東京教区ニュース第143号

1997年06月01日

外国人はお客様なのか仲間なのか
~共生への道をさがす~

ある教会の場合 “善意も限界がある”

第7回インターナショナルデーも、

昨年にまさる3000人以上の参加者を迎え、 大盛況のうちに終了しました。 

参加した人は外国人、 日本人を問わず異口同音に、 「ほんとにすばらしい集いだった。 特にごミサは、 感激の一言に尽きる」 と言っていました。 

改めて、 東京がすでに国際都市になっていることを知らされると同時に、 キリストに対する思いをひとつにするなら、 国や民族を越えて、 みな兄弟姉妹になれることを教えられます。 

しかしながら、 ともすれば閉鎖的になりがちな私達にとって、 外から来た者は、 それまでの生活をおびやかす存在であることも確かです。 

そこで今回改めて、 外国人は私達にとって仲間なのか、 あるいは、 はた迷惑なお客様なのかという問いかけを行い、 検証してみることにしました。 

「軒を貸して母屋をとられる」 という諺があります。 

外国人の信徒が急激に増え、 日本人の数を越えるようになって、 なにもかもが外国人にとられたような印象を受けた日本人の大半が思わず発したのがこの諺でした。 

日本人に限らず、 人は誰でもお客様が好きです。 しかし、 それはあくまで、 数少ないお客様としてとどまるうちの話です。 そのお客様が、 自分の生活のペースを乱し、 邪魔になるようだったら、 とたんに厄介者になってしまいます。 

その感情を自己中心的だと言ってしまうのは簡単ですが、 無理は続きません。 人の自然な感情を認めた上で事を進めなければ、 良い方向にいかないのは明らかです。 

教会は誰のものでもありません。 求めて来る者には、 いつでも門がひらかれています。 

しかし教会は、 その教会の信徒にとっては自分達の家であり、 自分達の歴史を刻んできた城でもあります。 建物を維持し、 そこで集い、 数知れない出来事を積み重ねてきた場なのです。 

そのことをわきまえて、 人の集いに入ってくる者には、 喜びをもって迎える気持ちを表します。 しかし、 そんなことを無視し、 土足で踏みこんでくる者には拒否の姿勢を表します。 

ましてや、 自分達には自分達のやり方があると言わんばかりの無神経な態度には、 拒否を越えて怒りを表します。 

それは、 もう、 善意でどうなるものではない段階に来てしまっているのです。 お客様というより侵入者、 侵略者になっているのです。 

いくら兄弟として受け入れようという正しい声を聴いても、 受け入れることはできないのです。 

いくつかの教会では、 それまでやっていた外国人を対象としたミサをいろいろな理由で中止したケースがありました。例えば外国語のできる司祭が人事異動でいなくなるということもありましたし、後任の司祭に外国人への配慮が欠けていたということもありました。 

また何百人という外国人が教会を満たし、 教会の前には外国人向けの出店まで出る有様で近所迷惑ということもありました。 

外国人にとって、 自分達を受け入れてくれた貴重な教会だったのでしょうが、 所詮それは、 そこにいる日本人の我慢の上に成り立っていたものだったのです。 我慢にも限界があり、 善意にも底があったのです。 まさに、 軒を貸して母屋をとられるという印象を与えてしまっていたのです。 

言葉の通じない外国に来てやっと見い出したオアシスだった教会に集りの場を失うことは外国人にとって、 とてもつらいことであったでしょう。 しかし、 自分達がどういう存在であったのかが、 現実によって知らされてしまったということなのです。 

またある教会の場合 “外国人のおかげで”

外国人といえば、 外国人の司祭のことであったり、 高級な感じのヨーロッパ・アメリカ人でした。 しかしそこへ、 今まで見たこともないような国の外国人が、 日本人との結婚やショービジネスのエンタテナーとして来日し、 人数の少ない教会へ来て一緒にミサに与っているというのは、 その教会の信徒にとって不思議な現象でした。 

つつましやかにミサに出て一生懸命に祈っている姿は、 なにか力になれることがあったらなってあげたいという気持を誘ったのです。 

そのうち、 そのような境遇の方が日本人の男性と結婚する現象が起きて来ました。 そして、 その中の何人かが、 子供を連れて教会に来て、 赤ちゃんに洗礼を授けて欲しいということになりました。 

受洗者がほとんどないその教会にとって、 たとえ赤ちゃんであろうと、 新しい兄弟が生まれることは喜びでした。 

それだけではありません。 少ない信徒が毎月催す信者会の席に、 母親となったその女性が子供を抱いて出席し、 自分の国の教会のことを話しました。 それは驚くことばかりでしたが、 どんな外国紹介よりも迫力のあるものでした。 

話されたもののいくつかは実行できる範囲で実行に移されました。 ひとつ実行すれば、 そのたびに教会が活気づきました。 

そのうち、 日本人と結婚した方々の何人かが離婚するという悲しい現実を味わうことが起き始めました。 

結婚、 しかも外国人との国際結婚は、 なかなか容易なものではありません。 苦しい時、 教会に来て一心に祈り、 時には涙にくれている姿は、 そのまま日本人信徒の心にひびきました。 

