お知らせ

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東京教区ニュース第96号

1992年09月01日

各地で祈り
平和の実現に向けて

12回目を迎えた平和旬間。今年も各地で平和について考え祈る行事が行われた。8月8日、東京教区の5ブロックで平和祈願行進が行われ、千鳥が淵戦没者墓苑でささげられた平和祈願祭では、白柳大司教は、環境問題にもふれながら、力強く平和を呼びかけた。また、8月4日から8日まで、北区役所主催の「平和祈念週間」では、カトリック色のある企画も実施された。

平和旬間 白柳大司教説教

日本のカトリック教会は、広島原爆投下の8月6日から、終戦記念日であり、かつ平和の元后、聖母マリアの被昇天の大祝日である8月15日までを平和旬間として位置づけ、特にこの期間全国的に平和について考え祈るようにしています。今年は、その12回目を迎えました。

ところで皆さん、私たちはこの1、2年の間に東西ドイツの統合、ソ連邦の崩壊などにより東西冷戦構造が崩れ、明るいきざしが見えてきたかのように思えたのですが、それも束の間、強い光があれば、それに応じて強い影が生まれるといわれるように大変暗い側面が生まれてまいりました。私たちは今、毎日のように報道される旧ユーゴスラビア共和連邦の崩壊によって生じたむごたらしい争い、殺しあい、特に幼な子たちの悲惨な状況に接して本当にやるせない気持でいっぱいになります。

このようなことは、東欧だけでなくアフリカをはじめ各地でもみられます。これらのことは、たしかに私たちから地理的には遠くはなれた所でみられる現象ですが、決して私たちに無縁のものではありません。

なぜなら、世界の平和全体にかかわる問題をはらんでいるからです。世界が主義主張をこえその違いをのりこえて、大同団結しようとする動きの中で、他方、固有の文化、伝統を大切にし、自分たちのアイデンティティを確立しようとする少数民族の権利主張は決して理解できないことではありません。

しかし、人間はあまりにもおろかな道のりをたどっているといわざるをえません。人類が1つになるうめき、生みの苦しみの過程にあるといえるかもしれませんが、1日も早くこのようなことが終わりをつげること、それを私たちは心から期待しています。

私たちは人間が武力によって物事を解決しようとする時、武力は憎しみを生み、さらに大きな武力による殺りくが展開していくことを知っています。武力はなんと無力でありましょうか。武力が何ら紛争解決にならないことは歴史の示すとおりであります。また、政治的折衝が解決の糸口として、確かに必要ですが、それがどれほどたやすくくずれ去っていくものであるかをも、私たちは知っています。

真に平和を求めるならば、その確固たる基礎として私たちはより深い人間理解、人間とはいったい何であるかという所までさかのぼらなければならないと思います。

私たちキリスト者は、信仰によってすべての人間は神の似姿に造られた存在であることを知っています。また多くの人々、多くの宗教では、人間はかけがえのない存在であると異口同音にとなえています。

しかしながら、私たち人間は自分の存在の尊厳性を認めることにはやぶさかではありませんが、他人の尊厳さを認めることはむずかしい場合があります。自分の民族の尊厳性を認めても、往々にして、他民族の尊厳性を認めない行動に出ることがあります。

真の平和の基礎、それはまさに正しい人間理解にかかっているといえると思います。人間はみな神の似姿に造られ、神の子であり、兄弟姉妹であるとの強い確信がまず求められます。

また神の計画によって人間はその深い本性から社会的な存在である他人との関係なしに存在することはおろか、自己開発、自己完成をも果たすことができません。従って互いに協力してはじめて、自己の成長、人間の本来のあり方が実現されることを思う時、他人を、他国の人々を、他民族を大切にする強い意志と行動が求められます。

そして最後にして最も大切な平和の要因、それは神の直接的な介入を求めることであります。人間の弱さを知り、人間をこよなく愛してやまない神ご自身が愛の霊であり、一致の霊である聖霊を私たち1人ひとりの心に息吹き、世界を新たにして下さるよう祈ることであります。

たたけよ、さらば開かれん、求めよ、さらば与えられん、願えよ、さらば聞き入れられんとおっしゃった主ご自身に全幅の信頼をして、私たちは平和を祈ろうではありませんか。

さて、平和とは今述べたように戦争がないというものだけではありません。積極的に申すならば、すべての人間が人間としてふさわしく生きることができるために必要な条件、必要な事柄を備えもつことであります。

そこで私たちは、今年世界で大きな話題となった環境問題に気がつきます。

環境問題も平和をおびやかす大きな要因を含んでいます。本年6月ブラジルのリオデジャネイロで国連環境開発会議が開かれました。そしてオゾン層の破壊、地球の温暖化、酸性雨、海洋汚染、熱帯林の減少、砂漠化の進行など拡大の一途をたどり、有害廃棄物の問題、発展途上国の貧困、そして開発の進行による環境破壊は深刻さを増しているその現況が多く語られました。

これらのどれひとつをとっても人間の生存をおびやかし、平和を乱す重大な要因です。

これらは特に私たち日本人、大量生産、大量消費社会が、資源を多く費やすといった戦後の日本人の経済価値観を問うものであり、現在の経済発展の仕方や開発の方法に大きな疑問をなげかけるものであります。

そしてこのことは、結論的に申しますならば、やがて私たちの生活形態を変えていかなければならないほどの大きな問題をはらむものであります。私たちが生活の質を落すということ、これは決してやさしいことではありません。

かつて戦争中に物の不足な時代、耐えることができました。しかし、ひとたび向上した生活を少しでも低下させるということ、これは人間に大きな努力を要するものです。しかし平和を確立するためには、すべての人々の努力、たえまない努力が要求されます。おそらくこれらの環境問題は、これからますます、私たち一人ひとりに真剣な対応を求めてくるにちがいありません。

今からどんな困難さをもいとわず、それをうけ入れる覚悟をこの際もたなければならないと思います。神よ、私たち人間のおろかさをゆるして下さい。そして人間があなたからいただいた英知を結晶し、平和への道をさぐり、平和を実現することができるよう、あなたの光と恵みをお与え下さい。

私たちの主、イエス・キリストによって、アーメン。

カトリック色のある企画も! 北区主催「平和祈念週間」

去る8月4日(火)から8日(土)まで、北区役所主催の『平和祈念週間』が、王子駅前「北とぴあ」で行われた。北区は1986年に平和都市宣言をした。以来この祈念行事を行っている。今年は、赤羽教会の信徒が積極的にかかわり、カトリック色のある企画も取り入れられた。5日(水)には、『マザー・テレサとその世界』の映画監督、千葉茂樹氏の講演会と、『こんにちわ地球家族』の映画上映が行われ、200人余りの聴衆が参加した。

千葉氏は、「こんにちわ」の「わ」には3つの意味、友情の輪、平和の輪、愛の輪があることを述べ、この映画の制作意図を説明した。また、日本の家庭のあり方や子供の教育、さらに日本人の価値観、人生観などにも触れ、国際協力や平和について、参加者は多くを学んだ。また、別の会場では、マザーテレサのパネル展示が行われ、カトリック関係書籍が販売された。訪れる人は思わぬ催しにとまどいながらも、関心を示しながら見入っていた。

平和アピールのたすきをかけて 城東ブロック平和行進

1986(昭和61)年、吉祥寺教会によって始められた平和祈願行進も、いまでは武蔵野、城南、城北、城東、中央の5ブロックに拡大して平和祈願祭に華をそえるイベントに成長した。各ブロックとも実施にあたりいろいろ工夫を凝らしているが、城東ブロックは今年、試みに平和アピールのたすき着用を呼びかけ、10教会、94名の参加者の約7割が、教会別に作られたたすきをかけて参加した(写真)。

