東京教区ニュース第79号

1991年01月01日

行事予定

1991年
初夏頃・江戸殉教者ゆかりの地巡礼企画
9月15日夕~16日 青年の集い
9月22日 100周年記念週間開始
・各小教区・母体で記念ミサ
・在日・滞日外国人の集い(カテドラル)
9月23日
・子どもたちの集い(神学院)
9月27日
・宣教会・修道会の集い(上智大学10号館)
9月28日夕~29日
・教区民全体の感謝のミサ・懇親会
(カテドラル)

記念事業
1.聖歌の歌募集(メ切1991.1.31)
2.カトリック東京国際センターの設置(旧称国際司牧センター)
3.記念誌発行

白柳大司教新春インタビュー
ー自分自身と社会をキリストと一つにする福音化の運動を-

新年明けましておめでとうございます。さて、東京教区の今年度の目指すことは、どのようなことでしょうか。

1991年、新しい年にあたって私たちが目指したいのは、ここ何年か私たちが集中してとりあつかってきた事柄をさらに、
推進することです。
福音宣教推進全国会議が開かれ、東京教区では、特に次の5つの課題をとりあげてまいりました。
1、心に訴える典礼を生み出すこと
2、生涯養成をどのようにす すめるか
3、社会に奉仕する教会づくり
4、教会における女性の役割りの充実
5、社会との交わりを深めるための情報センター
この5つのプロジェクトは、たくさんの方々の貴重な経験、知識、さらに深い信仰から出る言葉によって推進され、いよい
よ実現のはこびの域にまで達することができました。
新しい年にはこの5つのプロジェクトがさらに推進され、多くの方がこの実りにあずかり、信仰生活を豊かにするとともに
自分の福音化、社会の福音化に努めていくことができればよいと思っています。

年の始めにさらに強調したいことは、私たち教会の仕事は、政治運動でもなく、社会運動でもなく、単なる情報活動でもあ
りません。私たちの信仰からでる運動であって、それは自分自身と社会をキリストと一つにする、すなわち福音化の運動です。
したがって私たち白身が、ひとりひとりが深い信仰を身につけ、キリストとの一致を深めていかなければなりません。
そういった意味で、私たちの霊的養成・神様との親しみをさらに深め、神様のみ言葉に養なわれ、成長していくことがどう
しても必要です。

教区100周年に際して、信徒にどのようなことを期待されますか。

人生には節目があり、それが次の成長への力強いきっかけとなっていますが、私たち東京の教会にとって、教区創立100年は、
一つの大きな節目であり、飛躍へのきっかけともなるべき時だと私は思っています。
しかし、飛躍は私たちの回心を前提とします。したがって私たちは過去の私たちの教会の姿、そしてまた、現在の私たちの状
況をよく把握し、そして反省を重ねる必要があります。
私たちのこの100年の歴史を顧りみますとき、大変難しい多くの困難を克服してまいりました。

これは神様のはかりしれない慈しみ、また同時に私たちの先輩たちの賢明なそしてたゆまざる努力の賜物であります。私た
ちはその貴重な経験を生かし、それをさらに推し進めていかなければならないと思います。
弱い、いたらない人間の集まりである教会は、いつの時代も完全な教会であったということはありません。これからもそうでしょう。しかし現在この100年の期に、過去において私たちの教会に不足していたこと、足りなかったことを謙虚に認めそれを実践し勇気をもってより完全な教会に近づけていかなければならないと思います。

そのためには、教会を形づくっている私たちひとりひとりのたゆまない努力が必要です。特に、若い青少年の力、これを私は期
待したいと思います。社会のあらゆる影響をうけて育ってきている青少年の皆さんは、多くの困難に遭遇しています。しかし皆さんの若いエネルギー、創造力、そして飛躍の力は、教会にとって必要不可欠なものです。次の世代、次の教会をになう青少年の皆さんの力に信頼し皆さんの努力を心から願いたいと思います。

次に大司教様ご自身のことについてお伺いいたします。

今年の抱負は?

私ももう還暦を越えまして、人生の秋にさしかかっているわけです。したがって今、やり残したこと、あるいはぜひ将来のためにやっておいた方がいいと思ったことをやりたいわけです。
私は立場上、この大司教館に大変長く住んでおりまして、教区の最近の歴史というようなものをまとめるには一番ふさわしい人間であろうかと思っています。ですからここ約30年間、ないしは40年間の資料を整理したり、将来の皆さんに役立つようにまとめておきたいというのが一つの望みです。

もう一つは、もう少しスケールの大きな望みがあります。それは現代社会がこうやって全世界の人々の交わりの中で進んできていること、本当の意味の人類の出会いというのが頻繁になってきている世界において、日本の教会、東京の教会だけを考えるのではなくて、この地に滞在する人々、あるいは外国の教会の人のことをも考えの中に入れなければならないのではないかと思います。そういった意味で私たちの身近であるアジアの教会、特に私たちが過去において負い目を負っているアジアの諸国に対して、そしてその教会に対して私たちが何ができるのか、何をしたらよいのかそれを問いただし、できることを実行していきたいという気持ちがあります。

お正月の過ごされ方は?

私のお正月は、森司教様と1年毎に交代して関口教会で、真夜中のミサを司式することから始まります。そしてミサ後、信徒の皆さん方と樽酒をかわしながら、新年の慶びをかわすことです。
お正月は、日本人だれでも仕辛から開放され、そしてのんびりする時ですが私にとっても、電話は少なく小春日和を、のんびりするひとつの機会でもあります。しかしまた同時に多くの人々と会うよい機会でもあります。お正月に訪ねてくださる方々とよもやま話をかわしたり、旧交をあたためたり、私にとっては本当に心あたたまる時であり、また休まる時でもあります。
でも教会活動は決して停止しているわけではありません。
かえってお正月の期間しか時間のない人々との出会いの場がいくつか想定されておりまして、毎年お正月始めには、シスター方の集りに出席したり、あるいはいろいろのグループの集まりに出席したりしてお話しをうかがったり、お話ししたりする機会でもあります。でも何といっても仕事量はふだんとは違って、初めの1週間くらいはわりあいにのんびりできる時でして、1年の中で最高の時といえるかもしれません。

教区ニュースの百年史が好評ですが、苦心されていることは?

