東京教区ニュース第125号

1995年08月01日

1995年戦後50年
神よわたしをあなたの平和のため役立たせてください

今年は戦後50年という節目の年に当たり、 世界各国で平和を祈る行事が計画されている。 日本の司教団は、 2月ローマにおける臨時司教総会で、 「平和への決意-戦後50年に当たって」 を承認し、 このほど行われた定例司教総会の最終日6月23日には、 核兵器廃絶のアピールを採択した。

東京教区平和旬間委員会では、 毎年8月15日の終戦記念日を最終日とする10日間を平和旬間とし、 そのはじめの土曜日の夕方、 千鳥が淵戦没者墓苑で平和の祈りと光の行列を捧げてきた。 今年は各ブロックで戦後50年平和を祈る行事が計画され、 実施されている。

また、 8月15日には、 東京・ワシントン・シドニーで、 「和解を願う同日ミサ」 が捧げられることになり、 白柳枢機卿は6月25日の教区教会委員連合会総会でこのことを発表した。

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核兵器廃絶のアピール

わたしたち日本カトリック司教団は、 今年2月 『平和への決意-戦後50年にあたって』 を発表し、 「キリストの光のもとに戦争の罪深さの認識を深めて、 明日の平和の実現に向けて全力をつくす決意を新たに」1 いたしました。 その中で、 「核兵器の破壊的な力を体験したわたしたちには、 その貴重な証人として、 核兵器の廃絶を訴え続けていかなければならない責任がある」2 ことを確認し、 具体的に 「武器輸出の禁止、 核廃絶、 軍事費の削減等の実現のための活動を展開する」3 ことを提示しました。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、 広島と長崎を 「人間は信じられないほどの破壊ができるということの証しとして存在する悲運を担った、 世界に類のない町」4 と定義されました。 人類史上初の核兵器の犠牲となったこの2つの町をもつ日本にあって、 日本のカトリック教会は、 核兵器をはじめ科学兵器を含むすべての兵器を廃絶するよう、 世界の人々に訴える責任と義務があると考えます。

1945年8月6日と8月9日、 広島と長崎は人間がつくった原子爆弾によって、 生命が一瞬のうちに無に帰すという悲劇を体験しました。 あの日以来、 広島と長崎は、 原子爆弾が地球人類を絶滅させる非人道的な無差別大量殺傷兵器であることを証言し続けています。 しかし、 この50年間核兵器は質量ともに増強され、 いまだに核兵器の実験が続けられています。 日本のカトリック教会は、 すべての核保有国に対して、 核兵器が非人道的でありかつ悪であることを訴え、 できうる限りすみやかに核兵器の実験を停止し、 核兵器を廃絶するよう求めます。

核兵器をはじめあらゆる兵器の製造と使用を中止するよう訴えることは、 聖書と教会の教えに従うことでもあります。 旧約の預言者は 「馬を支えとし、 戦車を頼る者は災いだ」 (イザヤ31・1)、 「主は国々の争いを裁き、 多くの民を戒められる。 彼らは劍を打ち直して鋤とし、 槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって劍を上げず、 もはや戦うことを学ばない」 (イザヤ2・4) と語っています。 「劍をさやに納めなさい。 劍を取る者は皆、 劍で滅びる」 (マタイ26・52) という主イエス・キリストのことばも思い起します。

「都市全体または広い地域をその住民とともに無差別に破壊することに向けられた戦争行為はすべて、 神と人間自身に対する犯罪であり、 ためらうことなく堅く禁止すべきである。」5 「軍備競争は、 平和を確保する安全な道でもなく、 それから生ずるいわゆる力の均衡も、 確実で真実な平和ではないことを人々は確信すべきである。 ……不安の圧迫から世界を解放して真の平和を打ち立てるためには、 精神の改革から出発して、 新しい道を選ばなければならない。」6 「新しい道」 とは、 紛争や対立を戦争や武器によってではなく、 平和的手段で解決することです。

「平和を祈る者は、 1本の針をも隠し持っていてはならぬ。 自分が-たとい、 のっぴきならぬ破目に追いこまれたときに自衛のためであるにしても-武器をもっていては、 もう平和を祈る資格はない。 戦争をまったく放棄することが、 平和の祈りの前提条件である。」 (7)自らも被爆し、 被爆者のために献身した永井隆の精神を、 わたしたちひとりひとりの精神としたいものです。

「長崎を最後の被爆地に!」 この悲願を世界の人々と共有できるよう、 平和の使徒として働く決意を新たにしつつ、 あらためて、 各国政府とすべての善意の人々に向かって、 次の事項を訴えます。

1 すべての核保有国が核兵器の実験を停止し、 核兵器を廃絶すること
2 すべての国家が武器の取り引きと開発を禁止すること
3 あらゆる軍備の縮小

さらに上記の事項に関して、 日本のカトリック司教協議会は、 諸国のカトリック司教協議会に対して以下のことを要望します。

1 上記の提案に対する善意の表明
2 上記の提案実現のための祈り
3 上記の課題実現へ向けての、 日本のカトリック教会との対話と意見交換

1995年6月23日
日本カトリック司教団

脚注
1 日本カトリック司教団 『平和への決意-戦後50年にあたって』 (カトリック中央協議会) 3頁
2 同書8頁
3 同書14頁
4 『教皇ヨハネ・パウロ2世訪日公式メッセージ (平和アピール)』 (サンパウロ=旧中央出版社) 68頁
5 第1バチカン公会議 『現代世界憲章』 80
6 同憲章 81
7 永井隆 『平和の塔』 (サンパウロ=旧中央出版社) 7頁

