お知らせ

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東京教区ニュース第74号

1989年11月01日

千鳥ヶ淵戦没者墓苑とは?

この墓苑には、主として太平洋戦争でなくなった軍人、軍属、準軍属ら240万の戦没者の遺骨のうち、政府等が外地から持ち帰り、遺族に渡すことのできなかった約33万2千体を納めてあり、全戦没者を象徴するものである。わが国の「無名戦士の墓」と称してよい。

平和祈願祭 第16回 誓い新たに600人 だが少ない若者の参加

教区は8月12日(土)、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で第16回平和祈願祭を開いた。司教団が設けた「平和旬間」の催しの主なもので、数少ない教区規模の行事の1つ。ことしは暦の上でいつもより少しおそく、盆の休みにかかるということで、参加者の数が案じられていたが、それでも600人近くが集まった。戦争のつらさを少しでもしのび、平和の有り難さを祈りと歌と静かな語らいのうちにかみしめようと、会場まで歩いて参加する平和祈願行進は、去年と同じように武蔵野、城北、城南の3ブロックによって行われた。なお平和旬間実行委員会は、「平和を祈る」という小冊子を作って参加者に配った。日本社会の現実と教会の対応、信徒の声などをのせたもので、祈願祭を機にキリスト者としての自覚をうながした。

盆の休みにかかるので、ことしの参加者は少ないだろうとなかばあきらめに似た声も出ていたが、そんな心配をしたほどでもなかった。白い腕章をつけた会場係は5時半頃に集まり、倉庫から机や椅子を出して設営の作業を始めていた。平和祈願行進をしてきたブロックの一群が着くごとに参加者の数がどかっと増える。はじめひかえめに出しておいた椅子だったが、とても足らぬと次から次への追加となった。天候の心配はない。
定刻の6時30分、祈願祭の第1部「ミサ-平和を願って」が始まった。主司式は白柳大司教で、共同司式司祭は森司教ほか19名だった。大司教は初めにあいさつ「平和のために努力することは日本の教会の使命、その誓いを新たにするために祈ろう」とのべた。
聖書の朗読は、平和旬間実行委・大柳博士、本島明郎の両氏が担当した。聖歌の奉仕は例年通り麹町教会の聖歌隊有志で、指揮は岩子昭氏、オルガンは坪川裕子氏。大司教の説教の要旨は「キリストこそ、世界にくまなく見られる断絶をうめた神のおん子、そのいけにえを捧げつつ平和への努力をしよう」というもの。共同祈願はブロックからの代表で行われた。多摩と千葉は距離の関係からか加わることができなかった。奉納の歌の間の献金は、この祈願祭をはじめ平和旬間行事の諸費用にあてられる。

今宵切なる祈り

そろそろ手にしたあんどんに火がはいる。ことしのものは蝋がたれないように特に工夫されている。聖体拝領のころには夜のとばりもすっかりおりて、ローソクの火が美しい。
第2部は「献花・花の行列・平和の祈り」。献花の当番は城北ブロックで、武藤、井上京子の両氏(いずれも徳田)が参列者を代表して墓前に花束を捧げた。今回はとくに天使祝詞やロザリオなどの霊的花束も仲間入りした。つづいて参加者が楽しみ?にしている「光の行列」にうつった。時あたかも中天には夕月がかかり、墓苑をとりまく大きな光の環がゆっくりと動いていく。曲り角の暗やみなどで、お年寄りや身体の不自由な人の手をとる若者の姿が印象的だった。
教皇ヨハネ・パウロⅡ世の平和アピール「神よ!私の祈りを聴いて下さい」にも、今宵はとくに切なるひびきがあったという。最後にアシジの聖フランシスコによる「平和の祈り」をとなえ、8時ごろ解散した。
なお、献金総額は、327,931円だった。

スタッフ

▽主司式者・白柳誠一▽式世話係・深水正勝、稲川保明。
▽司会・一藤甫▽聖書朗読・大柳博士、本島明郎▽聖歌・麹町教会聖歌隊▽指揮・岩子昭▽オルガン・坪川裕子▽奉納・木邨健三▽行列指導・西野良明、渡部真▽献花・武藤、井上京子。
▽総指揮・一藤甫▽設営・角田大▽撤去・村岡昌和▽拡声・木邨健三▽行列誘導・角田大、村岡昌和▽献金・角田大。
▽受付・木邨健三、矢作健之助▽案内板等・一藤甫、渡部真、本島明郎、西野良明▽接待・大柳博士▽係員室・小林又三郎▽献金計算・木邨健三、矢作健之助▽献花準備・小林又三郎▽あんどん作成・稲川福士、矢作健之助▽作業指示・角田大▽写真撮影・熊沢剛▽報道・青木静男▽総世話係・金井久。

