お知らせ

お知らせ

東京教区ニュース第148号

1997年12月01日

21世紀に向かって―司祭と教会のあり方を考える―司祭研修会報告

5月の司祭月例集会で司祭の本音を問うアンケートがとられ、それをベースに司祭研修会が開催された。テーマは「21世紀に向かって―司祭と教会のあり方を考える―であった。昨年までの会場だった千葉県の『日本エアロビクスセンター』から、静岡県熱海市の『ピピ熱海』に会場を移して2泊3日の日程で実施された。

この3年間の研修会がどちらかというと制度とか組織についての見直しに焦点があてられたのに対し、今回はむしろ司祭の足元を見つめ、司祭同士の共通認識の場をつくっていくことが目的であった。東京教区で働く司祭として共通する点と違う点の認識を深め、時代と地域のニーズにどう答えていくかをとことん考えていこうとする試みである。当然ながら1回の研修会でどうにかなるようなテーマではないことは確かで、何回か話し合う必要が考えられる。今年は、その第1回目ともいえる。涙あり、笑いありの2泊3日を、時間の経過を追いながら報告したい。

出席司祭の内訳

東京教区の司祭研修会は毎年10月の中旬に開催されている。この時期は、ほかにもセミナーや全国大会が催される時であり、行事が重なって出席できない司祭が少なくない。できれば、なるべく多くの司祭の出席が望まれるが、結果的には常に60名前後に落ち着く。そのうち約3分の1が修道会・宣教会の司祭であり、あとの3分の2が教区司祭である。

教区司祭だけを考えると、約半数が出席していることになる。研修会への出席はまったく自由であるが、約半数の出席者を得ているので、そこで話し合われたことが司祭たちの共通理解に少なからず貢献していることは確かである。

今年は10月14日から16までが会期であった。

第1日目「自分の司祭像を語る」

会場の『ピピ熱海』は市内からかなり離れた所にあり、周りを林に囲まれた静かな保養・研修施設である。第1日目は受付と簡単なオリエンテーションのあと、夕食をはさんで6名の司祭のスピーチがあった。1人20分の持ち時間である。題して「自分の司祭像を語る」。

市川嘉男師

最初にマイクを取ったのは市川嘉男師であった。市川師は冒頭、司祭の本質はミサを捧げることであると言い切った。「司祭の本来の任務であり、司祭にしかできない唯一の役務はミサに集約される。私はそれだけを心の支えとして生きて来た。これからも、それを大切に生きていこうと思っている」と力説した。市川師は今年74歳。年配司祭の本音をズバリと話し、若い司祭たちの感動を誘った。

晴佐久昌英師

若手司祭からは、青年ネットワークの指導司祭として青年たちに圧倒的な支持を得ている晴佐久昌英師が演壇に上がった。晴佐久師は「司祭であることは出来事であり、秘跡である」と語り、「司祭であることに限りない喜びを感じる」と語った。「司祭として生きる時、神の自由を感じ、この自由を思いっきり生きていきたい」と抱負を語った。

後藤文雄師

修道会を代表して後藤文雄師が演台に立ち、司祭に叙階されるまでのことを話した。後藤師はお寺の僧侶の子息で、家から勘当されて神学校に入った。「司祭として何事もなく過ごしていた時に出会ったのが、カンボジア難民の子供たちである。この子供たちに出会って初めて人間として信頼されることの大切さを知らされた。親代わりに学校へ足を運び、共に悩み、共に喜ぶ経験を得た。もしこの子供たちとの出会いがなかったとしたら司祭としてもその本性に触れることがなかったであろう。

ある会合で、あなたは難民の世話を司祭として行っているのか、それとも個人として行っているのかと問われたことがある。そこで私は一人の人間として行っていると答えた。いまさらこの出会いも神が与えてくださったのだと確信している」と語った。

マーフィ師

宣教会からマーフィ師が自分の体験を語り、公会議を境に司祭像が変わったことを話した。「司祭像は時代の流れと共に変わるものであり、また変えていかねばならない」ことを力説した。

三戸繁師

次に三戸繁神父にマイクが渡された。「司祭は、本来、自分を語らないものだと思っていましたが……」と言いながら、司祭になるまで、司祭になってからの道を語った。「教会は、何といっても東京のような心の砂漠のオアシスだと思います」「み言葉が人の心を動かします。そのみ言葉を伝えていく者でありつづけたいと思います」み言葉の伝達者である司祭の本性をズバリと語った。

小林祥二師

最後にマイクを渡されたのは、現在”札幌働く人の家”で青年たちに関わっている小林祥二師である。小林師は叙階して22年、そのほとんどをJOCの協力司祭として働いてきた。今年の4月、司祭になって初めて月寒教会で聖週間と復活祭の典礼を司式したそうである。「もし、司祭の務めが秘跡中心であるとするなら、私は落第司祭です。しかし、私にとって、働く青年たちが教会そのものであり、青年たちとの関わりの中に神のみ業を感じて来ました。それこそ秘跡に値すると信じています」と語った。秘跡中心の司祭から関わり中心の司祭までバラエティーに富んだ司祭像が語られ、それぞれ自分の司祭像と一致する点を見出す機会となったようである。