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8月15日ワシントン・東京カテドラルにて
「和解を願うミサ」共同の祈り

宇宙と人類の創造主である神よ
ワシントン大司教区と東京大司教区の私たちキリスト者は
今日 共に終戦50周年を記念できることを感謝し
主が 私たちと共にいてくださるようにと心を合わして祈ります

主よ この戦争でわたしたちは多くの愛する人々を失いました
その人びとに思いを馳せつつ願います
私たちの心からすべての憎しみと復讐の思いを取り除いてください

兵士たちの戦場をはるかに越えて
真珠湾 南京 広島 長崎にまで及んだ戦いにより
市民に深い傷跡を残した恐るべき破壊を
深く悲しむ心を起こさせてください

私たちの心をいやし
戦争というものが人の心に何をもたらすかを
深く理解させてください

私たちが 互いに許し
尊敬の心をもって生きることを学ばせてください

それを基として
私たちが平和な国を築こうと努めてきたように
子どもたちも またその子どもたちも
同じ心で真の平和を作っていくように助けてください

主は いかにして平和の中に生きるかを私たちに教えてくださいます
わたしたちはそのみ跡にしたがって歩むことを誓ってイエス・キリストの心に合わせて祈ります

アーメン

東京教区正義と平和委員会主催
シリーズ
司教と共に読む『平和への決意』

東京教区・正義と平和委員会主催の 「司教と共に読む 『平和への決意』」 全8回シリーズの第2回目が、 6月16日 (金)、 信濃町真生会館学習センターで行われた。

講師は白柳誠一枢機卿であった。

白柳枢機卿は始めに、 教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉 「過去を振り返ることは将来に対する責任をもつことです」 を引用しながら、 司教団は今まで事あるごとにこの言葉を思い起こし 「平和への決意」 を新たにしてきたこと、 さらに今年は戦後50年という節目の年にあたるので、 信徒と共により強い平和への決意をもって、 具体的な取り組みをしなければならないと語った。

講演の要旨は次のようなものであった。

カトリック教会では罪を犯した場合、 神にゆるしを願う 『ゆるしの秘跡』 というものがある。 それにはまず第一に、 良心の糾明きゅうめい (過去に何をしたかを反省すること) が必要であり、 次にその犯した罪に対する痛悔つうかい (痛みを感じること)、 そして2度と同じことは繰り返さないと決心すること、 最後にその罪に対する償いを果たすという決意がいるが、 今回のこの 『教書』 にはこれらの要素が全部含まれていると思う。

この 『教書』 を作成するにあたり、 ぜひ入れてもらいたいと考えていたことがいくつかあった。

(1)私たち日本人は被害者であると同時に、 加害者でもあることをはっきりと認識すること。 それはアジアの人びとに対して責任があることを自覚して、 謝罪をするということである。

(2)戦争責任は当事者だけでなく、 子孫にも引き継いでいくべきものであるということ。 それは日本人として、 その連帯性の故に、 前世代が果たしていない責任が残っているなら子孫はそれを受け継ぎ、 その責任を果たしていく必要があるということである。

(3)戦争中、 教会は預言的使命をよく果たせなかったということを認めること。 しかし、 当時の教会内には、 「聖戦論」 の考え方もあった。

私たちは同じ日本人として以上のことを踏まえ、 声明を出しただけで終わらせてしまうことのないように、 平和実現に向けて努力を重ねながら教会としても、 個人としても行動を起こしていかなければならないと思っている。

また、 白柳枢機卿は 「今年、 フィリピン・マニラの聖トマ大学で、 旧日本軍によって行われた大虐殺について公に謝罪をしたが、 これはフィリピンでたいへん大きな反響を呼んだので、 このような具体的な行動を通してこれからも平和、 和解への努力をしなければならない」 と語った。

「元従軍慰安婦や、 旧日本軍の収容所で虐待を受けたオランダ人との出会いについても語り、 かつての日本が犯した行為により、 今なおたくさんの人が苦しんでいることを考慮し、 日本政府は戦争責任に対する誠意ある対応をするよう希望する」 と述べた。

戦後50年目の終戦記念日である8月15日には、 日米両国の首都である東京とワシントンのカテドラルで 「和解のためのミサ」 が捧げられることになった。

東京カテドラルでは白柳枢機卿の司式により午前9時から、 ワシントンのカテドラルではヒッキー枢機卿の司式により午後5時30分から、 ミサが始まる。

この意向を聞き賛同したオーストラリアのシドニー教区クランシー枢機卿が、 自分の代理としてメルボルン教区のディーカン補佐司教を東京での 「和解のためのミサ」 に参加させたいと申し込まれ、 東京教区は喜んでこれを受け入れた。

ずーむあっぷ
姉妹教区・新潟青山教会で銀祝を迎えた
吉池好高師

司祭叙階25周年を、 姉妹教区の新潟市青山教会で迎えた。 54歳。

1990年春、 東京教区が新潟教区と姉妹教区となり、 教区の相互協力が司祭の派遣、 神学生の合同合宿等で行われている。

吉池師は、 新潟教区の司教座聖堂の助任司祭として派遣された安次嶺師についで、 92年春から青山教会主任司祭として派遣され4年目を迎えた。

修道院で自動車が必要だと聞くと、 東京から持っていったライトバンを寄付してしまい、 自身は自転車で東奔西走の毎日だという。

ローマで、 同じ時期に学んだ若手の佐藤充広師が語った 「イタリア国内を旅行中にお金が足りなくなり、 吉池師に借りた。 後で分かったことだが、 吉池師はそれで自分でもお金が足りなくなりローマまでお金を取りに戻った」 というエピソードも、 よく師の人柄を物語っている。

