お知らせ

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東京教区ニュース第141号

1997年04月01日

宣教司牧評議会答申案
諮問課題「ブロック制度、宣教司牧評議会、総会のあり方について」

1、これまでの歴史と評価

(イ)「布教司牧協議会」から「宣教司牧評議会」へ

「宣教司牧評議会」 の前身は、 1970年代初めに開催された東京教区大会によって導入された 「布教司牧協議会」 である。 

それは、 それまで少数の顧問たちによってリードされ運営されてきた東京大司教区の宣教司牧活動に、 多くの信徒・司祭たちに責任をもって参加できる道を開いたものであり、 教区の歴史の中で画期的な試みとして高く評価されるべきものである。 

1985年、 「布教司牧協議会」 は、 宣教司牧評議会に変わった。 それは、 第2バチカン公会議の後の世界各地の教会のさまざまな試みと経験とを踏まえて新たに教会法に適応するためであった。 その役割は、 決議機関から教区長の諮問機関に変わった。 

それとともに、 「ブロック会議」 や年に一度開催される 「集まり」 の性格も変わった。 

「布教司牧協議会」 時代の 「ブロック会議」 は、 地域の意見を吸い上げる場であると同時に中央の決定を下部組織に伝え、 その実行を促していく機関であった。 

年一度開催される 「代議員大会」 は、 各母体・各ブロックから選出された代議員によって構成され、 教区の具体的な方針を決定するような役割をになっていた。 

宣教司牧評議会に変わってからの 「ブロック会議」 は地域の宣教司牧推進を主たる目的とし、 「代議員大会」 は 「総会」 とその名称を改めて教区民の啓発と意識高揚を主たる目的とするようになった。 

(ロ)「宣教司牧評議会」への評価

「布教司牧協議会」が「宣教司牧評議会」へと転換したちょうどその頃、日本の教会は新たな歩みを始めようとしていた。

司教団は、1984年に「日本の教会の基本方針と優先課題」を発表。

1986年には「開かれた教会づくり」とテーマに第1回福音宣教推進全国会議」が、1992ねんには、「家庭」をテーマに第2回福音宣教推進全国会議が開催された。

東京大司教区は、いうまでもなく、司教団の方針と要請に誠実に応えようと勤めた。その際、教区で貴重な役割を果たしたのが、「宣教司牧評議会」である。じつに2度にわたる全国会議の準備とその後のフォローに大きな役割を果たした。

東京ナイス事務局の設立も、宣教司牧評議会の力に負うところが大である。また、ここ数年続けて、宣教司牧評議会に与えられた諮問課題「小教区の枠を越えた教区内での推進」「これからの小教区共同体と信徒の役割」は、全国会議の理念と浸透とその諸提案の具体化をめざそうという教区長の意向によって投げかけられたものであるが、こうした一連の諮問課題に答申するために宣教司牧評議会の時間をかけた努力は、多くの信徒・司祭の意識改革を促すこととなった。また多くの小教区に後戻りできない刺激を与え、教区全体に豊かな実りをもたらしたといえる。

(ハ)これからの東京教区のめざすもの

ブロック会議や宣教司牧評議会等、教区組織の見直しの前提になるものは、「これからの東京教区は何を目指していかなければいけないか」という理念である。それは、宣教司牧評議会がこの半年間議論し、それをもとに運営委員会によってまとめられ、12月の定例会に提出されたものの中に明確に示されている。そのことに関しては、宣教司牧評議会のメンバーの間に共通理解が得られたと考えられる。

じつにそこで「これからの東京教区の目指すもの」と「そのための具体案」とあるものは、第2バチカン公会議とその聖心を受け継いで開催された全国会議の理念、つまり「社会に開かれ、社会の人々とともに歩む教会共同体への転換」に完全に一致するものである。

☆ ☆


 

これからの東京教区の目指すもの

Ⅰ.社会と共に歩む教会共同体の地域への固有の奉仕の推進を計る

具体案として

1、人びとにキリストの喜びを伝える教会

経済発展の裏で、魂の飢えと渇きに苦しむ多くの人々に「ともに喜びを持っていきる」希望を 

2、弱い立場の人々の側にたつ教会

(1)社会福祉(公的機関とも協力して)

a、高齢者(一人暮らし老人等)介助と連帯

b、様々なハンディを持つかたやその家族への援助協力を連帯

c、付記し施設への援助・協力及び教会施設の解放等

d、福祉情報の公開、ネットワーク化

(2)社会問題

a、人権擁護・滞日外国人・外国人不法就労者問題、女性の人権と地位向上、地域社会及び

国際社会の平和への貢献など

b、地域との融合を目指し、地域活動(町会・自治会・学校・社会教育に積極的に協力)

(3)青少年を対象とした宣教司牧の充実

a、家庭教育

b、教会教育

c、学校教育

Ⅱ.小教区の枠を越えた連携・協力・共助を目指し、地域社会への宣教司牧を

推進をはかる

現代社会に対する東京教区の課題は、じつに広大である。それは、新と・修道者・司祭・司教の信仰生活の充実から始まって、高齢化社会を迎える日本社会での高齢者への市牧也経済発展を優先にした社会構造のはざまでさまざまな負担を負っている家族、特に青少年を対象とした宣教司牧や社会の片隅に追いやられる弱い立場にある人々宣教司牧、さらには国際的な広がりを持つ教会の一員として国際社会への貢献など、どれも重く複雑な難しい課題であるが、真剣にそして誠実に関わっていかなければならないものである。

