東京教区ニュース第135号

1996年08月01日

30年にわたる準備が実り本郷教会献堂式を迎える

5月16日、本郷教会(主任本多清次神父)は、30年に渡って歴代の主任司祭と信徒たちが準備を重ねた新聖堂、司祭館・信徒会館が完成し、新旧所属信徒が聖堂に集い感謝のミサを捧げた。ミサ後レイホールで内祝いの会が行われ、喜びを分かち合った。

また、23日午後2時から、白柳枢機卿によって、献堂ミサと祝賀会が行われた。教会再建の経過を本郷教会債権委員会朝倉孝吉委員長は次のように記している。

☆ ☆

教会再建の経緯

旧聖堂、 司祭館、 幼稚園舎共に老朽化の進行が見られていたため、 平田神父の第2回目の在任中 (昭和37年~昭和47年)、 聖堂再建のため再建基金献金が開始された。 当時、 再建さるべき聖堂の外観スケッチと献金額の棒グラフが聖堂に掲示され、 信徒たちはその完成を楽しみにしていた。

昭和47年、 内山神父が着任され、 司祭館の一部天井が落ちるなどその老朽化が著しいうえ、 各種集会を幼稚園舎で行う不便さを解消するために、 司祭館・信徒会館の再建を聖堂より先行することとなり、 昭和47年12月に裏の空き地にその完成をみた。 この建築費は、 積み立て中の再建基金で賄われた。

その後、 聖堂再建の具体案のないまま推移し、 献金も一時中断したが、 後に再開され今日に及んでいる。

昭和51年に柴田神父が着任され、 信徒から再建についての提案が1、 2みられたものの熟さずに推移した。

昭和62年、 関戸神父が主任になられ、 同63年から再建に関するいくつかの具体案が三菱信託や大手不動産会社の協力で作成された。 その案は、 教会の周囲の教区所有地を含めて、 教会・司祭館・信徒会館・幼稚園および店舗・住宅等を収納する地下1階地上17階 (一案は地上2階) の高層ビルで、 土地信託方式、 等価交換方式などの開発方法が慎重に検討された。 しかし、 これらは種々の複雑な問題もあり、 やはり聖堂、 司祭館、 信徒会館のみを再建、 幼稚園は閉園という結論に達した。 これは、 大司教の意向に沿うものであった。

そこで、 昭和47年に建設された司祭館・信徒会館の敷地を売却し、 その資金を再建基金に加えて聖堂などを再建することとなり、 大司教の了承を得られた。 当時はバブル期にあり、 地価は高騰しており、 裏の土地売却で再建費は確保されるとみられた。 この案を検討し、 最終段階に入る直前に関戸神父が帰天され、 計画は一時停滞のやむなきに至った。

平成4年1月、 本多清次神父を主任としてお迎えし、 同年7月には新たな再建委員会が組織され、 大司教館の了解を得ながら再建計画を推進、 平成5年には具体的計画をつめる一方、 裏の土地の価格を大手企業3社に調べていただいた。 関戸神父時代に比べて地価の下落は著しく、 半値以下となっていた。 それでは到底再建は不可能であるため、 時期を待つこととし、 しばらく静観することとした。

平成6年に入り、 幼稚園との関係、 建物老朽化の進行、 加えて公益法人に対する課税問題も先行き不透明などの事態もあり、 再建を急がねばならぬ事情が発生、 しかるに客観情勢からみても地価の上昇は当分望めず、 問題解決を図る必要が生じた。 そこで、 地価の高い表通りに面した聖堂がある土地の一部を売却して建築せざるを得ないとの結論に達し、 平成6年3月、 大司教の許可と教区財務委員会の了承が得られ、 再建がすすめられることとなった。 具体的には、 日本信販株式会社に土地を売却して得た資金と積み立ててきた再建献金をもって聖堂、 司祭館・信徒会館を再建することとなり、 施工は鹿島建設株式会社にお願いすることとなった。 幼稚園は既に決められていた通り、 平成8年3月には閉園することとなった。

平成6年12月のクリスマス後に聖堂、 信徒会館を解体し、 平成7年1月から始められた文化財発掘調査終了を待って同年4月起工式がとり行われた。 それ以降、 近隣対策、 電波障害に対する対応なども無事に進行し、 ようやく竣工の日を迎えることとなった。
この間、 藤和ビルの仮聖堂におけるミサにあずかる信徒数が全く減少せずに推移したお恵みに心から感謝を捧げたい。

このように平田神父の時代から発足した教会再建構想は、 30年を経過してようやくその完成をみることとなったのである。

その間、 常に変わらぬ暖かいご指導を賜った大司教はじめ大司教館の皆さまと泉合名の皆さまのご配慮、 本郷教会の平田、 内山、 柴田、 関戸神父のご指導と本多神父のご努力ご指導、 教会の信徒皆さまのご協力、 日本信販、 鹿島建設をはじめ関係諸会社の行き届いたお心遣いに、 改めて感謝申し上げる次第です。

(献堂記念誌より 本郷教会再建委員会委員長 朝倉孝吉)

安田大阪大司教から阪神・淡路大震災救援金についての
報告とお礼

阪神・淡路大震災大阪教区救援本部長・安田久雄大阪大司教は、5月10日付で阪神・淡路大震災救援金についての報告とお礼を救援・支援を行った団体等に送付した。

震災救援金の収支報告によれば、団体別収入合計は、951,986,934円、その内東京教区からの援助金は71,470,439円であった。

同大司教の報告とお礼は次の通り。

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ご支援いただいたすべてのみなさま

阪神・淡路大震災に襲われて1年6ヶ月、まだ精神的にも物質的にも立ち直っているとは言えない現状ですが、この間に皆さまから頂いたご支援と、それを以下に使わせていただいたかをご報告申し上げ、改めて感謝を表明いたしたいと存じます。また、救援活動はまだまだ継続いたしますが、これをもちまして救援金の募集を終了させていただくこともお知らせ申し上げます。

地震の被害も予想を上回るものでしたが、皆様からのご支援も予想をはるかに上回るものでした。ここにご報告できるのが、お金としていただいただけであることを大変心苦しく思います。ボランティアとして駆けつけてくださった方がたがいらっしゃいました。今も続けてきてくださっています。物資を送ってくださった方々もいらっしゃいます。目に見るものではできないがとお祈りをしてくださった方々もいらっしゃいます。被災した方々に仮住まいをご提供くださった方々もいらっしゃいます。また、お手紙や絵などでお見舞い下さった方々もいらっしゃいます。

