東京教区ニュース第119号

1995年01月01日

祝・白柳枢機卿就任
叙任式と共同司式ミサ

枢機卿叙任式は11月26日 (土) 午前10時半、 バチカン市国内のパウロ6世ホールで行われた。
叙任式といっても、 正式には 「通常公開枢機卿会議」 と呼ばれ、 みことばの祭儀の中で新枢機卿を任命する形となっている。

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11月27日

1万人を収容できるホールは開式の1時間前には満杯となり、 正面右手に会議を構成する先任枢機卿か緋色の法衣で、 また赤紫の法衣の司教たちが会衆の最前列に三三五五と集まると、 その色彩の鮮やかさが会場を華やかにする。

新枢機卿たちが頭につけるもの以外は同じような緋色の法衣で中央通路を入場してくると拍手が起こる。

定刻に教皇ヨハネ・パウロ2世が正面左手より入場。 詩編33が入祭の歌として歌われる。 「新しい歌を主に向って歌え」 と。

開祭のあいさつの後、 教皇は30人の新枢機卿の氏名を宣言する。 自国の枢機卿の名前が呼ばれるたびに、 各国の参列者が盛大な拍手で喜こびの賛意を表明するので、 この宣言だけでも30分はかかっただろうか。

この日のみことばは、 ペトロの手紙第1の5章 「長老たちへの勧め」、 答唱詩編に 「主のいつくしみをとこしえに歌い」、 そして福音はマルコ10章から 「いちばん偉くなりたいものはすべての人の僕になりなさい」 が枢機卿職を受ける人々に告げられた。

枢機卿職についての訓話を含む教皇の説教の後、 いよいよ式のクライマックスを迎える。

新枢機卿は、 教皇の前に進み出てひざまづく。 教皇はローマ近郊の教会の称号を与え、 ローマの司教である教皇を補佐する任務を一人ひとりに託することを宣言する。 そして、 頭上に緋色の枢機卿位のビレタを被せていく。

私たちの白柳枢機卿の場合でいうと次のようになる。

「全能の神となる使徒ペトロおよびパウロの栄光のために、 あなたに聖エメレンティア・トル・フィオレンティアーナ教会の称号を授けます。 父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン」

これによって新枢機卿が誕生した。 残念ながら今回はこの聖エメレンティア教会を訪ねることはできなかったが、 いずれ白柳枢機卿は公式に初めての訪問をするだろう。

ローマ教皇のすぐ側に仕えることをまるでローマに在住しているような表現で、 その密接なつながりを示そうという古来からの伝統である。 東京の大司教でありながら、 かつローマの枢機卿であることをこの日から白柳大司教は身に受けたのである。

緋色の真新しいビレタを被り、 まず教皇と、 そして枢機卿団と平和のあいさつを交していく白柳枢機卿の姿は印象的だった。

国際色豊かな共同祈願、 主の祈りと続き、 教皇の祝福をいただいて閉式となった。

この日の夕方は、 新枢機卿への公式表敬訪問の時間が組まれた。

白柳枢機卿は、 教皇宮殿内大謁見室の片側に立ち、 教皇庁の職員、 各国大使、 修道会代表、 ヨーロッパ各地の日本人の信徒からあいさつを受けた。 すぐ脇には今年修復を完了したシスティーナ礼拝堂への入口がある。 日本からの巡礼団の中には、 ゆっくりとミケランジェロの大作をながめることのできた人もいたようである。

11月27日

翌27日は、 侍降節第一主日のミサを、 教皇とともに新枢機卿30人がささげることになっていた。 もちろんサンピエトロ大聖堂で、 しかも教皇祭壇でである。

同行した日本からの参列者は、 昨日の叙任式が遠くからであまりよく見ることができなかったという反省からか、 開門の前から早起きして並んで待っていた。

このミサの中で、 教皇は新枢機卿に指輪を授与する。

「この指輪を受けなさい。 これは、 枢機卿の尊厳のしるしであり、 また配慮深い牧者としてのしるしでもあります。 そして、 ペトロの座 (教皇庁) との交わりをより強くしてください」 と呼びかけたあと、 一人ひとりに指輪をつけていった。