こうした大きな課題には、教区をあげて対応が求められる。そのためには、原則として属地法に縛られた現行の制度の壁を越え、互いに協力し合っていかなければならない。そのためには、信徒をはじめ、司祭・修道者、すべての教区民の意識改革が求められるのである。12月のまとめにあるとおり、これから東京教区は、「小教区の枠を超えた連携・協力・共助をめざし、地域社会への宣教司牧の推進をはかる」ことを目指さなければいけない。こうした基本的な考えの上にたって、これまでの「ブロック会議・宣教司牧評議会・総会のあり方」について見直し、以下のような提案を行う。 


 

2、ブロック会議について

(イ) 反省点

ブロック会議について、 現行の規約の第3条は次のように記されている。 

ブロック会議は次の事項を取り扱う。 

a ブロック内の宣教司牧活動の推進・具体化に努めること。 

b 構成団体またはブロック会議委員の提言または意向のうち、 妥当と思われるものを宣教司牧評議会に具申または伝達すること。 

残念なことに、 各ブロックからの報告から、 この規約が目指し期待しようとしたことに応えてきた 「ブロック会議」 は極めて少数であったことが、 明らかになった。 地域の宣教司牧活動に実際的な影響力を与えているブロック会議は、 千葉ブロック、 多摩ブロックなどのごく限られた数ブロックだけである。 「ブロック会議」 という名称のもとに定期的に開催されているブロックはあるが、 その実態は、 規約が期待するような内容のものではなかったのである。  

このように、 「ブロック会議」 が、 当初の目的に応えることができなくなってしまった要因は、 いくつかある。 

a 現状の教区の宣教司牧の主たる推進母体は、 小教区であり、 郊外の小教区を除いて、 大半の小教区は自己完結型であり、 司祭も信徒も、 小教区内の対応に追われ、 担当地域外の責任を負う余裕がない。 

b 主任・助任司祭たちは、 小教区内の司牧宣教のために派遣されたという意識は強いが、 担当地域外に関する責任意識は弱い。 これは、 長い間、 司祭たちに委ねられる統治権が属地法に縛られてきてしまっていることに由来する。 

司祭たちには、 小教区の現場を離れて、 小教区外の、 直接的な責任は負わされていない地域への宣教司牧活動に対する根強いためらいと躊躇ちゅうちょがある。 

c 信徒たちの間にも、 小教区共同体への責任は芽生えつつあるが、 小教区外の宣教司牧への関心は低い。 

d ブロック会議と小教区との生きたつながりが、 ブロック会議への主任司祭の出席が困難であることと、 選出されたブロック委員と小教区の現場との遊離が合わさって、 育たなかった。 

e 原則として2ヵ月に一度の開催のブロック会議では、 モティベーションの希薄な地域においては委員たちの間で課題に関して共通理解を得るまでに時間がかかり、 さらにそれを小教区に持ち帰り、 小教区の理解と協力を得るまでに時間がかかる。 現代社会が求める効率的・機能的そして迅速な宣教司牧の展開は困難である。 

(ロ)小教区の枠を越えた連携・協力・共助への現場からの要請

また一方で、 1970年代初めの東京教区大会以降、 小教区の枠を越えた連携・協力・共助が具体的に実践されてきたことも無視できない事実である。 たとえば、 次のようなものがある。 

・70年代のベトナム・カンボジア難民定住のために教区を挙げての協力。 

・第1回福音宣教推進全国会議の後の福祉委員会を中心にした地域福祉活動の推進とネットワーク化。 

・80年代後半に設立されたカトリック東京国際センター (CTIC) を中心にした滞日外国人労働者への司牧への協力と連携。 

・全国会議以降新たに設けられた生涯養成委員会による小教区の枠を越えた信仰養成。 

・青少年のネットワーク事務所の充実による小教区に枠を越えた青少年活動。 

・また、 近隣小教区の主任司祭やリーダーたちの話し合いにより、 日曜学校・土曜学校の子どもたちの夏期合同合宿が行われている。

これは、 小教区の子どもの減少、 あるいはリーダー不足に基づくものであるが、

独自で青少年たちの合宿・指導ができない小教区が話し合い、 協力し、 合同合宿等を実行に移してきたのである。 

・さらにまた、 司祭たちの間では、 滞日外国人の司牧・特にさまざまな言語によるミサ典礼・結婚等の秘跡に関して、 小教区の枠を越えた連携・協力を要望する声が大きくなってきていることも無視できないことである。

このように、 小教区の枠を越えた連携・協力の現場サイドからの切実なニーズへの対応は、 「ブロック会議」 とは別のつながりの中で、 自発的に行われてきているのである。 こうした切実なニーズの解決のためには、 主任司祭やそれにかかわる信徒たちも時間を惜しまず、 協力しようとしていることは忘れてはならないことである。 

宣教司牧評議会のこれまでの検討過程の中でも、 小教区の枠を越えた連携・協力・共助の必要性は一貫していわれてきたことであり、 この点ではすべての委員たちが合意するところのものである。 宣教司牧活動の第一線に立つ現場サイドからの連携・協力への切実なニーズがあることをしっかりと踏まえながら、 教区が目指す宣教司牧の充実・展開のために、 これまでの 「ブロック会議」 とは異なった、 以下に示すような 「地域協力体」 の設置を提案したい。 

