東京教区ニュース第154号

1998年07月01日

目次

アジアの宣教は その地域の文化・歴史を大事に -白柳枢機卿 アジア・シノドスの印象を語る-

4月19日からローマで開催されたアジア・特別シノドスが5月14日に終了し、白柳誠一枢機卿ほか6名の司教は、多くの実りと課題を携えて帰国した。今回のシノドスは、教皇のたっての希望で、紀元二千年の大聖年に向けて招集されたもので、南北アメリカ、アフリカ、ヨーロッパに続いてアジアの地域代表司教が招集されて開催されたものである。白柳枢機卿は、術後の心配をよそに、元気に会議に出席し、十分なる成果をもって帰られ、日本司教団のリーダーとしての責務を果たされた。帰国直後のお疲れがまだ少し残っている枢機卿を、本紙西川編集長が訪ね、シノドスのホットな印象をうかがった。

(編集長)
今回は、大事な任務を果たされましてごくろうさまでした。
さて、お身体はいかがでしたでしょうか。

(枢機卿)
私も、若干心配しないわけでもなかったのですが、多くの方々の祈りに支えられ、何があっても主のみ手の中にあると信じて、行って参りました。おかげ様で、あちらでも、何事も困難を感じることなく過ごすことができ、祈りの力をあらためて感じておりました。感謝です。

(編集長)
さて、この度のシノドスについて、どのような印象を持たれましたか。

(枢機卿)
まだ終ったばかりなので、簡単に表現するのは難しいのですが、ひとことで申し上げるとするならば、アジアの宣教はアジア的なものを大事にして行っていかなければならない時が来たということでしょうね。

(編集長)
今回のシノドスの規模はどれ位のものだったのでしょうか。

(枢機卿)
今回参加したのは、司教が188名、司祭・信徒が58名、他宗教からのオブザーバーが数名、計約250名だったと思います。大聖年にむけて、教皇が各地域ごとに招集したもののひとつで、ヨーロッパ、南、北アメリカ、アフリカに続いて開催された、教会史上最初のアジア・シノドスです。

(編集長)
どんな形で進められていったのでしょうか。

(枢機卿)
まず、参加者に1人8分間話す時間が与えられました。その時、それぞれの国のそれぞれの問題が提出されるわけです。それは、すでに各国の司教が、このシノドスで話すことを提出しておいたものです。200余名の参加者が、それぞれ8分間の時間で発題するわけですから、当然、似たようなテーマが出てくるはずです。そこで、日本の司教団は、問題を整理し分担を決めて、会期の早いうちに発言することにしました。これがとても良かったのです。

(編集長)
どんなふうに良かったのですか。

(枢機卿)
はい、それは、日本の司教団の発題が、会議全体の方向づけと雰囲気作りに大きな役割を果したのです。雰囲気作りといえば、なごやかな雰囲気を作った功労者はなんといっても教皇です。教皇は、会期すべてに出席され、慈父のような眼を参加者に注いでおられました。たどたどしい足取りとふるえる手からするとむしろ痛々しい印象を与えかねないのですが、いったん口を開かれると、大きな励ましとヒントをたくさん与えてくださいました。しかも、発言のたびに1つ2つのジョークを交え、暖かい雰囲気を作ってくださいました。教皇のすばらしさを、改めて感じさせられました。

(編集長)
日本の司教団の発題が会議全体の方向づけに大きな役割を果したとおっしゃいましたが、具体的にはどんなことだったのでしょうか。

(枢機卿)
私達の中で最初に発言したのは、大阪の池長大司教でした。大司教は、アジアでの宣教が進まないのは、アジアに合った宣教がなされなかったからであり、アジアにはアジアなりの宣教のあり方があるはずだ、それは、アジアの人々によって発見され実行されなければならないとはっきりとおっしゃいました。ヨーロッパのものをそのまま持ちこんでも、合わないものは合わないのだとも明言されました。不思議なことに、発題が終った途端、拍手が起きて会場を包んだのです。私も何回かシノドスに出席しておりますが、発言に拍手が起きたのは初めてです。それからというもの、いい発題には必ずといっていいほど拍手があり、賛同のバロメーターになった感がありました。

(編集長)
ほかの司教方はどんな発題をされたのですか。

(枢機卿)
すでにカトリック新聞等で報じられている通りです。那覇教区の押川司教は司牧的な点から、名古屋教区の野村司教は霊性の面から、島本大司教は典礼の面から、いずれも、これまでの教会の姿勢を反省し、西欧的なものがあまりにも強すぎてアジア的なもの、特に日本の現実を見つめる態度が貧弱であったことを率直に話されました。押川司教は、ヨーロッパで通用することであっても日本の土壌では、道を求めて来る人々の心に触れることを妨げてしまうと発言され、拍手を呼んでいました。野村司教はアジアとヨーロッパの霊性のちがいを上手に説明し、言葉で教え、教えたように生きるように導くヨーロッパの霊性に比べて、アジアでは、生活に根ざした福音が人々を確信に導くという主旨の発言をされました。島本大司教は、典礼刷新において、アジアの地方教会の独自性をもっともっと認めていくことが必須条件であることを強調され、ヨーロッパ風の文化的特性からの脱却を訴えられました。

(編集長)
枢機卿はどのような部分を分担されたのですか。

(枢機卿)
私の分担は、諸宗教との対話の重要性でした。世界宗教といわれている4大宗教、つまりユダヤ教、イスラム教、仏教、そしてキリスト教は、いずれもアジアから始まったものです。それだけではなく、多くの哲学や深い霊性もアジアを起点とし、今なお、人々の心をとらえています。世界の人口の約60パーセントを占め、政治的にも経済的にも、また国家の紛争や激しい貧富の差にしても多大な難問を負っているのがアジアです。そのアジアで、私達キリスト者が果していかねばならない役割は、決して小さいものではないはずです。考えてみると、初代教会のトマのインド宣教に端を発したアジア宣教は、長い歴史をもっています。にもかかわらず、遅々として進んでいないのはなぜでしょう。

(編集長)
そう言われてみれば、不思議な感じがしますね。アジアでキリスト教国と呼ばれるのはフィリピンくらいですね。枢機卿は、その点も含んで発題されたのですね。

(枢機卿)
はい。私の分担は諸宗教との対話でした。これは、私自身、常日頃、気にかけているテーマなので、思っていることを素直に発言させて頂きました。先程申し上げましたように、世界の4大宗教の発生の地はアジアです。また、どの国、どの地方にも言えることですが、アジアにはアジア独自の深い霊性があります。その中にキリストの福音を伝えていくわけですから、上から教えるという姿勢では、何も伝わらないということです。もし、キリスト教が、自分が最高で、自分が1番すばらしいのだから、これを受け入れなさいという態度で臨んだなら拒否されるのはあたり前です。そこで、どうしても取らなければならない道は、対話の道です。少しでも相手を知り、相手の中に入り、相手と同じ立場に立って対話を重ねていかなければなりません。これは、まさに第二バチカン公会議の精神です。もうすでに、諸宗教間で、社会問題に関して行動を伴った対話が行なわれていて、わずかながらも問題解決にむかっての共同作業が進んでいます。

(編集長)
シノドスで話し合われたことは、どのような形で整理され、信徒の方々に伝えられていくのでしょうか。

(枢機卿)
シノドスは、何かを決定する機会ではなく、むしろ、自由に意見を出し合い、その意見をまとめて提案している場です。最終的には、52条の提案にまとめられたと思います。日本でも6月には出席した司教方の報告を中心に、まとまった報告が出されることになっていますので、たのしみにしていてください。