東京教区生涯養成委員会主催
第1回小教区共同体奉仕者及び教会 (運営) 委員を対象とした研修会

5月13日 (土) から毎週土曜日、 東京教区関口会館ケルンホールで行われていた、 教区生涯養成委員会主催の 「第1回小教区共同体奉仕者及び教会 (運営) 委員を対象とした研修会」 が7月1日に終了した。

参加者は毎回80余名~90余名。 16講座を通して受講した者、 また各小教区単位で申し込み、 講座内容に合わせて担当者が出席するなどさまざまであったが、 主催者の予想を上回る出席者があったことは、 「小教区共同体で奉仕する人の研修」 の必要性が理解されたものだろう。

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このシリーズの終わりにあたって、 森司教は次のようにまとめた。

「今このように日本の社会で、 宗教のあり方が問われている中で、 いずれ小教区の教会の存在意識も問われてくることになります。

地域に根づいた教会が、 現在宗教を求めて飢え乾いている現代人に答えられるようなものになっていかなければならないかもしれません。 それを今まで受けとっていた窓口は、 主任司祭やシスターが中心でしたけれども、 今後はもっともっと広い意味で信徒の皆さんの力が必要になってくると思いますのでよろしくお願いしたいと思います。」

7月1日第1講座

司祭が考える小教区運営―門馬邦男師

関口教会主任司祭で生涯養成委員会担当司祭でもある門馬邦男師は、 「関口教会に赴任して4年目になりますが、 神学校に長い間おり、 小教区を傍観者のような立場で眺めていることが多かったので、 自分が実際に主任司祭として働き始めた時に、 現実の教会全体が本来理解すべき共通意識がほとんど存在していないことを体験しました」 と述べた後、 最終講座 「信徒の支える小教区運営」 のヒントになるようにと、

(1)小教区の抱えている問題点
(2)教会とは何か、 小教区とは何か、 信徒使徒職とは何か
(3)信徒使徒職に対する司祭の位置、 考慮すべきこと
(4)司祭への勧告
(5)信徒への注意
(6)小教区運営について思うこと

などについて語った。

小教区の抱えている問題点

私が小教区で3年間やってきた中で、 問題点として感じていることが2つあります。

まず第一に、 現在のカトリック信仰の内容について、 信徒も司祭も共通の認識と理解が欠如しているということです。

特に30年前に終わり、 それをガイドラインとして20世紀の後半から、 21世紀を教会は生きていこうと決めた全世界的な会議、 第2バチカン公会議の内容についてきちんと体験的に学ぶ機会もなく、 断片的に知識を得ているために、 ある意味で皆さんの信仰が慣習として行われている、 信仰生活、 教会生活あるいは教会の組織も従来のものに基づいたまま歩んでいるという印象を持ちました。

また、 公会議以前の信仰生活を保持する信徒と、 公会議以後の多様な信仰理解を教えられた信徒との間に亀裂が存在します。

第2に、 第2バチカン公会議以前の小教区運営や組織形態を保持しながら、 開かれた教会、 信徒のための教会など新しい言葉が生まれましたが、 公会議以後の精神に基づいた活動や組織、 グループが、 パッチワークのように張りつけた状態になっているために混乱が起きています。

ですから、 今の社会の中のさまざまな状況についてキリスト者として何か対応したいと思っても、 小教区として十分対応することのできる組織になっていないという問題点があります。

以上のような2つの問題点をあげた後、 共通認識のために、 (2)、 (教会憲章)、 (3)、(信徒使徒職に関する教令)、 (4)、(司祭の役務と生活に関する教令)、 (5)について説明し、 最後に 「小教区運営について思うこと」 を述べた。

小教区運営について思うこと

私が今、 小教区運営について、 考えていることは次のようなことです。 皆さんの小教区での話し合いのヒントになればと思います。

Ⅰ.現在の教会の教えについて十分学びながら、 理解したものについて、 今の時代にあった小教区の共同体作りを進めることが大切だと思います。

Ⅱ.従来の小教区組織の枠組みに固執する傾向から脱皮するために創意と工夫が求められます。

Ⅲ.小教区の教会は、 信徒と担当司祭の共同体であるという共通認識を小教区に所属する皆が理解する作業が必要です。

Ⅳ.信徒が自分一人の安心や慰めという信仰理解ではなく、 教会の必要に応じて積極的に自らの賜物 (経済的なものを含む) を差し出す責任と義務を持てる組織作りが必要です。

Ⅴ.現代社会に存在する組織形態や方法論も信仰のセンスで消化し、 生かす努力が必要です。 時代性にあった宣教共同体作りが求められます。

Ⅵ.共同体運営に関しても、 社会の論理と異なるキリストの愛に基づいているかが常に問われています。

さらに、 門馬師は、 この4月末から移行した関口教会の新組織、 規約の成立過程についても語り、 終わりに 「『信徒使徒職に関する教令』 の中に 『その能力に応じて教会の発展に寄与しない構成員は、 教会にとってもまたその人自身にとっても無益である』 と述べられています。 信徒がその信仰を守ることに重点を置いていた教会が、 その信仰を積極的に生かすように活動することを求めた言葉です。

そのことを前提にして、 小教区をどうやって活性化するかを考えていってください」 と結んだ。

同第2講座
信徒が支える小教区運営

研修会の最終講座では、 今まで学んだ 「東京教区の歴史」 「組織の現状」 「司教協議会」 「日本の教会」 「教区財政」 「教会建築」 「典礼」 「地域奉仕」 「外国人信徒」 などの基礎的情報を踏まえたうえで、 参加者自身の体験や考えを分かち合いながら 「信徒の支える小教区運営」 を考えていこうというものであった。

