東京教区ニュース第145号

1997年08月01日

神父の本音がちらり
―司祭の喜びと行きづまり パート Ⅰ―

今年の司祭研修会のテーマは、 司祭そのものに焦点をあてることになった。 

この3年間、 司祭研修会のテーマは、 小教区制度、 ブロック制度、 滞日外国人問題と教区の直面している問題を選んで決められてきた。 

しかし、 今年から何回かに分けて、 司祭と教会のあり方をテーマにじっくりと取り組んでいくことにし、 今年は司祭のアイデンティティーを見つめることにした。 

これは、 大司教の要請で、 紀元2000年、 つまり大聖年を迎えるにあたって、 司祭と教会のあり方を考える糸口にしようとするものである。 

研修会の計画を具体的に進めるにあたって、 係りは小さなアンケートを行った。 それは、 直截簡明に司祭としての喜びや不安、 それに司祭としての生きがい等を尋ねるものであった。 

アンケートは、 5月の司祭月例集会に集まった約70名の中で行われた。 

返事を書いて出した司祭は56名で、 約80%の回収率である。 研修会の準備であったにもかかわらず、 司祭達の本音がちらりとうかがえるものになったことは、 思いがけない収穫であった。 

アンケートの集計結果を紹介しながら、 司祭達の現実を見つめてみたいと思う。 

☆ ☆

アンケートは4つの質問で成り立っている。 


1、 司祭としての喜び
2、 司祭であることへの不安
3、 司祭としての行きづまり
4、 司祭であることを感じる時

質問に答える際、 無記名ではあるが、 主任司祭であるか助任司祭であるか、 また所属が教区であるか、 修道会、 宣教会であるかだけは記入することになっている。 

まず、 第1の質問、「あなたは、 司祭であることに喜びを感じていますか」 

この質問に、 「いいえ」 という答えは2名だけで、 あとの49名は、 「はい」 と答えている。 その他が5名いて、 その中に1名だけ、 「十字架」 とあった。 

司祭であることに喜びを感じている方が89%いるということである。 

また、 それぞれの質問には、 その内容を記入するようになっている。 

紙面の関係で内容を全部紹介することは出来ないが、 大きく分けると3つにまとめられる。 


第1は、 人との交わり
第2は、 ミサや病者の塗油等、 秘跡を執行している時
第3は、 神のことに専心できる人生であること

圧倒的に多いのは、 人との交わりの中で、 司祭でなければできないことに関わっている時という答えが大半をしめた。

人の力になれること、 人々が信仰に導かれ、 キリストを見出すことに役立てること。 その時にこそ司祭でよかったとしみじみ感じると何人もの司祭が書いている。 

多くの人が苦しんでいるし、 光を見出せないでいる中で、 自分を通して光と力が伝わっていく時、 司祭としての召し出しの手ごたえを感じるという答えである。 

以上は、 主として信徒や求道者との関わりのことだが、 他に司祭同士の協働の喜びを記した司祭も何人かいた。 

ある答えは、 司祭団の一員であることを喜びとし、 共に働くことで大きな支えを得ていると書かれてあった。 これも、 司祭が決して単独な仕事ではないこと、 職業的な資格でもないことが深く認識されていることが分かる。 

司祭としての喜びにおいては、 教区、 修道会、 宣教会に区別はなく、 共通したもののようだ。 

次に、 第2の質問 、「あなたは司祭であることに不安を感じていますか」 

この質問への答えは複雑に分かれた。 

「はい」 と答えた司祭が13名、 「いいえ」 と答えた司祭が24名だった。 

「はい」 と答えた司祭の11名は教区司祭。 あとは修道会1名、 宣教会1名。 

司祭の月例集会に出席している方々の約70%が教区司祭なのでその影響もあろうが、 それにしても、 厳しい環境にいる教区司祭が少なからずいることを示している。 

内容を見てみると、 教区司祭の悩みが多少ともうかがえる。 


「司祭間の連帯感が感じられない」
「本当に相談できる人がいない」
「人間関係で、 自己の未熟さを見せつけられている」
「仕事に追われ、 体力にも能力にも限界を感じている」
「司教との人間関係がうまくいかないので……」 

「ひとりで住んでいることに不安と不満がある。 共同生活の可能性はないのでしょうか」 

宣教会の司祭の項には、 

「若い人が教会に来ないこと」 をあげた司祭がいた。 

確かに、 現代という社会は司祭にとってやりづらい時代である。 多くの事が要求され、 必死に応えてはいるが、 どこかで限界を感じているというのが実態ではないだろうか。 

次に第3の質問 、「あなたは、 司祭であることに行きづまりを感じていますか」 

この質問に 「はい」 と答えた司祭は14名で、 約30%。 14名のうち教区司祭は10名、 修道会司祭が4名だった。 

「どのような面に行きづまりを感じていますか」 という質問には、 大体次のような答えが述べられていた。

「教会委員との折り合いが難しい」
「教会管理に能力不足を感じるので・・・」
「自分の生き方が、 教会から受け入れられていないような感じがしている」
「雑事に追われ、 司祭としての仕事に空しさを感じる」 という答えのほかに、
「自分の能力のなさを思い知っている。 特に、 ギリシャ語やヘブライ語ができないので、 ほんとのことがわかっていないのではないかと思うことがある」

という答えもあった。 

また、 こんな答えもあった。 


「現状の小教区には、 常駐の司祭はいらないのではないかと思う。 小教区における司祭の必要性というものが、 信徒の切迫した要求に基づいていないと日々感じる。 真に司祭しかその役目を果たせず、 そうした司祭の存在や働きを切実に必要としている人の所に行く場合、 かえって小教区は妨げになっているのではないかと感じることが多い」

 

第2の質問の場合と同様、 大きな要求に応えきれず、 自分の能力の限界をいやというほど見せつけられながら生きている司祭が見えてくる。 

第4の質問、「あなたは、 どのような時に司祭であると感じますか」 

この質問には、 次のような項目があげられていた。 


1、 秘跡の執行
2、 説教
3、 病人訪問
4、 司祭館にいるとき
5、 弱者のための働き
6、 スータンの着衣
7、 ローマンカラー
8、 小教区司牧

この8つの項目を複数選んでもよいことになっていた。 

答えをみると、 秘跡の執行が多く全体153のうち48を占め、 約31%にあたっている。 司祭でなければできないことをしている、 それによって人の役に立っているという実感が得られる場であろう。 

