東京教区ニュース第83号

1991年06月01日

対日外国人奉仕に生きる教会
ミサを通して信仰を唱い、仲間に出会う

滞日・在日外国人のために、東京教区26の教会で、英語、タガログ語、インドネシア語、ヴェトナム語、スペイン語、ポーランド語、韓国語のミサが行われている。この内、西千葉教会(英語)、麹町教会(ポーランド語)の現状を報告する。

英語ミサグループに支えられて -西千葉教会ー

毎月一回の英語ミサ

西千葉教会では毎月、第1日曜日の12時から英語ミサをおこなっています。ミサにはフィリッピンの人達が圧倒的に多いのですが、アメリカの人、オーストラリア、南米そしてアフリカの人の姿もみえます。
去年に比べ英語ミサに与かる人は増えてきています。現在、聖書と典礼の英語版を通常70部程刷っています。余ることもありますが、たまに足りないこともあります。“1年前は50部だったのです。外国人労働者の増加に関係があるのでしょう。
千葉でもアジアの人達をよく見るようになりました。ミサが終わるとティータイムでホールにジュース、コーラ、お菓子が用意されています。このティータイムもはじめの頃はなかなか人が集まらなくて悩んだものです。ホールにお茶を用意しても人はちっとも来ない、これでは駄目だから、外に用意しよう、帰る時つかまえよう ・・・そんな事をいろいろ考えたこともありました。今はようやっとお茶をのんで話をして行く人がホールに定着したようです。

レイミッショナリー

フィリピンの人達からたびたび幼児洗礼の依頼があります。幸いにも、千葉ブロックにはフィリピンから見えているレイミッショナリーが二人、千葉地区のフィリピンの人達の世話をしています。幼児洗礼はこのレイミッショナリーの人をとうしてもらうことにしました。両親に洗礼の意味を勉強してもらうのです。

英語ミサグループ

ところで、西千葉教会の英語ミサは英語ミサグループによって支えられています。ミサの中の英語の歌をきめたり、ミサの第2朗読はスタッフの担当です。そしてティータイムの準備があります。現在スタッフが10人ほどいます。スタッフの中には外国にいて、その土地の人の親切によってミサに与れて嬉しかったという思い出を持っている人が何人かいます。しかしスタッフは英語が必ずしも必要である
と言う事ではありません。

クリスマスのミサ

クリスマスのミサのことを言わなければなりません。クリスマスにミサには普通の倍以上に人達が集まります。そしてクリスマスパーティは飲み物、食べ物、ダンス、ゲーム、歌がふんだんにあり、さながら外国にいるようです。大人の人が子供のように楽しむのですね。
しかし、このパーティにも出られずに仕事に行く人も数多くいることも心に留めておかなければなりません。
外国の方がこのミサの中でキリストに出会い、話し合える仲間に出会えるよう、西千葉教会の英語ミサグループはこれからも役に立って行きたいと思います。 (加藤英雄神父)

オボンク神父を中心に
– 麹町教会・ポーランド語ミサ –

毎月第2日曜日、午後4時から麹町教会 ザビエル小聖堂でポーランド語のミサが行われている。
たまたま訪れた4月14日は、ザビエル小聖堂に40数人の信者が集い、オボンク神父 (イエズス会)、パウロ神父 (ドミニコ会)の司式で心にしみる雰囲気の中でミサが行われていた。

ミサ後、地下ホールでお茶会が開かれ、オボンク神父、パウロ神父、シスター達を小心にして、熱心に話し合いが続いていた。

はじめは渋谷教会で

パウロ神父にポーランド語のミサの現状について語ってもらった。
「14年前に私が渋谷教会に赴任した時は、先任の司祭がごミサと例会を渋谷教会で開いていました。司祭の転勤に伴ない、場所をここイグナチオ教会に移し、オボンク神父の指導のもとに月1回、ごミサとお茶会を開いています。
通常は50人位の出席者がありますが、ご復活とクリスマスには100人を越えます。
留学生、仕事で日本に来た人、日本人と結婚した人を中心に、若い世代の人々が多いのが特徴です。

ポーランドの婦人は信仰をよく守る

日本人の男性と結婚した婦人が、日本に来日するケースが、従来ははとんどでした。ポーランドの婦人は信仰を本当によく守ります。今は、ポーランド人の男性と結婚する日本人女性もみられるようになっています。若い世代の夫婦が多いので、子どもの教育問題、信仰教育の問題でよく相談されます。

家庭訪問

ポーランドでは、少なくとも1年に1回、司祭は信徒の家を訪問します。東京、千葉と信徒の家はかなり広範囲に散らばっていますが、クリスマスごろから最近にかけて今年も訪問しました。司祭の訪問を子ども連は緊張して迎えます。」など・・・・・・。
又、ミサには数人のシスターが山席していたのでそのうちの1人に話を聞いた。
「現在、フランシスコ会2人、神の御摂理修道会7人のシスターがいます。ここで行われるミサには、出来るだけ出席するようにしています。」

ローマ教皇庁の経済危機

私達カトリック信者は、ローマ司教であり、同時に聖ペトロの後継者であるローマ教皇とのつながりをカトリック信仰の根本的なものとして考えています。
地上における普遍教会の最高の牧者と私達が呼ぶローマ教皇を中心として、地上における普遍教会(Universal Church) の働きをしている組織が簡単に、ローマ教皇庁とか、ローマ聖座(Holly See)とか呼ばれます。

ローマに旅する年間数百万人の人々は、聖ペトロ大聖堂を中心としたヴァチカン市国を訪ねる時、誰しもその巨大な建物、荘厳きわまりない内部、値をつけようもない歴史的な芸術作品に飾られた姿を見て驚きと賛嘆の声をあげます。
日本では、様々の新興宗教団体が競い合って巨大な総本山建造物を建てたり、美術館を作ったり、巨人な仏像を建立したりしていますから、たとえ数百年以前にすでにでき上っていたとしても、一般の人々の目には、カトリックの総本山に感嘆し、その背後にある経済力に対して羨望のまなこを向けるのです。

4月10日に、ローマ教皇庁の大蔵省は教皇の呼びかけで、全世界の各国司教協議会の会長をローマに召集して、これまでにない深刻な問題について、2日間の会議を開いたのです。
日本からは、白柳大司教が出席したのですが、その持ち帰られた資料とお話から以下のような大切なポイントが出てきたわけです。
まずローマ教皇庁には大きく分けて、世界の普遍教会としての役目があり、他方イタリアのローマ市のほんの一部を占めているヴァチカン市国としての役目があります。予算の面からみて、普遍教会としての役割が当然中心となり、その様々な機関に働く人の数は3,000人以上になります。

