東京教区ニュース第87号

1991年11月01日

インターナショナルデーは教会の未来を指し示す灯台
28ヶ国の人々が集う

東京大司教区にとり9月は”百周年”月。大人も子供の男性も女性も、神と、修道者、司祭、司教もすべて燃えに燃えた。東京大司教区の先人たちと、殉教者の信仰を知り、感謝し、現在の教区の状況を確認し、希望に開かれた明日に向かう決意をした。

9月8日からの「東京大司教館所蔵資料及び遺物展」、16日遠藤周作氏による講演、15,16日の青年祭「教会博覧会’91」、13日子供の集い、27日「修道会宣教会、きのうきょうあした」28日国際シンポジウム等の行事が各地で行われた。

23日のインターナショナル・デーには、28ヶ国2,500人の人々が集い、ミサを中心に同じ信仰をもつ者ももたない者も、1日を神と人々と過ごす楽しさ、快さを味わった。

最終日29日は、東京大司教区創立百周年記念ミサ、新潟司教・佐藤敬一司教が百周年というこの大きな恵みにこたえるようにと信徒にうながした。さらに19日に行われたパリ外国宣教会総長・べスロン神父の説教も収録した。もう一度皆で記憶と感激を新たにしよう。

白柳誠一大司教説教

キリストにおいて兄弟姉妹である皆様、 このインターナショナル・デーを皆様と共に祝うことは私にとって特別な喜びです。実に今日は、 東京教区創立百周年の最後を飾る特別な1週間の始まりなのです。

昨年のこの頃、 「感謝の心を持って過去を反省し、 現在私達のかかわっていることを吟味し、 未来に備える」 というモットーのもとに百周年の祝いを始めたのでした。 今日の御ミサの第1の聖書朗読では、 申命記10章の神の特別ないましめを聞きました。 「あなたたちは寄留者を愛し、 食物と衣服を与えなさい。 あなたたちもかつてエジプトの国で寄留者であった。 神のまなざしの中で、 孤児と寡婦と寄留者は、 神の愛と保護を特別に受ける人達なのです。 どんな社会にあっても、 これらの人々に対して正しい社会であるならその社会全体も又正しいものとなり、 これらの人々が不幸で差別されているなら、 その社会自体が誰にとっても不幸なものである」 という旧約の神の教えは、 私達の現代社会にとっても真実であると思います。 ですから私達の教会に於いて、 皆様は優先的な位置と意味をもつのです。 事実、 今日私達の世界に起る急速で根本的な社会変動の為に世界中にかつて歴史に例のない大規模な民族移動が起きています。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、 全世界の司教に対して教会がこれらの人々に対して特別な配慮をするように呼びかけておられます。 神のいましめは明確で、 寄留者に食物と衣服を与え、 これら兄弟姉妹の人間としての権利を守るように命じています。 ですから私の司牧的な必要のみではなく、 彼等の社会的必要や人間としての必要にできるだけ応えるように配慮せねばなりません。

すでに全国的にもこの教区内においても、 この人々の多様な必要に応えるべく多くの人々がグループを作って一生懸命活動されていることを私はよく知っております。

しかし残念ながら、 日本の社会と大多数の人々は、 多くの外国人を受けいれる姿勢を持っていないのも事実でするカトリックの教会自身さえも、 この新たな課題にどう答えていいかとまどっている状態です。

私達東京大司教区もこの課題を真剣に受けとめようとしています。 このような状況で、 教区創立百周年を祝うにあたって、 このインターナショナル・デーは、 教区の未来の方向を指し示す灯台に似ています。 過ぎ去った百周年を振り返ってみるとき、 産ぶ声をあげた東京教区の歩みの中で何よりも顕著なことは、 ヨーロッパのカトリック教会から与えられた強く絶えまない支援です。 彼等は宣教師、 修道者、 修道女、 信徒を派遣し、 資金をもって土地を買い、 教会や病院、 学校施設を作ってくれたのですが、 それは今日でも私達の有する貴重な財産となっているのです。 現在私達がやっていることは過去に東京教区に贈られた人材財政援助にくらべるべくもないものですが、 私達はこの過去の遺産の事実を深く心に根ざして将来への歩みを導びくビジョンとしたいものです。 「あなたたちはかつてエジプトで寄留者として生きたのだから、 今あなたたちの中にいる寄留者を大切にしなさい」 という重要ないましめを神はその民イスラエルに残されたのです。 神の民にとってエジプトの地での体験とそこからの解放はもっとも根本的な共通体験なのでした。

東京大司教区にとって、 私自身にとっても、 教区の司祭、 修道者、 修道女、 そして信徒にとっても、 かつてヨーロッパのキリスト者から贈られた神の豊かな賜物の体験こそ、 全世界から特にアジアからやってきている皆様に対する私達の祈りと活動をうながすもっとも基本的な体験とならねばなりません。

今日をもって終る百周年の祝いが私達の教区の明日につづく具体的な道を開くように期待しています。 カトリック東京国際センターは、 私達の過去の歴史に基づく発想からうまれたひとつの実りです。 私はこの小さな企画がキリストに於いて兄弟姉妹である皆様、 更に教会の内外で皆様とともに働く多くのボランティアの方々にとって、 私達の現代社会に於いて真の希望のしるしとなるあらゆる努力をするひとつの機会を提供する場となりますように祈ります。 この思いを胸に 「私があなたたちを愛したように、 あなたたちも互いに愛しあいなさい」 と命じられた父なる神に祈りましょう。
(この説教は英語でなされ、 深水神父が翻訳した)

感謝の祭儀説教大きな愛にこたえて
佐藤敬一司教 (新潟教区長)

白柳大司教様、 森司教様をはじめ東京教区の皆様方に教区創設百周年を心よりお喜び申し上げます。 新潟教区は東京教区からたくさんの援助をいただいております。

今日のごミサの方針 「過去に感謝し、 今を確認し明日に向かう」 にヒントをいただいて、 東京教区に対する期待、 私が期待していることをお話しさせていただきます。

何をやらせても1番、 決して弱みを見せない優等生というのは、 周りにとって迷惑なものです。 そばに立つだけで劣等感に襲われます。 優秀ではあっても弱さを隠さない人、 ときどき失敗して、 頭を掻きながらニヤニヤしていられる人というのは慕われます。 東京教区には日本の中心教区として、 立派な教区になっていただかなければなりません。 しかし、 立派さだけが目につく教区ではなく、 計画がうまく進まないこともあるでしょう。 失敗することもあるでしょう。 そういうときも明るさや喜びのなくならない教区であっていただきたい、 そんなことを期待しています。

これは私の勝手な期待だけではないでしょう。 「その日には喜び踊れ」、 イエス様のお言葉です。 「その日」 とはどういう日のことか。 「貧しさや飢えに泣かずにはいられないとき、 罵られ、 憎まれ、 追い出され、 あなたがたの名が、 汚らわしいものとして葬りさられるとき、 あなたがたは幸いである。 その日には喜び踊れ」 、 楽しいときは1つもない。 苦しい、 辛い日ばかりです。 困難、 逆境は悲愴な顔をしても、 歯を食いしばっても、 我慢すればよいのではありません。 弱い人間ですから、 神様も大目に見てくださるでしょうが、 それでは足りないということです。 「その日には喜び踊れ」。

パウロも同じことを言っています。 「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。 これこそ、 イエス・キリストにおいて、 神があなたがたに望んでおられることです」 「いつも、 どんなことにも」 と言っても、 嬉しいとき、 うまくいっているときに喜ぶのは当たり前、 犬だってしっぽを振ります。 苦しいとき辛いとき、 うまく行かないとき、 失敗したときにこそ喜ばなければ、 感謝しなければならないということです。

