お知らせ

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東京教区ニュース第86号

1991年09月01日

東京大司教区創立100周年(1891-1991)

いよいよ始まる 東京大司教区100周年 記念行事スタッフは語る -きっかけ、ねらい

インターナショナルデー 〜今日目指す一致の集い〜

今、日本にはたくさんの外国人がいます。ある教会では、ミサに来る外国人が日本人より多くなったといいます。日本人信徒の3分の1近い外国人信徒が日本にいると言われています。
永住する予定の人、留学中の人、仕事を求めてきた人、他にもいろいろな人がいるでしょう。
彼らの前に立ちはだかるのは、ことばの壁、法の壁、心の壁などです。日本語に苦労している人がたくさんいます。日本の文化や習慣にとまどっている人もいます。寂しい思いをしている人がいます。極めて悲惨な状況に置かれている人もいます。売春を強要された人、不当な労働条件下で働かされている人、外国人だと言うだけの理由でいじめや暴力行為にあっている人、他にも賃金不払いや国際結婚の問題など。
100年余り前に宣教師が渡来し、やがて東京教区が創立されました。そして今、100周年を迎えていますが、その間に東京は国際的都市と言われるようになりました。これからは日本の教会もこれら直面している多くの問題に取り組んでいく必要があります。そのために東京教区はカトリック東京国際センターを設立しました。また、六本木チャペルセンターや韓人教会は、多くの外国人によってつくられ、機能しています。他にもいろいろな国の人達のグループがあります。また、教会内のみならず、早くからこのようなことのために働いている市民遠から学び、彼らと連帯していく必要もあります。
外国人に対する日本の社会の現実は、実に厳しいものがあります。しかし、神は旧約の時代から、寄留の外国人を大切にするよう言っています。そして、今日目指さなくてはならないのは、皆が一つとなって外国人も寄留者もいない状態です(エフェソ2・19参照)。そのような中で教会が、在日・滞日外国人と共に歩むことを決意し1この集いを計画しました。それを皆様が受け止め、日本人の方々も数多く集まっていただけることを期待しています。
(余語久則神父)

子供の集い 自分の他にも仲間がいるすばらしさを子供たちが知ってほしい

多くの教会学校では子供の数がだんだん少なくなっているのが現実のようです。これには、いろいろな理由が考えられるでしょうけれどもやはり寂しいものがあります。リーダーや神父たちが寂しい思いをしているよりももっと子供たちは寂しいかもしれません。そこで教区100周年に当たり、子供たちを集めて何かやろうじゃないかということになりました。小教区を越えたレベルでみんなが集まる機会というのはそんなにありません。特に子供の場合はそうです。東京教区のいろんな教会から子供たちが集まることによって「自分の他にも仲間がいる。キリストを信じているのは自分だけではなくてこんなにたくさんいるんだ」ということを子供たち自身が知ってくれればいいと思っています。『子供の集い』はミサとイベントの2部構成で行われます。ミサでは各小教区から奉仕者を出していただくことになっています。いろんな教会のそれぞれの侍者服を着た子供たちの入堂からはじまって、朗読、共同祈願、奉納などを担当してもらいます。また教会学校のオリジナル曲を拝領の歌として予定しています。イベントでは参加した子供たちが互いに親しくなれるようなゲームやスポーツを企画しています。また当日、模擬店なども出して子供たちに楽しんでもらおうとスタッフ一同準備をすすめています。
(立花昌和神父)

修道会・宣教会 きのう・きょう・あした

東京教区100周年にあたって、歴史を振り返りながら、今の日本の教会の動きと修道生活の意義について考えたいと思います。歴史の中で社会の変化とともに、教会も変化してきました。教会の歩みの中で修道会が果たしてきた役割は何だったのでしょうか。教会にとって、修道生活はいつもキリストの福音の生き方への新しい刺激となってきました。今日、技術の力によって可能性が大きく開かれた社会に、教会はどのようなことばでキリストを語ったらよいか苦悩し、模索しています。そして、教会も社会とともに、人々とともに歩む姿勢へと転換してきました。現代のこの教会の動きの中で、修道生活の意義は何か、21世紀に向かって修道生活がかかえる新しい課題は何か。
そこで、第1部のシンポジウムでは、「現代日本の教会と修道生活」と題して、神学的側面から、今の時代の預言的使命について、女子修道会の役割、歴史から学ぶこれからの修道生活の課題、主婦として作家としての女の目、などそれぞれの立場から語っていただき、会場からの意見もいただきながら、皆様とご一緒に考えてゆきたいと思います。
第2部は、感謝の祭儀が麹町カトリック教会にて、修道者・宣教者を対象に行われます。東京教区の100周年の歩みを感謝し、教区の歩みの中に組み入れていただいていることを感謝しながら、白柳誠一大司教の司式により、森一弘司教、参加司祭による共同司式ミサです。
そして、第3部は各修道会のお家芸を披露、親睦をはかる夕べです。幕を開ければ、アッと驚く、修道生活にもこんな一面があります。
皆様、多数の方のご来場をお待ちしています。それでは9月27日に上智大学10号館でお会いしましょう。
(Sr.三嶋邇子)

ブロックの協力がみのって教区記念行事に -遠藤周作氏講演-

ひとつの教会で出来ることには限界がありますが、ブロック内の教会・修道院と協力してすれば、大きな企画を実行できると思っていたところに、ちょうど100周年の祝いが重なりました。
これを機会として、著名な方をお招きして、1,000人程度の講演会を開いてみたいと思い、ブロック会議の仲間に相談して実現したのがこの記念講演会です。
ブロック会議の話し合いから出発しましたが、いずれは東京教区の記念企画として取り上げていただければと思い、会場は東京の真ん中、銀座を選び、中央区立中央会館としました。
記念行事はいろいろありますが、そのうちのひとつぐらいは一般の方々、まだ洗礼を受けていない方に私たちが声をかけて来ていただくような行事があったならばと思い<来場者の半数は、まだ洗礼を受けていない方々に>を目標として整理券を売ることにしました。信徒のみなさんが、友人・知人をさそって参加してくださるのを期待しています。
講師は遠藤周作氏にお願いいたしました。目黒教会のある信者の紹介で、1月に氏の仕事場を訪問してお願いした訳ですが、遠藤氏は「光栄に思います」とおっしゃって下さり、快諾して下さいました。その折に懸案である謝礼金のことをお願いいたしましたところ、「はじめからそのつもりでしたよ」と笑いながらおっしゃって下さりこちらの願いを受け入れて下さいました。そのお陰で、この講演会の収益金は東京国際センター設立基金として、教区に献金することが出来ます。
当日は、会場周辺の地下鉄の出入口付近に、約30名の信徒の方が案内板を持って道案内に立って下さいます。姿を見かけましたら声をかけてください。
(岩崎尚神父)

