東京教区ニュース第84号

1991年07月01日

東京教区広報の日の集い

生き生きとした情報を生み出すために -人間同士・組織同士のネットワーク化を!!

今年の東京教区の「広報の日の集い」が5月26日(日)午後1時より、赤坂の女子パウロ会で開催された。テーマは、「教会の広報活動の現状を見つめ、どうすればより効果的な広報活動ができるか」。講演、作文発表、パネルディスカッションなどを通して、各教会で小数区報の編集など広報活動に携わっている方を中心に、約50名の参加者が熱心に耳を傾け、そして語り合った。

相手の立場に立ったコミュニケーションを

上智大・武市英雄教授が講演

まず始めに、上智大学新聞科教授の武市英雄氏が、問題提起をかねて約30分間講演した。
武市氏は、1960年から10年間を読売新聞記者として活躍し、また教区ニュースが最初に発刊された時に編集に携われた経験をお持ちである。
さて、武市氏は、「コミュニケーションは、量を多くすれば自然と理解が深まるという考えは単純すぎる」と問題提起を行ない、どういう姿勢でコミュニケーションするかが大切だと指摘した。その上で、「相手の立場を知ろうという意識を持たないで、ただコミュニケーションを頻繁にやれば何となく理解し合えるということではない。コミュニケーションは理解を深めるにあたっての必要条件であるが、十分条件ではない」と語る。
次いで心理学や社会学の立場からみたコミュニケーションのさまざまな定義やモデルについて紹介があった後、「異文化へのコミュニケーションというのは、送り手が一方的にメッセージを発しても、受け手は必ずしも同じようにとらないことに留意しなければならない」ことを日米間の経済摩擦の報道の事例を引用して示し、「情報を流す立場として心がけなければならない点は、自分自身の価値観をあまり中心に考えてはいけないこと。
自己文化中心主義、つまり、自分の文化が絶対に正しいという考えは危険だ。自分を相手に置く、あるいは相手を自分に置きなおしてみるということが重要だ」と語った。
さらに、コミュニケーションを考える場合、教会の中も同じであるとし、以下の3点を強調した。
1.行なうことと知らせることは別である。自分の立場や座標軸を理解してもらうために、もっと知らせる努力が必要。
2.相手の立場に立ったコミュニケーションをすること。
3.教会の広報は、教会の構成員全体の産物であるという意識を送り手側が持ち、受け手のニーズを絶えず聞く努力をし、双方向のコミュニケーションを心がけること。
最後に、「コミュニケーションは、量を多くすることだけを考えるのでなく、背後に愛の精神が必要だ。愛情という裏づけがあって、初めて本当のコミュニケーションが成り立つのではないか」と締め括った。

「広報の日」募集作文の発表を行なう

松本静夫さん(北町教会)と日高千津子さん(麹町教会)

広報委員会では、教会の広報活動について意見を広く伺い、またこの集いの問題提起になることを願って、『カトリック教会の広報活動について』というテーマで作文を信徒から募集していたが、4名の方々から応募があった。そこで、いずれ劣らぬ力作の中から2作について、お忙しい中を当人にお出でいただき、武市氏の講演に引き続いて、この会場で発表して頂いた。 (別掲)

パネルディスカッション

集いの後半は、教区の様々な場で活躍する方々によるパネルディスカッションである。泉神父とシスター行宗(女子パウロ会)の司会で進められたが、まず、各自がコミュニケーションについてどのように考えているか、問題点は何かを語ってもらった。発言順に紹介しよう。

トップバッターの晴佐久昌英師(高円寺教会)は、青年ネットワークの活動体験から、次のように語った。
「青年たちのネットワーク創りにあたっては、<フェース・トゥ・フェース>を合言葉に、人と人が実際に会うことを大切にしている。それが、教会の中で福音に近く、実りが大きいことをいろいろな体験から実感しているからだ」。

安藤昭子さん(関口教会)は教区広報委員として教区ニュースの編集に携わっている立場から、昨秋に教区ニュースが紙面刷新するにあたって確認した編集方針や紙面作りの苦労を話した。

野口郁子さん(松原教会) は小数区報の編集に携わっている現状を語った。「小数区報は、教会が活性化して、信徒のニーズから生まれた。心に残る記事をひとつ作りたいと思って、信仰体験を語ってもらう『神との出会い』というシリーズを設けたが、回を重ねていくうちにキリストの姿がおぼろげながら浮かび上がってきたような気がする」。

高橋博さん(立川教会) は、教区情報誌「すくらんぶる」の編集スタッフ。日曜日の教会で山のように積まれたパンフレットがほとんどがほこりをかぶっている現状を指摘し、「教会は紙を中心としたコミュニケーションであふれているが、果たして相手の立場を考えて流れているのだろうか。コミュニケーションを単に物を相手に渡すということだけで考えればそういうことなのかもしれないが、教会の中のコミュニケーションはそうではないのではないか」と問題提起した。

森司教は、「教会の大きな広報手段のひとつは説教である」として、武市氏が触れた『異文化』の視点から説教について語った。「聖書の世界は異文化であり、それを解釈するために創りあげてきた教会の言葉も異文化だ。だから、まともにその言葉を語っても、聞き手はつまらない。そこで私は、具体的な聞き手のイメージをつくって、聖書の中からとらえた自分を生かしているものをその聞き手の生活状況の中にあてはめて伝え、そしてその聞き手の心がそれを受けて感じ取って何か心の中に交流、生きた体験になれるような、そのような作業を自分の中で行なっている。その人の心に向かって語るから、言葉は生きて生命の交流になってくるし、その人だけでなくまわりで聞いている人の共感現象を起こし、それが自分にも響いてくるから私をも変えて育てていく相互作用を起こす。そのように考えてくると、カトリックの伝えようとする事柄の中に、異文化の中に立っている自覚が非常にうすいと思う。つまり、異文化の中で自分が生かされているいのちを、日本の人々にどう伝えるかという作業をすべての広報紙の中に吹き込んでいく課題が与えられているのではないか。そうしないと、生きた受け取り方はされないで、紙屑になってしまうだろう」。

次に、シスター長谷川(女子パウロ会)は、中央協議会の広報部長という立場から、広報部の仕事の概要を、各小教区に配布しているポスターなどを紹介しながら、具体的に説明した。

この後、休憩をはさんで、参加者を交えての自由討論にうつった。
まず、紙洪水の現状をどう改善していけばよいかが話題になった。「自分の教会ではミサでアナウンスすることを心がけている」という参加者の発言を受けて、パネラーの1人は、「いいものだから読んで下さいという姿勢は果たしてよいのか。仮りにいいものでも、それをコミュニケーションする言葉とか、人と人とのふれあいとかがない限りは伝わっていかないのではないか。その意味で、紙は二次的なものという気がする」と語り、人と人のふれあいがあって、始めて情報が流れていくのではないかと指摘した。
この後、異文化の中にいるキリスト者が、教会外を意識した社会に向けての広報活動をどう考えていけばよいかということなどを中心に話し合った。

