お知らせ

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東京教区ニュース第116号

1994年09月01日

共に祝い共に感謝した献堂式 都賀集会所・多摩教会・立川教会

終戦50年を前に、平和を各地で祈願する8月、東京教区に新しい集会所、新聖堂が3カ所落成し、献堂式を迎えた。8月7日、都賀集会所、同14日、多摩教会仮聖堂および司祭館、同21日、立川教会聖堂の献堂式は、いずれも関係者一同喜びの内にともに祝いともに感謝しながら終了した。

都賀集会所

西千葉、千葉寺両教会の協力で、通称「都賀の土地」に建設中だったカトリック都賀集会所が落成した。(建設経過は東京教区ニュース113号既報)

今後、この集会所は、カトリック西千葉教会、千葉寺教会に所属する信徒が、ミサ典礼その他の集会、行事に用い、併せて近隣地域への福音宣教のために用い、管理運営は両教会の主任司祭共同して行う。但し、日常業務は運営委員会がこれにあたり、両教会から5名ずつ計10名が指名されている。

<集会所の住所>
千葉市若葉区若松町425
電話043-234-9183
ミサは、当分の間毎月2回
第2日曜日、第4日曜日午後1時から。

多摩教会

新たなる旅立ちへの第一歩

酷暑の8月14日(日)午後4時から、多摩教会の新たな拠点となる仮聖堂(兼信徒館)・司祭館の落成式、および記念ミサが行われた。今まで教会を支えて来られた多くの信徒の皆さん、近隣諸教会の方々、多くの関係者が出席する中で、白柳誠一大司教をはじめとし、主任司祭である満留功次師と司祭たち総勢15名によって、この新たな拠点の完成と、またそこに集う者たちが新たなる旅立ちへの第一歩を踏み出せたことを共に祝い、共に感謝した。

白柳誠一大司教は説教の中で、私たちが教会共同体の中で育て強められること、またそのために、聖マキシミリアノ・マリア・コルベを保護の聖人といただくこの教会が、彼の模範に従い、愛の教えに貫かれた共同体であり続ける必要があることを述べられた。

1971年の冬、多摩ニュータウンの一信者宅・家庭ミサから始まった多摩教会は、その後「マンション教会」として、人口の膨らみ続ける都市の中での福音宣教を模索してきた。20有余年の時を経て、今また、多摩教会はその拠点を移し、なおも「旅する教会」であることを止めようとはしない。同行するイエスと多くの仲間たちの新たな第一歩が、次なる一歩へと確実につながりますように。

これからも続く旅路の無事を願いつつ…。

なお、教会の新住所とミサの時間は以下の通り。

<カトリック多摩教会>
〒206 東京都多摩市聖ケ丘1-30-2 TEL0423-74-8668・FAX0423-73-3666
主日のミサ(土)18:30 (日)9:00・11:00
(場所はいずれも新聖堂にて。平日・初金のミサ等についてはお問い合わせ下さい)

立川教会

立川教会の旧聖堂は、1954年に建てられ、老朽化が激しく前任の藤岡和滋師の時代から新しい聖堂建設を準備し、10有余年にわたる信徒、修道者、司祭らの願いが実り、8月21日献堂式を迎えた。(建設経過は、教区ニュース110号既報)

新聖堂は、扇型で、要が十字架になっており、広さは3-400人の収容が可能で、随所に旧聖堂の記念するものが使用されている。聖堂屋根の上の十字架は旧聖堂の屋根の上についていたものだそうだし、祭壇下の地中には、祭壇の石板と旧聖堂の屋根瓦が埋まっているそうだ。

聖堂の完成を喜ぶ立川教会では、飢えと病気と渇きに苦しむルワンダの人々に、ミサ献金とお祝い金の一部を送った。

C-TIC住所変更のお知らせ

新住所
カトリック東京国際センター(C-TIC)
〒135 江東区亀戸4-18-11近藤ビル
電話 3636-1981 FAX 3636-1985
JR総武線 亀戸駅(秋葉原から千葉方面へ4つ目)下車、徒歩6〜7分

カトリック東京国際センター(C-TIC)は、相談窓口を渋谷教会に置いていましたが、9月12日をもって亀戸に移転することになりました。渋谷教会をはじめ、各関係者に心からお礼申し上げます。すでに今年4月頃より移転について検討してきましたが、それは次のような理由からでした。

(1) C-TICは、教区全体の外国人、移住労働者の司牧、人権の問題に対する支援活動など、その役割は広範にわたっている。

・教区の司牧に関すること(日本人信徒との協力、こどもの洗礼、離婚問題、小教区間のネットワーク作りなど)
・具体的人権侵害に関する諸問題の解決(労働、医療、ビザ、生活の問題など)