声・こえ・コエ

▽墓苑をとりまくローソクの光の中で、夜空に投影された40余年まえの日本。それは爆撃のあとに横たわった多くの亡きがら、苦しみうめく負傷者たちであった。
人が人をたがいに知らないのに、何んのために争うのか?戦争は勝っても負けても虚しいものだ。日本ではこの体験者は少なくなっていくが、世界のどこかで争いは続けられている。
二度と繰り返してはいけない戦争を、この地球から一日も早く消滅させるため、次の世代に伝える運動を、祈りの中で進めて行きたい。
(大崎忠二・上野)
▽ローソクを手に、隣りを歩く人と笑顔を交わしながら大声で歌った。ふり返ると美しい光の輪が木立を縫っていた。
平和祈願行進にも参加して歩き通した半日の、心地よい終りのひとときだった。来年はベトナムの若者も誘って、いっしょに世界の平和を祈りに来たい。
(小菅喜美子・お告げのフランシスコ姉妹会)
▽墓苑でのミサが特に感慨深かった。戦争の罪をざんげし、戦没者の魂が天に安らかに憩うように祈った。
世のなかから核を絶滅するよう、犠牲を恐れず平和のためにいっそうの献身を決意させられた一夜だった。夜空にローソクの灯が大きな環をつくり、恰も平和のための一致を示しているようであった。
(成田弘子・碑文谷)
▽聖母マリアのシンボルのように上天にかかった月の下、大司教を囲んでの共同司式ミサ。教区の各所から集まった多数の人が、リハーサルなしに一糸乱れず祈ることができるカトリックのすばらしさ。大司教の話も、共同祈願も力づよかった。
ローソクをかかげて聖歌をうたい、墓苑を一巡する光の行列のこの世ならぬ美しさ。一同でささげた平和の祈りもさることながら、教皇の平和アピールの最後の祈り「神よ、私の祈りを聴いて下さい!」、ほんとうにどんなに切なる声であるか、今宵はとくに感じられた。
(武田清見・マリアの宣教者フランシスコ修道会)

感動の手燭ミサ

▽さわやかな平和祈願のミサ、闇にゆれるローソクの光、教皇の平和アピールなど、平和を感謝しながら、その礎となった人びとへの思いを深くした。
いま私たちに何ができるか、教会の平和への使命をあらためて考えさせられた。
(波田野栄十・碑文谷)
▽私は戦争体験もなく、その傷あとにじかに触れることは慣れていないので、墓苑に入ったとたん急に身がひきしまった。
夏の夕ぐれ、大勢の人びとが祈っている姿は神聖で、私も真の平和が訪れるようにと心から願った。
(小林直子・枝川)
▽始まる2時間ほどまえに、急に思い立って参加した。大司教は説教で「平和への努力」といったが、私は光の行列のとき、「この努力?いったいどんなことしようかな」などと考えながら歩いた。
(伊坂万里・吉祥寺)
▽涼風が吹く濠端を行くときには、それらしい人をチラホラ見るだけだったのに、ミサの開始が近づくとともに増え、ローソクの行列では、いつ終るかと思うほどの人数となった。大勢の人たちと心を1つにして祈ることができたというよろこびで満たされた。
日本がこのように平和であるのは、戦場で散っていった兵たち、原爆など戦争犠牲者のおかげであると思った。それにしても若者の参加が少ない。平和がどんなに大切であるかということを、若い人に知らせるのが私達の務めではないだろうか。
(大森弥生・礼拝会)
▽十数年まえは、炎天下で、参加者より多い蝉の声が印象的だった。今では来る人も十倍ほどになったが、いつもながら若者が少ないのを残念に思う。
戦争とは縁のない青年層が増えた今日、一体、平和とは何んだろうか、戦争とは何んだったんだろうかと改めて考えさせられる一宵だった。
(井上京子・徳田)
▽今年も平和祈願祭が、ミサ・献花・光の行列・平和の祈りなど例年どおりのプログラムで行われた。
第二次世界大戦で犠牲になった人たちの冥福をいのるとともに、平和がいかに大切であるかを知り、この平和が全世界に与えられるよう努力しよう。
(島崎正雄・板橋)
▽現代の社会では、対立する世界観やイデオロギーの妥協は大へん困難である。しかし人間共同体の実現が阻まれてはならない。人類の望みである平和を、有名無実のスローガンに終始させてはならない。
(小林弘明・本所)

