東京教区ニュース第82号

1991年05月01日

おめでとうございます! 白柳大司教、司教叙階25年を迎えられる 豆記者インタビュー

白柳誠一東京大司教は、1966年3月15日に東京教区補佐司教に叙階されてから、今年で喜びのうちに司教在任25周年を迎えられた。司教に叙階された年は、カテドラル献堂の2年後、また第2バチカン公会議閉会の翌年ということで、公会議で示された新しい教会の方向性を模索し定着させるために、教区民の先頭に立ってご指導、ご尽力され、現代の教会の発展とともに歩んでこられた。そこで、この機会に、4名の子供たちが豆記者として白柳大司教にお会いして、いろいろとお話しを伺った。
3月半ばの日曜日の昼下り、司教館を訪問した豆記者は、木村舞さん、佐藤朋子さん、申橋俊治君(以上、中1)、村井源君(中3)。2階の応接間に通された4名、大司教に会うのは初めてなので、緊張気味の中でインタビューは始まった。

まず、この25年問のことを聞いてみました。

◆司教叙階25周年おめでとうございます。ところで、司教になったのは何歳の時ですか。
-いま60…(と手元のダイアリーの年令早見表を覗きこむ)えーと、62だから、37歳の時ですね。
◆どうやって、大司教になったんですか(一同爆笑)。
-おお(苦笑)、困ったね。あのね、土井大司教という人がいたんですね。ところが、その人は年もとったし、喘息で大変苦しんでいたので、助けて補佐する人が必要だったんです。それで、教皇さまの命令でね、私が補佐司教になったんです。そして、土井大司教さまがなくなった時に大司教になったんです。
◆この25年の間に、教会はどのように変わりましたか。
-25年前は、第2バチカン公会議が終わって方向がいろいろ変わった頃で、それを実現すると言ってみんなはりきっていた時代ですね。と同時に問題も多い時でした。世間では安保の問題や学生騒動があって、同じような彼が教会の中にもあり、非常にごたごたしました。でも生き生きとしてたんですね。だから問題は多かったけれど、非常にやりがいのある時代だったんです。今はそういうものが少しずつ定着してきているが、まだ完全に浸透しきっていない。だから、それをもっと強力に進めて行くという少し地味な活動になっているわけです。派手でないけれども、もっと根づかせるような着実な運動をしていく時代になっていると思います。

聞いちゃった、大司教さまの小さい頃のお話し

◆どうして、神父さまになろうと思われたんですか。
-小さい頃、八王子教会に行ってたんですが、そこにはとても熱心な外国人の神父さまがいらして、それで、もう私の前に何人も神学校に入った人がいたのね。それで、若い人たちは神学校に入ることを一度は必ず考えるような雰囲気があったんですね。神父になろうと思ったのは小学校4、5年の頃かな。それで、小学校を卒業してすぐに小神学校に入ったんです。

◆ぼくは教会で侍者をしてるんですけど、大司教さまも侍者とかの活動をやられたんですか。
-よくやりましたよ。私たちの時はね、1週間に3回教会に行くんですよ。でも教会が本当に柴しい所でね、遊びも勉強もみんな友達と一緒。だから、水曜日と土曜日は、はかの子供たちと一緒に教理の勉強をして、土曜日にはみんな必ず告解をするんです。そして日曜日にごミサにあずかる、そういう習慣があったんですね。侍者をするのもみんな楽しみでね、たくさんの侍者会の子供たちがいました。

豆記者の関心は、世界へそして今度の戦争へ広がっていく

◆外国語をしゃべられるんですか。ちょっとしゃべってみてくださいませんか(爆笑の渦)。
そりゃ、困るねぇー…

◆何か国語位できるんですか。
-うーん、それも困った質問だねえ(苦笑)。まあ、わかるのはね、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語。(あと日本語があるとの声に)日本語がいちばんいい! (爆笑)

◆外国によく行かれると思うんですけど、バルセロナの聖家族教会に行ったことありますか。
-あるよ。ガウディという人が作ったとてもすばらしい教会だね。いろんなスタイルが入っているけれど、それがいい調和をしているんです。あの聖堂を見て、ぼくが感心したのは、たとえば入口の所はロマネスクのスタイルで、その後ろ側は幾何学的な非常に論理的な線があるわけ。で、こっち側に来ると、今度はゴシックのようなスタイルがあるわけ。でも、それがちぐはぐでないのね。バラバラでなくとても調和がとれてる。これからの世界を何か、先敢りしてるような感じなのね。

◆湾岸戦争をどう思いますか。
-本当に残念だったと思いますね。人間が互いに殺し合ったり憎しみ合ったりする。人間らしく、話し合って解決することができなかったでしょ。でも中近東がもう戦争しないでいく方法をこれから話し合う、そういうきっかけになったことは確かですけどね。同じことが、今度アジアでもやらないといけないですね。ヨーロッパは今、だんだんと一つになってきたでしょう。そして中近東がこれからで、アフリカは前からやっていますよね。まだやってないのは、アジアだけです。世界がお互いに国境をなくして、あるいは国境があってもお互いもっと自由に往来できるようになる、そういう話し合いのきっかけにはなったと思うんですね。

大司教さまの趣味って何かな音楽、美術、そしてスポーツ…

◆大司教さまは、どんな音楽をお聴きになるんですか。
-ぼくはね、新しい音楽よくわからないの。それで、クラシック。中でもモーツァルトは好きですよ。
中学生の時には、ベートーヴェンを、とにかく有名だったから(笑い)、よくレコードを聴いてましたけど、今はもう疲れてしまうから(爆笑)、静かなモーツァルトがいい。

◆絵画は好きですか。
-絵はね、自分じゃ描かないんだけれども、見るのも好きですし展覧会にもよく行きますよ。

◆スポーツは何が好きですか。
-若い頃は、野球やサッカー、水泳などいろいろやりました。神学生は一緒に生活するから毎日合宿のようなもので、スポーツはみんな上手だったんです。大学の野球部とかサッカー部と試合すると、どこでも神学生の方が勝ったんですよ。でも、今は何にもしない(笑い)。

最後に、大司教さまがこれからしたいことを教えてください。

-今、私の立場でしておいた方がいいなと思うことは、教区の歴史をちゃんと整理しといてあげなきゃいけないと思っているんですね。こういう所にいるといろいろ資料があるんですね。でも、そういうのは整理しておかないと、わからなくなってしまうでしょ。私は長くここにいるから、いちばんいろんなことを知ってるわけですね。ですから、私がいるうちにちゃんとしておこうと思っているんです。

さて、1時間に及ぶインタビューを無事終えた豆記者たち、大司教さまに会った感想を「とても雰囲気が明るい方」 「どっしりして落ち着かれた方」 「とっても何かやさしそうで、想像してたよりも、気楽な感じでお話しできた」と語ってくれた。
大司教さまがこれからもますますお元気でご活躍下さり、そして、私たち教区民を力強く導いて下さいますようにと祈りつつ司教館を後にしたのだった。