(ハ)提案

地域協力体の設置

1、各小教区および地域のニーズに根ざした宣教司牧のための連携・協力。共助を推進するために「ブロック会議」という名称を廃止し、「地域協力体」とする。

2、新時代(地域・交通・人の流れ)に応じたブロックの再編成を行う。(その具体化は、教区長を終身としたチームを結成し、その検討に委ねる)

3、ブロック内の各小教区の主任司祭及び教会委員2名が「地域協力体」の委員となり、地域における宣教司僕の充実・発展のために求められる連携・協力・共助の具体的なニーズを検討し、その促進並びに推進の具体化の責任を負う。

4、具体的な促進・推進にあたって、地域内の修道会・宣教会・関連諸だんたい・あるいは個人の協力を求め、そのためのチームあるいは委員会を設けることができる。

5、「地域協力体」の活動の経済的負担は、原則としてその地域内の小教区・構成団体が担う。

6、それぞれの状況・必要性に応じて、独自の規約・内規を設けることができる。独自の規約・内規を設けた場合、教区長の承認を得る。

7、「地域協力体」の活動に、地域の枠を超えて、他の小教区・構成団体も加わることができる。

8、地域協力体は、毎年教区長にその活動を報告する。

また、小教区に派遣される司祭たちには、小教区への派遣と同時に、地域協力体への派遣という意識をもってもらうよう、何らかの工夫が求められることを、ここに付記する。

3、宣教司牧評議会について

(イ)現在、教区には3つの評議会がある。司祭評議会・財政評議会、宣教司牧評議会である。いずれも教区長を補佐する諮問機関である。

教会法により司祭評議会と財政評議会はその設置が義務づけられ、宣教司牧評議会はその設置が勧められているもんである。その運営のあり方は、各教区の自主性に委ねている。

仔細評議会について、教会法495条は、次のようにその責務を明確にする。

「各教区において、司祭評議会すなわち司教の諮問機関として、司祭団を代表する司祭の集団が設置されなければならない。当該評議会は、司教に委託された神の民の一部の司牧的善益を最も効果的に促進するため、教区統治において司教を助けることをその責務とする。」

教区では、8月を除いて毎月開催され、「教区統治」という観点から、教区長より諮問される課題に付いて、選任された司祭たちが意見を具申している。諮問される課題は、司祭たちの生活に関することから始まって、教区全体の宣教司牧に関わるすべての事柄に関するものである。その役割は教区にとって益々重要なものになってきている。

財政評議会については、教会法492条が次のように規定している。(日本語訳では経済問題評議会となっている)

「各教区において、経済問題評議会が設置されなければならない。教区司教自身またはその受任者が同評議会を主宰する。評議会は、司教によって任命された経済問題及び国家法に精通し、かつ人格高潔な少なくとも3名のキリスト信者によって構成される」

493条には、その責務についてさらに明確にする。

「当該評議会は、第Ⅴ集「教会財産」の中で痛くされた任務の他に、毎年教区司教の指示に従って、全教区のための次年度の収入と支出の予算書を作成し、かつ、当年度収支決算書を承認する責務を有する」

教区では、8月を除いて毎月開催され、教区財政という観点から、教区v法の諮問に応えている。ここ数年の財政評議会の働きによって、教区の財政のあり方も明確に整理され、さまざまな難しい財政問題を克服することができた。

宣教司牧評議会については、教会法511条が次のように規定している。(日本語訳では、司牧問題評議会となっている。)

「各教区において、司牧的事情により必要と認められた場合、司牧評議会が設置されなければならない。この評議会は、司教の権威のもとに、教区における司牧活動に関する事柄を研究・検討し、それについての実際的な結論を提示することをその目的とする」

その委員に選出について、512条が詳細に触れる。

「(1)司牧評議会は、カトリック教会と完全な交わりの中にいるキリスト信者すなわち聖職者、奉献生活の会の会員および特に信徒によって構成される。その構成員は教区司教が定めた方法によって選出される。

(2)市僕評議会に任命されるキリスト信者は、教区を構成する神の民全体を代表すべく教区内の諸地域、社会的身分、及び職業の多様性ならびに個人または団体として、使徒職上有している役割を考慮して、選出されなければならない」

(ロ)現行の宣教司牧評議会は、原則として2ヶ月に一度の開催であり、教区から与えられた諮問課題への答申作成のため、1年、時には数年をかけてきた。それは、与えられた課題が教区全体のあり方に関わる重いものであり、それに対する答申が教区全体に大きな影響力をもつものであることから、必要なことであることは確かであるが、教区長にはこの他に、男女の信徒や男女修道者たちに意見を聞かなければならない数多くの課題がある。また、緊急な対応が求められる課題には、2ヶ月に一度の開催では無理なことである。

「宣教司牧評議会」か教会法が期待するような働きを果たしていくためには、教区を構成する神の民全体を代表するバランスのある人選、そしてまた、現場から遊離することのないよう現場の状況とニーズを的確に把握し、責任ある発言をすることのできるような人選が求められる。また、教区の宣教司牧活動には、さまざまな使徒職・諸事業を展開する男女の修道会も関わっており、これからの東京大司教区の活動のじゅじつと発展のためには、男女修道会・宣教会との協力は必要である。そのために、宣教司牧評議会のメンバーに、その経験とカリスマを生かすことのできる責任を持つ人々の参加も求められる。