さて、その予算が年間いくらかを、教皇庁大蔵省の報告、1989年でみますと、支出が199億5千万円、歳入が122億9千万円、差し引き76億6千万円の赤字で、これに他の赤字が21億円ほど加わり、結局1989年度の赤字は、97億9千万円、つまり大雑把に言って、年間予算200億、赤字100億という訳です。
ちなみに文京区の年間予算は、790億ですから、東京23区の小さなひとつの区よりもさらに少ない予算だと言えます。
なんとかして、この年問予算の半分にもなる赤字を構造的になくして、健全予算によってローマ教皇庁の世界の普遍教会としての任務 –例えば、世界の3分の2に近い教区が自立できず、ローマ聖座からの援助に頼っており、東京大司教区でさえ、ローマからの経済的自立は来年度からという事– を果たせるように司教会議の会長達は、頭をひねったということです。 (深水正勝神父)

23,415,279円 (4月30日現在)
カトリック東京国際センター、設立基金募集

今年初めより始まった国際センター募金が、4月30日現在で2,300万円を越えた。目標額1億円にははるかに及ばないが、個人、団体を含めて340口の募金があり、センター設立のための理解が深まっていると関係者はホットすると同時になお一層の協力を願っている。
また、大司教は、新たに運営委員を任命し、センターの今後の運営の充実と発展に備えるよう要請した。運営委員は下記の人々である。

森補佐司教、寺西師、柏谷師、稲川師、余語師、西川師、一藤氏、シスター河瀬

神学生の初年度養成、那須で始まる
東京教区の新しい神学生、ただいま奮闘中!!

神学隼の初年度養成が、今年も4月初旬から栃木県那須のガリラヤの家で始まった。今年、司祭をめざして神学院に入学したのは、東京教区3名、大阪教区1名、広島教区2名の合わせて6名の若者たち。このうち、東京教区の3名の素顔を、始まったばかりの那須での共同生活で感じていることと合わせて、ご紹介しよう。

トップバッターは稲川圭三さん。1959年生まれで本所教会出身。司教館の稲川神父のいとこにあたる。公立小学校で9年間教職に就いていた。「人とかかわる仕事をしている内に、自信はないが神さまが働けと言われるならいい道具になってみたい」と、司祭をめざす動機を語る。教員生活を通して、いかに家庭が大事かを知った。どのような家庭にも、かならず悩みはある。福音を直接伝えることはできなかったが、言葉をかえて神さまのメッセージを子供たちや父兄に伝えることができてとてもうれしかったと語る。
那須での共同生活は、何よりも時間がたっぷりあるので、教員生活の頃に比べてゆとりがあり、自己を見つめるのにすばらしい環境だという。この与えられた時間を大切にしたいとも語る。目指す司祭像はひと言「神さまに忠実でありたい」。

次に紹介するのは、小林静児さん。1960年生まれで関口教会出身。ビル管理会社に勤めた経験をもつ。「今まで生きてきて、自分の人生を見つめてきて、こういう職業についてみるのも召し出しかな」と転進の動機を語る。
今まで都会の雑踏の中で自由に社会生活を送ってきたので、タイムテーブルや共同生活が基本の神学院に入って、最初はかなりとまどった。那須の大自然の中に抱かれてさみしさも味わった。でも今は、「時間と自然だけはたっぷりある共同生活の中で、自己を見つめ、召命の意味を思い巡らし、そして祈り続けるとてもすばらしい1年間であることに気づいた」と語る。
那須に行って、さっそく近所の修道院を訪問したり、温泉巡りで文字どおり裸のつきあいをした。夜は、お酒を飲みながら雑談することも多いが、なぜか世間的な話題が中心で、神学や哲学の話しはあまり出ないという。

最後に紹介するのは、佐々木一之さん。1961年生まれで高円寺教会出身。クラレチアン宣教会に2年間在籍していたが「修道会の関わりの中で外へ向かうより、教区司祭として地域の中で人と日然な関わりをもちたい」と、神学院に入りなおした。
神学院での生活は、午前が要理、教会史などの勉強、午後は精薄者更正施設「光星学園」で施設の人と一緒に労働で汗を流す。息抜きに自転車で那須を散策するのが楽しいという。
自分を評すると「もの静かなタイプ」。そのせいもあって、とても上から教えを垂れるなんてことはできそうにもない。その代わり、みんなの力で教会をつくっていき、その中に自分も確実にいる、いるかいないかわからない存在だが、でもあなたがいなければさみしい、そう言われるような司祭でありたいという。

召命のために小教区の中で祈りの運動を
一粒会総会 4月28日

4月28日(日)午後2時半より、関口教会新館ホールにおいて、1991年度一粒総会が開催された。
白柳誠一大司教の司教叙階25年を祝って、花束が贈呈された後、議事が進められた。

自柳大司教は、「邦人司祭数の推移を調べてみると、明治45年には2名、1937年(パリ外国宣教会から土井大司教へバトンタッチされた年)には24名、終戦時には25名、現在は91名である。どれほど教区の信徒の皆さんが祈り、ささえてきたか、過去、現在の一粒会の大きな働きの結果である。
一時、日本の教会も召命が遅々として進まない時期もあったが、ここ2、3年神学校志望者が増えてきた。教区創立100周年を節目として、さらに一粒会の運動が盛んとなり、若者達の中から、司祭、修道者、修道女の召命が増えることを祈っている」と挨拶された。
前年度活動状況報告、91年度活動方針、91年度予算並びに90年度決算が満場一致で承認された。
議事終了後、一粒会担当司祭内山賢次郎師の「召命について」と題する講話が行われた。
内山師は、「刈り入れは多いけれど働く者が少ない。だから働く者をつかわされるように天の御父に、働く者をつかわして下さいと祈りなさい。(マタイ9章、ルカ10章)
この言葉が一粒会の仕事をする私たちにとって忘れてはいけない言葉である。この言葉を肝に深く銘じながらまず祈ることだ。毎日祈ることだ、家族で、日曜日教会で・・・。一粒会担当の方は小教区の中で祈りの運動を始めてほしい。」
世界召命祈願日の教皇メッセージ 『絶えまない祈りによって若い人々が神の声を聞き、その呼びかけに寛容にそして勇気をもって答えるように環境づくりをして下さい。』を引用し、「小教区にはそうした召し出しの種がどんどん育っていく肥沃な土地になるように、私たちが祈りによって、努力をささげる大きな義務がある」ことを強調した。

カトリック国際学生運動-アジア担当者会議- 開催!

