成委員会 一泊交流会

9月5日(土)〜6日(日)に聖パウロ会の赤波江神父を講師として迎え、「待つ時を知る」をテーマとして、一泊交流会が、初秋のサンピア・多摩で行われました。当初、PR不足の所為か、応募者の反応が鈍く、締め切りが過ぎようとしてもわずかの人数しか集まらない状態でした。担当の油谷神父とスタッフ一同、鳩首協議のうえ再度案内状の発送、締め切りの延期等の対策を講じたところへ、予めお願いしてありましたカトリック新聞への掲載が重なり、結果としては40人用の会議室に入りきれない参加者となりました。待ち続ける日々から始まった交流会でしたが、当日の赤波江神父の講話は熱弁2時間にもわたり、参加者全員その中に引き込まれるものでした。

赤波江神父は「待つ時」には種々の「待つ時」がある、とされその意味を聖書を通して説明して下さいました。第1に、マリア様の一生を通しての待ち続ける意味、その中には幼いイエス様を見失い、神殿で見つけ出すまでの3日間、親として心配して子を捜す姿。またご復活までの3日間、何も見えてこない状態に置かれながらも、全てを神様にお委ねして待ち続けるその姿。これらは、その時が必ず来ることを私達に教えて下さっているのではないか。

また、カナンの女(マタイ15・21〜)の個所のように無視され、拒絶され、侮辱を受けながらも待ち続ける者。日々の生活の中ではとても我慢出来ないようなことを忍耐をもって待ち続ける、これらは待つことの模範ではないか。「待つこと」とはただ待つこともあるけれども、目的を持って待つ事。何を待つのかはその人によって異なるけれども、信仰に基づいて待つことが出来るならば、その人と共に神がいて下さる、何時、いかなる時にも。
そして、聞く耳と聞く心を持ってその時を待つ。それによって信仰と平和に出会える、と結ばれました。

また赤波江神父の聞かれた話として、あるエジプトでの発掘調査に於いて、現地の人を雇って作業していたところ、皆のんびりとしていて、ちっとも進まない。しびれをきらして催促をしたところ、「そんなに急いだら魂がついていけない」という返事が戻って来たそうです。このことは時間のサイクルの速い現代に生きている私達の頭にガツンと一発頂いたような気がしました。

この後、7つのグループを作り分かち合いに入りました。

★子育てのなかで、親の立場として子供の成長を待つ。
★企業人として、定年を間近にして、その時を如何に楽しく過ごすかを考えながら待つ。
★死を迎える、その時を待つ。
★家族のうちにあって、つれあいや子供達が信仰を持ってくれる日を待ち続ける。
★人間関係がぎくしゃくしているが、和解の時が来るのを待つ。

その他、多くのお話を聞くことが出来、意義深い分かち合いの時間が持てました。

日曜日には全体を通しての分かち合いで、参加者全てが感じたことを、3分以内でまとめて話し合い、その後のミサに全員感謝のうちに参加しました。

赤波江神父のお話にあったように、ある国では挨拶する時、自分は武器をもっておらず、相手に対して、危害を加えない、との意志を表すために両手で握手をして、祝福し合うという例にならい、参加者同志が握手をしあいながら、主の平和の挨拶を交わして、閉会となりました。「待つ事は信じる事、愛そのもの、信仰に他ならない」、とのファックスを後日頂戴しました。
(大町勝子)

シリーズ 揺れる司祭像(1) 司祭とは 市川嘉男神父(田無教会司祭)

叙階されたことを前提として述べることとします。「王的司祭衆」という意味においての司祭と区別するためです。叙階された司祭は「聖変化」のことばによって、パンとぶどう酒を主のおん体とおん皿に聖変化する権能が与えられているのです。この聖変化のことばをミサ聖祭において唱えることは、叙階された司祭のみに保留されているのです。何千、何万の信徒がそのミサに参加していても、聖変化の権能は叙階された司祭のみに保留されているのです。これは叙階の秘跡の事効的即ち「エクス オペレ オペラート」の効果によるものであります。

その聖変化のことばが唱えられたとき、祭壇上において、十字架上の犠牲が無血祭の形で捧げられ、十字架上の血祭の効果が全ての人類に降り注がれることになるのです。それによって、贖罪のお恵みがまた全人類に注がれることになるのです。ですから、司祭とは、このような聖なる業に携わるものであることを思い起こして、司祭はミサを捧げることこそ司祭自体の姿ではないかと思います。