(編集長)
シノドスのミサはいかがでしたか。

(枢機卿)
すばらしいものでした。東京でも、すでにインターナショナルデーのミサで、それぞれの国の特色を生かした典礼を行なっていますが、シノドスでも、アジアらしい雰囲気を出すように配慮されていて感動的でした。典礼といえば、シノドスの中で典礼についても多くの発題がありました。なんといっても典礼は福音宣教の大きな部分を占めています。その国、その地方の特質を生かした典礼を生み出していくことは、私達にとっても大きな課題です。

(編集長)
インドネシアの政変、インド、パキスタンの核実験等、最近マスコミで報じられた事に対してシノドスの中で話題になりましたか。

(枢機卿)
教皇は、時局の問題に対して鋭く反応され、1つ1つに、教皇としての見解を発表しておられました。「平和の使者」の使命を絶えず認識し、現在アジアの人々がおかれている状況に心を寄せておられました。また、シノドスでも、移住労働者や若者、女性のおかれている厳しい状態についての発言が多く出されました。東京教区が出した外国人に対する司牧指針のパンフレットを会場にもっていき、自由にとれるようにしました。多くの司教方が読んでくださり、共感を呼んでいました。

(編集長)
最後になりますが、このたびのシノドスで強く心に響いたことはどんなことですか。

(枢機卿)
それは、聖霊の力強い働きかけです。シノドスを招集されたのは教皇ですが、それを実り豊かにしてくださったのは聖霊です。会期のはじめから終りまで、聖霊が豊かに注がれ導いてくださいました。もし、聖霊の導きがなければ、これほどすばらしいものになっていなかったでしょう。参加した二百数十名を、人種や国境、言語、社会的条件を越えて1つに結んでくださったのは聖霊です。教皇は、今回のシノドスに、中国の司教に参加するように呼びかけられました。残念ながら結局参加できませんでした。しかし、1人の司教から返事がありました。美しいラテン語で「招待してくださいましてありがとうございます。残念ながら事情が許さず参加できません。心は1つです。盛会を祈ります」とあったそうです。聖霊は参加できない司教方にも大きく働いてくださったようです。

(編集長)
お忙しいお時間を快くさいてくださいましてありがとうございました。6月の報告をたのしみにしています。

多国籍化する日本の教会の司牧ガイドラインをまとめる -東京教会管区会議-

6月1日、2日、晴海埠頭のホテル浦島を会場にして、東京教会管区会議が開催された。出席者は、6教区から司教、司祭をあわせて18名。仙台教区の佐藤千敬司教と新潟教区の佐藤敬一司教は、体調がすぐれず欠席。初日は、昨年の管区会議で課題となった滞日外国人の司牧の手引きについて、浦和教区の谷大二師を中心にした作業チームが作成した試案を検討。若干の字句の修正を加え、各教区はそれぞれの事情に応じた独自なものをつけ加えることができるという条件をつけた上で、試案を東京教会管区の共通の司牧指針とすることで合意した。また昨年の会議で合意された、2000年に6教区合同司祭研修会を開催することについては、テーマ、日時等を含めて、準備委員たちが詰めていくことになった。準備委員として選出された司祭たちは以下の通りである。今田玄五師(札幌)、佐藤守也師(仙台)、川崎久雄師(新潟)、谷大二師(浦和)、芹沢博仁師(横浜)、立花昌和師(東京)、森一弘司教(東京)。

来年度の開催は、7月12、13日、横浜教区の担当となった。

キリストの誕生2000年に向けて 聖霊の年 第3回リレー式祈りと黙想の集い

東京教区大聖年特別委員会は、東京カテドラル聖マリア大聖堂で第3回リレー式祈りと黙想の集いを行った。聖霊降臨の大祝日前晩の5月30日18時、白柳誠一枢機卿司式のミサに始まり、ミサ後1時間ごとにリレー形式で祈りと黙想、31日午前5時、森一弘司教司式のミサまで延べ約千名が参加した。

大聖堂祭壇に登る階段には、聖霊をイメージして、赤と青のカップローソクで、2羽の鳩が形作られ、聖堂後方パイプオルガン下には、バチカン作成の大聖年カタログ(アジア・シノドスに出席した白柳枢機卿のお土産の1つ)のパネル展示が行われた。大聖年カタログは、聖年および巡礼に関する数葉の美しい絵画と数か国語の簡潔な解説をつけた12枚のもので、(1)イスラエルでの聖年(2)1300年…初めてのキリスト教の聖年(3)ジュビレオ聖年の種類(4)聖なる扉等が描かれている。

また、昨年行われた2回のリレー式祈りと黙想の集いは、各修道会、宣教会が1時間ごとに担当したが、今回は19時から20時まで(テーマ…キリストの誕生)を小教区として初めて関口教会が担当し、ミサ後多数の信徒が参加した。

マタタ神父のインタビュー 「愛の黙示録」の監督  金洙容(キムスヨン)さんを訪ねて

民族、国境、宗教を超えた 映画「愛の黙示録」

6月5日に、韓国からはるばる日本にやって来た金洙容(キムスヨン)監督に会いました。金監督は40年間、宗教、国家、民族を超えた映画を作り、今回日本と韓国の絆を結び付けるために初めて両国の文化に基づいた映画を作成しました。これは金さんの108本目の作品です。この映画は初めての日韓合作劇映画です。金さんはこの映画を上映するために、OCIC-JAPANと東京教区広報委員会の企画で招かれました。

この映画の目的は、両国の人間関係を、政治と経済という利益を求めるこの世界を超え、人間を中心として日本人の純粋さと思いやりというメッセージをアピールしようとするものです。それゆえ、この映画は両国の行き詰まった人間関係や誤解などをなくすために、本当の日本人の姿の理解を求めるものとして考えられるでしょう。

植民地時代と日韓教育

あの頃、植民地政策のもとに実施した教育制度は、教育というものの本質から離れています。当時、韓国に来た日本の先生たちは皆、帝国主義の先駆けで、韓国人の学生に1日も早く日本語を話させるように努め、韓国語を1日も早く忘れさせる訓練もしました。しかし残念ながら学生はきれいな日本語を話せませんでした。

金さんは、きれいな日本語を話せるようになるために日本の文学全集、万葉集、古事記、日本の文法、などを読みました。この日本語の勉強をきっかけにして、金さんは日本についての映画を作り始めました。

今回の映画の主人公となった有名な田内千鶴子さんも、戦争の時代に韓国のモッポで働いたすばらしい母親でした。映画作成時から上映する時まで日本人と韓国人の感情の表現方法の食い違いや、シナリオライターと監督との考え方の差異のもめごと、女優さんの選び方、などがありました。しかし金さんの強い性格、忍耐などによってこの『愛の黙示録』を上映することが出来ました。