憎しみの壁こえよ

この夏、招かれてドイツに行く機会があり、その国の東と西をわける国境を訪れることができた。ドイツという国は、第二次世界大戦でひどい状態におちいったのであるが、日本とおなじように奇蹟的な復興をなしとげ、技術も進んで快適な国家をつくりあげた。あの国に行くと自然が豊かで、かって戦争があったのかと疑わせさえする。
しかし、あの国境線に行ったときは、背すじが寒くなるような思いがした。真中に誰も通ることのできない何百メートルかにわたる土地があり、その両側には鉄条網などが幾重にもはりめぐらされていた。そして更に2、3百メートルおきに高い監視塔が立ち、銃口がこちらを向いていた。
同じ言葉を話す人たちが壁を通して2つに分けられているのである。越えることのできない裂け目をそこに見ることができた。それは国境というよりも憎しみにみちた、心を冷くするような現状であった。
このようなことは、何もドイツに限ったことではない。私たちのすぐ隣りの韓国と北鮮とを分かつ、あの国境線でも同じであろう。またそのような形がなくても、民族と民族、あるいは思想と思想の対立によって、人びとの間には大きな断絶が見られる。このように、科学も進歩し、人間が努力しているにもかかわらず、悪の力が厳然として存在していることを私たちは認めないわけにはゆかない。
私たちキリスト者は、キリストこそこの断絶を埋めるものであることを知っている。神と人との間に大きな裂け目ができたとき、神のいつくしみは御子キリストを通してこれを修復し、真の平和が打ち立てられることを望み、十字架によって実現した。私たちは、キリストこそが世界にくまなく見られる断絶を埋めるものだという確信のもとに、神への限りない祈りを捧げなければならない。
この10月には、韓国で「キリスト・私たちの平和」というテーマのもとに、万国国際聖体大会が開かれようとしている。南北の断絶を常に体験している韓国の教会にとって、キリストの平和を求める声は切実であり、その声がきこえるような気がする。キリストは自分をいけにえとして捧げることによって平和をもたらした。私たちは感謝の祭儀を打ち続けながら、神の力に支えられ、平和への努力の決意を新たにしたい。
現教皇は、世界平和のために祈ることを私たちにいくたびとなく呼びかけ、日本を訪れたときには広島の地において「過去をふりかえることは、将来に対する責任をになうことである」とくり返し訴えた。
とくに若い人たちに向かっては「共に手をとり合って友情と団結のある未来を作ろうではないか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさしのべ、空腹に苦しむ人に食べ物を与え、家のない者に宿を与え、ふみにじられたものを自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではないか。あなた方の若い精神は善と愛を行う大きな力をもっている。同胞のためにその精神を使って欲しい」と訴えかけた。
キリスト者、それはいつも若いこころを持っている人たちである。なぜならいつでも愛と希望に燃えているからである。私たちは教皇のこの言葉から、平和のために祈ると同時に、平和のために働く者となってほしいという願望をくみ取らなければならない。
今年は第二次世界大戦が始まって50年目にあたる。この9月にはワルシャワで、全世界の諸宗教の人たちがカトリック教会とともに集まり、平和をいのることになっている。平和は私たちの力を超えた者のたまものである。私たちはこの機会にもう一度心を引きしめ、神のいつくしみを願いつつ、平和への努力をしたいと思う。
(東京大司教・白柳誠一)

平和の尊さ味わった汗と日焼けの8時間

武蔵野ブロック

吉祥寺教会主任・及川神父の呼びかけで始まった平和祈願行進も、今年で4回目になる。真夏の暑い日差しとはいえ、幸いにもさわやかな風が吹く好天気に恵まれ、有志だけの参加ではあるが、静かな心のこもった行進となった。

午前9時半ごろ、吉祥寺教会を出た。荻窪教会を経て、高円寺教会に着く頃には、巡礼の人びとも70名近くに増え、平和への祈りの高まりを感じた。

各教会からは、おしぼりやつめたい飲み物などの奉仕もあった。みなの暖かい拍手や明るい笑顔にどれほど力づけられたことだろう。
新宿中央公園ではせみしぐれの木陰で休息、靴をぬいだり静かに語ったりのひとときを過した。麹町教会では他のブロックの人たちとも合流し、歩きとおした充足感を味わった。汗がにじんだ身体、日焼けした顔、名前も所属もわからなくても笑顔であいさつし、キリストの平和が参加者の心のすみずみまでを潤すような気がした。
(河村富次・荻窪)