さて、この集いの中で、はからずも全体を通して浮かび上がってきたのは、コミュニケーションというのは、人と人のふれあいがあって始めて情報が伝わっていくのであり、メディアはあくまで二次的なものに過ぎないこと。そして、広報活動を活発にし情報をスムーズに伝達する基本は、「生き生きした情報を生み出す人間同志・組織同志のネットワーク化にある」ということだった。私たちは、もう一度この基本に立ち返って、私たちの福音宣教の使命を、そして広報のあり方を考え、とらえ直してみたいと思うのである。

「広報の日」応募作文 (要旨)

人間同志のネットワークから広報活動の芽が生まれる 松本静夫さん(北町教会)

広報活動と信徒活動は、表裏一体の関係にあり、活力ある活動にするためには、信徒のタレント性を見出だし、引き出す必要がある。
日本の教会が、「福音」的社会ニーズに応えていくために、司祭・修道者・信徒から構成するブレーンを設置して刻々と変化する社会情勢を分析・検討するようにしたらどうか。
このようにして、人間と人間のネットワークが機能し始めると、そこから多くの信徒活動や広報活動の種が生まれてくる。
広報活動を活性化する基本は生き生きした情報を年む人間同志あるいは組織同志のネットワーク化にある。そして、生きた広報活動とは、次の信徒活動へ飛
躍するモーメンタムを刺激するものでなくてはならない。

カトリックの一致した力が外にも働きかけていくことを 日高千津子さん(麹町教会)

教会の活動そのものが、カトリックを知らせる広報活動なのです。そのために、信徒も、身近な人や出会った人々に人間性を通じて、カトリックの教えを実践しなければならないと思います。しかし、それぞれの活動には限界がありますから、各教会や団体は連絡をもっと緊密にして、カトリックとしての一致した活動をしていきたいと考えています。
教会内部の情報を活性化し、個人同志の結びつきや助け合いを盛んにし、そこから信者同志だけでなく一般の人々への奉仕に結びついていくこともあると思います。信者の教会内の活動が低調では、外部に向けてのカトリックの活動も活発になりません。カトリックの一致した力が、外にも働きかけていく力となることを期待したいのです。

第2回福音宣教推進全国会議 東京教区準備委員会開かる

5月21日(火)、神田教会において、第2回福音宣教推進全国会議(以下ナイス2)東京教区準備委員会の第1回会合が行われた。出席者は14名。
白柳大司教の挨拶の後、議事に入った。

この委員会の役割についての説明(森一弘司教)

1.東京教区として、ナイス2に向かって準備する
2.不明確な点があるが、どんな視点で、どんな切り口で 「家庭」という課題に取り組んだらよいかを考えるのが、委員会の当面の仕事
3.小教区等でのナイス2に関わる話し合いを、教区として側面から支援する委員会

経過報告(塚本伊和男神父)

1.昨年8月に司教団常任委員会からナイス2開催の呼びかけがなされた。
2.特に、司祭の意見を聞き、各教区担当者は11月中に、司祭の意見のまとめの報告が求められた。東京教区としては次の4名の司祭が担当司祭として任命された。山本量太郎、立花昌和、塚本伊和男、泉富士男(当初佐藤敦俊であったが途中で交代) (敬称略)
3.一部のブロックの司祭会議で話し合いがなされ、10月の司祭月集ではその報告をもとに話し合われた。担当司祭らでまとめを行い、教区の司祭の意見を報告した。
4.昨年12月の臨時司教会議で、各教区の司祭の意見をもとに協議した結果「第1回全国会議から第2回全国会議へ」の呼びかけ文が発表された。
5.司教団のナイス2準備委員会からの要望に基づき、各管区の司祭集会が持たれた。
東京教会管区としては、各教区司祭評議会の代表者の集いを2月18日〜20日まで、群馬県磯部温泉で行い、地域性、歴史性を考慮した全国会議への歩みが望ましいとの提言が司教団に提出された。
大阪教会管区は、2月末司祭大会が開かれ、長崎教会管区は、この秋司祭大会が開かれることになっている。
6.東京教区としては、教区創立100周年行事の終了を待って、小教区および諸グループのナイス2に向かっての話し合いがに行われるように、ここに東京教区の準備委員会を発足させた。
その後、各委員の自己紹介と活発な意見交換が行われた。

共通点の指摘とまとめ (4つの視点から)

1.家庭は社会の縮図で、もろに社会の諸問題を反映する場である。家庭の諸問題を取り上げ、話し合うことによって、家庭の福音化に努めることが、社会の福音化につながるのではないか。
2.大部分を占めるごく普通の家庭に視点をおいて、各家族が感謝と反省をしながら、自らの家庭を高めることが、生きざまを通してのあかし、福音宣教になるのではないか。
3.弱い立場におかれている方々(障害者や老人等) の問題に視点を置き、ともに交わり、歩みながら献身と奉仕の実践を通して、福音宣教の輪を広げたらどうか。
4.各人の日常の経験と有識者の見解をもとに、福音の光を当てて、教会が社会に向かって、積極的に、しかも確信を持って、家庭間題、社会問題に対する
「指針」づくりをし、社会に明示すべきではないのか。教会は、説教調でなく、暖かみのある真心こもった訴えを通して、福音宣教の実をあげることができるのではないか。
(塚本伊和男神父)

田園調布雙葉学園創立50周年記念 目黒星美学園 創立30周年記念を祝う

去る5月18目、田園調布雙葉学園は、白柳大司教の参列のもと創立50周年記念を祝った。
今から50年前といえば、1946年、第2次世界大戦が始まった年である。
雙葉は昭和16年12月すなわちアメリカとの戦争勃発の翌々日に始まった。その日登校した児童は小学校1年生2人、予定されていた校舎が2日前に軍に徴用されてしまったので四谷の雙葉高等女子校の一教室を借用しての入学式であったと、学園誌はその当時の苦労をしのんで記している。
戦争、疎開、敗戦と続く混乱を乗り越えて50年、4,000人の卒業生を社会に送り出した同学園は、記念事業として講掌と体育館を新設し、式典ではカトリック学校としての21世紀に向けた新たな歩みを誓った。
また22日、目黒星美学園は、同じく大司教の参列のもと30周年記念式典を祝った。
星美学園中学校は、1960年、「女子のための一貫教育」を達成するために世田谷区の砧公園近くの土地に設立され、目黒の星美小学校の卒業生の受け入れとともに開校した。
当時、日本社会は、第1次安保問題で揺れ、学生運動がますます過激になって混乱していた。
そういう状況の中で「愛情がなければ信頼がなく、信頼がなければ教育はない」というドン・ボスコの教育理念をバックに開始された星美学園の人格教育は今やしっかりと地域に根づいて評価され、さまざまな矛盾に苦しむ日本の教育の中であつい期待を寄せられている。
記念事業として建てられた講堂は「ラウラメモリアルホール」と命名され、大司教によって祝別された。

