お知らせ

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東京教区ニュース第75号

1990年06月01日

府中小教区新設

教会名・カトリック府中教会
所在地・〒183 府中市府中町1-40-11 ◎京王線府中駅より徒歩5分
電 話・(0423)61-9888
主任司祭 C・カヴァーニャ

教区総会 第5回
宣教に協力態勢を まず現状把握が先決

教区は3月21日、港区白金・聖心女子学院で1990年度の教区総会を開いた。テーマは「教区内の協力のあり方を求めて」で、司祭、修道者、信徒など約500人が参加した。協力には現状を知るのが先決ということで(1)過疎化教会(2)小規模教会(3)難民定住(4)青少年司牧(5)山谷の例-などにつき、協力のあり方を中心に発題者から報告を聞いた。これをうけたシンポジウムでは、パネラー6人が発題者をまじえて討論、全体の共通認識を養った。具体的な協力の仕方については次の段階となった。5提案の具体化についても経過の説明があった。決算・予算の報告、新司祭の紹介は例年通り。

会議は午前9時55分、黒川恒雄(麹町)、高村雅子(洗足)の両氏を総合司会者とし、祈りと聖歌で始まった。まず白柳大司教が開会の挨拶「福音宣教推進全国会議は教皇からも高く評価された。その期待にもそうよう教区内の協力について話したい」と述べた。続いて森司教が全体を1つと考える意識改革の必要性を強調。協力のためにはまず現状の認識をと、発題者が6つの視点から報告した。

1、過疎化教会の現状について。(氏家義一・本所)
私たちの教会のある墨田区の人口は、30年前には33万人であった。現在は22万7千人で、約10万4千人、45.7%も減少した。都議の定数も5名から3名になった。
本所教会は東京で4番目に建てられた教会で今年111年目を迎えているが、今まで3回の焼失と度かさなる水害にあっている。災害をうけても自給自足で聖堂を復興させて来た。
教会が取り組んだ諸行事のうち、神津島おたあジュリア祭、日本26聖殉教者奉祝祭などでは、教区全域や全国的な協力のもとで多くの人びととの交流をはかり、過疎化防止につとめてきた。
「教会の祈り」の活用や、典礼の重要性の位置づけのためにも、信徒の協力を土台に過疎化の歯止めを推進した。共同募金でも1ヶ月の街頭活動で協力の輪を広げ、小教区単位での募金額はトップを続けた。人は減少しても、要はやる気である。

2、小規模教会の現場について。(小沢茂・佐原)
(1)佐原教会の現状は-初めて教会が建てられたのは1951年である。今年で40周年を迎える。所属する信徒数は75人ということになっている。市内ばかりでなく隣の町からも来る。日曜日のミサは15人ぐらい。
(2)当面する問題点-教会として経済的自立ができない状態である。人材の点では青年層がほとんどいない。信徒の大部分は高齢化している。若い人たちがいないのが先ゆき問題である。
地域のもつ伝統にも目をむける必要がある。神社の祭りを中心とした血縁、地縁が強く、キリスト教が1つの家庭にはいってゆくことはかなりむずかしいことである。幼稚園があるが、地域自体にキリスト教がはいることが困難であるとすれば、幼児に宗教教育をする幼稚園の使命は大きいと言える。
教会施設一般ということでも東京と千葉では差がひどい。千葉県下の小教区が千葉と城東の2つのブロックに分断されていて、互いに感心がなく協力関係もあまりない。
(3)教区内の協力について考慮すべきこと-教区行事や講座などを千葉県内でも開いてもらいたい。経済的困難や人的不足であえいでいる小教区への配慮が望まれる。近隣の教会間の交流などが急務である。

3、難民定住に関する協力について。(矢島隆・高円寺)
東京教区には、難民の人たちがたくさん住んでいる。そしてカトリック教会は、この難民定住に大きく取り組んでいる。品川には「国際救援センター」があり、姫路、大和の定住促進センターとならんで難民の日本定住の窓口となっている。ベトナム難民は旧宗主国がフランスであり、公教徒が多い。
日本のカトリック教会による難民定住推進活動は「現場主義」という方法で行われている。これは難民を受け入れた小教区などが、独自に定住支援活動を行うものである。難民の人たちは、よりよい職場や住居を求めて移動が多い。「現場主義」によって、移動先の教会がその世話にあたることから、小教区同士の連絡・協力がどうしても必要になってくることがある。
難民の人をあいだに、互いのコミュニケーションを深めている小教区も出てきている。住むところや働くところはないけれども、資金集めならできるという教会がある。住んでいる人がたくさんいるけれども、定住活動のための資金が不足している教会もある。これらの教会が互いに協力する姿も見られる。
さまざまな姿の中で、3つの課題が出てきている。
第1の課題は「意識の差」である。各教会がどれほど協力ということに対して理解をもっているか。その差が協力を進める上では問題となる。
第2の課題は「人材の差」である。活動に熱心な人の多さ、少なさが問題となる。
第3の課題は「距離の差」である。東京教区の広い範囲で、離れた場所同士の協力は容易ではない。

4、多摩ブロックにおける青少年司牧について。(小宇佐敬二・多摩)
(1)発端からの歴史をふりかえって-多摩ブロックの青少年活動における協力は、一小教区では独自に錬成会を行うことが出来ないという、現状の力不足があり、そこからのニードによって生まれた。協力を築くには、切実な必要性にかられることが大切である。協力しなければ何もできない現実を把握することが出発点だ。
協力を進めるには、しっかりとした情報の交換が必要で、ただ知的レベルでの情報だけではなく、人の交際に基づく信頼関係を土台にした情報の交流がなければ協力は進まない。それには必ず人的、経済的負担がともなう。協力のもたらすメリットとリスクをしっかりと把握し、リスクを引き受ける覚悟が必要である。
(2)課題-キリスト者として個人的なエゴイズムと闘うことは大きなテーマであり、テーマにそって乗り越えていきやすいが、小教区や修道会など集団のエゴイズムを乗り越えることは大きな課題である。協力の必要性を見失い、きちんとした情報を得られなかったとき、自分たちだけがリスクを背負っているとの疑心に陥りやすい。
現状の不満や問題点、うまくやっているという安心感にとらわれるのではなく、未来を見つめていくことが大切である。神の国からの招きとしての明確な展望を持ち、今を位置づけることが現状の貧困さに気付き、協力の必要性を求める基盤となるのではないか。協力のための共有のテーマは未来にある。個が確立していなければ協力は有り得ない。それぞれの小教区や修道会の独自性をしっかりと保ちながら、互いにそれを尊重することがなければ協力というものは成立しない。

