東京教区ニュース第149号

1998年01月01日

大聖年準備の第2年目
聖霊を中心とした1年を迎えて

東京教区の信徒、 司祭、 修道者の皆様に、 クリスマスと新年のお祝いを申し上げます。 新しい年が、 皆様方にとって、 神さまの豊かな祝福に包まれた、 希望に満ちた年でありますよう、 お祈りいたします。 

当初、 枢機卿さまが、 皆様方に挨拶とメッセージをお届けする予定でしたが、 突如、 入院、 手術ということになり、 急遽、 その代わりを、 私に命じられ、 このような形で、 皆様方にご挨拶をすることになりました。 

すでにご承知のように、 枢機卿さまの手術は成功し、 今は術後の回復につとめておられます。 引き続き、 皆様方のお祈りをお願いいたします。 

さて、 1998年は、 大聖年のための準備の2年目の年になります。 第22年目の年のテーマは、 皆様方ご存知のように、 聖霊です。 この聖霊について、 皆様方にお話をいたします。 

Q どうしてこのようなテーマに決定されたのでしょうか。 

A 準備の年の1年目のテーマはキリスト、 2年目の年は、 聖霊、 第3年目は父なる神です。 これは、 教皇さまが示されたテーマです。 

この背後には、 私たち人類の救いが、 キリストによって、 キリストとともに、 キリストのうちにおいて、 聖霊の導きによって、 父なる神さまの懐の中で完成するという信仰に基づいています。 そのために、 最初の年に救いの業を成就されたキリストを、 その次の年にその実りを具体化するために働く聖霊を、 テーマにしているのです。 それは、 キリストによって開かれた父なる神さまに向かう私たちの歩みをより確かなものにしたいという、 教皇さまの意向によるものだと思います。 

Q 聖霊というテーマは、 私たちにとっては、 抽象的でなかなかとらえにくいのですが……。 

具体的にとらえるためには、 どうしたらよいのでしょうか。 

A 聖霊の働きとその重要さを理解するために、 救いの歴史の中で、 聖霊が果たした役割を、 具体的に思い起こしてみるとよいと思います。 今回大聖年準備委員会のスタッフたちが 「祈りの集い」 のために作りました共同祈願 (注) は、 実に、 救いの歴史の中で聖霊が果たした役割に注目して、 作られております。 

最初の3つの共同祈願は、 宇宙の誕生、 救い主キリストの誕生、 そして教会の誕生における聖霊の働きに触れております。 

天地の創造、 キリストの誕生、 教会の誕生は、 宇宙の歴史、 救いの歴史の中で、 最も素晴らしい偉大な出来事です。 これまでの地球の歴史の中で、 この3つの出来事に匹敵する出来事はありません。 そのすべての出来事に聖霊が関わっておられるのです。 

今、 環境汚染、 地球の温暖化現象等、 病める地球のことが問題になっております。 これは人類にとって最も大きな問題です。 また、 教会の刷新・活性化は、 第2バチカン公会議後の教会の重要な課題です。 

私たち一人ひとりの努力は勿論必要なことですが、 根本的なところでは、 聖霊の働きを求めなければなりません。 聖霊に向かうことは、 地球的な課題、 全教会的な課題に立ち向かうことでもあるのです。 

Q なるほど、 聖霊の働きを求めることは、 環境汚染の問題を克服していったり、 教会を刷新していくために、 根本的なことであることがわかりましたが、 聖霊の働きは、 それだけですか。 

A その後の共同祈願文を見てください。 ゆるしの恵みも、 私たちの信仰生活も聖霊の働きによるものであることを示しております。 

イエスさまが十字架によってかちえたゆるしの恵みを、 私たちが、 自分の恵みとして体験できるのも、 聖霊の働きによります。 

そのために、 イエスさまは、 復活後、 弟子たちに罪をゆるす権限を与えられました。 このような聖霊の働きは、 物質主義、 快楽主義に引きずられ、 罪にまみれて汚れてしまっている現代世界の浄めのために、 もっとも必要なことといえるのではないでしょうか。 

Q 信仰生活も聖霊の働きによるものであるということを、 説明してください。 

A 聖霊は、 私たちカトリック者としての信仰生活にも、 無視することのできない決定的な働きをします。 

パウロは、 霊によらなければ、 誰も、 キリストを主ということはできないといっております。 まさにその通りです。 私たちは、 聖霊の働きを受けて初めて、 キリストを救い主として認めることができるのです。 キリストの霊を受けて、 はじめてキリストと結ばれます。 実に、 私たちの信仰の出発点は、 聖霊です。 

また、 聖霊は、 その後の信仰生活でも決定的な役割を担います。 私たちの信仰生活において、 もっとも重要な掟は愛の掟ですが、 パウロは、 愛も、 霊の働きによるものであると語っております。 「聖霊によって私たちの心に神の愛が注がれる」 (ローマ5の5) と。 私たちにとって、 愛の掟の実践も、 聖霊の働きによって、 はじめて可能になります。 

また、 愛の実りは、 平和と一致です。 現代世界の人々にとってもっとも重大な課題である平和も、 霊の働きによって固められていくのです。 

宣教活動も、 教会にとって重い重い責任です。 私たちは、 道・真理・命としてのイエスさまを全世界に伝えていく使命を、 イエスさまからいただきましたが、 この責任を果たすためにも、 真理の霊としての聖霊の照らし、 導きそして支えが必要です。 

