お知らせ

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東京教区ニュース第12号

1975年05月01日

宣教姿勢を明確化 50年度白熱の代議員会

東京教区は3月21日、渋谷の聖心女子大学講堂で昭和50年度の代議員会を開いた。正式のものとしては初めて。昨年6月30日の略式代議員会からほぼ半年間の、布教司牧協議会関係の教区レベルでの活動や、各ブロックにおける活動が報告され、本年度の活動方針案が承認された。また財政面では、昨年度の決算が報告され、本年度の予算案も可決された。代議員会は、毎年の教区運営の基本方針を決める場であることから、年頭に行なわれることが理想であるが、予算・決算など会計上の都合もあって3月となったもの。このため活動報告のなかには本年度にまたがったものもみられる。

活動は共同責任で!

会議は午前10時から午後6時まで開かれ、白柳大司教、浜尾補佐司教および各母体からの代議員、布教司牧協議会員、事務局員、各小委員会委員長、オブザーバーなど、約200人が集まりに熱心に討議をかわした。

神の民の協力を
定刻、布司教議長岡田啓一、後藤正司両氏の司会ではじまり、祈りにつづいて大司教が挨拶、第二バチカン公会議の精神を教区に実現するためにふみだした歩みは、今日までそれなりの実りを見たが必ずしもすべての面でうまく進んできたとはいえない。神の民がひとつになり、共同責任をもって任務を遂行するのでなければ目的を達成することはできない。今日も全体のことを考えて活発に討議してほしいとのべた。
続いて代議員の中から金井久師(城北)シスター中村光江(中央)鈴木弘道氏(武蔵野)が議長団に選ばれ、それぞれの議題を担当し、約7時間にわたって討議が行なわれた。
終りに浜尾司教は討議が熱心に行なわれたことに対して感謝の意をのべ、途中激論のあまり興奮する場面もみられたが、これもみな教区のためを思えばこそであり、今後もきれいごとにとどまらず、建設的なものならば皆ありのままの気持を出しあって進んでゆきたい旨を強調した。

教区の活動報告
今回の報告は昨年6月に行なわれた略式代議員会で了承された活動方針に答えたもの。その内容は教区ニュース11号に記されているが、特に聖年を契機とした黙想会や研修会、要理教育講座、靖国神社法案反対運動など、信仰を深め人材尊重の行動への参加を積極的に展開したことが強調された。

ブロック活動報告
(1)中央-大島への援助、ベトナム募金靖国問題についての討論など。CLCを中心に青年のための共同黙想会を計画中。
(2)城東-カテドラル巡礼、中学生の司牧の問題にとりくむ予定。
(3)城西-合同ミサ、「心のともしび」配布。池司教の問題について声明と祈願ミサ。相互基金や新典礼についての研究なども。
(4)城南-連合運動会、聖体大会、江戸殉教者記念祭など。文書伝道のための宣教委員会を設置。
(5)城北-典礼研究会、カリタスの家説明会,靖国問題研究会など。高校生のために、研修会、スポーツなどによる交流をはかる。
(6)武蔵野-研修会、講演会、しおん会援助。靖国問題には教区としてどのようにかかわってきたかの質疑がなされた。これには靖国問題実行委員長(津賀佑元氏)が、今までの経過を説明、署名運動、集会、デモ、千鳥ヶ渕での平和祈願祭など一連の行動とともに、現在では「表敬法案」の動きに対するとりくみ方をプロテスタントとともに検討していると答えた。

苦しい教区財政 負担金は1割5分に

本年度の支出の中では司祭や職員の給与改善、神学生養成費の増額、活動費の増加が特に目立つ。
このため約1千400余万円の収入増を必要とするので、その対策として今年から小教区負担金を従来の1割から1割5分に引きあげ、あらたに挙式献金200万円を計上することにした。
今度の予算のなかにも前年度の繰越金がかなりの額にのぼっているので一応切りぬけられるが、今後の物価上昇や給与改善を考えると来年以降の収入源の不足は目に見えている。
また司祭や職員の健康保険、司祭の老後保障などに対しても全く用意ができておらず、そのために不動産を含めて教区の財産のあり方を抜本的に検討し、収入源確保の具体的方策をたてることがいそがれている。

