東京教区ニュース第147号

1997年11月01日

「メディアと倫理」をテーマに
教区広報担当者全国会議

オウム真理教とのかかわりでTBSが行ったサブリミナル・テープの放映、 神戸の中学生による連続殺傷事件、 ダイアナさんの死とパパラッチとの関係など、 最近特に、 メディア側に正しい倫理観を要求する声が強い。 またその一方で、 視聴者の側の倫理についての意識の高まりも見える。 このような現状を踏まえ、 年に一度開催する教区広報担当者全国会議が、 「メディアと倫理」 をテーマのもと、 香取淳子氏、 森一弘司教、 郡山千里氏を講師に、 10月6日午後から8日正午まで、 潮見の日本カトリック会館において開かれ、 全国からの広報担当者が研修した。 

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初日の未明、 名古屋の前教区長・相馬信夫司教が帰天されたため、 出席予定の広報担当者が欠席せざるをえなくなるという事態が生じた。 また教区での不測の出来事に対応するため、 今回の出席者は、 全国11教区から18人の担当者と 「カトリック新聞社」 「中外日報社」 の取材記者を含め、 9人のオブザーバーを迎えて開かれた。 講師には、 香取淳子氏、 森一弘司教。 郡山千里氏を迎え、 それぞれの立場から見た 「メディアと倫理」 について半日ずつの講演を聞き、 その内容を深めた。 

各教区の分かち合い

第1日目は、 出席者一人一人が、 自分の教区での広報活動について、 またその中での自分の役割について紹介するという形で分かち合いが行われたが、 ほとんどの教区では、 広報担当者が教区報の編集者であった。 

広報担当者もさまざまで、 約10年間、 広報の仕事に携わっている司祭もいれば、 今年の4月から広報担当になり、 まだ教区報をひと月一度出すのに追われている担当者まで多様である。 さらに司教、 司祭、 男性信徒、 女性信徒、 修道者と担当者もカトリック教会を表しているようにバラエティーに富んでいる。 

教区の広報も、 教区報から次第にホームページ、 E-MAILと多岐にわたるようになっており、 分かち合いの中にも、 ホームページを運営していく苦労などが話された。 

スキャンダル報道にも受け手の責任

2日目の午前、 米沢女子短期大学の香取淳子 (かとりあつこ) 助教授は、 「スキャンダル報道をなくすことはできるのか?」 という側面からダイアナ元妃の事故報道に焦点をあてて話した。 

人間の心理は、 人が驚く時、 その驚きのあとに怒り、 憤りという反応が起こり、 その驚きの原因を見つけて、 怒りをぶつけようとする。 

ダイアナ元妃の時はまさにこれを図式に描いたようであった。 第一報ではパパラッチのせいで災難に遭ったことが書かれ、 人々の怒りはこの報道でパパラッチの方に向かった。 

次に、 詳細が分かるにつれ、 パパラッチのせいだけでなく、 そのような新聞、 雑誌を買う受け手の側にも責任があるのだということに論評が及び始めた。 ここで、 メディア批判が出てくる。 これに対して、 メディア側の反応は、 一般紙は総じてメディア批判をしている。 その中で、 「小切手ジャーナリスト」 という言葉も使われている。 イギリスの大衆紙も日本の大衆紙も、 メディア側に批判的である。 

パパラッチに関連して、 大衆紙の報道に非難が及んだが、 大衆紙の発行部数は皮肉なことに伸びているという現状がある。 

ダイアナ元妃は亡くなっても、 映像は非常に多く残っており、 この映像資料を組み合わせ、 番組をつくることができる。 マスコミの機能として挙げることのできるのは、 (1)価値付与の機能、 (2)議題設定機能であるが、 ダイアナ元妃にはこの機能が見事に働いた。 

ダイアナ元妃は、 ロイヤルウエディングで、 世界の人々にシンデレラ的な幸福感を味わわせたが、 不倫などによって人々の好奇心もかきたてた。 最期のころには、 広範囲にわたる福祉活動に尽くし、 人々の関心を地雷やエイズに向けさせた。 死後直後は聖人のような扱いをメディアから受けたが、 今はそれも変わってきている。 

スキャンダル報道はいつの世にもある。 いくらメディア規制をしてもなくならないものである。 スキャンダル報道の機能として、 人々が持っている憤り、 怨念などを持っていたり、 満たされないものを持っている人々にとって、 幸せな人がスキャンダルによって悲劇的な状態に陥ることは留飲をさげることになる。 

よきサマリア人法

フランスでは、 ダイアナ元妃に関連して7人のパパラッチが逮捕されたが、 日本ではあの状況では逮捕できない。 しかし、 フランスには 「よきサマリア人法」 というものがあり、 「ジャーナリストであるより先に人間だ」 という考えがある。 困った人が目の前にいるのなら、 写真を撮るよりまず、 助けなければならないという法である。 

商業性を重視するあまり、 いろいろなことが起こっているが、 公共性を重視する方向に考え方を変えていくように、 受け手である私たちも、 ジャーナリストの一人一人も変わっていかなければならない。 