次に多いのが説教である。 説教さえなければこれほど楽な道はないとさえ言われる説教が、 司祭であることを感じさせる場であることは興味深い。 

次に多いのは病人訪問である。 聖体奉仕者制度がかなり軌道に乗っていても、 まだ、 司祭の手からご聖体を頂きたいという気持ちは、 強く残っているのも事実である。 

その次に多いのが、 弱者のための働きである。 

必要とされている所に行って、 必要としている人のために働きたいという願望は絶えず、 司祭の心に去来する心情である。 

最後の質問、「それでは、 あなたにとって、 司祭であるとは何ですか」 

時間が限られていたにもかかわらず、 これには、 多くの司祭がそれぞれに答えを書いていた。 そのいくつかを紹介したい。 


「秘跡の執行」
「福音宣教する者」
「キリストの思いを伝えること」
「キリストから救いのために遣わされた者」
「人々に神の恵みを取りつぐこと」
「他人と共に喜び、 苦しみ、 共に天国を目指し、 役割の重大さに誇りを持って生きる」
「人々と共に神の生命と祝福にいっそう豊かに参与するよう努め奉仕する者」
「信じる人々の一致の絆となる」
「キリストの心で、 人の前に立つ人」
「キリストに目を上げて生涯を掛ける人」
「キリストの視点で人生を見、 社会を見、 人と関わること」
「キリストの証人」
「父なる神の愛、 キリストの愛を人々に示す者」 

そのほかにもたくさん答えがあるが、 似たような答えなので割愛させて頂くとして、 最後に、 ラテン語での答えが一つあったので紹介しておきたい。 

「アルテル・クリストゥス」 これは、 もう一人のキリストという意味で、 第2バチカン公会議以前から、 「司祭とは」 という問いへの一つの公式的な答えであった。 

今年は10月14日から2泊3日の予定で司祭研修会が開かれる。 今回のアンケートは大きなヒントを与えてくれている。 ともすれば自信を失いそうになりかねない現代社会で、 司祭が自らの足元を見つめ、 一人で困難を乗り越えていこうとするのではなく、 力を出し合い、 互いに補い合っていく時、 あらゆる困難の解決の道がひらけてくるのだと思う。 

司祭が何を考え、 どのように道をひらいていくか、 同時進行でお伝えしたいと思う。 

今回のアンケート報告は、 そのパートⅠと思って頂ければ幸いだ。

(西川哲弥神父)

教区教会委員連合会総会
生涯養成委・連続講演会と共催

東京教区の教会委員連合会総会が6月29日 (日) にカテドラル構内で行われ、 東京と千葉の各小教区からやって来た教会委員の代表およそ180名が、 講演と祝賀会を通して、 研修と交流のひとときを過ごした。 

前日夕方の風雨がうそのように台風一過の青空が広がった日曜日の午後、 各地の教会から参加者が集まってきた。 

教会委員連合会は、 『教会委員の修養と相互の親睦を図り、 各教会の連携を密にする』 (規約より) ことを目的に各小教区の教会委員で構成され、 毎年1月と6月に集まりが持たれているもので、 今回の準備担当は豊田教会 (主任・ディン神父)。 同教会の保護聖人ルドビコ茨木のご絵がはさまれたプログラムを受付で受け取った参加者は、 まず講演会場のケルンホールに向かった。 

午後2時から始まった講演は、 粕谷甲一神父による 『バチカンⅡと今・パートⅠ』。 

これは7月から11月にかけて生涯養成委員会が主催する連続講演会 『第2バチカン公会議と私たちの歩む道』 の第1回 (別掲) という位置づけで、 同委員会と共催の形で行われた。 そのために、 教会委員だけでなく一般の参加者も多く見られ、 会場は満員の盛況であった。 

粕谷神父はまず、 ヨハネス23世の 『アジョルナメント Aggiornamento』 という言葉を引用して、 「バチカンⅡの核心はこの言葉の意味である 『今日化』、 つまり教会が現実社会の中にキリストの愛を証しできるように教会自身を刷新し、 現実社会のほうもキリストに受け入れられるように寛容に働きかけていくという、 現実へのめざめであった。 そのためにキリスト教の根本である 『過越 (パスカ) の神秘』 の原理をもう一回教会の中心部分から活発にして、 それが内面を活性化させ、 社会に働きかけていこうとしたのがバチカンⅡである」 と指摘した。 

そして、 「人間的な絶望状態が神の力によって突破する力を与えられるチャンス、 それが 『過越の神秘』 である」 とした上で、 「教会が弱体化し、 飢えた群衆がカトリック教会を素通りするといういまの日本の荒れ野の現実を見るとき、 絶望から希望に向かって 『パスカ祭』 が近い、 いまこそバチカンⅡの精神が大事である」 とした。 

そして福音書の 『パンをふやす』 箇所を引用し、 「たったひとりの少年の、 自分のすべてを差し出す行為によって、 絶望から希望へ過ぎ越したように、 私たち一人ひとりが立ち上がり、 自分自身がにぎりしめているものを差し出していくことが大事である」 と語り、 最後に、 バチカンⅡの核心を今の時代にもう一度思い出すことが活性化の希望であり、 それが一人ひとりから始まるのだと強調して、 90分に及ぶ講演を終えた。 

この後、 会場をカトリックセンターに移して、 白柳枢機卿、 森司教のペトロ・パウロの霊名の祝日の祝賀会が行われた。 

両司教の健闘と活躍を祈念して乾杯した後、 懇談に移り、 懐かしい顔を見つけてはお互いの教会の様子や苦労話などに話題の花が咲き、 夕方5時頃までなごやかに交歓風景が続いた。 

マタタ神父のインタビュー
―滞日5年目のヴェトナム人フックさんに伺いました―

最近、 日本を訪れる外国人の数は、 ますます増えてきました。 そのため、 教会も国籍を越えた小教区共同体を目指して、 滞日外国人と日本人が共に暮らせる社会を作る必要性に関心を示しています。 そこで今回は、 日本で生活を始めて5年目になるというヴェトナム人のフックさんに話しを伺いました。 

☆ ☆

難民として日本へ

フックさんは、 難民として夫婦で、 1992年9月18日に日本にやって来ました。 日本語は、 来日してから4ヵ月ほど、 国際救援センターで学びました。 その後は独学で勉強を続けながら、 茨城県の運送会社で働いていました。 しかし、 この会社はまもなく (10ヵ月で) 倒産してしまったため、 埼玉県にある木工会社に移りました。 そこで、 関口教会と関わりを持つようになったのです。 

日本の教会との関わり

関口教会では、 すでに2家族のヴェトナム難民を受け入れていました (『ヴェトナム難民を助ける会』)。 これらの友人を通じて、 フックさんは埼玉県の草加市からたびたび関口教会を訪れるようになりました。 そして現在は、 東京大司教館の本部職員として、 近くに住んで、 主に営繕の仕事を担当しています。 1995年4月から始まって、 今年で3年目ですが、 彼は、 何でもやります。 たとえば、 電気の配線、 洗濯機や扇風機の修理、 水道のバルブやパッキングの接ぎ替えや直しもします。 しかも、 ふつうの人ならすぐ新しいパッキングを買いに行ってしまうところを、 フックさんは、 そこにあるものを上手に利用して、 直してしまうのです。 

また、 いつも花の手入れもしているそうです。 このようにして、 司教館の構内が、 彼のおかげで大変スムーズに流れているとのことです。 彼は、 今はこの仕事にすっかり慣れたといえますが、 最初の頃、 仕事や近所との関わりなどについて困ったことがありました。 その中でいちばん困ったことと言えば、 日本語が出来なかったこと。
―自分が伝えたいと思っていることをうまく伝えることが出来なかったために誤解されて、 いろいろ言われたりもしました。 

