お知らせ

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東京教区ニュース第153号

1998年06月01日

韓国孤児の母の生涯

『愛の黙示録』 を見て 訴える日韓の歴史の重み

5月17日・復活節第6主日は、 「世界広報の日」。 今年のテーマは 「聖霊に支えられて希望を伝える」。 東京教区広報委員会では、 昨年同様、 OCIC・JAPAN (カトリック映画視聴覚協議会) との共催で 「映画と講演の夕べ」 を企画した。 今回の上映作品は 『愛の黙示録-尹鶴子 (ユン ハクチャ) の生涯』。 韓国の孤児たちのためにその1生を捧げた日本人女性・田内千鶴子の生涯を映画化したもの。 彼女は 「木浦 (もっぽ) の聖母」 と言われているが、 その生涯は反日感情の高まる中で、 非常に厳しいものであった。 今回は、 この映画をめぐって、 OCIC・JAPAN会長であり、 映画監督の千葉茂樹氏 (写真右) とOCIC・JAPAN会員の諸橋史子さん (同左) に対談をお願いした。

諸橋 こんにちは。
今日は、 東京教区ニュースの読者の方々に、 今回の 『映画と講演の夕べ』 についてのお話をお聞かせください。
千葉 そうですね。 『広報の日』 は5月17日ですが、 日曜日では教会活動に支障があってはいけないというので、 『映画と講演の夕べ』 を、 今年は金曜日の夜に設定しました。 お勤め帰りに、 学校からの帰りに、 家族でご1緒に見ていただきたいですね。
諸橋 それと、 金監督が特別に来日して、 講演してくださいますね。
千葉 そうですね。 金監督からおもしろい映画作りの話が聞けると思いますよ。
それと、 東京教区の広報委員会と共催で開催するということは、 他の教区にはない活動だと思いますよ。 OCICでは、 東京教区広報委員会の皆様に大変感謝しています。

ユニークな映画

諸橋 では、 今回の映画について、 お話をうかがわせてください。
千葉 そうですね。 この映画の見所、 話題というのは、 日韓合作であるということ、 この映画を作るために、 一般市民が長い時間をかけてお金を集めて、 映画を作ったということ、 そして実話であるということですね。
ですから、 カトリック映画賞としては、 知らせるという意味もあって、 賞をあげたかったのです。
諸橋 そうですね。 毎年、 映画賞を選定するために、 1年間に作られた日本映画の中から、 まず10作品を選び、 その中からさらに1つの作品に絞っていったのでしたね。
千葉 私としては、 ぜひこれに賞を差し上げたいと思ったのは、 そのような作り方とストーリーですね。
この映画の内容は実話ですから、 皆さんに 『木浦 (もっぽ) の聖母』 と言われる人がいたということを知らせたかったのです。
諸橋 そうでしたね。
千葉 さらにユニークな点は、 この映画が日韓の合作映画ということですね。
諸橋 『カトリック映画賞』 を差し上げた作品の中で、 日韓合作映画というのは初めてですね。
千葉 日本の映画ではなく、 日韓合作なんですが、 韓国で上映できないんですよ。 なぜだかわかりますか?
諸橋 戦争のことですか?
千葉 そう、 まだ恨みが残っているわけです。 日本が戦争の責任を正式に謝罪していないので、 歌謡曲も公式には歌えないんですよ。
この映画は、 大学と関係者のところで1回上映が許されただけなんですよ。
諸橋 新聞記事によると、 マスコミ関係者にだけ見せたとありましたね。
千葉 今はまだその段階なんです。
諸橋 去年の授賞式の時に金監督がしてくださったお話がとてもよかったですね。 お話をうかがっていて、 日韓合作映画ということで、 これまでにもまして、 制作のご苦労があったのを感じました。

木浦 (もっぽ) の聖母

千葉 田内千鶴子さんという存在が素晴らしいですね。 この 『木浦 (もっぽ) の聖母』 と呼ばれている人の存在を、 もっと知らせたいですね。
さらに、 もう1つの話題は、 主役をした石田えりさん自身が養護施設で育った人だということです。 田内さんがしたことは韓国の孤児たちを助けたわけですが、 その田内さんを日本の養護施設出身の石田えりさんが演じたということです。
ですから、 日本の養護施設とか福祉施設の連合体の人々がこの映画をバックアップしたんですね。 『私たちの娘が主演しているんだから』 と上演活動に力を入れているということです。

見えてくる日韓歴史の背景
諸橋 私は戦後の生まれなので、 戦時中、 戦後に当時の人々がどういう思いで過ごしたか、 頭でわかったつもりでいても実際にはわかっていないことが多いですね。
千葉 私は自分の子供3人を連れて、 この映画を見に行きました。 やっぱり、 子供には日韓の歴史の背景が見えていなかったですね。 この映画を見て、 いろいろな話をすると、 中学生の息子なんかは、 『日本は悪いことをしたんだね』 という。 そういう背景もみんなが知っていないといけない事実ですよ。
諸橋 そうですね。 教科書なんかにも、 そのような記述があまりありませんね。
千葉 この映画を通じて、 そういう歴史が見えてくる。 20世紀の中にこれは隠しておきたいという負の遺産というものがあります。 そのことをずっと隠したままでは、 本当の平和は来ないだろうと思います。 そのこともこの映画の中で見えてくると思います。