指名順が4位であった白柳枢機卿は中央祭壇に上り、 教皇とともにラテン語で奉献文を唱えた。 日本でも海外ニュースなどでこの場面が写っていたと聞いたが、 教皇祭壇に上れるのはめったにないことだといわれる。

ローマ典礼文と呼ばれる第一奉献文、 白柳枢機卿は 「また、 あなりの深いあわれみに頼るわたしたち罪びとを、 使徒と殉教者の集いに受け入れてください」 という部分を単声で祈った。 ローマ教会の枢機卿として、 ローマの殉教者たちの名を呼びつづける枢機卿の祈りの中には、 日本の殉教者たちへの思いも込められていたように思えた。

そして、 「すべての聖人の跡に続く恵みを、 あなたのあわれみによって与えてください」 と祈りを結ぶ時、 世界中のキリスト者の代表として、 父である神に祈る祭司としての姿が白柳枢機卿の生涯の中心的な在り方であるのだと実感した。

(古賀正典神父)

2000人をこえる参列者で
白柳枢機卿就任記念ミサ

12月4日
東京カテドラル
聖マリア大聖堂

12月4日午後3時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、 白柳誠一枢機卿就任記念ミサが捧げられた。 バチカン教皇大使カルー大司教出席のもと、 白柳枢機卿主司式、 浜尾文郎司教他9名の司教、 長崎教区より司教の代理の司祭をはじめ百20余名の司祭団による共同司式ミサで、 参列者は2千人を越えた。 ミサ後、 信徒を代表して中村智子さん (小平教会) がお祝いの言葉を述べ、 6か国12人の子どもたちから花束が贈られた。

飯田橋のホテルグランドパレス白樺の間に場所を移し、 大原猛師 (潮見教会) の司会で祝賀パーティーが行われた。 カルー教皇大使、 Sr.今泉ヒナ子 (日本女子修道会総長管区長会会長)、 寺西英夫師 (東京カトリック神学院長) の祝辞の後、 浜尾司教の発声で乾杯、 懇談に入った。 会場には6百人近くの信徒がお祝いに駆けつけ、 ともに喜びを分かち合った。

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カルー大使祝辞

枢機卿の条件とは

聖なるローマ教会の枢機卿は、 学識、 徳、 信心及び実際的な賢明さに特に優れている男性でなければなりません。 教皇ヨハネ・パウロ2世によって選ばれたペトロ白柳誠一枢機卿様に心からお祝いを申し上げます。

私たちは白柳枢機卿様のために祈ります。 枢機卿様と彼に信頼する人達が永遠の命の喜びに至ることができるために真の信徒の賜物と徳で満たされ、 その言葉と行いで教会を導いて下さいますように。

寺西師祝辞

うちのとうちゃんは……

10月30日 (日) 夜、 神学校にもファックスが入り、 驚きました。

翌朝の神学校のミサでみんなに発表しましてしっかりお祈り致しました。 (笑) 神学生には枢機卿とはどういうものなのかについてちゃんと勉強するようにと、 (笑) あとで聞かれるかもしれないので、 申し渡しておきました。 (笑)

私どもみんな同じだと思いますが、 まず最初は 「ご苦労様だな」 「大変でしょう」 ということでありました。 日ごろ東京教区の教区長の重責を担われている上に、 今度は世界のいろいろな問題の諮問にも答えていくようなこと、 それからいってみれば日本の教会の顔というような立場にも立たれるわけで、 ほんとうにご苦労様と…、 しばらくしているうちに、 やっぱりちょっとうれしいような、 (笑) まあ子供たちの言葉でいえば 「うちのとうちゃんえらいんだぞ」 (爆笑、 拍手)