5、地域福祉に関する協力の現状について。(前田千恵子・麻布)
(1)地域福祉活動推進小委員会とは-教区福祉部の中には2つの小委員会がある。1つはふれあい旅行で有名な障害者問題小委員会、もう1つがこの地域福祉活動推進小委員会である。
(2)発足の目的-教会が社会とともに歩むため目を社会にむけ、地域の必要性に積極的に関わってゆこうということである。東京カリタスの家には地域開発という役割りがあった。地域の教会を訪問し、近隣の人にも声をかけ、交流会を開き、教会の福祉活動のあり方を話し合ってきた。これを充実させたい。
(3)小委員会の動き-各ブロックで福祉講座や交流会を開き、福祉部で推進していることを話し合って、意見を聞いたり意識変革などをしてもらっている。カテドラルで開いた「福祉のつどい」では、ミサで共に祈り、講話で学び、持ち寄り交換バザーなどで情報を交換して他の教会の動きを知ることができた。
これらのことを推進していく委員5名と各ブロックの連絡員19名は、隔月に集まり企画や運営をしている。またリーダーシップをとるために夏期に一泊研修会を開いたり、毎月1回の勉強会を行ったり、自己を見つめ、他者の受け入れ方、社会の諸問題など、むずかしい人間関係についても学び合っている。
(4)今後の課題-福祉活動というといままで女性が主となってきたが、男性の協力を期待している。活動は信仰の証しと思う。

6、山谷における協力について。(中谷功・フランシスコ会)
日雇い労働者の町・山谷は、現代社会について行けなく、落ちこぼれた人たちの溜まり場である。キリスト教の活動は共感者をも含めてかなりある。(1)山友会クリニック-ボランティア医師による診察。山友会岩下センター-老人の憩いの場(2)神の愛の宣教者会-相談、炊き出しなど(3)山里-相談、外国人労働者など(以上カトリック)(4)山谷マック・三ノ輪マック-アルコール依存者の回復機関(カトリックと共感者)(5)浅草北部教会-年末年始の越冬支援活動など(6)山谷伝道所-相談など(7)山谷兄弟の家伝道所-食堂、相談など(以上日本キリスト教団)

司祭異動

新潟教区へ出張 安次嶺晴美師(八王子教会助任)
八王子教会助任 福島健一師(町屋教会担当)
町屋教会主任 塚本伊和男師(梅田教会主任)
梅田教会主任 川村昕司師
町田教会助任 佐藤敦俊師(大森教会助任)
松戸教会助任 秋保真理夫師(洗足教会助任)
洗足教会助任 古賀正典師(新司祭)
関町教会助任 高木賢一師(新司祭)
カトリック生涯養成センターへ出張 満留功次師(中央協議会)
一時帰国 M・デフレン師(志村教会主任)
志村教会主任 O・シェガレ師(アジア学生連盟担当)
田園調布教会主任 山辺剛師(瀬田分教会担当)
田園調布教会助任 池上敏信師(新司祭)
瀬田分教会担当 南雲正晴師(聖アントニオ神学院)
下井草教会主任 尻枝毅師
初台教会助任 M・ブレー師
府中教会主任 C・カヴァーニャ師
吉祥寺教会主任 奥村功師(8月1日着任)
吉祥寺教会助任 菊池実師
吉祥寺教会助任 E・ジェブーラ師
○注( )内は前任務など

3月10日祈る

3月10日(東京大空襲の記念日)夕方、東京都慰霊堂(震災記念堂)で、災害犠牲者の冥福と平和を祈る信者の一群が見られた。本所教会信徒を中心とする「平和祈願」有志の会が毎年催す行事で今年は12回目。大正12年の大震災と昭和20年の戦災など、この地に起った不幸に思いをはせたもの。ロザリオと聖歌で祈ったあと、今回は特に大嘗祭についても話し合った。

1989年 教区活動報告
講話・解説ラッシュ

ブロック

【中央】定例会議は持回りの教会や修道院で、宣司評の報告をめぐる質疑・意見交換などを中心に開かれた。TCCCの準備状況と信徒の協力、教会と女性問題、教区内の協力態勢の確立などについて考えを述べ合った。これについては特に、教区総会や宣司評があるが情報が末端までとどかない、互いの連携が欠けていたり、組織の運営の仕方に甘えがあるのではないかなどの意見が出た。
カトリック新聞社の久保営業部長に出席してもらい、新聞の普及状況や経営状態について説明をうけた。同新聞が司教団の機関紙であるとともに、信徒にとっては海外のカトリック情報の源であることをあらためて認識し、拡販の協力を教会ごとに具体的に検討することにした。
国富、荒井両氏から、東アジア信徒交流会の内容について話を聞き、貴重な情報を得ることができた。なお伊豆・大島の教会へは、例年どおりクリスマス献金を送った。

【城東】議長や委員をすべて新らしくしてスタートした第9期は、母体の各小教区でも移動と交替の多い一年であった。河野師が帰天のあと、若い福島師を中心に新しい教会づくりを始めた町屋小教区、新聖堂の建設に向けてがんばる柏など、変化そのものが地区の特徴を映しているように思われる。
ナイス後の動きの中で、TCCCに関し、国富氏を迎えて説明をうける機会をもつと共に、教会内の協力態勢については森司教を招いた。地区規模での具体策を続けて検討したい。
「新求道共同体家族」の来日では、グレゴリオ氏などの関係者を迎えたことが、宣教の視野を広げる貴重な機会だった。

【城西】ナイス後の対応を着実に果たしていく基本方針を尊重し、ブロック委員の充実に力を入れている。1月29日、三軒茶屋教会で、信仰について考察を深める講演として「葬儀とキリスト者のあり方」と題する南雲神父の興味深い話を聞いた。4月16日、目黒星美学園で開かれた岡田神父の講演「文化の福音化」は、天皇制にふれていた内容だけに大きな反応があった。
6月18日、瀬田教会でおこなわれた山本量太郎神父の講演「キリストの出来事の記念」は、ミサについての感動的な話であった。9月17日にも、佐久間神父が「心をこめてすればいいミサになる」と題して講話をした。11月26日には、成城教会で植村高雄氏が臨床心理学の立場から「自己の信仰をリフレッシュする」というテーマで講演した。1990年の日程も演題もすでに決っている。着実な動きが生まれているようだ。

