東京教区ニュース第120号

1995年03月01日

阪神大震災 復興に祈りと支援を

1月18日、東京教区長

白柳誠一枢機卿は、1月17日早朝、阪神地方を襲った阪神大震災の多くの犠牲者の冥福と、復興へ向けて尽力する市民のために祈りを捧げるとともに、義援金を募り、大阪大司教区と連絡を取り合いながら復興を援助することを決断し、東京教区民に対して緊急連絡と要請をされた。

また、1月20日、教区福祉委員会の災害援助基金から300万円、教区一般会計から1000万円を緊急支出し、最初の義援金として大阪大司教区に送金した。

続いて各小教区から、1月22日の主日のミサで寄せられた義援金が続々と教区事務局に届けられ、その内2000万円を1月24日送金した。

教区事務局では、今後も募金がまとまり次第、随時送金をする予定。

油谷弘幸師(洗足教会)から復興援助のために働きたい旨の申し出があり、教区長の認可のもと同師は、1月20日被災地に向かった。

地震の際、現地の居合わせた秋保真理夫師(清瀬教会)も合流して中山手教会に設置された大阪教区の救援本部で働いた。他にヒエン師(高円寺教会)、デイン師(西千葉教会)も被災地入りをしている。
白柳枢機卿も2月2〜4日、京都出張のおり被災地まで足をのばし、その惨状を視察された。

義援金送金方法は次の通り

1、郵便振替
東京7-42217(00170-3-42217)
加入者名:カトリック東京大司教区
振替用紙裏面に「地震救援金」明記のこと

2、銀行振込
三菱銀行江戸川橋支店
(普)0475718
または
富士銀行江戸川橋支店
(普)1430470
口座名:いずれも
(宗)カトリック東京大司教区

銀行送金の場合、振込後必ず、電話、またはFAXで「地震救援金」の旨をご連絡ください

ケルン・東京友好関係40周年を迎えマイスナー枢機卿来日 〜これからもこの友好関係の続くことを願って〜

1月8日、12時からカテドラル構内で、東京大司教区教会委員連合会「1995年新年の集い」が各小教区教会委員百60余名の出席のもと開催された。当番教会は木更津教会。

今回は、ケルン教区と東京教区が姉妹教区として結ばれて40周年になることから、ケルン教区マイスナー枢機卿を迎え懇親会と講演会が計画された。マイスナー枢機卿はベルリン生まれ、ベルリン大司教を経てケルン教区長となる。「西欧の教会の昨日と今日」と題する講演で、自身の経験を踏まえて今日のドイツの教会の現状を語った。

当日の関口教会の10時のミサはマイスナー枢機卿を中心に共同司式で捧げられ、同枢機卿は説教で、ケルン-東京の友好関係が末永く続くことを期待し、また本紙編集部のインタビューに対しては、ドイツと日本は平和のために連合をつくらなければならないと強調した。

マイスナー枢機卿説教要旨

枢機卿さま、司教さま、司祭の皆さま、主において敬愛する信者の皆さまにごあいさつを申し上げます。

今日は、東京大司教区とケルン大司教区の40周年の友好関係を記念して祝っております。そのための最も相応しい祝日は、ご公現祭の祝日だと思います。

ケルンでは、1年中公現祭を祝っております。なぜならば、ケルンの大聖堂の中央祭壇の裏には、3人の博士たちの聖骨が置かれているからです。

(中略)

私たちは今日ここでは、ケルンと東京の縦の40年間の関係を祝っております。

40年前には、私の前の前のフリングス枢機卿と、白柳枢機卿の前の土井枢機卿がそのような縦の友好関係を結ぶことを決定しました。私たちの縦の線の結びつきは、つまり友好関係であります。

友好関係の中には、貧しいもの、裕福なものという区別がなく、また大きなもの、小さなものという区別もなく、みな平等であります。

私が今日東京にまいりましたのは、皆さまが40年間この友好関係を続けられたことに、感謝の言葉を申し上げるためでございます。

40年来、私たちの国では、1月の最後の日曜日を特別な「東京日曜日」としてお祝いしています。

各教会の司祭たちはそのときに、信者の皆さまに、このケルン-東京の友好関係のことを説明し、祈念しています。その日曜日に私たちは、ケルン-東京の連帯性の具体的な1つの形として、その日の教会の献金を東京のために集めています。