私達にできることなら何でもして差し上げたいという気持ちが共通しておこりました。 

その時その外国人は、 お客様ではなく、 信仰で結ばれた兄弟姉妹になっていたのです。 共に苦しみ、 共に犠牲を払いました。 相当の献金も集まりました。 

大げさな言い方かも知れませんが、 その小さな教会に訪れた外国人信徒は、 愛することのなんたるかを教え、 その行動を定着させる機会を与えてくれたのです。 

定着する外国人 “共生の道を探しながら”

外国から来た人にとって、 日本は住みやすい所ではないようです。 「仕事があっていい収入が得られるからいるだけです」、 とはっきり言われる方もいます。 

10年あまり前から急激に増加した外国人は、 一時滞在で帰国される場合もあります。 特にこの数年のバブル崩壊以後は、 職もなく失意のうちに帰られる方も少なからずいます。 しかし、 にもかかわらず大半の方々は、 帰るに帰ることができず、 日本に定住し、 定着されています。 

出入国の公的な数字から推定しても約7万人の外国人信徒がこの東京教区の中に住んでいることになります。 これは日本人信徒の数とほぼ同数であり、 数字だけからすると、

2人に1人は外国人信徒ということになります。 

私達の教会には、 外国人の方はいませんということは、 もはや言えない時代に入っているようです。

また1人や2人の善意とか、

一小教区の努力工夫でどうにかなるという段階でもないようです。 教区として本腰を入れて取り組み、 お互いの力を合わせながら、 新しい教会作りを目指して一歩進めなければならない時に来ているようです。 

毎年4月に開催されるインターナショナルデーが、 ある面での“共にある姿”を示してくれています。 

国境や民族を越えて、 それぞれの特徴を出し合いながら喜び合っている姿こそ、 神が見せてくださっている近未来の教会の姿ではないでしょうか。 

一人の人を受け入れていくのにも、 計り知れない苦しみを伴うものです。 ましてや、 言葉も習慣もちがう人々を受け入れることの苦しみは並大抵のものではありません。 しかし、 その苦しみこそ、 新しい教会を生み出す陣痛とはいえないでしょうか。

白柳枢機卿
外国人司牧に関する教書
「人間への共感をバネとして」 を
聖霊降臨の日に発表

司祭評議会によって検討されていた外国人司牧に関する問題がまとめられ、 聖霊降臨の日に白柳枢機卿の名で発表された。 

これは、 昨年十月に開催された司祭研修会で 「着実に増加する外国人に対して教区として、 どのように対応したらよいか」 という大きな課題に対するまとめでもある。 

司祭研修会を受けて、 司祭評議会から委託された数名の司祭たちによってたたき台がまとめられ、 司祭評議会で検討され、 枢機卿名によって発表されたものである。 

教書は表題にあるように、 日本に来て一生懸命生きようとする外国人に対して、 国籍・民族・文化・伝統の違いを越えて人間として共感することを訴え、 かなり具体的なことにも踏み込んで、 小教区や各修道院には、 できる範囲での対応と協力を呼びかけるものになっている。 

聖霊降臨祭の頃に小冊子として、 教区全体に配付された。

上を向いて歩こう」 
~第7回インターナショナルデー~
3000人がカテドラルに集う

4月20日、 東京教区インターナショナルデー委員会 (委員長:レオ・シューマカ神父) は、 「Walk in the Light」

をテーマに第7回インターナショナルデーを開催した。 会場となったカテドラル構内は、 言葉、 皮膚の色、

国籍の違いを越えた3000人以上の人々が集い、 笑顔と歓声に包まれた。 

カテドラル全構内をフルに使って、 国際ミサ、 アトラクション、 国際カラオケ、 ワールドバザー、 スタンプラリー、

国際電話コーナーなど盛りだくさんの企画が午前11時から始まった。 

東京教区100周年行事の一つとして始まったこの集いは、

7回目を迎えて教区、 小教区を越えた行事としてすっかり定着した。 

当日の参加者、 ボランティア、 スタッフの声を聞いた。  

◎皆さんの努力が実ってにぎやかなお祭りになりました。 昨年も感じたのですが、 交わりの広場があればよいのにと思います。 ゴザでも敷いたらいかがでしょうか。

(60代の男性) 

◎各国の料理が楽しめてよかった! (50代の女性) 

◎素晴らしい会でした。 さすがカトリックといったところです。 世界観があります。 

11時前に行って準備も見ようとしていたのですが、 少し遅れてしまいました。 

カメラで各屋台を撮りました。 来年は女房と一緒に参加したいと思います。 

ミサも感動しました。 あの明るさです。 プロテスタントは説教中心ですので、 どうしても難しくなり暗いです。 これをどう払拭するかが今後の課題です。 聖体拝領は 「カトリックの」 洗礼を受けている方はどなたでもどうぞとのことでしたので、 残念ながら受けませんでした。 

ところであのパフォーマンスをされた方々をどのように集めたのでしょうか。 またあれだけの外国人にどのようにしてPRしたのでしょうか。 みんなコネクションですか。 もちろん教区の神父さま方からの情報をかき集めるのでしょうが、 そこらへんがすばらしいです。 

我々は各教会主義的なところがあり、 他の教会のタラントを集めることなど難しいです。

「1つ」 が強調されていましたが、 まさに目のあたりにして感心しました。 

スペイン語を少しでもしゃべれるともっとコミュニケーションが広がる気がしました。 それにしてもラテン系の方々は明るいですね。 また何かイベントがあったら、 お知らせください。 ありがとうございました。 (プロテスタントの50代の男性) 

