東京教区ニュース第117号

1994年11月01日

茂原教会
司祭館・信徒会館改築終わる

9月11日 (日)、 新しく建て直された司祭館、 信徒会館の落成式が、 森司教を迎えて行われた。

43年前に建てられた司祭館、 信徒会館は、 老朽化し台風など雨の激しいときには雨漏りがし、 漏電の危険も指摘されていた。 ようやく資金のめどが立って、 今年度改築にとりかかることができた。

信徒会館の方は、 旧聖堂に上手に結びつけ、 台所などもバザーなど大きな集まりに十分対応できるよう広いものとなった。

茂原教会は地理的には千葉ブロックの中心にあり、 この信徒会館が、 茂原教会のためだけでなく、 千葉ブロックの教会のさまざまな集まりに活用できるのではないかと、 関係者は期待している。

司祭館も全く新しくされた。 主任司祭のキャロル師の 「30数年の司祭生活の中で、 全く新しい司祭館に住むのは今回初めて。 大変嬉しいし、 皆様に深く感謝したい」 という挨拶の言葉が印象的であった。

「親であること、 悩みとよろこび」 をテーマに分かち合い
~生涯養成・一泊交流会~

岡紗綾子氏
食事中も熱心に分かち合い

「家庭」 を年間テーマにした東京教区ナイスプロジェクトチーム生涯養成委員会主催の一泊交流会が9月17、 18の両日、 新宿区戸山の戸山サンライズで開かれました。

交流会には、 東京教区の30代から70代の信者を中心に約30人が参加し、 カウンセラーとして20年近く登校拒否児問題と取り組んでこられた岡紗綾子さん (小金井教会信者) のお話をもとに、 濃密な分かち合いが行われました。

今回の課題は 「親であること、 悩みとよろこび」。 参加者それぞれが抱える親としての問題は違っても、 それを前向きに解決して行く勇気を得た2日間となったようです。

次回の交流会は 「美しく老いる」 を課題に来年2月中旬を予定しています。

会は、 岡さんのお話から始まりました。

お2人のお子さんがご主人の死と前後して登校拒否となり、 どのように悩み、 苦しみ、 神への祈りと信頼の中に希望を見いだし、 お子さんたちが立ち直っていったか。 体験をもとに、 同じような悩みをもつ全国の親と子に助けの手を差し延べるようになった経緯も含めてお話になりました。

このような経験をもとに、 岡さんは 「子育ての最終目的は自立した人間にすること。 その基本は夫婦が愛し合い、 心をひとつにした生活にある。 『父と母、 兄弟からも愛されている』 という自覚があれば、 たとえ学校でいじめにあい、 登校拒否になっても、 それを乗り越える力をもつことができます」。

さらに、 「親自身が自らの弱さ、 至らなさを認めることで、 問題を抱える子供の全てを受け入れることができる。 『必ず立ち直る』 という100%の神への信頼があれば、 心配はありません」 と、 確信をもって語られました。

これを受けた4グループに分かれての分かち合いでは、 参加者の間で(1)岡さんの話で一番心に残ったのは祈り(2)家庭の価値観と社会の価値観のギャップの中で、 子育ての難しさ、 親の責任を痛感した(3)どんな子供にも良い点がある。 それを見出し、 ほめることの重要性を知った(4)子は親の心理を敏感に感じとる。 信頼、 自信をもって対応すれば子供も生きる自信をもてる(5)親子の関係をいくつになっても大切にしていくことが重要……などの感想や、 意見が交換されました。

翌日も、 岡さんを交えての全体での分かち合い、 再度の個別の分かち合いが続けられ、 余語久則神父司式による歌ミサで会を締めくくりました。

参加者の感想は、 「子育てにおける夫婦関係のたいせつさを改めて痛感した」 「さまざまな生活の中で、 皆が子育てに悩み、 真剣に取り組んでいることがよく分かった」 「日々の俗事から離れ、 自分と家族をみつめ直す機会がもてた」 など前向きのものが多く、 それぞれ豊かな収穫を持ち帰れたようでした。

一泊交流会は、 ナイス (福音宣教推進全国会議) 第1回で強調された 「それぞれが生きてきた信仰生活の分かち合い」 を進めるために91年から始まりました。 今年は、 国連の国際家族年であり、 第2回ナイスでも中心に話し合われた 「家庭」 を年間テーマとしています。

