お知らせ

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東京教区ニュース第124号

1995年07月01日

カトリック東京大司教区 関口会館竣工式、祝別式

〜姉妹教区ケルンからミヘル師を迎え〜

5月21日、カテドラル構内に1年6ヵ月あまりをかけて改築され、白柳枢機卿によって「カトリック東京大司教区関口会館」と命名された新会館の竣工式、祝別式、祝賀パーティが挙行された。

当日は、姉妹教区として40年間物心両面で東京教区を支えてくれたケルン教区から世界宣教担当のミヘル師、建築家のルエナウバー氏を迎え、設計担当の丹下健3都市・建築設計研究所、施工担当の㈱親建会工務所、地域近隣および各小教区からの来賓、関口教会信徒など約5百人が参列した。

聖マリア大聖堂で捧げられたミサ(白柳枢機卿司式)の説教でミヘル師は、「ケルン大司教区と東京大司教区の40年来の友好関係が今後も続くことを願っている」と強調した。

エントランス・ホールでの祝別の祈りの後、白柳枢機卿、門馬邦男師(関口教会主任司祭)、木村公治師(同助任)レオ師(同)、李師(韓人教会主任司祭)によって全館が祝別された。

ケルン教区との友好関係を記念して、「ケルン・ホール」と名づけられた地下研修ホールで行われた祝賀会では、この会館を設計をした丹下健3都市・建築設計事務所、施工した㈱親建会工務所の代表者に対して白柳枢機卿から感謝状が贈呈された。

関口会館の概要

カトリック東京大司教区関口会館は、目白通りに面し、地下1階、地上3階延べ面積約3200㎡、総工費約10億円で建設された。

1階には、カテドラル構内の入口に、総合案内所と聖パウロ女子修道会の書店・スペース『セントポール』があり、シスターのやさしい笑顔が迎えてくれる。

構内に入り、会館に沿って敷かれた煉瓦の歩道を歩むと建物の中央に広いエントランスホールがある。右手には関口教会事務所、司祭執務室、図書室など、左手に集会室、厨房等々があり、関口教会が使用している。

地下1階には、「ケルンホール」と名づけられた400人を収容する教区の研修ホール、機械室、倉庫等がある。

2階は、教区の大会議室、中会議室、小会議室2部屋、カトリック東京韓人教会事務室、関口教会視聴覚室、和室等があり、3階は関口教会司祭館として使用されている。

ケルン教区建築士ルエナウバー氏に聞く

建築士のヨゼフ・ルエナウバーさんは新信徒会館について「東京の真ん中にあるカテドラルに東京とケルンの友好関係を象徴する、このような建物が出来たことは、とてもよいことだと思う。

外観は聖堂とマッチした建物で、その中は住み心地がよく、機能的に出来ている印象を受ける。

私はケルン教区からこの建物について相談を受け、設計図を見せてもらい私なりの意見を述べた。

設計者の気持ち、精神が現れているこの建物で、皆さんが心を一つにして福音宣教に励まれることを希望している。」と感想を述べた。

またケルン教区についても伺うと、「ケルンの場合、240万の信者がいて、815の小教区がある。その殆どが幼稚園を持っている。戦後650の教会を建て直したが教会税(所得税の9%)で全部維持されている。学校、老人ホーム等の福祉施設も同様で、通常地方自治体がやる仕事だが、教会に任されているわけです。」と話して下さった。

他人と分かち合うことによってむしろ豊かになる

ミヘル師説教(要旨)

枢機卿さま
主において敬愛する姉妹と兄弟の皆さま

今年は東京大司教区とケルン大司教区が、祈りと相互支援の縁を結んで40周年記念の年です。
(中略)

40年前、当時のケルン司教区大司教フリングス枢機卿が、後に枢機卿になられた、当時の東京大司教区の土井大司教に手紙を送ったことは、もうだいぶ昔であったような気がします。

その手紙でフリングス枢機卿は、地理的に大分離れている東京大司教区とケルン大司教区の間に特別な友好関係を結ぶことを提案され、東京ではこの提案を歓迎されました。

その当時は、終戦から10年過ぎていましたが、日本でもドイツでも戦争による傷痕が深く、両国で未だ多くの人々が困窮の中で生活をしていたことを私たちはもう忘れているのでしょうか?

