お知らせ

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東京教区ニュース第91号

1992年04月01日

キリストの光のなかで男・女のかかわりを問いなおそう
シンポジウム 「男・女そして神」

2月16日 (日) 午後1時から4時半まで、 飯田橋の東京都婦人情報センターにおいて、 教区の 「女性と教会」 委員会主催のセミナー 「豊かなパートナーシップを求めて男・女、 そして神-福音の光のもとに-」 が開催された。 講師は、 森一弘司教、 魚住昭氏 (共同通信社会部記者) 、 安藤昭子氏 (関口教会信徒 大屋幼稚園) 、 森村信子氏 (聖心会会員) 。 司会は長島世津子氏 (上智大学講師) であった。 主催者側の心配をよそに、 約50人入いる会場には、 80人が集まり、 熱気のこもったシンポジウムが展開された。 まず、 挨拶と本集会開催までのいきさつを、 主催者が述べたあと、 森司教が、 アンケートを紹介、 解説した。

「女性と教会」 アンケートの紹介と解説

アンケートの最後の質問 「今あなたは自分の人生に満足していますか?」 に、 67%の人が 「はい」 と答え、 「いきがいを感じていますか?」 という問いには87%の人が 「はい」 と答えている。

次に、 「女性ということで、 差別されたと感じたことはありますか?損をしたと感じたことはありますか?」 という問いに、 感じたことはないと3分の2の人が回答している。

回答者が恵まれた状況にあるのかとも思うが、 「どんな差別を感じましたか?」 と具体的に書いてもらうと、 その事柄は、 今の社会の中でも、 その状況はあるのではないかと思われる。

「女性として生まれてきてよかったと思いますか?」 という問いに、 ほとんどの人が満足している。 今、 結婚は男女の合意によるということになり、 男尊女卑ということも、 男はこうあるべし、 女はこうあるべしという意識もなくなった。

今、 私たちが新たに問わなければならないことは、 男女の関係ということである。 男の役割と女の役割が民法上規定されていた明治時代と異なり、 今日、 男女は平等となった。 それは、 お互いのかかわりが問われる時代となったということである。 最近おもしろい本を読んだ。

ローマ時代の人名辞典の中に出てくる21人の女性中、 18人は殉教者である、 それはなぜか、 ということを書いた本である。 ローマ時代の女性の立場は、 「もの」 であった。 女性は相続権もなく、 生まれてくる子が男の子なら殺されなかったが、 女の子なら生かすも殺すも父親の権利であった。

そのような社会状況の中で、 女性がキリスト教の中に飛び込んだのは、 キリストのことばに魅力があったからである。

女性を大事にするキリストのメッセージは、 女性に光と希望を与えるものであった。 だからこそ、 その信仰に命がけで生きたのである。

現代、 その同じキリストのメッセージが男性と女性にどんなインパクトを与えているかが問われている。 男性と女性がどういうかかわりをもたなければならないかを、 キリストの光で問い直さなければならない。 キリストのメッセージから、 男性、 女性をどのようにとらえていったらよいだろうか。

☆ ☆

続いて、 3人のパネリストがまず15分ずつ、 その後補足説明10分を行った。

まず安藤昭子さんは、 7人の子どもによって成長したことを体験から、 続いて、 自身の離婚体験について魚住昭氏が話した。

私の離婚

私は17年間、 社会部の記者をしている。 いわゆる事件ものの記者で、 今日のテーマについては無知といってもいいくらいである。

離婚したのは5年前である。 私は会社人間で、 時間は不規則で、 家に帰るのは寝るだけという生活だった。 ある日突然、 妻から三行半みくだりはんを突きつけられた。

私にとっては突然で、 びっくりしたが、 関係は回復のしようがなかった。 それまで、 妻と子のいることを当たり前だと感じていたので、 ショックを受け、 色々考えた。

それまでは、 自分の家庭は、 確固たるものだと思っていた。 それが、 こんなにあっさり崩れた、 もろいものだったのだと呆然とした。

自分には、 妻が出ていくのを引き止める論拠がなかった。 自分には家庭を維持しようとする論理がないことに気づいた。

戦前は家制度があり、 外から夫婦の絆が支えられていた。 しかし、 今はそれがない。 昭和30年代は、 風呂をわかすにしても、 飯を炊くにしても、 家族の構成員が時間をかけ、 労働を分担しなければ生きていけなかった。 しかし、 今は構成員がバラバラでも生きていける。 家族が家族である必然性が薄れてきたと言えよう。

私の学生時代は、 全共闘世代の最後に属している。 マルクス主義の信奉者でないにしても、 心のどこかで、 マルクス主義を信じている部分があった。 それが、 東欧、 ソ連の政治変革で地球上からマルクス主義が崩壊した。 学生時代から信じていた理念がまったくなくなった。

子どもに絶対的価値観を提示できない。 生きるためのhowtoは教えることができても、 他に教えるようなものを自分が持っていない。 人間と人間、 人間と社会の倫理の大きな枠組みが、 私を含めて、 個人としても、 今の社会にはないのではないかと感じている。 家族の絆は薄くなり、 バラバラになっている。 また、 自分の自我を支えることが困難な状況が、 今だと思う。

