東京教区ニュース第65号

1987年11月01日

千鳥ヶ淵戦没者墓苑とは?

この墓苑には、主として太平洋戦争でなくなった軍人、軍属ら220万の戦没者の遺骨のうち、政府等が外地から持ち帰り、遺族に渡すことのできなかった約32万8千体(現在)を納めてあり、全戦没者を象徴するものである。わが国の「無名戦士の墓」と称してよい。

万霊へ祈願祭
身にしむ平和の灯 若人も素朴な絵筆も一役

教区は8月8日(土)、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、平和旬間の主な行事として、第14回平和祈願祭を開いた。今年も主司式は白柳大司教が行い、共同司式司祭は森司教ほか19名、参加者は600人を超えた。ここ2、3年、参列者の数は横ばいだが、年齢層は大幅に広がり、若者の数も増えている。入口の壁には、吉祥寺教会「平和の絵を描く集い」の作品30点も展示された。祈願祭は、司教団が定めた平和旬間の中に位置づけられたせいもあり、教区規模の行事としてすっかり定着した。昨年、吉祥寺教会の有志によって初めて試みられた平和祈願行進は、今年も武蔵野ブロックが中心となり、「平和祈願行進をやろう会」が主催して行われ、130人が参加した。なお平和旬間実行委は、これより先の6月11日(木)、麹町教会にアグネス・チャンを招き、真和会と共催で「平和について」と題する講演会を開いた。 (4面に関係記事)

平和祈願祭も長年参画していると、会場をさっと見わたしただけでその年の出来がわかる。今年も心と力に溢れていた。人数!年齢層!若者!……。年によっては30人そこそこしか集まらず、目的、場所、時期などに疑問を持つ声も出はじめ、再検討を迫られた一頃を思うと隔世の感がある。再び迫りくるキナ臭さを本能的に感ずるのだろうか、祈りも説教も心からほどばしり、真に平和を恋うた。

式次第は配られたパンフレットに従って例年通り。進行係は平和旬間実行委の渡部真(上野毛)。第1部・ミサ「平和を願って」は、白柳大司教を主司式者とし、森司教ほか19人の司祭団の共同司式で行われた。同大司教は説教で「平和への努力は加害者の立場でものを見、過去の反省とざんげの上に出発しなければならない」と述べた。

聖書の朗読もおなじく平和旬間実行委で、旧約書を小林又三郎(徳田)、使徒書を木邨健三(目黒)が担当した。共同祈願は、教区各ブロックからの代表【中央】上島良一(神田)【城東】大塚明(松戸)【城西】佐藤武彦(三軒茶屋)【城南】山口一雄(大森)【城北】木村宏(北町)【武蔵野】稲留敦子(吉祥寺)の6人によって捧げられた。聖歌は今年もまた指揮(岩子昭)、オルガン(坪川裕子)とともに麹町教会聖歌隊有志が先唱。「神の名はあまねく」などパンフレットの歌詩と楽譜に従って皆んなで歌った。

奉納の歌の間に献金。受付で渡された袋にあらかじめ用意したもので、この平和祈願祭をはじめ、平和旬間行事の諸費用にあてられるもの。例年だとこの頃に祭壇の火から手元のローソクに火がつけられるのだが、今回は風が少し強く、火を気にしながらミサに与ったのでは落着かない-という配慮から、点火は閉祭まで持ち越された。しかしそのため、六角堂の両柱に掲げられた十字印の提灯の光がかえって闇にくっきり。聖体拝領では混雑をさけるため、聖体を授ける司祭が参列者の後方の一群まで出向いた。

あんどんも一役
献花の今年の当番は城西ブロックで、志立剛(三軒茶屋)、佐藤悦子(同)および萩野友紀(赤堤)、Sr里見和代(聖心侍女修道会)の2組が、参列者を代表し墓前に花を捧げた。

つづいて光の行列。手にしたあんどんに火がはいる。足もとの溝や段差に注意して、司祭団を先頭に六角堂の一番外側を4列でゆっくり回る。あんどんには「平和」の2文字がくっきり映し出されていた。藤井泰定神父(浅草主任)の筆になるという。遠くの闇にゆれるローソクの光は戦没者の魂のよう。

行列を終えて一同が席に戻ると、例年の通り教皇が来日した折の「平和アピール」の録音から一部を聞き、終りにアシジの聖フランシスコによる「平和の祈り」を唱えた。

帰途につく人の流れの中に、若者の一群があった。上野教会で、ローソクのあんどん作りを手伝った人達だという。個人で参加する青年が増えたこととは別に、仲間で催し物の小道具?を製作することによって、平和への願いと、祈願祭参加の意志がいっそう強まった模範例として、賛えられている。

なお、今年の献金総額は、300,531円だった。

シスターひと言
▽もう10年以上も前、2回ぐらいこの祈願祭にあずかったときは、墓の建物の中だけの人数で悲しい気持ちで帰った思い出がある。再び東京に転勤になり、しばらくぶり出席したが本当に驚いた。参列者一人ひとりが奉仕の精神に満ち、協力し合い、準備も実によく整っていて大きな喜びを感じた。光の行列の時はローソクの明かりで青葉が桜の花のように見えた。老いた私の足も不思議と軽くなり、とぶようにして家路についた。

-野田 園-(シャルトル聖パウロ修道女会)

▽戦争による多くの犠牲者の無言の叫びを肌で感じた。若い人も含め、多くの参加者を迎えたこの平和祈願祭は、キリストの示された本当の平和へ一歩近づくためにも大きな意義があったように思う。典礼のいまひとつの盛り上がりと、互いの交流の場があってもよいのでは……。

-芦川まさ子-(聖ベネディクト女子修道会)

▽初めての参加だったが大へん感激した。戦争犠牲者のために祈っている時には、平和の源である神の恵みが溢れているのを感じた。

-岡田美代子-(聖心侍女修道会)

▽幼児期に東京大空襲の体験があるため、参列者のローソクが六角堂を囲んだ時、多くの犠牲者への思いと平和の灯のあたたかさが心にしみた。この輪がさらに大きくなることを願い、平和を求める行いが毎日の生活の場でできるよう心掛けなければと思った。

-浜端照子-(アシジの聖フランシスコ宣教修道女会)

▽今年も皆んなと共に祈れたことを感謝しているが、このような機会にもっとたくさんの人びとが戦没者の冥福と世界平和を祈るために参加できたらよいと思う。来年は一人でも多く誘いたい。

-浅野智子-(師イエズス修道女会)

▽今年はローソクの輪がつながった-という声が、帰路あちことでささやかれた。参加者が増えた確実のしるしである。教会の中に平和への意識が高まってきたのを嬉しく思うと共に、平和を切実に願わずにはいられないほどそれが脅かされていることを痛感する。今こそキリスト者は心を一つにして平和を求めなければならない。

-内野セツ-(聖パウロ女子修道会)

▽教会の外で行う平和祈願式典は、一つの福音宣教だと思う。印象的だったのは、アジアの人びとに赦しを乞うた-という大司教の話。平和への責任を再確認させられた。

-関口綾子-(聖ヨゼフ布教修道女会)

誤ち認め赦しを!

8月は我われに平和について考え、語らせる時である。教会では数年前より、広島に原爆の落ちた8月6日から、終戦の8月15日までを平和旬間とし、特に平和の恵みを神に願い、平和について考える時と定めた。

我われは8月といえば広島、長崎の原爆を思い出すため、ともすれば被害者意識から物を考え勝ちである。しかしもっと大きな目で歴史を見るならば、我われの国、我われの先輩が世界の秩序や平和を乱したことがあったその責任を、片時も忘れてはならない。そして何ら戦争にかかわらなかった戦後生まれの人も、一つの共同体に属する者として、その痛みを感じなければならない。

昨年、東京でアジアの司教の集まりがあったが、日本のカトリック司教団は、一同を前にして、戦争中の日本の教会が、また日本人としてなすべきことをしなかった過ちを認め、赦しを求めた。教会が謙虚にその責任を認め、神の前、人びとの前で首をたれたことにより、戦後40年経った今でも日本を許すことができないと言っていた人の心を癒すこともできた。

またドイツでは、ミサで或る青年が「先輩のした誤ちはドイツ民族が続く限り、最後の一人まで責任と痛みを感じ、このために一人残らず平和のためにつくす覚悟だ」と公言するのを目のあたりにした。

加害者はその事実を忘れ勝ちだが、被害者は決してそれを忘れることがない。我われの平和への努力は、過去の反省とざんげの上に出発しなければならない。神と隣人に赦しを乞うと共に、二度と誤ちを起さぬよう、平和についてもっと敏感にならなければならない。特に近頃、大へんキナ臭い話が耳に届く。GNP1%という歯止を亡くしてしまった軍事費の増額、指紋押捺による人権の圧迫、或いは国家秘密法の動きなど-、これらのことが、もし平和を脅かす力となるなら、我われは断固とした姿勢を示さなければならない。

戦争は人間の仕業であって、ひとりひとりの心のあり方から始まるように、平和も人の心から始まる。それはキリストが十字架と復活によりかち得た、愛と正義の支配する平和であるが同時に世の終りまで完成しつづける平和でもある。キリストはこの平和をもたらすためには苦しむ人と共にいた。平和への努力に困難が生ずる時、苦しもうとしないで逃げてしまうなら、それは福音を拒むことである。

キリストは十字架によって我々に平和をもたらした-というより、キリスト自身こそ我われの平和である。我われがこの平和に満たされて、我われの住む地上にも、愛と正義の支配する国が実現するように、互いに最善の努力ができるよう、このミサ中とくに恵みを願おう。 (東京大司教・白柳誠一)

ひたすら徒歩で奉献

祈願祭の折、墓苑まで歩くという平和祈願行進は、吉祥寺教会の有志を中心に昨年初めて試みられたものである。その趣旨は「暴力により人間らしい生活を奪われたり、人為や天災によって平和な暮らしが出来ない者が至るところにいたし、今でもいる。彼らに肖り、こういう人びとにこそキリストが真の平和を説いたことを思い、平和祈願祭の折に、約20キロ歩くことによって、痛みと祈りを捧げる」というもの。

主催は「平和祈願行進をやろう会」(及川正神父・吉祥寺主任)で、武蔵野ブロックの協力が大きい。今年は子供や年配者を含む130人が参加して行われた。午前9時半、吉祥寺教会を出発し、途中、高円寺教会で「みことばの祭儀」などを行いながら、午後五時半ごろ墓苑に到着した。講話と祈りの後、疲れをも厭わず会場の設営を手伝い、祈願祭に参加した。

行進中、清涼飲料水の自動販売機の前を通った時は、収容所の中で水も飲めない人、発展途上国で井戸さえも持たない人のことを思って我慢した。蒲焼屋の傍を過ぎた時は、戦時中、食糧不足で苦しんだ人、政治の不備で食物にありつけない、難民などのことを考えて耐えた。

平和祈願行進を、いわゆる教会行事にしようとは考えていない。また「なぜわざわざそんなことをするのか」と問う人には行進はできない。平和の状態にない人びとが世界にはたくさんいる。そういう人に肖り、キリストが彼らの側に立ったことを信じて平和を祈願してみようとする人にだけ行進できる。

「平和巡礼」と赤く染めぬいた130枚のワッペンは、さながら「祈り札」となって炎天下を千鳥ヶ淵に向かった。この輪をもっと広げたい。

思い思いの平和 構図を画用紙に

「平和祈願行進をやろう会」は、祈願祭の折のもう一つの試みとして「子どもたちと平和の絵を描く集い」の作品、約30点を墓苑入口の壁に展示した。

「描く集い」は5月17日、吉祥寺教会ホールで、同教会信徒グループの一つ「平和を考える会」と、「日曜学校父母の会」が共催して開いたもの。これはもともと、「平和を考える会」が、教会の今年度の目標が「平和」ということもあり、それぞれの平和への思いを絵に描くことによって平和への意識を高めよう-ということで企画したものだが、「絵を描く」という行為そのものが大人よりも子どもが頼りのため、「日曜学校父母の会」にも呼びかけた。

作品は初め、平和祈願行進のPRをかねて教会で展示されたが、大きな反響があり、平和祈願祭でも展示したらということで実現の運びとなった。描かれた絵は、ビキニ環礁での水爆実験を描いたアニメ映画、平和問題に取り組んでいる修道女の子ども向けの話、被爆者からの手紙の朗読などで、各自が平和についてのイメージをふくらませたあと、大人も子供も思い思いの構図で画用紙に向かってできたもの。