フックさんの目で見た、 日本の教会の印象

フックさんは毎月、 高円寺教会のヴェトナム人のミサに行っています。 


(以下、 フックさんの言葉) 

カトリック信者は、 どこの国へ行っても同じ信仰を持っています。 しかし、 同じ信者であっても、 その国の習慣や環境によって、 信仰の生き方は違っています。 たとえば、 ヨーロッパやアメリカなどは、 キリスト教の長い歴史を今まで持ち続けてきましたが、 日本やヴェトナムなどのアジアの国々では、 キリスト教よりも、 仏教の伝統が強く根を下ろしています。 それゆえ、 キリスト教の信者になるのは容易なことではありません。 日本では、 徳川時代に、 キリスト教が禁止されました。 しかしながら、 他方で、 キリスト教信仰は、 人々の間で守られてもきました。 その点、 ヴェトナムは、 日本のような島国ではありませんから、 カトリック信仰は早いうちから認められるようになりました。 

日本の教会と日本の社会について思ったこと

日本という国は、 大変発展してきた国です。 しかも、 とても早く文明化された国であり、 その結果として、 日本人は勤勉な国民になりました。 労働時間の節約も厳しく守られていると思います。 しかしその反面、 日本人はリラックスするということを忘れていると思います。 あまりにも忙しすぎて、 だいたい、 宗教や詩、 俳句や文学について考えている一般の人が少ないようです。 生活や信仰のあり方についても、 同じようなことが言えると思います。 それは、 カトリック信者に対してだけでなく、 神道、 仏教徒についても同じであると思います。

海外教会レポート

レポート1 文化摩擦とコンゴ王国の悲劇

今年5月末に、 ザイール共和国からコンゴ民主共和国に変わった国名は、 ベルギーから独立した1960年以前のコンゴ王国、 そして、 その後1971年までの名称であったコンゴ共和国から取り入れられた名前である。 

19世紀のヨーロッパのアフリカ分割政策以前、 当時のアフリカ大陸は、 それぞれが帝国あるいは王国などを形成していた。 現コンゴ民主共和国 (以下コンゴと略す) も、 その時代の歴史を読んでみると、 コンゴ王国、 ルンダ帝国、 ルバ帝国、 クバ帝国などが存在していたことがわかる。 

しかし、 19世紀後半に行われたヨーロッパの植民地政策によって、 これらの王国と帝国は崩壊を余儀なくされ、 文化人類学者の用いた部族、 民族ということばで書き換えられるようになった。 

そして、 これこそ、 西洋とアフリカ全体との出会いにおいてもたらされた大きな悲劇の一つともいえるのである。 つまり、 アフリカとの文化摩擦というものを産み出したのだが、 その文化摩擦は、 次の2つの段階で行われた。 

奴隷制度によるコンゴ王国の悲劇

コンゴと西洋との悲劇は、 大きく2つに分けられる。 その第一は、 奴隷売買という15世紀の考え方。 その第2は、 部族という表現における文化摩擦の問題である。 

1482年、 ポルトガル人が初めてコンゴ河口に到着し、 その翌年にはさっそくポルトガルの使節がキリスト教の布教と貿易を求めて国王のもとを訪れた。 その時国王は、 キリスト教に改宗しただけでなく、 教育の重要性を感じて、 コンゴ王国を豊かな国家とするために貴族の若者をポルトガルに送り、 科学技術を学ばせ、 それと同時に、 コンゴにもミッション・スクールを建設し、 女子教育にも力を入れた。 しかし、 16世紀以降のポルトガルは、 新大陸の発見によって、 もはやコンゴの天然産物を必要とはせず、 その関心が、 莫大な利益をあげる奴隷売買に傾いていったため、 国王の夢は空しく打ち砕かれ、 コンゴの人々に計り知れない悲劇をもたらした。 またそれは、 コンゴでキリスト教の布教が禁止されるようになった原因でもあった。

文明化か、 部族の派生語か?

現在コンゴ民主共和国と呼ばれるようになった国は、 以前〈Etat Independant du Conge〉 (1885―1905) と呼ばれていた。 それは、 19世紀後半に行われたヨーロッパの国々のアフリカ分割と植民地体制の結果であった。 この植民地体制とは、 2つの大きな目的によって打ち立てられたものである。 その一つは、 白人がアフリカを 『文明化』 すること。 そしてもう一つは、 まだキリスト教を知らないと考えられた 『野蛮人』 に聖書を宣べ伝えること。 

教会は、 もちろん、 精神的な指導力だけではなく、 強力な政治力、 時には武力まで用いて、 社会のあらゆる面に支配力を強めていった。 他方で宣教師たちは、 苦労を重ねながらも、 現地の言語だけではなく、 同時に、 アフリカの伝統、 社会、 政治、 宗教などを学び、 研究した。 彼らの残した出版物は、 現在のアフリカの研究において欠かせないものとなっている。 この研究によって、 ひとつ盛んになってきたのは、 部族というアフリカの民族に対する呼び方である。 アフリカにおいて、 部族ということばは、 植民地政策と文化人類学者の研究によってアフリカに導入されたものであり、 それはまず、 アフリカと西洋をはっきりと区別する表現である。 そして、 少なくともアフリカに関しては、 アフリカの民族と伝統を蔑さげすむものであって、 アフリカ人自身にとっては、 自分たちの文化を正しく評価できないようにしてしまう。 

要するに、 部族という言い方は、 植民地管理の便宜上、 人口調査、 課税、 職分けをしやすくするために当てはめられた用語なのである。 言い替えれば、 部族ということばは、 アフリカの人々とそのアイデンティティーを損なう表現なのである。 たとえば、 現在でもヨーロッパ人の間に対立が起こるときに、 部族間の対立とは言わず (それは、 ボスニア族とセルビア族の対立という表現は使わないが、 アフリカに関するとき、 ツチ族とフツ族の対立と表現する例にみられるように)、 マスメディアを通して、 アフリカだけに用いられる差別用語なのである。 

実際、 文化摩擦というものは、 本当にこわいものである。 それは、 現在のアフリカの問題に限らない。 20世紀に生きる私たちには、 ひとつ忘れがちになっているものがある気がする。 それは、 すでにあたりまえと思われているような、 あらゆる既成概念から生まれる偏見というものである。 それが、 すべての人間の人権保障―自律、 文化、 経済、 社会生活の権利を脅かすものであるが故に、 実に重要な問題なのである。
 

(M・マタタ神父)

レポート2 返還間近の香港

7月1日、 香港が中国に返還されたことは、 皆様の記憶に新しいことと思う。 私はこの香港に、 返還間近い6月4日から10日まで滞在し、 いろいろな体験をすることができた。 

