お知らせ

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東京教区ニュース第144号

1997年07月01日

シスターに関する7つの質問 〜信徒の眼からみたシスター像〜

日本全国でシスターの数は約7300人。統計的にみれば全信徒の約1.7%、つまり60名に1人はシスターだということになる。東京教区について言えば、信徒8万人のうちシスターは約1800人。50人に1人の割合である。高齢化の波は、一般社会と同様シスターの世界にも及んでおり、どの修道院も真剣に取り組まなければならない課題となっている。高齢化現象の大きな原因は何といっても召命の減少である。近年の少子化がそれに拍車をかけている。平均年令が65歳以上になっている修道院が目立って来た。かつては、教会を縁の下で支え、カトリック系の事業の柱となっていたシスターも一つの時代の節目を迎えようとしている。かと言って、シスターの働きは、決して小さいものではない。一つの会憲のもとで一生を献げて共同生活を営むシスター達は、今なお教会の大きな力である。

今回は、信徒の方々に小さな質問紙を差し上げ、それに答えて頂き、シスターの素顔に迫ってみた。題して「シスターに関する7つの質問」。答えのいくつかを紹介しながら、信徒の眼に映ったシスターの姿を浮き彫りにしてみたい。さらに、この解答結果を読んだあるシスターに感想を寄せてもらった。

第1の質問 「シスターが最もシスターらしいと思われる時は、どんな時ですか?」

この問いには、多くの方々が、祈る姿をあげている。「聖書だけでなく、庭などでもロザリオを手に祈りをささげている真剣な姿を見る時」時代が多忙を要求してくる中で、ひたすら祈る姿に、何ともいえない安らぎを感じ頼もしく思っている信徒は少なくない。次に多い答えは、シスターの人に対する態度のすばらしさである。「穏やかで誠心がにじみ出てくるような態度に、どんなに励まされたかわかりません」「その笑顔に汚れのない気品が漂っているとき」「いつも生き生きとして、神様をみつめ、ほほえみを絶やさないでいる姿」そのほかに、自分の使命を黙々と遂行している姿に、最もシスターらしいものを感じている。

第2の質問 「逆に、シスターらしくないと思う時は?」

この問いに対する答えで最も多いのは、考え方の狭さと独断性の強さにあった時である。「いわゆる“シスター”のせまい殻の中に閉じこもり、自己を閉ざしているシスター」「少しでも考え方がちがうと受け入れてもらえず、カトリックに対しても不信をいだいたことがある」シスターであるということからかけられる期待やイメージに、シスターであるというだけで応えていかなければならないのは、シスターにとってもつらいところである。「周囲への同化の精神が、もう少し出て欲しいような気がします」これもいくつか、形を変えて出て来た答えである。同化という言葉のもつニュアンスが微妙であるが、もっと積極的に信徒の中に出て来て欲しいという要望が何人かから出されていた。すべてのシスターが信徒の集いに出席していくということには限界がある。しかし、出来るところから始めるという形で出席していこうという態度や誠意は、十分に伝わっているのも確かだ。

第3の質問 「この何年かでシスターが変わって来たと思いますか?」

この質問に対する答えは、2つに分かれた。一つは、シスターの社会化、他の一つはシスターの高齢化である。「閉鎖的な雰囲気から社会に開かれてきたように思う。以前は気軽に声をかけられない気がしたが、今は、私達が友人とあいさつしたり、語り合うのと同じように接することが出来る」「囲いの中から出て、広く活動されていると思います」「社会活動が活発になって来たと思います」このような答えがたくさんあった。それと同時に服装の変化についての指摘が多数あった。修道服へのノスタルジーと簡単な修道服への変化をよしとする意見が半々を占めていた。“活動的”とか“行動的”とか、あるいは、“人々の先頭に立って”とかいう言葉が使われて、近年の変化を説明している点は、公会議後の修道会の努力が、信徒の眼にかなり正確にとらえられていることがわかる。

もう一つの答えである高齢化は、時代的な現象として受けとめられている。「時代とはいえ、高齢化の急速な変わりように落胆しています」「かつての魅力が年齢と共に消えうせて、気力もなくなってなさけないと思ったことがあります」修道会の事業で、シスターが元気に働いている時代からすると、現在はシスターの姿すら見かけることが少ない。「近年、志願者が少なすぎて寂しいです。時代のせいだけでしょうか」召命の減少についての指摘もかなりあり、もっと若い人にわかりやすい説明を求める声もあった。

第4の質問 「あなたにとってシスターはどんな存在ですか?」

この質問への答えは、どれだけシスターが人々を支え、生きていく上で手本になっているかの吐露で満ちている。
「苦しんでいる時の心のなぐさめ、共に祈って下さるとても大切な方」
「信仰生活の手本」
「素晴らしいシスターが存在するだけで神様の存在がわかる。彼女は、いわば私の信仰のあかしです」
「霊的な面で指導を受けたり支え合ったりしてくださる方」
「信仰を勇気づけてくれる存在だと思います」
「ただの信徒だけではなく、特別に神様の恵みによって召し出された方」
「私たちの手本となって神のみこころにそえるよう、導いて下さる方」
「心が安らぐ存在である。また、接することによって、自分自身をみつめ直す機会をあたえられる」
このような答えが続いている。

第5の質問 「シスターの本来の任務は何だと思いますか?」

この問いの答えの多くは、単純に“祈り”と“宣教”に集中している。それに、“奉仕”をあげる人が多かった。
「家族(血縁)にしばられず、また、生活するための収入にとらわれず、広く、たくさんの人々のために働き、神の恵みや救いを宣教すること」
「最も神を必要としている人々の中で、神の愛を示すために働くことが、本来の任務のように思います」
自分に出来ないことを、シスターに託すというような表現が多い。
一方、経営者のようになっているシスターへの批判もいくつかあった。また、ミッションスクールで、上から管理しようとする教師になっているシスターへの怒りも2、3あった。「人へのえり好みが強い」という意見もあった。世間の人なら許せるが、シスターには、誰に対しても同じように接することがシスターの任務だとする答えもかなり見られた。

第6の質問 「シスターに望むことはどんなことですか?」

この問いへの答えは、第4、第5の問いからするととても少ない。シスターに何も望まないということだけではなく、高齢化したシスターたちへのいたわりが先行しているということだろう。しかし、シスターへの厳しい注文も出ていた。
「もっと社会勉強をしてほしい。ひっこみ思案になっているシスターをみると情けなくなって来る。年のせいにしないで、もっと出てほしい」
「一般社会に近づいて、ふつうの人の気持ちをもっともっと知ったほうがいい」
「この世で、本当に困っている人たちはどんな状態にあるか、街の実情を観察していただきたい」
「上流の人しか相手にしませんといった態度は、とても悲しい」

第7の質問 「シスターの思い出をひとつ書いてください」

最後のこの質問に対して堰せきを切ったように熱のこもった答えが質問状を埋めた。
「苦しみの時、色々と助言を頂き、力づけられた。路上でシスターの姿を見つけ、『シスター、助けてー』と大声でお呼び止めしたこともあります」
「私が信仰を頂いたのは、シスターが声をかけてくださったからです。人間関係で悩んでいた時、ふと教会の門をくぐったのです。その時、シスターが声をかけてくださいました。それがきっかけとなって洗礼を受けることになったのです。あの時のシスターの優しい眼を忘れることができません」
「癌手術で入院した時、昼夜を分かたずにお祈り頂いた恩は一生忘れません」