今春上京した若者たちを励ます集い、開かれる! 教区移動信徒連絡事務所主催

この春に進学や就職のために東京にやって来た若者たちを励ます集いが、9月19日(日)にカテドラル構内で開かれた。この集いは、毎年、東京教区移動信徒連絡事務所が主催して開かれているもので、当日は、10名の若者が参加、軽食を囲んでの歓談や、2人ずつペアになって与えられたテーマを分かち合うことで相手を知り自分を知る「エクササイズ」、そして地下聖堂でのミサなどのプログラムを通して交流を図った。
参加した若者たちは、全員が長崎県出身で同郷ということもあり、「久しぶりにカトリックの人と会えてうれしかった」「始めて会う人ばかりだけどとてもなつかしい気がする」「もっとこのような機会を増やして欲しい」と、感想を語ってくれた。

移動信徒連絡事務所ってなにするところ?

ところで、この集いを主催した移動信徒連絡事務所、いったい何をする所だろう。この集いを企画したメルセス会のシスター渡辺にお聞きした。「他教区から転入する信徒のために、教会を紹介したり、相談があれば信仰生活の手助けをするのが仕事です。また、連絡の取れない信者を探すこともあります。担当司祭は
JOCの小林神父と泉町教会の岩子神父で、事務は昨年から私がお手伝いしています」とのこと。
でも、今日の参加者は全員が長崎県出身者だけれど、どうしてなんだろうか。「それは、他教区から転入すると、本来はその名簿がすべてこの事務所に送られてくるはずなのですが、現在は長崎教区からしか、名簿がこないのです」とのこと。だから、他の教区からも名簿がくれば、このような集いを通して、もっと地方出身の若者たちの交流が図れるわけだ。
この集いに参加した若者たち、そしてこの事東京にやって来た多くの若者たちが、慣れない大都会での日々の生活を、そして信仰をより確かなものとしていけるように、心から祈りたいと思う。

ズームアップ

岩橋淳一神父 中央協議会 事務局長

中央協議会中興の祖といったら、過言だろうか。
日本のカトリック教会の対外的な窓口として、教会法的には独立している16教区が、協力し一致を育てていくための場として、また複雑で多様な要望に機能的に応えられるよう、中央協議会を前近代的な形から今日のような形に変貌させたのは、この人の手腕によるところ大である。
人への細やかな配慮とやわらかなユーモア、そしてこの人独特のオシャレのセンスは、人を引きつけて放さない。(東京教区司祭、1941年生まれ)

堅信おめでとう!! 東京教区合同堅信式 5月19日

5月19日(日)午後2時より、カテドラルにおいて、東京教区合同堅信式が行われた。
23小教区140名のカは、白柳誠一大司教、森一弘司教から堅信の秘跡を受け、聖霊の賜物で強められ輝いていた。ミサの終わりに代表者が「キリスト者として、神の使命を果たしていきたい」と挨拶、白柳大司教は「力強い言葉です。勇気を持って歩いて下さい」と祝福され、大聖堂いっぱいの参列者も共に喜び祝った。

江戸切支丹殉教ゆかりの地 第22回 「ジュリア祭」レポート

第22回のジュリア祭(団長・下山正義神父)は、5月18日〜20日に行われた。今年は、教区創立100周年記念「江戸切支丹殉教ゆかりの地」巡礼の第1コースとして行われ、524名(内116名が韓国巡礼団)が参加した。

18日(土)

午後9時に、チャーターした「さるびあ丸」で竹芝桟橋を出帆。船内放送の先唱で夕の祈りを唱えた後、エンジンのけだるい響きの内に、思い思いに過ごす。東京湾を抜ける頃の11時に消灯、眠りにつく。

19日(日)

聖霊降臨の主日。早朝の6時半に神津島に接岸。参加者は、47の民宿に別れて朝食をとった後、午前9時からジュリア顕彰碑のある公園で野外ミサ。
韓国の婦人たちの淡色でさまざまな民族衣裳と白ヴェールの誇らしく美しい集団に魅せられる。記録によれば、韓国の人たちは第2回に数名が個人参加したのに始まり、翌年の「ジュリア400年ぶりの故国里帰り」事業をきっかけに参加者が急増、近年は100名をこえる団体参加にいたっている。
ミサにつづいて、近くの流人墓地まで聖体行列し、おたあジュリアの墓前で祈る。墓のまわりは、人家と急坂の入りくんだ狭い道が囲み、墓石だけが350年前をしのばせる。
午後は各自が自由に過こした後、午後7時に再び朝の公園に集まりジュリアの墓までロザリオとローソクの行列を行う。先唱は日本語だが、韓国の人たちも「聖マリア」の声を聞きわけて、韓国語で天使祝詞を唱える。
つづいて、小学校体育館で日韓親善人会が催された。韓国の民族舞踊がすばらしかった。

20日(月)

午前7時から朝の祈りとミサ。
朝食後、民宿に別れを告げて買い物など自由時間を過ごした後、お昼に岸壁で村の好意によるお別れ会。トコロテンやつきたての餅のごちそうにあずかった。
12時10分、出帆。大漁旗を掲げて走る数隻の漁船はダイナミックで美しい。
帰路の航海は、島々の美しさに時を忘れる快適さだった。そして、予定より40分も早く竹芝桟橋に着岸した。

このようにして、3日間連日晴天に恵まれ、無事終了した。
団長の下山師は、初参加の人にもつづけて参加するよう強く要望していたが、初めて参加した筆者も同じ感慨にひたることができた。

ルポルタージュ 家庭 (5)