田内さんの深い悲しみ

千葉 この映画の中で何とも言えない悲しみを感じるところが、 いくつもあります。
その1つは、 結婚した後、 反日感情がひどくなって、 彼女は子供を連れて高知に帰らざるをえなくなること。
その時、 旦那が再婚する。 そして、 韓国に帰ったら、 今度は孤児院でその奥さんとも1緒に生活することになるわけです。
それと、 日本人の子供が相当いじめられるところがつらいですね。
実はその前に、 日本の大人も子供も、 韓国人を迫害し差別したわけです。 その裏返しとして、 反日感情が高まった時、 日本の子供がいじめられる。 それが映画の中に見えています。 私はそのことを子供と話しました。 そういうことを話して日韓の歴史を勉強しました。
諸橋 言葉さえも日本語を使うことが命令されたんですよね。
千葉 そうです。 言葉を奪い、 創氏改名といって、 名前も奪ったわけです。 韓国語も使えないし、 名字も使えない。 名前を日本名に変えるということは、 朝鮮半島がもっていた文化を奪うことです。
諸橋 話を映画にもどしますと……。
千葉 田内さんが高知から帰ってくると、 今度は旦那さんが行方不明になってしまうんですよ。 何とも悲しい話ですよね。
当時、 このご主人は反日感情の中に生きてきたのです。 この人は日本人の奥さんと1緒になった親日家でもあるということで、 この人も差別を受けていた。
この人は孤児院のために食料を探しに行くのですが、 行方不明になる。 それで、 殺されたのではないかと思うわけです。 だから、 彼たちは、 まだ孤立していたわけです。 孤児たちも韓国人と日本人の間にできた子供もいるし、 韓国人の子供もいるわけです。

プロデューサーは息子

千葉 この映画のプロデューサーは田内千鶴子さんの息子さんです。 この息子さんは、 お母さんのことをどうしても残したいという思いがあり、 映画を作られたのです。
お母さんは3000人の孤児と同じように、 息子を扱ったんですね。 お母さんとしては、 自分の息子を特別扱いにすると、 他の孤児たちのためによくないので、 あえて同じように扱ったわけです。 しかし、 実の息子はひねくれる。
『私のお父さん、 お母さんは何だ、 僕を孤児と同じに扱うじゃないか』 と恨んでしまう。 親子関係がねじれていくわけです。 ここの部分がとても悲しいですね。
私たちには千鶴子さんの気持ちが分かるような気がします。 息子はいずれ、 わかってくれると思うから、 孤児たちに愛情を注ぐんですね。 田内さんの場合、 親と子の関係がねじれる。 それは痛いほどわかる。

和解をアピールする映画

千葉 千鶴子さんという人は、 日本人として、 キリスト者として、 韓国人へ償いたかった。 日本人が犯した罪を償いたかった。 しかし、 そのことを息子にはわかってもらえなかった。 これは見ていて、 とても悲しいですね。
でも最後にお母さんの病気がどんどん悪くなって、 なぜか日本語しかしゃべらなくなる。
諸橋 最後の場面で日本語しか話せなくなったということと、 梅干しを食べたいということから考えて、 昔の子供時代に戻ってしまったというんでしょうか、 そんなことを感じましたが。
千葉 そうでしょうね。 お母さんが梅干しを食べたいと言ったので、 息子さんが町中を探しまわる。 息子さんとしては、 そこの部分はどうしても入れたかったのでしょう。 最後にそういうことで親子が和解できる。 息子はお母さんが生きている間、 償えなかったので、 そこの部分をどうしてもちゃんと入れたかったんでしょう。

映画賞の歩み

諸橋 ところで、 『日本カトリック映画賞』 の歴史は古いですね。
千葉 1976年から、 この映画賞を出しています。 私は 『マザー・テレサとその世界』 を撮ってから、 ここに参加しました。 ですから私が加わる6年前から、 カトリックの精神にふさわしい映画を推薦しています。 この賞を通して、 映画製作者に、 観客に、 カトリックの愛に根ざした生き方を勧めようということだったと思います。
しかし、 対象になる映画は、 必ずしもキリスト教的映画ではありませんね。 第1回受賞作品の 『土呂久』 は公害問題を扱ったものです。 私は78年に 『マザー・テレサ』 を作ってこの賞を頂いて、 この団体に加えてもらったんです。
諸橋 配給会社に感謝状もお渡ししていますね。
千葉 感謝状は、 1989年から素晴らしい外国映画を輸入してくださった会社に対して差し上げるようになりました。
去年までは授賞式があっただけなんです。 せっかく授賞式をしたんだから、 皆に見て頂いたらどうだろうといったのが去年で、 今年は第2回目です。
諸橋 10の候補作品の中で、 どうしてもこの時期にこういう日韓問題を取り上げたユニークな映画だから、 カトリックとしてはぜひこの作品を見ていただきたいということで選びました。 ぜひ、 ご覧ください。 お待ちしています。

写真 千葉茂樹氏 (写真右) と諸橋史子さん (同左)

1998 第8回インターナショナルデー

テーマ:小さな愛を探そう
Theme:Love in Action

4月26日 (日) 11時から、 東京教区インターナショナルデー委員会 (実行委員長:伊藤幸史神父) はカテドラル構内で、 第8回インターナショナルデーを開催した。 今年のテーマは、 「小さな愛をさがそう」。
当日は早朝から、 皮膚の色、 国籍、 言葉の違いを越えた人々がスタッフとして、 また参加者として約3500人が集った。
カテドラル構内をいっぱいに使った種々の企画が行われ、 国際ミサ、 ワールドバザー、 国際電話コーナー、 スタンプラリー、 国際カラオケとダンス、 アトラクションの各コーナーは、 夕方5時まで人々の笑顔と歓声に包まれた。
当日の夕方に、 スタッフとして参加した人と各国のからの参加者に集まってもらい、 感想を語ってもらった。
また、 会場で行ったアンケートの結果も掲載する。

司会 インターナショナルデーに参加した全体的な印象を聞かせて下さい。

マレーシア・男性 いろいろな国の人達がここに集って、 父なる神を賛美している姿を見て、 とても感動した。
ミサ中、 涙が出てきた。 私はここに来ると、 家族のもとに戻ってきたような気がする。
マレーシア・女性 初めてパントマイムに参加して、 とても感動した。
フランス・女性 1年に1回、 このようなイベントを設けることは、 とても有意義なこと。
フランス・神父 司祭団と会衆の距離が遠かったと思う。 また、 ミサ中の案内が多い。 パンフレットに書いてあるので、 それを見れば分かると思う。 音響が少々悪く、 自分の所から聞こえなかった。
スペイン・シスター 日本人の参加者がもっと多ければよかった。 私達は、 日本人の人達と交流を持ちたい。
フランス・女性 ヨーロッパから来て、 日本でも同じミサがささげられていることを知って、 カトリックは普遍的だと思った。
ペルー・男性 初めて参加した。 ダンス・歌などすべてにおいてよく企画され、 スムーズに運営されていた。 こんなに大勢の人々を仕切れることに、 びっくりした。 ペルーのカテドラルではこのような催しはない。 場所柄、 伝統を重んじるから。 来年も参加したい。
フィリピン・男性 すばらしかった。 参加できて、 とてもよかった。 全世界の人々が1堂に会して、 唯一の神を礼拝できることがすばらしい。 そして、 さまざまな文化を持った人々を理解できるいい機会。
アフリカ・女性 違う国の人々が、 このカテドラルに集まって、 唯一の神を賛美している姿を見て感動した。 ごミサに与かれなかったことが残念。 他の人からミサについての印象を聞きたい。