これは、 日本カトリック正義と平和協議会 (会長・岡田武夫司教) からの派遣を受けたもので、 岡田司教、 東京教区の深水正勝神父と共に、 「アジアの正義と平和委員会」 の会議に出席した。 

まず、 到着した4日の夕方、 香港島のビクトリア・パークで開かれた天安門事件での犠牲者の追悼集会に出かけた。 「天安門事件を忘れるな」 のスローガンの下、
5、5000人の大群衆が手に手にロウソクを持ち、 黙祷をささげ、 スピーチや音楽を聞いている姿には圧倒された。 

翌5日~7日は 「グローバルな市民社会の建設」 をテーマに7・1リンク主催の会議に出席した。 これは正平協を含む8つのNGOが、 香港返還をにらみ、 2年前から準備を重ねてきたもの。 「植民地支配が終わるのはうれしい。 しかし人権がどこまで保証されるかが心配で、 この集会を企画した」 と主催者の一人は言う。 

香港の社会・文化について講話の後、 グループ討議という形式で進められたが、 海外から40人を含む計100人の参加者が、 「アジアの移住労働者」 と 「住宅問題」 に分かれて、 香港を体験学習することから始められた。 

私は住宅問題のグループに入ったが、 商業の繁栄の裏に、 貧しい人々の住宅問題の深刻さを痛感した。 窓もない暗い4畳半くらいの一部屋に7、 8人の家族が住んでおり、 台所、 トイレは共同であった。 1日陽の当たらない室内にいる子供の肌は極端に白く、 住宅問題は健康問題も引き起こしているようだった。 

年々貧富の差は激しくなる香港で、 未来を自分たちの手でつくっていくのだ、 一国2制度という新しい政治体制の中でどうなるか分からない香港の問題を共有してほしい、 国際的な連携をしてほしいという人々の意気込みが感じられた。 

9、 10の両日の 「アジアの正義と平和委員会」 の会議にはアジア各国から25人が参加し、 教会で2000年には何をするかを話し合う予定であったが、 返還を目前にした香港問題に直面し、 その問題を討議した。 

来年6月には再度正平協の会議を香港で開催し、 2000年問題を取り扱うこととなった。 この問題の提案者である日本から深水神父が運営委員に選ばれた。 

今回の香港で、 特に感じたことは、 香港の若さと活気である。 どこを見ても若者という感じで、 日本にとって香港は中国の入り口であり、 今後教会はどうなっていくのか、 中国の約12億の人々はどうなっていくのか、 香港をとおして一緒にこの問題を見ていくことは日本の教会の未来にもつながっていくのではないかとの感を、 帰国してからますます強く感じる。 

(マリアの御心会 清水範子)

CTIC(東京国際通信センター)

ジェントルマンでいこう

●過日、 CTICが某テレビ局の取材を受けた。 東京における外国人の子供の教育問題に何が起こっているかという内容である。 実際、 たとえばオーバースティを怖がるあまり、 子供を保育園にやらなかったり、 小学校2年生まで通わせながら、 その後やめさせて2年間たってしまったケースがある。 また、 オーバースティ12年というつわ者の夫婦のふたりの子供たちは、 無国籍状態のまま。 子供の国籍や就学の相談で大使館へ行きたくてもオーバースティを恐れるあまり、 大使館へさえ行かず現在に至ってしまった。 上の子は6歳の男児、 来春は小学校入学のはずだが、 家の中に閉じこめておくような生活をさせてきたらしく、 後は日本人の友だちもつくれず、 日本語もほとんど話せない。 折りしもその日は大雨が降っていてそれがコワイコワイと言って泣きじゃくっていた。 「男の子が雨ぐらいで泣いてどうする」 と、 みんなであせってしまったが、 母親の心配性がうつってしまったのだろうか。 


●CTICのことが朝のテレビで放映された数日後、 20代後半の青年ディレクターとCTIC男性スタッフで飲むことになった。 彼はテレビ局に勤め、 いろいろな取材をしていくうちに、 人間の現実の重さに直面し、 考えさせられることが多くなったという。 「僕は人間に戻れたんですよ。 以前はもっと違った人間だったんですよ」 

つまり、 人間のうわべしか見ることのなかった自分が、 他人の悲しみをたくさん見るにつけて、 自身の人間性が回復させられたことに気がついたというのである。 


●まわりがドンチャン騒いでうるさいお店で我々スタッフは感動し、 一瞬水を打ったような静けさに包まれた。 なんのことはない。 酔った勢いで 「天下国家だ」、 「地球50億の人類の舞台がグワーッとまわっているんだ」 とボルテージをあげ、 わりばしで小皿を叩いてうるさくしていたのは我々なのであった。 

もとより、 CTIC所長の通達によって我々は敵をつくらない、 ケンカをしない、 困っている外国人には優しく、 ふんぞり返っている大使館員や役人にも優しくしてあげる、 がポリシーとされ、 ジェントルマンとして振るまうことを誓い合って日々活動を展開しているわけである。 これがいつしかストレスとなったのか、 性分としてあったのかは定かではないが、 久しぶり (?) の飲み会で一気にエンジン全開状態に突入、 次第に 「オレに言わせりゃあ○○大使館のこの前のタイドはー!!」とか、 「だいたい政府は国際子供条約を無視してんだよなー!!」、 などと叫んで振りまわした手が隣りの注文を聞いている店員さんの肩に当たり、 あわてて 「あ、 スイマセン」。 青年ディレクターは、 のびのびとした表情で静かに飲んでいる。 我らが所長はテレビで立派に語り、 ディレクターから誉められているようであった。 

所長は、 他にも全国紙からの取材、 高級誌からの取材も経験ずみだ。 人間に戻れてよかった、 と語る青年の言葉にいちはやく反応し、 「福音は人間の現場にあるんだよ」 と唱えて、 うまそうにジョッキをすする。 


●泣く子に勝てないのがCTICであるが、 事実CTIC事務所で小さな子供が 「ウェーン」 と泣くのをあやすために対策がたてられた。 小さなぬいぐるみ作戦である。 

亀戸の路上で売られている中国製3個100円に目をつけたスタッフが時々買ってきて、 事務所のロッカーにしまっておく。 所長のお気に入りのふたつは彼のデスクに置かれている。 坊主頭で鎖を持っているプロレスラーと、 サングラスをした狂悪な顔をしたギャングのぬいぐるみだ。 事務所のシスターたちは 「うふふ」 と目を細めている。 

泣く子を抱えた母親がやって来て、 「保証人イナイカラ部屋カリラレマセン」 と訴えると、 所長は 「大丈夫です。 私がなってあげましょう。 書類を見せなさい」 と答える。 彼はデスクの引き出しから自分の名刺と印鑑をとり出す。 シスターたちの目がいっそう細くなる瞬間だ。 


●ディレクターのさまざまな体験談にうなずきながら、 なかなかいい仕事をしているなあとみんなで感動しているうちにジョッキのお代わり、 おつまみのお代わりが運ばれてくる。 すると再び、 地球50億の人類の話に戻り、 「次の取材はCNNとBBCか ?」 と高笑いをしていると、 隣のお客さんが横目でジーッと見て複雑な顔をしている。 

