東京教区ニュース第26号

1978年09月01日

装い新たな和解

見おとすな共同体意識
回心は神の招きから

春の代議員会で決まった本年度の教区活動方針は、基本的には今までのものを継承するもので、なかでも「小教区」の推進にいっそうの努力をする、ということが目立った。この共同体の一員となることを目指したたのが「成人のキリスト教入信式」であるが、さらにこの共同体から離れたメンバーをふたたび受け入れることを明らかにしたのが新しい「ゆるしの秘跡」である。儀式書の日本語訳が出されたのを機に、このほど大司教も書簡を出した。「小教区」充実の二歩目としても、教区民への周知徹底がのぞまれている。

「ゆるしの秘跡」の儀式書のラテン語規範版はすでに1973年にできていた。日本語訳の作成にあたっては、とくに術語や定句の訳について難行をきわめ、大幅におくれていたが、ようやく今年1月、使徒座の認証を得て、4月25日発行された。<BR>
これまで使われてきたなじみ深い?「告解の秘跡」という名前が「ゆるしの秘跡」に変わった。それは前者が特殊な造語で意味もはっきりしないのに比べ、後者は「この秘跡の本質と恵みを明らかに表す」(典礼憲章72)ものであるという。<BR>
改訂の基本方針としては①回心が神の呼びかけに始まるものであり、罪のゆるしは、神への信頼の中に実る恵みであることを明らかにするため、式の始めに神のことばが読まれるようになった②一時的な良心の気休めや、形式化した習慣的告白におちいることがないよう、告白の場所や姿勢についても適切な指示が与えられるようになった③個別の告白と赦免を伴う共同回心式や特殊な場合として一般の告白と赦免による共同回心式を加えた、など。

回心のしくみ

【悔い改め】回心者の行為の中でも最も大切なものは「犯した罪を悲しみ、忌みきらい、再び罪を犯さない決心をすること」である。キリストの国に近づくには、人間全体の内奥からの変革によるほかはない。
【告白】これは神のみ前においてありのままの自己を認識することからはじまる。このような内的反省が、神の役務者に心を開く意志を生み、外的な告白としてあらわれる。
【償い】回心は、罪の償い、生活の改善、与えた損害の弁償をふくむ。償いは罪の傷を直し、生活の刷新に役立つものでなければならない。
【赦免】ゆるしは赦免のしるしを通して与えられる。神は、目に見える方法でわたしたちに救いを与え、破られた契約を新たにすることを望んでいる。
こうしてゆるしの秘跡は完了する。

8月26日、初の教皇祝福を送るヨハネ・パウロ一世=共同通信

まず式文に慣れよう

「ゆるしの秘跡」では、儀式書(800円)と信徒用の小冊子(20円)が中央協議会から発行されている。小冊子には「個別のゆるしの式」だけ。
とにかく、新しい「ゆるしの秘跡」の意味をよく理解し、式文になれることが先決だ。小冊子の抜粋は次のよう。

▽始めに
司祭・信者―父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
司祭―回心を呼びかけておられる神の声に心を開いてください。
▽神のことば
(時間のゆとりがあれば、司祭か告白する人が聖書を読む。)イエズスは仰せになりました。「もしあなたがたが人の罪をゆるすなら、天の父があなたがたの罪をゆるしてくださいます。しかしゆるさないなら、あなたがたの父もおゆるしになりません。」(マタイ6・14〜15)
▽罪の告白
司祭―神のいつくしみに信頼してあなたの罪を告白してください。(ここで罪を告白する。必要ならば、自分の身分や、この前の告白の時期などを話す。終わりに次のように言う。)
信者―きょうまでの主な罪を告白しました。ゆるしをお願いいたします。
▽すすめと償いの指示
(司祭は助言を与え、罪を悔い改めるようすすめ、償いを指示する。)
▽悔い改めの祈り
司祭―それでは、神のゆるしを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください。
(次のような祈りを唱える。従来の「痛悔の祈り」を唱えることもできる。)
神よ、いつくしみ深くわたしをかえりみ、豊なあわれみによってわたしのとがをゆるしてください。悪に染まったわたしを洗い、罪深いわたしを清めてください。
▽罪のゆるし
(司祭は、ゆるしを求める人の上に両手または右手を延べて言う。)
司祭―全能の神、あわれみ深い父は、御子キリストの死と復活によって世をご自分に立ちかえらせ、罪のゆるしのために聖霊を注がれました。神が教会の奉仕の務めを通して、あなたにゆるしと平和を与えてくださいますように。わたしは、父と子と聖霊のみ名によって、あなたの罪をゆるします。
信者―アーメン。
▽終わりに
司祭―罪を許してくださった神に感謝をささげましょう。喜びと平和のうちにお帰り下さい。
信徒―ありがとうございます。
(司祭のもとを辞去し、感謝の祈りを捧げ、償いを果たす。)