◎外国人だけでなく、 日本人もこの祭りを待っています。 日本人は枠のない催しに慣れていないけれど、 今日のような集いは、 町の中に自然にいると感じられていいですね。 (50代の男性) 

◎楽しいじゃないですか。 このような集いは大きな教会でないとできないですね。 ここまでもってくるのが大変だったと思います。 (京都教区の30代の女性) 

◎午前中だけで23人も歌ってくれました。 夕方は閉店時間が過ぎても予約でいっぱい・・・ラテンのリズムに合わせて会場ではダンスの輪が広がっていきました。  (カラオケのスタッフ) 

◎楽しいねえ!毎週やったら! (スペイン人のK神父) 

◎ごみをもう少し分けて捨ててくれたらと思います。 日本語が分からない外国の人は私たちに聞いて分けて捨ててくれたのに、 日本人が知らん顔で燃えるごみと燃えないごみをいっしょくたにして捨てているのには腹がたちました。

(ごみ係をしたボランティアの女性) 

最高裁
「愛媛玉ぐし料訴訟」 に違憲判決

4月2日、 最高裁大法廷は、 「愛媛玉ぐし料訴訟」 で違憲の判決を出した。 司教団はこれまで、 靖国神社法案、 首相らの同神社公式参拝、

大嘗祭(ダイジョウサイ)の国事化などで、 政教分離の原則がそこなわれないよう、 政府に何回となく要望書を送り、 憲法の基本理念に基づいて善処するよう訴えてきたが、 このたびの判決はこのような意向にも沿うもの。 

司教団の意を体し、 長い間この種の問題に関わってきた東京教区靖国問題実行委員会はこの判決を高く評価し、 声明を出した。 

当日夕、 弁護士会館で開かれた報告集会ではこの声明を参加者に配り、 同委員会担当の青木静男神父が壇上で読み上げた。 なお原告団や弁護士団にも敬意を表したり、 祝辞を述べたりして喜びを共にした。 

(注) 

愛媛県玉ぐし料訴訟とは、 松山市の僧りょ安西賢二さん

(50) ら住民24人 (上告審では19人) が、当時の白石春樹知事=今年3月30日死去=らを相手に起こした住民訴訟。 問題とされた公費は、県が1981年から86年にかけて、靖国神社の春秋の例大祭やみたま祭に支出した玉ぐし料と献灯料の計7万6千円と、その分社的性格を持つ県護国神社への供物料9万円。 

一審の松山地裁は89年3月、 「宗教とのかかわりはもはや相当とされる限度を越える」 と述べ、 違憲判決を言い渡したが、二審・高松高裁が92年5月、 「零細な額で、 社会的儀礼の程度にとどまる」 として、 合憲判断を示したため、 住民側が上告していた。 

玉ぐしは、 榊 (さかき) の枝に紙の飾りをつけ神前に供えるもので、 その代わりに神社に奉納する金員を玉ぐし料という。

ナイス2・家庭プロジェクトチーム主催
<学びと黙想の集い>

四月十二~十三日、 上石神井のイエズス会黙想の家で、 ナイス2・家庭プロジェクトチーム主催の<学びと黙想の集い>が開催された。 

講師は金盛浦子さん、 指導は森司教、 テーマは 「家族の癒しと家族による癒し」 であった。 

九三年秋の福音宣教推進全国会議のあと教区に設置された同プロジェクトチームは、 家庭、 家族をテーマに、 研修会、 黙想会、 祈りの文の募集等の活動を行ってきたが、 この集いをもってチームの活動を終了した。 

シャロームの家と寿町を見て…
~「女性と教会委」一泊交流会の出会い~

ことの始まりは、 三月に参加した女性と教会委員会の一泊交流会での出会いだった。 ある教会のボランティアで始めた活動が、 現在の彼らを生き生きとさせている。 

それは、 横浜の寿町という寄場近くの 『シャロームの家』 の話だった。 私は、 「寄場」 という言葉も 「寿町」 という名も知らなかった。 シャロームの家とは、 シャロームの会が活動している場の一つで、 地域作業所という名がついている。 具体的に言うと、 寿町地区に住む障害を持った方のための昼間の仕事場であった。 

以前、 外国人の日本語教育に首を突っ込んだことのある私は、 在日韓国朝鮮人の選挙権等の問題、 侵略の歴史をよく知らずに愕然としたことがある。 

その時に 「無知が差別の始まり」 であることを身にしみて感じた。 それからは、 より広く視野を広げて本を読んだり興味を持って考えてきたつもりであった。 だが本当にそれは一人よがりのことで、 今回伺った寿町のことに対しても無知な自分を再確認させられただけという訳である。 

交流会から戻り、 左か右かと問われれば必ず左と答える我が夫に寿町のことを知っているかと聞いた。 答えはもちろん 「イエス」 である。 「寄場の一つでしょ」 と簡単に言われ、 再び無知な自分を恥じてしまった。 

まず、 知らなければ、 見なければ、 ということでさっそく道連れ探しを始めた。 幸い、 我が教会の司祭N師が時間をあけて下さり、 シャロームの家の責任者原木さんとも連絡が取れた。 

同じ交流会参加のTさんと小学校六年生のお嬢さん、 今年三歳になる娘春霞 (はるか) と計五名で雨の中での横浜入りとなった。 

まず、 シャロームの家での集会を見せて頂いた。 原木さんの奥様・初美さんのはきはきとした声が響く。 「お酒を飲んで来ちゃだめよ」 と。 作業前の注意なのか。 前日までいちご刈りで作業所がお休みだったので、 皆の気を締めているのかもしれない。 