責任という観点からとらえたメディアの倫理

2日目の午後、 森一弘司教は、 責任という観点からメディアの倫理をとらえ、 概略次のように話した。 

今の子供たちは、 テレビを週日平均2時間見ており、 休日には3時間見ているという調査結果がある。 子供がひと月70時間近くテレビを見ているとすると、 学校の授業より影響を受けるのは当然である。 実際に子供たちの話題でもテレビの話題が一番多いという結果も出ている。 

社会を動かす奥深い革命

最近1か月間見たテレビ番組で印象深いものを子供たちに挙げてもらった調査では、 アニメと共に、 母親と一緒に見ていると思われるトレンディードラマが挙がっている。 

これは、 親と子の境界線がなくなったことと、 テレビ視聴に対して、 親の歯止めがきかなくなっていることを示している。 これは子供がマスコミの影響の前に自由になりつつあるということである。 別の表現をすれば、 情報について、 大人が指導したり、 制限したりできなくなっているということである。 これは奥深い社会革命である。 

一方、 文化の伝承がぷっつりと切れ、 メディアの影響が増えている現象がある。 実際の人間の出会いが奪われている中で、 子供たちは大人と同じ情報を持ち、 テレビによって、 この世の中の酸いも甘いも疑似体験する。 

具体的提言1年間の体験学習を

このような社会の中で、 送り手の倫理的センスが要求される。 この点でカトリック教会からもっとメッセージがあってもよいのではないか。 

テレビは生きるための積極性を奪い、 無気力を育てる。 文明から活力を奪うには、 テレビ漬けにするとよい。 今の日本の文明の表面には出ていないが、 確かに底力が奪われている。 この弊害から別の道を歩くように真剣にならなければならない。 

家庭がおかしくなっており、 社会の底辺がおかしくなっていることに、 私たちは気づかなければならない。 マスメディアの影響を薄めるために、 小中高で学校を一時やめて、 1年間の体験学習を実施したり、 大学は希望する人はだれでも入れるようにし、 その代わり卒業を難しいようにすればよいのではないか。 私はこうすれば、 少しはよくなるのではないかと思う。 

伝えるべきか、 否か

最終日の3日目、 日経BP企画の社長である郡山千里氏は、 自身の研究と体験を踏まえ、 次のように話した。 

倫理とは行動の指針。 その場その場で、 瞬時に 「伝えるべきか、 伝えざるべきか」 を判断する指針となるものである。 この指針は、 社会によっても、 人によっても違っている。 日本の社会は絶対者のない社会なので、 この点が非常に難しいと思う。 

メディアの中で影響の強いものは、 テレビ、 雑誌、 スポーツ紙、 夕刊紙である。 テレビが現在抱えている問題は多チャンネル化ということである。 500チャンネルの時代に入ろうとしているが、 よい番組をその中で流しても、 500チャンネルの中で、 どれだけの人が見てくれるかが問題となる。 

スポーツ紙はますます文字が少なくなり、 ビジュアライズされている。 雑誌も同じ傾向で、 大判になり文字が少なく、 写真が多くなるという傾向にある。 この影響は新聞にも及び、 ニューヨークタイムズもカラー化を導入した。 

インターネット、 パソコン通信がはやりのように言われているが、 インターネットのホームページは個人でもできるし、 配る費用もゼロに近いというメリットがある。 最初は個人対個人であったのが、 最近では個人対多数に変化している。 

メディアは社会を支配しようとするものである。 その中で、 私たちはメディア・リテラシーを身につけ、 受け手として積極的に利用しなければならない。 

教会はこれまで、 マスメディアを敵視したり、 監視したりしてきたが、 今は発信しなければならない。 

参加者の感想、ジレンマ

教区広報委員の集いで話題になったのが、 紙面作りの基本ポリシーについてだった。 

司牧や宣教に関する教区の方針をキチンと教区の信徒に伝える伝達紙という役割と、 信徒同士の交わりに役立つという交流紙の役割が、 紙面作りの場でぶつかって、 そのジレンマに担当者が悩んでいるという報告である。 

できれば両立することが望ましいが、 限られた紙面では、 いずれを取って、 いずれかを捨てるということになる。 

各教区の報告を聞いていると、 そのことについては、 決して安易に決めているのではなく、 それぞれ、 悩み、 激論を交わし、 受け手の声を聴きながら苦しんだあげくに、 いずれかを選択したようである。 

結果的にいえば、 約8割が前者、 つまり、 教区の計画や方針を正確に伝えるという伝達紙の方を選んでいた。 

おびただしい情報が入り乱れている中で、 教区の信徒の多くが、 最も知りたいことを伝えていくことを使命とする教区広報紙が、 教区の方針や動きを第一に取り上げるのは自然の流れかもしれない。 にもかかわらず、 「伝達」 と 「交流」 のジレンマが続くことも事実である。

(西川哲彌神父) 

CTIC事務所移転 ~陽あたりのよい5階へ~

10月4日午後2時からCTIC亀戸事務所の移転記念パーティーが行われた。 亀戸に事務所を移して3年、 相談者も増え、 手狭になったのでこのほど駅から5分、 陽あたりのよいビルの5階に移転した。 