私たちはともすれば、それぞれの教区や小教区に、つまり自分の問題にばかりに目を向けてしまいがちです。

東京教区とケルン教区の友好関係は、目を広げてその狭い視野を越えさせてくれます。つまりこの友好関係のおかげで、私たちの目はアジアや世界の教会にまで視野を広げることができました。
このような友好関係を皆さまが続けて下さることに、枢機卿さまを始め、司祭の皆さま、信者の皆さまに心から感謝いたします。

皆さまがその連帯性を続けて下さることに感謝いたします。

特に私たちは皆さまがケルン大司教区のために祈って下さることに感謝を申し上げます。

働く手はただ機械を動かすだけですけれども、働く心は世界を動かし神の心を動かすことができるのです。

2千年間の教会の長い歴史の中では、40年間はそんなに長い期間ではありません。しかし聖書によりますと、40年間ということは特に神聖な意味を持っております。

今日私が参りましたのは、枢機卿さまと皆さまに、私たちがこの友好関係を今から先もずっと続けたいということを伝えるためです。

私たちは今まで通り、物質的な恵みを、そしてとりわけ精神的な恵みを分かち合いたいという心を持っております。

(中略)

40年前と同じように、またこれからも、続いて永久にこの友好関係が続くことを期待しております。

父と子と聖霊のみ名によってアーメン

マイスナー枢機卿に伺いました

-東京には何回来られましたか

枢 3回目です、ベルリン大司教の時と、東京カテドラルの献堂25周年の時と今回です。

日本とドイツは平和の連合を

-戦後50年の節目の時に何を思われますか

枢 50年前戦争が終わった時は、2度と恐ろしいことは起こらないと思いましたが、残念ながらその後も戦争は起こっています。

戦争は人間の業です、「敵を愛す」ということはとても大切なことです。聖書は、神が私たちを憐れむように、私たちも憐れまなくてはいけないと教えています。

福音の精神で世界平和を祈りましょう。

戦後50年が経ちましたが、今は平和でも進歩したわけでもありません。日本とドイツはかつては戦争の連合をしましたが、今こそ平和のための連合を作らなければならないと思います。

東京教区新神学生が語る 召命と福音宣教

新年度の東京教区の新神学生は2人。ガリラヤの家での生活は東京教区の2人と新潟教区、横浜教区、京都教区、大阪教区の各1名。3月27日に上石神井の神学院で一泊、翌日全員で出発する。
関光雄さん(1960年8月8日生まれ・使徒ヨハネ)は神奈川県出身で、現在は東京大司教館と市川教会で奉仕している。コンピューターに強く、弾きがたりも好きな明るい青年。

加藤豊さん(1965年12月16日生まれ・アウグスチヌス)は東京都出身で、現在はデザイン関係の仕事をしている。お母さんと2人暮らしのやさしく、さわやかな青年。

2人は関口教会所属で、ガリラヤの家での生活を「みんな、落ち着いていて、いい人達ですよ。多分ケンカばかりするでしょう」と楽しそうに待っている。

-洗礼を受けるきっかけは何でしたか。

■関 受洗は大学を出てからです。上智大学だったのでまわりの司祭の影響を受けました。”あぁ、こういう職業もあるんだな”と思っていました。

社会に出てサラリーマンになってみると物質的豊かさ、お金がすべてという目的でやっているみたいに見えたんです。ただ会社勤めをしているだけだと何か見失ってしまうような危機感みたいなものを感じ、禅の本を読んだりするけれども、どこか非現実的な感じがして、現代の日常生活とのつながりがわからなくて。

そこへいくと上智大で勉強してきたこととか、神父様たちの生きかたを知ったこと、あるいは遠藤周作の本を読んで「現代の日本の中で信仰を生きることができる」と感じ、教会へ行き洗礼を受けて、出会いを求めようと思ったんです。受洗教会は大船教会です。

■加藤 思春期の頃”なんで人間は生きるのか、死んだらどうなるのか”などと考え、自分なりに結論を出して大人になっていくんだけど、僕の場合、大人になってもそういうものがふっきれなくて、深夜放送で牧師さんの話を聞いて、励まされたり、元気づけられたりしましたが、すぐにキリスト教になろうとは思わなかったですね。高校の時、倫理社会で古今東西の賢者たちがすばらしい方法論を示してくれるんですが、なかなか実行できなかったし、関さんと同じように禅の本も読みました。何か自分を根底から立ち直らせてくれる力みたいなものを要求していて、そうこうしているうちにアウグスチヌスの『告白』という本に出会い、感激して教会に行くようになりました。受洗は関口教会、1991年でした。

