お知らせ

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東京教区ニュース第126号

1995年09月01日

和解を願う同日ミサ 改めて過去を顧み一人ひとりが平和のために力を尽くそう

8月15日、日米両国の首都、東京(15日午前9時、白柳枢機卿主司式)とワシントン(14日午後5時半、ヒッキー枢機卿司式)で「和解を願う同日ミサ」が捧げられた。東京カテドラル聖マリア大聖堂では、アメリカの教会を代表する神父をはじめ、在日アメリカ人、オーストラリアからシドニー教区クランシー枢機卿の代理として、ワガワガ教区のブレナン司教と在日オーストラリア人も多数参加し、1500人以上が同じ心で平和と和解を祈った。ミサ後ブレナン司教から手渡されたオーストラリアの子どもたちの折った千羽鶴は白柳枢機卿によって、ルルドに飾られた写真。

また、中央ブロック会議主催の平和旬間資料展「戦後50年」を始め、各地、各ブロック、委員会等でも平和を祈る行事が実施された。

白柳枢機卿説教

皆さん、

戦争、それは神がご自分の似姿に造られた人間の命を奪い、家庭を崩壊し、世界を著しく乱す悪であり罪です。
戦争、それは神が創造しこよなく愛された世界、自然界を破壊する悪であり罪です。
戦争、それは究極的には、破壊しあい殺しあう死そのものです。
したがって、戦争をもって紛争を解決しようとするものは、加害者であると同時に被害者でもあるのです。
今日、戦争終結50年に当たり、私たちは謙虚に改めて過去を顧みます。
私たちの国は南京をはじめ中国各地でたくさんの人を殺しました。
フィリピンをはじめアジアの諸国で大きな虐殺行為を続けました。
朝鮮民族の人々に長期に渡って耐え難い苦しみを与えてきました。
真珠湾では奇襲をもって多くの人を殺しました。各地で戦争捕虜を不当に取り扱い、虐待しました。
従軍慰安婦によって女性を辱め、人間の尊厳性を踏みにじりました。
私たちの国はアジア・太平洋地域でまだまだ数え切れない悪をはたらき、害をもたらしました。
人々の受けた苦しみは、戦争が終わって50年経った今でも続いています。
彼らの苦しみの思い出は今だに彼らを苦しめ続けています。

私たちにとってこのような過去を思い起こすことは、本当に辛いことです。しかし、これらのことに目を覆ってはなりません。本当に改心するために悼み、悔やむ心をもって過去をしっかりと見つめ直さなければなりません。

また、私たちの国も大切な命を失いました。それは戦場においてばかりでなく、爆撃によって戦争の行われなかった土地にも多数の非戦闘員が殺害されました。
広島、長崎では原子爆弾によって一瞬のうちに実に多くの命を失いました。日本各地において無数の人が住む家を失い、途方に暮れました。

皆さん、

確かなこと、それは戦争は互いを不幸にし、憎しみ、破壊、死だけを生むということです。

戦争、それは人を痛めつける最大の悪です。そして同時に、神ご自身をも痛めつける罪です。

なぜなら、戦争は神がキリストを通してもたらした平和を否定し、破壊し、戦争はキリストの最大の教え、愛し合うことの否定にほかならない、戦争は神が造られ、愛された人間の生命を奪い、人間の尊厳性を著しく傷つけるからです。

今ほぼ同時刻に、ワシントンと東京で、日本、アメリカ、オーストラリアの教会が和解のミサを捧げるにあたり、互いに他に責任を転嫁するのではなく、神の前に謙虚にひざまづいて神と人々、特に苦しめ痛めつけた国々の人々に許しを求めて祈りましょう。

慈しみ深い父である神よ
私たちはあなたから
目をそむけ、み心に背き
あなたがお与えくださった
叡知によってではなく
武器によって
紛争の解決にあたり
多くの生命を奪い合い
苦しめ合いました

神よ
あなたと人々を苦しめた
私たち不肖の子を
許してください
そしてあなたの霊によって
私たちを変えてください
私たちがあなたの
霊によってたがいに尊敬し
愛し合えるように
光と力を与えてください