神様は何故こんなことを私たちに望まれるのでしょうか。 先程お聞きになった福音でイエス様は言われました。 「この聖書の言葉は、 今日、 あなたがたが耳にしたとき、 実現した」、 私たちの想像を絶する神様の愛の注がれる日、 それがついにやって来たという宣言です。 ですから神様の愛はイエス様が教えて下さった通りに信じなければなりません。 放蕩息子のお父さんは、 帰って来た息子に謝りの言葉も言わせない、 たしなめも諭しもしない、 もちろん償いも命じない、 無条件で迎え入れます。 ところが人間は、 この愛を勝手にどんどん縮小し、 削って削って、 小さな愛に変えて信じようとします。 私たちの考えていた神様の姿は、 放蕩息子のたとえの兄さんの中にあったのではないでしょうか。 「いくら弟でも、 改心し、 償いをし、 家のために少しは働いて真人間になったことを証明しなければならない。 家に入れるのはそれからだ」 と。 イエス様は罪人や徴税人を、 回心もざんげも償いも待たずに赦されました。 十字架につけられた盗賊の1人は、 最後にイエス様のあわれみにすがって救われました。 それほどの愛をいただいたからこそ、 私たちもお応えしなければなりません。 でも、 神様のあわれみにすがる者に、 落ちこぼれなんか決してないのです。 うまくいかなくたって、 失敗したって、 明るく生きるのは当然でしょう。 ところがこういう訓練、 私たちにはできていないんですね。 神父さんたちの車に乗せてもらうとき、 ときどき私と同じだなと顔を見つめてしまいます。 信号が黄色の間に交差点を通り抜けたときには嬉しそうな顔をしています。 バック・ミラーで後の車が止められているのを見ると、 なお嬉しそう。 ところが反対に、 前の車は黄色のうちに通り抜ける、 自分は赤で止まらなければならない、 そういうときの顔はひどいです。 苦い顔をして出てくる言葉も大体決まっています、 「ちくしょう」。 どうしてあの時、 「神に感謝」 という言葉が出ないのでしょうか。 皆さんはどうでしょう。 急いで出掛けなければならない時にお客が来る、 困ったという顔をするから、 いつまでも粘られるのです。 ニコッと笑って 「神に感謝」 と言って下さい。 すぐ帰ります。

神様のお望みに応えることは決して小さいことではありません。 第1の朗読でネヘミヤの言葉を聞きました。 「悲しんではならない。 主を喜び祝うことこそ、 あなた達の力の源である」 こういう努力こそ、 福音宣教の力になるのではないでしょうか。 悲愴な顔をして、 歯を食いしばっていたのでは、 誰も寄り付きません。

東京教区には、 どんなときにもますます明るい喜びの消えることのない教区であっていただきたい、 私の勝手な期待であります。 本日は本当におめでとうございます。

時のしるしを読み取り未来に向かって大胆に前進する教会を
パリ外国宣教会総長ベスロン神父の説教

去る9月19日、 百周年記念に招いたパリミッション会総長ベスロン師を中心に、 司祭評議会のメンバーと各地で宣教司牧するパリミッション会司祭と共同ミサを捧げた。 その時、 ベスロン師は、 次のような説教をされた。

東京教区創立百周年を記念する行事にお招きを頂き、 皆様とご一緒にミサを捧げることができますことは、 私にとって大きな喜びであります。

ご列席の皆様の中には、 独立した教区として東京教区が誕生するまでの詳しいいきさつをご存じの方が少ないと思います。 ミッション会の年報や記録などは、 いかにかっての宣教師たちが多くの困難に出会い、 多くの試練を耐え忍んだかを物語っています。 先輩たちが積みました功徳を想起しながら、 私もミッション会の会員のひとりとして、 彼らが残した業績に1種の誇りの念を抱いていることも事実です。

この100年の間、 困難な時期もありましたが、 教区は確かに目覚しい発展を遂げてきました。 創立当時の宣教師たちが、 もし再びこの世に生まれることが出き、 今の東京にたち戻るならば、 現在の教区のありさまを見て、 驚嘆するに違いありません。 彼らの蒔いた種が日本の土に根をおろし、 成長し、 大木になりました。 この出来ばえを誇らしく思うのも当然なことです。

しかし、 キリスト教的な祝祭にふさわしい本筋の純粋な歓喜からそれたくないものです。 私たちが喜ぶべき真の理由は、 目に見える成功にあるのではなく、 福音の宝を他の人々に分かち与えるという偉大な使命を戴いているということにあります。 自分の欠点やいたらなさにもかかわらず、 神様がこのつまらない私を、 ご自身の使者として、 証人として選んで下さったことを自慢してよいと思いますし、 またそこに私たちの喜びの原因があるのです。

教区の設立は、 即ち、 直接教皇から任命された教区長にある地域の信徒を司牧する責任を委託するという行政上の措置ですが、 しかし、 それは、 教会内の信者同志の内輪だけの出来事ではありません。 何よりもまず教区の信者すべてが共同体として福音宣教をする使命が与えられるということであります。

福音宣教が、 具体的に何を意味するかということよりも、 私たち各自が共同体の一員としてゆるしを頂き、 キリストの友人、 キリストの協力者として召されたことの自覚を新たにしなければならないと思います。 そしてその使命を与えられたことに伴う喜びを味わい、 この喜びを証しするよう志して生きることです。

昔の宣教師を支え、 彼らの熱意を養っていたのは、 自分がキリストの愛に包まれて生きているという確信からわき出る喜びでした。 「平和の福音をのべ伝える人は幸いである」 という聖書の幸いを体験していたのです。

この記念祭にあたり、 宣教についての複雑な論争を始める前に、 私たちも、 何よりもまず 「主において常に喜べ。 何ごとにも心配するな。 主は近い」 というパウロの呼びかけに、 耳を傾け、 噛みしめてみようではありませんか。

今私たちは、 丹下健三先生が設計した東京の近代建築の代表作ともいうべき大聖堂に集まっております。 私は、 この大聖堂を一種の象徴と認めたいと思います。 東京の空にそびえるこの屋根を、 日本の教会が初期キリスト教や西欧の伝統を受け継ぎながら、 本当に日本に根づいたことのしるしとしてみることができます。 同時代の人々と歩もうとする日本の教会が、 斬新な試みを恐れずに、 今の世代の期待や美への憧れを分かち合おうと覚悟している表れと受け取ることができます。

東京教区の教会が、 過去の遺産を大事にしながら、 現代人の希望や探求をすべて抱擁し、 自分のものとする教会であってほしいと願います。 東京教区の信者の皆さんが力を合わせて、 ますます時のしるしを読み取り、 未来に向かって大胆に前進する教会を築いていかれますよう切望致します。

記念事業行事 報告・総括

東京大司教館所蔵資料及び遺物展

「百周年に1度の事だし、 なにしろ初めてなので、 どうなることか全く見当もつかないよ。」 これは、 ワーキング・グループの面々が行事を企画する際の口癖である。 実際のところ、 全くその通りで、 特に今回の展示会については、 かなり気をもんだものだった。 なにしろ展示期間に予定した9月には、 教区の百周年関係の諸々の行事が、 カテドラル構内で目白押しの有り様だったのだから。 展示会をやりたくても、 カテドラル構内に4週間連続して借りられる場所がない。 この問題をどうクリアーするかから始めなければならなかった。

紆余曲折の末、 大司教の英断で、 司祭の家の地下書庫が借りられることとなったのは、 展示初日の1週間前だった。 膨大な数の書籍の移動から我々の準備は始まった。 悪戦苦闘の末、 準備が完了したのは、 前日の夜10時をまわった頃だった。

さていよいよ初日を迎えた我々の次なる課題は、 いかにして集客数を稼ぐかである。 期間中の各主日には、 大聖堂で華々しい各種の行事が続く。 それに引きかえ 「資料及び遺物展」 というのは、 いささか地味で堅い嫌いがある。 裏番組ならぬ華々しい 「裏行事」 に我々の展示会は、 はたして対抗できるのだろうか。

しかし心配は杞憂に終わった。 結果的には、 最終日などは展示場の外に長蛇の列ができた。 考えてみれば、 陳列された展示物はただの物体ではなかった。 それら展示物の背後には、 隠れキリシタンの人々の、 コルベ神父の、 マレラ枢機卿の、 聖ザベリオの、 そして諸聖人を始めとする様々な人々の強い信仰を貫かれた強烈な生きざまがあったのだから。 それに気づかぬ自分の不信心を反省するばかりであった。 (岡田昭夫)

修道会宣教会 きのう きょう あした

これまでにない大型台風がやってくるというので、 気がかりだった雨の心配もどうやらその難をのがれ、 当日は大勢の方が会場に足を運んでくださいました。

第1部シンポジウムでは、 800人を収容できる上智大学10号館がほぼ満席。 ロビーには教区における修道会・宣教会の活動が一望できるパネルが展示されていました。

「日本の社会の中で教区の百年の歴史を思うとき、 修道会・宣教会の動きなくしては今日の教会はありえないというほどその役割は大きい。 しかし今日その修道会・宣教会が高齢化と召命の減少という新たな問題をかかえている。 自分たちのもっている事業は縮小しなければならないのか。 創立者の精神をどのように受けとり、 社会のなかで生かしていけるのか。 その意味で修道会・宣教会が今日の社会・教会にとってどういう意味をもっているのか、 未来にどういう可能性があるのかを考えてゆきたい。 」 司会の森一弘司教の導きのもとに、 5人のパネラーがそれぞれの立場から意見をのべました。 とくに神学者の本質論が一般の社会人としての感覚、 あるいは日常生活に大きく入りこんでいる信徒の感覚にどれほど迫っていけるか、 ということが焦点となってその後の話が展開していきました。 パネラーのユーモアあふれる発言の中で会場にはたえず笑いがわきおこっていました。 修道会のカリスマ、 創立者の精神、 つまり魂のひびきの違いというものが、 一般の人々にどのように受けとめられ、 社会の中にどのように生かしていけるか、 ということはさらに深めてゆきたい課題です。