真の戦後補償実現に向けて
―償いとは何であるのかを、 被害者の視点で問い直したい―

カトリック東京正義と平和委員会・ 「戦後補償実現基金」 担当者の大倉一美師に聞く

カトリック東京正義と平和委員会では、 敗戦50周年を来年に控え、 この8月、 新たに 「戦後補償実現基金」 を開設した。

これは同じ時期に東京で行われた 「戦後補償国際フォーラム」 に、 日本軍による集団虐殺の犠牲者遺族をパプアニューギニアから招いたことをはじめ、 今後も、 日本の責任を明確にした戦後補償が実現するまで、 さまざまな活動や被害者への緊急援助などに使う費用を集めたいという趣旨からである。

昨年3月、 白柳大司教の呼びかけで始められた、 元 「従軍慰安婦」 裁判支援のための基金には、 これまでに、 大勢の方々の御協力があり、 現在も、 4件の元 「従軍慰安婦」 裁判を支えている。 今回開設した 「戦後補償実現基金」 は、 元 「従軍慰安婦」 に限らず、 アジア・太平洋地域の、 すべての被害者の正義の回復のために役立てるつもりだという。

折しも、 8月31日、 村山首相は戦後処理に関する談話を発表。 中でも注目されるのは、 元 「従軍慰安婦」 に対しての 「民間基金による見舞金」 構想である。 これらに関して、 担当の大倉一美師は、 現状や今後の取り組み方などについて次のように語った。

☆ ☆

村山政権は、 敗戦50周年を来年に控え、 去る8月31日、 戦後処理問題に関する談話を発表しました。 これは、 「戦後補償はサンフランシスコ条約に基づき政府間で解決済み。個人への補償はありえない」 としてきた、 歴代の政府には見られなかった、 戦後補償に関する幾つかの新たな提案でした。 中でも注目されるのが、 元 「従軍慰安婦」 に対する 「民間募金による見舞金」 案です。

そこには、 「名目は見舞金だが、 実質的な償い」 としたい現政権の苦しさが見てとれます。しかし、 このような一時的見舞金構想が、 裁判を起こしてまで、 日本政府に謝罪と補償を求めている元 「従軍慰安婦」 たちの真意とは、 ほど遠いものであることも、 また、 事実なのです。

国としての責任を回避したまま-例えば、 被害者からの具体的な被害状況や、 それに対する訴えを聞くこともなく、 また、 独自の現地調査を行った上での補償案作り・提示もしないうちに-、 一時的 「見舞金」 を支払うことによって決着をつけようとする、 日本政府の姿勢は、 経済大国である日本の男たちが、 今日、 アジアの女性たちをお金で買うことと、 まさに同じであると言わざるを得ません。

これは、 被害を受けた女性たちに対する、 侮辱の上塗りに他ならないのです。 彼女たちが真に望んでいるのは、 憐れん憫びんや同情ではありません。 彼女たちが真に望んでいること、 それは、 日本国家からの正式な謝罪であり、 その具体的な証しとしての補償、 戦争によって失われた、 人間としての尊厳や生きる権利を正当なものとして回復し、 残された時間を安心して生きられるための補償、 つまり、 個人補償なのです-この点において、 アメリカやカナダは、 「戦後補償はサンフランシスコ条約に基づき政府間で解決済み」 であるにもかかわらず、 強制収容した人々への個人補償をしています。 また、 ドイツも、 元軍人・軍属のみを対象に限定しない、 個人補償をしています-。

私たちは、 キリスト者として、 「償いとは何であるのか」 を、 自らに問い直す必要があります。 もし、 このような政府案に安易に同調するならば、 教会として、 再び、 過ちを犯すことにもなりかねないのです。 それゆえ、 私たちは政府案による 「民間募金」 への協力は致しません。

被害を受けた女性たちと 「共に」、 彼女たちの視点から、 真の正義の回復を求め続けること。 つまり、 真の個人補償が実現するよう働きかけ続け、 また、 現在ただ今、 厳しい状況を生きておられる人々への緊急援助を続けることに、 今まで以上に取り組んでいきたいと思っているのです。