和解・全人的なもの 聖年集会へ 大司教が教書

聖年の”和解”のため小教区・修道院・ブロックなどで、昨年から今年にかけていろいろな研修会、黙想会、合同ミサ、巡礼その他が行なわれてきましたが、10月26日(日)には教区レベルで聖年行事を催したいと思います。

10・26聖年集会
私たちは、十字架と復活によってこの世にもたらされた主イエズス・キリストの救いのみ業にあずかり、天の御父の国・神の国がこの世に実現し、成長し、”完成された神の国”へと進んで行く歴史の中に生きているのです。
この「神の国」という言葉で表わされる救いはただ、心の罪からの救いを指すだけではなく、体も生活も、更には社会も神の恵みにふさわしく生きる全人間的救いであり、「み国の来たらんことを」と私たちは毎日祈りつつ、その実現を神に願っているのです。そして、私たち自身が目に見える神の国のしるしになろうと努力しているわけです。それが”教会”と言うものでありましょう。

社会悪に目を
この聖なる年に教区民こぞって神のみ業を賛美し、その救いの恵みに感謝する信仰の喜びを表明するために、秋の教区聖年集会が企画されたのです。去る3月21日の教区代議員会で承認された”75年度東京教区活動方針”にもこのことがもられ、第2期布教司牧協議会委員によって実行委員会が発足し、逐次その計画が発表されることになっています。
他方、私たちは個人としての罪を悔やむだけではなく、世論、常識また社会の仕組み・機構に左右されている私たちの”社会的罪”にも目を向けないわけにはいきません。誰かを責めるのではなく、利己的な人間のつくる社会の大きな悪の力に目を向け、このような社会的罪の赦しを神に願うことも聖年の重要なつとめではないかと考えます。

偽平和の反省
東京教区の私たちは、日本の他の教区の方々とともに日本の教会を造っていますが、同時に日本がアジアの一員であることを忘れては世界に連なっていくことはできず、社会の意義もなくなります。世界の極東にいしている日本はこの城東地域で特別な位置をしめ、教会としても特別な使命をもっているのではないかと思います。政治的に1民族が2つに分割されている国々が隣接している中で、日本は唯一の統合された国なのです。
日本は種々の問題を含んでいるとはいうものの平和を謳歌している唯一の国です。しかし、隣接諸国に対して、過去において行なった軍事、経済、外交上数々の行為について反省すべき点はあまりに多くあるのではないでしょうか。今の私たちの”平和”はこれらの人々の犠牲の上に立てられたものではないでしょうか。

兄弟的な和解
私たちキリスト者はこの聖年を機会に、共に反省し、赦しを願い兄弟として共に生きる連帯性を造り上げることを出発点としたいものです。このような”和解”への努力と行動を通じて、私たち自身が狭い個人的救いにのみ目を向ける態度を捨てて、神の恵みに敏感に応えつつ、社会的悪に勇気をもって立向う生き方をとるように努めたいと思います。このようにする時、真の教会の刷新も行なわれるのです。
聖年とは、神の恵みを賛え、感謝し、兄弟、特に遠く離れている小さい兄弟たちと共に神の赦しを願いながら「み国の来たらんことを」と力強く叫ぶ時なのです。

(白柳誠一)

和解の実現めざす 今年教区活動方針

本年度の方針は、昨年の略式代議員会で了承された活動方針を基本的にうけついだものであるが、宣教的姿勢をさらに明確にして、聖年の趣旨である和解の実現を活動の基本精神としているのが特徴。
内容としては教区ニュース11号に記されたものがほぼ了承された。ただ、城東ブロックからの提案にもとづいて方針3の(3)の次に「(4)各ブロックは中学生司牧の問題を検討し、その活発化を推進する。その結果を適宜青少年小委員会に報告する」という1項が加えられた。