その友好関係を結んだ両方のパートナーは、裕福なパートナーと貧しいパートナーではなくて、どちらも困窮を深く体験したパートナーであって、キリスト教的な連帯性をもって、力がゆるすかぎり互いを助け合うことが、このような絆を結ぶ動機になっていました。

まず、ドイツから物質的な援助、日本からはシスターや司祭をドイツに送りましたが、どちらも互いのため祈ることによって、親しくなりました。

その当時、司教区が他の司教区との間にこのような友好関係を結ぶことは、教会のなかで、新しいことでした。

教会法によると、布教地へのすべての接触はローマを通さなければなりませんでしたので、フリングス枢機卿は、布教地の東京大司教区とこのような関係を結ぶために、教皇ピオ12世の許可を取らなければなりませんでした。

東京-ケルンのこの最初の協力体制が成功したので、その後、今日まで、多くの教区が同様な縁を結んでいます。いろいろな国の教区、小教区、宗教団体のおおきなネットワークができています。

人々はこのようにして、教会が世界的な教会であることを体験しました。(中略)

しばらくすると、日本で働く外国からの宣教師の数が大分少なくなっていくでしょう。

日本の教会は今世紀の間にますます自信を強め、直面する大きな課題を意識するようになりました、すなわち、人生の意義を問い、求める人々に”私は道であり、真理であり、生命である”といわれた方の喜ばしい訪れを宣言する使命です。

福音宣教する教会だけが生きている教会です。私たちは日本の仲間を励ましたいのです。祖国における福音宣教の偉大な課題を見るだけでなく、キリスト教的な福音とキリスト教的な証しを他国、とりわけアジアの他国にも拡げるように励ましたいのです。

他人と分かち合うことによって、貧しくなるのではなく、むしろ豊かになることを私たちはケルンで経験いたしました。東京でも例えば”ミャンマーデー”をもって、同じことがなされています。

マザーテレサが呼びかけています。”あなたが貧しい人々を愛するので、神があなたを愛しています”

教会は現在、ドイツでも苦難の道を歩んでいます。

たくさんの美しい教会、大きな教会建築が(多くの場合千年前に建てられた)町や田舎の風景を飾っています。しかし、その教会に集まる信者たちは減少してきました。

たとえカトリックの家庭の中で生まれ、洗礼を受けていない人たちの数が増加しています。

ドイツばかりでなくヨーロッパの他の国の中でも、洗礼を受けなかった人たちの数は洗礼を受けた人の数を上回っています-30年ほど前にはこれは信じられないこと、不可能と思われていました。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、ヨーロッパの司教たちにヨーロッパの再福音化を呼びかけておられますがやさしいことではありません。

愛する姉妹、兄弟の皆さん、東京においてもケルンにおいてもこの使命を果たすことができるために、互いの信仰を強めなければなりません。

われわれの現在直面する問題の重要性に鑑み、今も私たちの司教区の祈りや援助の協力はこの関係を結んだ40年前の時と同じほど大切です。(中略)

願わくはケルン大司教区と東京大司教区との祈りと相互協力を神がこれからも祝福してくださいますよう祈ります。

東京教区正義と平和委員会主催 シリーズ 司教と共に読む『平和への決意』

5月19日(金)、信濃町真生会館で「司教と共に読む『平和への決意』」第1回目が行われた。主催は東京教区「正義と平和委員会」で、来年3月までシリーズで行われる。

1回目の講師森一弘司教はこの勉強会について『平和への決意』をきっかけに、司教たちの本心を聞きたい、という正平協の試みが成功しますように」と述べ、参加者をリラックスさせた。

森司教はまず、『平和への決意』-戦後50年にあたって-を司教団教書として出すに当たって様々な論議が交わされたこと、そしてこの文書は教皇庁や海外の教会関係者に注目され、早速翻訳されたことなどを紹介した。

そしてこの教書の背景には、「明治政府が打ち立てた天皇を中心とした国家主義、富国強兵の政策の中で、日本が次第にアジアを侵略という形で取り込み、人びとに多大な苦しみと侮辱、損害を与えたこと。日本国内では軍国主義一色の中、「反共」にのみ国民の目が向けられ、信教・思想の自由が奪われて、教会も多くの苦しみを味わったことがある」と述べた。

さらに、この『教書』では、「先人が犯した過ちを同じ日本人として認めると同時に、そのような社会情勢の中で、教会も自らの使命(預言的使命)を十分に果たさなかった過ちがあることを公に認めている。これは日本の教会にとって大きな前進である。

しかしこの『教書』には弱点もある。天皇制国家主義に対して一言も触れていないこと、責任と償いについて具体的な策が出ていないことである。」と述べた。

また、この『教書』を出すにあたって、司教団の中に次のような意見が交わされたことが話された。

-当時の状況を考慮して、教会も苦しい立場にあったことを説明してもよいので ないか。
-国家から迫害されたら殉教してもよいという覚悟は、当時の教会の中にもあった と思う。
-愛国心は当時の正当な教えではなかったか、教会もこれを認めただけ。
-共産主義への反対、という教えが当時の教会にはあった。
-「償い」ということばについてだが、「償い」ができるのはキリストだけだ。しかし、人が協力してはじめ てキリストの償いはこの世界に実現するのだ。
-「国家のために命をささげる」とはどういうことかを一人一人考えなければならない。
-かつては聖戦という思想もあったが、集団の非暴力、集団の無抵抗主義という思想が現代は芽生えて来ている。教会はこの点をもっと深めなければならない。