是非、 多くの方々の御理解と御協力をお願いいたします。

郵便振替:東京正平委戦後補償実現基金 00170-0-722333

葛西教会献堂25周年
地域社会の人々に感謝

25年前に江戸川区松江に献堂されたアウグスチノ会の4っ目の教会は、 9年前に同じ江戸川の火災に移転し、 葛西教会として今日に至った。

10月2日、 25年記念式典が白柳大司教はじめ12名の司祭、 と当教会と関係の深い幼きイエス会や各修道会、 東京教区の諸教会、 地域の方々約百名の参列のもと6百名が参加、 盛大に挙行された。

初代司祭グリフィン師は、 友人とともにアメリカから、 昨年司祭叙階金祝を迎えたパーセル師は長崎から駆けつけた。

また、 元在籍の信徒も9州、 4国、 名古屋から駆けつけ、 25年の月日の重みを実感する1日となった。

地域社会の方々も多数参列し、 日頃からご理解、 ご協力をいただいている方々に、 改めて感謝の気持ちを表すことができ、 「地域社会とともに歩む教会」 を願う私たちにとって大きな喜びであった。

福祉部が昨年 「江戸川区長賞」 いただく場を提供してくださった暖心苑・老人ホーム、 バザーでよくテントを貸してくださって町内会、 医院、 商店など地域社会に根付いていく糸口となる身近な人々を今後とも大切にしていかなければならないと思う。

式典当日の早朝、 教会の隣の方が2人、 お祝に着てくださり一同感激をした。

白柳大司教は、 「葛西教会は多くの外国の信者さんが集まり、 教会の性格を目に見えるかたちで表し、 美しい教会です」 と述べられた。

当日はフィリピングループの劇とバンブーダンス、 韓人グループでは聖歌や民族舞踊などが披露された。 言葉や生活、 風俗などお互いに異なるが、 今後一層理解を深めてゆきたいと改めて思った。

またこの25年の記念に 「標語」 を大きなパネルにして、 奉納したことも記念になると思う。 その内容は、 私たちの信仰の目標、 悲願を唱ったもので 「私たちは神の家族の一員としての自覚を深め、 互いに分かち合い、 福音宣教のためにより活動的な役割を求め続けていく」 という意味が表明されており、 教会玄関に掲げられ、 信仰生活の指針となるだろう。

他に記念事業として、 教会の増改築、 記念誌の発行、 宣教用カードとちらし、 看板、 電柱広告、 テント、 レターケースなどが挙げられるが、 25周年を祈りながら共同で為し遂げた喜びと感動がなによりだった。 この感動を50周年まで持続できればと願っている。

(脇谷 善之)

ずーむあっぷ
「戦後補償実現基金」の協力を呼びかける
大倉一美師

町田教会主任司祭として、 司牧に携わるとともに、 教区司祭評議会委員、 正義と平和委員会担当として忙しい毎日を送っている。

フィリピン元 「従軍慰安婦裁判」 の支援、 「韓国元従軍慰安婦の証言を聴く夕べ」 の開催等の地道な活動が 「戦後補償実現基金」 の開設に結びついた。 関連詳細は別掲。

一人ひとりが召しだしの道具となるように
一粒会主催・召命祈願ミサ

10月9日 (日)、 東京カテドラル聖マリア大聖堂で、 カトリック東京大司教区一粒会主催の召命祈願の合同ミサが捧げられた。

白柳誠一大司教主司式、 森一弘司教、 市川善男師、 内山賢次郎師、 酒井俊雄師 (以上一粒会担当司祭)、 オスカル師 (イエズス会)、

師 (カルメン会) の共式ミサであった。

☆ ☆

当日大聖堂では、 東京カトリック神学院をはじめ、 聖アウグスチノ会、 マリア会、 コンベンツアル聖フランシスコ修道会、 サレジオ会の神学生46名が300名を越える信徒とともに召命のために、 心を合せて祈った。

白柳大司教は、

「日本の教会は、 たくさんのすばらしい宣教師たちによって福音が伝えられました。

今こそ、 私たちの中から、 宣教師たちのあとを継ぎ、 神に仕え、 人々に仕える人が出なればなりません。
若い人たちに呼びかけて、 司祭になるよう勧めていただきたいのです。

皆さんの一声によって、 青年たちの中に神のみ手が働くかもしれません。

皆さん一人ひとりが召しだしの道具になってください」 と力強く呼びかけた。

ミサ後、 梅田一粒会運営委員長 (豊島教会) から、 出席した宣教会、 修道会、 東京カトリック神学院の神学生の紹介がおこなわれた。

東京教区の神学生を代表して伊藤幸史神学生 (神学3年) は、 「現在、 東京カトリック神学院の在籍者は37名、 内6名が那須の初年度養成課程にいます。 新制度の充実した養成プログラムのもとで研鑚を積んでいます。 れから私たちのためにお祈りください」 と感謝の言葉を述べた。