大人も、夢中で描き続ける子供たちに刺激されて絵筆をとったという。自然、地球、家族、友だち、動物など、クレヨンや水彩で平和の思いを表した素朴な絵は、今年の平和祈願祭に文字通り一きわ色をそえた。(本紙1面の絵は谷川のり子ちゃんの作品)

震災記念堂で追悼

9月1日夕方、本所の東京都慰霊堂(震災記念堂)で、本所教会の有志を中心とした「カトリック信者『平和祈願』有志の会」が主催して、平和祈願が行われた。今年で7回目。集まった人は30名をこえ、浅草、町屋、小岩、市川、潮見、築地、渋谷、三河島、大森、豊島の各教会からと、その範囲もかなり広がった。

ロザリオの祈りを唱え、聖歌をうたって、平和を願い、震災や空襲などによる犠牲者を追悼した。なお本所教会では午後7時30分から、慰霊のミサがささげられた。

『ミニ公聴会』総まとめ(続)

具体策さぐる材料に

「ミニ公聴会」のおもな目的は、司教団がいっそうきめ細く教区民のナマの声を聴くことだった。11月に開かれる福音宣教推進全国会議(ナイス)では、教区代表が教区民の考えを出来るだけつかんで持ってゆくのが一つの仕事になっているので、そのためにも役立った。しかしこの公聴会は全国会議と切り離しても、教区の中に教会の使命である「社会の福音化」の、小さな流れを作ったことはいなめない。そもそも全国会議自体が、代表者の会議を中心としそれで終る-という性質のものではない。そこで話し合われる「開かれた教会づくり」も、結局は代表者が教区に持ちかえり、教区独自の具体策を打ち出すためにも、今後皆んな一人残らず話し合わなければならない福音宣教についての大切な課題である。

全国会議をうけて、教区は来年3月の総会を福音宣教推進東京会議(タイス)とする計画がある。東京会議準備委員会は、全国会議のまとめを尊重しながらも、ちょうど各教区の全国会議準備委員会が、各管区の公聴会の記録に基いて、全国会議の課題案を作ったように、今度はより身近なものとして、各ブロックの「ミニ公聴会」の記録に基いて、東京会議の課題案を作ることになるであろう。

去る9月24日、小教区から代表を集めて全国会議についての説明会が開かれた。今頃、趣旨説明とはいかにものんびりした話だが、ネライはむしろ、全国会議を受け入れる体制づくりにあると思われる。教区はすでに、東京会議に向けて動こうとしているのである。「ミニ公聴会」で指摘されていることがらを、大いに役立たせたい。

中央ブロック 2月1日

中央ブロックの公聴会は、2月1日、麹町教会のイグナチオホールで開かれた。担当は白柳大司教、森司教。初め6人の発題者から、(1)社会と共に歩む教会を目ざして(2)生活を通して福音宣教するための小教区のあり方-などにつき、議題に入る呼び水として提案を求め、のち分かち合いに入った。

【森司教】「開かれた教会づくり」といわれるが、その原点は聖職者も信者も互いに心を開き合うことにあるのではなかろうか。最初は色いろな批判や痛みがあるかも知れない。しかし、それをぶつけ合うことによって何かを作ってゆくことが大切だと思う。上から作られたものを受けとって、合わせてゆくということではなく、私たち自身が日本の教会を作り、暖かい、開かれたものにしてゆきたい。

【司会者】教会を代表してカンガス神父どうぞ。

【M・カンガス】司教という言葉の語源は、上に立って凡てを導くということで、どちらかというと一方通行である。公聴会とはこういう形ではなく、皆で肩を並べて一緒に考え、一つの輪を作ろうとするものだ。今日は皆さんの手で、開かれた教会を作るための一日としよう。

【司会者】信仰と実生活とで色いろな問題点が浮かぶ。それぞれの考え方もあると思うが、信仰の喜びが周りに伝わって大きくなることが願いだ。提案を。

【I・リバス】福音宣教の決め手は、従来通り小教区、聖職者の手でするか、教会の外、信徒が主体でするかにある。カトリック・アクションというのも、どちらかといえば聖職者が主導的だ。司祭は、信徒が福音宣教しやすいように御言葉と祈りによって支えるべきものである。聖職者のほうには、信徒にゆずると自分の仕事がなくなるのではないかという不安がある。日本の教会が本当にそこまで考えているかどうか。

【阿部】私に与えられたテーマは「実社会における福音宣教」である。その一つは神の問題だと思う。

家庭こそ出発点

一般的な日本人の信仰は、いわゆる大願成就とか、家内安全とか、自己中心的なものに結びついている。カトリックの神とは大違いだ。これをどう取り上げるかは大変なことである。福音宣教は、他の宗教とどのようにかかわるかの問題も、はらんでいる。

もう一つは教会の内輪の話である。本来外に派遣されて活躍すべき信徒の多くは教会に逃げ込んでいる。これはある意味ではやむを得ないと思う。実社会で孤立しているとすれば、価値観を同じくする教会は居心地がよいに決っている。しかし、これでは福音宣教はまず不可能である。そしてその責任は信徒側にある。神父は新鮮なエネルギーを我われに注入し、教会から叩き出してほしい。

三つ目はカトリックとプロテスタントの問題である。日本のクリスチャンは全人口の1%にすぎないのに、その中で時には厳しい反目すら見られるのは、宣教にとって本当に大きな障害だと思う。

【杉浦】私のテーマは「家庭における信徒の宣教」である。第2バチカン公会議と、昨年の大司教教書は、我われの進むべき道を明らかに示している。家庭における宣教こそ、福音宣教の出発点だと思うが、家庭自体の福音化がまだ充分だとはいえない。「家庭は小さな教会」という表現があるが、家庭こそ福音宣教の根本的な場である。それ故、家庭の中にいる信徒はまず率先して祈るべきだと思う。また近隣の家庭にも、色いろな機会を通して力強く働きかける必要がある。

【渡辺】「子供を通じての福音宣教」ということで話したいと思う。司教団の声明ではっきりと意識させてもらえたが、我われがキリストの心でどれだけ社会にかかわれるかということである。

たくさんの人達が、苦しんでいる子供達の側に立って運動している。色いろな人に出合って教えられることが多かった。我われこそ、そうせねばならぬのではないか。ラディカルだといわれることを恐れないで、社会にかかわってゆきたい。

【林】教会で青年が考えていることの一つとして話す。今のような多様化の時代にあって、個人を尊重するのは勿論だが、青年だけに限らず教会としてまとめてゆかなければならないのではないか。人それぞれのニーズに合ったグループを作るというなら、百種類の人間がいればそれだけの組ができるということになる。グループというものは閉鎖的になる傾向がある。教会が外の社会から閉鎖的になっていると同様に、教会の中のグループがまた一つ一つ閉鎖的になっているような気がする。むしろそういうものが集まって、一つのものを作ってゆこうとする姿勢こそ必要なのではないか。

【新井】私に与えられたテーマは「共同体と福音」である。共同体というものには二つあると思われる。一つは共同体としての教会、もう一つは信徒使徒職のような共同体である。教会のなかの共同体を作るということは、信徒に任された大きな使命である。暖かく感じられる共同体を教会のなかに作っていくにはどうしたらよいか。これは信徒と司祭の育成ということにも関連する。しかし、せっかく共同体が方々に出来ても、互いの連帯がなければ大きな力にはならない。目的がはっきりしているという大きな力となり得るのは、この連帯のためである。そして連帯意識は、共同体と共同体の交流によって生まれる。

【司会者】これからは互いに分かち合う時間で、皆さんの出番である。

自分の枠はずせ

【後藤】私たち自身が、人を信じ、寄りすがって生きているかが宣教の原点だと思う。人を信じるということは、自分の枠を取り去ってゆくことであり、その作業こそが宣教自体ではないかと考える。

【森司教】全くその通り。自分達が作り上げてきた教会の固定観念を取り去り、キリストの心でやらなければならないから、当然転換が必要だ。

【城野】大規模の小教区にいると、正に戦ってゆかなければならないのは教会の中だという気がする。信仰を求めてくる人にどう対処するかという、教会の態勢が不充分だと思う。訪れる人びとにきめ細かく対応してゆく、つまり今迄とは違った教会形成を改めて考え直す時ではないか。

企業に勤める者は、計画や長期的な見通しを立てる。信仰にも類似したものがあるのでは。

【白柳大司教】私たちの生活の第一の場は家庭であり、職場である。もちろん同時に小教区という共同体にも属していて、そこには確かに特別な使命もあると思うが、やはり大事なのは生活の場であり、そこに力点を置いた方が良いのではないか。

【森司教】教会は、日本の社会で本当に意味のあるものにはなっていなかった。イデオロギーで判断し、思案するだけではダメ。社会の中で泥まみれになって一緒に探してゆかないと、歴史の中に位置づけることはできないだろう。百年規模の動きに向かって第一歩だと思う。

信仰に妥協禁物

【行天】私たちが、キリスト教的な精神で現実の社会に入ってゆくか、どの程度まで妥協することが許されるのか、そのあたりが解析できれば、キリスト教というものが現実の姿の中に速やかに表現されていくのではないだろうか。

【白柳大司教】キリストの教えを信じ、それを守ってゆくのがキリスト者のあり方だが、現実の社会体制などで、それができにくいもどかしさを味わっているわけだ。しかしどんな理想的な社会にでも悩みや苦しみはあるものだし、我われはそれを取り除こうとするのではなく、そういう中にあっても希望と喜びをもって生きることができるということ。信仰とはそういうものだ。我われは確信を持つべきで、妥協する必要はない。

【森司教】聖職者なら、家族もいないし、支える金も必要ないから、与えろということが簡単に言える。しかし信徒の場合には言い切れない。この辺のジレンマに対して、我われは福音の本当の意味をもう一度模索しなければならない。

宣教まず聞くことから

城北ブロック 2月22日

Ⅰ、白柳大司教を囲んで。

◇予定発言者

【山喜多】(徳田)宣教はまず耳を傾け、共感することに心がけるべきだ-を、重要な問題提起として受けとめた。

【長谷部】(同)文明共同体の一員としての生活の中で、カトリック者には鈍感な部分があるように思う。慎しみ深さや温もりの現われとしての愛の実践が今こそ望まれる。

【尾本】(田無)忌むべき職業に心ならずも携わる人びとにも救いの指導があるべきでは?

【高橋】(秋津)愛の実践こそが宣教である。信徒には実行力などに欠ける面がある。大司教より何らかの指針を欲しい。

【三島】(関町)中・高生の生活と信仰が結びついていない。キリストの価値観から一般生活に入ってゆかねばならない。

【梅田】(豊島)教会への新訪者対策に苦労している。

【大司教】教書は1年かけてまとめ上げたものだが、宗教語が多く、社会から遊離した感があるという点で反省している。私達の信仰は直列的ではだめで、横のつながりが必要である。社会問題についても積極的なかかわりを持つことが大切。信者としての自覚を、言葉と行動で表わすべきである。

【長沢】(板橋)信徒同士の宣教、近隣教会の交流、司祭の交流、地域との取り組みでは普段着の宣教を提唱したい。

【江口】(清瀬)職場に祈りを取り入れてはいるが、働きながらの宣教には困難を感じる。

【佐藤】(下井草)自らを激しく燃やし、教会を多くの人に知って貰えるよう努力すること。

【大司教】先ず近隣の教会同士か、各教会単位で信徒の連帯を作っていったらよいのではないか。司祭の交流については、教会行政の面からも大いに研究して行きたい。会社でもキリスト教的価値観は力強く述べてほしい。本当に社会悪として許し難いことがあれば、教会には正義と平和協議会等があり、所信を表明することもできる。

【松本】(北町)宣教基地としての教会の活性化のための努力が、社会の福音化につながることを銘記すべきだ。正確な現状認識のために、信徒の専門家による、諮問に答え得る体制作りが望ましい。

【大司教】教会の活性化への小教区の使命はミサにあずかることである。福音宣教は教会内ばかりでなく、生きているあらゆる場所で、人との交わりを通して証ししてゆかねばならない。

◇自由発言者

【本間】(下井草)未信者の子供を教会学校で永続きさせる方法はないか。知人が統一教会に流れた。連れ戻すことはできないものか。

政治に発言力を

【大司教】教会学校では、次に来たいと思わせるような努力が必要だ。リーダーとしての若い力に期待する。統一教会に流れた人については、それを救い出すために働いているグループもある。

【渡辺】(下井草)日本のキリスト教には特徴がない。外国では政治的にも強い発言力を持つが、我われもこれに倣って活動すれば、マスコミも取り上げるし、宣教にもなる。

【江藤】(同)若者には、身についた平和主義者という底知れぬ魅力がある。

【マンテガッツア】(同)我われは勇気をもって立ち上がり、燃えなければ宣教はできない。

【大司教】皆んな重要なことを指摘してくれた。社会や政治の問題に関しては政党にかかわりなく、発言すべきことは発言しなければならない。信仰心をいっそう燃やしたい。

Ⅱ、森司教を囲んで。

【大木】(板橋)宗教教育の基礎は幼児期における家庭でのしつけである。カトリック校への入学も受験戦争の渦中にあり、経済的にも多くの負担が必要な現状において、何等かの考えはないのか?