前の事務所の3倍の広さがあり、 事務所でのパーティーとなった。 また、 滞日外国人のために働く事務所らしく、 料理は韓国、 フィリピンの人たちの手作りであった。 

CTIC担当の大原猛神父は 「3年前、 亀戸に事務所を移した時に、 はたして相談に来てくれるかどうか心配だったが、 小さな部屋が手狭になるほど、 相談者やボランティアの方々が訪れてくれた。 

一番大きかったのは、 皆さんに支えられていることを実感できたことだ」 と感謝の言葉を述べた。 

白柳誠一枢機卿は、 「CTIC (カトリック東京国際センター) は、 教区100周年記念事業として出発した。 世界は今、 共に歩む世界になっている。 より豊かな生活をするために、 文化の異なる人々が集まることはすばらしい。 皆さんに厚く御礼を述べたい」 と人々の協力をはげました。 

また、 CTIC運営委員長の森一弘司教は、 「CTICの上はボクシングジム、 下は某宗教団体、 1階はコンビニと混とんとした現在の日本の現状をそのまま現しているような場所だ。 CTICのような仕事は、 高齢化社会のシンボルのように思える。 なぜなら、 この事務所にかかわっているシスターたちの明るく若く元気な様子を見ればわかる」 とスタッフを元気づけた。 

広くなった事務所には、 小さな子ども連れも多くみられ、 おいしい勾いとにぎやかな笑い声がいつまでも続いた。 

お知らせ

シプリアニ大司教来日

日本政府の招きで来日したペルーのシプリアニ大司教が、 10月8日午後2時30分、 カトリック中央協議会を訪れ、 白柳誠一枢機卿と浜尾文郎司教協議会会長と面談した。 

東京韓人教会 主任司祭交替

10月5日、 東京韓人教会主任司祭・崔周浩神父の帰国に伴い、 お別れのミサとパーティーが開催された。 

後任のマテオ李源圭(イ・ウォンギュ)神父は12日に着任した。

マタタ神父のインタビュー

金祝を迎えたミルサン神父を訪ねて

金祝を迎えたミルサン神父を訪ねて

『いかに美しいことか山々を行き巡り、 良い知らせを伝える者の足は。 

彼は平和を告げ、 恵みの良い知らせを伝え救いを告げ…』

(イザヤ52・7)

今年の10月5日に司祭として、 金祝を迎えたミルサン神父にふさわしい言葉です。 

ミルサン神父は、 昭和23年6月18日に、 パリ外国宣教会の司祭として来日しました。 

その後、 最初の10年は、 当時の清瀬教会 (現在の秋津教会) の主任司祭として働きましたが、 それ以後中野地区に移ってずっとベタニア会の事業に打ち込んできました。 

その日々の忙しさの中にも、 結核療養中の人びとを巡って、 すぐれた公教要理の勉強を続けた、 事業家と宣教師の両面のバランスをとって働いてきました。 

日本で働くことを大きな生き甲斐として、 終戦後まもない社会の心身の飢えと渇きから、 教会に関心を示すたくさんの人たちに、 洗礼を授けてきました。 それこそ、 宣教の実りであると思われます。 

しかしながら、 「なぜか、 その後、 次第に教会に関心をもつ人の数が減ってきたことは、 とても残念でなりません」 とさびしそうに言われました。 

また、 修道会との協力によって、 病院と教育の事業は、 信者、 未信者を問わず、 その着実な働きによって継続し、 十分に果たされてきました。 

近年は、 日本に限らず、 ヨーロッパでも若者の教会離れが著しいことが、 同師にとっても淋しいことです。 教会が福音宣教のために、 できるだけ信者の数を増やしてほしいということは、 ミルサン神父の強い願いです。 

千葉ブロック (旧称) 大会

「外国人との共存を求めて」 400人が参加

9月7日、 成田市の国際会議場を借りて、 恒例の千葉ブロック大会が開催された。 

千葉ブロック内の11教会から400人ちかくの信徒が集まり、 司祭たちも全員参加した。 

今年の大会テーマは、 「外国人との共存を求めて」。 

午前中は大阪教区の鷹取教会の主任司祭・神田裕師の講演。 

師は、 阪神大震災の経験をもとに、 外国人と共に生きていくためには、 まず日本人の意識改革が必要と訴え、 外国人との触れ合いによって、 自分たちがいかに変えられていったかをいくつもの事例をあげて具体的に説明し、 聴衆の共感を呼んだ。 

午後からは参加者たちによるパフォーマンスを楽しみ、 最後はミサでしめくくった。

訃報

アロイジオ 相馬信夫司教 (前名古屋教区長)

10月6日未明、 急性心不全のため名古屋市名東教会で帰天。 81歳。 

1916年6月21日 千代田区に生まれる。 

60年3月18日 司祭叙階 (東京教区) 洗足教会助任、 荻窪教会助任、 高円寺教会主任を歴任

69年9月15日 名古屋司教叙階、 教区長就任

91年1月31日 湾岸避難民救援実行委員会委員長

92年1月29日 91年度朝日社会福祉賞受賞

93年6月25日 教区長 引退

正義と平和協議会担当司教、 宗教法人責任役員、 常任司教委員、 財務委員、 宣教研究所運営委員、 人権福祉委員、 難民定住常任委員、 カトリック新聞社担当、 カトリック書人協会会長、 神学院司教常任委員長、 WCRP非武装委員会委員長、 いのちの電話協会理事長、 養護施設 「麦の穂学園」 理事長、 国内、 国外 (主に韓国、 フィリピン、 南米) の人権擁護のために活躍した。

男の癒し、 女の癒し- あなたの心は瑞々しいですか?