カトリックセンターに場所を移して神学生と懇談会が開かれ、 この4月から東京カトリック神学院院長に就任した東京教区の寺西英夫神父が白柳大司教から紹介された。

この程、 東京教区早川努神学生は、 名古屋教区の神学生となった。

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一粒会とは

教区神学生の養成のために経済的援助をする目的で設立された。

東京教区信徒全員が会員で、 会長は白柳大司教。

経済的援助だけでなく、 司祭召命と養成を教区全体の問題として信徒も積極的に考え、 協力し、 知らせる役割も持っている。

(東京カトリック神学院の募集要項を別掲)

ある家族
家族の重要性 朴 眞
インターナショナルデーの分かち合いから

人がこの世に生まれ、 家庭という共同体の中で習得することが沢山あります。 家族という小さな社会は、 各自自分の与えられた役割を果たしながら、 会話を通してお互いを理解し合います。 しかし情報化、 専門化した現状社会での会話というのは、 お互いに忙しくて一方的、 また形式的なものに変化してきていることが問題です。

特に、 核家族化している現代家庭は最も深刻です。 そういう時こそ平日は短い時間でも夕食を共にして、 お互いその日に起こった事を話し合い、 また週末には家族単位の集まりを通して発展的な会話をしなければいけないと思います。

家族間の会話が喪失している家庭は、 家族でなくてただ同居していることと同じです。 本当の家族は、 お互いの話しを聞き、 また話すことでその絆が維持されるのだと思います。 いろいろ悩んでいる時に、 誰よりも自分を理解し、 助けてくれるのは家族です。 苦しく、 葛藤し揺らいでいる時、 自分を支えてくれるのは家族です。

奉仕というのは決して大きなことではなく、 まず小さいながらも家族で助けが必要な時に助け、 理解し、 一緒に気持ちを分かち合うことです。 このように家庭内で家族間の奉仕が真心でできなければ、 社会での奉仕活動が出来るはずがありません。 それに何よりも大切なことはお互いを信じる事です。 神に対しての信仰と、 家族に対しての信頼が満ちた時、 良い信仰生活を送ることが出来ると思います。 家族間の真の会話をなくしては、 どうして神との真の会話が出来るでしょうか。 信仰が私達の生き方、 また生活の中にとけこむ時、 本当の価値が生まれ、 発展することと思います。 家族内の円満な会話は、 信仰と一つになった時、 私達の信仰生活はより成熟したものになると思います。

カテドラル納骨堂全区画予約済となりました

東京カテドラル納骨堂は、 さきごろ全区画が予約ずみとなりましたので、 申込みを打ち切りました。

なお、 希望区画を指定されたまま、 使用料をまだ納めておられない方は、 平成6年12月10日までに、 管理事務所 (電話3947-0312番) にご連絡ください。

ご連絡がない場合は、 お求めになる意志がないものとして処理させて頂きます。

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府中納骨堂は申込み受付中

カトリック府中墓地 (府中市天神町4丁目13-1) 内の聖堂地下に新設された府中納骨堂は、 申込みを受付けています。

お申込みは東京教区の信者であることを原則としますが、 信者でない家族の分もお求めになれます。

お申込みはカトリック府中納骨堂管理事務所 (文京区関口3-16-15、 カトリック東京大司教区事務局内、 電話3947-0312番) へ。

5日市霊園の増設工事再開

カトリック5日市霊園の増設工事は、 いろいろな手違いから中止命令が出されていましたが、 このほど正式許可がおりましたので工事が再開されました。 工事が順調に進めば来年8月頃に申込み受付け開始の見込みです。

詳細は、 来年7月号か8月号の本紙に掲載の予定。

社会の福音化をめざして
~宣教者としての障害者~をテーマにカ障連 第5回大会

9月10日 (土) ~11日 (日)、 東京千駄ヶ谷の日本青年館で、 カトリック障害者連絡協議会 (カ障連、 山田昭義会長) の第5回大会が開催された。

テーマは社会の福音化をめざして-宣教者としての障害者。

カ障連では、 7月に聴覚障害者、 視覚障害者、 肢体障害者に対してのボランティア講座の開催をはじめとする周到な準備をすすめた結果、 当日は百93人の参加者と、 事務局、 受付、 案内、 通訳等を務めるボランティアで会場はあふれかえった。