今日、終戦50年にあたり
過去を省みる私たちが
戦争が悪であり、罪である
ことを深く心に留め
二度とあやまちを
くりかえすことなく
世界の真の平和のために
働くことができるようにし
てください

皆さん、

私たち人類は、今世紀に2度も大きな戦争をくり返しました。

その愚かな経験を持ちながら、各地で国と国、民族と民族が激しく殺し合っています。毎日のように新聞、テレビに映る傷つき倒れた兵士たち、泣き叫ぶ子どもや母親の姿、疲れと悲しみ、苦しみに打ちひしがれている無数の難民の行列、本当に見るにたえません。

ノーモア 戦争、ネバー戦争と大きな声で叫ばずにはおられません。

皆さん、「キリストこそ平和」とよく言われます。

神はキリストを通して、私たちとご自分とを和解させ、神と人間の間の埋めがたい溝、越えがたい壁をキリストの死と復活により打ち破り、神と人間との間に完全な和解、平和をもたらしてくださったからです。

罪と死に打ち勝ったキリストの復活は、罪と死である戦争をも打ち破り地上の平和の基礎をつくってくださっただけでなく、平和が可能であることを示してくださいました。

したがってキリストは、「平和のために働く人は幸いである、彼らは神の子と呼ばれる」とおっしゃり、聖パウロは、「神はキリストを通して私たちと和解し、また他の人とも和解するために奉仕する務めを私たちにお与えになった」といっています。

恐れずに平和の福音を伝え、平和のメッセージを実行に移しましょう。これこそ今、神が私たちにお望みになっていることに違いありません。

ところで最後に今日たくさんの若い人々もおいでです。

教皇さまが、1981年広島で青年たちに大きな期待をもって語られた言葉を伝えたいと思います。

「全世界の若者たちに申します。
共に手をとりあって、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。
窮乏のなかにある兄弟姉妹に手を差し伸べ、空腹に苦しむものに食物を与え、家のないものに宿を与え、踏みにじられたものを自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。
あなたがたの若い精神は、善と愛を行う大きな力をもっています。
人間同胞のために、その精神を使ってください」

今日、終戦50年にあたり改めて過去を顧み、一人ひとり与えられた場所、与えられた境遇において平和のために力を尽くすことができますように、ご一緒に神に祈りを捧げましょう。

オーストラリア・ブレナン司教から3つのメッセージ

シドニー大司教区 クランシー枢機卿から東京大司教区 白柳枢機卿へ

私はブレナン司教の日本訪問に際し、私の心からのごあいさつを送るとともに、戦後50年に当たり、この「和解のミサ」に皆さんとともに参加できることを喜びといたします。

私はあなたとともに戦争のおそろしさを悲しみ、また人類家族がたがいに傷つけあったおそろしい冷酷さを悲しみます。

戦争において正しいことも悪いこともありますけれども、それを私たちはいいかげんにしてはいけませんが、私たちはともに戦争を深い悲しみと呵責の心をもって振り返る理由がございます。

たがいに非難することを止め、おたがいに心から告白し、過去の悪を悲しむことを通してのみ、私たちは正義と信頼に基づいた恒久的な関係を、将来に築く希望を持つことができます。

私たちはキリスト者として、オーストラリアと日本のキリスト者がともに、私たちの国が痛悔とたがいの許しを通して、真の和解と恒久的な平和を築くことに協力することができますように。

キリストにおいて

ワガワガ教区の傷痍軍人会からのメッセージ

ブレナン司教さま

8月15日にあなたが東京を訪れる機会に、このメッセージを東京の大司教さまに伝えてくださるようにお願いします。

ワガワガの連合軍人会の会員と会長は、心からのごあいさつを白柳枢機卿さまに送ります。

私たちの先輩たちがしたことを、行いを、単に思い出すだけでなく、この神さまが与えてくださった地上において、私たちが平和とたがいの尊敬のうちに生きるために、この世界において、国々が何をしなければならないかを私たちの子どもたちに教える道具となりますように。

8月15日オーストラリアカトリック司教団から全オーストラリアカトリック教会に向けて送られた司牧教書(抜粋)