過労死 -横川和夫-

「西欧に追い付け、追い越せ」を旗印に、明治以来、生産性を高めるために、あらゆることを犠牲にして突っ走ってきたのが日本社会である。
学校教育は、豊かな人間性を培い、自立した人間を育成する場ではなく、経済効率を最優先する企業戦士を生産する“ロボット工場”のような存在になってしまった。働くことが美徳であり、素晴らしいことだと学校でも、家庭でも教え込み、何の疑問も抱かず、人々は一生懸命働いてきた。
そのゆがみが家庭に凝縮して表れ、長時間労働の犠牲になっているのが、家庭であり、妻であり、子どもたちであることが、東京・綾瀬の女子高生監禁殺人事件で証明されたと言ってよいだろう。
だが、よく考えてみると、父親たちも、実は生産性を高める企業の犠牲者でもあるのだ。
日本で過労死が問題になってきて既に10年になる。
今から10年前に大阪・西淀病院の産業医学の研究グループが、急性死とか突然死とかいう名称では実態が表現できないと、過労死と名付けたのが始まりだ。
ところが、その過労死は今や「KAROUSHI」として世界に通用するほど、世界的な単語となってしまった。
3年前に設置された過労死110番には、1カ月で多いときには300件の電話相談が寄せられているという。労働省によると、脳・心臓疾患による労災申請件数は62年度499件、63年度676件、平成元年度777件だが、実際に過労件の脳、心臓疾患と確定されたのは、62年度が21件、63年度29件、平成元年度30件と極めて少ないのが現実である。
3年前の5月、奈良県の労働基準監督署が、労災として確定した過労死は、サラリーマンが“壮絶な戦死”を遂げた典型例と言っても言い過ぎではない。
確定された人は48歳になる大手ベアリングメーカーの工場班長だ。帰宅して遅い食事を取った後、トイレに入って倒れ、間もなく息を引き取った。
調べてみたら、毎月の残業時問が約100時間。倒れる前は、50日間も休みを取っていなかった。
工場の機械は、24時間操業。機械を止めるわけにはいかないので、人員が欠員になると工場班長が穴埋めの代役として働いた。
ベアリングを制作する場合、ミクロン単位、つまり1000分の1ミリ単位の製品規格に合うことを要求されたため、超過密な品質管理が要求される。
工場班長の責任は、その製造ラインで7種類の作業と、最も微細かな精密ペアリングの品質管理維持と、欠勤者の業務補完という責任を追わされていて、疲労が蓄積されたと認定された。
従来は、仕事量は簡単に計算できたのに、最近は、事務機器のコンピューター化が進み、仕事の量だけでは、働く者にどれだけの精神的な負担がかかっているのか計算しにくくなっているのが現実である。
今回のケースも、本来ならば、品質管理に神経を酷使する仕事であるのだから、欠員には新しい人間を雇って補充しなければならないのに、生産性を高める
ために、補充しなかったのが原因でもあった。
昨年7月には47歳になる大手商社の課長が死亡、妻が「夫の死は過重な労働による過労死だ」と労災申請を、また大手銀行員だった25歳のOLの父親は「長時間労働が原因」と、銀行を相手どって9,800万円の損害賠償を求める訴えを起こすなど、過労死は他人事と言ってすまされなくなってきつつある。
過労死までいかなくても、その一歩手前で、精神クリニックに通うサラリーマンが激増している。
東京のある精神クリニックには一日平均約6、70人のサラリーマンやOLが、だれにも知られないように気遣いながら、診察を求めてやってくる。
一流企業で働いている人々が大半で、管理されていることに対する不満、人間らしく働きたいという要求をどっと吐き出しては職場に戻っていく。
何のために働いているのか、という疑問を抱いたら最後、精神のバランスを崩す。何も考えず、自分を殺して、上司の命令に忠実に従うことが、企業戦士として生き残れる条件だという。
経済的な繁栄を誇る日本社会のゆがみの一断面でもある。

巡礼に・生涯研修に 東京大司教区100周年記念 巡礼案内パンフレット発売中!!

バスと電車で巡る 江戸切支丹殉教ゆかりの地 A4判8ページカラー

東京大司教区百周年記念行事企画準備委員会1991年5月15発行 教区内限定版(1991年5月末まで扱い) 税込み 定価300円
お求めは、必ずまず葉書で、電話番号もご記入の上、東京大司教館事務所までお申し込み下さい。一口12部以上になるとお得なので、できるだけ教会などでまとめて下さい。なお、四谷の中央出版社、ドン・ボスコ社、聖イグナチオ教会案内所、およびカテドラル案内所でも直接ご入手できます。

パンフレットの読み方

このパンフレットを利用される方は、まず大司教様の「巡礼の勧め」と編集後期からお読み下さい。そのほかスペースや日数の関係による説明不足に気づき、若干補足させて頂きます。

1.表紙について
イ、切支丹山屋敷之図のカラー紹介は従来少なく、現在図との重ね合わせも初めてと考えます。
ロ、山田野理夫著「東京きりしたん巡礼」裏表紙内側の地図をこの切支丹山屋敷之図に合わせ、OHP用透明シートに縮小コピーして重ね合わせると、シドッチ神父収容の頃が偲ばれます。その頃造られた裏門が現在の道路上に当たるはずです。本の182頁の絵図もご参照下さい。

2.大きく開いた東京地図の面
イ、案内文はできるだけ地図の各コース近くへ配置のため分散しています。是非、右端中段の[第二コース]からお読み下さい。(Ⅱ-0-①)等の番号は地図中の該当地点(桃色)付近にも記入してあります。また乗降バス停の名前も記しましたが、いずれも目立つ処置ができなかったことをお許しください。乗り物・徒歩の色分け説明が、右下「鈴ケ森刑罰場」の文末に在ります。
ロ、地図が小さく見づらいと思いますが、当時の江戸の街の広さを推定して頂くことを目的にしています。(補1-の3ケ所は除く)。当時、刑場が街のはずれ、しかも見せしめのため主要街道に面して設けられたことを念頭に置いて、見て下さい。
ハ、最上段欄外にも記しましたがくれぐれも訪問先の寺院・墓地に失礼がないように・・・。少人数で、できればお盆・お彼岸の時期を選ぶのが好いと思います。

3.裏表紙「千葉・房総の切支丹」の末尾「・・・6番目の聖堂が・・・」は、通常言われる「東京6教会時代」の6番目の教会と誤解される表現に気づきました。「・・・千葉県最初の聖堂が・・・」と読み替えて下さい。なお、現在の茂原教会の地か否かは未確認です。

4.最後に、ジュリア祭を除き、多勢で全部を巡る行事は難しいので、期待しないで下さい。

第7回愛と平和を考える 感想文コンクール ’91 作品募集

ペンをとって伝えてください。あなたの呼吸、あなたの鼓動、あなたの感動

募集要項

●応募方法 課題図書の感照文を400字詰原稿用紙5枚以内
●課題図書 小学生の部・リンゴの木、
中学生の部・カオリの日本留学記、
高校生の部・ガーナに賭けた青春、
大学・一般の部・21世紀への黙示他
●募集締め切り1991年9月20日(当日消印有効)
●応募先および問い合わせ先 聖パウロ女子修道会内「感想文コンクール係」
●審査員 村松英子氏、森一弘司教 Sr渡辺和子、矢代静一氏
●表彰 各部門 特別賞1名入賞2名 佳作者
●入選発表 12月末カトリック新聞紙上

主催 中央出版社 女子パウロ会
後援 カトリック新聞社

東京大司教区創立100周年(1891-1991) 城南ブロック 3つの企画決まる!