この会議は去る2月17日から28日にかけて、インドネシアのバンドンで開催されました。参加者の顔ぶれは、インドネシア、日本、韓国、台湾、フィリピン、タイ、マレーシア、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、オーストラリア、ホンコンからの信徒、修道者、司祭です。総合テーマは、『90年代におけるアジアのチャプレン、アニメ一夕ーのあり方』。各国で大学生、高校生の運動にかかわる担当者(チャプレン、アニメ一夕ー)たちの現場報告、分かち合い、社会分析を中心に、マルコ福音書、ヨハネ・パウロニ世の回勅『真の開発とは』、『キリストに忠実な信徒』なども参考に毎晩10時ごろまでセッションが続きました。それぞれの国の教会から、専従として任命されている代表者と話をしながら感じたことは、カトリック学生の組織と運営のプログラムとシステムが日本よりしっかり出来あがっていることでした。実際、日本の教会はホンコンの事務局と正式のルートとつながっていません。受け皿としての具体的なチームがないのは大きな課題でしょう。

共に歩むために

カトリックの学生運動にかかわる者は、信徒であれ司祭であれ、とかく上からものを言いがちです。今回の会議でもこの点が指摘されました。しかし、アジアには世界人口の半数以上が住み、その3分の2は若者です。
これからの教会がアジアと、そして若者と共に歩むならば、特に若者に対して開かれた心をもつことが何よりも大切です。若者が求めていることは対等に扱われることです。

だから人材の養成を

日本の教会の中にアジアの若者とコンタクトをとる機関がないということは、将来の日本の教会もアジアの教会としての自己意識の欠如した、内向きの状態が続く恐れがあります。若者との対等の関係は、対話をしようとする姿勢にあり、他の人々の言うこと、違う世界観、文化観に耳を傾けることは、時のしるしを見分ける能力にもつながります。何かやらなきゃ、ということばかりでなく、若者に奉仕する人がお互いの関係の中で神を見出す信仰と霊性をもつことも今回の会議で強調されました。教区のカトリック学年、青年の中にもこうした資質にはぐくまれた人材が必要です。教会の組織のための人材でなく、もっと広い視野で神の国のために生きる人材養成のための新しい制度とそのための財政基盤を近隣教区と協調体制で確立することが急がれていると思います。 (秋保真理夫神父)

ズームアップ

向井龍太郎氏
白柳 隆明氏

クリスマス、復活祭、あるいは合同堅信式や叙階式など教区レベルの儀式が行われる度に、カテドラル構内をきれいに整備し参列する人々に、心地よい印象を与える影の主役が、この二人である。
向井氏はカテドラルに構内で働くこと33年、白柳氏は14年。
雑草が生い茂る5月、6月には修道者のように黙々と草取りに励む。

探しています!! -記録映画3本-
お心当たりの方ご一報ください。

大正5(1916)年、ローマ教皇特使ペトレリ大司教が来日。2月3日宮中に参内、即位祝賀のため大正天皇に拝謁しました。
また、昭和12年2月3日からマニラ市で、第33回万国聖体大会が開催され日本代表も80名が参加、それぞれ記録映画が作られたとのこと。特に後者のタイトルは「東洋の聖光」。
さらにこの頃の教会は紀元節を祝賀し、邦人司祭・神学生も応召、日中戦争の必勝祈願を迫られるなか教区長の邦人化も進められ、昭和12年末、私たちの東京大司教区は土井辰雄師を大司教に迎えました。これに当り現代日本のカトリック布教の草分けパリ外国宣教会は、当時(1月12日から17日)の東京府内の教会の様子を「東洋の辛子(からし)種」と呼ぶ記録映画にしたと言います。
これら3本のフィルムを「江戸キリシタンの殉教」の著者高木一雄氏が探しています。もちろん個人的希望ではなく、このたび日本の3司教区(東京・長崎・大阪)がそろって100周年を迎える大切な時期に、エポックとなる現代メディアを確認しておきたいと言う念願からです。
古い教会・修道院あるいはどこかのお宅の物置などにひっそりと眠っていないでしょうか。お心当たりの方は、この機会に是非探して頂けないでしょうか。もし、わずかでも情報をお持ちであれば、東京大司教館内、広報委員会までご一報頂ければ幸いです。

みんなで話そうよ!
第2回一泊交流会

東京教区全教会の交流を目指して
東京教区ナイスプロジェクト生涯養成委員会

東京教区ナイスプロジェクトチーム生涯養成委員会の企画による第2回一泊交流会が4月28・29日に行なわれた。

昨年10月の第1回交流会の折、千葉方面での開催を希望する声があり、今回九十九里白子海岸に会場を得、ゴールデンウィークの始まりの時期でもあることから、リゾート気分で気軽に交流ができることを期待した。
2月中旬の受付開始と共に参加中し込みがナイス事務局に次々と送られ、締め切りの3週間位前には、キャンセルまちの状況となった。どちらかというと日頃、教区の行撃の少ない千葉地区での開催ということと、前回の参加者が是非また参加したい、あるいは友人にすすめたというケースが多かったものである。

28日午後2時30分の受付開始の2時間も前から参加者が集まり始め、3時過ぎから予定通りオリエンテーション。森一弘司教が挨拶の中で、本音で分かち合うことの意味と大切さを話された。今回は、地元茂原教会からケルソ師と館山・鴨川教会から西川師も参加、スタッフの関口教会吉池師、秋津教会田中(隆)師と共に参加者に紹介された。
続いて自己紹介をかねてゲームが始まりケルソ師と信徒1人が罰として『ごらんよ空の鳥』を歌い、皆も唱和してたちまちなごやかな雰囲気になった。
分かち合いのテーマは、”教会共同体での自分” “社会での自分” “高齢化社会での自分” “家庭での自分” の4つが、申し込みの際のアンケートから用意され、希望によってそれぞれ2つずつのグループに別れることになった。
夕食をはさんで9時30分までグループの分かち合いが続けられ、その後は自由参加のフリートーキングで11時に1日目のプログラムが終わった。

2日目の朝は、会場の近くにある「十字架のイエズス修道院」の朝の祈りに45名が参加、清々しい1日がはじまった。
朝食の後は、1日だけ参加の5名も到着し、森司教から生涯養成についての講話に耳をかたむけた。
7時前から降り始めた雨が激しくなり、外出が難しくなった為に、自由時間は神父さま達への自由な質疑応答にあてられ、有意義なものとなった。

その後のミサは、前回同様女子パウロ会のシスターの発案で地球環境を守ろうという願いをこめたものとし、「海水」「枯れ木」それにケルソ師が用意して下さった金魚などが奉納され、また洗礼の約束の行進の祈りを皆でとなえた。このミサには、東金教会からもフリン師が参加して下さり、5人の共同司式で行なわれた。 昼食後はグループでの分かち合いで出た問題を皆で考えるということで、全体会を行ない2日間の締めくくりとした。
解散になる頃には、雨も上がり、森司教、田中神父と共にホテルのバスに送られて帰途についた。