実に、 聖霊は、 私たちの信仰生活の初めであり終わり、 アルフアでありオメガともいえるのです。 

Q 三位一体としての聖霊について、 説明してください。 

A 私たちの信じる神は、 三位一体の神です。 三位一体の神秘、 これは、 私たち人間の小さな知性をはるかにこえた神秘ですが、 昔の教父たちは、 聖霊を父と子の愛の交わりの霊として説明しました。 実に、 私たちは、 洗礼によってキリストに結ばれ、 聖霊によって愛の霊を受け、 父なる神さまとの愛の交わりに高められていくのです。 こうして 「父よ、 あなたが私の内におられ、 私があなたの内にいるように、 すべての人を1つにしてください。 そして彼らも私たちの内にいるようにしてください」 というキリストの最後の願いが成就するのです。 

Q 具体的には、 どのように聖霊の年を過ごしたらよいのでしょうか。 

A 大聖年といいますと、 私たちは、 ついさまざまなイベントを考えてしまいがちですが、 それは二次的なことでしかありません。 大聖年を迎える準備は、 普段の日常生活の中で、 こつこつと自分のできる範囲の中で、 信仰生活の基本を振り返り、 それを固めていくという基礎的なことで、 充分だと思います。 

教皇さまが、 キリスト、 聖霊、 父なる神という私たちの信仰の柱となるテーマを選ばれた真の理由もそこにあると思います。 

この機会に、 教区の皆様方には、 まず、 聖霊を中心に聖書を読み、 聖霊の神秘とその働きの重要性を確認してみることをおすすめいたします。 

また、 聖霊をテーマに集中的に勉強会を行ってみることもよいことでしょうし、 黙想会を行ってみることもふさわしいことだと思います。 

堅信の秘蹟は聖霊の恵みです。 今年、 堅信を受ける方もすでに受けた方もこの堅信の秘蹟の恵みをあらためて見直して下さい。 

また、 教区の大聖年準備委員会のスタッフが作成した聖霊をテーマにした共同祈願や祈りを、 主日の典礼やその他の機会に積極的に利用することも役立つかもしれません。 

大聖年の準備の年に、 私たちの信仰生活の中心となる聖霊について学び、 私たちの生き方を深めていくことは、 実に時宜に適したことだと思います。 

聖霊の年を真剣に受けとめるすべての人々の上に、 聖霊が豊かに注がれ、 その信仰が新たにされ、 教区全体が活性化すると同時にその実りが救いを待ち望む世界全体にひろがっていくことを祈ります。

1997年12月25日   東京大司教区 補佐司教 森 一弘

(注、 聖霊の年を迎えるにあたって、 枢機卿さまは、 小教区共同体に、 適当と思われる日時に、 聖霊をテーマにした祈りの集いを、 すすめております。 
その集いのために、 大聖年準備委員会のスタッフたちは、 共同祈願を作成し、 各小教区に送付しております。下段参照) 

聖霊の働きを願う共同祈願文

宇宙の誕生

天地創造のはじめに、 「神の霊が水の表をおおい動いていた」 (創世記の1) と創世記にあります。 主よ、 あなたは霊によって秩序と調和にみちた天地を創造されました。 今、 再び聖霊を遣わし、 環境汚染、 公害、 温暖化現象等によって汚されたこの地球を、 新たにしてください。 

先:聖霊来てください。 

答:あなたのいぶきをうけて・・・・ (以下同じ) 

キリストの誕生

「聖霊があなたにくだり、 いと高き方の力があなたを包む。 だから、 生まれる子は聖なる者、 神の子とよばれる」 (ルカ1の35) と聖書にあります。 あなたは、 聖霊によって、 この世に御子キリストを送ってくださいました。 今、 再び、 あなたの霊を注ぎ、 私たちの中にキリストを感じさせてください。 

教会の誕生

五旬祭の日、 父なる神が、 マリアさまを中心に集まって祈っている弟子たちの上に聖霊を注ぎ、 教会を誕生させてくださいました。 今、 あなたの霊を遣わし、 教会を照らし、 強め、 導いてください。 

ゆるしの恵み

「聖霊を受けなさい。 だれの罪でもあなたがゆるせば、 その罪がゆるされる」 (ヨハネ20の22、

23) と聖書にあります。 主よ、 あなたは、 弟子たちに聖霊を注ぎ、 罪ある世界に、 ゆるしへの道を開いてくださいました。 今、 聖霊を遣わし、 罪人の心を照らし、 罪を悔い改める者にゆるしの恵みをお与えください。 

信仰の恵み

「聖霊によらなければ、 だれもイエスを主であるとはいえない」 (1コリント12の3) と聖書にあります。 主よ、 今、 聖霊を注いで、 私ちたの心を照らし、 主を知る恵みを与え、 あなたを信じる民を増やしてください。 

愛の恵み

「私たちに与えられる聖霊によって、 神の愛が、 私たちの心に注がれる」 (ローマ5の5) と聖書にあります。 欲望にひきずられ、 自分中心に歩んでしまう私たちにあなたの霊を送って、 欲望をしずめ、 愛の炎を燃え立たせて下さい。 

希望の恵み

「被造物だけでなく、 霊の初穂を頂いている私たちも、 神の子とされること、 つまり体のあがなわれることを、 心の中で呻きながら待ち望んでいます。 私たちはこのような希望によって救われているのです。」 (ローマ8の23、

24) と聖書にあります。 霊は私たちの救いの保証です。 あなたの霊を送って、 私たちの中に始まった救いの恵みを、 さらに固め、 育て、 導き、 完成してください。 

一致の恵み

「愛をもって互いに忍耐し、 平和の絆で結ばれて、 霊による一致を保つように努めなさい。」 (エフエソ4の2、3) とあります。 今なお世界は分裂に悩み、 苦しんでいます。 あなたの霊を注ぎ、 対立と分裂に苦しむ家族、 民族、 国家、 世界に平和の喜びをお与え下さい。 