子供にも配慮

新しい「ゆるしの秘跡」の出たことで、司教協議会内の要理教育委員会は、とくに子どもへの指導目標や留意点で次のようにいう。
子どもたちを絶えざる回心へ招かれる神の、あわれみに対する信頼、神と人びととの前に、罪びとであることを認め、罪を悔い、告白する砕かれた心、互いにゆるし合う兄弟愛を、子どもたち自ら体験し、希望に満ちて前進するのを助ける。
子供たちが、おとなの気づかないところで、ひとりで迷い、傷つき、挫折しているとき、立ち上がれずに苦しんでいるとき、孤独感、疎外感になやまされているときこの秘跡は子供たちの道を照らし導く光、慰めと励ましを与える力となる。大罪、小罪という用語は用いないほうがよい。形式に流れないように、告白を大切にしてほしい。「神父さまはわかってくれない」と訴える子どもが5,6年生のなかに案外多いからか。
教師の理解をたすける論文には「告解の秘跡の神学」P・ネメシェギ、「神の友情の秘跡」中垣純、「告解―ゆるしの秘跡」A・ニコラスが、すすめられる。

父はその子を哀れむように、主は恐れかしこむ者を慈しまれた 詩篇102

正式使用は来年

「ゆるしの秘跡」の新しい儀式書の正式使用は、来年の聖霊降臨の日と定められた。それまでは従来道理の儀式書と新しい儀式書の双方が用いられるが、その後は新しいもの一本になり、従来のものは廃止される。その間に新しい「ゆるしの秘跡」の意味が司祭・信徒に徹底するよう望まれる。

ゆるしの秘跡が出されて―カトリック儀式書―

去る4月25日附で、日本語版カトリック儀式書・ゆるしの秘跡(告白の秘跡)が出されたのを機に、東京教区の皆さんに書簡を送ります。
第二バチカン公会議は「典礼憲章」の72項で「ゆるしの秘跡(告白の秘跡)の儀式と式文に、この秘跡の本性と恵みとが一層明らかに両舷されるよう改訂するtこを」を定めました。これに基いて、典礼聖省は私達がこの秘跡を一層よく理解できるよう新しい「ゆるしの秘跡の式次第」を起草しました(教令)。
今回の改訂において、ゆるしの秘跡は救いの歴史における和解という面からとらえられています。父なる神は御子の十字架の血により、世をご自分と和解させ、人類に対する慈しみを示されました。神の御独子は人となり、人々が神に立ち帰るよう回心を勧められただけではなく進んで罪人を受け入れて、御父との和解へと導かれました。そして病人をいやすことにっよって罪を許す権能のあることを示されました。御子は私達を義とするため復活されました。復活後使徒達に聖霊をつかわして、罪を許す権能と万民に回心と罪の許しを説く使命をお与えになりました。
教会は罪をすてて回心するよう人々を招き、同時に罪に対するキリストの勝利を「回心の祭儀」を通して表すようつとめて来ました(1)。
教会は聖なるものですが、一方教会を構成している私達は誘惑にさらされており、しばしば罪を犯します。そのため教会は常に「清め」を必要とし、絶えず回心と刷新に心がけています(3)。
罪とは、神に逆らい、神との親しい交わりを断つことであり、回心は私達が神を心から大事にし、自分を全く神にゆだねることを目的にしています(5)。
「ゆるしの秘跡」を受ける時、私達は神に背いた罪を赦されると同時に、私達の罪によって傷つけられた教会、しかも愛と模範と祈りとをもって、罪人の回心のために努力している教会と和解するのです(4)。
「ゆるし」は教会を通して与えられ、教会のこの働きは司祭の奉仕のつとめによって行われます(6)。「ゆるしの秘跡」によって神との愛の交わりから離れた人は「失った生命」を取り戻し、また日々自分の弱さを体験している人は、神の子としての豊な自由に達する力をえるのです(7)。
このように見てくると「ゆるしの秘跡」が、罪を個人的なものと考え、秘跡を受ける時、罪の種類とその数の告白に重点が置かれていた従来の「告白の秘跡」とは意義が異なっている、ということに気付かれると思います。
今回の儀式書では、今までのような個別的「ゆるし」の式のほかに共同回心式が重要視されています。これは人間が超自然的な「きづな」で互いに結ばれているため、回心に当たっても、互いに助け合うことによって、キリストの恵みを通して、罪から解放されるためです(5)。
この新しい「許しの秘跡」は来年の、聖霊降臨の主日(6月3日)から義務となり、従来の式次第は廃止されることが本年5月の司教協議会で決定されました。
皆さん、この「ゆるしの秘跡」について、神父様方から十分説明していただき、真の「ゆるしの秘跡」の精神を理解し、神への賛美と奉仕に励まれることを希望してやみません。
1978年6月29日
東京大司教・白柳誠一