白柳枢機卿様を中心に我々司祭団を構成しているわけで、 そのご苦労はわたしたちも一緒に担う覚悟、 多分みんな持っていると思います。

叙階式のとき従順を約束致しまして時々はそれを使ってまいりましたけれども、 (笑) これからはしばしばそれを使わせていただきますとお約束してお祝いの言葉と致します。

白柳枢機卿あいさつ

「勇気を持ちなさい」

白柳枢機卿 今日は本当にありがとうございます。 先程の大使閣下がおっしゃる徳とかなんとか、 枢機卿に必要なもの、 私の該当するものは男であること、 (笑) それは教皇様もお間違いにはならなかったと思います。 (笑)

教皇様がこの度このようなことをなさったのは、 決して私のためではなく、 皆さんの努力をお認めになったからだと思います。 教皇様が求めていらっっしゃること、 それは私だけではなく皆さんも求められていると思います。 小さな教会である私たちが世界のことに関心を持ち、 行動し、 発言するという姿勢。 教皇様は機会あるごとにおっしゃいます。 「勇気を持ちなさい」 「恐れてはいけません」 私もほんとにそう思います。

若者は次代を引きつぐとともに今を先輩たちと担う存在

-今年は、 教区として 「青少年の育成」 に努めてきたわけですが、 1994年を振り返られていかがですか。

: 前から感じていたことですが、 青少年は次の世代を担うものだとよくいわれますが、 今の世代を先輩たちと一緒に担うものであると考えを変えなければならないと思います。

若者たちは、 確かに次の世代を引き継ぐのですけれども、 今の世代にも責任があり、 一緒に社会を担っていく存在であるという前提、 認識の転換が必要だと思うんです。

そういった意味では、 まだまだ教区の取り組みは不十分だったと思いますね。 これからもこのことはもっと深く取り上げていかなければならないでしょう。

私たちが育てていくものではなく、 一緒にやっていきながら育っていくもので、 若者の責任を問いかけていかなければならないと思います。

アジアに目を移すと若者が大半ですよ。 人口の構成から見ると、 単なるお客さんではなく、 私たちの生きている世界に若者たち自身が責任があるということでやっていかないとこれからの社会は難しくなるのではないかと思います。

そういった意味で若い人の意見も反映させていけるようにしなくてはと思っています。

-ベネボレンツィア財団からの協力の申し出があるそうですが………

: 前から私の知っている、 ベネボレンツィアというオランダの財団があるのです。

その財団は今までは、 災害時や発展途上国の若者のために援助をしていたのですが、 考え方を変えて先進国の若者たちにもっと自覚をしてもらわなければならない、 もっと参加してもらわなければならないと、 先進国の若者の養成に協力したいと申し出てきたのです。

「今の若者はいいものをたくさん持っている、 彼らは自分たちの行動を通してそういうものを積み重ねていく、 体験学習を通して若い信徒の養成をしたらどうか、 海外の教会の姿を見たり、 貧しい人々に奉仕したり、 そういうことを通して教会共同体の中にもっと深く入っていく、 また前から私がやっている中国の教会との関係にも参加させて、 将来のために備えていきたい」 というような私の希望を述べたところ、 ぜひ協力したいと申し出てくれました。

先進国の青年たちの役割、 責任は相当大きなものがあると思いますね。

さっきおっしゃった日本の小さな教会でもできることということをもっとくわしくお願いします。

: 教皇さまは本当にそういうことを目指していらっしゃるのだと思います、 それこそ全世界の方々に枢機卿をつくられたのですから、 小さな教会でも参与する資格があるだけではなく、 義務があるということを私たちに想起させることでした。

-東京教区の教区長としての役割は今までと同じですか

: 今までと同じですので、 皆さんの助けが必要です。

森司教さまにもっともっとやっていただきたいのだけれど、 中央協議会の方も彼がいないと成り立たないので、 しばらくはまだだめでしょうね。 森司教さまの負担が大きくなってしまうのではないかと心配しています。