第2日目 パネルディスカッション

午前中、参加者全員が5つのグループに分かれて、司祭像をめぐっての話し合いが行われた。それぞれのグループで前日話された司祭像を参考にしながら各自一人ひとりが自分にとっての司祭とは何かを話した。あるグループでは司祭のコレジアリタス(協働性)について話し、またあるグループでは司祭団の一員であることの認識について、またあるグループでは共同司牧の可能性が話題となった。

それを踏まえて、午後に全体でパネルディスカッションが行われた。

まずパネリストに指名された4人の司祭、幸田和生師、岩崎尚師、カヴァニヤ・チェレスチーノ師、湯沢民夫師がそれぞれ個人の経験をもとに司祭像を語った。

幸田和生師

幸田師は神学校のモデラトールとして6年間働いた経験から、「東京教区がいかに恵まれている」かを指摘した。「それが逆に問題意識の低さの原因となり、危機意識の欠乏をもたらしている」かを語って、問題提起した。幸田師にとっての司祭とは、「一人ひとりの人生の物語を聞いてキリストの福音につなげる人である」と定義した。

岩崎尚師

岩崎師は小教区で司祭として働いてきた経験から、「機能としての司祭職は果たしているが、人との関わりがない寂しさ」を強調した。信徒の生活に大きな役割を果たしている家庭が、孤立している司祭にはないことを指摘し、司祭同士の関わりの中で家庭体験をしていく必要を解いた。「おそらくその体験は生きていく大きな喜びをもたらすに違いない」とも話した。

チェレスチーノ師

チェレスチーノ師はこれからの司祭はチームを組んで働いていかなければならないと主張し、宣教に対する協働性の大切さを強調した。

湯沢民夫師

湯沢師は2つの司祭像の中で揺れ動いていることを話した。つまり教会(小教区)の外で働く司祭と教会の中で働く司祭の2つである。湯沢師としては貧しい人のために教会を離れて働く司祭も大切であるが、どちらかというと教会で働く司祭のうちに司祭らしさを感じると語った。

質疑応答

4人のパネリストにそれぞれ質疑応答が行われた。特に岩崎師に質問が集中し、論議が進められた。話し合いは早急に結論を急ぐものではなく、司祭としていきいきと生きていくこと、時のしるしを読み、地域のニーズにいかに応えていくかという方向へと向かった。

レクレーション

自由時間を置いて夕食が始まった。この夕食はビュッフェスタイルで交流会を兼ねていた。海辺の町を反映してか、新鮮な魚が取りそろえられ、司祭たちの舌をうならせた。食後、伊藤師と浦野師のアイデアでグループ対抗クイズ合戦が行われ、そこで働いている方々も巻き込んで大いに盛り上がった。まさに司祭が共にいる兄弟たちであることを期せずして表す一場面であった。レクレーションのあとも、楽しい雰囲気は各部屋に引き継がれ、そこここで笑いの渦が起きていた。これも司祭研修会の実りの一つである。

第3日目 グループで話し合い

朝食後、再度グループに分かれ、話し合いが持たれた。この集会では3日間を振り返りながら、これから何ができるか、具体的に出し合う努力がなされた。

あるグループでは月例集会をもっと意義あるものにしていくためにはどういう形を取っていけばよいかについて話し合われ、あるグループでは司祭の高齢化に対して、具体的な提案も出された。

相対的には打ち解けた雰囲気の中で、司祭として生きていくためのより具体的な提案が出され、本音に近い意見がどしどし出されたようだ。

共通して話題になったのは、司祭は決してばらばらではなく、キリストにおいて共に結ばれており、互いに支え合っていく中で果たされていく役務だということであった。

白柳枢機卿の講話

グループでの話し合いの後、全員が集まって白柳枢機卿の講話を聞いた。枢機卿は司祭が仕える存在であるということをまず話した。そして「司祭は人々の中にあって人を生かし、人を育てていく者でなければならない」と強調した。司祭は決して一人で司祭職を果たしていくものではなく、共に支え合っていかねばならないことも話した。枢機卿は司祭の叙階の前に行われる司祭面接で、友人を持つこと、趣味を持つことの2点を大切なこととして話すそうだ。枢機卿の話は、父親の話のように司祭たちの心に静かで温かい感動を与えた。

森司教の講評

続いて森司教の講評があり、今回の司祭研修会が司祭の本音を出す場になっていたことがうれしいと話し、このテーマがこれからも継続していくように期待すると話した。両司教の話の後、研修会のフィナーレであるミサが捧げられ、それぞれ大きな課題を受け取って帰途についた。

研修会を振り返って

司祭が司祭職を見つめ、本音で司祭職について語らうことは容易なことではないと痛感した。時代と共に司祭像が変化すること、また司祭一人ひとりのカリスマによっても司祭像が異なるということも事実である。しかし、多様性の中で大切な部分は共通していることも事実である。

それはあたかも手のひらのようであり、指は独立していても、掌では共通しているのに似ている。今年の研修会はその違いと共通点の存在を共通理解として認識する第一歩になった。そういう面で基本的な収穫があったと評価できると思う。

勇気をもって仲間の前で本音を吐露した6名の司祭とパネリストを務めた4人の司祭に拍手を送りたい。そして、今回の研修会を裏で支えた係の司祭たち、特に大原師にご苦労さまと申し上げたい。
(西川哲彌神父)