ご自身が被災されたのに、その中で救援に携わってくださったお近くの方々から、遠く沖縄、北海道の方々まで、そしてアジアからヨーロッパやアメリカに至るまで、日本の一地域で起こった地震災害に心を痛めてくださった方々がいらっしゃいました。

これらすべての皆さんのことを心に思い浮かべながら、「震災救援金の収支報告」に下だってご報告をさせていただきます。

お送りいただいたお金(「団体別収入明細」)について

私共は、このたびの震災に際して、救援金としていただいたお金は教区内の諸小教区の復興等には使わないことにしておりました。と申しますのは、お送りくださった方々が、私どもの教区を通じて、教会に関係あるなしにかかわらず、被災した方々の救援に役立ててほしいとのご意向をお持ちになっていると考え、その趣旨で使わせていただくことにしました。しかし、修道院など純粋にカトリックの施設の為にも使わせていただきたい旨おことわりいたしました。そして、被災した諸小教区の復興は、被災の有無に関わらず教区内のすべての小教区に搬出金をお願いして(それは「新生資金」と呼んでおります)、それをあてることにいたします。お送りくださる方が、教会の復興に使ってほしいとのご意向をお示しくださった場合には、そのお金を新生資金のほうに入れさせていただきました。この新生資金につきましては、改めてご報告させていただきます。(中略)

「目的指定献金」は、特に○○の為に、と目的を指定してくださったものです。一番多かったのが「鷹取教会のために」でした。「大阪教区内小教区」は、新生搬出出金のほかに救援金として送ってくださったものです。

前記凡て個々のお名前を省かせていただきました。申し訳ありません。

使わせていただいたお金(「用途別支出明細」)について

つぎに、使わせていただいたお金の内容について館単にご説明いたします。

大きく分けて、救援活動費と援助金になります。救援活動費は、私共が教区として行ってきた救援に要した費用です。救援費は、修道会と事業体の2次災害防止、仮設建物建設、修復等を援助した分です。(中略)

救援金の募集を終わることは、救援活動を終了するということではありません。「未執行額」が1000万円以上ありますので、これで救援活動を続けてまいります。

ご支援に対して充分なご報告ができないことを心苦しく思いますが、ご報告とお礼にかえさせていただきます。神様がすべての方々に豊かにお報いくださいますように。
1996年5月10日

6月30日 教区教会委員連合総会開催

6月30日、午後2時から、東京大司教区教会委員連合会が開催された(当番教会は松原教会)。

この会は教区教会委員の修養、相互の親睦をはかり、各教会の連携を緊密にすることを目的に年2回開催されている。

当日は、各小教区の教会委員会の代表200余名がカテドラル構内に集う中、第1部ではシェガレ神父の講演会「世界の動きの中の日本の教会」、第2部では白柳枢機卿と森司教の霊名の祝賀会が行われた。

☆ ☆

シェガレ神父講演

「世界の動きの中の日本の教会」
~意識変革と活力回復へのチャレンジ~

シェガレ神父 (パリ外国宣教会、 社会問題研究所) は、 「世界における教会の動きの原点は、 第2バチカン公会議の打ち出した方向、 理念すなわち、

1、教会内、 外に対話の姿勢
2、近代社会との和解
3、世俗のただ中に生き、 交わ りのしるし、 証しの民とし ての教会理解
4、全員参加の教会
5、みことばとキリスト中心の 教会
6、多様性の中に一致を目ざす 教会づくり

などであるが、 公会議以後の実際の経過は、 大楽観から大混乱へというものだった、 これはなぜだろうか」 と問題提起し、 各大陸の公会議の受け止め方、 その後の動きにふれた後、 「世界レベルのカトリック教会の課題」 と 「世界の動きの中の日本の教会」 について述べた。

世界レベルのカトリック教会の課題

第2バチカン公会議の精神を発展させ具体化するための課題は4つあると思います。

1、意識化の動きを担う信徒の新しいタイプの自主運動 (活動団体) が必要であると思います。 すばらしい権利、 理念を知っていても、 なかなかそれを具体化しないし、 信徒の中に目標意識が出ないのではないかと思います。

今世界の教会をみると、 確かに信徒の参加は増えていますが、 同時に各国の司教団、 司祭団の指導のもとにまとめられてきたという気がします。 悪いことではありませんが、 自主的な動きではなく、 指導のもとに動いているというのは、 大きな発展の妨げとなっていると私は思います。

2、第2バチカン公会議の意識化、 啓蒙化、 合理化によって抑制された一般的な信者の宗教願望 (例えば、 神秘的なものを見たいとか、 超能力に興味をもっているとか)、 土俗的な処理と生かし方が問題になります。

一般の信徒は、 教会に何を望んでいるかというと、 パワー、 力を求めているような気が私はしています。 教会に行けば元気になる、 力を得られた、 自分が強くなった、 自分の中にある力を開放してほしい、 特に若者はそう思っています。

教会の中には若者のエネルギーの発散場所がないのです。

3、信仰生活の活性化、 霊性の開放が大きな問題ではないかと思います。 まじめな敬虔けいけんな信徒の方は、 残念ですが、 元気がないのです。 教会のなかでのパワーの源を探して開放していけばと思います。 例えば、 典礼、 カリスマなど。

4、福音価値観と矛盾しない国家主義でもない自由主義でもない第3の道の模索と提供です。

世界の動きの中の日本の教会

第2バチカン公会議とヨハネ・パウロⅡ世が打ち出している理念を忠実に受け止めている日本の教会は、 ある意味で優等生ではないかと思います。

福音宣教推進全国会議 (NICE) の司教団の文章をみると、 第2バチカン公会議、 また、 今の教皇の主張に沿っているものだと思います。

しかし、 それがどうして教会に浸透しないのか、 一般信徒に浸透しないのかを考えてみますと、 私の勝手な思いですが、 次の3点があげられます。

1、小教区のなかにはまだまだ 「村的共同体の力があまりにも働きすぎる」 のではないかと思います。 どの教会をみても行事が中心で、 信徒の全エネルギーが費やされている気がします。

確かに 「村共同体の力」 も認めています。 「村共同体」 だからこそ、 今の小教区はつぶれません。 日本の教会の強みは 「村社会」 の強みです。
ただ、 それを閉鎖的にすると排他的になり、 一般社会との有利や他人まかせ主義になります。

