お知らせ

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東京教区ニュース第152号

1998年05月01日

地域の宣教司牧の発展・充実のために 修道会・宣教会と小教区の 相互理解と協力を求めて…… -宣教司牧評議会が検討-

昨年発足した宣教司牧評議会が、教区長からの新たな諮問に答えようと、答申作成のために検討を重ねている。教区長から与えられた大きな課題は2つ。1つは「司祭の高齢化と召命の減少にともなうこれからの小教区宣教司牧に対する修道会・宣教会司祭の協力について」。もう1つは「地域の修道会・宣教会と小教区の相互理解と協力について」である。

司祭の高齢化と召命の減少に伴うこれからの小教区宣教司牧に対する修道会・宣教会司祭の協力について

第1の課題の背後には、司祭の高齢化と召命の減少という現実的な事情がある。召命の減少は、周知の事実である。昨年、今年と2年連続して教区司祭の叙階はない。これは教区の長い歴史の中で初めてのことである。若手の司祭が少ないため、助任司祭が任命されている小教区は少数に限られ、大半は1人の司祭が、疲れた体をひきずりながら、孤軍奮闘しているのが実状である。その上、司祭の高齢化が著しく、教区司祭の平均年齢は59歳であるが、宣教会司祭のそれは70歳に近い。司祭の定年年齢75歳を越えている者にも、無理を願って小教区の担当を依頼せざるをえない状況もある。
高齢化した司祭に多様な司祭の職務を負ってもらうには限界がある。またここ数年、司祭の病気や入院も多くなってきている。

さらに今年度から司祭のサバティカル(研修休暇)制度が本格的に導入されるとなると、年によっては十数人の司祭が休暇(3ケ月〜6ケ月)をとるケースもでてくる。今回の諮問課題は、ここ数年のうちに、主日等に司祭が不在となる小教区が増えてくることを予想して、宣教会・修道会司祭の協力を得ることはできないかというものである。教区の中には学校や福祉施設に奉仕する宣教会・修道会がある。その中で働いてきた司祭たちは、定年退職を迎えると、就業規則に基づいて、その施設・事業からは退かなければならないが、司祭として十分働ける健康と力を保持しており、そうした司祭たちの力を小教区で活かせることができれば、小教区にとってはありがたいことである。また、そうした司祭たちにとっては、定年後の第2の人生になる。こうした協力を実現していくために、いくつかのクリアにしなければならない課題があり、修道会・宣教会からのメンバーが加わった宣教司牧評議会は、議論をつくしながら、慎重に答申作成のための努力を続けている。

地域の修道会・宣教会と小教区の相互理解と協力について

第2の課題は、第1の課題とも関連するが、地域の総合的な宣教司牧のための協力という視点をもっている。修道会・宣教会はそれぞれ独自な使命をもって、固有の事業・使徒職を展開してきているが、人事・財政は教区長の権限外のことであり、その活動等は修道会内で企画・検討され、地域の宣教司牧の責任を担う小教区に諮るということはこれまでは皆無であった。

しかし、1984年の「日本の教会の優先課題と基本方針」の中で、司教たちは「修道会・宣教会とその諸事業体と教区・小教区との協力態勢」を呼びかけている。その後、司教たちと修道会・宣教会の責任者レベルでは、そのための話し合いが行われてきたが、教区レベルでは、どの教区でも手がつけられないままになってきた。地域における宣教司牧の充実と発展のために、小教区と修道会は具体的に協力し合わなければならない時代になってきた。

そのためにどうしたらよいのか、この重いテーマに取り組んできた宣教司牧評議会は、多方面からこの問題を話し合いながら、まとめの段階を迎えている。
(文責 森一弘司教)

動き始めた地域協力体 その(2) 城西地域協力体

教会は、その初めから現在に至るまで、この世における神の国の目に見えるしるしとして、聖書の力に導かれて絶えず刷新され、強められて発展してきました。第二バチカン公会議以来、日本の教会も、「社会のただ中にあって福音宣教する教会共同体」という理解を深めてきました。

今日、私たちが暮らす地域は、急激な変化と価値観の多様化に見舞われております。人々のニーズ、救いの求めかたは多様であり変化に富んでいます。また、子どもの減少と高齢化の問題は、地域社会だけでなく小教区共同体の中でも重要な課題を提示しています。このような現状の中で、小教区共同体が新たな福音宣教に取り組もうとするとき、既存の小教区の枠を乗り越えて、司祭同士、信徒同士が互いに協力し合うことが必要となってきました。

