お知らせ

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東京教区ニュース第136号

1996年09月01日

「旅する教会」多摩教会 25周年を迎える

8月15日、多摩教会(主任・宮下良平神父)が25周年を迎え、創立25周年記念ミサ(白柳誠一枢機卿司式)と祝賀パーティーが行われた。25年前の1971年、多摩ニュータウンの一画に4世帯で始まった多摩教会は、現在では在籍者650名を越えるまでに発展した。

白柳枢機卿は、「多摩教会は『旅する教会』を座右の銘として発足しました。旧約の民と同じように神を讃えなければなりません。価値観の揺れている今こそ、求めに応ずる出番が来たことを意識しなければならないと思います」「多摩教会が信仰、希望、愛によってキリストに結ばれ、隣人を大切にする教会となれば未来は明るいでしょう。今こそ祈り、平和のために働きましょう。私たち一人ひとりを、教会を、社会を変えてくださるように祈りましょう」と励まされた。また、枢機卿は2000年までに多摩教会の聖堂を建設することに決定したことも発表した。

初代主任司祭の寺西英夫神父は、「25周年おめでとう。25年前というと、私は42歳、髪の毛が真っ黒で男盛り(笑い)。あのころは元気でよく飲んだと思う。”神の目には1000日も1日のよう”と聖書にある。まだ2日目、25年は小さい、小さい……初期の頃働いた私など屁でもない。神にとっては1日も1000年のよう。皆さんの1日は1000年の重みがある。力強く生きていってほしい」とお祝いの言葉を述べた。

多摩教会の”旅”25年を振り返って、教会設置に尽力した信徒の八巻信生さんは25周年記念誌「多摩教会共同体25年の歩み」に次のように記している。

めでたし1000回

”多摩教会”は、聖母マリアに愛されている。多摩教会で、25年の”旅”を続けてきた私の実感である。1971年(昭和46)7月、濱尾司教(現・横浜司教)に会い、まだ荒野のような多摩ニュータウンにカトリック教会をと陳情、その年12月26日、白柳大司教をわが家にお迎えして、クリスマス家庭ミサを捧げて頂き、翌年5月22日、正式に「多摩教会」が設立された。主任司祭(現・神学院長)寺西英夫師の”通い”から、1DKの借家の教会、2DKの賃貸マンション、そして「シャンポール聖蹟桜ケ丘」の”マンション教会”。

宣教の第2の拠点となった、宮崎カリタス会経営の「かおり保育園」の誕生と、多摩教会の”旅”は続けられたが、年々増えていく信者の数に、より広い「主の名において集う所」を求めて、ひたすら聖母マリアに祈り、その取り次ぎを願い続けた。その後、幾つかの試練を経て、今日の多摩教会の誕生を思う時、聖母マリアに祈った私たちの願いが、ことごとく成就していることを考えると、多摩教会が特に聖母マリアに愛されていると実感せざるを得ない。(中略)

多摩教会は、最も新しい聖人、聖マキシミリアノ・コルベ神父を保護の聖人に戴いている。聖人が初めて日本に来られ、長崎で「聖母の騎士」を発刊された時、語学者であり新教の牧師であった私の父が翻訳などでお手伝いをした。それから幾星霜、わが家は赤貧のどん底にいた。私が4〜5歳の頃であろうか。母がひょうそを患った。放置すれば指を切断する以外にない。手術には10円(現在の50万円位)もかかる。母は指を切断することを覚悟したようだった。その時ポーランドに帰っておられた聖人から航空便で金10円の小切手が送られてきた。
(中略)
「めでたし1000回唱えれば望みが叶えられる」と子供心に刻みつけられた、確信に似た思いを忘れられず育ち成長し、そして老いてきたが、今、多摩教会を思う時、確かに「多摩教会は、聖母マリアと聖コルベに愛されている」と思わざるを得ないのである。そしてこの強い確信のもと、聖母マリア、聖コルベへの祈りと信徒一人ひとりの希望と一致への強い意向によって、多摩教会はいま新しい未来の”旅”へ旅立とうとしている―。
(八巻信生)

そして、多摩教会共同体、神の家の”生きた石”21世紀初頭の新・本聖堂の建設に向かって8月15日新たな”旅立ち”をしたのである。

取手教会建設資金のために援助 -豊四季教会ー

7月29日、東京大司教館にて白柳枢機卿立ち合いのもとに、豊四季教会(主任司祭・岩崎尚神父)委員より岡田浦和司教へ、取手教会(茨城県取手市)建設支援のための献金(総額15,000,000円)が手渡された。

これは、利根川をはさんで東京教区、浦和教区と教区こそちがえ、隣接するふたつの小教区どうしが協力し合って宣教司牧の実をあげるための第一歩である。

席上、白柳枢機卿は次のように語った。「東京教区では、教区を越えた協力として人事交流があり、現在新潟教区と札幌教区に司祭を派遣している。今回のような小教区どうしの交流は、将来のカトリック教会の交流協力のあり方として大変に意義深いと思います」

献金を受け取った岡田浦和司教は、奇しくも12年前まで豊四季教会の前身である柏教会主任として7年間司牧の任に当っている。
「なつかしい豊四季の信者さんの暖かい心は、大変ありがたく思います」