司会 いちばん感動したこと、 いちばん印象に残ったことは、 どんなことですか。 具体的に……

フランス・女性 私は歌うことが好き。 各国に音楽があり、 歌い方も違う。 音楽を通して他の言語を知る機会がもてる。
スペイン・シスター 入祭の歌は、 キリスト降誕2000年に向かって、 みんなの心が開かれることを歌ったもの。 最初は英語で、 そして奉納の時は日本語で歌った。 皆が力をあわせて2000年に向けて歩む姿がとても美しく、 感動的であった。
フランス・女性 教皇様は、 2000年に向けての準備を皆さんに頼んでいる。 一緒に祈ることを。
スペイン・シスター 教会はますます1つになっていく印象を受ける。
日本・女性 私は川越に住んでいる。 夫はフランス人。 子供達は公立の学校に通っている。 外国人に接する機会は、 父親以外はない。 自分達の状況が分かっていないようだ。 東京にこんなに多く外国人がいる、 いろいろな文化があることが分かって本当によかった。 楽しかったみたい。 私も楽しかった。
日本・男性 申し訳ないが、 私はプロテスタントの信者。 昨年から参加している。 1つになるということでは、 それぞれの文化をギリギリのところまで出して、 それをシェアー (Share) し合うことが素晴らしい。 プロテスタントの教会はどうしてもピュアー (Pure) になってしまい、 その結果、 他を排除する方向へ行ってしまう。 プロテスタントもどうしてこうならないのか。 昨年以上に感動している。
ミサの時、 人があふれていた。 モスレムの人も来ていた。 世界が1つになるモデルが、 東京の中にある。 このことをもっと日本の教会が宣伝すればいい。 目に見える形でのモデルがなかなか現状ではない。 PRすればそれに気づくのではないか。
フランス・女性 パリで行われた世界青年の集い (World Youth Day) を、 テレビで見た。 インターナショナルデーの大型版だと思った。 ここでできることを世界に広げていくといい。
日本・男性 インターナショナルデーをやっているのは、 東京だけですか。
森司教 大阪もやっている。
日本・男性 大きいところでやっている。 ますます盛んになる。
フランス・女性 パリの街に百万人の若者が集まった。 夏のパリで皆が手をつないだ。 平和の意味で。 日本の若者も参加した。
日本・男性 言葉だけでなく、 形で表わすことは、 素晴らしい。 子供の頃からそのようなことをやれば、 肌で感じられるのでいい。

司会 具体的に問題に感じたこと、 疑問を感じたことなどありましたか。

全員 特にない。
スペイン・シスター 皆がそれぞれの文化を理解しようとしていた。 みんな神に自分の気持ちを、 自分なりに表現していた。 疑問に思ったことはない。
日本・男性 昨年から聖体拝領を受ける場所を動かした。 1つ1つアイデアを出し合っていることが分かる。
マレーシア・男性 パントマイムは短く、 シンプルで、 誰にでも分かるようになっていたのでよかった。

司会 今後も続けた方がよいと思いますか。 また、 よりよいイベントにするために、 具体的な提案がありますか。

マレーシア・男性 自分達の文化を紹介できる機会がほしい。 ミサ中でも、 他のイベントでもいいから。
スペイン・シスター このイベントは、 年に1回。 2回ぐらいあると、 少々ゆとりができる。 教会は普遍的なもの。 日本の教会は、 ほんとうに小さい。 このような時、 どんどんアピールして、 日本人がどんどんここに来て、 かかわりの中で、 すごい豊かさが出てくる気がする。 ここで見たいろいろなことを、 うちの教会でこうしようとか、 すごい布教になると思う。
日本・男性 ミサ中に一定の時間を設けて、 隣りの人とコミュニケーションを取れるようにしてはどうか。 日本人は、 どうしてもコミュニケーションを取ることが下手。 慣れていないから。
フランス・女性 食べ物は文化。 いろいろな食べ物があるので、 びっくりする。
スペイン・シスター 楽しい。
日本・男性 カトリック以外の人達を、 ここに招待する。 世界の人々が、 ここに集まっているモデルの接点があることを知る上で、 いいのではないか。
フランス・女性 私の回りに住んでいる人から、 「教会に入ってもいいですか」、 「何もしなくても入れますか」 と聞かれる。 「教会はそんなに閉鎖的な気がしますか。 今日来て下さい」 と言った。 日本の中で、 まだまだキリスト教は知られていない。 私達も日本に来て、 他の宗教に興味を持っている。 主人は仏教徒。 お祈りはどうですかと聞いている。 苦しい時、 主人も祈ってくれる。
フィリピン・男性 世界中のいろいろな人と出会う場所だけでなく、 文化を絵のように見ることができる。 例えば、 食べ物、 民族衣装などを通じて。
日本・男性 このようなやり方がある。 1つは、 ステージでやる方法と、 後はコーナーごとにやる。 こちらのコーナーはフィリピン、 あちらのコーナーはアフリカというように、 同じ時間に行なう。 見る人、 聞く人がそれぞれのコーナーを回る。 カラオケでもそれぞれのコーナー (スペイン圏、 アフリカ圏、 アジア圏) を設けてやる。
昨年から比べると、 ミサに与る人が増えている。 座れない人が多くなっているので、 場所的に限界かな。 2回やるのはどうか。 真ん中は食事とパフォーマンスにして、 最初と最後にミサも持ってくる。