さて、 そろそろ帰りましょうかということになり、 全員腰を上げぞろぞろとレジへ向かい、 我々が財布を取り出そうとすると、 ディレクターがそれを制した。 しばらくのあいだお決まりの押し問答が見られたが、 結局ディレクターが勘定を支払った。 あれは彼が身銭を切ったのか取材費の中から出ているのか私にはよくわからない。 ただそれを見て誰かが 「やった?」 とつぶやく声がしたのは、 空耳であったろうか。 我々が真のジェントルマンになれるのは、 いつの日であろうか。 

(秋保真理夫神父) 

教区生涯養成委員会主催
第3回 小教区を支える信徒のための研修会  
「より豊かな小教区共同体のために」

教区生涯養成委員会は、 5月10日から6月28日の各土曜日、 東京教区関口会館地下ケルンホールで、 第3回小教区を支える信徒のための研修会 「より豊かな小教区共同体となるために」 を開催した。 

この研修会は当初、 小教区共同体奉仕者及び教会運営委員を対象に開催されていたが、 今回から小教区共同体に奉仕しようとする信徒にはぜひ知っておいて欲しい基礎的かつ実践的内容を、 また教会運営にたずさわる委員には広い視野でその責任を果たす際に役立つような内容で行われた。 (講座内容別掲) 

参加者は、 16講座を通して受講した者、 また各小教区単位で申し込み、 講座内容に合わせて担当者が出席するなどさまざまであったが、 毎回80名~90名ほどであった。 

主催者の教区生涯養成委員会は、 この講座の参加者を対象に、 宿泊付きの研修会を秋に開催する予定。 

今月号は、 5月31日と6月28日のそれぞれ第2講座 (全体討論) 参加者の生の声を掲載する。 

☆ ☆

5月31日

第1講座 小教区運営における司祭の責任 門馬邦男師

第2講座 全体討論

関口教会主任司祭で生涯養成委員会担当司祭でもある門馬邦男師は、 「関口教会に赴任して6年目になりますが、 12年間神学校にいて、 小教区と離れて生活していたので、 自分が実際に主任司祭として赴任して、 小教区の中で信徒がどのような状況にあるか、 第2バチカン公会議の精神が小教区に具体的にどう現れてきたかを期待してやってきたのですが、 状況は違っていました」 と前置きした後、 


(1)小教区とは (教会法的に見ると)

(2)小教区の抱えている問題点

(3)主任司祭の権限

(4)信徒の使命

(5)組織の刷新

(6)司祭の責任

などについて語り、 特に司祭の役割について、

「現代のカトリック教会を伝える。 信仰の内容の伝達。 それに基づいた霊的養成、 信仰教育。 信徒とともに小教区共同体を考え、 どう実践するかその道を見つけていく。 対外的に法人として小教区の責任を取るのは主任司祭であるので、 信徒の活動が信仰者としてふさわしいかどうかを観察し、 分析し、 指導する」 ことだと述べた。 

休憩後の全体討論では、 門馬師に対しての質問、 意見、 所属の小教区運営等に関する相談が続出したが、 ここではそのいくつかを紹介する。 


★今私は埼玉県に住んでいるのですが、 東京教区の小教区に所属しています。 私が病気になって動けなくなった場合、 神父様にご聖体などお願いできないのではないかと不安です。 

門馬師-日本の教会の現状は、 明治時代にパリ外国宣教会が横浜の山手、
東京の居留地などに

上陸して教会をつくっていき、
ある時期を経てそこを日本人が引き受けるという歴史的変遷もあり、 地域性に基づいて発展して来てはいません。 

しかし、 私たち東京教区の司祭が浦和教区で勝手に働くことは原則として出来ないのです。
それが現行の教会のルールなのです。 

本当に知っていただきたいのは、 まだ社会に法律のない時代にも教会は法を持っていたのですから、 それを全部無視すれば、 教会は分裂します。 

また信仰を学ぶときに、 教会を維持していくことについて教えられていない信徒の方が多いのです。 共同体を自分たちが維持していくという感覚がないのです。 自分の生活をこわすのではなくて出せる最大は何かを計ってやるべきだと思います。 

地域性は日本の教会の明治以降の発展の歴史と関係しているので、 境界線はあいまいな部分があります。 現在ある教会をどのようにするか、 また司祭の数が減っていることなども考え、 一応できた小教区は永久不滅だという発想を私たちは捨てなければならないと思います。 神の業は永遠だが、 人の業は永遠ではないからです。 


★わたしは70代ですが、 世代も文化も違う人に自分の時代を押しつけるのではなく、 時代を受け入れなくてはと思うようになりました。 自分も若者と仲よくやっていかなくてはと思います。 

門馬師-私が思うのは、 世代の問題ではなくて、 基本的に複数の人が同じような仕事をチームを組んでしていくというスタイルを共同体の中にとっていかないと、 すなわち、 ある固有の世代だけで固有のことを行っていくと人が育っていかないと思います。 ポカッと穴が開いて、 それを継いでいく人がいなくなります。 

いちばん重要なのは、 各世代がオーバーラップして働いていける方法論は何なのか、 現実にいろいろな組織では、 いろいろな世代が働いているわけですが、 かつてほど命令で動いているわけではなく、 話し合って動いています。 

いろいろな世代の人がどうやってチームを組み、 話し合って何かを生み出していくという発想法をとらないとならないと思います。 その中では男と女を分けるのではなく、 それぞれがどう役割を担っていくかを考える、 そういう育ち方は教会の信仰共同体として非常に重要な要素を占めていると思います。 

信仰は、 最初から共同体として出発しました。 「キリストの民」 としてどうするかということを考えて、 今の時代の中で共同体づくりをするということが必要です。 


意 見


★維持費について、 収入の1~3%が目安といいますが、 その収入は総額なのか、 手取りなのか、 私は課税対象額にしたらよいと思いますが。 


★司祭と信徒の協力体制について、 具体的な例を知りたいと思います。 


6月28日

第1講座 聖なるものと俗なるもの 山谷えり子氏 高木賢一師

第2講座 全体討論

「信徒、 司祭、 聖職者、 司教の協力と共同責任を実現しようとする時、 聖と俗という意識が影を与えていないか。 一般社会人とも話題となるこの問題を解明する」 ために、 昨年に続いてサンケイリビング編集委員の山谷えり子氏と高木賢一神父がそれぞれの立場で 「聖なるものと俗なるもの」 について語った。 

第2講座の全体討論では、 主催者の生涯養成委員会の春宮委員 (浅草教会) がこの研修会の目的、 講座の内容について説明した後、 参加者に自由に意見を求めた。 ここでは、 そこで出た意見、 感想、 質問等の一部を紹介する。 


★10数年前に、 教会における信徒の役割、 位置づけについてお話を聞きましたが、 福音宣教において信徒が果たしている具体的な役割についてのお話を伺いたいと思います。 