今日、このメッセージはオーストラリアの各教会で読まれています。

私たちは今日この聖母被昇天の祝日に、50年前の戦争の悲しみを思い出す機会となるように皆さんに呼びかけます。

私たちは第2次世界大戦の間に、命を失った多くの人々を思い出し、また兵士ばかりでなく多くの非戦闘員をまきこんで、傷つき親しい人々を失った数百万の人々を思い出します。

同時に私たちは、オーストラリアの敵として戦った人々を私たちの祈りから外すべきではありません。

私たちの愛は誰をも外す事なく、許しと和解と痛悔の心をもって生きること、そしてそれを実践することは、キリスト者にとって本質的なことであります。

私たちの敵であった人々の悪い行為を非難するだけでなく、私たち自身も私たちの国が相手に対して行った、特に都市の無差別爆撃などの行為を恥ずべきであります。

誰がこの無差別爆撃によって、多くの都市に行われる被害の規模を予想することができたでしょう。

誰も広島や長崎に投下された原子爆弾の被害を予想できませんでした。

私たちはこれらのことを悪として糾弾いたします、特にメルボルンの当時のマニックス大司教のなさったように。

第2次世界大戦の終結の50年目にあたって、教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、「世界大戦の教訓を私たちは、すべての地域において十分に学んだと言えません。それは人間に相応しい社会は、他の人を破壊すること、他の人を押さえつけることあるいは差別することによっては、決して築かれないということです」と語っています。

教皇はさらに教皇庁を通して、私たちが世界の国連などの機関を通して、特に核兵器の縮小のガイドラインを強めることをたびたび呼びかけてまいりました。

この心にあわせて、オーストラリアの司教たちは特に核実験再開に対して、それがどこで行われようとも心から弾劾いたします。

私たちは特にオーストラリアの司教団として、東京大司教白柳枢機卿によって始められた戦後50年を「和解のミサ」を通して祝うイニシアティブに心から賛同いたします。

神の母、聖母の大祝日にあたって、オーストラリア各地の教会で行われるミサで、私たちが、オーストラリアがかろうじて勝ち取った自由に対して、神の母に感謝するとともに、私たちの敵であった人たちへの祈り、特に広島、長崎において終戦近くに行われたことに対する深い悲しみと痛悔の心を表したいと思います。

すべての恵みの取り次ぎ手であるマリアさまを通して、私たち、彼女の子どもたちを注意深く見守り全人類に貴重な平和と調和の恵みを与えて下さいますように。

ズームアップ 司教協議会会長に選出された濱尾文郎司教

今年の2月、アドリミナのためにローマを訪れた日本の司教たちは、その機会に特別臨時司教総会を開催した。この時、次期会長として濱尾文郎横浜司教が選出された。

濱尾司教は、「私は会長は枢機卿様や大司教様がなるものだと思っていましたから、とんでもないことだとびっくりしました」と選ばれた瞬間のことを語る。

会長としての抱負は、「これまで担当していたカリタスジャパンなどの対社会的な働きを教会としてもっと前進させていきたい。さらに、2000年は大聖年ですが、ザビエル渡来450年記念の準備として、日本の宣教活動を振り返って見直すという大切な活動をしていけたらと思っています」とのことであった。

東京教区の司祭になることを夢見て励んだ神学生の時代、司教になることなど夢にも思っていなかったのが東京教区の補佐司教になり、なっただけでも驚いたのに、今度は横浜の司教に選ばれ、そして今回は会長にと、神様は少々いたずらが過ぎるのではないかとも感じていると謙虚に語る濱尾文郎司教である。

小教区サマーキャンプレポート

8月1日グループワーク、プール、夕のミサ
8月2日朝ミサ、金時山登山、キャンプファイヤー
8月3日朝ミサ、野外料理、プールなど

亀有教会 麦の実教会学校キャンプ

亀有教会の教会学校は、「麦の実教会学校」といいます。子どもたちの人数は、小、中学生合わせて約30名という小さな団体ですが、出席率はなかなかのもので、わりと活気があると思っています。

今年は青梅の御岳山にキャンプに行ってきました。2泊3日で参加児童は20名。小学5年生の女の子一人を除いては、皆、初めて行くところで、電車の乗り継ぎは多かったものの、大自然のなかで元気に楽しく過ごせました。