このような状況を踏まえて、東京教区は「ブロック制度」を見直し、「地域協力体」を作り、近隣の小教区が多様化した社会の中で協力し補い合って福音宣教活動を推進するための体制を整えました。「城西地域協力体」に属する小教区で働く司祭団は、まず各小教区の信徒が互いに関心を持ち、お互いの活動や情報を分かち合うことを通して、1つの共同体としての協力体づくりを始めることを確認しました。

具体的な提案としては、
(1)黙想会や祈りの会などを合同開催する。
(2)各小教区で行われている要理や聖書の講座で可能なものを公開する。
(3)地域内の若い司祭を中心にした「青少年司牧チーム」を作り青少年司牧を検討する。
(4)地域内の助任司祭、協力司祭は積極的に他の小教区に出向き、主日のミサの協力をする。
折りしも世田谷教会は、今年5月10日に聖堂創立50周年の式典を祝います。歴史的に見ますと、城西地域協力体に属する赤堤、三軒茶屋、渋谷、初台、松原の各教会は世田谷教会を母体として分離独立した経緯があります。この機に、城西地域協力体の第一歩となる集いを準備しました。前述の趣旨をご理解の上、多くの方が参加してくださいますようお願い致します。
(城西地域協力体 司祭団 文責マタタ神父)

逃げることをやめることで真の自由を手に入れた 名古屋で叙階 早川努新司祭

まず、去る3月21日、名古屋教区カテドラル布池教会聖堂において、アウグスチノ野村純一司教によって、無事司祭に叙階されたことを、東京教区の皆様にご報告申し上げます。これまで、物心両面で支えて下さった方々には、心より感謝いたします。

6年前、立川教会から東京教区神学生として東京カトリック神学院に入学する前の私は、世の若者たちと同様、やみくもに自由を望んでいました。それまで自分を育ててくれた環境・家族・親戚・名古屋という土地、あるいは日本という国が、わずらわしい、自分を縛る鎖のように感じていました。
しかし、司祭という道を選ぶことになって以来、そうしたとらえ方は、180度転換したのでした。人間という存在は、どうしようもなくさまざまな制約を背負ってこの世に生まれてくる。むしろ、そうした制約を自分に与えられた場、自分に与えられた使命として受け入れていくところから、新たな可能性が開けてくる。制約から逃げようとしては、ただ逃げ続けるだけの人生しかない。神の子でさえ、1人のユダヤ人として、多くの制約を背負ってこの世にお生まれになったではないか。

今、私も、以前には脱出したいと思っていた日本という国の名古屋という地に足を付けて、キリストの福音を人々に伝えていこうと思います。
3年半前、私が名古屋教区に移籍するにあたっては、多くの方々のお世話になりました。「なぜ?」と思われた方もおられるでしょう。しかし、逃げるのをやめることでかえって私は、真の脱出をし、真の自由を手に入れたように思います。行けと命じられれば、地の果てにさえ出かけて行く覚悟です。

どうぞ教区は違っても、同じ日本の教会、同じ1つの神の民として、いつも心を合わせて神と人とに仕えていくことができますように。これからもよろしくお願いいたします。
(早川努神父)

ボートピープルとして来日したベトナム人兄弟 一緒に麹町教会で司祭叙階

列席の司祭団から按手を受ける兄弟司祭
3月21日、白柳枢機卿の司式によって司祭に叙階されたイエズス会の高山親(兄カオ・ソン・タン)司祭[写真・中]とコンベンツァル聖フランシスコ修道会の竹内麟太郎(弟カオ・ジュイ・リン)司祭[写真・左]

CTIC東京国際センター通信

只今、研修中

昨年の12月から、CTICにボランティアとして、1週間に1度出向いている。私が行く火曜日、昼頃、だいたい近くの大衆割烹『大安』へ行く。事務所から歩いて2〜3分の所である。その日は、5人で行った。大原神父と九里(くのり)神父、及び今度からCTICで勤務される大迫さんはミンチカツ定食、私は鯖焼き定食、有川さんは難しい名前の魚の定食を注文した。