記念講演会・江戸の殉教者を讃える共同ミサ・パネル展示

東京大司教区創立100周年にあたって、城南ブロック会議(事務局高輪教会)では、地区の8教会、10修道会と協議して、次の記念行事を催すことになった。

記念講演会

「日本におけるキリスト教」
講師 遠藤周作氏
日時 9月16日(月)
午後2時〜3時30分
場所 中央区立中央会館
入場整理券 1,000円
純益は、カトリック東京国際センター設立基金へ寄附

この3つの企画のうち、「遠藤周作氏による記念講演会」は既報の通り(東京教区ニュース82号)、100周年記念企画委員会の承認のもとに、教区の行事として行われることになった。

江戸の殉教者を讃える 城南ブロック共同ミサ

主司式 森一弘司教
説教者 ジャン・ワレ師
日時 9月22日(日)
午後2時〜4時
(ミサ後パーティ)
場所 清泉女子大学講堂

地区の教会・修道会の歴史 パネル展示・資料公開

城南ブロックの8教会・10修道会の今までの歴史を振り返るために、ミサの会場(9月22日・清泉女子大学講堂)にパネルと資料を展示。

福音宣教の精神と、「開かれた教会」の姿を社会に示すために、来場者の半数は未信徒の方々(収容人員900名)でと企画した。知人・友人を誘ってくださり、いっしょに講演会を盛りあげていただきたいと願っている。チケットの販売については後日お知らせする予定である。

城南ブロック100周年記念行事 実行委員会 岩崎尚神父

訃報

ファン・ロペス・ソベニャ神父(イエズス会、上智大学教授。スペイン現代社会政治史)

4月23日午前5時、心不全のため東京都の同会ザビエルハウスで帰天、63歳。1927年、スペインのマドリッドに生まれる。45年同会に入会し、53年来日。58年司祭叙階。62年より上智大学教員。スペインの歴史、政治が専門でスペイン内乱について精力的にこれを日本に紹介した。イエズス会員としての生活は45年。

東京カリタスの家

1991年度ボランティア講座始まる! テーマ「絆と自立」

5月18日出午後1時半より、カトリックセンターホールに於いて、東京カリタスの家、1991年度ボランティア講座が始まった。講座は全11回、テーマは「絆と自立」。
この日は開校式が行われ、年間プログラム、スタッフの紹介の後、担当司祭である三好満神父は、「このボランティア講座を自己成長の場として考えてほしい、社会の中に小さな灯りをともすことが出来るように。」と挨拶された。

森一弘司教講話 絆と自律 (司祭の立場から)

東京教区ニュース80号「夫、妻、親を信じたい」の内容をさらに詳しく説明され、現代日本の社会背景を考えながら、「絆と自律」について、宗教を重ね合わせながら述べられた。
現代日本の社会を生き抜くために頼りになるのは、健康やお金よりも、家族、家庭の絆であると感じていることに注目するとともに、家庭状況の変化に伴う絆の希薄性にも触れ、今までとは質の違う孤独が、現代の家庭に忍びこんできていることを指摘された。

宗教的な立場から見たボランティアは、個々のねらいは一人一人のエーゼル(助け手)になっていくことであり、それなりの暖かさと生の温もりが感じられ生きていてよかったとお互いに感じられるようになることであり、絆が全う出来るように家族を支え、絆が破壊された家族を支える場も必要になってくる。
また、人間の存在はそれぞれの地域にあるのだから、ボランティアは地域に根ざしたものが望ましいことを強調され講話を終わられた。

講話の後、4つのグループに分かれて、自己紹介、分かち合いが行われ、次回を約して散会した。

今後のプログラム 部分参加も可能

第3回 7月20日(土)
『中高年の心のひだ』
長谷川和夫氏(聖マリアンナ医科大学精神科)

第4回
見学(8月予定が7月11日に変更)

第5回 9月21日(土)
『社会人としての自律性とは』
井原美代子氏(安田生命社会事業団ヒューマン・サービスセンター)

第6回 10月19日(土)
『若い両親へ』[小学校教育の現場から]
大木みわ氏(船橋市夏見台小学校)

第7回 11月17日(日)
カリタス・パーティに参加

第8回 12月21日(土)
『不登校問題を考える』
石川憲彦氏(東大病院精神科)

第9回 1月18日(土)
『死をどのように迎えるか』[ホスピスの現場から]
小田武子氏(聖ヨハネ病院ホスピス病棟)

第10回 2月15日(土)
『絆と自律 その2』
森一弘司教

第11回 3月28日(土)
閉講式
『ボランティアとしての絆と自律』
三好 満師(東京カリタスの家)

時間 午後1時30分〜4時
場所 カトリックセンター
費用 コース参加 8,000円(施設見学は実費)
部分参加 1,000円(当日申込可)

おしらせします

【生涯養成に関する企画】

第5回夏期講座

「家庭」-愛と命のきずな-7月30日(火)〜8月1日(木)。
7月30日 「家庭」という本の紹介=P・ロシエ神父。
7月31日 「人間共同体としての家庭」=C・H・プシヤール神父。
8月1日  「生命に仕える家庭」=吉山登神父。
テキスト:ヨハネ・パウロⅡ世著「家庭」。
午前の部:13時〜14時、昼休み(弁当持参、又は注文)
午後の部:13時30分〜15時、
会費=1日1,000円、全日程3,000円、本代1,000円(当日販売)
会場=カトリック初台教会内、アルフォンソ・ホール

祈りの集い

7月2日(火)
テーマ 「家庭」指導ペトロ神父(フランシスコカプチン会)。
どなたでもどうぞ。
場所=カトリック松原教会。聖書、昼食持参。
会費1,000円 (当日納入)。
連絡先=白石、井出

キリスト者婦人の集い(CWC)

月1回金曜日10時30分〜12時。
「キリスト教を今の社会に生きるために」森一弘司教。
場所=真生会館。
連絡先=北野和子

随時10時30分〜12時「心豊に年きるために」シスター高木慶子。
場所=北浦和教会
連絡先=斉藤美代子。

「心豊に生きるために」シスター高木慶子。
場所=真生会館。
連絡先=神藤政子。

第2月曜日「旧約聖書を読む会」前島誠氏。
場所=真生会館
連絡先=芝崎良子

キリスト教入門講座

アルフォンス・デーケン先生
7月2日(火) 「マザーテレサとその世界」-鑑賞と語り合い
7月9日(火) 「キリスト教の新しい自由」-イユズスの解放のメッセージ。
午後6時〜8時30分。
場所=かつらぎ会(上智大学6号館1F)
会費不要。
どなたでもどうぞ。

聖書深読黙想会

6月29日(土)夕食〜30日(日)午後4時。
場所=カルメル会黙想の家。
連絡問い合わせ=吉田敦子

キリスト教信仰講座

ペトロ・ネメシエギ神父。
7月6日「教会」
7月13日「エルサレムから日本まで」。
場所=聖イグナチ教会テレジアホール16時〜18時。
どなたでも。

フォコラーレの夏の集い、マリアポリ

日時=7月25日(木)午後1時受付開始、午後2時プログラム〜7月28日(日)午後2時まで。
場所=富士吉田市青少年センター 山梨県富士吉田市上吉田4433-1
費用=大人18,200円、大学生・高校生16,200円、小・中学年24,700円、幼児9,200円。
参加希望者は、内金2,000円を添え7月16日までに各センターまで。
問い合わせ先 男子フォコラーレ・センター、フォコラーレ・センター、女子フォコラーレ・センター