☆ ☆

最後に聖心会のシスター森村信子が、 以下のように話した。

今、 女性として自覚をもって生きること

19世紀から20世紀にかけ、 日本で女性が参政権をもつ運動が始まった。 それがようやく20世紀後半になり、 男女差別のない社会をつくろうとしているが、 教会はそのような社会の中で、 別ものだといえない。

ヨハネ23世が、 第2バチカン公会議の最初に、 「アジョルナメント」 (今日化) という言葉をおっしゃった。 教会が社会の進歩にあわせていくということである。 今こそ、 女性という面で、 「今日化」 が必要である。 キリストが日本の社会に来られるならば、 きっと女性の側に立たれることだろう。

現在、 女性はまだまだ補助的な存在だと見られている。 女が女であってよい。 男でなくてよいという価値が認められなくてはならない。 女の意見が男の意見とは違う時、 女の意見が間違いなのではなく、 男の意見と対等な、 もう1つの意見と受け取られなければならない。

女の考え方は男とは違う。 それを確かめていかなければならない。 聖書解釈においてもそうである。 私たちは教会で司祭の説教を聞く。 時にはアレッと思うことがある。 その時、 女の考えを進めることができる。

聖書解釈の1例

例えば、 ルカのお告げの場面を例にとってご説明すれば、 よくおわかりいただけると思う。 ルカ1・以下である。

マリアはこの箇所で3度言葉を話す。 1・29、34 、38 である。 当時、 女は多くしゃべってはいけない時代であった。 だから、 ルカもマリアにしゃべらせていない。

まずマリアは天使のお告げを受け、 何のことかと考えこんだ。 多くのお告げの絵を見ると、 大天使ガブリエルは若い男性の姿で描かれている。

マリアはそういうことが何故私の身に?と問う。 つまり、 マリアは問う。 疑う。 当時、 女性が質問を差し挟むことはよくないとされていた。 これは社会通念とは違うと、 マリアは疑う。 これは私たちの鑑かがみである。

第2に、 天使がマリアの質問に説明をする。 これに対し、 マリアは言う。 「私は男性を知りませんのに……」 。 この意味するところは、 男性のパートナーシップの欠落した家庭を、 大天使が提示したことへの驚きを示したのである。 つまり、 大天使の勧めたのは母子家庭であった。 マリアはとまどっている。

3番目。 大天使は再び説明する。 これに対し、 マリアは 「私は主のはしためです。 ……」 と答える。 今までは、 このマリアの答えのみが強調されていた。 その前のマリアの問う姿勢、 考慮する姿勢について、 それほど男性である司祭は触れない。

しかし、 マリアは、 考え、 主体的に 「子どもを生もう」 と決断したのである。 母親になるかならないかの状況を判断するのは、 女性である。 マリアは考え、 質問し、 判断し、 決断した。

マリアは、 母子家庭になるという決断をしたのである。 そういう決断をしたマリアは、 男性の補助的存在ではなく、 1人の成熟した女性である。

☆ ☆

講師が補足説明した後、 ディスカッションに移り、 出席していた男性と女性から、 それぞれの立場での活発な討議が繰り広げられ、 「また、 このようなセミナーを」 という強い要望も出され、 閉会した。

新潟の思い出-新潟教区と東京教区の協力ー
安次嶺晴実神父

会うは別れの初めとか申しますが、 東京教区と新潟教区との協力の第1陣として過した新潟での2年間のお手伝いの時が終わろうとしています。 様々な出会いの中で、 心に残ったことをお話ししましょう。 まず、 私みたいな者を2年間も使って下さった新潟教区の司教様をはじめ、 司祭団の皆様に感謝いたします。 そして、 共に働き、 良き模範を示して下さった主任神父様にも感謝いたします。 さらに、 新潟教会の信者の皆様、 また、 私とかかわって下さった皆様に心から御礼を申し上げます。

新潟に来て何も分からない私を、 聖書の会、 要理、 病人の所と色々な面で使って下さり、 早く新潟になじむようにして下さったからです。 2年間は私にとって長いようで、 あっという間の時だったようです。 新潟に来て気候の違いに驚いている私に、 「新潟の冬は寒く風が強いのは普通だよ、 新潟市内にはあまり雪は積もらないけれどネ」 と言われました。 驚いたのは気候の違いばかりではありませんでした。 「間」 の違い、 時間の進み具合いが違うのです。 何かをやろうとする時、 東京と同じようにはなかなかいかないのです。

その土地、 その土地が持っている味みたいなものとでもいいますか、 じっくり確かめてからゆっくり始めるのです。 新潟に行く前から、 新潟の人は口が重いよ、 ぼくとつだよとは聞いていたのですが、 ……。 私の想像とは別に、 私の心を、 私の視野を広げてくれたようです。 共に歩むこととは、 自分のペースで歩むことではなく、 その人のペースで共に歩むことだと改めて確認することができました。

新潟の良さ、 それは、 魚のうまさ、 ご飯のおいしさ、 酒の種類、 味の豊かさに始まり、 人情の厚さだと思います。 初めはどんな人かなと見ていた人が、 いったんわかり合うと、 思いもよらないほど心にかけて色々として下さるのです。 聖書の勉強会や要理のクラスの人たちと車で出かけて行き、 自然の中での素晴らしい時を持ちました。 また家庭ミサやご聖体を持って病人の訪問をした時に、 新潟の昔の話しを聞かせていただきました。