従って、C-TICの仕事を円滑にするために、C-TICの事務所は司教館内に置き、相談窓口は移住労働者(外国人)が来やすい場所、各関係団体と協力できる場所に置くことが検討された。

(2) そういった観点から、相談窓口を亀戸に置くことが最適である。

亀戸には、公的機関として「労働基準監督署」、「労政事務所」(労使間の争議の調停をする機関)、「亀戸職安」などがある。

また、医療機関には「ひまわり診療所」、「都立墨東病院」など外国人の受け入れに協力的な医療機関がある。

また、外国人の労働争議解決のために働いている「シティーユニオン」や「労働災害職業病センター」など民間団体もある。教会は、既にこれらの団体と協力関係を持っている。

上記の理由で亀戸に移転いたしました。なお、当面は教区内の司牧の問題に関しても、亀戸の相談窓口が受け持つことになりました。

中国天主教会巡礼の旅(3)

藤岡和滋神父の報告

表の教会・裏の教会

中国天主教会(中国ではカトリック教会をこのように表現しプロテスタント教会は基督教会と呼びます)は政府のコントロール下の表の教会(愛国協会)と、これに反対する裏の教会(地下教会)の2つがあります。地下教会は日本の江戸幕府の下の隠れキリシタンと同様に文字通り地下に潜り、現在その実態も明かではありません。政府による弾圧も文化大革命の嵐が過ぎ去った現在でも非常に厳しく今なお投獄されている地下教会の司教、司祭、信徒は数多いといわれています。教会が地下に潜ってから40年も経過した時代の流れの中にあってその信仰の正当な伝達も、後継者の養成もまゝならず、充分な勉強の環境が無い為に、必要な知識も無い者が秘密裏に司祭に叙階されるというような状況下にあって一種の民族宗教化的ゆがみが生じている事は否定出来ません。

今回ではありませんが、ある時愛国協会の神学校で一人の神学生が“自分は地下教会の方か正当な教会だと思っていますが、それに属していたのでは充分な勉強も出来ませんので心ならずもこの神学校で必要な知識と情報を身につけていますが、一日も早く本当の信仰の自由の状態が実現し、表も裏も無い一つの教会として生きる事が出来る事をと毎日願い、祈っています”と語ってくれた事は現在の中国教会の苦しみを実感させられる事でありました。

又ある教区では長期に渡って投獄されていた地下教会の司教が釈放されたものゝ、表の教会の司教館に於ける生活が強制されて、共に住んで居られましたが、その司教の淋しげな又うつろともいえる表情は忘れる事の出来ない印象でもありました。

全き信仰の自由を願って

世界の、そして日本の教会としても直接に地下教会と接触を持つ事が出来ません。それでいわば仕方なしに現在の政府のコントロール下にあって自由な教会独自の活動を制限されている教会の有様を完全に承認するわけではありませんが、表の教会との接触を行い、何時の日か訪れるであろう全き信仰の自由の教会実現の日まで全世界の教会との連携を保ち続けなければ…と思っており、白柳大司教もその為にこの訪問を続けて行かれるとの事です。

ラテン語から中国語のミサへ

この訪問旅行が始まって6年の間、一進一退の状態である事は間違いありませんが、総体的に見れば、初めのころ全世界に対して個立化していた表の愛国協会も大きな開放の方向に進んでいる事は明らかな事です。

公会議以後の世界の教会の流れをかたくなに拒み続けていた姿勢もこの数年で大きく変って来ました。最近では殆んどの教会の祭壇も対面祭壇となり、ラテン語から中国語への移行も、典礼文の書物の印刷が教会独自でも行われるようになった現在、ほとんど徹底して来ています。

昨年の春に北京を訪れた時、司教を中心として10数名による共同司式ミサに偶然にもあずかる事が出来ました。ただ、私共と中国人司祭との共同ミサは、言葉の問題もあったかと思いますが、今までに、ある地方で一回実現しただけであり、まだまだ前途は長く遠いという感はあります。

現在中国全土に吹き荒れている経済解放の流れが思想、信仰の面に於いても大きく解放され、表、裏の対立構造の解消をも含めて信仰の自由の完全な実現を一日も早くと願って止みません。(完)

ズームアップ 岸師、晴佐久師、宮下師、小林師、シェガレ師、猪熊師

第10回世界青年大会に積極的に参加を決定した教区青少年担当司祭たち

来年1月、フイリッピンでカトリックの世界青年大会が開催される。教皇を迎えて10万人以上の若者の参加が予想される大きなイベントとなる。教区の青少年担当司祭たちは国籍も肌の色も違う若者たちが一堂に会するこの大会が、教区の青年たちに新鮮な刺激与えると判断し、積極的に参加することを決定。東京教会管区の青少年担当司祭たちとはかり、独自な日程プラン作り大々的に参加者を募集することになった。多数の参加を期待している。