新・宣教司牧評議会開催される

新・宣教司牧評議会が、メンバーを新たにして、10月20日(月)大司教館の会議室において開催された。これは、3月20日の教区総会において旧宣教司牧評議会からの答申を受けた教区長が、新たに招集したものである。白柳枢機卿の出席のもと、森司教の司会で会議が行われた。出席した15名の委員は、初めての会合であったにもかかわらず、教区長から諮問された議題に積極的に意見交換を行った。今回取り扱われた主な議題は次の通りである。

1大聖年について、小教区への呼びかけや小教区でできる事柄について。

これについては各委員が持ち帰り、次回に具体的に検討することになった。

2司祭の高齢化と召命の減少に伴って小教区で予見されるさまざまな事態に対処するために修道会・宣教会からの協力を仰ぐことについて。

これについても、4名の委員が次回にたたき台を提案し、それをもとに検討することになった。

今回選任され、出席した委員は次の通りである。

司祭評議会より:辻 茂師(船橋教会)
立花昌和師(成田教会)

教会委員より:上沼友理江氏(赤羽教会)
馬場幸夫氏(秋津教会)
滝島恵一郎氏(赤堤教会)
浦松幹雄氏(茂原教会)
吉田道一氏(目黒教会)
関口任啓氏(三河島教会)

東京女子修道女連盟より:シスター秋山恵(コングレガシオン・ ド・ノートルダム)
北爪悦子(師イエズス会)
川端スエノ(宮崎カリタス会)
福島高子(扶助者聖母会)

事務局より:森一弘司教
稲川保明師
五十嵐秀和師

(男子修道会・宣教会からの委員は今回は欠席)

なお、宣教司牧評議会に委員として選出される小教区教会の順番については、9月の司祭月例集会で発表されている。今回選任された委員の任期は、紀元2000年3月31日までである。原則として8月を除いた毎月第3月曜日に開催される。

お知らせ

訃報

野口由松司教(前広島教区長)
11月9日未明、香川県坂出市で帰天。88歳。1909年長崎市に生まれ、37年司祭叙階、東京公教神学校教授、高円寺教会主任などを歴任、60年司教叙階、85年引退。

足立教会献堂式 〜11月3日〜

11月3日 白柳枢機卿司式で足立教会の献堂式が行われた。サレジオ会の司祭を中心に20名の司祭関東地区サレジオ会5教会、近隣の教会の信徒もお祝にかけつけた。

■徳川師・志村師、府中司祭墓地に埋葬

11月2日(死者の日)午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂、五日市墓地、府中墓地で教区合同追悼ミサが行われ、昨年12月帰天した徳川泰国神父、今年7月帰天した志村辰弥神父の遺骨が府中司祭墓地に埋葬された。

『マタタ神父のインタビュー』の筆者ってどんな人?

マタタ神父(37) 淳心会(スクート会)

今年4月から本紙編集スタッフになり、『マタタ神父のインタビュー』を担当するようになった。日本人や日本文化に対する外国人ならではの視点が読者に好評だ。

旧ザイール(現コンゴ民主共和国)に生まれ、6人兄弟の長男。1991年に司祭叙階、「町にあふれる車やオートバイをつくる日本という国の素顔が知りたく」て、スクート会の宣教師として来日し、現在は松原教会の助任を務める。

「取材するのは責任が重いけど、何を伝えるべきかメッセージは何か真剣に考えるようになった。これからもいろいろ書いてみたい」と語る。

日本語にとても堪能で、漢字とかなを原稿用紙のマス目にスラスラとうめる。

「2年間、頭がグエーンとなるほど勉強した」という大阪の日本語学校時代の成果だが、暇を見つけては寺や神社を見てまわった。

「日本は多神教。いろんな宗教が平和に共存して暮らしているなら、その宗教や文化を知らなければ日本人に福音を伝えられないと思った。」

故郷ザイールは宣教師によってキリスト教化されたが、「誰のための宣教か、そのことを考えると、そこに住む人々の生き方を無視して宣教した過去を繰り返したくない」との思いがある。

来年4月、オリエンス宗教研究所の所長に就任する。『聖書と典礼』の発行で知られる同研究所は、日本の教会の宣教活動のための出版物の発行や研究のために、スクート会の神父によって設立された。

「いまの小教区の問題を一緒に考えながら、明日の日本の教会のために、宣教の課題に取り組んでいきたい」と抱負を語る。

インタビューを終えて、一緒に居酒屋に行った。師が注文したのはもずくとししゃも。『う〜む、日本人より日本人らしい』とサイコロステーキの私は思わず唸るのだった。
(編集部M)

一粒会チャリティーコンサート ヴァイオリンとオルガンの夕べ

10月24日午後7時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、一粒会(会長…白柳誠一枢機卿、担当…酒井俊雄・辻茂神父)主催のチャリティーコンサート、〜ヴァイオリンとオルガンの夕べ〜が開催された。

白柳枢機卿に代わり、森司教は「一粒会は東京教区の神学生の育成を援助する会です。皆さんの祈りと支援により、東京教区には現在7名の神学生がおり、今年志願者が3人います。ヴァイオリンとオルガンの演奏の深みを味わいながら、司祭を志す若者のために祈ってほしい」と挨拶した。