以上の観点から、 宣教司牧評議会の規約を次のように改正することを、 提案する。 

(ハ)提案

設置…教会法第511条に準じ、 東京大司教区に、 宣教司牧評議会を設置する。 

目的…後記のように選任された信徒・司祭・修道者たちが東京大司教区内の宣教司牧に関する事柄を研究し、 それについての実際的な結論を提示することを目的とする。 

取り扱い事項…本評議会は、 前条の目的を達成するために、 次の諸事項を取り扱う。 

a 教区全体の宣教司牧についての教区長の諮問事項について答申する。 

b 教区長の指示のもと、 教区本部事務局とともに、 合同評議会の準備運営にあたる。 

c 財政評議会から要請があるときには、 教区の予算・決算についての意見を具申する。 

d その他、 教区長が必要とする事項に答申する。 

会期…宣教司牧評議会の会期は、 4月から翌々年の3月までの2年間とする。 

委員…下記の諸団体から推薦された者を、 教区長が任命する。

司祭評議会の委員の中から推薦された者2名。 

小教区の教会委員6名。 (その人選の具体的な方法は、 教区長を中心とした検討チームを結成し、 その検討にゆだねる。) 

男子修道会・宣教会から推薦された者2名。 

女子修道会連盟から推薦された者4名。 

その他諸委員会・活動団体より教区長が任命する者若干名。 

教区本部事務局長および次長は、 役職上委員に任命される。 

開催…原則として、 8月を除いて毎月開催する。 

以下、 任期等について、 今後の検討課題とする。 

4、総会について

(イ)反省

現行に規約は総会の目的を、おもに教区民の意識高揚と啓発においている。

「教会は、本教区民が、それぞれの立場においてより積極的に福音宣教に努めるため、大司教を中心に会して互いに啓発し、本教区全体に対する認識を深め、本教区の宣教司牧の基本理念・活動方針等への理解を高めることを目的とする」

1985年に、開催目的が上記のように改正された「総会」は、既に指摘したように、日本の教会が、司教団のイニシアティブのもとに全国会議に向かって準備を進めていくため、また、開催後はそこで提案された事柄を教区内に浸透させていくために、大いに貢献したことは確かである。

しかし、ここ数年の出席者を分析すると、改革がもともめられるいくつかの点が浮かび上がってくる。

a、各小教区・母体からの出席者の数は、数名と限られ、信徒の出欠席の教会が固定化し、啓発及び意識高揚は問題意識を持つ信徒・教会にしぼられられる傾向を指摘できる。

b、司祭の責任ある出席は少ない。

c、予算・決算の報告の前に、出席者の多数が、帰宅してしまうように、信徒の側にも、責任ある参加意識は乏しい。

「大司教を中心に会して、教区全体に対する意識を深め、宣教司牧の理解を深め合う」

という目的のもとに開催され、

「誰でもが自発的に参加できる総会の存在は貴重である」

という声は、無視できないことであるが、これは「地域協力体(旧ブロック)」ごとに大会を開催することで、充分に補うことができると考えられる。ちなみに、年に一度開催される千葉ブロック大会への参加は、常時400名を超え、全司祭が出席し、教区全体の方針と理解と地域における宣教司牧への意識の高揚、親睦及び連帯感を培うために、大きな役割を果たしている。すべての「地域協力体(旧ブロック)」が、このような大会を導入することで、それまでの総会を補うだけでなく、さらにその意図し、目的としていたものを徹底することができると考えられる。

かれからは、拡大宣教司牧評議会の性格を持たせ、全小教区及び男女修道会・宣教会の責任者たちが、責任を持って教区長の諮問に応えるべく研究し、はなし合い、実践的な結論を出して、東京教区の発展のために寄与できるような。機関とすることが望ましい。

(ロ)提案

開催…東京大司教において、総会を廃止し、合同評議会を開催する。

招集…教区長は、原則として、4年に一度開催する。(目的の徹底をはかるため、1泊2日等の合宿形式も考えられる)

目的…教区長を中心にして、司教の権威のものとに、教区における宣教司牧活動に関する基本理念・活動方針およびそのために必要な事柄について、研究・討議し、それについての実際的な結論を提示し、それに基づいた宣教司牧活動の推進をはかることを目的とする。

出席者…司祭評議会・財政評議会・宣教司牧評議会の全メンバー、および各小教区の教会委員2名、その他諸委員会・活動団体より教区長が任命する者若干名。

準備・運営…準備・運営は、宣教司牧評議会および教区本部が担当する。

ずーむあっぷ
東京カトリック神学院モデラトールに任命された
高木賢一神父

先月号の東京教区ニュースでお知らせした、 東京カトリック神学院の新しいモデラトールに任命された高木賢一神父にお聞きしました。 

高木神父は、 荻窪教会主任であると同時に神学生養成担当者でもありました。 そしてこの4月からは活躍の場を11教区の神学生が生活する東京カトリック神学院に移すことになりました。 

司祭生活7年、 関町教会、 荻窪教会、 そして神学院と割りと狭い範囲での異動続きだそうです。 その上、 同級生8名のうち、 すでに2名が神学院の仕事に携わっているので、 自分は関係ないと思っていたところへの任命で、 正直びっくりしているそうです。 

強いて抱負をお聞きすると、 7年間の小教区の生活で得た新しい視点を新たな生活の場でより深めたいということ、 そのことが神学生たちにとって何らかのヒントになればということです。 

ひそかに楽しみにしていることは、 日曜日に会衆としてミサに参加すること (記者もぜひしてみたい→妙に納得) とカヌーに挑戦することだそうです。 

神学院でのご活躍をお祈りします。 そして小教区に戻って来られる日を待ってまーす。 

(浦野雄二神父)