食事の途中、神学校時代の食卓のことが話題に上った。大原神父が勉強した当時の神学校では、教授と神学生の食事の内容が少し違っていたのだそうだ。大原神父は、その状況に義憤を感じたと言う。私は思わず、「早く神父になりたいと思いませんでしたか」と尋ねた。しかし彼は、「そういうことは露ほども思わなかった」そうだ。私は、同じようなことを時々冗談で言う神父を知っている。彼は神学校時代、神父たちの食卓の給仕をしなければならなかった。彼は神父たちを、羨望の眼差しで眺めていた。早く神父になりたいと思いながら、しかし神父になったら、第二バチカン公会議が行われ、今までのシステムもなくなってしまった。彼は笑いながら話すが、少し本音が混じっているように思う。

私もどちらかと言えば、この神父と同じ傾向を持っている。理想とは異なる状況に遭遇しても、その状況を甘受してしまうのである。これが現実なのだ、と自分に言い聞かせながら、その状況に義憤を起こすところまでいかないのである。つまり、現実感が乏しいのである。それに対して大原神父は、豊かな現実感を持っているように思う。その裏返しが義憤なのである。現実は、こうあるべきではないはずだ、という義憤である。

このような思いは、他のCTICのメンバーにも共通している。例えば、渡辺さん。彼と一緒に、火事で焼け出された6人の母子の世話をした。その日、6人は、頂き物の靴を履いていた。頂き物の靴であるから、なかなか足にしっくりこない。それで靴を買いに行こうということになった。子供の1人は、大きなショッピングセンターに行くことを望んだが、私は葛西駅の近くにある靴のディスカウントショップに行くことを勧めた。私の頭の中に真っ先に浮かんだのは、子供にあまり贅沢をさせてはならないから安い靴屋の方がよい、という考えだった。渡辺さんは、その時は私の顔を立て、その靴屋に行ってくれた。しかし、他のさまざまな場面では、彼は子供達の望みをよく尋ねた。どのようにしたいのか、彼は、子供達に、そしてお母さんにできる限り選択させている。つまり、選択の自由を与えているのである。このように礼遇されている子供達は、豊かな現実感覚を持つようになるに違いない。

CTICを訪れる人々は、貧しい環境、非人間的な環境を味わってきた人達である。シスターテレシッタが、「ここに来る人達は、どこへ行っても受け入れてもらえなかった見捨てられた人達です」と言った。まさに、そのとおりである。彼等の現実感覚は乏しい。生まれながらに貧しいから、貧しい環境が当たり前になっている。貧しさゆえに現実を変革していく力さえないのである。CTICは、そのような人々に現実の豊かさを実感してもらい、自分の力で現実を切り開いていく機会を与えている。

パウロ会のあるシスターが、CTICのやり方は、「神様の目から見た愛に基づくものなのでしょうね」と、言われたことがある。その通りなのだろう。そして、これからもそうあって欲しいと思う。CTICに通いながら、神様の目から見た愛を、少しずつ学んでいる、今日この頃である。
(遠山満神父)

「家族のための祈り文」から

全てを委ねて

イエズス様 私は母を愛することができません
この世に命あるものとして送り出してくれた かけがえのない恩人でもある人を愛せないことは本当にみじめで辛いことです いくら記憶を辿っていっても やさしく抱擁された思い出が1つもない人間に心から人を愛することができるのでしょうか
しかし今 イエズス様に全てを委ね祈ります
我が子を少ししか愛することのできなかった母をも憐れんで下さい 母もまた 愛されずに育った傷をおっているのにちがいないのです
悲しい繰り返しを全て委ねます
私にとって愛することも 愛せないことも 同じ痛みであるのなら 愛する痛みをこそ生きることができますように 私をお導き下さい
(39歳 主婦)

ミンガラバNo.9 ヤンゴンの教会・神学校・教区事務所を訪ねて

ミャンマーのカトリック教会は、日本の教会と同じようにいろいろな活動をしています。昨年ミャンマーへ行った折りに、ヤンゴンの教会、神学校、教区事務所を訪ねました。

ミャンマーの教区ニュース

『種まく人』のタイトルで、「東京教区ニュース」と同じように毎月1回発行しています。教区の活動、記録、信仰の記事など、ビルマ語と英語の2種類を発行して、全国の教会へ配布しています。ミャンマーの新聞、雑誌など出版物は、すべて軍事政府の情報機関の検閲を受けなければなりません。このことにはだいたい8ケ月位かかりますので、7月号の新聞はこの4月に情報機関に提出します。必ず訂正記事ができますので、よい時は1〜2ケ所ですみますが、全体の4分の1くらいなおされたこともあります。この検閲が終わって、はじめて出版になります。ミャンマー政府は実にきびしい情報管理をしています。各コピー機は、すべて警察に登録しなければなりません。もちろんインターネットは禁止されています。このような環境の下で新聞を発行することは、絶えざるたたかいです。