第2部感謝の祭儀は、 50名をこす司祭とともに聖イグナチオ教会の聖堂内は、 これまた入口まであふれる人。 白柳誠一大司教は、 ミサの説教で、 これまでの教区における修道会・宣教会の働きに心からの感謝を表明され、 宣教会・修道会の歩みとともに今日の教会があることを強調されました。

第3部催し物では、 夜の時間帯ということもあってか、 あるいはこの機会に修道者たちの隠されたタレントを1目みたいという人たちで、 会場内は千人をこし、 出演者と場内は1つとなってこの催しを楽しみました。 会場にいらしたミャンマー、 フィリピン、 香港から訪問された司教様たちを紹介する場面もあるなど、 なごやかな雰囲気があふれていました。

この百周年の行事を1回かぎりのお祭りで終わらせるのではなく、 これまでの歩みとこれからの歩みに向かう節目となるような、 意義ある機会とするようにと言われた白柳大司教のおことばを思いながら、 この集いを通して未来への刺激と力を少しでもくみとり、 これからの歩みに生かしてゆけることを希望しています。 皆様のご協力ありがとうございました。
(Sr.三嶋 邇子)

記念講演会

東京大司教区創立百周年記念行事で、 城南ブロック会議が主催となって催しましたふたつの行事、
<遠藤周作氏講演会>と<江戸の殉教者を讃える共同ミサ>についてみなさんにご報告いたします。

9月16日 (月)、 中央区立中央会館にて、 午後2時より遠藤周作氏に<日本におけるキリスト教>というテーマで講演していただきました。 1,000枚の整理券を前売りのかたちで、 教会で完売してもらいましたが (収容定員900名のところ) 当日会場に約90名の方が開場と同時に並ばれて、 その方々が入場できるかどうか心配しました。 結果的には、 みなさんに参加していただき、 盛況のうちに開演することができました。 (来場者約800名)

会場が、 中央区の区民会館のようなところで、 立派な施設と交通の便の良いところでしたがはじめて来られる方には不案内なところもあると思いまして、 城南ブロック8教会と10修道会から、 合計27名の方に<講演会>と書いた案内板を手に持っての道案内役を引き受けてもらい、 最寄りの地下鉄の乗降口に、 開演1時間前から立ってもらいました。 その方々の話では、 通りすがりの方が、 是非参加したいのでと声をかけてくださった方が数名いたとのことでした。

講演会は、 大森教会の鈴木氏の司会ではじまり、 森司教のあいさつの後、 遠藤周作氏に、 約1時間講演していただきました。 氏の故郷である大阪教区夙川教会の思い出を話の枕にして小西行長、 細川ガラシャ夫人、 高山右近の3人の生き方を中心に話が展開されました。 特に氏は、 時の権力者の施政に応じて形のうえでは信仰を棄てたことになっている小西行長の面従腹背の姿に、 深い思いを寄せられているご様子の話し振りでした。 それは、 氏のことばによる<後ろめたい気持>を心にいだきながら、 時代の大きなうねりの中で生きた武将の姿と心を語ることによって、 信仰のひとつの在り方を暗示する講演でした。

江戸の殉教者を讃える共同ミサについては、次号で報告する予定。
(城南ブロック会議事務局 岩崎尚神父)

青年祭教会博覧会’91
こんな教会、 あんな教会、 ぼくらの教会

青年祭を終わって

「あんな教会、 こんな教会、 ぼくらの教会」 というサブタイトルをかかげた教会博覧会’91こと 『青年祭』 は、 9月15~16日の両日で、 約700人の来場者を迎え、 盛況のうちに無事閉祭することができました。 まっ先に、 御支援してくださった方々と、 参加団体の皆さんに御礼申し上げます。

おかげ様をもちまして、 展示やバザー関連の参加が16団体、 露店や食べ物関係が10団体、 ライブステージへの出演が7団体、 その他自主制作ビデオの上映や、 討論会の企画などもあり、 「教会博覧会」 の看板に恥じない、 にぎやかな青年祭をすることができました。

内容については”青年祭パンフレット”に紹介してありますので、 ここでは、 「青年祭実行委員会」 百プロで主催した企画についてだけ、 報告します。

百プロが主催した企画は、
1、オープニングミサ
2、激論!大討論会 (共催)
3、大中夜祭
4、特別企画・講演会
5、ラッフル大抽選会 でした。

このうち5、抽選会以外は全て、 百プロの団体である 「東京教区青年ネットワーク」 の活動テーマである 『出会い』 について考える企画でした。

1、祭壇も歌も手造りで行ったオープニングミサでは、 司式の森司教から 『出会い』 に関するお説教がありました。 第3次宗教ブームともいえる現代、 その根底には、 人々の孤独感のうっせきがあるという。 そうしたなか、 キリスト者である私たちは、 神のみ旨の通り、 積極的に出てゆき、 人にあい、 愛するという最も基本的な感性の交流をすべきである。 というお話でした。

また、 2、討論会での討論や、 3、札幌・新潟・大宮・横浜・名古屋・京都・大阪それに修道会のシスターなど、 日本中から駆けつけてくれた仲間達との 『中夜祭』 では、 「出会いは量か、 質か?あるいは、 前向き指向か、 慎重指向か?」 というような議論に花が咲きました。

自分達で言うのは変ですが、 10ヵ月かけた青年祭の準備は、 やはり大変でした。 それは、 長い自問自答の時間でもあり、 模索は当日の運営の中でも、 そのまま続けられました。

最後の企画、 4、心理学の富田先生の講演会を聞くうちに、 自分なりに得た答は、 『愛』 に至るためには、 必ずきっかけ (出会い) がなければならない。 ということでした。 (大島 陽)

創立百周年記念誌 「一粒の麦」

多くの方々のご協力を得て、 いまようやく肩の荷をおろすことができました。 ホッとしているところです。 正直言って私たちには余りにも大きな重い荷でした。 仕事が緒につくまで、 なかなか全体像が握めず、 ただ茫然自失するのみでした。

東京大司教区が発足した1891年当時の区域は、 現在の新潟司教区、 浦和司教区、 横浜司教区、 名古屋司教区を含む大変な広域に及んでいました。 東京を足場にして、 それぞれ宣教師1人ひとりが隅なく宣教して、 足繁く往来した地域を除外するに忍びず、 はじめは網羅する計画でした。

また、 宣教師の活動を支え、 陰の力となったのが各修道会の活動、 また献身的信徒、 特に伝道士の協力でした。 これらを語らずして東京教区の百年史はあり得ないと思いました。 しかし、 それらを一々紹介することは、 紙面的、 時間的制約があって大幅に縮少せざるをえませんでした。

そこで、 余りにも大雑把ながら、 また編集部の独断と偏見の誹りを覚悟して、 非常に僅かな修道会や個人の活動に限らせていただきました。 (そのため、 もっと大事な記事を洩してしまったことを今に悔やんでいます。) お忙しいなか記事を送っていただいた方がたのご協力を衷心より感謝申しあげる次第です。

また諸教会で発行された記念誌の写真等も拝借いたしましたが、 これもお許しいただきたいと思います。

写真の仕上りは、 皆様にもご満足いただけたと、 いささか自負しております。 拝借しました写真には相当に古いのがあって、 それらをすべて一度とり直すことに鳥村氏が大変に苦労しましたが、 それらを印刷にも反映してもらえて、 私どもも大変嬉しく思っています。
私どもの怠慢から、 おおきな失敗もあり、 皆様のご不満もおありだと思います。 (たくさんの校正ミスもあって、 大変にご迷惑をおかけしました。 本紙次号に正誤表を記載しますし、 教会等のご協力をお願いしてお買い上げいただいた方々にもゆきわたるように致します。 ) 私個人の希望では、 これを機会に東京教区のより詳しい資料集を編さんされるべきではないでしょうか。 いまなら、 まだ大正期から昭和初期、 戦争中の教会のなまの有様も、 体験もお聞きすることのできる古老も健在でいらっしゃいます。 それには2、 3年の期間をかける必要があります。