教会博覧会’91 こんな教会・あんな教会・ぼくらの教会

私たち青年祭実行委員会は、9月15日・16日に、東京教区100周年記念行事の一環として、青年祭を行います。主な企画は、ライブ・フリーマーケット・展示といったところですが、その他にも、15日には青年による討論会、16日には白百合女子大助教授富田隆先生と青年によるパネルトークなども催します。
今回の青年祭には「教会博覧会’91-こんな教会 あんな教会 ぼくらの教会-」というテーマをつけました。
今の青年は、皆、多種多様な状況の中で生活しています。そのような中で、青年の教会との関わり方も実に多様になってきていると言えるでしょう。
教会学校のリーダーをやっている人、社会問題に取り組んでいる人、祈るために教会に来ている人など、いろいろな人がいますが、それぞれが自分なりの教会との関わり、教会像を持っています。それらの教会との関わり・教会像を総括的に捉えようとすると、既存のものだけでは難しいところがあります。
最近、教会を「ネットワーク」の観点から捉えなおそうという動きがあります。東京教区青年ネットワークの活動もその一つです。この「ネットワーク」とは、それを構成するものがそれぞれの活動・教会観を互いに尊重しあい、未来の教会をより豊かにしていこうという関わり方です。
今回の青年祭のテーマはその考えに基づいています。集まってくる人は皆きっと自分の教会像を持っています。青年祭の様々な場の中で、それら-こんな教会 あんな教会-を互いに認め、深めあうことで、少しでも未来の教会-ぼくらの教会-について考えるきっかけができればと希望しています。
(小松若葉)

記念行事詳細

9月8日(日) 東京大司教館所蔵資料及び遺物展 教区キリシタン遺物展日程決まる!!

日時: 9月8日(日)、15日(日)、22日(日)、29日(日)
10時30分〜14時30分(但し29日は14時まで)
場所: カテドラル構内 司祭の家地下展示室
内容: (予定)
(1)聖遺物(聖フランシスコ・ザベリオ、アシジの聖フランシスコ聖骨等)
(2)キリシタン遺物(宗門改帳、福岡藩踏絵、キリシタン禁令高札、島原キリシタン観音像等)
(3)資料(聖ペトロ大聖堂建築詳説図、マレラ枢機卿外務書簡、教皇拝領品-カリスなど-、
教皇来日ミサ祭服等)
交通: JR目白駅前から都パス白61
新宿駅西口行きで椿山荘前下車、
地下鉄有楽町線江戸川橋下車

9月15日(日)・16日(月) 青年祭 教会博覧会’91こんな教会、あんな教会、ぼくらの教会

日時: 9月15日(日)、16日(月)
15日(日)10時〜16時30分
16日(月)10時30分〜15時30分
場所: 東京カトリック神学院
講演会: 9月16日(月)13時
講師: 白百合女子大 富田隆助教授(心理学)
テーマ: 「出会うこと」(予定)
◆入場券としてラッフル券を発行し16日に抽選会を行う。
◆青年祭記念テレフォンカードを発行する。
フリーマーケット・展示・ライブは、それぞれスタイルは異なりますが、どれもが参加者の自己表現、あるいは教会表現だと考えられます。青年祭の参加者もそれらを通じて、出会い、知りあい、様々な教会像をわかちあえると思います。
東京教区ばかりでなく、新潟名産コシヒカリをかついで新潟教区の青年が参加したり、アツアツのもろこし持参の札幌教区の青年も参加します。
どれも見逃せないものばかりです。皆さんぜひお出かけ下さい!!
交通: 西武新宿線武蔵関下車

9月16日(月)記念講演会

演題: 「日本におけるキリスト教」
講師: 作家・遠藤周作氏
日時: 9月16日(月) 14時〜15時30分
場所: 中央区立中央会館
交通: 地下鉄有楽町線新富町下車、日比谷線東銀座下車
整理券: 1,000円(一部をカトリック東京国際センター設立基金として)
問い合わせ: カトリック高輪教会

9月22日(日)インターナショナルデー(在日・滞日外国人の集い)

日時: 9月22日(日) 13時〜17時
場所: 東京カテドラル聖マリア大聖堂
13時    オープニング
13時30分 インターナショナルミサ
14時30分 ワールドバザー
15時    ステージアトラクション(各国のダンス)
16時40分 フィナーレ
◆インターナショナルミサ
司式は白柳大司教、式文は英語中心、聖歌は英語、インドネシア語、ベトナム語、スペイン語、中国語、タガログ語、韓国語、ラテン語、日本語の歌を予定。共同祈願も同様。
◆ワールドバザーの模擬店は、各国の食べ物、名産品、製作品、展示等なんでも可。
◆アトラクションの中心は、各国のダンスをお互いに披露した後、皆で踊るという内容。
連絡・問い合わせ先: カトリック東京国際センター/余語神父

9月23日(月) 子供の集い 未来はキミたちのものなのだ!

日時: 9月23日(月) 10時30分〜14時30分
場所: 東京カトリック神学院
対象: 中学生までの子供たち(滞日外国人たちも含む)
持ってくるもの: お弁当 名札(各教会で準備する)
問い合わせ: 東京教区教会学校委員会 担当司祭まで
田中隆弘神父(秋津教会)
立花昌和神父(立川教会)
江部純一神父(豊田教会)
交通: 青年祭と同じ

9月27日(金) 修道会・宣教会 きのう、きょう、あした

日時: 9月27日(金)
場所: 上智大学10号館 JR・地下鉄丸の内線四谷下
第1部 シンポジウム 13時〜16時
「現代日本の教会と修道生活」
司会    森一弘司教
パネラー 百瀬文晃師(イエズス会)
福田勤師(フランシスコ会)
Sr.今泉ヒナ子(コングレガシオン・ド・ノートルダム)
木村尚三郎氏(東大名誉教授)
木崎さと子氏(作家)
第2部 感謝の祭儀
第3部 催し物 18時〜20時
プログラム
・コーラス
主のみわざのハーモニー/師イエズス修道女会、サン・モール修道会
・シスターズバンド
音楽を通して100年の喜びを/扶助者聖母会
・若さ爆発!!二人の天使
フルートとピアノのアンサンブル/聖ドミニコ宣教修道女会
・バイオリン二重奏
二人はみんなハーモニー/援助修道会
・コーラス
水のいのち、水の魂をうたいたい/宮崎カリタス修道女会
・腹話術
「キリストは私たちを救い、腹話術は私たちの人生を変える」/礼拝会
・寸劇
「花咲じじばば」
福音の花よ バッと咲け おなじみ 日本昔ばなし/サレジオ会
・お笑い
修道生活 きのう きょう あした
「笑う門には 福音きたる」/聖マリア修道女会
・ギター独奏
キリストに惑わされた者の調べ/イエズス会
・独唱
君よ知るや 天の国の歌声を/フランシスコ会
◎総合司会は女子パウロ会シスター白井詔子がつとめます。
・パネル展示
「目で見る東京教区修道会・宣教会の活動」
東京教区内に存在する男子修道会27、女子修道会66、働きもさまざま、まさに神さまの多種多様の知恵のあらわれです。