シスターは、教会法的に言えば信徒である。修道会の創立目的と会憲にもとづいて、奉献・誓願・共同生活をしている信徒なのである。日本人の徹底心情も手伝って多くのシスターを輩出して来た。少ない信徒の中では、想像を絶するほどの召命だった。そして、日本の社会が育っていく過程で、幼児を育てる母のような役割を果たして来た。今、その使命を終え、召命の根本命題に取り組む時期に入っている。信徒の眼に映ったシスターの姿は、特に母の姿である。子育てが終わって、自分の人生を自分なりに生きていこうとしている母に暖かい眼が注がれている。信徒の時代に入ったと言われて久しい。それを言いかえれば、シスターから頂いたものを返す時代に入ったと言ってもいいだろう。何を頂いたのかを検証するヒントになれば幸いに思う。
(西川哲弥神父)

あるシスターの独り言

アンケート結果を読んだ最初の反応は、回答者のシスターへの暖かいお心が察せられ、涙、涙、涙……だが待てよ。何かがおかしい。それは、このアンケートを読み込み、この解説を書いた人の結論である。「シスターは信徒である」と言いながら、「信徒の時代」なのだから「シスターから頂いたものを返す時代に入ったと言ってもいいだろう」と結論づけている。

高齢化社会に入り、シスターたちも高齢化に苦しんでいる。だから、もうご苦労さま、ゆっくり休養してください、と配慮を示したつもりかも知れないが、シスターも信徒だからこそ、共に「信徒の時代」を生きる使命があるのではないのだろうか。もちろん、日本社会より一歩進んだ高齢化社会を生きている修道者たちなので、これまでとは違った「共に信徒の時代を生きる」共生・協働・協力になるには違いないだろうが……。
(Sr. M・H)

大聖年に向けて カテドラルでリレー形式の徹夜祭

教皇ヨハネ・パウロ2世は大聖年に関して、第1年目を「キリスト」、第2年目を「聖霊」、第3年目を「父である神」をテーマに準備を始めるように全世界の教会に呼びかけ、日本の司教団は2月の臨時司教総会で、日本の全教会が心を合わせて祈る日を次のように決定した。

97年6月1日
聖体の主日
98年5月31日
聖霊降臨祭
99年5月30日
三位一体の主日

東京大司教区は、大聖年特別委員会を結成して教区としての準備を検討し、5月31日午後6時から6月1日午前6時まで、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、大聖年に向けてリレー形式の徹夜祭を行い、延べ1530名が参加した。

白柳枢機卿は、大聖堂いっぱいの参加者に向かって、大聖年に向けて共に祈るよう力強く呼びかけた。(関連下段…説教)ミサ後、1時間ごとのリレー形式でそれぞれ聖歌→聖書朗読→沈黙→祈り→大聖年準備のための祈り→聖歌のプログラムで、19〜21時・神の愛の神秘、22〜24時・キリストの呼びかけ、1〜4時・感謝と私たちの決断をテーマに心を一つにして祈った。(参加者の声)

また各小教区でも、カテドラルの徹夜祭にあわせてそれぞれ祈りの集い等を行った。

ブロック会議から地域協力体へ 〜9月1日から施行〜

白柳枢機卿は3月20日開催された第12回東京教区総会で宣教司牧評議会から提出された「ブロック会議、宣教司牧評議会、総会のあり方について」の答申について、司祭評議会とともに検討し、聖霊降臨の祝日に、答申を尊重しブロック会議を地域協力体として施行する旨の司牧指針を出した。

主任・助任司祭ならびに小教区共同体の責任を担う皆様方へ

聖霊降臨の祝日のお喜びを申し上げます。

さて去る3月20日開催された東京大司教区の総会におきまして、宣教司牧評議会より「ブロック会議、宣教司牧評議会、総会のあり方に関して」答申をいただきましたが、その作成のためにご努力くださいました方々に改めて感謝申し上げます。

いただきました答申について、その後司祭評議会とも検討いたしました結果、答申を最大限尊重することにいたしました。ブロック会議は地域協力体と名称を改め9月1日より、宣教司牧評議会もメンバーを新たに選任し、同じく9月1日より施行することにいたしました。宣教司牧評議会のメンバー、開催日程等の詳細につきましては、後日お知らせいたしますが、地域協力体の展開については、司牧評議会等で十分話し合い、以下のような事項にまとめましたので、お知らせいたします。

これまでブロック会議のためにご奉仕くださいましたすべての方々に深く感謝申し上げますと同時に、新たに発足する地域協力体のためにもご協力くださいますようお願いいたします。

聖霊の豊かな恵みを願いながら

1997年5月18日
カトリック東京大司教区
教区長 白柳 誠一枢機卿

基本事項

1 各小教区および地域のニードに根ざした宣教司牧のための連携・協力・共助を推進するために「ブロック会議」という名称を廃止し、「地域協力体」とする。
2 新時代に地域・交通・人の流れに応じたブロックの再編成を行う。
3 ブロック内の各小教区の主任司祭および教会委員2名が「地域協力体」の委員となり、地域における宣教司牧の充実・発展のために求められる連携・協力・共助の具体的なニードを検討し、その促進ならびに推進の具体化の責任を負う。
4 具体的な促進・推進にあたって、地域内の修道会・宣教会・関連諸団体あるいは個人の協力を求め、そのためのチームあるいは委員会を設けることができる。
5 「地域協力体」の活動の経済的負担は、原則としてその地域内の小教区・構成団体が担う。
6 それぞれの状況・必要性に応じて、独自の規約・内規を設けることができる。独自の規約・内規を設けた場合は、教区長の承認を得る。
7 「地域協力体」の活動に、地域の枠を越えて、他の小教区・構成団体も加わることができる。
8 「地域協力体」は毎年、教区長にその活動を報告する。

注:「教会委員」は、教会によって教会運営委員という名称になっているところもある。名称はどうあれ、小教区共同体の運営・活動等の責任を公に担わされている者。

1 地域協力体の分け方について

この答申を受けて、司祭評議会とはかり、「地域協力体」の分け方について、4月の司祭月例集会において、司祭たちを対象にアンケート調査を行い、別表のように分けた。

アンケート調査やその後の数名の司祭たちから寄せられた建設的な意見をもとに5月10日に開催された司祭評議会で、地域協力体の分け方について検討を行った結果、3年間の試行期間を置き、3年後の2000年9月以降に振り返り、最終的な決定を行うことを条件に、別表のような分け方に決定した。理由は以下の通りである。

(イ) 寄せられた諸意見にも、それなりの妥当な理由があるが、同時にまた、別の観点からはマイナス面もあり、どれも決定的なものではない。
前述の分け方は基本的には旧ブロックの分け方に若干の手を加えたものであり、比較的継承しやすい。
(ロ) 今回新たに展開される地域協力体は、そこで取り上げられる課題活動によって、近隣の小教区や地域協力体に参加を呼びかけることができる柔軟性をもったものであり、この分け方にこだわることなく、自主的に近隣小教区や地域協力体とかかわりをもつことができる。
(ハ) 3年間の試行期間の経験を通して、この分け方について振り返り、見直すことができる。
(ニ) 属人教会としてのチャペルセンターや韓人教会は、地域協力体の分け方の中に入れず、地域協力体が選択する課題活動等の必要に応じて、地域協力体の独自な判断のもとに、協力を呼びかけることのできるものとする。

2 地域協力体の集会について

「地域協力体の主任・助任司祭および教会委員2名が委員となって地域における宣教司牧の充実ならびに推進の具体化の責任を負う」とある。今回の改訂の主な理由の一つに地域で展開される活動が、主任司祭たちの了解と責任のもとに展開され、小教区共同体もそれに積極的な関心を持つことにあるので、まずは、主任司祭たちの理解・了承を得ることができるよう、出来る限りの配慮をする。