とにかく、 百周年誌にしては余りにも簡略に過ぎたのではないかとの不安も、 悔いも残りましたが、 何しろ時間の制約と才能不足により、 精一杯といったところです。 皆様のご寛恕を乞う次第です。
(編集委員 泉富士男神父)

インターナショナルデー (在日・滞日外国人の集い)

久々に晴れ間も広がった9月22日の午後、 東京教区としては初めての試みの在日・滞日外国人の集いは、 約2、500人の参加者 (約1割が日本人) を集めて始まった。

まずは9か国語の聖歌を練習した後、 白柳大司教の司式で、 記念すべきミサ (式文は英語) を祝った。 韓国の金枢機卿、 フィリピンのマブタス大司教、 ミャンマーのアルフォンソ大司教、 そして教皇大使も祭壇に上がったこのミサでは、 聖歌や9つの言語圏からの共同祈願、 また民族衣装を身につけた人々が踊りながら奉納行列を組む場面などが国際性を示していた。 圧巻は、 各自のことばで祈る主の祈りで、 様々なことばが混じり合いながらも大聖堂の中に響き渡る祈りの声は感動に価するものであった。 閉祭の歌の時には、 大司教も隣の人と握った手を持ち上げて左右に振るほどの盛り上がりを見せていた。

5つのNGOも参加したワールドバザーには、 10の製作品・民芸品等の店、 16の飲食コーナー、 そして5団体からの展示が並んだ。 フィリピンのニッパハウス (竹とヤシの葉で作った家) もあり、 並んでいるものも民族色溢れるものであったが、 特にフィリピンと韓国のものが多いのは、 在日・滞日外国人と教会の現状を表していると言えよう。 また、 日本のコーナーがなかったのは寂しいことである。

ステージは、 We are the World のコーラスの間に、 各国の人々 (28か国) を紹介することから始まった。 2時間にわたる歌と踊りなどのステージでは、 飛び入りが何組も現れた。 フィナーレでは、 未来に向かって皆で It’s a Small World を歌い、 白柳大司教による祝福を受け、 最後に盛大な花火をもって結びとなった。

多くの人々から、 来年も企画してほしいと言う要望が出ていたが、 参加者の多さとこの要望は、 日本にいる外国人たちの気持ちの表れであると考えられる。

約20人のスタッフによって企画されたこの集いは、 多くの人の奉仕と協力を得て実現し、 とりあえずは大成功と言えるようだが、 ハプニングもあり、 詰めの甘さと不手際もあり、 また迷惑をおかけしてしまった方々もいる。 反省しなくてはならない点も多い。 また、 白柳大司教が説教の中で言われたように、 外国からの援助によって成長してきた日本の教会の歴史を振り返り、 外国人の置かれた現状を見つめるならば、 今回の祝いの場からさらに外国人のニーズに応えるべく、 未来に向かっての歩みを早く踏み出さなくてはならないことは間違いない。
(余語久則神父)

子供の集い

東京カトリック神学院で行われた 「子どもの集い」 は、 9月23日(月) こども900人、 おとな400人、 参加団体が50を越す大盛況でした。 うっとうしい秋の長雨が続き、 この 「子どもの集い」 も雨の中の開催か、 と心配されましたが幸い前日から晴れ上がり、 当日は暑いくらいの晴天になりました。

予定の午前10時30分より少し遅れて、 麹町教会のイエスさまを載せた御輿を先頭に、 各教会の特色ある服装の侍者団が30数名の司祭団を率い、 司式する白柳大司教・森司教を最後に 「神さまといつもいっしょ」 を元気よく歌いながら入堂しました。 森司教は、 「今の私たちは物やお金はたくさんあるけれど、 何を大切にしているか、 ほんとうに大切にしているものは何か。 神さまを大切にしているか」 と説教で問いかけていました。 また、 神学院の大聖堂に入り切れないほどの大勢がミサに参加するなかで、 今回特別注文した香ばしい御聖体をいただくことができ、 皆が 「神さまといっしょ」 を実感することができたのではないでしょうか。 そして今回は特に2つの教会のオリジナルソング (「アマデウス・ドリーム」 と 「ぼくらの地球」) が元気よく披露され、 子どものミサの雰囲気を一層高めていました。

ミサの後は各自が持参したお弁当を食べ、 いよいよ午後はお楽しみのイベントです。 初めにリクレェーション協会の中能先生の御指導のもと、 ウォーミングアップのゲーム。 その後、 グランドでの大ドッジボール大会や中庭全部を使った宝探し、 そして6つの教会に予めお願いしておいた模擬店の開店です。 子どもたちがいっせいに押し寄せ収拾がつかない場面もありましたが、 広い神学院のグランドや中庭を思いきり使って体を動かす機会に恵まれ、 皆満足したのではないでしょうか。 中能先生にも引続きゲームコーナーを担当していただき、 おとなも引き込むお話のうまさとノリに参加者全員が楽しいひとときを過ごすことができました。

子どもがだんだん少なくなっている、 教会学校もやりにくくなっている、 という声を聞きますが、 今回の 「子どもの集い」 で見られたエネルギーと子どもたちの素直な喜びの顔を見る限り、 やはり 「未来はキミたちのもの」 なのだということを実感した1日でした。 このよい日をくださった神さまに感謝!
(江部純一神父)

カトリック東京国際センター

〔新年を迎えるまで〕

1991年、 つまり今年が、 東京教区創立百周年にあたること、 そして、 その記念事業として、 「国際センター」 を設立し国際社会化の事態に、 教区として取り組んでゆこうと宣言が出されたのが昨年の9月。 あっというまに1年が経ちました。 その宣言にさかのぼること2ヶ月前に、 「国際センター」 は 「国際司牧センター」 として産声をあげていました。 数人のスタッフと10数人のボランティアがその運営の担い手でした。 なにしろ、 なにもかにもが初めてのことで、 戸惑いの毎日でした。 本格的な活動体として出発するための半年が過ぎました。 その間にボランティアとして働いて下さっていたシスター河瀬が今年の3月の中頃から常従の職員として事務所に入り、 運営の母体も 「国際司牧委員会」 から森司教を委員長に 「国際センター運営委員会」 に引き継がれてゆきました。 また事務局に西川師と余語師が配置され、 再出発しました。

〔シスターの奮闘〕

センターの機能が軌道に乗るための第1の課題は、 常従の職員であるシスター河瀬が仕事に慣れてゆくことでした。 既に軌道に乗っている組織を運営してゆくのではなく、 むしろ、 少しずつレールをひきながら乗せてゆくという、 パイオニア的仕事に取り組んでゆく毎日でした。 それは、 事務的なことにおいても、 また、 対外的なことにおいてもそうでした。 例えば事務的なことですと、 ワープロを使いこなしてゆくこと、 定期的なニュースを発行してゆくことです。 不慣れな仕事に、 血の汗をかき悲鳴をあげながら、 敢然と立ち向かって、 何とかこなしてゆき、 形にしていったシスターの努力は、 それが当然の仕事とはいえ、 「国際センター」 の大きな礎になってゆくことでしょう。

〔ボランティアを募る〕

事務局の仕事は、 シスターの仕事への慣れと正比例して増えてゆきました。 今年の初めにはとても少なかった電話も、 今では、 シスター1人では対応できないほどになってきました。 事務的な仕事も何人かの人手を必要とするようになっています。 そこで、 改めて、 一緒に働いて下さるボランティアを募るようになってきました。 「国際センター」 も、 1つの山を越えたようです。 「国際センターは一体何をやってるんだ」 というお叱りのお声も耳に入ります。 いつまでも始まったばかりだと甘えているわけではありませんが、 やはりやっと芽が出たところです。 どうぞ、 暖かく見守り、 育てて下さいますように。
(西川哲彌神父)

各ブロック記念行事

城東ブロック 「家庭を考える集い パート1」

「子どもの集い」 とかさなる9月23日、 午後1時半から上野教会ではブロック内外から23教会26組の夫婦たち90余名の聴衆を集め 「夫婦の対話とカップルパワー」 の対話集会が開かれた。 見込まれた人数に達しなかったものの、 他ブロックから8教会6夫婦の17名が参加。 また、 滞日韓国人と思われる芳林洞聖堂所属の一婦人の参加を得、 顔ぶれ豊かな集いとなった。