日本人と韓国人を超えた愛

『愛の黙示録』という映画は、聖書にある黙示録という箇所から取り入れた名前なのです。それは、そこに見える自然に生きる、きちんとした行動に生きるという言葉の意味を利用して、日本人と韓国人のみならず、すべての人が理解し合い、共に生きる環境を作り出す映画です。しかし近代史という歴史的な観点からみれば、日本と韓国との関係は揺れていると言えるでしょう。またそれと逆にこの時代に、韓国に生き残った田内千鶴子さんという女性の愛と情熱のおかげで、両国の人間関係を考え直す機会が与えられたような感じがますます強くなってきました。その当時、田内千鶴子さんは日本人と思われず、韓国人とも呼ばれませんでした。近代という彼女が生きた時代は、日本と韓国との間にもめごとの多い時代と思われます。田内さんのような人は、日本人として日本人に受け入れられず、韓国人にも受け入れられませんでした。彼女が亡くなってから韓国人にも日本人にも認められるようになったのです。この結果は田内さんが示した愛の報いというよりも彼女の奥深い信仰の表現なのです。その信仰は、彼女の生涯を支えてくれたものです。この近代に生き残った彼女の活動はいうまでもなく日本と韓国との間に平和への道を開き、具体的に日本の中にも素晴らしい日本人がいるという証拠なのです。そしてこの1本の映画を通して両国の絆を深めて、今までのわだかまりを少しでもなくせば、それ以上望むものはありません。

過去を超えて若者を中心とした日韓の未来、1997年にフランスで行われたWYD(ワールド・ユースデイ)は日本と韓国の若者の愛の計画のようなものと言えるでしょう。田内さんのような立派な日本人の女性が今でも韓国に残っています。彼等は、日本人でありながら韓国人の夫や子供などにひかれて、両国が政治という側面からだけでなく、むしろ文化という点からも交流が出来るように努めています。もちろん両国の国境に関しては問題がないですが、韓国の立場から考えてみると日本が昔、韓国に対してやったことをまだ十分に謝っていないと感じています。日本はよくその謝罪をしないと、将来には仲良くするのはなかなか難しいでしょう。これから未来を眺めながらお互いに建設的な提案をしてみようという考え方は、日本の立場なのです。また、それと同時に日本と韓国との歴史の問題は、資本主義、共産主義、民主主義といった思想によっては解決しないものです。もちろん日本が韓国を植民地にした事は、大きな問題なのです。あのときの証拠が今だに韓国に残っていますが、日本はもうその問題を解決し、仲直り出来たのではないかという説明をしているのです。その過去に関しては、韓国の理解と日本がめざす友好的な解決への道について、かみ合わない所が両国にはまだ残っています。この問題を解決するには、国と国との対立を超え、日本人と韓国人の間に、民間レベルで友好な関係を作る事が必要なのです。しかしこのような関係は、個々の人から国全体に広まるのは、かなり時間がかかるものです。

城西地域協力体「祈りと黙想の集い」を開催

城西地域協力体では、世田谷教会の献堂50周年を祝う式典の前日、5月9日(土)午後2時〜4時に世田谷教会で「祈りと黙想の集い」を開催しました。この集いは東京教区ニュース5月号に掲載された城西地域協力体司祭団の呼びかけにより、所属する9小教区の司祭、信徒ならびに修道会シスター約200人が参加して行われました。

マタタ師(松原)の総合司会で、まずプッチ師(三軒茶屋)のギター伴奏による聖歌の合唱から始まり、佐久間師(世田谷)、デロッシュ師(赤堤)により集いは進められました。

城西地域協力体の祈り、教会の祈り、詩編の朗読、聖書朗読(聖パウロのエフェソの信徒への手紙)、佐久間師による講話と黙想(2回)、共同祈願、聖霊に対する祈り、祝福と続き、最後に9小教区の活動状況や当日参加した信徒の紹介が行われ、厳粛なうちにもなごやかに終了しました。集会後、参加された信徒ならびにシスター方に感想をお聞きしたが、「とても良い集いであった」 「このような集いをぜひ継続して開催して欲しい」 「他の小教区のことが良く分った、もっと知りたい」等々大変好評でした。

まず各小教区の信徒が互いに関心を持ち、お互いの活動や情報を分かち合うことを通して、1つの共同体としての協力体づくりを始めようとしている城西地域協力体としては初めての具体的な活動として十分目的を果したものといえるのではないでしょうか。

このようなすばらしい「集い」を開いて下さった司祭団に対し、信徒の1人として心より感謝申し上げます。最後に「城西地域協力体の祈り」を皆様にご紹介します。
(大越)

全能の神よ、あなたは私達の愛の泉、限りない喜び、
慈しみの父です。
私達はあなたをたたえ、
ご自分の子供として下さったことを感謝します。
そのような心で、私達はここに集まりました。
小教区が違っても、場所と働きが違っても私達は皆、
キリストのうちに、あなたの子、
1つの教会をつくるメンバーであることを
この集いによって示すことができますように。
この集いを通して、小さなメンバーである1人ひとりは、
全教会の中で自分の役割を果たし、
キリストの神秘体の成長に協力することができますように、
あなたの恵みをそそいで下さい。
そして毎日私達は聖心に叶うことが出来ますように、
ささえ、みちびいて下さい。
私達の主、イエス・キリストによって、アーメン。

「家族のための祈り文」から

失った家族

亡くして初めて知りました
みかえりを求めることなく 私を誰よりも愛してくれた人々
私に誰よりも身近にあった人々
私にとって 最も大事な人々だったのですね
私が私であるために
家族と共にいる時 私は最も私らしくあることが 出来るのですね
家族が安らぐ時 私の心は安らぎます
家族の為に祈る時 私の心は安らぎます
家族の幸福を祈る時 私は幸福を感じます
家族が神様と共に在る時 私は神様と共にあります
別れ別れに暮らしても 互いに幸せを祈る時 心は共にいる
いつか天国で 神様の前で再会する時まで
別々の場所にあっても 家族に思いを寄せ
家族の為に祈る時 私の心は安らぎ 私の心は幸福に充たされます
(39歳 男)

CTIC 東京国際センター通信

私たちの仲間が来た

■日本の教会の歩み
日本にキリスト教がもたらされてから、ほぼ450年が過ぎました。私たちが知っているように、その間の日本の教会の歩みは、決してやさしいものではありませんでした。日本の教会は、厳しく長い冬の時代、迫害を経験しました。日本の殉教者の歴史を振り返るまでもなく、それは確かに、世界のどこにも類を見ないような暗黒時代でした。しかし、それと同時に、もう1つ非常に確かなことがあります。それは、そのような長く厳しい冬の時代を、人々は、祈りによって耐え忍んだということです。人々は、いつかまた公に信仰を表明できる日が来ることを、また宣教師たちが海を渡って来る日のことを祈ったことでしょうし、いつの日か、自分たちの中から、多くの司祭・修道者の召し出しが生まれること、多くの洗礼が与えられることを祈ったに違いありません。

私たちの神は、その祈りに耳を傾けて下さいました。祈りに答えて下さいました。信仰の自由が与えられました。宣教師たちが戻って来ました。日本人の司祭・修道者も与えられました。しかし、最後の祈り、洗礼については、神は、特別な答えを準備されたようです。

■日本の信徒100万人?!
「この町には、わたしの民が大勢いる」
(使徒言行録18・10)

神は、われわれのもとにも、この日本にも、外国人労働者という形で、多くのカトリック信者を与えて下さいました。私たちは、まずそのことを、私たちの祈りがそのような形で実現されたことを、認識しなければならないでしょう。

今年の3月、たまたまフィリピンにいた私は、マニラで開かれたフィリピン人労働者の司牧をしている人々の集まりに参加する機会を得ました。参加者の1人、アメリカで働くフィリピン人司祭は次のように言っていました。「アメリカ合衆国の25%を占めるカトリック人口は、アイルランドからの移住者の子孫である」。彼らは何年も前に、仕事を求めて海を渡り、アメリカ合衆国に移住しました。彼らは自らの信仰を守ることで、いわば、レイ・ミッショナリー(信徒宣教者)としての役目をも果たしました。

■ともに歩むために
「女は子供を産む時、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、1人の人間が世に生まれた喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない」(ヨハネ・16・21)
私たちの時が来ました。日本の教会は、今、その子供を世に送り出すために苦しんでいます。しかし、福音がいうように、「いつの日か、生みの苦しみが新しい兄弟を得た喜びに変わる日、もはやその苦痛を思い出さない日が来る」ことを信じましょう。日本の教会の将来は、私たちの働き、彼らをどのように受け入れるかにかかっています。
(麹町教会助任司祭 加藤信也神父)

東京教会管区司牧研修会(主催・滞日外国人と連帯する会)のミサ説教から。(5月22日、日本カトリック会館)

CTIC絵はがき販売中!