(イ) 会合の日時を、主任司祭たちが集まることのできるような曜日・時間に配慮すること。
(ロ) 曜日・日時に配慮しても、主任司祭と教会委員が定期的に集まることが難しい地域においては、主任司祭たちだけが先に集まり(たとえば、月曜日の午後とか司祭月例集会の後とか…)、地域における必要課題について十分に話し合い、共通理解を深めた上で、代表者の司祭を数名任命し、教会委員たちとの会合に派遣することも可能である。代表者は、その会合の結果を司祭たちに伝える義務を負う。
(ハ) 地域協力体に参加する委員の任期を、3年とする。留任を認めるが、3期目の留任は認めない。小教区での委員会の任期が切れた場合には、同じ教会から新たに任命された教会委員を補充し、前任者の残した任期を務める。

3 地域協力体の活動について

(イ) 選択された課題活動の具体的な促進・推進のために、地域内の信徒・修道会・宣教会の協力を求めて、必要ならば、積極的な関心をもつ人々によるチームを結成し、その促進・推進を委ねることができる。(たとえば、外国人司牧、青少年の育成、日曜学校・土曜学校など幼・小学生を対象とした活動、高齢者を対象とした司牧、地域の信徒たちを対象とした生涯養成など…)
(ロ) 先に教区長が発表した外国人司牧に関する教書の中では、教区長は、外国人司牧に関する課題を地域協力体の優先課題として取り上げるよう、呼びかけている。外国人の比較的多い地域では、この点の配慮を求める。
(ハ) その他、地域協力体において、2年あるいは3年に1回、地域内の小教区・修道会・宣教会の合同集会を企画すること。
教区長を招き、教区長を中心にした感謝の祭儀であってもよいし、あるいはテーマをもった集会や講師を招いた勉強会のようなものであってもよいし、あるいはまたリクリェーションであってもよい。あるいはまた、地域内の小教区・修道会・宣教会の創立記念等を合同に祝う集会であってもよい。その日程等について、決定次第、教区事務局に連絡する。
(ニ) 地域協力体が選択する課題・活動が、近隣の小教区・地域協力体に役立つと思えるときは、自主的に呼びかけることができる。また他の協力が必要と思えるときには、それを自主的に要請することができる。
(ホ) 地域協力体の活動が、チームに委託された場合にも、地域協力体の委員の集まりには定期的に説明および報告を行う。
(ヘ) チームを結成した場合、チームにかかわるメンバーの任期を設ける。
任期の期限については地域協力体で検討し、それぞれの活動目的に応じて、適当と思える期間を定めることができる。
(ト) 旧ブロックで今年度企画されている行事・活動等については、地域協力体に報告し、地域協力体に継承すべきか否かの検討を委ねる。ブロックによって、地域協力体が引き継ぐことができず、また中止することもできないような活動や行事がある場合には、教区長の許可を得て、旧ブロックの担当者たちの責任で継続することができるが、それも1997年12月末までとする。

4 地域協力体の責任者について

(イ) 地域協力体の責任者を選出すること。
(ロ) 責任者に委ねる任務(連絡係とするか、まとめ役とするか、会議の議長・座長とするかなど)、選出方法等については、各地域協力体が、話し合いによって決定する。
(ハ) 3年を任期として、留年を認めるが、3期日の留任は認めない。
(ニ) 選任された責任者の氏名・住所・電話番号を、教区事務局に連絡する。

5 財政について

(イ) 地域協力体の活動の経済的負担は、原則として、地域内の小教区・構成団体が担う。
その負担の方法・規模・管理については、各地域協力体が決定する。地域協力体で負担しきれない場合には、教区に助成を求めることができる。
(ロ) 旧ブロックの活動費としてプールされてきた残金があれば、旧ブロックのメンバーで話し合い、解決する。新しい地域協力体の活動資金とすることも一つの方法である。
(ハ) 地域協力体の集会や活動のための分担金の預貯金通帳を設ける場合には、他に特別な理由がなければ、地域協力体の責任者が所属する小教区名の名を借りて宗教法人としての通帳を作成し、責任者の名を代表者名とする。

6 独自の内規・規約について

それぞれの必要性に応じて、独自の規約・内規を設けることができる。

7 報告について

地域協力体の責任者は、試行の期間の間、地域協力体としての動向、活動その他の問題点について、毎年12月末までに、教区長に説明報告する。教区長は、必要なときは、司祭評議会・宣教司牧評議会に検討を委ねることができる。

8 旧ブロックの解散と地域協力体の開始時期について

特別な理由がない限り、旧ブロックの解散は、1997年8月31日とし、地域協力体の開始時期を同年9月1日とする。

地域協力体
中央地域協力体:麻布、神田、麹町、関口、築地、本郷、大島
城東:赤羽、浅草、足立、上野、本所、三河島、梅田、町屋
総武:葛西、亀有、潮見、小岩、葛飾、市川、豊四季、船橋、松戸
城西:赤堤、喜多見、三軒茶屋、瀬田、渋谷、世田谷、成城、初台、松原
城南:大森、蒲田、洗足、高輪、田園調布、碑文谷、目黒、上野毛
城北:秋津、板橋、北町、清瀬、志村、下井草、関町、徳田、豊島、田無
武蔵野:荻窪、吉祥寺、高円寺、小金井、調布、府中、小平
多摩:あきる野、青梅、高幡、立川、多摩、豊田、八王子、泉、町田
千葉:鴨川、木更津、五井、佐原、館山、千葉寺、銚子、東金、西千葉、茂原、成田

ズームアップ 故郷ベルギーに帰国するペトロ・ヨース師(86) 淳心会(スクート会)

一人の司祭が、日本での勤めを終えて故国ベルギーへ帰る。

同師が日本に来られたのは、今から47年前の1950年11月。上陸は神戸で中国からの旅だったそうだ。1910生まれで、8人兄弟の長男。8人のうち3人が司祭、一人がシスターになったほどのカトリック家庭。1934年、24歳で司祭に叙階され、1年間ルーバン大学で医学を学び、その翌年、中国への派遣。中国で13年間布教に従事したあとで日本への派遣となった。

日本では、1年ほど兵庫県の竜野教会で主任司祭として働き、それ以後は、淳心会の管区会計、管区長秘書、日本管区長協議会の常任秘書として東京で働いた。1981年からは、カトリック中央協議会の事務局次長として90年に退職するまで、中央協を下から支えて来た。

一方では、1972年から25年間、中野区江古田のベタニア修道会の聴罪司祭として霊的にシスターを支えて来た。いつも笑顔を絶やさない温厚な人柄と共に、当意即妙のユーモア、時には、厳しい現実主義者の一面ものぞかせている。

「日本を去るのはつらいことです。しかし、迷惑をかけたくないという気持ちも働きます。むつかしいところです」走るべき道のりを走り終えて今度は、神様のもとへ走っていくために故国へ向かって旅立つ。出発日は7月14日。日本の教会に言い残すことはありませんかと聞くと、「別にありません。今の方向で進んだらいいでしょう」という答えだった。

「ごくろうさまでした」と心から申し上げたい。

訃報 ヨハネ・マンテガッツァ神父 (サレジオ会)

5月23日帰天、82歳。1915年イタリアで生まれる。34年トリノで初誓願をたてサレジオ会に入会。
35年来日、43年東京で司祭叙階。43〜45年サレジオ神学校、46〜47年育英工業学校、47〜49年ドン・ボスコ社勤務。51〜73年下井草教会初代主任司祭、73〜85年三河島教会主任司祭、85〜90年下井草教会主任司祭を歴任。90年からは杉並サレジオ修道院所属で教会の共働司祭として働いていた。