ちなみにアピール文は「平和な世界を子ども達に」「緑の地球を子ども達に」「平和は1人ひとりの心から」などで、背中に所属教会名を記してある。

このような試みは目新しいものではないが、体裁の統一を図って見本や作製要領書を配り推進したのは初めてと、ブロック事務局は語っている。なお当ブロックでは参加者に事故があったときの見舞金にと、中央協議会カリスの障害保険に加入(全員で掛金千円程度)、名簿は参加人員の確認に利用している。

グアダルペ宣教会叙階式
エミリオ師・イグナシオ師

わたしたち一行は8月10日に日本を発ちメキシコに行きました。マヤ文明の遺跡を回り、カリブ海に面したカンクンというリゾート地でのんびりとした1日を過ごしてから、14日にメキシコシティに入りました。今回の旅の目的は、なんといっても翌15日にグアダルペ大聖堂で行われる司祭叙階式に参加することだったのです。

当日は聖母被昇天の祭日。わたしたちを乗せたバスがメキシコシティ郊外のグアダルペ大聖堂に着くと、そこは大勢の人でごった返していました。叙階式に参列する人ばかりではなく、大勢の巡礼者が来ています。ここはアメリカ大陸最大の巡礼地なのです。16世紀にインディオのファン・ディエゴに現れた聖母は彼のマントに姿を写したと伝えられています。グアダルペの大聖堂はこの出現の地に建てられており、聖堂の正面には聖母像を写したマントが飾られています。それはラテンアメリカの人々に愛されてきた褐色のマリアです。この大聖堂においてグアダルペ宣教会の司祭叙階式が行われました。グアダルペ宣教会は東京教区ではあまり馴染みがないかもしれませんが、日本では福島県や京都府で小教区の司牧にあたっているメキシコの宣教会です。

この日叙階される15人のうちの2人、エミリオとイグナシオは東京カトリック神学院で学び、神学生として日本の教会を手伝ってきました。昨年1年間、エミリオは高円寺教会で、イグナシオは清瀬教会で助祭として奉仕していたのです。そういうわけで福島、東京、京都など日本からも、司祭4人を含む20数名の人々が列席しました。

1万人は収容できそうな大聖堂がほぼ満員の状態で叙階式は始まりました。アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどで現地のことばや神学を学んだ15人の助祭たちが入堂してきます。式中、特に印象的だったのは、司教の按手と聖別の祈りの直後、新司祭が司祭の祭服を着る場面でした。新司祭の両親がその着衣を手伝います。わが子に司祭としての晴れ着を着せる、それは自分の息子にしてやれる最後のことなのでしょう。この息子はすぐに遠い外国に派遣されていきます。大切に育ててきた息子を神と異国の人々にささげる瞬間なのです。その思いを推察すると胸が熱くなります。

エミリオ、イグナシオの2人の家族と多くの方々が、遠い日本からやって来たわたしたちを歓迎してくれました。その方々の姿に接して感じさせられたのは、日本で働いている多くの宣教師の家族の思いであり、その方々のためにもっと祈らなければ、ということです。

翌朝、グアダルペ会の神学校で行われた日本語による初ミサの後、新司祭の家族やメキシコ人の神学生も含めて、みんなで輪になって「アーメンハレルヤ」を歌いました。わたしたちはそこで、全世界に広がる教会の大きなつながりを味わうことができました。

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」というキリストのことばに応えて生きようとするメキシコの若者の姿を見ながら、同じことばをわたしたち日本の教会の1人ひとりも深く受け止めていきたいと思います。

(幸田和生神父)

第2回福音宣教推進全国会議の課題に取り組む前に ナイス2東京準備会

1993年10月21日(木)から24日(日)にかけて長崎教区内で開催される『第2回福音宣教推進全国会議』の課題が1992年の定例司教総会で決定され、7月4日付けで発表されました。ここに提示された課題に取り組む前に、いくつかのことがらの共通理解を持つように努めたらよいと思います。

1、ナイス(福音宣教推進全国会議)は、日本の福音宣教のあり方を考える会議であること。
2、第1回ナイスで話し合ったことを更に深めるための会議。従ってナイス1の諸提案をあらかじめ十分理解する必要があること。
3、現代の家族の様々な痛みや悲しみ、うめき、叫びを理解し、共感しながら、共有するよう心掛けること。
4、愛の共同体であるキリスト者の家庭が集まって形造っている信仰共同体のあかしによって、すべての家庭にキリストを伝えることを目指すとの自覚を持つよう努力すること。

などであります。各事項についてもう少し詳しく述べることとします。

■1、『家庭』をテーマとしていますが、決して『家庭問題』だけを取り扱う会議ではなく家庭を踏み台として、日本の福音宣教のあり方を日本のすべての神の民(信徒、修道者、司祭、司教)がみんなで考え、具体的方策を見つけ出そうとする会議です。現在、家庭を持たない修道者、司祭、司教もそれぞれ育った家庭があり、現在、関わっている家庭を持っています。みんなで『神のみ旨に基づいた家庭』とはどんな家庭なのか、どのようにして神のみ旨に適う家庭を育てたらよいのかを念頭において、家庭の諸問題について話し合い、福音宣教に役立つ道を見いだしたいのです。

■2、ナイス1の諸提案は、次のようなものでした。今一度思い起こしてみましょう。

Ⅰ、日本の社会とともに歩む教会づくりのために
ⅰ)教会が生活と社会の現実とその諸問題を把握、分析し、そこに福音の光に基づく問題解決の
指針を教会と広く社会に伝達するための機関を充実する。
ⅱ)信徒、修道者、司祭、司教のための生涯養成を確立する。
ⅲ)カトリック学校の現状と課題を再検討する。
ⅳ)社会的に弱い立場に置かれている人々の必要にこたえる態勢(相談窓口、カウンセリング、
駆け込み所など)を充実し、彼らとともに、その原因となっている環境や社会構造の変革に取り組む。
*特別提案離婚者・再婚者(教会法上の重婚者)に対して、司牧や教会法などあらゆる面で
の対応を再検討し、福音の教えにかなった解決を見いだす。

Ⅱ、生活をとおして育てられる信仰を目指して
ⅰ)職場で、小教区で、家庭で、地域で、あるいは職能別、世代別に分かち合いの場を設け、
そこでお互いに信仰を育てることを養成の基本方針にすえる。
ⅱ)このような日常生活レベルで信仰を育て合う営みを支持し、推進するため、具体的方策を打ち
出し、実施する。
ⅲ)教会共同体における青少年の使命と役割を積極的に評価し、ともに学び、彼らが現代の諸問題
に直面するとき、ともに考え、協力できる態勢をつくる。

Ⅲ、福音宣教をする小教区を育成するために
ⅰ)社会(地域)に仕える教会となるために、教会の姿勢を内向きから、社会に参加し、奉仕する
姿勢に変える。
ⅱ)人の心に訴えるような典礼を生み出す。
ⅲ)女性の参加を広げ、奉仕職(侍者など)、意志決定を含めた教会の運営に女性の対等な参画
を実現する。
ⅳ)教会内の協力態勢を確立・信徒と司祭の役割の明確化・信徒と司祭、司祭と司祭の対話と
交流の促進・司祭、修道者、信徒からなる宣教チームの育成・宣教に向けて信徒と司祭がともに
養成を受けられる場の設置・司祭の共同体意識の育成
ⅴ)小教区制度の抜本的見直しと再編成を検討する。
ⅵ)教区を越えた人材の活用や交流、財政的協力(たとえばプール制)などを図る。
日本の教会の16教区制度を再検討する。(詳しくは『開かれた教会を目指して』を参照)

■3、現実の家族の痛みやなげき等に共感し、共有するには

Ⅰ、その人の身になって「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
マタイ7・12
Ⅱ、痛みを分かち合う同情心をもって「イエスは涙をながされた」
ヨハネ11・35
Ⅲ、骨惜しみしないで「イエスは『わたしが行っていやしてあげよう』と言われた」
マタイ8・6〜7
Ⅳ、共同体の一員として・「からだの中でほかより弱く見える部分が、かえって必要なのです。……1つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、1つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」
1コリント12・12以下