集会は、 司会者の 「講師のイエズス会司祭ネメシュ・エドモンド (日本へ帰化) 神父様をご紹介します」 の一言で始まり、 師は 「私には、 この様に簡単な紹介が最もふさわしい」 と述べたあと独特の形式で進められる。 壇上には、 他にME (マリッジ・エンカウンタ) 経験の3組の夫婦がモデラーとして招かれていた。 師は 「これからの対話には、 ほとんど打ち合わせがなかった」 ことを強調しながら、 初めにモデラーに 「自己紹介」 と 「自分たちを含め、 いま夫婦たちに1番言いたいこと」 を一言ずつ求める。 3組の夫婦は吉田洋二・陽子 (西千葉)、 時政基資・松枝 (保土ヶ谷)、 野崎襄・美喜江 (横浜金沢) の6氏。 「2人の間で自由に何でも言える様になった」 「いつも新しい発見と心がけ次第で成長できると言う希望を持つ」 「お互いに相手を自由にさせる」 「用事の話ばかりでなく (時間を) 譲りあって、 ゆっくり向き合うときを持つ」 「何事も出来るだけ一緒にやる」 「私たちはマアマアのいい夫婦だろう…ではなく、 常により良いものを求める」 と言った回答をもとに、 師からモデラーへの質問形式で本論 「夫婦の対話」の真の意味が具体的に語られて行く。

3時過ぎ、 「子どもの集い」から駆けつけられた白柳大司教を迎えて、 司教銀祝のセレモニー。 大司教はこの催しについて 「切支丹の時代、 キリスト教の愛を”お大切”と言っていました。 家庭が、 夫婦が互いに大切にし合う、 その中心が対話、 互いに与え合うことだと思います。 対話は、 おそらく何処の家も不足していると思います。 今こそ私たちが本当に信頼し合って家庭を対話の場、 大切の場とするならば、 周りに、 お子さん達に、 社会に、 大きな影響を与えることができます」 と励まされた。

後半は、 参加者からモデラーへの質問に始まり、 対話の効果、 「カップルパワー」 へと話は盛り上がる。 師が最後に 「司祭も夫婦から学ばなければいけない」 と結んだのが印象的であった。 後日刊行予定という詳細記録に期待したい。

多摩ブロック 「教区百周年記念合同ミサ」

10月13日(日)、 11時から、 純心女子学園講堂において、 多摩ブロック合同ミサが”過去に感謝し、 今を確認し、 明日に向かう”というテーマで捧げられた。

午後の部は、 パイプオルガン演奏を中心にしたアトラクションがあり、 各教会交流のなごやかな雰囲気のうちに午後3時解散した。

なおこの日の献金は、 カトリック東京国際センター設立基金、 多摩ブロックの青年育成、 記念誌編さんのために使われる。

ズームアップ 藤井泰定師

藤井泰定師

ケルン教区に派遣されて4年目。 デュッセルドルフに居を据えて、 ドイツ各地に滞在する日本人カトリック信者の司牧を担当。 留学や仕事のためにドイツに滞在する日本人の数が増えると同時に夫婦不和や不倫等の深刻な相談事も多くなっているという。 9月中旬、 教区百周年のため帰国。 ドイツ社会やドイツの教会についての師の話は、 時間が経つのを忘れてしまうほど興味深い。 (東京教区司祭1937年生まれ)

ルポルタージュ家庭 (8)
アルコール依存症の病理その3
-横川和夫-

女子高生監禁殺人事件

酔った父親が激しい夫婦げんかをして、 母親を殴ってけがをさせる。 子供たちが心配して、 父親が寝た後、 母親の手当をして包帯を巻いて寝かせる。 翌日、 父親がしらふのときに子供たちは父親に 「ひどいことをお母さんにしては駄目じゃないか」 と訴え、 話し合いがもたれる。 これが健康な家族である。

家族間に信頼関係があって、 家族というのは何を言っても大丈夫だという安心感があるから、 こうした話ができる。

ところがアルコール依存症の父親がいるC少年の家庭では、 否認の構造が生じるため母親は、 41日間も監禁されていた女子高生の存在を認知できなかった-というのが東京都精神医学総合研究所、 斉藤学先生の分析である。

「アルコール依存というと、 酒を飲むと暴れたり、 肝硬変になったりする人を言うのは昔のことで、 いま問題になっているのはアルコールを介して世界と向き合っている、 そういう感じの人たちのことを言うんです」 と斉藤先生。

斉藤先生に言わせると日本のサラリーマンの多くはアルコール依存にかかっていると指摘する。

「多くのサラリーマンは、 酒を飲んでも迷惑はだれにもかけていないと言うんです。 ところが、 よく考えて下さい。 サラリーマンの父親が同僚と酒を飲んだりできるのは家事から撤退しちゃっているからですよ。 夫婦というものが何のためにあるかを考えると、 明らかに片方に依存しているわけです。 給料を運べば、 自分の役割がすんだと思っている人がいれば、 結婚なんかすべきではないんですよ」 と厳しい。

父親は、 母親に子育てなど家事、 育児を全て任せることで、 完全に依存している。 母親の方も、 自分が駄目な母親だと言われたくないため、 必死に我慢して頑張る。

最近のように高学歴で、 しかも職業をもっている女性たちにとって、 それがどんなに大変なことかは想像もつかないほどだという。

しかも単に家庭だけではなく、 職場内でもアルコール依存の状況が進行していて、 それが日本経済を支える原動力となっていると斉藤先生は指摘する。 「5時過ぎてから酒を飲みながら商談をしたり、 大事な話を出すことによって、 多くの人たちが職場から逃れられないようにしていく雰囲気をつくっていく。 つまり職場内で、 酒を通して男たちが疑似家族をつくることで、 職場を拘束的な場にしてしまう。 毎晩、 何時間も酒をのみながら過ごす。 迷惑をかけていないのは職場同士の同僚たちにとってであり、 家庭や、 次の世代、 そして自分にも迷惑をかけているんですね」

米国ではメンズムーブメントが最近、 盛んになっている。 男は、 幼少時から感情を殺せ、 つらくても我慢しろといった調子で厳しく育てられる。 世界的に男性が女性よりも短命なのは、 男だからということで親から厳しくしつけられ、 “虐待”を受けてきたからだ、 という説が出ている。 米国の指導者層は、 そうした論理に縛られていて、 感情を押し殺し、 泣くことさえも許されない状況にあると言われている。

「男であることによる男が受けている害に早く気が付かなければならないんです。 酒を飲むということは、 ネクタイとって上下を脱いで野性に帰ることですが、 酒を飲まず、 しらふで、 感覚を鈍らせないで、 裸になって、 自分に戻ることをしなきゃいけないという声が高くなってきているんですね」

職場で同僚と酒を飲んで、 なかなか家に戻らないために、 異性である妻と向き合うという努力も欠いてしまう。 その結果、 さまざまなゆがみが家庭や夫婦関係で生じていることは言うまでもない。

「異性愛というのは大変な高度のエネルギーを要する人間関係なんですね。 酒を介してしか自分を取り戻すことができない男たちは、 女性と付き合う場合は、 性欲のはけ口として付き合うか、 あるいは酔ったところで、 自分を誇大化するか、 そんなことでしか付き合えなくなっている。 しらふで対等な存在として接することができなくなっているのもアルコール依存の弊害かもしれませんね」

人間関係というのは、 筋肉の発達に似ているという。 何回もトレーニングを続けないと筋肉はついてこないと同じように、 小さいころからトレーニングが大切だ。

「相手も痛みとか感情を持った人格で、 自分もそうで、 それが対等に付き合うのが楽しいというのがトレーニングでしてね。 それをする能力が親にも学校の先生にも欠けている。 学校は一部のエリート企業戦士を育てるための場でしかなくなっている。 父親も職場での酒を介した人間関係だけに身を任せないで、 地域などで、 さまざまな人たちと出会い、 交流する場を持たなければいけませんね。 21世紀の課題は、 喪失した地域共同体を自分たちのものに取り戻し、 相互扶助し合えるかだと思います」 と斉藤先生は最後に結んだ。

自然に親しみつつ黙想と祈りの時間
-神学生合宿-

今年の神学生合宿は、 9月2日(月)から4日(水)までの2泊3日の日程で、 山梨県清里の清泉寮で行われた。

今回の合宿には、 神学生の猪熊・宮下・油谷・浦野・金・伊藤、 そして初年度養成の那須の 「ガラリヤの家」 からは稲川・佐々木・小林の参加と、 白柳大司教、 森司教はじめ教区養成担当司祭の大倉師、 辻師、 吉川師、 岸師、 稲川師、 幸田師と五十嵐助祭、 デイン助祭の総勢19名が参加して、 昨年よりは人数も増え比較的天候にも恵まれた中で行われた。