キャンプに行くとそれまではあまり話しをしたことがない子ども同士が仲よくなったり、お互いの身体を心配したりする姿が見られてとても嬉しくなります。

(麦の実教会学校リーダー中村千香子)

潮見教会 小学生日曜学校サマーキャンプ”神の国をつくろう”於カトリック木更津教会

7月21日から23日にかけて、日曜学校のキャンプを行いました。

期間中のテーマである「神の国」をつくることは大変だ!とはじめは思っていました。

しかし、買い物、掃除、食事の準備、そして遊びもお互いに助け合いながら楽しみ、笑い、(多少のケンカもあったけれども………)気がついたらすばらしい神の国が完成していました。

(潮見教会日曜学校一同)

関口教会 教会学校サマーキャンプ”心をつないで手をつなごう”

8月18日から3泊4日、群馬県の水上において関口教会学校サマーキャンプが”心をつないで手をつなごう”というテーマのもと、行われました。例年と大幅に時期がずれたため、子どもの参加状況に不安があったものの、ふたを開けてみれば昨年同様50人の子ども達という大所帯のキャンプとなりました。

キャンプの初日。前日までの準備で疲れが残るリーダー達の顔も、一人また一人と子ども達が集まるにつれ徐々に気合いに満ちた表情へと変わっていきます。バスの中のテーマソング練習で、リーダーの声だけが響いていたのに一抹の不安を覚えたものの、無事宿につくとみんなで楽しいお昼ご飯。

今回の宿は、利根川の上流にあり目の前の坂を下ればすぐ河原になっています。さっそくお弁当を持って全員河原でのランチタイムとなりました。

午後の川遊びでは、大人も子どもも水の中へ。神父様、神学生はもちろんシスター方も靴をサンダルにはきかえ、長い裾をぬらしもせずに子ども達と川の中を渡って行かれます。他のリーダー達も負けずに頑張ったものの、こちらは子ども同様びしょぬれの人が続出。

みんなと一緒に服を乾かしながらふと気がつくと、先程までのぎこちなさはどこへやら、お互いの間に連帯感が生まれていました。夜になれば班ごとのスポーツ大会。今日初めて知り合ったお友達の名前を大声で叫びながら応援しているうちに、いつの間にかみんな友達になっていたのでした。

朝のごミサから始まった2日目。飯ごう炊さんでは慣れない薪や包丁相手に四苦八苦し、夜の”こわい散歩”は上級生も下級生もそしてリーダーも、しっかり手をつないでみんな一緒に頑張りました。無事帰ってきたあとも、興奮さめやらず、いつまでも騒いでいて注意されたお友達も。おかげで翌日はごミサに眠そうな顔が並びました。

3日目は午前中からオリエンテーリング。キャンプの中でも一番のがんばりどころです。厳しい暑さの中、子ども達も段々と言葉少なになり、小さい子どもは列から遅れがちになっていきます。みんな必死で歩きながらよく見ると、下級生の手を引いて歩いている上級生、水筒が空になってしまったお友達に自分の分を分けてあげている場面に気がつきます。本当につらいとき、まわりに一緒に頑張っている友達があることの素晴らしさに気がついてくれたのではないでしょうか。

最後の夜、キャンプファイヤーの火を囲みながら、何かをやり遂げた後の充実感を一人ひとりが感じていました。

キャンプ最後のごミサで、文字通り全員が手をつなぎ心をつないで歌ったテーマソング、そして、みんなの嬉しそうな笑顔。そのすべてがかけがえのない大切な思い出となりました。

今回のキャンプを祈り、支えて下さった方々に心から感謝いたします。

(関口教会日曜学校リーダー中川博美)

信徒研修会「これからの神田教会と信徒の役割」 東京教区総会の成果を踏まえ、小教区共同体でも分かち合いの実践が行われる。

今年の第10回東京教区総会では「これからの小教区共同体と信徒の役割」というテーマでパネルディスカッションと分かち合いが行われたが、それをもとに各小教区でもさざまな報告会や研修会が行われている。ここでは神田教会(主任泉富士男神父)で行われた信徒研修会の例を紹介したい。