女性と教会委員会主催講演会

10月4日、 東京教区女性と教会委員会は、 関口会館で 「男の癒し、 女の癒し-あなたの心は瑞々しいですか?」 の講演会を開き、 60名余りが集まった。 

深刻な事件が起こり、 閉塞状況で疲労しつつある現代社会に生きる私たちに 「癒し」 は重要な意味をもつ。 

講師は、 筑波大学付属盲学校理学療法科講師の藤原美子氏と横浜国立大学保健管理センター助教授でセラピストの堀之内高久氏の2人。 

藤原氏は、 国際色豊かな教師の研究会のなかで体験した欧米人と日本人の反応の違いを例にとり、 日本人は内面世界を第一に配慮し大切にするが、 欧米人はありのままの現実を見すえ、 過酷で厳しい現実に対決し改善していこうと行動する。 

日本人は心のフィルターを通して現実を見ているのではないかと、 「心」 を重視する日本人の生き方を示した。 

また、 30年以上前の映画になるが 「素晴らしきかな、 人生」 のストーリーを紹介しながら、 生きてきた、 存在してきたことにこそ意味、 価値があり、 存在に意味のないこと、 無駄なことはない、 と語った。 

最後に、 役に立つ、 立たないで価値を決めがちだが、 役に立つことと価値のあることは全く違うことを認識するようにと強調し、 家庭のなかにまで忍び込んでいる競争原理、 資本原理に警鐘をならし、 感動を忘れない心をもつことの重要性も加えて、 堀之内氏にバトンタッチした。 

堀之内氏は臨床心理士として活躍している方だが、 多くの方々のカウンセリングをしている状況から 「悩みの解決のプロセス」 を話した。 

あるとき受けた心の傷は、 生きていくなかでさまざまな障害をもたらすが、 過去の事実は変えられなくても心の状態は変えることができると事例を交えて話し、 また実際的な質問が出たり、 体験学習として実際にプレイしたりして、 参加者は体験的に癒しの一歩を感じることができた。 

大切なことは知識ではなく、 その人自身が内に秘め、 修羅場には必ず出てくる癒しの力を引き出すことであり、 そのためにも、 通常は自分自身の身体感覚を大切にし、 困難の乗り越え方を身につけていることと、 支え合うシステムの必要性が述べて、 講演は終了した。 

委員会では、 今回の主テーマ 「癒し」 を、 来春3月に開催予定の一泊交流会で、 さらに深めていきたいと思っている。 次回の交流会も、 多数の参加を期待している。  

(Sr.緒方真理子) 

「与えたものよりはるかに多くのものをいただいています」 

(ケルン教区、 故フリングス枢機卿のことば) 

11月16日はミャンマーデー

姉妹教会の関係を結んでいるミャンマーの教会のために、 11月の第3日曜日に東京教区の全教会で祈ることは、 戦後のケルン教区との姉妹関係、 援助の精神にならい、 1980年に始まりました。 

外国人宣教師が働くことが許されず、 貧しい少数民族にカトリックが多く見られるミャンマーの教会に、 ミャンマーデーの日のミサ献金は送られ、 主に神学生養成に用いられています。 また最近、 活発になっている教会・宣教活動のためにも、 さまざまな形で援助しています。 

近年は、 人的交流も少しずつ進み、 近い将来に信徒の宣教師 (技術者) の派遣なども検討されることになりそうです。 12月には、 白柳枢機卿が訪問し、 叙階式等にも参列する予定です。 

今年も皆様の愛と祈りと献金をお願いします。  

(ミャンマー委員会)

CTIC東京国際センター通信

新事務所に移って

CTICが9月1日に新しい事務所に引っ越した。 8階建てのビルの5階である。 

1階はコンビニエンス・ストアー 「ローソン」、 2階は学習塾、 4階は某宗教団体、 6階はボクシング・ジムと様々な人々が出入りする雑居ビルの中にある。 

四方に窓があり、 とても明るい事務所だ。 窓の外には、 ハローワーク、 JR総武線の黄色い電車が見える。 子供連れで相談にきた人には評判だ。 

スタッフの体制等でストップしていた土曜日の相談も、 多くのボランティアが集まり再開した。 相談者の多くは仕事をもっており、 平日働いているので、 土・日の相談希望が多かったが、 やっと、 それに少し応えることができるようになった。 

新事務所に移ってからの最初の相談は、 牛久の入国管理局に収容されているブラジル人の男性からだった。 

「帰国の旅費がないため、 ブラジル・サンパウロまでの片道航空券の費用を援助して欲しい」 との相談だった。 超過滞在等で告発され、 強制送還の対象になる。 

東京近郊だと北区十条にある東京入国管理局第2庁舎に収容され帰国を待つことになるが、 強制送還といえども自費での帰国になるので、 その費用が工面できない等の事情がある人は、 茨城の牛久にある東日本入国管理センターに身柄を移される。 