新教皇を迎えて 白柳大司教

教区の皆さん、このたび、ヨハネ・パウロ一世が教皇職につかれたことをともに慶びたいと思います。新教皇が、前代、前々代お二方の名をとられたことは、前任者たちが推進し、完結された第二バチカン公会議の精神を更に押しすすめてゆく決意を示されたものであり、私ども東京教区民も今まで以上の信念をもって同公会議が意図した事の実現に向わねばなりません。

ひろば

ある神学者はつぎのように言う。「そもそも信仰というものは、福音に忠実でありたいと望むキリスト教徒に、自分のもっている信仰を再解釈せざるを得ないという試練を、たえず要求する」と。
このことは教会共同体に属するすべての人にあてはまり、誰もこの要求から除外されることはできない。
いま、倒れかかったソフトクリームのように、ら線状円錐形の、しかも傾斜した形を想像して見よう。
このら線は、たえず上昇を続けるベルト・コンベアーの軌跡にも似て、その動き、つまり教会の生命ともいえる神のことばと秘跡のわざに一人ひとりが
主体的にめざめるということを象徴したものである。
傾斜のイメージは、世界の中で人類がになっている諸問題に、教会に積極的に参与し、いま生きている時代の歴史の責任をとっていくあり方を示したものである。
すでに与えられているはずの信仰が、福音の呼びかけに目ざまされてキリストへ回心するということは、世界や社会とのつながりから解き放たれることではなく、むしろ、深くかかわって、生き方全体を把握し、全人格をキリストの福音によって変革することを意味する。
ほんもののキリスト者になるということは、人間に共通に与えられている責任にもう一つ別の責任を付け加えることではなく、その責任を新しいやり方で果してゆくことである。キリスト者は一方の足で、古くてつねに新しい不調和な信仰の歴史に立ち、他方の足で、ゆれ動く世界のただ中にしっかりと立たねばならない。神のことばと霊にめざめて生きるなら、神の国を一人ひとりの実存の場から広げてゆくことができるであろう。
(荻窪教会・綾部玲子)

