お知らせ

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東京教区ニュース第142号

1997年05月01日

第12回東京教区総会 意識改革パート2 わたしたち一人ひとりの意識改革をめざして

3月20日四谷の雙葉小学校で、「意識改革パート2-わたしたち一人ひとりの意識改革をめざして-」をテーマに第12回東京教区総会が開催された。
白柳誠一枢機卿挨拶、財政評議会の小林章雄氏による財政報告、宣教司牧評議会の吉田誠氏(高円寺教会)の総会主旨説明の後、J・ワレ神父(パリ外国宣教会、浦和教区松が峰教会主任)が、基調講演「小教区共同体の意識改革」を行った。
さらに、ワレ師の基調講演を受けて滝島恵一郎氏(赤堤教会)、吉田氏(前出)の司会でパネルディスカッションが行われ、主として国際化された小教区での外国人との関わりを中心に会場の参加者からも活発な意見が交わされた。
休憩後、宣教司牧評議会諮問課題「ブロック制度、宣教司牧評議会、総会のあり方について」に対する答申(東京教区ニュース141号1〜3面)が高橋博氏(立川教会)、福島高子氏(扶助者聖母会)によって朗読され、白柳枢機卿に手渡された。白柳枢機卿はこの答申について、「聖霊降臨をめどに明確化したい」と述べた。
答申が実施されれば、現行の総会は今回が最後となるが、例年になく司祭の出席が多く見られた。
午後4時30分、新司祭、新神学生の紹介の後、第12回東京教区総会は祈りのうちに閉会した。

総会主旨説明

昨年9月に「これからの小教区共同体と信徒の役割について」宣教司牧評議会の答申が出された。(東京教区ニュース137号)
これには具体的な提案がいくつか出され、その中には今まさに教会が取り組まなければならない重要な課題が含まれているが、これを実践するのは信徒の一人ひとりであり、そのためには信徒の意識改革が必要である。今回の総会で意識改革パート2が取り上げられたのは、現在教会で何を問題にしなければならないのか、現状と問題点を再認識し参加者一人ひとりの意識改革のきっかけになることを目的としている。

基調講演

J・ワレ神父「小教区共同体の意識改革」

「テーマはわたしたち一人ひとりの意識改革をめざしてですから、私自身の意識改革をお話しなければと思う」と述べ、「東京教区は2年間をかけ、小教区共同体と信徒の役割について話し合ってきたが、これからの小教区共同体を育てるためには、何よりもまず信徒、司祭の意識改革が必要であるということに気づいてきた。第2バチカン公会議と福音宣教推進全国会議(NICE)のビジョンである意識改革がまだまだ不足しているということは皆さんの中に頑固な人がいる(笑い)のだと思うと同時に、一生懸命、忍耐強く負けないでビジョンに従って前進しているのだと思った」「意識改革を他の言葉でいうと、メンタリティ・チェインジ、発想の転換、アジョルナメント、あるいは物の見方、物の考え方などの刷新、改革、もっと乱暴な話をするとスイッチの切り替えなど」「意識改革をするにあたって問題となるのは自分自身-生まれつきの構造と歴史-である。私はある程度意識改革をしたと思う。それはわざとしたのではなくて自然にさまざまな影響を受けて変わった」と前置きして、自身の経験に基づく「意識改革」について語った。

1962年来日

第2バチカン公会議の開催に合わせて慣らされた鐘を四谷で聞いた。私の来日と第2バチカン公会議の開催が同時だということから、私の意識改革は始まった。
・今までにやったことをくり返すだけでよいのか?
・今まで考えられなかったことを考えるようになった。
・今まで考えたことを考えなくなった。
・前あったことがなくなった。
・自分の生活に影響があった。

60年代(所沢)

第2バチカン公会議の準備がローマで始まった時、遠い国で行われていて情報がなかった。
・第2バチカン公会議の精神の確認
ローマの天下り型、日本の縦社会、頑固な組織はなくなった。
(1)神の民
(2)典礼の刷新
(3)求道者のためのテキスト(公教要理)の変化
(4)エキュメニズム
(5)諸宗教との関係

70年代(大宮、ニュータウン団地)

(1)司牧、宣教のパターンが変わった。聖堂のない共同体10〜6,70人のグループ活動。ここから上尾、草加、春日部教会が生まれる。
(2)経済的自立の時代へ。
(3)教区司祭とともに働く。
養成のブーム

80年代(東京の本部)

(1)日本の教会は外向きに。
(2)解放の神学の発展
(3)NICE
裁く教会から共感する教会 へ
(4)国際化
たくさんの外国人がやってくる。ベトナムのボートピープルなど

90年代(沼田、パリ、松が峰)

(1)田舎の教会(沼田)では、昔の立派な教会が古くなり、若者が都会にでて共同体が消えた。
(2)松が峰教会に来る前の3年間パリで働いた。
ショックだったのはヨーロッパの非キリスト社会化だった。
私は6人兄弟姉妹だが、まじめな信徒であるのは私だけで、他の5人は完全に教会離れをしている。

パネル・ディスカッション ワレ神父のまとめ

最後に私の浦和教区での3つの意識改革のチャンスについてお話します。

(1)典礼の刷新:浦和教区で働いて十何年目、当時、日本の司教協議会の典礼委員会の委員長であった長江司教からの説明、指導、試みなどにより私の典礼的な刷新になりました。しかし、60年代の日本の教会は典礼の刷新に熱心になるあまり宣教に力をいれなかったことは宣教会の司祭としては反省しています。