私は決して歴史の専門家でもなく、歴史に造詣深いわけでもありません。ただ先輩たちのなしとげた偉大な仕事について深
い感謝の念を持っています。 したがってそれを知り、また多くの仲間たちにそれを知らせたいという大きな希望を持っています。今回教区創立百年にあたって、チャンスですのでどなたかにこの仕事を引き受けていただきたいと思ったのですが、なかなか引き受けてくださる方がいらっしゃらないので、お役に立つかどうかわかりませんですけれども始めたわけです。大変苦労をしておりまして、専門家たちの書いてくださっている本を読み、その中の是非知らせておきたいと思うようなことを取り上げているわけです。ただ、他の雑用が多くなかなかまとめる時間がないのが、私にとって一番つらいことです。

景後に、信徒の皆さんにメッセージをいただきたいのですが・・・

もうすでにたくさん述べましたので、その中に私のメッセージがあるわけです。
一言申しあげるならば、私は私たちの教会、皆さんたちの教会に奉仕できることを最上のよろこびに思っています。この教
会をより完全な教会、神様と人々のお役に立つ教会になるようにご一緒に力を尽くしていきたいと思います。また、私の力のた
りない所を皆さんに助けていただきたいと思います。

お忙しいところをありがとうございました。今年もますますお元気で、私たちをご指導くださいますよう、いっそうのご活躍をお祈り申しあげます。
百年史も楽しみにしておりますのでよろしくお願いいたします。

東京大司教区 創立100年記念
「聖歌の帝」募集締め切り迫る!

東京大司教区では、教区100周年記念事業の一つとして、通常の典礼の中で用いることのできる聖歌をつくることを企画し、現在その詩を募集している。
内容は、
1 次のテーマによる賛歌の詩
教会・奉献・信仰・宣教・賛美・感謝(但し未発表)
2 通常の典礼(特にミサ)において用いることができる。
3 口語体を用い、3番以内となっており、締め切り日は、1991年3月31日である。
送り先と、詳しい問い合わせ先
は左記まで。
[送り先]〒112 文京区関口3-16-15 東京大司教館・東京人司教区典礼委員会
[問い合わせ先]〒155 世田谷区北沢1-45-12 カトリック世田谷教会・佐久間神父
(返信用はがきを同封の上、必ず封書で)

五日市霊園墓地 増設のお知らせ

五日市の墓地が満杯になり、かねてより新たな墓地の造成が要望されていたが、この度同霊園内に第11区として墓地約200区画(1区画3平方メートル)が増設され、10月21日より申し込みを受け付けることになった。
この地区は、これまでの霊園内の中心の高台に位置し、すべて南向きになっている。1区画50万円。1世帯1区画限り。
申し込み受付場所は、五日市霊園の管理事務所。電話 0425(96)2330。
現地を見た上で区画が決まったら、申込用紙に必要事項を記入の上、現地管理人の確認印をもらって、東京大司教館内管理
事務所に郵送のこと。
詳細はカトリック五日市霊園管理事務所、電話 03(3947)5544(担当安藤)まで。

ズームアップ

李 基意 神父(イ キィホン)

韓人教会の前主任、金神父の後任として、今年の6月にソウルから派遣されてきたばかり。穏やかな雰囲気の中に微笑みを
漂わせて、滞日韓国人信徒の司牧にあたる。
東京教区の司祭団とも、何の抵抗もなく自然に交わっていく。司祭研修会で披露した、低音をきかせた歌唱力は、聴衆を魅了
した。
1975年に司祭叙階、43才の働き盛り。

投稿募集!

新生『東京教区ニュース』 では、次の欄への皆さまからの投稿をお待ちしています。
■ -ズームアップ–写真とその説明。あなたの教会生活の…シーンをほのぼのと。
■ ちょっとおたずねします–私たちが信仰生活を送る上で疑問に思うことがありましたらどんなことでもお気軽に。
■ 信徒の声–『教区ニュース』にどんどん皆さまの声をお寄せください。
以上の3つの瀾への投稿の送り先はいずれも、〒112 文京区関目3-16-15 東京大司教館内『東京教区ニュース』編集部宛。
毎日の原稿締切りは、15日。編集の都合上、文章を省略させていただいたり、表記の統一をさせていただく場合がありますのでご了承ください。皆さまの投稿をお待ちしております。

カトリック東京国際センター設立のために(旧 国際司牧センター)
東京大司教区創立100周年記念事業

設立の意味

この数年の滞日外国人の増加は、日本全体を巻き込むほどの社会現象になっている。この現象をある社会学者は「第2の黒船」と言いあてているはどで、教会としても、在日・滞日外国人に対して、恒常的に本腰を入れて、取り組んで行くべき時を迎えようとしている。
いうまでもなく、在日・滞日外国人の中には、数多くのカトリック信徒がいる。不可避的に、教会は、この「他国の者」 (レビ記19章34節)と関わってゆかなければならないし、兄弟として受け入れてゆく痛みを分け合ってゆかなければならない。
「幸い、教区の中には、それぞれの立場から、さまざまな形で、在日・滞日外国人の方々を兄弟姉妹として受け入れ、その音びや悲しみに共感し共に歩もうとする多くの善意ある人々がおられます。教区としては、こうした人々の活動を支援すると同時に互いに協力してより豊かな実りをあげることができるように」 (9月22日、100周年大司教教書より)、 1990年7月に「国際司牧センター」を発足させた。

カトリック東京国際センターの役割り

具体的な役割として、次のようなことが考えられている。
1.役に立つ情報を集め提供するインフォメーションセンター
2.在日・滞日外国人に関わる団体のネットワークセンター
3.結婚・出産・教育・医療・法律などの相談窓口
4.緊急の時に対応できるシェルターハウス(駆込み寺)
5.ホームステイ、日本語教室、料理教室などのケア
6.経済的理由で学校に行けない青少年のための奨学金制度

センターの現状

現在の活動を簡単に紹介すると、カテドラル構内の「司祭の家」の地下の一室を借りて、専用の電話とファックスをおいて対応している。月曜日から土曜日まで、朝9時から夕5時まで。
これからの活動規模として考えられるのは、
1.業務は、1年間無休の体制を作っていくことが望ましい。更に夜間の対応も検討してゆく。
2.緊急の相談に応じられるよう相当のボランティアを組織してゆく。
3.霊的な要請にも応えるため、いろいろな国語で黙想指導ができるグループを養成する。
4.ボランティアの養成は、センターの将来を確固としたものにするために、重要な課題となってくる。
5.活動のために相当の広さの部屋が必要。当面、カテドラル構内の総合開発の一環として建設される建物の一部を利用する。
6.センターの仕事をスムーズにするためにも、緊急のことのためにも、専任の職員が少なくとも1名必要である。