あした葉

戦後、民主化はかなり進んだといわれるが同和問題は未解決のまま残されている。憲法に保障された基本的人権の問題であるにもかかわらず用意に克復されえない根拠はどこにあるのか?解決の課題は?「物」と「心」の二点から見よう▼わが国の経済は、一方には発展した近代的大企業があり、他方には送れた中小企業や零細の経営がある。この二つの領域のあいだには質的な断層が見られるが、同和地区の産業はその最底辺を形成し、経済の発展から取り残されている。これが「物」である▼わが国の社会は、一面では近代的な市民社会の性格をもっているが多面では前近代的な身分社会の性格をそなえている。社会のいたるところに身分の上下に支配服従の関係があり、さらに迷信や偏見など根づよく生き残る得意の精神風土と民族的性格を形成している。同和地区の住民は最下級のいやしい身分として規定される。これが「心」である。このようなわが国の経済、社会、文化体制こそ、同和問題を存続させ、差別を支えている歴史。社会的根拠である▼人びとの観念や意識の中に潜在し、言葉や文字で顕在化する「心での差別」は、就職・教育の機会均等が実質的に保証されぬなど「物での差別」となってあらわれる。すなわち差別とは市民的権利、自由の侵害に他ならない。この中で職業選択の自由が完全に保障されていないことは特に重大である。なぜなら、同和地区住民がその時代における主要産業の生産過程から疎外され、賤業とされる雑業に従事していたことこそが、社会的地位の上昇と解放への道を阻む要因となっていたからである。このあたりに同和問題解決の中心的課題があるように思われる▼人はいうかも知れぬ「物」よりも「心」の改善が先決だと、しかし「心」にさしひびく「物」は場合によっては「心」より重大であることを知らねばならぬ。(S・A)

イメージは拠点の顔

新時代の教会づくり 宣教司牧委が叩き台しめす

このほど、日本司教協議会の「宣教司牧教委員会」の下にある「日本宣教司牧センター」は、今後の日本の教会のあるべき姿を皆で考えようとする主旨のもとに「明日を目指す日本の教会のイメージとビジョン」と題する「たたき台」を提示してきた。ビジョンとは本来指導者が示すものであるが、上からではなく、皆で造り上げてゆこうというのが提案のねらい。司祭の集会でも扱ったが、信徒の意見をきくために、教区では布司協・ブロック会議を通して各母体に流した。これは、あくまで皆で考えるための参考資料。母体からの意見は、10月、代表の司祭によって検討されるので、9月のブロック会議までにはまとめるよう、事務局では臨んでいる。

ビジョンはみんなで

公会議から10年たち、やがて21世紀を迎えようとする今は、明日にむかっての教会づくりをするよい機会であり。重要な時期だといわれる。そのためには、日本の教会のイメージが、キリストの意図されているものと合致するよう、欠けている点、もっと強調されるべき点を反省し。より具体的な計画を立てるべきだとされる。
しkもそのビジョンは聖職者、信徒、皆で考えてゆくべきものであるともいう。こんどセーターから出された草案は、そのための材料だ。その内容の骨子は「日本の教会は(1)世界における神の国の完成のために(2)アジアでの(3)日本社会の現実の中ですでに働いておられる精励に目覚め、導かれ、カリスマを生かしながら(4)新しい役務が奉仕する基礎共同体を拠点に(5)特にしいたげられた人びとともに(6)社会機構のはらむ諸問題に取り組み、社会そのものを変革し(7)キリストの愛をあかしすることを目指すものである」というもの。
これを浜尾司教がまづ解説、布司協では、信徒が考えを具体的に記せるよう、言葉などもあらためて一そうわかりやすく整理し、母体に配った。
書き方は、各節の終わりの「何をしているか、したらよいか」にしたがい母体に一任されているが、時間の関係から必ずしも総意ということではない。要はこれに真面目にとりくむことで、少しでも、また提案内容以外のことでも、気がついていることがあったら遠慮なく意見をのべるし制が大切。センターとしても初の試みであり、出てきたものを参考にしてさらに練りなおし、よりよいビジョンづくりの一歩にしたいとしている。
10月9日から12日まで、各教区より2名ずつの司祭がこの提案についての会合をもつことになっており、東京教区からは司祭評で推せんされた市川嘉男(北町)、小川拓郎(志村)の両師が出席する予定。
会合では、よせられた皆の意見を土台として発言するため、9月のブロック会議で何とかまとめてほしいと事務局では言っている。