司会 皆さん、 どうもありがとうございました。

アンケートから

実施したアンケートのコメントを、 いくつかひろってみました。
◎世界の味を楽しめた。
◎国際色豊かで、 楽しかった。 (日本50歳代)
◎おもしろかった。 座わりたかった。 (日本20歳代)
◎久しぶりに参加して、 いろいろな舞いを見て、 楽しませてもらった。 (日本30歳代)
◎ミサも楽しく受けさせて頂いた。 バザーもシスターの指導で作った手芸品等があり、 それぞれに活躍していることが伝わってきた。 良かったです。 カラオケは音楽によって伝わってくる世界、 いろいろな国々の人の優しさが分かった。 (日本40歳代)
◎とても良かった。 食べ物がおいしかった。 駐車場をもっと多く。 もっと英語を話す人がいたらと思った。 (ベトナム30歳代)
◎とても素晴らしかった。 よく企画されていた。 スペイン語、 ポルトガル語の雑誌などに宣伝してほしい。 聖体拝領の場所をもっと増やしてほしい。 (ブラジル50歳代)
◎エスニック音楽があってもいいのでは。 (アメリカ20歳代)
◎カラオケ強化。 (日本10歳代)
◎アフリカにはいろいろな国の言語があるので、 ミサにそれを取り入れてほしい。 (アフリカ30歳代)

写真
国際ミサ・パントマイム
国際ミサ・感謝の賛歌
国際ミサ・各国語の共同祈願
国際ミサ・祝福
スタンプラリー
ごみ箱
国際電話コーナー
ピエロ
似顔絵コーナー
カラオケスタッフがリハーサル
アトラクション
大聖堂前は人でいっぱい!

1997年 東京大司教区統計

1. 人口・信者総数
  97年度  96年度
人口  17,681,926人  17,698,628人
カトリック信徒総数(居所不明)  81,760人
(8,127人)
80,945人
(7,342人)
聖職者総数  2,384人  2,386人
カトリック信者総数  84,144人  83,331人
   
   

 

2.カトリック信者の内訳        
(1)  司教  2人    
  教区司祭  89人    
  教区助祭  0人    
  神学生  8人    
 
    合計  邦人  外国人
(2)  宣教会・修道会司祭  335人  132人  203人
  男子修道者  123人  89人  34人
  (永久助祭・修練者・志願者)        
  神学生  64人  53人  11人
  修道者の合計  522人  274人  248人
 
(3)  修道女無期・有期誓願  1639人  1471人  168人
 

修練者・志願者 

62人  58人  4人
  修道女の合計  1701人  1529人  172人
 

(4) 

在俗会員の合計  61人  53人  8人

 

3.小教区・宣教会・修道会
    小教区  準小教区
(1)  小教区  74  8

(2) 

宣教・修道会  男子  女子
    28  71
  修道院  55  168
(3)  在俗会  5  
(4)  神学校   

 

4.秘跡
    合計  男子  女子
(1)  成人洗礼  1245人  416人  829人
  幼児洗礼  1143人  560人  583人
(2)  堅信  1254人    
    信徒同士  混宗婚  異宗婚
(3)  婚姻  134  11  679

マタタ神父のインタビュー
マリアの宣教者フランシスコ修道会宣教100年を振り返って

5月16日に、 100年の宣教活動を振り返ってお祝いをするマリアの宣教者フランシスコ修道会の管区長を訪ねました。
世界各地に福音を宣べ伝え、 社会の呼びかけにこたえようとする同会の修道者は、 どのような活動を行ってきたかが、 管区長・シスター本多正子の話しから分かりました。

(1)マリアの宣教者フランシスコ修道会の紹介
1877年にマリ・ド・ラ・パシオンによって創立されたマリアの宣教者フランシスコ修道会はローマに本部を置き、 観想と使徒的活動を通して世界に宣教の奉仕をしています。
1996年12月現在で、 8267名のフランシスコ会の会員の国籍は、 バラエテイーにとみ、 72ヵ国です。
1897年、 当時の熊本地区長コール神父の 「日本の26聖人殉教300周年にあたり、 ハンセン病者を世話するため」 の呼びかけにこたえ、 1897年10月に会員が初めて日本に来ました。

(2)日本における宣教
会の世界宣教の使命は、 つねに各時代と教会の呼びかけにこたえながら、 11教区にわたって継承されてきました。
それは、 教育、 病院、 出版、 福祉事業、 司牧的活動等といったさまざまな分野において示された神の愛の実践と言えるでしょう。 神はご自分の愛の業を人間の手において歴史の中に描かれました。
最初は、 外国から宣教師が日本に来ましたが、 今では40人の日本人会員が約20ヵ国に派遣されて奉仕しています。
召命減少の波を受けている今でも、 国内の人手不足にも関わらず、 今年の4月に日本から1人の修道者が台湾へ、 もう1人がパキスタンへの派遣が決まり、 今はそのための準備中です。

(3)時の印にこたえて ―聖母病院と在日外国人―
国際病院として創立当初より外国人患者に特別な配慮をしてきたこの病院を訪れる外国人の数は、 1日20~30人位で、 患者の国籍の数は時には60ヵ国に及ぶ年もあります。
最近、 発展途上国からの労働者の患者が増え、 病院としても、 その病気に対する治療だけではなく、 患者の経済的、 精神的なニーズにもこたえることが求められるようになってきました。

(4)21世紀に向けて
創立者が、 自分のためまた本会のために、 神のみ旨を果たそうと、 生活と祈りの中に示された印を強調してきました。
世紀末と同時に来日100周年を迎え、 神に信頼と感謝を寄せながら一度立ち止まって過去を振り返り、 これからの道を見定める時なのではないでしょうか。
この機会にこそ自分たちのアイデンティティを再確認し、 1996年の総会で表明された会の世界宣教指針、 即ち
1.平和を作り出す者として正義に生きること。
2.文化と福音との出会いに参加すること。
3.神の国を目指し、 真の交わりと一致をつくるために協力すること。
を目標にして宣教活動を進めていきたいと思います。