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東京教区生涯養成委員会主催 第4回小教区を支える信徒のための研修会 「より豊かな小教区共同体のために」

教区生涯養成委員会は、5月9日から6月27日までの毎土曜日、関口会館ケルンホールで、第4回小教区を支える信徒のための研修会「より豊かな小教区共同体となるために」を開催している。この研修会は当初、小教区共同体奉仕者及び教会運営委員を対象に開催されていたが、昨年からは、小教区共同体に責任をもって奉仕しようとする信徒および関心のある信徒には、ぜひ知っておいてほしい基礎的かつ実践的内容で、また教会運営にたずさわる委員にとっては、広い視野でその責任を果たせるような内容で行っている。今月号は、5月9日から5月30日までの講座について掲載する。

第4回研修会は、5月9日、森一弘司教の「教区の組織と小教区の関係」「教区・修道会・宣教会運営による小教区」で始まった。同司教はその中で、東京教区の組織、教区と小教区の関係、教区長の権限、主任司祭の役務、属人教会(韓人教会、六本木チャペルセンター)、修道会、宣教会に司牧を委託されている小教区の現状と問題点等を説明した。

5月16日は、教区事務局長・稲川保明神父が「教会法における神の民」「教会法における信徒の役割」について話した。二十世紀の2つの教会法典(第二バチカン公会議前1927年の法典と1983年の法典)の信徒に関する条項を比較しながら、信徒の義務・権利、教会に対する共同責任、東京教区の現状等を明確に説明した。

5月23日の第1講座は、岩島忠彦神父(イエズス会)が「第二バチカン公会議以降の現実」について話した。同師は、まず「第二バチカン公会議と刷新」「刷新の必要性」「刷新の足どり」について触れ、「刷新は終わったのか-内なる刷新の要」について、「信仰のなかみの問題、すなわちキリストの福音につながり、生活に根ざした信仰(自主的信仰)、社会との接点を持つ信仰であるか?、そのために小教区レベルでの信徒の組織・活動の展開が必要」であると述べた。

第2講座は、シェガレ神父(パリ外国宣教会)が「日本の教会の土着化」について話した。キリスト教土着化の原点、第二バチカン公会議以降の議論と日本の対応、について述べた後、日本の教会の問題点について「文化という言葉への理解」「文化受肉化の主体は誰なのか」「社会派(社会改革を求める人々)と文化派(キリスト教と日本の文化の調和をめざす人々)の対立を克服する道はあるか」「福音を日本の文化に浸透させるか(たねまき論)あるいは自分の文化にすでに蒔いてある信仰の種を見いだそうとするか(収穫論)」と問題提起した。

5月30日
第一講座
信徒の共同責任観念をどのように育てるか
門馬邦男師
関口教会主任司祭で生涯養成委員会担当司祭でもある門馬邦男神父は、「つい最近まで日本の信徒は、自分たちのお金を使って教会を建てたことがなかった。東京教区には、ケルン教区の人々の援助で建てた教会がいくつもある。余っているお金ではなく、この世に神の国を実現するために、ケルンの人々が戦後の貧しいなかを献金してくれたものだ」、「日本の信徒は、信仰者としての責任感が乏しい」と述べ、これは「信徒がいろいろなカテキズムを受けた結果、共通理解、共通認識を持たないために、共同体意識が育たなかったことによる」と指摘した。そして共通認識を持つために、「第二バチカン公会議は何を宣言したか」を説明し、さらに「現在、おかれている問題点」を次のように述べた。

第二バチカン公会議は何を宣言したか
(1)教会は神の民の集い(信仰共同体)であり、人々を個別に聖化し、救うのではない。
(2)神の民の共同体は、地上に神の国をあらわす(集団として宣教する)。
(3)信徒は、洗礼によりキリストの共同体に加えられ、神の民となり、使徒職を果たす権利と義務を、かしらであるイエスとの一致から得ている。
(4)信徒使徒職とは、
・教会共同体を活動的なものとする。
・キリストの弟子として宣教の役割を果たす。
・生きた神の道具として人々の前に立つ。
・神の救いの業に各自の力と時代の要請に積極的に応える。
・神の栄光をあらわし、神の国をこの世に実現する。
・キリストの救いに人々を招く。
個人としては、生活の中で祈り、愛にもとづいて生き、実践する。また、共同体の一員として、使徒職を果たすための養成-人間的な養成、霊的な養成、信仰の理解を深めていくための養成、時代の要請に即した実践的・技術的な養成が共同体としても必要となる。

現在、おかれている問題点
(1)かつて教会は、特定の任務に司祭が選んだ個人をつかせた結果、長期にわたり同じ人がポストを独占した。
公会議はすべての信徒が共通理解や共通体験ができるような組織の共同体をつくるよう勧めている(共同責任)。
(2)自分たちが所属している共同体を、社会人としてどういう責任をとるのか。信仰者として信仰を持ち続けるための学びとそのための社会人としての責任を皆どのレベルでもっているのか、そこから出発しないと共通理解はでてこない。
(3)司祭の位置の変化-司祭の位置を対立関係、上下関係に置くのではなく役割の違いとしてみてほしい。

自身の体験された関口教会の組織の変化を実例をあげながらわかりやすく、なおかつ信徒の回心をうながすような説明のあと、まとめに「教会は利益追求の場ではないので対立が激しい。そういうときこそ愛するということはどういうことかをよく考えていこう」と述べて講座を結んだ。

門馬師の第1講座を受けて全体討論に入った。参加者の発言、質問は小教区の財政に関することが多く、その内容も多種多様だった。司会者から「小教区の財政を財務委員会が管理しているか」をいう質問に対しては大多数の小教区が実施しているという答えだった。その他、共通認識、共通理解が無いことに対する意見、この研修会に対する意見、提案等が出、門馬師の「信徒全員が回心することにより、共通認識が生まれる」という発言でこの日の研修会を終えた。

教区生涯養成委員会 公会議の講演集を出版 「第二バチカン公会議と私たちの歩む道」

東京教区生涯養成委員会はこのほど、サン・パウロ社から「講演集・第二バチカン公会議と私たちの歩む道」(A5判・税別1,100円)を出版した。委員会が昨年6月から11月にかけて開催した4名の講師による、5回の連続講演会について、講演内容と質疑のすべてを収録した。紀元20000年の大聖年に向けて最良の準備について教皇ヨハネ・パウロ二世は「第二バチカン公会議の教えを、出来る限り忠実に、個人と全教会の生活に適用すること」と強調されている。