東京大司教区創立100周年(1891-1991) 修道会・宣教会 きのう きょう あした

1991年9月27日(金)PM1:00〜8:00
上智大学10号舘

■第1部 シンポジウム『現代日本の教会と修道生活』

(PM1:00〜4:00)
司会   森 一弘司教
パネラー 百瀬文晃師(イエズス会)
福田 勤師(フランシスコ金)
SR.今泉ヒナ子(コングレガシオン・ド・ノートルダム)
木村尚三郎氏(東京大学名誉教捜)
木崎さと子氏(作家)

■第2部 感謝の祭儀 麹町イグナチオ教会

(PM4:30〜5:30)
白柳誠一大司教(司式) 森 一弘司教
参加司集による共同司式ミサ

■第3部 催し物 (PM6:00〜8:00)

【プログラム】
1 コーラス           6 ギター独奏
2 ヴァイオリン二重奏    7 腹話術
3 よびかけ          8 寸劇
4 コーラス           9 お笑い
5 フルートとピアノのアンサンブル 10 独唱
●パネル展示 上智大学10号館ロビー

一致の瞬間 中国天主教事情

進藤重光氏の報告

白柳誠一大司教を団長とする第3回中国天主教公式巡礼団(司祭7名、修道女2名、信徒17名)は、5月6日から16日にかけて中国東北部(北京、哈爾浜、長春、吉林、瀋陽、大連)の愛国協会の教会、修道院、神学校を訪問、各地で大歓迎をうけました。そのハイライトをご紹介します。

「特に、私は皆さんのごミサにあずかれて嬉しく思います。この次は、どうぞ、もっと数日間一緒に過ごすことができることを心から望んでおります」(李雪松吉林司教あいさつ) 小説「大地の子」 の主人公、陸一心の故郷、満州国は当時の青年たちにとって一つの憧れのフロンティア、地方の農民にとっては、国策に従うべき義務の地。また、特に中国東北部の人々には、悪名高い七三一石井部隊があった、忘れられない忌むべき侵略者の国です。

3回日の中国訪問に、東北地方を選んだ私たちの巡礼団は、事前に中国側から、「絶対に満州という言要を使わないように」と注意を受け、日本人であることに多少の緊張感を漲らせていました。しかし、そんなこの地で、第1回、第2回と、中国各地を旅しながら、ついに一度も成し得なかった、「ペンテコステが一週間早く来たかのような」(藤岡師)初めての合同ミサをすることになります。
ご存じのように、中国における公けの教会は共産党政府の管轄下、愛国協会に属しています。協会の目的は、ローマ教皇の指導ではない、共産党政府よりの
指導者をつくることにあります。しかし当然ながら、この国の政治状況を考慮すれば、所属しないことのほうがより困難だということは言うまでもありません。1957年にカトリック愛国協会はバチカンとの関係を断絶した後、教皇の承認を得ずに協会内部での司教を叙階しました。そのため、教皇庁は、中国国内で教皇の同意なしに叙階された司教の有効性についての疑問を示唆。愛国協会に属さない 「地下教会」との問題もあり、長い間、ローマに属する教会と共同でのミサを避けてきたのです。
長春から吉林に向かう道程は北海道の原野のようです。バスに揺られること3時間。くたくたになった我々を最初に待ち受けていたのは、拍手と花束で私たちを迎える何十人もの若いシスターたちでした。
旧友に再会するかのように固い握手をする老司教、満面笑顔の若い主任司祭と老シスター、そして信徒たち。映画「ミッション」を彷彿とさせるような場面が繰り広げられます。
こうして、中国人司祭を加え8名の共同司式による、中国語、日本語交互のミサが始まりました。力強く答えるシスターたち。初めて聞く、新典礼への応唱の
声。私たちは、深く深く感動していました。かつて、教会でのミサが許されず、ホテルの狭い一室で声をひそめながら捧げた、あの寂しい2年前のことが嘘だったかのように。
黄色い広大な大地と長い苦難の歴史の中に生きる中国教会。変えられるものを変える勇気を与えて下さい(ニーバー)、ジョン・トン神父の説教が静かに響き渡ります。さわやかなこの日、共に神を賛美したそのひと時は、形が変わっても、迫害と忍耐の中で信仰を保ってきた日本の教会との一致の瞬間でした。
「日本にも、皆さんと同じように神様の道を歩もうと努力している若いシスターたちがおります。いつの日か、近い将来皆さんと日本のシスターとが交歓できることを楽しみにしております」(白柳大司教あいさつ)
手をつなぎながら聖堂に入っていかれる2人の司教のお姿は、これからの教会の姿を象徴し、静かな歴史的瞬間として教会史に残ることでしょう。

東京教区青年ネットワーク・100年プロ主催

京都でライブ出会いのたび Face to Face LIVE

4月30日(火)より5月5日(水)のゴールデンウィークに、東京教区100周年記念青年企画として、関西ライブキャラバンツアーが開催された。
このツアー、教区創立100周年記念行事を計画している教区青年ネットワークの若者達によって企画されたもので、他教区の青年と出会い、交流を深めようとの呼びかけに応えた東京教区の青年40名、司祭2名が参加した。
5月3日(金)は、東都・山科のアヴェ・マリア幼稚園で、京都教区の青年と合同でライブコンサート。会場には京都、大阪近郊から集まった青年など合わせて約100名が集い、京都・東京の仲間のバンド演奏を楽しみ、さらに夕方の懇親会で親睦を深めた。
5月4日(土)には、大阪教区北地区の青年達が主催する球技大会に参加した。ソフトボールなどの試合を通しての交流を楽しんだ。

参加者に感想を聞くと、「行くまでは不安だったけど、たくさんの人と知り合えて良かった。こんな大きな出会いがあったのは今回が初めて。今後はこの出会いを深く、確実なつながりにしていきたいですね」と語ってくれたように、今回の出会いがきっかけとなり、各教区の青年達の交流が深まり、また、それぞれの教区の活動がより活発になることを願っている。
交流とは、つまり人と出会い、知り合うことだ。
多くの青年に、少しでも多くの「出会いの場、知り合う場」を提供し、人と出会うことの大切さ、喜びなどを感じ、体験して欲しい、というのが青年ネットワークの考える基本であり、求めるところである。
今年は東京大司教区創立100周年に当たり、その記念に、「出会いの場、知り合う場」という意味で、青年祭を行うことにした。内容的には、何でもあり。出展、出店、出演、何でもOK。
青年祭教会博覧会1991(9月15日(日)〜16日(月)於東京カトリック神学院)自分がやりたいと思うことなら、何でも可。普通は、こんな機会なかなか無いんじゃないかな。
いままで、青年一泊交流会や、ラスキンクラブ、関西ライブキャラバン、、などの企画を行ってきた青年ネットワークならではの企画だ。
今、参加者を募集しているのだが、このお祭には、本当にいろんな人に参加してほしいと思う。教区内の青少年団体はもちろん、障害者の方や、在日外国人の方々に多く参加してほしい。
様々な異なった生活をしている多くの人が、みんな一緒になって、一つのお祭をつくり上げる。考えてみるとものすごく素晴らしいことだと思う。