【城南】ナイスから一年あまり経ち、色いろな活動が見られた年であった。ブロックではそれらの中間報告を積極的に聞くとともに、互いの連帯をつよめるために共同行事を企画した。
前年から話し合われていた高輪教会の新築を祝う共同司式ミサとそのやり方については、3月の定例会議で最終的に決定した。式の奉仕は8教会で分担、合同の聖歌隊を組織するなどしたためか、300人以上の信徒が参加する活気あふれる祝典となった。
7月の例会では生涯養成についての活発な話し合いがおこなわれ、9月には国富佳夫氏(関口)を招いてTCCCの中間報告を聞いた。また11月の末には「知り合うための会」もひらかれ、この一年を通してナイスの提案がより身近に感じられるようになった。
福祉の活動も盛んで、山谷への援助のため勉強会を開いたり実際に体験するなどして各小教区へも呼びかけた。この運動はプロテスタントとも協力して行われているので、まさに開かれた教会の活動とも言えるのではなかろうか。

平和祈願行進が定着

【城北】小教区の一粒会をどのようにして盛んにするかが継続した活動といえる。8月の平和祈願祭で、カテドラルから千鳥ヶ淵戦没者墓苑までの徒歩参加もある。どちらも一時的なものではなく、地道なつみかさねにより、協力と祈りの中で人びとが互いに知り合う場となっている。
定例会議でも、卒直で積極的な話し合いがされた。TCCCについて、新求道共同体の活動紹介、生涯養成のあり方、その養成コースへの希望と期待、教区内の協力態勢など、かなり本音の出た発言もあった。
これらの分かち合いは、ブロックの意見として宣司評で発言されるとともに、これからの小教区間の協調やそれぞれの場における福音宣教に生かされる。

【武蔵野】こんど府中教会があらたに加わり、6つの小教区と25の修道会で構成されることになった。団体の規模と独自性においてかなりのちがいがあり、相容れない点があるように思われる。しかし同じ卓の上に置かれた問題点を通し、がまん強い話し合いによって交流をさまたげる壁が除かれることに望みがもてる。
8月に行われた平和祈願行進への参加も、年ごとに内容の充実が見られる。ブロック行事だけでなく、開かれた教会を目ざしての形にならない活動も実を結んでいる。

【多摩】次の時代を担う青少年の育成は、当地区の常に変わらない第一の柱である。行事としては、春の一泊錬成会、夏の中学生錬成会、高校・大学・社会人のワークキャンプ、秋の研修会、年末のクリスマス会などだが、こうした催しの企画や準備をはじめ、日常の活動も地道に行われている。
この中で、秋の研修会は今までの大学生中心のスタイルを改め、初めてのこころみとして若い夫婦を対象としたものに変えた。参加者からの評判もよいので今年もこの形を取る予定だ。
それから新たな試みとして福祉活動連絡会が開かれた。ブロック内でさまざまな形で福祉に関わっている人達の、分かち合いの場として誕生した。また始まったばかりだが、しっかりと定着させてゆきたい。
また前年に引きつづいて典礼音楽の講習会もひらかれた。

【千葉】1月と3月の定例会議でナイスの取り組みについて討議し、具体化に向けてブロックの統一テーマを(1)移住信徒とのまじわり・難民援助の取り組み(2)生涯教育・生涯養成の充実・福音の実践(3)家庭集会の場を持つ・都賀の土地の利用方法・カトリック教会のPR・未信者の受け入れ・小教区間の情報網の確立とした。各小教区は実行できることから始め、その成績を報告する。
青少年育成委員会の活動としては、日曜学校担当者との懇談会を2度開き、リーダー研修会も行った。また4月28日~29日には夏の錬成会の準備について話し合った。しかしその錬成会は集中豪雨と台風接近のために中止となった。
12月22日~23日には、マリアセンターで中高生のクリスマス会を開いた。43人の参加者があり、荘厳なミサと、酸性雨の影響についてのスライドを見ながら勉強と討議を行った。空の一斗缶を利用して、それぞれのグループが思い思いの模様を入れて各教会に持ち帰り、共同体意識を高めた。
第15回目の千葉ブロック大会「合同ミサとレクリエーション大会」は9月3日、聖母マリア幼稚園に森一弘司教を迎えて開かれた。約200人が参加し、障害物競争、綱引き、フォークダンス、それに恒例の模擬店なども出て盛況であった。しかし参加者が年毎に少なくなってきているのも事実であり、会場や内容などを含め計画の見直しも論議されている。
一昨年から、フィリピン人信徒宣教者委員会が中心になって進められてきたレイ・ミッショナリーの招きが、6月に2人の来日でようやく実現した。半年東京に住んで日本語を勉強し、1月から千葉市内で本格的な活動をすることになった。その成果が期待されるが、ブロックとしても全面的な協力ができるよう努力している。

宣司評

年間の方針は「教区内の協力態勢の充実について」。小教区では、社会の多用化の現況に1人の司祭では応じ切れない。信徒も地域社会を主体とした活動ではなく、仕事と生活の場が小教区を越えているから、他の小教区との協力が必要である-との考えから。
昨年の教区総会で、ナイス諸提案のなかから教区が選んだ情報・養成・典礼・福祉・女性の各提案の実践については、それぞれの部門で歩幅こそ違うが組織を作り研修会を開くなどして具体的な動きが出ている。
事務局の各部や委員会の役職には今まで任期がなく、マンネリ化の傾向が出てきたため、これにつき審議した。今まで事務局のもとにあった各部が廃止され、各種の活動グループは「委員会等」として事務局と並んで本部のもとにおかれることになる。これを機会に役職の任期を次のようにした。「委員会等の責任者の任期は、1期を3年とし、連続の選任は2期までとする。他の委員の任期についてはそれぞれ独自の内規を定める。」

事務局

【難民定住推進部】小教区など、定住が実際に行われている所が主体的に活動する現場主義を基本路線としている。この動きを側面から支援する役割を持ち、小教区担当者連絡会の開催、定住にゅうすの発行、定住基金の運営などを当面の仕事としている。
連絡会は7月2日と11月26日に開催、約20の小教区から30人が出席し、現状についての相互の情報交換、これからの活動の進め方について討議した。とくに情報ネットワークとして、連絡態勢の強化をはかることとした。
また難民定住推進にゅうすは第5号まで発刊され、難民の意見や日本人の疑問点などについての特集を組んでいる。同時に発行される「基金だより」では小教区の活動を載せている。これらはいずれも、教区内の各教会や修道会などに配布されている。「難民定住基金」は発足後3年目を迎え、教会・修道会・学校・個人などから多くの献金があり、助成に役立っている。