今回は千葉の8小教区から41名、東京10小数区から21名の参加があり、各教会で中心になって活動している信徒から、来月洗礼を受ける求道者まで、更に幼児を伴った若い親達の参加もあり、これからの教会を考えるのに大変よい機会となった。

昨年秋の東京西部から教区東部の千葉県に会場を移してみて、参加した皆さんから喜んでもらえたことで、準備にたずさわったスタッフはホッとしている。一方、予想以上の早い締め切りになってしまったことについては、お断りした方に申し訳なく思い、次の機会をお待ちいただくようお願いした。同じ教区の信徒であっても、いろいろ違った事情を持つことを知り合い、互いに励まされ力づけられる場として交流会が続いて計画されていくことになりそうである。

ルポルタージュ 家庭(4)

家庭に浸透した偏差値 横川和夫

女子高生監禁殺人事件 -少年Aの家族-

偏差値的価値観に支配されて追い詰められ、逃げ場を失った子どもたちの後ろには、必ずと言っていいほど、企業戦士となって働く父親がおり、その父親を支える妻が控えている。
女子高生監禁殺人事件で逮捕された4人の少年のなかで主犯格の少年A(当時18)の家族は、その典型例だろう。
Aの父親は、証券マンだ。私大を卒業して、中堅証券会社の営業マンになった。今から、10年前と言えば証券不況の真っ最中で、入社した60人の新人社員は、1年で半数が辞め、10年後に残ったのはわずか8人。その1人である父親は、9年目には、200人の営業マンのうち、営業成績が株式部門ではトップになるほど猛烈社員だった。
「証券マン生活24年間のうちで、現在の5、6年は経済的好調と合致して、仕事だけは順調で、私の主義である”共存、共栄の精神”通り、お客さまももうかり、私もよくなり、”証券マンになってよかった” と実感しておりました。私には、株は天職だと思っております」と、上申書で父親は述べているが、その犠牲になったのは、妻であり、子どもである。
見合い結婚したものの、新婚1週間目には無断外泊する。妻は妊娠5ヶ月目に盲腸にかかり入院、2週間後に退院するが、その間、夫は一度も見舞いに来なかった。
Aが荒れ出してから母親は相談所をあちこちと回るのだが、必ず最初にぶちまける不満がある。実母に伴われて退院して、台所を見たら2週間前のままだったと母親はこぼす。
「洗ってあるはずの茶わん、おでんの残りも捨ててあるはずなのに、何もやっていないので、台所全体にウジが何匹もはってました。私は台所を熱湯消毒しました」
父親は、顧客の獲得競争などに明け暮れて、3週間も家に帰らずにいたのである。
「お客さま、同僚との付き合いや激務で、夜の帰りが遅くなり、また、帰らない日もあり、女房、子どもには随分迷惑をかけました。一番大切な夕食は、ほとんど外食でした」
結婚して翌年の4月にAが生まれるが、父親は、その正月休みに会社の同僚たちとスキーに出掛けて行く。8ヶ月の赤ちゃんと母親は寂しい正月を過ごすわけだが、そこへ見知らぬ女性から電話が掛かってくる。
「”あんたなんか別れなさいよ” と言われ “私には子どもがいますから” と答えると “いいから別れなさい” とヒステリックに言われました。私は電話のベルの音も聞くのが嫌になり、座布団をかけるようになりました」
母親は、正月の3日間、Aを抱いて近くの放水路に行って、橋の上から川を見て迷ったが、死ねなかった。
母親は、帰宅が遅かったり、外泊を繰り返す夫への不満、不信を胸におさめ、その代償をAに強い期待をかけることで解消しようとする。小学1、2年のころからスイミングスクール、英語教室、ピアノと塾攻めにして、教育ママになっていく。
家庭と育児は母親に任せ、父親は企業戦士となって働くことを美徳とする性別役割分業の思想は、明治時代から日本社会に深く根を下ろし、だれもおかしいという疑問を抱かないほどになっている。
証券マンに会って、証券会社の営業実態を取材していくうち、家庭を省みられなくなった父親もこうした制度の犠牲者ではないかという気がしてきたのである。
証券会社は、本店営業本部がノルマを各支店に、そして支店長は、それを部下の営業マンに割り当てる。ノルマが達成できない営業マンは、朝8時からの会議で「お前なんか辞めちゃえ」などと容赦ない罵声が浴びせられる。灰皿が飛び、支店長によっては、靴を脱がせて机の上に土下座させ、「私が悪いのです」と営業マンに頭を下げさせたりする者もいる。「立ったまま電話しろ」とか、いじめまがいの罰を与えるのは日常茶飯事。こうした嫌がらせを受けたくないと、営業マンは体にムチ打って顧客獲得に血道を上げるというのである。
「だから夜遅く2時間もかかって家に帰り、妻の愚痴を聞くよりは、会社の近くに泊まって出勤したはうが体が楽になる。要領のいい人は、部屋を借りて若い女の人を住まわせ、金をやって面倒みてもらっている人もいますよ」
私たちの取材に応じてくれた証券マンはこう証言した。

ふれあい旅行のスタッフを募集します

東京教区障害者問題小委員会では、今年の11月2日~3日に障害者と健常者の交流を目的とした「ふれあい旅行」(那須方面を予定)を計画しているがこの旅行をお手伝い下さるスタッフを広く募集している。
問い合わせ及び協力して下さる方は、東京教区NICE事務局の塚本神父まで。

東京教区カトリック情報誌「すくらんぶる」のお知らせ

教区の広報委員会の編集のもとに、年間10回発行の情報誌「すくらんぶる」が発行されます。
教区のプロジェクトや委員会とも密接な連携を保ちながら、最新の情報を掲載すると同時に、皆様の声や、体験記も紹介しながら一層の充実を図ってまいりたいと考えております。
どうぞたくさんの情報をお寄せください。また、この情報誌の定期購読もお願い致します。
購読料 年間1,600円(10回 送料込み)
一部 100円(送料別)
郵便振替 東京7-25420 「すくらんぶる」
申し込み・問い合わせ先
東京ナイス事務局 担当 シスター石野
なお、「ゆーとぴあ」を購読の方には、継続して「すくらんぶる」をお送り致します。

第4回 信徒の霊性 研修合宿

自分たちの人生の体験を分かち合いながら、また祈りながら、ともに信仰を育ててきた「信徒の霊性」研修合宿も、今年で4回目を迎えます。今回のテーマは以下の通りです。

テーマ/「女性の霊性・別件の霊性」
-女性としての、また男性としての霊性を住きるには-

指 導/森 一弘司教
日 時/1991年8月16日(金)PM3時30分~18日(日)12時
会 場/天城山荘
対 象/カトリック信征の方どなたでも。
費 用/20,000円 (申し込み金を含みます。)
締 切/7月1日(月)
人 数/100人
申込方法/・申し込み金5千円を同封のうえお申し込み卜さい。(取消の場合は返金できませんので、ご了承ください。)
・案内書をお送りいたしますので、返信用封筒を添えてください。
申込先/聖パウロ女子修道会「信徒の霊性」係 (清水・松岡)

第17回日本カトリック正平協全国大会
東京大会の日程・会場決まる!

