お知らせ

お知らせ

東京教区ニュース第25号

1978年05月01日

目次

五日市霊園申込受付中

このたび五日市霊園に新しい墓地が完成いたしました。ご希望のかたには参考資料を送ります。問合せは文京区関口3-16-15、五日市霊園管理事務所(電943-2301)まで。

(1)場所、西多摩郡五日市町伊奈一番。(国電五日市線武蔵増戸駅下車徒歩15分)

(2)価格。3.3平方メートル一区15万円より25万円まで。 

受け手の出方一つで変る
マスコミ界のからくり 無関心こそ最大の敵

教区は4月30日、カトリック・センターで第4回広報大会を開いた。参加者200人を超す盛会であったが、修道女の姿が目立ち、信徒の関心はもうひとつというところだった。今年の世界広報の日のテーマが「マスコミの受け手-その期待・権利・義務」ということから、プログラムもこれに焦点をあわせて組まれた。なかでも「マスコミと日本人」と題する、森本哲郎氏の講演はわかりやすく面白く、しかも当を得たものであった。テーマそのものは全国広報委秘書・水浦征男神父によって解説された。教区広報委では、マスコミについての認識を深める目的で向う一年間隔月に「マスコミについていっしょに考える集い」を計画しているため、講演・解説・ミサをはじめ、今年の大会のすべてはこれへ導入する色合いの濃いものとなった。

さめた目でみよ

「マスコミについていっしょに考える集い」の第1回が5月14日初台教会で開かれた。NHK視聴者センター副主管・志賀晴児氏の「テレビについて」の講演とそれへの質疑。参加者は修道者をふくめて約五十人。話の骨子は(1)放映内容の本質に、さめた目で反応を、とくに権力の道具とならぬよう監視(2)テレビに人間救済の役割をも(3)きさくに意見がいえるようメディア機関と日頃から友好を。

次回は7月9日(日)「新聞について」-新聞を信じるべきか-毎日新聞編集委員・徳岡孝夫氏の講演を中心に、吉祥寺教会で。

講演に先だち、徳岡氏は次のような言葉をよせている。-新聞に「昨日、何町、何丁目で火事」と書いてあれば、信じてもまずまずまちがいではない。だがもっと複雑なニュースについて、私たちは全面的に新聞を信じていいだろうか。新聞を疑うことこそ、真実に近づく道だ。

会は午後二時、酒井新二氏(広報委・共同通信)の司会ではじまった。はじめに青木静男師(教区広報担当司祭)が挨拶、こまかいことはプログラムをこなしてゆくうちにあきらかになる。大会のねらいは、教区広報委が、連続講演などマスコミについて皆で考えてゆくために計画した催しへの導入である。広報のことは「広報の日」にだけ考えればよいというものではない。隔月一回のこれからの催しにも是非多数参加してほしい、と述べた。

大人になれ

つづいて森本哲郎氏(元朝日新聞学芸部次長・編集委員)が「マスコミと日本人」と題し、一時間半にわたって講演した。同氏の話の要点は(1)マスコミの代表的機関である新聞が種類のわりには画一的で個性がない(2)受け手はこのような画一性に対して不満をぶつけるべきだ(3)しかし新聞をそのようにさせたのは、何かと云えば偏向ときめつけ、過剰の絶対性を要求する受け手にも責任がある(4)同時に新聞の企業性から来る経済面のことも考えにいれなければならない(5)それに関連することだが広告でも規準が成人にあてられていない。幼児をだしに母親をくすぐって商品の売上げをふやそうなど視聴者を馬鹿にしている(6)にもかかわらずこの種の報道を権威あるものととらえ、それに引きづられるのは受け手の幼稚性であり、判断の材料を提供してくれるものだぐらいに考えねばだめだ(7)要は受け手が大人になること、広報の日のテーマ「マスコミへの受け手の期待・権利・義務」はその意味でまさにピシャリだ-など。

ペンと声で

しばらく休憩ののち、水浦征男師(全国広報委員会秘書)による注目のテーマのこまかい解説。

【受け手】言葉として、一部の人にとってはなじみうすく、ピンとこないかもしれない。とりもなおさずわれわれ1人ひとりのことをさしている。これに対し作家、シナリオ・ライター、プロデューサー、映画監督、記者などが送り手とよばれる。テレビ、ラジオ、新聞などはメディア(媒体)だ。