両小教区は、上野駅を基点とする常磐線沿線に位置し、上野から数えて千葉県内の教会として松戸教会、豊四季教会の順で、千葉県と茨城県の県境の利根川のほとりに取手教会がある。

かつて豊四季教会は柏市にあり、人口急増のために所属信徒数が発足当時の四倍(1,600人) にふくれあがったために、5年前に柏駅より一つ目の豊四季駅(東武野田線)付近に移転し、教会名も柏教会から豊四季(とよしき)教会へと改めた経緯がある。常磐線沿線教会として、これら3つの小教区は深いつながりを持っている。

今年献堂25周年を迎えた豊四季教会は、初代松戸教会主任司祭であった志村辰弥神父(現・大司教館内司祭の家)が柏駅周辺から松戸教会に通う信徒のために家庭集会を催したことに発端があり、それを母体として柏教会建設の気運が生まれ、建設資金の積み立てがはじまった。第3代松戸教会主任司祭の小林五郎神父(故人)は、教会用地の取得のために個人の資金5,000,000円を献金し、事業が軌道に乗った。

一方、取手教会は18年前に土浦教会(土浦市)の巡回教会として発足し、それを機に相教会に所属していた茨城県在住の信徒約40世帯の移籍がおこなわれ、取手教会発足の礎となった。

昭和59年に、現在地(取手市井野) に民家を取得し、所属信徒数364人(80世帯) の規模を擁するまでに発展した。水戸に本部を持つイエズス・マリアの聖心会が担当し、現主任司祭は山田宣明神父である。

現在、通勤時間帯における常磐線は飽和状態に達し、常磐新線建設の動きが活発化しつつある。そうした状況の中で住宅建設はいまだ土地取得の容易な茨城県南部に集中し、信徒の増加は松戸市、柏市よりも北部の取手市、藤代町、牛久市(いずれも浦和教区)などに多く見られる。
取手教会では、地域の開発伸展の具合と信徒の増加を見越して7年前、新しい場所に教会建設用地を取得し、今年農地転用の許可がおりて新教会建設のはこびとなった。計画を具体化するに当たり、現在の小教区の規模ではなく、将来増すであろう信徒数を見越しての大きな計画を推進している。そのため、信徒一世帯当たりの財政面の負担は極めて重く、土地取得費と建設工事費の合計を世帯数で単純に割ると、一世帯当たりの負担額は優に100万円を越える規模になる。

隣接する小教区として豊四季教会は、取手教会の財政的な窮状に対して支援することを臨時信徒総会(6月16日)で決議し、今回の手渡しの日を迎えたわけである。

年間予算の維持費全額に匹敵する大規模な献金を行なうことになった豊四季教会の岩崎神父は、「信徒の賛同があって初めてできること。かつて川原神父が松戸教会担当の頃に常磐線教会構想というのがあった。機が熱さず成らなかったが、今その価値が問われている。近隣の教会どうしが助け合わなくては。この地域では船橋教会の新築計画と、千葉ニュータウンの司牧を広域的な協力態勢をもってしなくてはならないと思う」と語る。

新取手教会の建設工事はすでに始まり、早ければクリスマスまでには完成する見込みで、献堂式は来春の予定。山田神父と教会委員は「将来私たちも他の教区の皆さんのお役に立てるようになりたい」と喜びのうちに語っていた。

「ふれあいと助け合い」をテーマに重度心身障害者たちと交流 ー千葉ブロック大会ー

9月2日、晴天の中、千葉県旭市にある社会福祉法人ロザリオの聖母会の施設で、千葉ブロック大会が開催された。子どもたちを含めて約500人以上が参加。

午前中は講演。同施設の専務理事の細淵氏が「みんなでつくる障害者福祉」を演題に講演。「幸せとは何か、いのちとは何か、そして人間とは何か、わたしたちの施設を訪れる人が、そうしたことを考えざるをえなくなるような施設にしてみたい」と語る。

午後は、施設の身障者たちとの交流。施設の人々のサービスによる食事。身障者の方々のバンドコーラス。滞日フィリピンの人々が中心となった合唱。それに合わせて、自然に生まれて、芝生いっぱいに広がった人の輪。そしてダンス。(=写真)盛り上がりをみせた交流はミサによって結ばれた。

参加者たちの声を拾ってみた。
「身障者の人たちが精いっぱい歌をもって、自分を表現しようとしているのに感動した」
「午前、午後とテーマが一貫していて、参加した甲斐があった。すがすがしい気持ちだ」
「重度障害者たちの問題はわたしたちの問題でもあることに気がついた。高齢化社会の中で、いずれ自分たちもみな、思うように生きることができない現実に直面しなければならないのだから、生きることの意味を深く考えていかなければならないことを、教えられた」
「千葉ブロック大会には、毎年参加しているが、出来れば今回のようなテーマをもったものにしてほしい」

「また来てくださいね」という身障者たちの声に送られて午後4時すぎに散会した。

(注)
社会福祉法人「ロザリオの聖母会」は、現在、重症心身障害児施設「聖母療育園」、身体障害者療養施設「聖マリア園」、知的障害者更生施設「聖家族園」、精神科内科「海上寮療養所」、精神障害者福祉ホーム「野中ハイツ」、福祉作業所「みんなの家」を運営している。
同施設に対する問い合わせは法人本部まで(千葉県旭市野中4017、電話0479-64-0740まで)。