参加者の声 (順不同)

●世田谷の教会に、 神奈川県川崎市から通い、 教会委員長を務めているので、 門馬師のお話にギクッとし、 改めて小教区とは?を考えていこうと思った。

●信徒の高齢化と若年層の減少で、 運営委員の人選に支障をきたしている。

●維持費を納めていない信徒に、 払って欲しいと言ってもよろしいのでしょうか。

●維持費の納入、 増額については、 外国人の司祭に自発的にするのでないと意味がないと言われた。

●教皇も、 白柳枢機卿も常に祈りと犠牲が必要と言われている。 維持費の納入は当然言うべきである。 むしろ、 言っても納めない未納者をどう遇するのかのほうが問題では…。

●分に応じて維持費を負担すべきである。 ユダヤ教の1/10税のように最初は神のもの、 9/10しか自分の手元に来なければいいのでは。 人間はけちだから、 いったん自分のものとなると払いたくなくなる。 プロテスタントの教会は3%が目安でよくやっていると思う。

●集会所の家賃を50世帯の信徒で支えるものも大変だ。

●司祭中心の教会で、 共同体としては未成熟だと思う。 司祭は変わるからそれまで我慢しなさいと言われる。 生きた教会となるためには、 信徒の意識改革が必要だと思う。

●教会の規模による意見交換の場が持てるとよいと思う。

●信者として知っていて当然のことを知らなかった。 このような研修会は有意義だが、 教会委員だけでなくもっと広くする必要があると思う。

●教区総会のテーマを、 小教区におきかえ、 4つのグループに分かれて分かち合いをした。 若い人の出席が多く、 今までの古い意見と違う意見がでた。

●いま地域活動をしていないので偉そうなことは言えないが、 教会は地域社会を巻き込まないと意味がないと思う。

● 「教会の発展に寄与しない構成員は無益だ」 ということにショックを受けた。

●関口教会の規約で一番参考になったのは、 役の重複がないこと、 任期が2年で留任がないという点。

●受洗して2年半だが、 教会委員長に選ばれた。 古い形にとらわれない教会になりつつある。

バザーラッフル券について
~カトリック新聞から~

梅雨があけると、 秋のバザーの準備にそろそろ取りかかる小教区が少なくないせいか、 「教会バザーでの抽選券等の販売は富くじ罪にあたるのですか」 という質問が教区事務局に寄せられている。

92年4月19日付け、 5月10日付けのカトリック新聞に掲載さけた今井安榮弁護士の見解を転載して回答にかえたい。

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「バザー抽選券」 は違法

種々な社会活動のためには、 どうしてもお金が必要です。 寄付を受けることは、 もちろんですが、 その他工夫をしてお金を集めようと考え、 催しを開いたり、 何かの集会を開く際に、 抽選券を不特定・多数の人々に売りさばき、 資金繰りをしようとすることがあります。 「法律違反だ」 と言われては困りますので、 この点の法律的な疑問を一緒に考えてみたいと思います。

まず、 富くじ罪が刑法第187条に規定されています。 富くじを発売した者は、 2年以下の懲役または、 罰金60万円以下に処せられます。 富くじ発売の取り次ぎをした者、 富くじを授受した者も刑罰は少し軽いですが処罰されます。 ですから、 富くじを買った人も処罰されるのです。

この問題の富くじとは、 一定の発売者があらかじめ番号札を発売して購買者から金銭その他の財物を集め、 その後、 抽選その他の偶然的方法によって、 その購買者の間に不平等な利益を分配すると定義づけられています。 ですから、 この定義に当てはまるような内容の富くじを発売すると処罰され、 そうでなければ処罰されません。 例えば、 セールで福引券付きで商品を売る場合は、 福引券は抽選券であっても、 この福引券を売るわけではないので許されるのです。

そこで、 バザーの際、 抽選券を販売して多くの人から資金を集めるのはどうでしょうか。

抽選券を売るのですから、 対象が教会の関係者のみであっても、 抽選で当選した品物がどんな値段をしていようとも、 禁止されます。 抽選の方法は、 問いません。 抽選券を買った人々の間に不平等な分配が生じたことになれば禁止なのです。

また、 催しを開いて、 入場券に番号を付けて売る”ラッフル券”については、 本当に集会などに必要な金額を徴収するためではなく、 単に名目だけでは許されないのです。 入場料を必要とする催しかどうか、 必要としてもいくらが妥当かどうかは、 その催しの実態によります。 この点に留意してください。

バザー券に代わるもの

前回の 「バザー抽選券は違法!?」 への反応として、 編集部に 「抽選券を売ることがだめなら、 どうすればよいのか」 と質問が寄せられましたので今回は 「それではどうすればよいか」 を一緒に考えてみたいと思います。

もう一度、 刑法第187条で規定され、 処罰される富くじ罪の富くじの定義を繰り返します。 富くじとは、 一定の発売者があらかじめ番号札 (抽選券) を発売して、 購買者から金銭その他の財物 (寄付のためのお金) を集め、 その後、 抽選その他の偶然的方法 (くじ引きのこと) によって、 その購買者の間に不平等な利益の分配 (1等は海外旅行から最後ははずれまでの不平等な利益配分) を行うことです。

この定義に当たれば罪となり、 当たらなければ許されることになります。 罪刑法定主義です。
この定義に当てはまらない方法は、 福引き券方式です。 商店のセールで福引き券付きで商品を売る場合は、 福引き券は抽選券であっても、 この福引券を売るわけではないので許されます。 催しものなどで、 「コーヒー券」 (呈茶券) を売り、 番号等を付けて抽選もできるようにすることはどうでしょうか。 社会常識を働かせて工夫すれば許されるでしょう。