考える手びき

1 日本の教会は世界における神の国の完成のために、神の国の見えるしるしとなり、道具となる教会を目指そう。
神の国(マルコ・ルカ)、天の国(マテオ)はキリストによってもたらされた救いそのもので、教会はその到来を待ちのぞみながら、その目に見える印し、道具となっていこうとする手段である。これは教会についての根本的な概念であって、この理解なしに、教会とは、洗礼を受けるとは、キリスト者とはを、正しく認識することはできない。
2 日本の教会はアジアで、受ける教会から、他の人びとに共に分かちあう教会となろう。
アジアに存在する日本の教会は隣接の国ぐにの教会、人びとと、福音・財政・人材、そして特に痛みを分かち合うことが、普遍的教会に属する第一歩である。日本人が持っている優越感・差別意識を変えていくのが教会の使命ではないだろうか。
3 日本の社会の現実の中で、すでにはたらいておられる聖霊に目覚め、導かれ、カリスマを生かしながら、日本人による日本人のための教会としよう。
典礼もまだ邦訳の段階である。作曲・教会芸術も日本人の手によるものが少しずつ出てきている。西欧でできあがったキリスト教日本文化への土着化・適応ではなく福音そのものが日本人の心に浸透し、変えていくというのが、私たちの預言職である。
4 日本の教会は、新しい役務が奉仕する基礎共同体を拠点とする信徒主体の教会、真に共同体である教会を目指そう。
(1)家庭・職場に生きはたらく信徒が、最も社会に深くかかわり、社会に奉仕している。そこに教会があるということを自覚し、信徒が主体となっていく教会としていくことが大切である。そのため、人づくり、信徒の養成、特に男子信徒の使徒的養成が重要である。
(2)1000人以上の小教区教会が真の共同体になっていくため、人と人との親しい交わりの場で、みことばを分かち合い、生きた信仰の分かち合いのできる小さいグループでの集いが必要である。
5 日本の教会は、特にしいたげられた人びと、小さな兄弟を大切にする教会となろう。
現代の日本の社会で、いわゆる「社会的弱者」といわれる人びとがいるのに対し、教会はどうあるべきか、場合によっては、教会はその体質を変えなければならないかも知れない。
6 日本の教会は、社会機構のはらむ諸問題にとり組み、社会そのものを変革し、社会の福音化に働きかける教会となろう。
個人の責任でなく、社会機構のためにつくり出される社会的悪の存在に気付くよう、敏感な信仰の目をもつことが大切である。福音を受け入れるのには回心が不可欠の条件である。教会が日本の良心となっていくためには、沈黙でなく勇気をもって社会の常識に警告を発していく姿勢が一部の人でなく、少しでも多くの者の姿勢となるべきだろう。
7 日本の教会は、キリストの愛を証しすることを目指し、自分たちのためだけではなく、社会に派遣されたキリスト者の集いである教会となろう。
日曜だけでなく、月曜日から土曜日の間、家庭と職場で福音宣教する教会が存在していると感じられる教会とすべきである。そのために、日曜日のミサの集いが不可欠と感じられるだろう。司牧者・信徒両者の考え方の転換が必要である。