大会テーマ「にんげん、地球、いのち -問われる社会の責任-」

3月28日に、白柳大司教は、日本カトリック正義と平和協議会(担当司教・相馬信夫、事務局長・木頓健三)の第17回全国大会が、11月3日(日)~5日(火)日本青年館 (東東新宿区)で開催されることになったこと、またこの大会に教区の司祭、修道者、信徒たちが関心をよせ、大会を成功させるために参加と協力を求める趣意書を出されました。そして開催場所を東京で引き受けられたことから、白柳大司教はこの大会の実行委員長を務められることになりました。又昨年秋に、発足した東京正平委は、毎月定例集会を開いて、この大会の準備を始める一方、教区の信徒、修道者、司祭の皆さんの中で、社会 正義と世界平和の実現に関心を持っている人たちの参加を求めています。
なお、定例集会は、毎月第2月曜日、午後6時より真生会館会議室で行っています。

大会テーマは、「にんげん、地球、いのちー問われる社会への責任」と、開催地の東京正平委のメンバーの多数意見によって決まりました。
このテーマは、折りしも湾岸戦争を体験する中で、私たちの責任を痛感した結果決まったものです。また単にこの大会は、現在の状況を見直すだけでなく、私たち日本の教会の過去と現在を問い直し、更に教区創立100周年を迎えた私たちにとって、未来に向けた共同体としての希望を探る場となることが期待されます。
社会回勅の原点ともいうべき、「レールム・ノヴァールム」発布100周年にあたる今日、担当司教である相馬司教は「この記念すべき年に東京教区において『正義と平和全国会議』が開催されることは、まことに意義深く大きな喜びです。」と評価しておられます。
また実行委員長の白柳大司教は、趣意書の中で「東京で全国会議を行う第一の理由は、今年が東京教区創立100周年にあたり、会議を準備する中で東京教区の信徒の皆さんが社会正義と平和のために・・・・・・感心を深めていただきたいからです。」と呼びかけておられます。

なお、17回正平協全国大会の東京の実行委員会事務所は、カトリック東京働く人の家に置かれ、事務局長は大原猛神父が担当します。

また全国大会に関する詳しいプログラムや参加申し込みの方法などは、この紙面を借りて逐次お知らせいたします。 (大原 猛神父)

東京大司教区 創立100周年(1891-1991)
中央ブロック大イベント「パネル展示」始まる!!

5月5日~12日  神田教会
5月19日  マリア会
5月26日  シャルトル聖パウロ会
6月2日~9日  麹町教会
6月16日  サンモール会
6月23日  聖パウロ会
6月30日  イエズスの小さい姉妹会
7月7日  マリアの御心会
7月14日  援助修道会
10  7月21日  ご受難会
11  7月28日~8月4日  潮見教会
12  8月11日~18日  築地教会
13  8月25日~9月1日  本郷教会
14  9月8日~29日  関口教会

訃 報

関戸 順一 神父(東京教区)

5月13日午後3時30分、東京女子医大病院で心不全のため帰天。56才。1934年、東京に生まれる。1962年、司祭叙階。神田、立川、関口、本郷教会の助任、喜多見教会の主任を歴任した後、87年から本郷教会主任を務め、宣教司牧に尽力した。またこの間、カトリック司教協議会典礼司教委員会秘書、典礼委員会委員、エキュメニズム委員会委員を務めた。

東京教区部落問題 連続勉強会

第1回
日時  6月20日(木)18時30分~21時
講師  大串夏身氏(都立中央図書館員)。
テーマ  「中世から近世にかけてのカトリック外国人宣教師が見た日本の『賤民』像」
第2回
日時  6月27日(木)18時30分~21時
講師  松浦利貞氏(都立南葛飾高校定時制教員・都立高等学校同和教育研究会会長)
テーマ  「東京において被差別部落の歴史と現状を教員として伝えるなかで学んだこと」
第3回
日時  7月4日(木)18時30分~21時
講師  鈴木裕子氏(女性解放史研究者)。
テーマ  「女性と水平社・荊冠を祝福したおんなたち」

参加費:各会1,200円。
場所・・・真生会館
お問い合わせ・・・岡田武夫神父(真生会館内)
主催 東京教区部落問題委員会

江戸切支丹殉教者ゆかりの地巡礼

第2弾 6月23日(日) -浅草教会を中心に-

5月の神津島「ジュリア祭」をかわきりに、すでに教区の巡礼行事が始まっております。

1.江戸最初の殉教地=聖フランシスコ会浅草癩施療院聖堂と元鳥越刑罰場を探る
2.小伝馬町牢屋敷跡
3.その他

集合場所:浅草教会
集合時間:午後1時
プログラム:1.説明会 2.聖体賛美式 3.巡 礼
参加費:無 料
雨天決行

主 催 東京大司教区100周年記念行事企画準備委員会
協 催 浅草教会・本所教会・関口教会・高輪教会(創立順)

第25回 「イエズス探求会」

テーマ・・・キリストの平和
対象・・・男子信徒(洗礼を受けていない方でも参加できます)
日時・・・ラサール研修所 別館
参加費・・・8,500円(当日徴収)
ただし6月9日(日)のミサとパーティ (12時~16時のみ参加の方は3,000円)

申込先・・・東京ナイス事務所
問合せ先・・・山根克則神父、加藤英雄神父

お知らせします

生涯養成に関する企画

☆祈りの集い
5月11日(土)、6月8日(土)、7月13日(土)、13時30分~16時
SJハウス応接室
講話、黙想、ミサあり。
問い合わせ、連絡、リーゼンフーバー神父。

☆黙想会(日帰りの祈り)
5月16日(木)、6月17日(月)、13時30分~16時
指導 ギハロ神父。イエズス会黙想の家。

☆祈りの園
6月4日(火)10時~14時。
テーマ「ご聖体」。
指導ペトロ神父どなたでもどうぞ。
会費1,000円(当日納入)。
カトリック松原教会。聖書、昼食持参。連絡は、白石、井出、中