CTIC(東京国際センター通信)

順という店

潮見教会は、 交差点の角地にあり、 道路を挟んで潮見公園、 はす向いにはパチンコ屋がある。 その裏手に 「順」 という焼き肉屋さんがあって、 この店はわたしともう一人の神父の食堂になっている。 

彼はアッキーと呼ばれているが、 外国人ではなく日本人だ。 3歳の子供が 「アッキー」 と呼び始め、 やがて子供たち、 そして大人たちも呼ぶようになった。 彼の姓である秋保の秋をのばしたにすぎないが、 愛称として皆に親しまれている。 食事をつくるのが面倒になると、 よくアッキーと順に食べに行く。 

順の正面は大きなガラス戸が3枚あるだけで、 別に食堂らしい店構えではない。 看板がなければ、 印刷会社か小さな会社の事務所だと思って通り過ぎてしまう。 

ここはもともと倉庫だったのを順の親父さんが若い衆と一緒に店として改造したので、 倉庫の雰囲気を残したまま、 焼き肉屋さんとしオープンした。 

店に入るとハングル (韓国語) が行き交っている。 20人も入れば満席になるから、 さほど大きな店ではない。 

8人掛けのテーブルに5~6人、 4人掛けのテーブルに2、 3人が通路を隔てて座り、 大きな声で話しているのをよく見かける。 きっと定位置なのだろう。 

ドラエモンの 「どこでもドアー」 のように、 扉を開けて一歩中にはいると、 そこはまぎれもない韓国である。 

ただ韓国と違うのは、 ときどき日本語が混じっていることだ。 わたしたちがどこでもドアーで中に入ると、 色々な人たちが、 「あ、 神父さん。 こんにちは」 と気軽に声をかけてくる。 

順のご夫婦は韓国人で、 カトリック信徒でもある。 ご主人は建築関係の仕事をし、 奥さんがこの店を切り盛りしている。 彼女はしっかり者で、 気性の強さもうかがえるが、 人の面倒をよく見る優しい人でもある。 

わたしたちの食事の定番は、 焼き肉定食かビビンバかクッパだが、 時たま 「それがいい」 と彼女たちが食べている食事を無心する。 彼女も心得ていて、 特別な料理があるとよく連絡してくれる。 「鶏の野菜煮をつくったので、 食べにきませんか」 という電話があったり、 「サンゲタンをつくったので来て下さい」 という連絡が入る。 

サンゲタンとは、 もちごめのお粥に朝鮮人参が入ったヘルシーな食べ物である。 こういう時には、 たいていアッキーはいない。 巡り合わせが悪いのだ。 彼は 「大原さんばかりおいしいものを食べて、 ひどい」 と口をとがらせる。 わたしは食べている側だから、 さして気にしていないが、 いつも食べられない彼にとって、 単に巡り合わせが悪いと済まされるものではない。 折りあらばと思っているようだが、 なかなかチャンスは巡ってこない。 

この食堂は、 色々な人たちや文化と関われる場所である。 近所の世話好きで、 踊りやカラオケの好きなおばさんや、 ギャンブル好きの運送会社の課長さん、 在日韓国人や韓国から働きに来ている人たち、 近くの会社で働いている労働者、 時たまネクタイをつけたサラリーマン、 パチンコを生業にしている人たちが気楽にこの店を出入りしている。 

そういう場所に、 色々な問題が持ち込まれる。 外国人の賃金未払いの問題など様々である。 しっかり者の奥さんに話しに来るのだろう。 

サンゲタンを食べた日に、 順の奥さんから、 ビザの手続きの問題で困っている韓国人女性の相談に乗って欲しいと頼まれた。 旦那がビザのために必要な書類にサインをしないし、 戸籍謄本を取り寄せていないということだった。 

その日の夜、 色々話を聞いてみると、 ビザは3日後に切れるという。 3日と言っても土日を挟むので、 月曜日1日しかない。 その日わたしは身動きできないほど、 スケジュールがつまっていた。 すべてをキャンセルして行くしかないと思っていたら、 いつもは月曜に休みを取っているアッキーが、 珍しく教会にいたので、 彼に入管に行くように頼んだ。 

彼は快く引き受けて、 その日、 ビザ切れになる彼女のため動き回り、 入管から帰ってきたのは夜の7時過ぎだった。 彼は夫婦喧嘩の修羅場にも立ち会ったらしい。 保証人の書類が揃わなかったので私が保証人になって書類を提出した。 疲れて帰ってきた彼に、 ついサンゲタンの話をしたものだから、 また、 ふつふつと怒りがこみ上げてきたらしい。 とにかく食べ物の恨みは恐い。 

(大原猛神父)

1997年3月3日付で、東京大司教区司祭人事異動が発表された。尚実際の異動は復活祭の後に行われる。

[教区司教関係](カッコ内は旧任地等) 

酒井俊雄師 神田教会主任(西千葉教会主任)

藤井泰定師 八王子教会主任 10月赴任 (ケルン教区出向)

幸田和生師 西千葉教会主任 (神学院)

小沢茂師 洗足教会主任 (佐原教会主任)

杉田稔師 佐原教会主任 (志村教会主任)

泉富士男師 志村教会主任 (神田教会主任)

江部純一師 荻窪教会主任 (大司教館付)

深水正勝師 本郷教会主任代理 (司教秘書兼任)

福島健一師 鴨川教会主任 (泉町分教会担当)