神学生合宿 ’94 in 赤城山

こんなに楽しくていいのかな

8月28日から30日にかけての2泊3日、群馬県赤城山で東京・新潟教区神学生合宿が行われた。

東京教区からは、白柳・森両司教をはじめ、養成担当の小川・吉川・辻・高木・古賀の5名の司祭、神学生は伊藤・浦野・稲川・佐々木・早川・小林・荒川の7名が出席。一方、新潟教区からは佐藤司教、養成担当の3崎・高薮司祭、石黒助祭が出席した。残念なことに高田神学生は合宿直前に交通事故にあい、欠席。お祈り下さい。

さて、合宿に到着し、夕食をすませ懇親会。高田神学生の事故についての報告の後、司祭、神学生は親しく歓談した。

2日目は午前中、森司教からドイツ・フランス教区の現状報告があった。わが国同様、司祭不足に悩む両国の現状に学ぶところは多かったように思われた。

午後からは自由行動。東京の猛暑をよそに1400mの赤城山山麓では、肌にふれる風がひんやりと冷たい。目の前にある大沼は赤城の山々を映し出してコバルトブルーの水をたたえていた。一行は温泉・映画・散策・グラススキーの各グループに分かれ、のんびりと過ごした。私はグラススキーに参加した。戦車のキャタピラのようなものをスキーブーツに取り付け、芝生の急斜面を滑るのだが、冬のスキーとは大違い。何よりも雪の上より芝の地面に転ぶのはケタ違いに痛い。痛みでしばらく立てないほどだ。しかもキャタピラは思うようになかなか止まってくれず、何度も地面を転げ落ちた。よれよれになって合宿に戻り、風呂に入って互いの体を見て「あざだらけ」と言い合ったほどである。

夕食後は、佐藤司教から新潟教区の現状報告と東京教区との姉妹関係が確認される。

最終日は前日の森司教、佐藤司教の報告を受け、神学生を中心に分かち合いがもたれた。

最後に「確かに司祭の不足は憂慮される状況である。だがいつの時代でも教会はこのような困難を絶えずかかえていた。それにもかかわらず、神様の適切な働きによって教会は保たれ続けてきた」と神様への信頼を思い起こすようにと励ます白柳大司教の言葉が胸に残った。

こうして今年の神学生合宿は終わった。

教区が直面する現状は決して楽観的ではないが、神学生合宿は「こんなに楽しくていいのかな」と昨年この欄に書いた早川神学生の言葉が今年もぴったりだった。最後に私たちを支えてくださる皆様に感謝いたします。

(荒川博行神学生)

私たち家族の隅の親石 インターナショナルデーの分かち合いから

夫、アレンはフランス出身、妻マリア・デル・ロザリアはガテマラ出身で、私たち夫婦は混血のカップルです。私たちは11年前に結婚し、5歳から10歳迄4人の子供がいます。2文化を共存する家庭として、一大陸から他の大陸まで旅行し、東京に在住すること7年間、プロの転勤風で流れてきた新しい流浪民族の一員です。

この移転環境の中で、私たち家族生活の『隅の親石』となるのは宗教です。私たち家族にとって、キリスト的価値観は私たちに大きな影響を与え、それによって私たちは生きています。父としていちばんの中心は愛です。家族内の親しい交わりから始まって、子供たちには出来るだけ他人に対する愛の大切さを教えます。

生命を迎える方法は、私たち一人ひとりは、結婚以前と比べると結婚後のそれは抜本的な変革を見ました。独身の時にはこれからの家族生活をどのようにするか余り注意して考えませんでした。考えていたことは、生命の意味づけと専門的、社会的、人間的進歩を目指す追求でした。結婚して子供が生まれて、これまでの自己中心的ビジョンを放棄し、宗教問題に方向転換しなければなりませんでした。

目下、家族としてボランティア活動は別にしていません。子供が幼少で、時間と機会がなくて…。これらは余り弁解の良い理由づけにはなりませんが。しかしながら、マリア・デル・ロザリアは自分の時間を割いて幼い子供たちに要理教育をしています。

主日のミサ、守るべき祝日、個人と家族共同体の祈り等の宗教の実践を、私たちは万事に超えて最も大切、中心にしています。

アレンとロザリア・シュバリエ

小教区から 「家庭」をテーマに夏季教会合宿

関口教会

8月26日(金)から28日(日)までの2泊3日、関口教会初の試みである、『教会合宿』が企画されました。場所は、今年の猛暑を避けるにふさわしい栃木県の那須・柏屋旅館においてです。
関口教会の主任・助任3司祭と教会信徒が、寝食を共にしながら「家族」というテーマのもとに集ったのです。4講話といくつかの小グループに分かれての“分かち合い”は、互いのこころの垣根を透かしました。