事情を詳しく聞くと、 埼玉に叔母がいるらしい。 CTICのスタッフから連絡をとることにした。 

「あの子は、 日本にきてから悪いことばかりやりましたから、 反省のために長く収容して教育してくれるように入管にたのんで下さい。 あの子はブラジルに帰ったら、 ますます悪くなります」 と逆に頼まれてしまった。 

今回も麻薬関係で逮捕され、 3ヵ月の実刑後、 入管に収容されたらしい。 さて、 困った。 叔母さんには、 入管は更生のための施設ではないことや、 本人も深く反省し、 一刻も早く帰国を希望していることを伝え、 本人と今後も連絡を取り合うようにお願いした。 

本人にも、 叔母の心情を伝え、 お互いに連絡を取り合うように連絡した。 

1990年の 「出入国管理および難民認定法」 の改正時に、 日系2世、 3世の滞在資格が新設され、 入国規制が強化されたフィリピン等のアジア系の移住労働者に代わって、 南米等に移住した日本人の子孫を合法的な労働者として受け入れ、 それに見合った体制がつくられた。 

昨年 (1996年) 末の南米系の外国人登録者数は、 約25万人。 1年前と比べて、 12%増だ。 南米出身者の登録者の9割は日系人関係の資格での来日だ。 

日系人は、 滞在資格が安定しているため、 家族の呼び寄せが広く行われている。 日系人の子供が多い自治体では学校での日本語の補修などが行われているが、 高校や大学の進学に日本語能力が障害になる場合が増えてきた。 

高校などに進学できずに、 また、 両親も仕事が忙しく、 コミュニケーションが不足し、 自分の居場所がなく、 非行化していく子供たちも少なくない。 

時には、 子供が母国語よりも、 日本語が流暢になり、 父母と会話ができない等のケースも出てきている。 前出の男性もたぶんその傾向が強い。 

一時的に出稼ぎで来たつもりが、 昨今の景気低迷にかかわらず、 自国よりも経済的・治安的に安定した日本への定住化が進んでいる。 

自国では日本人としてあつかわれ、 日本では外国人としてあつかわれ、 アイデンティティが揺らいでいる。 

我々の教会には彼らを受け入れる態勢、 度量があるだろうか?  

(有川憲治) 

真生会館 カトリック学生センター

アフリカスタディツアー

妙にあわただしい毎日を送っていた自分が小さく見えた…

9月に3週間にわたって、 18名の学生が、 南アフリカ共和国とジンバブエを訪れた。 ハプニングとトラブルの連続に悩みながら (引率の余語神父談) も、 アフリカ時間の流れる大地・大自然を味わうと同時に、 今も白人とアフリカ人 (黒人) ・アジア人が別れて生活している社会の実態などに触れることができた。 

アフリカの伝統文化で表現された (インカルチュレーテッド) ミサに引きつけられた学生は多かった。 

「太鼓を使った黒人のミサでは、 心の底からぞくぞくさせられた。 最初は、 歌と踊りに圧倒され、 私も歌ったり踊ったりしたいと思った。 実際、 踊りに加わってみると、 ミサに出てお祈りをしているというよりも、 まわりの雰囲気につられて、 その中で自分自身を表現している感じがした。 神父様のお話 (インカルチュレーション、 人々が昔から信じる雨と平和の関係など) にも感動した」 

「日本ではとても静かなのと比べ、 あんなに皆で踊って歌うことに感動した。 文化の違いだけで片づけたくないと思った。 アフリカの人は、 歌と踊りで表現することを誇りとしているけれど、 日本の人は日本の静かなミサを特に誇りには思わない」 

アフリカの人々の心の暖かさなどに感動することもしばしば。 

「ホームステイをしたり、 村の生活を見て、 家族の絆の深さに感動した。 私のステイ先は12人の大家族。 それぞれ家事の役割分担があるらしく、 特に長女と次女は料理、 掃除とよく働く。 必要以上のもてなしはされなかったけれど、 できる範囲のもてなしがすごく嬉しかった。 

日本では、 早く家族から自立することがよいことだと思っていたが、 もっと家族との生活を大切にしようと思った。 いつも自分の忙しいスケジュールに追われ、 本当にやらなくてはいけない基本的な事ができていなかった気がする」 

「出会いが嬉しかった。 自分の勉強の時間を犠牲にして快く迎え入れてくれた大学生、 ステイ先の家族のあたたかい歓迎など。 ゆとりが少ない中でも、 分かち合いながら生活している人々と出会って、 真の思いやりとは何かを知った気がした」 