カトリック東京国際センターの活動は、教区創立100周年が1年限りのものであるのに対し、何年も続くものである。これから長期的につづくであろうセンター活動の基金作りをも明確にしていかなければならない。
在日・滞日外国人に関わる活動は、絶えず前向きに取り組んで行くことが求められている。
各自がそれぞれの犠牲と努力によって得たお金を、指定の払い込み用紙を用いて、直接「カトリック東京国際センター」 に送金する。またこのために小教区、修道会、学校、諸団体、諸グループとしても何か工夫して集め、募金に協力を求めている。(たとえば、ある一食をささげて献金する、1円献金、毎金曜日の犠牲、バザーの一部の献金)

基金募集

・目標額 1億円
・募金期間
1991年1月1日より12月31日迄
・目的 センターの基金として積み立て、国際センターの活動を長期的に維持し拡充していく。基金の実りを運営資金とする。
・振込先 銀行口座
富士銀行 目白支店
普通 1588605
名称 カトリック東京国際センター基金
または
郵便振替
口座番号 東京11548578
名称 カトリック東京国際センター基金
代表者名 白柳誠一
・問い合わせ先
東京大司教館内
国際センター事務所
03(3943)4894
または
大司教能事務所
03(3943)2301 

心をこめてザ・セミナリー
東京カトリック神学院 第15回 神学院祭 11月23日

11月23日(金)、東京カトリック神学院において、第15回神学院祭が開催された。今年のテーマは、「心をこめてザ・セミナリー」。実行委員長のエ・マルティネス神学生によると「22名の神学生が心をこめて、院外の人々と交わり、その中で普段の神学生の生活を知っていただこうという願いを託したもの」だという。
「神学生の正体をあばいてしまいましょう」 (パンフより)
神学生質問コーナーは、小林寛神学生の司会で始められた。質問に答えた神学生は、氏家和仁(仙台)、石黒晃泰(新潟)、油谷弘幸(東京)、北村善郎(京都)、山口武史(大阪) の5人の神学生。

問 召命の動機は?
答 E 神父になる人が少ないと聞いて。
D 神父の姿を見て、こういう生き方もあると思って。
C 大学時代、若手の司祭を見て、こういう生き方もあると思った。
B 教会が好きだったから。
A 助平でもなく(笑)、欲にかられる人生を送らなくてもよい人生もある。

問 一番楽しいことは?
答 A 孤独になる時間。
B ごはんとお風呂。
C 寝ている時間。
D ぐちをきいてもらえること。
E 同僚と話しながらいっぱい飲むとき。

問 何年で司祭になれるか?
答 E ふつうは6年。

問 司祭になったら何をしたいか?
日本の教会の展望は?
答 E 新潟は司祭も信徒も少ない。これからは、裏日本の時代だと思う。韓国の人が多いので韓国語の話せる司祭も必要だと思う。
D 臨機応変にやる。悪くいえばいいかげん(笑)。
C 日本にいる韓国の人とのつながりも大事。せいいっぱい生き生きやっていきたい。
B 信者に合わせていく。これからは信徒の時代だから。
A 何事にも自由に対応できるようにしていきたい。

問 いつも心がけていることは?
答 A 祈りかつ働け。
B 人から頼まれたことはいやとは言わない。
C 神学生同志のかかわり。
D いいかげんな性格なので、できればまじめにいきたい。
E 自分の健康。

問 神学院に入る前は何をしていましたか?
答 E 高校生。18才で予科に入り一度社会に出て再び入学した。
D 大学生
C 大学生
B 銀行員
A 会社員

問 入学前と後では神学院のイメージは変わったか?
答 A 先輩に以前聞いていたことはすべて事実だった。
B 司祭になる人はりっぱな人ばかりだと思っていたが、普通の人。
C 楽しいといわれていたがやっぱり楽しかった。
D 立派な所だと思っていたが、そうでもない。それが召命のおもしろさ。
E 普通の所だった。

問 アイドルはいますか?
答 E 河合奈保子。
D 松田聖子よりあとはわからない。皆同じ顔にみえる。
C 特にない。
B 小泉今日子と菊池桃子。
A 南野陽子。

問 1日の生所パターンは?
答 C 午前6時起床、個人黙想、6時半共同の祈り、6時45分ミサ、7時半朝食、午後4時35分まで勉強、6時10分夕の祈り、6時半夕食。
問 尊敬する人は?
答 E 永井隆。
D ちょっと思いうかばない。
C キリストさんじゃだめなの?(笑)ベトロ・ネメシュギ師。
B パウロ・安田大司教。
A 聖テレジア。

問 年はいくつ?(会場の小学生から)
答 A 34
B 31
C 28
D 27
E 26

第2回福音宣教推進全国会議に向けて
東京管区の司教・司祭の集まりを開催。
第2回ナイスの開催時期等について話し合う

東京管区に属する6教区(札幌、仙台、新潟、浦和、東京、横浜)の各司教と司祭が、去る10月24日、中央協議会に集まって、第2回ナイスに関して話し合いを行った。
この会合は、第2回ナイス事務局の要請で行われたものである。
事務局は、第1回のナイスは司祭の意見を聞いていくことが後になってしまったという反省に立ち、今回はまず司祭の意見を聞くことから始めたいという意図から、3管区に司祭集会の開催を呼び掛けていた。
この呼び掛けを受けて、大阪、長崎の両管区では、早々と司祭集会の開催を決めていた。
今回の集まりは、東京管区として事務局の意向にどう対応するかを話し合うためのものであった。
率直な意見交換が行われ、次のような要望を事務局に伝えた。
・第1回ナイスについての確認と総括が必要である。
・第2回ナイスのための準備を教区全体として行うために時間が欲しい。
・第2回ナイスの開催時期を、できれば、1993年~5年の問に延期して欲しい。
事務局は東京管区としてのこ れらの要望を、12月に開催さ れる司教総会に伝えることを約 束した。
また東京管区として、司祭大会を来春開催することは、今か らでは無理であるという判断か ら、各教区の司祭評議会の代表 の集会を、2月の18日~20 日に、浦和教区内の施設で行う ことに決めた。