「蟻の町」の教え、今に生きる 55歳司祭 悩む外国人の支えに

東南アジアの女性だろうか、吹き出す汗をぬぐおうともせず沈んだ声で切り出した。「日本人の夫から別れたいと言われて」東京・亀戸駅の近くにある「カトリック東京国際センター」。テーブルをはさんで、大原猛さん(55)は「いつ離婚話が持ち上がりましたか」と、気持ちをほぐすように尋ねる。ここへは、たくさんの外国人がやってくる。「働いたのに給料をもらえない」「病気だけど、治療費がない」

大原さんは週3回、センターへ通ってくるが、実は潮見教会(江東区潮見二丁目)の主任司祭でもある。聖堂のわきには<潮見教会は一般に蟻の町教会とも呼ばれている>との碑が建つ。大原さんは5年前に着任したが、それを目にすると、「蟻の町で一喝された遠い日」を思い出す。(略)

「町」へ大原さんが初めて足を踏み入れたのは、神学を志して大学へ入ったばかりの60年暮れのこと。作業所はすでに潮見に移転していたが、隅田川べりに残っていた掘っ立て小屋の事務所へ、「貧しい人の気持ちを知りたい」と訪ねていったのだ。というのも、大原さんには、本や新聞で読んだ「北原怜子」が強烈な印象としてあったからだった。「教授令嬢が、なぜ蟻の町の住人になったのだろう」。みんな貧しさから逃れようと必死だったのに。応対してくれたのは、劇作家の経歴から「先生」と呼ばれていた松田桃樓とおるさんだった。50歳の先生は麻袋を着て縄ひもでしばっていた。穏やかにうなずいていたが、口調が急に険しくなった。
「貧しいから助けてやるというのは、人を見下している。大事なのは、肩を並べ一緒に生きることだ」
夜3時間も絞られた。すきま風が吹き抜け、裸電球が寒さを募らす。それでも最後に「では、3日間だけ教えましょう」と言ってくれた。大原さんは竹かごをかついで、日本橋界わいを紙くずを集めて回った。

「蟻の町」は、世の中が豊かになるにつれ1人去り、2人減りして、88年9月に消えた。
(略)
でも、大原さんはあの時に身にしみた「一緒に生きる」を忘れない。だからこそ、教会にくる青年たちから「知り合いの外国人が労災に遇って困っている」などという話を聞いて「東京国際センター」で働こうと思った。

センターのこの1年の相談受け付けは300件を超す。それを大原さんたち5人のスタッフとボランティア7人が分担する。「たとえオーバースティでも、病気で困っていれば、捨てておけますか。あの人たちは蟻の町と同じで、社会のひずみを受けている。行政の運用と人道的な問題とのはざまを埋めるのが私の務めと思っています」星空のもと、大原さんはきょうもカッターシャツで走り回る。
(読売新聞平成8年8月11日付より転載)

訃報 ヨゼフ里脇浅次郎枢機卿(長崎大司教区)

8月8日、脳腫瘍のため帰天。92歳。
1909年、長崎県外海町出津で生まれる。32年教皇庁立ウルバノ大学神学科卒業。32年12月ローマで司祭叙階。33年7月ウルバノ大学神学科大学院で神学の研究を続け、神学博士号を取得。同9月帰国、大浦天主堂主任司祭、教区会計、教区書記長を歴任。36年12月〜55年5月「カトリック情報」編集長。39年中町教会主任。41年台湾教区長。46年教区大神学校校長、教区総代理、49年ワシントン市カトリック大学留学。51年旧カトリックセンターの幼稚園長、純心短期大学教授。55年鹿児島教区初代教区長として司教に任命。同五月司教叙階。68年長崎大司教区第7代教区長として大司教に任命。69年3月浦上司教座聖堂で着座式。78年9月日本司教協議会会長。79年枢機卿に指名。(日本で3人目) 同6月親任式。90年引退。
主要著作‥カトリック終末論他

在日外国人のための医療相談 〜赤羽教会〜

7月21日、赤羽教会(東京都北区) で、日頃、院療機関にかかることがさまざまな事情で困難な在日外国人を対象に「在日外国人のための医療相談会」が行なわれ、在日フィリピン人、ナイジェリア人を中心に約30名が医師の問診聴診、胸部レントゲン、歯科検診、尿検査等を受けた。

今回の検診は、シェア=国際保健協力市民の会、日本予防医学協会東日本支部、CTIC、赤羽教会等、七つの団体が協力して行なわれた。検診日の前日から会場セッティングのためにボランティアが集まり、信徒会館二階のホールに8か所の簡易診療室等を設置し、翌日の本番に備えた。

当日は朝からの雨にもかかわらず、医師、歯科医師、医学生、看護婦を含む約百名のボランティアが参加し、検診が行なわれた。数回の事前打ち合わせの結果、各セクションの連携もよく、予定終了時刻の三時三十分にははば検診を終えることができた。