-枢機卿になられると遠い存在になられてしまうのではないかと………

: 私が心配しているのは、 自由がなくなってしまうことなのです。 今まで毎年中国に行っていたのですが、 枢機卿というタイトルで行ってしまうと周囲の見る目が違ってきてしまう。 バチカンの意向を受けてきていると取られてしまう。 関係修復のために来たのかとか、 向こうが考えてしまうなど。 今までは気軽に両国の教会の基礎固めのつもりでやってきたのですけれども。

今年の世界宗教者平和会議には、 愛国協会 (表の教会) の代表が来ていてびっくりしました。

-最後に、 リラックスの方法をお聞かせ下さい。

: それは内緒……… (笑) 教えるとできなくなるから。

-今までと変わらず私たち信徒と親しく交わって下さいますよう………

: よろしくお願いしますよ。 (笑)

-どうもありがとうございました。

’95年度教区総会のテーマ決まる!

「これからの小教区共同体と信徒の役割り」

~より深い話し合いのために宣司評アンケート実施~

11月13日、 雙葉学園同窓会館で開催された宣教司牧評議会 (以下宣司評) で、 来年度の東京教区総会のテーマが 「これからの小教区共同体と信徒の役割り」 と決定した。

宣司評では、 教区総会でのより深い話し合いを行うためにアンケートを実施する。

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小林章夫宣司評議長に聞く

宣司評の小林章夫議長 (船橋教会) は、 このアンケートを実施する目的を、 「東京教区では、 昨年秋の第2回福音宣教推進全国会議 (NICE・2) 終了後、 テーマであった 『家庭』 の問題をさらに深く掘り下げて教区の方々への具体的な支援を強化するために、 今春の教区総会後、 「祈る」 「学ぶ」 「分かち合う」 「助け合う」 という4つのプロジェクトチームを発足させました。

それとともに、 白柳枢機卿は宣司評を通じて、 『”これからの小教区共同体と信徒の役割り”について教区の方々が考えて、 その成果をまとめて提出するように』 という新しい課題を出されました。

また、 今春の教区総会の出席者から、 『話し合うテーマが分からなかった」 との指摘があり、 早めのPRの必要を痛感したので、 今回のアンケートを実施することにしました」 と語った。

アンケートの対象は、 原則として1教会で20名、 調査総数1600名程度とし、 教会運営委員全員、 ブロック委員全員、 その他に依頼する。 締め切りは12月15日、 回収後2月中旬をめどに集計し、 教区総会の資料とするとのこと。 (教区ニュース120号に掲載予定)

「アンケートは、 過去から現在、 未来の教会像 (日本の教会、 あなたの小教区) を問うもの」 だといい、 (アンケートの内容別掲) 「これから1年間の話し合いの糸口にしたい」 と小林さんは述べている。

青年ネットワーク事務局だより

第2回カトリック青年合宿研修会
基礎福音講座を終えて
青年たちの声

11月19日から23日まで、 日野ラサール研修所において第2回青年合宿研修会 (基礎福音講座) が30名の参加によって行なわれました。

7名の講師による講義の間に、 ミサや交流会を交えながらの4泊5日は、 時に研修所から会社や学校に通う日もありました。

さて、 今回はそんな日々を体験した青年たちの声を、 みなさんにお届けします。

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●「この眠さがいかに充実した研修を過ごせたかをもの語っている。 昼はしっかり講義を受け、 夜は新しい友だちと話しはつきず、 実に有意義な時間を過ごせた。 友だちにキリスト教とは何か?と聞かれた時の答えを探り当てるという密かな目標も達成された」 (男性・学生)

●「2度目の参加でしたが、 やはり来てよかったと感じています。 どのお話も、 私にとってタイムリーで心に響くものばかりでした。 この出会いは、 (人との出会いや言葉との出会いなど広い意味で) 明日からの生活の糧となってくれるはず」 (女性・社会人)

●「幼児洗礼の私は、 カトリックに対する知識が全くありませんでした。 けれど今回受けた講義は、 聖書すら読んだことのなかった私に感動を与えてくれました」 (女性・学生)