私たちのために一人ひとり紹介して下さった。 生まれながらに障害を持った人、 事故で障害を持った人、 障害がもとで親に棄てられた人… 集まっている方々は、 何か 「わけ」 のある人々だった。 紹介する彼女が赤裸々に一人ひとりの 「わけ」 を明るく話すので度肝を抜かれた。 後から伺うと、 「みなさんそうおっしゃるけれど、 障害があることは事実なんだから、 隠すほうが差別してることになりませんか」 と言っておられた。 本当にそうだと思った。 事実を事実としてそのままで受け入れること、 それに勝る愛があるだろうか、 と。 

昼食をはさんで午後は、 寿町を案内して頂いた。 寿労働センターの前で我々見学者が輪になって話を伺った。 その話の内容は、 労働者の現実やホームレスの襲撃事件のこと、 行政の政策など盛りだくさんであった。 

私は退屈しはじめた娘のために、 その輪から外れてしまいがちだったが、 そのお陰で貴重な経験をした。 労働センター前のよそ者の集まりは、 どうしたって暇を持て余している住人たちの気を引く。 ましてや小さな子供を連れた私は、 本当に珍しい客だったのだろう。 「ジュースを買ってやろうか」 「お菓子を買ってやろうか」 と少なくとも今日は仕事にありつけなかった労働者に声をかけられる。 

「お昼を食べたばかりですから。 トイレが近くなると困りますから」 と理由をつけて断る私に彼は、 最後に千円札を差し出した。 「なんか買ってやって」 と。 「一生懸命働いたお金なのに…」 と言っても、 「いいから」 と言って引っ込めない。 私は娘に 「ありがとう」 と言わせてポケットにしまわせた。 それから百円を二人からとお菓子を一つ頂き、 娘は喜んでセンターを後にした。 

私たちはその後、 シャロームの家の作業員の住む 「ドヤ」 を見せて頂いた。 それは、 私が今までに見た部屋の中でいちばん小さな部屋だった。 二段ベットやアジアの安宿で見るドミトリーのようなものを想像していたのだが、 個室になっている分、 畳二畳半がこんなに息苦しい空間なのかと驚いた。 

それで一泊千八百円、 一ヵ月五万四千円前払いしないと置いてくれないという事実に再び驚いた。 わが家も留学生を五畳半の部屋に置いているのだが、 共同とはいえ、 バス、 トイレ付きで三万円しか?もらっていない。 なんだこの現実は■と思ったのだが、 案内人の原木さんから 「保証も信用もなく置くわけですから」 という言葉に 「仕方がないのか」 という思いに留まるしかなかった。 しかし、 こんなわけでホームレスが生じてしまうのかと現実を知る勉強になった。 

シャロームの家に帰り、 初美さんに娘がたくさん頂いたことを報告した。 「彼らは人にしてもらいたいのでなく、 してあげたいの。 だからそれは受け取っていいのよ。 彼らは、 自分の一枚しかない上着を人にあげる優しさを持っているけれど、 自分がなくて困ったら、 人から盗んでも上着を着ますよ」 という話を伺った。 またそれも現実。 

さて、 そのころには、 シャロームの家に集っていた所員も解散し私たちも帰ることになったわけだが、 今日見た現実に私がこれから何をすればいいのか分からないままに帰ることになった。 初美さんは、 「知ってくれるだけでいい」 と話していた。 その言葉に甘んじるのか。 でも自分に何ができるのだろうか。 結局は、 自分の家族の幸せだけを祈り生活しているだけではないのか。 初美さんは、 「自分を棄ててまですることはない」 とも言っていた。 「無理することはない」 と。 確かに何かしようと思ったところで実際、 私には何もできない。 寿町で家のない方のために宿代をカンパするどころか頂いて来たのだから。 私が大好きなビールを止めてそれを彼らに送ることができるのか、 また、 実際そうして彼らのためになるのか。 娘のおけいこ事を一つへらしてその分寄付をする勇気があるのか…ない。 結局は、 自分の幸せばかり優先している自分を見るだけだ。 私にできることは、 娘に 「こんな優しいおじいちゃんがいたよ」 と言いながら千円を貯金に百円をお菓子に最後の百円を教会の献金に…と教えることぐらいである。 

「無知は差別の始まり」 である。 知ろうと行動してみた。 では、 次は何をしたらいいのか。 何もしなくてもいい…そんな答えを言ってくれる人を求めている自分が情けない。 

一方、 それまでの自分たちの生活を捨てて、 シャロームの家を作り働いている原木さんご夫婦の堂々たる生きかたに 「キリストの愛」 を見た気がした。 相手に何があろうとも受け入れておられる姿と、 しかし無理なく自然体で作業所を盛り立てている二人に率直に感動した。 初美さんも 「以前は自分の遊びの道具を捨てて、 寿町のために働こうと意気込んだ時期があった。 でも、 それでは続かない。 『私は私なの』 という本当の姿を出した時に、 町の人はそれをそのまま受け入れてくれた」 とおっしゃっていた。 

寿町を歩いてみた。 シャロームの家をのぞいてみた。 でも私にできることは何もなかった。 それが私。 その自分を受け止めること…それが私にできる唯一のことなのかもしれない、 と考えている。