【森司教】カトリック校の姿勢は信者の子弟を育てるのではなく、キリスト教的価値観を学問や考え方の中に組み込む形になっている。地方のミッション校で、あらゆる面でぎりぎりの経営を強いられていることにも目を向けたい。

【丸中】(徳田)受洗30年、会社で信仰宣言はするが、他人を導いたことなし。絶対的存在である会社機構の中ではときどき孤立感さえ覚える。

【槻館】(豊島)会社での立場が悪くなることも、妻の持病や生活に追われることも承知で子を産み育てている。キリスト者の証しの一つだと考えるから。

【上村】(板橋)教会は労組の人達などのために立ち上がり、大衆運動に力を貸すべきだ。

【片平】(清瀬)今の労組は正義の声を出す力を失っている。教会も社会経済について勉強してほしい。

【森司教】日本の教会が、キリストと現実と結びつける努力を怠ってきたことが、宣教の伸びなかった理由だと思う。福音宣教は、社会全体の発想の転換を促す呼びかけでもある。正義の声を出す人びとと共に取り組んでゆきたい。

【土屋】(下井草)小さな人びとの立場に立っての活動を。

老舗の殻やぶれ

【牛山】(田無)靖国神社問題なども、葉書作戦で要望を出したら効果が上がると思う。

【森司教】カトリック教会は老舗という殻を破ってスーパーのようなものに展開する必要がある。老舗にはすばらしいものもあるが、客も稀で、扱いもあまりよくない。教会には問題が山積し、現実の多様性をどこかに包み込んでゆく自覚を持たなければならない。それを支える信徒の協力も必要である。日本の教会は縦の関係で、しかも教理で指導してきたため、社会の現実が見えていなかった。とにかく本音を聴きたい。皆が聞くことによって教会の多様性や問題を肌で感ずることができる。今日の公聴会は問題提起であり、これを踏まえて教会内で考えて欲しい。日本の教会に一つの流れが出来ることを心から望んでいる。

城南ブロック 3月1日

公聴会のキャンペーンは、早くから「目覚めていますか、気づいていますか、さがしていますかあなたは?探そう、作ろう、見直そう、開かれた教会を!」のキャッチフレーズで始められた。最初のアイデアを出した若いシスター・伊藤(お告げのフランシスコ姉妹会)は、さらにこれに躍動的なメロディーをつけた。手作りのキャンペーン・ソングを持っているのは、ブロック多しといえども、恐らく城南だけであろう。

会は3月5日、田園調布教会で400人を越える参加者によって開かれた。雪もよいの、底冷えのする日にもかかわらず、実行委の予想を大幅に上回る人を集めることができた。

初め、白柳大司教、森司教、ブロック8教会の司祭団によって「みことばの祭儀」がおこなわれ、その中で大司教は、愛の行為として福音を宣べ伝えよう-と呼びかけた。

続いて森司教が導入のための話をした。要旨は次の通りである。「司教団は、日本のカトリック教会の根本的な問題が、信仰と生活の遊離、教会と社会の遊離にあると考えている。これは信者の皆さんも感じていると思う。しかし一人ひとりが悩んであきらめていれば点でしかない。それを語り、共感する人が出て、こういう問題が大事だという自覚が生まれるならば、点が結ばれて流れとなり、一つの運動ができる。今日の話し合いの中で、皆が点を出し合い、その積み重ねから流れが生まれ、秋の全国会議に継がるよう願っている。信徒の一人ひとりが、自分の教会を新しく育ててゆくという創造的な役割を担っていることを自覚し、かかわりのある色いろな問題に取り組んで行くならば、日本の教会の1987年を、百年後、二百年後の歴史家が、第2バチカン公会議のように意義あるものとして評価するに違いない」。

話し合いは3つのグループに別かれて行われた。各組とも特にテーマを定めず、自由討議を旨とし、白柳大司教、森司教、市川神父がその間を巡回した。

▽Aグループ

先ず各教会が、青年の活動状況を報告し合った。続いて(1)青年にとって教会は心の支えになっているか(2)教会に魅力があるか(3)今後5年の間に青年層が増えるか-などにつき意見を交換、その分布状態を明らかにした。また中断していたブロック内の青年のつながりを復活させようとの機運も盛り上がった。

ただ自由な発言を促した割には反応が鈍く、発言したとしても教会内部に対する不満などで何んとなく元気がなかった。司教へ質問するよう水を向けたにもかかわらず、それらしい気配もなく、公聴会の本来の目的を達成できなかった。

世相にもアンテナ

▽Bグループ

具体的かつ建設的な意見が活発に取り交わされた。例えば(1)宣教に当って、教会の音楽を大事にしよう(2)結婚の出会いと、幼児洗礼への導きを大事にしよう(3)結婚式を宣教の場として、働きかけとフォローアップを工夫しよう(4)社会の問題へ敏感なアンテナを働かせよう(5)子育てに忙しい若い母親を対象とした通信教育などを工夫しよう(6)信仰の喜びを笑顔で表そう(7)「心のともしび」など、テレビの放映を宣教に活かし、効果的な放送時間帯を買い取ろう(8)カトリック校の母親や父親たちへの働きかけの工夫を交換し、協力し合おう(9)結婚準備講座に信徒も協力し、宣教に活かそう(10)洗礼に踏み切れない人々への効果的な働きかけに関して、カトリック・シンパの人々の体験や意見をもっと参考にすべきではないか-など。

また韓国問題や指紋押捺拒否などに対し、教会がどう対応してゆくかについては、司教団は良心に対する訴えかけをめざしているが、イデオロギーだけではなく、人びとの痛みを負うという福音的裏づけが大切-などという話もでた。

▽Cグループ

次のような提言があった。(1)初めての人にも分かるようなミサを工夫してほしい(2)誰でも、いつでも、入り易い教会を(3)社会の正義のため教会はもっと勇気ある発言を(4)信徒の多様な資質や体験をもっと活用しよう(5)一人暮らしの老人へのボランティア活動を組織的に(6)青少年教育のためのカリキュラム作りを教区規模で(7)カトリック校は、日曜日の部活動をひかえてでも友人をミサに誘うよう指導すべきである(8)ボランティア活動など、生きがい作りのできる教会を(9)教会外の人々と人間的つながりを深める方法を、新宗教などに学ぶべき(10)信徒間の横のつながりのために少人数のグループ作りを進めよう-など。

また愛と正義が福音宣教の際に非常に大切であると指摘された。信者は愛というものの具体的な実現を色いろなケースでやって見ること。正義の実現のためには勇気をもって対応する必要がある。教会自身も正義のためには発言すべきである。政治にかかわりのあることについてもノーコメントということではなく、必要のあるときには敢然とこれに対応すべきではなかろうか。

全員は再び聖堂に戻り、話し合いの要旨の報告を聞いた。その後、白柳大司教、森司教はそれぞれ次のようなまとめの話をした。

【白柳大司教】活発な意見や提案に教えられる所が多く、皆が色いろな機会を通じて福音宣教している姿勢に感激した。ただ大部分が小教区中心のようであったが、家庭や職場が信徒の宣教の場であることを、いっそう意識してほしい。2年ほど前に生まれた福音宣教の運動が小さな川に育った。もっと大きな川になってゆくことを期待と祈りのうちに待っている。

【森司教】福音宣教をどう捕らえるか、人によって大きなズレのあることを知った。皆の中にも(1)洗礼と言う秘跡を中心とし、一人でも多く信者を育てようとする(2)イエズスからの福音の光と神の啓示とを頂いている教会なのだから、社会の良心として真理を伝えて行く(3)世界の苦しみや悲しみに共感して共に歩むキリストの心をもって、これにかかわる-の捕らえ方が交差しているのではないか。しかし小教区の共同体を中心とした見方や発想は一つの流れをなしていた。全国会議の課題でもある小教区をどう育てるか、皆の様ざまな意見はその点で非常に参考になった。出てきた色いろのみんなの意見をつなげながら育てて行くために、更に一歩前進させるために、今度の教区大会には積極的に参加してほしい。皆の提言は、言いっぱなしで終わらせることなく、更に育てて行くために、なにか工夫をして行きたいと思う。その時はどうか協力してほしい。

定刻の4時半、「福音宣教の祈り」を唱え、典礼聖歌「全世界に行って福音を宣べ伝えよ」を全員合唱。「次は教区総会で会いましょう」と声をかけ合って、公聴会を閉じた。

親は子に語れ神体験

武蔵野ブロック 2月15日

武蔵野ブロックの公聴会は、2月15日、午後1時から5時まで、吉祥寺教会で、約350人を集めて開かれた。できるだけ多くの人に意見を述べてもらう-という公聴会の本来の目的から、プログラムも参加者の発言が主な部分を占めた。各母体から来た、それこそ老若男女が、出身地、年齢、職業、家族構成などをも含めてナマの声をぶつけた。

Ⅰ、私自身、家庭の中で。

▽宣教は先ず家庭から。毎日曜日、特に聖週間のとき、家庭と教会との生活時間の違いによる両立の困難を覚える。夫が未信者であるのも一因。(吉祥寺・女)

▽教会は聖歌の詩なども含めて女性的である。再検討の要がある。(ミラノ外国宣教会・男)

▽子供の洗礼は、本人の自覚が出てから-というのが夫の意見。自分が信仰生活を保持することによって、時の経過とともに家庭で受洗する日を待つつもり。(吉祥寺・女)

▽プロテスタント教会を巡った後、カトリックへ行きつく。妻は日曜日の家庭内の仕事が気がかりで教会へ行けず、今は家庭内礼拝を中心にしている。(調布・男)

▽家庭内をおろそかにしても、他の社会活動に重点を置き1年やって見た。その結果、先ず家庭や子供たちへの愛を中心として生活、それを保ちつつ、その先に他のことが見えてきてから行動しても晩くはない。(高円寺・女)

Ⅱ、若者、学校教育。

▽小2からボーイスカウトに入り、小5ごろ受洗したい気持になって、昨年洗礼を受けた。カトリックに頼りすぎてはいけない。どこまで頼っていいのかわからない。(吉祥寺・男)

▽幼児洗礼。新聞配達をしながら大学へ。現職場におけるカトリックへの無理解から、信者であることとのギャップに悩む。しかし苦しい時の支えになったのはやはり信仰。(調布・男)

▽カトリックについての幼児体験が大切。マスメディアを通じて、多方面から社会にPRしたらどうか。(高円寺・女)

本来に帰れカト校

▽職場では能力による差別があり、教会の教えとの開きの大きいのに悩む。教会の諸先輩の体験談を参考にしたいと思っている。(調布・男)

▽ミッション・スクールの現実は、進学、経営などの問題もあるかも知れないが、本来のカトリック教育がおろそかにされているのではないか?もっとカトリックを中心とした教育内容にすべきでは?(高円寺・男)

▽三浦綾子著「塩狩峠」の感動がきっかけで受洗。カトリックはイメージが暗い。大学では原理研か?といわれる。このような問題で卒業後も悩むのではないか。信者は正義で、未信者は不正義というような考え方で今後いいのか?(荻窪・男)

Ⅲ、職場・地域社会と教会。

▽カトリック家庭。嫁だけは未信者。入信は強制できないので時期を待つべきか。神社仏閣を見学しても参拝しないので違和感がある。カトリック者には選ばれた者という意識がある。長い歴史の中から生まれたものなのか。(吉祥寺・男)

▽福音宣教と信仰生活が別個のものとして認識されているのではないか?信仰生活そのものが福音宣教だと思う。未信者に対する信者の差別もさることながら、違和感、疎外感は双方にあるのでは?信者は選ばれた者、未信者は可哀そうな人など勝手な思い込みである。宣教する側とされる側とは異なる価値観、人生観を持っているはず、キリスト教がどうして日本に広まらなければならないのかなど、される側の立場をよく研究する必要がある。宣教される側と接するのは信徒自身であることを考えよ。(府中・男)

▽今の高校生はキリスト者としての自信を失い、価値観もゆらいでいる。神父や修道女ではなく、父親、母親こそ自分の信仰や体験を子供達に語ろう。(吉祥寺・男)