だが、公会議閉幕から30年以上を経過し、公会議を現代の社会の中でどのように受け止め、どのように生かしていけばいいのか、適切な解説する書物を見つけるのは至難である。このため、講演への参加、非参加を問わず、多くの信徒から、活字にして出版するよう要請があり、それに答える形で、講演集の出版に踏み切った。

4人の講師は、粕谷甲一師(元カトリック東京国際センター所長)、オリビエ・シェガレ師(カトリック社会問題研究所所長)、南雲正晴師(フランシスコ会司祭)、雨宮慧師(上智大学教授)。

21世紀(地球時代)に向けて 日本の教会の脱皮と使命 〜司教・男女修道会・宣教会総長管区長合同集会〜

5月26日から3日間、11人の司教と105人の男女修道会・宣教会の総長、管区長たちが、千葉県船橋市のクロス・ウェーブに集まり、「21世紀(地球時代)に向けて、日本の教会の脱皮と使命-日本のカトリック教会の宣教百年の過去を見つめ、21世紀の優先課題を探る」のテーマのもとに、「司教・男女修道会・宣教会総長管区長合同集会」が開催された。

森一弘司教から本合同集会の簡単な主旨説明の後、これまで修道会会員に実施したアンケートの結果をミシェル・コーナン師(パリ外国宣教会管区長)が発表した。これは、日本の教会の宣教の過去を開拓宣教と教会の土台造りの明治、教会の組織化と発展の大正・昭和初期、教会の急速な発展と成長の昭和中期、第二バチカン公会議後の教会近代化の昭和後期・平成という4期に分けて振り返り、それぞれに日本社会の問題点、教会の基本方針と優先課題、反省点を探ったもので、このアンケートを土台として、本集会が進められていった。

発題1では、女子修道会から3人の管区長が宣教百年の歴史の中から、肯定的なもの、問題と思われるものを問題提起した。発題2として、アドルフォ・ニコラス師(イエズス会管区長)は、21世紀に向けて、ダイナミックな教会として発展していくために変えなければならない姿勢、視点などについて神学的、司牧的な面から発表した。同師は、この集会のキーワードは「脱皮」だと示唆した上で、将来への変革のポイントは、福音宣教、諸宗教との対話、インカルチュレーション、「教会は完全」という過去のイメージからの脱却などと指摘した。集会は、アンケートに基づいたこれらの発題やパネルディスカッションの後、グループ討議という形で進められ、全体会でまとめを出していったが、今回、同集会は紀元2000年を迎える日本の教会が基本方針・優先課題として選択すべきものとして、(1)福音宣教する教会の霊性と姿勢(2)開かれた教会の協力態勢(3)人種を超えた地球共存の道への歩みの3つを結論としてあげた。司教と男女修道会の総長管区長が対等にオープンに話し合う機会は少なく、司教の立場、修道会宣教会の立場を互いに理解し合うよい集会になったと喜ぶ参加者の姿が印象的であった。また今回は特に、アジア・シノドスに参加した司教たちから報告を受けた。

なお、今年は男子修道会の組織である日本カトリック管区長協議会の役員改選期に当たっていたため、選挙が行われ、以下の人が選ばれた。

会長 冨来正博(マリア会)
副会長 ミシェル・コーナン(パリ 外国宣教会)
常任委員 マウリツィオ・ビッフィ(ミラノ外国宣教会)
川下勝(コンベンツアル 聖フランシスコ修道会)
藤川長喜(サレジオ修道会)

来日100年を感謝し、新たなる100年に向けて歩む マリアの宣教者フランシスコ修道会

5月晴れの16日(土)、マリアの宣教者フランシスコ修道会来日100周年記念ミサが、駐日教皇庁大使、アンブローズ・デ・パオリ大司教臨席のもとに、多数の参列者と共に、森一弘司教司式で盛大に行われました。

マリアの宣教者フランシスコ修道会は、日本の教会が300年の迫害から復活したばかりの時代に、創立者によって熊本に創設され、100年の歩みを11教区にわたって記しました。それは、「神の呼びかけ」と「応答」の輝かしい歴史です。

同会の修道女は殉教地・長崎教区でハンセン病患者の看護を皮切りに、日本の社会と教会が変遷する中で、時代の要請を識別しながら、もっとも貧しい人々や虐げられた人々を優先して、単純な愛と素直な心で、かけがえのない献身を生き続けています。

森司教はミサ中の説教で「マリアの宣教者フランシスコ会が100年を貫いて生き抜いた燃えるような愛こそ、今も人々がひたすら求め、本当に必要とする唯一のものである」と賞賛しながら、「修道会が原点に帰って、自信をもって現代が必要とする愛をますます生きていくように」と励まされました。「シスターとの出会いから人々が希望や生きる勇気を得られるように、さらなる100年に向かって、大胆に勇気ある決断をもって…」と。

ミサ後の祝賀会場には、同会の宣教の歴史が、「呼びかけ」と「応答」の100年というテーマのもとに展示され、参列者一同は改めて歴史の重みと先輩のシスター方の表にあらわれない深みでの日本の社会と教会への貢献を感謝しながら、歓談の時を過ごしました。

参列者に配布された100年史は、8時期に区分されており、第二バチカン公会議後は、日本人会員もアフリカ・アジア・中近東・南米・北米・ヨーロッパの22ケ国へ40名が派遣されています。

80年代からは世界宣教の活性化と新しい福音化を目指しています。顕示されたご聖体のイエズス・偉大な宣教者から世界宣教への熱意をくみ取りながら、助けを必要としている地域での活動や疎外されている人々との関わりを優先させる方針がとられています。(シスター石丸脩子)

聖パウロ女子修道会 創設50周年感謝のミサ

社会的コミュニケーションによる福音宣教を目的として創立された聖パウロ女子修道会の日本創設50周年を記念する感謝のミサが、聖霊降臨の大祝日の前日・使徒の女王の祝日である5月30日、東京港区赤坂の本部修道院聖堂で、東京大司教・白柳誠一枢機卿主司式、森一弘司教、深水正勝師、兄弟会である聖パウロ修道会管区長・立石幸雄師ほか同会の10名の司祭の共同司式によって捧げられた。

ミサの前、奉献の時などに修道会の日本での歴史の一部をフィルムで紹介しながら、これまで導いてくださった神への50年の感謝と、21世紀に向けての再出発の心を新たにしながら、聖パウロ女子修道会会員をはじめ、パウロ家族が一堂に会し、心を1つにしながらミサを捧げた。

特に、50年間の基礎を築いた日本管区の初期の宣教女がイタリア、フィリピン、韓国、台湾から12人の姿が見られたことに、参列者は心を打たれた。説教の中で、白柳枢機卿は次のように述べた。「女子パウロ会は83年前に生まれた。それまで存在しなかった新しいカリスマに生きる会であった。戦後、日本の人々が目標を見失っていた時、4人のシスターが派遣された。私も、来日後間もない阿佐ヶ谷の修道院に訪ねたことがある。シスターたちの希望と熱意に燃えていた姿が印象的だった。

21世紀を終えようとする今、社会は多くの問題を抱えている。聖霊の降臨により使徒たちが新たにされたように、私たちも今、心の扉を開き、新たに生きなければならない」。

最後に田尻律子管区長は、参列者に感謝の言葉と、「この50周年の記念の時を21世紀に新たに勇気をもって歩みだす再出発の時としたい」と決意を述べた。

「大聖年」に関する祈りと詩の募集

1、大テーマ
『キリストが誕生して2000年を迎えて』

2、「祈り」または「詩」
形式は自由です。内容は、キリスト誕生2000年を迎えて、イエスご自身やイエスの教え、自分の信仰や今の社会、人間について思うことを聖書の言葉や神学用語を使わないで、自分の言葉で表現したもの。