例えば、 コーヒーを飲むから 「コーヒー券」 を買う。 併せてくじ引きもできると一般の人が考えることができれば、 「コーヒー券」 の値段の中に寄付の分が含まれていたとしても、 少しだけ高いコーヒーとなります。 度を越したコーヒーの値段では、 コーヒーを飲む人にとって、 コーヒーの他に寄付をさせられた、 というような気持ちを持つことになります。 これはよくありません。

くじ引き付きコーヒー券の値段は催しものの規模や内容により異なります。 具体的にどうすべきかは弁護士にたずねられらよいと思います。

(今井安榮)

カトリック東京教区・障害信徒のつどい

メインスローガン 「ミサへの完全参加と平等」 カ障連結成 (京都) 大会で使用したもの。
目的 (1)障害の種別をこえて、 交流し、 相互理解を深める。
(2)また、 これを契機にカ障連東京組織設立へのきっかけとしたい。
日時 1995年8月27日 (日) 10~16時
会場 カトリック吉祥寺教会
プログラムの概要
(1)10時~12時 パネル討論会(肢体・視覚・聴覚・知的・内部各障害者およびボランティア
計6名)「現状と課題」
(2)13時~15時 分科会およびまとめの全体会。 できれば何らかの行動提起をと期待する。
(3)15時~16時 ミサ。 白柳枢機卿。
参加期待数 100名
参加費 1500円 (事務費・弁当代)
なお、 東京教区より助成金見込み。
申込書送付先 〒167 杉並区井草2-35-11カソック内 スロイテル神父
問合せ先 スロイテル神父 TEL03-3394-5700 FAX03-3394-6045
または丸岡紀美子 TEL03-3423-2016 (FAX兼用)
締切 7月末日
後援等 (1)後援――東京大司教区
(2)協賛――同福祉委員会
実行委員
金澤 恂(実行委員長)、 丸岡紀美子(副委員長)、 山口介雄(副委員長)、 阿部泰久
橋本宗明、 土谷策造、 Fr.J・スロイテル、 Sr.原口光子、 穂坂由喜男、 村田徳次郎、 柳澤綾子

カ障連とは

カトリック障害者連絡協議会は、 1982年結成され、 司教団の認可を得ている。 会長は山田昭義 (車椅子障害者、 愛知県押切教会 社会法人AJU自立の家常務理事。) 事務局長は、 J・スロイテル育英高専教授 (サレジオ会司祭)

障害を持った信徒の宣教と社会的活動に関わる運動体であり、 会員2千人。 3年に1回大会をもってきた。 (京都、 大阪、 横浜、 仙台、 東京)

教区教会委員連合会総会
東京・ワシントン、 シドニーで8月15日 「和解を願う同日ミサ」

6月25日 (日) 午後2時より東京教区教会委員連合会総会が催された。

79教会から参加した148名の委員は当番教会の東金教会と茂原教会の進行で現在各教会が直面している問題について学び、 各教会の連携を一層緊密にするために相互の親睦を図った。

Ⅰ部は聖マリア大聖堂での白柳誠一枢機卿の挨拶、 森一弘司教の講演でテーマは 「現代日本の青少年のよりよい理解と教会のあり方を求めて」 副題として―今の社会、 家庭、 学校、 教会を見つめながら―、 続いてⅡ部はケルンホール (関口会館地下大ホール) に場所を移し、 白柳枢機卿、 森司教の霊名の祝日の祝賀会が行われ午後5時に終了した。

総会の始めに白柳枢機卿は次のように語った。 「教皇様は2000年を目前にして私たちに力強い呼び掛けをしておられます。 私たちはこれに応えて、 キリスト者として過去の誤りを反省し、 もう一度情熱を燃え立たせ、 福音を宣べ伝えていく使命をつき進めていかなければならないと思っています。 また今年は戦争が後わって50年目を迎えます。 歴史の過ちを反省し、 平和への決意を新たにしたいと思います。

東京の教会では、 8月15日にアメリカ (ワシントン) の教会、 そしてオーストラリア (シドニー) の教会と時を同じくして互いの 『和解を願う同日ミサ』 をささげることに致しました。 このカテドラルにおいて午前9時から行われますので時間がありましたらご参加ください。 参加できない方も心を合わせてお祈りください。」

また、 森司教も 「教皇様から全世界の教会に 『紀元2000年を大聖年として祝うための準備委員会を設立し、 担当者を決めて活動を始めてほしい』 との呼び掛けがあります。 今回の司教総会でその責任者に白柳枢機卿様が決まりました」 と参加者に伝えた。

日カ連東京大会
第21回総会~テーマ共に生きるⅡ~
大阪大司教区からも12名参加

6月13~14日、 カテドラル構内で、 日本カトリック女性団体連盟 (浜野房江会長、 以下日カ連) 東京大会、 第21回総会 (中村智子実行委員長) が開催された。
テーマは、 前回の茨城大会に引き続き 「共に生きるⅡ」。 ~女性が生活と生涯を見つめて自立と共生にどのように目覚められるか~

参加者は、 北は札幌教区、 南は那覇教区まで長崎を除く15教区304人、 阪神大震災で大きな被害をうけた大阪大司教区からも鷹取教会の3名を含む12名が参加した。

13日午後から、 カトリック東京大司教区関口会館ケルンホールで、 パネルディスカッション (コーディネイター荒井佐よ子さん) が行われた。
6人のパネリスト、 森一弘司教、 金森浦子さん (カウンセラー)、 ニティー・クマールさん (インド出身、 主婦)、 沢光代さん (前逗子市長)、 立川純子さん (弱視障害者)、 浜野房江さん (前出) がそれぞれの立場、 体験から 「女性の自立と共生」 について語った。