・「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」「互いに思いを1つにし、高ぶらず身分の低い人々と交わりなさい」
ロマ12・15〜16

■4、共同体の回心と使命の自覚利己的な私たち1人ひとりは回心を繰り返すのです。共同体の迷惑になるような行動はなかったか。

・共同体に属する人々のことを考えて行動したか。
・共同体に役立とうとしたか。奉仕する心があったか。
・信仰共同体の一員としての私の言行は、この共同体に属していない人々に対してキリストの弟子としてのあかしになっていただろうか。等々

以上のことを前もって考え、実際の会議への出席は出来なくても、会議へのプロセスにおいて会議に参画している意識を持つように心掛けたいものです。

〔参考図書〕ナイス2に向かっての話し合いのために。教会関係のみ。

『家庭』愛といのちのきずな
教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告
司教協議会家庭委員会編
中央協発行 1000円

『開かれた教会をめざして』
NICE1公式記録集
NICE事務局編
中央協発行 非売品

『第二バチカン公会議公文書全集』
南山大学監修
中央出版社 1860円

『今、ナイスの意味を問う』-森司教講話集-
森一弘著
女子パウロ会発行 800円

『人間関係とコミュニケーション』
W・キッペス編
レデンプトール会発行 非売品

『話し合いノート』
東京教会管区ナイス2準備会編
上智社会事業団発行 350円

『分かち合いノート』
東京教会管区ナイス2準備会編
上智社会事業団発行 350円

『アンケート集計報告書』
ナイス2東京準備会編同事務局発行 非売品

『NICE2に向けて横浜教区生涯養成コース』
横浜教区NICE準備委員会編
横浜司教館発行 非売品

『NICE1→NICE2 アンケート 回答のまとめ』
大阪教区ナイス代表委員会
編大阪大司教区発行 非売品

『アンケート結果集計表』
長崎教会管区司祭会議編
長崎教区事務所発行 非売品

『現代の家族を考える』
鎌倉大会報告書カトリック婦人団体連盟編
横浜婦人同志会発行 非売品

『浦和教区大会の記録』
1991浦和教区大会企画委員会編
浦和教区事務所発行 非売品

この他カトリック新聞は勿論多くの雑誌が「家庭問題」を取り扱っている。中でも『福音宣教』1991年8月号以下には、毎月貴重な論文が発表されている。

月刊誌『福音宣教』
オリエンス宗教研究所 500円

(塚本伊和男神父)

ズームアップ 塚本伊和男師

土、日は町屋教会の担当司祭として、月から金曜日まではナイス事務局長としてナイス事務局に、その合間をぬって、本郷教会のペトロ幼稚園園長として活躍。その他に、教悔師として月に数回は刑務所に。多種多様な責任を、実にこまめに手を抜かずに誠実にこなしていく。

更に「家庭」をテーマとする第2回全国会議の東京準備委員会の責任者である。来年秋に開催される全国会議の準備のために、ますます多忙になる。(教区司祭、1928年生)

第二の人生を豊かに 東京教区生涯養成コース終了

4月から4回にわたって行われた東京教区生涯養成コース「第二の人生を豊かに」は、7月12日で無事終了した。昨年秋に行われた「子育てのさなかに」と同様に、ライフサイクルによる定年退職前後、子育てを終える前後の方々を対象にしたものである。参加者は40代から70代まで406名、各世代ほぼ同数であった。

第1回-老いる喜び- 精神科医 亀井康一郎氏

老いは40代から60代にかけて体力、生殖力の低下をもたらし、社会的責任も60代から急速に下がるが、知力(中枢神経系の能力)だけは、衰えかたに非常に個人差がある。この知力を保ち、更に向上させることが「老いる喜び」につながるのではないか。

不安や孤独感を持ち、独善的になるなど衰退期の負の特徴が出てくるが、正の特徴としては人生に対する充実感があり、人生経験の豊かさがにじみ出てくる。老人の喜びは、人生に対しての充実感を常に追求し努力していくことが1番必要である。

本当の老いの喜びは、ホイベルス師の詩「人生の秋」に、

老いの重みは神の賜物
・・・何もできなくなれば・・・
謙遜に承諾する
神は最後に
1番いい仕事を残して下さる
それは祈りだ
手は何もできないけれど
最後まで合掌できる
愛するすべての人の上に
神の恵みを求めるためにと、

表現されたような心境まで到達した時ではないだろうか。

第2回-老後は人生の仕上げ- 特別養護老人ホーム「旭ヶ岡」 園長 P・グロード師

今1番弱い立場に置かれている障害老人、特にアルツハイマーなどによるぼけ老人は、介護の内容がよければ落ち着いてくる。

人間の5感は痴呆でも正常に働き、感覚的な満足を与えることにより落ち着く。旭ケ岡の家では、老人のハンディキャップをカバーしながら、本人の残っている能力を活かすようにケアをしている。

元気な老人はボランティア活動や社会のお手伝いをしながら、活発で忙しい毎日を過ごし、人生を多様化することにより、老後が楽しくなる。目的を持って活動することが老いの喜びにつながり、人生の仕上げに結びつけることが大切である。

第3回-明るく生きがいを持って-

第2の人生を有意義に過ごしているアメリカと日本の実例をビデオで鑑賞。その後小グループに分かれて、より豊かで充実した人生を作り出していくために何ができるかを話し合った。

参加者が体験したこと、現在行っていることを中心に話し合われ、そこから現在の自分の状況を見つめることにつながり、それがスタートとなって将来を描く第4回につながっていった。

第4回-明日から始める私のプログラム-

前回の流れを受けて、充実した人生を歩むため私は何ができるか、理想像を、そしてその具体例を書き出す作業を行った。それを基にグループで話し合い、全体会で次のような発表があった。

・老人福祉問題に取り組みたい独り暮らしの老人の食事の世話、そのための老人向けの食事の研究をする。(40代 主婦)
・日本と中国の信徒の交流に役立ちたい。(60代元教師)
・カトリックの図書館を故郷に作りたい。(60代女性)
・青年を海外に派遣するボランティアグループの法人化に取り組む。(60代男性)

最後に森司教によるまとめの話では、コリント1の12、13章を引用して、「自己が肯定され目標があると、生きていて良かったという実感をもてるが、晩年になると、周りから肯定されなくなる。パウロは『たとえ・・・あっても、愛がなければむなしい。信仰、希望、愛と3つあるが、もっとも偉大なものは愛である』と、愛による自己肯定をしている。愛は人間の究極の豊かさと交わりにつながる。晩年を豊かにするには、心を持った人間としての交わりを育てていくことである。

人間の愛は挫折し消えてしまうが、キリストの愛はそうではない。私たちはキリストの愛の中に置かれ、生かされ、救われる。その愛の体験の中で、お互い同士の希望となっていく。それが私たちの信仰の根底にあり、人間の救いであり、人間の豊かさになる」と結ばれた。

(鈴木晴代)

かいま見た中国の古天主堂

本紙の委員村岡昌和(61)が、幼時の12年間を過ごした懐かしい中国の北京・大同・張家口の三市を個人的に訪ねた。思い出は尽きないと思うが、印象に残った教会巡りを中心にレポートしてもらう。

6月13日の現地時間午後1時30分、全日空NH905便の脚がズシッと北京空港に着地した瞬間、私は「あっ、ついに帰り着いた!」という思いがした。塘沽からLSTに乗って417年目に夢が叶ったのだ。同行の妹も同じだったろう。

天安門広場は訪中直前のTBSカメラマン事件の緊張感が全くない。日本人観光団が、やたらに目につく。王府井ではコースを外して旧ロックフェラー財団医科大学(北京原人化石で有名)の斜め向かいの東城第一小学校跡(小4のみ在学)を偲