部落問題委員会設立のお知らせ

東京教区の司祭、信徒、修道者の皆さん、

主キリストの復活、おめでとうございます。
この度、東京教区に新しい委員会が誕生致しましたのでここにその旨をお知らせ致します。
その新しい委員会とは『東京教区・部落問題委員会』と言います。
申すまでもなく部落差別は決してあってはならないことであり、その解決は全国民に課せられた責任であり、また特にすべての宗教者は積極的にこの問題に取り組むことが求められています。既に一九八一年、『同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議』が結成されカトリック司教協議会もそれに加入しました。また日本カトリック正義と平和協議会のもとに、日本カトリック部落問題委員会(委員長 相馬信夫司教)が設立され、部落差別をはじめすべての差別解消のために努力を重ねてきました。この度、東京教区におきましても、日本カトリック部落問題委員会の要請に基づき、教区に部落問題委員会を設立しました。責任者は岡田武夫師です。
部落差別の解消はカトリック教会が率先して取り組むべき福音宣教の課題です。教区の皆さまにおかれては以上の趣旨をご理解いただき、これからの同委員会の活動に対して皆さまのご協力とご支援を切にお願いする次第です。

1991年3月31日
東京大司教 ベトロ白柳誠一

教区総会開催される!! テーマ「家庭」 3月21日

3月21日(木)、聖心女子学院ソフィア・バラホールにおいて、東京教区第6回総会が開催された。
白柳誠一大司教の司教叙階25年を祝って、花束の贈呈が行われた後、黒川恒雄氏(麹町教会)、Sr田井(ドミニコ会)の総合司会で総会は始められた。
白柳大司教の開会の挨拶の後、森山弘司教から、問題提起と主旨説明が行われた。

問題提起と主旨説明 森一弘司教

「昨年の6月の司教会議で、司教団は、第2回福音宣教推進全国会議の開催を、1993年の秋に、家庭をテーマとして行うことに決定した。
宣教司牧評議会や司祭評議会の多くの方々から、なぜ司教団は第2回福音宣教推進会議のテーマを家庭としたのか、第1回とのつながりはどうなのか、明確にして欲しいとの要望が出たので、説明したい。」
個人的な確信だがと、断わられた後、「第2回のテーマは、第1回のナイスの精神、ナイスを動かした理念、ナイスが問題提起した事柄と密接に結びついていると同時にそれをさらに徹底させるものだと理解している。
第1回のナイスの提言は、どちらかというと、教会共同体のレベルに向けられた提言が多く、共同体としての教会の努力、刷新、転換によって信仰と生活の遊離、社会と教会の遊離の克服を求めたものであり、直接信徒の一人ひとりに、具体的な生活レベルでの信仰と生活の遊離や、社会と教会の遊離の克服を迫るような提言ではなかった。
次に求められるのは、同じ精神と理念、同じような問題提起のもとで、個人レベルでの信仰生活の見直しである。
家庭のあり方を問うことは、即ち一人ひとりの生きざまを問うことにはかならない。
また、家庭のあり方を問うことは、現代日本社会の複雑な問題と取り組むことにつながる。
「家庭」をテーマにした第2回ナイスは、第1回ナイスを補完するというだけでなく、達成するものであるというべきであ
る。」と語った。

Sr磯野講演 「養護施設からみた現代家庭の諸問題」

都内には、54の養護施設があり、その1つである「星美ホーム」 (定員160名) の園長を12年間務めているSr磯野は、「戦後40数年の問に、家庭と子供のつながりも大きく変わった。第2次世界大戦直後、身体は離れても、心はつながった親子相互に強い絆があった。置き去りの子もいたが、着衣等に心づくしが見られ、最近のコインロッカーベビーとは異なる。
戦後40年を過ぎて、経済大国となった現在は、両親あるいは片親が行方不明、離婚、養育放棄、サラ金、精神疾患などによる家庭朋壊による2才から18才の児童、生徒160名が収容されている。
問題のない親は、9パーセントしか見られず、母子家庭における問題の家庭は、父子家庭の2倍見られる。」など、再婚、再再婚、離婚、親の虐待、親子関係のまずさ、20代の夫婦の例に見られる子供たちの生の叫びを通して、現代の家庭の諸問題を強く訴えた。

馬屋原(うまやはら)悠子氏講演 「離婚の危機、病める社会」

馬屋原氏は、「ちょっとお待ちなさい、その離婚」で知られる家庭間題カウンセラーで、昭和58年より、「新しい生き方研究会」を主催している。
離婚予防セミナーを年5回開催、都の施設を借りて、50名から100名の規模で行っている。ボランティアの弁護士による法律相談も同時開催。
「特徴は、面談だけにとどまらず、一緒に行動し修羅場をくぐることである。
ひとつひとつの問題は、個人的なものだが、必ず、夫の単身赴任、二重生活、子供の受験、家のローン、サラ金、性風俗の影響、アルコール依存等社会問題と結びついている。」と語った。

横川和夫氏講演 「かげろうの家の取材を通して感じた家庭の問題」

横川氏は、共同通信社論説委員、編集委員。教育問題の論説を書きながら、少年少女の事件を取材している。
「10数年前、文部省の説明する日本の学校教育のあり方と、自分自身が4人の子供を抱えて、父親として見ている子供の現状とあまりにかけ離れていることから、関心をもち始めた。学校教育を取材しているうちに、落ちこぼれ、登校拒否、非行問題となり、そして、この10数年は、いわゆる事件を起こした少年少女の問題を追跡取材することで、現代社会のゆがみを訴えて、皆が一人ひとり自分の問題として考えてもらえたらと考えてきた。
女子高生コンクリート詰め殺人事件の4人の少年、家族の追跡取材を続ける内に、現代の日本の状況が凝縮されていること、特殊な家庭の特殊な事件ではなく、普通の家庭で、まかり間違えば自分の家庭でも起こりうる事件であった。」自身企業戦士として、父親としての体験を交じえながら、経済的豊かさの中での孤独を強く訴えた。

パネルディスカッション

午後からのパネルディスカッションは、国富(真)氏と森司教の司会で、3人の講演者をパネラーとして始められた。
「特殊な家庭の問題ではない」
「こわれる家庭とこわれない家庭の境目はなにか」
「孤独はどこからきているか」
「どうやって克服していくか」
「いかに自立するか」
「教会はどう対応していったらよいか」等について話し合われた。
次に、「教区内の協力の推進」について(中間答申、西勝氏)、100周年について(塚本師、田中師、西川師)報告が行われ、4時すぎ祈りのうちに散会した。

会場の声

広報委員会では、出席者のうち、男女各10名づつの方に、感想を寄せてもらった。その一部を紹介する。

●Sr以外のお2人の講師は、カトリック者とうちださずに、職場で活躍なさっており、馬屋原さんは、たずねられた時だけ…‥とおっしゃいました。
横川氏は、その点にふれられませんでした。ここにも森司教さまの「社会と教会の遊離」状態の日本のカトリックの姿を感じました。今回の集いは、あくまでも教区大会なのであって、一般社会における家庭問題に関する講演会ではなかったのですから。

●ナイスのテーマとして、「家庭」は……と思ったものですが、森司教様の「現代が抱える諸問題の基底は家庭にある」という点と、パネルディスカッションの 「家庭と限定すると、個人の概念があって、危険では…」という質問に対して、「現代では家庭を個としてとらえていない」という回答で納得しました。
東京教区ニュースでは、これからも「家庭」の問題をさまざまな角度から取り上げていくつもりであり、お寄せいただいた感想は「すくらんぶる」やこれからの紙面に取り上げていく予定である。

神学院の養成指針が完成!!