9月28日(土)国際シンポジウム

テーマ: 「これからの国際社会とカトリック教会」
日時: 9月28日(土) 15時30分
場所: 東京カテドラル聖マリア大聖堂
パネリスト
H・ルーテ補佐司教(ケルン教区)
S・金枢機卿(ソウル教区)
A・タン大司教(マングレイ教区)
A・マブタス大司教(ダパオ教区)
J・トン師 (香港教区)
司会 深水正勝師(東京教区)、Sr.広戸 (聖心会)

参加費無料: 同時通訳を行います。なお、シンポジウム終了後17時より、パネリストを交えた感謝の祭儀が行われます。

問い合わせ: 東京大司教館事務局

東京大司教区創立100周年 城東ブロック記念行事 家庭を考える集い パート1

申し込み・参加費 不要、託児室あり

日 時: 9月23日(月)
午後1時30分から4時30分まで
会 場: 上野教会(JR鶯谷下車)受付開始午後1時
テーマ: 「夫婦の対話とカップルパワー」
講 師: ネメシュ・エドモンド神父(イエズス会)
(ほかに3組のご夫婦)
対象者: できるだけ夫婦でご参加下さい
(未受洗者もどうぞ)
一般のご参加、若いカップル大歓迎
主 催: 東京大司教区城東ブロック会議

平和祈願祭

8月10日 平和への決意と祈り 平和祈願祭 白柳大司教説教

皆さん、今年はあの真珠湾の事件が起こって50年目にあたります。また教皇様が広島においでになって、平和アピールをなされてから10年目、それは同時に日本の教会が平和旬間を定めて、8月6日から平和の元后である聖母マリアの被昇天の祝日までを、平和への決意と特別の祈りの機会としてから10年目にあたります。私たちは、今こそ決意を新たにし、自覚して平和のために神に祈り、また同時に平和の道具となって働くようにしなければならないと思います。(中略)
歴史の示すように、人間のつくり出す平和は、武力の均衡のもとにある平和であり、約束事に基づく平和であって、いつ壊されるかという恐れのあるつかの間の平和にすぎません。
今日の福音の中でイエズス様は、「私が与える平和は、この世が与えるような平和ではない」とこうおっしゃっています。イエズス様は、人間に真の平和をもたらすために、十字架にかかり、亡くなられ、3日目に復活し、それを通して人々の心に神の霊をそそがれました。
「あなた方は知らないのか、あなた方は神の神殿である。あなた方の中には神の愛の霊が生きている」と聖パウロがおっしゃったように、私たちは罪に死に、新たにキリストに生まれた時から神の愛の霊に生かされているものです。私たちはこの愛の霊に満たされ、促されて、互いに愛しあうときはじめて、くずれさることのない真の意味の地上の平和を築きあげることができるのだと思います。
従って、私たちの平和への努力、それはすべての人が、神の愛に与かるように力を尽くすこととつながっていることだと思います。
平和、それは争い、戦争がないということだけではなくて、より積極的な互いに愛しあうことによって実現されるものです。
従って教皇様がおっしゃるように、戦争は人間のしわざですが、地上の平和は神の恵みの下に人間がつくり出していくものです。神よ、真の平和とは何かを悟らせて下さい、そして私たちをその平和の道具としてお使い下さい。
最後に今日、沢山の方々が遠くから平和行進、祈りをこめた平和の願いをもってここに歩いてやってまいりました。皆さん方の一歩一歩、皆さん方の流した汗がキリストのいけにえとともに、父なる神がうけ入れて下さり、それが平和への大きな力となりますように。

ルポルタージュ 家庭 (7)

アルコール依存症の病理 その2   横川和夫

女子高生監禁殺人事件  -少年Cの家族-

「アル中が最初から”お父さん”をやらなければいいんですけどね。若くて元気なころは、お父さん役をやろうとする。それはマッスルパゥアー、つまり筋力で子供を制圧しようとするので、自分の持っている論理を一方的に押しつけることになるんですね」 女子高生の監禁場所となったC少年の家の家族病理は、アルコール依存症だとする斉藤学先生(東京都精神医学総合研究所)の説明は続く。
C少年の家は、父親が診療所の事務長、そして母親は同じ診療所の看護婦長という共働き家庭。だから幼少時からC家は、玄関掃除はC、板戸開けはCの兄といったように、それぞれ家事の役割分担を決めていた。だがC少年にとって、役割分担をさぼったときなどに酔った父親から暴力を振るわれたことが深い心の傷となって残っている。
事件直前には、母親はCの暴力に耐え切れず、ハダシのまま外へ逃げたりしたこともある。父親が「暴力はいかん」とさとすと、Cは「お前が小さいときにやったことだ」と逆にCに殴られた。
「子供の問題で、こんなことがあったと言いますと、2階に上がって怒るということが年に一度じゃないけどありました。そういう怒り方をしないで、コミュニケーションを図るようにしてはしいと小学校高学年のころは言いました」と母親は一審の法廷で証言したが、斉藤先生は、こうした酒に酔った暴力は、アルコール依存症に付きものだというのだ。
「アルコール依存者ほ、しらふの世界と酩酊の2つの世界を生きているんです。Cの父親のように昼間は職場で有能な人間で、人付き合いも良く、世間からは評価される。夜はその緊張を解くために酒を飲んで、自分の自閉的な世界に閉じこもる。その2つの人格の差が深いほど、緊張度と疲れが増して、ますますアルコール依存度を強くしてしまうんです」
若いうちは、酒を飲んでも父親性だけは頭の片隅に残っている。しかも、まだオレは酔ってないんだということを誇示しようとするため、細かいことにこだわったり、何かあるとすぐ暴力に出る。
「子供とのコミュニケーションがとれていないのに、時々、わっと乱暴な父性原理を発揮して子供に体罰を振るう。そして後は一人で静かに酒を飲んで自分の世界に閉じこもり、雲の上の人になってしまうわけだから、子供にとってコミュニケーションどころか、ますます父親に対する不信をつのらせていくことになるんです」
Cの父親は、どちらかというと酒を飲むと無口になって閉じこもってしまう性格だ。結婚当初、母朝はそんな父親に対話をしてほしいと注意し、ときには酒を取り上げたりしたが、そうすると普段おとなしい父親が怒ったりした。
最近では「体に気をつけて下さいね」と言うだけで、はとんど放任状態のようだ。
「このお父さんは共感の欠如が激しかったんでしょうね。普通はお酒を飲むと仮面を外して自分をさらけ出すんですが、あまりにも自閉的になると、それもできない。そんな場合は家族、特に母親にとってはたまんなかったでしょうね」
父親は宴会部長と言われていた。診療所の事務長として外部や近隣との付き合いは、実にきめ細かく、評判が良かった。
「宴会部長というのは大変でしてね。酩酊人格でいながら、しらふの良さを発揮しなければならないので、大変なエネルギーを使うんですね。酒を飲んでも酔えない。だから大抵は宴会部長をやった後は、一人で飲み直しをする人が多いですね。若いうちは社会性があるんですが、50代に入ると”独り旅”と言うか、孤独飲酒が主になってくる。自分の自閉的な世界の中で、子供返りというか全能感に支配されて、酩酊時に独りで飲んでいる場合でも、独り言を言って、テレビ見たりして笑っている。外部との関係を遮断してしまうんです」
酒を飲んで帰宅すると、独りで食卓に座り、また飲み直す。新聞を見たり、テレビを見たりして、はとんど家族の者とは話をしない孤独な酒。最近は酔って暴力を振るったりもしないし、仕事は人一倍熱心にするわけだから、他人に迷惑をかけるわけでもない。そんな父親をアルコール依存症にしてしまうのはおかしいのではないかという反論が聞こえてきそうだ。
「それが間違いなんですよ。ネクタイ締めて“9時から5時”をやって、その後に飲むのも立派なアルコール依存症なんですね」
斉藤先生は、サラリーマンにとってギョッとするようなことを言い始めた。