’97福祉の集い 〜ミサ・講演会・分かち合い〜

10月23日午前11時からカテドラル構内で、教区福祉委員会・地域福祉活動推進小委員会が、「’97福祉の集い」を開催した。

日頃小教区で福祉活動に携わる約50人が、白柳誠一枢機卿と教区福祉委員会担当司祭の司式によるミサ、講演会、分かち合いに参加し、午後3時過ぎに散会した。

白柳枢機卿は、「教会博士の称号を受けた聖テレーズは決して破れることのない神の愛を感じて霊的に神のふところに飛び込んだ方であり、このほど亡くなったマザー・テレサも『神の愛』を単純に実践した方である」と述べ、「現代社会に生きる私たちはもっと神を体験し、神に対して全き信頼、全き委託をしなければならない。そしてこの2人の生き方に学び、人間全体で神をとらえ、『愛の文明』を打ち立てなければならない」ことを強調した。

枝見静樹氏講演

「”叫び”に耳を傾けよう」

枝見さんは対馬に生まれ、出版社を経営していたが、大手書房の倒産の余波を受け昭和34年に倒産。その後、山谷でゼノ・ゼブロスキー修道士と知り合い、以後37年間をボランティア活動に捧げ、現在は財団法人富士福祉事業団の理事長を務めている。

「祈る形の中に”叫び”に耳をかたむける姿勢があり、命の大切さを受け止めたい」と強調し、自身の人生のなかで、マザー・テレサ、ゼノ修道士との出会い、息子さんとの葛藤と和解を語り、参加者に感銘を与えた。

家庭の大切さ

家庭の大切さをマザー・テレサの言葉を借りて次のように語った。

「今の時代は”地球家族””地球市民”といわれているが、その原点ともいうべき家庭が問われている。

カルカッタのマザー・テレサは、家庭の大切さについて、『母親は家庭の中心。子どもを産んだからお母さんなのではなく、産んでも産まなくても、その人がいるだけで、周りにやすらぎと平安と喜びをもたらすもの、それが母親。

父親は家族を経済的に支えるだけではなく、いちばん大事なことは、正義を生きる、正義のために命をかける、正義のために生きるのが父親。

そして子どもは、神様に近い存在として育てられる。父親、母親がそのように問われ、そこに愛の信仰がある』と述べている」

さらに、自身の2人の息子さんとの葛藤を、「子どもは本来すばらしいもの、この子をこうしたのは自分だ」と気がつき、息子さんの”叫び”に耳を傾けた。「彼も今では社会人として自立、結婚もし子どもも生まれた」と語った。

ゼノ修道士との出会い

「34年前、経営していた文芸出版社が大手書房の余波で倒産した時に、ゼノ修道士と出会った。以来、同師の後ろ姿を見て生きてきた。

また、現在の仕事をすることになったきっかけのひとつは、経営していた会社で出版した『裸の大将』がベストセラーになり、山下清さんとの関わりがあったからだ。

社長時代の思い上がった関わりではなく、清さんのような人々の役に立ちたいと、富士福祉事業団(ゼノ師を名誉顧問、武者公路実篤氏を名誉理事長)を身を削って炎を燃やし続けるローソクのように続けている。

昨年からは『ゼノさんのアニメをつくる会』をつくり、忙しい毎日を送っている」
さらに「少子化、超高齢化時代の今を生きる私たちは何を成すべきか考えていこう」と結んで講演を終えた。

教区福祉委員より

今年の4月より委員会のメンバーが代わりましたので、紹介します。

担当司祭
坂倉 恵二(あきる野教会)
油谷 弘幸 (清瀬教会)
五十嵐秀和 (大司教館)

信徒委員
星 徹 (松原教会)
山本 英人 (星美ホーム)
中込 雅子 (関口教会)
吉田 久枝 (カリタスの家)
相馬 靖雄 (関口教会)
牧野 早智 (麻布教会)

今年はブロックから地域協力体になり、 新たな協力関係が模索されています。

教区福祉委員会でも小教区や各地域で福祉活動をしている人たちとどのような関わりをしたらよいか、過去の活動の見直しと新たな方向性を模索中です。近いうちに活動内容を報告いたしますので、今後ともご協力をお願いいたします。(連絡等は担当司祭にお願いします)
(五十嵐秀和神父)

CTIC 東京国際センター通信

火葬にしないで!