▽十年前に受洗した。祈祷書を子供が使えるように改訂してほしい。聖書の改訳の頻度が多すぎる。記憶に残る文体で、少なくとも1、2世代は同じものにしたい。(調布・男)

▽長崎の五島出身。5年前に上京。聖書も勉強せず、習慣で教会に行っている人が多い。輸血拒否、肉食禁制、禁酒などをカトリックの教えと見ている者のなかにいる。(吉祥寺・男)

▽信仰生活は秘跡なくしてあり得ない。回心を含めたキリストとのつき合いが土台。社会生活のなか、一人ひとりが置かれた場所で、キリスト者としてどう生きるかが要点。(小金井・男)

公園ミサはいかが

▽老人クラブで160人の世話役をしている。お年寄りは信仰心が厚く、死に対する考え方や疑問などを聞かれる。当地域では、宗教と政治の活動が禁じられているので、スポーツや娯楽を通して話し合う場を多く持つよう努力している。宣教活動を助けるセンターの設置を考えたい。(吉祥寺・男)

▽若者にとって教会はかた苦しく、面白くないところ。若い人にも目を向けてほしい。時代に即応して行かないと、20年もしたら誰も支える人がいなくなる。(調布・男)

▽教会は未信者に対して、開かれたものであるはず。「カトリック共同体」という言葉が出てきたところにすでに差別意識が働いている。信者、未信者、宗派の違いを越えて裸で隣人と接し、助け合う。開かれた教会として、公園などでミサを。(吉祥寺・男)

▽聖書をテレビの上など身近に置き、親しみ理解することによって、違和感や疎外感の問題は解決する。自らが信仰深く生活しない限り、子供に教えることも、他の人に話すこともできない。(高円寺・男)

▽人間は迷い、悩んでいる。救われたいと誰もが思っている。(吉祥寺・男)

▽長崎の五島出身。原罪の意識に乏しい。キリスト者として完全燃焼していないので、原点に帰って生きた信仰を持ちたい。祈祷の内容があまりに変化しすぎる。(荻窪・男)

▽後継者が育たない原因は魅力がないからか?転入のたび、新しい教会への入りにくさを感ずる。身近な親切は福音宣教にもつながる。(吉祥寺・女)

▽福音宣教といっても、言葉ではなく、その日会う人に精一杯接することしかできない現況である。(府中・女)

▽対話集会に欠けている。カトリックは文化や風土の中に土着化する必要がある。それによって活性化する。指導的立場にある人は、側近や派閥に左右されず、頂点ではなく円の中心になってほしい。(吉祥寺・男)

▽差別されたこと、したことのある人-。教会が明治の頃、被差別部落の解放運動をしたことは、歴史のなかに位置づけたい。これを通しキリストに出会うことが大切。(高円寺・男)

▽カトリックは、現実の悩みや苦しみを吸いあげ、心をひらきはらをわって話し合う機会が少ない。教会内ばかりでなく、ブロックまたは他の宗派とのコミュニケーションを深めてゆく立場を作ってほしい。(荻窪・男)

Ⅳ、白柳大司教のまとめ。

(1)各世代の人それぞれに、苦しみ、悩み、迷い、困難があることを知った。

(2)その中にあっても、神に愛され、希望が持てることが我われの信仰の特徴である。

(3)福音宣教活動に至った歴史も大切である。

(4)現在、教会を形づくるすべての人が宣教者としての意識を持って歩み始めるようになった。

(5)福音化とは、神の意志が実現して行く社会である。神の道具となって、家庭や社会に入って実行してほしい。

(6)人の心を動かすのは神だけ、それゆえ秘跡に支えられ、強められて神の証人となるように。

(7)祈祷書についてだが、言葉は生きているので時代によって変って行く。しかし頻繁な改訂は慎む。子供にもわかり易く、全国で使えるものを考えたい。

(8)聞く、或いは聞き易い聖書、読む、或いは読んでよくわかる聖書など、いろんなのがある。

(9)プロテスタントとの共同訳聖書では、名前の呼び方をゆずることにした。

(10)対話とは、相手に自分が所有している知識や経験を与え、相手も持っているものを与えることである。与える-とは愛することで、対話の場は互いに愛し合う所であり、キリストが望んでいる場所である。

多摩ブロック 3月8日

多摩ブロックの公聴会は、3月8日、午後2時から5時すぎまで、日野のラ・サール研修所を会場として開催された。当日は、白柳大司教、森司教の両人が出席し、ブロック内の11小教区から、信徒、修道者、司祭など約130人が参加した。

この公聴会は、昨年6月に白柳大司教より出された「これからの東京教区の教会は……」という教書を中心に、福音宣教について考え、皆が思っていることをつき合わせ、両司教と話し合うことを主旨としたもの。

Ⅰ、パネルディスカッション。

発題者それぞれの立場から、同教書に対する意見や感想、福音宣教のあり方などについて考えを述べ、両司教の答えなども聞き、参加者全員が話し合えるような場を作った。

▽福音宣教推進にあたり、小教区内の教会活動の活性化の問題と、一般社会を対象とした時の不安を感じる。宣教のマニュアルや講座などできないものか。(会社員)

▽職場における信徒の自覚と、真の友達づくりの重要性を感ずる。若い世代に合わせた教会形成が望ましい。(社会人1年)

▽自分達の、宣教に対する意識の薄さと、信仰を自分の中で言葉にしていない、出来ないことに気づいた。(大学生)

▽福音宣教を要請する立場と、受ける信徒の立場の差を痛感した。現実には、信徒の信仰生活の場がないのでは?(主婦)

▽家庭における子供の信仰教育の重要性を感ずる。教区、管区全体で信仰教育の場が持てないだろうか。(主婦)

▽宣教と信仰とが切り離されてしまった感がある。今までの日本の教会の姿勢と、信徒の信仰生活に問題がある。両者を再び結びつけるようにする福音宣教推進は、むずかしい課題ではないのか。(教員)

○白柳大司教のこたえ。

初代教会における信徒の宣教が、教会の歴史の流れの中で、聖職者の仕事となり、信徒の活動は補助的なものとなった。第2バチカン公会議において、教会や宣教への見直しが行われ、福音宣教への意義が改めて教会全体に課せられた。日本の司教団もこれまでの教書を通し、信徒と共に考える宣教へと動き出している。

○森司教のこたえ。

信徒の増加のための福音宣教と取られがちだが、社会で苦しんでいる人びとがいる現実を見つめ、その小さな人びとを理解でき、友となれる教会を-、それが宣教ではないか。信徒が抱いている信仰の体験や熱意で社会の方向、教会の歴史まで変え得るという意識をもって、福音宣教を受けとめ、発想の転換をしてほしい。

Ⅱ、オープンディスカッション。

参加者全員が司教と話し合ったが、教会の情報処理、対外的情報提供のあり方、カトリック校とその入試についてなど、活発な意見が出た。

また、小教区司祭と信徒のかかわり、教区ニュースやカトリック新聞の利用、教会学校と指導者の相互関係等でも質疑応答があった。

○両司教による締めくくり。

福音宣教は信徒自身の中にあり、福音への回心を高めることに具体的な方法が見いだされるであろう。これらの動きが、教会のエネルギーとなり、全体が高まってゆくものと信じる。ここ1、2年における教会や信徒の動きが宣教のカギであり、決め手となるだろう。

◎千葉ブロックは次号。

支える会その後

「ルイ神父を支える会」が発足してちょうど1年、会員は47名の司祭を含めて約450人となった。同会は、母親の死亡に伴う二度にわたる再入国不許可処分に対し、取消の行政訴訟を起こしたルイ神父を援けようと、教区の有志が集まり、森司教が代表となって昨年9月にできたもの。

公判毎の集会開催、ニュース発行、署名などをおもな活動にしている。9月25日に第6回公判があり、双方の言い分も出尽くしたので、いよいよ証人の採否と尋問という新しい段階に入る。関係者は、今後ともいっそうの支援を望んでいる。

連絡先 江東・永代1-7-4(電641-6712)

宣司評議事要旨

第2回(6月21日)

1、87年度宣司評のあり方について。(森一弘、福川正三)

(1)今年のテーマを、福音宣教推進全国会議の課題「開かれた教会づくり」とする。

(2)全国会議の課題を教区に浸透させるために集まりを持つ。

(3)宣司評委員に加え、各小教区から1名の参加を求める。選出は主任司祭に任せる。

(4)この集まりは、9月24日(午後6時30分 四谷双葉学園同窓会館)全国会議の課題説明(これまでの資料配付) 11月15日(午後2時 カトリック・センター)全国会議課題の分かち合い-と2回行う。

おくればせながら、小教区への浸透がねらい。新しいものを入れる受皿の育成をも兼ねて。

(5)全国会議の報告会を、11月29日(日)午後2時からカトリック・センターで行う。(中止)

2、福音宣教推進全国会議の説明。(省略)

3、諸報告。

(1)東京教区全国会議準備委員会より。(国富)

他教区の代表者と意見が違うことが予想される。共通の方向性を持つ必要がある。

(2)「共に生きようアジアの人々と10,000人の集い」について。(白柳)

7月12日午前9時平和ミサ。午後からコンサート。国技館。宣教のための大きな企画なので企画の手順の上で問題もあったが、できるだけ後押ししたい。

(3)講演会「開かれた教会づくり」について。(市川)

9月毎金曜日午後7時、真生会館で。会費500円。

(4)難民定住推進部から。(寺西)

相互扶助制度の説明を、ブロック毎にしたい。

(5)自衛官合祀拒否訴訟に関する講演会について。(津賀)

7月7日午後6時。四谷双葉同窓会館。演題「大法廷による争点」。弁護人・今村嗣夫。

カラオケ模擬店ムカデ千葉

9月6日、千葉市の聖マリア幼稚園で「第13回千葉ブロック大会」が開かれ、県下の各教会や修道会から、司祭、修道女をはじめ家族連れの信徒約300人が集まった。

森司教主司式のミサのあと、木陰で昼食となったが、カラオケを楽しむ人、思い思いの模擬店で買い物をする人、日ごろ会えない友と話をする人などの姿があちこちに見られた。

午後からはリクリエーション大会だ。幼児達の玉入れ、年齢別のムカデ競争、教会対抗の綱引き、最後には全員参加のフォークダンスなど、小さな子供達からお年寄りまで、楽しい一時を過した。もっと延して-という声もあったが、遠くから来た人のことも考え、来年の再会を約して3時半ごろ解散した。

なお、この13回を終った時点での大功労者は大司教、司教だ。第1回から一度も休まず、ある時はローマから帰った翌日にもかかわらず早朝から参加、教皇祝別のメダイを全員に与えたという。ブロックの大きな励みになった。共同体の交流と強化のためにも、この親しみ易い催しの灯を点し続けたい。

20kmの平和 小さな足の体験記

平和祈願行進に参加した小学5年の女の子が、感想文を書いた。彼女にとっては初めての体験だったというが、子供らしい見方や感じ方のなかにも、この催しの精神をよくとらえ、適確に表している。また平和についても、小さいながら自分なりの考えを述べ、とくに「治安維持法」などを引用して論じているところなど、とても10歳の少女の手になるものとは思えない。

主催者の「平和行進をやろう会」でも、ぜひ今度の本紙に掲載を-との頼みだったので、4面全部をとくにこのためにさくこととした。(広報部)

名前 斉藤真希ちゃん
霊名 ガブリエラ
生年月日 ’77年2月2日
年齢 10歳
学校 桐朋小学校5年生
所属 吉祥寺教会
住所 世田谷・北烏山
趣味 バレエと木登り

出発まで

8月8日(土)、今日は吉祥寺教会の「平和祈願行進」の日です。7時に起きて、朝食をすませ、リュックの点検をしました。荷物は、着がえ(くつ下・Tシャツ)、くつ、シート、おしぼり、水とう、バンド・エード、キャンディー、雨具などです。昨夜、天気予報で、「明日は雷でしょう」と言っていたので、お天気が気になりました。ちょっと空がくもっていたからです。でも、長く歩くには、かえってすずしくていいのではないかナ-と思いました。

8時に家を出て、9時前、教会に着きました。日曜学校の友達やそのお母さん、リーダー、「平和を考える会」の人、知らない人など、たくさんあつまってきました。「平和祈願行進」は、今日の夕方、千鳥ヶ淵で、カトリック教会が合同してミサをささげるのに、吉祥寺から歩いて行って参加しましょうという考え方で、去年はお姉ちゃんが参加し(私は合宿の前日だったので)、今年はお姉ちゃんが合宿で、私とお母さんが参加することになりました。