★私は青少年の教育は本当に大事な問題だと思います。 どのようになされていったらいいのか、 実際にカリキュラム自体が作られつつあるのかわかりませんが、 なんとかしなければならない問題だと思います。 


★私は今回、 2日しか参加しないのでよくわかりませんが、 講座のお話がそれぞれ大事なものだということはわかりますが、 では具体的にどうしたらよいかということが示されていません。 また、 参加者がそれについて話し合う場が欲しいと思います。 


★私は老人問題が入っていないのが残念だと思います。 例えば70歳を越えた神父さんを主任司祭としてお迎えした場合、 司祭の健康管理の問題、 また若い司祭のように先頭を走るタイプでは決してないと思います。 高齢の司祭をどう受け入れるか、 こういう問題は大きいんじゃないかと思います。 


★司祭だけでなく、 信徒の老人問題も必要です。 


★今年の教区総会に初めて出て、 こういう講習会があることを知りました。 残念ながらマイクが悪くとても疲れます。 それからもっと身近な問題、 実行例を取り上げて欲しいと思います。 


★初めて参加しました。 予備校の短期集中講座のようだと思いました。 教会共同体の人材育成を目ざすなら、 テーマを絞って切実な問題を取り上げたほうがよいと思います。 それから討論、 分かち合いの時間が少ないのは残念だと思います。 


★対象を絞って参加者を集めたほうがよいと思いました。 各講座とも資料がもっとあったほうがお話を聞きやすいと思います。 

このような意見に対して、 主催者側は、 このような形式になる前の経過等も説明し、 各講座後のアンケート結果等も参考にし、 今後内容や方法等を委員会で検討していく予定であることを述べた。 

第3回 研修スケジュール

  講演内容 講師 講演内容 講師
(1)5月10日 東京教区100年の歩み

白柳誠一枢機卿

東京教区の経済事情

教区事務所

(2)5月17日 教会法にみるキリスト者像

稲川保明師

日本の教会と世界の教会

シェガレ師

(3)5月24日 教区の組織と小教区の関係

森 一弘司教

社会福祉と福音宣教

三好 満師

(4)5月31日 小教区運営における司祭の責任

門馬邦男師

小教区運営における信徒の責任

全体討論

(5)6月7日 身近な典礼への基礎知識

幸田和生師

典礼における信徒の役割

南雲正晴師

(6)6月14日 小教区共同体の地域との交わり

 西川哲弥師 宮下良平師

現代の青少年の理解のために

佐々木裕子氏

(7)6月21日 外国人兄弟姉妹をどう受け入れるか

大原 猛師

外国人信徒の司牧の問題点

Sr. 長谷川桂子

(8)6月28日 聖なるものと俗なるもの

山谷えり子氏 高木賢一師

全体討論

カトリック福祉施設職員の集い

7月2日午後3時半から、 カテドラル構内で第2回カトリック福祉施設職員の集いが開催され、 東京教区内のカトリックの医療・社会福祉関係施設から、 29施設約70人が出席した。 

この集まりは、 日頃忙しくて、 同じ職種の施設間や他の福祉施設と接触する機会のないカトリック施設職員たちに、 情報を交換し合える場を提供するとともに、 信者でない職員の方々にも、 自分達の働いている施設がカトリック系でキリスト教の精神に基づいているのだということを意識していただこうと、 昨年からスタートした。 

第一部はパイプオルガン鑑賞で、 関口教会所属の和久さん、 三浦さんにより、 J・S・バッハ 「主よ人の望みの喜びよ」 や、 F・シューベルトの 「アヴェ・マリア」 等、 7曲が演奏された。 第2部は、 茶話会が地下のケルン・ホールで開かれた。 

白柳枢機卿は、 毎日忙しく人々のために働く職員にねぎらいの言葉とともに、 人を支えていく仕事の大切さと、 職員への励ましのことばをのべた。 

茶話会では、 保育園や老人ホームなど施設の紹介があり、 和やかな雰囲気の中で交流を深めていた。 

(教区福祉委員会 五十嵐秀和神父)

ライムンド・チネカ神父
第15回 朝日森林文化賞受賞

6月27日 (金) 午後4時より朝日新聞東京本社浜離宮朝日ホールで、 朝日森林文化賞の贈呈式が行われた。 

この賞は1982年に創設 (朝日新聞社と財団法人森林文化協会) され、 森林の保全、 緑の生活環境づくり、 自然と人間の共存などに優れた活動をしている団体、 個人を顕彰するもので、 今年度は全国90件の応募の中から4団体と一個人が選出された。 

個人として選ばれたフランシスコ会のライムンド・チネカ神父は、 3重県との県境、 奈良県御杖村にある社会福祉法人聖フランシスコ会の森 「レーベンス・シューレ」 (ドイツ語で生活を学ぶ学校) の指導司祭で福祉法人理事長。 レーベンス・シューレは広さ約27ヘクタールで、 ログハウスを拠点に健常者と障害者が協力して過疎地の人工林を自然な雑木林に戻す活動を1988年から継続して行ってきた。 

この日の贈呈式には、 残念なことにチネカ神父は交通事故で入院中のため、 これまでともに活動してきた方達がチネカ神父に代わって出席した。 贈呈式に引き続き、 祝賀会会場ではチネカ神父からのテープによるメッセージが流され、 「これはみんなでいただいた賞です」 という明るい声が会場内に響き、 レーベンス・シューレに関わってきた人、 受賞のお祝いにかけつけた人は喜びをともにした。 


レーベンス・シューレ事務局

電話06 (754) 1121

あきる野教会の1年
~あきる野通信から~

1996年5月に土地も建物も備品も何もないたった一軒の廃屋から生まれた教会 (50世帯128名)、 これがわたしたちの教会 「カトリックあきる野教会」 の出発でした。 

☆ ☆


6月
連日のように集まって議論を重ね、 教会建築の希望と意志を固めてきました。 

7月 初めての信徒総会が開かれ、 教会委員会が動き出しました。 入門講座は1名から始まり、 オルガンのない静かなミサが心を落ち着かせてくれました。 

季節は春から夏へ。 新緑の深まりとともに聖堂 (霊園) の周辺はカラスノエンドウが一生を終えて種を落とし、 ヒメジョオンとスイバの群れ。 モンシロ蝶が飛びかい、 テントウ虫が葉先で踊り、 雨を告げる気象庁、 アマガエルが次の季節を歌っています。 


8月
親睦のための交流会 (秋川荘にて1泊) では徹夜で語り合い、 東京都に提出する理由説明書 (教会建築のための) 作成に汗を流しました。 

暑い季節の到来。 廃屋の周辺斜面は一面にクズにおおわれ、 アブラ蝉が 「がぁんがぁん」 と鳴り響き、 鬼ヤンマは水平飛行を繰りかえし、 雑木林はカブトムシの宝庫。 子どもの森に映す夕焼けの明るい華やぎを背に、 おとなもいつしか子どもの気分。 