その夜寝台列車で張家口を通過、山西省北端の大同市(北はすぐ内蒙古)へ。お決まりの雲崗石仏、炭鉱群、華厳寺などを見たあとガイドに頼んで、平山政十著「蒙彊カトリック大観」(昭14)などで読んだ聖母の御心聖堂に案内してもらう。有名な九龍壁の東側の狭い路地を入るとすぐ左に門構えが見えた。門を入っても教会に無関係な家が並ぶ路地、いわゆる解放後占拠されたのだろう。左へ右へと折れ、やや広い庭と聖堂が見えたのでほっとした(写真1)。さして大きくはないが、司教座の偉容を漂わせる。最近内部補修をしたらしく、古いながらも美しい造りに感動した。再建は少なくとも昭和14年以前のはず。司祭は在館とのことだったが、歓迎される雰囲気ではないので会うのを遠慮した。

翌朝、列車で北京方向の河北省張家口市へ戻る。街の北端を万里の長城(大境門)が走り、城外は内蒙古自治地区に近い。私たち約2万人の日本人がここで敗戦を迎え、8月20・21日にかけ着のみ着のままで脱出、貨車に乗った。今も未解放地区で外人観光者の1人歩きは許されない。家並みが大きく変わり、街はかつての約3倍に膨れ上がっていた。従って旧番地を失念した今、旧居を見つける事は出来なかった。辛うじて中学校跡だけ確認できた。水母宮など観光コースの合間を見て、またガイドに教会を探してもらう。実は今回このツアーを選ぶに当たって、もし可能ならば城外60粁に在ると聞く有名な西湾子しいわんず司教座聖堂(健在と思えない)を1目見ることが狙いだった。それは1700年頃に信者が生まれ、迫害下イエズス会に導かれ、ラザリスト会(聖ビンセンシオの宣教会)、スクート会(淳心会)へと受け継がれて発展し、第2次大戦中(蒙彊)と呼ばれた人口約630万のこの一帯に、先の大同などを含めて6代牧区、信者約20万、天主堂約165、学校と福祉施設300を擁するメッカ的存在(前掲蒙彊カトリック大観)に興味を覚えたからだが、交渉の結果やはり未開放地区ということで実現しなかった。ガイドは気の毒がって張家口市街の天主堂へ積極的に案内してくれた。それは昭和50年頃に市が接収、十字架の代わりに煙突が突き出る製薬工場に変わり果てた聖堂だった(写真2)。ガーンと現実を思い知らされ、つぶさに見る気がしない。以上の聖堂2つとも、在中当時身近にあったのに、未洗少年の私には知らない存在だった。

さて張家口から北京への車窓は、採炭、火力発電、製鉄、農業など一次産業の大発展ぶりを見せつけてくれる。日本企業も加担、これでは日本に酸性雨が増えるのも無理ないと思う。昔とても美しかったせせらぎに合成洗剤らしい泡が漂っていた。

最後の北京でも所定の観光コースと旧居跡など見た後、1日延泊し、歴史的な南・北・東堂の3つの天主堂と人民政府が建てた東交民巷天主堂、そして宣教師の指導で清朝初期に建てられた天文台遺跡を訪ねることができた(写真3)。大半は少年時代一度は見た事がある所、その気になればいま誰でも訪ねる事が出来るので説明を割愛する。是非訪ねたかったのは旧西直門の近くにある近代中国宣教の父マテオリッチ師らの眠る墓地と、北京の4つの古い天主堂のうち何故か壊されたままの西堂の跡だが、前者は南堂の司祭の許可を1週間以前に取得しなければ入れない「中共北京市委党校」の中にあるため、後者はいま再建準備中?というので次の訪中に譲ることにした

。今回中国の5つの教会を訪ねて強く印象に残ったのは、何処も門にしっかり錠を掛けていたこと。だが案内を乞うと北京では、みな親切に迎えてくれた。

[よみかた]昌和(マサカズ)張家口(チョウカコウ)塘沽(タークウ)王府井(ワンフーチン)雲崗(ウンコウ)華厳寺(ケゴンジ)政十(マサジュウ)蒙彊(モウキョウ)九龍壁(キュウリュウヘキ)大境門(ダイキョウモン)水母宮(スイモキュウ)東風(トウフウ)東交民巷(トウコウミンコウ)西直門(セイチョクモン)義和団(ギワダン)中共北京市委党校(チュウキョウ ペキンシ イトウコウ)

あなたの教会のサマーキャンプは?-広報委員会アンケート-

教会学校主催のサマーキャンプ(錬成会)は、青少年の育成にはかかせない行事として長い間位置づけられてきた。近年、子どもの減少、また進学競争の激化等でサマーキャンプへの参加者も少なくなっているとの声も聞く。

今年の東京教区において、サマーキャンプはどのように行われたか、教区ニュース編集部では各小教区の主任司祭と教会学校リーダーを対象としたアンケートを実施した。

サマーキャンプを実施しましたか?

回答してくれた40教会のうち37教会(92・5%)が実施している。
実施しなかった3教会の具体的な理由は、それぞれ異なる。
・地域社会から若い世代が去り、子どもがほとんどいない。(城東ブロックA教会)
・ボーイスカウト、ガールスカウトのキャンプに力を注いでいるため。
また、女子の場合、圧倒的にミッションスクールにかよっている子供が多く、学校のキャンプに参加する。(城西ブロックB教会)
・主任司祭の意向で、ここ数年実施していないし、今後も実施のみこみがない。(城南ブロックC教会)

いつごろ (複数回答あり 42)

7月中に実施 18
8月上旬 14
8月中旬 7
下旬 3

何日間 (複数回答あり 40)

1泊2日 6
2泊3日 16
3泊4日 15
4泊以上 3

どこで (複数回答あり 39)

都内 15
千葉 6
山梨 5
長野 5
埼玉、静岡 各2
神奈川、群馬、新潟、福島 各1

運営母体 (複数回答あり 39)

修道会・教会 20
民営 14
公営  5

費用 (複数回答あり 37)

1万円以下 17
〜2万円まで 16
2万円以上  4

教会から補助をしていますか (回答数 35)

10万円まで 11
〜20万円まで 11
〜30万円まで 3
30万円以上 2
バザーで、献金 2
積立、不足分、半額  各1
出していない 1

参加人数は? (回答数 35)

〜20人 17
〜40人 10
〜80人 1
〜100人 1
100人〜 1

中学生総数 73 (22教会)
高校生総数 49 (13教会)
幼児総数  9 (2教会)

リーダー数は?(回答数 35)

10人以下 17
〜20人以下 15
21人以上 3

リーダーの内訳

中学生  3
高校生 17
大学生 68
社会人 221

単独で実施したか? (回答数 38)

単独 33
複数  5

テーマと内容 (回答数 36)

”自然の中で”を中心に 16
親ぼく・友情  7
神との出会い 7
家族・家庭   2
その他     4

具体的な内容のうち、多かったのは、

自然観察    12
ハイキング   14
キャンプファイアー 10
ゲーム大会   8
花火大会    7
きもだめし    6
分かちあい、飯ごう炊さん  各5

等であった。

今後の課題

今後の課題を記入してくれた23教会のほとんどがあげているのは、

・キャンプの参加者の減少(子どもの減少にともなう)
・キャンプの場所の確保-自然に恵まれ、交通の便がよい所で経済的負担ができるだけ少ない所はそうあるものではない。
・リーダーの養成の必要性以上の3点である。

また、実施期間-参加する子どもと、リーダーである大学生、社会人の休みのバランスがとりにくい-、体力の低下(子どももリーダーも)などもあげられている。

以上のアンケートの結果を、教会学校委員会担当の立花昌和師に意見を聞いた。

立花師のコメント

90年の春に教会学校委員会で行った教会学校へのアンケート調査結果でも「子どもの参加者減少」「リーダー不足」「リーダー養成の必要性」「キャンプの場所の確保」という問題はあげられていました。