神田教会では毎年聖霊降臨の主日に信徒研修会が行われているが、今年は3月に行われた東京教区総会のテーマを受け、6月4日に「これからの神田教会と信徒の役割」というテーマで今年度の研修会が開かれた。

主任司祭の泉神父のお話しと教区総会の報告の後、特に昨年の宣教司牧評議会の行ったアンケートで信徒の関心の高かった4つの課題(青少年の教会離れ、信徒の責任の意識改革、地域・福祉活動への参画、信仰の生涯教育)について、それぞれグループに分かれて分かち合いが行われた。

神田教会でも大きな悩みである「青少年の教会離れ」では、塾や受験が子供達を教会から遠ざけてしまう現状を踏まえ、幼児期の信仰教育の重要性、子供達との率直なコミュニケーションの機会を継続的にもつことや青少年の活動をできるだけ支援することの大切さが話し合われた。

「信徒の責任の意識改革」では、多くの人が教会活動へ参加するようになったが、それが信徒の召命であることを自覚し、利益共同体ではない教会の活動に失敗を恐れず多くの人に参加してもらうことの大切さが話し合われた。

また「地域・福祉活動への参画」では、神田という地域と自分の住む場所でできることの両方をとりあげ、小教区に居住していない信徒が多い特殊事情があるものの、できるだけ地域の人々とのコミュニケーションを図り、可能なことから奉仕活動を始めようという意見が出された。

さらに「信仰の生涯教育」は最も信徒の関心の高いテーマであったが、「祈り」がその中心となるべきであり、自省の念に立った祈りと聖書を読む大切さや、勉強会の必要性が話し合われた。

やや堅いテーマで参加者の少なさも懸念されたが、40名以上の信徒による熱っぽい話し合いで2時間弱の時間もあっと言う間に過ぎてしまった。特に普段交流の少ない信徒同士が率直に話し合う機会をもてたことが素晴らしいことであったという声が多く聞かれた。

この研修会は、長い歴史を持ち人口の減少する都心に位置する神田教会の私達が、今後の教会と信徒の役割を考えるとてもよい機会であったと言えよう。この研修会での成果をもとに、少しずつでも実践に移していくことが今後の私達の課題である。

(神田教会委員 小林直人)

ミンガラバ 2 ミャンマーの姉妹教会を訪ねて(1)

5月に4人の司祭が、姉妹教会になって15年たつミャンマーの教会を訪ね、交流を深めてきました。(東京教区ニュース124号)この2年ぶりの東京教区からの訪問の報告を中心に、ミャンマーの教会の状況をこのミンガラバ(ビルマ語でこんにちは)のコーナーに連載していきます。

7月10日のアウン・サン・スー・チーさん自宅軟禁解除で、しばらく世界を騒がせたミャンマーは、実際にはとてもゆったりとした時間の流れる国です。タイ、ラオス、中国、インド、バングラデシュに囲まれていることからもわかる通り、多民族国家であり、それぞれの民族の文化を保ちながら暮らしを楽しんでいる、基本的にはおおらかで本当にやさしい人々の国です。

人口の3分の2を占めるビルマ族に対して他の民族を少数民族と呼びますが、その中のカチン族が多く住むカチン州(ミチナ教区)をまず訪ねました。このカチン州は、ミャンマー北部、中国と長い国境を持ち、ヒマラヤ端の5千メートル級の万年雪を抱える山もある州です。カチン直系の5つの氏族、カチン系の部族、その他の少数民族などで構成され、かつてはコロンバン会が宣教をしていました。

「していました」と言うのは、ミャンマーは1962年に社会主義革命があり、その後まもなく外国人宣教師は働けなくなったからです。それゆえ自分たちだけで教会を保ち、宣教していかなくてはならないこと、また、カトリック人口が1%と少ない上に、少数民族に多く、多数派のビルマ族はほとんど仏教徒であること、国連の世界最貧国認定を受けるほど貧しいことなどから、東京教区はミャンマーと姉妹教会の関係を結び、交流援助をしていくことに決めました。