セントメリー保育園、廃園に

10月25日立川市は、立川教会敷地内にある教区立セント・メリー保育園の廃園届けを受理し、11月3日、保育園教室で、森一弘補佐司教、教区会計事務担当の横井氏が、父母・職員等に対する事情説明を行った。
立川市による廃園受理によりセント・メリー保育園は、平成4年度末で廃園となる。
すでに教区は、次のような廃園理由を市に提出していた。
1、昭和30年に設立されたセント・メリー保育園は、当教区内では唯一の宗教法人の保育園として活動をつづけてきたが、今日では、その目的を達成できた。
2、保育園継続については、対象園児の人口的問題と合わせ経営諸条件を満たしていくことが困難である。
3、老朽化した保育園は改築の時期に来ているが、資金的見通しが立たないこと。
4、教会と保育園が併設されているので、本来の教会活動に支障を来たす場合があること。
5、当教区は立川教会を本来の宗教活動に専念できる場として、教会の目的に努力し、地域社会に責献していく。

ウェルカム・トゥ・泊流会
第6回東京教区青年交流会 於 日野ラ・サール研修所

青年たちが「パクリュウカイ、パクリュウカイ」と、よく口にする。「東京教区青年1泊交流会」を略して「泊流会」、何だか「暴」関係事務所みたいだが、青年たちに愛されているニックネームだ。

今回その「泊流会」に参加してみて、そのニックネーム同様、青年たちがこの泊流会をほんとうに愛しているんだな、としみじみ、感じいった。まあそうでなければ、6回も続くはずもないし、毎回のように100人近く集まるわけもないのだから、当然といえばいえるのだけれど、よく準備された内容やスタッフの働きぶりを見ていると、ちょっとした感動があったのは確かだ。

第6回の泊流会は、11月11日~12日、日野ラ・サール研修所で開かれた。テーマは毎回同じで、「青年たちが自由な出会いを通して本質的な教会体験をする」というもの。今回のキャッチフレーズは「ウェルカム・トゥ・泊流会」。一見何ということのないキャッチフレーズだが、そんな平凡さが、この泊流会の味なのかもしれない。実際、強烈なメッセージや、具体的な運動目的などがない分、多様な青年たちが気軽に参加して、本音で話し合える「開放広場」的な雰囲気があってよかった。

中でも夕食後の「うたげタイム」は、広い食堂に全員集まって各種飲物で乾杯、後は自由に話し込んだり、紹介し合ったり歌い出したり。心憎いのは、「うたげ」に先立って、どこから手に入れたかテレビのCMを50本近く並べたビデオを上映したこと。笑ったり感動させられたりしているうちに、知らずに現代社会の一断面について考えさせられ、またそんな共通体験がその後のおしゃべりの導入になっていた。

それにしても、この青年たちの熱気と生き生きした表情を見ていると、青年の教会離れなんてホントかなという気がしてくる。会話の内審を聞いていても、信仰や人生の問題を誠実にかつ前向きに考えているし、こういう青年たちの活動の場を確保していけば、未来の教会は明るいと思わせられた。

「ただ集まっているだけじゃないか」と言われるのが、一番心外だとスタッフのひとりが言っていたように、このつどいを通して各種の具体的な活動が芽ぶいているのも見逃せない。青年たちがまだまだ互いに出会いたがっているのをひしひしと感じた。半年に 1度というこの泊流会、次回は、91年の5月18日~19日に同じく日野で開かれるとのこと。毎回スタッフを募集して輪を広げているのも特徴で、初めてでもOK。気軽に連絡をとのことであった。
連絡先 東京ナイス事務局内 東京教区青年ネットワーク事務局 03-3943-2277

死者の月

例年通り、11月の第1日曜日午後2時より、カテドラル、府中墓地、五日市墓地でそれぞれ葬られている方々のためのミサがささげられた。
あいにく今年は朝から激しい雨に見舞われたため参列者は例年より少なかったが、それだけに雨に打たれながらも、先祖の墓の前で熱心に祈りをささげる人々の姿は印象深いものであった。

「ヤングオールド」 -若い気持ちをもつ65才以上の集い- 麹町教会

「ヤングオールド」について
ヤングオールドは、麹町聖イグナチオ教会に所属する65才以上の信者によって組織されている活動グループの一つです。
今から8年前、昭和57年9月の長寿の集いを契機として教会内で老人問題について討論が始められ、高齢ではあるが気持ちはいつも元気で、若々しく、しかも多年の経験をいかして、社会に責献していこうということから、活動グループの名称を「ヤングオールド」として、誕生することになりました。(ヤングは若い気持ちと言う意味で若者ではありません)
カンガス神父、デーケン神父を顧問にお願いし、当教会所属の65才以上の老人を主な対象とし、会費1人300円を持ちより、毎月最終木曜日の午後1時より信徒会館地下ホールで、講師をお願いして例会を開催しています。今回で78回目(平成2年10月)を迎えることになります。ただし毎年8月は休会、9月は長寿の集いに参加するため例会はなく、1年を通 して10回の例会を開いています。
講師としては、神父やシスターの方々にお願いしていますが、 他方異なった分野の方々、大学教授、外交官、医師、牧師、科学者、作家、ボランティア活動 の方々にも、幅広く専門的な話 題を平易に解説していただき、 質疑応答など極めて有意義な会合を続けています。講演の後は 歓談に毎回30分位、他にコー ラスの練習も行っています。このヤングオールドの会を順調 に続けることができているのも、 教会の福祉活動グループの一つである訪問グループの愛の奉仕 に支えられているからです。常 にその協力に感謝しています。
年をとると、ともすると孤立 し、ひっこみ思案になりがちで す。私たちはお互いに分かち合 うことにより己を知り人を知り、 愛の実現ができると思います。 私共一人一人が神様からいただ いた十字架を背負い、神のみ心 にかなうよう祈り、奉仕するこ とに努めましょう。
ヤングオールドのような会は 各教会でも始められたらよいの ではないでしょうか。私たちは 常に一般の方々のご協力をお願 いして、会の内容を有意義なも のにしていく所存です。 (世話人 内田次郎)