教会家族そのもの

ふだん、ミサで顔を合わせるくらいの方が大半の中で、まるで、こじんまりとした小教会の雰囲気が、ここにありました。呼びかけに応えて集まった30数名の方々が、教会家族そのものを思わせたからです。私自身、求道者の頃から小さな教会で育ちましたから、関口教会のように大きな教会では、家族的な雰囲気など感じる機会などないだろうと、半分あきらめていました。ですから、この度の体験は驚き、かつ喜びです。『教会合宿』の「家族」を研修しながら、改めて考える時を得られたことは、ほんとうに良かったです。

貴重な体験

さて、日常ではなかなか味わえない経験もしました。いくつか揚げてみますと、その(1)緑の木々に囲まれた野天風呂で、頭の中を空にして、静寂を聴く。その(2)翌土曜日の聖モニカの祝日に、川のせせらぎと心地良い冷気の中で、ミサに与る。その(3)汚染されていない空気が、こんなに甘いこと。ご存知でしたか?そして最後のきわめつけは、自由時間に誘われた「木の葉化石園」で出逢った古代・逆杉と呼ばれる夫婦の巨大杉の圧巻・あわれな最期を遂げたと伝えられる「源三窟」。ここでは、鍾乳洞を見学したというより、昇ったり降りたり、水滴を浴びたり、体感いたしました。

家族は手のひらサイズのぬくもりから

頭と身体を使って生の学習を終えた今、「家族」という大テーマが、ほんとうはほんの手のひらサイズのぬくもりから始まるのでは、と思えるようになりました。血縁でつながれる家族、同じ釜の飯を喰った仲でつながれる家族、また同じ信仰でつながれる家族などなど。形は違っても、魂と魂が出逢い、ふれあうところには、必ず「家族」が産まれるのだと思います。

「家族」を与えられた恵みを感謝します。より多くの家族が祝福されますように。

(関口教会・今宮裕子)

今、社会、人々を念頭に 東京教区広報の日の集い

山谷えり子氏講演要旨

私の父は新聞記者で、小さいときから「新聞というのは、生きがよくなくてはいけない、おもしろくなくてはいけない、役に立たなくてはいけない、愛がなくてはいけない」と言われながら育ちました。

いつも私の家には、新聞記者が10何人ゴロゴロしていて、天下国家を論じ、”今”の報道をしながら、10年後、20年後、30年後の日本と世界を考えるという中で育ちました。

小さい頃から、「今、日本では女性が志を立て仕事をするということはほとんどないけれども、えりちゃんが大きくなる30年後の日本の社会では、女性も好きな仕事をいろいろ選んで生きていくようになっているから、ただ食べるということだけではなくて、自分自身を生かして仕事の中でいろいろやるのがいいよ」ということを彼らは教えてくれました。

それで私は、情報を伝えるということはすばらしいことだと、10年後、20年後、30年後の自分のためになにか役にたつことを教えてくれて、自分を大きく開いていくことができる仕事はなんてすてきなんだろうと思いました。

私はコミュニケーションの仕事はすてきだと思いまして、出版社に入ったんですが、それがまもなくオイルショックで倒産致しまして、何も仕事がなくて皿洗いしながら、アメリカで取材活動を始めたんです。アメリカでは、地域でコミュニティペーパーという小さないろいろな新聞を発行していました。ただで道路においてあったり、YWCAの受付においてあったり。それはアルコールから立ち直る方法の会があるとか、離婚から立ち直る会があるよとか、様々なコミュニケーションペーパーがあったわけです。それによって今日、今人々が社会の中で行動できる、そこで2つ目のことを教えてもらった気がします。

アクションメディアというのを私はやってみたい。それを読んでアクションがおこせるような何かメディアというようなものを、作るのはステキじゃないかと……。(中略)

手ぬかりないカトリックの広報

東京に帰ってきて、サンケイリビング新聞というのができてまもない頃で、記者募集というのを見て受けにいって”私はアクションメディアをやってみたい”と訴えて、契約社員として入りました。それと同時にテレビの方でも仕事をさせていただきました。そのひとつが今でもありますが「ルックルックこんにちは」というワイドショーのリポーターで週4回出ておりました。もうひとつは、総理府の広報番組「えり子の生活メモ」に数年間、それは取材して自分で台本を書いて、自分でしゃべるというようなテレビ番組だったんですけど、同時進行で2つやってまして、とてもおもしろかったです。

ワイドショーの方は、とにかく視聴率をとらなければいけない。1分1分の視聴率が出てくるわけです。

Aリポーターが担当した何時何分の視聴率はこうだった。Bリポーターになった途端落ちた。まだワイドショーの草創期でございましたので、もう次の週からそのリポーターは首になるわけですね。ですからいかに見せるか、ひきつけるかっていうようなことで、スタッフの方も「おまえたちは、電波芸者だ。視聴者はお客様だ、芸者は客を離してはいけない、どんな術をつかってもくらいついて離してはいけない」と言われていたしいました。(中略)