さて、そんなカチン州も、他の少数民族の州同様、30年以上続いた内戦の停戦合意に伴って最近、外国人が入る特別許可が下りるようになった地域です。その30年間、人々は村を追われ、山をおり、こどもたちは学校にも行けず、「平和とは何であるか」「安心して生活するということがどんなことか」を生まれてからずっと知らなかったと言います。その話をしてくれた神父も、私たちに会うために司教館まで来てくださったのですが、「来た道は18年間通れなかったので、これまで2日以上かけて大回りしてたのが、今は6時間で来ることができる」と喜んでいました。

そのような場所で、私たちは大歓迎を受けると同時に、宣教とは何かを考えさせられることになりました。

(ミャンマー委員会 余語久則神父)

信徒使徒職委員会常任委員会全国研修会

8月18日〜20日、品川区五反田ゆうぽうとで、信徒使徒職委員会(担当・平山高明司教)常任委員全国研修会が開催された。

参加者は、11教区212名、東京教区からは、教区担当司祭であり同委員会運営委員の小沢茂師(佐原教会主任)と伊藤雅子常任委員(秋津教会信徒)が出席した。

同委員会担当の平山司教(大分教区)は、「信徒使徒職の究極の目的は福音宣教であり、小教区において司祭と協力して行う預言職が大切である。信徒に使徒職委員会の役割は何かを問いかけながら育てていこう。どうしたら、皆に理解を深められるかを考えていこう」とあいさつした。

各教区の活動報告の後、同委員会秘書の佐無田氏(草加教会)の司会で、教皇ヨハネ・パウロⅡ世の回勅「真理の輝き」をもとにパネルディスカッションと分かち合いが行われた。

パネリストの橋本純氏は、「目的は手段を正当化するか」というテーマで戦争、死刑、生命の誕生に際しての医術と決断について話し、樋口百合子氏は「新宗教の問題点」というテーマで、オウム真理教の場合について分析した。さらに戦後の教育問題にもふれ、小教区の信徒の声も伝えた。

三俣俊二氏は、教皇回勅の分析の紹介等を行った。

各教区の活動報告の内、「同委員会に何を望むか」という問いに対して、16教区のうち9教区が情報の提供をあげていた。

第2回東京教区集会司式者・聖体奉仕者養成講座 開催中

94年聖霊降臨の祝日に出された白柳大司教の司牧書簡「司祭不在の主日における信徒による集会祭儀」と「信徒による聖体授与」により示された指針に従い、東京教区司祭評議会では千葉ブロック司祭団、千葉ブロック会議の協力を得て、今年1月29日から第1回東京教区特別聖体奉仕者養成講座を実施し、32名が「集会司式者」または「聖体奉仕者」と認定された。

第1回目に定員を越えたため参加できなかった人と前回参加者のうち諸事情で何回か欠席を余儀なくされた人を中心に、9月10日から第2回講座が都賀集会所で第1回講座と同じ内容で実施されている。

『助け合いファイル』をご存じですか?

東京教区ニュース121号でお知らせした『助け合いファイル』をご存じですか?

ご覧になりましたか?

ナイス2・家庭プロジェクトチームは「祈る」「学ぶ」「分かち合う」「助け合う」に沿って、祈り本の作成、黙想等を企画し実施してきました。中でも多くの方から助け合いの必要とネットワーク作りの要望があり、各方面に呼びかけ作成しました。

ブルーのファイルは東京教区内の学校・老人ホーム等の福祉施設編、グレーのファイルは小教区内の活動グループを紹介した教会編の2冊です。

教会編については、小教区への徹底が足りなかったためか、残念なことにすべての教会から情報の提供を得ることができませんでしたが、誰にも知られることなくこつこつとトイレ掃除をするグループ、地域医療の場で老人介護に関わる人、病む人の話し相手として日々忙しく奉仕する人等々、あげれば数限りなく、地域に根ざした活動をしている仲間の多いことに、あらためて力強さを感じました。

みなさんの協力でできた2冊のファイルを教会の隅の棚に……なんてことのないように、活動を同じくするグループ同士悩みや思いを話し合う場を作り、またグループを取材してネットワーク作りのお手伝いもしたいと考えています。

『助け合いファイル』をご覧になった感想、あるいはすでにファイルを活用している方はご一報をお寄せください。また小教区活動グループ報告のフォーマットは東京大司教区事務局分室(TEL3943-2277)内家庭プロジェクトチームにあります。必要な方はご利用ください。