派 遣

「あなたがたはエルサレムばかりでなく、 ユダヤとサマリヤの全土で、 また、 地の果てにいたるまで、 わたしの証人となる」 (使徒1の8) と聖書にあります。 真理の霊を送って真理の内に私たちを固め、 私たちをあなたの神秘を告げ知らせる使徒としてください。 

結 び

聖霊来てください。 

私たちに、 大聖年の深い意味を悟らせて下さい。 

失われることのない希望、 報いを求めない愛。 

揺るぎない信仰をもって、 大聖年を祝うことができるよう私たちの心を整えて下さい。 

教会を通して、 神の深い愛を明らかにされる聖霊によって、 すべての人々がナザレのイエスこそ、 栄光の主、 世の救い主、 歴史の完成者であると認めることができますように。 主・キリストによって アーメン

賛美と誉れと栄光が、 愛の霊であるあなたと全能の御父と御ひとり子に、 今もいつも世々に。 アーメン

マタタ神父のインタビュー
矢代静一氏夫妻を訪ねて
キリストを伝える、 宣教の方法としての文学活動 

矢代静一氏

1927年東京生まれ。 高校時代から俳優座、 文学座に属し、 劇作家・演出家として活躍する一方で、 近著である長編小説 『生きた、

愛した  フランシスコ・ザビエルの冒険』 では、 人間ザビエルの波乱万丈の生涯を描いている。 

神との出会い      そして、 宣教の方法としての文学活動

*簡単に、 自己紹介をお願いします。 

私の家内は、 幼児洗礼です。 カトリック教会で結婚しましたが、 その時、 私はカトリック信者じゃなかったのです。 ところが、 昭和46

(1968)年に、 『夜明けに消えた』

という戯曲を書いて(それは、 原始キリスト教時代のイスラエルを舞台にしたドラマで、 主人公がノッポというあだ名の無神論者で、 その奥さんは、 非常に敬虔なクリスチャンだが、 大金持ちであったので、 楽ができるという理由で結婚した。)

当時、 キリスト教は弾圧されていたから、 最初のプランでは、 結局、 神はいない、 ということを最後にノッポに言わせて、 ドラマをやめようと思っていた。 

ところが、 3分の2まで書いていくうちに、 だんだんとノッポが神という存在を肯定するような気持ちになった。 そして最後は、 夫婦で死海のほとりに飛び込んで殉教するという話になった。 

つまり、 初めのプランと全く逆になったのです。 それが、 どうも僕の感じでは、 僕が書いたのではなくて、 神さまが僕に書かせたのではないか、 と思われた。 

そして、 それを書き終えた後で、 僕は洗礼を受けたのです。 その本で、 神さまは僕を待ち伏せしたのではないか、 と。 

*自分の人生の中で、 神さま、 あるいは日本のカトリック教会をドラマとして表現しようとしているのですか。 

 カトリック信者になってから、 僕の一生の仕事は、 神さまと向かい合って、 ドラマとか小説を書こうと思って、 現にそうしている。 

日本におけるキリスト教の歴史的反省

*最近、 出版された本 『ザビエル』 について、 これこそ、 矢代さんの人格を表わしている、 と言われていますが。 

 僕は、 弱くて駄目な人間なので、 なんかりっぱな人と向かい合えば、 少しはりっぱな人間になれるんじゃないかなという気持ちで、 一生懸命調べて書いたのです。 

ザビエルを書いて感じたことは、 日本とヨーロッパとは、 考え方も、 宗教観も、 人生観も、 食べ物も、 言葉も、 全然違うということ。 

結局、 率直に言って、 ザビエルは、 16世紀の日本に、 初めてキリスト教とヨーロッパ文明を持ってきたが、 結果として、 たいした成果は上がらなかったのです。 

それと、 現代を結びつけるとすれば、 日本のインテリや知識人は、 キリスト教を頭の中では知っていますが、 具体的に受洗しようという人は、 非常に少ない。 その状態が今も続いていると思います。 

その原因をいろいろ考えてみると、 そのひとつとして、 おもしろいことを感じた。 僕は、 『やや』 という、 良寛さんを主人公としたドラマを書いたのですが、 リトアニア語に翻訳されて、 上演された。 

なぜなら、 ヨーロッパの人が読むと、 良寛さんは、 アッシジのフランチェスコとそっくりだ、 ということなんです。 それでは、 なぜ信者が増えないのか。 日本人はイエス・キリストとか、 マリアさまとか、 観念では知っている。 けれども、 第2バチカン公会議以前のような、 ただキリストを信じれば幸せになれるということだけでは、 日本人にはさっぱりわからないのです。 それが、 良寛さん、 というとわかるわけなんですが。 

*おっしゃる通り。 キリスト教的鎖国性というか、 内向きの感覚が今まであったのです。 しかし、 またそれは、 日本の社会全体のひとつの現象とも言えるのではないか。 日本のインテリから感じられることだが、 なかなか心に染み通るまではいかない、 という曖昧の空間の中にいる知識人が結構いるのではないか、 ということでは。 

 日本のインテリも、 一般の庶民と同じで、 八百万 (やおよろず) の神だから、 何でも受け入れちゃうんですよね。 そういう国民性。 だから、 頭じゃなくてハートとか皮膚感覚で神さまを受け入れるということがなかなか少ないのです。 それも、 日本の体質だと思う。 

信者の増えない原因を、 僕たち文学者が考えて、 やはり遠藤 (周作) が言ったように、 ヨーロッパから輸入された神というのは、 裁く神なんです。 旧約聖書のような。 