お知らせします 【生涯養成に関する企画】

★日帰り黙想会
「一日一日を生き生きと生きたい」指導・岡俊郎神父
1月10日(木)「平和」、2月18日(月)「悲しみ」、午前10時~午後4時。対象・どなたでも。場所・問い合わせ先、石神井イエズス会黙想の家 練馬区上石神井4132-11。
TEL03-3920-1158
★1ヶ月霊操
「聖霊を消してはなりません」
指導・岡俊郎神父、1月10日(木)午後6時~2月10日(日)朝。信徒の参加歓迎。場所・問い合わせ先、イエズス会黙想の家
TEL03-3920-1158
★1泊黙想会
指導・レデスマ神父、1月14日午後6時~15日午後2時。対象・女性信徒24名。申し込み締切12月31日。参加費4,000円。場所・問い合わせ先、鎌倉市十二所イエズス会黙想の家 シスター・池田。
TEL0467-25-1616
★ボランティア講座
(第8回)1月25日(金)「人生に転換期への準備」講師・亀井康山郎氏、(第9回)2月15日(金)「心の老化はどこまで防げるか」講師・長谷川和夫氏、2回とも午後1時30分~午後4時。参加費・1回800円。場所・問い合わせ先、東京カリタスの家。
TEL03-3943-1726
★カウンセリング通信講座
対象・カトリック信徒でカウンセリングを初めて学びたい方。詳細・問い合わせ先、返信封筒(62円切手添付の事)同封の上次へ。カトリック・ユース・ライフ研究所 〒153東京都目黒区駒場4-5-12エスコラビアス修道会内。
TEL03-3489-8615
★祈りへの招き
1月20日(日)「貧しい人は幸い」、2月17日(日)「純潔」。2回とも午前11時関始。午後4時ミサ。場所・問い合わせ先、ベタニア
修道会、シスター・春日。
TEL03-3228-1133
★聖イグナチオ・デ・□ヨラ
生誕500年記念講座「西方からの息吹」第11回「イグナチオの現代的魅力」。講師・垣花秀武氏、1月7日(月)午後6時45分~8時10分。会場・上智大学9号館249教室。参加費500円。(聖イグナチオ教会発行)
★聖書深読黙想会
1月26日午後5時30分~27日午後。指導・奥村一郎神父。場所・カルメル会上野毛黙想の家、参加費5,500円。申込・問い合わせ先 吉田敦子
TEL03-1372-2172
★黙想会
復活祭への準備。指導・チプリアノ・ボンクッキョ神父。2月15日午後5時~17日昼食まで。対象・信徒男女。参加費(8,500円)場所・カルメル会黙想の家。申し込み・問い合わせ先カルメル会上野毛黙想の家。
TEL03-5706-7355
★キリスト教一致祈祷集会
1991年のキリスト教一致祈祷週間・東京地区は、1991年1月27日(日)午後2時~4時、場所 カトリック田園調布教会(大田区田園調布3-43-1)
TEL03-3721-7271

訃 報

鎌田武夫神父(イエズス会、前エリザベト音大理事長、元上智大学教授、中世キリスト教哲学)
11月2日午前6時急性心不全のため、療養先の鳥取県三朝町の旅館で帰天、79歳。1911年、広島県呉市に生まれる。44年司祭叙階。47年イエズス会入会。東京で哲学を、ローマで神学を修めた後、東京カトリック神学院教授、東京カトリック哲学院院長、東京カトリック神学院財務担当などを歴任した。また1973年から今年3月まで広島のエリザベト音楽大学理事長を務め、この間、1983年から7年間、同大学教授の職にあった。同神父は神学生の養成に尽力し、後半生はエリザベト音大の発展にささげられた。イエズス会会員としての生活は43年を数えた。

ベトロ・ハイドリッヒ神父(イエスズ会)
11月9日午前5時20分、心不全のため東京・新宿区の聖母病院で帰天、89歳。1901年、ドイツのデイツケンドルフに生まれる。1922年イエズス会入会。同30年司祭叙階。1932年来日。1933年から53年まで広島教区の萩、岡山、宇部の各教会で司牧に携わる。この後1953年から73年まで、上智大学で社会倫理および哲学の教鞭をとった。
この間同大学「夏期神学講座」を初めて開設したほか、上智社会福祉専門学校の設立にも参画した。1972年から89年まで社会福祉法人「からしだね」の理事を務め、77年から88年まで、障害乳幼児施設「うめだ・あけぼの学園」園長を務め、同園の発展に尽力した。

真田信男神父(イエズス会)
11月18日午前2時老衰のため東京・小金井市の桜町病院で帰天。82歳。1908年、岡山市に生まれる。29年イエズス会入会。38年司祭叙階。40~41年広島教区・職町教会、41~51年同・呉教会、51~54年同・岩国教会、54~56年同・翠町教会、56~72年東京教区・麹町教会、72~75年広島教区・山口教会、75~81年同・出雲教会、81~86年大阪教区・六甲教会で宣教司牧に従事。86年3月、病に倒れ、同年12月より東京のイエズス会「ロヨラ・ハウス」で療養していた。イエズス会会員としての生活は62年を数え、小教区での宣教司牧に尽力した。

まず、お互いを知り、協力し合えることを探そう
-教会学校リーダー1泊2日の交流会-

東京教区教会学校委員会では、11月2日~3日にかけて、教会学校リーダーたちの出会いの場をセットした。場所は、日野ラ・サール研究所。参加教会は、赤堤、五日市、蒲田、高円寺、麹町、小金井、府中、小平、三軒茶屋、下井草、千葉寺、松戸、豊田、秋津、秋田(新潟教区)。スタッフを入れて参加人数27名。
森一弘司教出席のもとに各教会のレポーターは自己紹介をしたのち、今夏、東京教区で行った「東京教区教会学校アンケート」 (43教会回答) に添って報告しながら、分かち合いに入った。報告内容に対しての質疑応答が繰り返される中にリーダーたちの教会学校、要理教育、遊び、運営、継続、後継者養成などへの熱意がうかがわれた。