会話ではわれわれは互に送り手と受け手になるが、マスコミの場合はやや一方的で、受け手の反応が送り手につたわりにくい。送り手側は、受け手が何を望み、何を嫌っているかを知りたがっているのだ。一般に考えられる以上に、メディアの質を改善することができる。そこに「期待」がもてる。

【権利・義務】これらの言葉は表裏一体をなす。マスメディアへの期待は受け手が権利を行使し、義務を果たしたとき、むくわれるものとなる。要は内容について反応を示すことである。新聞についてはまず投書欄に投稿することからはじめる。ここで大切なのは、それが掲載されるかどうかは問題ではないということ。読者の考えを編集者に伝えるということが目的なのだから。そのほかに新聞社に直接、電話や手紙で知らせる方法がある。テレビにも視聴者の声に応ずる窓口がある。おもに電話であるが投書でもよい。

いま話したのは、反応の示しかたのほんの一例であるが、大切なのは実際にはじめてみることではなかろうか。

奇数月に考える集い

会の終りに「マスコミについていっしょに考える集い」を司会の酒井新二氏が紹介した。マスコミへの受け手の期待を云々といっても、まず相手方の仕組を知ることが先決だ。教区広報委では向う一年間隔月に、マスコミのいろいろなジャンルから専門家を招いて講演をきき、皆で考える会を企画した。この企画と実施には聖パウロ女子修道会の協力が大きい。

教区の今年度の活動方針に「小教区」もあることから、会場もできるだけ教会もちまわりとした。なお開催日はいつも日曜日であるため、また時間のこともあたまに入れ、信者の便宜を考えて終りは必ずミサでしめくくる。

今日の大会には参加者も予想以上であったが、修道女の姿が目立った。一般信徒の参加がもっと望まれる。とくに広報に関係する神父と鎌倉からでてきた一神父をのぞいて、教区内に住む司祭の出席が皆無だったのは残念だとの声が多かった。

参加しょう

第1回 5月14日(日)

テレビについて-NHK視聴者センター副主管・志賀晴児氏(初台教会)

第2回 7月9日(日)

新聞について-毎日新聞編集委員・徳岡孝夫氏(吉祥寺教会)

第3回 9月10日(日)

ラジオについて-文化放送編成部次長・町田 勲氏(田園調布教会)

第4回 11月12日(日)

週刊誌について-週刊文春編集部・鈴木重遠氏(麹町教会)

第5回 1月14日(日)

映画について-岩波ホール総支配人・高野悦子氏(聖パウロ女子修道会)

第6回 3月11日(日)

広告について-J・ウォルタートンプソン社・野田 実氏(カトリックセンター)

いずれも午後2-4時。つづいてミサ。

何冊でもゆっくり 三木図書館

上智大構内にある三木図書館は単にキリスト教図書館であるだけでなく、人間に関するあらゆる分野の本を集めた綜合図書館。その範囲は、人類学・心理学・神学・歴史・宗教・教育・音楽・芸術・文学などにわたっている。また東西文化の伝統と進歩、両面の紹介を主眼として本を選んでいる。日本語・外国語の本、いずれも約二万冊。登録したものは自由に書庫に入って本を調べたり、選んだりすることができる。また随時、図書館員が利用者の質問に応じ、じゅうぶんなレファレンスサービスができるようになっている。

▽公共図書館で一般年間五百円。

▽貸出冊数に制限がない。

▽長期貸出しが可能である。

▽平日10~6時、日曜9~1時半

▽上智大学内・上智会館二階。

電話(265)9211

大司教 快方へ

冠状動脈の一部狭さくによる心臓発作のため、東京女子医大病院に入院、検査中であった白柳大司教は、無事退院した。今のところ手術の必要はなく、養生しつつ聖務についている。

信仰のふところ

工場と調和の五井

五井教会は、京葉臨海工業地帯の中心・市原市五井町にあり、勤労者の保護者・聖ヨゼフを保護の聖人としている。信徒の多くは工業地帯の工場と何らかのかかわりあいをもち、それらの拡大と発展とともに集まってきている。

1965年に献堂され、当時は数えるほどの人数でしかなかった信徒も、現在は300人に達している。よい意味で互いに刺激しあいダイナミックで暖い教会というイメージができ上りつつある。千葉ブロックは小教区の司牧が聖コロンバン会に依託されている。オサリバン神父の、アクセルとブレーキのふみ分けもよろしく、布教、信徒の養成・錬成・親睦のための活動が続けられている。毎月発行されるガリ版刷りの教会ニュースは、世話人を通して十地区にわけられた全家庭へ配布されている。家庭集会や信徒集会ではその時どきの問題について話し合う。