それでは日本人はいやだ、 と遠藤が考えたのは、 赦す神、 愛の神。 すると、 日本人はわかるんです。 

だから、 日本には、 日本のキリスト教があっていいんじゃないか、 という考え方。 そうじゃなかったら、 増えないんじゃないか、 と。

そういう考え方で、 遠藤は信者だけれども、 布教を始めて、 僕らもそうしているわけなのです。 

*それはまた、 キリスト教の普遍性と日本のナショナリズムとがぶつかり合うことでも時々あると思うのですが。 

そうでしょうね。 しかし、 やはり日本には日本のカトリックが必要であると、 遠藤は3年間フランスで格闘して、 そう感じた。 そして、 キリスト教というのは、 日本人の日常生活の中にも溶け込める、 というようなことを、 回り道の作戦で書いたから、 遠藤を通して信者になった人は多いですよ。 ところが、 神父さんたちが一生懸命宣教しても、 何か、 ならない。 

*というのは、 神父とインテリの間にちょっとズレがあるからではないか。 どうしたらこれを埋めて、 一致させることができますか。 

それは、 一生かかって考えるべき僕のテーマです。 遠藤が、 僕らに言っているのは、 日本にキリスト教を広める踏み石になれ、 と。 そういうふうに、1つ1つやっていこうという考えです。 

大聖年に向けての反省

*ザビエルが来てから400年を過ぎて、 この日本のカトリック教会の歴史は、 どのように新しく読めばいいのか。

大聖年に向けて、 あらゆる活動の再生、 それと同時に、 反省に基づいて司祭万能主義ではなくて、 これからの司祭と信徒との関わりにおいて、 どこから1歩踏み出せばいいのかについて、 何か提案がありますか。 

やっぱり、 人と人とのつながりというのは、 正しいことばっかりやってると、 正しくない人もいるわけで、 もうああいうりっぱな人とはつき合うのはよそう、 と普通の人は思うわけです。 日本には、 「清濁併せ飲む」 ということばがある。 そういう神父さまたちだったら、 日本人も心をひらくと思う。 仏教の場合、 「生臭坊主」 とは、 軽蔑はしているが人間的だな、 というものを日本人は感じる。 遠藤の 『おバカさん』 のモデルのように、 なんかもう少し日本人の中に飛び込むことが大事なんだと思います。 

夫人  今、 韓国の信者がものすごく増えているというのは、 インテリではなくて、 お祈りしか知らない人たち。 ある意味で、 危機感をもって、 祈らないでは生」活できない、 というところまで追い詰められている。 海に囲まれて、 平和ムードの日本には、 それがないのです。 また、 日本の場合は、 非常に入るのが難しいカトリックの学校に入って、 ある意味で、 信者になることは、 ある種の特権意識をもっている。 その感覚がそうではない学校の人には、

受け入れられない、入り込めない、 というマイナスになることが多い。 これからの発展のためには、 もう少し、 学校教育を変えてゆかねばならないのではないか。 それとは別に、 日本でこれからトップに立って働ける人たちが、 もっと信者であることを表に出して働けないか、 と。 そうすれば、 日本の社会も随分変わってくると思う。 

*今までの話は、 ずーっと数から考えたが、 ある意味で質の問題でもある。 数にこだわれば、 信仰のあり方がわからなくなるのではないか。 矢代さんもおっしゃるように、 信仰によって、 その喜びをもって生きることが、 目的ではないですか。 

僕はやはり、 これからの若い神父さまたちに非常に期待しているんです。 もっと柔軟性があると思うから。 

この人 (夫人) だって、 幼児洗礼の非常にストイックなカトリック信者だったのです。 だけど、 僕みたいなのや遠藤などを見て、 随分柔らかい信者になったんです。 そういうことも必要ですね。 もっと楽しいものだ、

ということを・・・。

現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう

第2回 98年3月28日10時~29日16時30分

「イエス・キリストとは」 

講師 ニコラス師 粕谷甲一師

場所 かんぽヘルスプラザ東京

参加費 15000円

第3回 98年6月6日10時~7日16時30分

「教会とは」 

講師 梅村昌弘師 フローレンス師 百瀬文晃師

場所 クロス・ウェーブ(船橋)

参加費 15000円

第4回 98年9月26日10時~27日16時30分

「コムニオンとしての教会共同体の神学的考察」  信徒、 司祭、 修道者が責任を持ってそれぞれの役割を果たすには

講師 シェガレ師・幸田和生師

場所 クロス・ウェーブ(船橋)

参加費 15000円

主催 東京教区生涯養成委員会

生涯養成委養成コース研修会
現代人の目でこれまで語り伝えられてきた カトリックの教えを問い直してみよう

東京教区生涯養成委員会生涯養成コースでは、 今回 『現代人の目でこれまで語り伝えられてきたカトリックの教えを問い直してみよう』 というテーマで、

11月14日の晩から16日まで2泊3日の研修会を小金井聖霊会の黙想の家で開きました。 

森司教は初めの挨拶の中でこの研修会の主旨説明をされ、 信仰を伝えるために、 生活に根差した教えを掘り下げ、 自分自身の信仰を見直す必要があることから継続性をもった学びを取り上げたことを話されました。 

今回から来秋にかけて4回シリーズで、1「聖書」、2「イエス・キリスト」、3「教会」 のテーマで研修を継続する予定になっています。 今回の研修会は 「聖書について」 でした。 

次いでシスター中島 (マリアの宣教者フランシスコ会) が要理教育の現場から、 川原謙三師が第2バチカン公会議前の要理教育、 特に聖書の読み方から問題提起を致しました。 