☆滞日外国人労働者と共に生きる。連続研修会2回目。
6月9日(日) 13時~16時
送り出し国の状況。話し、石井芳子、岩橋淳一神父。場所、カトリック田園調布教会聖堂下ホール。参加費1,000円。主催、田園調布教会研修会実行委員会。問い合わせ先、上田倭子

☆共に歩む
聖書の中に人生の意味を読み取る。キリスト教入門コース。また、信仰を深めようと望む信徒のため。
毎金曜19時~21時。
青年会館、コルセル・ルドールズ神父

ミャンマーの実情(4)
– 小宇佐敬二神父の報告 –

「豊かさと貧しさ 3」

翌12日、ミャンマー・ツアーのスケジュールはペグーという町の観光でした。ツアーガイドはできるだけ公式のスケジュールを控えて、自由行動ができるように配慮してくれました。おかげで、午後にはかなりの時間的余裕ができ、神学校建設の予定地を視察することもできそうです。
ペグーという町はヤンゴン(ラングーン)から北東に70キロほどのところにある古い町です。そこにはミャンマーで一番大きなパゴダがあり、また有名な涅槃仏があります。そこが今日の観光のメインになります。
午前8時、ツアー会社差し回しの乗用車がVIPを迎えに来ました。昨日空港で出迎えてくれたガイドと運転手、今日、半日のお付合になるわけです。
ヤンゴンから郊外に向かう道は、例によって、一時代前の車が人や荷物をあふれんばかりに積んで、轟音をあげながら走っています。中央2車線分は舗装してありますが、その両脇はそれぞれ2車線はとれるほどの空き地になっています。その道沿いには無秩序に小さな建物がごたごたと建っている。発展途上国の、まさに発展し始めようという町並みです。やおら車が止まり、運転手が車を降りて、ある店の中に入っていきました。何をするのかなと思い見てみると、狭い店の中には無造作に様々な車用の中古部品が並んでいます。運転手が計り売りのエンジンオイルを補充するのを見て、これがガソリンスタンドであると、やっと気付きました。なる
ほど、いろんな形の瓶に詰められているエンジンオイル、ガソリンが入っているらしいポリタンク等が並んでいます。
車が町を離れ、ペグーへ向かう街道に出ると、さきはどのごたごたとは打って代わった風景になります。地平線が見えるほどの大地の広がり、そこをまっすぐに突き抜ける街道。舗装の状態はあまり良くないので、車はかなりバウンドしますが、中古とはいえそこはさすが日本車、かなりのスピードでひたはしります。そこここにぽつぽつと濃い緑の塊が行き過ぎますが、この緑の木立の中に、昔ながらの集落があります。イラワジ河のデルタのこの広がり、日本のように整然としたものではありません。かなりいいかげんな粗放栽培ですが、まぎれもない田園なのです。かつて世界一を誇った米の産地、季節をとわず収穫出来る穀倉地帯がここなのです。
木立の中、クリーク沿いに立ち並ぶ家々。高床式で椰子の葉でふいた屋根、竹をあんだり椰子の葉で覆ったりの壁、いかにも涼しそうです。ニワトリが遊び、牛、豚、山羊、ロバ、水牛、かなりの家畜があちこちにいます。電信柱が見えないところをみると、電気はまだないのかもしれません。子供たちの遊ぶ姿もよくよく風景にマッチしています。この風景はどうしても貧しいとは見えません。穏やかで豊かなものに感じます。そのように感じるのは、ただわたくしのノスタルジックな感傷なのでしょうか。
この旅をとおして問いかけられている「豊かさ」ということ、このような風景が訴えかけているように感じます。経済性や便利さや快適さ、それを豊かさというのであれば、日本は豊かであり、ミャンマーは貧しい国です。しかし、いのちが養われ、育まれ、生き生きと輝いていく、そのような場の広がりを豊かさというのであれば・・・

ちょっとおたずねします。

Q: 今、なぜシスター志願者は少ないのですか。

A: これは、難題をいただきました!
確かに、20年、30年前と比べて、シスターを志す人がずっと少なくなっています。それが、多くの修道会にとって、事業の継続というような現実面だけを仮りに取ったとしても、心配の種であることは否めません。
なぜそうなってきたか、ということについては、いろいろな分析のしかたが可能でしょう。本当のところは、「神様にお聞き下さい」が正解なのかも知れません。別に逃げたわけではなく、修道召命こそ、神様の側からの働きかけ、つまり神体験からの出発なしには、本来ありえないことですし、教会の歴史自体が、神様の大きな導きの中にあるからです。
しかし、現象面を見て、思いつくことを幾つか挙げてみることはできます。
まず、現代の若者は、幼い頃から平和な世の中で、物質的に恵まれて育ち、学業成績や収入で人間の幸福を測るような社会にいますから、所有・名誉・達成感・性的快楽などと正反射の方向を目指す生き方に、価値を感じにくいのだろうということ。
テクノロジー万能の世の中で、科学的測定の対象にならない「神様」というお方に本気でついて行く生き方が、社会通念として無意味に見えるであろうこと。
「ミーイズム」と称される、自己中心的な傾向の今の若い世代が、自分の一生を捧げるという考えに、魅力を感じにくいと思われること。
更に、画一的な体制が、現代の流行ではない、という事実もあるでしょう。かつては大学生に至るまで黒の詰襟の制服に角帽姿が当然だった日本ですが、今は中高生でさえ制服を着たがりません。個性の主張が何よりも重要視される現在、体制の象徴のように見える教会の公認団体である修道会は、もはや昔はどカツコいいものではなくなりました。今も崇高な心を持ち、奉仕的生活を求める若人たちが輩出していますが、その多くは、もっと自由な形の献身に傾いていきます。
こうした社会の風潮に加えて、既存の修道会の姿勢も原因となっていると思うのです。多様な価値観の渦巻く現代世界の中で、もはやカツコよくなくなった集団に属することで、自己のアイデンティティーが稀薄になり、自分たちの存在意義に自信を失いかけている修道者が、意外と存在するように見えるからです。これには、本人たちの個人的責任もありましょうが、こういう時代に集団としての確信を与えるには、神学的理論武装や、判断の土台となる良識やセンスの養成が必要なのですが、そのへんが弱体なのかも知れません。
ここまで挙げてきたことは、現代の先進国に共通する、ごく一般的なことがらで、例外はいくらでもあります。インドやベトナムでも、日本の幾つかの修道会でも、修道召命は盛んです。
私自身、個人としては、やはり自分の代に会をすたれさせては大変という気持ちは否定できませんが、客観的に言えば、シスターは数さえ多ければいいというものでもありません。
修道者として、絶えず反省と問い直しを続ける一方、大きな心で神様の導きに歴史をゆだねて、あとは教会の中で与えられた場で、神様の限りない愛を毎日の現実生活の中で生き生きと感じ取り、それを伝えていくことに専念しようと思っています。
地の塩も、からし種もパンだねも、どれも量よりホンモノであるか否かが問われますね・・・・・・。 (シスター今泉ヒナ子)

カトリック東京国際センター 支援コンサート

「賛美と祈りのしらべ」 7月にカテドラルで開催!