教会内の活動・行事に関する基本方針は運営委員会で決める。教会委員は二年任期であるが、信徒総会で選ぶ前に、候補者が「やる意志」があるかどうかを確めるのが特徴。辞退者の増加は問題だ。

一番力を入れているのが教会学校で、先生役の父兄もいろいろと研究している。年間行事としては被昇天の夕べの集い、バザー、市営の墓園内で行なう死者の日の追悼ミサとレクレーションである。ダイナミックに活動する若い教会である一方、信仰の古巣・長崎の人が多いことも特徴の一つで、初金のミサ、四旬節の十字架の道行も続けられ、勤め帰りの人もあずかっている。小さいながらも不思議なハーモニーをもつ、熱意につつまれた教会である。

ひろば

ヤタラ怒ルナ

一見平和なようだが、権利の主張や誇示のために「怒り」が至るところに渦巻いている。毎日の報道はキリストの国がだんだん遠くなるような気を起させ、身を縮ませる。

「怒り」は集結されれば戦争にまで拡大される。何かを遂行するにあたり「怒らなければだめだ」という表現もあるが、これは発憤せよということで、憎しみをもてというのではない。「怒り」のない人間関係をのぞむのは、単なる憧れにしかすぎないのだろうか。

マスコミに「蟻の町のマリア」と呼ばれていた北原怜子は、粗野な男たちの集団の中にありながら、どんな時にも決して言葉を荒立てることがなかった。また柔和なほほえみを失うこともなかった。

そのためカトリックの教義はよくわからなくても、あの人の信仰するものならば、と受洗する者があい次いだ。彼女はまた高いところから説教するような真似もしなかった。したがって教義の理解は洗礼のあとになることもやむを得なかった。

ずっと以前のこと、同じ集団の中に、言動すべてに怒気を含んでいる権力者がいた。その人の生存中は、他のものはいつもおろおろしながら暮していた。あるとき一人が、なにかのきっかけで庭の端に人間の頭ほどの石を置き、それに「ニコニコ石」と命名した。誰かが怒りたくなったら、急いでそれを触わりにゆく、そうすれば、そんな衝動は消滅するというわけである。しかしその権力者は終生それを触わらずじまいであった。

まさに柔和は最高の徳であり「怒り」は軽べつを招くのみである。「人間の怒りは神の義を果たすことができない。」-ヤコボ・1・20-この言葉の真ずいを、今の年令になって、やっと理解できたような気がする。(枝川教会・塚本慎三)

あした葉

殉職自衛隊員山口県護国神社「合祀」拒否の訴訟が73年以来山口地方裁判所で審理されている。この訴訟の原告・中谷康子さんの夫である自衛官・孝文氏は68年1月、公務に従事中、交通事故で死亡した▼自衛隊山口地連が、山口県出身の同氏を護国神社に「合祀」するのに必要だといって戸籍謄本や殉職証明書などの取寄せ依頼と勲章・階級の調査に来たのは72年3月である。靖国問題の学習をしたこの康子さんは、護国神社も同じではないかと思い拒否した▼ところが同年七月「永代神楽料をいただいたので毎年一月に祭神中谷孝文氏の命日祭を永代に続ける」旨の通知が、自衛隊を通して護国神社からとどいたのである▼この合祀は自衛隊の外郭団体である隊友会名義の申請に基づいている。原告は国及び隊友会を共同被告として手続きの取消などの訴を起した。自衛官の士気を高揚するためすでに行なわれてきた慰霊祭がついに護国神社の祭神として崇めるという行事に発展したのである▼思うに、殉職自衛官を護国神社の祭神とすることは、殉職(有事の時の戦死)を美化する道徳の復活を意味し、靖国神社国営化のねらいもそこにある。在韓米軍撤退を機とし新段階に入った政府の自主防衛策を、国民的基盤において発展させようとする勢力はこれを急務と考えていた▼このことは近ごろの君が代・元号問題、「建国記念の日」の政府後援をはじめ「英霊にこたえる会」による靖国神社天皇公式参拝要望の署名運動などにも端的に表われている。政教分離の風化は自主防衛路線と軌を一にし、互いにからみあう。政教分離侵害の論争が、自衛隊問題そのものであることをこの裁判は示唆している▼キリスト者である原告の意志を無視し、愛する夫と後世でもひきさくことは右傾への危惧とは別に信仰問題であり、さらに婦人問題でもあること勿論である。(S・A)