2、運動 (ムーブメント) の意識や感覚が欠けていると思います。

皆、 「共同体」 「分かち合い」 「共有」 といろいろ言うのですけれども、 共同体に対する所属観は強くてもひとつの運動に属しているのだという意識はあるのでしょうか。 ムーブメントとしての教会の側面を見直すべき時期に来たのではないかと思います。

3、最後に日本の教会の直面している問題は、 官僚化の傾向です。 特に若者は教会に行っても管理されていて、 自分のものではないと感じています。

「誘惑に陥らぬよう、 目を覚まして祈っていなさい。 心は燃えても、 肉体は弱い」 (マタイ26-41) を引用し、 目を覚まして祈ることが 「真の意識化」 の意味だと強調して講演を締めくくった。

霊名の祝賀会で

カトリックセンターホールに場を移した霊名の祝賀会の席で白柳枢機卿は 「シェガレ神父が問題提起した、 福音の価値観と矛盾しない第3の道は、 物より人、 技術よりも倫理、 肉体よりも心が尊重される教皇様が 『愛の文明』 と呼んでいるような世界を皆が作りだすものだと思います」 とあいさつされた。

また、 森司教は 「最近何人かの主任司祭が病気で療養しています。 代わりの司祭を送ることが難しい状況に対して近隣の教会の協力に感謝をしたいと思います。

司祭の高齢化と召命の減少に近隣の小教区が助け合えるように信徒の目覚めをうながしていただきたい」 と感謝の言葉を述べた。

ずーむあっぷ
インターネットにおける福音宣教の研究のために
ホームページを開設 女子パウロ会のシスターたち

女子パウロ会というと、 何を想像なさいますか? 「本-出版社」 「教会に本を売りに来る」 などなど

女子パウロ会が教会の中で負っている使命は、 一言で言うと 「社会的コミュニケーション手段を使って福音を告げる」 (会憲1条) ということです。

しかし、 社会的コミュニケーションなら、 何でもよいというわけではありません。 「進歩が提供し、 時代の必要と状況が要求する、 より迅速で効果的」 (会憲3条) な社会的コミュニケーションなのです。

今世紀の初めに女子パウロ会が創立されたころ、 人々に一番影響を与えた手段は、 印刷物でした。 その後、 映画、 テレビ、 ラジオと効果的で迅速な手段が次々に開発され、 私たちはそれらメディアの恩恵に浴しています。

さて、 マルチメディア時代、 情報化社会といわれるこれからの時代において、 効果的で速く人々とコミュニケーションできる方法とは何なのでしょうか?

今、 だれもがふれたい、 見たい、 アクセスしたいというのが 「インターネット」 です。

大企業から個人まで、 ホームページからだれでもが情報発信し、 画面に書き込むだけでお中元の注文ができたり、 また送信ボタンを押すだけで手紙を送れます。 今、 人間はコンピューターの前に座ったままで、 地球上のどことでも、 リアルタイム (同時性) でコミュニケーションができる時代に入りました。 この 「効果的かつ迅速なコミュニケーション」 手段で福音宣教を…… インターネットにおける福音宣教の研究のために、 女子パウロ会もホームページを作りました。

名前は 「laudate (ラウダーテ)」。 神をほめたたえよという意味です。 「みな、 わたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう」 と、 イエスが疲れた人々を招かれたように、 このページに来て下さった方が、 ホッとするものを感じ、 「なんだか元気がでてきたぞ!」 と言っていただける、 そんな心のふれあいができるページ作りをめざしているとのこと。

森司教をはじめ、 多くの方々のご協力でできあがっています。 URL(ホームページのアドレス)は、
http;//www.tosho.co.jp/paulineです。 ぜひ、 一度アクセスしてください。

問い合わせは
TEL5474-7494
FAX5474-7495

東京教区生涯養成委員会主催
第2回小教区協同体奉仕者及び教会委員を対象とした研修会
小教区共同体における信徒・司祭・修道者・司祭の共同責任の実現を目指して

6月18日第1講座 教会典礼の基礎知識

関根英雄神父

関根神父は、 「典礼は祈りか儀式か」 と問題提起をし、 「ミサは復活のキリスト (救いの神秘のシンボル) を表すものであり」 「復活のキリストに出会うことが秘跡である」 と述べ、 さらにミサの源泉を歴史的に解説し、 集会司式者、 聖体奉仕者の姿勢についてもふれた。

キリストの心と主日に集まる意味

誰でも祈ります。 個人的なお願いが多いかもしれません。

キリスト者は日々もっと祈ります。 が、 時には、 「み名があがめられますように」 と祈るよりも、 自分の思いの達成の祈願や嘆願で終わっているかもしれません。

キリストの心に触れるように、 救いの恵みを味わうように祈っているでしょうか。

それで、 主キリストは祈りの道を教えて下さいました。 神のことばで祈ることを。

そのお陰で、 私たちの経験は、 一人で祈るだけ、 家庭で祈るのみでは人間の思いのレベルを超えられないという厳しい事実も知っています。

主イエスは、 主の最後の晩餐で神の計らいと人間の思いが出会う恵みの 「場と時」 に、 どのように祈るかを制定されました。

私たちが意識しようがしまいが、 創造の時以来、 神のことばは時間と空間を超えて躍動しています。 一人ひとりの生命に吹き込まれている神の霊は、 日常生活の中にも共におり、 祈りや典礼のときには一段と力強く働いています。 日々の祈りと主日のミサは聖霊の助けによって一つに結ばれているのです。

「一人一人の祈りが教会の祈りへ」 発展するポイントを簡単に要約してみます。

典礼における第1のリズムは

主のみ名において集まることです。

キリスト者の共同体の特徴は、 個々の祈りに加えて主の日に集まることです。 集うことで既に、 神の存在・業を証ししています。

第2のリズムは

聖書と伝承を通して語り続けられる神のことばを聴くこと。

キリスト者の共同体は、 人間とは何か、 神は今我々に何を望んでいるのかを、 知ることが求められています。

第3のリズムは 預言者の役です。

神のことばは、 慰め、 癒しそしてゆるし与えることだけではなく、 どう生きるかを示すしるしとなることです。

キリスト者の共同体は、 世界の風潮に迎合してはいけません。 いや、 神の国の恵みに強められて、 神の計画とは反対の方向に流される世の中の動きを軌道修正することです。 それは個人ではできないことです。