キリストを伝える/ウイークデーも教会で

-司祭になろうと思った動機は何でしたか。

■加藤 僕はある叙階式の前夜の召命の講話があって、その時、自分の受けた感動を人にも伝えていきたいと思ったんです。たとえば芸術家の場合、作品をとおして自分を伝えていくんでしょうけれども、司祭はキリストを伝える。これは大きな違いだと思いました。僕はキリストを伝えていきたいと。その他にもいろいろあるんですが。

■関 うーん難しいんだよな。

■加藤 表現しにくいんですよね、これが。

■関 洗礼を受ける時から、司祭になりたいと言いながら受けたんですよね。何か気にいってやり出すと、とことんやりたくなる方で、神様に触れてとことんつきあいたくなって神学の勉強をしたいとか、ウイークデーも教会で仕事したいなぁとか、こういう気質の人間にたきつけたということは、大きく言えば、み摂理が働いているということで、いろいろあったけれども、火がついちゃった以上は、突っ走るという、そういう感じなんです。たきつけられたというのは上智大の頃からの司祭の生きざまは、1つのきっかけではあったけれども、特に関口教会の門馬神父の活気に満ちた刺激に絶えずたきつけられ、エンジンが切れかかる頃には出会いもあって、やってこれました。

元気づける司祭とパイプ役の司祭

-めざす司祭像について

■加藤 みんなそうだと思うんですけれど、僕もキリストが好きなんですよね。キリストが言うように人を元気づける人になりたいですね。今さら言うことではないですが、すばらしい方法論だけではなく、実行する力をもった人でありたい。イエス様がペトロに言うじゃないですか「あなたが立ち直ったら兄弟たちを元気づけてあげなさい」っていうところが。

いじめの問題でも、愛されたいとか、愛したいとかの欲求は自分を含めて誰でももっていると思う。友達から理解されなくて、親から見放されても、神はそばにいて理解してくれている、と励ましたい。
関 イエス様は弟子たちに「神の国はあなたたちのなかにある」といいましたが、教会のいろんな活動、組織の協力する姿のなかにこそ福音がある。教会の中でも優秀な人とか、積極性をもった人とかたくさんいるので、そういう人の助けをかりて、パイプ役になれたらと。あの神父さん自身は特にとりたててないけど、あの神父さんのまわりには、何かが起こるみたいな。そういう小教区ができればいいなぁと思うんですよ。

この神父さんが信じる神様を僕も……

-先日ケルン教区のマイスナー枢機卿様は講演会(1月8日)で「信者ではない日本人も、漠然としているが何かの信仰をもっているのではないか」と話されていました。諸宗教との対話と言われているなかでの福音宣教について。

■加藤 (関さんに)どうぞ

■関 日本はいろんな宗教性みたいなものがあったりするけど潜在的なものにすぎないという。だからそういう意味でキリスト者は自分の信じているものは結局のところ”何なんだ、誰なんだ”というかたちで出して生きていく、この姿は、日本的なあいまいさを尊ぶみたいな、それも悪いことではないけれども、そういうなかで私たちみたいなキリスト者の生き方というものをひとつ提示していくのは、意味のあることだと思う。

私個人は、キリスト教的なものに異質なものを感じながら、何か新しい道みたいなものを見て、いいなと思った。信者じゃない人がこれを見ることによっていいなと思ったらキリストを受け入れればいいんだし、我々のとった選択みたいなものを、オープンにもっともっと示して生きるということは、とってもいいことだと思うし、日本のためにもなることだと思う。

■加藤 レオ神父様は最初に告解した神父さんですけど、その頃豊島教会にいましてね。告解のあとで2人で一緒にコーヒーを飲んで、僕が疑問に感じていることとか、わからない点とかを話したんです。その時、はっきりした答えを聞かされたわけではないんですけど、”あぁ、神父さんの信じている神様を僕も信じます”という気持ちになる。そういうことなのかという、答えになっているかどうかわからないんですけど。

