お知らせ
Tangible第9号
2023年03月03日
「派遣前講習」参加者の声
今年認定任命された36名のカテキスタたち。彼らの派遣先教会での活動は2023年4月からスタートします。それまでの半年間、月に2回の「派遣前講習」を受けます。
共に歩む仲間
カテキスタ第3・4期生
チーム関口
碑文谷教会 宮島 智美
2020年の9月末にカテキスタ養成講座の受講を開始した私たちは、途中、コロナの影響で講座がストップし、待機期間を経て、2021年9月に4期生の仲間と合同となり、養成講座の再スタートを切りました。
それでもコロナの影響で休講が発生し、模擬講座にも影響が出たことがあり、調整をして下さった猪熊神父様やスタッフの皆様には、大変な作業だったのではないかと思います。皆様が、困難な状況を共に歩んでくださり、2022年9月10日に、菊地大司教様より、教区カテキスタとしての任命を受けることが出来ました。任命式の中で、初めて派遣先を告げられ、身が引き締まる思いがしたのは言うまでもありません。
関口教会が私の派遣先です。
任命ミサ後に、チームメンバーより温かい歓迎を受け、早速チームの活動を見学し、派遣前講習や定例会に参加していますが、その活動内容の範囲の広さに少々驚いているところです。
関口教会で教区カテキスタの要理のクラスを受講されている方々は、全員が関口教会での受洗を予定されているとは限らず、近隣の小教区から「ゆだねられた」方もいらっしゃいます。
まず面接をし、受講希望者のお話を聞き、意志を確認し、講座に参加していただくのですが、その後、受洗の準備が整ったと判断された方々を、それぞれが希望する所属予定教会に「ゆだね直す」わけです。
そのための書類の準備や各教会との連絡なども、カテキスタの役目の一環です。ですから、関口教会だけではなく、その小教区との連携も大切になりますし、私たちカテキスタの責任も大きいのだと、改めて感じます。
受講者が、せっかく真面目に講座に参加くださっても、このフォローアップ体制が万全でないと、受洗後の信仰生活に影響が出る可能性があるからです。本格的にこれらの活動に携わる4月を見据えて、準備をしていかなければならないと痛感しているところです。 ひとりの信徒が求道者に要理を「教える」のはピンとこない、という意見を耳にしますし、要理というものは神父様やシスターから教えられないと、正しい知識を得られないのではないかと思われる方も、少なからずいらっしゃるでしょう。
私は、所属教会の神父様による要理の講座に参加していますが、確かに、神父様は、受講者からどんな角度でどんな質問が出てきても、的確な話しで応えてくださいます。
それらの答えは、そのまま私の学びとなり、自分の引き出しに収まっていきます。これまでただぼんやりと生きてきた私が、日々の信仰生活や社会生活で学び感じることを、講座に盛り込んで伝えられるように、自分の心の感度を上げるのも、勉強の一環だと思っています。
カテキスタの派遣先でも、神父様やシスターの要理の講座が実施されています。それでも、私たちの講座に参加することを選んでくださった方々、それぞれが時間を作って教会まで足を運んでくださる受講者の方々に、ひとりの信徒だからこそ語れる信仰体験があるのではないか、私たちの使命は「教える」ことではなく、「耳を傾け、伝え、共に学び、歩む仲間づくり」なのではなか、と思うのです。
カテキスタの役目に携わるにあたり、受講生として参加してきた期間以上に、スケジュールを調整することが求められると感じています。
私の場合、任命ミサと出張が重なり、任命ミサ終了後に、関口教会から成田空港に直行するという慌ただしさを経験もしました。 また、毎週土曜日は、ほとんどがカテキスタ関連の活動で埋まっているため、所属教会での土曜日の活動が制限されます。大司教様により任命された役目を、信者としての奉仕の最優先に考えれば当然のことなのですが、所属教会の仲間に負担をかけていることを心苦しく感じることもあります。
でも、いつも、そんな私をバックアップしてくださる教会の仲間がいてくれ、ありがたいことだと感謝をするばかりです。