初日の集合場所、 現地の清泉寮には各教会からの車が、 午後2時を境にぞくぞくと集まり、 名物のアイスクリームを頬張りながら全員集合となった。 オリエンテーションと部屋割りが行われ、 アミガサ・オキナワ・トウキョウと名付けられたロッジ式の宿舎に3班に分かれた。 その後、 夕方の晩課まで自由時間となり、 清泉寮内の各施設や付近のリゾートの各所をはじめ、 清里駅近くに出店されているはやりのタレントショップなどを見て歩きながらそれぞれの時間を過ごすことが出来た。 晩課の後、 センターで夕食、 そして話し合いの時間と懇親会に至るまで第1日目を楽しく過ごした。

合宿中の朝の祈りとミサは、 日本聖公会の聖アンデレ教会のご厚意により聖堂をお借りできたことは今回のできごとの中でも思い出深く、 また日頃の生活から離れて自然に親しみながら黙想と祈りの時間をもてたことは私たちの合宿をより有意義なものとしてくれた。 この日には日本聖公会の神学生の黙想指導もあって、 普段より司祭の数も多く、 主教の姿も見られ、 白柳大司教、 森司教と挨拶を交わす場面もあった。

この清泉寮は、 八ヶ岳山麓に1948年 (昭和23年) にイギリスのポール・ラッシュ博士 (聖公会) が戦後の日本の将来を考えて実践的な育成の場所として創設されたものであり、 広大な土地の中には、 農村センターなどの牧場や野外礼拝堂等の施設が設置されており、 見学して歩くだけでも楽しいところで、 八ヶ岳連峰を背景に雄大な大自然との調和とともに営まれている所である。

2日目の朝、 聖アンデレ教会の祈りを終えた後、 センターで朝食を取った。 朝食はバイキングで食べ放題、 凄ましい食欲で胃袋を満たした後に、 話し合いの時間からひきつづき、 おもに神学院での生活について分かち合われた。

まず、 ガリラヤの家の初年度養成者からの現在の感想が求められ、 大方の意見は大自然に抱かれながら生活する中、 共同生活を通して自分を見つめられることや、 勉強をしながら光星学園の生徒との労働も、 大変という意識よりも教えられることも多く楽しく毎日を過ごしているとの感想が述べられた。 ガリラヤの家での感想が述べられた後、 今度は東京の神学生から、 若い学年順に日頃のできごとの分かち合いが行われた。

話し合いの時間も予定より早く終わり、 いよいよ待ちに待った自由時間となり数台の車に分乗し、 ある車は温泉目指して、 ある車は蓼科高原目指して、 都会にいてはできないことをしようと出発して行った。

蓼科高原の山歩きのグループは、 蓼科の山岳を双子池、 亀甲池などを巡り歩きながら2時間半の道程を冗談話も交え色々と語らいつつ、 時には息をきらし歩きながら、 自然を散策することができた。 特に池の回りの岩に腰をおろし美しい景色を眺めながら取るにたらない話で時間を過ごしたことも印象深い思い出となった。 その後、 町営の温泉が沸いている共同浴場へ足を運び気持ちのよい汗を流した後一路宿舎に戻った。

晩課の後に、 トウキョウの宿舎の前で夕食のバーベキューパーティーが行われ、 それぞれ出かけた先でのできごとが話題をしめ、 ときには爆笑の渦の中、 これまた凄まじい食欲であっというまに平らげてしまい、 場所を移して最後の晩の懇親会のアミガサに集まって分かち合いの時間が持たれた。

2日間に渡る懇親会では、 夏休み中に神学生が派遣されている教会でのできごとをはじめとして思い思いの話が、 ざっくばらんに飛び出し、 お腹をかかえて笑いの止まらなくなる話題も続出し、 ある神学生などは以前の職業癖からか 「きょうかい用語」 のことを 「ぎょうかい用語」 と言ってしまい、 すぐ隣に居られた白柳大司教から 「君、 ゛きょうかい゛に濁点が付いているヨ!」 と優しく教えていただく場面もあった。 それを聞いていた一同笑いをこらえ切れずに遂に……。 何ともほのぼのとした空気の中、 森司教や神父方からの様々な経験談や、 また海外の教会での体験談なども披露され、 楽しくおもしろい話もあれば、 色々な話題の中、 日本の教会では考えられないことも伺った。

3日目の朝を迎え、 聖堂での祈りの後の朝食は、 ハプニングで大変慎ましく質素にすませ、 胃袋が満足に満たされないまま、 記念写真をとり解散となった。 合宿を通してお互いの親交を深められることは素晴らしいことだと感じながら、 それにしても皆さん、 よく食べ、 よく眠り、 よく飲むもんですね……。 (小林静児)

ちょっとおたずねします

Q今世界にはカトリック信者がどのくらいいるのですか?

A、世界宣教の日にあたり、 世界にどのくらいのカトリック信者がいるか統計を見ました。 1991年9月1日現在です。 また枢機卿の構成も載せておきました。 現在、 世界中の枢機卿は162名で、 そのうち教皇選挙権を有する80才以下の枢機卿は、 規定いっぱいの百20名となっています。 表には大陸別の人数を示してあります。 ( ) 内は80才以下の枢機卿です。
(泉富士男神父)

世界の総人口  5,073,993,000  人口に対する比率
世界のカトリック人口  890,907,000  17.5%
アフリカ
北アフリカ
南アフリカ
アジア
ヨーロッパ
オセアニア
日本
81,883,000
190,305,000
254,117,000
78,331,000
279,401,000
6,870,000
428,830
13.4%
45.8%
89.1%
0.3%
39.6%
26.8%
0.3%

表1世界のカトリック人口世界の総人口

ヨーロッパ
アフリカ
アジア中東
87(56)
17(15)
15(12)
中南米
北アフリカ
オセアニア
25(21)
15(12)
4(4)

表2枢機卿の数

台風の中千葉ブロック大会開催ミサと歌と…

去る9月8日(日)、 天気予報が台風16号の関東上陸をつげる中、 恒例の千葉ブロック大会が聖母マリア幼稚園で開催された。

土砂降りの雨の中、 多数が参加した。 まず、 森司教と千葉ブロックの司祭たちとの共同司式のミサが行われた。

その後、 門間ファミリーによるメッセージコンサートに耳を傾けた。

門間ファミリーのコーラスは、 ゴスペル・ソングや聖歌、 民衆のための民衆による歌を選び、 歌を通して人権擁護と世界平和を訴えて、 日本各地でコンサートを続けている。 この度の千葉ブロック大会でも、 多くの人々に深い感銘を与えた。

教会・修道院巡り (11)
『マリア会』

1887年パリ外国宣教会の要請を受けて、 フランスのマリア会総長シムレル師は同会士を日本に派遣することを決定した。 同年11月、 フランスから3名、 アフリカから2名の会員が日本に向けて出発した。 総長は5に対し次のような訓辞を与えた。

「マリア会は、 奉仕と善行によって悪の支配の根絶のため、 あなたたちを東洋に遣わします。 万事において 『自分を善業の手本とし、 教えることは廉潔と厳正を旨とし、 そのことばは健全で咎められる所があってはならない。 反対者があなたたちの悪口を言う術がなく、 自ら恥じ入るためです』 (テトスⅡ・7)

マリアの子供よ、 会則の条文通りに行動しなさい。 困難に遭うとき星を仰いでマリアを呼びなさい。 現在のしばしの別れの後、 キリストとの完全の一致の中に、 ともども永遠の光栄に入れるよう、 人生の旅路を誠実に歩き続けなさい……。

1888年1月、 東京に着いた5名は、 神田教会のルコント師の許に預けられた。 1ヶ月をそこに過ごす間、 熟を始めるための借家を探し歩いた。 しかしことばも通じない異人に、 家を貸そうという人はいなかった。 困窮を見かねたオズーフ司教は、 築地の神学校の半分を提供した。 5人は2月1日そこに移り、 その同じ日に熟を開いた、 だが所轄庁公認の学校を開始したいと考えていた彼らは、 早速新しい家を求めて歩き続けた。 6月に麹町元園町3丁目に日本人名義で1軒の家を借りることができた。 9月、 念願の公認私立学校は、 12名の昼間生と18名の夜間生を迎えて新たな出発を開始した。 翌1889年度には努力の甲斐があって、 昼間生5 5、 夜間生40名を迎えることができた。