第4のリズムは 成長することです。

キリスト者の共同体は永遠の宴の神の国へと発展します。

祈りの頂きは、三位一体の交わりに生きることです。

永遠のいのちを知ることです

己の殻から脱皮し、 不安や恐れを超え、 罪をゆるされ、 神に出会い、 喜びにあずかることです。 真のコムニオの体験です。

第5のリズムは キリストと共に日々生きることです。

キリスト者の共同体は主イエスの救いの業を告げる使命があります。 神のことばの証人となることです。 神のイニシアティブ、 導きのもとで歴史の中で事実として起こった出来事を人々に思い起こさせる責任があります。

共に典礼を深めていく上でのポイントとしてまとめて見ましたが、 活字で見ると分かりにくいかもしれませんが、 このような点は実際に私たちは毎日すでに実行しているのです。 主イエスが望んでおられることは決して難しいことではないでしょう。

キリストのより寛大な心と愛に信頼して、 まことの礼拝と信仰を伝え、 生きる道を共に建設的に探りながら祈りと分かち合いをしましょう。

CTIC(東京国際センター)

8プラス7!

平日の朝ミサに来ているシスターたちに質問したんですが、 みんな知りませんでした。 東京教区のなかで日本人信徒と外国人信徒の比率は何対何か?と尋ねたんですよ。 たとえば30対1とか、 50対1とか。 日曜日のミサの風景を想像しますから、 だいたいの割合がわかるような気がしますよね。

日本人信徒8万人、外国人信徒7万人

みなさんの教会ではどうでしょうか。 実は日本人の信徒が約8万人、 そして外国人の信徒が約7万人いるんです。 だから正解は8対7です。 でも競争相手じゃないんだから8プラス7で15、 トータルで15万人。 こう考えてから出発すると前向きな気持ちになるんじゃないかな。

この比率は誰も知らなかったと思うんですが、 知らなかったのは私たちの怠たりのせいだとも考えるようになりました。 だって日曜日のミサで聖堂の後ろにフィリピン人らしい人がいつも5、 6人すわっているとか、 バザーの時にスリランカコーナーがあってその時は10人くらいでやってたから……などと思い出すくらいですよ。 私も50対1くらいのものだろうとタカをくくっていました。 あるいは外国人がミサに現れない小教区の方であれば見当のつけようがないでしょう。

外国人は教会刷新のパートナー

東京教区として、 またひとつひとつの小教区は、 これだけ増えている外国人信徒に対して責任があるわけです。 信徒も司祭も司教もこの気持ちを持ち始めています。 外国人は司牧の対象ではなく、 教会刷新をすすめるパートナーであり、 友人であり、 教会の希望となる特別な恵みではないでしょうか。

小教区のなかで外国人にかかわる人がかなりおられますが、 ひとりで問題を背負って奮闘し、 疲れて参ってしまうこともあります。 まず司祭に知らせ、 またその小教区全体でかかわる姿勢をもつようにしたいものです。

「べき論」 は避けなければいけません。 一番大切なことは、 彼らも私たちと同じく日本で生活している人間であるということです。 「べき論」 は一見正しいのですが、 外国人を十把ひとからげにみなして、 かかわることから逃げる口実や冷たい命令口調になりがちです。

“かかわるキリスト者”になる

かかわり方も体験を重ねながら学べますので、 だからこそ一人だけで対応しない方がよいのです。 ところで、 かわいそうだからの一点張りでやってしまう、 これも考えものなんです。

本人ができる部分は任せておき、 こちらで支えられるところを見極めながらすすめてゆけば、 お互いに学び合うことにもなるのです。 必要に応じて、 入管、 役所の窓口へ行ったり、 病院、 本人の会社へ連絡を入れたりして手さぐりながら、 ノウハウをつかんでゆくのです。 ひとつひとつ体験して自信がついてくれば教会の力となります。 CTICも毎日がチャレンジの連続です。 いろいろな場面で教えられます。 カトリックの看板で行動しますから親切にしてもらうこともあり、 今さらながら、 教会はもっと社会に打って出る使命があると痛感させられます。 先進国の中に存在する教会としてはあまりにもナイーブな側面が強いと批判されているとしても、 7万人もの応援団を味方につけたからにはもっと学び、 もっと刷新に励み、 8プラス7の恵みを畑に埋めてビクビクするのではなしに、”かかわるキリスト者”になってゆけるよう、 お互いに養成し合ってゆきましょう。 CTIC亀戸相談センターにどうぞお茶でも飲みにおいで下さい。 合い言葉は、 8プラス7!です。

(秋保真理夫神父)

ニコラス神父講演
司祭との関わりにおける信徒の意識改革について(4)

(134号からの続き)

私たちは司祭との関わりの中でどういう意識変化が可能なのか

いくつかのポイントを指摘してこの話しを終わりたいと思います。

≪第2バチカン公会議の精神≫

もう一度私たちがバチカン公会議の直後にあった 「活気」 的な精神を得なければならないと思います。 自分の信仰の責任、 自分の信仰の深さを借りたものではなくて自分のものにするということです。

それから聖霊の賜物を意識して深めることだと思います。 信仰の活気、 聖霊の賜物、 信者として神の子であることに自己尊敬を得ることではないかと思います。

すべての秘跡の土台は日常生活にあります。 私たちはキリストのものであるから、 洗礼を一生涯生きること (信仰生活) ができます。

私たちが日常の中で神の聖霊の賜物をいただいているから、 神の霊のもとで生きることができ、 私たちの生き方が神に捧げる生き方であるから、 聖体の時、 私たちが司祭とともにパンと葡萄酒を捧げることができるのです。

私たちが互いに許し合うから、 神の許しを体験することができるのです。

秘跡は私たちの信仰生活の糧であると同時に、 信仰生活の表現でもあります。

秘跡の豊かさは日常生活の中にあります。 どこでも、 誰でも、 いつでも。

結婚の秘跡は結婚式ではなく、 夫婦の一生涯に波があっても、 罪があっても、 弱さがあっても、 そこに神の愛が生きていることを、 私たちがもう一度意識の中にいれる必要があります。

神はともにいらっしゃる神、 遠い神ではなく、 いつも英雄的なことを要求する神ではなく、 私たちとともに毎日働いていらっしゃる神、 毎日のようになぐさめ、 恵みを与えてくださる神であります。