 (斎木登茂子) 

CTIC 東京国際センター通信

リサイクルバザーを開催

すでに 「何でも屋」 になりつつある観のCTICが、 とうとうリサイクルバザーまでやってしまいました。 もっともまだまだまね事、 ままごとの域を出ていないのですが。 

この4月の気候はどうも変調で、 とても寒くて、 冬に逆戻りしたのでないか、 と思わせるような日が随分多くありました。

そんな4月20日の日曜日、 前日までの天気がうそのような穏やかな春の日差しの中、 潮見教会の中庭でリサイクルバザーを開きました。 

あれこれ、 きちんと準備している暇がなかったので、 文字通りぶっつけ本番です。 「大道具」 は教会にあるものを見つくろって……。 品物を広げるゴザは物置で見つけました。 服をハンガーでつるす物干し竿は裏庭から、 竿を置く台代わりのテーブルは、 集会室から持ち出しました。 こうしてままごとのようなリサイクルバザーの始まりです。 

30人ぐらいの外国人たちが親子連れで来ました。 男物、 女物、 子供用の衣類、 家庭用品、 雑貨、 学用品など、広げられた段ボール100箱分の品物の中から、 みんなは欲しい物を探し当てていました。 中には、段ボール箱でいくつぐらいでしょうか?5つ、6つ持ち帰った人もいたようです。 どの品物も無料でしたから。 

この日、 いくつかのイベントと重なってしまい、 このバザーに来られなかった人たちがいたことは反省の材料です。 

CTICと 「品物」、 この奇異とも思える組み合わせは、 何でしょう?

その由来はと申しますと、 まず、 一昨年の秋口、 フィリピン大使館から 「東京湾の船上でストライキをしているフィリピン人船員たちに、 衣類を調達して欲しい」 との要請がありました。 幾つかの教会や修道院、 婦人団体や福祉団体の協力を得て、 すぐに届けることができました。 以後、 折りに触れて、 これらのみなさんからたくさんの品物を頂くことになりました。 

他方、 離婚や家庭問題の相談のアフターケアーの中で、 食料や衣類、 子供用品、 学用品などを集めたり、 配ったりして来ました。 「生活保護」 状態の親子には、 各方面から寄贈される食料や衣類を継続的に届けたり、 山谷のボランティア組織には、 男物の衣類を届けたりしています。 余談ですが、 相談者が子連れでCTICに来ることも多く、 子供のごきげん取りには、 寄贈された縫いぐるみやおもちゃが威力を発揮しています。 

そうこうしているうちに、 いつの間にか、 寄贈された品物が狭いCTICの事務所にあふれ、 ついには潮見教会の集会室のかなりの部分を占領するようになってしまいました。 そこで、 「何がどうなるか分からないけれど、 ともかく試しに」 という訳で、 今回のリサイクルバザーとなった次第です。 

CTICは相談活動をその役割としています。 したがって、 「それでなくても手いっぱいなのに、 こうした活動のどこまでがCTICの役割やら?」 というところはあります。 しかし、 CTICが外国人たちの 「相談に乗る」 ということには、 「協力し、 代行する」 ということまでも含まざるを得ないのが実態ですから、 どうしてもアフターケアーまで活動の領域が広がります。 在日外国人と 「共に生きる」 ということには、 こうしたことにも理解を深め、 努力を傾けるということが内包されています。 

こうして、 CTICが 「何でも屋」 になったかのごとき活動をするということには、 とても大きなエネルギーを必要としますし、 いろいろと難しい問題もはらんでいます。 しかし、 憶せずに取り組みを進めることで、 CTICの活動に参加する人が増え、 「共に生きる」 ことの内容を豊かにしていくことができると考えています。 (渡辺哲郎)

世界の人々と……
ONAKAMAスタディツアー

今春も、 真生会館カトリック学生センターONAKAMAのスタディツアーで、 学生たちが多くの出会いと体験をして帰ってきた。 

中国の雲南省と香港を訪れたグループは、 引率の余語神父に、 「日本のスタンダードと世界のスタンダードの違い」 を問いかけ続けられながら、 大学生と交流したり、 少数民族地域を訪れたり、 また、 いくつかの教会と司祭たちも訪問した。 

タイでは、 タイ人学生とともに、 少数民族 (カレン族) の村に水道をひくワークキャンプに行った。 村の家にホームステイしながら、 米と木の葉や草やバナナの茎の芯ばかりという肉なしの食事にも不平を言わず、 何時間も山 (ジャングル) で働く厳しい日々を過ごした。 ローソクの光での聖週間典礼も、 よい思い出となった。 

[中国] 参加者の感想

◎苦しい時代を 「栄光は神にある」 という望みで耐えてきた、

80歳になる神父が平安に満ちた顔で、 「体力の限界まで働きます」 と言うのを聞いて、 すごい生き方があるんだと感動した。 

20年以上の強制労働は、 私には想像もつかないが、 あってはならないことが行われていたことと、 その苦しみが伝わってきた。 

◎文化大革命の間も教会を守ってきて、 「今、 教会に神父がいるというだけで嬉しい」 と言う老女は、 外国から来る神父に会えたことでも感激していた。 日本の教会との大きな違いを感じた。 

◎16歳で働いている少女の 「大学に行けても行けなくても、 努力して生きていきます。 それが私の道です」 との言葉に、 ドキッとした。 それに比べ私は、 「本当に、 生きているのだろうか」 と思った。 