3、応募先
〒112-0014 文京区関口3丁目16番15号
東京大司教館事務局
「大聖年祈りと詩」募集係

4、各作品はオリジナル未発表のものに限り、いずれも応募作品は返却しません。

5、締切日は、1999年3月末日とします。

なお、採用作品の著作権は主催者に属することをあらかじめご承知願います。応募者には、記念品等の贈呈を予定しています。

東京大司教区大聖年特別準備委員会

五日市霊園の現地管理事務所を移転します。

カトリック五日市霊園の現地管理事務所の建築確認は平成10年6月に認可がおりる見通しですので、その認可がおり次第、第2区の前に仮設されるプレハブに移転します(1階=管理事務所、2階=あきる野教会)。なお、順調に行けば、ことしの12月には特別区前の休憩所のところに新しい管理事務所兼休憩所が出来上がることになります。

五日市霊園入口の看板がなくなりました

カトリック五日市霊園の入口を示す看板が、工事のため撤去されましたので、お知らせします。五日市霊園は、武蔵増戸駅から終点・武蔵五日市駅に向かって、大踏み切りも含め3つ目の踏み切りを右折して約2分のところです。霊園前の新設道路(幅6メートル)は、来春着工予定と聞いています。

なお、五日市霊園の申込みについては、管理事務所(03-3947-0312番)か現地事務所(042-596-2330番)におたずねください。

教会学校委員会主催 「リーダー研修会」「人と関わって生きること」「現代社会において教会学校に求められること」

5月24日、主の昇天の日曜日に、信濃町駅前の真生会館を会場にして、リーダー研修会が開かれた。東京教区のみならず、浦和、横浜、名古屋からの参加者を含め、約40人が集まった。今回は、「人と関わって生きる」ということと「現代社会において教会学校に求められるもの」というテーマで、2人の司祭に講話をお願いした。

前者のテーマの講師として、浦和教区の司祭であり「あかつきの村」の施設長として、ベトナムからの難民や社会から受け入れてもらえない人たちと共に暮らしている石川能也(よしや)神父が話した。自分の体験に基づく話を淡々と語られ、聞いている者をその話に引き込むような時間であった。人と関わって生きることには、確かにつらいこともあるけれど、関わることを通して、互いの人間が変わっていくこと、聖書のみことばが持つ深い意味の一端に触れることにつながっていくことなどを話した。しかし、このことは理屈ではないので、いくら話したところで理解できることではなく、実際に関わることを通してのみ体験できる性格のものであり、教会学校がそのような場になることが1つの理想であることを指摘した。

後者のテーマの講師として、関口教会の主任司祭である門馬邦男神父が「学校」という言葉の持つ意味から、教会学校の目指す部分、果たす役割のヒントを話した。「学校」の「学」が示す意味は、先人の知恵を受け取り、消化し、自分のものにすることであり、「校」が示す意味は、木を組み合わせて何かを建てることで、そこから世代間の知恵が交差し、知恵を授受し合う場が「学校」であることを指摘した。だとすれば、信仰の価値(信仰にこそ第1の価値があるという確信)の授受をする場が、教会学校であることを指摘した。教会学校のリーダーにとって最も大切なことは、自分は何を伝えたいのか、そのためにどのように肉づけしようとしているのか(他から借りてきたものではなく、今までの慣習を打ち破るような形での)ということにチャレンジする姿勢であるということを中心に話した。

2人の講師の話に触発されたかのように、質疑応答が活発に交わされ、予定の時間を少しオーバーして散会した。きっと参加者は、印象に残った話を思い起こしながら帰途についたことであろう。個人的には、石川神父の話の中に出てきたベトナム人の「恩人になってくれる日本人はたくさんいるけれど、友人になってくれる人はわずかしかいない」という言葉や、人間のあるべき理想の実現のために、あえて規則を作らずにいるという方針だが、規則を作ったならどんなにか楽だろうかという誘惑に襲われ、善意ある人々から自分たちだけが苦労をしているという批判に耐えながら、規則を作らないという理想を守っている話などには、大いに考えさせられる点があった。

また、門馬神父の話の中で、親が教会よりも塾を優先させれば、子どもは教会ってその程度のものかと思うし、親がつまらなそうにいつも遅れてミサに行くなら、ミサってその程度のものかと思うし、大人だから我慢して行っているんだと判断する。司祭も同じで、ミサの時に司祭が生き生きしていないならば、子どもはその司祭にとってのミサもその程度かと受け取ってしまうという話は、まさに他人事ではない現実味あふれる話であった。

今回は、講師の話を聞くという形式の研修会であったが、次回以降の研修会においては集まったリーダーたちが知恵と意見を出し合うことのできる場を提供したいとスタッフ一同は考えている。
(浦野雄二神父)

本郷教会でCIC総会開催

5月23日、カトリック新聞社の藤崎氏、カトリック点字図書館の橋本氏を迎え、本郷教会主任・井出雄太郎神父の祈りで総会が始まりました。出席は17名。1年間の活動の報告、これからの問題点、疑問点、機械類のメンテナンスなどについて活発な意見交換がありました。

-CICの現在の活動-
(1)カトリック新聞全紙面音訳(広告も含みます)
(2)東京教区ニュース全紙面音訳
(3)点字雑誌「あけのほし」テープ版
(4)カトリック障害者連絡協議会会報「わ」音訳
(5)鹿児島教区報音訳

CIC(カトリック・インフォメーション・センター)は、視覚障害者に向けて、以上の音訳を続けているグループです。お問い合わせは東京教区ニュース編集部までお願いします。
(申橋久仁子)

「イエズスの顔」イエズス探求会に参加して

5月15日から17日まで、走り梅雨の谷間の晴れ間に恵まれ、緑濃い日野ラサール研修所で山根神父指導のもと、イエズス探求会が行われました。イエズスを探すことは、どこにいても出来ることですが、近くに仲間がいるということは、頼もしくもあり心強いもので、いわば私達2泊3日の信仰沐浴とでもいうべきものでした。聖書を通してイエズスを探し求め黙想し、分かち合ったことを残らず記すことは困難なことです。また、感じたことをすべて言葉に表現することは、なおさら困難なことで、心に残ったことを報告します。

第1・2・3セクションとエマオの散歩、黙想と分かち合い、各自が抱えている信仰上の問題について話し合いました。第1セクションではマルコ3・1〜6、第2セクションではヨハネ11・28〜37、ラザロのその後と宣教、第3セクションはマルコ10・17〜22、男に向けられるイエズスの慈しみの表情を感じとり悲しみながら去って行く男にイエズスはどのような顔をなさったのか、再会はないのだろうか、各自の体験から推測して分かち合いをしました。

視点を変えてもっとやさしい分かち合いその1、5月10日調布教会子供ミサに参加した時の説教で同師は、「もし皆さんがイエズス様の顔を見たかったら、聖体拝領の後、すぐ家に帰り貴方の顔を鏡でご覧なさい。そこには感謝の顔、優しい顔、苦しい顔、嬉しい顔、さまざまな顔を見るでしょう。神様はパンとして貴方と語っておられるのです、そこにイエズス様の顔があります」と言われました。