【教学部】▽使徒職研修コース-今年は第14回目。生涯養成の一端を引き受けるコースとして6グループで行った。
第1=火曜日、昼間。喜多見教会。参加者は13~14名。
第2=火曜日、昼間。葛飾教会。参加者は14~15名。第2期になり人数が増える。1テーマ3週間。第1回は問題提起後、小グループで話し合う。第2回目は講師のまとまった話と質疑応答。第3回目は補助的な話と将来へ向けての話し合い。目的は参加者で小グループができ、それを核として福音的な小集団が育つこと。
第3=休会。
第4=火曜日、夜。吉祥寺教会。参加者は15名。教会が共同体となるような研修。問題提起の後で話し合う。参加者は大へん熱心になってきたが、半数は前年度からの継続者。
第5=第3火曜日、夜。洗足教会。参加者は8名。
第6=木曜日、夜のミサ後20時~21時半。参加者は少なく8名。終りがおそくなるのがネックだが、いま残っている参加者は万難を排して来る。
第7=月1回、土日一泊。黙想の家。申込者は20人だが、参加者は平均10名。20代から60代までバランスよく出てきている。1日目はインプットとミサで終る。第2日目は聖書の分かち合いと祈り。時に参加者の希望で祈りの時間が多くなることもある。6つのグループそれぞれに特徴があり多様性を感じさせるが、生涯養成の働きを具現しつつあると思っている。
この研修コースは、昨年末に教区の生涯養成プロジェクトチームがまとめた小冊子「現代社会・生活に結びつくような信仰理解への手引」の線を進んできたと確信し、今後も奉仕する。

大好評!広報講演会

▽教会学校部-本来この部は任命ではなく自由意志による団体であるが、使命と責任のために教学部の中に入っている。しかし部員の確保や充実の問題、青少年の信仰教育などに対してより豊かな実りを求めるためには限界があるのかも知れない。
教学部が広い視野からすべての組織を見直し、信徒や司祭が協力し易い場として、福音宣教の使命を果せる環境づくりにとり組まれるよう期待している。
定期的な活動としては(1)リーダーの研修会(2)スタッフの研修会(3)「教えの手帖」発行(4)月例集会など。協力活動では、信仰教育委員会への委員派遣と業務分担、プロテスタント教会学校との交流がある。
▽イエズス探求会-春秋に2回開かれる会も20回を数え、最終回は十周年の総括的例会として締めくくった。去年の第21、22回は気持も新たに再出発のつもりで行われた。2泊3日の研修会となると、勤めなどで忙しい男性にとっては、足もおのづから出しぶるようである。しかし毎回24、5人の参加が得られることは、世話役のスタッフにとっては何よりの喜びである。
22回目の会は、ナイスの1つの柱である「生涯養成」をすすめる形で、テーマを「イエズスの共同体」とした。我われが信仰を活性化し、福音の証し人になることは、生涯をかけて行うべきものであり、立場、性別、年令を越えてキリストにおける兄弟姉妹の中でこそ養成されるという認識からである。
テーマも(1)その根本原理となるもの(2)我われ教会共同体の現実のすがた(3)イエズスの共同体に近づくための実践と希望という3つですすめた。まず聖霊の導きを祈り、各自が与えられた聖書の箇所を生活と勤めに合わせてゆっくり黙想し、ついで頂いた恵みの分かち合いに入る。
わずか2泊3日であるが、いわゆる同じ釜の飯を食い、ともに祈り、話し合いにもわりと時間をとることができたので手ごたえを感じた。苦労や悩みを抱えながらもイエズスを探し、その招きに応えようとする兄弟達を通して、一人ひとりがキリストとの新たな出合いの恵みを得たと思う。

【福祉部】昨年には1つの大きな変化があった。ナイス諸提案の具体化を目指して、大司教から委嘱された素案作り実行委員会が討議をかさねているあいだに、福祉部との統一合体の方向が打ち出された。福祉部員賛同のもとに即刻実現され、スタッフの数も倍増された。したがって両方の会合数も合わせて17回になり、素案作りにも熱意がこめられてきた。
この素案の特長の1つは、すでに何年も前から福祉部の活動推進小委によって実施されている、ブロック毎のボランティア講座などの既成事実をふまえて作られていることである。つまり福祉部を構成する地域福祉活動推進小委員会と障害者問題小委員会の強力な企画と活動は、これからのビジョンに対する実際的な地ならしになってきた。
このほか窓口設置小委、福祉事業体連絡小委、高齢者問題小委などが考えられ、少しづつ準備されてきているが今後の課題である。
▽障害者問題小委員会-障害者と健常者が協力して行う「ふれ愛旅行」は、内外から国際化が叫ばれている折から思い切って海外に足をのばした。「アジアの人びとと友達になろう」のキャッチフレーズのもと、障害者11名を含む34名は、8月6日から11日までをタイ国で過した。
現地でのおもな行動は、障害者との交流や施設の訪問をはじめ、全国社会福祉協議会で行われた日・タイ障害者事情の意見交換会など。観光も1日たっぷりととり、貴重な体験をして帰った。
この度の企画は、タイの事情にくわしい穂坂由喜男氏(国立職業リハビリテーションセンター次長)と、国連のアジア太平洋障害者問題担当としてタイで働いていた岡由起子さん両信徒の協力があって実現した。
まさに時宣を得たもので、これからもチャンスと持てる能力をフルに使っていきたい。両国の文化交流パーティでは、ケン玉、羽つき、竹とんぼなどいっしょになって心なごむ一時を持ったのもよい思い出となった。
▽地域福祉活動推進小委員会-年間の基本方針を「地域に開かれた教会・思い切った転換の必要性」とし、このテーマにそって各地で交流会や福祉講座を開いた。交流会は情報交換を目的としたもので、小岩(2月)、立川(4月)、洗足(7月)の3教会で行われた。講座は清瀬(5月)、西千葉(6月)の2回。地域に根ざした福祉活動を考える内容で、週1度の1ヵ月間、同じ形式で開いた。いずれも委員や参加者の協力により盛会で、福祉に関心あるなしにかかわらず、それぞれが信仰と福祉の結びつきの重要さを感じとった。
8月には各ブロックの連絡委員を中心に、三好満神父の指導で「信仰・活動・愛の関係」をテーマとする一泊研修会を開催した。10月17日には「福祉の集い」を開いた。参加者はミサで連帯感を強め、森一弘司教の講話によっては深く考えさせられた。また持ちよりの交換バザーを開くなどし、小教区での活動の様子を互いに見聞きすることができた。これらの活動報告や講話の要約などをまとめた小冊子「小委だより」を作り、教会や個人に配っている。

【召命部】▽東京教区一粒会-教区から神学院への入学者は皆無となり、神学生は総員が8人という状況で、一粒会の活動も好むと好まざるとにかかわらず一つの転換期を迎えた。
運営委員会でも今までの祈りと献金に加え、召命についてどのようにかかわってゆけばよいのか模索を続けてきた。しかし今年になり、神学院への入学希望者が教区から3人あったことを有難く思っている。
活動としては、各ブロックで地域に則して運動するよう、小教区の担当者が案をねり「一粒会の集い」を開いた。この集まりは一般信徒も交えて行われ、司祭・修道者・神学生の協力も目立った。内容は(1)講話(2)それぞれの召命(3)神学院の新しい教育のありかたとその背景(4)神学生の生活など。
「一粒会の集い」は秋に行われ、春には例年どおり総会をひらいて、色いろな報告や意見を聞くことができた。小教区の担当者は、召命の畑とも言える場にあって、何をするかを考えなければいけない。