東京カトリック神学院に神学生を送っている司教たちは、この度、養成指針をまとめ、これを「東京カトリック神学院養成指針」というタイトルのもとに小冊子を発行した。
これは、神学院の5人の常任司教と院長・モデラトーレスたちが、1年かけて検討し、最終的に関係司教たちの承認を得たものである。

神学生たちの信仰生活が深められるよう霊的な面が強調されている一方、司祭仲間や信徒の協力の精神の養成も強調されている。
「指針」は3部に分かれる。
第1郡は召命を深める。
第2郡はキリストを学ぶ。
第3部はこの世への派遣に備えて。

神学生だけでなく、現代日本の教会がどのような司祭を養成しようとしているかを知りたい方々や司祭や修道会への召命を生きようとする方々には、是非一読をおすすめしたいものである。小冊子についての問い合わせは東京神学院へ。
電 話 03(3920)2121

本年度新入生

佐々木一之
小林 静児
稲川 圭三

1990年度 教勢調査まとまる

教区の信徒総数 86,009人
昨年の受洗者数 2,045名

この度、昨年度の教区内の教勢調査の統計がまとめられた。
信徒総数は86,009人(内千葉県10,353人)で前年度(77,784人)より、若干の増ということになる。
女性信徒は、48,898名、男性信徒が29,297名で、約6割が女性信徒ということになる。
洗礼者数は、2,045名(内幼児洗礼720名) で前年度(2,379名)より若干の減ということになる。

ズームアップ

小林 祥二 師

JOC(カトリック青年労働者連盟)の事務局長になって2年余。長年永代働く人の家で青年労働者たちとかかわってきた経験を活かして、今は全国を飛び回り、全国のカトリック青年労働者たちの苦労や悩みに耳を傾け、運動の推進をはかっている。
教会の一般の人々にも、青年労働者たちの置かれている非人間的な状況を理解してもらうために、機会があればどこにでも出かけます、と熱っぽく語る。

1942年生まれ(東京教区司祭)

湾岸避難民救援実行委員会から 現況 4月8日現在

カトリック教会が呼びかけ、日本キリスト教協議会、新宗達と共同で行っている湾岸避難民救援実行委員会の現況は、国際移住機構(IOM)を通じての移送活動は一応終了したとの予測もあるが、3月25日にも82人のスリランカ人女性を移送した。これで、同委員会がスポンサーした便は、2機の貨物機を含めて7機となる。
去る3月15日、同委員会から派遣された調査員が、アンマン、ジュネーブなどの調査を終え帰国した。調査には、カトリックからは原田豊己神父(広島教区)が参加。ヨルダンのキャンプや、イラクでの状況は予想以上に厳しく、1日も早い医薬品やミルクなどの救援が必要と報告。
この報告を受け、同委員会では4月8日、相馬信夫司教を代表に支援活動を員体化するために成田を発つ。行き先は、キプロス、ヨルダンなど。
なお、現在まで寄せられた金額は、3億3千667万円。

生かしてみませんか!! 主のために システムオペレーター募集

TCCCに新しいコンピューターシステムが完成!
システムオペレ一夕ーを募集します。
カトリック信徒又は勉強中の方で、経験・知識・興味のある方歓迎します。
男女年令を問いません。
委細面談にて決定します。
問い合わせ、履歴書は下記へ

〒112 文京区関口3-16-15 東京ナイス事務局
TEL03-3943-2277  塚本伊和男神父

東京教区決算と予算報告 教区総会

東京教区通常会計の90年度決算と91年度予算が3月21日の教区総会で報告された。

決算について

まず、収入については、献金収入が当初予算に対して6パーセントの増加となり、順調な伸びを示した。一方、支出では、活動費が当初予算の25パーセント増となり、各委員会の活発な活動をうかがわせた。

予算について

予算については、献金収入が引き続き増加を見込めるとしている。なお、布教聖省からの助成金は今年が最後となる。
予算では、教区の各委員会の活動が前年度にもまして活発になるとし、また教区100周年行事が多数予定されていることから活動費に5,900万円、100年祭特別費に2,000万円を計上して、いずれも大幅な支出増加を見込んでおり、全体としては支出合計で2億9172万円(予備費、次年産繰越金を除く)、90年度決算の20パーセント増という大型予算となった。

活動費の内訳は…

下図の円グラフは、今年度の予算の使途を表したものだが、全体の20パーセントが活動費にあてられている。この活動費の中で宣教活動費という項目が、教区の各委員会の活動費に使われるわけだが、この内訳を下段右表に示した。ここには23の項目が並んでいるが、この中では、ナイス事務局、国際司牧委員会、広報委員会、青少年委員会などが大幅な伸びを示している。また、アルコール対策委員会、部落問題委員会に新しく予算がついたことが注目される。いずれにしても、この裏から、教区として重点をおいてやろうとしていることがら、つまり教区が今年度に目指している方向性が読み取れるのではないかと思う。