「フィリピン人のA氏が脳溢血で倒れ、入院している。親戚の人や友人たちと会社の社長が話し合っているが、意思疎通がうまく行かないので通訳の応援をして欲しい」との要請が入った。CTICスタッフが急ぎ病院へ。

A氏は61歳。来日から7年。仕事が終わった後に倒れ4日前に入院。医師は「もう回復の見通しはなく、死亡も時間の問題だ」という。昏睡状態を続けるA氏を前にして親戚の人や友人たちと社長の苦悩の話し合いが続く。

故郷の奥さんに電話連絡したところ「火葬にしないで!遺体のままで返して!」と悲痛な叫びをあげた。遠い親戚にあたるというフィリピーナのBさんも、涙ながらに訴える。A氏の友人たちもできるだけ奥さんの希望をかなえてあげたい、と言う。会社の社長も同様だ。

そこで、いったいいくらかかるのかを調べた。遺体を火葬にして故郷へ送る場合はおよそ10万円。他方、火葬せずに遺体のままで送る場合は、最も経済的な方法でも55万円かかるという。フィリピン大使館領事の口利きでたどり着いた葬儀社の場合、この他に、遺体の安置・保存に15万円、病院への支払いに50万円強が必要だという。火葬せずに遺体のままで送る場合には、合計で130万円弱かかる。本人の所持金はといえば、未清算の賃金が33万円あるだけという。奥さんの希望どおりにするためには、100万円足りない。

冷厳な現実を前にして、親戚も友人も社長も言葉が続かない。7年前に異国の地へ出稼ぎに出たままの年老いた夫の身にもしものことがあった時には、「火葬にしないで!遺体のままで返して!」との奥さんの悲痛な叫びが、みんなの心に重くのしかかる。みんな押し黙る。

社長は「何とかしてあげたい」との気持ちを強くする。しかし、道路工事の末端零細事業者としてのこの会社の財務内容は火の車。政府・自治体の「財政再建、公共土木事業の見直しと削減」政策の影響が、不景気と重なり合う形で会社の業績に大きな影を落とし、自転車操業を続けている。社長の心が揺れる。

通訳の応援を頼まれただけのはずのCTICスタッフも心を悩ます。いろいろなことを考え合わせた。そして言った。「奥さんの希望をかなえてあげるように、みんなで努力しようよ」。不足分の100万円を作ることが、どんなに難しいことかは分かっている。しかし、CTICに相談に来る多くのフィリピン人の常日頃の訴えが、CTICスタッフをして、そう言わせたのだ。「日本人は結婚や仕事、社会生活全般の中で、私たちへのリスペクタブルが足りない」と彼らは訴える。「人権人格を尊重してくれない。人として大切にしてくれない」というほどの意味と受け止めているが、問題の具体的な解決にあたっては、とても重要な意味を持つものである、と考えている。フィリピン人の精神や習慣など、心や立ち居振舞いの問題をどれほど斟酌(しんしゃく)できるのか、がとても大切なことであると思っている。

いま、「火葬ならば少ない経費で済む。遺体送還で使うお金があるなら、それを奥さんに送ってあげたほうがよいのではないか。故郷での葬儀に多くのお金がかかるのだから」という、日本人にありがちな「経済合理的」な発想だけではダメなのだろう。奥さんの叫びに応える努力をすることが、「リスペクタブル」を求めるフィリピン人の心に少しでも近づくことになるのではないか……。

入院5日目、A氏は帰らぬ人となった。「みんなで努力しよう」ということになり、CTICも急きょ、幾つかの教会にSOSを発した。いつもはこんなことはしない。教会の皆さんに支援を求めるのはそれは生きるために懸命になっている人を支援する場合だ、と心得ている。ただ今回だけは、教会のみなさんにご無理をお願いした。結局、不足分の多くは社長が負担することになったが、幸いCTICも教会の皆さんの心のこもった15万円を支援できた。

10月16日、A氏の遺体はマニラに到着。葬儀の後、いま故郷の土に静かに眠る。
(渡辺哲郎)

「日本におけるイエスの顔」 ―福音と文化そしてイエスのまなざし― 教区生涯養成委員会主催一泊交流会

講師に井上洋治師とウイリアム・ジョンストン師を迎えて、秋の一泊交流会が10月25、26(土・日)の両日、「戸山サンライズ」で開催された。参加者42名だった。

井上神父の講話 福音と文化の問題

(1)エルサレムの使徒会議

パウロの果たした役割は大きく、「外国人でキリスト信者になった人々にユダヤ教の律法を守らせるべきか」を話し合ったこの会議で、「キリストを信じればよい」というパウロ側の主張が通りました。

(2)父性的宗教と母性的宗教

父性的宗教のユダヤ教やイスラム教、キリスト教も父性的原理を背景に持つ宗教で、母性的原理が強い日本の社会はキリスト教が広がりにくい社会といえます。

(3)母性社会の日本

河合隼雄、中根千枝、木村敏の各氏は各自の研究領域から「日本の社会構造は母性優位の母性社会」とし、小此木啓吾氏は「罪意識や恐怖からではなく、阿闍世(アジャセ許される)という感覚で神のありかたをとらえている仏教思想の影響が強いのが日本の社会」だと分析しています。

福音書(イエスの無条件の許し、そのまなざしによる回心の物語)

裏切り、屈辱、孤独、苦悩といった状況に立たされた時でも常に許しのまなざしを向けられるイエス、許しの素晴らしさを知り、回心、信仰告白へと導かれた人々。

律法で計るのではなく、人間が背負っている重荷や悲しみ、苦しみを写しとる思いやり、アガペー、イエスのご生涯は、母親のような感じで、母性社会に生きている日本人も感動するはず、未来の日本の教会が進む方向が示唆されているかもしれません。

ジョンストン神父の講話

『沈黙』はころび信仰だと管区長から同師の英訳も反対された時代で、バチカン公会議後、遠藤氏は「規制ではなく人の良心を大切にし、どういうキリスト教が日本に合うのか」『沈黙』の消極的で否定的な姿勢から『深い河』では積極的にアジアの視点から、「神が全宇宙におられる」という神秘的神学を求め続けた。

「キリスト教の土着化には他宗教との対話、イエス中心でありながらその国的なもの(座禅やヨーガ等)との融合、知識と英知(学習と祈り)が必要です。許しは観想的で一つのプロセス、許せないからそれを認め、祈りによって徐々に…何時も祈りましょう。」と勧めた。最後にミサ聖祭、感謝と笑顔で帰路につきました。
(伊藤啓子)

カトリック教会における結婚 ご存じでしたか? 考えてみませんか?