聖年精神を具体化

(1)10月26日の教区聖年集会のために実行委員会の設置をいそぐ。司祭の研修の内容に都市の司牧の研究が取り上げられたのもユニーク。”ヤスクニ”では「表敬法案」にも反対の姿勢。アジア隣接諸国の人権弾圧にも勇気をもってかかわってゆく。福祉面ではカリタスの家の支援など。
(2)教区救済の現状を知ることは自立のための第1歩とされる。予算決算を教区民の一致のもとに承認することによって各自が責任を自覚し、一致をたかめるのに役立つものとして教区の一般会計を公開することをつづける。
(3)青少年活動の活発化は教会の将来を左右する重大な課題とし、特に、その指導者への配慮などをふくめて力を注ぐ。
(4)ブロック会議、布司教の機能については、布司教が上部機関で決定を伝えるというのではなく、教区全体の一致を目的として組織づくられている旨が強調された。

ひろば

テレビの力
- 朝,母と子の会話 -
母 「太郎ちゃん、早く行かないと学校におくれますョ。」
子 「ウーン、・・・・・・・・すぐ行くョ・・・・・・」
母 「太郎! 早く学校へ行きなさい。」
子 「・・・・・・アト1分!・・」
母 直ちに電話をとりダイヤルを廻す。「モシモシ、テレビ局ですか。困りますョ。こんな時間にマンガを放送されては、子供が学校に行かなくて困るんです。朝からマンガは放送しないで下さい。」 - ガチャン -

テレビ局の番組編成上の問題なのか、家庭の子供に対する躾が行き届かなかったのか、原因はさておきこのような争いは日常茶飯事になってきている。
こうなると、もはやテレビは情報や娯楽や広告のメディアであるばかりでなく空気や水のように、環境そのものになっているといっても過言ではなさそうだ。
そしてテレビは、私たちの日常生活にとけ込み、時間や行動や思考まで支配する力をもっている。
このため電波の送り手である放送局の責任は、ますます大きなものになる。
特に最近問題になっている風紀や風俗上の影響という観点から、暴力を礼賛したり、性を興味本位に扱ったりする番組は、特に注意しなくてはならない。
古来、ポルノ雑誌などは弾圧を受けなくても経営的に廃刊に陥ることは歴史が証明している。低俗なる番組や俗悪なCMは、たとえ視聴率が高くても長い目でみれば、提供者にとってもマイナスである。企業公害を流していた会社は、そのときは利益をあげているが、結果においては信用を失い、ばく大な損害を受けることになる。「テレビ公害」を流した局もスポンサーも、また然りである。
私たちを含むこの環境を、清らかで豊かなものにするには、放送局の社会的責任はいうまでもないが、キリスト者である私たちの監視も、また重要であろう。その監視はテレビ局やスポンサーにとって、一番こわいのである。
と同時に、このテレビの絶大な力をどう布教に使うか、お互いに考えてみたい。

(高円寺教会 永島洋三)

あした葉

今年も広報の日がやってきた。キリスト教は本質的に宣教的なものであり、宣教とはまさに広報であるといわれる。むづかしい定義はぬきにして広報とはとにかく広く知らせるということにはちがいあるまい。//昔から「めくら蛇におじず」などといわれるように、無知や誤謬からくる悲惨な例は枚挙にいとまがない。いくらやる気があっても、何をやっていいのかわからなかったり、まちがったことにファイトを燃やしたりしては困る。先ず本当の事を知ることが大切であり、この意味ではやはりさきがけは知性でなければならない。//だが知性は知らされるにあたっての最初のアンテナかも知れないが知らせる作業においては意志のほうに軍配をあげないわけにはゆかない。「言葉よりも行い」などとよくいわれるように、およそ真面目にものごとを人に知らせようとするには、手足を使って動くことが絶対に必要である。チラシ1枚配るにしてもそうではないか。ただ目につくところだからといって積んでおいただけでは誰も取ろうとはしない。相手がたちどまっているのなら、そこまで歩いて行って手わたせば、よほどの人でない限りこばみはしないものだ。//結局本当に知らせようとする気があるのかないのかの問題だと思う。家族の誰かが危篤状態にでもなったら、親戚には真夜中であろうと国外へであろうと、金銭や労力に糸目をつけずに知らせようとするではないか。よくしたもので人は自分に直接関係あることとなるとなりふりかまわずやるものだ。福音が全人類にとって歓びのおとづれなら何をさておいても万人に告げ知らせなければならないことであるはずなのに、こちらのほうはどうしても二の次になる。理屈どうりにはゆかないものだ。まあ弱い人間だから無理もないがキリスト信者一人一人が神のメッセージの広報担当者であるというのなら、このへんはやはり少しがんばらなくてはいけない。終りにもう一度いおう。広報は口ではなくて手足でと。  (S・A)