私はいま修道会でミサを捧げています。やむをえずミサを捧げることができない場合は、他の司祭に代わってもらいます。その司祭もいない時は、院長がみことばの祭儀をして、聖体をさずけることになっています。その時たまたま聖体が無かったならば、聖体拝領ができなくなります。司祭がいないとき、また司祭がミサを捧げないとき、聖体拝領を望んでもできないことも考えなければならないと思います。司祭はやはり自分だけの司祭ではなく、全人類の贖いに参画し、霊的糧である聖体を現存させる使命をも与えられていると思います。「司祭とは」と改まっていわれると、私にはこのようなことしか言えません。

貧しい人、困っている人、病気の人等に奉仕することもできるのではないかといわれるかもしれませんが、「司祭とは」と問われたならば、「司祭に固有なもの」と考えてしまい、それが私の最大の欠点かも知れませんのでご容赦下さい。社会奉仕が叫ばれていますが、それでは「司祭固有の奉仕とは何か」と自問してみても、私の頭に「これだ」と言えるものが見えてこないのです。あったならば、お教え願いたいと思います。司祭である私にとって、どうしても前述のことしか思い浮かびません。どうか、浅学の私のためにお祈り下さい。

教会・修道院巡り(62) 『松戸教会』

国道6号線(水戸街道)とほぼ平行に走るJR常磐線が千住、金町を経て東京との県境である江戸川を渡ると千葉県東葛地方の玄関口、松戸駅に到着します。ここから7〜8分の所に、緑豊かな丘陵を背に白亜の四階建『松戸教会』があります。

この千葉県東葛地方は明治10年代からパリ外国宣教会の司祭たちが松戸・流山・柏等を巡回し福音の種を蒔かれた結果、多くの信者家族が生まれました。しかし教会は遠く、年に数度巡回に来られる司祭を待ちながら、沿線に教会の出来るのを長い間待ち望んでいました。昭和24年度々巡回で来られた荒井勝三郎師(後の横浜司教)によって、土井東京大司教の強い意向により松戸に教会設立のための土地を探すよう指示があり、翌1950年7月駅前の小高い丘の上に十字架のそびえる立派な教会が建ち、土井東京大司教をお迎えして盛大な献堂式を行いました。初代主任司祭は故志村辰弥師で、その後4代を経て現在6代目の小川拓郎師が、司牧に当たられています。この間1972年に松戸市の駅前再開発の区画整理の為現在の地に移転しています。

当小教区は1都3県10余市数郡に広がっており、信徒数は1500人、それに300人程のフィリピン人信徒が出入りしています。同敷地内に「聖ミカエル幼稚園」もあり、これらすべてをお若いとは言えない主任司祭がお一人で司牧なさるのは御苦労な事と思います。近くに、「愛徳カルメル会」の修道院があり、教会学校、初聖体の準備・フィリピン人の幼児洗礼のセミナー等はシスターが受け持っておられます。

婦人会は居住地別に7グループに分かれ、婦人会長以下1年交替で種々の行事の責任当番となります。これは皆さん「1年間位なら」と協力して下さり、いろいろな方が仕事を分担する良い方法だと思っています。任意の活動グループとして福祉関係の活動・典礼音楽奉仕等も盛んですが、最近若い方々は多いのに働き手として参加するのは高年齢者というのが悩みの種です。ところが男性の場合高齢化がプラスとなりました。日曜のミサには出てもその他の活動は全然だった方々が定年を迎えて教会会計・営繕の管理・広報誌の編集・典礼奉仕者等それぞれが取り組んだ結果、教会全体が非常に活性化しました。また滞日外国人もMCFAGという組織を作り自主的に運営しています。

2000年には創立50周年を迎えます。社会の良心として人々と共により良い世界を造っていく為の新たな出発の年にしたいと願っています。
(林弘二・朝戸苑生)

お知らせ

五日市霊園の現地管理事務所は移動しました。カトリック五日市霊園の現地管理事務所は建て替えのための第2区の前に仮設されたプレハブに移動しました(1階=管理事務所、2階=あきる野教会)。なお、建築確認が得られれば、すぐ工事が始まり、今年の12月には特別区前の休憩所のところに新しい管理事務所兼休憩所が出来上がることになります。