24時間教会で働く喜び

-最後にお互いのこと、またそれに対して何かありましたらお話し下さい。

■加藤 出会いから4年くらいなりますが、最初の頃は似たような形而上学疑問をもっていて、なかなか他人に話せないので2人で話していましたね。関さんにはバックボーンの広さを感じます。日本人ということをとても大事にしている。一緒に食事をしたり、映画を見にいったりもします。

関さんはコンピューターに強く、僕の職場でもハイテク化が進んでいて、僕なんかついていけなくて、いろんな基礎知識を教わりました。そういうのが得意な人というのはとかく文学音痴だったりするけど、彼は兼ね備えている。ほんとによく働く人で、尊敬の気持ちがあります。

■関 働くことは一番はっきりしたかたちで、喜びにつながるし、24時間教会のために働けることはありがたいことで、嫁さんの苦労はしなくてもいいし、教会のことを考えていられるわけで、そういう意味で司祭になることは犠牲という感覚はないんですよ。こんなやりたいほうだいやれて、ありがたい仕事はない。また仕事というからには、協調性、多様性も大切にしていきたい。

加藤さんはデザインの仕事をしていて、芸術家みたいなところがあって一見繊細なんだけど、関口での活動を見ているとエレミア会という青年会を作ったりして、人なつっこいところもあって、核になってやっている。友達も多いしその行動力っていうのは人間好きなんだと思う。

何でも受け入れられる幅の広さというものは、根底にほんとのキリストとの出会いがあるから。彼と話していると聖書の言葉がポンポン出てくるんですよ。

■加藤 そうでしたっけ。人なつっこいと言われるとかっこいいですけど、なれなれしいですね。

お互い楽天家だと思うのですが、僕は今回神学校での試験はリラックスできてよかったです。それに門馬神父様を見ていて神学校は蛮カラなところだと思っていたので、あたたかく迎えてくれたのにはびっくりしました。

ずーむあっぷ 立川市商工会議所

デザイン賞を受賞した立川教会新聖堂

立川教会の新聖堂の献堂式は、1994年8月行われた。この新聖堂のデザインが、立川市商工会議所主催のデザイン賞第2位を受賞し、12月6日、主任司祭古川正弘師が授賞式に臨んだ。ちなみに、第1位は立川駅前のファーレ立川であった。古川師は、「カトリック教会の聖堂が地域社会のデザイン賞を受賞したということは、カトリック教会が地域社会から認知されたことを意味し、とても考え深い」と述べている。

青年ネットワーク事務局だより

第10回 世界青年大会に参加して

青年ネットワークでは1月14、15日に行われた、教皇が主催する世界青年大会(フィリピン・マニラ)に参加するためのツアーを行いました。参加者88名は、国籍を越え、同じ1人のキリスト者として出会い、わかちあい、新たな信仰の力となる体験に出会いました。今回は、そんな青年たちの声をお届けします。

■「徹夜祭の会場にたどり着くまでの人の嵐。400万もの人が集まったということが納得できる光景だった。会場で隣合わせて、一晩一緒だったフィリピンのおばさんや高校生たちに折り紙講習会をしたこと、膝が伸ばせないほど窮屈な中で寝たこと、ラッシュアワーのような中、トイレに行くのに往復1時間かかったこと、肩車して頂いて見た豆ツブのようなパパ様。でも、一番強く感じたことは人々の温かさ、神を心から賛美する信仰の強さ。彼らとの交流を通して、私自身の心の固さ、信仰の固さがとかされて行くのを感じた。これからはこの体験を糧とし、神様の道具として生きていきたい。そう思った」
(社会人 女性)

■「教皇様の『日本人の皆さんは愛と平和の源となって下さい』というお言葉。私たちでどのぐらいの事ができるかわかりません。でもみんなで祈り、愛し合えば、きっと大きな力となるでしょう。一人でも多くの人が、そして私が源になることができたならと思いました」
(高校生 女性)

■「この大会で一緒に歌い、踊り、叫んだのは集まった世界の中の青年たちとでした。何百万という人が一つの心を持てたことに、今での興奮をおぼえます」
(学生 女性)

■「確かに、まだ若い私たちは世界の願いかもしれない。マニラにきて、たくさんの友と出会って、私はまた自分の大切さ、何者かに大切にされているのを感じずにはいられなかった」
(社会人 女性)