古賀正典師 高円寺教会助任 (西千葉教会助任)

猪熊太郎師 関口教会助任 (高円寺教会助任)

稲川圭三師 西千葉教会助任 (新司祭)

市川嘉男師 洗足教会協力司祭 10月赴任 (八王子教会主任)

高木賢一師 神学院モデラトール (荻窪教会主任)

五十嵐秀和師 大司教館付 (葛飾集会所兼任)

斎藤巍師 桜町病院ホスピス担当 (小金井教会助任)

青山謙徳師 病気療養 (大司教館にて)

佐藤敦俊師 病気療養 (関口教会にて)

[修道会・宣教会関係]

末吉矢作師 亀有教会主任 (東長崎教会主任)

モーリス・マホーニ師 葛西教会主任 (同助任)

遠山満師 葛西教会助任 (新司祭)

ノーサル・ヴァツラフ師 下井草教会助任 (サレジオ会調布修道院)

レオ・シューマカ師 サバティカル (関口教会助任)

訃報

ヨハネ・ボルジャー神父(スカボロ外国宣教会)

97年2月15日、心不全のため東京都内の病院で帰天。69歳、27年カナダに生まれ、52年司祭叙階、東京教区では、清瀬、五日市、青梅などの各教会を経て、94年から高輪教会助任。

第10回生涯養成コースより
「現代の若者たちはどこに行くのか」-21世紀への信仰を伝えるために-

藤竹 暁 学習院大学教授 講演

『現代の若者像』

豊かな社会

戦後50年の間に、 日本の社会はここまで大きく変わった。 

その話をしても若者達に実感をもって聞いてもらえない。 昨夜、 学生4名 (男2、 女2) と会食し (アフリカ料理)、 そこで自分が学生だった頃の耐乏生活のことを話したが、 実感がないし、 食事の時でも、 沢山食べる必要がない。 何時でも食べられるから沢山食べておく必要がない。 

20数年前、 恩師 (50歳位) とスペイン旅行をした朝食の時、 恩師は 「藤竹君、 昼食時食べられるかどうかわらないから、 しっかり食べておきなさい」 と言われ、 腹一杯食べた。 そういう発想法を学びとった。 

ローン

アメリカの心理学者エリクソンの言葉 「欲望をみたす時2つのやりかたがある」 

(1)今すぐみたす―即時報酬型

(2)遅らせてみたす―遅延報酬型…貯金してから

即時型は買いたい時に買う。 (今ローンで買う) 

今、 40代、 50代以上の人は育つ時(1)の方法は学ばないで(2)の方を学んだ。 必要な金がたまるまで、 欲望を我慢する山中鹿之助の言葉 「我に7難8苦を与え給え」 

丸井デパートが大きくなる頃のマルイの方針は、 「play now play later,」 というモットーだった。 

昔は月賦の支払いの時、 店員が毎日家まで金を取りに来るので私が背広を月賦で買った時など母親が嫌がった。 何かうしろめたさを感じたのだろう。 

昨今は、 学生で買えないものは一戸建ての家ぐらいといわれる。 他は何でも外車の高級車でもローンで買える。  

自動化社会

70年代頃から日本社会の中に急激に広がった。 エレベーター、 自動ドア、 シャープペンシルなど。 

学生の生活の選択の幅は、 昔は大変狭かったが今は無尽蔵に応じ、 それが出来るように付加価値をつける。 それで多様化がますます促進される。 

現代の価値の序列はあいまいなので、 どれがよくてどれが悪いのか見分けにくい。 

誰でも 「これがよい」 と主張すればそれが通る。 

ゼミの学生と接していて彼らがよく言うこと 「私はこのテーマにこだわり続けたい」 と。 

今年度の私のゼミの統一テーマは 「節目」 であった。 それに基づいて学生が自分でサブテーマをきめる。 

こだわることはある面ではよいがマイナス面もある。 

価値の序列があいまいだから、 「私はこれにこだわりたい」 と言った時は誰も介入できなくなる。 

AV社会

文字言語がこわれたのはビートルズが出てきた頃だろう。 ビートルズがどうしていいのか言葉で表現出来るのは1/3位だろう。 感覚的にいいものをどう表現するかむつかしい。 

感覚は互いに同じ感覚を持っている者同志でないとわかり得ない。 

同じような感覚で波長があった時、 始めて言葉によるコムニケーションが可能になる。 

Audio Visualが日常生活の中で大きな影響を与える。 竹村健一氏がこう言った。 「僕は自分の番組でやっている限り、 誰にも負けない。 

普通、 TVでは自分の力を3割しか出せないが、 自分の仕切る番組ではそれが出来る。 久米宏がやるように、 TVの世界は瞬間芸的なものが影響を与える。 

小泉今日子がかつてラジオの深夜番組で 「私は今サリンジャーの 『らい麦畠でつかまえて』 を読んでるの」 と言ったら次の日から本屋にこの本を買いに来る人が沢山来たとのこと。 

タレントが書いた本は、 よく売れるということ、 マスコミにどれだけの頻度で出てくるかによって権威の大小が左右される。 

学生はそうした傾向に引きずられる。 学生に 「最近どんな本を読んだ」 と尋ねたら、 「『脳内革命』 を読みました」 という。 昔なら公に言えないような貧弱な中味だと思えるが大人が 『脳内革命』 の中味を知りながらそのまずい所を彼ら学生の波長に合わせながら指摘出来たらよい。 