Q カトリック教会の教えでは、後で相手を嫌いになっても離婚ができないと聞いていますが、完全ではない人間には、そのようなことは無理ではないでしょうか?

A 結婚したいという人にその理由を聞くと、多くの人が「好きだから一緒にいたい」というような返事が返ってきます。カトリック教会の結婚の教えでは、そのような理由だけでは、まだ結婚の決意には不十分と見られます。

好きだから一緒にいたいと思う、だからもう結婚でしょう―それは嫌いになったら別れるということの裏返しにすぎません。愛するということは、その人のよいところだけでなく、欠点、限界をも含めて愛するのです。また相手も同じようにあなたを引き受けるのです。したがって、後になってから「ここが嫌いだ」というような程度の理由で別れることを考えるような気持ちでは不十分なのです。

結婚は生活のなかでおこる問題や責任を協力して克服していこうという決意が求められます。メリットのある時だけ一緒にいて、それがなくなれば一緒にいる気持ちはないというのであれば、神様の前で祝福をいただくには不十分な決意だと思います。

Q 私はカトリックの信者です。相手は洗礼を受けていませんが一度結婚に失敗しています。でもカトリック信者ではないので関係はないと思いますが?

A あなたがカトリック信者である場合、あなたの結婚相手の方も関係してきます。カトリック教会の教えでは、神の制定により、あらゆる結婚は一生涯を通してのものですから、あなたの結婚相手の方がカトリックの信仰を持つあなたとの結婚に関して十分な決意を持っておられるか、またあなたと結婚しても離婚をくり返すような人ではなく、以前の破綻した結婚には社会通念上、また教会の結婚の教えの上からも重大な理由があったゆえのことであることを確認するための手続きがあります。

この手続きはむやみに過去のことを詮索するのではなく、これからの結婚に備えるためです。この手続きもあなたの所属教会の主任司祭を通して申請して下さい。
(東京管区教会法事務局 結婚問題手続部門)

教区委員会紹介 その17「広報委員会」

連想ゲーム。広報委員会で連想するものは?

「東京教区ニュース」と答えた方。いつもご講読ありがとうございます。あなたはもう、この先を読まなくても十分です。別な記事にお進みください。えっ、教区委員会紹介を最後に取っておいたので読む記事がない、それは失礼。

「西川神父」と答えた方。(いるはずないでしょうね)かなりマニアックな方ですね。確かに西川神父は、広報委員会のメンバーで、東京教区ニュースの編集長です。

「よくわからない」と答えた方。あなたこそ、この先の記事を読むにふさわしい方です。

広報委員会の第一の仕事は、東京教区ニュースの企画・取材・編集などです。

東京教区ニュースの第1号は、1972年8月に発行されました。以後、第75号までを青木静男神父が中心になって発行を重ねました。その後、1990年に新しい委員が任命され、第76号からを引き継ぎ、現在に至っています。

東京教区ニュースは、年に10回発行されています。限られた発行回数、ニュースに求められる速報性。メンバーのほとんどが素人という制約や状況にもめげずに、がんばっています。特に、紙面の活性化、興味ある話題の提供などに頭を悩ませています。きっと各小教区の教会報などを担当されている方も同じような悩みを味わっていることでしょう。

また広報委員会には東京教区ニュースの発行以外にも隠れた仕事があります。「世界広報の日」(日本では復活節第6主日)の行事、あるいは教区広報担当者の全国会議などでの他教区担当者との情報交換、中央協議会の広報部との協力による企画なども、その中に含まれるものです。

広報委員会は、信徒・修道者・司祭によって構成され、東京教区ニュースの発行を始めとするこのような仕事に関わっています。また東京教区ニュースを各小教区にお渡しするための仕分け作業などは、関口教会の信徒のボランティアが行っています。

いろいろな形で、いろいろな方々が東京教区ニュースと関わっています。これからの東京教区ニュースのひとつの課題は、読者の方の声が編集スタッフに届き、それが紙面に生かされていくことです。その意味で、読者の方の関わりの重要さを、この紙面を借りて訴えたいと思います。

すべての方のすべての声を完全に反映することには限界がありますが、これからの課題として受け止めていただければ幸いです。

なお、目の不自由な方、読むのが困難な方には、朗読テープがあります。教区ニュースの紙面を高円寺教会のルチア会の方々が読んで下さって、CIC(カトリックインフォメーションセンター)でダビング郵送しています。まだ朗読テープのことをご存じない方に、この記事を最後まで読まれた方はお伝え下さい。また、朗読テープの希望者は広報委員会までご一報下さい。
(浦野雄二神父)