リーダーたちの関心事

・子どもたちの参加状況、人数・リーダーの構成と人数、後継者の養成はどのようにしているのか。
・リーダー不足の問題
・ママさんリーダーのメリットとデメリット
・教会学校の低年齢化、保育園児~幼稚園児のクラス
・どのようにクラス割りをしているか
・テキストの問題(ここでは、各教会学校が独白に作成している手作りのテキスト、VTR、イベントのマニュアル、リーダー白身の予習ノートなどを紹介。リーダーの中にはコピーして持ち帰る人もいた。)
・教会学校の時間帯
・典礼、子どものミサ、ゆるしの秘跡とその回数
・侍者、女の子は侍者ができるのか
・初聖体の時期はいつ。その準備は
・中学生、高校生はどうなっているのか
・イベント
・キャンプ、錬成会、クリスマス会などの場所、交通、費用、その費用はどこから出すのか。キャンプ参加の時の個人負担金額は、貸し切りパスの費用などの問題
・父母会をどのようにもっているか。父母の要理教育は、協力関係は……
・教会学校の学校という名称への抵抗、ネーミングの問題
・子どもの減少の問題
・社会問題の意識、社会福祉へのかかわりは、協力は
・教会学校の子どもの障害保険について これら教会学校関係の問題ばかりではなく、大学生、青年、ママさん、社会人リーダーたちが現在直面している問題、抱えている事柄などについては、さらに午後9時からの飲みながらの会で盛り上がりをみせた。ことにヤングたちは、夜を徹しての分かち合いをしたもよう。
翌3日のミサは、森司教、田中隆弘、立花昌和、江部純一各師の共同ミサ。徹夜に近い組も、自由参加であったにもかかわらず、気丈にも全員参加。その後、眠そうな皆さんを前にしてお話しなんてお気の毒ですが-の断りから始まる森司教の講話。

-そのポイントは-

現代の信徒が抱えている問題は、もはや、小教区のレベルでは解決できないところにきている。信徒は社会の真っ只中に立たされて、諸問題は所属教会でという局所的対応では解決できない。教会どうしが、みんなで力と考えを合わせて、教会-信徒が巻き込まれている現実を打開していく。そういう教会共同体に成長、発展、変革していかなければ、現代人に魅力ある教会として一般の人々の目に映らないだろう。
東京教区はこの現実を考慮して1991年の教区創立100周年年間テーマに協力し合うという姿勢を打ち出した。
教会学校も、ミクロの世界、きめ細やかなスキンシップの対応をたいせつにしながらも、広い視野で協力し合い、明日の教会の子どもたちを育てていく必要がある。委員会代表の田中師は
–この点で何ができるのかをいっしょに考えていこう–
というのが今回の集まりでもあると述べた。そして来年9月23日に開催される、東京教区創立100周年子どもの集いのミサに向けて、各教会問の連帯と協力への呼びかけをした。今後、教会学校委員会の毎月定例会はこのイベントに向けてオープンにし、スタッフ外のリーダーの皆さんに参加いただくようにしていきたいと語った。
いずれ、ポスター、ちらしなどで、各教会に案内をする予定。

1泊2日というショート、ショートな交流会であったが、それなりの実りと交わりができたことを感謝する。特に今回の呼びかけに応えて、リーダーを送ってくださった教会に感謝したい。
「ありがとうございました。」

主催者側では、今後もこのような交流会をセットしてリーダーたちに出会いの場を提供して、連帯の輪を広げていきたいと考えている。教会学校の子どもたちとリーダーたちのために、教会側のご協力をおねがいしたいと述べている。
-「今後ともよろしくお願いします。」-

諸委員会連絡会

11月4日(日)諸委員会連絡会が東京大司教館において、開催された。

この日のテーマは、
1、諸委員会の横の連携の必要性から委員会が互いの連絡を密接にし、協力していく。
2、各委員会で来年度の事業計画を作成し、予算案を財政委員会に提出する。
この2点を中心に話し合った。その中から東京教区に資料室設置の要望等も出された。

ちょっとおたずねします

Q、クリスチャンでない方から「あなた方クリスチャンはキリストの誕生日(クリスマス)を12月25日にお祝いしていますが、もともとは異教の神の祭日をすり変えたにすぎないのですよ」と言われました。本当のところはどうなのですか。
A、「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」 (ルカ2の6、7)とある通り、神のおんひとり子イエス・キリストは確かに暦のある日時にお生まれになりました。
教会がクリスマスを12月24日の深夜(25日) にミサを行って、お祝いするので、その日がキリストの誕生日と思いこんでいる人が多いようですが、聖書は日付けについては明言していません。
教会が世界的に組織されるまでは、地方地方で、ある日を選んで祝っていました。しかし、12月25日をクリスマスとして祝うことは、紀元3世紀の終わり頃にはかなり一般化していたようです。その日が冬至にちなんだ祭日であったのは事実です。
ご承知の通り、冬至は太陽暦では12月22、23日頃で、その日太陽は1年中で天球上の最も南に寄り、北半坪では正午における太陽の高隊は1年中で最も低くなります。そして日照時間も、1年中で最も短く、夜が最も長くなります。この日を極点として日中が少しずつ長くなってゆきます。
そこで、何らかの形で太陽神とかかわりを持った宗教では、冬至の日を、神が新たそせいな生命を得て蘇生する誕生の日として盛大に祝っていました。苦は北欧のユル神の祭りでも、古代ローマのミトラの太陽神崇拝でも、エジプトの太陽神ホルスの信仰でも、冬至の日を新しい太陽、不滅の神の誕生の日として祝いました。ですから各地のクリスマスの呼び名や行事にはそのなごりが多く残っています。
初期の教父たちは、太陽神のこの普遍的な祭りを積極的にキリスト教化し、まことの光、キリストの誕生日として祝うようにしました。老シメオンは幼な児イエスを抱いて「異邦人を照らす光」(ルカ2の32)と言っています。ヨハネは「言彙の内に命があった。命は人間を照らす光であった。…その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」 (1の4、9)と言っています。
ところで、キリスト教が紀元313年、ローマ皇帝コンスタンチヌスによって公認され、392年にはテオドシウス皇帝によって国教と決定されました。こういう気運が教会にも影響を与え、紀元350年に教皇ユリウス1世は、12月25日をキリストのご誕生の目に統一しました。ちなみに東方教会では1月6日、我々のご公現の臼に祝います。
カタコンベの闇の中で、耐えた4世紀の教会は、文字通り光の中で、公然と祈る新しい時代を迎えました。
キリスト教徒にとってイエス・キリストこそ「世の光」、不滅の太陽です。当時の異教徒たちが太陽の光へのあこがれを表した12月25日の祭りを、心の闇を照らし、冷えた心を暖める「まことの光」なるキリストの誕生日にしたのは理解できることだと思います。 (泉 富士男神父)