など……

最後に森司教は、「とにかくこの『平和への決意』は、戦後50年を経て日本の司教団が出した画期的な文書である。これは一つの種まきであり、このような複雑な問題に入り込む一つの糸口をつけたにすぎないので、この種が芽を出し、実りをもたらすためにはいろいろな活動の委員会の中で具体化し深めて欲しい。」と結んだ。

ずーむあっぷ 関口会館の施工を担当した㈱親建会工務店 内藤秀基さん

教会の建築を幾つも手掛けている㈱新建会の現場事務所長として、関口会館の施工の陣頭指揮にあたった。以前は会社で設計図を引いていることが多かったので、「1年半に及ぶこんなに長い現場暮しは初めて。でも、のべ12,000の人々との出会いはすばらしい体験だった」と振り返る。

苦労したのは、ずばり建物を使う人への心配り。設計の丹下事務所がどうしてもデザイン重視なので、「使い勝手がよくなるように、設計にも担当に口を出した」とかで、設計畑の内藤さんならではの工夫が随所に生きている。

「予算以上のグレードアップに努めた」とPRも忘れない。

東京教区生涯養成委員会主催 第1回小教区共同体奉仕者及び教会(運営)委員を対象にシリーズで研修会開催

第1回小教区共同体奉仕者及び教会(運営)委員を対象とした研修会」が5月13日(土)から7月1日(土)まで毎週土曜日に東京教区関口会館のケルンホールで行われている。参加者は97名。

今回のプロジェクトチームができた背景を森司教は次のように説明した。

「1988年にナイスの答申を受けて、東京教区では生涯養成のプロジェクトチームがつくられ、そこで4つのプランの中のひとつ『小教区共同体で奉仕する人の研修を充実させる』という目的で年2回ずつテーマを取り上げながら勉強会を行ってきた。

今回シリーズで行われるのは、教会委員の任期等で委員が替わるなどの理由から集中的に行う必要性が出てきたこと。又これから信徒が積極的に小教区を背負っていかなければならない時代が来るので教会委員でない小教区共同体の責任を担う方々も基礎的知識、基礎的情報を受け取りながら自覚をもって奉仕していくというところから考えられた。なお、この講座は学問的、専門的なことではなく基本的な事柄に絞っている。」(講座の内容と講師は別掲)

*なお、小教区共同体奉仕者とは、小教区共同体の運営・管理や司牧宣教等の働きの中心的担い手として奉仕している人をいう。

今号では、5月13日の白柳枢機卿の「東京教区の歴史」と5月27日、古賀正典神父の「東京教区の財政について」の要旨を掲載する。

5月13日 第1講座 東京教区の歴史―白柳誠一枢機卿

東京の教会のキリシタン時代から今日にいたるまでを以下の順序で講演された。

キリシタン時代

1 初期
2 迫害期
3 潜伏期

再宣教の準備
再宣教

1 明治
2 大正
3 昭和から終戦まで
4 終戦から第2バチカン公会議まで
5 それ以降

この中でケルン教区との関係、バチカン公会議の影響による教区大会、ナイスの開催、現在の大きな問題として滞日外国人問題、信徒によるみことばの祭儀、聖体奉仕などにも触れ、「この教会の上に神さまの働きがあった、そして今でも働いていて下さっていると感じる。聖霊によって導かれていることを確信し、勇気を持って続けていきたい」と結ばれた。

―江戸キリシタンの殉教(要旨)

「東京にキリスト教が伝わったのは、日本26聖人が殺される(1597年)という長崎での大迫害、殉教の後です。非常に摂理的といいますか、あの大迫害を避けてフィリピンに逃れた宣教師のポルトガル人でフランシスコ会のフェロニモ・デ・フェスス神父は、1598年に思い直して江戸に入りました。その年に秀吉が亡くなり、その後天下を取ろうとする家康は、海外との貿易を始めようとフェロニモ・デ・フェスス神父に3つの条件を申し入れて江戸で布教をする許可を出します。現在の8丁堀に東京で初めての聖堂『ロザリオの元后聖マリア聖堂』が建てられました。当時の文献を見ますと、その献堂式にはあふれるほどの人が来て、神父は外で説教しなければならなかったといわれています。おそらく9州の地で洗礼を受け、迫害等を逃れるために当時すでに江戸にもかなりの数の信徒がいたのではないかと思われます。しかし、その聖堂は江戸の大火災で焼失(1601年)してしまいます。宣教師たち、信者たちは協力してまもなくその場所に聖堂、修道院、診療所を建て、これは10年くらい続きますが、道路拡張という理由のもとに取り払われてしまい、その後江戸の地も迫害が始まります。」
「東京教区では毎年高輪教会を中心に江戸殉教祭を行っていますが、これは、多くの殉教があった『元和げんなの大殉教』を記念しています。