8月中旬には受診者全員の結果がそろい、郵便と手渡しで報告が行なわれた。精密検査の必要があるとされた受診者には、国際委員会のメンバーから医師の紹介などを行い、アフターケアも行われた。

法務省入国管理局が6月に公表した統計によると、昨年度末の外国人登録者は、過去最高の1,300,000人を超えた。超過滞在者(オーバーステイ)300,000人を入れると約1,660,000人、これは日本の総人口の1%強を占めている。

在日外国人の増加と共にカトリック教会のミサにあずかる人々も増えた。CTICが行った外国人登録からの推計によると、全国の外国人信徒は日本人信徒(約440,000人)に近い約380,000人と推計されている。検診の行なわれた東京教区では、約70,000人(日本人信徒約80,000人)の外国人信徒が居住していると推計される。

それに伴い、出産、洗礼、結婚、離婚等の相談が各教会に寄せられるようになったが、十分に対応できないのが現状である。中でも医療問題は深刻である。

在日外国人の中には、言語、健康保険制度、経済的理由等により医療機関にかかることが困難で、その結果、結核、高血圧、腎臓病など重い病気を抱えながら治療が遅れてしまう人が少なくない。

赤羽教会も周辺に外国人労働者が居住する地区を抱え、毎週約600人の外国人信徒が来ている。赤羽教会国際委員会には数年前より外国人信徒が中心となって「APLC」が活発な活動を続けていた。今日の検診も自分たちの健康を守りたいという強い要望からこの計画が持ち上がり実現に至った。検診に参加した多くの人々が一つのプロジェクトをなし遂げた喜びを味わった。

残念なことに赤羽教会の「APLC」 は司牧上の理由で8月31日付で解散したが、在日外国人のための検診がこのような形で、毎年続けられることを心から願っている。

第3回東京教区集会司式者 聖体奉仕者養成講座終了 82名を認定

4月14日から関口会館ケルンホールで開催されていた第3回東京教区集会司式者・聖体奉仕者養成講座が6月23日に終了した。同講座に全回出席し、7月20〜21日(黙想第1グループ)、29〜30日(黙想第2グループ)に参加した上で、認定願いを提出した次の82名が集会司式者・聖体奉仕者に認定された。なお、第4回養成講座は、第3回と同じ内容で10月6日から開催される。

集会司式者・聖体奉仕者認定者リスト

黙想第一グループ(50名) 有効期間1996年7月21日〜97年7月20日

山口 公子 女 あきる野 聖
山口 誠 男 あきる野 集・聖
小山 廣美 男 蒲田 集・聖
村野 政夫 男 蒲田 集・聖
塚本 正司 男 関口 集・聖
成富キクノ 女 関口 集・聖
納賀千恵子 女 関口 聖
丸山 和子 女 関口 集・聖
牛崎 勇夫 男 関町 集・聖
豊岡 来実 女 関町 集・聖
岡山 竜男 男 高輪 集・聖
金村 輝彦男  麹町 聖
佐治 光雄 男 麹町 聖
本野 勝久 男 麹町 聖
石原 輝人 男 渋谷 集・聖
柏木 信昭 男 渋谷 集・聖
芦澤 行男 男 小岩 集・聖
松尾るみ子 女 小金井 集・聖
山本 允子 女 神田 聖
金本理恵子 女 成城 聖
森長 重子 女 成城聖
青木 宏男 清瀬 集・聖
松実 助政 男 西千葉 集・聖
石田 五朗 男 赤堤 集・聖
磯野 君代 女 赤堤 聖
滝島恵一郎 男 赤堤 集・聖
石岡 ユキ 女 千葉寺 聖
森口 幸雄 男 浅草 集・聖
石田 靖夫 男 船橋 聖
澤 滋夫 船橋 集・聖
品田 昭三 男 船橋 集・聖
福島 樹雄 男 船橋 集・聖
田中 力 男 町田 集・聖
青木 明子 女 田園調布 集・聖
明石 和子 女 田園調布 聖
明石 了 男 田園調布 集・聖
安西真理恵 女 田園調布 集・聖
岡野 孝 男 田園調布 集・聖
菅又 立夫 男 田園調布 集・聖
富田 昌雄 男 田園調布 集・聖
藤井たかね 女 田園調布 集・聖
南 泰子 女 田園調布 集・聖
和田 武子 女 田園調布 聖
平野 萬里 男 田無 集・聖
佐藤喜一郎 男 梅田 集・聖
佐藤 豊子 女 梅田 聖
斉藤 春美 女 板橋 集・聖
朝倉 信江 女 豊島 集・聖
増田 洋 男 豊島 集・聖
巌谷 由枝女 目黒 集・聖