現代の若者の鼓動をどれだけ、 自分の鼓動に取り入れられるかが勝負。 

教師は学生に弱みを見せず、 約束は守るという方針を持っている。 でないと学生はついて来ない。 

猫や犬を可愛がる時、 いじくり廻すように (こねくり廻す?) 学生をいじくり廻す (女子学生にやたらにさわるのではない。 関わりのあり方としていう) のでないと、 つまりスキンシップを頻繁にとるのでないとうまくいかない。 

ある意味では学生は、 情報を我々より沢山持っているが、 断片的なものである。 

我々教師はその断片的なものをつなげてやることが必要。 その前に彼らが持っている波長を感じとることが必要で、 そうした所から彼らとのコミュニケーションが始まる。 

自分を生かしたい

彼らが問題にしているのは自分の生き方である。 彼らは小さい時から 「お前はダメだ」 と言われたことはない。 

偏差値は人より劣っていてもそれなりに自分を生かす可能性はある。 

将来自分は独立して働きたいと思っている学生は多い。 

そうした学生も、 しかし自分は何者なんだと 「自分探し」 をし、 それを把握出来ていない。 

ベストセラーになった 「ソフィーの世界」 も自分探しであった。 

私も講談社から頼まれて 「自分探し」 の本を書いた。 今印刷中で、 これは小説を読まなくなった若者に小説を読ませるための本として書いた。 

林真理子が書いているのも 「自分とは何か」 のことである。 

価値が多元的になり、 物が均一化してきているいる今、 価値の序列があいまいである。 

そうした中で最後によりどころとなることを見つけたい。 そして自分らしさを発揮出来る居場所を探している

居場所を探す

今年から始まったテレビドラマ”メロディー”に小泉今日子が”私の居場所はここですが、 桜木さん (舞台恐怖症で悩む) あなたの居場所もここでしょ”という場面があった。 

居場所を探している、 自分であることを確かめられる居場所を。 

オウム真理教は少なくとも信者らに居場所 (サティアン) を与えた。 

「アイデンティティーとは」 でエリクソンが冒頭にのべるのは 「私は誰か」 ということ。 

「不思議の国のアリス」 はアイデンティティーの危機に陥った少女の物語

日本人の大半は今、 小金持ちである。 やりたいことは何でも出来る、 そこそこにしあわせであるが、 しかし最終的に居場所を探している。 

今は社会的サービスが発達しているので隣人への思いやりが欠けている。 

(川原謙三神父)

念願のイスラエルへ
学生巡礼ツアー カトリック学生センターONAKAMA

2月のイスラエル巡礼に26名が参加した。季節外れの風雨の寒さに見舞われた1週間であったが、若さにものを言わせて、聖書の世界イスラエルそのものを満喫するのはもちろん、フリータイムの死海の浮遊体験もエンジョイして帰ってきた。

企画した余語久則師神父は、「若いうちに、本物に触れてもらいたいと願い、とにかく1回でもと、大韓航空等に協力をお願いして、参加しやすいコースと参加費を設定して実施できたのだが、これだけ関心を持って参加し、喜んでくれる学生がいるのは予想を越えていた。今後も何とかして続けていきたい。」と話している。

一人の学生の感想文から

念願のイスラエルの地に行き、現地の人々の生活に触れることができて非常に嬉しかった。たくさんの場所を見ることができ、ガイドさんの説明も詳しく聞くことができたので、1回目のイスラエルとしてはとても有意義であったと思う。バスでまわったからこそ壮大な景色を満喫することができたのだが、自由な食事、自由行動の時などに、自分たちの足でまわったことにより、傍観者ではなくイスラエルの中に入れた気がして感慨深かった。イスラエルは世界3大宗教の聖地という特異な国であり、宗教、民族対立のイメージがあったが、各々にプライドがあるからこそ、他者の尊重、共存する術を心得ているように見え、居心地の良い対応をしてくれる国であるような気がした。

今回に巡礼で一番印象に残ったのは、日に1回のミサである。特に最後になるにつれ、仲間との一体感を感じることができ、感動的だった。「共に祈ることはこういうことであり、ごミサを受けるということはこれほど嬉しいものである」といことを久々に思い出した。日本に帰ってからもこの感覚を忘れずに、もっと教会に行こうと思う。

また、このツアーに参加している人の多くは、カトリックを信仰しているものとしての活動(教会での学生の活動、リーダーなど)に意欲的に取り組んでいるので非常に刺激を受け、自分ももっと積極的に色々な活動に参加しようという気になった。せっかく「カトリック信者であり、自分が非常に恵まれているのだ」ということに気づけただけでも、この仲間とイスラエルに来て良かったと思う。

このイスラエル巡礼は、すべての面において「本当に参加してよかった」と思えるほど楽しかった。それはもちろんイスラエルという国自体を気に入ったためであるが、同年代の同じ信仰を持つ人たちと仲良くなれた喜びによるところが大きい。根底に同じ物が流れている人たちと触れ合い、9日間ずっと皆で過ごすことは、それも居心地が良く、自分にとってプラスになることを実感した。初めて会った人たちとも「なかよくなりたい」と思う気持ちが強く、皆と交流が持てて嬉しかった。たった数日間でも、ただ大学などで知り合った友達などと異なり、もっと深い分かち合いができたので、今回の旅行のメンバーは特別な存在であり、これからもその絆を大切にしていきたいと思う。