【広報部】▽広報委員会-例会は奇数月の第1金曜日。4月9日、「カトリック広報の日」にちなみ東京カテドラルで「第15回広報の日の集い」をひらいた。目的は宣教ということで毎とし特別講演会を実施しているが、今回は有名人の第2弾といったところで、アグネス・チャンさんを招き「みんな地球に生きる人・国際人とは」と題する話を聞いた。美しい歌もまじえて熱のこもった約2時間の講演は聴衆を完全に魅了した。
広報委員会はあらかじめ同氏の了解を得てこれをカセットテープにとり、老人施設や教会、各種団体に無料で配布する企画をした。これがまた大好評で全国から申し込みが殺到、数に限りがあるため入手できる者を抽選で決めた。後日ほとんどの人から大へん感動したとの手紙が寄せられた。(詳細4面に)
11月5日、カトリックセンターで「第10回小教区報担当者の集い」を開いた。「宣教のための小教区報の役割」がテーマで、中央協事務局次長・神林宏和神父を招き(1)小教区報は社内報か広報紙か(2)小教区民の期待はどこにあるのか(3)編集者は何に焦点を-などで話を聞いた。
9月26日~28日、福岡で「各教区での具体的広報活動へのヒント」と題する高島哲夫氏(博報堂PRプラナー)の講演を基調に、教区広報担当者全国会議が開かれ、代表者が参加した。

国費使用で反対署名

【社会部】▽靖国問題実行委員会-活動はNCC靖国神社問題特別委、正平協靖国問題委、靖国神社問題連絡会議などと連携して行っている。
なんといっても「大嘗祭を国の行事にし、国費を使用することに反対する署名」運動がおもなもの。さきに日本カトリック司教協議会常任司教委員会は、天皇の即位の儀式における政教分離に関する要望書を総理大臣に提出した。日本カトリック正義と平和協議会は、この趣旨に基づき同常任司教委員会の賛同のもとにエキュメニカルな運動として、日本キリスト教協議会大嘗祭問題署名運動センターと協力して署名運動をすることになった。
その窓口は正義と平和協議会ということになっているが、東京教区ではタイミングも考えて靖国問題実行委員会が推進機関となり、宣教司牧評議会を通してブロックに流したり、月例集会で司祭に直接訴えたりして小教区に徹底させた。
その他(1)天皇・大喪・政教分離を考える市民集会(2)靖国国営化阻止、建国記念の日粉砕「第23回2・11東京集会」(3)靖国国営化阻止「第16回8・15東京集会」(4)「即位礼、大嘗祭を問う11・23集会」(5)NCC大嘗祭問題署名運動センター設立準備会などに参加した。
▽平和旬間実行委員会-昭和天皇の逝去に端を発し、天皇の戦争責任や天皇制についての賛否をめぐってカトリック新聞に多くの意見がよせられた。これらをまとめ、このことについて考える資料として「平和を祈る」と題する印刷物をつくった。
8月12日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で恒例の平和祈願祭を行った。白柳誠一大司教の主司式による共同ミサが中心で、約600人が参加した。今年も城北、武蔵野、城南の各ブロックの平和祈願行進がおこなわれ、祈願祭を外からも盛り上げた。あんどん作り担当の矢作健之助氏が12月帰天。冥福を祈りたい。
▽ミャンマー委員会-ミャンマーといってもまだピンと来ない人がいるかも知れない。昨年の6月下旬、ビルマのソウ・マウン政権は国名をミャンマーとすることを全世界に宣言した。余りにも突然なことなので、改名の目的や意図をあれこれとあたってみたが、はっきりしたところはいまもって不明である。しかし国連を初め各国もその宣言を認め、順次ミャンマーを正式国名としていった。教区もこれまでのアジア地区(=ビルマ)委員会からミャンマー委員会に変更した。
この1年は、11月19日の「ミャンマー・デー」を中心に、ミャンマーの教会への援助を呼びかける活動に終始した。特に神学生の生活に少しでも役に立ちたいという意向で小冊子をつくり、ミャンマー・デーに間に合わせて各小教区に配布、祈りと募金を依頼した。昨年に引きつづき、ミャンマーの政情は目を離せない状況である。今年の5月に予定されている総選挙もどのような形で実施されてゆくのか気になる。新聞の記事にミャンマーの息づかいを感じる。

【教会財務連絡会】会合を3月、9月、12月と3回ひらいたが、3月には88年度の決算について説明、また消費税への対応を協議した。9月では「これからの教会財務」と題して森司教の講話と、資産運用相互協力制度の決算報告があった。12月には90年度の予算について概略の説明と、税務署の調べをうけた初台教会の報告があった。なおパンフレット「教会の経済をご存じですか」の改訂版が発行、配布された。

財政評

年間を通し7回の会合をひらいた。昨年から継続協議をかさねてきた江東区潮見・蟻の会跡は整地もおわり、次の段階に進める用意ができた。浅草教会隣接地の再開発も順調に進行中である。柏教会の移転は、具体的な計画が承認されて実行のステップに入った。

本郷、築地についてはまだ検討中である。資産運用相互協力制度の決算利息は、金利水準の低迷の影響をうけて、4.83%と最低になった。

教区の司祭になるには

東京教区の司祭になりたいと思う人は、まず所属する小教区の司祭か親しくしている司祭に相談すること。相談をうけた司祭は、司教・養成担当司祭に連絡をとる。そして、教区は、その人にもっともふさわしい指導をした後、東京カトリック神学院へ推薦する。はじめ1年間、全ての養成の基礎となる養成をうける。その後、知的・霊的・使徒的養成をうけ、将来の司祭職のために準備をしてゆく。