司教総会から(6月24〜28日)

■ 司祭のサバティカル・イヤーの検討
■ 国内移動信徒委員会の解散を決定

6月の定例司教総会は、前半を部落問題とレオ13世の回勅レールム・ノヴァールムの勉強にあてたが、後半には、日本の教会全体にかかわる話し合いを行うと同時にいくつかの重要な決定も行った。
その中のいくつかを拾いあげてみる。

1 国内移動信徒委員会の解散を決定

主な理由。この委員会は、主に九州地区からの大勢の信徒の移動があった時代を背景に、そうした信徒の司牧の要請に基づいて生まれたものであるが、時代の変遷の中で、教会や信徒の意識の変化に伴い、この問題は教区間・小教区間の通常の配慮の範囲で対処できるとの判断によるものである。
同委員会の委員長である松永司教の提案を審議検討した末、解散を承認した。

2 独身確認書改定案の承認

独身確認書とは、信徒は無論のこと、カトリックの教会で挙式を願う者たちの独身を確認するためのものである。従来、このために戸籍謄本等の提出が求められていたものであるが、3年前の司教総会では、戸籍謄本の提出を廃止し、それにかわるものとして、独身確認書を作成し、本人たちに記入してもらってきたものである。3年間の試みの期間を過ぎて、見直しが求められ、教会法制委員会が中心に全国の関係者へのアンケート等を行いながら、今回まとめ改正したものが、総会に提出され、承認されたのである。

3 司祭のサバテイカル・イヤーについて検討することを決定

宣教会・修道会司祭には、サバティカル・イヤーが制度化され、休みと同時に十分な研修や勉強のための機会が与えられているのに反して、教区司祭にはこの制度が確立されていない。
こうした現状を踏まえた「生涯養成プロジェクトチーム」(委員長深堀司教)は、司祭の生涯養成の充実のためには、サバティカル・イヤー制度の確立が前提になるとして、司教総会にサバティカル・イヤーの確立について議題とすることを求め、総会で審議検討されたものである。
この件については、教区司祭との慎重な話し合いが必要であるという判断から、各司教が各教区の司祭評議会で検討し、その結果を司祭生涯養成委員会に提出し、それに基づいて、来年6月司教総会で改めて検討することに決定した。
東京教区としては、この問題について、さっそく7月8日の司祭評議会で審議され、10月に新たに選任される司祭評議会のメンバーで検討していくことになった

4 第2回福音宣教推進全国会議担当司祭を交えた司教たちの勉強会の開催を決定

第2回福音宣教推進会議を準備していくにあたって、司祭たちとの意見交換が重要であるという認識から、12月の臨時司教総会の前半を、担当司祭たちとの勉強会にあてることを決定した。なお、全国会議のテーマ・切り口の設定は、来年度司教総会にて行うことに決定。

5 部落問題に関するカトリック教会の基本方針策定を決定。

カトリック部落問題委員会(委員長相馬司教)が原案をつくり、臨時司教総会で審議することになった。

(注) 「サバティカル・イヤー」
司祭が教区司教の指導と承認のもとに、一時、現場の宣教司牧の任務から離れ、心身の休養と活力の回復をはかり、また有益な研修をうけ、司祭としてよりよく奉仕することができるための一定の休養・研修のための休暇をさす。

ズームアップ

徳永瑞子さん

『プサマカシ……若き日の助産婦のアフリカ熱中記』の著者、徳永端子さんは23歳のとき初めてアフリカに行き、26歳の時から10年間ザイール共和国で、看護婦・助産婦として活躍。 帰国後、聖母病院どに勤務のかたわら、 4chの「24時間テレビ」に登場し、国際救援団体や第3世界医療に協力。地元タウン誌を通じても、アフリカ医療援助のため自作の絵はがきを頒布するバイタリティの持ち主。
現在、国立公衆衛生院研究課程に在学し、次の飛躍に備えている。
健康に気を付けて頑張って欲しい。

カトリック柏教会 移転・名所変更のお知らせ

新名称 平和の元后 聖マリア カトリック豊四季教会

住所 〒270-01 千葉県流山市長崎2丁目444番地
TEL 0471-45-9933(事務室) 0471-45-8911(信徒会館)
FAX 0471-44-7988

司祭対象アンケート 教会の受けた相談内容 -東京教区福祉委員会-

「ナイス1」 の課題である「開かれた教会づくり」を受けて、福祉委員会は、具体的な計画を立て実践していくための前段階として、教会の内外にある福祉問題を認識することを目的に、教会に現在どのような相談がどの位持ち込まれているのか、またそれらに対する対応はどうなされているのかについて、もっとも相談を受けることが多いと思われる司祭を対象に、以下に示す八項目についてアンケート調査を行った。

1.経済問題、行路、生活問題
対応できたという回答は多いが、対応策が問題である。金品の授与に終っているとしたら、表面的な解決にすぎない。

2.児童と教育の問題
相談に対応できたとする回答が多かった。児童および教育の問題は、教会が比較的容易に対応しうる領域である。

3.青少年と非行問題
教会が非常に関心を持っている領域であるが、非行問題に関する限り、司祭個人とか教会が対応しにくいというのが現状である。今後の課題である。

4.老人間題
老人問題については、教会よりも行政に相談を持ち込むケースが多いのかもしれない。司祭が対応するよりも信徒グループ・個人が積極的に関わっていく必要があるのではないか。

5.夫婦、嫁姑、親子の問題
家族をめぐる諸問題は決して少なくないはずだが、実際に教会に持ち込まれる相談数は少ない。教会内の相談機関(カリタスの家など)をもっと利用する方法を考えてはどうだろうか。

6.障害者の問題
相談ケースが非常に少ないのが目立つ。これも行政が対応する問題と受け止められているためなのかもしれないが、障害者の問題も人間一般の問題としてとらえなければならないことが、ないがしろにされている。