(2)司祭の減少:浦和教区では、司祭がどんどん減少しています。司祭評議会では「司祭不在の主日の集会祭儀」というテキストを作り、1年間の試みをしました。これは典礼の問題でもあり、司祭のいない日曜日の集まり-ひとつはミサのような形の集会、もうひとつはみことばの祭儀、黙想など、実際にやっている所は結構あります。これは多分、将来、全世界的なものになると思います。フランスではさかんになってしまいました。
わたしは司祭が少なくなったということを悲観していません。あまりにも“司祭中心の教会”であった日本の教会が、新しい時代“信徒中心の教会”へ向かっていくということになるからです。特にその中で、女性の存在と、使命、関わりが出てきたことは大きなチャンスだと思います。

(3)外国人の問題:私はおかげさまで中途半端なフランス人です。父はオランダ系、母はイタリア系、フランスで生まれ日本に来ました。どこから見ても外国人です。浦和教区では今年は、岡田司教の年頭のあいさつは日本語、英語、タガログ語、ポルトガル語、スペイン語、韓国語、ベトナム語で書かれ、各教会の入口に貼られました。そのなかで、“日本における私たちの共同体に、外国人が存在するのは私たちにとって大きなチャンスである”と強調しました。

最後にワレ師は、「あなた方にもチャンスをあげましょう。もし日光のほうに遊びに来ることがあったら、ちょっと回り道をして松が峰教会のすばらしい親石造りの教会を見にきてください」と楽しみなチャンスを提案して講演、パネルディスカッションを結んだ。

那覇地区・京都教区に新司教任命

那覇教区 ベラルド押川壽夫

被選司教略歴
1941年3月25日
鹿児島県名瀬で生まれる
1961年3月25日
コンベンツアル聖フランシスコ会で初誓願をたてる
1964年8月15日
終生誓願
ローマ留学。セラフィクムで学ぶ
1967年12月21日
ローマで司祭叙階
1968年9月10日
奄美大島のカトリック名瀬古田町教会助任
1970年11月3日
コンベンツアル聖フランシスコ会奄美分管区副管区長
1972年4月20日
奄美大島のカトリック名瀬古田町教会主任
1973年6月3日
奄美分管区管区長、鹿児島教区奄美地区長
1982年1月19日
奄美大島のカトリック大笠利教会主任
1986年1月15日
コンベンツアル聖フランシスコ会奄美分管区管区長
1987年10月23日
コンベンツアル聖フランシスコ会日本管区副管区長
1991年10月24日
コンベンツアル聖フランシスコ会日本管区管区長
1993年10月25日
コンベンツアル聖フランシスコ会日本管区管区長再選
1996年11月〜
管区評議員
1997年3月21日
那覇教区司教に任命される

京都教区 パウロ大塚善直

被選司教略歴
1954年10月7日
京都府京都市で生まれる
1970年4月
名古屋教区聖ヨハネ小神学校、私立南山高等学校入学
1978年3月
同志社大学文学部文化史学科卒業
(論文名 『13世紀哲学運動とブラバンのシジェル』)
1978年4月
東京カトリック神学院入学、 上智大学神学部神学科 学士編入
1982年3月
上智大学神学部神学科卒業
(論文名 『ヨハネ福音書の序文 1、 14-18における“真理”について』)
1983年3月21日
京都・河原町教会で助祭叙階
1984年3月
上智大学大学院神学研究科博士前期課程終了 (神学修士)
(修士論文 『キリスト教信仰における 「真理」 についての一考察
-ヨハネ的真理概念をめぐって-』)
1984年3月20日
京都・河原町教会で司祭叙階
1984年4月15日
京都市の衣笠教会助任司祭
1987年3月
ローマ留学。 ローマ教皇庁立ウルバノ大学教会法学部で学ぶ (教会法博士)
(博士論文 『教会の教えの任務、 特に社会秩序に関する倫理の原則と人間的現実に関して (747条2項)』
1993年4月11日
京都市の伏見・桃山・八幡教会宣教司牧担当および教区本部事務局副主任
1996年4月8日
教区本部事務局長
1997年4月1日
京都教区司教に任命される

神田教会ステンドグラス完成

1993年から始まった神田教会のステンドグラス工事が完成した。ゴシック建築の同教会の正面祭壇上の3つの窓は細川晴美氏が製作しイエス・キリストを中心にマリアとフランシスコ・ザビエルが描かれている。また両サイドの窓はポーランド人レクレフスカ氏製作で三位一体の神聖化の絵、 モーゼが神と出会う場面などが描かれている。これらはポーランドで製作し、日本に運ばれた。

ズームアップ 皆さんの祈りに感謝します! 大手術から一年 このたび快気祝いをした 加藤英雄神父

「周りの人々の祈りと支えによって生かされていると実感した1年間だった」と語る。ちょうど1年前の東京のすべての教会のファックスが鳴った。「加藤神父が大きな手術を受けます。みなさん祈ってください」

半年ほど前から疲れやすくなったなあと感じていた。でも、仕事のせいと気にもとめなかった。そのうちにまっすぐ歩けない、頼まれても忘れる、逃げてしまいたい・・・もう限界と、司祭館に行って「姫路で休みたい」。今でも不思議なのだが、そうは言ったものの姫路には行ったことがなかった。そこで司教さま方に病院に連れていってもらい、そこで検査したら「骨髄腫」。脳の腫瘍が原因だった。そうこうするうち昏睡状態に陥ったので、東京から駆けつけた神父さま方の手で東京女子医大へ搬送、再度検査すると腫瘍はテニスボール大で、それも急激に大きくなっている。手術するしかないが、脳圧が高いので破裂するかもしれない。死ぬか生きるかの大手術だ。そんな訳で、くだんのファックスが流れたのだ。

14時間に及ぶ手術は明け方の四時に終わった。ICUで目が覚めた。気分がいい。「おはようございます」 とエコニコ顔で看護婦さんにあいさつしたらしい。無理もない。姫路で気を失って、気がついたら東京で大手術が終わっていたのだから。その後は周りも驚くほどの回復を見せ、人工骨を埋める手術も無事終えて、また11月から秋津教会に復帰して司牧に励んでいる。