キリシタンの研究家によりますと、江戸の殉教者は少なくとも2千人はいたはずで、大多数は名前が知られていない一般信徒であったといわれています。私達東京の教会はたくさんのすばらしい先輩を持っています。これは大きな誇りであり、そして励みにもなることと思います。

殉教者のなかで名前がわかっている方は何人か福者になった方、列福された方もおられますが、名前がわかっていて列福されていない方を日本の教会は今、まとめて福者にすべく列福運動をしています。やがて今世紀中には多分列福されるのではないかと思っています。」

5月27日 第1講座 教区財政について―古賀正典師

教区事務局次長で会計担当の古賀正典師は、「本日は、時代に即し、教会共同体に相応しいお金の扱い方あるいは運用の仕方についての初歩的なお話しをしたいと思っております。」と前置きをした後、この講座の第1日目、第2講座で、高木賢一神父(教区生涯委員会担当・荻窪教会)が話した「教区の組織の現状」にもふれながら、(1)小教区とは? (2)東京教区の財政状況 (3)今後の問題について語った。

(1)小教区とは?

新しい教会法典の前の教会法典も小教区の定義を明らかにしています。

「その地域のキリスト教共同体を形成する主体としての信徒の集まり」、「その地域」というのは、東京教区の場合、「東京大司教区」はローマの聖座の許可なしには成立しえません。

同じように「小教区」と呼ばれる皆さんの教会も、教区長・枢機卿である白柳大司教の認可なしには存在しえません。

ローマの教会法の基本的な概念は、その地域に住んでいるメンバー(属するひと)となっています。

多摩川を越えて、神奈川県に在住されている方は、厳密な意味では東京教区民ではありません。

千葉県は東京教区ですが、埼玉県は東京教区ではありません。神奈川県の方は、横浜司教区民であり、埼玉県の方は浦和教区民であることを認識しておいていただきたいと思います。(中略)

それぞれの教区によっていろいろな指針、方針等が決められ、それに基づいて仕事が行われます。

もちろん交通の便や、あるいは洗礼を受けるきっかけとなった教会、あるいはお子さまを幼稚園に通わせていた等々で、いわゆる越境組の存在なしには小教区共同体を語ることは出来ません。

逆の立場から、財政担当者の会議などで浦和教区や横浜教区の会計担当の神父さんから、「あの人たちが東京教区で落とすお金は、本来は浦和教区あるいは横浜教区に入ってきて福音宣教のために使われるのに」と言われたときには、私は辛い気がします。

冠婚葬祭もそうです。

都心のホテル、都心の教会等で結婚式をやったときの謝礼、教会献金等は、やはり東京の教会に流れていってしまう、浦和教区や横浜教区の神父さんたちあるいはそれぞれの教会への献金が減っていることも確かです。(中略)

小教区のことを考えるときに、お金の面からも、教会法の面からも、時にははっきりしなければならなければなりませんが、時には寛容に理解しなければならないこともあり、東京教区の司祭たちも、近隣の教区の司祭たちも、そういう緊張関係に常にあるということをご理解いただきたいと思います。

そのような話は、教区だけでなく、小教区でも頻繁に起こっていることをご存じだと思います。

(2)宗教法人と会計

東京大司教区は、宗教法人法上東京都によって認可された宗教法人です。「その宗教法人が主体となり、教会を設置し包括する」という言葉を使っています。それを厳密な意味での「カトリック東京大司教区の小教区」といいます。

東京教区には、81の小教区・分教会がありますが、45が「宗教法人上の東京大司教区の小教区」です。

修道会・宣教会の方々が担当し、宗教法人上は他の宗教法人が包括している教会が残りの36の小教区です。

カトリック東京大司教区は、東京都が認可した宗教法人で、東京都と千葉県を担当しています。

そして、カトリック東京大司教区(代表役員 白柳誠一)は、宗教法人法上の会計の責任を、この45の小教区には持っていますが、36の小教区には持っていません。(おそらく、修道会・宣教会の日本管区長)

しかし、東京大司教である白柳枢機卿は、81の小教区について財政上の権限を小教区の部分について(修道院の部分については別)もっているというある種の2重構造があります。

(3)東京教区の財政について

「布教国として外国に依存してきた時代は終わった今、教区野財政はどのように支えられているか」についてお話ししようと思います。

基本的には、東京教区ニュースの88号に掲載されていますが、〜「1992年は経済自立の年に」〜、白柳大司教が教区百周年を祝った1991年10月3日、第26回教会財務連絡会で発表された教書が、今の私にとっても、東京教区にとっても指針となりました。

このなかで、台東区潮見の土地のカトリック中央協議会への売却代金収入と浅草教会の土地再開発による定期的収入を財政基盤として、ローマ教皇庁福音宣教省からの助成金を段階的に減らしていき、1992年からは辞退する、また、40年近くに渡るケルン教区の援助もカトリック東京国際センター(C・TIC)の設立資金を最後とする旨を述べられました。