教会・修道院巡り(44)『吉祥寺教会』

1935年、神言修道会(日本管区本部は名古屋)のゲマインダ、グドルフ両神父さまが、西荻窪の民家で宣教活動を始めました。翌年、吉祥寺(現在のメリノール女子修道会の場所)に移転し、神言会の修道院と研究所として、聖アルベルトホームを開設。

1942年、聖アルベルトホームは、高円寺教会の分教会となり、フラッテン神父さまが司牧を担当しました。戦争のために、一時軽井沢や山中湖畔などに疎開していた外人の神父さまたちは、終戦後、アルベルトホームに戻って来られました。

1946年春、青少年育成のために、ライツ神父さまが、ボーイスカウト活動を開始し、秋にはガールスカウトが発足。また、ヴィンセンシオ・ア・パウロ会(V・S・P)の活動も始まりました。

翌年の12月から、”青い目の良寛さん”と呼ばれていたナーベルフェルト神父さまが司牧を担当することになりました。この頃から、信徒が増え(信徒数550人)アルベルトホームでは狭くなったので御殿山(現在の場所)に移転することになり、1949年2月21日、吉祥寺教会として認可されました。

この頃の青年会(アルベルト会)はとても活発で、病院訪問、聖歌奉仕、V・S・Pなどいろいろな活動をしていました。特に、V・S・Pは、押田成人氏(現ドミニコ会司祭)を中心に、奥村一郎氏(現跣足カルメル会司祭)藤岡和滋氏(現東京教区司祭)鈴木弘道氏などのメンバーで病院訪問や毎週1回、必要なものを持って困っている家庭を訪問していました。ある時、大きな荷物を持って歩いていたので、どろぼうとまちがわれたこともあったそうです。

1953年、聖堂の定礎式が行われ、聖霊に捧げられました。翌年、4月に聖堂が完成し、その後、事務室、伝道館ができ6年後には、スカウトホームが北広場に移転してきました。

1973年12月13日、聖堂の一部が焼けてしまい、翌年4月から修復工事が始まり、9月に完成しました。

現在、神父さまが4人(日本人3人とポーランド人)、信徒数は約3800人。日曜学校、手話サークル、点字、スペイン語など活動グループがたくさんあります。

吉祥寺駅から徒歩5分、近くには井の頭公園がある吉祥寺教会へ一度お立ち寄りください。

(伊坂 万里)

〒180
武蔵野市御殿山1-7-8

95年度 神学生合宿 猪苗代にて テーマ〜青年の教会離れ〜

今年の神学生合宿は、8月29日から31日までの2泊3日。場所は福島県、猪苗代湖を見おろす御殿山。本来この合宿は、東京教区、新潟教区の合同で行なわれていたものですが、今回は都合により、東京教区のみで行われることとなりました。また再び、両教区の合同で行われることを楽しみにしています。従って、参加メンバーは次の通りです。

森司教と養成担当の5人の司祭、小川師、古川師、高木師、本多師、江部師。伊藤、浦野両助祭、稲川、佐々木、小林、荒川、関、加藤の6人の神学生、全員で14人。

交わりの合宿

今回初めて合宿に参加することになった1年生の僕は、前日から期待していました。

神学院の初年度は那須で暮らします。それゆえ先輩たちとあまり交流がないため、合宿は僕にとっては良い機会だったのです。

勿論知合いにはちがいありませんが、ある一つのテーマを定めて意見の交換をしたり、思ったことや感じたことを話しあったり、宿泊先から近くの山や湖へといっしょに遊びに行くことは、合宿以外ではあまり機会がないでしょう。

今回「話し合い」の時間が3回に分けて設けられ、現在青年を巻き込んでいる宗教問題について、また、教会の青年たちとどのように共に歩んで行くかについて話を進めて行きました。

司教様にも神父様方にも様々な角度から、このような問題についてのアプローチがあり、神学生たちの想う処も、互いに話せたと思います。

懇親会では、更に分かち合いは進み、酒も進み?楽しいひとときを過ごしました。

自由時間は周囲の散策。僕は遊覧船から猪苗代湖を眺め、親しい友人達と旅行に来ているような気分になりました。

いや、気分だけでない。なぜなら、また皆で飲みに行くだろうから………?