「皆さんのお祈りによって、神さまにいのちをいただいた。新しい出発ができた」と、信徒、司祭、司教すべての人に感謝の気持ちでいっぱいだ。今回の体験を通して、祈ること、祈られることのすばらしさを実感した。「人のためにお祈りする大きさがわかった。その人のために祈ると、神さまは絶対に忘れない」そしてイエスのおん体とおん血によって人は生かされているとも感じた。ミサをするごとに聖変化がしみじみ大切に思えるようになったとも語る。

脳神経をいじったので発作防止のために薬を飲み、お酒もさけている。でも2年間だけだから希望がある。大好きなカラオケは、気管に管を挿入したためか高温が出なくなったのがちょっぴり残念。でも歌は心だよ〃 今度ステキな歌を聞かせてくださ〜いね♪

CTIC 東京国際センター通信

二度あることは三度目も?

不思議なことに最近、1つのケースがあって、いろいろ考えていると、同じようなケースが続いてくる。
コロンビアの女性が手首に包帯を巻いて連れて来られた。最初、彼女はなかなか語ろうとしなかったが、わかってきたことは、あまりにもひどい売春を強いられ、精神的に参ってしまって自殺を考えたらしい。
しかし、彼女には深い信仰がしみ込んでいるのだろうか、話している間に時折り口にする言葉は、「私は罪深い人間だから……」。スペイン語でかかれる精神科医をみつけて診断を頼んだ。
結果は、すぐに母国に帰ることをすすめられた。しかし、当然のことながら、彼女の気持ちは揺れ動き、私たちは何べんか振り回されたが、無事に本国の母親のもとに帰りついた。
この間、フィリピンの精神異常の女性が連れてこられた。彼女は追い出されたアパートの廊下に夜になるとダンボールを持ってきて寝て、朝になるとどこかに行く日々を過ごしていた。こちらの質問には全くちんぷんかんぷんの返事がもどってきた。この女性は何をしていたのかわからない。そして、今どこにいるのかも…。

こんな折り、フィリピン人夫婦(共にオーバースティ)3組の子供の出生にかかわるケースが連続で来た。
まず、昨年12月に生まれた赤ちゃんの治療費の問題。病名は先天性感染症による半血球減少症という原因不明の病気である。輸血を必要とするが、してもなかなか正常にほど遠い。だからもっと強い薬を投与しなければならない。その上、保険がない。
入院費、治療費は現在莫大なもので、逆立ちをしてもお金は出てこない。それで、相談を受けた。CTICは、ハンドインハンド千葉のボランティアの方々と協力し合うことにした。
申請者の住む町の衛生部保健予防課や母子保健課に行き(この場合は千葉県)、現状を説明し、書類を作成している最中に、別件で双子を生んだ家族の病院への支払い金について相談が来た。
埼玉県在住なのに出産の病院は東京なので、その病院と埼玉県の両方からの資料が必要で、スタッフは埼玉県に行き、育成費用の援助を受けることができた。しかし、この最中、東京の病院のケースワーカーと関わった。
するとある日、このケースワーカーから「実はフィリピン人の子で800グラムで生まれたのがいるので、一緒に手続きして下さいませんか」という依頼。スタッフ一同笑って、一緒にやっちゃおうということになった。双子の方は援助がおりた。800グラムの方は現在進行中。
いちばん大変なのは、最初の千葉県の方で、衛生部保健予防課のガードは固く、先日もCTICの熟練したスタッフ2人とハンドインハンド千葉のボランティアが一緒に出向き、延々と交渉をして、五分五分の状態。これは大変むずかしいケースです。

国際社会になっているこの日本で、このようなオーバースティの外国人に対するよりよい医療福祉の改善を心から願っている。

教区初の試み 神学生聖地研修旅行

3月2日の東京教区司祭叙階式の翌日から2週間の日程で、東京教区神学生と養成担当司祭を中心にした11名のグループがエジプト・イスラエルの聖地研修旅行に行ってきた。エジプト・イスラエルといえば、旧約・新約聖書の舞台となった土地。この聖書の舞台となった土地を踏みしめ、そこに吹く風を感じ、聖書に登場する話をより身近なものとして受けとめるために企画された研修である。そのために神学生たちは、レポート・試験・叙階式の進丁備の合間を縫って、訪問先の下調べ、資料作りを行って、研修旅行に臨んだ。この研修旅行のホットな感想を短くまとめてもらった。

聖地研修に参加して 稲川圭三神父

司祭叙階式の翌日、3月3日の朝、池袋発5時58分の電車で成田空港に向かいました。
初めて外国に出ますので、その土地で、「自分が何を感じるものであるのか」に出会ってみたいと感じながらの旅でした。
エジプトのカイロでは、人々の歩き方、立ち方が違うと感じました。近寄って来られると、一寸どきっとするような足の進め方です。
足が地についている感じで、10センチ脇を車が走り抜けても、みんな、顔色一つ変えません。足元がしっかりしているせいでしょうか?皆さん声も大きく、私は彼らとの出会いで、少し声が大きくなりました。
シナイの砂漠で感じたのは、ここを旅していて、水がなくなったら死ぬという実感でした。水が命に必要だということが、何の説明もなしに分かりました。東京にもどこかに「永遠の命に至る水」が何の説明もなしに必要だと分かる砂漠があるにちがいないということを考えました。
旅のしめくくりはエルサレム旧市街を歩くことでした。ここでは有名なヴィア・ドロローサ(十字架の道)をはじめ、嘆きの壁、聖墳墓教会など、訪れるべき?とされている所を訪問しました。