ローマ教皇庁からは、1989年までは、年間1000万円程度、91年は439万円の助成を受けましたが、92年からは返上しました。

また、ケルン教区からはC・TIC設立のためにでなく、このカトリック東京大司教区関口会館の建築のために、3億円の援助を受けました。

このように、自助努力をするとともに、1975年からはミャンマーの教会への援助を開始しました。(中略)

(4)今後の問題

1、教会財産の管理

聖堂、信徒会館、司祭会館などは、宗教法人が本来の意味の宗教活動の基礎ですので、適正な管理をする必要があります。

戦後50年経ちますので、老朽化がすすみ、補修作業等の必要が生じてきていると思います。ちょっとの工事をするときでも、具体的に長期的なヴィジョンをもって考えていただきたいと思います。

聖堂、信徒会館、司祭会館等は非課税のところですので、建築申請をするときから、最後の都あるいは千葉県の検査を受けるときまで、しっかりと練らなければ非課税にはならないということです。
45のカトリック東京大司教区の包括する小教区にかんしては、この4年間で登記関係の書類の整備は終了しました。

今後、皆さんのところで、こういったことがある場合、すこしお金はかかりますが、司法書士、行政書士、会計士等にご相談されることをお勧めします。

2、教区の従来の会計の整備と新しい財務会計の構築

さきほど延べました浅草教会の土地再開発からの収入のうち、年間約1億円を教区の通常会計にまわしております。いいかえれば、年間1億円が不足しているということです。

このかめには、教会維持費納入率の改善へ努力をしていただきたいというのが正直な気持ちです。

もう1つは、自分の小教区で働く人たち(司祭、カテキスタ、職員)の人件費を自分の教会で支払えるよう努力をしていただきいたいと思います。(中略)

3、経理事務の効率化の推進

会計取扱い規則を作りましたので、時期を見て小教区の方にも科目等の変更をお願いしていきたいと思っています。また、通常の出し入れだけでなく積立金およびその取り崩しのついても報告していただくことになりました。

講座内容と講師

日時 第1講座 第2講座
5月13日

東京教区の歴史
白柳誠一枢機卿

教区の組織の現状と解説
高木賢一師

5月20日

司教協議会の役割
岩橋淳一師

日本の教会の流れ
岡田武夫司教

5月27日

教区財政について 
古賀正典師

教会施設の老朽化と建設
財政評議会

6月3日

教会法による小教区
稲川保明師

信徒にとっての教会法

6月10日

教会典礼の基礎知識
関根英雄師

信徒の典礼奉仕
幸田和生師

6月17日

共同体の知識への奉仕
森一弘司教

地域活動の事例から学ぶ
前田ちえ子氏

6月24日

外国人と共に生きるため
大原猛師

外国人信徒の司牧の問題点
満留巧次師

7月1日

司祭が考える小教区運営  
門馬邦男師

信徒が支える小教区運営
スタッフ

 

教会学校って何?リーダーって何? 〜教区教会委員会リーダー研修会〜

恒例の教区教会学校委員会主催のリーダー研修会が5月28日に真生会館で開かれた。

遠くは、山形・宮崎・群馬からリーダーが駆けつけて「お久しぶり」と懐かしい顔もあり、スタッフも含めて70名近いリーダーたちの友達の輪が広がっていった。

戸高師講話

サレジオ会の司祭で神学校の時に教会学校にたずさわり、現在はサレジオ学院で教鞭をとっておられる戸高譲2神父の講話を皆で分かち合いたいと思います。

まさに私たちリーダーのとらなければならない姿勢を的確に伝えてくださっていると思います。

まず、教会学校について。

教会学校といった時、基本的には、青少年、少女たちの信仰を育てる場であると言える。洗礼を受けていない子どもであっても神様のことを知る場といえる。

教会の中にあって小学生も中学生も高校生も教会を形づくる一員であり、大人だけが、青年以上が教会を作っていて子供たちは予備軍であると思わない。子供たちも一人ひとり神様の子供であり教会の一員でありイエスさまの体を形作っている。そこに教会学校の活動が神様とつながっていることを意識する必要がある。

次に、遊びは明るさがあり快活さがあり生徒にとって楽しい場であり自分たちの場である。教会に行くのが嬉しい、まずそういう場であること。子供たちに興味のあることから子供たちを引きつけていく。しかし、遊びだけで終わるのでなく、楽しかったこと、皆と一緒だったこと、そのことに喜びを感謝すること、喜びと感謝が神様から与えられたものであり、一緒に遊び一緒に感謝し、そしてそれを神に帰することが大事でありこれが信仰体験につながる。