◎ふと 「私って何だろう」 と思うことがあった。 日本ではあまり見つめない部分に気がついて考えたり、 中国の巨大な山や荒野の前に小さい自分を見たような気がする。 

◎マスメディアが伝える少数民族や中国と、 実際に自分で見たものとが違っていた。 

◎香港では、 カトリック学生連盟で活躍している学生が、 「家族と食事ができないのが悩みだ」 と言うのを聞いて、 家族について考えさせられた。 

[タイ] 参加者の感想

◎生活全体、 とくに食生活は本当に貧しいが、 村人たちがお互いに、 そして私たちにも惜しみなく与え、 分かち合ってくれるのには、 心を打たれ、 学ばされた。 

◎山の中の村の生活は、 思ったより快適で、 自然や動物と共に、 時間に追われずに暮らせることが心地良くさえ感じられた。 自分たちの生活がいかに不自然なものであるか考えさせられた。 

◎「私は一人の日本人として何ができるか」、 キャンプ後の 「振り返りと分かち合い」 では、 村での生活体験をここまで生かそうとするものなのかと感心した。 他の人の意見を聞き、 話し合うことで考えも広がった。 ゲームを通して全員の一体化をはかっていたこともすばらしかった。 なかなか他では得られない貴重な体験なので、 私たちの日本での生活に生かし、 他の日本の人々に伝えていきたいと思う。 

カトリック学生センターONAKAMA (余語久則神父) では、 カトリック国際学生連盟とも連携しながら、 今後もスタディツアーを実施していく。  

生涯養成委員会主催の
一泊交流会 「笑いの効用」 開く

東京教区生涯養成委員会主催の一泊交流会 「笑いの効用-心とからだ、 そして祈り」

が4月19、 20日の両日、 東京・多摩市のサンピア多摩で、 村田忠良 (=写真) 柏葉脳神経外科病院 (札幌市) 医長を講師に開かれた。 

交流会には、下関市からの遠来の信者を含めて約40人が参加し、

村田先生の40年に及ぶ精神科医としての体験をもとにした、 信仰に裏付けられたゆとりの心と思いやりからくる 「笑い」 の効用についてのお話を聞いた。 

さらに小グループによる分かち合いと、 全員による先生との質疑や意見交換を通して、 どんな時にもユーモアの心を失わない、 前向きな生き方を自分のものにする方策を学んだ。 

村田先生は講演の中で、 「心の持ち方で、 人生は明るくも暗くもなる。 心のありようは身体にも影響を与える」 と語られ、 半分空になったワインの瓶について 「まだ半分残っている」とした人々が30年後に全員幸せな生活を送っていた、 というハーバード大学の調査結果や、 笑いにあふれた生活を送ることで膠原病から立ち直った米国の雑誌編集長の実例を示された。 

そして、 「治療現場で笑いやユーモアが大切なのも、 そのためだ。 全人医療では笑いが大きな力を持つ。 日常生活にとっても必要な笑いやユーモアを持つために、 心のゆとりや人に対するやさしさ、 思いやりが欠かせない。 その土台となるのが祈り、 信仰だ」 などと話された。 (南条進二) 

教区委員会紹介 その12
「 高齢司祭委員会 」

すでに教区ニュース等で論じられたのでご承知のことと思いますが、 高齢化現象は、 司祭の上にも及んでいます。 

東京教区の司祭の平均年齢はほぼ六十歳に達しています。 

これから急に若い司祭が増えるということは期待できない現状ですので、 この平均年令は、 年を追うごとに高くなっていくことは避けられません。 教区は、 司祭の高齢化に真剣に取り組まなければならないところに来ています。 

司祭に定年があるのかという質問が時々出されます。 

一応、75歳に達すると主任司祭をおりることができると教会法に規定されています。 しかし、 それはあくまで 「おりることができる」 というだけで、 司教の判断でそのまま続けることも可能ですし、 司祭が足りない現状では、 おりるにおりられないということも十分に考えられます。 

それにしても、 司祭の高齢化と、 それにともなう諸現象はある面ではとても深刻です。 

一生を教会にささげ、 すべてを神様におまかせして生きてきた司祭が、 急に自分で自分の面倒を見られない状態になった時、 一体誰がお世話をしていくのかということは、 なにかの片手間に考えていくというほどやさしい問題ではありません。 

そのような問題が見えかくれしている現状の中で、 司教は、 このことを真剣に考えていく受け皿として 「高齢司祭委員会」 を設置しました。 

当初は司祭評議会の中にプロジェクトチームとして、 「高齢司祭小委員会」 が作られました。

昨年の4月です。 

最初のメンバーは司祭評の委員ばかりでしたが、この4月の役員改選の際、 正式に教区内の委員会として生まれ、 メンバーも司祭評にとらわれない形になっています。 

当然ながら、 司祭委員のほかに信徒の方々や専門家委員も加わった委員会になり、 具体的な課題に取り組んでいく方向に進むだろうと思われます。 

新しく生まれたこの委員会のメンバーは4名です。 内訳は、 後藤文雄師、 田中康晴師、 五十嵐秀和師、 それに西川でそれぞれ、 適材適所の選任のように思えます。

とりあえず2000年の3月まで、 このメンバーが司祭委員として任務にあたっていくことになります。 

この委員会の目的は、 具体的な問題に取り組んでいくとともに、 老後の司祭生活をどう組み立てていくかということを、 高齢期に入る前から考えていくことにあります。 

誰もが避けては通れない高齢化を、 むしろ迎え討っていこうということが大きなテーマです。 

20年前に亡くなられたイエズス会のホイヴェルス師の著作の中に、 「老いの重荷は神の賜物」 (「人生の秋に」 より) という言葉があります。 老いの重荷を神様の賜物に変えていくために、 この委員会がお役に立つことがあれば、 それがたとえほんのわずかなものであっても本望だと思います。