15日の午前は、 シスター今道 (女子パウロ会) からトーラー (五書) についてのお話しがありました。 

「1」序 1、聖書の神は人々の苦悩を見て近づき、 痛みを共にして救い、 手だてを与え、 いのちへと導く神である。 

2、イスラエルはこの神の訪れを意識する恵みを受け、 自らの歴史に現れた神の救いの業を万民に証しするように召された民である。 

3、神がイスラエルと深く関わりながら、 万民の救いを目指して繰り広げられたみ業と言葉を語るのが旧約聖書である。 

「2」本論 トーラーに語られている土地の約束と成就、 あるいは出エジプト 荒れ野 シナイの出来事 約束の地到着の一貫した物語は出来事の事実を語らず、 その真実を語る。 根底に歴史的出来事があっても、 それはイスラエルの民が千年近い歳月をかけて絶えず想起し、 祭儀によって今日化し、 波乱に富む歴史の中で再体験したものを信仰告白のようにまとめた物語である。 従って私たちもイスラエルのように聖書に語られている神の業が、 今日、 私と世界の中でどのように働いているかに心を傾け、 その促しに則した行動に移ることが求められている。 

方法 第2イザヤのメッセージから出発し、 トーラーのテキスト自身に含まれる歴史的矛盾、 信仰の深まりの軌跡などを辿りながら、 神に導かれたイスラエルの歩みを辿る。 講話の後はグループで分かち合い、 質疑応答を含めて瞬く間に時間が過ぎた感がしました。 

午後は宇佐美公史先生による 「イエスと聖書、 パウロと聖書」 の講話がありました。 

先生はユダヤ教に造詣深く最近は膨大なタルムードの翻訳にもたずさわり、 それらの知識を駆使して、 ユダヤ人であるイエスが、 どのような時代背景の中で成長したか、 イエスにとって、 聖書は何であったか、 どのように聖書を読まれたか、 イエスの聖書解釈の独自性とその革命性、 イエスの教えとその生き方について話され、 イエスのすさまじいまでの生き様を新たに垣間見せていただきました。 「おそらくイエスも私たちと同じような実存的叫びをもっておられたのではないか、 人間の歴史の不条理に対する神の答えは、 復活であった」 との言葉は深く心に残りました。 「パウロと聖書」 については時間切れで余り深くうかがえなかったので、 次の機会にと思っています。 

翌16日、 岩島忠彦師は現代の要理教育について話しました。 要理教育の歴史を一瞥し、 特に第2バチカン公会議後の教会の要理教育について、 聖書に土台を据えた要理書が模索されていること、 具体的な自分の実存的問いから出発する必要性を話されました。 次に、 自分でしている要理教育の要点を分かち合いました。 

1、人間の宗教的実存

2、新約聖書を中心にイエスキリストを学ぶ

ここでは、 歴史的イエスから、 信仰のイエス・キリストへの移行がなされることが狙いとなること。 当時の歴史、 経済、 地理、 政治状況などを見ることによって、 イエスの実像がかなりわかってくることは、 宇佐美先生の講義と重なり納得いたしました。 

3、教会 (1)教会の本質、 教会史の中での変遷、 (2)信仰、 回心、

(3)キリスト者の生活と秘跡

このような構成で 「キリスト教信仰入門」 がなされており、 その主軸はいつも聖書であることが話されました。 午後の派遣のミサで参加者はそれぞれの場に遣されて行きました。 

次回は、 平成10年3月28日~29日でテーマは 「イエス・キリスト」 講師はA・ニコラス師、

粕谷甲一師の2人です。 今回参加されなかった方も含めて、 参加をお待ちしています。

(文責 S・N) 

東京国際センター通信

 「明日、 出産予定日です。 出産するお金がありません。 助けて下さい。」 と相談が入った。 普段の相談では、

じっくり2~3時間かけて話を聞き、 どうしたら相談者に1番よい解決方法であるかを考えることにしている。 だが、 明日出産予定日だと、 そんな時間的な余裕がない。 簡単に電話で概要を聞いた。 

彼女の話によると、 「今まで、 産科にかかったのは、妊娠3ヶ月の時。 それ以来、 病院には行っていない。 胎児の父親は日本人。 スナックで知り合った。 その人とは結婚していない。 暴力が酷く、4ヶ月前に逃げて、 友人の家に身を寄せている。 日本には、6年前、 婚姻ビザで来たが、 夫のもとから事情があって、 1年足らずで逃げだした。 他の男性との間に、3歳の子供がいて自分で育てている。」 

どうやら、 複雑な事情がありそうだ。 このケースでポイントになるのは、 「出産費用をどうするか」 と 「生まれてくる子供の国籍はどうなるのか」の2つだ。 それぞれにどう対処したらいいか考えてみよう。 

出産の費用に関して

通常の分娩だと、 安い産科で30~35万円かかる。 彼女に所持金を聞くと、4000円しかない。 国民健康保険に加入していれば、 出産費用を借りる制度もあるが、 彼女は加入していなかった。 国民健康保険に加入できるのは、1年以上の在留許可がある外国人に限られている。 彼女は、 超過滞在 (オーバースティ) になっていた。 

さて、 困った。 公の援助は受けられないだろうか。 

児童福祉法第22条は、 「都道府県、 市及び福祉事務所を設置する町村は、 ……経済的理由により、 入院助産を受けることができないと認めるときは、 その妊産婦を助産施設に入所させて助産を受けさせる措置を採らなければならない。 ……」 と入院助産制度を規定している。 

申請窓口は、 各自治体の福祉事務所になる。 しかし、 入院助産制度の外国人への適用について、 自治体間でバラツキがあった。 特に、 超過滞在の外国人には、 最初から申請を拒否するケースがあった。 

95年、 在日外国人に関わっているNGOと厚生省との交渉で、 超過滞在 (オーバースティ) の外国人にも人道的な見地から申請を受付ける方針がでてきた。 翌日、 区役所で待ち合わせし、 入院助産の申請をすることにした。 

国籍に関して

現在の国籍法では、 非摘出子の場合、 胎児認知をしないと日本国籍を取得できない。 そうなると、 出生と同時に超過滞在状態になってしまい、 国民健康保険証等の行政サービスが受けられなくなってしまう。 