城北ブロック

今年も関口教会のルルド前から出発した。とくに声をかけなかったにもかかわらず森司教も参加、聖母マリアなどへの祈りや歌に声を合わせながら行列の先頭に立った。

祈願行進の話は7月のブロック会議で急に持ち上った。かならず出るだろうとみな思っていた。というのも、15年の歴史を経た祈願祭はそれぞれの心に深く根づいており、会場までの徒歩行進にも何らかの意義を認めているためであろう。

ただ準備の間が短かかったため参加者の少ないのを危ぶんでいたが、隣接教区からの人、80歳をすぎたお年寄り、若い両親に守られた乳母車の子どもなど多彩で、それぞれ墓苑までの道を歩き通した。

企画の段階では、多くの人からシュプレヒコールや平和祈願の襷をなどの案も出たが、やはり聖歌を口ずさみ、静かに語りながら平和へ思いを至して歩くがよいとのことで昨年どおりのやり方となった。

平和祈願祭は年とともに盛んになる。私たちは、その陰で会場の設営に汗を流したり聖歌の奉仕をしたり閉会後の片づけに奮闘する人たちの苦労も忘れてはならない。
(小林又三郎・徳田)

城南ブロック

じっと立っているだけで頭の上が熱くなり、汗ばんでくる猛暑の午後1時15分、つれだって洗足教会を出発した。焼け跡ひとつない日本に生まれた私にとっては、一緒に暮らす両親が戦争を体験しているということさえ信じ難く、まして父母の戦中の姿を想像するだけで恐ろしさを感ずる。

しかし歴史を過去に葬り去ることなく、戦争を知らないものも、戦争へのこだわりを末ながくいだきつづける義務があるとおもう。
50分後に碑文谷教会へ着いた。そこで出された氷の上のスイカはほんとうに平和の象徴のように見えた。目黒教会を過ぎる頃にはかなり疲れてきたが、戦争の厳しさを思ってがんばった。麹町教会では信者の連帯を学ぶことができた。

ローソクの炎は軸を傾けてもそれには従わず、常に真すぐ立っている。人類の平和を願う心も力によって傾くことなく、いつも天に向かっていなければならない。あんどんを片手に、行列しながら考えたことである。
(野村遊子・洗足)

▽祈願祭の折、墓苑まで歩くという平和祈願行進は、吉祥寺教会の有志を中心に86年初めて試みられたものである。

TCCC(東京カトリックコミュニケーションセンター)設立へ準備すすむ

白柳大司教が諮問した5提案のうち、TCCC(東京カトリックコミュニケーションセンター)の説明会が、10月7日、真生会館で開かれた。これは同センター開設準備のためボランティアとして協力を申し出たワーキングスタッフと、教区総会のとき情報センター分科会に出席した人びとに呼びかけた集いで約45人の信徒、司祭、修道者が参加した。
初めに森司教が挨拶「ナイスの精神である社会に福音の光を与えていく教会の姿がここにあり、光となるための教会の現実を分析し、引き出す手段が必要になってきた。5年前からナイスの歩みとともに構想してきた人材バンクを発展し、TCCCを準備した。
東京教区には色いろな試みを豊かな発想で行っている教会が多いが、横のつながりがないため互いに助け合うことに欠けている。TCCCが交わりの中心となることを期待している」と話し、設立準備や運営資金についても教区財政の中で処置できる考えを明らかにした。
続いて小林準備委からTCCCの経過、国富準備委から構想の概要が報告され、6ワーキンググループの内容説明とスタッフの紹介が矢島準備委によって行われた。
参加者からは、システムにつながるFAXの共同購入、教区民を対象としたシステム利用指導の方法、利用する側のプライバシィ問題の考え方など、建設的な意見が寄せられた。準備委の説明は次の通り。

【経過】
○ナイスをうけ、88年度の教区総会において、大司教が要請した教区で推進すべきことの提案を宣教司牧評議会が答申した。
○88年9月、大司教が5提案を宣教司牧評議会に諮問した。
○88年10月からTCCC準備委員会を毎月開き、システムの検討、PRパンフレット(1、2号)の作成、OHPフィルムの製作をした。