 (西川哲弥神父) 

生涯養成委員会連続講演会
「第2バチカン公会議と私たちの歩む道」 
6月29日から11月まで5回

東京教区生涯養成委員会は2000年の大聖年に向けた行事の一環として、 連続講演会

「第2バチカン公会議と私たちの歩む道」 を6月から開催する。 

全5回のシリーズの第1回は、 教区教会委員連合会と共催で、6月29日 (日)午後1時30分から東京大司教区「ケルン・ホール」(JR目白駅より都バス「椿山荘前」下車TEL3943-2277) で連合会総会の一環として行う。 

第2回から第5回は、 7、 9、 10、11月のいずれも第3土曜日の午後2時から、 信濃町の真生会館 (JR信濃町駅前TEL3351-7151) で開く予定。 

教皇ヨハネ・パウロ2世は2000年の大聖年の準備のための書簡で、 大聖年にはじまる新しい千年期の最良の準備は「第2バチカン公会議の教えを出来る限り忠実に個人と全教会の生活に適用すること」 と強調された。 

公会議から30年が経過し、 当時会議に関わった人々も、 だんだん世を去り、 公会議が多くの人々にとって“遠く”なっている。 

連続講演会の狙いは 「今のこれからの日本の教会を生きたものにするために、 バチカン公会議をとらえ直す」 ことにある。 

憲章の逐語解説のような専門的な勉強会ではなく現在から将来にわたって日本の教会を担う信徒や司祭にとって役に立つ“行動原理”の素材を提供したい。 

混沌とした、 誰もが不安な現代の中で、 教会は、 そして私たちは、 どのようにしたら 「社会の光」 となれるのか。 公会議を手掛かりにした一連の講演会が、 海図を見いだすきっかけになることを期待している。 

多くの信徒、 司祭、 修道会の方々の参加を歓迎する。 

受講料は、 第1回は無料、 第2回以降は毎回800円で、4回一括お支払いの場合は4回分2000円。 当日、 受付ける。 

講演会の内容

(1)6月29日 (日) 

粕谷甲一師 「バチカン2と 今・パート1」 

(2)7月19日 (土) 

シェガレ・オリビエ師 「現代社会の中の教会」 

(3)9月20日 (土) 

南雲正晴師 「キリストを記 念する典礼」 

(4)10月18日 (土) 

雨宮 慧師 「教会に聖書は 必要なのか」 

(5)11月15日 (土) 

粕谷甲一師 「バチカン2と 今・パート2」 

紀元2000年 (大聖年) に関して
教区としての基本方針と骨格、 決まる
ーーキリストの誕生を中心にーー

4月27日の司祭月例集会において、 教区としての大聖年の取り組み方の検討を依頼されてきた 「大聖年特別委員会」 より、 基本方針と骨格が決まったと発表があった。 

それによると、 「イエス・キリストの誕生に焦点をおき、 その誕生を中心にして、 信仰や教会のあり方を考えていくこと」 を教区としての大聖年に対する基本的方針とし、

次に示す3つの問いを中心にして、 自らの信仰と教会共同体のあり方について振り返り、 大聖年に向けた準備をすすめることになると発表した。 

1、 誕生されたキリストが、 我々一人ひとりにどのように語りかけ、 われわれにどのような生き方を求められるか

2、 キリストから見たら、 今のわれわれの教会、 そしてこれまでの教会のあり方はどうなのか

3、 キリストの目に、 今の日本の社会そして世界は、 どのようにうつると思うか。 キリストの望むような社会に変え、 育てていくためにどうしたらよいか

なお、 枢機卿は、5月31日の夕刻の集いのために準備したメッセージの中で、 「大聖年を、 基本的には一人ひとりの信仰とその生き方に対する問いかけ」 として受けとめ、大聖年に向けた準備の期間に上にあげた3つの問いを念頭におきながら、 これまで以上に心をこめてキリストについて学び、 祈るよう呼びかけている。 

またこうした個人や小教区の共同体の努力を助け、 その刺激となることを願って、 教区としてのいくつかのプロジェクトが企画されると語っている。 

教区として…

1、 祈りと黙想

日本全体の教会と心を合わせて、 定められた日に祈りと黙想のときを持つ

・5月31日カテドラルでリレー形式徹夜祭。 

各小教区で徹夜祭にあわせた集い

・6月1日 (聖体の主日) を大聖年の意向に合わせた感謝の祭儀

また、 年に数回、 大聖年のテーマにそった司教メッセージを準備する。 

2、 祈り文、 歌、 作文、 オペレッタ募集

・テーマ… 「キリストが誕生して二千年を迎えて」 

祈り文 (詩)、 歌、 作文、 オペレッタ募集

3、 記念講演会とシンポジウム

・講演会とシンポジウム 「キリストの誕生2000年」 を節目に、 

これまで教会のあり方を振り返り、 来るべき21世紀を見据える

・シンポジウム…日本の教会の歴史発見 

[日本における宣教の歴史を見直す]