なんとか、 その男性と連絡を取り、 話し合いを持つことになった。 しかし、

夜11時まで続いた話し合いでは結論をだすことができなかった。 翌朝、 元気な女の子が生まれたと病院から連絡が入った。 残念ながら、 胎児認知は間に合わなかった。 

もう少し早く相談に来てくれればと思うケースがたくさんある。 

最近の傾向は、 日本人男性と結婚したフィリピン人女性の離婚の相談だ。 表にあるように急増している。

1度壊れた関係を繋ぐいい薬がなく、 力のなさを感じる日々が続いている。

(有川憲治)

第5回東京教区集会司式者・聖体奉仕者養成講座終了 51名が認定

第5回東京教区集会司式者・聖体奉仕者養成講座は、

9月21日~11月9日の日曜日の午後、 関口会館ケルンホールを会場に行なわれた。 今回は、

昨年度からの継続受講者を含め74名の受講者があった。

そのうち51名が全8回の講座を終了、 認定のための1泊黙想会に出席し、 奉仕者として認定された。 内訳は以下のとおりである。 

集会司式者・聖体奉仕者

佐波康子(関口) 中村吉基(高円寺)  仁賀田元(高幡) 細田睦美(高幡) 斎藤紘久(三軒茶屋) 堀江亀子(渋谷) 堀江幸雄(渋谷) 吉澤 昭(渋谷) 小出咲子(小平) 白石仙之助(小平)  

今村泰山(浅草) 長松谷貴久子(洗足) 長松谷孝昭(洗足) 難波正之(洗足) 前田武芳(船橋) 

加藤英一(町屋) 昆 カヨ(町屋) 緒方諒子(田園調布) 間島道子(田園調布) 

木村文夫(梅田)  清水泰子(梅田) 村上静代 (梅田) 及川恵美子(豊田) 目羅和之(豊島) 和泉健一(麻布) 

市原奈穂子(麻布) 安東通夫(立川)  井崎栄子(立川) 伊藤トシ子(立川) 伊藤 都(立川)  

内藤泰子(立川) 堀田幹子(立川) 三澤千春(立川) 三井_子(立川) 宮井隆夫(立川)     (三十五名) 

聖体奉仕者

三輪弦子(高輪) 亀井栄子(三軒茶屋) 嶋田淳子(三軒茶屋) 高木佳代子(三軒茶屋) 田中利子(三軒茶屋)  野坂静子(三軒茶屋) 米山美奈子(洗足) 上田倭子(田園調布) 鎌井美佐子(田園調布) 竹内博子(田園調布)  永井宣子(田園調布) 中原珪子(田園調布) 中原弘道(田園調布) 中村明子(田園調布) 桜井正江(梅田)  大窄賢子(立川)     (十六名) 

教区生涯養成委員会主催
第3回小教区を支える信徒のための研修会 秋の1泊研修会

教区生涯養成委員会は、 97年5月10日から6月28日の各土曜日、 東京教区関口会館地下ケルンホールで、

第3回小教区を支える信徒のための研修会 「より豊かな小教区共同体のために」 を開催した。 (東京教区ニュース145号参照) 

同委員会は、 前記講座の参加者を対象に、 11月29日から30日にかけて、

船橋・クロス・ウエーブで1泊研修会を開催した。 

参加者は17小教区・26名の信徒、 発題および指導は、 同委員会担当の後藤文夫神父 (吉祥寺教会助任司祭)、 門馬邦男神父 (関口教会主任司祭)、 遠山満神父 (葛西教会助任司祭) であった。 

第1日目

第1回発題者の後藤神父は、 「信徒が3人集まると主任司祭の悪口が出る」 「主任司祭が変わると教会は何でもかんでも変わる」 と参加者がどきっとするような言葉で話し始めた。 「司祭に対する信徒の依存性が高いために起こる出来事であること」 や 「共同体における信徒の共同責任を信徒自身が自覚していないこと」 も指摘した。 

さらに 「信徒の共同責任とは、 信徒が共同体意識を持ち、 共同体に対する神の呼びかけを聞き、 それに答えること」 であると語った。 

また 「司祭批判や主任司祭交代による変化が起こるのは、 信徒が呼びかけを聞き、 応えていないからだ。 

もっと耳をすませて、 そこにおかれている共同体に神が呼びかけておられることを、 司祭も信徒も聞かなければならない」 ことを強調した。 

小グループに分かれての語り合い、 夕食の後、門馬神父による第2回発題が行われた。 

門馬神父は 「教会共同体の中で、 各世代がその年令に相応した活動を模索していくべき」 で「1人の司祭が持つ限界を理解し、 足りない部分を補い」 「司祭を批判するのではなく自分たちに何が必要なのかを考えることが大切である」 と述べた。 

「日本はコピーの歴史、 未来像の見えない社会、 信仰も受洗をした司祭のコピーの信仰で、 自分が掴まえた信仰ではない」 し、 「今教会で欠けているのは、 自分たちで発想して学ぶこと」 「学ばないで、 活動だけを変えたことが問題であること」 を指摘し 「日本の教会は福音宣教をしていない」 「キリストの言葉を自分の言葉で伝える神学を学び、 その際何が欠けているかを考え、 欠けていることを補うにはどうしたらよいかを考えること」 の重要性を強調し、 そのためには 「どこかで発想の転換をしてみることも必要だ」 と語った。 

また 「司祭に必要なことは、 信徒のすることを見守り待つこと」 であり 「その活動が信仰に基づいているかどうかを指導すること」 「イエスには建前はない。 本音でコミュニティがつくれることを示せば外側に対する大きな福音宣教となる」 と述べて発題を終えた。 