今の時がいかに恵まれているかを聞きながら、 ことさらに、 私が新潟に来て、 より豊かにされたことを感じた2年間でした。

新潟の皆さま、 本当にありがとうございました。 皆さまのために、 神さまの恵みが豊かにありますように祈ります。 どうか、 これからの私のためにも、 お祈り下さい。

ありがとうございました。

アンケートの中間集計から関心の高さを示す数字
ナイス2東京準備会

第2回福音宣教推進全国会議の課題設定のために実施しているアンケート調査の2月末日現在の中間報告は次の通り。

☆ ☆

東京教区としてナイス2の課題案を策定するため1月27日から3月15日までの期間に実施しているアンケート調査には2月末日現在、 159通の回答が寄せられた。 その内訳を見ると男子信徒155通、 女子信徒431通、 男子修道者34通、 女子修道者271通、 司祭36通、 その他132通となっている。 〔注 その他は信徒、 修道者、 司祭の区分に記入しなかった者の数〕

未だ半月を残しているので、 最終的には、 1500通前後の回答が得られると予想される。 教会のアンケート調査で、 これほどのよい回答数が得られることはめずらしいことで、 ナイス2への関心の高さを物語っていると言えよう。

修道女パワーに注目

特に目立つのは、 修道女からの回答数である。 教区内におられる修道女数は、 約1800名であるから、 実に6人に1人の割りで回答が寄せられたことになる。 各修道院長の積極的協力の結果でもあろう。 修道女パワーが東京の教会の活性化には、 欠かすことのできないものであることを物語るものではないだろうか。

宣教・修道会司祭も燃えている

修道女の回答数比率には及ばないが、 修道・宣教会司祭の回答数比率も一割となっている。 特にイエズス会のように、 多数の司祭を抱えている修道会の協力が目立つ。 未だ教区司祭からの回答が数通なのに、 すでに30通もの回答が寄せられている。 修道・宣教会司祭が、 福音宣教の意欲に燃えていることを物語っていると言えよう。

柱に当たるものに集中

アンケート項目の、 123は、 ナイス1の柱に当たるものを提示したが、 回答数が、 この3つに多数集中したのは、 当然と言えよう。 因みにナイス1の柱と今回のアンケートの最初の3つの課題123と比較して見よう。

ナイス1の問題提起
開かれた教会づくり
柱1 日本の社会とともに歩む教会
柱2 生活を通して育てられる信仰
柱3 福音宣教をする小教区

今回のアンケートの課題項目では次のようにした。
1 社会とともに歩む家庭
2 家庭で育てられる信仰
3 家庭を支える教会共同体

福音宣教推進を目指すナイス2では、 ナイス1と全く同じように柱や課題の設定は難しいと思われるが、 開かれた教会づくりの目標は同じなので共通点も多いはずである。

弱い立場の人々とともに

別表をご覧になれば分かるように、 弱い立場の人々と痛みを分かち合いながら、 家庭の問題を考え、 子どものしつけ、 教育 (特に信仰教育) に力を入れ、 社会の福音化を目指したいとする希望の現れと言える。 先の3課題以外の100以上の回答数の課題を数え上げて見ると次のとおりである。

13 ひとり暮らしの老人
41 滞日外国人労働者
5 家庭でのしつけと教育
6 家族の思いやりと愛の実践
9 家族の交わりと祈り
12 子どもの信仰教育
27 高齢化社会と教会の対応
43 司祭の高齢化と信徒の役割となっている。

(塚本伊和男神父)

(中間報告2)第2回福音宣教推進全国会議の課題設定のためのアンケート集計
1992・2・29現在

  信徒 修道者 司祭 その他 合計
男子 女子 男子 女子

回答者数

155 431 34 271 36 132 1059

1.社会とともに歩む家庭

19 54 8 40 10 10 141
4.学校教育と近所づきあい 11 14 1 11 1 8 46
7.単身赴任者とその家族 1 9 2 8   2 22
10.障害者とともに歩む人々 11 45 4 5 3 6 74
13.ひとり暮しの老人 12 55 2 15   19 103
16.ねたきり老人と介護 5 36   10 1 13 65
19.離郷青少年と家族 2   8 8   1 19
22.登校拒否児(生徒)  9 19 1 17 2 12 60
25.非行青少年と家族 9 17 1 20   8 55
28.アルコール依存者と家族 3 4   2 1 3 13
31.薬物依存者と家族 1 2 1 1 1 1 7
34.残業 (働き過ぎ) 7 13 3 14 9 8 54
37.過労死と労災認定 6 10 1 2 3 4 26
41.滞日外国人労働者 16 51 10 48 9 18 152
               
2.家庭で育てられる信仰 60 172 7 117 14 37 407
5.家庭でのしつけと教育 23 70   43 4 31 171
8.病人とその家族 7 23 1 5 1 7 44
11.家庭での性教育 6 10   14 2 5 37
14.テレビの視聴指導 2 5 1     4 12
17.読書指導 3 12 2     1 18
20.家族の余暇利用 4 5 1 3   2 15
23.家族の健康 2 12   3   8 25
26.家族のスポーツ 3 3   1     7
29.育児ノイローゼ    8  1  1  1  2 13
32.受胎調節と罪意識  7 28 2 21 2 5 65
35.家計と家族の経済観念 2 5 1 3   2 13
38.住宅と心のゆとり 9 19 1 5   7 41
42.難民定住者との交わり 11 24 2 10   3 50
               