学生布教のネジロ

活動もユニーク真生会館
本年度代議委員会の予算審議のとき、教区財政に関係する施設で性格があまり知られていないものについては順次紹介してゆくようにとの話が出た。布司協関係の予算や決算上、金を出しているものについてもっと現況を明らかにせよという声だ。現在これに属するものには永代働く人の家、千葉働く人の家(いずれも勤労青少年)、真生会館(大学生)などがある。
布司協ではすでに責任者を招いて説明をきいたが、新しい時代の青少年の活動の活発化に協力することは教区の活動方針の一つでもあるし、金のことを別にしても。その存在や働きについてはもっと広く知られるべきであろう。
その中で、学生と言う特別な性質から、小教区を超えての活動や研究の場として開かれているのが真生会館である。性格は、東京都教育委員会に属する財団法人で、教区はこの法人に対する援助団体である。しかし真生会館の館長と理事長はその教区長が任命し、事実上その監督にあたるというもので、布教上の一拠点としての教区の活動の一端をになっている。現館長は深水正勝、理事長は井上洋治の両神父である。福音宣教を最終目的とするが、大学生の世界に福音をのべるための活動の場であることが特徴。具体的な活動方針は、スタッフによってきめられる。おもな活動をひろってみると、
(1)山口神父担当の「つどい」よよばれるグループ=いろいろな大学の学生が神父や神学生を中心に研究活動をひろげている。独特な形を導入したミサも。合宿、スポーツなどで交流をはかり、地方出身の学生にとっては楽しい場。指導者のねらいは、学生時代に聖書を通してキリスト者としての基本的な姿勢をつくることか。
(2)佐伯岩夫氏担当の「トマス・アクィナス研究」「キリスト探究ゼミ」「人間論ゼミ」などのグループ―原典を読みながら、現代の人間の生き方を問うていく学生達。佐伯氏の姿勢は、都内諸大学のカトリック研究会でも貫かれているという。現在大学のキャンパス内でのサークル活動では、自由な研究会というタイプのものは、ほとんど存在できない。その中で自由に、知的にキリスト教に近づきうる場として、カト研の存在は貴重なものである。助言者として参加する佐伯氏がスタッフとしの一人であるところから、真生会館の一つの動きであるという面も見逃せない。
(3)福祉グループ―毎月一回、施設を訪問したり、福祉について話し合う会を持っている。既にいくつかの施設とつながりをもち、卒業後そこで働くことをきめている学生も少なくない。
(4)アムネスティ・インターナショナルのグループ―韓国人政治犯釈放を求める運動に携わる学生達を中心に、署名、講演会、印刷物の発行などを続けている。
(5)シュガレ神父担当のグループ―スタッフ自身がタレントを生かして、新しいものを創造してゆく努力がよく見られる分野。
(6)その他―宗教音楽を味わうことを通して、宗教心を探究する―、社会現象をとりあげてキリストのしるしを探究する―、東南アジアの学生達との交流を通し、日本とのかかわりを模索する―、などのグループもある。
これらグループ活動のほかに、ネラン神父以来続けられている出版活動がある。真生シリーズとよばれすでに七冊が発刊されているが、神学や聖書の研究に貴重な文献を提供している。
また会館は、交通の便のよさと経営の一助とから、いろいろな団体に部屋を貸している。たとえばカナの会、アル中を治す会、高校生活動指導会、三里塚を考える会、身体障害者の会、部落問題の会、使徒職研究グループなど。
活動の内容は、二ヶ月に一回発行の「真生ニュース」で紹介されているが、この会館がもっと皆に知られ、利用されることをスタッフ一同も願っている。
〒160 新宿区信濃町33
電話 (3351)7121〜2

合祀拒否で集い

自衛官護国神社合祀拒否訴訟で5年も続いた裁判が、9月21日、結審を迎える。これを機に、日本カトリック正義と平和協議会と教区靖国問題実行委員会は、左のように集会をひらく。
日時 9月16日(土)
午後2時〜5時
場所 カトリックセンター
内容 お話と質疑応答
講師 西川重則(政教分離の会事務局長)
小池健治(訴訟弁護人)
挨拶 相馬信夫(カトリック正義と平和協議会担当司教)
森田宗一(同協議会会長)

「公式参拝」で阻止

教区靖国問題実行委員会は、プロテスタントの共闘団体と協力、靖国神社に国の代表を公式参拝させない署名運動を展開した。
「公式参拝」は、「靖国神社法案」の実質を先取りするものとして、危険性を指摘する声は内外で強い。署名は信教の自由を守るという立場からの自発的なもの。
署名数 1288
カンパ  48、165円

マスコミ考える会

つぎは9月10日
教区広報委では1年間隔月に、マスコミのいろいろなジャンルから専門家を招いて講演をきき、皆で考える会を企画、すでに2回目を終わった。次回からの予定は。
第3回 9月10日(日)
ラジオの現状と将来について―文化放送編成部次長・町田勲氏(田園調布教会)
第4回 11月12日(日)
週刊誌について―週刊文春編集部・鈴木重遠氏(麹町教会)
第5回 1月14日(日)
映画について―岩波ホール総支配人・高野悦子氏(聖パウロ女子修道会)
第6回 3月11日(日)
広告について―J・ウォルタートンプソン社・野田実氏(カトリックセンター)
午後2時〜4時。続いてミサ。