【構想】
○信仰や生活情報サービス、PR、データサービスなど信徒、教会、活動グループへの情報交換の機能を持つものとする。
○FAXが接続可能なワークステーションとパーソナルコンピュータをリースで導入し、90年4月からサービスを始めたい。
○5提案の活動を統轄して補佐できる専門の事務局を教区本部内に設置し、TCCCはそのサービス部門をシステムを使って担当したい。

【ワーキンググループ】
○オフィスグループ=事務局事務所のインテリアを担当する。
○システムグループ=システム機器の選定、データの仕組みの検討、ソフトウェア使用の作成などを担当する。
○窓口相談グループ=相談や情報サービスなどの問合わせに、どのように対応するかマニュアル作りを行う。
○名簿・スケジュール編集グループ=社会や法規制の状況に対応しながら名簿の編集を行うとともに、各教会や活動グループのスケジュールなどの編集を担当する。
○聖書と典礼データグループ=TCCCが福音的価値観を生み出すために、ミサの資料や言葉の説明などの編集・登録を担当する。
○広報グループ=TCCCの利用PRのため、パンフレット作りや説明会の担当をする。
ワーキンググループは90年4月の開設時に任務を終えたい。
(TCCC準備委員会)

教区組織の一部が改正

教区本部・事務局

(現行)

【本部】
1、教会法第469条に准じ、東京大司教区に教区本部をおく。
教区本部長は大司教とする。
【事務局】
2、教区本部に教区本部事務局をおく。事務局に下記の部・連絡事務所・連絡会等をおく。
総務部 典礼部 召命部 社会部 福祉部 広報部 福音宣教推進部 難民定住推進部 移動信徒連絡事務所 教会財務連絡会
なお、総務部の下に、庶務係と経理係をおく。
3、事務局長・部長(連絡事務所長・連絡世話係りを含む)の任命は大司教が行う。
4、部長(連絡事務所長・連絡世話係りを含む)は、部内に委員会等の各種グループを設け、その構成員を決定することができる。
5、部長は、担当部および所管する各種グループの活動の概要を、定期的に事務局長に報告する。
6、予算の請求および決算の報告は、所属の部長を通じて大司教に提出する。
【その他】
7、この規約は、86年11月から実施する。
(85年11月1日制定)
(86年11月16日改正)

(改正)

【本部】
1、教会法第469条に准じ、東京大司教区に教区本部をおく。
教区本部長は大司教とする。
【事務局・委員会等】
2、教区本部に教区本部事務局(以下、事務局と称する)および委員会等の各種の活動グループ(以下、委員会等と称する)をおく。
委員会等の新設・廃止は教区本部長が行う。
3、事務局に事務局長および事務局次長を、また委員会等にそれぞれの責任者をおく。
それらの任免は教区本部長が行う。
4、委員会等の委員の選任・交代は、原則として、委員会等において自主的に行うことができる。
ただし、司祭の委員の選任・交代は教区本部長が行う。
5、委員会等の責任者の任期は1期を3年とし、連続の選任は2期までとする。他の委員の任期については、それぞれ独自の内規を定める。
6、事務局および委員会等は、その運営に必要な事項を、それぞれの運営内規に定める。
7、事務局長および委員会等の責任者は、運営内規および委員名簿を教区本部長に提出する。
運営内規および委員名簿に変更があった場合も同様とする。
8、事務局長および委員会等の責任者は、事務局および担当する委員会等の活動の概要を、定期的に教区本部長に報告する。
9、事務局長および委員会等の責任者は、事務局長を通じて教区本部長に、事務局および担当する委員会等の予算を請求し、決算の報告を行う。
【その他】
10、この規約は、90年4月から実施する。
(85年11月1日制定)
(86年11月16日改正)
(89年9月21日改正)

宣教司牧評議会

(現行)