同じ小グループで再び語り合い、 全体で懇親会に移り夜の更けるまで語り合った。 

第2日目

スタッフの1人春宮委員(浅草教会)の司会進行で 「可能性を探り、 決意を表明し共通性を見つけ合う」 ために全体会が行われた。 

2人の発題者から投げかけられたキーワード 「主任司祭交代による変化、 司祭批判、 信徒の依存性、 応答、 福音宣教、 老害、 未来像、 コピー文化、 待つ、 発想の転換、 使徒職」 などを考えながら、 参加者たちはそれぞれ自分の体験、 感想、 疑問等を自由に発言した。 そのいくつかを紹介する。 

・自分の狭い枠を外して出席してよかった。 「発想の転換」 「学びの重要性」 を自覚した。 

・教会あるいは家庭のなかの呼びかけにどれだけ気づけるか。 その感覚を育てなくてはと思う。 教会が地域の駆け込み寺のような立場にあるので、 関わり方の勉強、 イエスならどう応えるかを考えていきたい。 

・教会=建物という意識が強いので、 建物を外して 「神の民」 だけを考えたい。 

・ 「恵み」 「神」 という言葉を使わないでイエスを伝えたいと長い間思ってきた。 

・今回の研修会ではさわやかな思いをさせてもらっている。 現実の教会の多様性をあらためて感じた。 

日本の教会と世界の教会の関係を学ぶために外国人の信徒を招いての研修もよいのでは……。 

そして、 研修室での主日のミサ (後藤神父司式) で実り多い研修会は散会した。

教会・修道院巡り (55) 『目黒教会』

 この夏の終わりに、 目蒲線目黒駅が近代化され、 地下にもぐった。 長い間、 プラットホームの目の前に 「聖アンセルモ幼稚園」 の大きな横看板が見えていた。 目黒教会、 米国に本部のある聖ベネディクト修道会が司牧する聖アンセルモ教会である。 

1947年、 ヒルデブランド神父を中心とした数人の神父が力を合わせて始めた。 元は欧州の修道会の所属であったが、 大戦で資金面の支援を受けられなかったのであろう。 米国の聖ベネディクト会に転じて、 日本での宣教活動を実現した。 その苦労を思い、 乗り越える情熱と日本への深い愛着に、 ふるえるような感動を覚える。 

戦後の荒廃の中、 一握りの信徒達が集い、 そして心の拠り所を求めて人々が集まり、 急速にふくらんでいった。 女房役に徹し、 いつも幼い子供達と手をつないでいたヨゼフ神父。 漢字や故事来歴に日本人よりも詳しかったエミール神父。 お三方とも日本の地に眠っておられる。 アロイジオ神父、 田舎のオッチャン然として飄々と信徒の家に顔を出していたが、 後年目を傷めて米国に行かれた。 

1955年、 米国の信徒達の多大な応援もあって聖堂など、 ほとんど今の姿が完成した。

1960年代には青年会の月例会に100人を超える若者が集まり、 アガペと称した食事用のパンの買い出しに苦労したのも懐かしい思い出だ。 

先月の30日には、 ケリー大修道院長を迎えて50周年の記念式典を行うことができた。 数十年ぶりに顔を合わせる方々も多く、 あちこちに楽しい輪ができた。 草創期の方々、

50年のそれぞれの時期に、 またその期間を通して教会に関わった方々、 皆が心をひとつにして、 感謝を捧げた。 

集まった人々の胸に、 どのような思いが浮かんだであろうか。

願わくば、 次の50年へ向けての新たな出発の場であったことを望んでいる。 

今、 約1100人が所属する大型の教会となっている。 信徒の数の多さと同時に、 目黒駅が近いという便利さから、 ミサに来る所属外の方も多く、 「顔なじみになりずらく、 冷たい」 との批判も耳にする。 ミサに駆けつけ、 ことばを交わすことなく急いで出かけていく人も多い。 

高齢化への取り組み、 子供達との触れ合い、 力の源である青年会も今はない。 難問山積と言える。 

都会人の心の荒廃が心配され、 テレビ等でも取り上げられている今、 力を合わせて、 心の拠り所となる祈りの場、 助け合える共同体を、 豊かなものにしていたい。

 (村田淳一)  〒141-0021  品川区上大崎4-6-22

ご存じでしたか?
カトリック教会における結婚
考えてみませんか?

Q 民法上の離婚をしてしまいました。 もう教会に行ってはいけないでしょうか?

A まず第1に所属教会の主任司祭に話して下さい。 あなたの主任司祭から結婚問題手続部門に連絡されます。 あなたが民法上離婚したことが直ちに問題になるのでありません。 

しかし、 あなたがこれから信仰生活を歩んでいく上で、 ゆるしの秘跡や聖体拝領のことなどで不安や心配を感じないためにも、 教会法上の別居の許可が必要です。 しかし、 これは再婚の許可ではありません。 

特に、 再婚の可能性や希望がある場合、 前婚 (教会で結婚式をしていた場合でも、 そうでない場合でも) の絆について、 教会の審判 (前婚の絆の解消手続きあるいは前婚の無効宣言手続き) が必要となります。 

民法上の離婚をしたにもかかわらず、 教会には何も連絡をせず、 再婚を決めてしまってからでは、 その時になって手続きが必要なことに気がついて、 困惑してしまうことになりますので、 民法上の離婚をした場合は、 すみやかに所属教会の主任司祭にお話し下さるようお願いいたします。 

*最後に、 カトリック教会では 「結婚」 は召命であるということについて、 説明しておきたいと思います。 

結婚は大きな恵みであると同時に生涯を通して実現していく使命でもあります。 夫婦として、 また父母として生きることは、 犠牲を捧げることなしには続くことがありえません。 