最も印象深かったのは、イエスが歩いただろうと言われている2000年前の石段でした。全員で見学した時には、写真を撮るだけで終わりましたが、最終日に自由行動で訪れた時には、しばらく黙ってそこに立つことができました。
オリーブ山で捕らえられて後、キドロンの谷を渡ってこの石段を登られたイエスは何を思われたか、どんな足取りだったのか。思い巡らしてみたのですが、叙階後間もない旅の空の身で、これといった責任を負わされているでもない私には、正直言って実感が伴いませんでした。
でも、その時同時に感じたのは、いつの日か、実感もなく歩んだ今日の日があった事を、感慨深く振り返る日が来るという直観でした。
あれから3週間経ちましたが、心の奥に、深い印象を残してくれた旅であったと、今振り返っています。

神を信じる人たち 神学科1年 関 光雄

今回の研修でもっとも印象に残ったのは、一心に祈る人々の姿だ。
いたるところで、実に大勢の人の祈りを見たり聞いたりした。
エジプトではどこにいても、毎日決まった時刻にモスクから朗々と祈りの歌声が響いてくる。マイクも使っていないのに!
また、エジプトの空港で煙草を吸って漫然と時間待ちをしていた時に、私のすぐ横で空港職員の青年が、おもむろに敷物を広げて祈りはじめた。私は目が吸いつけられた。見ているだけで、静かな、厳粛で豊かな時をともにすごさせてもらえた気がした。
イスラム教もユダヤ教もキリスト教とはまったく別の宗教だが、いずれもセム系民族から生まれた一神教だ。唯一の神に向かって祈る信者どうしの間に生じ得る共感には、単なる気分的なものを超えた深みがあると思う。
エジプト人の現地ガイド氏は、我々の研修グループに対して、単なる観光客へのサービス以上に、ともに神を信じる者どうしの兄弟的親しみでもてなしているつもりだ、と言ってくれた。
実際、リベラルなイスラム教国であるエジプトでは、エジプト人男性と外国人女性との結婚に際して、女性がイスラム教徒でなくても神を信ずる人であれば、好意的に受けとめるらしい。
エルサレムでは丸1日自由見学できる日があるので楽しみにしていたが、あいにく安息日だったため、ユダヤ人街よりもパレスチナ人街のほうが活気があって印象的だった。
また、もちろん旅行中どの場所に行っても、多くのキリスト教の信者さんたちの熱心な巡礼ぶりに出会えた。ローマ・カトリックだけでなく、ギリシア正教、コプト教会、アルメニア教会、シリア・カトリック、プロテスタントなど、さまざまな教会や修道院で祈る人々(巡礼者も現地の人も)のうちに、神を信ずる人たちの大きな輪を感じた。

聖地巡礼旅行 哲学科2年 福島一基

エジプトからシナイ、そしてガリラヤからエルサレムと、出エジプトとイエス・キリストの歩いた道を歩んできました。
この聖書の舞台となった地域は、私たちが生活している日本とは全く違った環境であり、聖書を理解し、キリストを理解していくには必ず一度は訪れてみたいと思っていました。今回はこの夢が実現でき、とても感謝しています。
さて、実際に現地に行ってみて感じたことは、自然の厳しさです。シナイの荒野を見たときは何とも言えない感じがしました。イスラエルの民はどのような気持ちでこの荒野をつき進んでいったのだろうかと考えました。
何もなく、とても寂しいこの荒野を越えていくには、命も落としかねません。何か大きな希望、そしてはっきりと頼れる大きな力がないと、とても歩んでいけそうにありません。
そんなことを考えながら神様のことを思うと、やはり人間の小ささを感じざるを得ません。昨年、私は那須で1年を過ごしましたが、その時も自然の中で、神様の大いなる力を感じとることができましたが、今回もそのことをあらためて感じることができました。
またエルサレムでは、いろいろな国の人々で騒然としていて、荒野と比べると、あまりにも違っていました。イエスのいたころからユダヤ教の聖地であるエルサレムは、やはりこのような状況だったのでしょうか。
きっとこのような騒然とした中で、イエスは十字架にかかって、死んでいったのだろうと、何となく確信することができました。
最後に、この荒野の何もない寂しさ、またはエルサレムの騒がしさに触れ、自分の心を表しているような気がしました。決してすばらしいとか、美しいとかは強く思われなかったのですが、最終日に行ったエルサレムの「園の墓」にあった聖書の言葉が印象に残りました。
「園の墓」はイエス・キリストの墓かもしれないと言われている所ですが、そのキリストが葬られた所に『主はここにはおられぬ』と英語で書かれていました。イエスは私たちと共におられるということを、この時強く感じることができたのです。
聖地に行き、日本にいるイエス・キリストを感じることができたのが、私にとってのいちばんの恵みではないかと思います。

旅のエピソード 神学科1年 加藤 豊

今回の神学生聖地巡礼旅行では、巡礼団一同、とてもすばらしい体験ができたのではないかと思います。見てきた場所は、どこもそれぞれに印象深く、勉強になり、私たちの信仰を豊かにしてくれるものでした。教区の皆様に心から感謝しています。
ここでは、私の旅行先でのエピソードをお話したいと思います。
ひとつは、エジプトのルクソールでのことです。私は、「ラメセス二世葬祭殿」を見学した後、帰り道でエジプトの民族衣装「ガベラーヤ」を買いました。それを着て歩いたところ、これがルクソールの人々からは一躍注目の的。彼らにとって、奇妙な外国人となった私は、行く先々で「エジプシャン!」とひやかされ、意外な大ウケにこちらもびっくりでした。
エジプトの遺跡を見学し、エジプト人の服を着て、エジプトの食事をする。これは貴重な体験でした。
もうひとつは、シナイでのことです。わたしはおなかをこわしたのです。すでに何人かは腹痛を経験していましたが、よりによって私はこの日に当たってしまったのです。エジプトの野菜のせいなのか、カゼをひいたのか原因はわかりませんが、ともあれ、ここまできたのだからシナイ山には登りたいと思い、私は皆と一緒に真夜中に出発しました。ところが途中、腰から下に力が入らなくなり、自力での登山は挫折、ベドウィンの引くラクダに乗って皆より先に行くことになりました。
満天の星空の下、シナイ山をラクダで登る。これまた貴重な体験です。
私は山頂へ行くのを断念し、その手前の休息所で夜明けを待ちました。
シナイの夜明けは本当に静かでした。休息所から外に出たとき、私はしばらく寒さと腹痛を忘れました。例えようのない風景画広がり、それが、とても神聖な景色に思えたのでした。