3.家庭を支える教会共同体

17

66

8

75

6

27

199

6.家族思いやりと愛の実践 16 70

4

25 3

22

140
9.家族の交わりと祈り 19 46

8

58 7

11

149
12.子どもの信仰教育 38 74

2

67 7

23

211
15.子どもの初聖体準備 4 5   2

 

  11
18.堅信を受ける準備 3 3   1  

1

8
21.教会学校と信徒の協力 8 18

1

9  

5

41
24.週休2日制と教会の対応 11 16   11 2

7

47
27.高齢化社会と教会の対応 30 96 2 44 2

19

193
30.信仰の危機と信徒の交わり 14 35 3 25 2

10

89
33.ターミナルケアと信仰 12 40 2 14  

 7

75
36.悩み・相談窓口と教会 8 36 6 11

7

59

40.出生率低下と聖職者不足

6 30  3 20

1

52

43.司祭の高齢化と信徒の役割

26 26 2 25

8

12
  463 1286 102 814 101 

375

3134

ズームアップ
三好満師

東京カリタスの家をご存じだろうか。 カテドラル構内に入って右側、 カトリックセンターの中にある。 地域に開かれ、 地域と結びついた福祉活動として、 今や地域からも高く評価されるようになっている。 このカリタスの家をこれまで育ててきたメンバーたちの中心にこの人がいる。 司祭叙階は1961年で、 司祭生活30年の大半を福祉関係の仕事に打ち込んできた。 弱い立場にある人々に徹底してかかわろうとする三好師の姿は、 現代に生きる司祭の1つのあり方を示すものである。

東京教区叙階式喜びにつつまれ
-五十嵐師とディン師-

東京教区の司祭叙階式が3月8日にカテドラルで行われた。 今年は新司祭が2人誕生するというので、 堂内は喜びに満ち溢れ、 神がこのように多くの働き手を送って下さったことに感謝しつつ、 新司祭の行く手に幸あれと感謝と祈りのうちに叙階式を終えた。 新司祭の横顔を紹介しよう。

洗礼者ヨハネ
五十嵐秀和新司祭
種まく人でありつづけたい

時計メーカーに勤務していた9年前、 大学生の頃から独学していた聖書の奥に書いてあるメッセージが知りたくて教会の門を叩いたのがきっかけで受洗。 神父から話しを聞くうちに、 自分がキリストのメッセージを伝える側になりたいと司祭職を志す。

町田教会で2年間修業に励んで、 「忍耐する勇気と変える勇気」 を学んだ。 叙階の抱負は、 「自分たちが救いのために作る共同体をキリストを求めてやってくる人が見て、 ああ、 やっぱりいいもんだなと感じられる共同体にしたい」 。 そして 「種まく人が種をまきに出て行った」 の言葉通りの司祭でありたいと語る。

昔はナナハン野郎だった!

穏やかな語り口の中にも、 きっぱりとした力強い決意が感じられ、 この1年でずいぶん成長しましたねと水を向けると、 人からも変わったと言われるらしい。 真面目でおっとりした感じに見えるが、 高校時代は750 (いわゆるナナハンというやつ) のバイクをぶっとばし、 大排気量の瞬発力に魅せられていたというから、 人はみかけによらない。 山登りや野球などスポーツもこなす。 37歳。 赴任地は松戸教会。

ヨゼフ
ゴ・クァン・ディン新司祭
教区2人目のベトナム人司祭

「神父になりたい」 という夢がかなうまで、 まさに苦難の道のりだった。 南ベトナムに生まれたディン神父は、 小神学校の時に、 侍者会で面倒をみてくれた神学生の姿にひかれて、 神父への道を志す。 しかし、 まもなく南ベトナムが陥落して小神学校は閉鎖、 やがて秘密の大神学校に通うようになるが、 これも摘発されて閉鎖。 このままでは神父の夢かなわずと、 ベトナムを脱出することを決意、 1981年に難民として単身で来日したこの若者の願いを、 神は聞き入れられた。 難民センターの粕谷神父の紹介で、 東京の神学校に入学することができたのだ。 こうして、 教区司祭としてはヒエン師に次いで2人目のベトナム人司祭が誕生した。

福音に忠実でありたい

抱負は、 「福音に忠実なふつうの司祭」 になること。 自分も神学生の人格にひかれて司祭を志したように、 人が信仰の道に入るのは、 聖書に直接触れるより具体的な目に見える証人やしるしを通して導かれることが多いとの信念から、 「福音を伝えたい。 でも自分はことばがヘタだから、 自分の労力で福音を伝えたい」 と熱っぽく語る。