ルポルタージュ 家庭(3) 家庭に浸透した偏差値 -横川和夫-

中学2年生の両親・祖母惨殺事件

勉強ができるか・できないか、という偏差値的価値観が、学校だけではなく、家庭にまで浸透してきて、家庭が、その機能を失い、単なる学校の下請け機関になってしまったところに、現代の子供たちの悲劇があることは、10年前の川崎で起きた金属バット殺人事件を例に前回、書いた。
実は、4年前に東京・目黒で起きた中学2年生の両親、祖母惨殺事件も、偏差値の魔物に踊らされた悲劇だったのだ。
少年の母親は、病弱だったため、赤ちゃんを自分の手で育てることができなかった。
産湯につかわせ、ミルクを飲ませるのも、祖母がした。少年にとって、幼少時から祖母が〝代理母〟のような役割をはたしていた。
不幸なことに、姑である祖母と母親の関係は悪く、食事は別々にとっていた。そのため少年は、幼稚園に入園するまでは、食事は、祖母の部屋で祖母と食べ、祖母と一日中、一緒に遊び、暮らした。
初孫だったこともあって、祖母にとってはかわいい存在だったが、少年は、母親のように受容されるのではなく、甘やかされて育てられた。
叱られたり、怒られた体験がなく、要求するものは、すべて通る。祖母が拒否した時は、母親へ、母親が拒否すると祖母へ。しかも絶えることのない祖母と母親の確執と対立のなかで、少年は、顔色をうかがうことだけを学んで成長してしまったようだ。
家族の顔色を見て、自分の要求を認めさせるという体験は、対決したり、葛藤するなかで築きあげていく真の意味での人間関係を育む妨げになった。精神的には未成熟なまま、肉体だけが大人に成長してしまったと言ってよい。
父親は、少年が小学校に入学した年に、新しい会社を設立したため、ゴルフ接待、宴会などで忙しく、深夜帰宅が続き、ほとんど少年と接する機会はなかった。
そんな幼児性を残したまま、中学生になった少年に忍びよってきたのが、偏差値の魔物である。
中学1年生の学期末の成績は、280人中120番目で、平均よりはよかった。それまでは、学校の成績については、注文しなかった父親、母親である。
だが、高校受験を控えて、さまざまな入試情報が耳に入ってきたのだろう。父親は初めて少年に要求を出した。
「2年生になったら、ふたけた台に入れよ」
だが、残念なことに、少年は、その期待に応えることができなかった。2年生になって最初の試験である中間試験の成績は、苦手の数学が悪かった。その結果を見た父親に「こんな成績だったら、今度は家から追い出す」と叱責され、殴られた。
金属バット殺人事件でも、そうだったが、この場合も、母親は父親に同調して、少年を責めた。
「こんな成績では、2流、3流の高校でも無理だわ。4流、5流の高校には、恥ずかしいから行かないでいいわよ」
息子を激励し、奮起させるために、厳しい言い方をしたのだが、普段、豊かな人間関係がなかった少年には通じなかった。逆に、少年の存在そのものを否定する言葉にしか聞こえなかったようだ。
勉強は死ぬほど嫌いな少年は、母親から毎日のように「勉強しなさい」と言われ、偏差値の魔物に追い詰められていく。
6月の小テストでは50点満点で、21点、クラスでは37番。7月の学期末試験では、数学は、予想以上に悪く、たった5点。父親に知られたら、何を言われるか分からない。再び、体罰をくらわされる。そう思うと少年は、父親の目を避け始める。
不幸なことに、豊かな人間関係を取り結ぶことを学んでいなかった少年にとって、偏差値的価値観を乗り越える術を知らなかった。
絶望の淵に追い込む偏差値の魔物から逃れるために、少年が考えたのは、自殺である。
「そうだ。自殺する前に、好きなことをしよう。以前、近くで映画の撮影があった時、目の前で見た南野洋子をレイプしたい。両親に迷惑がかかるから、いっそのこと両親も殺して…」と、空想が広がっていく。
空想が現実となった。両親、祖母を惨殺したものの、レイプして、自殺まではいかなかった。
家庭裁判所の審判で「僕はだれにも迷惑をかけていません。自分の部屋は、そのままにしておいてほしい」と、少年は、幼児性をむき出しにし、裁判官を驚かせた。

東京大司教区 創立100周年 (1891-1991) 江戸の殉教史跡巡礼企画 記念講演会

ジュリア禁参加で始まる「江戸殉教史跡巡礼」企画

本紙、1、2月迎春号第1面に東京大司教区創立100周年行事予定と記念事業が掲載されたのは記憶に新しいが、テーマの第1「過去に感謝し…」に沿う企画仮称「江戸殉教者ゆかりの地巡礼」はまだ初夏頃からと言うだけで具体的なものがなかった。そこでその後の準備状況を百周年記念行事企画準備委員会に確かめてみた。

この企画は、(A)巡礼案内パンフレットの発行、(B)巡礼行事実施の2本立て。江戸の殉教地と言えば大きく年代順に(1)おたあジュリア流配地神津島(2)浅草鳥越刑罰場(3)芝札の辻先(4)小日向の切支丹屋敷、そして(2)(3)(4)いずれにも深く関わる(5)小伝馬町牢に分けられるという。

巡礼案内パンフレットは、「バスと電車で巡る江戸殉教史跡」 (仮称)というA2版十字折り、仕上がりA44貢、4色刷り。

表紙では江戸殉教史上貴重な三井家所蔵の古地図「切支丹山屋敷之図」を現在の文京区小日向1丁目住宅地図の上に重ねて見せる画期的な試み。また広げた紙面いっぱいの郡内地図には、(5)小伝馬町牢と(2)浅草鳥越刑罰場その他に浅草教会を加えて第2コースとし、第3コースは(3)元和大殉教その他に高輪教会を、第4コースには(4)切支丹屋敷関連に関口教会を加え、計3つのコースの順路をカラー写真入り、主にバス利用で紹介する。
残る紙面では(1)のジュリア祭参加を第1コースとする案内と解説、第2・3・4コースそれぞれの歴史的概要を説明。もちろん千葉地域についても触れ、資料の多い図書館・博物館も紹介するという。まったく初めての人から歴史は知っていても場所がわからないという向きまで、一人あるいは数人で巡るときの便利さを狙いにして、発行は5月15日、有料の予定という。 巡礼行事は、都内の交通事情などを考慮してバス・ツアーや長距離の徒歩巡礼をやめ、前出パンフレットの第2・3・4コースそれぞれの教会を中心に日時を定め、近在の殉教地点を徒歩で案内、ミサや講演会など催すことになった。第1コースは、今年第22回目を迎える5月18日から2泊3日の恒例のジュリア祭を100周年記念行事の一貫にして積極参加(締切5月10日)を薦めている。第3コースには11月24日、主であるキリストの祭日高輪教会恒例の殉教祭がそれにあてられると決まった。第2、第3コースつまり浅草教会および関口教会中心の巡礼行事についてはまだ検討中で、5月中旬にはすべてが明らかになるだろう。

100周年記念行事に記念講演会 講師 遠藤周作氏

城南ブロックは100周年記念行事として、100周年記念企画委員会に遠藤周作氏を講師とした記念講演の企画を提出、教区主催の記念行事の一つとして承認してもらいたいと、検討を依頼した。1月の例会で検討された。
委員会レベルでも、企画の初期の段階で、信徒だけでなく、一般社会の人々にも解放された講演会の可能性について話し合われたという経緯もあって、城南ブロックの提案は、満場一致で承認された。
講演は、9月16日(敬老の日の振替休日、月曜)の午後2時より、中央区の中央会館を会場に行われる。整理券を発行しその収益をカトリック国際センター基金に寄贈するとのこと。
収容人員900名の内半数を一般の聴講者で埋めたいと願っている。