9月 建築のための財政計画書が完成。 あきる野教会の共同墓地を5日市霊園内に確保しました。 

10月 教会案内パンフレットが完成、 その後、 東京教区の教会、 修道会に発送。 さらに知人、 友人などに発送、 その数は1800通におよぶ。 

ミサのなかに歌が入り始めたのもこの頃。 教会学校が始まり、 子どもたちが霊園内を散策。 

燃えるような紅葉の秋。 秋晴れのすみきった空と通り雨のあと東の空にかかる7色の虹の輝き。 ひそやかな月の光は16夜からふけ待月へ、 あきる野一帯を照らす聖なる光。 

11月 霊園内にて死者の日のミサ。 バザー、 豚汁、 花、 案内などを企画。 当日の会場は700人の参加がありました。 伊豆の親睦旅行 (2泊3日) も楽しい一時でした。 

12月 教会の建築を請け負うS建設との熱い話し合い。 あきる野教会1回目のクリスマスは霊園内の聖堂を借りて、 キリストの誕生を祝いました。 参加者、 113人。 

冬がきて一生を終えるバッタ姿。 草にしがみつくように産みつけた卵。 枯れた野原。 その下では地下茎に栄養をためこみ、 小さな芽を用意して春を待つツクシの子どもたちがいます。 モズが高い声をあげ人の気をひく。 カサカサと音をたてる落葉の山。 

97年1月 典礼委員会が始まる。 山谷の炊き出し、 パトロールに参加 (4回)。 

2月 「あきる野週報」 が始まる。 周辺の落葉を集めて焼きいも大会。 司祭館の雪かき。 

3月 静かな聖週間の始まり。 ミサの意味、 あり方を学ぶ機会。 徹夜祭で2名の洗礼者を受け入れました。 復活祭には168人の参加。 祝い会のなかに子どもが25人。

カトリック教会における結婚
ご存じでしたか? 考えてみませんか?

Q 結婚が決まっていますがどこの教会でも結婚式の挙式はできますか ?

A. カトリック信者は原則として、 自分の所属する教会で挙式しなければなりません。 カトリック信者の結婚に関して、 そのお世話をする第一の責務は、 所属教会の主任司祭になるからです。 所属教会ではない教会での挙式を頼みに行く前に、 必ずご自分の所属する教会 (小教区) の主任司祭にお話し下さい。 

主任司祭はあなたがこの教会 (小教区) に所属する信徒であり、 結婚式を望んでいることを書面で挙式予定の教会にお知らせします。 また、 結婚式のために必要な書類を整えること、 結婚に関する教会の教え (結婚準備講座)、 結婚後に住所が変わる際の転出・転入の手続きなどをお世話いたします。 

時々、 披露宴の会場を決めてしまってから、 結婚式をしてくれる教会を探そうとする方々がいますが、 教会は民間の商業的な結婚式場ではありません。 結婚生活全体を考えての司牧、 結婚以後の信仰生活のためいろいろな配慮をいたしますので、 単に式だけを教会で挙げられれば、 どこの教会でもよいとはお考えにはならないで下さい。 

(東京管区教会法務事務局 結婚問題手続部門)

教区委員会紹介 その14
「集会司式者・聖体奉仕者養成委員会」

当委員会は、 今春の教区の役職の任命の際に、 委員会として新たに発足しました。 それ以前は、 司祭評議会の実行機関として活動して来ました。 

具体的には、 1995年1月から同年3月にかけて 「特別聖体奉仕者養成講座」 という名称で、 最初の講座を千葉市内の都賀集会所で開催しました。 

都賀での養成講座の開催にあたっては、 千葉ブロック司祭団及び千葉ブロック会議の全面的協力を得て、 実現の運びとなりました。 そして32名の奉仕者が誕生しました。 

また、 全く同じカリキュラムで、 同年9月から10月にかけて第2回目の養成講座が開催され、 36名の奉仕者が認定されました。 

第2回目からは、 日本の司教団の決定に従って、 講座名が 「集会司式者・聖体奉仕者養成講座」 という現在の名称に変更になりました。 

翌96年は、 関口会館を会場にして、 東京教区における同講座が春と秋に開催され、 それぞれ100人以上の参加がありました。 

そもそも、 この講座が始まった経緯は、 現在の関口会館が工事中で、 司祭の月例集会をカテドラルの地下聖堂で開催していた頃、 参加司祭の圧倒的多数が、 「聖体に関わる信徒の奉仕者の養成をしていくという提案」 に賛成したことに基づいています。 

さて、 今年に入り、 東京地区での講座が終了し、 当委員会のメンバーが新たに任命されてから、 過去2年間の 「集会司式者・聖体奉仕者養成講座」 に関する見直しを行い、 次のような諸点を変更することになりました。 


★自ら進んで奉仕者になるという奉仕者の自発性と主任司祭の側の信任が必ずしも一致しない場合があるので、 各希望者が認定願いを教区長に提出する際、 主任司祭の推薦状を一緒に出してもらう。 


★認定の期間を98年1月1日を期して2年とする。 それに伴い、 今年中に認定期間が切れる場合は、 年末まで自動延長とする。 また、 今年の11月頃、 認定更新の講習会を都賀集会所と関口会館の2ヶ所で行う。 

また、 今後の予定としては、 9月21日から11月9日までの毎日曜日の午後に、 関口会館で同講座を開催することが決定しました。 

近い将来、 急速な司祭の高齢化と減少が予想されるなかで、 司祭と信徒の協力に基づく典礼集会と聖体授与のために、 本講座を通じて認定された奉仕者を英知と勇気をもって活用して下さることを、 主任神父様方にお願いしたいと思います。

(小沢 茂神父) 

教会・修道院巡り (53)
『洗足教会』

車で環状7号線を世田谷の方から大森方面へひた走り、 中原街道を横断、 2つ目の歩道橋を潜り抜けるとゴシックの屋根の上の十字架が目に入る。 ここが聖ヨハネ洗足教会である。 

環7の騒音は早朝から深夜まで46時中絶えることなく司祭館の主の睡眠を脅かす。 

しかし、 道路から数歩横に入ると緑の多い閑静な住宅地となり、
また散策に好適な四季折々の美しさを装う洗足公園も程近い。 騒音さえなければ誠に良い環境なのだが。 

当教会の発祥の地は現在地から2km程離れた目蒲線の西小山駅に程近い所。 そこは、 司祭として、 医師として活躍された戸塚文卿師が診療所に隣接して聖ヨハネ西小山教会を建てられた所である。 

当時は戦時中でキリスト教に対する抑圧が厳しかったにも拘らず熱心な信者や求道者が多く集まったことが今でも語り伝えられている。 

しかし、 戦争末期、 空襲が日に日に激しくなって来たため、 同地が強制疎開の対象となり、 聖堂も取り壊される破目となってしまった。 

終戦の翌年、 西小山教会に所属していた岩瀬家が南千束の邸宅の一部を教会に提供され、 塚本昇次師を主任司祭として迎え、 ここに今日ある聖ヨハネ洗足教会の第一歩が踏み出された。 