黙想第二グループ(32名) 有効期間1996年8月1日〜97年7月31日

岸本 静子 女 蒲田 集・聖
中野真理子 女 蒲田 集・聖
安藤 昭子 女 関口 集・聖
中島その枝 女 関口 集・聖
鈴木 博子 女 亀有 集・聖
中井 芳子 女 高幡 聖
藤田 洋子 女 高輪 聖
朝日 明美 女 麹町 集・聖
中室アヤ子 女 三軒茶屋 聖
春日 幸子 女 秋津 集・聖
足立 昌子 女 初台 聖
大水トキノ 女 女子パ 聖
伏木美代子 女 小岩 集・聖
蒲生真理子 女 小平 聖
土屋  愛 女 小平 聖
樋口百合子 女 成城 聖
竹井 恒子 女 聖心会 集・聖
依田 育子 女 聖心会 集・聖
鹿野 昭子 女 船橋 聖
菅野 悟郎 男 調布 集・聖
佐々木恵子 女 田園調布 集・聖
原科 節子 女 田園調布 聖
水原 民枝 女 田園調布 集・聖
宮田 初江 女 田園調布 聖
下田 喜昭 男 田無 聖
小林 和子 女 徳田 集・聖
渡辺 孝子 女 徳田 集・聖
吉平喜美子 女 梅田 集・聖
安部 良子 女 豊田 聖
荒尾 嘉家 女 豊島 集・聖
亀嶋ひろみ 女 豊島 集・聖
段坂 広子 女 豊島 集・聖

(敬称略順不同)
(注)集―集会司式者、聖―聖体奉仕者

1996年度「福祉の集い」

福祉に関わっている仲間たちが年に一度集まり、共に祈り、学び、語り合う集いです。皆さまのご参加をお待ちしています。

期日:10月24日(木)
午前11時よりミサ(東京カテドラル聖マリア大聖堂 地下聖堂)
午後1時〜2時 講演会
2時15分〜3時15分 話し合い
講師:森一弘司教
テーマ:「社会福祉活動を通しての宣教」
主催:地域福祉活動推進小委員会

CTIC 東京国際センター通信

ある出会い

フィリピン人女性Dさん。両親が病弱だったため、働く決意をし、カレッジを中退した。エンターティナーとしての訓練を受けた後、1991年に来日した。パスポートはプロダクションのボスにとりあげられ、東京を皮切りに地方を転々とし、鹿児島まで来た。しかし、衣類をすべてぬぐように強制されるなど、想像をこえる辛さや、恥かしさに、何も持たずに逃げ出した。かすかな記憶をたよりに千葉県に来た。彼女は少しでも両親に送金したく、日本で働く決心をし、スナックで働いた。やがてオーバースティになった。

その職場で日本人男性と知りあい、交際し妊娠した。ところがそれを知った彼は行方をくらました。彼は責任をとる人間ではなかった。彼女はフィリピン人の仲間に支えられながら働き、無事、病院で女児を出産した。彼女の生活はひどいものだった。夜寝る所がなく、友人の車の中、物置や軒の下で寝ることもあった。彼女をみかねたある日本人女性が、自分の経営するバーで働かせてくれた。

そこで一人の日本人男性に出会った。彼女は彼に好意を持ったが、彼は彼女より若かった。その後、経営者から同じ県内の別の店で働くように頼まれ、そちらに移った。ある日、彼が彼女の店にあらわれ、別に何も言わなかったが、少しゆっくりして帰り、その後、時々お店に来るようになった。
ある夜いつものように来た彼は、彼女に結婚を申し込んだ。彼は彼女の子も、自分の子として籍にいれると言ってくれた。彼の両親も賛成であると伝えた。

彼女は今までの経緯について語ったあと、「結婚したいのです。出来ますか。どうしたらいいのですか」ということでした。その時、彼女はすでに妊娠していた。「大変時間はかかりますが、出来ますよ」と彼女に伝えた。どこから手をつけよう。まず胎児認知の手続きをするように教え、彼女のパスポートの再発行を考えなければならない。幸いに、彼女は本名で入国したので、十条の入管の刑事課に行き、コンピューターで入国年月日等を調べてもらい、必要な書類を提出するようにと言われた。

一方、フィリピン大使館でトラベル・アフィダビット(旅行宣誓供述書)を出してもらい、本国から彼女の出生証明書、独身証明書、日本の結婚証明書をとり、日本の入国管理局にビザ申請を出した。手続きのための書類集めをはじめたのは今年2月末頃からで、書類をそろえて提出したのは4月末。現在は入管からの返事を待っている状態である。

この間、2人の間に男児が生まれ、母と子は彼の実家の両親のもとにいる。また、同時に彼女の子の養子縁組の書類を家庭裁判所に提出している。この子は8月末に満2歳になる。この2人が願っていることは、民法817条第2項の特別養子縁組の成立である。これは、戸籍に彼の長女と記載されることで、これまた返事待ちのこの頃である。フィリピン人女性と日本人男性との結婚は、7割は離婚といわれるほど困難なことだが、この2人が幸せな家庭生活を過ごすことを祈っている。

共同作業により連帯感・一体感を確認 〜神学生合宿報告〜

今年の東京教区神学生合宿は、8月28日から30日の3日間、伊豆大島にあるカトリック大島教会で行われました。参加者は、白柳枢機卿、森司教をはじめ、神学生養成担当の小川神父、古川神父、江部神父、高木神父、そして、神学生は稲川助祭、小林、荒川、加藤、関、福島の12名でした。今回の合宿では、大島教会の掃除から始まり、懇親会などを経てふだんあまり接することのない司教や養成担当の神父と、3日間一緒に生活を共にすることができ、とても有意義な時間を過ごすことができました。それでは、3日間の報告を記したいと思います。