各委員会担当司祭

【ナイス事務局】稲川保明 古賀正典 塚本伊和男 泉富士男
【教会学校委員会】田中隆弘 立花昌和 江部純一
【使徒職研修コース】杉田稔 川原謙三 小沢茂
【典礼委員会】佐久間彪 関根英雄 幸田和生
【儀式係】関戸順一 金井久 稲川保明 山本量太郎
【神学生志願者担当係】酒井俊雄 古川正弘 幸田和生 辻茂
【一粒会運営委員会】内山賢次郎 市川喜男
【靖国問題実行委員会】青木静男 国枝夏夫
【ミャンマー委員会】小宇佐敬二
【国際司牧委員会】西川哲弥 山根克則 山口正美 M・カンガス
【福祉委員会】三好満 塚本伊和男 加藤英雄
【平和旬間実行委員会】杉田栄次郎 金井久 市川裕
【障害者問題小委員会】佐藤敦俊 福島健一
【聴覚障害者の会】木村公治 坂倉恵二
【広報委員会】泉富士男 吉池好高 深水正勝
【難民定住推進委員会】寺西英夫 坂倉恵二 粕谷甲一
【移動信徒連絡事務係】小林祥二 岩子龍男
【青少年委員会】岸忠雄 晴佐久昌英 秋保真理夫 O・シェガレ 高木賢一 小林祥二
【神学生養成担当係】岸忠雄 大倉一美 門馬邦男 岡田武夫 幸田和生 稲川保明
【アルコール対策委員会】吉田善吾 藤岡和滋
【エクメニズム委員会】小林敬三 吉川敦
【正義と平和協議会設立準備委員会】大倉一美 岡田武夫 大原猛
【イエズス探究会】山根克則 加藤英雄

教区本部規約

【本部】
1、教会法第469条に準じ、東京大司教区に教区本部をおく。
教区本部長は大司教とする。
【事務局・委員会等】
2、教区本部に教区本部事務局(以下、事務局と称する)および委員会等の各種の活動グループ(以下、委員会等と称する)をおく。
委員会等の新設・廃止は教区本部長が行う。
3、事務局に事務局長および事務局次長を、また委員会等にそれぞれの責任者をおく。
それらの任免は教区本部長が行う。
4、委員会等の委員の選任・交代は、原則として、委員会等において自主的に行うことができる。
ただし、司祭の委員の選任・交代は教区本部長が行う。
5、委員会等の責任者の任期は1期を3年とし、連続の選任は2期までとする。他の委員の任期については、それぞれ独自の内規を定める。
6、事務局および委員会等は、その運営に必要な事項を、それぞれの運営内規に定める。
7、事務局長および委員会等の責任者は、運営内規および委員名簿を教区本部長に提出する。
運営内規および委員名簿に変更があった場合も同様とする。
8、事務局長および委員会等の責任者は、事務局および担当する委員会等の活動の概要を、定期的に教区本部長に報告する。
9、事務局長および委員会等の責任者は、事務局長を通じて教区本部長に、事務局および担当する委員会等の予算を請求し、決算の報告を行う。
【その他】
10、この規約は、’90年4月から実施する。

教区総会規約(’85年11月1日制定)

【開催】
1、東京大司教区において、教区総会を開催する。
【目的】
2、総会は、本教区民が、それぞれの立場において、より積極的に福音の宣教に努めるため、大司教を中心に会して互いに啓発し、本教区全体に対する認識を深め、本教区の宣教司牧の基本理念・活動方針等への理解を高めることを目的とする。なお、合わせて本教区の予算・決算の報告を受けることとする。
【招集・主宰】
3、総会は、原則として年1回、大司教がこれを招集し、主宰する。
【出席者】
4、総会の出席者は、総会が招集される都度、本教区民の中から大司教が任命する。(以下略)

協力の方向さがして 教区総会シンポジウム

パネラー
1、J・ワレ パリー外国宣教会管区長
2、岡田武夫 宣教研究所所長(東京教区司祭)
3、古川正弘 立川・豊田教会共同司牧主任司祭
4、R・ケルン コロンバン宣教会所属(茂原教会主任)
5、鈴木隆 荻窪教会所属(社会総合研究所所長)
6、中西由起子 八王子教会所属(障害者問題のコンサルタント)
○司会者 国富佳夫(関口)

意識・人材・場所
【司会】パネラーに自由に発言してもらい、発題者としばらく意見を交わしたい。今日の集まりの目的は結論を出すことではなく、協力とはどういうものであるかを知るところにある。パネラーは、参加者を代表し、しかも発題者の話を補うようなつもりで発言を願いたい。
午前の話をまとめると、1つ目は意識、2つ目には人材、3つ目に場所の問題があるように思われる。全体の流れの中でこの3点をおさえておきたい。岡田神父からどうぞ。
【岡田】中谷神父の話だが、小教区に落着けず結果的にこぼれてしまう信者がいる。そんな人のことを思うと、協力をどういう視点で考えてゆくかが問題となる。小宇佐神父は、協力するためにはそれぞれの個が確立されていなければならないと言ったが、なるほどと思った。協力とは支配することでも従属することでもないわけで、対等に力を出し合うことだと思う。また協力には何のためにという展望も必要である。
共通の目標とそれに向けて何が出来るかを探すためには、心を開かねばならない。しかし人にはそれぞれの持場がある。そこにとどまりながらしかもいっしょにやるというからには必ず何らかの犠牲をともなう。協力にはそれなりの覚悟が必要だ。
【古川】中谷神父が言っていたが言葉の限界ということだ。言葉は出来ごとと深くつながっている。この2つが切り離されたときにはとんでもないことがおこるだろう。自分は己れの現場を知っているが、それ以外のところについてはいかに知らないことか。知ったとしてもそれにかかわれないときは、自分にもになわされた場で解決しなければならない問題があるのだからというような自己防衛をしてしまう。
協力をめぐっては、自分がになっている部分と、自分がかかわっている全体という関係になると思う。自分が置かれた場の問題をふかく追求しようとすると、組織化された社会では全体とのつながりの中でしか解決できない。
言葉のパズルで遊んでいるようなところのある私たち神父にとって、現場がどうなっているのかというはなしはありがたかった。ただそれにどうやって取り組んでゆくかでは、先に出たビジョンというものが必要である。しかもそれは演繹的のものではなく、足でかせいだ情報にもとづく帰納的なものでなければならない。
【鈴木】矢島氏が言っていたように、気づくと気づかないの意識の差が問題である。気づくことはもちろん大切だが、気づくと倣慢になって気づかない方が楽に協力できることもある。気づく気づかないのちがいによって、なごやかな雰囲気であった集団が真二つに分かれてしまうことがある。
気づいた人たちと気づかない人たちとの間にどういう流れがあって、皆んなが気づくようになっていったかを学ぶことが大切だ。協力ということで小宇佐神父は集団のエゴイズムについてふれたが、我われの教会は集団でも組織でもなく共同体であると思う。
しかもそれによって自分たちが豊かになったすべてのものを棄てて、他のために使うというきわめて特殊な共同体だ。たくわえたものをたこつぼ式に囲ってしまわないで、すべて他のためにということが協力の原則である。協力の最終的な目標は、このミッションということにあると思う。
【ケルン】いちばん必要な協力とは、人の痛むところにともにいていっしょにすごすことだと思う。しかし協力したことによってかえって誤解され、苦い経験をしたためにもう協力したくないという気持になる人も多いと聞く。私は茂原教会の主任だが、きょう私の話をきくために遠い茂原からわざわざやって来たたくさんの信者がいる。こういう協力も大切だ。