同年、 新たな応援隊を迎えたが、 宿泊の場所も無いほどだったので、 また土地の物色が始まった。 1890年6月末、 ようやく現在の暁星学園がある飯田町3丁目32番地に土地を購入し、 移転した。

1891年正月の統計によると、 生徒数は80名、 寄宿生が23名で、 日本人と欧米人の比率は相半ばした。 国籍は日本と中国と欧米の8ヶ国で、 外交官の子弟が多く、 概して上流家庭の子供が大半を占めていた。 プロテスタントが学校教育、 伝道、 著述によって社会の上流に浸透していくのに比して、 カトリックの宣教は長崎を中心とする旧カトリック信者とその子孫、 そして一般諸民に向けられていた。 学校教育もプロテスタントに比べて、 その数においても、 内容や規模においても、 とうてい比較にならない程貧弱だった。

マリア会にはそれまでカトリックが手をつけていなかった日本の上層社会への宣教が、 オズーフ司教によって託されたのである。

本部 〒102千代田区富士見1-2-43
暁星学園 〒102千代田区富士見1-2-5

一粒の麦
第11回白柳大司教、教区百年を語る

東京大司教区百年の歴史
1891年(明治24年)から1991年(平成3年)まで

こぼれ話 ―その3

「外国人宣教師の巻」

まだまだ続く白柳大司教の百年史 「こぼれ話」 を取り上げましょう

「宣教師魂」

皆様にとって不十分だったとは思いますが、 東京教区の百年をざっとでも振り返ることができたのは、 私にとっても大変なお恵みでした。 そして、 改めて強く感じたのは、 外国人宣教師の 「宣教魂」 とでも表現できるのでしょうか、 「宣教熱」 と申しあげたほうがいいのか、 どちらが適当かわかりませんが、 その宣教への熱意です。

当時の社会的な背景を考えただけでも、 宣教師たちの生活は日々、 忍耐と努力の連続だったことが想像できるでしょう。

今のように交通の便のない当時のことです。 宣教師たちはみな、 歩くか、 馬に乗るかの方法しかありませんでした。 こうして、 ある宣教師は歩き、 ある宣教師は馬に乗り、 当時の東京教区内、 つまり、 東京、 埼玉、 栃木、 長野などを宣教したのです。

ビールと宣教師

このような実際にあった笑い話も残っています。 明治初期、 外国人宣教師たちは、 まだ教会の少ない当時のこと、 一定の地域を責任をもって何日も、 ある宣教師は1か月から数か月もかけて、 信者さんの家から家へと宣教してまわっていたのです。

そのような時代の話です。

ある信者さんが、 珍しい飲物を手にいれました。 それは、 ビールだったのです。 そのお宅では、 「これは神父様がおいでになったらお出ししよう」 と大切に取っておきました。 いよいよ、 神父様が巡回していらっしゃったので、 夕食を差し上げる時にくだんのビールを出しました。 「おいしい、 おいしい」 と喜んでお飲みになる神父様の姿を見て、 その信者さん家族は 「ああ、 よかった。 あんなに喜んでいただいて」 と思ったことでしょう。

こうして、 その家でのミサや公教要理を終えた宣教師は、 次の家庭へと向けて出発しました。 そして帰路、 再びその家に着いたとき、 宣教師に出されたものはビールでした。 その家では、 神父様があんなに喜んでくださったのだからと、 大切に大切に栓をして取っておいたものでした。

そのビールはどんな味になっていたことでしょう。 ビール好きな方は、 気の抜けたビールほどまずいものはないと言いますが、 大切にとってくださっていた信者さんの温かい心を思い、 やはり 「おいしい、 おいしい」 と言って、 気の抜けたビールを飲まれた宣教師のやさしい心がしのばれます。

ぼたもちと宣教師

同じ食べ物に関するもので、 もう1つお話いたしましょう。 それは、 ぼたもちの話です。

ある宣教師が、 やはり巡回の途中、 信者さんの家でぼたもちが出されました。 日頃、 食べ物の好き嫌いなど決して表さない宣教師でしたので、 ご苦労の多い神父様に、 すこしでもお好きなものを出して差し上げたいと思っていても、 信者さんには、 何が好物かわからなかったのです。

ところが、 ぼたもちなんかたべていただけるかな、 と思って出したのですが、 神父様は 「おいしい、 おいしい」 と言って食べてくださったのです。 その姿をみていた信者さんは、 その神父様が次に行く家庭に連絡をとり、 「神父様はぼたもちがお好きです」 と知らせました。 こうして、 お気の毒なことに、 その司祭の行く先々で出されるものは 「ぼたもち」 ばかりだったということです。

うっかり 「おいしい」 とも言えませんね。

戦時中の苦労

戦前、 戦中の宣教師たちの生活も、 苦労の連続でした。 特高がずっと宣教師たちを監視しているような生活でした。 外国人、 特に宣教師たちにとっては、 すこしも気を抜くことができない、 緊張を強いられる生活でした。

特高たちは、 宣教師が外出するときは、 必ず尾行していましたがそれだけでなく、 求道者を装って来て、 「キリスト教では天皇様のことをどう考えたらいいのでしょうか。 キリスト様と天皇様とではどちらがえらいのでしょうか」 などと質問し、 宣教師をなんとか罠に陥れようとすることもありました。

宣教が厳しくなるにつれ、 宣教師も含め、 外国人は敵国人ということで、 関口の大司教館があるこの場所に建てられていた建物に収容されました。 カトリックの人もプロテスタントの人もおりましたが、 皆少ない食料、 不自由な生活をしのんでいました。

土井枢機卿は、 監視の警官の目を盗んでは、 外国人の方々が少しでも不自由しないようにはからっておられました。 しかし、 昭和20年5月2 6日の空襲により、 関口の建物の多くは焼失し、 ここに収容されていた外国人の方たちは田園調布雙葉の修道院に移されました。

宣教師のご苦労は、 宣教の苦労だけではなく、 戦時中の苦労も味わうという、 平和な時代、 信教の自由の時代しか知らない世代の人々にとっては、 想像もできない大変なものでした。 東京大司教区の創立百周年は、 このような宣教師、 殉教者、 信徒の血と汗とご苦労の上に出来あがったものなのです。

信徒の声

8月10日の千鳥ヶ淵戦没者墓地の 「平和を祈る」 野外ミサにはじめて友だちと共に参加しました。 蝉しぐれにかこまれながら東京教区から集まってこられた方々と共に祈ることが出来ました。 とりわけ白柳大司教の説教に感動しました。 平和とは何か、 私たちは被害者であると共に加害者でもあったことをじゅんじゅんと説かれました。 もう一度何らかのかたちでこのお説教を伺いたいと思います。
(千葉一信徒)

浦和地区で岡田司教叙階式

9月16日(月)午前11時から、 浦和市の明の星短期大学講堂で、 岡田武夫司教叙階・着座式が挙行された。

W・A・カルー教皇大使臨席のもと、 白柳大司教主司式 (安田大司教、 島本大司教共同司式) の叙階式には、 超満員の参列者が降り出した雨にもかかわらずつめかけ、 信徒代表の 「参列を希望した半数の信徒しか出席できなかった」 と述べた言葉からも、 浦和教区民の喜びが推察された。

共同祈願は教区創立5 2年目にあたり5 2文字で祈られ、 アジア、 アフリカ、 アメリカ、 南米、 ヨーロッパ、 オーストラリアの代表もそれぞれの言葉で祈った。

奉納行列もユニークで、 埼玉・草加煎餅、 狭山茶、 栃木・益子焼カリス、 茨城・水戸納豆、 群馬・ストラ、 修女連・ミトラが奉納された。

3時間余の叙階式、 祝賀式の後は、 各小教区が準備したやきそば、 たこやき、 赤飯等を食べながら、 屋外で歓談した。

お知らせ

生涯養成に関する企画

★キリスト教入門講座
上智大学 6号館1階 かつらぎ会。
11月12日 秘跡と洗礼。
11月19日 聖体の秘跡-ミサ。
11月26日 悪~罪~許し。
講師:フローレス神父。
連絡:S.J.ハウス
℡:3238-5111

★カトリック家庭セミナー (第4回)
11月16日(土)~17日(月)
雙葉学園同窓会館
「家庭におけるキリスト教的性教育」
主催:日本カトリック司教協議会。
どなたでも参加できます。
問い合わせ、 申込み先:カトリック中央協議会企画推進部家庭委員会
℡:3262-3691 (代)
参加費:3000円
懇親会費:2000円 (できるだけご参加ください)