初日はお昼頃、羽田空港から飛行機に乗り大島へ。大島空港からはレンタカーで教会へ。教会に着き、すぐに司祭館と信徒ホールの掃除に取りかかりました。いちばん大変だったのは、玄関のまわりの木を除く作業でした。人が住んでいない教会なので、ジャングルのように木の枝が生い茂っていました。=写真夕食は、皆で協力して海の幸をふんだんに使った手料理を作りました。夜は懇親会を経て、適時に就寝しました。

2日目は、全員での朝の祈りで始まり、朝食を済ませてから、来春予定されている神学生の聖地巡礼旅行についての説明会が行われました。ミサを終えて昼食をとり、午後は、海に行くグループと、三原山へ行くグループ、温泉に行くグループに分かれて、各々自由な時間を楽しみました。夕食は明日葉や魚介類の天ぷらを食べ、夜は昨晩と同様、懇親会を経て、適時に就寝しました。

3日目は、昨日と同様に朝の祈りで始まり、朝食をとり、帰り支度を済ませ、最後にミサにあずかり、昼食を済ませて大島空港へ。再び飛行機に乗り羽田空港へ。空港にて解散、合宿は無事終了しました。今回の合宿は、話し合いなどがあまりなかったのですが、掃除などの共同作業により、神学生と養成担当者との連帯感や一体感を確認できるよい機会になったと思います。
(福島一基神学生)

教区委員会紹介 その(6) 女性と教会委員会

「女性と教会」と聞いて、どんな印象を持たれたでしょうか。大切な問題だとお感じになった方はもちろんですが、胡散(うさん)臭そうだから「道の向こう側を通って」行こうとした方、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と思った方、あなたこそ実は最も招れているひとりなのかもしれません。

1987年の第1回福音宣教推進全国会議(NICE)で、女性と教会の問題について一つの提案がなされました。日く、「女性の参加の場を広げ、奉仕職(侍者など)、意志決定を含めた教会の運営に女性の対等な参画を実現する」。これを受けて1990年に出された答申で、具体的計画のひとつに盛り込まれたのが、この委員会の設立でした。委員会の基本的な問題意識は、次のようなものです。

私たちの教会では、女性の視点がどれほど生かされているでしょうか。男性中心の考え方や習慣が根を下ろしてはいませんか。教会でも家庭でも、共に喜びをもって生きる真に福音的な男女の関わり方は実現されているでしょうか。社会にあっても、女性はまだ多くのハンディを負っています。私たちの教会はそうした女性の重荷を理解し、痛みとして受け止め、男女の責任あるパートナーシップの確立に力を注いでいるでしょうか。

こんなことを考えながら月1回会合を持ち、過去6年間にさまざまな催しを企画してきました。東京教区の女性たちの意識調査、「豊かなパートナーシップを求めて」をテーマに、神学、心理、家庭、社会といった切り口での講演会や研修会。この2年間は、テーマを「役割分担から共生へ」と発展させ、現代教会や聖書の問いかけから女性の自立や性の問題を取り上げたり、夫婦のあり方を問う場を設けてきました。

これらの問題に対して私たちがめざましい解決策を示したり、現状を大胆に改革することはできません。それだけに地味で知名度も低い委員会ですが、とかく後回しにされがちな女性の問題に信仰の光を当て、真に福音的な男女の関わり方・生き方へと招いておられる神に一人ひとりがどう応えるか、そのヒントを見い出せるような場を提供していきたいと願っています。
皆さんのご意見、ご提案をお待ちしております。
(由呂井加寿美・恵次)

カトリック学生センター 夏の報告第一弾

IMCS第14回アジアパシフィック総会

7月27日から8月10日にかけて、IMCS (国際カトリック学生連盟)の第14回アジアパシフィック総会が香港で開催され、余語久則神父が真生会館カトリック学生センター(ONAKAMA)と横浜教区カトリック学生連盟(横浜学連)の学生3名と共に派遣された。

『めざせ新時代の学生共同体-より人間らしい社会の創造-』というテーマで、体験学習、社会分析、神学的考察と各国のレポートによる社会および学生の現状の分析、そして4年後の次回総会までのプランニングを、毎日深夜まで行った。最終的に「オルタナティブな学生共同体は…イエスの福音を今、証しする存在として、すべての被造物、とりわけ貧しい者と若者と女性が主体となる教会作りをめざし、深い霊的成長と自己発見に取り組み…諸宗教との対話を推進していく」ことを決議した。多様なアジアの中でも数少ない先進国の日本は、時には苦しい立場に置かれながらも、先進国の経験に基づく意見と、具体的・現実的な提案を行うことができた。

今後、スタディツアーや情報交換を通じて、アジア各国の学生と交流・連帯していくので、関心のある学生は余語神父(真生会館 電話03-3351-7121)まで。

WCRP諸宗教 学生サマーキャンプ

また、8月30日から9月1日にかけてWCRP(世界宗教者平和会議)の諸宗教の学生のサマーキャンプが、「よりよき地球のために-よりよき自分のために?」というテーマで、14教団から百名近い参加者を集めて、埼玉県の解脱会研修センターを会場に開催された。横浜学連、上智大学カトリック学生の会(カト学)、ONAKAMAから3人の実行委員を含む13名が参加した。