聖母病院 写真

東京国際センター通信
CTIC

無国籍児の教育

「子供を小学校に入れたいのだが」 と超過滞在の外国人カップルから相談があった。 お父さんは在日7年、 お母さんは在日12年目、 2人は日本で知り合った。 生活を共にするうちに子供ができ、 就学年齢に達した。 「近所の友達が学校に行けるのに、 どうして私は行けないの?」 と子供に尋ねられ相談にきた。
その子は、 日本の区役所、 駐日大使館のどちらにも届けていない、 いわゆる 「未就籍無国籍児」 である。 その正確な数はつかみようもないが、 長期化する滞在から外国人どうしのカップルが増えるにつれ、 増加している。
相談にくる多くの外国人どうしのカップルの子は、 ほとんど届けられていない。
この親子の場合、 現行法上では、 在留資格を得ることは100%不可能である。 親の都合とはいいながら、 就学年齢に達しているのに、 摘発を恐れて学校に行けない。 超過滞在者どうしの子の場合、 保護者がいるおかげでかえってその様々な権利が守られないという事態がおこっている。
早速、 彼らの住所地の教育委員会に相談に行き、 入学を許可する旨返答を頂いた。 子どもは大喜びだ。 早速ランドセルを買いにいった。

離婚が増えています

離婚の相談も相変わらず多い。 フィリピン人女性と日本人男性の破綻のケースの相談が多い。 厚生省が出している 「人口動態統計」 を見て、 なるほどと思った。 フィリピン人女性と日本人男性の婚姻数はここ数年毎年約7000組前後で推移している。 しかし、 その離婚数は確実に増加しているようだ。
最近、 入国管理局の方針の変更があって、 離婚しても在留資格の変更がスムーズになってきた。 子どもがいない場合でも、 ある程度の期間結婚していれば、 ビザ更新が可能になってきた。 離婚するとビザの延長ができなくなることを恐れて、 夫からの暴力等にも我慢せざるをえなかった女性たちが、 入管の方針変更で離婚を決意し出したのかもしれない。

離婚にいたる経緯は千差万別である。 女性からは 「リスペクト (尊敬) がない」 「家にお金をいれない」 「暴力をふるわれる」 「しつこい」 等々、 男性からは 「母国にお金を送金しすぎる」 「国際電話が毎月数万になる」 「日本語が分からない」 等の理由が多い。
多くのケースは、 散々2人でやり合った後。 既に壊れた関係を修復させる、 いい方法はなかなか浮かばない。 できるだけ両者から十分時間をかけて、 修復の手がかりを探し出すように努力するが、 なかなか見つからない。
子どもがいる場合、 なおさら深刻だ。 子どもの取り合いになることもしばしば。 多くの場合は母親が親権監護者となるが、 離婚後のアパート探し、 仕事探し、 子どもの保育園の問題等々、 母親の自立心を失わせないことに気を配りながらの援助が必要になる。
正式な婚姻関係になく、 認知されずにいる子どもの相談も多くなった。 これも入管の方針変更で、 外国籍の母親がその子を監護し、 日本人父から認知されていれば母子ともに在留資格がえられるようになってきた。 母親から事情を聞き、 認知をお願いすべく男性からの話も聞く。
離婚相談所となりつつあるCTICだが、 なんとか各方面の協力を得ながら先手を打てないものだろうかと悩みは続く。 (有川憲治)

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「家族のための祈り文」 から
お父さんと話しが出来ますように

神様
今 私がこうして何も不自由なくいられるのは お父さんやお母さんが私達のために がんばってくれているからです
それなのに 私はお父さんが話しかけてきても 全然しゃべりません
朝おきてお父さんが 「おはよう」 と言ってきても 何も答えなかったり小さな声で 「はよ」 としか言いません。
お父さんは 私達のために色々とがんばってくれているのに 私は全然お父さんとは 話そうとしません
お父さんと うまく話が出来るようになりますように (12歳 小学6年 女)

生涯養成委員会養成コース研修会
「現代人の目でこれまで語り伝えられてきた カトリックの教えを問い直してみよう」

3月28日から29日にかけて、 「現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう」 4回シリーズの第2回 「イエス・キリストとは」 の研修会が、 池袋・かんぽヘルスプラザ東京で行われた。

28日、 ニコラス師が 「キリストと信仰入門」 と題して話された。 まず前提として、 理論的説明や結論 (的命題) から出発して語るのではなく、 心の歩みとしての過程そのものに本当の信仰入門の出発点がある。
大切なことは聖書を出来事としてみること。 聖書を理解するとは、 その世界に入り、 聖書の物語を霊によって動かされる 「自分、 家庭、 社会のための物語」 として伝えること、 それが大切である。 そのためには、 聖書を自分のものにしていく過程を教えることが必要である。
神は概念、 言葉ではなく、 説明できないもの。
神を体験できるが、 説明しきれるものではない。 イエスは私たちと同じ人間でありながら、 私たちよりも深く神との交わりを持った。
イエスは私たちを神との交わりへ招き入れる者、 イエス・キリストとの交わりは神との交わりへとなる。 イエスは神の子といわれているが、 心の歩みの最後の段階として受け止めるものである。
キリストの多面的なメッセージを伝えるパウロ、 マルコ、 マタイ、 ルカ、 ヨハネのそれぞれの福音書は、 私たちのカテケージスのモデルとなる。 イエスは父への道をたどった。 福音書で読み取るものはイエスが示す道、 神の心と私たちの心を現す道、 神の国を現す道、 私たちとこの世の暗い面を乗り越える道、 如何に生活し、 如何に識別し社会に生きるかを示す道であると、 聖書を引用しながら説明された。

翌29日、 粕谷甲一師はアジア地区司教会議 (シノドス) をめざす提題解説に対する日本司教総会の公式回答の 「キリスト論」 をもとに、 「アジアの一員としての日本カトリックの自己理解と自己紹介の核心部」 を、 方法論と内容 (キリストの唯一性) に分けて話された。