教区委員会紹介は、今月号で終了します。

教会・修道院巡り(54)『世田谷教会』

週末は若者であふれかえる下北沢、その飲み屋街の奥の樹木に囲まれた静じゃくな空間、それが世田谷教会です。

当教会は1946年に故今田健美師によって創立されました。師は廃墟と化した地と人の心に信仰と希望の燈を灯すべく、復員後ただちに世田谷の地を物色し、運よく中西邸に間借りして池尻教会の名称の下に発足しました。

翌年に現在地を取得して、府中墓地の聖堂をもらい受けて移築。これに祭壇部分と司祭館を増設して十字架型とし、名称も世田谷教会と改められました。ちなみに信徒会館は、今もそのままアメリカ軍のカマボコ兵舎です。

今田師の意向の下、信徒は、聖堂の建立、プールの廃材を利用したルルド作り、大小の木を持ち寄って植樹をするなど、すべて自前で建築と庭造りをしました。

今に至るまで、古い木の香が漂う暖かな聖堂は、訪れる人に喜ばれ、信徒もその歴史と共に愛着を抱き、できる限り補修して保たせています。

今田師のユーモアあふれる熱意ある宣教は人びとを魅きつけ、多くの方々が敗戦の失意からキリスト教によって希望を見出だし、次々と受洗されました。

その後、数多くの宣教会の進出による分封で管轄範囲の狭い小教区となり、創立に情熱を注がれた今田師も、世田谷教会の主任司祭として25年間の在住の後、浅草教会へ転任されて、佐久間師に引き継がれました。

佐久間師は、第2バチカン公会議による大変革の時に、奉献文の日本語翻訳などの委員として、新しいミサの実践のために働かれました。

師はミサこそ信仰の基礎であると常に説いて、ミサに全身全霊を注いで私たちを信仰の深みへと導かれ、信徒も、信仰は深さこそ大事であると自覚して、主日のミサは荘厳な祈りのうちに、神への讃歌を高らかに歌い上げ、感謝の思いに満たされています。

そして信徒は、東京教区の一角を占めるべく、主任司祭を中心に一丸となって、神の栄光のために、それぞれに相応しい役割を分担して働き、信仰の喜びのうちに日々を送っています。

来年は献堂50周年を迎えます。5月17日午後2時より、白柳枢機卿を迎えて、当教会にゆかりある司祭、修道者、信徒の方々にお出でいただき、共にミサを捧げ、懇親の時を持ちたいと計画しています。
(信徒H・B)

〒155 世田谷区北沢1-45-12
TEL03-3467-0929 FAX03-3467-0965
ミサ時間 (日)8時、10時30分

大聖年準備第1年目

「キリストの年」の第3メッセージ 救い主イエス・キリストの母、聖マリア

はじめに

わたしたちは信仰宣言において、「主はわれら人類のため、また、われらの救いのために、天よりくだり、聖霊によりて、おとめマリアより御からだを受け、人となりたまえり」と、マリアによって救い主、神の御子が人となられたと宣言します。

使徒的書簡「紀元2000年の到来」は、大聖年準備のイエス・キリストを主題とする第1年において、救い主イエス・キリストの母、聖マリアの秘儀について観想することを次のように勧めています。「みことばが人となったのは、マリアの胎内においてでした。したがって、キリスト中心の理解は、聖母が果たした役割についての認識と切り離すことができません。……マリアは事実、つねに神の子キリストを指し示しており、すべての信者にとって信仰を生き抜いた模範となっています。『教会はマリアを敬愛の念をもって思い、人となられたみことばの光のもとにマリアを観想しつつ、受肉の最高秘儀の中に尊敬をもって深く分け入り、自分の花婿にますます似た姿となるのです。』」(「紀元2000年の到来」43参照)

使徒的書簡の勧めに従い、救いの歴史におけるマリアの姿を、特にマリアの信仰と霊性に焦点をあてて顧みてみましょう。

1.お告げにおける聖マリア

おとめマリアが宿した胎内の子は聖霊による神の賜物でした。天使のことば「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(ルカ1・35)は、旧約のイスラエルの中における神の現存(出エジプト40・35参照)を暗示しています。出エジプト記は、神の超越的現存と人々の間、すなわち幕屋における現存を記していますが、この2つの神の現存はマリアの中に新たにされます。マリアは神のひとり子イエス・キリストの人間としての母となりましたが、イエス・キリストにおける神性と人間性の一致の故に、教会の初期から神の母と呼ばれました。「だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ1・35)

ルカ福音書はマリアの信仰を記すにあたって、わたしたちが直面すると同じように、とまどいについても触れていますが(1・29、2・50参照)、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1・45)とマリアの信仰の強さを強調しています。そして、イエスの母マリアを旧約の信仰者の父アブラハムに対比しています(1・55参照)。マリアはアブラハムのように神の前に恩寵を得て、「恐れることはない」(1・30)、「神にできないことは何一つない」(1・37)と言われ、不可能と思える子供の誕生に対する信仰の故に讃えられました。