カトリック学生センター(ONAKAMA)では、巡礼の他に、スタディツアー(アジア・アフリカ)、勉強会、留学生の集いなどを企画・実施している。

喜びのうちに
東京教区司祭叙階式
稲川圭三師 任地は西千葉教会

この日、大聖堂は大いなる喜びに満たされていた―春の到来を告げ知らせる東京教区の司祭叙階式が3月2日(日)午後2時からカテドラルで行われ、およそ1000人の参列者が見守る中、本所教会出身の稲川圭三さん(38)が司祭に叙階された。

白柳枢機卿は訓話で、「あなたは大きな恐れに包まれいるかも知れません。でも恐れないでください。今世界は、人々は、現代社会は、あなたをあなたの祈りを待っています。どうぞこの期待にこたえてください」と励ましのことばをおくった。式の最後に赴任地は西千葉教会と発表され、新司祭のスタートをきった。

早起き  

「クリスチャンの一家で、 小さい頃から車に乗って、 全員で教会に行って、 そして全員で帰ってきた。 多分6時30分のミサだったと思うが、 日曜日は1週間のうちで、 一番早く起きた。 みんなで行ったので、 教会にいくのは当たり前だった。 

稲川さんは1959年3月、 5人兄弟の4番目として江東区石島に生まれる。 今年で38歳。 生まれて2ヵ月後に本所教会で、 下山神父から洗礼を受けた。 

霊名のこと  

「パウロ三木。 本所教会は26聖人に捧げられた教会で、 その頃、 主任の下山神父が26聖人シリーズの霊名を付けていたおかげでそうなった?

パウロ三木は、 今からちょうど400年前、 33歳で殉教。 イエスがなくなったのと同じ歳と知り、 名誉なことだと思ったのは、 自分の意志で教会に行きはじめた24~5歳の頃。 

現在…… 「日本人の聖人の名をもらったのは嬉しい。 日本人だから。」 日本という土地でキリスト者として生きるというひとつの姿を身をもって証しして下さったことに感謝する。 

職業の選択

下山神父は、 男の子には 「神父になれ」 と声をかけていた。 1年生位の頃、 自分もそう言われて、 『神父さんになったらみんな喜ぶだろうな』 と思ったことがある。 

大学に進む時、 自分の中で 「神父になるというのはどうなのか」 という声があったが 「それは、 自分なんかではなく、 だれか偉い人がなるもの」 とはっきりと断った。 それで 「神父でないなら、 学校の先生かな」 と、 そんなに深く考えずに小学校の教員になった。 

大学生の時はギターを弾いたり、 友達の下宿を泊まり歩いたりといった生活で、 教会へはあまり行かなかった。 就職したばかりの頃も同じ。 でも教員生活を始めて数年後に、 変化の兆しが表われた。 

召命の葛藤  

「教員になってしばらくして、 自分の中に何もないことが判った。 何年かして、 初めて全く自分の意志で教会に通うようになった。 その頃は 『キリスト者として忠実に生きたい』 と考えていた。 何年か教会委員会で働くうちに、 ある日、 主任の下山神父さんが私に 『圭三、 おまえ神学校へ行け』 と言った。 はじめは笑ってごまかす風にしていたが、 そのうちに 『もしかして』 と思うようになった。 

それでもしばらくは、 「キリスト者として精一杯働きますが、 どうか神父になることだけはやめてください」 と祈っていた。 それは条件をはっきりさせておかないと、 そうなってしまいそうな気がしたから。 

でもある日、 根負けした感じで 「もしお望みなら、 司祭として召し出して下さい」 と祈った。 するとその時、 ぱっとラジオのチューニングが合った時のような、 一瞬霧が晴れて、 遠くの空が垣間見えた時のような、 調和を感じた。 

それからまた数年たってから、 9年間の教員生活をやめて、 神学校に入ることになる。 

同じ時を一緒に過ごすことの多かった人、 と言えば、 ご両親の次にくるのは、 きっと本所教会の主任を長くつとめ、 昨年4月に帰天された、 下山正義神父だろう。 師は稲川さんを幼児洗礼以来、 ずっと見ていた。 

思い出

下山神父がなくなるすこし前に、 私の前で言った。 『俺は神父になって楽しかったナ。 やめようと思ったことは一度もなかったな』 

また、 ある時はいつだったか夕食の時、 テレビのクイズ番組で、 「骨折り損のくたびれもうけ」 という答えを聞いて、 「なんだ、 カトリックの司祭みたいじゃねーの」 と大笑い。 

すべてをひっくるめて、 下山師は、 男が一生、 司祭職という道を歩んでいくことを力強く肯定した人だった。 だから私も人に、 「おまえも神父として一緒に働かないか」 と言える人になりたい。 

このようなさまざまな出会いと思いを抱きつつ、 ついに司祭職としての第一歩を歩みだした。 

司祭として  

「人と人、 神と人との間には決定的な違いがあり、 そこには淵がある。 

でも、 神は人とは違う方だったのに、 人になって下さった。 決定的な違いを超えて、 つながるという道を、 神が先に示して下さった。 人と人、 グループとグループの間には、 様々な境目がある。 キリストがそこにこそ立たれたように私もそこに立つものでありたい。 

嵐の海という深い淵 (断絶) の上を歩くイエスに向かってペトロは 「水の上を歩いてそちらに行かせてください」 と言った。 『断絶の上を行く』 という不安定さを一言、 ペトロは望んだ。 でもそこにペトロの信仰があった。 私も同じように、 不安定さを超えて、 そこに神のつながりがあることに信頼して、 それを求めていく人になりたい。」