ヤスクニの体質にメス ”慰霊表敬”の仮面をはぐ

昨今、政府自民党は「靖国神社法案」にかえて「慰霊表敬法案」なるものを国会に提出しようとする動きを見せた。表現は多少緩和されたかに見えても内容はむしろ”ヤスクニ”の精神を露骨にあらわしたものとして警戒される。「靖国神社法案」ならびにこれに類するあらゆる法案に反対する運動をつづけてゆくことは、教区代議員会でも承認されたように、本年度の活動方針の1つでもある。法案提出の動きに対して、このほどカトリック靖国問題実行委員会は、法案の骨子の解説とそれへの反対理由をのべたチラシを全教区民にくばり、運動の新たな1歩をともにふみだすことをよびかけた。4月21日の新聞報道によれば、政府は今国会に法案を提出することはあきらめたというが、今後とも厳重な警戒が必要であるとされる。何よりもこれに対して正しい認識をもつことが先ず大切であることから、靖国問題実行委員長・津賀佑元氏と、同委員でNCC靖国問題特別委員会常任委員・国枝夏夫師に、「慰霊表敬法案」の問題点をきいてみた。

軍国復元を指向 国家神道への拒絶

靖国神社法案は、いまその名称と内容を変え、新たに慰霊表敬法案として登場しようとしている。天皇の公式参拝を核心としたこの藤尾試案なるものの内容が新聞紙上につたえられたとき、私の知人は「天皇が靖国神社に参拝するということにも反対するのですか」と問いかけた。私はこの問いに、「キリスト教徒として政治活動にあまり関わりたくない」という声を重ねあわせ、それに答えるという形で、私の考えを述べてみたいと思う。
靖国神社国家護持法案に私が反対してきたのは、戦場で「天皇陛下万歳」といって死に、靖国の神として祀られるというかっての、「国民的信仰」を、再び日本の国民に強制することへの拒絶である。
名もない国民の1人が戦死することによって靖国の神となり、天皇陛下参拝の栄に浴する。一家親族にとってこの上ない名誉であるという信仰は、天皇制国家が明治以来数十年の歴史の中でつくりあげてきたものである。

ひきさかれる心
そして天皇制国家は、そのような信仰をあやうくするとみられる人びとを数多く抹殺し、弾圧してきた。大逆事件の幸徳秋水、大本教の人びと、共産主義者、そしてそれはキリスト教徒にもおよんでいる。上智大学生靖国神社参拝拒否事件は、私たちカトリックも例外ではなかったことを示している。
国家権力が宗教と結びつくとき、その力は強大なものとなり、個人の思想、信条、信仰の世界にも介入して1人の精神をひきちぎる。
日本の場合、明治政府は天皇の権威をもちきたって日本的政教一致をなしとげた。そして天皇を元帥陛下として軍隊も統括させたのである。「海ゆかばみづく屍、山ゆかば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ」と歌われ、大君は忠臣の死を憐れみ、いたみ靖国の神として祀ることになる。かくして神道は国家神道となって天皇制国家を支え、侵略戦争を遂行する手段ともなった。「日本臣民は安寧秩序を妨げずおよび臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有」(帝国憲法)したのである。