開催教区の白柳誠一大司教は、 歓迎のあいさつで、 「健常者と障害者がともに手を携え、 社会の福音化をめざして宣教者としての障害者の使命を深めようとする積極的な姿勢は、 眠っている信者の目を開かせるものだ」 と参加者を励ました。

また、 司教協議会障害者担当司教である野村純一司教は、 「人が集まると、 与える人と与えられる人の区別ができるが、 受けるものと与えるものは違ってもお互い皆から多くのものをもらい、 あたえるのだ。 この大会のテーマは、 私たちすべてのキリスト者にとっての目標であり、 課題である。」 と述べた。

今大会の金澤恂実行委員長と、 穂坂由喜男事務局次長の話を聞いた。

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ご協力に御礼

実行委員長 金澤 恂

9月10日、 11日にわたり東京・千駄ヶ谷の日本青年館で開催させていただきました私ども 「カ障連」 の第5回東京大会は、 東京教区の方たちの精神的、 財政的、 また労力的支えにより、 「カ障連」 始まって以来、 最大の参加者の元に、 内容的にも、 かなり充実した、 レベルアップされた大会であったと自我自賛しております。

ここに私は、 敢えて傲慢とも聞こえる 「自我自賛」 と言う言葉を出しましたが、 私が申し上げたいのは、 この名のみの実行委員長の私自身のことではなく、 常に私の手足となって動いてくれた20数名の実行委員の方々のことです。 この方々は一人残らずおのおの自分に与えられたタレント、 キャリアをフルに生かして各分野で昨年の12月頃から懸命に縁の下で働いて下さったからです。

そう、 それは偉大な1つのオーケストラでした。 誰一人として欠けがえのない一人ひとりの演奏が旨く噛み合っていたからこその耳に美しく木霊こだまする1つの名曲となりました。

ここには、 障害者、 健常者と言った壁は一切存在しておりませんでした。 在るのはそれぞれの役割だけ、 まさに 「分かち合い」 神の国の合奏団が成したものだったと思います。

皆様、 本当に有難うございました。

大会によせて

実行委員 穂坂由喜男

東京教区を始め、 横浜、 浦和教区の多くの方々の支えにより、 大会は無事終了することができました。 実行委員の一人として、 心からお礼申し上げます。

大会に漕ぎつけるまでの準備に、 約1年間、 14回に上る会議、 その間精神的および経済的援助、 また、 当日のボランティアだけでも130人の方が、 それぞれの役割を自主的かつ積極的に行って下さった賜です。

これまでの大会を振り返って、 参加者の意識も徐々に向上が見られ発言内容も愚痴的なものから大会のテーマ 「社会の福音化を目指して」、 キリスト者の一員として積極的に宣教者としての役割を担う者としての姿勢を強く感じられました。

しかし、 まだまだ障害を持っている人たちは、 邪魔者扱い、 同情的見方から解放されてはいないのが現状です。

真に障害を持っている人が教会の中で、 社会の中で、 人権が認められてはいません。

この大会をとおして東京教区でも、 障害を持っている人、 およびボランティアの組織的活動の活発化を感じました。

これからの社会の福音化、 社会の正常化に向け、 この大会が、 障害がある人もない人も相互理解を深め共に協力して行く1つのきっかけになることを願い、 宣教者として与えられた使命を果していきたいと思います。

千葉ブロック大会歌に講演に300人集まる

9月18日 (日)、 恒例の千葉ブロック大会が、 千葉芸術文化ホールを会場にして、 11の小教区から300人が参集して開催された。

第一部は、 「家庭と典礼」 をテーマに森司教の講演。

森司教は、 現代日本の家庭では家族の絆が弱くなってしまっており、 親が子供たちに生き方や信仰を伝えることが非常に難しくなってしまっている。 この現実をさまざまなデータをもとに指摘すると同時に教会共同体で、 家族全体を巻き込むことのできるような合宿等が工夫されてよいのではないかと訴えた。

講演は、 自分の信仰を子供たちに伝えることができずに思い悩む親たちの共感を呼んだ。

第2部は、 いくつかの教会の聖歌隊グループの合唱。 参加者は、 東金教会の80才を越えるお年寄りのピアノ伴奏と幼子を背負った母親の指揮者や、 鴨川教会の幼い3人の兄弟姉妹のピアノとバイオリンの協奏曲などに、 盛大な拍手を送った。