クマールさんは、 「自分が自立したいと願いながら、 子どもを自立させない。 皆さんはどういう風に自立したいのですか」 と問いかけ、 立川さんは 「障害を持った仲間と出会い、 一人ひとり全く違った個性とのふれあいのなかで自分がよくわかった。 また、 役割分担が場によって変わることも体験し、 私は目が見えなくなって社会が拡がった」 と述べ、 参加者一人ひとりがそれぞれの立場で 「女性の自立と共生」 を考えるよう促された。

西宮在住の参加者が、 「生と死が隣り合わせだということを瞬間に実感した。 あのとき、 身体で神を感じた。
震災によって何もかも失ったが、 物質からの解放感を感じている」 と述べ、 会場内に感銘を与えた。

東京教区福祉委員会地域福祉推進小委員会主催
油谷 弘幸師講演会
「大地がゆれ、 心がゆれる中で」

6月14日午後1時半から、 品川区上大崎、 カトリック目黒教会での東京教区福祉委員会 (委員長・塚本伊和男師)、 地域福祉推進小委員会主催の講演会が開かれた。 参加者は16小教区から35人。

講師は、 福祉担当司祭の1人で、 阪神大震災のおり、 東京教区から派遣されて現地で救援活動を体験した油谷弘幸神父 (洗足教会助任)、 テーマは 「大地がゆれ、 心がゆれる中で」。

油谷師は、 未曾有の被害者を出した大震災の救援活動を通して実感したボランティア活動の留意すべき点をいくつか指摘した。

そのなかでも特に 「ボランティアとして、 出向く地域の地理をしっかり頭にいれ、 ボランティアのための道案内が必要な状態で行かないこと、 また、 たくさんのボランティアが集まる救援本部などでは地味でなかなかやりたがらないが、 ボランティアのための食事当番が不可欠であること」 を強調した。

(同師の救援活動報告は、 東京教区ニュース3月号に既報)

1995年戦後50年
ブロックの平和を祈る行事
―城北ブロック「平和の集い」―

戦後50周年を考えて
若林智樹(板橋教会司祭)

戦後50周年を迎えて、 各地で世界大戦の残した教訓はなにかを問い直す行事が催されている。 戦後生まれの私ではあるが、 1つの問題提起を試みたい。

修道院にはいる以前に、 軍事学に興味を持っていた私は、 何人かの戦争体験者と会い、 その体験談を聞かせていただいたことがあった。

彼らの話の大半は、 悲惨な戦争場面の 「描写」 に終始していた観があり、結論部分はすべて 「2度と同じ過ちを繰り返してはならない」 というものであった。

彼らに対しては酷かもしれないが、 なぜ戦争に突入してしまったかという考察は全く欠落していたと断言できる。 同様に、 彼らの体験談を聞く我々も、 「何が原因で戦争になったか、 どうすれば戦争を防げたか」 という考察をさけ、 同情論の次元に止まっているのかもしれない。

戦争は突発的事故ではない。 戦争場面の 「描写」 を伝えていくことや、 それを聞いて涙を流すだけでは 「平和の使徒」 になれない。

戦争に至る原因を究明し、 それを現代から未来に向けて生かしていくことこそ急務といえよう。

歴史とは、 過去の事件を断片的に記録することではない。 過去の事件と事件の因果関係を洞察しつつ、 それに基づいて現時点でなすべきことを模索する作業全体を歴史と呼ぶ。 確固たる歴史観なしに平和を求めることはナンセンスであろう。

ある傷痍軍人は次のようにいっていた。 「日本人は面倒くさがり屋なんだよ。 世の中の動きを考えること自体が面倒くさいんだ。 機先を制して危険性に対処できないのはそのせいだろうよ。 あの時代、 大変なことになったと気づいたときには、 もはや打つ手がなくなっていたよ・・・」 と。

平和を祈ることはキリスト者として欠くべからざる大切なつとめである。

しかし、 戦争に至る経路を考察し、 平和を実現するための方針を模索することが 「面倒くさい」 から、 とりあえずのところは 「祈る」 という態度であるなら、 その祈りは本物といえるだろうか。

INTERNATIONAL STUDENTS MEETING
~第2回国際的な学生の会~

7月2日の日曜日、 信濃町の真生会館で、 英語と日本語にまじって、 韓国語なども飛び交うにぎやかな集いが開かれた。 真生会館カトリック学生センター主催の第2回 「国際的な学生の会」 である。

前回は、 6月10日に、 両国の江戸東京博物館に行き、 東京大空襲を知らなかったアメリカ人を横にしながら、 知らないことだらけの東京の歴史に日本人学生からも、 「ウーン」 とか 「ヘー」 と言う声が漏れていた。 その後は、 ちゃんこ鍋を皆でよくつついた。

40人余り集まった今回は、 ゲームで気分をほぐして顔を覚えた後、 ディスカッション。

基調スピーチでアメリカ人の 「他人に対する態度は、 アメリカ人よりも日本人の方がキリスト教的ではないか」 と話せば、 パプア・ニューギニア人は、 「3か月たった時、 日本語はもう駄目だ。 帰ろう」 と考えたエピソードや、 「マスクをしている人たち」 に驚いたり、 「信号は青でなくて緑だぞ」 と思ったことなど、 パプア・ニューギニアと日本の違いを紹介した。 違いを知ることが、 お互いをより良く理解することになると言う。