全体的には、 アジアの島国先進国日本との違いがはっきりするスタディツアーだった。 

「お金について聞かれると、 物価が違うといって逃げたけれど、 よくよく考えたら自分はかなりぜいたくだと思う。 反面、 自分が物に関して豊かなことで優越感を感じてしまっているのも事実だった。 私の日本での生活、 アフリカで出会った人々の生活、 世界水準の生活。 ある一部分を比較して良い、 悪いを判断するのではなく、 私は、 自分の生活についてきちんと責任を持とうと思った。 物の豊かな国、 時代に育ったのも事実だし、 こうして自然の豊かなアフリカに来て、 人々の生活に触れられたのもラッキーだと思う。 アフリカで体験した生活、 アフリカから見た日本の生活、 日本を離れることによってわかったことを今後の生活に活かせたらいいなと思う」 

「『日本では何語で勉強しているの』 と聞かれたとき、 自分がいかに狭い世界で生きているかを痛感した。 また逆に 『これがアフリカなんだ』 と素直に受け止められることもあってよかった。 とにかく広かった。 360度地平線に囲まれた大地に立った時、 妙にあわただしい毎日を日本で送っていた自分が小さく見えた気がした。 これからまたいつもの日々が待っていると思うと少しゾッとする。 でももらったエネルギーを大切に、 まわりの人と喜びを分かち合いながら、 楽しく生きていけるような気になっている」 

カトリック学生センター(03-3357-6227)では、 来春はミャンマースタディツアーとイスラエル巡礼 (第2回) を計画している。 

また、 隔週月曜夜の学生向けキリスト教勉強会や留学生の集いを行っている。 

「キリストを記念する典礼」

公会議連続講演会

東京教区生涯養成委員会が主催する連続講演会 「第2バチカン公会議と私たちの歩む道」 の第3回が、 9月20日午後2時から信濃町の真生会館を会場に、 南雲正晴神父を講師に招いて行なわれた。 

講演会には、 東京教区の信徒を中心に約80人が参加し、 「キリストを記念する典礼」 をテーマにして南雲師は専門である典礼学の立場から語った。 

講演では、 まず信徒の教会からバチカン公会議までの典礼の歴史を振り返り、 公会議の典礼憲章による典礼刷新のねらい、 日本の教会における典礼刷新の現状と課題などを話した後、 参加者との間で質疑応答、 意見交換を行い、 公会議が示した典礼刷新の意味や私たちがこれから努力していかなければならない課題について理解を深めた。 

連続講演会はこのあと、 11月15日、 粕谷甲一神父による 「バチカン=と今・パート2」 を予定している。 午後2時から、 会場はJR信濃町駅前の真生会館。  

(南条進二) 

カトリック教会における結婚

ご存じでしたか? 考えてみませんか?

Q 交際を始めてまもないのですが、 相手から結婚を望まれています。 私としてはもう少し交際して、 相手の方のことを理解してからと考えていますが、 周囲の人々 (両親) がすっかり乗り気で、 早いほどよいと言われていますが?

 

A 結婚を前提としたお付き合いということを聞くことがありますが、 このような場合、 少々不安や無理があっても、 それには目をそらし、 本人あるいは周囲の人々が 「とにかく結婚」 と急ぐことがあります。 しかし、 それでよいのでしょうか。

結婚の前に、 不安やためらいを感じることがあれば、 決して急ぐことなく、 それらのことを解決して下さい。 結婚式や披露宴会場が決まっているからとか、 上司に仲人さんを頼んでしまっているなどの理由で不安を抱えたまま結婚に踏み切り、 後で後悔するのでは不賢明のそしりを免れえません。 相手の方や周囲の期待に答えようとし過ぎて自分の気持ちを歪めてしまう必要はありません。 時間をかけて交際することをお勧めいたします。 

Q 私には結婚したい人がいます。 しかし、 両親が賛成してくれません。 どうしたらよいでしょうか?

A 両親や周囲の人々に反対される結婚には、 それなりの反対の理由があると思います。 その反対の理由の根拠が何かを考えて下さい。 ご本人たちはもう結婚と思い込んでいても、 まだ十分な相互理解も、 結婚生活についての話し合いも出来ていなければ、 周囲の人々は早すぎると不安を抱くと思います。 

結婚することを望む本人たちさえ幸せであればよいと考えて、 周囲の反対を無視してしまうというような態度は避けて欲しいと思います。 

2人で周囲の人々に不安を感じさせている理由を一つずつでも克服して、 信頼を勝ち得てゆくことからスタートしてください。 そのプロセスを通してともに困難を乗り越えることのできる相手であるかを確認するチャンスになると思います。 

(東京管区教会法事務局 結婚問題手続部門) 

教区委員会紹介 その16 「東京教区青少年委員会」

東京教区の青少年の司牧宣教にかかわる問題全般について討議し、 青少年活動の支援をしています。 

青少年とは、 高校生以上を指し、 上限については特に規定していません。 

委員は、 ここ10年間は司教1名と司祭4、 5名で構成してきました。 

一口に青少年問題といってもその対象はあまりにも多様で問題の根も深く、 小教区における青少年の激減という事実の中で、 一体どこから話し合い、 何を支援していいのかもつかめないままに、 時々集まっては考え込むという状況の委員会を続けてきました。 

そんな中でも、 まずは司祭が現場でどのように感じ、 どんな苦労や工夫をしているのか互いに分かち合うことを第一歩にしようと、 青少年について司祭同士で忌憚なく語り合える場を設けたり、 時にそれを目的とした合宿を企画したこともありました。 