また最後は、 特別出演の茂原教会所属の音楽家田中信子さんの歌を楽しんだ。

千葉ブロックの司祭たちも全員参加し、 最後は共同ミサで大会を締めくくった。

教会・修道院巡り(37)
『聖心侍女修道会』

聖心侍女修道会が日本に創立されたのは、 第一次世界大戦を機に軍国主義が台頭し、 思想統制によるキリスト教界への厳しい弾圧がすでにはじまっていた1934年11月のとである。

ラファエラ・ポラス、 ドロレス・ポラスという姉妹によって、 1877年スペインのマドリードに創立された聖心侍女修道会は、 償いの精神で聖体のうちに現存されるキリストを拝礼し、 教育という使徒活動を通して福音宣教の使命を果たすことを目的としている。

貧しい家庭の子女を優先的に教育することが、 創立の精神であるが、 日本では当時の社会と教会の要望で、 上流家庭の子女を対象とすることから始まった。

来日して日の浅い1935年4月、 麻布3河台の旧志賀直哉邸に、 清泉寮学院ほ設立した。 そして高等女学校卒業者への女性としての完成教育も同時に開始した。

やがて第2次世界大戦が勃発し、 それが拡大すると、 東京に在住する外国人には疎開が勧告された。 宣教女たちには軽井沢での生活が保証されていた。 しかし、 ようやく来日10年を迎えたこの修道会の日本人会員は、 その大半がまだ修練者であった。 宣教女たちは若い会員を戦争の危険の中に残すことを懸念し、 軽井沢行きを辞退した。

そのうち信州の寒村に疎開先が見つかり、 彼女らはそこで戦時時下のあらゆる辛酸を共に分かち合った。
平和が訪れると長野に、 ついで横須賀・鎌倉・東京に、 『清泉』 を開校することができた。 現在は小学校から大学まで、 そしてインターナシュナル・スクールと、 教育の場を提供している。

また歪みの多い今日の日本の社会にあって、 心の安らぎを求める人々と共に祈り、 弱い立場に置かれている人たち、 特に日雇い労働者や滞日外国人労働者と連帯し、 社会の内的革新をめざして、 キリストにおける新しい世界の実現に努力している。

生命/死、 平和/暴力、 連帯/差別という対照的なこの世界の中で、 すべての人がキリストのあがないに完全に与かれるようにと、 聖心侍女修道会の会員はスペイン、 イタリア、 イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国、 北米および中南米、 アフリカ、 インド、 フィリピンでもかつどうしている。

本部修道院
〒247 鎌倉市城廻200

東京教会管区の集い

相互協力について話し合う
それぞれ教区という蛸壷から抜け出す必要性で一致

9月13、 14日にかけ、 東京教会管区の司教と司祭たちが、 中央協議会を会場に、 教区間の協力をテーマに集まり、 話し合いを行った。

出席者は18名。 病気入院中の仙台の佐藤司教を除く6名の司教と各教区から派遣された12名の司祭たちである。 東京教区からは、 両司教の他、 岸忠雄師 (清瀬教会)、 高木賢一師 (荻窪教会) 稲川保明師 (大司教館) が参加した。

ちなみに日本には3つの教会管区がある (東京、大阪、長崎)。 東京教会管区には、 札幌、 仙台、 新潟、 浦和、 横浜、 東京教区の6つの教区が含まれる。

☆ ☆

協力の具体例

初日は、 グループに分かれて話し合いが行われ、 すでに実践されてきた協力の具体例も紹介された。 結婚・離婚裁判、 新潟と浦和教区の司祭たちの合同黙想会、 新潟、 浦和、 仙台の3教区の司祭たちの合同の研修会、 更には新潟と東京のように姉妹教区として結ばれた例など。

しかし、 司祭の高齢化や召命が減少していくという現実を踏まえて、 このままでは教区として将来に向けた展望が開けない、 すぐにでも教区間の壁を取り去ってほしい、 そこから実際的な協力が育っていくのではないかという発言も飛びだし、 東京教区では考えられない状況にある地方の教区の苦しい実情も知らされた。