受付でもらった平和祈願行進の印のワッペンは黄色で、「平和巡礼」と書いてありました。みんな、腕やリュックなどに安全ピンでとめました。私は「全部歩けるかなァ。今までそんなにたくさん歩いたことないからなァ」と心配になりました。でも、あまり疲れたら、むりしないで、いつでも途中でやめられるので、歩けるだけ歩いてみようと思いました。お母さんも、相馬忍ちゃんのお母さんと「大丈夫かしら」、「自信ないけどやって見るわ」などと話していました。

9時10分、聖堂で、出発前のお祈りをしました。「この子達の夏」のなかに、山本清子さんが書いている文章があります。「帽子をかぶっている人は帽子からの下の皮がずるりとむけて首から垂れ下がり、手を胸元にあげて、まるでゆうれいみたいに、そろりそろりと歩いています。足の皮も、半ズボンから下はずるりとむけ、皮をひきずりながら歩いていくのです…」

平和祈願行進は、この戦争で苦しんで歩いた人達のことを考えながら、自分達もあつい夏の日ざしの中を一歩ずつ歩いてみよう-という計画なのです。私は「母さんの歌」のお話を思い出しています。あのぼうやも女学生も、きっと、どこか休める所をさがして苦しいのをがまんして、やっとあのくすの木の下まで歩いてきたのでしょう。

吉祥寺教会から荻窪教会まで(4.5km)

みんなで記念写真をとってから、20グループにわかれ、約60人で出発しました。私は、第10グループで、同じ5年生の忍ちゃん、やす子ちゃん、妹のたえ子ちゃん、それにお母さん達2人の6人で歩きました。井の頭通りには、土曜日のせいか車がいっぱいでした。黄色いワッペンをつけてゆっくり歩いている行進はまだみんな元気で、1人でもくもくと歩いている人もいたし、友達としゃべりながら歩いている人もいます。私達は、八ヶ岳の合宿の時の話などをしながら歩いていきました。そんなに日はてっていなくて、風が強くてすずしかったです。

10時40分に荻窪教会に着きました。チェック表の自分のグループの所に何時に着いたか記入して、会館に入りました。吉祥寺教会のおばさん達が、飲物を用意して待っていてくれました。出してくれたむぎ茶が、冷たくて、本当においしかったです。おみどうは、とてもこざっぱりして、きれいでした。お友達と一緒にお祈りしながら「こうやって、途中の教会によっておみどうを見たり、冷たいむぎ茶をいただいて、休んだりしながら歩くのもいいなァ」と思いました。教会の人も明るくて、ニコニコしながら、「がんばったわねえ、ごくろうさま」などと言ってくれました。

荻窪教会から高円寺教会まで(3.6km)

荻窪教会を11時5分すぎに出て、今度は高円寺教会へと向かいました。途中、お母さんが「ほら、久我山-」と言ったので、びっくりしました。井の頭線で4駅間も歩いたのに、そんなに歩いた気がしなかったからです。くもり空がだんだん晴れてきて、太陽が私達を照りつけてきたので、私達は、「あついね」といってあまりしゃべらなくなりました。

うでがじっとりしてきたし、のどもかわいてきたので、凍らせて持って来たカルピスを飲みました。「おいしい!」まだシャーベットのようになっていて、口の中に入れると、氷がとけるようにのどを通っていきました。お母さん達は、「暑いと言ったって、私達は昨日、ちゃんとねて、たっぷり食べて歩いてるんだから、戦争におわれて歩いている人とはくらべものにならないのよ」、「それにいやだったら、いつでもすずしいタクシーでお家に帰れるという気持ちがあるんだから」なんて私達に言い聞かせます。

他のグループのみんなが、パン屋さんやおすし屋さんに寄ってお弁当を買い始めました。私達は「お昼なんにしようか?」と、それを楽しい話題にして歩き続けました。高円寺教会の近くまで来て、お母さんが、セブンイレブンを見つけ、冷たいサラダやいなりずし、肉じゃがなどを買って高円寺教会に着きました。ここでもおばさん達が冷たい氷入りのむぎ茶やあついお茶を用意して待っていて下さったので、みんなでお弁当を食べました。みんなおかずをとりかえっこしたり、いかにもおいしそうに食べていたので、それだけみんながんばったのだと思いました。

ふと見ると、途中で「じゃあねー」といなくなった石川さん(子供の大好きな75歳ぐらいのおばあさん)がおいしそうなおべん当を食べているところでした。私は、「石川さんは、きっと電車かバスでワープしたんだな」と思いました。顔を洗ったり、あせのついたシャツをかえたりして、これからの行進にそなえました。私も、足の小指のところが少し痛くなったので、持ってきた別のくつにはきかえました。高円寺教会の聖堂に集まってお祈りしてから、1時5分に出発しました。高円寺教会からも、神父様や、たくさんの信者の方が合流しました。

高円寺教会から新宿中央公園まで(5km)

今度は青梅街道を新宿に向かってまっすぐ歩きます。太陽はギラギラと私達を照りつけ、日かげに入って風がふいてくると本当にほっとしました。やす子ちゃん達とじゃんけんゲームをしながら歩いて行ったら、前方に高層ビルが見えてきました。私はびっくりしました。京王帝都で行ったら吉祥寺から新宿までは12駅あるからです。歩いていくと、緑がたく山ある広い公園が見えてきました。新宿中央公園です。2時でした。55分で、5キロ歩いたのです。

ここでは休憩時間がたっぷりあるので、みんなうれしそうに木のかげにしきものをしいたりして、のんびりしています。私も足が痛くなってきたのでくつもくつ下もぬいで休みました。足をだれかにつかまれていたのが放されたような、すっきりした感じです。さっきの教会で水とうに氷入りむぎ茶を下さったので飲みました。ここではむぎ茶の用意がないので(入れてもらってよかった!)と思いました。下のふん水の所で、どこかの高校らしい応えん団が練習しているので、忍ちゃん達と見に行きました。みんな、この暑いのに制服を着て、上級生に注意されて、何度も同じところをがんばってやっていたので、私もがんばらなくては-、と思いました。

新宿中央公園から麹町教会まで(5km)

45分休み、2時45分に公園を出て、麹町教会(イグナチオ教会)に向かいました。今度、私たち5年3人組は先頭のグループになり、イタリア人の神父様やシスターや、新谷のり子さん(歌手)達と楽しく歩きました。新谷さんや神父様は楽しい人達で、新谷さんが歌いに行った外国の様子を聞いたりしながら歩いたら、のどのかわいたのも忘れて歩きました(出発前、お母さんにジュース買ってと言っていたのに)。

はじめは新宿駅の地下プロムナードを通り(ここは冷ぼうでよかったけど、人ごみの中ではぐれないようにするのが大変でした)、新宿三丁目に出て、四ッ谷に向かって新宿通りを歩き続けました。途中、四谷三丁目の交差点のサンミュージックの所で、だれかが「ほら、ここが岡田ゆき子ちゃんが飛びおり自さつした所」と言いました。みんな「へーえ。ここなの」などと言って、ビルの屋上を見あげていました。私は(こんな高い所からコンクリートに落ちて、いたかっただろうなァ)と思いました。

やっとイグナチオ教会に着きました。イグナチオ教会のお聖堂はとてもきれいです。私のお母さんは、上智大の先生が好きなので、私に「ねえ真希、ここに入れば?」なんて言っています。私は「そんなこと言ったって、試験むずかしいんじゃない?」と思っています。ここでは1時間以上休み時間があったので、軽い夕食を食べに行ったりしました。思ったより疲れなくてリッチな気分です。

麹町教会から千鳥ヶ淵戦没者墓苑まで(1.2km)

5時に教会を出ました。たく山の吉祥寺教会の人達がここから行列に参加しました(自分の体力に合わせて、どの区間参加しても良い)。松葉づえの鹿野さんや盲人の方たちも参加し、110人の大きな行列になりました。少しずつ涼しくなってきたようです。私も足の小指やうらが痛くなってきたけれど、(もう少し、あと最後の1.2キロだ)と思ってがまんしました。忍ちゃん、やす子ちゃん、新谷さんと一緒に、楽しくしゃべりながら行くと、あっという間に千鳥ヶ淵に着きました。及川神父様が「ほら着いた。もうすぐだぞ」とおっしゃったので、(ヤッター)と思って見回したら「戦没者墓苑」と書いてあったので、(なるほど、ここでミサを挙げて、戦争で亡くなった人のれいをなぐさめるわけなのか)と分かりました。

全然疲れた感じはしなくて、もっと歩けそうでした。墓苑に入ると、夕方の空に赤とんぼがむれて飛び回っていました。とんぼの大群でした。みんなふしぎそうに「うわァ、すごい」、「めずらしいわね」などと空をながめていました。私も、(こんなに空いっぱいのとんぼを見るのははじめてだなァ。それもここは都会なのに)と思いました。戦没者の碑の前にいすがならべてあって、私達は一番先に着いたようでした(ミサは6時30分からで、墓苑に着いたのが5時30分)。

一番前のまん中といういい席に荷物をおいて祭壇を見てみました。碑の前に、お花や、十字架のついたちょうちんがかざられ、ミサをする神父様のためのいすが、半円形に20こならんでいます。前に、ミサの祭だんが作られています。あせのついたTシャツを着がえ、3人組はミサのはじまる時間までさんぽにいきました。入口のかべの所に、この間、吉祥寺教会でみんなが描いた平和の絵がてんじしてありました。これは5月に、「平和を考える会」がビッグ・イフなどの映画会を開いた後みんなで描いたもので、絵には名前もついています。私の絵は赤いハートとあくしゅしている手の絵に、「みんな仲良く」という字が書いてあります。やす子ちゃんの絵は、色々な木の周りで、うさぎやたぬきなどの動物がたく山遊んでいる絵です。千鳥ヶ淵にてんじするという話は急に聞いたので、私達はなんだかうれしいようなはずかしいような気がして、自分達の絵を見ていました。

その後、イタリア人のヨゼフ神父様と私達4人で、しばふであそびました。夕方の涼しい風がふく中で、うでたてふせのきょうそうをしたり、そく転を続けてやったりして、楽しかったです。そく転は私達の方がうまかったけど、うでたてふせはヨゼフ神父様の方がすごくて、20回もがんばっていました。そのうち色々な会のシスターやあちこちの信者さんがだんだん集まって来て、、墓苑の前のいす席がぎっしりになりました。

平和祈願ミサと光の行列

6時半、白柳大司教様と、各教会から参加した司祭達が19人入場して、ミサが始まりました。外はだんだん暗くなりかかっています。風がだんだん強くなってきました。ミサのお説教の時、大司教様は「戦争の時の教会の行動には、今から思えばもっとこうしたらよかったという反省もたく山ある。私達は勇気と行動をもってこれからの平和を守っていかねばならない」というようなことをおっしゃいました。

その後、代表の人が戦没者に大きな2つの花束をささげ(けん花)、光の行列にうつりました。祭壇の火から次々にローソクに火をつけてもらって、みんなで聖歌を歌いながら墓苑を一周するのです。風が強かったので、よくローソクが消えてしまい、みんなで火のうつしっこをしました。それに、下の道はジャリ道で、とてもでこぼこだったので、気をつけなければいけません。でも、みんなが、風よけのついたぼんぼりのようなローソクを持って歩いていくと、くらやみに火の行列が動いてとてもきれいでした。

席にもどってから、教こうヨハネ・パウロ2世が、1981年、広島で日本語でお説教なさった「平和アピール」の一部分をテープで聞きました。「戦争は人間の仕業です。戦争は生命のはかいです。戦争は死です」私はこの言葉で、(戦争は、人間が人間をころす、ひどい事なのだ。でも人間の仕業なのだから、人間が自分達の意志でやらない事もできるんだ)とつくづく感じました。それは夏休みに「おそろしい本(ちくま少年図書館)」という本を読んだ時、心からアウシュビッツや原爆を厭だなァと思ったからです。

テープを聞いた後、聖フランシスコの「平和の祈り」をみんなで祈って、ミサが終わりました。聖フランシスコは「神よ わたしを あなたの平和のために用いてください 争いのあるところに 和解を もたらすことができますように……」と言っています。これはとても有名なお祈りで、教会でも、よく唱えます。「平和」というのは、「戦争」の反対言葉だけではなくて、毎日、私達がくらしていく生活の中でみんな助け合って仲良くすることを意味しているからです。

ミサが終って

8時にミサが終わりました。はじめての体験だったのに完歩できて、とても満足した気分でいすをかたづけました。司教様が子供達に、「どこから来たの?」と聞かれたので、「吉祥寺からです」と答えたら、「がんばったね」と、ほめて下さいました。私達は、司教様とははじめてお話したので、ドキドキしました。さっきのヨゼフ神父様が来て、わらいながら、「これから帰りも府中まで歩く?」と聞いたので、(わりに元気だけどもういいや)と思って、「もういい。これから歩いたら、着くのが明け方になっちゃう」と答えたら、ギュッと手が痛くなるほどあく手して行きました。