7.アルコール、難病、精神障害
相談件数が非常に多い。人間疎外と複雑な人間関係宣悩む現代の社会情勢を反映している。一般社会と同じく、教会もアルコールを含めた精神障害の問題に真剣に取り組まねばならない。

8.国際的問題、難民他
近年相談件数が目立って増えている領域である。東京国際センターの活躍が期待される。

以上のアンケート調査から、
悩める社会情勢を反映して、予想を上回る数の相談を必要としていることが私たちの周りにはあること、教会に持ち込まれる様々な社会的問題に、司祭一人では対応しきれない実態が浮かび上がってくる。
福祉的相談を受けることの多い司祭が、もっと信徒との協力関係を密にしながら相談に対応していけるような、何らかの形での組織化が教会内になされることが熱望される。

【表1】 教会の受けた相談内容

項目 相談件数 対応ができた できなかった
1.経済問題、行路、生活問題 32 56% 31%
2.児童と教育の問題 34 71% 9%
3.青少年と非行問題 18 44% 28%
4.老人問題 26 62% 15%
5.夫婦、嫁姑、親子の問題 26 65% 23%
6.障害問題 13 77% 0%
7.アルコール、難病、精神障害 30 67% 20%
8.国際的問題、難民他 30 70% 7%

 

【表2】 対応したのは?

司祭 53〜76%
信徒個人 7〜21%
信徒グループ 3〜20%
カリタスの家 2〜7%
その他 2〜5%

イエズス会に新司祭誕生 -聖イグナチオ誕生500年を飾る-

イエズス会(池長潤管区長、会員数=340人)に、今年も3人の若い司祭が誕生した。
叙階された新司祭はベルナルド・ピオ・アスティゲタ神父、菅原裕二神父、柳田敏洋神父の3人。叙階式は、7月31日午後4時から東京・四谷の聖イグナチオ教会で、白柳大司教の司式、約80人の共同司式司祭を迎えて行われた。当日は聖イグナチオ・ロヨラの記念日で、しかもその誕生500年を祝う年の最後の日に当たった。
式は平日で35度を越える猛暑だったにもかかわらず、900人以上め参列者がつめかけ、関係者を驚かせた。はいりきれない参列者が入口にあふれ、立ちどおしで式に与った人も多かったほど。
白柳大司教は説教の中で、教皇ヨハネ・パウロ2世がイエズス会に当てた書簡を引用しながら次のように述べた。「聖イグナチオはすばらしい才能を生かしきって教会に奉仕した聖人である。彼はその活動を見事に祈りと一致させた霊性の人であった。3人の新司祭は、こうしたイグナチオのカリスマに与かる者として、今後いっそう、すべての行動にわたって神との一致、活動における観想を実践しながら、キリストを信じる人びとへの奉仕に励んでいただきたい。」
新司祭の略歴は次のとおり。

ベルナルド・ピオ・アスティゲタ神父
=1958年アルゼンチン国ブエノス・アイレス市に生まれる。1976年サルパドル大学音楽部入学、1978年イエズス会入会、1985年来日、現在上智大学大学院神学研究科在学中。

菅原裕二神父
=1957年宮城県生まれ、1980年上智大学法学部卒業と同時にイエズス会入会、現在ローマで神学研修中。

柳田敏洋神父
=1950年島根県生まれ、京都大学大学院工学研究科修了後、共和醗酵工業株式会社入社、1982年イエズス会入会、現在上智大学大学院神学研究科在学中。
なお3人とも幼児洗礼である。

世界ろう者会議 歓迎手話ミサと交流会

7月7日(日)10時から、カテドラル地下聖堂において、「世界ろう者会議」歓迎手話ミサと交流会が開催された。
7月5日〜11日にかけて、武道館で開催されたアジアで初めての「世界ろう者会議」の出席者に対して全国カトリック聴覚障害者の会(水野勝美代表代行)が呼びかけ、東京教区聴覚障害者の会(白柳聡会長)のメンバーとシスター達が準備と当日の運営にあたった。
シンガポール、フィリピン、インドネシア、韓国、サイパンからの参加者をまじえてのミサは、国際手話、日本語、英語の手話のほかに、O・H・Pによる日本語、仏語の解説もあり、白柳大司教をはじめとする7人の司祭の共同司式で捧げられた。
カトリックセンターに場を移しての交流会では、各国参加者の紹介、あいさつや歌などが行われた。

おしらせします

【生涯養成に関する企画】

★ガラルダ神父の金曜会(キリスト教サークル)
日常生活の身近な問題を考えながら自分なりの信仰を深める
毎週金曜日午後6時〜7暗まで講話、7時〜8時までグループ。ディスカッション(自由参加)
8時〜9時まで喫茶店での語らい(なおさら自由) 上智会館2階(三木文庫)

★ガラルダ神父の聖書研究会(聖書を読みながらイエス・キリストを知る)
火曜日午後6時30分〜7時30分。木曜日午後9時〜10時
上智大学2号館3階304室 ガラルダ研究室
問い合わせ 上智大学カトリック指導部 又は上智社会福祉専門学校

★黙想会
10月19日(土)午後4時〜20日(日)午後4時
上石神井イエズス会黙想の家、指導ガラルダ神父
費用4,000円
申し込み先 上智大学カトリック指導部

★ふれあい回復
10月4日(金)
・あけぼの読書会(あけぼの10月号使用)
午前10時〜午後2時30分、
会費 300円
・講演会 藤竹暁氏 甲羅のないカニ(新しい情報環境と家庭生活)
午後1時30分〜3時30分、
会費 700円
場所 いずれも女子パウロ会

★デーケン神父のキリスト教入門講座
10月1日(火)幸福への道
10月8日(火)喪失体験と人格成長午後6時〜8時30分
(1時間の講話と1時間半のディスカッション)
上智大学6号館1F

★教会の典礼(第1回千葉ブロック信徒の養成コース)
第1回10月13日(日)
「信徒に今、求められること-教会共同体と信徒」 講師:森一弘司教
第2回11月10日(日)
「キリスト者の祭司職と信徒にできる典礼-
司祭不在時の集会祭儀等」 講師:関根英雄師(木更津教会)
第3回12月8日(日)
「主日のミサの構造と意味」酒井俊雄師(西千葉教会)
第4回1月12日(日)
「ミサと生き生きとした信仰共同体づくり」小沢茂師(佐原教会)
第5回2月9日(日)
「聖書に親しむためのてほどき」デニス・ガラン師(保土ヶ谷教会)
第6回3月8日(日)
「みことばの分かち合いにおけるリーダーシップ」-コース全体のまとめ
時間: 午後1時半〜4時
講話、分かちあい、お茶、まとめ、ミサ
場所: 茂原教会
申し込み方法: 必ず事前に申し込み書または葉書に該当事項を記入の上、郵送またはFAXで茂原教会ケルソ神父まで、
問い合わせ: 茂原教会ケルソ神父または佐原教会小沢神父
参加費: 2,500円(部分受講の場合、1回につき500円)当日会場にて。