急増する滞日外国人に暖かい手をさしのべようと昨年設立された《カトリック東京国際センター》を支援するためのチャリティコンサート「賛美と祈りのしらべ」が今年7月に東京カテドラルで開催される。
主催するのは、関口教会の有志で構成するコンサート実行委員会。「現在、同センターの募金事業が行われていますが、私たちも何かできないかと考えたのが発端なんです」と語る。幸い、東京教区と同センターの全面的な賛同を得ることができ実現の運びとなった次第だ。
さて、このコンサート、イタリアで活躍する関口教会出身の中堅ソプラノ歌手・久常多英子をミラノから迎えて、宗教曲や祈りの歌、歌曲をピアノとパイプオルガンの伴奏でたっぷり聞いてもらおうとの趣向だ。「歌にこめられた神へのあつい思いを、久常の声をとおしてみなさまにお伝えしたい」とスタッフは今から張り切っている。

《カトリック東京国際センター支援のため》
ソプラノ、ピアノ、パイプオルガンが織りなす賛美と祈りのしらべ

●日 時 7月14日(日)
●場 所 午後4時東京カテドラル聖マリア大聖堂
●出 演
ソプラノ 久常多美子
ピアノ F・エスポジート
オルガン 和久 径子 
●曲 目
ヴェルディ/あわれみ深き聖母よシューベルト/アヴェ・マリア
ヴィヴァルディ/ドミネ・デウス
フォーレ/ピエ・イエズ 他 
●入場料 2,500円
●後 援  カトリック東京大司教区
●お申込み、お問合せ コンサート実行委負会事務局

教会・修道院めぐり(7) 「本所教会」

浅草教会の助任であったフォーリ神父は、本所・浅草地区に増え続ける信徒・求道者の為に教会堂を建てようと、横川町74番地(本所教会現在地)に広い土地を購入した。
1880年4月、聖堂は完成した。11日、ミトン副司教は東京府内で4番目のこの教会を「日本二十六聖人」の保護の下に置き、礼拝堂を祝別した。この時フォーリ神父は北海道へ派遣されていて留守であった。浅草教会の主任ラングレー神父は、広い地域内に2つの大きな共同体を抱えることになった。シャルトル聖パウロ会の修道女の援助と、信徒の自主的活動が多忙な神父の働きを支えた。だが過労の為か、ラングレー神父は病を得て、北海道へ転任しなければならなかった。新潟・山形で活躍していたテュルパン神父が後を継いだ。フォーリ神父も帰京し、本所教会の敷地内にあった孤児院の院長に就任した。しかし間もなくフォーリ神父は再び北海道へ赴任した。1885年、本所教会は浅草教会から独立した。初代の主任パレット神父を迎えて、再び活気に満ちた歩みが始まった。
さて、都心から少し離れたこの教会は、激動する明治期の時代変化の大波を、諸に被ったと言うことができるだろう。
欧化時代が過ぎ、次第に軍国主義化していく日本は、三国千渉、パルチック艦隊への石炭補給の問題で外国人への不満を募らせていた。1905年、ロシアと結ばれた講和条約に遂に民衆の不満が爆発した。本所地区に決起した暴徒は教会を襲った。
一帯の信者の家と共に教会は焼き打ちされた。暴動が鎮まった後も敵意は教会に向けられ、パレット神父は非常に苦しんだ。
オズーフ司教は時勢を考え、本所教会の主任を日本人に代えた。足利出身の国定神父が着任すると、教会に平和が戻った。
1909年から3代目の主任となった本城神父は、関東大震災や関東大水害、又世界大戦などで何度も全壊した教会を建て直し信徒の育成に力を注いだ。1949年から第5代主任となった下山神父は、大戦後の教会復興に力を尽くし、1951年、現本所教会の新聖堂を完成した。教会活動は勢いを取り戻し、今日に到っている。
浅草・本所地区の教会は当初、宣教師の不足により主任司祭の頻繁な交替、助任の不在など多くの困難があったが、信者・求道者は急増し、府内で一番の信者数を誇る教会に発展した。又、教会の全壊にも何度か出合ったが、常に復興の歩みを続けた。この力強い歩みの裏には、心身を投げ打って司祭と協力し合う信徒の働きがあった。それは、今日の本所教会の姿でもあろう。

「一粒の麦」
白柳大司教、教区100年を語る 第7回

東京大司教区100年の歴史
1891年(明治24年)から1991年(平成3年)まで

第4期(終戦より現在まで)

その1.終戦から第2バチカン公会議の始めまで

昭和19年から20年にかけて、戦争が熾烈をきわめ被害が拡大するにつれていろいろな方面で和平工作が行われました。
ローマの教皇庁をはじめ、メリノール会宣教師バーン神父の努力、田中耕太郎先生をはじめとする知識人の和平工作、これらの努力は昭和20年8月6日の原爆投下により水泡に帰してしまいました。

終 戦

8月15日終戦をむかえ、教会内の状況、それをとりまく環境が全く変化いたしました。
従来、言論、行動の自由を著しく阻害していた治安維持法が廃止され、また宗教団体法のかわりに新しい宗教法人法が確立され、信教の自由がここに回復されました。
また終戦を機会に、抑留されていた宣教師、修道女達が解放され、兵役に服していた司祭・信徒が帰国し、外国に留学して司祭になった人達が戻り、教会内は活気を帯びてきました。
他方、荒廃し焼土と化した東京では、従来の価値観が覆り目標を失った人々、物質的欠乏とともに心の渇きを持つ人々が、変らないもの、真実を求めて教会にあい集いました。この新しい動きに対応すべく教会は、昭和20年の秋、臨時教区長会議を開き、司祭の養成問題、カトリック新聞の再発行、公教要理、祈祷書の改訂、そして特に破壊された教会の復興の問題、新しい事態に対応するための宣教師の招待などの問題が討議され、それを実現するために天主公教教区連盟という組織が設立されました。当時の教皇使節、マレラ大司教の努力もあって、宣教師の招待に応え、326人の宣教師が日本に派遣されたと記録されています。
また、戦争によって破壊された教会関係の施設は、教皇庁、アメリカのカトリック教会、その他多くの善意ある人々の援助によって急速に復興が進んで、今日ある教区の基礎が確立されました。
他方、敗戦という事実は、戦争孤児を生み、日毎の糧を得ることの出来ない多くの人々を生みました。これに対応すべく小教区、特に修道会は温かい手をさしのべ、キリストの教える愛の実践に励んだことは記憶に留められるべき事であります。