≪信徒から聖職者が取ったもの≫

教会の奉仕は皆に賜物があって、 皆が奉仕する力があります。 いつのまにか歴史の中で聖職者がその責任性を取ってしまったのです、 12、 3世紀のヨーロッパの特にローマとドイツの皇帝の緊張関係のためです。

いろいろな奉仕を分かち合っていたのですが、 いつのまにかヨーロッパの出来事によって、 公の任務は全部聖職者が取ってしまったのです。

信仰がだいぶ受け身になってしまったのです。

神の霊は自由ですから、 ずいぶん信徒の中からいろいろな運動が始まっていきましたが、 いつのまにかその運動が修道会になってしまって、 修道者が信徒の霊性を取ってしまいました。

ほとんどの修道会の出発は信徒の運動でした。 やはり足りないところがあって霊に動かされてなにか始めたけれど、 いつのまにかそれが形を取って修道会になつてしまいました。 だから霊性といえば修道会、 任務といえば聖職者 (司祭)、 教会の責任は全部いわゆるhigh church 、 聖職者の中で地位の高い神父たちが取りました。 これは、 もう一度言いますが、 意図的ではなくて歴史的な理由があったのです。

教会の責任は、 司教、 司祭。 聖霊のカリスマはまた特別な目立つような賜物のある人たちだけが 「あの人はカリスマティックな人だ」 と、 特別なものとして認められたこともありました。 神秘化され、 普通の信者は自分にはカリスマがないかのように思ってしまったのです。

最後に、 教え-信仰の深みを神学者が奪ってしまいました。 奪うつもりはなかったのですが、 実際には神学といえば学者のことです。 言葉も難しくなったし、 皆さんは神学者を教会に呼ぶとき、 みんな構えて顔が固くなっています。

もともと、 今申し上げたことは、 皆共同体のものだったのです。

奉仕は皆のものである、 聖霊の賜物は皆のものである、 責任は皆のものである。 皆のものであるからこそ、 司教も司祭も必要です。 司教は皆をまとめて監督し、 指導する役割です。 司祭もコーディネートする。 いろいろな賜物を認めてそれを生かすために、 誰かがその役割を果たさなければなりません。

神学も共同体のものです。 信徒の信仰のセンス、 キリスト的なものの感覚、 感じ方が信徒にあります、 神学者は大事なデータとしてそこから神学をまとめる役割があります。
これを忘れれば、 学校の神学となってしまいます。 生活の中で信仰を深めるのではなくて、 学問の中の遊び、 活動となってしまいます。

信仰感覚の中に聖霊が生きていくのです。

トリエント公会議では、 はっきりと啓示について、 「福音は信者の心と新約聖書にある」 と言っています。 ですから信者が聖書を心から読むとき、 そこにキリストの出会いがあります。 その聖書の読み方が大変意味が深いのです。 時には学者の読み方より深いかもしれません。 心とみことばとの出会いの間に、 私たちの意識変革の点があると思います。

歴史にあった残念な出来事から今解放されて、 バチカン公会議からNICEと、 もう一度私たちがキリストの弟子として、 みことばの弟子として、 教会の肢体という意識を深める時代が来たと思います。

≪信仰の責任≫

私たちは信仰の責任を取ることが必要だと思います。 心から聖書を読む。 どうすればいいのでしょうか。 読み方がわからなくなったら、 しつこく主任司祭に言ってください、 主任司祭に頼んでください、 「私たちはもっと聖書を読みたいので教えて下さい、 あるいは教える人を呼んでください」 と。 ただ頼んで司祭が応えてくれないとあきらめてしまうのは、 責任を取ることにならないのです。

聖書をもっと親しく読みたい、 心から読みたい。 学問的な読み方はいいのです。 それは司祭が背景として勉強すればいいのです。 私たちが日常生活のために、 簡単に心から聖書の宝を発見していきたいと、 その方法を習いたいと、 それが司祭から来なければ自分でその責任を取っていくわけです。

すべてを司祭から期待するのは無理な話です。 皆限界がありますが、 皆で補い合うとすれば、 教会はいろいろなことが可能になります。

あるいは、 いろいろな祈り方を教えて下さる人を呼んで、 または自分たちで分かち合って、 苦しむときの祈り方、 安定しているときの祈り方、 口に出して祈る、 黙想する祈り方を学ぶ、 神との接触の可能性として 「自分で責任をとって」 行うということに、 ポイントを置きたいと思います。

このためには傍観者、 オブザーバーではありえない、 受け身ではありえない、 積極的でなければ出来ないことだと思います。

≪生きた典礼≫

同じように生きた典礼を要求する。 自分の子どもが教会に行かなくなるということは教会全体の大きな責任だと思います。

自分の子どもが典礼はつまらないと言えば、 これを慎重に司祭に聞かせる必要があると思います。 もっと生きた典礼、 あるいは若い人たちの特別な典礼を時々やってもいいと思います、 または子どもたちのために。 子どもたちは大人のミサにあずかることはとても苦労します。

だから、 大人になったときもう十分だと教会に行かなくなります。

「泣き部屋」 は解決にはなりません。 子どものニーズに応えていないのです。 子どもが喜んで教会に行ってよかったという体験がほとんどないのです。 ある教会に特別にうまい神父がいれば別ですが。

これが私たちの責任でもあると思います。 意識変革ということが、 本当に自分が信者の大人として生きるということは簡単であると私は思いませんが、 そこに私たちの信仰が発展すると思います。

それから司祭とともに、 自分あるいは他の信者の恵みを発見していく。 特に現代の孤独を深く味わっている多くの人々の問題は、 自分が評価されていないということです。 誰にも、 主人にも、 奥さんにも、 自分の子どもにも、 会社でも、 教会でも。

だから、 自分の生きがいもいつのまにかわからなくなってしまうし、 自分の価値がどこにあるかわからない。 そこに聖霊の賜物をお互いに発見しあって、 励ましてそれを活かす、 それが教会の大きな責任ではないかと思います。 お互いの責任です。 その中から司祭との関係を考え直すのです。

どのように司祭との関係を考え直すか

では、 どういう風に再定義をすれば良いかと言えば、 たぶん教会によって、 地方によって違うかもしれませんが、 根本的ないくつかの言葉だけ申し上げましょう。

1、まず、 協力の関係です。 協力は縦ではなくて、 横の関係です。 パートナーシップです。

皆キリストにおける兄弟姉妹である、 キリストにおける協力者である。 だから皆同じ責任にあずかる、 同じみ言葉によって養われる、 同じ神の祈りのうちにお互いのことを関心を持って祈りあうのです。