一緒に歩いた人達に「ありがとう」や「さようなら」を言って、忍ちゃんと私達の4人は、はんぞう門から地下鉄に乗り、冷たいジュースを飲んでかんぱいしました。お母さん達は「いい体験してよかった」「自信ついたわ」などと言って喜び合っていました。仙川からタクシーで家に帰ったら、ちょうど9時半でした。おふろに入ったら急に疲れが出たのか、ベットに入ったらすぐねてしまいました。

平和について

千鳥ヶ淵のごミサの時、札幌の長坂神父様(79歳)が、第二次世界大戦前・中・後の教会について書いた文章のコピーをもらいました。私がその中でびっくりしたのは、人間の考え方や意見をおさえつける法りつが約90もあったという話です(治安維持法や国防保安法など)。長坂神父様は、「その中でも『流言飛語罪』というのが国民にとっては一番やっかいなものだった。『戦争に負けるかも知れない』などと口にしただけで、すぐけい察に引っぱられた。何についても新聞に書かれた通りに信じていなければならない時代だったが、新聞は軍部の言いなり!だから皆、戦争については黙っていた」と書いています。

私は(むかし戦争を始める時なぜみんなが反対しなかったんだろう)とずっと思っていました。でも今これを読んで、(そんな法りつがあって、ちょっとしゃべっただけでもろうやに入れられてしまうのだったら、みんなこわくて、政府の考えに反対するような事は言えないはずだナ)と分かりました。

今、日本は民主主義の国で、自分の思っていることを自由に話すことが出来ます。「社会科資料集」という本を読んでいたら、次のような事が分かりました。(1)軍国主義-昭和のはじめ、日本は不景気にみまわれ、銀行や会社が倒産し、たく山の人が職を失って生活に困るようになりました。軍部はアジア大陸に進出して、ゆきづまった日本の経済を立て直そうとしました。軍人の一部が首相を暗殺したり反乱を起こしたりして、政治に対する軍部の力が強まり、次第に政党も軍部と手を結ぶようになりました(2)民主主義-でも日本は1945年に戦争にまけて、軍隊は解散させられ、1946年に民主主義にもとづいた新しい「日本国憲法」が出来ました。

お母さん達は、「真希達はまだ子供だけど大人から守ってもらうばかりじゃなくて、自分達で平和を守れる人に育ってほしいのよ」と言っています。私達は自分の意見をきちんと言えることが大事だし、ちゃんとした自分の意見を言うためには、本当の事を知り、その事をじっくり考えて、考えた事を行動にうつすことが大事だと思います。

平和祈願行進は「私は平和を守りたいです」という考えを行動に表したものです。そして、お年寄りだったり、体が丈夫でなかったり、お仕事だったりして参加したくてもできなかった人は、お祈りやお茶の準備で私達を助けてくれました。みんなと一緒に元気に20キロ歩いて、平和をお祈りしたのは、この夏休みの、とってもすてきな思い出です。

(おわり)

開かれた教会づくり
全国会議・東京教区代表者会議開く -宣教のページ-

ナイス=福音宣教全国推進会議(11月20日~23日、京都カテドラル河原町教会にて開催)まで残すところ20日余りとなった。

東京教区では、ナイス実行委員会に提出する中間活動報告の検討(8月23日代表者会議)、ナイスにおける発題内容の討論(9月20日代表者会議)、開かれた教会づくり-連続講演とパネルディスカッション(9月毎週金曜日)、ナイスについての説明と分かち合い(9月24日拡大宣教司牧評議会)など、ナイスの浸透と信徒の意見を吸い上げるために代表者の積極的な行動が続いている。

この中から9月20日に行われた代表者会議の腹蔵のない意見交換の要旨を紹介する。11月15日に開催される全国会議代表者、小教区代表者および宣司評委員による分かち合い(拡大宣司評)のために小教区での討論の参考とされることを望む。

タレント性を活かし豊かな発言を

東京教区代表者会議は9月20日私学会館において、13名の全国会議代表者、森補佐司教、宣教研究所長岡田神父他、広報・実行委員担当の司祭3名が参加して開催され、全国会議における代表者間の連絡委員を兼ねた議長として古川神父、萩野氏を選出後、森司教の経過と主旨説明が行われた。

この中で森司教は、「全国16教区から寄せられた課題案を整理すると、福音宣教という言葉には3つの意味がある」として、

1、秘蹟を通して教え授けることによって教会共同体に招こうとする宣教理念のもとに刷新しようとする姿勢。

2、私たちは地の塩、世の光であるというカトリックの価値観と真理を現代社会に向って語りかける事から教会共同体を刷新しようとする姿勢。

3、社会の人々の生活の中の苦しみ、悲しみ、喜びに共感し、共に歩むことによって教会共同体を育成し刷新しようとする姿勢。

を上げ、「これらはバランスが取れた形で課題、3本の柱、9項目の要点に深く結びついている。」と説明した。

会議は(日程別掲)280名が15グループに分かれ、第1日目課題「開かれた教会づくり」、2日、3日目柱「社会とともに歩む教会」「生活の中で育てる信仰」「福音宣教をする小教区」分団会方式で討議し、最終日に具体的提案のまとめと採択、アピールの採択が行われる。したがって、「全国、教区、小教区レベルで改善し、刷新すべき具体的提案を全国会議の討論の場で行えるよう準備する」ため、11月15日に開催する小教区の代表を交えた拡大宣司評において提案がまとめられるよう要望された。

尚、分団会の討論には、代表者のタレント性を活かし、東京教区の意向を自由に発言していくことになっている。最後に全国会議2日目の発題(柱2生活)者に萩野氏を選出して閉会した。

遊離=緊張の緩みでは

代表者会議は全国大会に望むための統一見解を求める性質のものではなく、あらゆる方向性がある意見や見方に対して、代表者が共通の認識を持つ事が目的であるとの確認がされ討論に入った。

討論は全国会議の日程に従って進められ、最初に「信仰と生活の遊離、教会と日本社会の遊離」について司教団の考え方の説明を受けた後、代表者が次のように発言した。

◆遊離とはグローバルに見た事であって、司教団の声明もある視点に立っている。一面では信仰と生活が密接に一致している人もいるが、一方では内面的にかろうじて信仰に支えられているが、家庭や職場など実生活面では総て通用しない人もいる。信仰による倫理的な部分の理解と現在の社会の理論とのズレの中で信仰をどの様に育てるのか、この点から論議が喚起される事を司教団は望んでいる。

◆聖書にある働く時間が異るが価値によって同じ賃金をもらえる、というキリストのソロバンと現在の社会のソロバンは異っている。ここに遊離があるが、遊離があるからこそ、社会がキリストを求めているのではないか。

◆遊離ではなく緊張が緩んでいると言った方が適切ではないか。

◆遊離に対して、どうしたら遊離しないかという方法論の論議になり易い。遊離の要因は個々で異るのであるから、自分自身で見つけていくためにも、実生活と信仰の絆を緊張させる事が必要だ。

◆信徒の世俗的な価値観と教会の価値観は違う。しかし、遊離の問題は日本人として、日本文化の中で、福音を根本的にどのように受け止めるかにかかっている。

◆本当に遊離していたら悩まない。今の日本でカトリック信者であることはシンドイ。このシンドサには答のあるものと、答のないものがあるが、シンドイがゆえに起こる緊張の中で、自分で答を出すしかない。

◆シンドサには束縛がある。その束縛の中から自由を求めようとする動きが出る。シンドサがあるのは救いがあることではないか。

◆シンドサの本質に、どこか遠い所で作られたものがシンドサを与えて、無駄な緊張を与えていることも見分けなければならない。外からカトリックを見たとき、そのシンドサが見えるゆえに、入りづらいともいえないか。

◆シンドサを引き受けることが教会のフルメンバーであり、キリスト者の生き方だ、という励ましがあったなら、遊離の声はなかったのではないか。むしろ、聖と俗は別なもの、祈りとは別なものという教えが、シンドサを背負えないキリスト者を作ってしまったのだと思う。

◆自分自身やキリスト者にとって、いろんな社会がある。この社会の中では聖書の価値も異っているはずだ。この点から、日本社会に視点を求めて、社会をよく分析しておくことも大切ではないか。

教会=悩む人と共感する

司教団は全国会議における討論の中で、日本の教会が(司教団に対し)、教区が(各教区司教に対し)、小教区が(司祭と信徒に対し)開かれるための、具体的提案を求めている。

その提案は3本の柱のそれぞれの討議と分かち合いによってまとめることになっている。

今回の代表者会議においても3本の柱について具体的な討論を行った。

日本の社会とともに歩む教会

◆夜中にかかる、いのちの電話の青少年には、人生の中での価値を見失っているものが多い。この悩みの救いこそ、教会の使命ではないか。

訪れた人たちの心の扉に隙間を見つけて声をかけ、扉を開いて出て来るように導ける、マザーテレサに似た教会であって欲しい。

◆教会に来て何をするのか、そこから始める必要がある。

小さなグループでもよいから、分かち合って自分の心の中の経験を生かし、助けあう事が必要だ。

◆今の社会では言う事と行っている事が異る大人の世界がある。このギャップに青少年の悩みがあり、違和感が生じる。

◆長年一生懸命やっても結果が出ないと無力感が生じる。

教会にいるとかかわりを持たねばならない部分が多く、この事に緊張感を持ち続ける努力がどこまでできるのか、この点も考えるべきだ。

◆理屈抜きにかかわろうとするところにアクセントがある。

救う作業はイエズスの仕事で、ここに答えを求めて無理矢理合わせようとしたのが今までの教会だったのではないか。

◆こちらは救われている(教会)、向こうは救わねばならない人たちという構造ではなく、互いに共感する事の必要性を反省する意味が、この柱に込められている。

生活を通して育てられる信仰

◆信徒の中には信仰によってシンドサを乗り越えた喜びの生き様を持っている人もいる。この生き様、つまり証しを、小さなグループで、教会で分かち合えるようにまとめてはどうか。

◆良い所をピックアップして生かし、互いに共感するところを交流することができたら宣教のためになる。

◆証しはやり方によって小さい人々をほんろうしたり、よかったですねと言えない人たちにどう共感したらよいのか、難しいところがある。

◆生きる姿と目指すものがあれば証しではないか。

◆悩みを持った人が教会に来たとき、教理だという前に、その悩みこそキリストに近づいたと共感し、その人が先輩たちの証しを参考にすることができる、そこに意味があると思う。

◆実生活の生き様を分かち合うことが、信徒の霊性の最も大切なことである。神によって愛され、許されている私が、職場や家庭、社会のあらゆる所に入ることが大切で、それが証しだと思う。

◆特別に小さい人々はいない。私自身苦しむ小さい人だ、と目覚めることが教会にとって必要だ。

◆証しとは神から受け入れられた目で回りを見て共感する事だ。

福音宣教をする小教区

◆小教区を教会の内側から見ている。もっと人々に奉仕する小教区であって欲しい。

日常性の中で、“知らない”と言わない姿の小教区が、やがて地域とつながっていく。

又、例えできないと分かっていても、何とかかかわっていこうとする教会の姿であって欲しい。

◆小教区という言葉で範囲を小じんまり考えるのではなく、聖堂区とでも言うのか、ある地域でも良いから、司祭たちの共同司牧ができるように考えたい。

司祭たちのカリスマを生かした、小教区制度の見直しを提案する。

◆今の教会委員制度に問題がある。閉ざされた人が委員をやっているのが平均的教会だ。教会委員と信徒側の意識改革が必要だ。

◆小教区独立採算にもメスを入れるべき。

◆女性にとって未信者との結婚は、その後のケアが大変な悩みとなる。現在のカトリックの女性に関する問題が、日本の女性信徒の根本的な悩みになっていないだろうか。教会法としてこの根本的要因にメスを入れてはどうだろうか。

(同種の発言内容はまとめ、発言者名は略しました。文責国富)

開かれた教会づくり 講演とディスカッションの夕べ -宣教のページ-

「開かれた教会づくり」、今この課題に日本中の教会共同体・信徒たちが注目し、分かち合い、討論している。東京教区ではこうした動きに少しでも参考になるために「連続講演とパネルディスカッションの夕べ」を福音宣教推進部(市川裕神父)と真生会館(宣教研究所岡田武夫神父)が企画した。集いは9月4日より毎週金曜日午後7時から真生会館で開催され、毎回約50名の方々が熱心に聴き入った。