(1)方法論:(如何に?)
宣教の歴史はヨーロッパを中心とした経済拡張との二本立てであった。
バチカン公会議後、 キリスト教はヨーロッパ中心のヨーロッパ教から全世界の諸宗教の一つ、 諸宗教と対話を持てる世界教時代へ移行した。
諸宗教の中でキリストの唯一性の主張はどうしたらよいかという問題が日本の教会にとって重要となった。
シンガポールで行われたアジアの宗教者平和会議の閉会式で語ったマザー・テレサの言葉。 「私は2つの聖体拝領で生きています。 毎朝パンの形で主の体を。 そして貧しい人々の中に入って第2の聖体拝領を。”マザーありがとう”といって死んで行く人を通じて」。
マザーは自分の宗教の神髄、 キリストの唯一性を伝えた。 自分の宗教の神髄を語ることを通じて示し、 それが諸宗教にも触れることを証として、 キリストの唯一性を伝えた。
二つの聖体拝領で具体化していくことが希望の根拠となる。 それを示すことがニーズに応えることである。

(2)内容:(唯一性をめぐって)
救い主はキリストのみという伝統的啓示の一本ラインに乗りながら、 他宗教を尊重し、 包括主義に陥らず、 しかも本当の唯一性をどう説明するか。
相対の枠を越えられないという人間の悲しみを越えさせてくれるところに 「私の神よ、 何ぞ我を見捨てしや」 と言って死んでくださった人類の救い主がいる。
人は相対的でありながら人生のある時点(situation) ごとに相対を越えて、 誠実でなければならない段階を通過する。 これがキリスト教の人間観であり、 キリスト論に結びつく。
人間は内的矛盾、 自分で自分を持て余す要素を持っている。 相対的痛みと内的矛盾からくる痛みの部分をイエスは十字架上で担ってくださった。 ケノーシス(注)は自己無化、 自己完成であって、 寛容とともに原則を貫き、 厳しさを持っており、 その根っこにはイエスの十字架上の死がある。

この2日間、 4回の講話の後にはグループで分かち合い、 質疑応答が行われた。
内容の濃い講話、 そしてお二人の講師の率直な応答は参加者に深い感銘を与えた。 参加者の中から今求められているカテケージスについてこのように話し合える場、 学べる場がもっとほしいとの声があった。
次回は6月6日~7日、 梅村昌弘師、 百瀬文晃師、 フローレス師の3人の講師で 「教会」 をテーマに行われる。 (鈴木晴代)

(注)ケノーシス
キリストが人間の状態を謙虚に受け入れることによって、 神としての特典への権利を自発的に放棄したこと。
(フィリピ2章6-7) (現代カトリック事典より)

写真 ニコラス師 粕谷師

一粒会総会開かれる

4月19日 (日) 午後2時から、 カテドラル地下聖堂において平成10年度の一粒会総会が開催された。
天候に恵まれたためか出席率は例年より良好で、 各地域協力体から約80名の一粒会役員が出席した。
初めに、 アジア代表司教会議にローマに行かれてご不在の白柳大司教のメッセージの代読が森司教からなされた。
引き続き1997年度活動報告及び1998年度活動予定が担当司祭の辻神父及び酒井神父から出された。
1997年度決算及び一九九八年度予算案が、 会計係の小川さんから、 一粒会運営報告が前川委員長からされた。 以上の議題は何の問題提起もなく全て満場一致で可決された。
酒井神父から次のような講話があり、 地域協力体から新運営委員の選出が行われて、 散会となった。

『酒井神父講話要旨』
ある学校で 「ものかくし」 が頻繁に起こるので調査したそうです。 まず子供たちに、 「ものかくしは悪いか」 と聞いたところ90パーセント以上の子供が 「悪い」 と答えたそうです。 次に 「ものかくしは面白いか」 と聞いたところ80パーセントの子供が 「面白い」 とこたえたそうです。 今の子供たちの行動原理は善・悪ではなく面白いか面白くないかということです。
先日、 黄昏時の新宿駅でいっぱいの人通りの中を子供連れの親子が歩いていました。 何時もながらののろのろ歩きの親子にやきもきさせられていたところ、 その親が珍しく子供に 「端に寄りましょうね」 と言ったので感心していたら、 その母親が続いて 「突き飛ばされて怪我をするといけないから」 と言ったので、 がっかりしてしまいました。
現代社会は、 自分のことしか考えない。 他人を思いやれない。 人を大切にする人間関係が希薄になっているのではないでしょうか。 このような社会にあって、 宗教の役割も大きいと思う。

イエスは神と人を大切にすることを教えられた。 99匹を残して言うことを聞かなかった1匹を探しに行く羊飼いの譬たとえで、 1人ひとりを大切にする神、 どのような人も大切にする神について教えられたイエス、 このイエスを携えていく神父が多くなることを、 一粒会で祈り求めていかなければならないと思う。
(内藤泰子)

現代人の目で これまで語り伝えられてきた カトリックの教えを問い直してみよう

第3回 98年6月6日(土)10時~7日(日)16時30分
「教会とは」
講師 梅村昌弘師 フローレス師 百瀬文晃師
場所 クロス・ウェーブ(船橋)
参加費 1万5000円
第四回 98年9月26日(土)10時~27日(日)16時30分
「コムニオンとしての教会 共同体の神学的考察」
|信徒、 司祭、 修道者が責任を持ってそれぞれの役割を果たすには|
講師 シェガレ師・幸田和生師
場所 クロス・ウェーブ(船橋)
参加費 1万5000円
主催 東京教区生涯養成委員会