一方総理府の方は、予算がおりてきますから視聴率は全然関係ないんです。ただ彼らが非常に神経を使うことは、バランスよく情報が入っているか、決して抜けているものがあってはいけない。私はここの部分がおもしろいからアピールしたい、ここの部分をフィルム4分位使いたい、そうしたら次の映像が1分削られるからだめだとか、バランスを気にするので、おもしろいということは殆ど考えなくてもいいというような世界なんです。

カトリックの広報もちょっとそういうところがあるんじゃないかなあ、手ぬかりなくバランスよく伝えなければいけないという。きちんとバチカンのメッセージを伝える、それが第一ということで、いきのよさとか、おもしろがりというのが、若干後退するのもやむをえないんだろうということを読みながら感じます。(中略)

”今”をアピール

カトリック新聞でお米の問題とか、エイズ問題とか、臓器移植の問題とか、いい論評を載せていて、私は興味深く読んでいるんですけど、運動論などがあまり載ってしまうと、一般の信者さんはついていけないんじゃないかというのが、確かにございますね。

もっと”今”、もっと”社会”、もっと”人々”というのをアピールしてもいいんじゃないかという気がいたします。私が通っている麻布教会の小林神父様は、悪魔君の話題が出た時には、すぐその日の説教で名前とは、どういうものか、なんでシモンがペトロという名で呼ばれたかとか、ほんとうにタイムリーな話しをなさるんですね。”今”という意識の中でメッセージするというのが特にカトリック広報の場合必要ではないかという気が致します。

カトリックはもっと風通しをよくして

日本は宗教は自由だということです。例えば、臓器移植法案についてカトリック界、仏教界とか、いろんな人からメッセージが欲しいなあと思うんですが、マスコミは何か載せるのに躊躇ちゅうちょしてしまう、カトリックを載せるんなら、仏教も載せなければならない。じゃ真言宗を載せるなら、天台宗も載せなければならないのではないかとか、そう考えるとややこしくなってしまって、マスコミとしてそこらへんの評論家のコメントを載せるということになってしまうんでしょう。私はもっと、宗教者のメッセージというのが、普通の新聞にも、載っていいと思うんですけどなかなか難しいという現状がございます。厚生省とか東京都の行政マンに、”生涯学習というけれども、もっと神社とかお寺とか、教会とかをオープンにして、区、町の広報に載せて、今日はこんなイベントがあるよ、この教会はこんなバザーがあるよ、ということをオープンに情報提供できるようにしたらどうか”と言ってみることもあります、カトリック界から行政の広報に売り込みにいってもいいわけですけど、私達は大事な宝をいっぱい持っているのに使ってないんじゃないか、もっと風通しよくしていいんじゃないか、信仰の自由のもとに、むしろ、臆病になりすぎているんじゃないかなという気が致します。

テレビと家庭

今年のテーマは「テレビと家庭」ということでございますけど、中高生で自分専用の個室を持っているというのが87%、そこに自分専用のCDを入れているというのが60%、テレビを入れているのは43%というかたちで子供一人に一台というようなテレビによって分断されている、親の目がゆき届かないのでいい番組を見るということすら知らないでテレビに浸っているというような状況があるような気が致します。(中略)

情報のあり方を考える

エイズの問題にしても、未婚の母にしてもどんどん出てくるでしょう。カトリック界がしなければならないことはたくさんあると思います。ですから、まず情報を出す、アクションを起こさせるような情報のあり方を考えていく。”今”、”人々”、”社会”というようなタイムリーな感覚、おもしろいことも大事でございますので、人の血を熱くさせるような、何か書き方というものも、考えて見るのもいいことでないかというような気が致します。

投稿 医療過誤の被害にあって

私、元看護婦です。良心的に治療にあたる医師もいますが、悪質な医師もいます。出産後(平成6年12月15日)体の具合が悪くなり救急車で個人の産婦人科病院へ運ばれてしまいました。病状が悪化し、放置状態にされ、再起不能になるところでした。生後8カ月の娘をかかえ、家事、育児にとがんばってます。奇跡的に快復してます。神様がお助け下さった。今後私と同じような被害にあった人を励ます使命を感じてます。

TEL043-286-0698
〒262 千葉県千葉市花見川区花見川8-3-502
赤田弘子 (32才)
カトリック西千葉教会

シリーズ 外国人共同体を訪ねて 第4回ベトナムカトリック東京共同体

東京近郊のベトナム人たちが集まる聖イグナチオ教会の地下ホールに、取材に訪れたのは、かなり暑い夏の日だったが、2百名以上のベトナム人でホールは埋まっていた。リン神父は、ゆるしの秘跡に並ぶ人がいなくなったことを確認して、マイクを握って信仰教育について語り始める。25分ほど、かなりの勢いで熱弁を振るう。月に1回(第1日曜日)、しかも10時半から12時までしかホールは借りられないので、リン神父も限られた時間を有効に使いたいのだ。