戦前への歯止め
これに対して日本国憲法が、主権者を日本国民とし、天皇を「国民統合の象徴」と規定したことは革命的変化とでもいうほかはなく、だからこそ「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と無条件保障が規定され「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」と戦前への歯止めがしっかりとつけられたのである。
私たち信仰者は、精神の自由が人間の生きることの核心であることをよく知っている。従って憲法のこの規定を全面的に支持している。最早、信ずるもののいかんによって人は差別されることはないのである。私たち信仰者はこの社会の基本条件を、すべての国民とともにまもり維持する責任をもっている。靖国神社が神道儀式によって戦没者の霊を慰め、そこに天皇が国民統合の象徴という地位で公式参拝をする以上、まもらねばならない基本条件を犯すことになる。どうしても、憲法に違反するのである。
戦前、皇祖神とともに国家神道の頂点にあった天皇に対する宗教的信仰は一部国民の中にまだ残っているかも知れない。だが最早、それをすべての国民に拡げることは許されない。天皇が公式参拝することをもって靖国神社を国民の神社にすることは、勿論できないことであり、それを法律によって実現しようとする政治勢力があれば、私たちはそれに反対せざるをえないのである。

隣国への配慮も
私たちが責任をもつのはどこまでも1人の隣人の人権である。その人権がある政治勢力によって軽視もしくは否定されたりした場合その回復の行動は当然のことながら政治活動になるわけで、私たちは人権尊重の活動が本来的に政治と深く関わっていることを知らねばならない。
最後に一言、戦前・戦中、わが国が朝鮮、台湾、シンガポールなどに神社をたて、現地の人びとに参拝を強制したこと、国家神道の被害が直接アジアの国の人びとに及んでいたことを私たちは忘れてはならないし、靖国神社法案について、アジアの人びとが注目していることをも銘記すべきである。

(津賀佑元)

ザビエルの胸像 キリシタンの足跡(1)

キリシタンといえば隠れキリシタンのことなどを連想して、カトリックとはあまり関係がないもののように思われがちである。しかし400余年前イエズス会士フランシスコ・ザビエルによって初めて日本にカトリックの教えが伝えられて以来、江戸においても信仰を守って命を神に捧げた数多くの知られざる信徒がいたのである。
これらの人びとの業績についていま明らかにされているものは少ないのであるが、カトリック・センターにあるキリシタン関係資料室で古文書や遺物の整理の指導にあたっているキリシタン研究家、内山善一氏に、現在見られる遺跡や遺物の解説をお願いした。
東京カテドラル聖マリア大聖堂にはフランシスコ・ザビエルの銀張り木彫の胸像がある。西ドイツのケルン教区の被昇天聖母教会から東京カテドラルの献堂を祝して昭和39年12月土井枢機卿に贈られたもので、胸像の中に聖人の遺骨が納められている。

移動信徒の事務所移転

移動信徒連絡東京事務所は、このほど大司教館内に移転した。

信仰のふところ 明治の司教座 築地

築地教会は、北緯代牧区、東京大司教区を通じて重要な役割を果たし、今100年の伝統を守りつづけて静かな歩みをつづけている。
教会は明治7年マラン師が築地居留地35番に仮聖堂を建てたことからはじまる。そのころ日本は南・北緯両代牧区に分かれ、同10年北緯代牧オズーフ司教によって、ここに司教座が定められた。
11年聖堂も完成、ルマレシャル師を主任司祭として第1歩をふみ出した。同師がフランスに発注、命名した「江戸のジャンヌ・ルイーズ」の鐘は、100年の歴史の流れとともに、信者たちにミサの始まりをつげて鳴りつづけている。
12年から20年ころにかけては、日本人伝道士学校ができたり三田には築地支部の仮教会が設立されたりして、教会は福音宣教のために、その翼を大きくひろげた。
同27年には教区で初の邦人司祭がここで叙階されている。少年少女による聖誕劇が上演されたのもこの頃で、それは後に布教演劇へと発展した。大正8年青年たちによって聖劇として再開されるころにはその風評は広く世間に知れ、聖劇趣意書を作ったり、聖劇奉献日を設けたりして、その公演も4日から1週間という盛況ぶりであった。
それよりまえ、居留地に出来ていた築地女学校も双葉学園となって千代田区に去り、大正9年には大司教座も関口に移って、築地は小教区として新しく出発することになった。だが本当の再出発は大正12年の大震災後だった。オズーフ大司教の建てた見事な旧聖堂が焼け落ち、すべてはガレキと化した。今の聖堂は、その崩れ落ちた土台のレンガを一つ一つ拾い集め積み上げて、その上に建てられたものであるという。
現在、教会では「外に向かうには、まず内より - 」をモットーに教会員各人が自分の出来る範囲においてそれぞれ活動に参加している。そして、だれもがすべてをごく当たりまえにうけとめ、特別なことをしたという意識は少しもないとのこと。このような在り方は築地のおかれている下町という環境もさることながら、永い年月に培われてきたものというほかない。
築地教会は今、創立100周年を3年後に控え、先人によって受けつがれてきたものを更に大きなものとして、後の世に伝えてゆくために、キリストに従う者の集まりとして、素朴な歩みを続けている。