プログラムは学生自身によって準備され、講演(余語神父)や劇による問い掛けから自分の人生について考えたり、環境、宗教、差別、争いについて話し合ったりするとともに、ゲーム、バーベキュー、コンサートなどの懇親の時間も多く取られた。

時として激論を交わし、各宗派の違いと共通性を実感しながら、力を合わせることができた喜びを持つことができ、多くの参加者にとっては、楽しさゆえ、短すぎる3日間であった。対話・交流の重要性を確認し、同様の集いを企画していくことを決めた。

なお、10月6日(日)の横浜学連の学生ミサに、カト学とONAKAMAからも学生が参加する。

連続一泊交流会 96年度 第2回

「日々の生活の中で祈る〜 現代の詩編の誕生を願って」

一泊交流会の今年度第2回のテーマは 「日々の生活の中で祈る 〜 現代の詩編の誕生を願って」 を取り上げることにしました。

・講師/森 一弘・東京教区補佐司教
・日時/96年11月16日 (土)午後1時30分より
17日 (日) 正午まで
・会場/東京都多摩市落合2-31-1
財団法人・厚生年金事業振興団 「サンピア多摩」
・参加費/13000円(夕朝2食、 宿泊費込み。 申し込み金3000円含む)
・締切り/96年10月20日 (申込者が40人に達し次第締め切ります)
東京教区生涯養成委員会一泊交流会係 (〒112 東京都文京区関口3-16-15、
FAX3944-6677) まで、 郵送かファクスでお願いします。 お問い合わせも、 同係 (電話3943-2277) にどうぞ。
・あわせて宿舎の予約のため、 申し込み金3000円を、 郵便口座 (宗教法人・東京教区生涯養成委員会/00140-6-769130) にお振り込みください。 残金は現地で徴収します。 申し込み後、 参加を中止される場合は申し込み金をキャンセル料に充当させていただきます。

・主催/東京教区ナイスプロジェク トチーム生涯養成委員会

愛による世界の変革と新しい世紀を迎える準備を 平和祈願祭 白柳枢機卿説教 -千鳥ヶ淵墓苑ー

暑い8月が訪れますと私どもは、かつての戦争のことを思い起こします。しかし51年たった私たちには、だんだんこの戦争の悲劇の意識が薄くなっているのかもしれません。

このような機会にかつて教皇さまが広島で言われたように、過去を思い出して将来への責任を担わなければならないと思います。

戦争の悲劇、それを思い起こして平和への責任を担うために私たちは今日、ここに集っております。

ところで私たちが過ごしてきました20世紀、それは大変恐ろしい世紀でした。前半の50年間には、世界を巻き込むような大きな戦争が2回も起こり、たくさんの方々がその命を失いました。

また後半の50年間、形は変わり国と国との争いはあるいは少なくなったかもしれませんが、民族どうしの争いやあるいはテロイズム、そこでも同じようにたくさんの人々の命が失われています。

ごく最近でもウガンダとかブルンジ、民族抹殺の悲劇がくり返されています。また、アルジェリアでたくさんの司祭が殺され、一週間前にはそこの司教が首を切られて殺されました。いまだにこのような悲劇がくり返されています。

20世紀の特徴、それは人の命が非常に軽視され、人間が大切にされなかったことです。
今、20世紀を終え新しい世紀を迎えようとしている時、同じように過去の道を歩むならば、新しい世紀は希望のない世紀になってしまうでしょう。

20世紀も21世紀も、その主体は私たち人間です。もしも人間が変わらないなら、同じようなことをくり返すでしょう。
したがって私たちは聖なる霊に、「私たち人類を変えてください」と心から祈らなければならないと思います。

21世紀、そこにおいて私たちはもはや「われわれ日本」とか「わが国」とかというようなことではなくて、世界の人類を兄弟姉妹として生きるような時代が来ない限り、また同じ悲劇をくり返していくことになると思います。

私たちすべてのものは、神の創造に与かる兄弟姉妹、またすべての人間は神の贖いを受けている兄弟姉妹です。
神の子キリストは私たちに、「私があなたを愛したように互いに愛し合いなさい、敵をも愛しなさい」と、私たち人類が互いに大切にし合うことを求められております。

教皇さまは、たいへん現代世界についてご心配をなさっていらっしゃいます。紀元2000年の大聖年を迎えるに当たって、今こそ人類が変わること、今まで物の世界、物に大いなる価値を見出し、そのために一生懸命邁進してきた人類に向かって、それよりももっと高い価値がある愛の世界を目ざすようにと、何回も何回も訴えかけられております。

人間にとって本当に価値のあるもの、それを人類が心から求めなければならないと、くり返してお述べになっておられます。

そして、かつて日本にも宣教師としておられたあのコルベ神父をいつも念頭においておられるのです。

ご存じのように餓死刑の宣告を受けた同室のものに代わって、自らすすんで自分の命を捧げたコルベ神父を聖人の位にあげ、私たちにも命をかけて人を愛するその姿勢を求めておられます。「友人のために命を捨てるよりも大きな愛はない」、こうお述べになったキリストを徹底的に愛そうとする姿であります。