続いてミサ。ベトナム語の聖歌は、インターナショナルデーでも有名なように、日本人が聞いても美しい曲が多い。20名ほどの聖歌隊のメンバーは前日(第1土曜日)に集まって練習しているという。月に1回の母国語のミサに与かる参加者たちの眼は真剣である。このミサのために、ほとんどの人が1時間、2時間とかけて来ているらしい。

彼らは、普段は各自、地元の教会で日本語のミサに与かっている。その時に助けとなるのが、毎月発行のベトナム語版の聖書と典礼である。彼ら自身で編集しているこの小冊子は70ページもある立派なもので、ミサのガイドとなるほか、信仰教育や日本各地のベトナム人の連帯と情報交換にも役立っている。

3、40名が集まって、東京の共同体が出来たのは10年前。初めはベトナム人司祭がいなかったが、まもなくホン・キム・リン神父がカリタスジャパンの招きで来日、続いてグエン・フ・ヒエン神父が東京教区所属となった。この2人の神父は、現在日本各地を回っており、主な場所だけで12か所でベトナム語のミサを捧げている。

ミサの後は、子どもたちの信仰教育(日曜学校)と、聖書の分かち合い(大人)がある。子どもたちの世話をしているのは、ラップ神学生(サレジオ修道会)とリン神学生(コンベンツアル聖フランシスコ修道会)。日本語とベトナム語の両方を用いて教えている点が興味を引く。そこには、かつては、各地でベトナム人のための日本語講座が開かれていたが、最近は、子どもたちがベトナム語を話せないという問題が起きていることが反映されている。

今も大きくなり続けている(1年間の洗礼数、大人5名、子ども20名前後)共同体の大きな問題は、集まる場所の確保である。現在、聖イグナチオ教会の好意でホールを貸してもらっているのだが、1時間半が限界である上、ホールである以上、ミサのためには環境は十分であるとはいえない。しかも聖イグナチオ教会は建て替えを控えており、適切な場所を探さなくてはならない状況に追い込まれている。日本の社会に溶け込む努力をしつつ、ベトナム人としてのアイデンティティを保とうとしている彼らは、良い場所さえ確保できれば、勉強会やさまざまな活動をもっと増やしていく計画をもっている。

教会・修道院巡り(36)『聖ベネディクト会』

聖ベネディクトはローマ帝国の末期、西暦480年頃、地方貴族の家柄に生まれた。

道徳的に堕落した当時のローマで勉強をしていた彼は、神と一致した聖きよい生活を望み、同志とともにモンテ・カッシーノの丘の上に共住制の修道院を建てた。

聖ベネディクトの修道戒律は西欧の教会で最も広く普及し、多くの修道会の創立にあたってモデルとなった。

わが国でよく知られている北海道のトラピスト修道院は、ベネディクト系のシトー会の中の改革グループ「厳律シトー」に属している。

日本に聖ベネディクト修道会が来たのは、1931年12月である。19世紀の典礼復興運動の中心となった南ドイツのボイロン大修道院所属のベルナルド・ハップレ師が、ヒルデプラント・ヤイゼル師と共に来日し、東京で日本語を学びながら修道院設立の準備をした。

ボイロン大修道院の援助を受け1935年、神奈川県茅ヶ崎の小和田に雲雀ヶ丘修道院を開設した。翌36年には同地の小高い丘に約2万5千坪の土地を購入し、ドイツから7人の司祭、8人の修道士を迎え、殿ヶ丘修道院を創立した。

聖務日課の共同歌唱と日曜毎のグレゴリオ聖歌の歌ミサを捧げながら、修道士たちは果樹園、畑、牧場での農業のほかに、信者の家庭訪問、病人の見舞い、日曜学校教育に従事し、大祝日には近所の人々も招いて懇親会を開いたりした。

1938年からはヤイゼル師の編集で典礼学のドイツ語季刊誌『Phos Chistou』(キリストの光の意)を宣教師のために発行した。

やがてナチスの弾圧によってボイロンは日本への人的、経済的援助を続けられなくなり、1940年にヤイゼル師とシュメールバッハ師の2名を残して殿ヶ丘の修道士たちは世界各国の修道院に離散した。

第2次世界大戦が拡大すると、殿ヶ丘修道院の維持は困難になり、1944年土地と建物は売却された。

ヤイゼル師は北米ミネソタ州にある聖ヨハネ大修道院の援助を受け、1947年東京目黒駅に近い所に土地と家屋を購入した。その年の11月、東京大司教区が新設しようとしていた聖アンセルモ目黒教会の司牧を引き受けた。

1956年に建てられた教会は、日本的審美感を近代建築に調和させた美しい教会として知られている。

(沢田昭夫『聖ベネディクト修道院』1986年参照)