ともあれ、1人の神学生にとって、尊敬できる神学生たちが身近に居てくれるのは幸いなことです。

また、このような楽しい時間を過ごすことができたことを思うと、普段から僕らを支えてくださる皆様に感謝せずにはいられません。

猪苗代にて、そんな想いと実感の中、この合宿を終えることができたのでした。

(加藤豊神学生)

よき第一歩

初めて神学生合宿に参加して、期待以上に強い刺激と良い思い出をもらえました。

正直なところ、最初はこの合宿を軽い親睦会ぐらいに考えていました。話し合いの準備も不十分なままテーブルにつくと、次から次へ神父さん方から鋭い指摘。先輩神学生方の熱い意見。テーマは、青年の教会離れという、どこの教会にも見られる深刻な問題を含む重たいもの。

話し合いの輪に充分加わることもできず、みじめに時間を終えて自己反省。そしてやっと気づきました。先輩方は毎週、神学院から各教会に派遣されて、青年たちとともに楽しみ、また議論も交わして奮戦しているのだ。そんな現場から出て来る疑問や希求があるから、言葉に真剣な熱が込められているのですね。

また神父さん方にしても、神学生ひとりひとりの真の声を聞きたい、ありのままの人柄を見せて欲しい、と切望しておられた。それというのも、神学生を育てたい、ご自分の経験に照らして最善の導きを与えてやりたい、と願っておられるからなのですね。甘い考えで臨んだ私が輪に入り切れなくて当然だったのです。

夜の懇親会の後も、独りロビーでボーッとしていたら、先輩が慰めてくれました。それで少し元気が出て来ました。

ともかく、自分の至らなさを痛感できただけでも、良き第一歩なのでしょう。こんなにスゴい先輩方や神父さん方が、私を仲間に入れてくれるというのですから。そしてキリストがそんな私を、いや私たちを見守り、支えて下さるのですから。

(関光雄神学生)

千葉ブロック大会「平和を願う心、親たちから子どもたちへ」

9月3日、毎年恒例となった千葉ブロック大会が開催された。会場は東金市民会館。ブロック内の11の教会から参加者は約300人。

「子どもと共に平和を祈ろう」という今年のテーマのためか、親子そろって参加も多かった。

第1部は、親睦を兼ねた、鴇ケ嶺探鳥路コースのハイキング。第2部は子どもを中心にしたミサ。

子どもたちが、主式の森司教を囲むような形で壇上に並び、先唱も聖書朗読も子どもたちが行った。特に、派遣の前に、親たちが作った「平和を願う横断幕」が、次の代を担う子どもたちに手渡されて集会は盛り上がりを見せた。

共同祈願を捧げた子どもたちの中からも、「第2次世界大戦後50年の節目に、学校や教会で過去の戦争について多くのことを学びました。」という発言もあり、平和への歩みが、1回限りのイベントでなかったことに、ブロックの担当者たちも満足していたようである。

編集部から

観測史上、最高の暑さといわれた夏もやっと峠を越え、朝晩は、しのぎ易い日がやっと到来しました。暑さ故に、頭も回らない日々であったように思います。すがすがしい秋を迎え、実りの秋、読書の秋を満喫できるように、したいものです。読者の皆さんを刺激できるようなそんな紙面にできるよう励みたいと思っています。

前号の編集後記を読んで教会学校の合宿の記事と写真を送って下さった潮見、亀有、小金井、関口教会の子供達のイキイキした顔いいなぁー。他の小教区でもきっとこんな顔が見られたでしょう。本号では9月1日広報委員会当着分まで掲載させていただきました。

戦後50年目の夏、私たちの平和への思いは、猛暑の中の気温計と同じく、うんとボルテージがあがったのではないでしょうか。私たちの祈りがひと夏の感傷で終わるのでなく、平和公園の火のように、いつまでも心の中に燃やし続けたいものですネ。

今年の教区広報担当者全国会議は10月23日から25日まで。講師の1人に鷹取教会の神田裕神父を迎え『震災後のメディア対応』を通して「教区担当者のあり方」を学び合います。その内容は教区ニュースにも掲載しますので12月号をお待ち下さい。