ほり起しはブロックから 曲り角に反省も

教区の活動方針をきめる代議員会がひらかれてから2ヶ月たった。内容はその直後、カトリック新聞などで教区民に知らされたが、このあたりでもう一度ふりかえってみた。浜尾司教の「基調演説」、ブロック提案の「神学院敷地売却問題」などが注目のまと。方針としてはいままでのものを継承する。その後の布司協では代議員会のあり方などの反省もなされた。(方針の詳細は本紙24号)

方針は生きている

会議は浜尾司教および各母体からの代議員、布教司牧協議会員、事務局員、オブザーバーなど約200人が集まって討議。白柳大司教は病気で欠席したため、浜尾司教がメッセージを読んだ。

今年の大会の中身としては、まず事務局長・徳川泰国師による布司協、各部・ブロックの年間活動報告。詳細は本紙24号にあらかじめ紹介され、参加者もそれを片手にしていたため要点だけをひろうにとどめた。

つづく浜尾司教の基調演説では教皇の「使徒的勧告」が方針案に従って引用され、福音宣教の精神こそすべてにわたりつらぬかるべきもの、実践にあたってはまず自己の福音化が土台である旨が強調された。

午後の議事は今年度方針案の上提にはじまり、とくに「小教区の共同体づくり」の四つの柱については、それぞれの推進責任者が、現況と展望をのべ、質疑にも応じた。

前半は「教会学校」で岩橋淳一師、「小教区内連合」で杉田稔師が報告した。

1.教会学校-指導者の養成にスポットを、が方針の骨子。聖パウロ女子修道会にも協力を依頼、講習会もあつまりやすい所を考慮。

昨年度の活動としては(1)月刊誌「教えの手帳」の編集と発行(2)第7回全国教会学校教師養成講座の計画と実施(3)ブロック別リーダー研修会実施(4)「教会学校部」スタッフ研修会実施(5)他教区リーダー研修会に講師として出向奉仕。

2.小教区内連合-推進責任は各ブロックにあることをまず確認。武蔵野は一つの例として報告された。教会運営委員会に修道者を加えている小教区もあり、これらの利点として(1)入門講座への紹介(2)受洗後のアフター・ケアーの分担(3)地域に対する活動、経験の交流(4)行事日程の調整(5)人手の供与。

小教区単位より小さいグループの連帯には修道者の協力が絶対に必要。現代の教会的感覚のある人びととの交流も。問題が提起されれば布司協でもとりあつかう。

四つの柱の後半は「在籍不在者」で徳川泰国師、「成人入信式」で金井久師が報告した。

「不在者」はいずこ

3.在籍不在者-事務局に「在籍不在者をなくそう係」をもうけ、ブロックから代表者を集めて当面の方針をきめた。不在確認の手段は(1)その住所に行ってみる(2)クリスマス、復活祭、新年会、バザーなどのおり、教会から手紙を出したとき「転居先不明」の符せんがついて戻ってくる-などである。

係では司祭の月例集会などを利用して名前を全小教区に知らせている。これまでに11小教区からリストがでているが、主任司祭だけでなく、助任司祭や信徒も見て、自分の教会に来ている人、どこに住んでいるかを知っている人は、それぞれの教会に知らせるよう望んでいる。

信徒名簿に名前があり、住んでいても教会に来ない人に対しては一律の対策はたてられぬという。「それぞれの教会で手段を。成功した方法があれば全小教区に参考として紹介するから知らせてほしい」と関係者たちはいっている。

「入信式」はいずれ

4.成人入信式-典礼部、典礼委員会は入信式の教区内浸透をめざす活動として、式そのものについての理解をとくに信徒に深めてほしいと考え、「生きた典礼をめざす集い」のメインテーマとしてこれをとりあげ、教区内2ヶ所で集いを開いた。

また典礼についての理解を深めることをめざして企画した信徒向けリーフレット「典礼シリーズ」でもこれをとりあげた。司祭の月例集会を利用してすでに延べ18000部が頒布されている。