ここには水がない 神学科2年 荒川博行

エジプト→シナイ→ガリラヤ→エルサレムと全速力で駆け抜けた今回の旅行だったが、いちばん驚いたのはシナイ半島だ。
エジプトには水があった。ナイル川がゆったりと流れ、水は用水路を伝っていく。
水の流れは小麦・さとうきび畑を緑の絨毯のように広げる。ファラオの神殿には超広角のレンズでも半分しか写らないラメセス二世の座像があり、地面からずっと視線を上にたどってゆけば、のけぞって後ろにひっくり返りそうなパピルスに似せた巨大な円柱が、真っ青に透きとおる空を覆うように立ちはだかっていた。また、ファラオの墓からは金塊のようなファラオの棺や、銀とラピスラズリとメノウをちらし寿司のようにまぶした首飾りが出てきていた。
街にはオレンジ、りんご、野菜がピラミッドのように積み上げられており、土砂を積むようにして荷台にパンが放り投げられていた。
夕暮れ時には、人なつっこいエジプト人が街に繰り出して来て、のんびりした雰囲気が街に漂う。
歩道の真ん中でひっくり返って犬が寝ているといった具合だ。
しかし、シナイに向けて、特に海の奇跡が起こったとされるスエズ運河を渡ったあたりから荒涼とした風景が行く手に現れた。
モーセのつもりで少し砂漠を歩いてみた。頭上には太陽がにらみつけるような光を放っている。眼を上げて古代人が「金属の覆い」と呼んだ空を見あげると、この覆いに光が反射して眼がくらむ。
行けども行けども白っぽい砂漠が茫漠と広がり、風に吹かれて砂漠を転げ回って丸くなった草がポツリポツリとあるのみである。
遙か向こうにはゴツゴツした屏風のような岩山があり、地平線の果てで切れている。振り返ると、降りたバスは遙か後ろに小さくなっている。ふと、不安になって「水残っているかな」とボトルに目をやる。「ここは水がない。いるだけで死と隣り合わせなのに、なぜ、エジプトを出る必要があったのか?」
日本にいて自分でイメージしていた聖書の世界が、貧弱だったことを教えられた。

1996年度東京大司教区統計

1. 人口・信者総数

  1996年度 1995年度
人口 17,698,628人 17,569,596人

カトリック信徒総数(居所不明)

80,945人(7,342人)

81,417人(6,955人)

聖職者総数 2,386人 2,605人
カトリック信者総数 83,331人 84,022人

2. カトリック信者の内訳

(1)
司教 2人
教区司祭 89人
教区助祭 1人
神学生 5人

(2)

  合計 邦人 外国人
宣教会・修道会司祭 339人 141人 198人
男子修道者(永久助祭・修練者・志願者) 106人 73人 33人
神学生 46人 38人 8人
修道者の合計 491人 252人 239人

(3)

修道女無期・有期誓願 1,658人 1,496人 162人
修練者・志願者 52人 49人 3人
修道女の合計 1,701人 1,545人 165人

(4)

在俗会員の合計
合計 69人
邦人 62人
外国人 7人

3. 小教区・宣教会・修道会

(1)

小教区 74
分教会 5
集会所 3

(2)

  男子 女子
宣教会・修道会 28 63
修道院 43 162

(3)

在俗会 5

(4)

神学校 2

4.秘跡

(1)

  合計 男子 女子
成人洗礼 1,268人 426人 842人
幼児洗礼 1,086人 515人 517人

(2)

堅信 1,232人

(3)
婚姻
信徒同志 269
混宗婚 22
異宗婚 782

女性と教会委員会 1泊交流会 語り合おう・分かち合おう 女と男の十字架と復活

東京教区「女性と教会」委員会(顧問・森一弘司教)は昨年9月に続いて3月15日、「語り合おう・分かち合おう、女と男の十字架と復活」をテーマに東京都内で1泊交流会を行った。

関西地方からの出席を含め30代から80代の男女35名が参加し、一人ひとりの人生の叫びに対して、「キリストだったらどうなさるだろうか」をともに考え、分かち合うひとときをすごした。

交流会1日目は、参加者の中から数名の発題を受け、参加者一人ひとりが発題者の痛みを自分の身に引き寄せて共有する時とし、夕食後、ワイン片手に参加者各々の苦しみや痛みにふれた。