■「帰りの飛行機で、隣の男性が『アジアの人々との関係というのは過去の戦争や現在の経済問題が頭にあって不安だったが、実際顔をあわせてみて、温かい関係を持つことができた』といった。そう、全ての問題が解決されたわけではない。けれど愛にもとずいた関係が作られて行けば、より良い世界になって行くはず。帰って、まず私の生活のなかで実践して行きたいと思った。私も、あの4百万人の世界中に派遣された人々の中の1人なのだから」
(社会人 男性)

次回の世界青年大会は、2年後パリで行われます。ツアーを企画する予定ですのでぜひ皆さん、ご参加下さい。

ジュリアの流刑された神津島で初めてのクリスマス会、実現のよろこび

昨年はジュリア祭25周年記念を迎えていろいろな行事がありました。その1つに珍しい出来事がありました、”全員集れ子供のクリスマス会”の呼びかけに保育園児百名近く、小学生240名、親子ともども集ってひと足早い12月11日(日)に盛大にクリスマス会が開催されたことです。会場は開発総合センター体育館高さ3メートルのツリーが飾られ舞台や天井には8000個の豆電球が光り、夢の国的雰囲気でした。10月頃でしたか「シスター、クリスマス会にはぜひ来て盛り上げて下さい」とか、「ほんとうのクリスマスを話して下さい」と言われていましたので協力することになりました。子供達にわかりやすく話し、ビデオを使ってクリスマスの起源を説明いたしました。八王子教会からも市川神父様15名のコーラス班が参加いたしました。市川神父様はサンタクロースの意味を説明いたしました。広い会場に「きよしこの夜」他の聖歌がひびきわたりました。ジュリア執行委員長の挨拶の中に「ジュリア祭25周年に神父様シスター大勢の方々の来訪をいただいてクリスマス会を盛大に開催することが出来て大変うれしい」とあり、子供や大人達からも、このようなクリスマス会は島では初めてで心に残り、たのしかった、又来年も来て下さいとの手紙などいただきました。25年前まではジュリアの名さえ耳にしたことはなかったであろう神津島で25年間つづけたこの年にクリスマス会が村役場の職員たちの協力もあって、キリストのご降誕を祝うことが出来ましたことは島民の純粋なジュリアに対する尊敬と熱意の実の結果と思います。

これからも島民の心に芽生えた素朴なジュリア祭行事が継続され、神の愛が知られ栄光となることが出来ればと願いつつ、毎年5月第3日曜日のジュリア祭に多くの参加を期待しております。

(聖ヨゼフ宣教修道女会 Sr.小島)

読者の声

参考になった山谷さんの講演要旨

+AVE MARIA

ご多忙の中、いつも東京教区ニュースをご恵送下さいまして、厚く御礼申し上げます。毎号大変有益に、興味深く拝読させていただいております。

一例として、9・10月号(116号)の山谷えり子さんの講演要旨、実際のご体験から語られていますだけに、マスコミに多少の関心を抱いております私などにも教えられ、参考にさせていただくことが多大でございました。

また、12月号(118号)により、白柳枢機卿さまの東京教区における就任記念ミサ等が12月4日(日)午後3時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われますことを伺い、上京し就任記念ミサと続いて行われました9段下のグランド・パレスでの祝賀会にも出席させて頂き、枢機卿さまへも親しくお祝を申し上げることができましたことは本当に感激です。大きなお恵みでございました。お手数ですが今後も引き続きお送り下さいますようお願い申し上げます。

(長野県 住吉 始太郎)

血がおどるワインレッドの教区ニュース

横浜・戸塚教会所属3児の母です。

今年の初ミサは、義母所属の田園調布教会であずかり、すばらしい“ワインレッド”(グッドアイデア)の東京教区ニュースをいただきました。

血がおどります。

白柳枢機卿さまのニュース、拍手のうちに読みましたが「枢機卿」というむずかしい文字!