これから子どもの数やリーダーが増えるという見通しがあるわけではないのでこの問題は益々深刻になるだろうと思われます。実際問題として小教区単独でキャンプができないという事態は出てきています。近隣の小教区との交流や協力を考える時なのかもしれません。

リーダーの養成のために特別なことをしている小教区は少ないということも前述のアンケート調査結果に出ていました。できるだけ小教区で定期的な勉強会を開いたり、それが不可能ならば教区主催の研修会などへの参加を積極的に呼びかけてほしいと思います。

赤ちゃんからお年よりまで木更津教会「山の教会」

木更津教会では、赤ちゃんから老人まで誰でも、家族でもひとりでも参加できる「山の教会」を3年前から行っている。

目的は

1)共同生活を通じて、自分を知り、他人を認め、生き方の多様性を見る。
2)涼しい、きれいな高原生活でゆっくりくつろぎ、自然の恵みを感じとる。
3)日常生活にキリストの信仰を生かす知恵を体験しようである。

場所は、長野県茅野市狩野、ラ・サール御狩野山の家で3泊4日の日程で行われている。

ミサと祈りを中心とするが、活動については、年令、体力に応じて幾つかのプランを立てる。山へ行く人、近くを散策する人、車で出かける人、休養する人等基本日課をきめ、その中での活動の自由を認め合うようにする。小学生は共同生活を重んずるようにする。

以上を基本として、朝夕の祈り、野外ミサ、ハイキング、登山、野外パーティー、花火大会、キャンプファイアー等を折りこんでいる。

費用については、山の家の使用料は教会負担とし、バザー、献金、通常予算から支出している。交通費、食費は各自負担。(食費については乳幼児は無料)

参加者は、第1回80名(大人49名、小中高生23名、幼児8名)第2回42名(大人29名、小中高生8名、幼児5名)第3回55名(大人29名、小中高生31名、幼児4名)であった。

「山の教会」を3回実施したが、感じたことを以下に述べる。

1、第1回は自炊としたが、自炊は愉快であったが、担当者が野外活動行事に参加できないのでその後は、専任者をおいた。自炊のため、第2回の参加人員が半減した向きもある。
2、参加者を集める事は難しい。「山の家」の大きさからすればぜいたくかも知れないが、40〜50名位がゆったりでき、理想的かもしれない。
3、老若男女が一同に会して食を共にすることはすばらしい機会である。共に知り、共に分かち合うまたとない時間である。
4、夕の祈りは21時、以後は寝るか、静かに酒を飲むかして過ごすが、有志による勉強の機会として利用したい時間である。
5、「山の家」から車で数10 分も走れば、ハイキング、登山のスタート点に立てる。自然の美しさの中で、「神の思い『を知る』には格好の拠点である。計画的に毎年訪ねたい。
6、このような「山の家」に自主的に、「神の思い」を「神の痛み」を共に感じとろうと4、50数名の信徒が定期的に継続的に集まれる教会は強いと思う。

(岩崎敏明)

『天国映画村』にようこそ!

スクリーンのむこうに天国が見える…。天国映画村は、映画による福音的ネットワークづくりを目的として、昨年の9月に高円寺教会を拠点として開村した。濱尾文郎司教が名誉村長。晴佐久昌英神父が村長。現在村民数は約60名。

主な活動内容は、毎月選定した「宿題映画」をそれぞれが映画館で観ておき、月例会でお菓子をつまみつつ分かち合いをするというものだ。世界広しと言えども、宿題を出される村はこの村ぐらい!?ちなみに、今まで宿題となった映画をご紹介すると、「マルセルの夏」「コルチャック先生」「息子」「心の旅」「夢のバスに乗って」「トト・ザ・ヒーロー」「ミシシッピー・マサラ」「ドクター」「フォー・ザ・ボーイズ」「橋のない川」「フライド・グリーン・トマト」「仕立て屋の恋」「ウルガ」。なんと昨年末には、宿題映画の中から「天国映画村アカデミー賞」なるものを決めた。ええ、昨年度中の宿題映画の4本、のうちからである。作品賞は『息子』に決定した。もちろん、監督賞、主演女優賞、男優賞、撮影賞などなども…。今年はフェアーに(!?)、投票で決定したいと思っているのでお楽しみに。また、時々、名画の上映会も行っている。そして、月に1回、「天国映画村通信」を発行している。さぞや天国映画村は、映画通ばかり集まっているのでは、と思われるかもしれないが、実はそうではなくて、さまざまな動機で集った村人たちだ。忙しくてナカナカ映画を観に行けないからせめて宿題映画だけでもという人や、いったい何を観てよいかわからないから来たという人、そして昔々、映画青年だったという人もいる。年齢も10代から70代、信者でない人はもちろんのこと、所属教会もまちまちと、にぎわしいことしきりだ。

分かち合いは、主にグループに分かれて行っているが、好き勝手しゃべり放題、これがルールのようなものだ。自分の言葉で映画を語ることによって、より丁寧に映画を観ることが出来るようになった、とか、他の人の意見を聞くことによって、さまざまな観方を教った、という声を耳にする。

(曽我久子)

「過去」を知り現代に責任をもって生きる ―青年たちの沖縄体験学習報告―

(95号型の続き)

4日目(25日水曜日)は、移動と「振り返り」に時間をのんびりととった。強硬軍ではせっかくの体験が未消化になってしまうとの主催の神父の配慮による。

5日目(26日木曜日)伊江島へ。ここで沖縄戦と戦後の問題が皆の中で本当に1つになったのではないかと思った。島の1/5が、東洋一の演習場になっており、住居と300メートルしかはなれていないところに銃弾が打ち込まれる。畑の真ん中に大きな滑走路があり非常時にはアメリカの戦闘機が発着する。この畑を確保するための戦いが戦後のこの島の人々にかせられた。こうした島の中を一巡し、城山じょうやまやガマに戦争の痕跡をたどりながら、一行は「ヌチドゥタカラの家」に向かう。ヌチドゥタカラとは「命は宝」という意味。ここには「米軍と農民」を書いた阿波根昌鴻あわごんしょうこうさんがおり、戦争体験と戦後の闘争を証言されながら、戦争の悲惨と平和の大切さを訴えている。ここに一泊させて頂き、そこの一画に設けられた反戦平和資料館を見学したり、お話しをうかがったりした。ここでの体験も参加者に大きなものとなった。平和の建設のために実際にどのような決意を固めたらいいのかなど真剣に考えさせられることが多かったようだ。ここでも「間違っていることには反対すること」が強く強調された。

6日目(27日金曜日)沖縄本島へ帰り、再び振り返りの時間をとった。安里あさと教会で、ミサあずかる。夕方から那覇の市街の見学で、この旅行の日程中唯一「観光」らしく過ごした。

7日目(28日土曜日)病気する者もなく、皆元気で、無事帰還。

沖縄から帰って数日後に西千葉教会において反省会が開かれた。この体験学習を契機に、参加者の多くは「私に何かできることはないのか」と自らに問うているようだ。「一生沖縄で暮らしていく人と私は、やはり違うが、共通するものもあるので、自分は自分の生きる土地で何かをみつけることができたらいい」と言う。ごく身近かに基地があり、今更ながら周回訓練の飛行機が家の上空を飛んでいたのに気付き、基地問題について勉強を始めた人もいる。教会で廃品回収を始めた人達もいる。教育問題に取り組む人もいる。皆「沖縄に行ったことが無になってしまわないように」考えているのだ。ある人は「少しでも興味を持ったり、疑問に思ったりする気持ちを大切にし、掘り下げる努力をしたいと考えますし、自分で『平和』や『戦争』について考える必要を感じます。何も知らなさすぎる自分を成長させたいし、成長させる努力をし続けたい、と思います。そしてなんだかよくわからない流れの中で人生を終えてしまうことは、絶対に避けたいです。戦争については、やはり、反対だし、戦争をしないで解決していく方法を、選んでいくべきだと思いますが、もし自分が巻き込まれていったとした時に、その中で自分の今の考え方がどう変わっていくかはわかりません。ただそれに協力したり、亡くなる人を増やしてしまうようなことは、避けたいと思いますし、その為にも、自分の価値観をきちんと持ちたいです」と言っている。