2日目は、前もって参考図書として提示されていた遠藤周作著『わたしが・棄てた・女』の主人公みつを中心にしたロール・プレイング(体験的学習法の一つ)が行われ、みつが生きた人生の苦難と救いをテーマにグループで話し合った。休憩をはさんだ後、参加者全員が自由に分かち合える状態にし、さらにテーマを深め合った。
交流会は「べき」論を語り合うのではなく、各人が抱えている人生の重い問題、深い叫びに耳を傾け、共感してともに歩むように努め、さらに無条件に受容できる深さを大切にしたいという思いのなかで進められていた。
そのために、2日目の午後は、全体の雰囲気からプログラムどおりに森司教の講話の時間とするよりも、全体の中で、一人ひとりが背負っている闇、孤独、絶望、死、光、支え、救いなどを分かち合う時間をもって深め合ったほうがよいと考え、プログラム変更となった。
全体で分かち合いを始めると、やはり参加者から、秘められていた痛みや悲しみ、苦しみが自由なかたちで吐き出されてきた。各々は互いに、その苦悩、つらさ、希望を受けとめ合った。
最後に森司教は、「生きる姿を直視しながら自分自身の信仰への問いかけを聞く。どう受け取るのか。信仰の課題である。それぞれの人生の流れは深い。その苦しみを背負った人生の深い河が1つに合わさっていく。この集まりもその1つ。それを昇華しながら自分の豊かさを体験する。そのいのちの流れを導いておられる神の手がお互いの信仰のなかで見えてくる。それが復活につながると思う」と述べた。
参加者からは、この会のように自由にかかわり合える場が教会に欲しい、期待していた以上のものを得た、などの声があり、今回、元司祭の参加があったため、初めて同席した参加者たちから、司祭が減少し社会司牧が手薄になっている現代に、教会組織のなかで、積極的な元司祭の宣教を期待したい、との希望も出た。
(Sr.緒方)

ちょっとおたずねします

教会に対する二つの質問についてお答えします。

(1)「安息日を聖とせよ」の戒めがいつからどのような理由で廃止されたのか。

安息日を聖なるものとして大事にするというキリスト教徒の戒めは廃止されてはいません。第2バチカン公会議以前、カトリック教会の中で、司祭たちが信徒の信仰生活の指導として、「天主の十戒」と「教会の六つの掟」をよく守るようにと強調していました。しかし公会議以降、信徒がカトリック信仰を守るという姿勢よりも、イエスの福音を人々に宣教するという積極的姿勢を強調するようになったことに起因すると思います。そのため次第に信徒自身の中で、進行を守らなくてもよいという風潮が蔓延し、主実のミサに参加しなくても、司祭に怒られないし、聖体拝領を拒絶されることもないので、信仰者としての姿勢が緩んだと思います。今の教会の姿勢では、信徒本人が自分の信仰生活を、世に生きながら自分の責任で整える、つまり司祭が命令しているからではなく、自分がその信仰に基づいて、主体的に安息日を大切にするように強調しているのです。

(2)本や石や金属によるイエスやその他の人々の像を拝むのは神の教えに背いていないか。

おそらく人や像に対する偶像崇拝についての質問だと思いますが、カトリック信徒が十字架やマリア像、あるいはメダイを大切にしていることを指しているのだと思います。信徒がそれらを大切にするのは偶像崇拝をしているのではなく、自分たちの信仰を確認していく身近な手立てとして大切にしているのです。
(門馬邦男神父)

外房御宿のカトリック教会墓地 茂原教会・教会墓地分譲のお知らせ

茂原教会では、千葉県御宿町に墓地用地を取得、共同墓地の建設を進めておりますが、この度第一期工事を完成いたしました。工事は引き続き継続いたしますが、ここに墓地の取得を望まれる皆様に概要をお知らせし、墓地使用の申し込みを受け付けます。茂原教会共同体一致によるこの作業が、皆様のお役にも立ちますように。

墓地の概要
一、 所在地
(1)千葉県夷隅郡御宿町高山 田一六一〇 御宿霊園内。
(2)交通 東京駅より外房線・ 特急 「わかしお」 にて八十 三分。
●太平洋に面し、 年間を通じて暖流が岸を洗う御宿ビーチより歩いて十六分。 墓地から見渡す周囲は緑織りなすなだらかな丘陵が幾重にも広がり、 移りゆく季節の彩りとともに、 心のやすらぎを得る静寂な霊園です。
●年に一度、 死者の月に、 墓前にてミサを行います。
二、 墓地の形式
(1)共同墓地・地下納骨堂。  納骨堂内部は、 納骨室が百 五十室あります。
(2)納骨室の大きさ タテ30×ヨコ30×奥行き60センチ。
(一つの納骨堂に、 成人の ご遺骨が二基収納できる大きさです)
●納骨室なので、 ご夫婦、 ご家族のご遺骨を一ヵ所に集めて収納することができます。
三、 全工事完了予定
平成十年 (但し、 現在納骨は可能です)
四、 ご使用 (分譲) 方法
(1)お申込みは一墓室単位で す。 但し、 複教室のお申込 みができます。
(2)今回分譲の墓室は三十室 です。
五、 価格 (一墓室に付き)
永代使用権料   20万円
年間管理料     1千円
永代管理料    10万円
管理料は、 年間管理料、 永代管理料のいずれかをお選びください。
使用権利料以外の料金には、 消費税がかかります。
六、 お申込み
はがきかファクスでお願いいたします。 折り返し必要書類をお送りし、 また、 ご希望によって、 現地をご案内致します。
カトリック茂原教会
〒297-0029 千葉県茂原市高師992
TEL 0475-22-2420
FAX 0475-22-5723

教区委員会紹介 その11「教会学校委員会」

教会学校委員会の前身は、東京教区児童教育部準備会です。今から26年前(1971年)、東京教区の若手司祭たちに信徒も加わって発足した画期的なものです。

翌年同会によって創刊された雑誌『教えの手帳』誌(1995年廃刊)に発足の主旨が述べられています。「教会学校を論じた結果、私どもにできることは実際に行動しようという結論に達し、諸問題を解決是正する一つの手段として、また教会学校の教師へのサービス機関として・・・・・・結成した次第です。・・・・・・できるだけ全国の教会学校のみなさんに奉仕と協力をさせていただくつもりでおります」

この会の発足と活動は他教区にも大きな影響を与えました。第1回リーダー研修会には全国から220名もの参加者が集まり、そこで刺激を受けたいくつかの教区では同じような委員会ができたほどです。1977年、同会は東京教区教会学校部と名称を変更、さらに90年には教区の機構改革に伴い、「教会学校委員会」という現在の名前になりました。