教区の中神学校

ヤンゴンより北に80キロメートルの中神学校を訪ねました。道路からドロンコの小道を1キロメートル入った森の中に、竹で作った建物がありました。これが中神学校でした。校長のネーリ神父が私を案内してくれました。高校を卒業し大神学校に入学前の30人の神学生が勉強しています。英語と哲学と聖書学を研修し、教室と寝室は竹であんだ壁としゅろでふいた屋根の粗末な部屋でした。水道もなく、井戸水を使用しています。神学校のとなりにシスターが世話している孤児院があって、70人の小中学生が住んで近くの小・中学校へ通学しています。半数は本当の孤児で、残りの半数は学校がない山奥から来ています。孤児院の建物はコンクリートと煉瓦造りで、神学校より恵まれています。ネーリ神父は神学生の勉強を心配するだけではなく、神学校と孤児院の維持に苦労しています。神学校の裏にナッツの木と蘭の花を栽培しています。もちろん働き人は神学生です。毎年1月は米の取り入れの季節ですので、3000キログラムのお米を買って大きな竹かごに1年分のお米をしまっています。このように校長さんのお仕事は大変です。

ミャンマーのカトリック教会ではいろいろな障害や試練がありますが、彼等は日本からの祈りと援助に心から感謝しておられます。
(レオ・シューマカ神父)

教会・修道院巡り(58)『スカボロ外国宣教会』

東京教区のみならず、日本の教会の歴史を振り返った時、宣教会の果たした役割は大きなものがある。特に第二次世界大戦後、多くの宣教会、修道会が来日、あるいは宣教に復帰した。その協力のもとにこの時期、教会は大きな発展を遂げた。今回取り上げる「スカボロ外国宣教会」も、その中の宣教会の1つである。

スカボロ外国宣教会は、1918年にカナダのオンタリオ州トロント市郊外の町、スカボロで創立された。今から80年前のことである。創立者はジョン・メリー・フレーザー師で、当初は中国への宣教が会の目的であった。神学生の養成などの準備を経て、1930年代に宣教師が派遣された。しかし第二次世界大戦後、中国に共産党政権が樹立したことによって、外国人宣教師の国外追放という出来事が起こる。このような経緯もありスカボロ外国宣教会は、新たな宣教地として日本に会員を送ってきた。1948年6月8日、今から50年前のことである。最初に来た3名の会員たちが本部のために購入した土地は、港区高輪の一邸宅であった。ここに続々とカナダから会員たちが来日し、六本木の日本語学校に通い、日本語の研修を終えた会員たちは、九州、名古屋などに派遣されて行った。そのうちに、この本部の日本間を改造した小さな聖堂でミサが定期的に行われるようになり、近所に住む信徒たちがミサに集まり始めた。これが現在の高輪教会の出発点でもある。この教会建設のためにカナダの信徒たちの献金がスカボロ外国宣教会を通して送られてきて、本部に程近い場所に高輪教会が献堂された。1959年11月22日のことである。

現在、会員の総数は約70名。日本の他に、ブラジル、サントドミンゴ、バハマなどに宣教師を派遣している。また創立当初の目的でもあった中国に1人の司祭と5人の信徒宣教者が派遣されている。現在、彼らは宣教に直接携わってはいないが、晴れて宣教できる日を待ち続けている。日本で働く会員は、最盛期には25名近くいたが、現在は7名。東京の高輪教会と蒲田教会を2人の会員が担当し、大阪、名古屋、横浜の各教区でも活躍している。
カナダの本部には神学生はいない。日本に新たな会員が派遣されて来ることもないだろう。会の創立80年、来日50年という記念すべき年も声高く宣伝しない。宣教師魂ここにあり、といった感じである。もし宣教師たちにお返しするものがあるなら、その精神を受け継ぐことであろう。
(浦野雄二神父)

現代人の目で これまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう

第3回 98年6月6日10時〜7日16時30分
「教会とは」
講師 梅村昌弘師  フローレンス師  百瀬文晃師
場所 クロス・ウェーブ(船橋)
参加費 15,000円
第4回 98年9月26日10時〜27日16時30分
「コムニオンとしての教会 共同体の神学的考察」
―信徒、司祭、修道者が責任を持ってそれぞれの役割を果たすには―
講師 シェガレ師・幸田和生師
場所 クロス・ウェーブ(船橋)
参加費 15,000円
主催 東京教区生涯養成委員会