ある高校生は「今、テレビなどで、『恋をしたら沖縄』などと沖縄観光を勧めているが、沖縄で何が起こったのかを知らないで、沖縄に来てはいけないのではないか、と思った。学校の修学旅行で、事前に長野のことを調べさせられて、なんでこんなことをしなくてはいけないのかと、思ったが、沖縄に来て、これからは、そこがどんな過去を担っているのか調べてから、その土地に行こうと思う」と述べた。

こうした思いが一高校生のうちに、また参加者全員のうちに、切実に迫ってくる。

この体験がどのように参加者1人1人のいきざま、人生に響いてくるのか、今はわからない。「これから生きていくにあたって、沖縄のことを深く知ることを通して、私の身のまわりのことに目を向けていきたいと思います」が今の時点でこの体験学習の参加者の立っているところではないかと思う。「過去」を知ることは「現代」に責任を持って生きることだと、過去に鑑みることの重要さは広く喧伝されている。昨年の教区百周年も、そうした過去の大切さを強調していた。私達は死者たちの体験を、わがものとしてこそ、死者たちがそのような生を生きなければならなかった人生の意味について、何かを得ることができるのではないかと思う。

この体験学習の実現の為に尽力とご援助を下さった多摩・千葉ブロックの諸般の皆様にこの場をかりてお礼を申し上げたい。

(油谷弘幸神学生)

ちょっとおたずねします 答唱詩編をなぜ全員で歌わない?

Q、 最近わたしたちの教会では、答唱詩編の詩編の部分を先唱者が1人で歌うようになりました。典礼聖歌集も普及してせっかく全員で歌えるようになったのに残念なような気がします。変更するとき簡単な説明があったようですが聞き漏らしてしまい、周囲の人に聞いてもよくわかりません。なぜ全員で通して歌わないのでしょうか。

A、 皆さんの教会でも使っていると思いますが、『聖書と典礼』のパンフレットには、答唱詩編の繰り返しの部分(答唱)の楽譜だけが掲載されています。それは、紙面の関係上やむを得ずそうしているわけではなく、答唱を全員で歌い、詩編の部分は先唱者が歌うという方法が勧められているからです。

答唱詩編については、『ローマ・ミサ典礼書の総則』(「総則」)にも書かれていますが( 番)、ミサのことばの典礼の部分について専ら扱っている『ミサの聖書朗読指針』(「指針」)に簡潔な説明がありますので、まずそこから始めたいと思います。

「指針」はまず「総則」を引用しながら、「答唱詩編はことばの典礼に欠くことのできない部分である」( 番)と明言し、次のように続けます。

「答唱詩編は通常歌われる。第1朗読後の詩編の歌い方には、答唱句をはさんで歌う答唱形式と答唱句を省いて詩編だけを一挙に歌う単唱形式の2つの歌い方がある。答唱句をはさんで歌う答唱形式はできる限り優先させるべきで、詩編唱者が詩編の詩句を歌い、全会衆が答唱句を歌って参加する」( 番)。

結局、ミサに欠かすことのできない大切な答唱詩編は、そもそも歌なので当然歌うべきであり、先唱者が詩編を歌い、全会衆が答唱句を歌うのが一番望ましい、ということになります。

答唱詩編は、入祭、奉納、拝領のように行列や行動を伴う歌ではなく、全員静かに座ったまま、その前に聞いた第一朗読(主として旧約聖書)を味わうための歌なので、黙想的、瞑想的な色彩が強くなります。1人の朗読者が読む聖書のことばに皆が聞き入るのと同じように、1人の先唱者(複数でもよい)が歌う詩編に皆は耳を傾けながら味わうのです。でも聞くだけでなく、答唱句は皆で歌って神のことばに答えるのです。

このようにミサの中の歌は、それぞれの部分にふさわしい歌い方が伝統的に工夫されています。もちろん全員で通して歌うものもありますが、答唱詩編のように先唱者と会衆が交互に歌うもの、対話句(主は皆さんとともに、また司祭とともに)のように司祭と会衆のやりとりですすめられていくもの、栄光の参加のように会衆が左右に分かれて交互に歌うと生きてくるもの等々、種々の工夫をすることによってミサは一層生き生きとしてくるのです。

(山本量太郎神父)

教会・修道院巡り(19) 聖母訪問会

1905年より、日本で活動していたパリ外国宣教会のアルベルト・ブルトン師は、病を得て一時帰国したが、再び日本で働くことを願い出た。帰国の途中、ロサンジェルスの日本人移民の状況を視察するよう命令を受けたので、彼はアメリカに渡った。異郷の地で、牧者もなく、悲惨な生活を送っている人々を見た彼は、ここに留まり救済の手をのべることになった。共に働く日本人女性の必要を感じ、日本の司教にその派遣を願った。

聖書を美しい文語体に訳した学徳高い宣教師エミール・ラゲ師(パリ外国宣教会)のもとにブルトン師の願いは届いた。彼は数年前から、伝道者として宣教を助ける数人の婦人を養成していた。彼女らは「ご訪問の愛苦会」として、神にその全生涯を捧げていた。

ラゲ師は手塩にかけたこの乙女たちの宣教心に訴えた。まず最初の4人が、会ったこともないブルトン師のもと、異郷の召命に命を賭けた。

1915年3月2 3日、サンフランシスコの埠頭に降り立った宣教女たちと、困難の中にある人々の必要に心を向けるブルトン師との出会いが、後の聖母訪問会を生んだ。

紋付き、袴姿の彼女たちは、早速地味で簡素な服に着替え、ジャパニーズ・シスターズとして慕われつつ、宣教、教育、福祉活動に献身した。日本から新たな女性も加わって、最初の4人から10数名となり、カルフォルニア州を3分していたサンフランシスコ、ロサンジェルス、サクラメントの教区で修道共同生活を学びつつ活躍した。

第一次大戦後ブルトン師は、諸活動をアメリカ人の指導のもとに置き、完全にこの国流に進展させるため、身を引く方がよいと判断し、日本国内での宣教に戻ることを決意した。

東京レイ大司教より大森小教区創立を委任された彼は、その地に、後から帰国する修道女たちの家も準備した。大井町出石に新たに始った共同体は、早速福音宣教のため、幼稚園、無料診療所、若い女性のための寄宿舎などを開き、三誓願による正式修道会への認可に備えた。

1926年1月6日、教区立修道会として、1942年には教皇立修道会として認可された。

1931年、ブルトン師は福岡教区の司教に叙階された。彼は誕生したばかりの修道会を呼び寄せ、会員を育て導いた。戦後本部は鎌倉に移り、師はそこで会員の養成に力を注いだ。

1966年、第二バチカン公会議の精神により、新会憲を作成。会のカリスマの確認、諸事業の再検討を行い、会員の生き方を新たに方向付けた。この時修道会名を聖母訪問会と改めた。

本部 〒248鎌倉市津550
電話 0467-32-4621

白柳大司教福音宣教の必要性を力説 -『東京教区百年を語る』出版記念講演会で-

去る7月18日(土)、白柳大司教による講演会が、およそ100人の聴衆を前に、乃木坂女子パウロ会で行われた。この講演会は『東京教区百年を語る』の出版記念講演会であった。白柳大司教は教区創立百年を経た今、日本の教会に求められていることは何かを中心に、いっそうの一致と協力をもって、福音宣教に力を注ぐ必要性を次のように力説された。