26年という長い時間の流れの中で同委員会の担当司祭や信徒のスタッフの顔ぶれはずいぶんと変わりましたが、発足したときの目的「教会学校に携わっている人たちへのサービス」ということはしっかりと受け継がれています。それは各小教区でこどもたちと関わるリーダーの養成という形で継続されています。

現在、教会学校委員会は信徒5名、司祭3名、修道者2名のスタッフです。各小教区で子どもたちと関わっているリーダーたちに数回にわたってアンケート調査を行い、リーダーたちの意識や必要としているものは何か、ということを探りながら毎年数回の研修会を行っています。

今年も5月から不定期ですが「教会学校リーダーのための講座」(全5回)を行います。聖書とワークショップの2本立てです。詳しい案内をご覧になって1人でも多くのリーダーが参加してくだされば幸いです。

子どもの数の減少、塾や学校との兼ね合い、リーダー不足など、教会学校を取り巻く問題はいろいろありますが、そんな申でリーダーとして頑張っている人たちの助けになりたいと考えています。
(立花 昌和神父)

教会・修道院巡り(52)『聖クララ会』

聖クララ会は、アシジの聖フランシスコを師父と仰ぎ、その霊的娘である聖クララを母とする観想修道会です。
クララは、1193年にアシジに生まれ、成長して後、フランシスコの説教を聴き、イエズス・キリストのみに従って生きるため、世俗を棄てることを決心しました。
こうして彼女は、キリストへの愛にかられて、その身を一生涯囲いの中に閉じ込め、文字通り主イエズス・キリストに従い、福音的貧しさの道を生きぬきました。
一生涯を通じて、師父フランシスコの最も忠実な弟子となったクララ自身は、自分のことを好んで師父フランシスコの“小さな苗木”と呼んでいたほど、ふたりは聖い愛で結ばれていました。
クララは祈りをもって、その生きかたをもって、常にフランシスコとその兄弟たちを支え、励ましたのでした。
彼女はまた、福音的な愛に満ちた生きざまをもって、教皇をはじめ、当時の教会を内面から支えていたのです。
日本における創立は1947年、4名の姉妹たちがカナダのヴァレフィールドから来日し、日本のクララ会の基礎を築きました。
1985年には福岡教区へ、1989年には新潟教区へと教区から招かれて、この小さな共同体から一部の姉妹たちが出発して行きました。
その後、現在は少人数ながら、私どもも聖クララにならって、宣教する教会を内面から支え、励まし、全世界に神のみ国が来ますように、という祈りの使命を生きつづけております。

聖クララ会
〒193-0802 東京都八王子市犬目町922
TEL 0426-54-4401

大聖年に向けてのお知らせとお願い

ご復活祭のお祝いを申し上げます。さて皆様ご存知のように、今年より開始しました大聖年に関して、教皇ヨハネ・パウロ2世は、第1年目をキリスト、第2年目1998年を聖霊、第3年目を父である神をテーマに、準備を始めるように全世界の教会に呼びかけております。これを受けて、司教たちは、2月に開催された臨時司教総会において、日本の全教会が心を合わせて祈る日があってもよいのではないかということから、その日を以下のように決定いたしました。

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1997年6月1日
(聖体の主日)道・真理・命であるキリスト

1998年5月31日
(聖霊降臨祭) 聖霊

1999年5月30日
(三位一体の主日) 父である神
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それぞれの主日にふさわしい典礼文とその日にふさわしい説教のヒントになるものとは、司教団レベルでの大聖年特別準備委員会が準備してくれることになっております。いずれそれらが送られてまいりましたら、皆様方のお手元にお届けいたします。
また東京大司教区も、大聖年特別委員会を結成して、教区としての取り組みについて検討してまいりましたが、総合的なプランをまとめるために今少し時間を頂くことになると思いますが、近日中には全体的なプランを発表できると思います。
典礼に関しては、『キリスト聖誕2000年」に向けて、先輩たちから受け継いだ信仰を私たちが深め、再び燃え立たせ、新しい世紀の人々に伝えることができるよう、祈ることを中心にしようということから、次のようなプランが固まりましたので、とりあえずお知らせいたします。

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1997年5月31日
(土曜日)
・カテドラル大聖堂において午後六時より翌朝までリレー形式の徹夜祭を行う。
・また、それぞれ小教区においても、可能な範囲において(たとえば30分〜1時間程度)、カテドラルでの徹夜祭に心を合わせて、みことばを聞き、黙想し、祈りと賛美を行う。土曜の夕刻にごミサを行う教会においては、そのごミサをこの意向に合わせて行ってくださってもよいと思います。あるいはまたそのごミサの後、30分程度の時間をとっていただくことでもよいと思います。あるいはまたそのごミサの後、30分程度の時間をとっていただくことでもよいと思います。
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徹夜祭の詳細なプログラムや小教区で祈りの集会を行うためのモデルとなるものは、出来上がり次第、皆様のお手元にお届けいたします。
皆様方の上に、復活されたキリストの光が満ち溢れますように
1997年3月27日
カトリック東京大司教区
教区長 白柳 誠一枢機卿

東京教区役職 1997年4月1日〜2000年3月31日(敬称略)

教区長  白柳誠一枢機卿
司教総代理 森一弘補佐司教
司祭評議会・・・森、稲川(保)、深水、五十嵐(職準上)、市川(裕)、
小川、岩橋、大原、西川、辻、立花、後藤、
マホニー、デロッシュ、湯沢(主宰者…教区長)
1996年1月〜1997年12月
顧問団・・・・・・・・森、稲川(保)、岩橋、市川(裕)、西川
責任役員会・・・代表役員 白柳誠一
責任役員 森、稲川(保)、深水、門馬、五十嵐