〒141 品川区上大崎4-6-22
ミサ 17時(土)
7時、10時30分、17時(日)

第21回平和祈願祭 白柳誠一大司教 説教

終戦50年を前にこの1年は、反省の時、祈りの時

皆さん、今日8月6日は、全世界の教会でキリストの変容を記念する日です。

受難と死を前にしたキリストは、ご自分の弟子たちがそれに耐えられるようにと、隠されていた神の姿をタボル山で3人の弟子に垣間見せます。

ペトロは、この姿に心を奪われ、思わず、

「主よ、
私たちがここにいるのは、
何とすばらしい
ことでしょう」
と感嘆の叫びを上げます。
すると、たちまち天から、
「これはわたしの愛する子、
これに聞け」
という御父の声が響きます。

今日、平和を祈願するために、ここ千鳥ケ淵に集まっている私たち、世界の至るところで争い、悲惨な状況に打ちひしがれ、平和への希望すら失いかけている私たちにも、神様はそのお姿を現してくださいます。

十字架上の死と復活、神の愛の啓示である感謝の祭儀を通して、私たちにご自分を示し、しかし同時に、私たちの上にも御父の

「これはわたしの愛する子、
これに聞け」
という声が響いてまいります。

神様は、今日の福音(ヨハネ14章23〜29節)を通して、私たちに一体何を語りかけているのでしょうか。

私は、今日の福音の、弁護者すなわち

「父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊が
すべてのことを教え、
わたしが話したことを
思い起こさせてくださる」
という言葉に、特に注目したいと思います。

御父と御子がお遣わしになる聖霊、それは天地創造の時に混沌の上を息吹かれた創造の霊であり、この霊を通してマリアのうちに御子は宿られ、また、御子の約束によって私たち一人ひとりの中にも現存する聖なる霊です。

聖なる霊、それは私たちを変え、新たにする霊です。

私たち一人ひとりは、キリストに従い、キリストの御名によって洗礼を受けた時、この聖なる霊を心の中にいただきました。

聖パウロは、
「あなたがたは知らないのか。
あなたがたは神の霊の
神殿である。
あなたがたの中には、
神の霊が宿っている」
と、繰り返して述べています。

神の愛の霊である聖霊は、私たちがその声を聞き、それに従う時、私たちを変えてくださいます。愛する力を与えて、私たちを変えてくださいます。

したがって、私たちは祈らずにはおられません。

主よ、
あなたの霊によって、
もっともっと私を、
私たちを変えてください。
あなたの霊によって、
人を愛し、
人に奉仕し、
平和の道具と
ならせてください。
そして、
全世界とそこに住む
すべての人の上にも、
あなたの愛の霊を輝かし、
世界を新たにしてください。

次に、聖霊がすべてのことを教えてくださると、主キリストはおっしゃっています。聖霊は、私たちに人を愛するために、平和な世界を築くために必要なことすべてを教えてくださると、保証しておられます。
今日複雑な世界にあって私たちは、巨大な歯車の中で、ややもすると進むべき道、歩むべき道を見失ってしまいます。そればかりではなく、悪の力は、巧妙なやりかたで私たちの平和への意欲も削り取ってしまいます。

そんな中で、主の御言葉、すべてを教えてくださるとの保証は、何と大きな慰めであり、力でありましょう。

祈りましょう。

主よ、
聖なる霊を遣わして、
私たち一人ひとりに
教えてください。
今、私たちは
何をすればよいのか、
あなたの助けによって
その悟りを得て、
それを実行に移す力、光、
勇気を
与えてください。

さて、今日は広島に原爆が投下された49回目の記念日であり、8月15日は終戦49年目を迎え、そして来年は50年という節目の年を迎えようとしております。

人類は、2度も世界的な戦争を繰り返したにもかかわらず、今日も依然として争いに明け暮れしています。

私たちの祈り求める平和は、一体やって来るのでしょうか。

平和は、単に争いがなくなることだけではなく、すべての被造物がふさわしく存在する状況であり、人間が人間らしく生きられる状況をも意味すると言われます。

今日のボスニア・ヘルツェゴビナの終わりなき争い、各地に見られる部族間の対立、ルワンダの内戦とそこから生じる難民。

私たちは、何か冷たいものを感じます。

特に、毎日のように映されるルワンダ難民の姿、私たちと同じ人間、同じように神に愛され、神の救いにあずかっている兄弟姉妹である人たちが、水や食べ物がなく、病に侵され死んでいく何万人もの人、私たちは本当にやるせない、そしていらだちを感じ、憤りすら感じています。

このようなことを生んだのは、また、このような状況をいまだに変えられないのは、実に人類の恥です。今こそ、世界の出来事、兄弟姉妹の上に起こりつつある事柄をしっかりと見すえたいと思います。