趣味は多彩。 音楽、 読書からスポーツはサッカー、 テニスまでなんでもこなす。 31歳。 赴任地は西千葉教会。

シリーズ小教区報うらばなし (1)
千葉寺教会「シャローム」

環境を考えながら

世界消費者機構 (IOCU) の今年の会長さんは、 フィリピンの女性です。 先日、 来日した時のお話ですが、 なんと日本は豊かなのだろう、 紙も豊富だし、 と感嘆し、 次に羨ましく思いましたが、 次にむらむらと怒りがこみあげたと言われたそうです。 なぜか、 もうすでに皆さんもお気付きと思います。 紙の原料はフィリピンの木とは限りませんが、 日本の業者がフィリピンの木材を大量に買った為に山は禿げ、 貯水機能が失われ、 大洪水で人々が苦しんだのは、 つい先日の事でした。

だから日本でも、 学校や地域で古紙を集め、 市民の生活や活動にはリサイクル紙100%等が当然の事として使われてきています。 長い月日使うものなら、 しっかりした良質の紙は必要ですが、 読んでそれで終わるものなら、 安価な紙やリサイクル紙で充分間にあいます。 リサイクル紙もかなり安価になって来ています。 物をその場に合わせて使い、 活かし、 人の心もいかす教えを持つ禅や茶道は、 とても福音的に思います。

黄ばんでいても暖かく<

幸せな事に私の教会では、 約5年前に婦人達が教会報 「シャローム」 を発行し始めた時から適当な紙を使っていてくれましたので、 その後、 教会委員会の広報部として引き継がれても、 係の方が、 安価で、 印刷にもよく、 新聞として適当な紙を購入して下さっていますので、 強いてリサイクル紙をと言いませんでした。 B4版で2枚、 表裏に自分達で印刷するB5版8頁の広報でワープロでまとめています。 ちょっと茶色がかっていますが、 かえって暖かい感じです。

私が教会外の仲間達と作っている広報は、 リサイクル紙の表裏を使い、 写真もきれいです。 これは印刷所に頼みましたが、 機械に合えば表裏とも自分で印刷できます。 白くを望むあまり、 猛毒のダイオキシンや毒物を子孫に残すなんて愚かな事です。

皆の物であるように!

始めの頃、 編集会議もあったのですが、 時間がとれず、 口頭で意見を聞く有様でした。 それで委員長や各係の報告とかが重点になりましたが、 社会の動きに対応するカトリックの立場を資料等でその都度のせました。 例えば教皇様やアメリカ司教団の反戦の様子、 日本国憲法前文や九条、 大賞祭への司教団メッセージ等でした。 また電話で話を聞き、 文章にした事もありましたが、 皆さん気楽に書いて下さいました。 言論の自由や霊性も大切にしましたが、 特に心がけたのは皆に役立つものであるようにという事です。 私の平和への願いが強く出た点は減点になりますかどうか、 さて、 評価は何と出ますやら…。

(津川タキ子)

1992年度信徒使徒職委員会全国大会開かれる!

各教区を代表する教区常任委員の参加を目的に毎春開かれる全国常任委員会、 ならびに主に開催地へのサービスの場となる講演会と分団会から成る全国大会が、 2月15・16日の両日、 長崎市浦上のカトリックセンターで開催された。

これは日本カトリック司教協議会傘下の宣教司教委員会の1つ、 信徒使徒職委員会 (委員長島本長崎大司教) が主催するもので、 東京教区からは現教区常任委員の伊藤雅子氏が都合がつかないため前任の村岡昌和氏が代理出席した。 ちなみに当教区の場合、 教区常任委員は宣教司牧評議委会員から選任されている。

全国常任委員会は15日午後、 教区およびスタッフの常任委員21名にオブザーバー6名を加えて開かれ、 島本大司教の挨拶の後、 初めに各教区の信徒使徒職活動状況の報告、 続いて来たる8月21日からの常任委員研修会の課題とリーダー役の分担、 同24日から1週間ソウル郊外で開かれる第3回東アジア信徒交流会 (日本・台湾・韓国・香港・マカオ) への出席者の選定、 そして次回全国大会の開催地の選択が審議されたが、 あとの2件は難航し、 引続き早急に推薦を集めることになった。

16日は朝からホールにおいて島本大司教による基調講演 「時代の流れと女性の使命」 が行われた。 内容は、 ナイス1での提案の1つ女性の責任ある教会参加と現教皇書簡 「女性の尊厳と使命」 をうけ、 師独自の豊かな肉付けによる男性主導型の物質・強者支配・自然破壊的な現代文明の危機を指摘、 いまこそ女性の特性を生かした社会への 「共同参画」 、 つまり従来の男性社会への単なる女性進出 (男性模倣) ではなく 「命に対する深い関心」 「宗教心」 「感受性」 「思いやり」 「他者の尊重」 等を公的社会生活にも広く、 深く浸透させなければならない事をわかりやすく解説、 離島からも駆けつける約350名の聴衆を感銘させた。 その後、 昼食をはさんで約250名が20グループに分かれ、 基調講演をもとに 「家庭」 について分かち合い (分団会) が行われた。参加者の大半が長崎教区の婦人。 1つのグループを傍聴したところ司会者不要とばかり話が盛り上がっており、 使徒職への理解と夫婦の関わりは深いが生活面からはどちらかと言えば夫大事、 漁業のウエイトが高く、 子どもの養育では離島部と都市部で大きく視点の違いが見られるなど地域の特性と、 これからのナイス2への期待が肌に感じられる対話集会だった。