教皇様の旅

今回ローマに行った時、帰りの飛行機で新聞を見ていたら、教皇様についておもしろい数字が発表されていたので、皆さんにもご披露したいと思います。

「教皇様は今まで、世界中をどれくらいの距離、旅行なさったか。それは月と地球の往復でいうと、2回と4分の1、地球の周囲でいうと21回、862、839キロメートルである。

海外に出かけられたのが55回、訪問された国が134ヶ国、そのうち大地に接吻なさったのが105ヶ国で、その日数は510日である。

1年に公のスピーチを800回、本でいうと4、000ページ、今までに、11、000回、56、000ページに及ぶ。」

72歳の教皇様のエネルギーのもとは何でしょうか? 教皇様は言っておられます。

「わたしはペトロの後継者であるが、パウロのように福音を宣教したい。神が私たちをどれほど愛しておられるかを知らせたい。」

外国の援助

日本に福音を伝えた宣教師も同じ心であったろうと思います。大変な危険を冒して、1年も2年もかかって日本にたどり着く。着けた人はよいほうで、海の藻くずとなった人も多かったと思います。

さて、ザビエルによる宣教開始とそれに続く迫害時代、明治における日本の教会の夜明けについては『東京教区百年を語る』に書いてありますので、今回は、私たちが特に心に留めなければならないことについて、お話したいと思います。それは日本の教会が、今まで外国の援助によって支えられ、発展してきたということです。しかも豊かな中からの援助ではなく、自分たちも困っているのに、よその国のもっと困っている教会を助けよう、という援助であったということです。

ケルン教区の援助

戦後、ドイツのケルン教区から、私たちは多大な援助を受けました。そしてこの援助は今も続いています。この援助は全く天から降って来たような恵みでした。

1954年、当時のケルン教区の大司教であったフリングス枢機卿から、1通の手紙が私たちの所に届きました。ケルンは第二のローマといわれるほど、たくさんの聖堂があります。しかし戦争でほとんどが破壊されました。だから、1954年にはまだ、自分たちの教会の復興もおぼつかない時です。しかしその年はちょうど、ドイツにキリスト教を伝えた聖ボニファチオが亡くなって1200年の記念の年だったそうです。

手紙の内容は「この記念の年に、自分たちと同じように戦争の被害を受けた、東京の教会の力になりたいと思うので、そういう関係を結ばせて欲しい」というものでした。日本から頼んだわけではありません。全く先方の好意でした。この関係は今も続いており、東京とケルンの友好関係は強い絆で結ばれています。

当時ドイツには、まだたくさんの破壊された教会があるのにこういうことをするのは、ケルンの人たちにとって大きなショックでした。「なぜ自分たちの教会がまだでき上がっていないのに、外国を援助するのだ」と。ケルンの司祭団や信者から、大きな不平の声が上がりました。また、ローマからも不平の声が上がりました。世界の布教地のための献金はローマへ集められます。ケルンからの献金が直接日本へ行ってしまったら、その分、世界に配分されるのが減るというわけです。

そのときフリングス枢機卿はつぎのように言われました。

「あり余っているものを人にあげるのは、だれにでもできます。キリスト教の愛はそんなものではありません。自分たちが困っている時でも、さらに困っている人に手をさしのべるのが、ほんとうのキリスト者の生き方です。」

こうして、人々の不平を静められた。そしてみんな喜んで協力するようになったということです。

ローマに対しても「ご心配にはおよびません。こういうことをケルンで始めれば、ローマに送られる献金はもっと増えますよ」と言われ、本当にそうなりました。

ケルンの大司教様が、なぜこんなことをお考えになったのか、もちろんわかりませんが、こういうことを通して、信徒の意識を高め、信仰を深めたいと思われたのではないかと推測しています。

ケルンに援助のお礼を書いて、返ってくるお手紙には必ず「お礼をするのは私たちの方です。私たちは、与えたものより、はるかに多くのものをいただいています」と書いてあります。私たちはこのことからも、たくさん学ぶことがあると思います。このケルン教区のおかげで、東京の教会が10以上できました。土地を買い、建物を建てました。

東京カテドラル聖マリア大聖堂の建築資金のほとんどもそうです。私たちは、物乞いをすることはありませんが、この関係を大切にしたいと思います。そして今度は私たちの方から、同じような関係を、今いちばん困っている国の教会とつくっていきたいと思っています。

私たちはアジアでいちばん困っている国は何処か、と話し合いました。今、ミャンマー(旧ビルマ)の教会は貧しいだけでなく、鎖国のような状態に置かれています。東京の教会はミャンマーの教会を助けるために、皆さんに協力していただいています。私たちはこういうことを通して、信者の交わりを見える形で現していきたい。それは私たちが、外国の兄弟たちから受けたことへの感謝のしるしです。

私たちの信仰の試金石

もう1つ同じようなことは、これからますます多くなる、滞日、在日外国人との関係の中に現されます。ヨーロッパでは既に大きな問題になっていますが、日本の教会でも、そうなってきています。日曜日に教会に来る信者は、日本人よりも外国人のほうが多くなっている教会が出てきています。少ないうちは問題がありませんでした。しかし多くなると問題が起こります。「ここは私たちの教会なんだ!」と。「出ていってくれ」とまでは言いませんが、そのような感じ方です。自分たちの信仰生活が何か脅かされているように感じている。この問題は今、私たちが克服していかなければならないことです。確かにいろいろの不便が出てくることでしょう。でも教会というのは、元来、そういうものを1つにして、つくりあげていくものではないかと思います。

これから世界の教会のいたるところで、こういうことが問題になってくると思います。これはまさに、私たちの信仰の試金石になる事柄だと思います。そういった意味で、私たちは過去の100年を思い出すと共に、これから遭遇するであろういろいろの困難を乗り越える1つの動機づけを持たねばと思います。

私たちは今まで外国からの援助に支えられていましたが、これからは私たちがより困っている外国の兄弟たちのために、何かをやっていく時だと思います。

東京教区・新潟教区 合同神学生合宿

8月31日から9月2日にかけて、神学生合宿が行われた。参加者は、白柳大司教 森司教をはじめ、養成担当の司祭6名と神学生12名の総勢20名。

今回初めての試みとして、姉妹教区である新潟教区との合同合宿という形をとったため、新潟教区から司祭1名、神学生2名が参加した。場所は、群馬県安中市にある「磯部かんぽ保養センター」であった。

初日、集合後、まず全体会議があった。開催の祈りの後、大司教の挨拶。東京、新潟両教区の関係をふまえて、「いつでも、どこでも、派遣されて行ける準備と心構え」の必要を述べられた。続いて、東京、新潟教区から神学生1名ずつが代表で、両教区の姉妹提携の現状と今後について、後の分科会へとつながる発表をした。ここで会は盛りあがりを見せたのだが、司祭を目指す神学生は時間を遵守することも大切、はやる心を抑えつつ自由時間となった。

その後晩の祈り、夕食。夕食後は前述の発表をもとに、3グループ(6名〜7名)に分かれて分科会が行われた。両教区の相違点、両教区間交流の現状等が、活発な意見交換の中で徐々に明らかにされた。

分科会の後は懇親会。日頃、なかなかお話を伺う機会のない司教様方、神父様方から、いろいろお話を伺えたことは、神学生にとって忘れ難い思い出となることと思う。

2日目。起床、朝食後、9時から朝の祈りと合わせた形でのミサ。今回、合宿中のミサでは、画期的な試みとして、助祭による説教が2日目、3日目とそれぞれ行われた。大司教をはじめとするお歴々の見守る中、何らものおじすることなく、わかり易説教をする猪熊、宮下両助祭の姿に、胸を打たれずにはいられなかった。午前中に、前夜にひきつづき1時間ほどの分科会が行われた。昼食は大司教のご好意で、近くの店で鮎料理をいただいた。昼食後は、皆お楽しみの自由行動。行き先を前橋での映画観賞コース、高峰高原観光コース、近くの温泉休養コースなどの目的地別に分かれて、それぞれ出発した。