それから2年後、 現在の土地を入手、 米軍払下げのカマボコ兵舎から始まり、 更に2年後、 現在の聖堂の献堂式が行われ現在に至っている。 

戦後、 岩瀬家の一室から誕生して50年の歳月が経った。 

この間、 日本は経済も社会も大きく変貌を遂げた。 

教会の前の道路 (環7) も昔は雨が降ると泥水を歩く羽目になるが。 騒音もなく静かで、 空気も澄んでいた。 

今にして思えばその頃が懐かしい。 

豊かさと、 便利さとは人の心の問題とは余り関係ない様だ。 

ところで、 この50年、 教会がどれだけ人の心に安らぎを与える力となったろうか。 

この反省を糧として、 今度5代目の主任司祭として赴任された小沢茂師と共に信者一同一致して前進して行くことを念じて止まない。 

(S・F)


〒145 大田区上池台4-7-5 TEL&FAX 03-3726-7108

ミサ時間 (土) 18:30 (日) 7:00 9:30

大聖年準備第1年目
テーマ 
「キリスト」 についての第2のメッセージ 新しいいのちに生きる
―洗礼の意味―

大聖年を迎えるにあたってわたしたちのいただいた洗礼の意味を確かめ、 深めることは必要であり、 また大切なことです。 洗礼について聖パウロは次のように教えています。 

「わたしたちは洗礼によって、 キリストと共に葬られ、 その死にあずかるものとなりました。 それは、 キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、 わたしたちも新しいいのちに生きるためなのです。 わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、 その復活の姿にもあやかれるでしょう」 (ローマ6・4~5参照) 


1 死からいのちへ移される

洗礼を受ける人は主キリストの死と復活にあずかり、 死からいのちへと移されます。 回心して福音を信じ、 信仰を告白して洗礼を受け、 主キリストの過ぎ越しの神秘にあずかる者は、 すでにこの世において復活のいのちに入ります。 教会は復活のいのちを受けた者の集いです。 キリストは昇天に際し弟子たちに言われました。 「あなたがたはエルサレムばかりではなく、 ユダヤとサマリアの全土で、 また、 地の果てに至るまで、 わたしの証人となる」 (使徒1・8参照)。 

わたしたちキリスト者はイエス・キリストの復活をあかしし、 復活の新しいいのちに生きる者です。 主キリストは天に昇られるとき、 「わたしは世の終わりまで、 いつもあなたがたと共にいる」 (マタイ28・20) と言われました。 実際、 復活したキリストはキリストの神秘体である教会に留まっておられます。 そのことを世界に指し示すのは、 わたしたち洗礼を受けたキリスト者です。 教会は復活のキリストがおられることを指し示す、 美しく輝く復活のキリストのしるしです。 しかし、 私たちの教会の現実は必ずしも復活のキリストの輝きを現すものではありません。 なぜでしょうか?

その原因は、 わたしたちが洗礼の意味の深さを十分に理解していないことにあるのではないでしょうか。 

わたしたち信者の生活は 「主の死を思い、 復活をたたえよう」 の精神で貫かれた日々です。 キリストの十字架の死から私たちは、 自分に死ぬこと、 自分の利益よりも他者の幸せを優先させることを学びます。 そうすることによって、 はじめてわたしたちはキリストの復活の恵みにあずかるものとなります。 

キリスト者であることはキリストの死と復活にあずかること、 復活の新しいいのちに生きることであることを、 この機会に確かめ深めたいものです。 


2 互いの存在が憩い、 力、 希望となるように

 

今、 この地球上では日々飢えのためにいのちを落とす人が少なくありません。 しかしこの日本では、 身体の飢えよりも魂の飢え、 心の病や問題のためにみずからのいのちを縮める人が後を絶たず、 また非常に多くの人が孤独や不安に苦しんでいます。 この現実の中でキリスト者は、 すべての人を一つに結ぶ大きなネット・ワークの結び目になる使命を持っています。 キリスト者はすべての救いと平和であるキリストを世界に伝えます。 キリストは特に病める人、 苦しむ人、 虐げられた人の友となり、 彼らと喜びと苦しみをともにされました。 このキリストの生き方はキリストの弟子の生き方です。 1987年に開催された第1回福音宣教推進全国会議の宣言は次のように言いました。 

「ともすれば内向きに閉ざされがちであった私たちの姿勢を真剣に反省し、 神であるにもかかわらず兄弟の一人となられたキリストにならい、 全ての人に開かれ、 全ての人の憩い、 力、 希望となる信仰共同体を育てるよう努めたいと思います」 

1993年の第2回福音宣教推進全国会議は、 他者の喜びや悲しみに共感し、 それを共有することがキリスト者の基本的な生き方であることを強調しました。 今あらためてわたしたちは、 弱い立場に置かれた人々により開かれた暖かい共同体となるよう、 決意を新たにいたしましょう。 


3 より普遍の教会となるよう

神の前にすべての人は兄弟姉妹であり、 等しく人間としての尊厳を備えています。 国籍、 民族、 社会的立場、 健康状態、 男女の別、 年齢の差、 社会構造からくる階級の別などを理由に人を差別する姿勢から回心し、 互いにゆるし合い、 重荷を負い合い、 与え合う生き方を目指すことこそ、 教会の歩む道です。 

公会議は教会を 「キリストにおける秘跡、 すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具である」 (第2バチカン公会議 『教会憲章』 1) と言っています。 すでに教会は全人類の交わりと協力、 一致のために貢献しています。 しかしながら、 世界の現状は理想の実現からはほど遠い状態にあります。 特に最近、 民族・国家の間の緊張、 不和、 対立、 抗争と紛争はますます深刻の度を加えてきました。 大きな国が小さな国を支配したり、 圧迫したりしています。 他方、 一つの民族が他の民族を排斥したり憎しみを募らせたりする事例が報道されています。 この厳しい世界の現実の中で、 わたしたち教会は 「普遍の教会」 の使命を果たしたいと思います。 教会にはあらゆる民族が属し、 各民族はその固有の価値を発揮し、 互いに尊重し助け合いながら、 神のつくられた世界をますます豊かで美しいものへと刷新するよう努めます。 

今、 日本におけるカトリック教会はいろいろな国籍に属する多国籍信者から成り立っています。 まさに 「普遍のカトリック教会」 の特色をより明るく輝かせる千載一遇の好機です。 

国境を越え、 民族と文化の違いを越えて、 ともに認め合い助け合って生きる信仰共同体の姿を日本の社会にあかしたいものです。 

聖霊の助けを祈りましょう。 


1997年6月16日

日本カトリック司教協議会 大聖年準備特別委員会

編集部から


今月から 「ずーむ・あっぷ」 が衣がえをし、 「マタタ神父のインタビュー」 となりました。 また、 東京管区教会法務事務局結婚問題手続部門の解説による 「カトリック教会の結婚」 Q&Aが始まりました。 どうぞお楽しみに。