生涯養成コース 使徒職研修コース みのりゆたかに1990年度終了 -東京教区ナイスプロジェクト-

生涯養成コース

東京教区ナイスプロジェクトの一つである生涯養成担当スタッフは、「今の時代に生きる教会」をテーマに、昨年十月から月一回の生涯養成コースを開設、三月十六日で無事終了した。
第一回の森司教による基調講演では、教会の歴史的変遷からみて、日本の現時点で求められる教会像はキリスト在世中の時代がモデルになるのではないか。生活の中で弟子達山人一人がいろいろな角度から、希望、支えとなるキリストを体験し、それを分かち合うことによって、キリストの全体像である顔が浮かび上がってくる。ここに信仰共同体の意義があり、一人一人がより豊かになり、教会も一緒に豊かになるとの話があった。
こゐ基調講演を受けて、二回以降五回までは、「神が人を招くとき」、「私の生活と信仰」「私と教会」、「共同体の一員として」と題してスタッフによる問題提起と、小グループに別れて分かち合いが行われた。
最終回は、川原師から「これからの教会」の在り方を、教会は神との親密な交わり、全人類一致のための印と道具であるとの話があり、それを受けて森司教は、キリストの心を共感できるような働きを、今の教会は必要としているのではないかと結んだ。
最終回に行ったアンケート調査を見ると、希望、力を与えられたと感じた方が多かった。一方、異なる体験の分かち合いは良かったが時間が短かったとの指摘や、高齢者、青少年、子育てと定年退職後の生き方のテーマを今後取り上げて欲しいという希望もあった。
今後のコースの設計に、これらの希望を隼かして、企画を立てることとなった。

使徒職研修コース報告

1990年度は5つのグループ(以下Gと略称)で一年間継続、3つのGは毎週1回2時間、1つのGは隔週1回2時間、もう1つのGは月1回土日泊り込み。各G共、先ずテーマに基づく問題提起、そして分かち合い。終りに将来に向かっての方向づけ的なまとめを行なう形で進められた。問題提起のためにビデオによる映画鑑賞を取入れたGもある。又、初めに聖書とか、教会公文書などで、こうあるべきだという教えの線を打出すのでなく、日常生活の問題点、悩み、苦しみなどの体験を分かち合うことで現状をよりよく把握し、そこから、福音の教えを見直し、そこへ近づく対策を先ず各自が考え、それを分かち合いながら共に協力して行く方向を探る段階で一つのテーマを終了する。
この研修コースは、開催地の教会の信徒だけでなく、近隣の小教区の教会の信徒が、そこに集まって、つまり、小教区を越えた集いの中で、分かち合うことに意味があるし、スタッフも、そこの教会の司祭だけでなく、他の小教区の司祭や信徒や修道者がチームを組んで担当するということも、共に生きる共同体のあり方を示し、使徒職もチームを組んで行うことのモデルとなっている。
参加者は、少数Gは5名、多いGは約20名で、そのうち、約75%〜80%以上の出席者56名が終了証を受けた。なお、詳細の報告書と終了者名簿は、終了者全部と小教区の主任司祭に配布済み。
1991年度の研修計画は5Gで1年間継続の案内書を作製(サーモンピンク色)全小数区に配布した。開催地は、洗足、梅田、吉祥寺、東村山祈りの家などで参加者募集メ切りは3月末。(川原謙三神父)

『湾岸避難民救済実行委員会』としての募金活動は、4月3日をもって終了いたします。

従った銀行口座ならびに郵便振替日座を4月30日をもって閉じさせていただきます。
ご協力ありがとうございました。
4月10日   同実行委員会

お知らせします【生涯養成に関する企画】

★NHK聖書講座

全3コース。「聖書を読む」入門、概観編、「旧約聖書を読む」、「新約聖書を読む」。4月いっぱい受講者募集。問い合わせ・申し込み先/NHK学園・聖書講座係 0425(72)3151

★ねかりやすいキリスト教入門

「聖書は我々に何を……」毎週月曜〜金曜、午後6時〜8時30分。上智大学6号館1階かつらぎ館。月曜 P・ミルワード先生。火曜 A・デーケン先生。水曜 斉藤いつこ先生。木曜 越前喜六先生。金曜 時永正夫先生。入会随時・受講無料。主催 上智かつらぎ会。TEL3238-3031

★火曜勉強会「よりよい生き方を求めて」

講師 A・デーケン神父。毎回午前10時〜12時。4月16日(火)信じるとは何か?5月21日(火)愛と死について。上智大学6号館1階。参加費・1回6百円。TEL3238-3031

★弾

毎週月曜午後5時20分〜8時。初心者も、不定期参加も可。上智大学クルトゥルハイム1階正面左の部屋。問い合わせ・Kリーゼンフーバー神父。TEL3238-5124/5111

★接心の会(秋川神冥窟)

4月19日(金)夕食〜22日(月)=Srキャスリン 4月26日(金)〜5月1日(水)夕食=リーゼンフーバー師。5月3日(金)〜6日(朝食)Srキャスリン。申し込みリーゼンフーバー神父TEL3238-5124。Srキャスリン 神冥窟TEL(0425)98-0850。

★連続研究講座「教会と家庭」

4月〜10月の第4土曜日(8月は休み)。午前10時〜11時30分、午後12時30分〜14時。信濃町青年会館ホール4月27日、午前・松永久次郎司教「家庭における信仰教育」午後・長島正氏「ヨハネ・パウロ2世の信徒的勧告『家庭』について」。5月25日、午後・本田哲郎師「旧約聖書にみられる家庭」、午後・アンド・レ・コリン師「新約聖書からみた家庭」6月22日、午前・石井健吾師「教会史に於ける家庭理解の変遷」、午後・森一弘司教「信徒の霊性と家庭」。7月27日、午前・ハンス・ユルゲン・マルクス師「教義史から見た『家庭』理解」、午後・稲川保明師「教会法から見た家庭」。9月28日、午前・小田武彦師「信徒の召命と家庭」午後・岡田武夫師「女性神学と家庭」10月26日、午前・小笠原優師「終末論と家庭」、午後・濱尾文郎司教「アジアの視点から見た家庭」 日本カトリック宣教研究所、小笠原優師、TEL3321-5182

第4回信徒の霊性 研修合宿

自分たちの人生の体験を分かち合いながら、また祈りながら、ともに信仰を育ててきた「信徒の霊性」研修合宿も、今年で4回目を迎えます。今回のテーマは以下の通りです。
テーマ/「女性の霊性・男性の霊性」
-女性としての、また男性としての霊性を生きるには-
指導/森一弘司教
日時/1991年8月16日(金)PM3時30分〜18日(日)12時
会場/天城山荘
〒410-32 静岡県田方郡天城湯ヶ島町湯ケ島2860
TEL0558-85-0625(代)
対象/カトリック信徒の方どなたでも。
費用/20,000円(申し込み金を含みます。)
締切/7月1日(月)
人数/100人
申込方法/申し込み金5千 円を同封のうえお申し込み下さ い。(取消の場合は返金できま せんので、ご了承ください。) ・案内書をお送りいたします ので、返信用封筒を添えてくだ さい。
申込先/〒107 東京都港区赤坂8-12-42 聖パウロ女子修道会「信徒の霊性」係(清水・松岡)

投稿募集!