まず個の確立を!
【中西】気になったのはやはり人材の不足という話である。結局は前田氏が言ったように皆んな用心深すぎるとか、小宇佐神父が指摘した危険をひきうける覚悟がないということに由来しているのだと思う。こういう状態をどうしていったらいいのであろうか。
例えば今日の総会の有様を見よ。テーマをかかげたボードもなければ発題者やパネラーの机には名前を書いた紙も下っていない。報告する人も言葉で話すだけでなく、スライドなど視聴覚に訴える工夫がほしかったと思う。要するにいかにして総会のムードを盛り上げようとするかの演出が足りない。少しぐらいの犠牲をはらっても、人を大切にするという姿勢をまず教会が示すべきである。
個々の力を引き出すのが上の側からの尽力だとすれば、一般信徒は他者の中に自分の存在を知ってもらう努力をしなければいけない。相談窓口のようなものがあるのだから、自分の問題を話したほうがよい。協力し合おうと思ったならばたこつぼの中にいるのではなくて、自分というものがここにいるというような、小さな叫びでもかまわないからあげることが必要だ。
【ワレ】発題者6人に共通している点は、自分が属している共同体の弱さや小ささを正直に述べたことで、大へん印象に残った。失敗があるからこそ協力が要求されるのであって、弱さや小ささがなければ協力は意味がない。我われは教区の色いろの共同体の中に様ざまな惨めさがあることを確認した。この頃の社会現象を分析して見ると、それがそのまま教会にはいり込んでいることがわかる。ドーナツ現象、なわばり現象、分裂現象がそれである。
都市の過疎化は深刻で、区内の一部はもう空っぽになってしまった。しかし教会は郊外にはすくない。なわばり意識には多言を要さない。どんな小さな施設でも自分のものだからといって死守するのはみぐるしい。特に問題なのは分裂現象だ。日本の教会は小さいが、小さければ小さいほど分裂しやすい。このことについて発題者は誰もふれなかったが、この点ではやっぱり本音で話さなかったということになろうか。
【司会】6人のパネラーの話が出おわったところで、しばらく意見の交換をして頂きたい。先ほど中西氏が人材の問題について、教会は個々の力を引き出す努力をしていないのではないかといわれたが、そのあたり信徒の側から氏家氏にひとこと。
【氏家】私たちが人の力を引き出そうとする場合、努力する前に敬遠してしまうということがあるのではないか。仲間意識が最優先されることが大きな欠点である。人材を得るためにはやはり多くの人を知らなければならない。少しぐらいニュアンスの違ったものでもそれをのりこえる力が必要だ。財政上からいえば人材を小教区にしばりつけておきたくもなる。維持費も払わず勝手に活動してもらっては困るということもある。
【司会】福祉の立場から前田氏どうぞ。
【前田】教会の中ではグループ意識というものがかなり強く、それが発展をさまたげているのだと思う。話し合いが充分にできていないのではないか。自分の意見もいえない、人の意見も聞けないというあたりは大欠点である。
【司会】矢島氏もさきほど人材のことにふれていたが。
【矢島】見つけた人材を小教区にしばりつけておきたいというのは本音だと思う。しかし左手で人材を発掘したら右手でそとへ送り出すという心がまえがないと、教会をよけい閉鎖的なものにしてしまうのではないか。

タコ壺からも出よ
【司会】現場がどうなっているか、教会が人の力を引き出す努力をしていないのでは-ということで小宇佐神父に発言を。
【小宇佐】人材の材をどう見るかということだ。人間は人材ではなくて人格であり、人材が不足しているというのは、かかわっている人たちが少ないという現実を言っているのではないだろうか。人材の発掘をしているかどうかということは、教会の中に生き生きとした人たちが通って来ているかどうかということだ。組織を運営しようとか何か新しいことを始めて行こうとかいう時には、どちらかといえば人格ではなく力を求める。
【司会】中西氏、初めの発言に補うところがあったらどうぞ。
【中西】生き生きした人たちが教会に通うのが個々の人材が生かされることになるというが、生き生きしたとはどういう人をいうのか。私は自己開発ができている人のことだと思う。結局は意識の問題にゆく。いわゆる気づくか気づかないかということだ。人によって感性は違うかも知れないが何ごとでも現場に身を置き、経験したかどうかが気づくと気づかないとの差に結びつくのではないか。
【岡田】人材と人材が集まれば協力できるというものでもないだろう。人材ではなくてやっぱり人間の問題だと思う。能力があればよいかというとむしろ能力ある者同士の方が難しい。
我われの言う協力とはいったい何なのか。教会には人間関係が旨くゆかない人、貧しい人、惨めな人がいっぱいいる。ただ能率的な会社みたいな組織を作ろうというだけなら、これら能力のない人はもう協力とは関係なくなってしまう。
【司会】中谷神父、古川神父なにか補足を。
【中谷】企業の論理が教会の中にすっぽりはいってしまっているというが、人材を小教区にしばりつけておこうという発想はまさにそれだと思う。もう1つは小教区自体のことだが、土地をもとにしたものと人をもとにしたものとがある。日本では後者をもっと育てていい。
【古川】教会は人材を生かしていないというがそもそも教会とは何なのか。話し手と聞き手ではイメージがちがうかも知れない。さきほど教会は集団か、組織か、共同体かという話が出たが、私自身はキリストに従う者の総称という意味で共同体ではないかと考えている。
我われは、精神的な意味でいわれている共同体としての教会と組織としての教会のはざまに生きているのだと思う。教会とは我われが力を養う場であるはずだが精神条項だけがいつも先行し、元気づくどころか皆んながイライラしてしまう。それが今の教会のような気がする。
【司会】参加者の皆さんからもっと意見を伺いたかったが。

みんな地球に生きるひと -国際人とは- アグネス・チャン

教区広報委員会により、カテドラルで開かれたアグネス・チャンさんの特別講演「みんな地球に生きる人-国際人とは」のカセットテープ申し込みは、全国から約300件あった。現定数より多かったので抽選にした。

しかし、くじにもれた人は当った所から借りたり、ダビングを申し込んだりして、特に目の不自由な人や老人ホームの人たちに配りたいと思っていた広報委員会の望みはかなえられた。

120分テープに収められたこの講演は、貧しい家庭での生いたち、少女時代にボランティア活動の尊さに目覚めたこと、日本でのアイドル歌手時代、飢餓に苦しむアフリカを訪問したときの衝撃などが心をゆさぶるように語られている。