第28回ジュリア祭

第28回ジュリア祭が、今年も5月17日から19日まで神津島で行われた。参加者は、ジュリアの祖国韓国からの巡礼団を含め324名で、行事の中心である18日のミサは、前名古屋教区長の相馬信夫司教を中心に、11名の司祭の共同司式で行われた。初夏を感じさせる好天の中、ミサ後にジュリアの墓前に花を供え、時代・国境を越えてひとつに結ばれる信仰の恵みを味わった。

東京教会管区会議報告

6月2日、3日、埼玉県大宮市で開催された東京教会管区会議は、教区を越えて共通の課題に取り組もうという雰囲気の中で進められた。東京教会管区の構成教区は、札幌・仙台・新潟・浦和・横浜それに東京教区で、出席者は各教区司教と司祭評議会を代表する1〜2名の司祭である。

今回の主なテーマは、外国籍の人々への司牧に関することと、司祭の交流及び情報交換であった。外国籍の人々への司牧については、各教区とも真剣に取り組み、それなりの実績をあげている。しかし、問題の中身を見ると、一教区では解決できない点が多々存在している。そこでお互いの現状を照らし合わせながら、共同で事に当たっていくことになった。

問題が非常に具体的なことなので、各教区の実務担当者が2名ずつ集まって検討チームを作り、実用的なガイドライン作りを試みることになった。この作業はプロセスが大切なので、その都度各教区に返して実務者たちの意見を聞きながら進めるということになった。次のテーマである司祭の交流会、研修会をともに行うということと、黙想会をお互いに開放するということの2つの道が示された。具体的には、来年度の浦和・仙台・新潟三教区合同研修会を管区の他教区の司祭にも門戸を開くということと、西暦2000年に管区の六教区合同司祭研修会を開催することが決まった。また互いの司祭黙想会の日程を事務局に知らせ合い、互いの参加の道を開くという点でも合意をみた。

この教会管区会議は、当初は形だけの事務連絡機関であったが、福音宣教推進全国会議(NICE)を機会に教区の壁を越えて、協力し合う場となってきた。昨年来この協力が一歩前進しており、NICEの実りのひとつとしてさらに重要性が増してくるものと思われる。ちなみに、来年度の会議は東京教区の担当で東京を会場として行われる予定である。

女性の視点から人間の叫びを聴く 全国修道女1日研修会

日本の修道女7000人弱は、急速に変化する社会にあって自分たちの共同体の現実をみながら「これでいいのだろうか?」との問いや疑問を抱いている。

94年のシノドスは「奉献生活」という使徒的勧告を全信徒宛てに出して、その中で「修道者は共同体の交わりの姿を通して現代社会に神の現存の証しをする使命を持っている」と励ましている。

日本の社会への創造的な参与を模索している修道女たちは、今の社会の現実を知ることを出発点にして、昨年に継続して「共同体へのチャレンジとしての人間の叫び」という基調講演と1日研修を行った。

東京会場は聖霊降臨大祝日の5月18日、150名余りの修道女が井荻の宮崎カリタス会に参集し、カウンセラー深沢道子先生の基調講演、ワークシートによって個人考察とグループの分かち合いをした。東京と仙台会場の講師の深沢先生は、次のような内容のお話しだった。

こどもの面倒を見ないどころか虐待する親たち。「欲しいものは欲しい」と目先の快楽を優先させ、自分が悩むよりも周囲を悩ませる若者たち。若い女性に多く見られる「食行動異常」も「大人になることを拒否している状態」と言われ、最近では男性にも発生するようになっているそうだ。今の日本ではこどものままに留まっている人たち(少なくとも精神的に)が多い。または「大人の幼児化」が増加しているなどの現象について、なぜそうなったか、この傾向を変えられる可能性はあるのか、などについてワークショップを交えて行われた。

一方・福岡、高松、大阪、札幌の4会場では豊島教会の信徒で精神保険指定医である斧美穂子先生の基調講演が行なわれ、臨床精神科医の豊富な経験から具体的な例話が語られた。人と人との心の安全距離の必要性や正義の名の下での戦い、善悪の判断の危険性等が指摘された。また結婚の秘跡は最大のカルチャーショック、つまり生育歴や価値観のまったく違う夫婦が死によって別れるまで共に生きることを意味する契約である。儒教精神の親孝行や動物の本能である子育てと違って、配偶者を第一に選び、大切にするのが婚姻の秘跡であると結婚準備講座で教えられたと、修道者の共同体の絆との類似が指摘された。

そこではどんな状況でも自分自身を保っていけるというアイデンティティの確立が必要であり、そのために神から創られた自分をありのままに受容し、自分を信じて大切にしながら、自分のための人生を歩むことが基本であると示唆された。日頃見落とされがちな弱者と女性の視点にしっかりと根ざした具体例で、、第2バチカン公会議前の養成ゆえに、当然と思っていた事柄や疑問への示唆があったと、参加者は勇気づけられた。

この研修会は「今の社会の現実」を聴くことを通して気づき、修道者の共同体へのチャレンジを受け止めて、めまぐるしく変わる日本で福音宣教をする共同体へと変容していく過程を模索する継続した歩みの一部分だった。

参加者はマス・メディアを通して知っている現象の奥行き根深さに注目すると共に、それらを「時のしるし」として読み、解釈するスキルも学んだ。同時に、正しく自分を愛することこそ、「己れを愛するごとくに隣人を愛しなさい」と言われたことに通じると確認した一日だった。
(シスター石丸脩子)

大聖年準備 リレー式徹夜祭参加者の声

☆大聖年に向けて祈りの徹夜祭への呼びかけに応えて、東京教区の神の民の群れが、聖マリア大聖堂に集い来る姿には、2000年という時間を越えたキリストの現存を語る力が感じられた。日本における神の働きを讃えての荘厳な共同祈願に聖歌で唱和し、大聖年準備の祈りを捧げ、同じキリストの体を分かち合うことに続いて、グループの個性に合わせて捧げる祈りのリレー。この素朴であっても、心から神を探し求める東京教区民を、神は確かに見ておられ、歴史の一瞬にすぎない人の存在をご聖体によってつなぎ合わせておられることもまた、神の愛のリレーなのかもしれないと感じさせてくれた。

☆他の修道会でも似たようなことだったと思いますが、所属教会でも大聖年のミサや祈りがあって、そちらに参加するものと二手に分かれました。
ミサは想像以上の参加があって感激しました。徹夜祭にも残られた方が多くよかったと思います。私たちの修道会は午後8時から9時を担当しました。聖壇を囲んだのは大変よかったと思います。老若男女適当に交じって一体感がありました。一般信徒もこの時間では参加する方も多いと思い、式次第を無視して、聖心の連祷やロザリオの祈りをいれました。ちょっと古くさい感もありましたが、やっぱり教会の伝統的祈りを大事にしたいという声もありました。シスター先唱でなく、信徒も交じってやったほうがよかったと思います。事前交渉が難しいですが……。企画そのものについては、盛り上がって意義深いものでした。

☆話し合いや講演会ではなく、ご聖体を囲み、みことばを黙想し祈りをリレーしながら12時間にわたり教区がひとつになって静かに祈ったことはとてもよかったと思います。2000年間の教会の歩みを振り返り、神様が日本の教会にしてくださった限りないおはからいを思い、同時に21世紀に向かう教会の使命や責任を痛感しながら感謝のうちに祈らせていただきました。教区からの呼びかけで各小教区でも祈りの時間を持ち、ご聖体の祝日に大聖年の特別のミサが捧げられ、大聖年に向かうことへの意識を高めることができました。