教区における「入信式」の実施状況は、司祭やブロック会議員を対象としたアンケートで調べた結果、小教区担当司祭の67%が実施経験をもち、ブロック会議員の約70%が参加していることがわかった。しかし実施のうえで、さらに工夫・研究してゆかねばならぬ問題点が、昨年の代議員会、司祭集会など多くの場で指摘され、さきのアンケートにも表われている。

これについては参加者のなかから、推進させることではともかく細い点でも司祭団の意見が一致しているのかなどの鋭い質疑もあった。これでは信徒が典礼委をつとめていてもやりにくくときどきづっこけると、嘆きの声も。

式の徹底には典礼部の努力だけでなく、教学部、司祭評、さらには司教協などとの連帯も必要、関係機関の協力を得ながら更に考えてゆくという。これらのことがらは、ブロック会議員を対象としたアンケートでも強く望まれていたとおり、式についての充分の説明とPRをさらにつづけることによっていっそう促進されるもの。

以上、四つの柱について現況と展望の説明をおわり、本年度の布司協関係での教区活動方針はいままでのものをうけつぎ「小教区」にはいっそうの努力をするということで案件どおりに承認された。

どうなる「神学院」

ブロックからの提案の審議ではなんといっても「神学院敷地売却問題」が中心。これについての提案は二つあったがいづれも要望で(1)売却に至った経緯、現況、展望の説明を。(多摩)(2)神学院や中央協議会の財政確立に関して次のような私たちの望みを司教協議会へ伝達を。(関町・城北)イ、私たちは司教様方から協力要請の呼びかけをしていただくことを望みます。私たちはそれに積極的にこたえたいと思います。ロ、私たちは神学院の土地売却の具体化を猶予していただくことを希望します-というもので、これについて代議員会のとりなしを要請。

(1)は正確な情報が不足していることから、あらためて当局の見解を求めたもの。これに対して浜尾司教が神学院改革案や敷地処分の審議経過などを説明、ただいま購入希望の公共団体と交渉中と答えた。(後述)また時宜に適した発表をしなかったのはよくなかったとものべた。(2)のイは売却問題があってもなくても当然とるべき信徒の姿勢。

問題はロで、売却に反対するという権限は代議員会にはないことを前提として、具体化を猶予してほしいとの提案者の望みを司教協議会に伝達されたいという同じく提案者の要望に(1)代議員会が賛同しその名において伝達を依頼するか(2)賛同にはあらためて採決が必要か-などでもめた。

30万の信徒の心に訴えればという理想派、合理的な運営の見通しを検討してからという現実派と意見はおよそ2つにわかれたが、雰囲気としては賛同的。提案者自身も、賛同についてことあらためた採決までは要求しなかったため、なんとなく歯切れのわるいものとなったが、ともかくこのような考えのあることや代議員会での空気をそのまま司教協議会につたえてほしいということでは合意、浜尾司教もこれを確約して落着した。

発端に経費も

【経過】1970年、神学院をイエズス会から日本司教協議会にうつす話が出た。東京神学院司教委員会は71年から2年半にわたって司祭養成担当者会で検討させた結果、次のような基本方針を了承した。それによれば(1)上智大学神学部の他に、司祭となるために必要な勉学を修める道を開くこと(2)多人数の共同生活を少人数のそれに変えること(3)少なくともある一定期間、教会共同体との生きたつながりの中で司祭養成を行なうこと(4)ある一定期間でも、生活費または学費を自分の力で負担すること-であった。

この方針に対しては特に(2)のねらいである「町の中で」少人数の共同生活をおくることについてローマから異論が出たため、手なおしして新規定を作成、聖省からも認可された。新しい規定は(1)上智大学神学部の他に、神学院固有の神学課程が設けられる(2)哲学の修得は、神学修得中に行なわれる(3)固有の神学部のため、教授団及び神学生養成のための養成者団が設けられる(4)神学院における全養成期間は、司牧の一年を含めて最低6年間(5)神学生は、ある一定の期間、神学院内において、院長の指導のもとに、小グループ制の生活をおくることができる(6)神学院には、本科と予科の2つをおく-というもの。

周囲と不均衝

その後、常任司教委員会は、院長及び他の養成担当者と、新規定による神学生養成及び神学院維持運営について諸問題を討議してきたが、次の3つの理由によって現神学院の建物が司祭養成上不適当であるという判断がなされ、76年その処分を考えるにいたった。