教会・修道院巡り(4)「浅草教会」

浅草教会の誕生を語る前に、江戸における最初の宣教についてふれておきたい。
徳川家康の貿易政策に協力することを条件に、江戸での宣教をゆるされたフランシスコ会のフェロニモ・デ・イエズス神父は、1599年「ロザリオの元后聖マリア聖堂」を現在の八丁堀あたりに建て、信徒の司牧にあたった。フェロニモ神父の死後、同じフランシスコ会のルイス・ソテロ神父らにより、約13年間この聖堂を中心に東北、幾内方面にもおよぶ宣教活動が続けられた。
しかし1613年、将軍秀忠は江戸城の敷地拡張を口実に、突然この聖堂と修道院を取り壊してしまった。ソテロ神父の留守の間のできごとであった。
浅草の数人の信徒とハンセン病患者らはソテロ神父に、市中から4キロばかり離れた浅草に、小さな礼拝堂を建てることを願い出た。わらぶきの小さな聖堂とハンセン病院が、同年6月29日ソテロ神父の手で祝別された。
だがこれを機に、江戸から全国へと迫害の嵐がまき起こった。江戸のキリシタンはことごとく処刑されたり、追放された。明治の新しい日本を迎えるまで、250年の長い沈黙の時が訪れた。
明治維新を迎え、宣教活動が開始されると、築地稲荷橋の教会で受洗した本多喜右衛門は、浅草地区に増え続ける信徒のために、教会堂が建てられることを望んだ。築地教会の助任ラングレー神父は、浅草に説教所をつくり、巡回していたのだが、これだけでは信徒にとって、不都合が多かったからである。しかし築地の外国人居留地以外の土地に、教会を建てる許可を得ることはまだ不可能であった。結局、学校を建てるということで許可をもらい、ラングレー神父を外人教師として迎えた。私立玫塊学校は、1877年4月15日に祝別された。聖ポーロ小聖堂と命名された校内の一室で、この日40人の洗礼式が行われた。
玫塊学校を拠点とする宣教活動は、めざましい成果をあげた。12月に向柳原町1丁目(浅草教会現在地)に移転した時には、200名に近い信徒がいた。その後小伝馬町や本所の横川町にも信者名儀で土地や家屋が買われ、巡回教会となった。多忙な神父を助けるため、信徒は自主的な活動組織や貧者の救援組織をつくった。浅草の信徒には初めから自立の精神が強かったようである。
玫塊学校設立7年後、浅草教会担当区域内には千名を越える信者がいた。こうした発展の義には、信徒と司祭の協力による宣教活動の体制があった。
江戸と明治の初期における浅草地区への宣教のきっかけが、共に信者の呼びかけから始められたことは興味深い。

一粒の麦 第3回 白柳大司教、教区100年を語る

東京大司教区の設立

殉教の終えん

1614年頃から、猛威をふるったキリシタン迫害も、1640年頃を境に、だんだん下火になっていきました。下火になったという意味は、迫害がなくなったということではなく、むしろキリシタンに対する追及は前よりもきびしく、組織的にそして徹底的に行われるようになったのです。
踏絵という手段を使ってキリシタンをせんさくさせたり、鎖国令を公布して外国宣教師の入国を禁じたりあるいは報償金を出して、宣教師キリシタンを捕ばくしたりそれはそれはいろいろな方法をつくして、キリシタンの迫害が続いていくわけです。
おそらく多くの人たちは、このつらい場面をのがれるために居を移したりあるいは公に出ることなく、ひそかに信仰を守っていったにちがいありません。
マリア観音、ひそかに彫られた十字架、キリシタン灯ろうなど、今残されているものを見て、当時の信者たちがどれはど困難の中に信仰を守り通していったかがうかがわれます。
1658年、幕府は宗門改めの役人を任命いたしました。この制度は1864年まで約200年間続けられたのです。江戸の町民から召し使いにいたるまで、信仰がせんさくされます。5人組という連帯責任制度を使って、宗旨を改めさせたり、2代、3代前の宗教まで調べるという、それは徹底的なものでした。
1708年、鎖国令を無視して、シドッチ神父が日本に密かに上陸しますが、彼はただちに捕えられ、長崎から江戸へ護送され、あの有名なキリシタン屋敷で、1714年に死んでいきます。そして彼の死をもって、キリシタンの歴史が終わるわけです。

教会再開に向かって

全世界に福音を宣べなさいというキリストの命令に絶えず深い関心をもっていたローマ聖座は、殉教者によって栄光を得、百年近く続いた日本の教会に、特別のまなこを向けておりました。
したがって、宣教師の再入国の機会をうかがい、その任務をパリー外国宣教会に委託いたしました。委託をうけたパリー外国宣教会は、当時鎖国の時代であった日本への入国はまだ困難であり、危険をともなうことがわかっていましたので、キリシタン時代と同様、多くの宣教師をマニラ、マカオに送り、漂流日本人から、言葉の勉強、風俗習慣をならって、日本入国の機会をうかがっていたのです。
いろいろの試みがなされましたが、1844年、今の沖縄、当時鹿児島藩附庸の地であるとともに、清国へも従属の立場をとっていた琉球王国に、フォルカード神父を送ります。フォルカード神父は、琉球、那覇の地でただちに、日本を「汚れなきマリア」に奉献いたしました。
彼は、初代日本教区長として、琉球で日本人国の機会をうかがっておりましたが、1848年には気候風土が合わず、また、住民の圧迫などがあって、琉球を退去し、その後病を得てフランスで亡くなってしまいました。
フォルカード神父の死去にともない、コラン神父が、第2代の日本教区長に任命されましたが、彼は1854年、来日の途中で病を得て死去いたします。

宣教師再入国

1854年、幕府は日本とアメリカの問に和親条約を調印しました。この時期をのがさず、パリー外国宣教会は1855年にジラール神父と他の2人を琉球に送り、直接日本に入国すべく待機させました。1858年には日米修好通商条約が調印され、それにともなってオランダ、イギリス、ロシア、フランスも同様の条約を調印いたしました。
これをきっかけに、日本のカトリック教会が復活するわけです。すなわち、宣教師の上陸が許可されました。外務省に残っている条約文の正本を見ますと、そこにはカタカナで次のように書かれています。「ニホンニアルフランスノヒトジシンノシュウシヲカッテニシンコウイタスベシ。ソレユエ、フランスノヒト、ソノスムトコロヘミヤ、ヤシロヲタツベシ。ニホンニオイテ、フミュノシキクリハ、スデニヤメタリ」
幕府と諸外国との間に、交わされた条約によって神奈川、函館、長崎の3つの港が開港され、その地に居留地が獲得され、外
国人の住むことが許されるようになりました。
1859年、ジラール神父一行は、当時のフランスの総領事の通訳として日本に入国します。そして、横浜に根拠地をおいて1861年には、横浜天主堂を献堂いたしました。
1867年には、江戸の地にも、居留地が許されることになり、4年後の1871年には、築地の稲荷橋近くに伝道所、そして教会が設立されていきます。これが江戸に再開された第一の教会となるわけです。