また、教皇さまがマザーテレサをたいへん大切になさっていらっしゃることも皆さんご存じでしょう。あのカルカッタの町、あるいはまた世界の至る所で人間として大切にされない人々を心からの看護、あるいは慰めを与えているグループなのです。「隣人のもっとも小さい人にしてくれたことは、私にしてくれたことと同じである」というキリストの言葉をそのまま実行している人々です。

今の時代、私たちにも同じことが求められています。世界を変えることができるもの、それは武器ではなく、あるいは国と国との条約でもなく、人々が互いに愛し合う、その愛だけです。

私たちは今、勇気をもってその道を歩んでいかなくてはならないと思います。イエスさまは弟子たちに何回も言われました。「恐れるな、恐れるな、私が側にいる」と。

私たちも恐れてはならないと思います。私たちは確かに少数です。でも、教会の始め、初代教会のあの少なかった弟子たちが世界を変えていったのです。彼らもきっと恐れたに違いありません。でもキリストのみ言葉に信頼をおき、そしてキリストの教えに従って歩み、愛の教えを全世界に拡げていったのです。

私たちにも同じことが求められています。愛によって世界を変えなければなりません。私たちはここに集うすべての者はこの使命、その責任を担っています。「恐れるな」マリアさまもあのお告げを受けたとき恐れました。ヨゼフさまも恐れました。その時、天使は「恐れるな」とくり返して言いました。今の教皇さまも教皇に選ばれたとき、ご自分は本当に恐れたとおっしゃっています。

しかし、その時キリストのみ言葉を思い出して歩み始めたとおっしゃいました。

私たちも神さまに全幅の信頼をおいて愛による世界の変革、そして新しい世紀を迎える準備をしたいものです。

そして今まで本当にこの人類が幸福になるように、そう信じて闘ってきた方々、命を失った方々のために神さまの豊かな恵みを祈り求めるようにしたいと思います。

召命祈願のための合同ミサへの参加のお願い

いつも一粒会活動にご理解とど協力をくださり有り難うございます。さて、近年恒例となりました『召命祈願のための合同ミサ』を今年も下記のように計画いたしました。教会共同体にとって必要不可欠な司祭を求めるために熱い祈りを捧げ、神さまに多くの召命をご一緒に祈願いたしましょう。ミサの後、ご参加の神学院・宣教会・修道会の神学生を交えて、パーティーを開きますので、多数の方々、特に青少年のご参加を期待しております。

・日時 11月17日(日) 午後2時30分
・場所 東京カテドラル聖マリア大聖堂
・プログラム
14:30 メディテーションアワー
オルガン演奏:竹前 光子
14:50 歌ミサ
ミサ司式:白柳枢機卿と共同司式
16:00 修道会と神学生の紹介
17:00〜18:00 パーティー(カトリック・センターにて)
一粒金運営委員会担当司祭 市川・内山・酒井神父
同 委員長 梅田 文夫

編集部から

半年間の研修、休養が、あっという間に終わり、何か休み足りない気持ちが残っている状態が続いていますが、今号から編集部の仕事に復帰しました。休むことに罪悪感がある人が多い中にあって、つくづく私は、人間は大いに休むべきだと実感しています。人間は、ホモ・サピエンス(知的能力がある)であると同時にホモ・ルーデンス(遊ぶもの)の要素も持っているのですから、大いに遊ぶ時間を作って生活の中に生かしたいものです。休養してみて、ますます遊びの大切さを知りました。これからは、この教区ニュースも、遊びの「間」のような感覚を大事にしていこうと考えています。(もんま)

教区ニュースの編集部は、1カ月お休みをいただき、「ほっ」と一息。すばらしい夏休みでしたが、あのO157で少々ヒヤヒヤしながら過ごしました。皆様はいかがでしたでしょうか。聞くところによりますと、教会学校のサマーキャンプでは、カレーライスを作るための水は、ミネラルウォーターを使ったとか、早く切りあげて帰ったとか、いろいろな苦心策があったようです。そういう理由があってか、お休み前に募集した「サマーキャンプの記事」は、一件も届きませんでした。今月号の校正をやっているそばでは、子供達が元気よく土曜学校のスタートをきりました。その声をききながら、私達も背中を押されるようにして仕事をはじめています。皆様のご意見も載せていきますので、どしどし編集部までお寄せ下さい。東京教区全員参加の教区ニュースにしていきましょう。

最近ワタシが凝っているのがエスニック料理の食べ歩き。それもアジアや中南米あたりがターゲット。この料理はあそこの国の味に似ているなとか、隣どうしの国なのに辛さが全然違うねとか、食べるたびに新しい発見がある。食文化はその国の人々の生活が凝縮されているから、見知らぬ国もその素顔に触れたようで、急に身近な存在に感じられて楽しい。探訪先はHANAKOなんかを見て決めるのだけど、いろんな雑誌が特集するだけあってどこも若い人でいっぱい。予約してないからダメなんてこともしばしばだけど、値段がリーズナブルでしかもおいしいから当然だよね。今夜はどこに行くって?エヘヘ、トルコ料理だよ〜ん!

都合により、ずーむあっぷ、教会巡りは休載いたしました。