2、この協力はお互いの信頼に基づいているのです。

3、また協力は、 流動的であるはずです。

固く考えるのではなくて柔軟的に、 流動的に協力しあうのです。 私たちの協力がうまくいかないのは固く考えいる場合が多いのです。 「これは私の責任だから、 誰もいれさせない」。 他の人は別の責任、 そうなるとお互いに助けあうことが出来なくなります。

4、それから、 相補的な協力、 バランスのある、 調和の取れた協力からいろいろな可能性、 いろいろな役割が生まれ、 その協力によって、 一緒に教会をたてていくのです。

協力によって福音宣教にも皆、 関わることになるのです。

協力によって日本の文化にも福音の価値観を生かしていきます。 それから、 社会人として人間として社会問題と関わるのです。

教会は自分のためではなく、 神の国のために、 社会、 文化のために、 皆の柔軟的な協力がなければ難しくなります。

そのために、 司祭が学ばなければならないことは多いと思います。 まず聞くことです。 司祭の養成、 修道者の養成、 あるいは司牧の養成は、 いつも聞く耳から始まります。 夫婦生活もそうでしょう。 一番弱いのは聞くことでしょう。

司祭は謙遜に聞いて信徒の方と協力することです。

5、また信徒は司祭に責任をとっていただきたいと思います。

司祭を自分のケアーの一人と考えていただければ教会のためになります。 司祭はオールマイティでもなく、 聖人でもなく、 全能者でもありません。 すべてのタレントが備わっている人でもありません。 限界もあります。 欠点もあります。

だから、 私たちを指導する責任をとっていただきたいと思います。 私たちがうまくいかないときに助言してくれる、 間違ったとき注意してくれる。 人を閉鎖的に考えるか、 ある特別な人のことだけを聞いて他の人を無視するとかではなく、 共同の責任、 お互いの責任にするような教会は元気な教会になるのです。

6、あるいは、 召し出しにも積極的に関わって下さること、 あるいは司祭の養成にも声を出すことも必要です。

司祭は信徒のためだから、 信徒とともに働くためだから養成にも積極的にかかわる、 そこから新しい関係ができてくると思いますね。

7、それから司祭をゆるし、 チャレンジし、 指導する。 これは遠慮する必要はないと思います。

日本の教会では、 文化的な要素もあるのでしょうが、 遠慮しすぎると思います。

司祭だからといって黙っている、 あるいは静かに他の教会へ移っていく、 こういうことは文化的に分かりますけれど、 元気な教会をたてるためにはならないのです。 私たちには助けがいります、 司祭も弱い人間です。 これを前提にしていただきたいのです。

8、それから小教区を自分の活動の場に縮めないで下さい。

自分の信仰生活の場は、 小教区ではないのです。

社会の中で働くのは自分のエネルギーの60%、 家庭生活、 友達関係30%、 小教区は10%にすれば、 100%は信仰のためになります。 この割合だと100%は神のため、 60%は社会のため、 会社、 政治問題、 文化関係、 30%は人間関係、 家庭、 友達、 10%は教会、 10%だったら教会は元気になります。 特に自分の日常生活が元気になることが大事だと思います。

福音宣教は私たちの生き方全体に関わってきます。

バザーも資金集めのためには結構ですが、 私たちの福音宣教は毎日24時間です。 自分の信仰を元気に生きるとき、 福音宣教に関わることになります。 人間関係の中で、 仕事の中で、 価値観の危機のときの識別の中で、 福音の証が生かされていくのです。

終わりに

最後に皆さんのように、 教会のために特別な役割を与えられた人-教会委員会とか普通の教会の任期は2年ですが、 それも大事だと思います。 それによって他の信者が福音宣教に励むことができますので、 2年間そこで頑張って犠牲をはらってください。 大きな貢献とともに、 大きな責任です。 また、 教会の方針に影響があるので、 しっかりした意識変革の場として考えていいのだと思います。 自分の小教区に新しい司祭と信徒の関係を提言でき、 新しい関係が生かされるような意識があいまいにならないで、 元気になるような信仰生活の原動力になるためだと思います。
(完)

教会学校リーダー研修会
「雨に降られて慌てないために」
教会学校委員会主催

「あっ、 雨だ。 どうしよう」
こどもたちとのキャンプの時、 急に雨に降られて慌てたことはありませんか。

東京教区教会学校委員会では、 恒例のリーダー研修会を 「夏のキャンプへ向けて」 というテーマで5月19日、 6月23日の2回に分けて企画した。

その第1回目は43名のリーダーが参加した。

☆ ☆

キャンプの企画から実施まで
江部純一神父

準備はいつごろから始めるか。 理想を言えば、 その年のキャンプが終わったときからすでに始まっていると考えたほうがよい。 その年のキャンプの反省をもとにして企画をする。 また複数の小教区が集まってキャンプをする場合などは、 責任者の集まりを事前に行う必要がある。 各係の分担、 買いだしの場所、 病院などの確認、 宿泊する施設のまわりの様子など十分に下見しておく。

キャンプの目的は何か。 共同生活を通してこどもたちが神さまを知り、 ともに成長することである。 リーダーはキャンプ中、 仲間づくりの苦手なこどもたちを助けながら楽しいものにしていく努力が必要である。

こどもなりに自分を知り、 友を知り、 キリストを知る機会になればよい。

キャンプの時雨だったら?
立花昌和神父

「こどもの生まれながらの権利」 を紹介したうえで、 「こんなキャンプをしていませんか」 ということで好ましくないキャンプの例をいくつか紹介した。

キャンプをするときに大切にしてほしいこととして、 次のことをあげた。

1、こどもたちが参加してよかった、 楽しかったと思えるようなキャンプであること。
2、こどもたちにできることはこどもたちにまかせる。
3、文明的なものはできるだけ持ち込まない。

また、 雨だった時に安全面から次のような指摘があった。 こども自身と荷物をぬらさないようにする。 ぬれたら着替えさせる。 せっかく企画したのにということで、 雨の中を無理して実施しない。 雨があがったあと危険な場合もあるので気をつける。

プログラムの面からは、 雨プログラムをしっかり作っておく、 これに限るということを強調された。

雨プランの立て方と実際
佐藤真和氏

キャンプではじめて出会ったこどもたちが心をひらいてうちとけることができるようなゲーム、 こどもたちの仲間意識を深めることができるようなゲーム、 グループ対抗のゲーム、 何も準備なし体一つでできるゲームなど、 実際にリーダーたちと楽しみながら紹介された。 はじめて顔を合わせたリーダーがほとんどなのにみんなをゲームの中に引き込んでいくうまさはさすがにプロの技だった。