理由とは(1)養成面-神学生と養成者との間の人格的交わりの場が至難(2)社会面-140名収容可能な建物に、40名前後しか居住しておらず、総建坪約2200坪、敷地約9000坪。周囲の団地とあまりにもちがう(3)財政面-養成のためより、維持費・人件費のほうが多い。大修理の必要もあり、年間約1000万円かかる-。

また司教協議会は、このほか事務局である中央協議会の運営費や各委員会の活動資金についても考えると毎年総額約1億円を見こまねばならない。これを募金するのは容易なことではない。1976年の司教会議総会は、神学院の所有地全部あるいは一部を処分し、それによる収入をもって、適当な土地・建物を準備する。余分の資金は、神学院運営と司教協議会の業務遂行に必要な活動資金を生み出す基金とすることをきめた。

布教聖省は、神学院敷地の3分の2の譲渡、および残り3分の1に神学院を建てる認可を下した。譲渡の対象として修道会関係によびかけたがどこからも回答がなかったので、公共団体によびかけた。

【計画】(1)東京神学院常任委員会では、新規定の神学院固有の神学養成課程、教授団、養成者団の確立を急ぐ(2)東京神学院に関係する11教区全教区の「神学院運営基本金」の設立を今年の定例司教総会に提出の予定(3)信徒の有志の募金活動の具体化の発足を承認すべく、同じく総会に提出の予定(4)新しい神学院の建物について、今までも数回、青写真を見ながら養成者と検討をかさねてきたが、これからもつづけてゆく(5)敷地の部分的譲渡では、東京都教育庁の養護学校建設希望などあり、交渉中。

ぶきみな「平穏」 布司協が反省

(1)母体代表への情報提供の場になりすぎ、説明会みたいだった。

(2)活動方針は毎年継承すべきものにはちがいないが、同じものばかりだとマンネリ化する。

(3)活動報告、方針案説明のあとなんの質疑応答もなかったのは、平穏であったがわびしかった。

(4)基本的問題を代議員会に出したいという空気があり、じかに問題を出し、こたえをきくという点で成功だった。

(5)会の役割をもっとはたさせるためには、ブロックでの問題のほりおこしがいっそう必要である。

回心は価値観の転換 福音を知る権利は万人

教皇パウロ6世は、聖年の閉幕にあたって第二バチカン公会議10周年を記念して、勧告書を出された。内容的には1970年秋、現代社会における福音宣教をテーマに、ローマで開かれた世界司教代表者会議のまとめとして出された教皇書簡で、教会の当面する問題を率直に披歴されている。

福音宣教の文章の中で私個人に大変印象深かったところは「教会というものは、どのような時代、どのような場所においても、キリストから与えられた福音を伝えるという使命を発揮する権利をもっている。私たちイエズス・キリストが人類の救い主であることを信じている。それは、イエズス・キリストの救いは、どんな人間にもそれを知る権利がある。キリスト教以外の宗教を信じている人たちにとっても」とのべられた個処である。信仰の自由についての反省とキリスト教以外の諸宗教に対する態度も改められている。

私たち日本の社会も数字の上からいえば100人のうち99人がキリスト教を知らないわけだが、その人たちにもキリストを知り、キリストの救いの真理にあづかる権利がある。その権利を私たちキリスト教徒、カトリック教徒が、もしかしたら妨たげているのではないだろうか。私たち自身がすべてキリストの救いにふれる権利のあることをよく自覚して信仰を学んでゆくことが大切である。

福音宣教の内容は、よい知らせを人類のすべての階層にもたらし人類を内部から変化させ新しくしてゆくことである。目的はこの内的変化であって、ただ単に宣教の地理的領域を拡大し、より多くの人に布教してゆくことではない。神のみ言葉と救いの計画にそむく人間の判断基準、価値観、関心の的、思想傾向、観念のみなもと、生活様式などに対し、福音の力によって影響を及ぼしそれを転倒させることである。これがキリストの何度も言われている、悔い改めよ、回心せよ、ということではないだろうか。

私たちは自身が回心しなければ信仰を得られないことを知っている。このため自分が回心できないのに人さまのことまで手が出ないと思いがちである。また人からはおこがましい態度にみられるのではないかと思う。しかし、キリストの福音の中には自分ができてから人を助けよ、という教えはないはずである。自分が不完全でありながらも兄弟に手を差しのべること、同じ困っているのならば自分のほうは後まわしにするということこそ福音の姿勢である。