次に、リーダーについて考えてみた時、まず第一番に大事なことは「ともにいる人」ということである。そのためには、こどもの視点に立った物事を見つめられ、こどもと会話ができ、じっくり話を聞ける人になるように努めたい。第2番目は、信仰を育む人、第3番目は一緒に祈る人、第4番目は、子供たちの状況を把握しているかどうか、第5番目は、リーダーはリーダーを育てる。ドン・ボスコは彼の下に集まってきた子供の中からリーダーを育てた。

第2講話 「考えるリーダーになろう」 国際理解教育・資料情報センターの福田紀子氏

限られた時間内に何人の人の名前を知ることが出来るのかなど、リーダーたちが身体をつかい我を忘れて熱中した。教材として出されたバナナは、最後はおやつとしてそれぞれのおなかの中に納められた。

第3講話 「リーダーはいいぞー」 聖ヨゼフ学園小学校教師の萩野友紀氏

長い間教会学校のリーダーをしておられたので、子供は生きた信仰を持っていることや、教会の中での教会学校の位置づけなど直面してこられた話が聞かれ、障害保険、健康調査票・隊列行進の引率法など子供の安全確保に関することを教えて頂いた。

(間島道子)

堅信おめでとうございます

6月4日(聖霊降臨の祝日)午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、教区合同堅信式が行われ、19小教区148人が堅信の秘跡を受けた。

白柳枢機卿は、「聖霊降臨は弟子たちに聖霊の賜物を与えてくれました。

私たちは堅信の秘跡によってキリストの愛を人々に伝える力をいただきます。

キリストの弟子は、世界の果てまでいって殉教しました。私たちも隣人に神がいかに私たちを大切にしてくださっているかを伝えましょう。

キリストの教え(愛)によって私たちが生きることが必要です。

皆さん、心の扉を聖霊に開きなさい。

聖霊は必ず私たちに耳を傾け、私たちに心のやすらぎを与えてくれるでしょう。」と話された。

シリーズ 外国人共同体を訪ねて

第6回 セントロ・ロヨラ (Centro Loyola)

四谷の聖イグナチオ教会内にあるセントロ・ロヨラは、主にラテンアメリカやアメリカから来たスペイン語を話す人々に奉仕するためにつくられた。

日本語クラスなどは18年前から開始し、1988年に事務所として小さなプレハブを建てた。

その間に、スペイン語を話す人の数はどんどん増え、当初、小さい聖堂で月1回だったスペイン語ミサは、やがて毎週日曜日になり、2年前からついに大聖堂を用いるようになった。

現在、責任者のメンディサバル神父(イエズス会)とシスターアンパロ、そしてシスターモンセラート(以上キリスト・イエズスの宣教会)と在俗修道会のビタ・エト・パックスやボランティアの人たちで運営している。

活動としては、様々な問題、例えば労働問題やビザ・医療などの問題への対応が、一時非常に多かった。

しかし、最近は司牧的活動へのニーズが高く、その面が拡大してきている。毎日の5分間の聖書の祈りのガイドの送付希望の増加などはそのよい例である。

シスターアンパロによると、まず第一にしているのは、人々の話しを聞くことであり、セントロ・ロヨラに来てただただ時間を過ごしている人に、友だちとなる人を紹介したりすることから多くが始まるという。

家族と別れ、キリスト教国でない日本に来て孤独な時、そこで神に出会い、信仰を強める人も結構いるとのことである。

セントロ・ロヨラ(スペイン語共同体)の主な活動

スペイン語ミサ…毎日曜日午後1時15分から
スペイン語のニュース…年4回
ゆるしの秘跡…日曜日。水曜日を除く週日の午後5時〜7時
洗礼…年4回(準備勉強会あり)
堅信…今年は6月11日(毎月第1日曜日に準備勉強会)
日本語クラス…日曜日午後2時30分〜4時30分
火曜日10時30分〜12時30分
※簡単なスペイン語を用いて教えている。
日系人や日本人と結婚した女性が多い。
日本料理クラス…第2・第4火曜日午後1時30分〜4時
子どものための日本語クラス…土曜日午後5時〜6時
土曜学校・日曜学校…イグナチオ教会の教会学校に参加
結婚講座…3か月ごと(1シリーズ9回)
聖書勉強会…第2・第4日曜日午後5時〜6時30分
AAの会…日曜日午後7時〜8時(6本木チャペルセンター)
図書貸出サービス…社会や教育についての需要が多い。

その他、クリスマスパーティの開催や、イグナチオ教会の各種行事への参加、また、ミニサッカー大会などを随時開いている。(03-3222-7827)

なお各種問題への対応は、2年前に独立して隣に建つセントロ・クラヴェール(シスターコンスエロ TEL03-3263-4467)が担当している。

教会・修道院巡り(43)『清瀬教会』

現在の清瀬教会が発足したのは1958年5月であるが、その前身は1936年7月、ベタニア修道女会が所有していた今の秋津教会の地(清瀬市梅園)に、パリミッション会のヨゼフ・フロジャック神父が創設した教会にさかのぼる。