救急法の講習会
湖西賢二氏

6月23日には 「救急法の講習会」 が行われ、 25名のリーダーが参加した。

講師の湖西賢二氏は、 救急の際の一般的注意事項として

1、慌てず、 冷静に対処。
2、一人で救急処置をしない。
3、救急者は最終責任者にならない。
4、医師に手渡すまでの応急処置など具体的な例を交えながら説明した。

また、 救急の場合、 一番大事なことは 「何が起きたのかを見極め、 何をどう使うかということをしっかり頭にいれておくことだ」 ということを強調した。

最後に、 三角巾を使っての救急の仕方の実技が行われ、 リーダーたちは自分のものにするために真剣に取り組んでいた。

教会・修道院巡り(49)
『町屋教会』

神の教会の福音の種がこの町屋にもたらされたのは1931年10月のことであった。

当時の町屋は関東大震災の被災者が多く、 東京都の社会局は、 ここを東京都最大の困窮地帯としていた。 現在の日本の状況から考えれば、 とても考えられないことであるが、 現在の尾竹橋通り沿いの廃屋に近い建物の中で、 苦しむ人の救いを願ってミサがささげられたことは想像に固くない。

1933年、 イエズス会が運営するこの上智厚生館は現在地に移転した。 現在の発展を支えたのは、 ドイツ人のアロイジオ・ミヘル神父である。

教会は第2次世界大戦ですべてが灰に帰し、 一から再出発することになった。

戦後の町屋教会は幾人かの司祭を迎えた。 スペイン人のアルベルト・ラミレス師、 貝瀬健一師などが司祭を務めた。 また、 トラピスト会の山下房3郎師も東京留学中、 1967年から2年間、 教会に客員として滞在していた。

再び貝瀬師が町屋教会に戻ってきた1983年は、 ミヘル師の司祭叙階金祝の祝いの年であったが、 町屋教会にとってその土台を揺るがす混乱の始まりの年でもあった。

1980年、 ミヘル師が戦後に幼児教育のために招来した 「長崎純心聖母会」 が、 管区の運営の都合上、 荒川修道院を引き揚げてイエズス会の石神井の黙想の家付きの修道院に移動することになった。 この話の発表は教会にとっては正に青天の霹靂でもあった。

その後、 事業団内での雇用問題とイエズス会内での混乱が錯綜し、 教会はその機能を停止する寸前にまで到った。

混乱する教会を建て直すべく派遣されたのは河野純徳師である。 彼はその生涯を賭けて教会の混乱の収拾、 そして裁判の解決にあたった。

河野師の死去に伴い、 数名のイエズス会士が教会の主日のミサをささげるために来会したが、 司牧上の効果を期待できることもなく、 町屋教会は司牧担当をイエズス会から東京大司教区に変更することになった。

1993年、 上智厚生館の聖堂を兼用しての62年の間に町屋教会はようやく、 独立した聖堂を持つことによって新たな宣教の局面をむかえることになった。

また、 町屋の環境は大きく変化した。 この後は、 地域の必要に応えられるあらゆる面を手探りで探していかねばならない。 しかし、 教皇聖下や司教団と心を合わせ神の国の福音を説き続けていくだろう。

『聖家族カトリック町屋教会献堂記念号』 より抜粋

〒116荒川区町屋4-7-9
TEL03-3809-0414
FAX03-3819-2772

教区委員会紹介 その5
「神学生養成担当者会」

神学生に関わる教区の委員会としては、「神学生志願者担当者会」と「一粒会会運営委員会」、そして今回取り上げる「神学生養成担当者会」があります。

「神学生養成担当者会」は、文字通り東京教区の神学生の養成に関わる司祭の委員会です。

神学生が司祭へと向かう道のりは、歩く歩道やエスカレーターに乗っているかのように、自動的なものでは決してありません。自分の召命に不安を感じたり、自分が進んでいる方向が見えなくなるようなこともあります。そんな時、神学生を励まし、一緒に考え、適切と思われるアドバイスをあたえるのが、養成担当者の主な役割です。それというのも、養成担当者もまた、かつて神学生であったという事実があるからです。育ってきた時代は異なりますが。抱える課題や悩みに共通するものがあったりするからです。

具体的には、養成担当者は定期的に集まり、打ち合わせを行い、年に数回は直接神学生を面接をします。特に、司祭・助祭の叙階、教会奉仕者・宣教奉仕者の選任、司祭・助祭の候補者の認定を前に、本人の意向を確認し、多角的な面から判断するという難題を担う立場にあります。毎年9月号の「東京教区ニュース」に掲載される神学生合宿も、面接とは違った意味での神学生との貴重な交わりの場となっています。

また、毎年6月に東京カトリック神学院で行われる養成担当者の会議において、他の教区の養成担当者との連絡、情報交換などを行い、幅広い対応の為の体制作りに努めています。この会議はまた、「保護者会」的な面ももち、養成担当者が神学生の保護者となって、神学院側と保護者面接をする時でもあります。

養成担当者の役割は、神学生に指導を与えるということではなく、その神学生にとって、そして東京教区にとって何が人用とされているかを見極めていくことにあります。そのために複数名の養成担当者がいて、バランスをとるよう工夫されています。

養成担当者の任期は、1期2年で2期までとなっています。神学生の養成に関わるので、若い司祭が担当するということはなく、幅広い年代の司祭から選ばれるように、心がけられています。

神学生の養成は神学院にお任せということではなく、目立たないところで、先輩の司祭が関わっていることを、教区の皆さまに知っていただき、毎日のお祈りにつなげていただければ幸いです。

カリタス・ジャパン
北朝鮮へ緊急援助開始!