聖フランシスコ・ザベリオ渡日400年記念

昭和24年に、教皇特使ギルロイ枢機卿は、オーストラリア、シドニーから来日され、400年前鹿児島の地に上陸し、多くの人に洗礼を授けた聖フランシスコ・ザベリオの右腕が日本にもたらされました。宣教の気運が盛りあがっていた時、この聖なる腕は日本各地を回り、私達の心をゆさぶり、人々の注目する事となり宣教のみのりがますます豊かに見えるようになったことは、当時の統計からも明らかです。
終戦当時10,000人にも満たなかった信者数は、1951年には約2倍になり、1961年には42,812人、約4倍に進展いたしました。新しい数多くの仲間を得た小教区は、ますます活発になり、内部の充実と外に向かう姿勢があらわれてきましたが、同時に修道会の担当する教育、社会福祉施設を通してキリスト教的思想、価値観が少しずつ世に浸透するようになっていきました。

ケルン教区との姉妹関係

1954年7月終り、西ドイツケルン大司教区のフリングス枢機卿から土井大司教へ、一通の手紙が届けられました。
その中には、ドイツの聖者、ボニファチオ帰天1,200年にあたり、ケルン大司教区は戦争によって同じような災害を受けた東京の教会を霊的にまた、物質的に援助したい旨が書かれていました。
1957年には、フリングス枢機卿自身が来京され、親しく東京の教会の状況、また日本各地を巡られ、その姉妹関係は一層深められていきました。
以来今日に至るまで、ケルン大司教区は温かい手をさしのべてくれました。東京カテドラルを始め、15に及ぶ小教区の建設、神学生の養成、修道会施設の援助などがそれであります。
ケルン教区自身、まだ復興を終えていなかったその時に、東京の教会を助けて下さったその善意を思う時、心からの感謝を禁じえません。

土井大司教の枢機卿親任とカテドラルの再建

1960年3月、教皇ヨハネ23世は、日本に初めての枢機卿として土井大司教を任命いたしました。信徒数においても、その教会の大きさにおいても、他の諸国に及ばない日本の教会から枢機卿が選ばれたという事は、教皇が日本の教会に、そして将来に大きな期待をかけていることがうかがわれ、東京教区の信徒一同、おおいに奮起する機会となりました。
そのような時、戦争によって焼失してしまった東京カテドラル再建の希望が生まれ、ケルン教区からの協力の申し出でもあり、1961年から教区信徒一同がこれに参画すべく募金が開始されました。当時信徒1人当たり1,000円の寄付が要望されたことを今思う時、隔世の感がいたします。
1960年5月、マリア様のご保護を願いながら、鍬入れ式が行われ、1964年12月8日、はれてカテドラルが完成し建堂式がとり行われました。
しかしその間にも、時代の推移は著しく、世界の状況、人々の考え方に、そして価値観に大きな変動がみられるようになりました。日本においては、後に学生騒動、安保闘争などがおこるその空気が予感される時代となりました。
教皇ヨハネ23世は、第2バチカン公会議開催を決定し、また教会の中に新しい空気、新しい時代を生み出すきっかけを作られました。

終戦から第2バチカン公会議開催までの20年間は、教会の中に貯えられたエネルギーが一挙に爆発した時代であり、戦争の被害にうちひしがれていた信徒通が力のかぎり教会と社会のために奉仕し、たくましく生きた時代でした。その結果、神の導きのもと、教会が著しく目に見える形でも発展し、社会に影響力を増し、霊的生活も高められた時代ということが出来ると思います。

新人リーダー研修会

主催 東京教区教会学校委員会
日時 1991年6月16日(日)PM1時30分~5時30分
場所 関口教会信徒会館ホール(東京カテドラル大聖堂敷地内)
テーマ “かかわりの中で育つ子どもたちとリーダ1の役割” (PART2)

プログラム
1.子どもを楽しく遊ばせる
グループゲームの指導方法と実際
講師 中能孝則(日野社会教育センター)1:30~2:45
– お茶(15分) –
2.今すぐにできることから取り組もう
-家庭と教会学校の実際、協力できることを見つけよう-
講師 森一弘(東京教区補佐司教)-3:00~4:10-
– 休憩 (10分) –
3.リーダーになるとは・・・・具体例をあげて
講師 朝川 徹(聖イグナチオ教会・イエズス会司祭)-4:20~5:30-

申込み ハガキに氏名、住所、教会名を記入し下記へ
秋津教会 田中隆弘神父まで
会費 500円、当日受付でいただきます。

編集部から

●東京教区創立100周年記念の祝いが一日一日と近づいている。各方面の担当者は、その企画の実行や準備に追われていると思う。記念のテーマの一つ、「明日に向かう」として「カトリック東京国際センター」の設立があげられた。基金1億円達成の呼びかけに、早速多くの方々がこたえてくださっている。
東京は急速に国際化がすすんでいる。それに伴って、東京の諸教会のミサにも多くの外国人が目立つようになった。彼らのために、母国語のミサが捧げられているのは、大きな慰めと希望になるだろう。
「真の国際人とは、外国語をたくみに話す人ではなく、接する外国人には誰にでも親しく話しかけ、親切にできる人です」と言った中国人留学生のことばは、彼女の体験から出た叫びのように聞こえた。
人の集まるところには、喜びとともに、悲しいこと、むずかしいことも起こってくる。「ともに、喜び」を分かち合う教会が、このような人びとの支えになればすばらしい。「カトリック東京国際センター」の役割は大きいと思う。

●新たに、東京教区にも「部落問題委員会」が誕生した。「ともに、喜ぶ」教会のあかしとなる、これらの活動は東京教区われわれひとりひとりの信徒の積極的協力によってこそ、実を結ぶのではないだろうか。

●「家族」は、一つの生命がそこに誕生し、養育され、完成されるところである。暗いか、明るいか、暖かいか、冷たいか、人格に及ぼす「家庭」の影響は決定的とまで言えるようである。しかし、今の社会のきびしい諸条件下では、自分の家庭を守ることさえむずかしくなった。
「女子高生コンクリート詰め事件」を起こした一少年が、「母親にしっかり抱きしめて欲しかった」と言ったことばは余りにも痛々しい。
ナイスⅡで、「家族」 のそうした諸問題を鋸り起こし、教会が「世の光」となることができれば大成功と思う。