青年たちの夢を乗せて MAIL ART COLLECTIONⅠ、Ⅱ発売中 東京教区青年ネットワーク

教区創立100周年を記念して製作したこのカードは、青年活動の資金作りのためばかりではなく、青年自らが作り販売していくことで、教区レベルでの青年活動の活性化をめぎしています。
カードは2種類あり、一セット7枚 500円。
女子パウロ会、中央出版社、ドンボスコ社の各書店ほか、小教区でも各青年会の手によって発売中です。
青年たちの夢と希望をのせたアートカードが皆様の手元にも届きますように。

教会・修道院めぐり(8)「西千葉教会」

千葉県下の宣教には、他府県と違ういくつかの特徴がある。
一般に宣教活動は、県庁所在地や、大きな城下町など、キリスト教に対する抵抗が比較的少なく、進歩的有識者が多い地域に集中していたが、千葉県では、遠隔の田舎町や農村にも熱心に宣教がなされていた。実に宣教開始後わずか5年のうちに、茂原・鶴舞・木更津・銚子・佐原・佐倉・小見川・流山・八日市場・船橋・青堀・周西・富浦・館山・千倉に伝道所が設立されている。こうした発展の裏には、よく準備された優れた伝道士の起用があった。
司祭不足が次第に深刻化する時代に、千葉の宣教は始まった。年に2・3回しか訪問できない神父に代わり、信者共同体の育成と地域への宣教は、伝道士が行った。彼らの多くは維新後、職を失った地元や、他府県から移住してきた士族の出身者であった。彼らには、宣教師が説く新しい教えを理解し、受入れ、またそれを友人・知人に伝えることができる力と教養が備わっていた。
伝道士に教会の運営を全面的に任せる制度は、1939年、現在の西千葉教会の前身である亥鼻台教会に、初の常住主任司祭、小松茂神父を迎えるまで続いた。60余年の長い間、千葉県下の全ての教会は、巡回教会であった。
さて千葉県に、最初の宣教の足を踏み入れたのは、ヴィグルース神父である。彼は神田の大神学校で教えていたが、神学校が閉鎖されると地方宣教に携わり
1879年頃から福島、茨城、栃木、千葉を訪問した。
彼はカトリックの信仰に基づく家庭の育成に力を注いだ。カトリックの信仰は何よりも日常の家庭生活の中で実践され、培われると考えていたからである。1882年4月、千葉亥鼻台に最初の礼拝堂が完成した。聖母マリアに奉献されたこの教会は、築地の分教会となった。
13年もの長い期間歩き続けたヴィグルース神父は、1891年、築地の主任と神山復生病院の院長を兼ねることになり、干葉宣教から離れることになった。宇都宮教会を中心に、干童県下でも活躍していたカディヤック神父が後を継ぎ、千葉教会は宇都宮教会の巡回教会となった。1945年4月、教会は軍の命令で移転をよぎなくされ、民家を集会所にしながら流浪の旅を続けた。1947年ようやく吾妻町に仮聖堂を建て、幼稚園を併設した。1954年、現在の汐見町に移転し、新聖堂と幼稚園が完成した。
急速な都市化の中で、現在も他府県、他国からの転入者が多いこの教会には、若い力が溢れている。

『一粒の麦』 第8回 白柳大司教、教区100年を語る

東京大司教区100年の歴史 1891年(明治24年)から1991年(平成3年)まで

第4期(終戦より現在まで)その2 第2バチカン公会議から現在まで

公会議

1959年1月、時の教皇ヨハネ23世は、教会の中で最高の権位を持つ教導職の行使である第2バチカン公会議の召集を発表しました。
3年9ケ月の周到な準備の後、1962年10月から1965年12月までの間、4期に渡って公会議が開催されました。教皇が全世界の司教とともに決定した数多くの事は、その後の教会の方向性に決定的なものを与えました。
教会の本質のより深い理解に基づいて公会議は、いろいろの分野における指針として、4つの憲章と9つの教会、3つの宣言を公表しました。これらの諸決定が起用され、教会の中央組織であるローマ聖座を始め、地方教会、小教区に至るまで、大きな変革がもたらされました。すべての教会の活動の源、そして目的でもある典礼は、日本語になおされ、より積極的な参加が求められるようになり、教会の中に新しい動き、活力が生まれてきました。また共同責任の目に見える形として、司祭評議会、宣教司牧評議会、財政評議会など信徒も司祭も修道者も、司教とともに責任を負う姿が生まれてきました。

東京教区における公会議の精神の決定

東京教区では、公会議の精神が徹底するために、教区主催で連続講演会を開いたり、小教区単位の練成会、あるいは樺々の運動を通して外面的変化だけではなく、その精神をより深く理解するように努めました。
長い伝統、しきたりに生きてきた教会で、この大きな変革はゆっくりしたテンポで進みました。頭で理解したことも、心でとらえたことも、それを実行に移すまでにはよい準備、長い期間が必要だったのです。

東京教区大会

1969年の始め、すでにご病気であった土井枢機卿は、教会を刷新し社会にキリストの光を掲げようというスローガンの下に第2バチカン公会議の精神が徹底するようにと、教区大会をもつことを決定しました。その年の夏、教区の多くの人々から問題点が提出され、各分野の人々の参加を得て8つの部会に分かれて問題点を抽出し、検討し、公会議の精神に沿った外に向かった姿勢を創る努力がなされました。1971年12月から翌年の1月の終りまでの問に、3月間にわたって400人に達するほどの参加者のもとに、教区大会が開かれました。
教区大会で取り扱われ、決定された諸事項は少しつつ実現し現在に到っています。

その実り

第2バチカン公会議、東京教区大会の実りは、小教区、諸教会施設、修道院そして教区本部に至るまで、各分野にもたらされました。
その基礎となった典礼刷新は、私たちの積極的な参加を容易にし、そこから生まれるエネルギーを土台として、外に向かう教会の姿が実現しはじめました。
社会福祉の問題、平和、人権、正義、あるいはまた諸宗教との関係が改善され、各分野に信徒の参加が実現いたしました。
しかしその実りとともに、光があれば闇があるように、あせりすぎた変化、急激な変化による混乱が生まれたのも事実です。機構の変化にとらわれて、その底を流れる精神をとらえない場合はより大きな混乱が生まれるのは当然です。時の流れとともに、この混乱は収まり、より前向きな教会の姿が今日実現しっつあります。