世界食糧計画 (WFP) と国際赤十字の 「6月から9月にかけて食糧の不足が国民に深刻な影響を与える」 という報告を受け、 国際カリタスに北朝鮮への援助についての提言をするために、 朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) に視察に行きました。

人口の4分の1の520万人が被災した中、 たとえば破壊された2295の学校はほぼ開校されているように復旧作業は進んでいます。 しかし、 年間760万トン必要とされる穀物が、 昨年は350万トンしか生産されなかった事実からも言えるように、 回復に時間のかかる農業分野での被害は大きく、 食糧不足は深刻でした。

現在、 国連を初めとして、 世界各国が援助に動いていますが、 「カリタス・ジャパンの人道的立場からの援助は心からのものである」 と北朝鮮の災害復旧対策委員会からも感謝されています。 最も被害の深刻な食糧不足に対応するために、 援助金は米穀類の購入のみにあてることを確認しました。 (野坂秀男・カリタス・ジャパン/麻布教会信徒)

東京教区では、 待降節に小学生を中心に呼びかけている 『災害対応海外救援基金』 (福祉委員会担当) から早急に100万円をカリタス・ジャパンに送金した。

五日市霊園12区
10月24日に受付開始

昨年6月に開発の許可がおりてから墓地造成工事をすすめてきたカトリック五日市霊園 (あきる野市伊奈一番地) の12区が8月末にはほぼ完了、 植樹と区割り作業にとりかかるまでになりましたので、 申込みなどについてお知らせします。

この霊園の最後の区域となる12区は、 既成6区の東側にあたり日当りは良好です。 最初、 840画 (1画3平方米として) の予定でしたが、 緑地などの関係で約700画となってしまいました。 そのため使用料 (使用権) は1画3平方米=84万円となりますが、 2・5平方米 (70万円) の区画を61画設けました。 ご利用下さい。

墓地のお申込みは10月24日、 25日の午前10時から現地事務所で先着順で受付けます。 両日は申込書に従って現地管理人による区画番号の選定と確認印押印のみを行ないます。 その後、 3ヵ月以内に、 確認されたその申込書と墓地使用料を管理事務所にお送り下さい。 3ヵ月以内にご送金のない場合は、 選定した区画番号を取り消しさせて頂きます。

お申込資格は 「5日市霊園内に墓地区画を持っていない東京教区の信者」 とします。 なお、 墓地は投資の対象にはなりませんのでご注意ください。

10月26日以降も現地事務所で受付けます。

現地事務所は、
あきる野市伊奈1番地 (電話0425-96-2330番)、 武蔵5日市線の終点 「武蔵5日市駅」 と 「武蔵増戸駅」 のほぼ中間で、 武蔵増戸駅から徒歩15~20分のところです。

このお知らせについてのお問い合わせは、 〒112東京都文京区関口3-16-15カトリック5日市霊園管理事務所、 電話03-3947-0312番の安藤まで。

シリーズ
いじめへのメッセージ(3)

多様性を認めぬ構造

関口教会 佐藤牧子 31

『いじめ』は人間として最も幼稚きわまる行為であり、自分が最高という思い込みから、自分と違う意見や考えを持つ人に対し排除しようとする。果たして現代の社会や学校、及び教会はわが道を行くタイプの人は、社会的にも許されない『一匹狼』であり、『危険人物』にされてしまうのだろうか?聖書の紐を解くと、イエス様もご存命中は最高の『一匹狼』ではなかったのか?

そもそも、日本は単一民族国家だという発想が、多様性を認めぬ社会構造、教育観を作ってしまうと思う。日本は本来、単一民族国家ではない。国際化社会になりつつある中で、多様性を認める社会、教育は成熟した社会に成長することである。学校も教育内容の多様性、生徒の進路選択の多様性を認めなければ、いじめは決してなくならないだろう。

読者の声

最近の東京教区ニュースは信徒の知りたいことや、潜在的問題意識に焦点を当てているように感じ、大変面白く読ませて頂いております。 思いつくまま感想を述べさせてください。

○駐車場問題・・・ミサに来ているのだから赦されているみたいな信徒特有の思い違いと閉鎖的思考が気になっていたときなので、すごく良かった。

○研修会の講座のシェアーは行かれない信徒にとって嬉しい。高木神父のはよかった。神父=教会みたいな意識をかえていくのに、聖変化のことや運動体としてのきょうかいとか、とてもわかりやすい。

教会共同体とは・・・このことのを今東京教区はキャンペーン中なのでしょうか。いいと思います。

○高輪教会のデザイン募集広告のレイアウトがシンプルなのにすごく効果的。細かく言えば「聖堂・ホール・司祭館」のように中黒を入れたらよかったと思う。

○ニコラス師と森司祭の顔写真の説明の「きりこみ」という言葉は何?印刷の用語ではないかと思うが、素人では、「なに?」ととまどうし、見れば分かるから必要ないと思う。森司祭の写真はバランス的に大きすぎるかも。

○いま、いじめを取り上げることは賛成!キリスト者が社会的な病気とも言えるいじめにどう対応してくか、社会に反映できるものかをもっているかが問われると思う。

○枢機卿のインタビューは「そのまま」という感じがして好感が持てる。変に体裁を整えていない編集者の姿勢が感じられよいと思った。白柳枢機卿の語り口が彷彿としている。但し、少し長すぎるかも。

その他、「編集部から」まで全部読みました。以前は全体に目を通すだけだったのに。 以上、箇条書きしました。一方的な思い込みがありましたらお赦しください。

今後も信徒に考えるヒントを与えてください。楽しみにしつつ期待しています。

(高輪教会 長富由紀子)

編集部から

●最近、多くの方々が、自分の教会では教区ニュースが手に入らないので善処してほしいと編集部に求めておられます。その件についてスタッフで話し合った結果、できるだけ各小教区で諸俗信との世帯数の1/2か1/3程度の部数を申し込んでいただければ、その問題は解決するのではという結論になりました。手に入らないときはその旨をご自分の教会に要望してください。(門馬邦男)

●本年1月7日に開催された東京大司教区教会委員連合会におけるニコラス師の講演を4回に渡って掲載しました。おかげさまで好評で、他教区の方から小教区報に転載させてほしいとのご依頼を受けたり、コピーをとって、分かち合いの資料にしてくださったり、などなどをうかがうとテープお越しの疲れも飛ぶ思いです。

講演などは要約するのはなく、できるだけ全文を皆様にお届けしたいという編集部の方針が生かされたという実感させられるのが、みなさまからこのような励ましのお言葉を頂いたときです。

●夏休みは子供たちの忙しい時期です。教会学校のリーダーたちは何とかして、子供たちがサッカーや野球や塾よりも教会のサマーキャンプのほうが楽しいと感じてくれるように色々努力を重ねでいると思います。例年のように各教会のサマーキャンプ、合宿の記事を楽しい写真とともに、8月末までに広報委員会までお送りください。