ありがたくも6頁でくわしく説明してくださっていますが、若者、子どもたちからとお〜いな〜という感じです。もっと親しみやすい表現方法(カルデイナルの方がナウイかな)があったらいいと思います。

ババさまの呼び名はいつもぐっと(good)胸にひびきますが。

神学院ザビエル祭の様子、もっとざっくばらんに知らせていただきたかった。未来を考えたらとても重要な事かもしれません、子どもたち、若い人たちにアピールすることが。

(横浜市 茂泉 佑子)

目がチカチカして……

いつも教区ニュースを読ませていただきましてありがとうございます。今度の119号は大変おめでたい号で、その点では心からお喜び申し上げます。

しかし活字の色は、私が年配のせいか、のぼせたような気分になって、落ち着いて活字を辿れませんでした。目がチカチカして、1字1字を読むのが苦痛で読めませんでした。いつも楽しみに読ませていただいているのですが。

私見ですがこういう情報紙は、クールに頭の中に伝藩していく色の方がいいのではないでしょうか。
そしてカラー写真とか、図によって強調されたほうが。信徒はおそらく教区ニュースを娯楽として読んでいるわけではなく、文字の中から読み取れる福音の現実にであうことを楽しみに読んでいるのではないかと思います。

(練馬O・K)

編集部から

刷色については他にも賛否両論のご意見がよせられております。今号は少しおちついた色にしてみました。感想をお寄せ下さい

シリーズ 外国人共同体を訪ねて 第5回フランシスカン・フィリピン・センター

フランシスカン・フィリピン・センター(TheFranciscanPhilippineCenter=FPC)

1990年に6本木のフランシスカン・チャペルセンターの支援を得てチャペルセンター内に開設されたこのFPCでは、当初、関東全域から持ち込まれる労働問題や法律・医療などについての相談・対応を主な仕事としていた。フィリピン人司祭エリ・アデル神父を中心に、ボランティアを集めて運営し、1991年にはシェルター(一時的な避難・宿泊施設)も開いた。

やがて、研修ビザが発行されたり、バブル経済がはじけたりするのに合わせて変化したフィリピン人たちのニードに対応して、多様な活動を展開してきた。最近では、フィリピン人同志の日本国内でのネットワークが作られ、助け合えるようになったなどの理由によって、さまざまな『問題』が持ち込まれることが減ったという。その一方、たとえば、いわゆる「不法」滞在者でも、「エンタテイナー」と「労働者」とでは抱えている問題とニードが違うなど、FPCならではの必要に応じたきめ細かな対応をしている。

近年目立って力を入れているのは、霊的面でのサービスである。チャペルセンターで全ての小教区の機能を持ち、タガログ語のミサもあるが、それに加えて、さまざまな集いを催しているので、主なものを紹介する。

初金の集い…まず霊的ビデオを見て、ロザリオの祈りと黙想、個々の祈り、聖歌、教会の祈りなど。その後、信仰や霊的体験の分かち合いをして、初金のミサと聖体賛美式。3時間以上かかるこの集いに、現在、百人近い参加者がいる。フィリピン人でない人の参加も多い。

ハウス・トゥ・ハウス・エヴァンジェリゼーション…イエス像、マリア像、聖家族の御絵などを、順番に信者の家から家へ回していく。回ってきた家では、近所の信者・友人を招き、神父あるいはリーダーが司式して、聖書朗読、分かち合い、ロザリオの祈りと家の祝別などが行われる。2時間以上かかり、式の後、皆で食事をする。日本人と結婚したフィリピン人の家が多いが、日本人の夫が協力して、楽しんでいることも多い。現在10の地域が組織されていて、各地域で毎週1回集まっている。

黙想会…金曜の夜から日曜にかけて行う。すでに5回行っているが、各地の教会のリーダーたちを中心に、20数名が集まる。トピックを与えて、話し合う時間も大切にしている。

関東に1人しかフィリピン人司祭がいないなか、エリ神父は、各教会、グループ間のネットワーク作りにも、力を入れている。黙想会や、年2回の秋田の聖母への巡礼はその良い機会になっている。チャペルセンターで丸1日かけて祝った盛大なクリスマスの集いでは、東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬の教会から多くのフィリピン人が集まり、聖歌隊がクリスマスソングを歌って競いあった。チャペルセンターの聖フランシスコの祝日の集いでも、各地から集まったフィリピン人が活躍している。

また、昨年ついに念願のコーペラティヴ・ユニオンが始まった。これは、私設の銀行のようなもので、メンバーは、お金を預けたり、借りたりすることができる。運営は大変だが、日本で不安定な生活を送るフィリピン人には大変助かるものである。