『東京教区ニュース』 では、次の欄への皆さまからの投稿をお待ちしています。
■ズームアップ--写真とその説明。あなたの教会生活の1シーンをほのぼのと。
■ちょっとおたずねします--私たちが信仰生活を送る上で疑問に思うことがありましたらどんなことでもお気軽に。
■信徒の声--『教区ニュース』にどんどん皆さまの声をお寄せください。
以上の3つの欄への投稿の送り先はいずれも、〒112 文京区関口3-16-15 東京大司教館内『東京教区ニュース』編集部宛。
毎日の原稿締切りは、15日。編集の都合上、文章を省略させていただいたり、表記の統一をさせていただく場合がありますのでご了承ください。皆さまの投稿をお待ちしております。

部落問題委員会設立にあたって 教区部落問題委員会 岡田武夫

東京教区に部落問題委員会が設立されるに際し、その趣旨と背景について一言、説明したいと思います。
差別ということがいけないことだとは一応誰でも知っています。しかしどういうことが差別になるのか、ということになると必ずしもわたしたちにはよくわかっておりません。意識して差別する場合もありますが、むしろ多くの場合、差別するという意識なしに差別的言動が取られているのが現実です。しかしそれは知らないから、ということで許されることではありません。

さまざまな差別

差別には様々な種類があります。例えば経済的な要因による階級差別、民族や皮膚の違いを理由にする人種差別、性の遭いによる女性差別などがあります。部落問題とは何でしょうか。
『同和対策審議会答申』 (1965年) によると、それは「日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である」と説明されています。(1)時代が替わってもこの差別は決して消滅するどころか温存・助長され、今日ではますます陰温・深刻の度を加えています。しかしわたしたちはこの差別の現状をどのくらい知っているでしょうか。今でも少なくない人々が差別に苦しんでおり、いわれなき差別のために尊い命を絶つことを余儀無くされる人がいまだに跡を絶たないのです。カトリック教会は、この問題を克服することは教会の福音宣教という本質的使命そのものの課題であると見なし、日本カトリック部落問題委員会を結成して、部落差別との闘いを行ってきました。また日本の宗教教団の組織である『同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議』、そしてさらにキリスト教の諸宗派・教団により構成されている『部落問題に取り組むキリスト教連帯会議』にも加入しました。この度、東京教区としても、白柳誠一大司教の決断によって、教区の部落問題委員会が正式に発足しました。これから月に1回の委員会を中軸として活動を展開していく予定です。

委員会の活動

委員会の活動はまず、皆さんとともに「差別とは何か」を学ぶことです。そのために差別を受けている人々の側にたち、人々の声にひたすら耳を傾け、人々の体験に学んでいくことを心掛けたいと田心います。わたしたちの意図は教えることにあるのではなく学ぶことにあります。自分たちが、差別を受けている人を救う、解放する、という立場に立つのではなく、救われるべき、解放されるべきはむしろわたしたちであり、わたしたちは差別され抑圧されている人々との交わりを通してはじめて解放を体験できる、ということをしっかり自覚できるよう、学んでいきたいと田心います。そうすることによってしかわたしたちは日本の社会においてキリストの福音を生きる人になることはできない、と信じます。
部落差別は日本の社会・文化に深く根を下ろしています。日本に神の国が完成するためには日本の文化・社会がその根底から福音化されなければなりません。そのためには「国の債務であり、同時に国民的課題である」似である部落問題を通してわたしたちカトリック信者が真にの回心を体験し、キリストの生き方を学ぶ、キリストに従って生きるようになることが必要である、と信じます。
どうか以上の趣旨をご理解の上、皆様のご協力とご支援をあらためてお願い致します。
なお、第1期東京教区部落問題委員会の世話人(委員) は次の通りです。
岡田武夫(委員長、教区司祭)、伊藤修一(高円寺教会)、藤堂博徳(初代教会)、平沢論 (初台教会)、田尻律子(女子聖パウロ会)。
また連絡先は次の通りです。〒160 新宿区信濃町33 真生会館 TEL03-3321-7121  岡田武夫

(1)「事実上、謬れる社会通念によって、長い間部落とみなされてきた所、そして現にそうみなされている所が部落そのものであり、そしてそのいわゆる部落に生まれ、部落に育ち、現に部落に住む人々、また近い過去に部落に流入してきた人々、あるいは部落外に居住していても近い過去に部落と血縁的なつながりをもつ人々が部落民とみなされている」と『部落問題辞典』(部落開放研究所編)の「部落問題」は説明しています。
(2)『同和対策審議会答申』 の前文より。なお部落問題については、カトリック中央協議会より近刊予定のNICE推進委員会の社会・福音チーム編『ともに…誰と』の中の「被差別部落の人々」を参照することを勧めたい。

13年かけて教会めぐり!?東京教区青年ネットワークの教会キャラバン

昨年3月以来、ネットワーク活動の一環として、2ケ月に1回、教区内の教会に、毎回、およそ30人〜50人の若者が多くの教会から集まって、半日の交流会が開かれてきました。
そのねらいは、小数区間の交流、簡単に言えば、たまには、よその教会に行って、そこの若者と会ってみようよ、ということです。だから、内容も、そこの若者や神父様におまかせで、1回1回、ユニーク。これまで、赤羽、小金井、渋谷、三軒茶屋、三河島、松戸、吉祥寺と回ってきました。東京教区には、79の教会がありますから、全部回ると、13年ちょっとかかるという息の長い活動です。「小教区を越えて」交流というと、「小教区を離れて」 になりやすく、小教区で活動する若者と外に活動の場を求める若者との間にミゾができがち。
この交流会は、それぞれの「小教区で」という点で、ユニークだし、また、本当のネットワーク、つまり、それぞれの場所にいる人がつながりを持ってゆくこと、を目指してもいます。
これからも、あちこちで開かれますのでどうぞよろしく。また、うちでもやりたいという教会の方は、ぜひ青年ネットワーク事務局(03-3314-6039)まで御連絡を。

☆次回の半日交流会のお知らせ

5月12日(日)松原教会
午後2〜5時
機浜青年青少年情報センター製作
「ANEW・ムービー」を上映します。
お誘い合わせの上どうぞ!
青少年青年情報センター(横浜カトリックセンター内) に拠点をおき、15人前後の青年が企画製作している。90分の自主製作ドキュメンタリー・ビデオ。1990年フィリピン、朝鮮に実際に足を踏みいれて、日本による侵略戦争の被害者から、体験を直接取材し、フィルムに収めた。