分団会の後、 島本大司教はじめ参加司祭合同司式のミサに与り勇気づけられながら散会した。 説教はこの日の福音 「山上の垂訓」 の一節心貧しき者すなわち神の御心を知り働く者こそ広く人々に慕われる…と言う内容だった。

ネットワークを生かそう教会の中で
晴佐久師の呼びかけで研究会

2月23日 (日) 午後5時から8時半まで、 高円寺教会で第1回ネットワーク研究会が行われた。 晴佐久昌英師の呼びかけに、 東京教区と横浜教区の青年たちを中心に、 関心ある人々が10人集まり、 ネットワークとは何か、 教会におけるネットワークの意味など、 互いに意見交換をしたり、 今後この研究会をどのようなものにしていきたいかなどについて熱心に話し合った。

教会の中は、 色々な教会が、 それぞれに大変よい活動をしている。 しかし、 それを隣の教会の人は知らない。 そのために、 多くの教会で同じような活動をバラバラにしている。 ネットワークを互いに結び、 協力しあうと、 多くの無駄もはぶけ、 さらに目的にかなった活動が効果的に展開できるのではないか。 これからの教会は、 ネットワークについて知り、 学び、 実際にネットワークを結んでいく必要がある。

教会には、 伝えたい内容について研究する人々は大勢おり、 大変貴重なよい研究をされているが、 それを伝えることについては、 弱い点がある。 各信徒がネットワークをつくることにより、 効果的な宣教活動ができるのではないか。 そのために、 どのようにネットワーキングしていったらよいだろうか。

社会の企業はネットワークを結ぶために、 色々の働きをしているが、 人を救う大切な働きをしている宗教者同士のネットワーク、 特に青年宗教者のネットワークは、 あまりできていないのではないだろうか。 教会と社会も、 つながっていないのではないか。 ネットワークの神学があってもいいのではないか。 教会の中で、 このネットワークが生かされると、 教会も現実的に変わっていく。 みなそれぞれにネットワークを持っているのだが、 各自がそれを意識していない。 それを意識化する必要がある。

参加者各自がネットワークという言葉で意図していることは情報ネットワークからヒューマン・ネットワーク、 実践的ネットワーク論までさまざまで、 今後、 参加者各自で考え、 研究し行動したことなどを2、 3か月に1度の割合で持ち寄り、 深めていこうということを話し合い、 今後の研究会に期待をかけつつ散会した。

「みのるか」 が青少年の手をつなぐ
-青年ネットワークの広報-

青年ネットワーク事務局の広報関係について紹介・宣伝させていただきます。

情報交換誌 『みのるか』

これは青年ネットワーク事務局から発行している情報交換誌です。 90年7月31日、 『BULLETIN』 として創刊以来、 隔月で発行してきましたが、 4号から 『みのるか』 に改名。 去年12月から新しい編集スタッフが結成され、 今年1月から月刊化しました。

教区内の青少年をつなぐ手段として、 様々な活動についての報告・説明や広告など情報交換の場となり、 他教区からの情報も掲載し、 広くネットワーキングしていくために役立てられることを願っています。

『すくらんぶる』 青年のページ

教区の広報委員会の編集のもとに発行されている情報誌
すくらんぶる」 から、 4ページいただき、 10号から掲載されています。 「みのるか」 ではその性質上、 おもな対象が青年層ということもあり、 教区内の様々な世代の方々に広く青年ネットワークについて知り、 理解していただくためには限界がありました。

「すくらんぶる」 青年のページはこの意味で、 世代を越え様々な方々に、 青年ネットワークについて理解していただくため、 またネットワークを活用していただくために開かれた良い機会と感謝しています。 八ページといえば、 「すくらんぶる」 の全体のページ数の8分の1を占める量です。 私達には分不相応ともいえる量の多さと感じてしまう面もありますが、 このチャンスを有効に利用させていただき、 多くの方々にネットワークの動きを常に伝え続けられたらと願っています。

教会・修道院巡り (15)
『フランシスコ会』

フランシスコ会が東京に初めてやってきたのは、 東京がまだ江戸と呼ばれたころ、 それも家康の時代であった。 1599年の5月の終わりに、 ポルトガル人宣教師ヘロニモ・デ・ヘスス師は家康から許可を得、 京橋の一角、 あるいは八丁堀の近くにロザリオの元后にささげられた小聖堂を建築したのが、 最初のものである。 この小聖堂はさらに発展して1603年には修道院と病院を付属したものに発展した。 この修道院は関東では最初のものであった。 最初の修道院院長はスペイン人ホアン・デ・マドリッド師とされている。 この修道院を中心に、 浅草にライ病院、 牛込の信者の世話、 その他茨城県の宍戸 (現在の友部町) に小聖堂を作ったりして、 宣教・司牧活動に従事した。 この時期のフランシスコ会宣教の特徴は病院を建設し、 信者・未信者を問わず医療活動に従事したことがあげられる。 その後慶長使節のコーディネーターとして知られるルイス・ソテロ師が1610年の終わり頃、 江戸にやってきて宣教の指導をした。 しかし、 江戸の修道院は徳川幕府のキリシタン禁令により、 1612年の春には (おそらく四旬節の期間) ロザリオの元后にささげられた教会、 修道院そして病院が破壊され、 公的な活動をやめざるを得なくなってしまった。