福音宣教推進全国会議(NICE)

1986年6月、日本の司教団が「日本カトリック教会の基本方針と優先課題-福音宣教のために」という文書を公表し、1987年11月京都で第1回福音宣教推進全国会議が開かれたのも、この第2バチカン公会議の精神が日本の教会により深く根ざすことを目指したものでした。

教皇来日

1981年2月23日、ヨハネ・パウロ2世教皇が、平和の使徒として来日されました。短い滞在ではありましたが、東京カテドラルを訪れ、聖職者を励まし、信徒代表と面接し、後楽園においては信徒とともにミサをささげ、武道館においては特に若者たちに話しかけ、その他プロテスタントの兄弟たち、諸宗教の代表者とも対話を重ね、広島においては世界に向けて、平和アッピールをなし、殉教の地、コルベ神父の地である長崎では、殉教地を訪ずれ、司祭叙階式を司式しました。悪天候の中、各地における教皇の言葉、態度は信徒のみならず日本社会に深い印象を残されました。この教皇来日は、その後の教会の歩みに大きな力となったことは言うまでもありません。

外国人司牧

日本の経済発展、また国際化に伴ない、東京には世界各国特に東南アジアの人々が多く転入するようになり、新しい問題が生まれました。
留学生、商社マン、外交官さらに滞日労働者などを含め、数多くの外国人に対応するために、諸修道会の協力のもとに適切な司牧体制をつくるべく努力が続
けられています。
現在韓国人のためには、東京カテドラル関口教会構内に、その小教区が設けられ、英語を話す人々のためには、六本木フランシスコ会チャペルセンターがこれにあてられ、その他、フランス語圏の人々、スペイン語系の人々、フィリピン系の人々、ポーランド系の人々、中国系の人々というように各地の修道会、小教区において司牧活動が行われていますが、まだ定着したという段階には到っていません。
教区創立100年記念にあたって、これへの対応を整備すべく国際センター(カトリック東京国際センター)が設立されるはこびとなり、その基金が募集されていることはご存じの通りです。

数に表われた現在の東京教区

1991年1月元日の統計によると、東京教区には東京都、千葉県に住む74,151人の信者の実数が登録されています。

これらの方々は、75の小教区、5つの分教会、1つの巡回教会、1つの集会所その他修道会、諸施設において信仰生活を続け、教会活動に参画しています。
511名の宣教会、修道会司祭、修道者、修道会関係の神学生、さらに1,804人の修道女がそれぞれの召命に応え、力強い働きを展開しています。
昨年一年の間に東京教区内では、1,419人の成人洗礼があり、873人の子供たちの洗礼がありました。
社会福祉事業、教育関係その他の事業を通してキリストの精神が広められ、教会活動が力強く推進されていることはまことに喜ぶべきことです。ただ、日本における出生率、子供たちの絶対数の低下によって召命が著しく減少していることを私たちは忘れてはなりません。神様がその働き手を送って下さるように祈るとともに、その足りない所を東京教区の神の民全員が補っていく姿勢が求められていくでしょう。

結び

東京教区の歴史100年を顧りみるとき、それは苦難の道であったと同時に、神様の恵みの歴史です。この100年の記念すべき年に神への感謝を捧げるとともに先輩達の労苦を思い、私たちの明日に向かっての決意を新たにすべきでしょう。

読者の声

「白柳大司教、教区100年を語る」を読んで 船橋市 村井福子

白柳大司教が新年ミサの説教で「人類は長い間、愚かな経験を重ねてきましたが、ほんとうの意味の平和を求めることに真剣でないような気がします」と言われましたが、明治から昭和にかけても、キリスト者の苦難の歴史を知り、改めて身のひきしまる思いがしました。
また、対外的文化活動によって信者が増大したということをはじめて知りました。100年の歴史の中で「カトリック大辞典」が刊行されたことは特筆されるべきことだといわれています。
カトリック大辞典は、昭和18年頃上智大学で、クラウス神父とチトー神父の指導の下に編集され、三木清氏等も同編集に参加されました。
司祭方は思想そのものには全く寛容で、せまい辞典室は別天地だった、司祭たちの反ナチス的、反軍覇王義的雰囲気は心よいものだったと記されています。

カトリックの苦難の歴史のかげに暖かい交流があったことは、なんとすばらしいことかと私は感動していましたので一筆いたしました。

宣教司牧評議会報告

5月23日、新たな委員を迎えて、宣教司牧評議会が開催された。
大司教の挨拶の後、前期議長寺西師(高円寺教会主任)と小林氏(船橋教会)を仮議長として、議事進行が行われた。
新任委員たちのために規約の説明が行われた後、次の事項が取り扱われた。
1.新議長及び運営委員の選出は、委員が互いを知り合うようになってから行い、9月以降新議長が運営する。
2.3月21日の教区総会の参加者を対象にして行われたアンケート調査から、講演に関する参加者の感想を中心にした次のような報告が森司教より行われた。
・3人の講師による講演は体験に基づいた話しで説得力があった。
・身近な問題として、自分の事のように、自分の家庭を振りかえりつつ聞けた。
・家庭の問題の深さ、難しさに目覚めることができた。家庭を考え、家庭問題に取り組んでいくことが、教会の責任であるという自覚を新たにした。
・家庭問題が社会の縮図であるという観点から、教会が日本社会の構造全体の問題点に目を向けて行かなければならないという自覚を深くした、等々。
3.第2回全国会議に対する東京教区としての対応と準備委員に関して塚本師が説明を行った。現在までに任命されている委員は、教区司祭4名、修道司祭1名、シスター1名、信徒6名、これに宣教司牧評議会から2名加わることになり、その人選ば教区事務局に一任された。
4.前期の諮問議題であった「協力」について、今後も取り組んでいくかどうか、賛否両論議論されたが、中間答申を受けた大司教が次回までに何らかの形で方針を出すことになった。
宣教司牧評議会は、今後、総会を一つのステップとして、第2回福音宣教推進会議を念頭に家庭のテーマに取り組んでいくことになる。

追悼ミサのお知らせ

故佐藤光幸師の追悼ミサが、8月4日(日)午後4時から神田教会で行われます。

編集部から

最近の教区の教会の主日のミサに外国人の姿が多くなっている。自分の教会では、日本信徒よりも多くなってしまった、という主任司祭もいる。日曜の午後に、毎週あるいは月に数回と特別に外国語によるミサを行う教会も増えている。教会バザーなどでも、外国支援のためだけでなく、外国人信徒グループによる出店があり、そのための特別なコーナーが設けられているとこケもある。異なる文化、異なる民族が共に生きることは、さまざまな難しい問題が生じるだろうが、外国人信徒との交わりが、日本の教会の成長になるに違いない。

一面に主なニュースを入れてほしいというご要望があり、本号から実現に移すことになった。