●「日常生活にちょっとあきてきたところで、 環境を変えて普段話さないことを話す生活は刺激的でした。 どの講義もわかりやすく、 聖書をこんなにも多くの視点でとらえることができるのかと驚きました」 (女性・学生)

●「何よりも嬉しかったのは、 信仰について一緒に考え、 語り合う仲間に出会えたこと。 それも、 いろんな地域、 年令、 生活環境の人が参加していたことが喜びを倍増させてくれた」 (男性・学生)

●「抱えきれないほどのお恵みを頂きました。 様々な”気づき”にまだ頭を整理しきれずにいます。 妻に、 そして3人の子供たちに分かち合いたいと思います」 (男性・社会人)

いかがでしたか?この青年たちの声に刺激されたあなた!来年もすでに11月23日から26日に日程が決まっていますので、 今からスケジュールをあけてぜひご参加下さい。

問い合わせ先
東京教区青年ネットワーク
電話3314-6039 (水・土)

留守電になっている場合でも必ずご連絡致しますのでメッセージをお忘れなく!

女子パウロ会『教えの手帖』編集部・予約部よりお知らせします。

長いこと『教えの手帖』をご購読くださいまして皆さめに謹んでお知らせいたします。

東京教区の以来により1972年に創刊された『教えの手帖』の編集および予約発送業務を。女子パウロ会がお引き受けしてから17年が経過いたしました。21世紀を6年後に控え、今年、女子パウロ会日本管区では会員の高齢化を考えながら、次の世代に向けて社会的コミュニケーションの使徒職を準備していく為に従来の使徒職を見直し、リストラの歩みを始めています。その歩みの中で『教えの手帖』の仕事を女子パウロ会が従来どおり継続していけるかどうかということについても検討し識別を重ねてまいりました。その結果、契約期間が満期となる来年1995年3月号の発送をもって東京教区にお返しすることになりました。

急速なリズムで変化していく社会の必要や、今後の『教えの手帖』の継続性を考えた場合、白柳枢機卿様は、『教えの手帳』の使命は終わったのはないかと判断され、女子パウロ会が東京教区に本誌の編集・予約発送業務をお返しした時点で同誌を廃刊するという教区の姿勢を出されました。
つきましては1995年3月号のほっそうをもって『教えの手帖』を閉じさせていただきます。
長いこと本誌をご購読いだたき、またご活用くださいましたことを教会学校リーダーの皆さまに心から感謝いたします。

またお忙しい中を時間を割いて執筆にご協力くださいました方々に心からお礼を申し上げます。おかげさまで、たくさんのリーダーにイエス様のメッセ-時を届けることができました。ほんとうにありがとうございました。

発行にあたって、広告、印刷、写真、イラストなど本当にたくさんの方々の協力を頂きました。ありがとうございました。この22年間、多大な援助金をもって青少年の信仰教育のために投資してこられた東京教区に対して、編集・発送というかたちで奉仕させていただいた女子パウロ会といたしましても感謝いたします。

事務上のことですが、今後の購読申し込みは1995年3月号までを頂くことになります。既に1995年3月号以降の分までご送金いただいている方々には、順次返金させていただきます。滞納の方は1995年2月までは、今までどおり女子パウロ会『教えの手帖』予約係までご送金くださいますようお願いいたします。2月以降は東京大司教館のほうへご送金していただくことになります。どうかよろしくおねがいいたします。

これまで『教えの手帖』をご購読くださいましたみなさまのためにお祈りいたしております。3月号までお付き合いくださいますことを感謝してお知らせのことばとさせていただきます。

女子パウロ会『教えの手著』編集部・予約部

神学院ザビエル祭11月23日

晴天に恵まれた11月23日、 神学生とともに楽しい1日をすごした。
銀杏のにおい漂う神学院の庭は参加者であふれるばかり、 舞台は小教区の青年によるバンド演奏などなど。 出店も好評で大繁盛。 神学生が案内する院内巡りは興味津々、 神学生の生活を見てしまった。