1936年といえば、日本が軍国主義の道を走り始める転機となったあの2・26事件が起きた年ではあるが、当時の清瀬周辺は世間の喧噪をよそに、のどかな農村地帯であり、人里離れて結核療養所やハンセン病患者を収容する全生園などが点在するだけだった。1940年には、西武鉄道清瀬駅の南、約100メートルのところにマリア会(約8000坪の土地)が清瀬修練院を建て、松林の中に牛舎や納屋が点在していた。

清瀬修練院は80名が生活できる大きな建物で、マリア会の戦火を逃れた唯一の施設であったが、1947年6月、漏電による火災で全焼してしまった。焼け跡にはかまぼこ兵舎が再建されたが、清瀬駅周辺には次第に住宅が増え、商店街も出現して、修練院としては不適当な環境に変わってきたため、1958年に神奈川県の大磯に移転した。

その跡地の一部を東京教区が譲り受けて、ドイツ・ケルン教区の援助による聖堂が建設され、現在の清瀬教会が誕生した。それまでの清瀬教会は、秋津教会として再出発した。

1968年、献堂10周年を記念してルルドのマリア像を建立し、1970年には司祭館を増築した。1975年も半ばに入ると築後20年を経た聖堂(木造一部2階建て)の老朽化が進み、屋根を葦ふき替えたり、床を修理しなければならなかったが、献堂25周年に当たっては司祭館、信徒会館の建設を先行させることになった。信者による建設献金を開始し、1988年12月に現在の立派な建物が完成した。以後今日まで清瀬教会の伝統的な解放感のある明るい信者活動の場となっている。

また、1993年4月には府中カトリック墓地に当教会の共同墓地も完成した。

目下の急務は築後37年で老朽化が深刻な状況にある聖堂の建て替えであり、聖堂建設委員会を中心として準備が進んでいる。

1995年5月現在の信者数は約1300名。清瀬市だけでなく、近隣の中小都市からも多くの信者が集まってくる。

(河内山 典隆)

〒204清瀬市松山1-21-12
ミサ土17時
日8時15分、10時

ミンガラバ -ミャンマーの教会から-

5月に東京教区の若手司祭4人(福島・秋保・レオ・余語)が姉妹教会になって15年のミャンマーの教会を訪ね交流を深めてきました。

3つの教区を訪れ、暖かい歓迎を受けるとともに、インターナショナルデーのミサ献金などの寄付を置いてくることもできました。詳しい報告を、ミヤンガラバ(ミャンマー語でこんにちは)のコーナーに、今後連載していきますが、一番北にあるミチナ地区(カチン州)からお礼の手紙が届きましたので紹介します。

ミチナ教区への心温まる7千ドルの贈物をいただき、お礼を申し上げます。今年のインターナショナルデーの献金を、ミャンマーの教会、特にミチナ教区に援助してくださり、心から感謝しています。

この贈物は大変助かります。年々増える小神学生が、ついに120名を越え、神学校を増築しなくてはならないので、そのために使わせていただくことにしました。神の召命に応える神学校の発展の喜びをご一緒に分かち合ってください。

短い滞在でしたが、4人の若手司祭の訪問は、私たちにとって忘れがたいものです。東京からの兄弟たちとの交流は、本当に喜び深いものであり、私たち全員に新鮮な空気を吹き込んでくれました。4人の司祭も、楽しんでくれたことと思います。

本当にありがとうございました。神が皆さまの上に、お導きと励ましを与えてくださいますように。
感謝のうちに。

ミチナ教区司教 ポール・グロウン

あなたも黙想会に参加しませんか? 12教会16人が集い 第1回ワークショップ開催される

サラリーマンと信仰

近年、生涯学習の必要性が強調されているが、東京教区でも、第1回福音宣教推進全国会議後(NICE・1)以後生涯養成委員会も作られ、多種多様な研修会、集い、学習会、黙想会等が開催されている。そのうち、ちょっと変わったワークショップ、黙想会を紹介したい。

神田教会の泉富士男神父の提案によるこの会合は5月13日(土)10時〜18時まで神田カトリック信徒会館で行われた。

遠近12教会から、16名の参加者を得て活発な体験、提言、意見交換、対話がなされた。午前、午後各1回来き住し神父(御受難会)の基調講演、ウォード神父(同)、泉神父の講話を含む延べ8時間に及ぶまことに有意義なセッションとなった。

「キリスト者にとって、労働とは、神の創造のわざに我々が協力することである。そのとき神は、『仕事』そのものの中にどの様に現れて来るか」。

「今日の教会では男性の『仕事』そのものを具体的に、意義深く取り上げてはいないと思われるが、そこには『仕事』が神との関係において信仰の視野のうちに捉え切れていないのではないか」と語った来住神父のことばに誘発されて16名の参加者1人ひとりから様々な体験と意見とが生々しく語り出された。

人事評価をする時のジレンマ、リストラで仲間の首切りをしなければならない時の悩みと苦しみ、下請業者に無理を強いる苦しみ。

ライバル会社との熾烈な競走の中で感じる良心の痛み。

長時間の通勤、残業、疲れから家庭・子供との対話欠落、断絶の悩み。

配置転換と逆境、巨額な交際費などの裏を知っていての黙認捺印、談合見積が平然と行われることを知る時の虚無感など―それぞれの仕事の中で感じる無力感、弱さ、ジレンマに直面する時に、信仰を意義あらしめて生きるとは何なのか?