テレサパネル貸出

印度で貧しい人びとのために働くマザー・テレサの写真パネル15枚ができた。教会、学校などの展覧会には貸し出し無料。司教館へ。

真生会館地図

転換期を迎えて

日本の社会に、私たちの教会はいったいどんなイメージに映っているのでしょうか。
一般に明るく、道徳的で―、しかしやはり西欧的であるということです。これらは他の宗教と比較してのことで、教会の姿の一面でしょうが、私たちは、キリストの教えて下さった神の国の目に見えるしるしとなり道具となるために存在しているのならば、一般の人びとの目に映るイメージがまだ福音のそれとは大変な開きがあることを認めざるを得ません。
第二次世界大戦後、およそ30有余年を経て、日本の各地で教会創立50年、100年の記念祝典が行われています。この期間の教会の歴史は、日本の教会史の中でも特筆すべきものであり、特に第二バチカン公会議の開催によって、世界の教会とともに、大きな転換期を迎えました。いま、皆で私たちの教会のあるべき姿を考え、そこに向かって前進するビジョンをつくりだす重要な時に来ています。
およそ25年後、21世紀を迎えますが、教会がいつも明日のために存在し、努力すべきものであるなら私たちも、新しい世紀についてのビジョンを今から少しづつ持ち始めたいと思います。イメージというのは、日本の社会にしめす教会の顔であり、それを造り上げるための計画をビジョンと言います。本来、ビジョンは指導者がしめすものですが、実現の成果から考えて、必ずしも適当ではなく、むしろ司教、司祭、修道者、信徒がそれぞれのレベルで考え、造ってゆく家庭が大切であると思います。このたび日本宣教司牧センターが出してきた草案が、その意味で皆さま方のビジョン造りの材料となれば幸いです。(日本司牧センター理事長長浜尾文郎)

信仰のふところ

家庭的な青梅

武蔵野の大地が、奥多摩の丘陵にぶつかって果てるところに、青梅教会がある。都心へ45キロ。ごたぶんにもれず、静かな山辺の町も、大都会のベッドタウンと化してきた。
それに比例してとは、とてもいえないけれども、信徒数も微増の傾向にはある。現在200名弱。来年、教会創設20周年を迎える。20年かかって200名。神のみ業を、数でかぞえてはいけないけれど、小世帯の教会を支えてきた先輩諸兄姉のご苦労を想い、地方の小教会で悪戦苦闘している、同労の友の心の痛みが身にしみる。
小世帯にはそれなりの良さもある。あたたかい家庭的な雰囲気がある。ミサ後、お茶を飲みながらの、誰彼なしの歓談は、楽しいひとときである。出席者中、半数近くを占める子供たちには、教会全体のあたたかいまなざしがむけられている。
なやみもある。家庭的な親密さが、逆に、新しく来られた方たちを教会に入りにくくさせているのではないかという心配である。だが、全員がそのような心配りを持っている限り、この悩みも、いづれ解消してゆくことと希望できる。
聖母幼稚園を経営されるカリタス会の姉妹たちには、物心両面で、多大の援助と協力をいただき、信徒一同、深い感謝と敬意を抱いている。

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初秋の妙高便り

5・18妙高高原地滑り災害につきましては、たくさんの方々からお見舞いのお電話やお手紙をいただき、大変ありがとうございました。なお大森教会の皆さんから、バザーの際に寄せられましたお見舞金は、町当局に献金いたしました。紙面にてご報告申し上げます。
さて、当研修所や地元の信者には直接の被害はありませんでしたが、池の平地区の温泉が一時ストップしました。現在は平常どおり営業いたしております。これから秋にかけて皆様方のご利用をお待ち申し上げております。特に毎朝、生牛乳をサービスさせていただくほか、妙高高原カトリックグループの民宿の予約も受け付けます。
カトリック東京教区研修所
949-21新潟県妙高高原町池の平
電話02558・6・3478
宿泊大3500、小学3300円予約金一人につき1000円。
団体定員50人。飲み物は別途。