教区の歴史

教区の歴史

中央地区平和旬間「平和を願うミサ」説教

2013年08月15日

2013年8月15日 下井草教会にて

[聖書朗読箇所]

説教 

「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。 牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。」(イザヤ11・6-8)

このイザヤ11章の告げる風景は平和の「理想郷」を描いています。民族と民族、国家の関係における平和と調和だけでなく、人類と動物との平和共存、そして、人類との被造物の間の調和も告げられています。これは神の国が完成したときの姿です。

ご存知のように、わたしたちの現実はこの理想とは程遠い状態にあります。わたしたちはその理想の実現に向う途上にあります。理想の状態とは神の支配の完成であり、わたしたちはそこへ向かう旅路を歩んでいる、巡礼をしている、と考えられます。

平和を考えるときにいつも思い出すことばがあります。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」

ユネスコ憲章の前文にある言葉です。このことばはすべての人が深く心に刻むべき戒めです。

平和は神の賜物であると信じます。わたしたちひとりひとりの心に神の平和が与えられるよう絶えず祈らなければなりません。

戦争の原因はまずわたしたちの心の中にあります。それは憎しみ、恨み、疑い、敵対心、利己心、貪欲、人を受け入れない不寛容などであり、この悪い思いが人を戦争へ駆り立てます。

キリストは「敵意」という隔ての壁を十字架によって滅ぼしました。わたしたちのキリストに倣って隔ての壁をなくすように努めなければなりません。そのためにはまず互いに相手をよく知り、受け入れる努力が求められます。

とは言うものの、具体的な『平和』の問題を人間の心の問題だけに限定することは適切ではありません。具体的な努力が必要です。

教皇ヨハネ二十三世は、ちょうど50年前に、『地上の平和』という回勅を発表し、軍備縮小、さらに軍備全廃を訴えました。その際、「真の平和は相互の信頼の上にしか構築できない」と強調しています。

問題は「相互の信頼をどのように構築するのか」ということです。そのために枠組み、環境が必要です。

そして、そういった「相互の信頼の在り様」に言及しながら、わたしはきょう学んでいる日本国憲法を思い起こしています。

日本国憲法は相互信頼構築のための貴重な枠組み、基本法ではないかと考えるからです。

憲法9条は陸海空その他の戦力の放棄を宣言しました。これは相互信頼構築のために有力な準備のひとつです。また日本国憲法の前文はこの相互信頼という理想を高らかに謳っているのです。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人類相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらは、平和と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努める国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。吾らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という言葉に特に注意したいと思います。日本国憲法はまさに、全人類の相互信頼構築のための模範的な決意表明なのです。

今日は、昭和天皇が降伏を放送して戦争を終わらせた日であり、また聖母の被昇天の日です。聖母の取次ぎにより、キリスト者としてわたしたちはこの理想の実現のためによい働きをすることができますよう、祈りましょう。