前橋映画観賞コースの人々は、「エイリアン」を観賞。このコースは、最新社会情勢に神学生も乗り遅れないようにとの、暖かい配慮の賜物と思う。

高峰高原では、美しい景色のもと、ビールがとてもおいしかったのが印象的だった。司祭と神学生の多くはお酒が大好き、「花より団子」という言葉が思い起こされる。温泉コースも、ゆっくり休養がとれてすばらしかったとのことだ。帰館後、晩の祈り、夕食、分科会が行われた。

この分科会では、現在司祭が実際の現場でどのような問題にぶつかっているのか、などについての話を聞いた。

最終日はミサの後、まとめの全体会。今回、東京・新潟両教区合同で神学生合宿ができた事は、互いの教区にとって新たな視野を広げる意味でもすばらしかった等の意見が出された。その後、皆熱い思いを抱きながら車に分乗、解散した。

(伊藤幸史神学生)

お知らせ

生涯養成に関する企画

聖書の旅

日時:10月10日(土)〜11日(日)
行程:富士御殿場から裾野迄
宿泊:神山復生病院 宿泊施設御殿場市神山109℡0550-7-0004
集合:JR御殿場線富士岡駅改札口
10月10日(土)午前11時
参考時刻(国府津のりかえ)東京8・24-国府津9・24 国府津9・24-富士岡10・03
解散:10月11日(日)午後5時頃
参加費:3000円(宿泊費と食費)
交通費は各自負担
持参品:シーツ2枚、聖書、弁当(10日昼分)、雨具、着替え、ノート、筆記用具、洗面用具
申込み:M・O・P・P・(聖ペトロ・パウロ労働宣教会)
〒335埼玉県戸田市喜沢2-22-2 青果荘 0484-45-9514
締切:10月5日(月)

キリスト教講座

講師:A.デーケン師
日時:10月6日(火)喪失体験と人格成長
10月11日(日)ミサとパーティー
10月13日(火)イエズス・キリストの人格
10月20日(火)苦しみの意義-悲劇の解釈
10月27日(火)神の恵みとは
午後6時〜8時30分迄(1時間半の講話と1時間のディスカッション)
場所:かつらぎ会 上智大学6号館1F 〒102 千代田区紀尾井町7-1 3238-3031

教会委員研修会

日時:11月2日(月)18時〜3日(火)15時
場所:東興ホテル
テーマ:教会の経済について
講師:白柳誠一大司教、森一弘司教門馬邦男師(関口教会主任司祭)
〆切:10月15日
定員:70名
申込先:東京ナイス事務局〒112文京区関口3-16-15
3943-2277 3944-6677
主催:東京教区生涯養成委員会

聖書深読黙想会

指導:奥村一郎師
日時:10月24日(土)〜25日(日)
11月28日(土)〜29日(日)夕食〜翌日午後4時迄
場所:カルメル会上野毛黙想の家
連絡:吉田敦子3721-2472

聖書深読静修

担当:シスター・今村
日時:11月8日(日)10時(ミサ)〜午後5時
場所:マリアの御心会修道院 〒160 新宿区南元町6-2  3351-0297
対象:どなたでも(始めての方も)どうぞ
連絡:シスター・今村(マリアの御心会)

瞑想と聖書講話

指導:ヨハネ・ウマンス師
日時:火曜日を除いて毎日
午前の部10時30分〜1時30分
午後の部1時30分〜3時30分
夜の部7時30分〜9時30分
場所:神言会黙想の家 東光庵 〒166杉並区阿佐ヶ谷1-38-13 3336-0735
土・日と一泊二日の祈りも可希望者は、直接東光庵へお問い合わせください

祈りの一日(主日の福音で)

日時:10月18日(日)、12月13日(日)、午前10時(ミサ)〜午後5時まで
場所:明泉会 〒160 新宿区南元町6-2  3351-0297

祈りの園 月の集い

テーマ:祈り
日時:10月6日(火)10時〜14時(毎月第1火曜日)
午前‥祈りとミサ
午後‥聖体礼拝
指導:ペトロ師(フランシスコ・カプチン会、祈りの園カセットテープ制作者)
対象:どなたでもどうぞ
場所:カトリック松原教会
会費:自由献金持参:葉書、弁当
問い合せ:白石0426-44-5565

一日黙想会

日時:11月27日(金)10時〜14時30分
指導:バレンタイン師
場所:聖イグナチオ教会 地下ホール〒112 千代田区麹町6-5
定員60名
会費:1000円
申込:援助修道会シスター藤木保子 〒162新宿区市谷田町2-24 03-3269-3285
葉書に氏名、住所、所属教会を明記の上、申し込みのこと。

黙想会と聖体賛美式

日時:10月17日(土)黙想会15時30分〜17時30分
指導司祭:冨来師(マリア会)
自己を知る神との出会いのワンステップ-私って誰?
参加費:500円
聖体賛美式:17時30分〜18時30分
場所:カトリック神田教会3291-0861

秋の黙想会

テーマ:「み言葉に聴く」-こう祈ったらどうか-
日時:10月23日(金)16時〜25日(日)15時
場所:聖フランシスコ黙想の家 〒376桐生市堤町3-14-20 0277-22-6136
指導:戸田三千雄師(フランシスコ会)
対象:どなたでも
定員:20名
申込み:必らず葉書で
〒158東京都世田谷区東玉川2-29-7 広瀬尚子まで 3720-7365

1992年度神学院祭休止のお知らせ

日頃より、私共東京カトリック神学院に学ぶ神学生のために、様々なご支援を賜り、ありがたく存じます。一同心より御礼申し上げます。

さて、私共東京カトリック神学院神学生一同は、年来、感謝や交流など様々な意味を込め、年に1度、神学院を一般の皆様に開放させて頂き、「神学院祭」を開催してまいりました。早いもので 年の催しとなり、多方面にわたりご愛顧とご協力を頂いてまいりました。

しかし、当今時代の変遷は、神学生を取り囲む様々な状況にも反映し、神学生の相応の対応が要請されてきております。そうした中で「神学院祭」の見直しもまた神学生一同の大きな課題となって参りました。

その為、今年度、1992年の1年間は、これまでの「神学院祭」は休止、来年度以降の新しい展望と展開を求めてじっくりと準備することになりました。例年ご厚意をもって神学院祭をご支援下さいました皆様には、これまでのお礼ともども、お詫び申し上げ、よろしくご理解を賜り、今後の新しい進展に向けてのご協力をお願いする次第です。

東京カトリック神学院学生会

訃報

松風恵師

(神言会)8月4日、神言神学院の屋上で夕涼み中、あやまって転落し、帰天。41才。1951年名古屋市に生まれる。64年同会に入会(小神学生)82年司祭叙階。吉祥寺教会助任司祭、「音響映像グループメディアセンター」のディレクター、南山大学講師として活躍。また、OCIC・JAPANのメンバー、信仰教育委員会のオブザーバーもつとめた。

編集部から

今年も、8月恒例の千鳥が淵での平和祈願祭が行われた。集った人々の数は例年通りであったが、平和行進に参加する人が年々多くなったように思う。平和をアピールしたタスキは、道往く人々の注目をひいた。今年の戦争回顧に、加害者であった日本を扱った記事も多かった。平和の祈願のために大事なことと思う。

派遣が正式に決まったPKOだが、先月号のミニアンケートに関する記事には、投書を頂く等の反響があった。紙幅の関係でご紹介できないが、平和を考えるきっかけになれば幸いである。

サマーキャンプのアンケートにご協力頂き、ありがとうございました。今年の反省会や来年の計画について話し合う際の参考にしていただければと思う。