★祈りへの招き
イエスズ会・黙想の家
日帰りの祈り:11月25日10時~16時。
ギハロ神父。
どなたでもどうぞ
問い合わせ:3920~115

★祈りの集い
みことばとわたしたち-神と創造との平和-
11月16日(土)午後4時~6時。
礼拝会喜多見
修道院永遠の生命世の終わり(死者との連帯)
参加費:300円
指導:北原隆神父。
申込み・問い合わせ:礼拝会・シスター塩満
℡:3489-1974

★講演会
テーマ:「神と対決するヨブ」
講師:シスター今道瑤子
聖パウロ女子修道会
日時:11月9日(土)午後1時30分、受付 午後2時~4時
会場:女子パウロ会
東京都港区赤坂8-12-42
℡:03 (3479) 3941
会費:300円 (当日)

★『滞日外国人労働者とともに生きる』連続研修会
11月30日(日)1時~4時
社会分析指導:深水正勝師
場所:カトリック田園調布教会地下聖堂ホール
大田区田園調布3-43-1
参加費:1000円
問い合わせ:上田倭子 (3704-5898)

★巡礼と講演江戸切支丹殉教ゆかりの地巡り
巡礼
・11月10日13時30分
関口教会集合
小日向の切支丹屋敷跡、他
・11月17日(日)11時
・高輪教会集合札の辻・元和大殉教地、他
講演
・11月10日(日)11時
高輪教会
『殉教の歴史について』
講師:チースリク師
・11月24日(日)11時
高輪教会
『殉教の今日的な意味について』
講師:森一弘師

★第1回千葉ブロック信徒の生涯養成コース
信仰の源泉に立ち戻る
典礼
主催千葉ブロック司祭団・千葉ブロック会議

第2回 11月10日(日)
講師:関根英雄 (木更津教会司祭)
テーマ:『キリスト者の司祭職と信徒にできる典礼-司祭不在時の集会祭儀等』

第3回 12月8日(日)
講師:酒井俊雄 (西千葉教会司祭)
テーマ:『主日のミサの構造と意味』

第4回 1月12日(日)
講師:小沢茂 (佐原教会司祭)
テーマ:『ミサと生き生きとした信仰共同体づくり』

第5回 2月9日(日)
講師:デニス・カラン (保土ヶ谷教会司祭)
テーマ:『聖書に親しむための手ほどき』

第6回 3月8日(日)
講師:ロランド・ケルソ (茂原教会司祭)
テーマ:『みことばの分かち合いにおけるリーダーシップ』

コース全体のまとめ
時間13時30分~16時講話、
分かち合い、 お茶、 まとめ、 引続きミサ
場所:茂原教会
〒297茂原市高師992
℡&FAX 0475-22-2420
JR外房線茂原駅下車徒歩20分
参加費:2500円 (部分受講は、 1回につき500円)
申し込み&問い合わせ:茂原教会
ケルソ神父:℡0475-22-2420
佐原教会
小沢神父:℡0478-52-4079

★土曜日の黙想と聖体賛美式
11月9日(土)午後3時30分
指導:ウォード神父 (御受難会)
1、 黙想の部 (午後3時30分~午後5時30分)
定員50名(電話でお申込下さい)
参加費:500円
信徒会館2階又は3階
2、 聖体賛美の部 (午後5時30分~午後6時30分)
(誰でも参加できます)
聖体顕示、 聖体賛美歌、 説教、 祈り。
前後にパイプオルガンの演奏あり。

第2回は、 12月7日(土)午後3時30分より。
問い合わせ・神田教会
泉神父:℡3291-0861~2

★地の塩会 「青い目に映った日本の現在の姿」
講師:ウォード神父場所・四谷ルノアール (四谷駅前しんみち通り) 3階
日時:11月20日(水)午後6時
参加:1200円 (サンジイッチ・ドリンク・場所代)
問い合わせ:神田教会
泉神父:℡3291-0861~2

図書案内

★巡礼に、生涯研修に 東京大司教区百周年記念巡礼 案内パンフレット
『バスと電車で巡る江戸切支丹殉教ゆかりの地』
A4版8ページカラー定価300円好評発売中!
(発売所) 中央出版社、 ドン・ボスコ社、 聖イグナチオ教会案内所、 カテドラル案内所東京大司教館に葉書で直接申し込んでいただいても、 お求めになれます。

★東京教区創立百周年記念誌 編集
委員会編集上智社会事業団出版部 発行 販売
写真をふんだんに織り混ぜたA4版140頁
『一粒の麦』――東京教区百年の歩み――
頒布価:3500円何れも税込・送料別
申込先:東京ナイス事務局
〒112東京都文京区関口3-16-15
℡3943-2277Fax3944-6677
※教会・修道院などで、 10部以上纏めてくだされば、 送料は無料となります。

訃報

宮沢瑞穂修道女 (メルセス会)
9月18日午後11時30分、 東京の聖母病院で急性心不全のため帰天。
84歳。
1907年長野県上田市に生まれる。 38年に同会入会。 戦前・戦後を通して東京光塩女子学院に勤務、 経理担当のたかわら宗教教育に献身。 その後69年より、 東京・日野市の同会修道院に移り、 日野光塩幼稚園および修道院の経理関係の仕事を助けていた。 晩年は病気がちだったが、 できる限り共同体と生活をともにしていた。

たずね人

昭和18年ペルーのリマ市から来日して、 東京のある教会でまかないをしておられた 「ビクトリア・大石・ふみ子」 さんを、 異母兄弟のフリオ・平間信二さんが探しています。 (岡山県笹間教会からの依頼) お心あたりの方は、 カトリック中央協議会 国際協力委員会 竹内峰子さんまでお知らせ下さい
℡03-3262-3691
Fax03-3262-3699

編集部から

●9月は予想されたように東京大司教区創立百周年1色にそまりました。 皆様はどの行事に参加なさいましたか。

87号は、 各事業、 行事の特集を組みましたので8ページになりました。 昨年の9月から、 折りにふれ準備状況等をできるだけ詳しくお知らせしたつもりですが、 皆が心を合わせ準備を重ねた実りを少しでも味わっていただけたらと願っています。

●10月1日から3日まで、 名古屋の日本カトリック研修センターで行われた、 第11回 「教区広報担当者全国会議」 に行ってきました。

この会議は、 中央協議会の中にある 「広報部」 が、 教区の広報担当者と交流を計り、 また、 広報担当者を養成することを目指して企画されるものです。 今年の参加者は、 企画側も含めて30名でした。 去年京都でお会いした方に加え、 今年は長崎教区の新人5人、 横浜教区の後継者養成の為にと派遣された新人1人、 また 『手づくりの教会』 編集部からも参加されたりして、 意欲溢れる研修会になりました。

テーマは、 「新聞づくりの基本」 ということで、 山野上純夫先生 (『中外日報』 参与) の具体的なご指導を受けました。

「長年教区報を編集していても専門的な知識がないので困っていた」 とか、 「”やれ”といわれたのでやっているが、 どうしていいかさっぱりわからない」 と言う方、 「20年やっているが、 もう一度勉強したい」 と言う方などさまざまでした。

ご指導は適切なもので、 例えば広い紙面をいかに読みやすくレイアウトするかとか、 “読みたい!”という意欲を起こさせる為に、 どんな見出しを、 何文字でつけたらよいかとか、 スムーズに記事を読む為には、 どんな流れに活字を組んだらよいかとか、 旧聞を新聞にするにはどういう記事の書き方があるか、 また 『あいさつ新聞』 にしない為の工夫など。 そして絶対にしてはいけないこと、 例えば 「なき別れ」 「両おり」 など、 具体的に教えてくださいました。 東京教区の広報委員からは残念ながら、 2人しか参加できませんでしたが、 学んだことを出来るだけ紙面に活かして、 他のスタッフにも伝えて生きたいと思っています。

1日目の夕食後、 名古屋教区の森山神父 (元カトリック新聞編集長) が、 「教区報担当者の役割」 というテーマで提言され、 懇談会を行いました。 信仰や愛は互いに知り合い、 互いに理解し合う時に、 成長するから、 広報の果たす役割は大きいということ、 また教会の広報は内部的なものと、 外部に向けられたものとがあるが、 外部への広報も出来るだけ取り組んで行きたいなどと話し合われました。

教区の広報の状況はさまざまでした。 ある教区には専任の人がいて、 事務所もあるという所から、 担当司祭1人とスタッフ1人で休刊しているという教区まで。

NICE・1で提案された、 教区間の協力・区域の見直しをあらためて考えさせられました。