教会・修道院巡り(38)
『聖パウロ修道会』

1914年、 ヤコボ・アルベリオー神父は北イタリアアルバ市に、 マスコミによる福音宣教を目的とする聖パウロ修道会を創立した。

日本にも多くの宣教の場があることをサレジオ会のチマッチ神父から聞くと早速、 パウロ・マルチェリーノ神父とロレンソ・ベルテロ神父を派遣した。 1934年12月であった。

来日した2人の神父は大森の借家で日本語を勉強してから、 1936年王子に教会と幼稚園を創設し司牧にあたった。 その後4人の司祭、 修道士が加わり、 出版印刷所 「誠光社」 を王子教会わきに開設し児童書3冊を出版した。 当時は2年前に始まった日中戦争の最中であり、 第2次世界大戦への突入も真近という緊迫した情勢下で、 自由に多くの本を発行できる状態ではなかったのである。

1943年11月 「誠光社」 も含めたカトリック系出版社が合併され 「中央出版社」 と名づけられた。 その社屋は旧カトリック中央協議会の敷地に置かれ、 その印刷部門を聖パウロ修道会が受け持った。

印刷所への通勤の便を考慮し、 現在の新宿区若葉町に家を借りたが、 後に周辺の敷地とともに買い取った。

終戦とともに、 焼け野原となった若葉町に修道院と中央出版社を再建した。

1947年には赤坂に聖パウロ学園と修道院を創設し、 邦人会員も徐々に増加した。

1952年マルチェリーノ神父が中心になって、 「日本文化放送」 を開局し 「セント・ポール・アワー」 を始めたが、 1956年財団法人としての運営ができなくなり 「株式会社文化放送」 となった。 株主として独自のカトリック放送を続けるため 「セント・ポール・ラジオ・センター」 を作った。

1956年 「セント・ポール・フィルム・センター」 を創設し、 良い映画を教会学校、 病院、 カトリック・アクションなどで上映し、 映画の見方なども指導した。

第2バチカン公会議の 『広報機関に関する教令』 (1964年)、 公会議の教令に基づく 『マスコミの司牧指針』 (1971年) などで、 神の賜物である広報機関を用いて福音宣教を発展させるよう教会は励ましている。

「聖パウロはアテネに着くとアレオパゴスに行き、 周囲の状況に対して適切な、 理解される言葉で福音を告げた。 現代のアレオパゴスであるコミニケーションの世界で、 聖パウロのように福音を伝えることを教会は望んでいる。」 (『救い主の使命』)

枢機卿(カルジナール)の語源はCARDO(蝶番)から

枢機卿の歴史と任務

白柳枢機卿様ご本人がインタビューで答えられたように 「主な仕事は、 教会を含めて世界の平和のために働いている教皇を助け、 諮問にあずかることと教皇の選考に参画すること」 です。

全世界のカトリック教会の中に167名しか存在しない最高顧問という重責を担う方々なのです。

枢機卿 (カルジナール) の語源はラテン語の 「CARDO」 で蝶番を意味します。 すなわち内と外を区切る扉をスムースに動かす小さな部品と同じく、 教皇の考えを人々に伝え、 また人々の考えを教皇に伝えるという役割があります。

枢機卿制度の確立

カトリック教会の歴史をひもといてみると、 11世紀中頃から枢機卿の制度が確立してきました。 最初はローマ近郊の7名の司教とローマ市内の主要な教会の主任司祭と助祭が教皇の司式する典礼や教会司牧の事務を補佐する常設の団体でした。 その名残りとしてローマに在住していない枢機卿には、 ローマ近郊の教会の称号が与えられます。

こうして始まった枢機卿の制度は徐々にその重要性を増していきます。 それはこの枢機卿団が教皇選挙と直接に関わることになったからです。

12世紀初頭には、 すべての枢機卿が教皇選挙にあずかるようになっていましたし、 さらに第3ラテラン公会議は、 1179年に、 3分の2以上の多数決が必要であることを決議しました。