今や、無関心は許されません。無関心は最大の悪です。なぜなら、無関心は愛の正反対だからです。

なぜなら、無関心は神の愛と相容れないからです。

皆さん、終戦50年の節目を前にしたこの1年は、特に反省の時であり、赦しを乞う時であり、したがって祈りの年でもなければなりません。

神よ、
あなたは人類をこよなく
愛してくださいました。
あなたはその英知をもって
御子をこの世に遣わし、
私たち人類と
同じ姿をとらせ、
打ちひしがれていた世界を
高めてくださいました。
また、罪深い人類を
罪と死から開放するために、
御子の受難、十字架上の死、
それを克服する
復活を通して、
人類をあなたの世界、
超自然のいのちにまで
高めてくださいました。

神よ、
あなたがこれほどまで
愛してくださる人類は、
あなたのお望みにこたえず、
罪を重ねています。
私たちは、
かつて多くの国々と
戦いを交え、
人を傷つけ、殺し、
今日までも残る深い傷跡を
負わせました。
私たちの罪、
負い目をお赦しください。 そして、それを償う力、
光をお与えください。

また、現代世界は、
互いに赦し合い、
愛し合い、
助け合うことができずに
苦しんでいます。
多くの血で、
あなたのみ旨に反して争い、
憎しみ合いが続いています。

この人類をあわれみ、
世界を癒してください。
あなたの愛の霊を送って、
世界を新たにしてください。
すべての人があなたの霊に
満たされて、
あなたを愛し、
互いに愛し合う世界を、
平和の到来を
1日も早めてください。
私たちに、
ともにあなたを賛美し、
礼拝する喜びを
味わわせてください。

平和の元后聖マリア、
私たちの祈りを
取り次いでください。

共同祈願

各ブロックの代表が共同祈願をささげた。

中央ブロック

今日から始まる平和旬間において、そしてこの平和祈願祭において、平和への願いを新たにして祈ります。

特に対立や争いの絶えない今日、人々を不安と恐怖に陥れる戦争をなくすために、一人ひとりが真に平和の実現を目指し、力を尽くすことができますように。

武蔵野ブロック

私たちの国の平和憲法が守られ、半世紀にわたり国内の平和が保たれているのは、多くの戦没者の犠牲に支えられたものであります。今日ここに、このことを心に深くとめ、212万1千人といわれる戦争犠牲者のご冥福を祈ります。しかし、世界には紛争地域で苦しんでいる多くの人々がおります。民族、国家を支配する為政者が自我を抑制し、差別意識を捨てて、話し合いによる民族共存のありかたを追求することに目覚めることができますように。また、私たちにできる国際貢献の手だてを助けてくださいますように。

多摩ブロック

今や環境、飢餓、貧困、難民、民族紛争など新しい脅威が地球全体を覆っています。これらの解決を教会全体の共同の課題とし、私たちが誠実にそして責任をもって対応し、そのための手だてを実践していくことができますように。

城東ブロック

私たちは平和旬間を迎えるにあたり、戦争の悲惨さや残酷さをもう一度思い起こします。また、その戦争で亡くなった多くの人の死を悼みつつ、戦争を再び起こさないと約束いたします。主が、この決意を見守ってくださいますように。

千葉ブロック

第21回平和祈願祭に集うことができましたことに感謝いたします。地球上には、まだ争いのある所が多くあります。神の賜物である平和の創造のために、私たちが犠牲をいとわず、豊かな奉仕ができますように、主キリストがお導きくださいますように。

西ブロック

まもなく戦後半世紀を迎えようとしていますが、多くの戦没者の犠牲により、今日の日本があります。世界の中では、いまだに戦争状態の地域があり、多くの方々が苦しんでいます。これらの人々に、一日も早く平和の日々が訪れ、幸せな生活をおくることができますように。

城北ブロック

世界の平和が強く希求されている今、私たちは、真の平和は決して一瞬にして達成されるものではなく、私たち一人ひとりの善意と信頼そして努力の継続の上に築き上げられることを信じています。平和の元后であられる聖母マリアが、私たちの平和への願いを受け入れてくださり、その恵みと力強いお助けを与えてくださいますように。

編集部から

東京教区ニュースの編集が現在のような体制になって、5年目に入ります。皆さまのニーズにどうお応えしようかと編集会議で、活発な意見交換をしています。先日も、外国人の方たちのためにも要約だけでも何とかできないかという意見が出ました。どなたかよいお知恵を。

10月24〜26日、教区広報担当者全国会議が、潮見の日本カトリック会館で開催され、編集部全員参加の予定です。研修の成果が紙面に反映されるよう願っています。

◆お詫びと訂正
教区ニュース115号中国天主教会巡礼の旅(2)写真キャプション
万県司教館の中庭で→万県空港でお詫びして訂正いたします。