テープを聞いたたくさんの人たちから感想がよせられた。それは、感動した!の一言につきる。なかには「受験勉強にあけくれて自分のことばかりしか考えなかった私が空しく思えた」という高校生、自殺しようかと考えていたが生きる希望が出たと語る病人など。とても寄稿されたものすべてを載せるわけにはいかないので、いくつかを選んで紹介して見た。

(教区広報委員会)
イエスの教えを話題にといつも願っています。「これもナイス」と思ったことを1つ書きましょう。いつも借りて読んでいるカトリック新聞にこんな記事がありました。アグネス・チャンさん「広報の日」講演がテープに-、目の不自由なかたなどに無料で。これこれ!と思ってよんでいましたら、申し込みしめ切りは8月15日とありました。時はもうとっくにすぎておりましたが、仲間たちもきっと喜んでくれると思って、せめてテープの代金を同封してお願いのお手紙を出しましたら、東京大司教館の青木静男神父さまから折りかえし封書のお便りが届き「テープは差し上げます。心配しないで下さい。お金はいりません。病者の布教会のお仲間の目の不自由の人たちに楽しみにしているようにおつたえ下さい」とありました。うれしくてそのテープの到着を待っています。ダビングして信者でない友達にも送って上げられます。神父さま方は、ご自分のお仕事が人びとの役に立つことをどんなに喜んでいて下さるか、このお手紙でもそのお心が伝ってきました。わたしたちは神父さま方のお働きに力を添えるようにして、福音宣教にはげみたいと思います。
(高知・恒光武子)
本日は思いがけず、アグネスさんのテープお送り頂き有り難うございました。日ごろくじ運の悪い私ですがあきらめて居りましたところ神様のお恵みのようでした。レジオ・マリエの訪問や婦人会などに利用させて頂きたいと思って居ります。当教会のレジオでは10人の会員が、障害者の方、ホームに入居の老人、目の不自由の方など毎週お仕事をさせて頂いて居りますので、どんなにか皆様によろこんで頂けることでしょう。有り難うございました。神に感謝。
(神奈川・鷹見梅子)
御礼のお葉書がこんなに遅くなってしまって申し訳ございません。アグネス・チャンさんのテープをお送り頂いて大へん有り難うございました。抽選に当たってとび上るほど嬉しいでした。さっそく聞かせていただきました。病気の人や、施設の人にも回して聞いております。世界の人びとに心が開かれ、祈るようになりました。連帯感を強くしています。讃美と感謝のうちに。
(東京・林房子)
先日はテープをお送り下さいまして有り難うございました。早速個人や教会の信者等や、知人を通して地区の人々のために利用させて頂きます。お礼の手紙がおくれてすみません。皆様の上に、神の豊かな御祝福をお祈り致します。
(長崎・川口康頼)
コノタビ チューセンニ エランデ イタダキ ステキナ アグネス・チャン サンノ テープヲ オオクリイタダイテ ココロカラ カンシャシテ オリマス ホントーニ アリガトー ゴザイマシタ ココロノ ササエニシテ カミノミチヲ アユミガ オソクテモ アルイテ イキマス コンゴモ コノゴエンデ ミナサマノ ゴカツヤクヲ マリアサマニ イノリ ワタシモ マッサージギョーニ イソシンデ イキマス ミナサマノコトヲ ロザリオ サセテ イタダキマス
(岩手・イシクラサチコ)
この度はアグネス・チャンのカセットテープをお送り下さいまして誠にありがとうございました。大いに活用させて頂きます。感謝をこめて。
(北海道・高本美津子)
「広報の日」の特別講演のテープをお送り頂き、まことに有り難うございました。アグネス・チャン様のお話は、全くすばらしい内容でございます。早速、療友の方に回し、感激しております。一人でも多くの方達に聞いて頂きたいと存じます。幸い私共はテープを頂くことができ感謝致しております。日原さんも「すばらしい」の連発でテープを皆さんに渡しております。早くお礼申し上ぐべきところ、おくれましたことお詫び申し上げます。有り難うございました。
(東京・日原 一)
このたびは広報の日のテープをご恵送いただき、まことに有り難うございました。たくさんの利用者で且つ盲人がたのためもとのテープを痛めてはとおもい、ダビングさせて頂き、さっそくに発送いたしました。
(神奈川・荒木礼子)
この度はアグネス・チャンさんのテープを有り難うございました。抽選と聞きましたので半ばあきらめていましたので嬉しかったです。おかげ様で、未信者の母(88)と2人で聞くことができました。日頃テレビなどで知っている人ということで母も聞く気になったようです。何かを感じたようでした。このテープは目の不自由な知人に送ります。話してみましたらとてもよろこんでいました。みなさんに回して順々に聞いていただこうとおもっております。アグネス・チャンさんのように多くの人びとが神さまとの出合いを感じとることができるよう、このテーマが役立つことを祈って。
(千葉・石塚節子)

教区創立100周年へ

東京教区は来年、創立100周年を迎える。この100周年を、単なる祭りとして形式的に祝うのではなく、この100年を振り返り、教区の土台をつくり、豊かな信仰の遺産を伝え、キリストを知る喜びを与えてくれた歴史を確かめながら、神とすべての人びとに深い感謝を表すと同時に、明日に向かっての責任ある歩みを進めるための1つのきっかけにしたいという。

記念行事の日程は、9月22日(日)~29日(日)。内容は、信徒・司祭・修道者からなる企画実行委員会で。

典礼を考える

教会の祈りや聖歌は美しくて尊い言葉であるが、内容にふさわしく心が表現されていないようである。はじめて日曜日のミサに参加した一青年の感想であった。このことは、教会にとってミサについて考え反省する大きな契機となった。

司教団が、「人の心に訴えるような典礼を生み出す」と宣言したのには、深い背景があると思う。典礼は、まず捧げる人、祈る人、歌う人の信仰の表現である。特に、主日のミサは、司式者、先唱者、朗読者、会衆、奉仕者がともに捧げる表現である。十分に心をこめて典礼の行為をしているだろうか。信仰をこめて行うことから、人の心に訴える典礼が生み出されるのではないだろうか。こうした地味な実践があって、よりよい「定式文」も生まれる。

教会委員会の主な任務が主日のミサの準備の場となることが待たれる時代である。

また、教会の伝統と秩序のなかで、自由な表現が求められている点は、十分に活用するほうがよいだろう。地域の実情に適応できる事がらもある。いま最も大切なことは、典礼の上辺で評価せず、捧げる心をかえりみる時であるということではないだろうか。(担当・関根英雄)