ミャンマーの実情(3)小宇佐敬二神父の報告

「豊かさと貧しさ2」

車の行き交う街道をちょっとそれて、マンゴーの木の林を抜けて、車はインヤレイクホテルの正面玄関に横付けされました。ミャンマー一のこのホテル、鉄筋コンクリート4階建て、ちょっと古めかしい感じですが、なかなか空々としています。実はイギリスの植民地支配時代の通産なのです。高い天井、長い廊下、ちょっと古風なヨーロッパ的重厚感がありますが、方々にくたびれも目につきます。
ホテルに着くと、すでにヤンゴンのトーヘイ大司教様がいらしゃっていて、われわれを迎えて下さいました。恐れ多いといったらこの上ない気持ちです。チェックインをすませ、部屋に入り荷物を置いて、ツアーガイドと大司教様の待っているロビーにおりていきました。翌日からのツアースケジュールの説明と確認をしたあと、あらためて大司教様とご挨拶。心からのおもてなしを受けたわけですが、このおもてなし、いったい何なんだろうと始め理解に苦しみました。
何せ、いきなりと言っていいはど唐突に、分厚い財布を出して、「このお金を自由に使って下さい。くれぐれもお手持ちのドルをチャッドに交換しないように。」とおっしゃって、財布ごとわたしたちに下さったのですから。
闇ルートと公正ルートには10倍の差がある。知識としてはありましたが、生活感覚ではまだ捉えきっていませんでしたから、「このお金には、どういう意味があるんだろう」と理解に苦しんだわけです。「毒なのか薬なのかよく分からない。しかし、この場にあっては、差し出されたものは飲み干すことが肝要だろう。」そのような思いで差し出されたものを受け取りました。あとで部屋に帰って調べてみたら、何と7,500チャッド、公正ルートで換算すると約17万円入っています。正直、驚き疑いました。分けの分からない世界に来て、いきなり分けの分からない金を与えられた分けですから。
入国の際に、手持ちの外貨を申告します。このお金は、公式の交換所でなければ交換することはできません。もちろん、その時のルートは公正ルートであるわけです。1ドル5,5チャッド、1チャッド24円です。換金すると、換金の証明書が発行されます。出国の際、手持ちの外貨および換金証明書の内容と入国の暗中告した金額とが合わなければ、問題であるわけです。
普通、旅行者は申告した金以外に外貨を隠して持ち込むようです。国内で使う金は、ほとんど闇で換金します。それだけで10倍の差があるのです。1ドル55チャッド、1チャッド2円40銭です。
公正ルートと闇ルートの格差。ミャンマーの経済的貧しさを的確に現している事柄ではないかと思います。同時に、貧しさの抱えこんでいる矛盾を。
夕食の時、ワインでも飲もうかと、尋ねてみました。ヨーロッパものが400チャッドとか言われてあきらめました。ちなみにスコッチもあるにはありました。庶民の手の届く金額ではありません。ミャンマーで作られたビール、これなら30チャッド、手頃です。
食後、ほろ酔い気分で、ホテルの庭を散歩。インヤ湖の穏やかな水面、さわやかな空気、木立、そして、夜空に輝く星。とくにすばるのきらめきは印象的でした。

東京大司教区 「広報の日の集い」

みんなで考え、祈り、行動しよう。教会の広報活動を。
できるだけ多数のご参加をお待ちしております。

方法:パネルディスカッション
日時:1991年5月26日(日)
午後1時〜4時
場所:聖パウロ女子修道会ホール
(TEL03-3479-3941)
ミサ:午後4時30分(同修道院聖堂)自由参加
交通:(地下鉄)千代田綿乃木坂下車1番出口3分
(バ ス)新宿西口→--→田町駅東口
乃木8丁目下車3分
主催:東京大司教区 広報委員会
電話によるお問い合わせ 03-3291ー0860
広報委員会担当司祭 泉 富士男(神田教会)

一粒の麦 第6回 白柳大司教、教区100年を語る

東京大司教区100年の歴史 1891年(明治24年)から1991年(平成3年)まで

第3期(昭和時代)昭和2年より昭和20年まで(1927年〜1945年)

新しい時代の幕開け

東京大司教区が創立された明治24年から明治の終わりまで、オズーフ大司教が司牧者として働かれました。
大正時代はレイ大司教、そして第三期に入ってシャンボン大司教のもとに、前の2つの時代に蓄えられたエネルギーが、将来に向かって希望のうちにその一歩を踏み出したのでした。教会が大きく躍進していく時代であるとともに、軍国主義が最高潮に向かう時代でもあり、教会は躍進とともにダメージをうけていく過程が出現します。

働く人の増加

邦人司祭は少しずつ増えていきましたが、他方フランス人宣教師の老齢化に伴ない、日本の宣教を委託されていたパリ外国宣教会は、他の修道会にもその助けを請い、宣教師の来日を要請しました。
明治・大正の時代は、パリ外国宣教会、マリア会、イエズス会の司祭達によって司牧された東京の教会は、昭和の初めに、フランシスコ会、ベネディクト会、サレジオ会、聖パウロ会の司祭も活躍しはじめました。
女子修道会にあっては、明治から働いているサン・モール会、シャルトル・聖パウロ会、聖心会に加えて、昭和の初めに、13の新たな修道会が東京教区内で働くことになりました。
邦人司祭も昭和の初めには、9人にすぎませんでしたが、大平洋戦争の終わりの頃には20人に増加していました。人員の増加とともに、宣教の拠点であり司牧の場である教会も6教会から、10教会に増えました。すなわち、昭和3年には本郷、大森、喜多見、高円寺の4教会が創立され10教会となったわけです。
さらに、昭和7年から昭和15年にかけて、田園調布、三河島、王子、清瀬、麹町、その他後に強制疎開のうきめにあった西小山、蒲田、荏原の教会と増えていきます。働く人の増加と教会の倍増によって、信者の数も著しく増加しました。

対外的文化活動

信者数増大の他の理由、それはこの時代になって、対外的な文化活動が盛んになった事です。
昭和五年から昭和17年にかけて、カトリック美術協会、日本カトリック文化協会、カトリック音楽協会、グレゴリアン音禁学会、天主公教医師会というような団体が設立され、活発な活動を展開しはじめました。
また、日本大学、法政大学を始め多くの大学にもカトリック研究会が創立され、従来の同種類のものと同じように学校内、あるいは外に向かって活動が開始されました。
この時代に「カトリック大辞典」が冨山房から刊行されたことは特筆されるべきことだと思います。