「開かれた教会とは」、「全国会議のめざすもの」とは、そして「開かれた教会をつくるには」と題するリレー式の連続講演会の第1回は東京教区司祭沢田和夫神父が、「生活の場に出向く教会への意識転換を訴え、弱い人々の立場に立って神に開かれた教会づくり」を話された。

第2回はイエズス会の岩島忠彦神父が、「今、私たちは自分の世界にだけ閉じこもっていた状態から、広い人類社会の枠組の中で自分の信仰を見直し、自分の意味を見直そうとしている。」と前置きし、「同じような状況にある人が一緒に話し合うことが必要であり、現状に即した信仰のあり方とキリスト教倫理が新たに確立されなければならない。」と主張された。

第3回は中央協議会事務局長、ナイス実行委員、岩橋淳一神父が、「カトリック全体を結ぶネットワークがないリスクを越えて、全国会議の開催を決断した司教団は、開かれる教会のために様々な意見を受け入れ討議し、実行していく気構えができている。」として具体的な提案のために分かち合ってほしい、と呼びかけた。

最終会のパネルディスカッションは、東京教区ナイス代表の国富佳夫氏の司会で、同藤井泰定神父、同福川正三氏、同長島世津子氏、同シスター広戸直江がパネラーとして発言された。

藤井神父は「痛みで一致し、痛みに感じて何かできることがないか探ることから始めてほしい。」と発言。福川氏は「聖書の中に信仰を育てる言葉が沢山ある。一日の反省の中で痛みを心に感じて、この言葉を重ね合せていく事が信仰を育てる」と話した。

長島氏は「開かれた教会=開かれた家庭であり、社会生活の中で神経を摺り減らす人間の価値観をいかに家庭の中で育てるかが大切ではないか。」と主婦の立場から提案、シスター広戸は「外に出なければ人々と共感する体験はできない。人を通して人の心の痛みを感じとれるチャンスを逃してはならない。」と結んだ。

最後に森一弘司教が、「私達は誰でも問題を抱えて答えを求めている。キリストによって過去に励まされた事を振り返って、助けたり助けられたりする、共感し共に歩む交流の場を作っていくことが必要ではないか。」と結ばれ、4日間にわたる集いを終了した。

尚、講師、パネラーの発言要旨は別掲した。

第1日 生活を通して育てられる信仰
東京教区司祭 沢田和夫神父

☆違った方面から一言

教会と聖堂を同一視するところに問題がある。例えば洗濯物を届けるクリーニング屋さんは、バイクで教会を担いで回り、青果商の店頭にも教会がある。

聖堂=教会という意識を転換して、出掛けて行く生活の場に出張る教会となれば素晴らしい。(コリント10・4)そのためには管理競争の厳しい仕事の場に出掛ける時、イエズスが公生活の初めにあわれた3つの試練を方針にすべきである。

◎神の口から出るすべての言葉によって生きる。(マタイ4・4)

ただ良心的に生きることではなく、あらゆる生活の場で、神の口から出る言葉をよくかみしめて生きること。

◎神を試みるな。日常の愚痴、不平不満を口に出すことは神を試みることである。

◎神のみに仕える。仕事の中で主に仕えるとは、仕事と聖書について考えてみましょう。

(1)キリストの真心を受け、真心向けて(ヨハネ6・29)キリストに信じ、遣わされた方を信じ、真心を返す。

(2)厳しい仕事の中にも人々と「主」への愛をこめて(創29・20)主への愛で行えば、あらゆる仕事の場に教会が出張ると確信する。

(3)キリストの手もととなって(Ⅰコリント4・1)どの様な立場の人でも、主に命を捧げて働く仕事の場には、教会が出張る。

(4)いのちを据え(ヨハネ15・3)人生最後の時間を神に捧げる。

(5)上る賛美、下る祝福に参加させてもらう(カルメル87夏号拙稿)

ミサ典礼の中で神に奉仕するだけでなく、又「良心的」に働くのとは違う、どろどろとした現実社会の中にキリストが入り、いのちのことばで生かされ奉仕出来ることを感謝。

☆日本の社会とともに歩む教会

本来日本人の意識にある共同体のイメージは、生活、事業等の管理し易い閉ざされた共同体だと言える。宣教共同体は、閉ざされたコミュニティを超えて広がるコムニオ(深親交)型教会へと転換して行くことが望ましい。教会は本来コムニオである。そこで諸教会がその原点に帰り、すべての教役者が一致して協働出来る開かれた教会の原動力となる。

立派な建物や組織を持つ教会ほど敷居が高く冷いと云われるが、外観より、輪座になってご聖体をいただき、いのちのみことばを分かち合うことの出来る教会、家庭集会よりももっと、日常生活に密着した地域レベルでの集会を考え「4畳半教会」もコムニオ型教会の一つの型としたら良い。地域に開かれた教会となる為には何を改めていくべきだろうか。

(1)「小教区」という言い方は区画意識が強く表われている。そこでお寺やお宮の境内のように町内の人が自由に出入り出来る町内教会へと、まず内部の人間の意識転換が望ましい。

(2)欧米人の「We」の意味と異り日本人が「私たち」を連発する度毎に、意識が「矮小化」している。そこでこの「私たち」を町内の、国中の、世界中の人々と言い換える必要性を感じる。教会を町内の人に開放し行事には積極的に参加する等周囲の人々の為に祈り、賛美を捧げる場にしたい。

☆福音宣教する小教区

典礼についてはどうか、信徒や洗礼希望者に対してだけでなく広く宣教する為に、一般の人にも窓を開くこと。ミサの中に一般の人々の為のみことばの祭儀を加え、入祭、奉納、拝領祈願は、信者のためだけでなく宣教型に一般に向け開放する工夫改定を提案したい。

例えば奉納も、野菜海産物等一般の人が持参した物を共に賛美し奉納の意向を表わせたらよい。

今の入信者は都会人が多く農漁村の人には縁がないと思われがちだが、農漁村の人も文字の苦手な人にも身体に障害のある弱い立場の人々に開かれた教会が望まれる。

○神の国の到来のしるしに(ルカ4・25)。

第2日 開かれた教会とは
イエズス会 岩島忠彦神父

今なぜ開かれた教会と言われているかと言うと、逆に過去に閉じられていた教会があった。歴史的にさかのぼって考えてゆき、今立っている現実の状態やそこにある困難、何を大切にしなければいけないかを考えてゆきたい。

閉じられた教会は初期の教会の姿だった。少数の殉教者や迫害にさらされた者がキリストのみに救いをもとめた教会。この世とは一線を引き、教会の外には救いはないという考え方。その後ヨーロッパではキリスト教が公認されキリスト教的社会ができ上っていった。教会は開かれていたが、しかしこれはキリスト教の見方であって、ユダヤ、イスラムの考え方は無視したやり方であり、他のものがはっきり見えてきた時、潜在的な大きな問題にぶち当ってゆく時代であった。

実際に問題になってきたのは近世の初頭。第一に新大陸の発見。今までのキリスト教の世界だけの枠組からの変化。第二に宗教改革、総ての虚飾を取り払って真のキリストの福音にたち戻らなければいけないと言う主張が中心にあった。カトリックは大きく影響され、教会は分裂した。プロテスタントが否定したものを強調しなければならなく法皇の権威を強く主張した。第三に近世いらいの人間の自由、理性の自立、合理主義、啓蒙主義の精神の発展。自分の理性、自由を神から切り離して自分の持てる力でおこなおうとしだした。教会は面と向かう事を避けてきた。国民が宗教抜きで国家に対する国民国家という意識を持った例は、フランス革命の主権は民にあると言う思想、主権は神から与えられたのではないと言う考えは、教会と国家を対立させる要素となった。教会は自分達の世界を作り扉を閉ざして来た時代は三百年から四百年続いた。

独自の世界を構成してきた教会がその壁を打ち崩されるようになってきたのは第2バチカン公会議からだった。純粋培養され、育まれてきた信仰の社会があらゆる出会いの課題を与えられ、現実と直面した。二百年から三百年閉じこもってきた所から広い枠組の中で信仰を見直す時、教会はどうあるべきかを問うと独自の世界ではよく働いて有効であったシステムが外に出れば通用しない物になっている事がわかる。外との健全な交流がなされていない今までの形骸化した状態では一般社会の目で見れば過去から適応しきれないでいるセクト的存在に見える。

日本にキリスト教が伝わって百年近くたっているが、待てど暮せど何もおこらない。何らかの打開策として司教団がスローガンを打ち出した。基本方針は福音宣教だ。公会議で言われた教会は神の民である。キリストは説教されただけではなく、神の愛を行動で示された。それを見た人が希望を持てた。キリストの役割をするのが神の民。教会は制度や組織より神第一、神によって作られた神の為の使命が教会。公会議では教会は神の民との出会いの秘跡であると言っているが、もっと大切な事は恵みは証しであり、証しはその人の生き方である。第三者から見たら希望や救いを見い出せる生き方でなければならない。根本は実際の生き方が信仰の精神によって生きられているか、毎日の生活と信仰が切り離されていないかである。多くの場合信仰は私事、世の中に出たら出さないと言う形が多く毒にも薬にもならない。迫害もされないかわりに光にもなれない。信仰すると言う事は生きること、毎日の生活でキリストに従うことで、意識の転換が必要だ。生活に生きた信仰は、日々が正念場であると言う自覚に立ち、一人一人が自分でしていかなければならない。

第3日 全国会議のめざすもの
中央協議会事務局長 岩橋淳一神父

日本は欧米と違ってキリスト教の地盤がなく、宣教が第一の使命であるにもかかわらず、教書なども直訳の焼直しでは適用に無理があった。

さらに、日本の16に分れた各教区は独立体であり、各司教は教区単位で生きてこられた。教区によっては信者数も違い、抱えている問題も違う。

したがって、ある問題について日本のカトリック教会はどう考えるのかと問われても、「教区では」とは言えても、「日本のカトリック教会としては」とは言えない現状がある。

しかし、今こそ「日本の教会」という視野で考えなければならない時期であるとの危機感、必要性を司教方は持っている。

欧米の方々から受けた多くの霊性に助けられて、今こそ日本人の現実に根ざした信仰をとらえ直す時であり、発想の転換を図っていく時である。このことが「普遍教会」やアジアの教会へも寄与していくことになろう。

こうした時期に、教区、修道会、信徒に全国的なネットワークがないというリスクを越えて、みんなで「日本の教会」を考えるために司教方が全国会議を決断し、提唱したのは、背水の陣を敷いて清水の舞台に立ったようなものである。だから私たち信徒が、そこをプッシュできるかどうかが、会議の成功の鍵を握っていると思う。

しかし、全国会議の課題にしても、福音宣教というとらえ方でいろいろ違ってくる。

例えば、秘蹟という面でとらえると、教会の使命は人々を洗礼に導くこととなり、真理という面でとらえると、人間は皆平等なんだという点に光が当てられる。もう一つ、教会の外の人たちとも手をつないでいくというとらえ方もあり、3つの考え方がでてきている。

個人のレベルにおいても、信仰、愛、福音宣教という言葉がどのようにとらえられ、何を意味しているかということを、深く確認することもなく使われている。これらも、信徒の置かれている現実の生活の場からの声で分かちあい、確認し合うという、そこから始まっていかなければならない。

優先課題に書かれている「2つの輪」についても、実は1つにできなかった結果である。

また、「代表者」という言葉にしても、必ずしも組織としての代表者ではないし、一部の人の意見しか反映できないかもしれない。

その他、時間的、経済的な限界とか、種々の問題を抱えているのが日本の教会の現実である。そして、全国会議もこの現実を抱えたまま突入しようとしている。

こうした中で喜ばしいことは、どんな意見が出ようとも、司教方は多分驚かず、どういう意見に対しても、それを受けて討議していこうとする気構えができていることである。

12月の司教会議は、この全国会議の整理が行われる。この会議で出たものがすぐに成果として現れるとは思わないが、可能性のある問題を討議し、取り組むべきことを整理し、具体的な政策を実施し始めると思う。

私たち全国会議事務局は、良い準備をして、良い会議が行われ、それを執行していく膨大で大変な仕事が生まれることを歓迎している。

皆さんのそれぞれの立場で協力頂き、祈って頂くことをお願いしたい。

第4日 パネルディスカッション
人の痛みを共にする小教区 藤井泰定神父

私は、週に一日、山谷のM.C.のブラザーのところで、ボランティアをしています。

3年前の非常に寒い冬に、たくさんの凍死者がでたことがあります。死んだ人の中には、もとA.A.のメンバーで、アル中に逆もどりした人がたくさんいました。M.C.の人たちは、そのことを非常に痛みとして受けとめて、相談室、クリニックを開設し、その後、宿泊所を探しました。