今いったような生きかたというものは、カトリック要理の文章の中からはなかなか湧いてこない。やはり神のみ言葉である聖書から得られるものである。キリストは神の力である最高の力をもって病気をいやし、人を助けたが、とうとうその力を自分のためには使わなかった。自分のもっている一番よいものを人のために使った。キリスト教は人を兄弟として愛するとき、自分の権利を放棄する。自分のもっているよりよいものを、ただ自分のためだけに使おうとする場合、それは周りの人にとって暴力となる。平和は暴力を否定することを出発点とし、自分のよきものを隣の人のために使うということこそ福音的価値観である。

継承される本年度の活動方針の第一のものは、人権尊重の行動に積極的に参加しようということである。もしも基本的人件が尊重されないようなときは、いつでもこれを変える姿勢になければならない。これらの問題を無視してよいという考えも、人間解放イコール宣教という考えも、共に両極端として退けられねばならない。

人びとが耳を傾けるのは、あかしをする人の行動である。貧しさと富からの解放という点で、日本の教会は果たして貧しいといえるだろうか。ここから財政のありかたが再検討される。不動産の獲得や整理についての方針の第二だ。

活動方針の第三は青少年問題である。宣教の担い手として、福音化されてゆく仲間として、青年に全力をつくすことは急務。われわれに都合のよいことではなく、後に来る人のためによい教会をつくらねばならない。強力なものは信仰教育の第一の場である家庭である。平生から親は正しい価値観をもっていなければならない。

第四の活動方針に関しては、普遍的教会は地域の教会共同体の中に生きているものであることを知らねばならない。教会は私たちであり、第三者ではない。教会が面白くないなら、その原因は私たち自身にある。私たちの行為は孤立した行為ではない。たとえ一人であっても、福音宣教に努力する限り、それは教会の行為である。

全世界で福音宣教が行なわれていないのではないかとの反省がなされる。その最も大きな原因は熱意の欠如である。あまりにも口実が多すぎる。一番の敵は私たちの中にある。これらの反省と、いつか神がむくい給うとの確信をもって進んでゆきたい。 (補佐司教・浜尾文郎) =78年代議員会基調演説要旨=

サヨナラ秋川荘

五日市教会-秋川荘の存在は小教区の中でも異色のものであったといえる。敗戦からおよそ十年たった頃、秋川の畔に神学生の合宿所が生まれた。教区司祭の半数は、そこで過した夏の太陽と渓流の感触に、ほのかな郷愁をもっているときく、十年足らずの時期、東京の司祭も、神学生も、必ずといってよいほど、何らかの形で夏の五日市を訪れたわけである。

その後、カトリックの学生たちが散発的に合宿などに利用していたが、1967年、前任の青山神父によって小教区教会として新たな出発をすることになった。今年で教会は、丁度十年になる。都会の生活に慣れた責任神父にとって秋川渓谷の暮しは、はじめこそとまどいの多い、淋しげのものであったがやがてここは土地の若者と都心の学生の、豊かないこいの家となった。週末には誰がさそうともなく、必ず若者の熱気があふれ酒宴とも、激しい討論ともいえるような会合の場にかわるのが常であった。

自由民権運動-五日市憲法草案などの歴史的再発見にちなんだ講習会に現主任神父の私が出席したのをきっかけに、町の青年たちとのつきあいもはげしくなった。自然保護運動や、社会運動にかかわる人たちが、それ以来数多く出入りした。信者になる人こそ少なかったが、教会で結婚式をあげるなどカトリックの教えには少なからず関心をもったようである。東京からやってくる常連のなかには神学生になったものもあった。それらは秋川の独特な人脈をつくり地元の者も東京からの人も、司祭も信者も一つにとけ合っていた。

十年で五日市も変った。周りの家も倍近くに増えた。この美しい自然の中の独特の人と人との結びつきも何んとなく老化現象を起しつつあるようだ。しかし一夜でもここに過した人は、秋川の渓流の音とともに、その人生に深い想いでを定着させているに違いない。

さらにもっとよい集いの家に私は旅立ってゆくが、体験者の心の中にいつまでも生きつづける秋川荘-であってほしい。 (五日市主任・国枝夏夫)

註 秋川荘閉鎖にともない、現五日市教会は巡回となる。新教会は左記に開所、「福生教会」と呼ばれる予定。

〒197 福生市熊川910 電0425(59)2209