表敬法案のからくり

今年1月の新聞は「靖国法案」の今国会の提出は、参院の保革伯仲と、統一地方選挙などの理由で無理であると政府関係が結論した旨を一斉に報道した。2月3日の朝日新聞には、従来の「靖国法案」に代わる新しい法案の動きがあるとの発表がはじめてなされた。以来、3月11日には正式に、政府自民党の態度が明らかにされた。
それは従来の「靖国神社法案」の断念、それに代わる衆院内閣委員長、藤尾試案による「慰霊と表敬に関する法案」(これはマス・コミによる仮称 - 以下表敬法案と呼ぶ)が作製されようとしている。出来れば今国会にも提出の構えである、というものであった。3月から4月にかけ、エリザベス英女王の5月訪日の際、靖国神社に参拝するか否かの論議と共に「表敬法案」をめぐる自民党の動きが各新聞にたびたび報じられている。
この文が教区ニュースに出される時点では、果たしてどういう状況になっているかわからないとしても「表敬法案」の問題点を考えてみたい。

6つの問題点
率直に見て「表敬法案」試案は従来の靖国神社法案と同質のものであり、更に、一層露骨で政府の軍国主義化への傾斜を示すものといえよう。試案の骨子は次の6点に要約される。
1、靖国神社への天皇の公式参拝、式典行事の法制化。
2、外国元首の公式参拝。
3、自衛隊の儀仗参拝。
4、靖国神社管理の団体への国費援助。
5、警察官、消防士ら公務員の、国家のための殉職者の合祀。
6、靖国神社は今迄通り宗教法人として残す。
1の問題は、既に私的に天皇の参拝は戦後40数回も行なわれているが、天皇の公の行事としては憲法に定められている通り国事行為(国会招集、内閣新任など)数項目以外に、公式行事というものが考えられるという。公式行事とは国費による国民を代表する重要行事の執行ということであろうが、規定はあいまいである。靖国神社との関係では、それが神道儀典行事を行なうという点で、憲法の天皇行為の非宗教性にも、信教の自由の建前にも重大な違反ということである。
2の点も全く同様である。エリザベス女王の訪日を機に、国がそれを利用し既成事実をつくろうという心配をもち、NCCを中心にキリスト者は、女王陛下らに直接参拝なさらぬよう要請した。
3の点は明白に旧軍隊 - 天皇の軍隊の復元を指向することを誰も否定できないであろう。説明するまでもない。今も靖国神社内で自衛隊の絵ハガキなどが売られ、自衛隊は非公式参拝をすでにくり返している。しかし戦前の軍隊と自衛隊の性格が、根本的に異なることは、憲法第9条を引き合いに出すまでもなく明白である。自衛隊と靖国神社とは、本質的に全く何の関係もあってはならないのである。自衛隊が外国と交戦し靖国の”英霊”を、そこからつくってはならないはずだということを今更強調する必要もない。
4に関しては、6とともに全くのまやかしの意図しかみられない。従来の靖国法案で、国家管理をとなえていたのが、憲法89条違反であることを認め、間接援助に切替えただけ1歩後退となしくずしをねらうものであろう。
5に関してわれわれは恐ろしい英霊思想の普遍化、一般拡大化と、旧来の官尊民卑的差別意識の現れを読みとることは容易であろう。すべて職務に殉じた死は栄誉ある尊いものに違いない。だが、「お国のために - 」は危険な考えであり、特別の職だけを限定し、国がほめたたえるのは差別以外の何ものでもない。
6の点は宗教者への明白は挑戦である。戦前から靖国神社の非宗教が国の言い分であった。従来の法案にもそれがうたわれていた。宗教でないと強調するがゆえに天皇、外国元首参拝、国民総儀礼も可能であった。今度は宗教性をそのままにという点で、すべての宗教者に向けて正面から挑戦する結果となる。もとより靖国思想は、原始、宗俗宗教の形態を近代化したものであり、倫理教義も布教もない、儀礼(招魂)のみの特異な式典宗教として明治政権が生みだした「国家神道」の中心思想であった(天皇宗俗絶対視による排外独善の軍神思想に対し、キリスト教(聖書の民)はもとより仏教も一般神道さえ、抵抗と弾圧をくり返してきたのが明治以来の日本の近代史ではなかったのであろうか。)