また、 青年が小教区を越えて互いに出会い、 青年自身がムーブメントを起こすきっかけになればと、 10年前に一泊交流会を企画しました。 

この交流会がきっかけで東京教区青年ネットワーク事務局という、 青年のネットワーキングと青年活動全般の支援を目的とした集団が生まれました。 これは青少年委員会の下部組織として、 交流会や研修会、 交流旅行や教区100年祭でのイベント、 情報誌の発行などを手がけてきましたが、 現在はリーダーを欠いて、 ほとんど活動していません。 

青少年委員会自体もここ数年は集まることも少なく、 活動らしい活動もしていなかったので、 委員の任期切れを機会に委員会の根本的なあり方を考えようと先頃話し合いました。 

その結果、 他教区の例などを参考に、 信徒を交えた委員会として再出発しようということになり、 青年や青年リーダー、 修道者を推薦し合って数名選び、 現委員と共に9月末に第1回の会合を持ちました。 

そこで決まったことは、 まずはこのメンバーで、 青少年委員会のあり方やビジョンについて話し合っていこうということ、 そのためにも、 青少年の置かれた現状や問題点について分析し、 基本的な認識をていねいに積み重ね、 共有していこうということです。 

青年ネットワークの今後についてや、 現に活動している青少年についてのフォローなども同時に考えていきたいと思っています。 

今後、 主に司祭月例集会の夜を中心に、 毎月一回集まっていくことになりました。 

司祭だけの委員会とは違う柔軟な視点と前向きなエネルギーが感じられ、 今後に期待して欲しいと思います。

(晴佐久昌英神父) 

教会博士 幼いイエスの聖テレーズ

聖フランシスコ・ザビエルと共に世界宣教の保護者、 聖ジャンヌ・ダルクと共にフランスの保護者であるリジューの聖テレーズ (修道名:幼いイエスと尊い面影のマリー・フランソワーズ・テレーズ) が10月19日 「世界宣教の日」 に、 教会博士と公に宣言されました。 

このことはヨハネ・パウロ2世教皇が既に8月24日パリで100万人の信徒を前に発表して以来、 全世界で話題となり多くの人々の関心を集めています。 

教会博士はその教えが教会に深い影響を与えた聖人に与えられる称号で、 近年までは主として男性の神学者、 聖アウグスチヌスや聖トマス・アクィナス等の33名で、 女性ではアビラの聖テレジア・シエナの聖カタリナに次いで3人目の教会博士です。

「教皇が教会博士と宣言することは、 彼女のメッセージや霊性に素晴らしい光があることを公に保証しようという意図があってのこと」 と森一弘司教は語っています。 

聖テレーズは1873年にマルタン家の9番目の末子として生まれますが、 母親は既に病気でしたので、 乳児のテレーズは母乳不足と消化不良で生後3ヵ月で生死の境をさまよいます。 そのため近所の農婦の授乳で育てられ、 健康を回復したものの4歳半で母を失っています。 「小さいママ」 と次女のポリーヌを母親代わりに慕いますが、 その彼女もテレーズが小学2年生の時にカルメル会に入会し、 この姉を通してカルメル会修道女となる召命を確信します。 

テレーズの幼児期の体験は母親からの愛を存分に受けたとしても、 心の深いところで愛への渇きがありました。 

15歳でカルメル会入会の許可をレオ13世教皇に直訴し、 「神さまのみ旨なら必ず入れるでしょう」 との返事に、 希望をもって祈りを続けて1888年、 司教の許可を得て念願のカルメル会に入会します。 わずか9年間の修道生活を文字通り生き抜いて、 1897年9月30日に大いなる福音宣教を目指して天国へと旅立ちました。 

今年は彼女の帰天100年にあたり、 カルメル会の修院長の命によって書き記した3つの自叙伝の訂正されたものや入会前からの手紙、 詩、 断片的にメモに至るまで数多くの出版がなされています。 

第2バチカン公会議は、 教会の本質・使命は宣教であると確認し、 また現教皇ヨハネ・パウロ2世は紀元2000年の大聖年を目前にして、 福音宣教への新しい情熱、 新しい方法、 新しい言葉での 「新しい福音宣教」 の重要性と緊急性を各地で繰り返し強調しています。 

聖テレーズが21世紀を前にした世界宣教の日に教会博士と宣言された現代的意味はどこにあるのでしょうか。 森司教は 「彼女の単純な信頼の道は、 受験・進学競争で、 そして厳しい管理教育の重さの中で、 そしてまた熾烈な生存競争において、 息絶え絶えとなり、 窒息しかかっている現代人に、 回復への道を示してくれるのではないでしょうか」 とカトリック生活10月号で述べています。 

若干15歳でカルメル会に入会した聖テレーズが味わった修道院の生活は、 入会の初日から院長マリー・ド・ゴンザクの不可解な厳しさで始まり、 「5年間の苦しみの時期」 と彼女が語る日々です。 

現代風に言えば 「いじめ」 とも言える生活に加えて、 着衣式12日後には最愛の父が精神病院に入院するという試練で、 非常な屈辱感を味わいながらゲッセマネのイエスの祈りを自分の祈りとします。 「アッバ、 父よ、 あなたは何でもお出来になります。 この杯を私から取り除いて下さい。 しかし、 私が願うことではなく、 み心に適うことが行われますように」 と。 