ジレンマの辛さから逃れるために「神様、ここにだけは立ち入らないで下さい」と言わず、悩みとジレンマそのまゝを神に向って打ち明け、語りかけることは、どの様にすれば可能となるのか。

いわゆる「労働の神学」は仕事の体験を持たぬ司祭ではなく、まさに働く人々の中からこそ生れなければならない|と語り合った。

今後も継続される予定のこのワークショップ初会合はかくして、よく、その任を果たした。

(来き住し英俊神父)

教区ナイス2「家庭プロジェクト」チーム主催 「家族のための祈り」一泊黙想会

Oさん、お電話を下さった時、留守をしていてごめんなさい。

実は5月27日、28日と上石神井のイエズス会黙想の家で行なわれた、東京教区ナイス2「家庭プロジェクト」チーム主催の「家族のための祈り」一泊黙想会に参加していました。

この黙想の家は昔、カルメル会の修道院だったそうです。静寂な祈りの雰囲気の漂う場所でしたので、おしゃべりな私でも沈黙の豊かさを体験することができました。心が満たされた2日間についてあなたにお話したくてお手紙しています。

21の教会から、男女合わせて25名の方々が参加されていました。沈黙の中でも互いに支え合う、暖かいものを感じることができました。

黙想会のテーマは「家族のための祈り」でした。

森司教さまのお話では2つのことが心に残っています。「家族の中の関わりが、神との関わりの中にも出てくる。心をこめて祈るためにも『この私』に戻らなければ祈れない。」ということ。「世の中にはさまざまな絆があるが、家族の絆は互いにとって恵みであり、『神に感謝』と、この私が心から叫ぶ、それが祈りになって出てくる」ということです。この私が家族の一人ひとりに、どのように関わってきたか、ふり返るよい時となりました。

お話もよかったのですが、とても印象に残っていることがあります。それは、司教さまが「家族のための祈り文」のパンフレットを使って、黙想指導をなさったことです。確かあなたも「家族のための祈り」に投稿されましたね。パンフレットには134名の方々のお祈りが掲載されています。

6才の子供から80才の年輩の方まで、それぞれが神さまに向けて率直な思いを込めて作られた祈り文を使って、皆で祈りました。

また、自分の人生と合わせて、この祈りは自分の心に響いたというものを一つだけ選んで分かち合いをしました。家族の中での自分をしっかりと見つめつつ、家族の絆を大切にして喜び、苦しみ、悩みを丸がかえにして神さまに向かって歩いておられる方々の分かち合いは、豊かで、深い祈りの雰囲気に満ちたものでした。

喧騷の世にあって、神さまと関わっていくためにも、静かに祈ることができるこのような黙想会に、また、参加したいものだと思っています。その時には、あなたをお誘いしましょう。「祈り文」のパンフレットもお送りします。私も私らしい祈りを作ってみます。ではまた、お会いした時に。

ナミュール・ノートルダム 修道会
鈴木千恵子

編集部から

Q・世の中は、「マルチ・メディア」になりつつある、と言われています。情報の発信も、受信も、自分がしっかりとしていなければ、とは思うのです。でも、どうやって、真偽を区別したら良いのか、分かりません。そこで一句。「じょうほうも よくよくきけば うそがある ゆうべんだけど うそはうそだよ」
(アイ・ラブ・ジョウユウ)

A・マルチとは、マルチチュードのこと、多重という意味。メディアとは、媒介という意味。ですから、「マルチ・メディア」とは、「多重媒介」のことです。しかして、「多重媒介」とは何ぞや!つまるところ、お互い勝手にお節介をやきあって、無責任と混乱に至る。その風潮を詠んで一句。「新曲の ラップのノリで やみくもに 慣れぬ男の ギニョール踊り」(アイ・ラブ・スパコン)

オウムも戦後50周年も微妙で複雑な問題をはらみすぎて、編集会議を悩ませています。私のメインの仕事のカトリック学生センター・真生会館でも、多様化する学生のニーズと、変化し続ける教会のはざまで、頭を悩ませ続けています。そもそも教会に学生がいない!日本の教会はつぶれちゃうぞ!オウムのまねして集められないし…。求む!すっきりした頭。求む!学生。(Rio)