発展してきているFPCの抱える大きな問題は、金銭的な基盤がないことである。寄付と、ラッフル券、バザーなどさまざまな工夫でやりくりしているが、台所事情は苦しい。しかし、シスターと信徒の常勤スタッフと多くのボランティアがいるのに加え、フィリピンで長年働いていたジーン神父(アメリカ人)が昨年チャペルセンターに来るなど、人材的には充実してきている。年に4回発行している機関紙
”Reaching Out…”も20ページのパワフルなものである。

FPCのTEL 03-3401-2146

東京教区修道女連盟研修会 テーマ「奉献生活とその使命」をめぐって

去る1月4日(水)、東京教区修道女連盟主催の研修会が、聖心女子大学で行われ、約7百名の修道女の参加があった。テーマは「『奉献生活とその使命』をめぐって」-昨年の10月に開催された第9回世界代表司教会議(シノドス)の内容を受けたものである。

白柳誠一枢機卿司式のミサで始まり、午前中はパネルディスカッション。パネリストは、佐藤敬一司教(新潟教区、シノドス出席)。シスター今泉ヒナ子(コングレガシオン・ド・ノートルダム管区長、オブザーバーとしてシノドス出席)、吉村新一郎神父(マリア会管区長、シノドス準備委員会)の3人。森一弘司教の司会によって、主催者側から出された質問に答えていくものであった。

まず、「なぜシノドスのテーマに『奉献生活』を取り上げたか」には、修道者のアイデンティティが社会に飲み込まれてしまっている危機感。宣教の核による修道生活のあり方を刷新する必要性。現代における教会の中での奉献生活の多様性(フォコラーレ、オプス・デイなど)という答え。これを受けて、「これまでの修道生活のカリスマ自体に危機があるのか」に対し、それ自体に危機があるのではなく、具体的に生きてゆく上での制度・形態が問題で、奉献生活の価値は変わらない、ということが挙げられた。そこで、修道生活の恵みの受け取り方の多様性の中で、実際にどのように誓願を生きていくのかということが展開された。「時代が要請している宣教事業の見直しによって奉献生活を見直す」という意見が出る一方、「世間の要求に応えるだけが証ではない。証とは私たちが意図的にするものではなく神のみ旨に任せるもの」といった意見が出され白熱した。各パネリストの意見が煮詰まっていない段階で、会場の修道女の反応を求めたが「奉献生活は神との一致-祈りである」というそれぞれ個人的な体験の分かち合いになった。

午後は、映画「森の中の淑女たち」を鑑賞。

テーマが大きすぎて時間的にも無理があった。奉献生活のあり方を考えるとき、「祈り」という枠に収めてしまいがちだが、現代の修道会においては、事業体の霊性を育てていくことにも目を向けていく必要性があるだろう。しかし、このテーマを「今」取り上げたことに意味があると思われる。

教会・修道院巡り(39)『聖イグナチオ教会』(麹町教会)

聖イグナチオ教会の前身である聖テレジア教会は、以前中央協議会があった6番町に建っていた。この建物は女子跣足カルメル会修道院のもので、同修道会が上石神井に移転して後、1936年3月22日、シャンボン東京大司教によって祝別式が行われ、東京府下15番目の教区教会として誕生した。

しばらくは邦人司祭による司牧が行われていたが1940年12月末、第2次世界大戦の戦局進展に伴い、東京教区の司祭の補充ができなくなり、イエズス会に委託されることになった。

1944年末、防空法により聖堂は「建物強制取り壊し」に指定され、空き家同然となっていたが、1945年5月25日、B29の第3次大空襲で焼失した。

仮教会として上智学院修院聖堂が使われていたが、1945年8月15日、終戦をむかえると復興に着手し、1947年上智大学の講堂で日曜日のミサを捧げるようになった。これを機に大勢の信者が再び集えるようになった。

1947年、新教会建築にあたり、土井東京大司教とイエズス会との間で契約が交わされ、従来の小教区聖テレジア教会はイエズス会に委託されることになった。

イエズス会は上智大学の敷地内に適当な聖堂をたてることを約束した。

国内には建築資材が乏しかったので、多くの資材は外国からカトリック復興委員会を通じて輸入した。大量に使用する木材は、商工大臣の許可によって特配を受けた。莫大な建築資材を必要とする聖堂であったため、建築許可をもらうには4カ月を要し、許可書に捺印された判の数は2百を越え、スタンプ帳の観があったという。