女性と教会委員会主催一泊交流会「語り合おう・分かち合おう 男の癒し・女の癒し」

東京教区「女性と教会」委員会(顧問・森一弘司教)は「語り合おう・分かち合おう、男の癒し・女の癒し」をテーマに3月14日・15日、都内で一泊交流会を行った。これは、昨年10月に教育・心理療法の現場で活躍中の講師2人を招いて1日講演会を開催して「癒し」を考えたが、その内容をさらに深め、自分の傷、他人の傷に気づきながら、信仰の光をあてて癒される可能性を模索する機会をもちたいと思い、開いたものである。

交流会1日目は、横浜でさまざまな依存症に苦しむ人々のための「ホームカミング」を運営し、セラピストとして活躍中のセシリア松尾氏を講師に招き、ワークを含めたお話をうかがった。「生きる-道の中で息をする、息をしているだろうか-」という問いかけに始まり、自らのなかにある痛みを自分の体に聴くことの重要さが指摘され、癒しへの道を考えた。夜は、交流会恒例のワイン片手に自由な話し合いのときをもった。

2日目は、信仰の光のなかで、深い痛みから癒しへ向かう歩みを見つめていきたいと、まず、作家・島尾敏雄氏の代表作『死の棘』を題材に、「妻・みほ」「夫・敏雄」2人のロール・プレイング(体験的学習法の1つ)を行った。夫の裏切りから神経を病んだ妻との夫婦の絆を回復していくこの作品は、重いテーマをつきつけている。私たちの傷つき、傷つけ合う日常のなかで、和解への道を歩むことはなまやさしいものではないが、作品は血をみるような歩みの厳しさを示しながらも、それをとおしての和解のすばらしさを暗示している。

ロール・プレイのあとはスタッフによる自分の内面に引き下ろした話し合いがあり、その後、参加者の抱えている苦悩、痛みなどの分かち合いへと続いた。

午後は、森司教が2日間の流れをしめくくり、参加者の声を丁寧に聴きながら、現実の嵐がどれほど厳しくても、自分を支えてくれる大きな豊かな大地-神の大地、腕があることに信頼し、悩みを相対化していく歩み、ゆるしを願うかかわり、そして重さ、傷は残ったままであったとしても、いのちが流れる癒しへの道へ向かう歩みについて語った。

集まりの最後にミサをともにして、参加者1人ひとり、語り受け取った痛みを共有し、力をいただいて、感謝のうちに自分たちの日常の場へと派遣されていった。
(Sr.緒方真理子)

東京大司教区 大聖年記念行事へ向けての公募案内

教皇ヨハネ・パウロ二世は、来たるべき西暦2000年を、キリスト降誕2000年を記念する特別大聖年とすることを宣言し、同時に次の新しい千年期を迎えるにあたり、過去の教会の姿勢を振り返り、反省、回心、祈りと学びを通して、喜びと希望に満ちた新たな千年期を迎える準備をするよう全世界の信徒に向けて呼びかけました。

日本の司教団もこれを全面的に受け止め、日本の教会がそのためのよりよい準備を積極的に取り組むよう信徒に求めています。これを受けて東京教区では、教区長白柳枢機卿の呼びかけで「東京大司教区大聖年特別準備委員会」が96年9月に設置され、既報の通り、東京教区では大聖年を「キリストの誕生2000年」と位置づけ、教区独自の企画準備を進めています。

すでに「徹夜の祈り」「シンポジューム」など行われていますが、これからも具体化されていくすべての計画・行事等には、教区の皆さま1人ひとりの参加が期待され、求められています。その一環として、大聖年に関する祈りと詩を募集することになりました。下記要領にて公募しますので、教区の皆さまには奮って応募してください。

「大聖年」に関する祈りと詩の募集
1、大テーマ
『キリストが誕生して2000年を迎えて』
2、「祈り」または「詩」
形式は自由です。内容は、キリスト誕生2000年を迎えて、イエスご自身やイエスの教え、自分の信仰や今の社会、人間について思うことを聖書の言葉や神学用語を使わないで、自分の言葉で表現したもの。
3、応募先
〒112-0014 文京区関口3丁目16番15号
東京大司教館事務局
「大聖年祈りと詩」募集係
4、各作品はオリジナル未発表のものに限り、いずれも応募作品は返却しません。
5、締切日は、1999年3月末日とします。
なお、採用作品の著作権は主催者に属することをあらかじめご承知願います。
応募者には、記念品等の贈呈を予定しています。
東京大司教区 大聖年特別準備委員会