(仮称) 

4、 世界聖書展

5、 自然村

・大聖年をきっかけに自然との触れあい、 人間性の回復をはかる場を設け

その機会を提供する

・ (可能ならば、 日曜学校・土曜学校の夏期合同合宿を行う) 

6、 ロゴマーク公募と大聖年記念グッズ作成

・大聖年の雰囲気作りを高める

それぞれのプランの詳細は、 追って発表。 

宣教会・修道会神学生にも支援
一粒会本年度予算に計上

4月27日午後2時から関口会館地下ケルンホールで、各小教区の委員80名が出席し、 97年度一粒会総会 (会長:白柳誠一枢機卿) が開催された。 

白柳枢機卿は 「2000年に到来する大聖年は、西暦で0が3個連続して並ぶ年は1000年についで2度目で、 不安の年と言い習わされてきましたが、 教皇様は恵みの年だとおっしゃっておられます。

その2000年に生きる神学生に期待するとともに、 皆さんのひと言が青年を召命へと駆り立てる力となるので、 呼びかけをお願いしたい」 と励ました。 

96年度活動報告、97年度活動方針が予算・決算と併せて説明、 審議、 承認された。 

神学生育成基金が、一昨年度初めて1億円の大台を達成し、 これを機に修道会、 宣教会所属の神学生へも支援の道を開く方向で具体策を練ってきた結果、

本年度予算に350万円が計上された。 

当初は積立金の運用利息をこれに当てる構想だったが、 昨今の超低金利のため、 今年度の基金積立金の運用積立金を若干下方修正して充当する。

その配分は神学生の数に応じて4修道会に各50万円、6修道会に各20万円、 3修道会に各10万円とし、

この措置は3年間継続し、3年後に見直しすることになった。 

また、 本年度の主な活動は、 神学生育成基金のためのオルガンコンサート(10月24日) の開催と 「一粒会だより」 の発行 (年2回) であること、 および担当司祭の交代が発表され、6年間一粒会を担当した市川嘉男、 内山賢治郎神父に代わり、 酒井俊雄、 辻茂神父が担当することとなった。 

総会終了後、 フランシスコ会江夏国彦神父が 「神の計らいの不思議」 をテーマに講演し、 「信仰を証しするという点では、 司祭も信徒も役割こそ違え、 共通の使命があり、 協力が必要なこと」 を力説した。 (運営委員 横山省三) 

平和旬間委員会から
第24回 平和祈願祭

● 日時 8月9日 (土) 午後5時30分

● 場所 千鳥が淵戦没者墓苑

(地下鉄東西線九段下徒歩10分) 

平和を祈るミサ 光の行列

白柳枢機卿の主司式による共同司式で行われます。

スタディツアーの予定
同じ釜の飯を食った仲間になりませんか

●World Youth Day in Paris + 日韓学生交流会 (団長:三末司教) 

*Aコース:ルルド(日韓) アルプス(世界各国から) パリ(本大会+世界からの学生の集い・アジア各国のカルチャーショー参加) 

8月10日~25日 26万円

*Bコース:ノルマンディー地方+Aコース

8月4日~25日 29.5万円

●ONAKAMAスタディツアーシリーズ

*7月14日~27日 ネパール=ブータン難民キャンプ・山村ステイなど

(香港、 マカオ、 ネパール、 台湾合同:25歳までの社会人可)

13万円くらい

*9月1日~26日 南アフリカ

(南アフリカ共和国・ボツワナ・ジンバブエ)=時空の流れが異なる大陸 アフリカ。 象やキリンの世界と激変する国々。

20万円くらい

●来春の予定

*韓国 *イスラエル(巡礼) *ミャンマー

◎問い合わせ先

真生会館カトリック学生センター 余語久則神父

〒160 東京都新宿区信濃町33 TEL 03-3351-7121 FAX03-3358-9700

編集部から

● 「時差」 というものが、 日常生活の中にもあることを、 すっかり忘れておりました。 

普通、 「時差」 は、 海外旅行などに出かけた時に経験します。 ところが、

毎日の生活にもあるんですヨ、 これが。 

いわゆる 「五月病」 もそうでしょう。 新しい環境、 人々の中に置かれて、

1ヶ月くらいは、 緊張も続くし、 又、 無理も効く。 しかし、 最後はバテてしまう・・・。 

そう!!私たちは、 自分の限界を、 分を超えられないように出来ているのです。 

え?私の場合ですか?4月の引越、 歓送迎会などが続いたせいでしょう、 久しぶりに 「ギックリ腰」 となってしまいました。 これも、 また、 「時差」 のなせる業なのであります。

 (熊) 

●5月4日、 広報の日の集いが日本教育会館一ツ橋ホールで開かれた。

ゴールデンウィーク中とあって882の座席がどれ程埋まるか心配されたが、 大入りになって、 昨年カトリック映画賞を受賞した 「絵の中のぼくの村」 と対談の集いを楽しんだ。 対談は東陽一監督、 原作者の田島征三さん、 森司教、NHKの山根基世アナウンサーの司会とすばらしい方達がそろったため1時間という時がアッというまに過ぎてしまった。 「もう少し対談の時間をとって欲しかった」 と参加者からの声も多くきかれた。 教区広報委員会共催ということで、 チケットを購入して下さった方に感謝。