海外生活の長い日本人からは、 逆カルチャーショックの例を挙げながら、 年功序列や学歴社会の中で、 人を思いやる心がなくなり 「宗教が持つはずのよいものをなくしているのでは」 と感じた体験が語られ、 留学経験者からは、 算数が苦手で水泳が得意な子どもの、 「ダメな算数を攻める日本人の親」 と 「得意な水泳を誇りに思って伸ばそうとする欧米人の親」 の違いを強調するスピーチが行われた。

少人数のグループに分かれてのディスカッションの中では、 日本の良さも語られる一方、 「日本人は女性を物としてみているのでは」 とか、 「私のすること=すべての韓国人がすること」 と受け取られるなどの意見、 またそれに対するいろいろな国の例などが出され、 突っ込んだ意見交換が行われていた。 特に差別の話題になると、 問題の根の深さ、 解決の難しさを感じながら、 自分の国での状況を正直に話す人も多かった。 また 「豊かな人生の根本は何か」 など、 多様な国の人たちの話題は、 盛り上がり始めるときりがなく、 「自分の意見の5%しか言えなかった」 「テーマを絞って討論を重ねていく必要性がある」 と言った声が聞かれた。

最後は持ち寄り品も含めたパーティで、 3時のミサに始まったこの交流会は夜9時すぎまで続いた。

責任者の余語久則神父 (東京教区) は 「参加者たちは、 単に楽しいだけでなく、 他の多くの同じようなグループにはない独自の 『深いもの』 を目指したがっている。 序々にではあるが、 互いを知り、 日本を知り、 そして自分を知るために役立つものにしていきたい」 と語っていた。

なお、 8月は 『ピクニック~山に登って討論会』、 9月には 『オーバーナイトディスカッション~日本が分かる討論会』 を企画しているので、 カトリックの留学生がいたら紹介してほしいとのこと。 また、 カトリック学生センターでは、 韓国とタイに体験学習 (ホームステイ) を企画したり、 キリスト教の勉強会を開いたりしている。

第32回イエズス探求会
テーマ「イエズスのことば、神のことば」

イエズス探求会が東京教区に誕生して16年になる。

年2回、 春と秋に男子信徒の生涯養成の錬成会を実施して、 今回が32回目。 昨秋はイエスラエルへ巡礼の旅をしたので1年振りの錬成会となった。 5月12日から日野ラサール研修所を会場に、 2泊3日。 13の小教区から21名の参加者が、 「イエズスのことば、 神のことば」 をテーマに黙想と分かち合いを行なった。

はじめてイエズス探求会に出席して

友人の松原教会、 星徹氏に誘われ、 5月12日より14日まで日野ラサール研修所で行われた第32回イエズス探求会に出席した。

私が今回、 この会に参加しようと決心したのは、 20世紀が終わろうとしている1995年になって、 震災や得体の知れない事件が多発しており、 世紀末思想が高まり、 世の中に宗教を学ぼうという動きが出ている中で、 2000年の歴史を持つカトリック教会に若い人の姿が少なくなっていることに不安を感じていたからである。

私はカトリックの家庭に生まれ、 幼児洗礼を受け、 カトリックの学校に学び、 信者の妻をめとり、 子供たちにも洗礼を受けさせただけの、 平凡な信者の一人であって、 若い人たちに、 カトリックの歴史とか、 教義、 信仰について、 教えるだけの知識に乏しいということを60歳を過ぎて初めて気がついた。 これではカトリックに興味を抱く人にたいして説得できるはずがないと考え、 勉強の必要性を感じていた。

今回のイエズス探求会は、 福生教会の山根神父の指導の下、 各教会から20名のリーダー格の人たちが集まったが、 参加者の方々は皆、 立派な見識を持たれた方たちであった。 指導司祭の山根神父の指導も良く、 また、 リーダーの方の運営も行き届き、 まとまった集団であった。 ことに、 麻布教会の福川さんの祈りについての講話は聞く人の心を打つものがあった。 さすが、 カトリックの指導的人の話は違うと感心した。

全体会での討議、 グループでの分かち合いなどの話しの中で、 聖書の解釈の仕方も色々あること等も理解できたが、 信仰と実生活のつながりを大切にすること、 家族と一緒に祈るということの大切さなども痛感した。

カトリック教会から若い人たちの姿がめっきり減ってしまっている今日、 我々が本当に教会の教えが正しいと信じるなら、 まず、 身の回りの人たちにその事を知らしめ、 家族、 親族、 友人達に宣教を行うことが大切ではなかろうか。 若い人達に教会に来てもらい、 一緒に勉強していく姿勢が大切だと強く感じた。 そういった意味でも、 この3日間は私にとって充実した3日間であった。

全回出席の方などもおられる参加者の中で、 初参加の私はお荷物であったにもかかわらず、 色々教えていただいたことを大変感謝しております。 お疲れさまでした。

(船橋教会 矢崎 浩一)

森司教
宗教法人法について毎日新聞の質問に答える

6月30日午前、 東京都と東京地検は、 オウム真理教について、 「サリン量産準備は著しく反公共的」 で解散理由に当たると判断し、 宗教法人法による解散請求をそれぞれ東京地検に行った。

マスコミも、 宗教法人の解散命令、 破防法の適用、 宗教法人法の改正等について各宗教団体の意見等を報道している。
本紙6月号 (123号) には、 「オウム真理教の事件」 についての問い (産経新聞) に対する森司教の答えを掲載したが、 ここでは、 宗教法人法に対する毎日新聞の問いに対する同司教の答えを全文掲載する。

☆ ☆

Q1 政府は、 地下鉄サリン事件でオウム真理教代表ら幹部が起訴されたことなどを受け、 同教団について宗教法人法にもとづき 「反公共性」 を理由に解散請求することを決めました。 この決定についてどのようにお考えですか。 お答え下さい。