☆・来年も続けてほしい、ぜひ参加したい。
・思ったよりたくさんの人が参加して感激した。
・信徒も先唱等に積極的に参加してほしい。
・もっと男性の参加を・・・・・・。一般の人々、修道士、修道司祭にももっと呼びかけてはどうか。
・リレーの時間割りをもう少し早めに決定すると信徒の協力ももっとできるかもしれない。
・みんなが心を一つにしている雰囲気がとてもよかった。
・集まるっていいなあ!
・今までの司祭まかせ、シスターまかせ、みんなの意識が変わってきて、「みんなでするんだ!」「一致しよう」「ひとつになろう!」と心がひとつになってきているのを感じました。

☆私たちにとっては、私たちを育ててくださった聖パウロ会会員ヴァラルド神父の通夜と葬儀の合間をぬっての東京教区大聖年に向けての企画「リレー形式徹夜祭」への参加でしたが、私たちの参加した早朝の祈りに多くの方々が集まっておられ、新しい千年紀に向かってともに歩いていく祈りのパワーを強く感じました。この企画を進めてくださった司教様方を始め、徹夜で受付や会場設営等の奉仕をしてくださったスタッフの方々に心から感謝しています。

各小教区の取り組み

★カテドラルの徹夜祭にできるだけ参加するよう呼びかけ小教区としては行わなかった。(麻布教会)
★5月31日 19時〜20時…白柳枢機卿のテープを聞いた後黙想。(市川教会)
★18時からミサ、ミサ終了後、カテドラルの徹夜祭に参加。 (麹町教会)
★20時〜20時40分…白柳枢機卿のテープを聞いた後ベネディクション、 参加者70名。 (秋津教会)
★18〜19時…みことばと黙想、 19〜20時…ミサ、 20〜21時…みことばと黙想、 21〜24時…ご聖体の前で黙想。 (町田教会)
★18〜18時15分白柳枢機卿のテープ、 18時15分〜19時…聖体礼拝、 19時〜20時…ミサ (徳田教会)
★9時30分〜16時…黙想会、 16時〜6月1日6時…30分ずつに区切って徹夜祭。 (浅草教会)
★8時〜6月1日8時…司祭2人とカテキスタで24時間徹夜祭、 参加者多数、 特に夜が多かった。 (三軒茶屋教会)
★18〜21時、1時間ごとにシスターと神学生が担当、 8時45分…司祭の祝福で締めくくった。 (瀬田教会)
★19時のミサ後 「キリストをたたえる祈りと黙想の集い」 を行った。 聖歌→福音朗読→司祭による大聖年の話→枢機卿のテープ→日本における神のはからいを賛美→テゼの主の祈り→聖歌  (松原教会)
★リレー式徹夜祭に参加するよう呼びかけ、 6月1日10時ミサを準備第1年 「イエス・キリストの年」 の意向で捧げた。 (関口教会)

「つえ」社会福祉法人 慈生会 ベタニアホーム ケースワーカー 田中茂雄 (四月司祭月例集会での講演)

高齢者の皆さんとのお付き合いを通して、毎日さまざまなことを教わっております。しかし、そもそも私は高齢者の介護について語る資格などまったくない者です。というのは今から18年前に痴呆症の高齢者の介護を放り出して、その場から逃げ出してきたからです。ところが気がついてみると数年後、老人介護の世界に舞い戻っていました。専門施設で働く職員は交代要員がおり、高齢者の生活の場を離れて、気分転換をすることもできます。しかし、家庭で重度の痴呆の高齢者を抱え、24時間の臨戦態勢をしき、いつ終わるとも知れないいわゆる「在宅介護」にエネルギーを注ぎ込んでおられる方々に、何も言うことはありません。

職業柄、基本的な一般的知識を何か伝えることはできるでしょう。それよりも、毎回のことですが、介護の苦労がどんなにすさまじいものであるかを聞き取ることがはるかに大切なことだと、最近やっと分かるようになりました。「『この年寄りさえいなければ自分の生活はどんなにか楽になるか』という思いの虜になってしまいます」とつらそうに打ち明けるその方に、静かにうなずく以外にありません。

常時介護を必要とし、何らかの理由で家庭で過ごすことのできない65歳以上のお年寄りのための家が、特別養護老人ホームです。

ベタニア・ホームは昭和56年開設ですから、都内ではもう中堅から古参に属すると言えるでしょう。60名の定員で、開設以来120余名の方がホームを通り過ぎて行かれました。ホームに来られる方はホームを終ついの住みかとして、人生の最期を過ごす所との覚悟を決めて来られます。多くの願いをあきらめて来られます。見知らぬ他人との共同生活を強いられます。そんな中で、「長生きしてよかった、冥土の土産がまた増えた」と言ってもらえるように、職員たちは頑張っています。

いや、むしろお年寄りの好奇心や驚き、思いがけない目の輝きにつられて、もっと言えば乗せられて、職員がやる気を起こし、創意工夫を凝らしていると言っていいと思います。「どこか面白い所へ連れていってよ」とおっしゃる方に対して、「どうぞ、いらっしゃりたい所へお出かけ下さい。お供します」とお答えするようにしています。

介護者が介護される側に立つことが理想ですが、意志のある少しばかり知識と経験を積んでいると思っている介護者(自分のことを言っているのですが)は、要介護者の希望に反して「これこそあなたのためだから」とこちらの好みを押しつけてしまいます。良い介護者は自分の意志を後回しにできます。

あたかも杖のようにその方の言いなりに、その方の好み通りに動きます。その時の介護者の心の動きは、この手のかかる難儀な人にいつまで時間を取らなければならないのだろうではなくて、いま難儀をしているこの方から手を引いたらこの方はどんなに困るのだろうかと思います。前者は業務をこなしている人で、いつも疲れています。後者はお年寄りに乗せられている人で、動作が生き活きしています。生き活きしている職員のいる施設は、お年寄りも元気です。いや逆でした。お年寄りにつられて、職員が元気になるのです。

教会学校リーダーのための講座〈97〉

東京教区教会学校委員会は毎年、教会学校に携わるリーダーのための企画を立て、種々の機会を提供しています。今年度は、5回の講座(聖書とワークショップ)と11月に一泊研修会を準備しています。5回の講座の第1回目が5月11日の午後に、信濃町駅前の真生会館を会場に30数名のリーダーたちを集めて行われました。

オリエンテーションに続いて、第1回目の聖書は、荻窪教会の江部純一神父が担当され、「聖書を開いてみよう」ということで、聖書には何が書かれているのか、聖書を書いた人たちは何を伝えようとしたのかということについて、ペルーの日本大使公邸人質事件の報道などの具体的な事例を上げながら、わかりやすく説明してくださいました。

ワークショップは、国際理解教育センターの福田紀子さんが、「伝える」ということをテーマにして、自己紹介を実例に取り上げてお話くださいました。伝えるために、まず自分をどれだけ知っているのか、自分を伝え、相手を知る場としての「出会い」ということについて、新たな視点を示してくださいました。

特に、自分自身の良い所を3分間で10個書き出すという作業などは、興味深いものでした。その時のお話の「いわゆる良い子と言われる子どもほど、数多く上げられない」という話などは、ちょっと意外というか、でも大人にもそういう面があることを考え合わせると、妙に納得できたりするという、何ともいえない複雑な気持ちになりましたが、子どもたちのちょっと見えない一面を知ることができました。