教皇グレゴリウス10世は、 1274年に、 選挙の完結までは外界から隔離される 「コンクラーベ」 (鍵をもって閉ざれるの意) と呼ばれる教皇選挙のやり方を確立しました。 選挙のすみやかな終了のために、 選挙が一定期間以上長引くと次第に食事すらも量が減らされ、 回数も減らされるという規定が設けられたのも、 この時のことです。

こうして13世紀には枢機卿団は教皇の諮問機関として定期的に会議に招集され、 教会内外、 国際的な問題、 外交についても教皇を補佐する中央最高統括機関として活動しました。 そして16世紀後半シクトゥス5世の時代に、 枢機卿会議の下にあった各種の専門委員会が発展し、 現在の諸省に制度化されました。

20世紀に入って

20世紀に入ってから、 現代教皇は枢機卿制度を少しずつ手直ししていきました。 ピオ12世は枢機卿団をあらゆる民族・人種に開放しました。 ヨハネ23世は、 1586年以来、 長い間70名とされていた定員を増やし、 また枢機卿全員が司教であることと定めました。

パウロ6世は、 枢機卿団の人数をさらに拡大させるとともに満80歳を選挙権の限度と規定しました。

教皇選挙会に参加する枢機卿は120名と定められています。

第2バチカン公会議後、 シノドスや諸省の機構改革、 諸評議会や委員会の充実によりカトリック教会はさまざまな問題を全世界の教会でともに考え意見を出すことが可能になりましたが、 枢機卿たちはそのパイプ役としての役割を果たすことが期待されているのです。

新しい紋章について

司教さま方は、 ご自分たちの姿勢や抱負を示す紋章とモットーを持っておられます。

白柳枢機卿様は新しい紋章によって、 新しい時代に向かっていく教会の姿勢を表すこと。 日本は小さな教会だが世界に対して果たすべき役割があり、 それに皆が目覚めることという2つのことを示したいというご希望でした。

新しい紋章は全体としてざん新な印象を与えると思います。 中心に十字架とハートが重なるところから炎が立ち上っています。 これはモットーの 「キリストの愛が私たちを駆りたてる」 (Ⅱコリント5・14) のように私たちの心がキリストの愛によって燃え上がっていきましょうという意気込みを表しています。

帽子と両脇に5段に重なる房は枢機卿の職位を示しますが、 房はシンボリックなデザインですのでたくさんの小さなロウソクの炎がゆらめいているようにも見えます。 房は小さな3つの玉で構成されており、 信望愛に結ばれた小教区や共同体とも理解できます。 いろいろな意味を連想できる紋章となりましたがその中に 「私たち皆で力を尽くしましょう」 という意味があることを大事にしたいと思います。

(稲川保明神父)

編集部から

●新年号の教区ニュースは、 新枢機卿の就任祝い特集号です。 これを機会に、 カーディナル、 レッドとまではいきませんが、 気分を変えて、 ワイン・レッドの刷り色にしてみました。 少しくすんだ赤色は、 内に秘めたるスタッフの教区ニュースへの思いと情熱のほとばしりであることが、 読者の皆さんに伝わったでしょうか。

冗談はさておき、 今号から変えた刷り色に対する皆様の印象を、 広報委員会までお寄せ下されば幸です。

今年も、 教区ニュースが、 更なる飛躍を遂げ、 充実した皆様を楽しませるものにしていきたいと思います。 皆様からの情報提供も大いに歓迎したいと思っていますので、 ご協力をお願いします。 (も)

●新枢機卿誕生のビッグニュースが飛び込んで、 編集部は大張り切り! 締め切りを目前にして各方面への原稿手配の慌しさはNICE2の長崎現地取材以来だなあ。 さすがにローマまでは追っかけて行けなかった (残念!) のですが、 枢機卿に同行された神父さまの現地ルポが、 精緻で迫力ある描写で、 まるで自分がその場に臨席しているような感動を与えてくれました。 ほんとうにおめでとうございます!