A 解散請求の根拠となる 「反公共性」 に関して、 裁判所の、 明確な証拠に基づく冷静な判断を期待します。

Q2 オウム真理教は宗教法人という名の下に、 さまざまな違法行為を重ねてきました。 これは宗教法人の認証手続きの甘さ、 活動の非公開性に原因があるとの指摘があります。 そうした意見などを背景に、 宗教法人法の改正については、 以下のような論点が挙げられています。 それぞれについて、 貴法人の意見をお聞かせ下さい。

Q2-1 全国的・国際的活動を行う宗教法人の所管を都道府県でなく国 (文部省) にする
A 所管庁を文部省にすることに異論はありません。 しかし、 そのためには当然、 文部省の業務対応能力の充実を求めます。

Q2-2 所管庁が宗教法人の活動実態を把握するため、 定期的に活動報告および財政報告を求める

A 認証した宗教法人の活動報告及び財政報告を、 定期的に求めることに依存はありませんが、 あくまでも、 報告レベルで止め、 所管庁からの指導・干渉に道を開くものにならないよう、 明確な歯止めを求めます。 信教の自由に関して、 行政の干渉は絶対にあってはならないことと考えるからです。

Q2-3 宗教法人の設立認証の基準をさらに厳しくする

A 認証の基準を厳しくする必要はないと考えます。 宗教法人法第86条の 「宗教団体が公共の福祉に反した場合において、 他の法令の規定が適用されることを防げるものと解釈してはならない」 という規定を今後も適応していくことで十分と考えます。

Q2-4 宗教法人に対する優遇税制を見直す

A 慎重な議論を求めます。

Q2-5 解散命令を所管庁が直接出せるようにする

A 解散命令を所管庁が直接出すようになることに関しては、 絶対反対です。 行政府が、 信教の自由、 政教分離の原則を度々踏みにじった歴史がありますので。

Q2-6 宗教法人活動などに関する一般への情報公開

A 各宗教法人の主体的判断に委ねるべきことと思われます。

Q3 宗教法人法の改正について、 与謝野文相は秋の臨時国会に改正法案を提出する方針を示唆しています。 Q2でお聞きした個別の問題とは別に、 宗教法人法の改正そのものについて、 またその改正作業にあたって強調しておきたいことをお聞かせ下さい。

A オウム真理教の事件を契機に、 宗教法人法の改正に動くことは、 早急であると考えます。 時間をかけて、 冷静な議論をすすめるべきと考えます。

Q4 今回のオウム真理教事件の影響をどのようにとらえておられますか。 以下のうち、 当てはまると思うものをお答え下さい。 複数回答で結構です。

(1)宗教法人全体に対して、 世論が激しい目で見るようになった。
(2)宗教一般に対する見方が厳しくなり、 一部の信者や会員に動揺がみられる。
(3)オウム真理教に特有の問題なのに、 政治的に宗教法人全般の問題として取り上げられている。
(4)宗教法人全般の規制強化に、 オウム真理教問題が利用されている。
(5)日本人が宗教について考えるきっかけになった。
(6)その他

A (1)(4)(5)

Q5 今回の事件を受けて、 貴法人内部あるいは対外的に何か対策をお考えでしょうか。 あったら、 お聞かせ下さい。

A 特にナシ

Q6 オウム真理教に関する毎日新聞の報道について、 どうお考えですか。 また、 マスコミ全般の報道姿勢についてのご意見もお聞かせ下さい。

A 報道内容に関して、 客観性に関して、 明確な基準を示してほしい。 たとえば、 どこまで警察発表か、 記事内容の裏付けの確認の有無、 どこまで記者の主観的判断なのか等………。

編集部から

●今年は、 戦後50年を迎え各地で平和を願う思いが祈り、 あるいは講演会、 青年たちによる集いによって現わされています。 本号もブロック別の行事を掲載しました。 また8月15日のシドニー、 東京、 ワシントンの 「和解を願う同日ミサ」 には、 心を合わせ平和を祈りましょう。

●ただ今梅雨まっさい中。 今年は陽性型の梅雨なのかなと初めの頃は思ってたけど、 どうしてどうして照る照るぼうずがお似合いのこのごろです。 でも、 こう毎日が雨だとねぇ…。 おまけに、 仕方ないから家でテレビでも見るかとスイッチをひねると、 やってるのは相変わらずオウムばかり。 ホントに心まで湿ってしまいそう。 夏よ、 早く来い!

●そんな季節の中でも、 教会を元気に走り廻っているのはやっぱり子供たち!

校正をしている今、 関口会館2階の窓から、 雨の中を水でっぽうをもって神学生やリーダーを追いかけまわしている子どもたちが見えます。

神学生のズボンはもうビショビショです。

梅雨があければ各教会で、 教会学校の夏季錬成会、 サマーキャンプなどが行われることと思います。 元気な子どもたちの写真や記事を編集部までお寄せ下さい。 8月末日までにいただけると大変うれしいのですが。

●昨年、 司教さまを団長とする 「司教団による信徒養成視察研修旅行」 が実施されました。

その後しばらくして司教さまが 「信徒の人たちもフランスに行って教会の現状を見てくるといいと思う」 とおっしゃいました。

確か、 女性と教会委員会の研修会の終った後で、 大雪のため道がすべって苦労をして取材に行ったこととフランスが妙に結びついて記憶されていました。

7面にも掲載しましたように9月にそれが実現され、 私も参加できることになりました。 信徒の見たフランスの教会をお伝えしたいと思いますのでお楽しみに。 (A)