五日市霊園入口の看板がなくなりました

カトリック五日市霊園の入口を示す看板が、工事のため撤去されましたので、お知らせします。五日市霊園は、武蔵増戸駅から終点・武蔵五日市駅に向かって、大踏み切りも含め3つ目の踏み切りを右折して約2分のところです。霊園前の新設道路(幅6メートル)は、来春着工予定と聞いています。

なお、五日市霊園の申込みについては、管理事務所(03-3947-0312番)か現地事務所(042-596-2330番)におたずねください。

召命祈願のための合同ミサへの参加のお願い

主の平和

さわやかな涼風が感じられる頃となりました。皆様におかれましては、益々ご清栄に聖務にお励みのこととお慶び申し上げます。いつも一粒会活動にご協力をいただき有り難うございます。白柳大司教様は、本年度の一粒会総会にあたってのご挨拶の中で『皆様のご努力によって教会の中に司祭養成への共同責任の意識が深まり、祈り、呼びかけ、経済的支援の実もあがり、召し出しも絶えることがなく、感謝にたえません………」と、述べられました。未来の教会に関わる奉仕の場の一つをお示しいただいたものと心得て、更なる努力を重ねたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。『召命祈願のための合同ミサ』を今年も下記のように計画いたしました。教会共同体にとって必要不可欠な司祭への召命に応える若人が多く見られるよう、ご一緒に祈願いたしましょう。ミサの後、ご参加の神学院・宣教会・修道会の神学生を交えてパーティーを開きますので、多数の方々、特に青少年のご参加を期待しております。
平成10年9月28日
一粒会担当司祭 酒井俊雄神父 辻 茂神父
一粒会運営委員長 前川 清

日時 10月25日(日)午後2時
場所 東京カテドラル 聖マリア大聖堂
プログラム
14:00 歌ミサ・・・森一弘司教と共同司式
15:00 修道会と神学生の紹介
15:30〜17:00 パーティー(カトリック・センターにて)

浦和教区の被害状況の報告

那須地区については8月31日、谷及び神学生2名で現地視察にいきましたのでのご報告します。水戸地区についてはビファー神父に被害調査を依頼中。なお、浦和教区ではボランティアの募集、カリタス浦和では義援金の受付を始めた。

那須地区
橋など崩壊したところが多く、多くの道路が通行止めとなっている。川の近くの民家などに被害が多い。

(1)光星学園:林産部の作業棟などが壊れ、作業棟の裏やグランドで崖崩れ、広場などは川と化した。園生に被害はなかったが、まだ講堂で避難生活中。職員棟にも被害あり。職員のうち1人の家が流され、1人は多くの畜牛を失った。那須の畜牛が那珂川に流され、茨城で救出されたという報告もある。

(2)那須老人ホーム:近隣の被害が甚大で家屋が流されたり、亡くなった方もある。ホーム建物などの被害はなかった。やはり職員のうち一人の家屋が流され、一人は多くの畜牛を失った。

(3)ガリラヤの家:無事。雀蜂の巣が発見された。3日から10日までボランティアの拠点となる。

(4)トラピスト:地下室への浸水があり、手作業でくみ出しした。農作物に被害あり。

(5)御血礼拝会:高台にあり被害なし。しかし、近くの黒川が氾濫し家屋が流された住民がある。

(6)大田原教会:信者で床上浸水などの被害あり、現在も避難所(公民館)で生活している。

(7)仙台教区ではあるが白河教会でも信者の被害が多く、義援金などの受付を始めている。被害の大きかった西郷地区は白河小教区に入る。

水戸地区

現在水戸教会のビファー神父に調査依頼中。現在のところ、信者の家で床上浸水などの被害が報告されている。また、一人の信者の隣家の方が一名亡くなった。

(1998年9月1日 カトリック浦和教区事務所 谷 大二)