教会・修道院巡り (59)
『館山教会』

千葉県の南に館山教会があります。 信徒数は100人に満ちませんが、 家族的な教会です。 四季それぞれに色鮮やかな土地で、 特に復活祭の時期にはポピーや菜の花、 キンセンカやストックなど文字通り”春うらら”です。 教会入口の聖母像の前の桜は、 信徒や教会前を通行する方々の目を楽しませています。
夏になりますと教会ホールが宿泊所となり、 夏休みには海水浴やキャンプファイヤーにと、 館山を訪れる信徒の皆さんの思い出づくりに一役買っています。 しかしながらこのホールも老朽化が進み、 建て替えが懸案となっています。
東京湾アクアラインの開通により昨年来、 以前にも増して多くの観光客がお見えになるようになり、 以前と異なり年間を通しての観光地に移り変わろうとしています。
初代主任司祭、 望月光師は1947年に当時の米軍兵舎”コンセント聖堂”を信仰のシンボルとして現在の礎を築かれました。 以来、 現在の主任司祭、 久富達雄師にいたるまで、 途中巡回教会時代を含め、 16人の司祭と共に信仰の道を歩んできました。
特に昨年6月に創立50周年記念式典を白柳枢機卿、 森司教、 コロンバン会日本管区長ブライアン・ベイル師をはじめとして多くの来賓、 教会関係者をお招きして、 お祝いすることができたのを昨日のことのように思い出します。 その際お世話になった方々に、 この場を借りてお礼申し上げます。
館山教会にとっての今後のテーマは、 ご多分にもれず信徒の高齢化と信徒数の減少化現象です。 主任司祭の指導のもとに信徒1人ひとりの営みの上に小教区信徒の活動 (教会行事など) を通して使徒職の使命を果たすことが重要です。
具体的には一般の方々に理解してもらうための対外的活動の必要性です。 今秋開催予定の千葉地域協力体大会においても”自分たち”だけでなく”まわりの人もいっしょ”という視点が大切です。 もちろん働き場を日本に求めて来ている外国の方々も”いっしょ”でなければなりません。
このような活動を若い信徒を中心にして行っていきたいと考えています。 若い信徒が集まりやすい教会を主任司祭と作り上げることが必要ですが、 その希望の光が昨今見えつつあります。
館山の地の共同体を活性化させ、 信仰のより深い成長のために根気よく歩んでまいります。 (斉藤 昇)
〒294-0045 館山市北条1901 ■0470-22-0780 ■0470-23-3567 主日ミサ時間 9時

写真 館山教会

司祭評が
司祭人事異動案を提出

今から約30年前、 第2バチカン公会議のあとで、 司祭達の間に人事異動に関する議論が起こりました。
結果的に、 それまで無原則の状態であった所に、 任期10年というルールが出来上っていきました。
1つの教会に主任司祭として任命を受けたら10年はその小教区に留まるという原則が共通理解として確立していきました。
これは、 とても画期的なことでした。 それまでの、 何か特別な事がないと動かないという認識の中に、 10年たったら自動的に替わるという原則が出来たのですから、 無から有が生じた位の変化だったのです。
そして、 今、 召命の減少と司祭の高齢化、 それに、 宣教会、 修道会の司祭の補充困難が引き金になり、 10年任期を見直す時期がやって来たようです。
この30年のうちに、 司祭だけの問題でなく、 教会のあり方、 信徒の意識、 社会のニーズも変わりました。
司祭の月例集会で人事問題がテーマに取りあげられたのは、 時代の流れから当然とも言えます。 研修に参加した司祭達も、 大多数が当然という反応を示していました。 しかし、 具体化するためには、 まだ相当に論を尽くさなければなりません。
今回の研修は、 教区の主要課題に一石を投じるものとなりました。
研修の内容の概要を報告いたします。

1、 任期は10年でいいのか
現在、 5年とか6年とかの任期をルールとして確立し実行している国や修道会をみても、 かつては、 無期限とか10年とかの任期であった事は事実です。
それが何故、 短縮されたかというと、 社会の変化、 教会の変化に応えるためだった事は明らかです。
教会が社会のテンポに即応しなければならないという訳でもありません。 しかし、 どこかで時代の流れをくみ取っていかねばならないという事も不可避です。
1人の主任司祭が、 長く同じ小教区にとどまる事にはそれなりのメリットもあります。 心のホームドクターとして親子3代にわたってお世話になったというケースもあります。 しかし、 家族制度が変わり、 生活形態も多元化していく中で、 何10年も1人の主任司祭がとどまるということは、 すでに限界が来ています。
じっくり取り組むという事と長くとどまるということが同義語でなくなりました。
10年という任期も、 もう時代の流れに応えるためには長すぎる年月になりつつあります。
現在でも、 主任司祭の立場や役割は決して小さいものではありません。 主任司祭の視野は、 小教区の視野に直結している所もあります。 主任司祭の視野が狭くなれば、 教区全体の動きから、 その小教区が取り残される弊害も生じて来ます。
動きが激しければ激しいだけ、 期間を短くし、 集中して事に当たることが大切です。
そのような観点から、 10年の期間を短くして6年という任期が試案として提案されました。 これは、 現在の教会の典礼暦が3年周期になっているので、 2回その周期を終えた所で替わるという点にもよっています。
ある国では、 例外なしに6年と定めているケースもあります。 今回、 司祭評が出した任期も、 6年を目安にするというものでした。

2、 1回の人事でどれ位の司祭が動くのか
これまでの人事異動は、 結果的に穴うめの人事でした。 つまり、 1人の司祭が動くとそのあいた教会にある司祭をうめるという事だったのです。 ですから、 動く司祭はおのずと限られていましたし、 適材適所という原則とは程遠いものでした。 偉大な主任司祭の跡をおそるおそる次の司祭が埋め合わせていくという型が避けられない現実でした。
もちろん、 司祭の仕事は、 文字や数字に現わされるものではありません。 しかし、 その司祭の人柄や持ち味があまりにも強烈に出てしまった小教区に行かされる司祭は大変です。 自分の司牧方針や運営原則を実行に移すまえに任期が来てしまうこともある。
司祭の人柄や持ち味を出していくことより、 教区の方針や小教区のニーズにどうこたえていくかが重要な課題です。
適材適所の原則が実行されるためには、 積極的に人事を進めていくことが大切です。 その教会に司祭を派遣していくためには、 その教会がどのような状態にあって、 地域の中でどのような立場におかれているかを考慮に入れていかねばなりません。
司祭が移ったから他の司祭を埋めるといった穴うめ人事では、 もはや適材適所の人事は果たせないのが現実です。
すると、 当然の事ながら、 一度にかなりの人数の司祭を動かしていくという形態をとることになります。
そこにはある程度の宣教司牧に関するビジョンとか方策がなくてはなりません。 また、 1つの小教区の視野で現実を見ていくことも限界があります。 教区レベル、 地域協力体レベルの視野に立った方針にそった人事異動がどうしても必要です。
司祭にはそれぞれのタレントや能力が与えられています。
それぞれ、 その司祭のタレントや能力を生かしていく事も大切です。 それは、 決して、 好きな事だけをやるという事ではありません。 これまでにも、 若い司祭には青年達のことを、 外国語が自由に使える方には外国人司牧をというような原則は生かされて来ました。
しかし、 現状は、 もっともっと、 その司祭のもっている潜在能力を生かさなければならない時代に入っています。
少なくとも、 3~40名の司祭の異動を可能にして、 積極的な人事異動を図っていくことが求められています。
従来の穴うめ的人事からの脱却は今回の人事を考えるテーマの大きな課題といえるでしょう。