1991年度福祉の集いのお知らせ

日時 10月17日(木) 11時〜15時30分
場所 カトリックセンター(カテドラル構内)
テーマ 「第1回ナイス後を振り返って」

11時〜 ミサ 地下聖堂
13時〜 講話 森一弘司教
14時〜15時30分 白柳誠一大司教と語る

主催 東京教区福祉委員会
地域活動推進小委員会

第1回教会委員研修会(7月20日〜21日)

小教区の教会奉仕に備えた信徒の養成 生涯養成委員会主催

生涯養成委員会が「小教区の教会奉仕に備えた信徒の養成」を目的として企画した研修会が、「第1回教会委員研修会」として7月20、21日の両日、千駄ヶ谷の東京青年文化会館で開催された。

この企画の意図は、日頃所属教会での役割をこなすことに追われ、なかなか他の小教区の状況を知りにくい立場にある教会委員が一堂に会して情報交換、意見交換の場をもつことにある。今回は一般公募せず、小教区の司祭より教会委員へ勧めてもらうという方法をとったが、25教会、36名が参加者した
ことは、1回目としては出足好調であったと言えよう。
第1日日は、2時からオリエンテーション、森一弘司教の導入講演の後 今回の研修会の方向づけをするために、パネルディスカッションが行われた。
パネラーは、司祭3名(築地・川原師、多摩・小宇佐師、秋津・田中師)と信徒3名(赤堤・滝島氏、麻布・福川氏、秋津・伊藤氏)。各パネラー7分の発言の後、全員でのパネルディスカッションとなったが、2時間半が短かすぎる程の活発な意見交換が行われた。
小教区とは何か、教会の役割とは、教会内の行事をこなしながら、どのようにして外にも働きかけることができるか等、自分の教会内だけに目を向けるのではなく、広い視野に立つ必要性が強く求められた。

夜は昼間のパネルディスカッションを受けて、5グループにわかれ、より深く小教区の情報交換や他教会への質問、委員としての心構え等を話しあった。
翌日は前夜のグループディスカッションの代表がパネラーになり、第2回パネルディスカッションを行った。
森司教の「今何故この研修会が必要なのか」という説明を聞いた時、参加者一同自分達の役割の大切さを改めて目覚したようであった。
森司教は「今日の目まぐるしく変化する社会、情報の多さに、司祭、信徒も変わらざるを得ない。また司祭だけでは多様化した信徒の要求に応えきれない。それに加えて、司祭の数は減少し つつあるので、教会委員の養成は早急に必要である。」と述べた。
最後に今回の研修会の企画、運営の総責任者である関口教会の吉池師によるまとめがあり、今回の研修会を土台として第2、第3の教会委員研修会を開催し内容を深めていきたいという方向が示された。
研修会はミサをもって閉会されたが、祭壇を半円型に囲み、神のもとに教会はみな一つという思いを強くし、平和の挨拶では自分の席を離れてまで握手をかわし、お互いの活躍を励ましあった。
(庄司昌子)

神学生を囲む会 - 町田教会一粒会主催 -

町田教会の一粒会では2年前から年に一度、信徒が神学生の生活やその人柄を直接会って知ることができるようにと「神学生を囲む会」を行っています。

一粒会は、祈りと献金によって司祭および修道者の召命を願うという目的で活動を行なっておりますが、残念ながら町田教会ではこの20年間召命の恵みをいただいておりません。
その中で町田教会の若者の間では、司祭となるための第一段階である神学生が特別な人(もちろん召命を受けた特別な人であるが)で、自分とは別の世界の人間のように思われているようです。
また、大人達の方でも神学生は未来の神父様なので気安く話しができず、どんな生活をしているのか、どの様な召命を受けて神学生になったのかなどわからない事ばかりで不思議な存在となっているようです。
これまでも年に一度の神学院祭で石神井へ行く機会があっても、なかなか参加できずにいる信徒が大半でした。そこで神学生をより身近なものとし召命の一助となればと教会に神学生を招いて信徒と接していただく機会を作るようになりました。

7月13日〜14日も、土曜日の夜には青年を中心に、翌日には信徒全体を対象として「神学生を囲む会」を行ない、神学生とともに楽しいひとときをすごすことができました。
今回、参加くださった神学生は、新潟教区の石黒神学生、東京教区の浦野、金、佐藤神学生と町田教会で一年間助祭として研修している五十嵐助祭の計5名でした。
昨年度から神学校の教育方針が変わり、那須での初年度養成という新しい教育過程ができたことから、そこでの生活が話題の中心となりました。
参加した青年達の感想を聞いてみると、那須の初年度養成の生活はきつい、それほどきつくはなく自分の今の生活の方がつらい、などの様々な感想が聞かれ最後に女の子たちからは頑張って立派な神父様になってください、などの言葉が送られました。
私たちは、青年達は教会活動のなかで毎日曜日に神学生がアポストラートス(司牧研修) に来ているのでもっと身近な存在としているものと思っておりましたが、そうではなく、ほとんど知らない存在であった事をあらためて知らされました。
この会も今年で3回目ですが、参加してくださった神学生は皆それぞれ個性的で恵みに満ちた方々と感じられます。今後も召命を祈願するばかりでなく、この様な神学生と接する機会を作ってゆきたいと思います。
(松本文之)

宣教司牧評議会報告

■ 現代日本社会の家庭のさまざまなあり方をさぐる
-今年度の方針決まる-

7月7日、四谷雙葉学園同窓会館で宣教司牧評議会が行われ、今年度の方針について検討され、運営委員会が提示した下記の基本方針が了承された。

一、「家庭」についてのさまざまなとらえ方、理解の仕方、あるいは多様な問題点を拾いあげて、全国会議に向けて展開されるだろうさまざまな集まりや話し合いへの参考資料をつくる。
「家庭」についての理論的な考案を、まとめや問題解決のための指導等をつくるのではなく、あくまでも資料収集に徹して、全国会議に向けての教区全体の準備を助けることを主目的とする。

ニ、次の3ポイントに絞る。
・ 家庭の意味・意義について
-家庭の技能・役割-
・ 現代家庭の現状と問題点の明確化
・ より良き家庭となるための具体的な方法・形
-家庭内での努力-
-小教区共同体・地域共同体として-
-教会として-教え、指導、日本社会への働きかけ

三、このための具体的なチームを結成する。
1 家庭のさまざまな姿・あり方を集めるチーム -あんな家庭、こんな家庭
2 宣教司牧評議会主催の勉強会、研究会、講演会の企画チーム
3 資料集めチーム一新聞、雑誌書物、ビデオ、映画、専門家-
今後、それぞれのチームのメンバーと責任者を決めて、課題に向かって活動することになる。
なお、第2回全国会議の準備委員会の責任者である塚本師より「第2回福音宣教推進全国会議に向かっての話し合いノート」が作られ、発行されたと報告された。