教区本部事務局
事務局長  稲川(保)、 五十嵐、深水(枢機卿秘書)
移動信徒事務所  油谷(事務担当…Sr.渡辺)
神学生養成担当  大原、古川、立花、浦野(事務担当…稲川(保))
一粒会運営委員会  酒井、辻
教区立幼稚園運営委員会  小林(敬)、市川(嘉)
儀 式 係   稲川(保)、宮下、五十嵐、猪熊
東京国際センター  大原、秋保
広報委員会   余語、猪熊、浦野、西川、マタタ
典礼委員会   古川、幸田、江部、小沢、泉
教会学校委員会  浦野、稲川(圭)、ティモティー
青少年委員会  ※新しい機構を司祭評議会にて検討の上、任命の予定
生涯養成委員会  森、門馬、川原、後藤、遠山
女性と教会委員会  森、立花
正義と平和委員会  大倉、大原、福島
部落問題委員会  坂倉
平和旬間委員会  岩崎、杉田(栄)、吉田
インターナショナルデー委員会 レオ、余語、伊藤、五十嵐、ディン、マタタ、ティモティー、ノルベルト
難民委員会   田中(隆)、後藤、ヒエン、ディン
※難民定住推進委員会を改組
靖国問題要具会  青木(事務担当…木邨氏)
福祉委員会運営委員会 五十嵐、坂倉、油谷
聴覚障害者会     安次嶺
カリタスジャパン担当 加藤、五十嵐
エキュメニズム委員会 小林(敬)、吉川、古賀
ミャンマー委員会 余語、レオ

〔新規に設置された委員会〕
大聖年特別委員会  森、大原、酒井、門馬、余語(1996年9月発足)
聖体奉仕者・集会司式養成委員会  幸田、小沢、江部、湯沢、マーフィー
高齢司祭委員会  西川、五十嵐、後藤、田中(康)
終身助祭養成委員会準備担当  岩橋
サバテイカル委員会 ※1998年より制度化されるため司祭評議会にて検討の上、任命の予定

東京教区生涯養成委員会主催 第3回 小教区を支える信徒のための研修会 『より豊かな小教区共同体となるために』

対象:現在小教区共同会で奉仕している方及び関心のある方

講座内容は小教区共同体に奉仕しようとする方々のために、ぜひ知っておいていただきたいと願う基礎的で、同時に実践的なものです。現在教会運営にたずさわる委員の方々には、広い視野で責任を果たせるよう、この研修会に出席されて、学んで下さるようおすすめ致します。

期日 5月10日〜6月28日
各土曜日 全8回
時間割り 第1講座 13時30分〜15時、第2講座 15時10分〜16時10分
茶話会 16時15分〜17時
受付 13時
会場 東京大司教区 ケルン ホール (カテドラル構内  地下1階)
申込方法 申込用紙に必要事項を記入し、 FAXまたは郵送で生涯養成委員会に。
〒112 文京区関口3-16-15 東京大司教区生涯養成委員会研修会係
TEL 03-3944-6677
受講料 4000円 (チケット制)
支払い方法 下記の郵便振込口座に振り込んでください。 確認次第チケットをお送りします。
郵便振込口座 00140-6-769130 名義 (宗) 東京教区生涯養成委員会
問い合わせ先 生涯養成委員会 03-3943-2277
*なお、 原則的に全8回を一人の方が通して受講することを希望しますが、 講座のテーマによって、 同じ教会の方々が交替で受講することを認めます。

第26回 日本カトリック映画賞 授賞記念映画と対談の集い

毎年一本、福音的な優れた映画に与えられる「日本カトリック映画賞」。昨年は東陽一監督の『絵の中のぼくの村』が授賞しました。現在世界各地の映画祭でも絶賛されているこの名作を、97年度広報の日特別企画として上映いたします。今回は各方面のご協力により、NHKの山根基世さんの司会のもと、東陽一監督、原作者の絵本作家で映画にも出演している田島征三氏、森一弘司教の三者による対談も実現いたしました。ぜひこの機会においでくださるようご案内申し上げます。なお席に限りがありますので、なるべく前売り券をお買い求めくださるようお願いいたします。

上映映画◆絵の中のぼくの村(1996年度・第26回日本カトリック映画賞授賞作品)対 談◆東陽一(映画監督・『絵の中のぼくの村』監督)
田島征三(絵本作家・『絵の中のぼくの村』原作者)
森一弘(カトリック司教・カトリック東京教区)
対談コーディネーター◆山根基世(NHKチーフアナウンサー)

1997年5月4日(日)広報の日
午後1時開場 1時30分開映
日本教育会館一ツ橋ホール(地下鉄神保町駅下車2分)
入場料金:当日1800円 前売り1500円(小学生1000円・前売り700円)
前売り券販売所:スペースセントポール(関口教会内)TEL03-3230-3509
聖イグナチオ教会案内所TEL03-3941-4971/サンパウロ四谷書店TEL03-3357-6403

■主催:カトリック映画視聴覚協議会(OCIC・JAPAN)
■共催:カトリック東京教区広報委員会

問合せ先:カトリック中央協議会広報部
TEL03-5632-4431 FAX03-5632-4457

編集部から

3月、4月には歓送迎がつきもの。東京教区広報委員会も、ついにこの歓送迎を体験することに……。『東京教区ニュース』を一新して以来、ご尽力くださいました泉富士男神父様、関口教会にご赴任以来、影になり日向になりご協力くださいました門馬邦男神父様が、今回の任命によって、他の委員会に。広報委員会は泣く泣くお二人を見送ることになってしまいました。この方々に代わって当委員会に新風を吹き込み、活力を与えてくださるのは、西川哲彌神父様とマタタ神父様です。乞うご期待。