3、 修道会や宣教会はどうなるのか
東京教区の82小教区 (準小教区も含む) の約3分の1は、 修道会、 宣教会の司祭、 修道者が担当しています。 今回の人事を考えるテーマの中で、 この事は重くのしかかる問題です。
全ての小教区の人事は、 司教の専権事項であって、 司教にゆだねられています。
しかし、 現実的に、 司教の課題になっているのは、 教区司祭と宣教会の司祭達です。
修道会は修道会として、 時代の流れと教区の方針にこたえた人事がなされています。
むしろ、 今考えていかねばならないのは、 教区司祭の異動と、 それに協力していく宣教会の司祭の異動です。
そこで、 試案として出されたのが、 2グループ制の異動です。 つまり、 宣教会の司祭を含めた教区司祭を2つのグループに分け、 3年ごとに1つのグループの異動を一斉に行うという提案です。
この提案がスムーズに実現されるためには、 地域協力体の充実が重要になって来ます。 まさに、 小教区の司祭人事移動というより、 地域協力体のなかの人事異動といったほうが分かりやすいでしょう。
司祭の人事異動が、 小教区を越えて、 地域協力体への派遣と置き換えられていくという趨勢です。

4、 人事異動と司祭評の役割は
司祭の人事は、 前述の通り、 司教の専権事項です。 この点は、 従来と何等の変化はありません。 しかし、 それを手助けすることは、 司祭評議会の大きな役目です。
司祭の人事異動が、 時代にこたえ、 小教区を通しての地域のニーズにこたえていくものになるためには、 専門チームの協力が不可避の条件となります。
一月から始まった今期の司祭評に、 人事を考える小委員会が発足したことは当然といえば当然の事でした。 現在、 6名がチームを組み、 この人事問題に取り組んでいます。 今回の諸提案、 試案は、 このチームの作業の成果でした。
チームで検討されたことを司祭評議会が再検討し、 それを教区長である司教が運用していくというルールが確立していけば、 諸提案がレールに乗っていくことでしょう。
司祭評議会、 宣教司牧評議会、 それに財政評議会がシステムとして教区の宣教、 司牧方針の確立と実現化に積極的に取り組んでいくならば、 今回の人事試案も有意義なものになっていくでしょう。 システムとして機能していくところに成否の鍵が秘められているといっても過言ではありません。

5、 司祭の高齢化にどうこたえるのか
全国的にも、 また、 東京教区でも司祭の平均年令が60歳に達しています。
前述しましたように、 時代の変化のテンポは激しくなっていくばかりです。 教会法上では、 主任司祭の定年が75歳となっています。 しかしながら、 現実的に70歳を越えた司祭が小教区の主任司祭を務めていくということは、 かなりの無理があります。
もちろん、 司祭の高齢化から考えると、 できるだけ長く、 主任司祭として留まって頂くほうが教区としても楽な道といえるでしょう。 しかし、 信徒の要求にこたえ、 時代の要請を見定めていくためにも、 より若い司祭に主任という責任を渡し、 協力司祭として補っていく役割を担っていく道をとるべきです。
そのような観点から、 試案は、 70歳を越えたら、 原則的に主任司祭をおりて、 協力司祭としての役割を引き受けることを提案しています。 そのほうが、 長年の経験と手腕を生かせると考えてのことでしょう。

6、 結論として
今回の提案を示され意見を求められた司祭達の反応はまちまちでした。
しかし、 大きな流れとしては、 この提案は時代の流れと教会への期待をくんでいくために、 受容していかなければならないだろうという方向にあると言ってもいいだろうと思います。
総論賛成、 各論反対という事はよくあるパターンで、 この試案をどう現実化していくかに全てがかかっています。
今年は大聖年準備の第2年、 聖霊の年です。
教会の活性化にかかわる人事問題に聖霊のお働きを願ってやみません。 (西川哲彌神父)

「大聖年」 に関する祈りと詩の募集

1、 大テーマ
『キリストが誕生して2000年を迎えて』

2、 「祈り」 または 「詩」
形式は自由です。 内容は、 キリスト誕生2000年を迎えて、 イエスご自身やイエスの教え、 自分の信仰や今の社会、 人間について思うことを聖書の言葉や神学用語を使わないで、 自分の言葉で表現したもの。

3、 応募先
〒112-0014 文京区関口3丁目16番15号
東京大司教館事務局
「大聖年祈りと詩」 募集係

4、 各作品はオリジナル未発表のものに限り、 いずれも応募作品は返却しません。

5、 締切日は、 1999年3月末日とします。

なお、 採用作品の著作権は主催者に属することをあらかじめご承知願います。
応募者には、 記念品等の贈呈を予定しています。

東京大司教区大聖年特別準備委員会

編集部から

●5月17日は世界広報の日。 「マスコミは社会をうつす鏡」 とも言われます。 さまざまな顔がゆがむことなく鏡にうつり、 それがストレートに多くの人々に伝わり広がっていく。 東京教区ニュースも、 そのような東京の教会の鏡でありたいですね。
●一面で特集したように、 広報の日のイベントとして、
OCIC・JAPANと共催で 「映画と講演の夕べ」 を企画しました。 教会にお配りしてあるちらしを当日持参すると、 200円引き (前売り券と同額) で入場できます。 どうぞお誘い合わせの上、 中野ZEROへGO!
●インターナショナルデーは空前の大盛況でした。 夕方になり、 「関口会館のタンクの水がなくなりました。 トイレはカトリックセンターをご利用下さい」 とのアナウンス。 いかに多くの人が集ったかがわかります。国際化が一日だけに終りませんようにと祈らずにはいられません。