会則に定められた毎日の多くの祈りの時間は、 何の慰めもない無味乾燥な日々であり睡眠不足がひびいて祈りの時間には睡魔に襲われ、 テレーズの内的緊張はほとんど挫折に近い状態に陥ることもまれではなく、 この苦しい体験を通して、 テレーズは自らの弱さを痛いほど悟ります。

「来る日も、 来る日も、 自分の弱さを新たに身にしみて体験しています」 と、 自分の体力の弱さや貧しさ、 限界を体験して、 何も出来ない自分を思い知ったことからテレーズの自分の存在の意味探しが始まったのです。 本当の意味を探さなければカルメル会という外界から隔離された世界で生きられなかったのです。 多くの現代人と同じく、 テレーズも追い詰められています。 

聖テレーズが家庭で受けた信仰教育は、 神がすべてでありその神はすべてを善く計らって下さるというもので、 神にすべてを委ねて生きるという福音のメッセージの基本で 「神が何の条件もつけずにすべての人に神の方からただで与えて下さる愛」 を体験した教育です。 このような信仰が土台となって、 彼女は神のみを求めて生きる生活で 「小さな道」 を発見し、 ついで自分の固有の召命を発見しています。 わたしの天職、 それは愛です、 と。 

亡くなる2年前に姉から旧約聖書を抜粋した手帳を借り、 「いたって小さい人は、 ここに来るように」 (箴言9:4)、 また 「あなたたちは乳房に養われ、 抱いて運ばれ、 膝の上であやされる。 母がその子を慰めるようにわたしはあなたを慰める」 (イザヤ66:12~13) を見つけます。 

この聖書のことばは、 神の限りない慈しみがこの世界に幼子イエスを遣わし、 この 「愛のエレベーター」 で彼女が小さく弱いままで愛の頂きまでの最短距離をのぼることを理解するのです。 

聖テレーズの自らの貧しさに徹することは決して努力しないというのではなく、 「無理な努力なしの努力」 を生きることを意味しています。 

フランスの哲学者ジャン・ギトンは 「天才リジューのテレーズ」 (南窓社) の中で、 努力に2種類あることを指摘して、 意志の力を緊張させる努力ではなく、 リジューの聖テレーズは努力の真髄ともいえる意志力の緩和という非常に良い努力をしていると述べます。 それは霊的な人々が 「委ね」 と呼ぶ努力、 絶対的な信頼です。 人が本当に信頼を持つなら、 そこにはゆとりと柔軟性が自ずと伴っていきます。 現代の日本人にとって、 彼女の 「無理な努力なしの努力」、 「愛のエレベーター」 は、 救いへの道標ではないでしょうか?

「小さい道」 をひたすら歩む彼女は、 驚くほど多くの手紙を書いており、 手紙全体よりの特徴として、 カルメル会の星野師は 「死の年に近づくにつれて聖テレーズは小さな道についてよりも激しく宣教について語っていて、 世界中の人がキリストの愛の中へ入って救われるようにと書いています。 自分はどうなってもよい」 と。 地上での仕事を続けるために彼女は天国を考えており、 「私の望みは、 天国でも教会と人々のために働くことです」 と、 死を通して時間と空間の制約から解放されて、 本格的な福音宣教へ入り、 地上の私たちを鼓舞し援助しています。 

若くしてこの世を去った聖女と、 9月に 「走るべき道程を走りつくして」 忽然と帰天し現代の聖女と既に人々が称賛するインドのマザーテレサとには共通した面があり、 それは 「生きた福音」、 つまり言葉と行為で福音の真髄を平易に生きたことではないでしょうか。 

「信仰によって生きるために、 私たちにはこの地上のいのちしかないのです」 (『教訓と思い出』) と非常に実存的な普通の生活感覚をもち、 自分の貧しさ、 限界、 手立てのなさから、 神の限りない慈しみに絶対的な光明を見い出した聖テレーズは、 苦悩の闇間を旅する人々に灯台の役割をして、 希望を与えているのです。

(Sr.石丸脩子)

編集部から

この5月から、 泉、 門馬両師の後任として、 マタタ師と私が教区広報担当として、 教区ニュース作りのチームに加わりました。 

教区ニュースが現在のような形になったのが7年前。 

11名のスタッフが教区のアンテナのようになって、 読みたくなるような紙面作り励んでいる1方、 マンネリにならないようにと神経をとがらせています。 

毎月の初めの木曜日の夜、 編集会議を開いて記事の配分や取材の分担等を話し合います。 この1時間あまりで紙面をうめる記事が決まります。 長年編集にかかわって来たベテランのスタッフが見事な腕を発揮します。 

なるべく足で書く記事を提供できるようにと心がけていくつもりですが、 今度のように相馬司教さまの訃報がとびこんで来たりしますので、 テンヤワンヤです。 

教区がどこへ行こうとしているのか、 神の民が何に渇いているのかをなるべくキチンと伝えていけるようにと願っています。(西川)