その2、イエズス探求会は18年続いてますが、今回初めてのバーベキューが土曜の昼テラスでありました。この用意を長谷川さんご夫妻がして下さったことを書きます。これには前段がありまして、探求会初期の頃から食事のお世話下さった方が、黒木さんで長谷川さんのお母さんです。その方が昨年の探求会の最中に亡くなりラサール境内の家で仏式で行われ僧侶が来られた時、私達は本当に驚きました。当然カトリック信者の方と思っていたからです。私達は長谷川さんの許可を貰ってお参りに行きました。その時、夫妻は嬉しかったのか戸惑われたか、定かでありませんが、今回の探求会では感謝の意味を込めて食べきれない位のご馳走を用意してくださいました。その時の顔は輝いて嬉しそうでした。もちろん私達は感謝しておいしく頂きました。その夜、夫妻は私達の中に入って来られ、楽しい時を持ちました。なんでもないことのようですが、私達は夫妻と亡くなった黒木さんを通して心を1つにして、分かち合いができたと思っております。

イエズス様は2人3人と集まる所に私はいるとおっしゃいましたが、確かに今回も探求会に参加しておられる人々を通してイエズスの顔をかいま見る思いがしました。

真のイエズス様の顔は使徒言行録1・10〜11の中にあるように、その時、はっきり見ることが出来るでしょう。私達は多くのお恵みを頂き、次の探求会(11月5・6・7日)を楽しみに、それぞれの場に感謝とともに戻って行きました。
(林 秀演)

教会・修道院巡り(60) 『下井草教会』

1948年、時の東京教区長・土井大司教は下井草の地に教会建設を依頼され、サレジオ会に対し3000ドルを寄贈された。サレジオ会はマンテガッツア神父を主任司祭に任命、下井草教会聖堂の建設に着手。1949年4月17日の復活祭に、東京教区第18番目の教会として正式に認可された。

マンテガッツア師が夢に抱いていた願いどおり、聖堂は「キリスト信者の扶助者なる聖マリア」に捧げられ、師は募金のため母国イタリアへと向った。その建設資金の大部分は、師の働きとサレジオ会によるもので、7年余の歳月をかけて1956年10月21日、土井大司教をお迎えしての新聖堂祝別式となって花開いた。

主日ごとに高い鐘楼から鳴り響く3個の鐘と、パイプオルガン、聖堂前にたたずむ大理石の無原罪の聖母像は、マンテガッツア師の出身地カルダノ教会からの寄贈によるもので、姉妹教会としての支援はその後も続いた。マンテガッツア師の宣教者としての功績は偉大で、主任司祭としての任期も通算34年にわたり、創立当初わずか数十人だった信徒は、1800人余を数える教会として実を結んだ。

最近の土、日曜日のミサ参加者は平均600人である。歴代の主任司祭、ロカーティ師、シモンチェリ師、尻枝毅師がその意志を継がれて司牧の輪をさらに広げられたことは言うまでもない。1971年には共助組合を設立、日本共助組合連合会に加盟。小さいながらも事務所も誕生し、現在も健在である。1978年にはシモンチェリ師のもとで、ボーイスカウト東京杉並第11団が発足。1988年、聖ヨハネ・ボスコ帰天100周年に当たって、教皇ヨハネ・パウロ二世はドンボスコゆかりの地トリノ大聖堂に巡礼をされたが、下井草教会は、この「恵みの年」に全免償をいただく指定巡礼教会として、世界八教会の中の1つに選ばれた。

ところで、慈父として慕われてきたマンテガッツア師は残念なことに、昨年5月に帰天され、つい先日1年忌の追悼ミサを終えたところである。その教会も大聖年を目前に創立50周年を迎える。現在はコンプリ師が「開かれた教会」を目指して、新しい風を起こそうと努力をされており、昨年12月には、府中墓地に長年待望の当教会納骨堂が完成した。

教会活動の中では新たに冠婚葬祭部、福祉部、ボランティア部、研修部等が生まれ、広報部から「道」編集部が独立して活動中である。高齢化する共同体において、50年という節目の時を目前に、若者が活躍する教会を目指して、青少年部の活動も一段と活発になってきた。
(奥山 和宏)

〒167-0021 杉並区井草2-31-25
電話 3396-0305
ミサ 平日6・30 土曜6・30 18・00 日曜7・00 9・30 19・00

ナイフ事件について(投稿)

ナイフについて 葛西教会 佐藤一寿 14

中高生がナイフを持ち、殺人、強盗、恐喝を働くことはとてもひどいことだと思う。特に教師殺人事件はストレスがたまってちょっとカッとなっただけで人をナイフで殺すのは、とても卑怯だと思う。自分も、先生や親に対してとても腹が立ったり、キレそうになったりすることは多い。だけどぼくは、ナイフで人を傷つけたりすることは今までなかったし、これからもないと思う。物にはそれぞれ正しい使い方があると思う。例えばナイフなどは果物の皮をむいたり野菜を切ったりする時に使うものだと思う。絶対に人を傷つけたり殺したりするために作られたわけではないと思う。だから、ナイフなどで、人を傷つけたり、強盗や恐喝などに使うのは絶対にいけないことだ。たしかにナイフを持つと、強くなった気がする。でも本当の強さというのは違うと思う。もし腹が立ったのならば自分の口で相手に反論すればいいし、キレたのなら、体をはって教師とケンカをすればいいし、もしお金がないのなら、親に土下座をしてでも、もらえばいいじゃないかと思う。ナイフを持つことはいけないことではないと思うけど、ナイフをどう使えば良いか、人を傷つけるということは、どういうことなのかを1人ひとりが考えることが大切だと思う。

怒らぬ若者たち 関口教会 佐藤牧子 33

今年の聖週間のあいだに、私は長崎へ旅行した。長崎旅行は高校時代の修学旅行以来、これで2度目である。原子爆弾が炸裂した浦上天主堂の廃墟で、被爆死した子どもや若者たちはこれからやりたいこと、自分の持っている夢があったろうに、と考えながら1人たたずんでいた。戦争が終って50年以上も経つ。モノがあふれ、国家の反乱や他国からの侵略も民族の対立もなく、平和と繁栄と引きかえに私たちは何を得たのだろうか?環境破壊、長びく不況、相次ぐ政治家の不祥事、いじめ、オウム教事件、教育、企業の管理化など、これまでになかった問題が吹き出物のように持ち上がっている。かつての若者たちは、『怒れる若者たち』と大人から恐れられ、社会に何らかのメッセージを投げかけていた。でも、政治や企業をはじめ教会も大人たちが中心で牛耳っている。これでは若者たちの出る幕はないし、怒ることもできない。キレる中高生たちは声なき叫びでもあり、そうした大人たちへの反映にすぎない。中高生たちもキレて事件を起こすよりも、もっと社会に対して怒ってほしい。そのためには大人たちが社会でも教会でも、若者たちが生き生きできる場を作ることである。21世紀を担うのは子供や若者たちなのだから。