東京大司教区の設立

1876年、日本の教会は南と北の2つに分かれます。南緯代牧区、北緯代牧区-代牧区というのは、ローマ聖座が直接管理するという意味の制度です。そして、オズーフ司教が任命されます。その2つに分かれる時と前後して、神田、浅草、本所に教会が設立され、千葉県茂原あるいは多摩の砂川地区に宣教が開始されます。
1886年には、浅草にあった学生塾、玫塊塾の生徒の職業訓練の場として現在の関口教会の土地が購入されました。
そして1891年6月15日、日本の3つの代牧区は4つの教区に分かれ、そのうちの一つが東京大司教区として、正式の教会制度が日本に発足したのでした。同年9月27日、盛大に祝賀会が行われたことが記録に残っています。
当時の東京教区は、地域的にいうならば、東海道では尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、阿波、上総、下総、常陸、東山道でいうならば、美濃、飛騨、信濃、上野、下野、北陸道では越前、加賀、能登、越中を含んでおり、現在の新潟教区、浦和教区、東京教区、横浜教区そして名古屋教区をも含む広大なものでした。そこには1380万人の人口がありましたが、その中のカトリック信者の数は9,660人、宣教師の数は35人、教会の数は9つ、巡回教会が59あったと記されています。

はかりしれない神の慈しみ

日本の教会の今までの歴史をみてみますと、聖フランシスコザベリオが日本に上陸したのが1549年8月15日、聖母の祝日であり、日米修好通商条約調印によって宣教師の上陸が許されたのも1859年8月15日、大東亜戦争の終結で我々が真の自由を得たのも8月15日、聖母の祝日でした。
日仏修好通商条約締結の相談にあたっては、幕府はフランスの艦隊が江戸に近づくことを好まず、武蔵の国川崎平間寺を提案したのですが、フランス側は江戸の入口である品川宿本陣を望み、南品川真裏から上陸してしまいます。また、条約本書の交換にも、品川沖から芝車町に上陸しました。これらの地は慶長、元和、寛永の時代、500人近くのキリシタンが殉教したいわれのある土地でした。また、1859年、フランスの総領事の通訳としてジラール神父が日本に再入国するわけですが、その宿舎となる最初のミサをささげた場所が済海寺でした。このお寺は1623年12月、江戸のあの元和大殉教のあった土地の後に建てられた寺でした。
このようにみてまいりますと日本の教会に神の慈しみが大きくはたらき、聖母のとりつぎを通して殉教者の尊いみちびきがあったことを強く感じないわけにはいきません。 (題字・白柳大司教)

東京・浦和・横浜3教区 司祭評議会有志の集い
お互いの教区運営の仕組み等について話し合う

この会合は、11月24日から25日にかけて静岡県焼津のグランドホテルにおいて行われた。3教区から20数名の司祭が参加した。東京教区からは両司教の他、司祭評議会のメンバーから6名が出席した。
この会合は、隣接する教区として相互に協力が必要ではないかという認識の下に、司教たちの話し合いによって開催されたものである。3教区にとっては初めての試みであった。
教区の運営の仕組みやそれぞれの教区の状態の紹介で、会合は終わった。
首都圏として隣接し合うため司牧上相互に協力し合わなければならない具体的な課題も指摘されたが、また同時に司祭相互の問題意識に隔たりがあることも明らかになり、協力していくことの難しさもあらためて認識された。
今後、今回の会合をお膳立てした横浜教区の森田師からの正式な報告を受けて、各教区の司祭評議会で検討することになる。

宣教司牧評議会より

「教区内の協力について」
委員たちの間の共通理解を深める

11月11日(日)四谷雙葉の同窓会館をかりて、宣教司牧評議会が開催された。
前回、懸案の「協力」という諮問にこたえていくために、委員たちの間で共通理解を深めることが先決であるという了解のもとに、委員たちが「協力」についてそれぞれの意見を記し、運営委員会に提出した。
運営委員会はこれを整理し、今回の例会で「『教区内の協力のあり方について』の意見のまとめ」という形で、運営委のひとり西勝氏(調布教会)が説明し、これをもとにグループに分かれて話し合いを行った。
この「まとめ」は、問題点と今後の課題という2つの項目に分かれ、具体的には5つの問題点と6つの課題を指摘している。

問題点として
1、 「協力とは何かについて」の理解が徹底していないこと。
2、積極的な「協力姿勢」が各層で希薄なこと。
3、「協力」の対象や視点が絞りこまれていないこと。
4、小数区間の協力が不足であること。
5、一人ひとりの霊性がまだ成熟していないこと。

課題としては
1、司教からのビジョンの提示の必要性
2、協力の目的、狙い、範囲の明確化
3、協力プロジェクトの発足
4、小教区の意識改革の必要性
5、「信徒と司祭の役割」の明確化
6、教区財政の強化
宣教司牧評議会は今後、更にこれらの項目について検討していくことになる。
なお、来年度の総会の時期およびテーマについて検討した結果、例年通り、3月21日に行うことを決定した。

編集部から

教区創立100周年の新年合併号をお届けいたします。
大司教様の新春インタビューいかがでしたか。くつろいだ語らいの雰囲気の中で、大司教様のお心のうちまで招き入れていただけたような気が、編集子にはいたしました。心の底からの柔らかな肉声だけが、私たちの問のコミュニケーションの道を開くのだ、インタビューを読みかえしながら不遜にもそんなことを強く感じています。
ともすると報告記事だけで固くなりがちな紙面ですが、これからはもっと、他方面の方々の心からの肉声が伝わってくるような紙面づくりに務めてゆこうと思います。

ナイス2に向けての取りくみが始まっています。日本の教会の新たな歩みに合わせて、「家庭」の問題を本紙でも取り上げてゆくことにいたしました。
共同通信社論説委員の横川和夫氏が、家庭・家族の問題をめぐって、1年間にわたりコラムを担当してくださることになりました。私たちの生きる社会の中から投げかけられている問題をともに受けとめ、考え合い、摸索の道を切り開いてゆけたらと思います。
本年もどうぞよろしく。