第3回 リレー式 祈りと黙想の集い

キリストの誕生2000年に向けて
聖霊の年 地の表を新たに…
聖霊の息吹を願って…

第3回
リレー式 祈りと黙想の集い
5月30日(土)午後6時のミサより
31日(日)午前6時まで
東京カテドラル大聖堂にて
5月30日(土)
午後6時 ミサ 司式 白柳枢機卿
祈りと黙想:テーマ 聖霊の働きと恵み
午後7〜8時………キリストの誕生
午後8〜9時30分…男女修道会を中心に一般の方の参加も可
午後10〜11時………教会の誕生
午後11〜12時………ゆるしの恵み
5月31日(日)
午前0〜1時………信仰の恵み
午前1〜2時………愛の恵み
午前2〜3時………希望の恵み
午前3〜4時………一致の恵み
午前4〜5時………派遣
午前5時  ミサ  司式 森司教
どなたでも、それぞれの都合の良い時間帯に参加できます。
(ただし、夜の宿泊等の設備はございません)
問い合わせ先 東京大司教区 教区事務局

投稿募集

中学生による教師殺傷事件の後、中高生がナイフを持ち、強盗、恐喝等を働く事件が続出しています。編集部ではこのような事件について皆さま方のご意見を、次の要領で募集します。


・内容、形式自由
・字数13字詰め50行以内 (600字程度)
・締め切り 5月末日
・送り先 住所・氏名・年令・ 所属教会を明記し、〒112-0014 文京区関口3-16-15 東京大司教館「東京教区ニュー ス」編集部宛
※なお、掲載の際、匿名を希望される場合は、その旨お書き添えください。

編集部から

四月は、各教区で叙階式が続き、本号も2面に3人の司祭の叙階を掲載しました。高山、竹内両司祭は叙階式後のあいさつで兄弟司祭のお姉さんから言われたという言葉を語られましたが、心に残りました。それは「司祭がイエス様について行くなら、羊もついて行きます。司祭がイエス様から離れると羊も離れます」詳細をお知りになりたい方はカトリック新聞3468〜9号をご覧下さい。

聖木曜日、聖香油のミサで東京教区の加藤、関2人の神学生と今井終身助祭候補が宣教奉仕者に、荒川神学生が教会奉仕者に白柳枢機卿によって選任されました。復活祭の喜びもひとしおでした。

今年の広報の日は5月17日になります。昨年に続きカトリック映画賞授賞作品の上映を致します。会場、日程の都合で6月5日(金)になりますが、カトリック映画視聴覚協議会(OCIC・JAPAN)が選んだすばらしい作品ですので皆様是非ご覧下さい。各教会にチラシをお配りしています。下段に優待券がありますので切りとってお持ち下さいますよう、よろしくお願い致します。

教区ニュースでは、読むのに困難な方のために全部の記事を高円寺教会のルチア会とCICの協力で、録音テープを作製し、お送りしています。読者の方のお知りあいで必要な方がいらっしゃいましたら東京教区広報委員会までご連絡下さい。こちらで手続き次第お送り致します。

1985年から昨年まで春分の日に開催されていた東京教区総会が、4年に1度開催の合同評議会に変更されました。例年総会で報告されていた教区の収支計算書を3・4面に掲載しております。この面のみを単独で利用することも可能ですので、ご活用いただければ幸いです。

お詫びと訂正

151号4面 濱尾司教講演
2段目後から8行目 理解しているか。
3段目前から3行目 〜なると。
傍線部が脱落していました。お詫びして訂正いたします。

1998年「広報の日」特別企画 映画と講演の夕べ

上映映画
第27回日本カトリック映画賞授賞作品
日韓合作劇映画
愛の黙示録―尹 鶴子(ユン ハクチャ)の生涯―
主演 石田えり 吉用祐(キル ヨンウ)
金 洙容(キム スヨン)監督 特別来日
1998年6月5日(金)18:45開演(開場 18:15)
中野区もみじ山文化センター(なかのZERO小ホール)
前売り券発売所
スペースセントポール(関口教会内) 03-3941-4971
聖イグナチオ教会案内所 03-3230-3509/サンパウロ四谷書店 03-3357-6403
主催:カトリック映画視聴覚協議会(OCIC・JAPAN) 共済:カトリック東京教区広報委員会
問い合わせ先:カトリック中央協議会広報部 TEL03-5632-4431 FAX03-5632-4457