ルカはまたマリアを、旧約以来の信仰者たちの頂点にくる方として紹介しています。「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる」(1・28)という天使の挨拶は、通常の挨拶ではなく、メシアの到来を知らせる喜びのことばでした(ゼカリア9・9〜10、ヨエル2・21〜27、特にゼファニヤ3・14〜17参照)。お告げにおいて、ルカはゼファニヤ書のことばを用いることによって、マリアをシオンの娘に、イエスを王である神と同一視しています。天使のお告げの喜びは、救いの喜びであり、お告げを受けたマリアはシオンの娘、イスラエルの集約であり、イスラエルにおける神の現存は、おとめマリアが身ごもったことの中に新たに実現されます。

2.主の貧しいはしためである聖マリア

マリアは天使に答えました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)。「はしため」は旧約以来の「主のしもべ」の霊性によって理解されます。主のしもべは、神の最高の尊厳を認め、いつでも神に従う用意がある敬虔なイスラエルの信仰者のことでした。また、モーセ(出エジプト14・31等)、ダビデ(列王記8・24等)、アブラハム(創世記26・24)、イサク(創世記24・14)、ヤコブ(出エジプト32・13、ヨシュア24・29)、預言者たち、祭司たちなどの神の民の中で特別な使命を委ねられた人々が、主のしもべと呼ばれています。

イエスは「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」(ルカ6・20、マタイ5・3参照)と教えられましたが、マリアは讃歌(ルカ1・46〜55)の中で、自分を主の貧しいはしためと呼びました。貧しい者とは、忍耐強く圧迫に耐えて、主に信頼を持ち続けている者のことでした(特に、詩編9〜10等)。主の貧しい者は、神の国を受け継ぐイスラエルの残りの者、主の好意を得ている者(イザヤ65・2参照)であり、メシアによって救われる謙遜な民(ゼファニヤ3・12)の最初の者となります。

ルカ福音書が伝えるお告げや讃歌におけるマリアは、「身分の低い、この主のはしため」(1・48)、「身分の低い者」(1・52)、「飢えた人」(1・53)、「その僕イスラエル」(1・54)、「主を畏れる者」(1・50)と主のしもべと貧しい者の精神に満たされています。救い主である神への完全な信頼を持つ貧しい者という旧約のイスラエルのすべての霊性は、マリアのうちに実を結びます。信頼をもって主から救いを希望し、それを受ける主において謙虚な貧しい人々の中で、マリアが特に秀でていました(「教会憲章」55参照)。このマリアの精神は「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)のことばでもう一度繰り返されます。このことばによって、神の御心が実現することだけが自分の望みであることを表明します。

3.キリストの救いの秘儀に協力する聖マリア

マリアは「天使のお告げを聞いて、心と体で神のみことばを受け、世に生命をもたらし」ました(「教会憲章」53)。キリストによって宣べ伝えられた神の国は、「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ12・50)と記されているように、血肉の絆を越えて、父の御心のうちに見出されるものでした。マリアは「なんと幸いなことでしょう、あなた(キリスト)を宿した胎、あなたが吸った乳房は」(ルカ11・27)であるばかりでなく、キリストから「むしろ幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」(ルカ11・28)と言われたように、神の御心を行った方でした。

お告げのときに始まったマリアのキリストへの協力は、キリストの生涯の秘儀全体に及びました。マリアについての理解を深めた「教会憲章」は、以下のようにまとめています。「マリアは、神のことばに同意してイエスの母となり、心から、……、神の救済の意志を受諾し、子のもとで、子とともに、全能の神の恩恵によって、あがないの秘儀に仕えるために、主のはしためとして子のその働きに完全に自分をささげたのである。したがって、マリアは単に受動的に神に用いられたのではなく、自由な信仰と従順をもって人類の救いに協力した」(56)。マリアは「キリストを懐胎し、生み、育て、神殿で父に奉呈し、十字架上で死去した子とともに苦しむことによって、従順、信仰、希望、燃える愛をもって、人々の超自然的生命を回復するために、救い主のわざに全く独自な方法で協力した。このためマリアは恩恵の世界においてわれわれにとって母であった」(61)。聖霊降臨に与かった後(使徒行録1・14参照)、「最後に原罪のいかなる汚れにも染まらずに守られていた汚れない処女は、地上生活の道程を終えて、肉身と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、…、罪と死の征服者である自分の子に、マリアがよく似たものとなるためであった。」(59)

聖マリアの信仰と救い主キリストへの協力を黙想し、聖マリアのように信仰によってキリストに結ばれて、キリストの救いに協力と恵みを祈り、キリストの救い2000年の祝いを迎える準備としたいものです。

1997年10月17日 日本カトリック司教協議会 大聖年準備特別委員会

編集部から

「VIVID」の紙面が教区の企業努力を感じさせる東京教区ニュースに、修道女のアンテナとして最近加わりました。

さまざまなテーマのもとでの企画が繰り広げられる割りに、なかなかヒットが出ないのはなぜでしょうか?

イエスのメッセージは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。もっと素朴にマザー・テレサのように福音を生きることが、クリスマスの呼びかけなのでは?と思うこの頃です。

福音の中味をどのように表現するのが、いちばんピーンと来るのでしょうか??
(Sr.石丸脩子)

来月号から刷り色が変わります。どうぞお楽しみに。