鐘楼には鉄筋が使用され、他は全部木造で、わが国の木造教会建築では類をみない規模のものである。天井は船体を逆さまにしたイメージにかたどられ、ノアの方舟、すなわち救いをもたらす神の教会を表現している。

1949年4月17日竣工し、献堂式が行われた。

新聖堂の名称はイエズス会の創立者ロヨラの聖イグナチオにちなみ、聖イグナチオ教会と命名された。
教会献堂から約半世紀が過ぎようとしている今日、日本の教会の中で一番多くの信者をかかえる聖イグナチオ教会は古くなり、狭くなって新築の準備に取りかかっている。

21世紀に向かう日本の社会の中で新しい教会の姿をどのようにアピールする教会が建築されるのか期待される。

〒102 千代田区麹町6-5

阪神大震災被災地から 2月1日発 油谷弘幸神父の報告

大震災後の大阪教区の動向は次の通り。

地震発生の朝8時には安田大司教が事務局に現地調査を命じ、救援活動を開始された。通信網は断絶、道路は分断されている。大阪教区の司祭たちは自転車を駆って被災地をめぐった。ひんぱんな余震の中で命がけである。教区の青年たちがオートバイで集まる。小教区をまわり、情報を集め、物資を配る。大司教館の救援本部の電話は鳴りつづけ、救援物資が続々と集ってくる。カトリックの医師団が動く。

中山手教会が救援基地となる。

20日、21日、中山手教会のこわれた聖堂の塔の下は、近隣の人々、被災者、報道関係者、各教会に物資を配るバイク、ワゴン、トラックでごったがえす。荷がくる。人がむらがる。仕分けられ、配られ、運ばれる。

街には物あまり現象が出る。持てる者はさらに豊かに、もらい損う者はいつまでも貧し…。「行政の谷間の人々」にはっきり救援救助の焦点が合う。在日外国人、路上のテント住人、ストリートピープル、こうした方々を追跡し、援助する。

食料、水の供給が足りてくるとウエットティッシュ、下着の需要が高くなる。衣類食物があふれかえっても、なぜかいつも足りない。

状況は刻一刻移り変わる。今やるべきことは何か、次に向うべき方向はどこか、模索し、早急に対応する。さっきまで必要だった物資が、今不要になる。住吉、鷹島の教会も救援基地となる。他のボランティア組織と連携する。

住宅供給の準備がすすむ。被災の少なかった周辺の教会の人々は、地の利をいかし、単独で物資を集めて、配っている。若者に声をかけ、近隣に助けにゆく。

全ては怒とうのごとく変転している。今、兵庫県南部から、秩序だった報告はできない。

終戦50周年記念行事 城東ブロックが口火を切る

終戦50周年に当り教区平和旬間委員会は、8月5日の平和祈願祭を中心に各ブロックにそれぞれの実状に即した記念行事を企画してもらい、教区民の平和意識が特に高まるよう、昨年から再3にわたって各ブロックとの連絡会議を持ってきた。

いち早く城東ブロックが3月10日東京大空襲の最大被災地ということで、企画の連絡があった。

他のブロックからも連絡が入り次第お知らせするので御注目いただきたい。

詳細は『VIVID』をごらん下さい。

編集部から

このたびの阪神大震災で被害を受けられた方々、特にお亡くなりになった方々のために、心より冥福をお祈りいたします。

連日のマス・メディアによる報道で、震災の全容が知らされましたが、ほんとうのことは現地に入らないととうてい理解することはできないというのが真実だと思います。断片的な情報をつなぎあわせるだけでも、身震いのする想いですので、現地の方々の心境ははかり知ることができません。

近代化によって隣人とのきずなが弱くなっていると指摘される中で、今回の震災ではすみやかな救援・救助の手がさしのべられ、全国から多くのボランティアが集まっているのは心強い想いです。

新神学生の話は、紙面の都合で残念ながらカットされた惜しい部分がある。インタビューが終わるころ、レオ師が自分のことが話題になったとは知らずにニコニコしながら「もう終った」と入室。続いて土曜学校を終えた外崎助祭(札幌教区)も加わって話がはずんだ。話題になっている「神学校内の年の差」については、「愛があれば年の差なんて」という言葉も飛び出し、なごやかな雰囲気。教区、修道会を越えて生活する神学校内に”愛”がたくさんあることを祈ろう。