ある神父様から、浅草教会を宿泊所に貸してもらえないだろうかといわれ、信徒会館を提供することにして、一冬使ったんです。

100日で、1500人ぐらいの人が利用しました。その間にかかわったボランティアは170人です。

信徒会館を浮浪者の宿泊所にすることは、教会の中ですごい抵抗がありましたけど……。臭気と蚤やしらみの問題もあったので、土曜日は消毒をして、日曜日には信徒会館として使えるようにします。といって……それは実際たいへんなことでした。

しかし、私は小教区でいつも大事にされてきた一致という問題をみんなで一緒にバザーをやるとか、社会的な問題を一緒にやるなど、一体化ととらえていたことに疑問を感じていました。一致するというのは、とてもきれいなことばだけど、みんなが同じことをするのではなく、それぞれが自分の痛みになるものにかかわることが大事なのではないかな、と思っていたときに浮浪者のために信徒会館をつかわしてほしい、という申し入れがあったのです。

小教区があるのは、教会がその地域の人々に奉仕するためであって、その地域の人々をご自分のもとに呼び集めようとなさっている方のために、奉仕するのが小教区ではないかと思います。その見えるしるしとして、聖堂があるのではないかと思います。

私は、開かれた教会ということを考えるとき、イエズス自身が人びとに開かれた方であるということを基本に考えています。

ことばの飢え 福川正三

どうしたら生活の中に信仰の光を、キリストの香りを生かすことができるかということについて、私なりに感じていることは、“ことば”です。

どんな生活をしている人でも、ことばのない人はいないと思うのです。現代の人々の生活の中でそのことばがどうなっているのか、私が体験したことを通して考えてみたいと思います。

ある幼稚園のお母さんの集まりで、私が、「いま、お金以外にあなたが一番ほしいものは何ですか?」という質問をしました。すると、ひとりのお母さんがはっきりと言ったんです。「主人が家の中で、必要なこと以外ほんとうにものを言ってくれない。もっと暖かいことばを言ってほしい、と思っています」

もう一つの例は、ある中学生が自殺をしたんです。その子の遺書が新聞にでていたのですが、「ぼくには、ほんとうに心から話しあえる人がひとりもいない。ひとりでもいたら、こんなことにならなかったと思う」と書いていたのです。

旧約のアモスは、「私は大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主のことばを聞くことのできぬ飢えと渇きだ」と言っています。

いま、東京の中にこの飢えがあるのではないかと思ったんです。主のことばに飢えている人が、私どもの周囲にたくさんいるのではないでしょうか。それに気づく必要があると思います。

神のことばを聴くといいながら、隣りの人のことばがきけないで何で神のことばが聴けるのだろうかと思います。周りの人のことばを聴くということは、とても大切なことだと思います。聴いて、理解する。ほんとうに信仰があれば、人のいうことを心から聴いて、あたたかく応対することができるはずです。

私は、生活を通して育てられる信仰というのは、そういうところにポイントがあるのではないかと思っています。

家庭を開いて 長島世津子

家庭というのは、社会で一番小さな単位ですし、社会生活の原体験の場だと思います。

そして、同時に、神の民、教会共同体の一番小さな単位です。

開かれた家庭の姿を考えることによって、開かれた教会のイメージを洞察することができるのではないでしょうか。

住宅事情がきびしい日本の教会で、家庭を開いていくとは、どういうことかと言うとき、私は、フィリピンのスラムの家庭に行ったときのことを思い出します。その家庭は、ベッドも一つしかなく、自分たちは床に寝て、ごはんもお米の中に、2、3本のさやいんげんが入っているだけでした。何もないけど、貧しさを分かち合ってくれた彼女たちの心が私の中に入ってきました。

特別にもてなすことでなく、ありのままを開く、貧しさを開くというか……愛を必要としている人たち、例えば、アジアの留学生の人たちで、日本の家庭に一度も招かれたことのない人がたくさんいらっしゃるんですね。そういう人たちを、どういう形でもいいから招いてあげる。私たちのありのままを開くということが、日本の中で家庭を開くということではないかと思います。

もう一つは、家庭の価値観を社会に及ぼしていくということです。生産性とか、企業優先の社会の中で、男の方たちが朝から晩まで、必死で働いて命をすり減らしていらっしゃる。

疲れて帰ってきて、人間が人間として出会える場の家庭の中に対話がない。また、子供は、自分が生まれてきたという生きがいを感じられないかのように“あなたは、偏差値でこの程度の人間です”という形ではかられてしまうんですね。

でも、せめて家庭の中では、人間が人間であるから大切なんだ、という価値観を社会に及ぼしていくことだと思います。

出会いによってかえられる Sr広戸直江

私は、何年か前に、自分の信仰と生活が遊離しているということに気づかされたんですね。祈りの中で、ほんとうにイエズスさまを体験し、出会って、学校でそれを伝えていたわけです。

でも、それは生活の体験が入っていないために、生徒には、私が語っていることばがわかってもらえない。ズレがでてくる。だから伝えていても、果たしてよき知らせを伝えているんだろうかと、ジレンマを感じていたわけです。

そうもがいていたとき、タイの難民キャンプにボランティアでいく機会があって、そこで一つの体験をしたんです。ひとりの子がすごい残酷な目にあって生きるか死ぬかだったんですね。私は、その子の手を握って祈るしかなかったんです。

私ができることは、祈りと存在だけでしたけど、その子の痛みが、難民の人たちの痛みが伝わってきたんですね。それ以来、私は、ほんとうに変えられたと思うんです。

そしていま、偶然のことから、2人のベトナムの男の子の母親がわりのようなことをさせていただいているんですけど、私は、その子たちを通して教えられることばかりなんですね。

私がそこで体験したことをうちの学校で話すように頼まれ、小学生に話しているとき、ひとりの子が立ち上がり、「シスター、私たちの中にも難民がいます」と言ったんです。「私たちは、自分の嫌いな友だちを追い出して、その人に淋しい思いをさせている。それは、ほんとうにいけないことだ」と。私たちの中にも難民がいることに気づいたその子どもの心から、また教えられたんです。

私は、いま学校で学生に聖書を教えているわけですが、同時に人の痛みを体験できる場をもったり、自分たちのまわりにあることを一緒に考え、分かち合っていくことが、教育者としての私にできることかなと思っています。

理解し・力を結集して 森一弘司教

みなさんの発言を聞いていると、そこに全部イエズスさまの姿をとらえることができました。イエズスさまは受肉されて、十字架に向かって歩むまでに、イエズス自身がものすごい痛みを感じながら、背負いながら、ほんとうの愛を証していかれました。

私たちは、現代の日本の社会の痛みを知っているだろうか。また知っていても、相手の現実を知らないで、相手を殺してしまうことばや、一方的に述べてしまうことばなど、反省しなければならないことがたくさんあるように思います。

開かれた教会とは、教会が人々の痛み、日本の社会の痛みを受け取りながら、感じとりながら、教会全体が日本の社会によって、逆に変えられ、イエズスさまの十字架の姿に変容していくその過程を歩んでいくのではないかと思います。

「開かれた教会づくり」というテーマのもとに行われる全国会議が、教会の中にあらたな分裂とか、つまずきをあたえるような場にはしたくないし、するべきではないと思います。

今までバラバラにやってきたことや、それぞれの立場でやっていることをお互いに理解し、力を結集して、人びとや社会全体と愛に満ちた交流をしながら、教会全体が変えられていく、ほんとうの意味での成熟への第一歩を勇気をもって踏み出すときではないかと思います。

障害者と共に考える集い
今年も行きました!ふれ愛旅行
主催 東京教区福祉部 障害者問題小委員会 -宣教のページ-

那須高原の自然の中で

昨年、障害者の方々と湯沢へ旅行した障害者問題小委員会は、「今年も行きますふれ愛旅行」をテーマに、7月11日、12日の両日東北新幹線とバスで那須への旅行を行った。

参加者は障害者32名を含む116名、女性中心のスタッフと完璧な障害者施設の利用など昨年と対象的な企画ではあったが、自然の中で多くの出会いとふれ合いの機会を与えてくれた旅行であった。

ミサは琴の調べにのって

今年も若い人たちが企画した「ふれ愛」の旅には、楽しみな催しがいっぱいつまっている。

1日目は、新幹線の中で「今夜、仮装大会があります」とアナウンス。夕食後、障害者、健常者が皆協力してグループごとに思い思いの姿に扮し、会場となっているキャンプファイヤーの回りに集まって来た。

火を囲んで歌と踊りの後の仮装行列には、車椅子の独眼竜政宗や未信徒の扮する車椅子の神父がとりもつ奇妙な結婚式、はずかしそうな中学生の関取、月の砂漠のラクダ、コウモリにドラキュラ、かぐや姫、そして新幹線に化けた子供たち等々、笑いの渦が夜空に吸い込まれていく。

続いて恒例の花火大会。目の不自由な方のために音の出る花火も用意されていた。宙に尾を引くロケット花火、頭上で花が咲き、地面では百花繚乱ねずみ花火が線香花火を楽しむ人の足元をはい廻る。

大さわぎの中、森司教が到着し遊びの輪の中に入られた。

その夜はゲームを楽しむ者、酒を得て語り明かす者、温泉につかって寝てしまう者など様々にコミュニケーションの場が作られた。

2日目の朝はスピーカーから流れるカテドラルの鐘の音で目覚める。ミサは目の不自由な今松さんの奏でる琴で聖歌を歌い感激された方がほとんど。耳の不自由な方のためにOHPが用意される等、手話、説教、司式を、参加された神父が分担して行われた。

朝食後、窯業場で素焼の茶碗に思い思いのデザインで絵付けをする(小砂焼と言い、本焼後各自に配達された)。

買物に続いて那珂川で昼食。前日の仮装大会の表彰はなんと上野駅の閉会式の中、賞品は宝くじであった。

草の根運動の原点を感じる

今回の旅行を通してすばらしかったことは、旅行後に参加された方から、その友人から、または御両親から寄せられた数多くの感謝と喜びの声であった。

「だっこして悲しい程軽かったこと。一つ一つに対する応対の笑顔、はい、いいえの素直な心、私にとって今後の課題をいくつも投げかけてくれました。」と看護婦さんから。

参加した他の車椅子の方を見て発奮、今までボランティアの方と車で行っていた病院に一人で三輪電動車に乗り、カンカン照りの中を真っ赤に焼けて1時間の道を通うようになった障害者の方。

この旅行を一つの区切りとしてカトリックに改宗された健常者の方や旅行の写真を学校の先生に見せたところ「こんな明るい顔は今まで見たことがない」と喜んで下さったと参加者の御両親。そして、心因性の病気上りにもかかわらず、就職ができたとの報告等々である。

このような新しい出会いはこの旅行を企画したスタッフの側にもいろいろな形で現われている。「ふれ愛」の旅とはこのように自分自身をも含めた人間同士の本当の出会いの旅ではないだろうか。

私たちは何かこのようなイベントを計画しようとするとき、ともすると大きなことを企画しがちである。しかし、どんなに大々的なイベントを企画してもそれだけでは無意味である。大切なことは、それが一人一人の人生にどうかかわったかということではないだろうか。

こうしたことを通して、私たちは神が私たち一人一人をどれ程心にかけ、大切にして下さっているかを知ることができる本当の草の根運動の原点が、ここにあるような気がする。 阿部泰久 記

あとがき

今年もすっかり秋色の風の季節、食欲の秋、読書の秋、そして旅行の秋、運動会や遠足もう終わりましたか。目指すは、クリスマス、一年は何と早い事やら。

この頃、聖書を読まない、お祈りが足りないと耳にいたします。とても耳の痛い話ですが、この現代の時の流れの早さに乗るだけで精一杯って方多いと思います。もう少しすると、両手をポケットに突っ込み肩を丸めて足早やに街を歩く人があちこちで見うけられます。

そんな季節の訪れの前の季節、忙しい手をほんの少し休めて美術館へ行くのはどうでしょうか。秋の夜長、ちょっぴりおしゃれして音楽会はいかがでしょうか。たまには、ちょっと違う角度からキリストの社会を見る、それも良いでしょう。良いものを見聴きする忙しい毎日の生活の中でほんの少し心のゆとりが持てる事でしょう。美術館巡りも音楽会も今が似合うそんな季節です。心痛むような事件が続く世の中、心がカゼをひかないように、又心貧しくならないうちにほんの少しの心のゆとり確保しておきたいです。それぞれの秋どんな過ごし方をなさいますか。