軍国主義の高まり

国粋思想の高まりに伴って、軍国主義的傾向は昭和に入って最高潮に達します。
昭和3年には治安維持法が改正され、信仰表現の自由がきわだって制限されていきました。
昭和4年には、カトリック学校が神宮式年祭に参加しなかったことで、暁星のエック校長はけん責をうけたことがありました。いわゆる神社問題というものが、上智、暁星学園の生徒の靖国神社参拝拒否から大きくなり配属将校ひきあげという事態も生じ、教会は当時の社会の大きな渦巻の中に巻きこまれていきました。
一方、奄美大島では、昭和9年から昭和11年にかけて宣教師達がスパイの容疑をうけ、教会自体が迫害され、カナダ人の宣教師たちが東京へ移らざるをえなくなったという状況も年まれました。憲兵隊は宣教師たちにきわどい質問状を送付し、回答を求め、いやがらせを行ったりしました。
教会側は、このような傾向に対して教区長を外国人宣教師から日本人に変え、賢明な対応をしていくようになります。
昭和13年には、土井大司教が東京の大司教に選ばれます。
昭和15年から19年にかけて、当時の東京教区司祭、田口、井手口、戸田、瀬野、内野の神父がそれぞれ、大阪、横浜、札幌、浦和の教区長として転出して行きました。
また軍部の要請に基づき、南方宣布班に、司祭3人、神学生5人、修道女、信徒6人を派遣するなどして、当時の難しい状況を克服していったわけです。

戦争の影響

昭和16年12月8日、大平洋戦争の開始とともに敵国人となった宣教師、修道女たちは働くことをゆるされず、抑留されてしまいました。アメリカ、イギリス、カナダ、アイルランド、オーストラリアの他にオランダ、ベルギーも敵国人として抑留所に収容されました。現在東京大司教館として使われている場所に、小神学校がありましたけれど、それは警視庁の抑留所に変わり、敵国人となった修道女、あるいは婦人たち61人がこの建物の中に抑留されました。
戦争の影響は、司祭の活動を著しく制限してきました。司祭が信者の家庭を訪問することは危険視され、クリスマスの夜中にミサは、中止の要請があり、ミサ用の小麦粉、ぶどう酒が欠乏をきたしたりしました。
強制的に疎開を要請され、取りこわされた教会が西小山、王子、麹町、千葉と出現していきます。また、宣布班として派遣された井手口横浜教区長、シャルトル聖パウロ会の2人のシスターは、香港に向かう途中、船が機雷にふれ殉職するということもありました。
戦争末期になると、文部省はカトリック教会の教義から、キリスト復活の教義を除去するように求めるということすらおきました。
もちろん、これに対しては教会が毅然たる態度をとったことは言うまでもありません。

戦災

戦争の末期、昭和20年の初めから東京へのB29の爆撃があい続きました。
3月9日の大空襲によって、本所教会が焼失し、宇賀山神父が焼死したことから始まって、あい次いで、多くの教会が焼失いたしました。神田、本郷、麻布、高円寺、麹町、蒲田、荏原、関口、大森、八王子と当時21聖堂がありましたが、そのうちの11は完全に焼失し、4つの教会が半焼、多くの修道会、施設、修道院、学校病院等が灰じんにきしたことはあまりにも悲しい出来事でした。
当時の土井大司教、司祭盟、修道会のご苦労を思う時、本当に頭がさがります。またあのような難局にあって信者の皆さんが信仰を守りとおし、立派に対応してきたこと、これは賞讃に値いすることだと思います。このような苦難を経た教会は、昭和20年8月15日終戦を期して、新たな段階、恵みの時代に入っていきます。

教区創立100周年記念「聖歌の詩」の選考終わる

教区典礼委員会は、教区百周年の記念に「聖歌の詩」の募集を行った。
160数点の応募があった。
当初、応募者がなく、関係者たちは心配していたが、「1月の締切り間際にどっと作品が寄せられ、最終的には、160を越える作品が寄せられた。応募者は39名。
締切り後、典礼委員会の委員と教区儀式担当係たちが選考委員となり、選考のための会合を重ねてきたが、四月四日、大司教の臨席のもとで、作曲を依頼するために適当と思われるものがなく、次の6人の方々の作品を佳作とすることで最終的な結論に達した。

佳作
みことばは
増岡尚美(関口教会)
宣教
東 洋(町田教会)
この道を行けば
原田 操
(汚れなきマリア全会員)
宣教
後藤 優
(世田谷教会)
今こそ恵みの時
飛沢みどり
(木更津教会)
神さまがまかれた小さな種は
加藤幸子(多摩教会)

応募者全員に、大司教より記念品が階呈される。

みことばは 増岡尚美

みことばは 時をこえ
わたしの胸に とどく
キリストのまなざしがそそがれるうれしさ
あなたにも伝えたい
神は いつも ともにいる
きのうもきょうもかわることなく

みことばは 海をこえ
わたしの胸に とどく
キリストがのこされた平和にいきるよろこび
あなたにも伝えたい
神は いつも ともにいる
きのうもきょうもかわることなく
(以下 略)

この道を行けば 原田 操

この道を行けば 泉がある
みことば輝く いのちの泉
飲む著すべて 新しい
姿を映す 虹たつ泉
この道の果てに み国がある
旅の始めの 約束の国
迎えてくれる 父の持つ国
(以下 略)


宣教 東 洋

「神は愛」とのよい音信が
東 けわしい山脈をこえ
西 はるばると海原わたり
日本の空にひびきかわした
「神は愛」とのよい音信を
命ささげてあかした信
ひそかに守り通した望
今にうけつぐ我光の子
(以下 略)

今こそ恵みの時 飛沢みどり

愛する人に 見捨てられた時
悲しまないで 思い起こそう
神の愛は
見捨てられた人のものであることを
今こそ めぐみのとき
今こそ めぐみのとき
神のあわれみいつくしみの時
見捨てられている人に
告げ知らせよう
神の愛は
見捨てられた人のものであることを
(以下 略)

宣教 後藤 優

行きましょう さあ 今日もまた
神との出会いを求めて
神はいつも どんな時にも
わたしたちの身近におられる
朝陽にきらめく築かげの露
空を流れる雲
茜さす雪の山やま
美しいものは すべて
すべての神の栄光の現われ
(以下 略)

神さまがまかれた小さな種は 加藤幸子

かみさまがまかれたちいさなたねは
よるひるそだち えだをはり
はかげに とりもすをつくり
いのちのすてきさみつめよう
イエスがみつめたそのまなざしで
いのちのすてきさたたえよう
イエスとともにたたえよう

編集部から

「教会・修道院巡り」は、休みました。

通勤の車窓から見る花々が、春の訪れを知らせてくれました。桃色の花、黄色い花、紫色の花、白い花、1つの花が咲き始めると待ち遠しかったように、次々と美しく咲きそろいました。冬の間、何もなかったところにさわやかな神様のプレゼントです。スミレは、スミレ、沈丁花は沈丁花、木瓜は、木瓜、咲かせて下さるそのままの姿。見ていると新しい息吹きを感じますね。

東京教区も総会で説明がありましたが、「東京大司教区創立100周年記念行事」が、青年達のライブ・キャラバンをかわきりに、いよいよスタートです。各行事の詳細(時間・場所など)については、教区ニュースでもお知らせ致します。