それはキリストが教会をご自分の花嫁とするためにいかなることをも与え尽くされた姿に従うものだからです。 日本の社会通念では、 本人たちの幸せという面だけが強調されがちですが、 カトリック教会の教える結婚は、 本人たちはもちろんですが、 結婚によって生ずる子供たち、 家庭全体、 また教会と社会との関わりも決して小さなものではありません。 

教会は結婚・家庭というものをいつの時代も大切にしてきました。 またそれを支えるための努力を惜しみません。 

どうか、 これから結婚なさる方々、 また既に結婚なさっている方々、 結婚についての考え方を深めて下さるようお願いいたします。 

また、 日本の教会では、 結婚なさる人々の中に、 相手の方がカトリック信者ではないという場合が多くあります。 

その場合には、 あなたがカトリック信者として信仰に生き、 その家庭をキリスト教的な愛に満ちたものとするよう、 配偶者と生まれてくる子供に対して模範となるような信仰生活を送るよう努力することが求められます。 

カトリック信者同士の結婚の場合にはこのことがさらに求められることは言うまでもありません。 

しかしながら、 誠実な努力を重ねたにもかかわらず、 不幸にして結婚生活に破綻をきたした場合にも、 教会は母としての心遣いをもって待っていることをお忘れにならないで下さい。 

(東京教区教会法事務局  結婚問題手続部門) 

「よき牧者」 をテーマに  97年度神学院ザビエル祭

11月24日、 午前11時から関町の東京カトリック神学院 (寺西英夫院長) で、

97年度神学院ザビエル祭 (実行委員長:市岡之俊神学生) が開催された。 テーマは 「よき牧者」。 

午前10時から、 満員の聖堂でミサが捧げられた後、 広い構内をいっぱいに使って数々の企画・イベントが始まった。 

屋内では講演会 (講師:土橋茂樹氏、 『カトリックは現代社会にとって必要なのか』)、 純喫茶せきまち、 バザー、 院内めぐり、 神学院紹介、 沖縄研展示、 神学ダイジェスト (イエズス会神学院)、 シスターのお店・ホーリーコーナーなど、 屋外では神学院名産ぎんなん、 ステージ、 子供企画、 寺西のいる店、 メキシコ料理、 「カナの家」 ミソ・タマゴ本舗、 はじめまして!ガリラヤの家です、 子供のミニバザーを始め各教会の出展バザーなど盛りだくさんの企画が行われた。 広い構内が狭く感じられるほどつめかけた参加者たちは、 秋の日の一日を神学生たちと、 指導司祭たちと、 シスターたちとなごやかな交わりを楽しんだ。 

今回は、 「院内巡り」を福島一基神学生の案内で紹介する。 

家族のための祈り文集 
 「あんなときこんなとき家族のために祈る」

東京大司教区家庭プロジェクトチームは、さまざまな活動の中の1つとして、 一般の方々から三回にわたって 「家族のための祈り」 を募集し、3冊の小冊子にまとめました。 

更に多くの方々が利用できる小さな祈りの本があれば…との要望を受け、 サンパウロの皆様のご協力のもとにポケットサイズのこの祈りの本が誕生しました。 

日々の生活に根ざしてほとばしり出る祈りに心打たれ、 いつのまにか共に祈っているご自分を見つけられることでしょう。

(O) 

次に祈りの文いくつかを紹介する。 

ひとり

ひとりでいても

だれも声をかけてくれなく ても

だれともお話が 出来なく なったとしても

大切な 愛する方のおこと ばが

絶えず 私の心の中で

消えることが なければ

わたしの 生命そのものが

よろこびとなるでしょう  (73歳 女)

家族は鏡

家族は鏡です 私のすべて を映す鏡だと気付かされま した

私があなたに近づけば

家族も信仰に目覚めよき成 長が出来ると信じます

私の信仰を強めるようにお導き下さい  (68歳 男) 

もしもし 神様

もしもし 神様 私の名前は遠藤利香です 聞こえますか 私は少し前はパパとはあまりあわなかったし こわかったし 話しませんでした でも うちのパパの会社が倒産してからはすごい仲がイイです

パパが働けなくなってしまったから と思うと本当にこわいんです パパの体もこのごろ良くないし だから神様 せめて 妹の真美が22歳になるまでパパもかあさんも元気でいられるようお守り下さい 

(17歳 女) 

編集部から

12月8日、 無原罪の聖マリアの日に、 白柳大司教様は、 心臓バイパスの手術を受けられました。 多くの方々の祈りに支えられ、 成功裡に手術を終え、10日には、 ICU (集中治療室) から一般病室に移られました。 正直言ってホッとしました。 

99パーセントの成功率だといわれていても、 いったん心臓を止めての大手術です。 何があってもおかしくないのです。 それ相当の心配をしました。 術後の経過もすこぶる良好だとの事です。 あとは、 お仕事への復帰が待たれます。 

   さて、 1997年は、 ペルーの日本大使公邸人質事件の解決に始まって、 地球温暖化防止京都会議の温室効果ガスの削減目標設定に終わったような気がします。 

地球単位で考えて行かなければ何1つ解決できない時代に入っている事を実感させられる事ばかりです。 

ところで、 1998年はどんな年になるのでしょう。 

世の終わりを予言し、 そのしるしをあげつらう無責任な動きもますます元気づく年かもしれません。 

心を2000年前にかえし、 原点に戻ってとらえ直していく作業が求められます。 

大聖年準備の第2年目。 聖霊に心をひらいてゆきましょう。       (西川哲彌)

お詫びと訂正

    147号、148号に掲載しました大聖年記念企画 「シンポジウムと映画の夕べ」 のお知らせ中、 問い合わせ先の電話番号の末尾が間違っていました。 関係の方々にご迷惑をかけましたことをお詫びいたします。