宣教にとって長い冬の時代を経て、 フランシスコ会士は1907年に日本に戻ってきた。 1928年になると、 東京大司教シャンボン師がフランシスコ会総会長に東京に修道院を開くように要請した。 1930年に東京にカナダ管区のジャン・ジョゼフ・デギール師が派遣され、 2年後の32年に田園調布にアシジの聖フランシスコを保護者とする修道院を建て、 再びフランシスコ会は東京に戻ってきた。 40年、 戦争中、 田園調布に修練院が設けられたが、 戦後北浦和の修道院に移された。 戦争中の苦難を経て、 戦後の東京にさらに4つの修道院ができた。 それは1951年の六本木、 52年の三軒茶屋、 瀬田、 53年の板橋の各修道院である。 このうち田園調布、 三軒茶屋、 板橋の各修道院は小教区を持ち、 宣教司牧活動の拠点として活動している。 六本木の聖ヨゼフ修道院はチャペルセンターで、 外国人の司牧宣教のために外国語のミサも活発に行っている。 瀬田の聖アントニオ修道院には1954年に神学校、 56年に聖書研究所が設立され、 司祭の養成とフランシスコ会訳で知られる聖書の翻訳に従事している。 また、 図書館も充実しており、 特にフランシスコ会関係の文献を中心に所蔵し、 研究機関、 研究者などの問い合わせも多い。

ある家庭
7人の子どもの母として妻として

今回は関口教会の信徒として、 また教区の種々の活動に陰になり日向になり協力する婦人の1人・安藤昭子さんをご紹介したい。

安藤さんのご家族は、 全員信者。 家族構成は、 医学博士のご主人、 幼稚園副園長の昭子さんと7人のお子さんたちの9人家族である。

簡単なQ&Aをお願いした。

信者になられたのは?

主人が信者で、 結婚するには信者になってほしい、 ということで洗礼を受けました。

では、 大いばりで教会活動に参加できますね?

そうなんです。 私が家にいないことを主人が不満そうに言った時、 洗礼を勧めたのはあなたでしょと言うと、 主人はもう何にも言えなくなるんですよ。

子育ては大変だったでしょ?

7人の子どもを育てながら、 私には育てたという意識より、 子どもに育てられたという思いがありますね。

といいますのは?

私は24歳で結婚し、 昭和41年に第1子が生まれ、 それから毎年のように昭和54年までの13年間に、 第7子が生まれるまで、 背中に子どもを背負い、 両手に子どもの手をひいて一生懸命過ごしてきました。 しかし、 なぜ私ばかりがこんなことをしなければならないのか、 勉強をしたいのにといつも不満に思っていました。 6年間ドクターコースに在籍していましたが、 論文が書けなかったという不満が根底にあったのですね。

私は戦後教育の申し子のような者で、 昭和22年に小学校に入学しました。 男女同権の時代を生きてきたといってもいいと思います。 しかし、 母は明治の女性で、 自分は女だったから学校に行けなかったけれども、 あなたは行きたいのなら大学でも、 大学院でも行きなさいと言ってくれまして、 大学に行き、 大学院へ行きました。

大学院で修士を取った後、 結婚したのですが、 主人とけんかしつつ子育てをしてきました。

現在24歳になる長男が、 ある時、 「今の母親みたいな女性に出会ったとしても、 おれはほれないよ」 と言いました。 この息子の言葉にハッとしました。 私も勉強できないとか我慢していましたが、 主人のほうはもっと我慢していたのではないかと気づいたのです。 今、 男の子たちは、 父親の立場を非常によく理解していて、 私より、 父親の味方につきますよ。

それから決定的に私の目が開けたのは、 子どもたちが 「自分たちを育てたことを、 母親は後悔しているのか」 と私に聞いたことです。 そして、 「後悔しているのなら、 今から論文を書けばいいじゃあないか」 と言われました。 私はその時、 「もちろん、 後悔していないわよ」 と答えましたが、 子どもたちにも私の抱いていた不満が感じられていたのだなと反省しました。 この意味で、 私は子どもに育てられたと思っています。

お子さんの言葉で教えられたということですねそうですね。

今までは、 子育てや家事仕事で、 「○○ができないのではないか」 という恐れが前面に出ていたと思います。 こういう自分を、 子どもたちの言葉で見直すことができたのです。 自分も子どもも教会に行く時、 主人は家にいることになります。 ご主人が信者でない方の苦労に比べれば、 たいしたことはないのかもしれませんが、 育児もある、 学校でも教えなければならない、 教会にも行くで、 大変な生活でした。 当時の私は人を思いやることが欠けていたのだと思います。 そして、 私の意識が変わった時、 主人も変わりました。

大変うらやましいご家族ですね。

もし、 そのように見えるのなら、 子どもや主人から教えられ私が変わることができたからだと思います。 7人の子どもたちも、 大きい子どもが小さい子の面倒をみるというようにして、 母親を助けてくれました。

今は社会人の娘、 医者になろうと勉強している息子、 大学生の娘たち、 浪人中の息子、 高校生、 中学生の娘たちがのびのびと育ってくれたことは、 神さまに大変感謝しています。