(注)この「話し合いノート」は、弱い立場に立って家庭を考えていくという視点から、聖書の光と神の助けのもとに、現代の家庭が直面しているさまざまな問題を取り上げ、解決のための道を探ろうとするものである。
きめ細かなヒントや関係する聖書の言葉が引用されていて、小グループでの話し合いのためには大変参考になるものである。

教会・修道院巡り(10) 「茂原教会」

ビィグルース神父は1872年に来日し、干葉県最初の宣教師となった。この宣教師の弟子となり、伝道士となった人の中で、茂原教会に関係の深い人に平田友雄という人がいる。
ヤコブ平田友雄は、1872年築地教会で受洗し、千葉、佐倉、安房、前原の各警察署長を経て、1879年12月から1883年1月まで茂原警察署長として在任した。平田がビィグルース神父の訪問を受けたのは佐倉所長の時代であった。彼は伝道士にはならなかったが、牧野泰蔵、藤井治和、林久蔵、樋口勝太郎、丸万里など伝道士や信徒として活動する多くの人を信仰に導いた。これらの人々の宣教宿動はめざましく、茂原周辺に信者・求道者が増え続けた。1883年8月、干葉に続き茂原に洋風の礼拝堂が完成した。9月16日、盛大な献堂式が行われた。当日は大雨であったにもかかわらず、茂原及び近隣から信徒を含め、6、700人が参列した。当時の茂原町の人口は2,000余りであったので、その関心の高さが伺われる。
その年のクリスマスには、初めて真夜中の祭儀に与かることができる喜びで、信徒達は聖堂内外を荘厳に飾り付けた。近辺の信徒もことごとく参列し、告解。聖体拝領の秘跡を受けた。
聖堂はささやかな建物であったようだが、その完成は伝道士や信徒に大きな励ましとなった。その年の終りから翌年1月までに鶴舞で15名、茂原とその周辺で19名の受洗者を出している。しかし1886年頃から、教勢は次第に衰えていった。欧化主義反対の気運と、国粋主義の台頭は、宣教に大きな影響を与えた。特に佐倉出身の教育家、西村茂樹( 1828〜1902)の思想は、1890年10月に配布された『教育勅語』の趣旨と結びつき、一層この気運に拍車をかけた。
また、ローマからの指示で開かれた地方会議の方針は、従来の日本の宣教方針を大きく変えた。自由な雰囲気は無くなり、信仰生活に関する細かい規定の 遵守へと指導が変わっていった。だが、日本の習慣・風土、また宣教地という条件を全く無視した新しい規定に、多くの信者はついていくことができなかった。1883年に建てられた教会は明治の末期まであったが、その後は日本家屋の仮聖堂で集会が行われていた。しかしいつしか教会は無くなり、伝道士もいなくなった。それでも信仰に忠実に踏み止まった何人かの信徒は秘跡に与かるため、千葉の教会まで出掛けて行った。 1953年、コロンバン会の宣教師が現在の教会を建て、再び熱心な司牧が開始された。

『一粒の麦』 第10回 白柳大司教、教区100年を語る

東京大司教区100年の歴史
1891年(明治24年)から
1991年(平成3年)まで

こぼれ話 その2「ケルン教区と東京教区」

まだまだ続く白柳大司教の100年史「こぼれ話」を取り上げる

いちおう教区100年史は終りましたが、先月は「こぼれ話」として、「土井辰雄枢機卿様」 についてお話しいたしました。
今月は、皆様にぜひ「ケルン教区」のことについてお話したいと思います。
現在の東京教区のことを考える時、東京教区がこれまでに成長できたのは、ケルン教区の心からの援助があったからです。「ケルン・デイ」 「ケルン週間」という言葉などで、皆様も神父様やいろいろな方からお話はお聞きになっていらっしゃることと思いますが、今回はもう少しくわしくお話いたしましょう。

突然、一通の手紙が

1954年7月も末のことです。突然、ケルン教区のフリングス枢機卿様から土井枢機卿様宛てに、一通のお手紙が届きました。そこには、このような内容のことが書かれていました。
「今年は、ドイツにキリスト教を伝えた聖ボニファチオが亡くなって1200年の記念すべき年にあたります。その年を記念して、私たちと同じように戦争の被害を受けられた東京教区を助けさせてください。私たちの経済的な援助を受け取っていただきたいのです。」
この手紙が届いた時のことは忘れようにも忘れられません。日付は7月15日となっていました。早速、土井枢機卿様は、8月7日、ケルン教区の申し出を感謝してお受けしたいというお手紙を出し、ケルン教区のために祈る日を定めることをお決めになりました。
それ以来、ケルン教区は毎年クリスマスの小教区の献金を全額送ってくださるようになりました。ケルン教区からの援助は東京教区内の小教区だけではなく、教区内にある上智大学をはじめいろいろな学校とか病院、諸修道院の志願者のため、神学生の養成のためなど、大変な額の援助の手をさしのべてくださいました。

キリスト教の愛とは

東京への援助をはじめてくださった頃は、ケルンでも復興が終っていませんでした。それどころか、戦争で壊された聖堂が完全に復興したのはケルン教区では、今から4、5年前のことです。ですから、東京教区を助けるということに対して、当時、信者の中からも司祭の中からも、まだ自分たちが立ち直っていないのに、どうして他を助けるのか、と猛反対が起こったそうです。
その時、フリングス枢機卿様は、有名なあの言葉、「自分たちが十分に満ち足りて、その中から満ちあふれたものを人にあげることは、誰でもできます。キリスト教的な愛とは、そういうものではありません。自分たちが足りない時も、他の因っている人を助けるのが大切なことです」と。
また、同時にローマからの反対もありました。東京は宣教地です。宣教地を助けるお金はローマにいったん集めて、ローマから各地に送るというシステムで今までローマは行っていました。そのため、ケルンから東京に経済的な援助をすると、ドイツからローマに送られる援助金が減ってしまうということをおそれたのでした。
フリングス枢機卿様は「心配しないでください。こういうことをすれば、献金はもっと多くなりますよ」とおっしゃったそうですが、事実そのとおりでした。

フ枢機卿の卓越した人柄

フリングス枢機卿様は大変な決断力と先を見る目がある方でした。ケルン教区が東京教区を援助するということが、ドイツ国内に知れわたり、ドイツの他の教会もアフリカやアジア教会と関係をもつようになりました。教区間の助け合いは、それまで事実上ありませんでした。この意味でフリングス枢機卿様は、新しい道をひらいた方ということができます。
フリングス枢機卿という方は大変ユーモアのある方ですが、ナチスドイツに対する理論的な反対者でもあった方です。
彼は大変なバイオリンの名手でしたが、晩年失明しました。東京のカテドラルを造っている時も、もう目が見えなかったので、我々は大きな模型を造って行って、それに触っていただきましたが、大変喜んでくださいました。

フリングスする?