義援金の受付は
郵便振替口座 カリタス浦和 00110-0-80467

投稿 2000年の教会 -中途失明者の視点からの要望-

2000年○月○日、私の病床に今週も白柳枢機卿様の主日の御ミサの同時録音テープと、私の小教区の関町教会の主日の御ミサの同時録音テープが今日着いた。ここ数カ月体調の悪い私は、この同時録音テープによって共同体とのふれあいを体験している。もちろん御聖体は、聖体奉仕者の方によって届けられているが、共同体との心の連帯はこのテープによって、正に福音として届いている。私のような中途失明者や高齢の自宅で介護を受けている人々、それ以外にも当日の御ミサにあずかれない人たちは、その恩恵に浴している。このことによって、司祭の高齢化による家庭訪問の困難さは補われている。

首都教区としての東京大司教区は、21世紀の課題として、次のことを検討すべきと思う。教会における神学研究機関、団体、教育機関は現状として、東京教区内に多く所在している。それらの主催による講座、講演会、教室は、数多く催されているが、高齢者、身障者への門戸開放の度合いは、必ずしも高くない。もちろん現地に集い参加するのが原則ではあるが、だからと言って、その恩恵にあずかる機会が阻まれては困るのである。それらの会を主催する方々への要望であるが、種々の理由によって、参加できない者のことを考慮した上で、必ず同時録音をとることを求めたい。首都教区としての東京大司教区は、このような同時録音テープの保管、貸出を全国規模で行うべき機関を設置するべきではないだろうか。

「刈り取るものは少ない」と言われるイエズスの言葉はありましたが、現在のテクノロジーを活用することは賢明な判断だと考えられます。これらの点を考慮することは、召命の減少している現在、司祭の高齢化問題を抱えている現在、最も近くに着手できる解決手段の一つではないだろうか。これらの事務的な作業においては、広報委員会の皆様の助力は言うに及ばず、婦人の方々のボランティア作業が大きな担い手になると思われます。これらの仕事は、空間を越えて働きかける神様、イエズス様、聖霊の働きの具現化だと私は思います。

天国への門は狭いという言葉はありましたが、教会の門は広ければ広いほど、いいのではないでしょうか。信仰の灯は高きに灯せ、と主は申されました。!
(関町教会信徒 高木伸雄)

編集部から

今年のトラピスト黙想会には、小さな楽しみが秘められていた。それは、ジュンと会うことである。ジュンは、六歳の雄犬である。昨年、定年後の第2の人生の地を北海道に定め、ささやかながら土地を買い、家を建て、道人としての第一歩を踏み出した澤柳知佐子さんが東京から連れていった犬がジュンなのである。澤柳さんは、人生のほとんどを秋津のベトレヘム学園で過ごした方で、学園にいる間、小さな子供たちのお母さんと慕われていた。第2の人生は、学園の卒園生、在園生のふるさとを作ることに使おうと決めて、場所探しをしたとのことである。日本中、あちこちを歩くうちに、ひょんなことから、北海道の木古内町知内(しりうち)に白羽の矢がたった。東京生まれの東京育ちの澤柳さんにとって、北海道の寒さは半端ではなかったという。家は、いつ子供たちが来てもいいように作ってある。折りたたみ式のはしごをおろせば、いとも簡単に屋根裏に入ることができる。そこは、明るく、子供たちが存分に遊べるようになっている。ほんとうに久しぶりにジュンに会った。実は、このジュンを学園に紹介したのはこの私で、6年前、まだ小さい、小さい時のジュンだった。「おまえがまだ赤ちゃんだった時、学園に橋渡しをしたのはこの私なんだよ」とゆっくり話したら、ジュンは、まるで昔のことを思い出すような顔をしていた。そしてしばらく話しているうちに、すっかりうちとけて仲良しになった。あっというまにお別れの時間が来た。後ろ髪を引かれる思いでバスに乗った。「また来るからね、元気にしているんだよ」と話したら、うなづいているような気がした。
(西川)

バチカンが「聖母被昇天」の祝日からインターネットで教皇の映像を流しているのをごぞんじですか。全世界のカトリック信者が、教皇ヨハネ・パウロ2世の姿に接することができるよう、一般謁見などの映像をインターネットを通して流すことになったと、この8月10日に発表されました。日曜日の「アンジェラスの祈り」、水曜日の一般謁見、外国訪問、特別行事の際に流される予定とのことです。バチカンのホームページは、http://www.vatican.vaです。

お詫びと訂正

155号5段1行
同じ聖書を→同じ聖霊を
お詫びして訂正します。