教会学校委員会が企画する教会学校リーダーのための講座は、すぐに使えるノウハウを提供するというよりは、子どもたちと接する時、ふだん気がつかない視点を提供する、あるいはいろいろな教会のリーダーたちが集まることによって、共通する問題を分かち合う場という感じでしょう。
これからも7月、9月、11月に3回の講座がありますし、11月末には一泊研修会も予定されています。特に教会学校に関わっているリーダーの方、一度様子を見にきてみませんか。

CTIC東京国際センター通信

「順」という店 パート2

「ヨボセヨ(もしもし)」という声につられて、こちらもついハングル(韓国)語で「ヨボセヨ」と答えてしまった。ハングル語が勢いよく受話器から飛び出してくる。「分からない」と言っても伝わらない。以前覚えた「少しお待ち下さい」という「チャンカンマン、キダリセヨ」という言葉が思い出せない。焦れば焦るほど「ハジャンシル」(トイレ)という言葉が頭の中を駆けめぐる。「ちょっと待って、ちょっと待って」と必死な言葉が通じたのか、「イエー」と彼は答えた。

三角電話で潮見の焼き肉「順」に電話し通訳してもらう。東京八王子で賄い婦として働いていた彼の母親が脳卒中で倒れ、今日か明日かという状態だという。病院の支払いの問題と彼女の未払い賃金についての相談だった。彼は急な知らせで、2日前に韓国から出てきたのだと言う。CTICにはハングル語の通訳者がいないため、神奈川シティーユニオンの平間さんにお願いすることになった。

次の日の水曜日、昼食のために魚を焼いているとRさんから電話があった。以前、「順」でビザ申請のために「旦那が必要書類を揃えてくれない」と訴え、アッキー(秋保)に入管に一緒に行ってもらった女性だ。(東京教区ニュース141号)夫との間で離婚話が出ていて、「話し合いがうまくいかないので立ち会って欲しい」と言う。「俺は行かないぞ」という声が聞こえてくる。「だって、立ち会ってもらわなければ、話が進まないでしょう」と喧嘩けんかが始まった。焼いている魚が気にかかる。「12時に迎えに行きます」と一方的に言って電話が切れた。魚はあきらめるしかない。12時に彼女が迎えに来た。彼は教会の門から20メートルほど離れた地点に車を停めている。車に乗り込んで「こんにちは」と互いに挨拶したが、沈黙が支配する。こういう時は仕事のことを聞くのに限ると思い、「忙しいですか」と聞くと「ええ」とだけ答えた。潮見教会から歩いて15分の所に国際水泳場がある。私たちはそこのレストランに行くことになった。

当然食事をするものと思い、私はランチを注文した。彼らが注文したのはコーヒーだけだった。その時になって彼らが食事をする余裕がないことに気づくが、もう遅い。「離婚したいと思っているのに、ビザのための保証人になるのはおかしい」というのが彼の主張である。夫婦間のいろいろな問題が吹き出してくる。二人がやり合っているのを聞きながら、一人で食事をするのは実に具合が悪いものだ。「前向きに考え、明後日には返事をします」との彼の言葉で、その日は何となくおさまった。

通路を挟んだ4人掛けのテーブルには、解体屋で働いている5人の労働者。私たちの後ろの席には、運送会社の課長さんと彼の友達。ほぼ満席の状態だ。食堂と厨房の間のカウンターには、にんにく酒、アロエ酒、ゴマ酒、人参酒が所狭しと並んでいる。カウンターの酒ビンの間から顔を出した「順」の奥さんが「飲み物は何にします」と聞く。「中ジョッキ4つに焼酎1本、焼き肉を適当に」と注文する。渡辺、有川、アッキーと私のCTICスタッフ4人と佐藤貴夫弁護士との間で、「食事をしながら今後の方向性を話そう」ということで「順」に来た。

佐藤弁護士には、幾つかの離婚訴訟を依頼したり、雇用主に対する「支払い命令」を簡易裁判所に申請してもらったり、家裁や入管へ出す書式の作り方などいろいろ助けてもらっている。顧問料を払わずに焼き肉でごまかすつもりはないが、感謝の気持ちがこの食事にこめられている。この「順」にRさんがいた。この日の朝、彼女の夫から「よく考えたが、保証人にはなれない。裁判になっても仕方がない」との電話があった。私は佐藤さんに「彼女は離婚することになったので、離婚調停の弁護を引き受けて欲しい」と頼んだ。

「なぜ、『順』で話し合いをすると言ったのか魂胆が分かった。ずるい」と皆は私を非難した。「これは偶然で、神様のお導きに過ぎない」との私の言葉を誰も信じなかった。佐藤さんの仕事を軽減しようと考えていたのに、神様はひどいことをするものだ。次の週の月曜日、またアッキーは休みを返上して、彼女と入管に出かけることになった。まったく前のパターンと同じだったことを考えると、恵みとしか言いようがない。
(大原 猛神父)

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ビ・モンタント東京支部発足

5月28日午後2時から、東京大司教区関口会館ケルンホールで、約80人が出席してビ・モンタント東京支部(顧問…塚本伊和男、泉富士男神父)の発足総会が開催された。

白柳枢機卿は「急速に進む高齢化、少子化の日本社会の中で、いま熟・高齢者の果たす使命が問われています。このような時期に、有志の方々のご努力によってビ・モンタント東京支部が誕生することはまことに時宜にかなったものと言えます」と励まし、祝祷を捧げた。

総会では、東京支部発足までの経過報告の後、規約案の審議、運営委員の選出が行われ、原案通り承認された。

ビ・モンタント東京支部への加入申し込み、問い合わせ等は、〒116東京都荒川区西日暮里1-61-23-102モンテ東京事務所内ビ・モンタント東京事務所TEL03-3806-9877まで。

ビ・モンタントとは

1948年フランスの企業家ジャン・ドミエール氏の提唱で「信仰、友情、奉仕」をモットーに信心会としてパリで発足した国際的なカトリック高齢者の生きがい団体(略語VMI)。日本では黎明クラブと呼ばれている。六二年フランスの司教団の承認をうけ、ヨーロッパ各地に広がり、八五年教皇の助言で国際的組織となった。日本では84年グロード師(パリ外国宣教会)により、函館旭ヶ岡の家で、最初のVMIが発足、黎明クラブと呼ぶこととされた。翌年、函館元町・宮前町・湯川の各教会、札幌、明石、仙台等にも創設。

第34回『イエズス探究会』〜テーマ「救い」〜

祈りと分かち合いによって、信仰の相互教育をこころがけてきたイエズス探究会が34回目を迎えて、5月16日(金)から5月18日(日)まで、日野ラ・サール研修所で行なわれた。地道に続けて18年目、今回は『救い』をテーマに、私達の霊的なまなざしをむけてみた。

家庭、職場、地域社会、小教区、私達の生活の場で、イエズスによって救われているという実感を持てることを誰もが願っている。

参加者は、山根克則神父(新潟寺尾教会主任司祭)と求道者を含む男子信徒12人の合計13人。これまで、毎年春と秋の2回ごとに、平均20人の成年男子信徒が主に東京教区から参加しているから、延べ参加人数は400人に達している。2泊3日の合宿共同生活を通して、『救い』についての自らの経験を語り、また信仰の友の体験に耳をかたむけながら、参加者の信仰の視野をいっそう開き深めることができた。