許すないつか来た道
「表敬法案」の出現によって靖国問題は新段階の戦いを迫られている。同時に、キリスト教信仰者全体が、もう1度靖国問題にひそむ信仰の根本的問いかけを行なう好機であるともいえよう。私の言葉であえていえば、日本が「いつか来た道」を、再度あの戦争の悲惨な道をたどるまがり角にあるといいたいのだが、今、押しつけがましく受けとられる状況判断を詳述するつもりはない。ただ「天皇が靖国神社に参詣することを何故ごたごた文句をいう必要があるのか」などという、単純で無知な発想の言葉が、安易にカトリック信徒の口から発せられつづける現状を憂えて、「表敬法案」をもっと真剣に、互いに注目し考えようではないかと訴えたいのである。

(国枝 夏夫)

盛り上げよう広報の日 無関心こそ和解のガン

4月5日(土)、「広報の日の集い」が聖パウロ女子修道会の主催で、同会ホールで開かれ、東京、横浜、浦和教区内の各小教区広報担当者や信徒のマスコミ関係者約75名が参加した。
集いは池田敏雄師の挨拶についで浜尾司教が「マスコミと宣教」と題して次の趣旨の講演を行なった。「今年の広報の日のテーマは”マス・メディアと和解”である。和解にとって一番こわいのは無関心と冷淡である。私達は兄弟と共に神のみ前での連帯の姿勢をもつようにしたい」
この日、白柳大司教からはメッセージが寄せられ「コミュニケーションと進歩」(司牧指針)が出席者一同に贈呈された。
次に上智大学教授・教皇庁広報専門委員の川中康弘氏の講演では次の要旨がのべられた。
「広報の日というのは第二バチカン公会議の文書「広報機関に関する教令」によってきめられたものである。公会議以後、刷新が叫ばれ教会内で新旧の不一致が生れたが教皇はこの聖年を一致の年にしたいと望んでいられる。この一致を深める働きをマスコミが果たさなければならない。また私達は毎日、新聞を読みテレビを見るが、まちがった記事、悪い番組にはどしどし投書をしよう。信徒のこのような積極的な反応で、日本のマス・メディアも変えて行くことができる。」
以上の講演に続き、女子パウロ会政策の「広報の日」のスライドが公開され、後に討議に移った。
討議ではカトリック新聞普及の日の提案や、新聞の内容についての意見が出され、三浦師からは新聞づくりの苦心談や、カトリック新聞購読の要望があった。次に聖心侍女会のシスター大木の体験談、イグナチオ教会の村山氏の「教会メディア論」、さらに小教区報について編集の苦労談に移り、ミニコミの成果も交換された。