ドイツ語に、「フリングステン」という動詞があります。これは、「フリングスする」ということですが、この言葉の語源は、やはり、フリングス枢機卿様の言葉に由来しています。
カトリックの思想では、この世のものは、すべての人のために、すべて神が下さったものという考えがあります。しかし、現在、人間は社会生活をしていく上で、私有財産をもっています。けれども、本当にある人が欠乏をきたして、他人の物だがそれを取って食べなければ死んでしまう、という状況においては、取って食べても罪にはなりません。これはカトリックの倫理ですね。
ドイツで戦争直後の冬は、大変寒い冬だったそうです。爆撃を受けたために、ケルンでは家もほとんど破壊されてしまい、その上暖をとろうにも、ストープに燃す物がない状態でした。一方、アメリカ軍のキャンプには石炭が山のように積んであります。それを皆が夜な夜な取りに行くわけです。それがドイツで社会問題になりました。その時、プリングス枢機卿はケルン大聖堂の説教壇から、石炭を盗むのは罪ではない、ということを言ったのです。以来、人が本当に必要な時物を盗むことを「フリングステン」 「フリングスする」と言うようになったのです。それほど有名になったのです。またアデナウアーのよい友人でもありました。

ケルン教区長 三代にわたり関係を深める

ケルン-東京のよい関係を続けていくためにも、ケルンで東京のことを知ってもらおうと、1955年と1975年の2回ケルンで「東京週間」をしました。同時に、東京でも「ケルン週間」を開き、互いの関係を深めていきました。
フリングス枢機卿様が亡くなって、次にへフナー枢機卿様が続いて援助をしてくださいました。へフナー枢機卿様が亡くなられて、今はマイスナー枢機卿様と継続して関係を深めています。
私はフリングス枢機卿もへフナー枢機卿もマイスナー枢機卿もよく知っています。フリングス枢機卿様の十字架は彼の遺言で私が頂き、今も大切にしています。
へフナー枢機卿様のことで忘れられない思い出は、彼の司教叙階25周年のことです。
司教叙階25年の記念をケルンのカテドラルで行われ、私も招待を受けて、出席することができました。その席上、へフナー枢機卿様は、私は病気だから引退すると言い、枢機卿様なしで記念のミサをささげ、それが終わってから、病院に入院なさいました。その時、私たちは一人ひとり、お別れの言葉を申し上げたのですが、感動的でした。その2、3日後になくなられました。
へフナー枢機卿様は、東京だけでなく、ラジオ・ベリタスも援助なさっていました。ご自分が叙階記念に、また、25周年などでいただくお金を全部ラジオ・ベリタスに贈っていらっしゃいました。
また、社会的にも大変影響力のある方で、そのご葬儀の時には、大変な行列が続きました。その列の中には、コール首相の姿、他の有名人の姿も見られました。
へフナー枢機卿様は社会学者で、その説教の中にも数字がボンボン出てきます。ケルンの枢機卿になられる前はミュンスター大学で教えていらっしゃいましたが、韓国の金枢機卿がその弟子です。

多くの援助を受けて

今まで土地と建物についてケルンの援助を受けて出来た教会は11あります。例えば、小岩、関町、蒲田、清瀬、船橋、北町、青梅、荻窪、町田、五日市、志村、伊豆の大島の各教会それにカテドラル、カトリック・センター、司祭の家もそうです。
「蟻のまち」もだいぶ援助していただきました。
今は上智大学の大きな建物のために援助してくださっています。
東京教区は自分たちで経済的にも自立していこうという姿勢をもっています。本当に困った時は借りたりすることは考えますが、今は、ケルン教区の精神で、ビルマの教会を助けています。

すばらしい関係を深める

ケルンの枢機卿様たちは、みな、私たちが援助していただいたことを感謝申し上げると、必ず「いいえ、感謝しなければならないのは私たちのはうです。
おかげで私たちの教会は成長することができました」と反対に感謝してくださるのです。すばらしい関係です。
その関係を深めるために、日本から修道会を送ってほしいということで、デュッセルドルフとケルンに宮崎カリタス会が2つの修道院をつくってくださいました。そこでシスターたちは幼稚園と女子学生のための寄宿舎をしてくださっています。また、老人の家庭訪問などもして大変喜ばれています。
デュッセルドルフは日本人の商社マンが5,000人以上いる町です。ですから、私たちも教区司祭の藤井泰定神父様を送っています。

由緒あるザベリオの胸像

カテドラルの入口にあるザベリオの胸像は、その側に歴史的由来が書かれていますが、非常に歴史的価値のあるものです。ザベリオの遺骨が入っているものです。これを持って来てくださったのは、モンセニョール・トイシュという方です。
彼は、東京教区とケルン教区の現在の関係を生みだしてくださった本当の立役者といえるでしょう。彼は当時、ケルン教区の総代理でしたが、東京のカテドラルの献堂式の時、あの像を持ってきてくださいました。
彼は、この胸像を持ってきた時、歴史的にも大変価値のあるものなので、税関を通過するのに大変でした。しかし、彼は、「ザベリオは何年もかかって日本に来ましたが、私は飛行機で一日で来ることができました」と感激していました。

100周年記念にもケルンから参加者が

今年の100年祭には、枢機卿様は来られないのですが、補佐司教様と日本の係の神父様と建築技師の人が来てくださることになっています。
ケルンは第2のローマと言われていますが、そのほとんどの聖堂が戦争で破壊されてしまいました。辛うじて残ったのが、あのケルンの大聖堂です。しかし、その大聖堂も戦災の被害を相当こうむっています。その復興は大変だったと思います。
ケルンの枢機卿様に、復興の大変なことを申し上げると、ドイツでは教会税があり、神父様の生活費用は政府から出るし、また、聖堂の修繕費用も政府から出してもらえます。しかし、私たちにとって、あなたがたが教会を復興していくことは、もっと大変でしょうと、いつも励ましてくださいます。
ケルン教区と東京教区の関係が始まって25周年の時、カテドラルのルルドのところに、「ケルン・東京二十五周年」という板をはめました。皆さんは気がついていますか?この時から東京教区は、ビルマの教会を助け始めるようになったのです。

編集部から

本号は、100周年記念行事の特集です。どのような意図で計画され、その趣旨進行状況など、教区の全員が興味と関心をもっていることを特集しました。一人でも多くの方が、100周年の記念行事に参加され、次の100年に向かっての一歩を、みんなで踏み出すことができますように!

『東京教区ニュース』 の編隻スタッフが交代し、早くも1年になる。編集のお手伝いに加わって、毎月実感していることは「チームワークのよさ」である。チームワークといっても、単に編集スタッフだけを指しているのではない。記事の依頼を快く受け入れ、忙しいなか時間を昇つけて書いて下さる神父様や信者の方々、そして、ぎりぎりの期限で印刷してくださる印刷屋さん、刷り上がった『教区ニュース』を各小教区ごとに袋に入れてくださるボランティアのご婦人たち、本当に皆様ありがとうございます。そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。