教師の方々へのお願い 成田教会 匿名希望

昔カインの末裔と旧師を嘆かせた、友人殺害事件も中学生だったと思いますが、この春からキレるという流行語と共に何回かのナイフ事件が起きて、人々の心を痛めつけました。便利に利用すべきナイフをファッションとして持ち歩き、激情のままに人を殺あやめてしまう現代の悲しさを私達は傍観だけで終らせたくないと思います。あれ以来ナイフの販売方法とか登校時の持参禁止とかいわれていますが、それだけで解決するとは誰も考えてはいないでしょう。しかしその後、心の教育と呼ばれ、教師間の、生徒間の、また教師と生徒、親等の対話が盛んになり、記事になったり、放映されたりして、とてもよいことだと思います。多くのカウンセラーが相手にじっくり話させるのに主眼を置くように、教師は生徒の言い分をしっかり聞くことに注意して欲しいと願います。それからもう1つ。よく言われていることですが、叱責は出来るだけ少なく、賞讃はどの生徒にも必ずして下さい。画いた絵の「構図がとてもよい」とほめられた事を思い出した死刑囚(島秋人)がその師を呼んでもらい、その後死刑囚が一流歌人に成長した記事を読んだときの感激は、忘れることが出来ません。叱責については、H神父様の書かれた『星言葉』の中の叱る一文。それは校則を守れではなく、生徒の体をいたわる教師の叱責。あの事件のあと、若い人達にその話をしたら、ぜひその本を見たいと言われ、今、「星言葉」はその人達に廻っています。

叱責 成田教会 匿名希望 71

とても恥しい話ですが、不出来に育った私は、主人によく叱られる。若い頃は、言い返して大喧嘩になったりした。最近はこれは叱られそうだと思う事は口にしない様にしている自分に驚くこともある。何時か何回も同じ事を責める主人に「なぜ同じ事を繰返して責めるのか」と尋ねたら、「お前によくわからせたいからだ」との返事。私は反省などに知恵はまわらず、「男なら鶴の一声でいい」等と考えたのは、年をとっても至らぬせいなのでしょう。さて、世の若い人達の間でキレるという言葉が流行していると知ったのは、あの悲しい中学生による女教師殺人事件のときでした。被害者も加害者もその家族の方々も本当にお気の毒で、葬儀の放映には涙した1人ですが、あのとき、加害者の同級生が、先生に3回も叱られたので、キレるのではないかと心配していたという声があり、どきっと致しました。死者にむち打つようで申し訳ないと思いながら、もし先生の叱責が1度だけだったらと考えずにはおられませんでした。キレるのは繋がりたくてだと聞きます。もし3度目が叱責でなかったらと考えるのは酷でしょうか。
叱責から対話は生まれるでしょうか。対話のない人間関係に心の教育は出来るのでしょうか。キレる体質は食べ物からという声もあります。もしキレなくなるような食物が本当にわかったのなら、大いに宣伝して頂きたいし、給食でもどんどん使って頂いて、元気な明るい若者が育って欲しいなと思います。

この世で一番大切なもの 北町教会 松本静夫 73

中高生のナイフによる殺傷、強盗、恐喝が続発している。それは、学校や家庭の周囲環境に馴染めない子供たちが先生や親たちの言動の1つひとつに、言い知れぬ苛立ちを感じて発散する荒々しい反動と見てよかろう。今の子供たちは、毎日が忙しい。学校、通学、部活、宿題、塾、テレビ、ゲーム遊びの上に、連日の睡眠不足や疲労が重なる。事実、学校では「勉強する意味」すら十分に教えて貰ってはいないのだ。とりわけ「この世で1番大切なことは何か」など、毎日の生活に欠かせぬ肝心な問題については、誰も教えようとはせず、まずそのことに世間も余り関心がないようである。今こそ大人は、この世を統べている「神様の存在」を子供たちにはっきりと教え、この世で生きていくために大切なこと、それは「神様があなたを必要とし、あなたの幸せを強く望んでおられるのだ」という事を子供たちに伝えることである。神様は私たちに「殺すな」「盗むな」そして「人を愛しなさい」と教えて下さっていることを、子供たちに今こそ、しっかりと話さなければならないのだ。神様の存在は、子供たちが1番鋭く感じ取っていることでもある。大人がそれを伝えしっかりと命の大切さを教え育てること、そして「愛」こそがこの世の原点であり、そこから「生きる喜び」「生きがい」が生まれてくるのだということを、はっきり子供たちに分からせることである。この際、大人たちもすべてがこの「愛」を通して神様に繋がっていることを改めて再認識しなくてはなるまい。

一人ひとりを大切に 関口教会御正登喜子74

以前は学校は楽しい所でした。嫌いな学課があっても、好きでない先生がいらしても、親しめない友達がいても登校拒否という言葉は知りませんでした。今の日本の教育は、あまりにもプログラムが多くて、ゆとりがありません。遊びのある教育、子供は仲間との遊びの中で社会性が育てられます。知識が優先でなく、判断力をつけることが、大事なのでは……。親は、その子の幼児期から受験のためのつめこみ、神経をピリピリさせて、それが、子供にも反映しているように思えてなりません。大学受験も、知識の量を試す試験を重視するのが、有名校に多いと…。その結果、広い意味で常識のない学生が増えているそうです。神さまから頂いた一人ひとりの個性を大切にして素直に育てる事が出来ましたら、その親も子も、どんなにか、幸せでしょう。日常生活で考えもなしに、とかく人を批判しています。それを会話の過程の中で人の思い心の変化を考えてみました。

批判
A「あんなに悪い事をした人は地獄ゆきね!」
B「そうよそうよ、重罪でも仕方ないわ」
C「人を裁くのは、裁判官におまかせして…」
D「私たちが、批判したり、怒ったりしても、人を裁くのは、最後は神さまですもの」
C「そうね、悪い事するのは、意志が弱いのよ、よくわかっていても自分に負けてしまう…」
B「物が豊かな事が幸せではありませんね。愛情の欠如、心の中を察してあげなかったまわりの人達の理解不足もあったでしょう」
A「事件を起すまでの生活環境、心理状態をよく考えてあげないで、人はとかくうわべだけ見て、批判してしまいますけれど……」
D「私たちに出来ることは… 心からお祈りする事しかありませんね」
A「主 イエス キリスト どうぞ、弱い私たちを あわれんで下さい
私たちの思いと、心の意志が、いつも、あなたに、向いておりますように、お導き下さいませ」

濱尾文郎司教 教皇庁移住・移動者司牧評議会議長に選ばれる

1998年6月15日ローマ時間正午(日本時間午後7時)、教皇ヨハネ・パウロ二世は、教皇庁移住・移動者司牧評議会の議長として、日本司教協議会会長であり横浜教区司教のステファノ濱尾文郎司教を任命いたしました。教皇は、濱尾文郎司教を同時に大司教に挙げることも発表いたしました。

濱尾文郎司教は、日本時間の同日7時をもって、日本のカトリック司教協議会会長、横浜教区司教の任を解かれることになりますが、任務の引き継ぎや準備の都合があり、バチカンに赴任するのは、9月頃になる予定です。

教皇庁の高位の役職に就くのは、東アジアから初めてのことであり、ましてや日本人では初めてのことです。フィリピンやインドからは、まず秘書としてバチカンに行き、後に議長になった人はいますが、引退しています。ですから、現在ではアジアからただ1人の議長ということになります。教皇庁移住・移動者司牧評議会は、全世界の教会の観点から移住者、難民のお世話をするところです。

現代人の目で これまで語り伝えられてきた カトリックの教えを 問い直してみよう

第4回 98年9月26日(土)10時〜27日16時30分
「コムニオンとしての教会共同体の神学的考察」
-信徒、司祭、修道者が責任を持ってそれぞれの役割を果たすには-
講師 シェガレ師・幸田和生師
場所 クロス・ウェーブ(船橋)
参加費 15,000円
主催 東京教区生涯養成委員会