協力を促進するために

また滞日・在日外国人を対象とした司牧や青少年を対象とした司牧など、 教区の枠を越えてかかわらなければならない問題も現れてきているという共通認識も深められ、 そのためにも教区間の協力を促進しなければならないということでも一致した。

しかし、 協力を促進するためには、 その前提として、 それぞれの教区の司祭たちが、 教区という蛸壷から抜け出して、 互いの状況・経験を、 分かち合う必要がある。 また異なった状況にある者同士が出会い、 分かち合いを深めることによって刺激を受け、 豊かになっていく。 それこそ、 最も素晴らしい協力ではないかという発言もあって、 今後この集まりを続けていくことを確認して、 散会した。

次回の開催は札幌教区の担当となった。

ルワンダからの証言
マリアの御心会

Sr. 本間良子 7.27~8.22 マダガスカルに滞在

私は7月末から、 マダガスカルに行って来ました。 そこで、 ルワンダから戻ったばかりのマリアの御心会の東アフリカ管区長プレイシーに出会いました。 プレイシーは、 ルワンダにあるコミュニティーの責任者でもあります。 彼女から現地の生々しい状況を聞いたのでお伝えします。

『ルワンダに戦闘が始まって間もなく、 ベルギー人のシスターたちは国外に退去しましたが、 インド人1人とルワンダ人4人のシスターたちは脱出できませんでした。 その直後から消息は断ち切られ、 戦闘も集団虐殺も激しくなるばかりなので、 心配のあまり遂に独力でウガンダから国境を越え、 ルワンダ側のビウンバ市にはいりました。

事もあろうに、 その日は7月4日、 首都キガリが愛国党に占領された当日で、 避難民の群れが大挙して逃げてくるので、 国境から30キロのその町も大混乱の状態でした。

この期にキガリ市に行くなど自殺行為に等しいとも、 シスターたちがまだ市内にいる可能性はない、 生きているかどうかも危ういとも言われ、 かえって心配がつのって、 是が非でもキガリまで行こうと機会を狙っていました。

7月13日に占領部族の運転手の車に便乗して、 一寸先の状況も分からないまま出発。 ビウンバ市から65キロの道中に幾度も検問をうけ、 午後2時にキガリに着きました。

あたりに人影はなく、 崩壊した建物、 藁をかぶせた土盒、 焼け焦げになった車の残骸、 引きちぎられた着物が散乱し、 死臭が漂っている町のなかを恐る恐る車を進め、 シスターたちのコミュニティーの家のあるカダフィ通りにさしかかりました。

この通り一帯が戦闘と爆撃が最も激しく繰り返された地域だったので、 破壊も特にひどく、 その死に絶えた町の一角で生きた人の姿に出会う望みは消え失せてしまいました。 ところが、 ちょうどそこに、 シスターたちは4人とも生きて戻ってきていたのです。 プレイシーが目の前に現れたときのシスターの驚き、 再会の歓喜と涙………

3か月前に戦闘が始まった当初、 ツチ族のシスター3人は家の地下に作った避難穴にかくれ、 インド人のシスターは、 3人をかくまいながら戦闘の合間に看護婦の活動をし続け、 両隣りに住むフツ族の友人たちが差し入れてくれる食べ物や水で3か月間生き延びてきました。 その間の毎日、 死の恐怖にさらされながら、 信仰に支えられて励ましあいました。 7月4日、 ラジオで首都陥落のニュースを聞いた後に逃げ出し、 避難テントにかくまわれました。 そして10日後に様子を見にきたところで計らずもプレイシーと出会ったのでした。

ルワンダの4人のシスターは、 キガリに留まりたいと願ったそうです。

その願いどうり、 今は、 両親を失った子供たち、 負傷人、 病人、 多くの苦難を負った人々のなかで共に祈り、 働いています。 3人の司教をはじめ数知れぬ司祭、 信徒、 修道者たちを集団虐殺で失ったルワンダの教会のなかで、 人々と共に再建の第一歩を踏み出すために』。

編集部から

●来年、 戦後50周年を迎え戦争を知らない人たちが増えている反面、 未だに50年前の戦争が終わっていない人々がいること、 新たな戦争で苦しんでいる人々のことを平和な日本にいる私たちはしっかりと受け止めなくてはならないとおもいます。 戦後補償の実現に努力されている方々、 ルワンダからの証言、 胸にずんと響きました。

●この10月24日~26日にかけて協区報担当者全国会議に編集部全員出席しました。 詳細は来月号に掲載予定です。