分かち合いの原則は、ありのままの自分の体験を分かち合うこと。自分の苦しみ、自分の救われた体験、主イエズスの恵みの実感等をありのまま分かち合うことが大切だ。黙想中どのような祈りをしたか、フィーリングはどうだったか、何か今までと違った気づきがあったか、心にとらわれがあり、みことばが心に入ってこない等を分かち合うこと。他人の話を聞く耳を持てるように、人の痛み、喜びを映し取る優しい心が持てるように聖霊の助けを求める。輪になって手をつなぎ、数分間沈黙し、聖霊の助けを求める祈りをすることだった。

普段は人前で話をすることが苦手の人もいるので、発言を強要しないこと。そして、分かち合いの最後は、参加者の一人一人の名前をあげて全員で祈り、締めくくりは全員のために祈った。

黙想の時間では、指定された聖書の中の箇所である出エジプト記12章、イザヤ49章、及びルカ19章を一人になってゆっくりと心をこめて読み終わった。

エマオへの散歩の時間では、2人が1組になり、敷地の外に出て一緒に道を歩いた。自分が抱えている信仰上の問題をはじめ、身の回りの話題などさまざまなことを霊的な面で話し合う対話の時間を過ごした。

プログラムの最後に、それまでを振り返りながら、ミサにあずかり自分が神に決心したことを奉献した。それを家に持ち帰り、ときどき開いて心の励みにするためだ。

イエズスは私達一人一人の中にいて、そのイエズスは神の中におられる。だから私達の中にも神がいる。神は本当に救いが必要な人々のために、いつも何とかして私達に近づきたいとしておられる。私達は神との正しい関係、つまり純粋で何の不安もない平安な心の状態を、ときどき断ち切ってしまうことがある。だが、いつでも、何度も神は断ち切られた糸をつないで、人々を救いたいと望んでいる。それに気づくと一瞬にして神は広い世界のいたるところに働いておられることが分かる。だから、人間はいろいろな方法やさまざまな場所で神を実感し、本当に神の子としていきいきと生きていける。

山根神父のオリエンテーションで始まったプログラムの最後は、聖霊降臨の主日のミサで締めくくった。

イエズス探究会を見守って下さる東京教区の司教はじめ、祈りによって支えて下さるシスター達と多数の神父にも心から感謝を捧げた。そして、再会を楽しみに、青葉が目にしみる日野ラ・サール修道院の坂道を下って、各自の教会や仕事場や家庭へと散って行った。
(櫻井 清)

教区委員会紹介その(13)「平和旬間委員会」

平和祈願祭のこれまでの歩みを抜粋してみる。この世に生をうけた者は誰でも平和を望まない人はいない。家庭、社会、国の平和と、大前提は各人それぞれ環境立場は違っても、平和を生命の誉れと己れに言い聞かせながら努力することは尊いことです。第2次大戦を体験した我が国にとっては、特に教訓として平和を大切に守らなければならないでしょう。今日、千代田区三番町にある千鳥ヶ渕戦没者墓苑は、前大戦で戦没死された遺骨を納めた国立の墓所で、宗派を超えての唯一日本を代表する無名戦没者のお墓です。ここに1970(昭45)年8月15日、麹町教会主催により初めて「平和祈願のミサ」が催されました。

(1)1974(昭49)年8月11日
主催は布教司牧協議会に移り、名称も「平和祈願祭」になる。
(7)1980(昭55)年8月9日
8月上旬の土曜日午後6時半開会に移行、「光の行列」が加わる。
(9)1982(昭57)年8月7日
この春、日本司教団は毎年8月6日〜15日を「平和旬間」と発表、祈願祭開催日が6日から最初の土曜日になる。
(12)1985(昭60)年8月10日
教区規約改訂により布教司牧協議会改め、宣教司牧評議会に、主催は平和旬間委員会の単独専任となる。
(13)1986(昭61)年8月9日
吉祥寺教会の平和行進始ま る。
(14)1987(昭62)年8月8日
平和行進、武蔵野ブロックに広がる。
(15)1988(昭63)年8月6日
平和行進、城南・城北ブロックにも広がる。
(17)1990(平2)年8月11日
平和行進、城東ブロック加わる。
(18)1991(平3)年8月10日
大司教、平和祈願ミサで10年前の教皇訪日とその平和アピールを会衆に思い起こさせる。
(22)1995(平7)年8月5日
戦後50年、ブロックの平和を祈る行事が各地で自主的に実施。平和祈願ミサ、平和を願う祈りの集い、講演会、写真展示等があった。
(23)1996(平8)年8月10日
(24)今年、1997(平9)年8月9日(土)、午後5時半の開式です。教区の皆さんの平和を求める輪が広がることを願っています。  (杉田栄次郎神父)

※( )数字は回数を示す

生涯養成委員会連続講演会 「第2バチカン公会議と私たちの歩む道」 6月29日から11月まで5回

東京教区生涯養成委員会は2000年の大聖年に向けた行事の一環として、連続講演会「第2バチカン公会議と私たちの歩む道」を6月から開催する。

全5回のシリーズの第1回は、教区教会委員連合会と共催で、6月29日(日)午後1時30分から東京大司教区「ケルン・ホール」で連合会総会の一環として行った。第2回から第5回は、7、9、10、11月のいずれも第3土曜日の午後2時から、信濃町の真生会館(JR信濃町駅前)で開催する。

教皇ヨハネ・パウロⅡ世は2000年の大聖年の準備のための書簡で、大聖年にはじまる新しい千年期の最良の準備は「第2バチカン公会議の教えを出来る限り忠実に個人と全教会の生活に適用すること」と強調された。公会議から30年が経過し、当時会議に関わった人々も、だんだん世を去り、公会議が多くの人々にとって“遠く”なっている。連続講演会の狙いは「今のこれからの日本の教会を生きたものにするために、バチカン公会議をとらえ直す」ことにある。憲章の逐語解説のような専門的な勉強会ではなく現在から将来にわたって日本の教会を担う信徒や司祭にとって役に立つ“行動原理”の素材を提供したい。

混沌とした、誰もが不安な現代の中で、教会は、そして私たちは、どのようにしたら「社会の光」となれるのか。公会議を手掛かりにした一連の講演会が、海図を見いだすきっかけになることを期待している。多くの信徒、司祭、修道会の方々の参加を歓迎する。

受講料は、第1回は無料、第2回以降は毎回800円で、4回一括お支払いの場合は4回分2000円。当日会場で受付ける。

講演会の内容
(2)7月19日(土)
シェガレ・オリビエ師 「現代社会の中の教会」
(3)9月20日(土)
南雲正晴師 「キリストを記念する典礼」
(4)10月18日(土)
雨宮 慧師 「教会に聖書は必要なのか」
(5)11月15日(土)
粕谷甲一師 「バチカン2と今・パート2」

大聖年への霊的巡礼と回心の旅を始めよう 徹夜祭 白柳枢機卿説教

今日私たちは、キリストのご聖体の祝日を記念し祝っています。
日本の教会は、大聖年を迎える準備の第1年目に当たり、特に今日の日「聖体の祝日」を選び、全国の教会の全信者が大聖年を祝し、それがすばらしい恵みであることに目覚めるよう望んでおります。
教皇様はこの大聖年の準備のための3年間を、第1年目の今年は「キリストご自身」に焦点を合わせ、来年の98年は「聖霊の働き、聖なる霊」に特に注目し、99年は「父である神」、そして2000年には「三位一体の神」について私たちが深い考察をするように求めておられます。
ご聖体の中にいらっしゃるイエズス様はまことの神、私たちと共におられる神様です。そしてその方に学び、その方と個人的な、人格的な交わりを深め、その方の中に真理であり道であり命を見出し、その方を私たちの生活の中心にするよう、それに命をかけるよう、こう私たちは考えています。