今日は、 本当にありがとうございました。

お知らせ

生涯養成に関する企画

★祈りの国

テーマ:自分を許すこと
日時:4月7日10時~14時
午前:祈りとミサ
午後:聖体礼拝
指導:ペトロ神父
対象:どなたでも
会場:カトリック松原教会
会費:自由献金
持参品:聖書、昼食

★聖書深読黙想会

指導:奥村神父 星野神学生
場所:カルメル会上野毛黙想の家
日時:4月22日~26日 (夕食から翌日午後4時迄) 5月30日~31日 (右に同じ)
連絡:吉田敦子3721-2472

★四旬節黙想会 (信徒のため)

指導:チプリアノ・ボンタッキオ神父
場所:上野毛黙想の家
期間:4月3日 (金) ~5日 (日) 午後4時
会費:9000円

★祈りの集い

指導:リーゼンフーバー神父
場所:S. J. ハウス 第5応接室
日時:4月11日、 5月23日午後1時30分~4時
講話、 黙想、 ミサ

★みことばと私たち

日時:4月25日 (1回目)
5月16日 (2回目)
1回目:分かち合い
2回目:並木師と勉強会
問い合わせ:礼拝会 喜多見修道院 Sr.塩満 3489-1974
礼拝会 練馬修道院 Sr.たにがいち 5393-5530

★1日黙想会

指導:バレンタイン神父
場所:聖イグナチオ教会
日時:4月10日 (金) 9時30分~16時30分
定員:60名
会費:1000円
申込み:援助修道会Sr. 藤本3269-3295

★第5回黙想会と聖体賛美式

日時:4月4日4日15時30分~17時30分
指導司祭:来住師 (御受難会)
参加費:500円
場所:カトリック神田教会03-3291-0861

★上智大学神学講座

日時:前期4月13日~7月24日
毎週月・水・金曜日
第1講義17時30分~18時15分
第2講義18時25分~20時
講座内容:マルコ福音書・パウロの書簡知恵文学入門・キリスト教会史1・諸宗教の神学・日本教会史
諸費用:登録料2000円 (登録時)
聴講料:45分授業1科目3000円
90分授業1科目6000円
問い合わせ:上智大学コミュニティー・カレッジ03-3238-3551

★ 「キリスト者の社会問題」 セミナー

カトリックの社会教説 (回勅・司教団文書・公会議文書) を学習する連続セミナー
日時:1992年4月~1993年3月
毎月第2土曜日 (月のみ第3) 午後1時30分~4時30分
場所:イエズス会司牧センター
会費:年間5000円
定員:30名
申込:電話で3359-7655
締切:3月23日 (月)

婦人の一泊黙想会のご案内

毎日の忙しさに追われている私たち、 静かな時の中で、 じっくり神様と出会うひとときをつくりました。 この機会にぜひご参加下さい。

日時:5月9日 (土)14 時~5月10日 (日)15時
場所:イエズス会黙想の家
〒177東京都練馬区石神井4-32-11 ℡03-3920-1158
指導:シスター今道瑶子 (聖パウロ女子修道会会員)
対象:婦人 (カトリック信徒)
参加費:1人5500円
定員:33人 (定員になり次第締切らせていただきます。 )
〆切り:4月28日
申し込み方法:電話又ははがきでお申し込み下さい。
申し込み先:〒107東京都港区赤坂8-12-42 ℡03-3479-3941
聖パウロ女子修道会シスター長坂潔子
持参するもの:聖書、 洗面用具

インドシナ、 アフガン、 イラン難民援助チャリティコンサート

菅原やすのり
世界の心の歌

When a child is born
男達の歌
早春賦・他

場所:杉並公会堂
日時:1992年4月26日 (日) 5:00PM
開演 (4:00PM.開場)
入場料:4500円
チケットのお求めは:カトリック吉祥寺教会難民援助後援会 0422-21-1323 (角)
菅原やすのりチャリティコンサート係 03-3761-6999
主催:カトリック吉祥寺教会難民援助後援会
後援:カトリック東京教区大司教・白柳誠一、
同補佐司教・森一弘
カトリック東京教区、 難民定住委員会司祭・寺西英夫

編集部から

◆第90号訂正とお詫び4頁上智大学神学講座山本義治↓山本襄治関係者と読者の皆様にご迷惑をおかけいたしました。

◆東京近郊の自宅から通っている職場の同僚が 「今朝は、 美しい声で鳴いたのよ」 と弟か妹の成長を喜んでいるように話すのは、 庭の 鶯うぐいす のこと。 3月に入ってから幾度もリハーサルしていたとか。 春本番のあたたかなニュースです。 東京教区も修道会、 教区と叙階式が続き、 明るい陽射しがみなぎっているようです。 さて、 社会、 教会、 家庭の生活状況から現れたアンケート中間報告等々いかがでしたか。

◆読者の皆様、 2面、 カテドラル家の2月1日雪の日のスナップ写真は、 信徒の方が届けて下さったのですが、 ほのぼのと楽しいと思いませんか。 皆様のご家庭で、 又教会での交わりの中で、 是非これも教区ニュースに載せて、 という写真、 話し等ありましたら、 編集部まで、 お寄せ下さい。