【設置】
1、教会法第511条に准じ、東京大司教区(以下、本教区と称する)に、宣教司牧活動の具体化について大司教を補佐する宣教司牧評議会(以下、宣司評と称する)をおく。
【取扱事項】
2、宣司評は、つぎの事項を取扱う。
a.大司教の諮問事項について答申すること。
b.大司教の指示または承認のもとに、本教区の宣教司牧活動の具体策を立案・決定し、ブロック会議等に勧奨または要請を行うこと。
c.ブロック会議等の機関または宣司評委員の提言または意向のうち、妥当と思われるものを大司教に具申または伝達すること。
d.大司教の指示のもとに、教区本部事務局とともに教区総会の準備・運営にあたること。
e.財政評議会の要請により、本教区の予算・決算について意見を開陳すること。
f.その他、大司教が必要と認める事項を処理すること。
【会期】
3、宣司評の会期は、4月から翌々年3月までの2年間を1期とする。
【委員】
4、宣司評の委員は、各ブロック会議が推薦し、または大司教が独自に選択した本教区民のうちから、大司教が任命する。
各ブロック会議が大司教に推薦する委員候補者の数は、司祭1〜2名、修道者または信徒2〜3名、計4〜5名とする。
教区本部事務局の事務局長および各部長は、役職上委員に任命される。
(85年11月1日制定)
(改正)
【委員】
4、宣司評の委員は、各ブロック会議が推薦し、または大司教が独自に選択した本教区民のうちから、大司教が任命する。
各ブロック会議が大司教に推薦する委員候補者の数は、司祭1〜2名、修道者または信徒2〜3名、計4〜5名とする。
教区本部事務局の事務局長および事務局次長は、役職上委員に任命される。
(85年11月1日制定)
(89年9月21日改正)
(現行)
5、委員の任期は、宣司評の会期と一致する2年間とする。会期中に任命された委員の任期はその会期終了までとする。
委員の再任は防げないが、ブロック会議推薦の委員の連続の任命は2期までとする。
委員は本教区民でなくなったとき、または重大な事由が生じたときには、その任を解かれる。
6、委員はブロック会議等の機関の提言または意向を必要に応じて宣司評に伝達すると共に、宣司評の議案の審議にあたっては本教区全体の共通善を誠実に追究しなければならない。
【議長】
7、宣司評に議長をおく。
議長は委員のなかから司祭1名、修道者または信徒1名、計2名を大司教が任命する。
議長は、宣司評の会議を招集し、その円滑な運営にあたる。
【会議】
8、宣司評の会議は原則として年6回開催する。
9、委員が会議に出席できない場合、あらかじめ議長の承認を得て当日の会議に限定した代理者を出席させることができる。
【運営委員会】
10、宣司評に宣司評運営委員会(以下、運営委と称する)をおく。
運営委の委員は宣司評の委員の中から若干名を大司教が任命する。
11、運営委は教区本部事務局と協力して次の事項を取扱う。
a.議案の整理等、宣司評の会議の円滑な運営の準備をすること。
b.宣司評の取扱いであって緊急を要する問題を処理し、事後遅滞なく宣司評に報告すること。
c.宣司評の委員名簿の整理、会議招集の手続き、会議議事録の作成等を行うこと。
【その他】
12、宣司評は経験豊かな有職者である信者を招き、その意見を聴取することができる。
13、宣司評は司教座が空席となった場合、自動的に解散する。
14、この規約は86年1月から実施する。
ただし、85年任命の委員はこの規約によるものとみなす。
(85年11月1日制定)

(改正)
14、この規約は、90年4月から実施する。
(85年11月1日制定)
(89年9月21日改正)
▽今回の改正はとくに役務の任期がおもなものである。

宣司評議事要旨

第3回(9月21日)

一、大司教挨拶。祈り。
二、議長任命。新議長・寺西英夫(事務局)小林章雄(船橋)
三、役務規約改正に於ける任期について。(本紙参照)
四、福祉関係のその後の中間報告。(三好師、春見氏)
「社会に仕える教区づくり」立案グループは、教区福祉部との合同会議を開き、福祉部組織とのかかわりをも考えながら次のような答申を作って大司教に提出する。
1、教区福祉委員会を整備・充実する。各ブロックに福祉担当司祭を選任する。
2、福祉委員会のもとに「相談窓口設置推進小委員会」を設ける。(構成略)
3、教区主催のボランティア養成講座を定期的に開催する。講座の開催は、福祉委員会が主体となり、東京カリタスの家の協力を受けておこなうことがのぞましい。
プランは今後の問題で、現場で地ならしをしている。人材の養成も皆で考える。窓口が開かれたとき、東京カリタスの家がセンターの働きをするのが望ましい。講座もゲリラ的に実施中。
五、生涯養成についての中間報告。(森司教)
具体的なプランとして、まず(1)一泊交流会・研修会・黙想会(2)経験および情報の交換と提供(3)小教区の教会奉仕に備えた信徒の養成-などがある。
交流会では小教区の壁を越えることを目指したり、経験の提供では情報誌の発行、また信徒の養成では教会学校のリーダーを育てることも含まれる。
六、教区内の協力のあり方について。
ことしの宣司評の課題を「教区内の協力体制を考える」とする。白柳、森両司教から趣旨説明があった。ブロックに持ち帰り、どんな協力ができるかについて討議する。(継続審議)