さきほど読み上げられた福音(ルカ24・13-35)でエマオへ向かう道で、二人の弟子たちはイエズス様とともに歩きました。しかしその目は遮られていました。でも一緒にいることで彼らの心は燃え上がったのです。神がともにいらっしゃる、それは私たちの心を照らしそして心を燃え立たせてくださいます。
もちろん神様は全き霊です。至る所に現存されています。また、三位一体の霊を受け、洗礼を受けた私たちとともに神様が現存していらっしゃることも確かです。でも肉となられたみ言葉、人となられた神、私たちの兄弟であり仲介者であり、救い主であるイエズス様に出会うことはどうしても必要です。
私たちは真理、道、命であるイエズス様をこのご聖体の中に見出そうとしています。
ご聖体は、私たちにイエズス様を現存させてくださいます。聖別されたホスチアは、マリアとヨゼフに養われ、使徒たちを弟子にして群衆に話しをされ、奇跡を行ったイエズス様です。またマグダラのマリアの罪を許し、ラザロを蘇らせたイエズス様です。裏切り者によって敵の手に渡され全身傷だらけで十字架を担い、盗賊の間で殺され、3日目に復活されたイエズス様です。そして今日も私たちに聖霊を送ってくださるイエズス様です。
ご聖体の中にイエズス様は肉体的な広がりこそもってはおりませんがパンの形でいらっしゃいます。神であるイエズス様は「これは私の体である」というみ言葉に、神性も人性も備えておられるイエズス様はその中にいらっしゃいます。ご聖体の中に神性も人性も備えておられるイエズス様はいらっしゃいます。
イエズス様は私たちの信仰の原点です。そこには、イエズス様の御体、ご霊魂があります。ご霊魂は知性と意志と能力を持ち、神としてまた人として私たちを宇宙的にし、愛してくださるのです。
イエズス様はご聖体の中に生きておられ、今でも私たちと生き生きとした関わりを持ち、答えてくださるのです。私たちはこのご聖体の中にいらっしゃるイエズス様とともに大聖年を歩き始めようとしています。

ところで私たちは個人として、私たち自身を反省しなければならないと思います。私たちは本当に、イエズス様を求め、自分の生活の中心としているのかどうか、イエズス様に対する揺るぎない信仰を持っているのかどうか、イエズス様に全生涯をかけて生きているのかどうか。
信仰は私たちに託された恵みです。私たちはこの信仰をより深めてくださるよう神の恵みを願わなくてはなりません。
また一方において、回心すべきところは許しを願い、神の方向に向きを変えなくてはなりません。
私たちの共同体の信仰、私たちの生きる小教区、あるいは教区あるいは修道院の歴史のなかで救い主であるイエズス様の姿を世に示しているでしょうか。拠り所を失って、求めている人々に、飢えている、渇いている人たちに私たちは常に答えているでしょうか。
絶えず仕事に追いかけられ、あまりの忙しさに個人的な反省あるいは家庭としての反省、教会、修道院、教区としての反省をしていないのではないかと思います。そのような時にもわずかしか時間が取れない状況にあるかもしれません。
準備の期間中私たちは、心の余裕をもって、自分の姿、共同体の姿をはっきりと自覚をしなければならないと思います。
イエズス様の真の姿を見出し、後ろを向けることのないよう、命をかける生き方をしなければならないと思います。
教皇様はそのために聖書を学び、教会の教え、特に第2バチカン公会議の教えをもう一度振り返ることを通して、個人としてあるいは共同体として信仰を問い直すことを勧められておられます。
このことをまず私たちは霊的生活を、内的な生活を豊かにするようにしなければなりません。
大聖年、それは決して悲しいものではなりません。大聖年は恵みの年であり、喜びの年でもあります。人々は世紀末に向かって、世紀末を暗いものととらえ、そして新しい世紀を希望の世紀ととらえています。
しかし、教皇様が言われたようにキリスト降誕2000年は喜びの年、新しい希望の年です。教皇様は私たちに対する内的刷新の呼びかけのなかで、世界的規模の黙想会を勧めておられます。
私たち全キリスト者が内的、霊的生活を深めて2000年前に、歴史の中に入られたイエズス様が人類の一員となり、またそれによって私たちの人間性が神の中に入ることができたことに目覚める大聖年の準備は、私たちの特別なチャンス、全教会の霊的刷新、来たるべき世紀に喜びと希望をもたらしてくださいます。
新しい世紀には、私たちに新しい福音宣教に駆り立てます。世界的規模の黙想会は充実した本当の回心の旅を続ける巡礼です。希望と喜びをもって大聖年へ霊的巡礼と回心の旅をご一緒に始めましょう。

千葉県南部・東部で働く司祭に暖かい配慮

5月の司祭評議会の議題の一つは、千葉県南部・東部で働く司祭への特別な手当についてでした。
東京教区の中で千葉県には15の小教区があります。そのうちのいくつかの教会は、東京に出てくるためにかなりの交通費を使います。例えば千葉県南部にある館山教会や鴨川教会から東京に来るのには、約5千円必要です。ましてや途中で食事をしたり、特急を使ったりすると、たちまち1万円の支出を覚悟しなければなりません。
また物価の面から見ても、千葉県は決して安いとはいえず、自然に恵まれているという点では申し分ないにしても、そのまま生活しやすいということではないようです。
そういう事情を考慮して、東京からみて割と遠い地域に属する6つの教会の司祭に、いわば遠隔地手当に相当する援助金を支給することになりました。
支給額は月額3万円、該当する教会は、銚子、佐原、東金、成田、鴨川、館山の各教会です。
行ってみて実感することですが、千葉県は近くて遠い所です。都心から佐原まで約120キロメートル、館山、鴨川までは約150キロメートルあります。都内の集いに出席しようとすると一日仕事になります。この度の手当は遠隔地で働く司祭たちにとって小さな朗報となるでしょう。

JOCセミナーに参加を

7月8日(火)から10日(木)正午まで、東京・日野市のラ・サール研修所で「働く若者にとって福音とは-現代における青年活動・運動について考える」をテーマにJOCセミナーが開催される。

講師は、子どもと親の相談援助ルーム・ヒューマンスクエアを主宰している富田富士也氏。東京教区JOC担当司祭・秋保真理夫神父は、「JOC運動という枠よりも、現在の私たち一人一人が抱えている問題として、とりわけ青少年にかかわる人たち、自分の子どもが理解できないという親御さんたちにも、大変役立つセミナーです。広く多くの人に呼びかけたい」と語る。講師の富田氏の講演がある1日目の午後の講演だけの参加でもよい、と主催者は呼びかけている。

全日参加16,000円。
部分参加の申し込み、また詳細についてはJOC書記局(TEL03-3363-6671、FAX3363-6672)へ。

同じ釜の飯を食った仲間になりませんか

●WorldYouthDayinParis+日韓学生交流会(団長:三末司教)
*Aコース:ルルド(日韓)アルプス(世界各国から)パリ(本大会+世界からの学生の集い・アジア各国のカルチャーショー参加)
8月10日〜25日 26万円
*Bコース:ノルマンディー地方+Aコース
8月4日〜25日 29.5万円
◎問い合わせ先 真生会館カトリック学生センター 余語久則神父
〒160東京都新宿区信濃町33 TEL03-3351-7121 FAX03-3358-9700

第24回 平和祈願祭

●日時 8月9日(土)午後5時30分
●場所 千鳥が淵戦没者墓苑
(地下鉄東西線九段下徒歩10分)

平和を祈るミサ 光の行列

白柳枢機卿の主司式による共同司式で行われます。