カテキスタの中でも、仕事で都合がつかない時、体調が悪い時、家庭の事情がある時は、他のチームメンバーに安心して任せることが出来るシステムが整えられています。私たちのカテキスタとしての活動に、間接的に、または直接的に「共に歩む仲間」が、ここでも寄り添ってくれます。
こうして文字にしてみると、カテキスタの講座を受講していた時期から、派遣先が決まり、具体的な活動にはいるための準備期間を過ごしている現在を通して、私は「独り」ではなかったことを痛感します。
派遣先の教会で、お手伝いを下さるサポートスタッフの方々のご協力もしかりです。サポートスタッフの皆様は、講座の実施日が変更になれば、それに合わせてご自分たちの予定を調整してくださいますし、受講生とカテキスタが安心して講座に参加できるように、いろいろと心配りをしてくださいます。
常に、どの局面でも、誰かに支えられ、共に歩んでもらったからこそ、今があり、そして、これからがあるのだと思えます。
聖霊に導かれて教会の門をくぐり、神様との出会いを求めている方々、そして、カテキスタとしての奉仕に興味を持っていらっしゃる方々に、今度は、私自身が、この言葉を上手に伝えていけたらと思います。
「私たちと共に歩む仲間になりませんか?」
40年前の初心に返って
カテキスタ第3・4期生
チーム清瀬
調布教会 今田 潔
2022年9月10日、大司教様から「教区カテキスタ」の任命をいただき、2023年4月から3年の任期で、清瀬教会に派遣されることになりました。東京カテドラルでおこなわれた任命式には、所属する調布教会のソーリヒ主任神父様もご参加くださいました。
派遣先のチーム清瀬は「教区カテキスタ」の入門講座が行われる新しい拠点を担うチームです。任命式のあと、この日、チーム清瀬に派遣された6名のカテキスタとの顔合わせがあり、連絡先を交換しました。
思い返すと、2021年10月より参加した「教区カテキスタ養成講座」の1年間は、試行錯誤の連続でした。
「初めてキリスト教の話を聞く方に、わたしたちの信仰を自分のことばを通して、どのようにシンプルに伝えればよいのか?」
鍛練の期間であったと思います。
信仰の書を読み漁りましたが、専門用語をなるべく使わずに、自分のことばとして消化してまとめる過程にはたくさんの気づきがあり、楽しかったです。
これまであまり読む機会が多くなかった、カテキズムや聖書の解説書などの本を読んで、知的な刺激も受けました。
養成講座の中で「模擬授業」は3回経験しました。
自分なりに力を尽くしたつもりですが、キリスト教が初めての方に話すことを前提にしたとき、「これで信仰が伝わるかどうか?」という不安はつねにあり、「これでよい!」という実感には、まだまだ遠いのが現実です。
これからカテキスタとしての実践と経験の中から、学びを重ねていくことになればと願っています。
2022年9月から始まった派遣前講習では、2023年春に開講する入門講座の計画・準備をおこない、教区カテキスタの各チームの状況を報告し合い、所属するチームでどう実践していくのか、メンバーとの打ち合わせを重ねていきます。
清瀬教会に初めてうかがった時の打ち合わせでは、主任司祭の野口神父様、ならびに、小教区のスタッフの皆さんの話をお聞きし、講座のスケジュールや教会内の会場・設備などについて相談させていただきました。
私たちは清瀬教会での講座のイメージを膨らませながら、具体的な計画をまっさらな段階から検討を続けました。
その結果、チーム清瀬は、原則、月2回の講座を土曜日と日曜日に1日ずつ行う「ハイブリッド開催」とし、日曜の講座は主日ミサのあと、その日のミサとのつながりを大切にしておこない、土曜の講座は時間にゆとりのある午後におこなう計画がまとまりました。
日曜日に実施するのは、教区カテキスタの拠点では初めてのことです。
その後、チーム清瀬では、2023年4月16日から始まる入門講座のスケジュール・担当者も決まり、今は心を引き締めて講座の準備を始めているところです。
ところで、チーム清瀬は2023年春に初めて開講するので、2022年度は講座がまだありませんでした。
このため、チーム清瀬に派遣された新任カテキスタである私たち2名は、入門講座の現場から学ぶことができるよう、猪熊神父様・他チームの皆さんの了承をいただき、他の6チームの講座を見学させていただく機会に恵まれました。
初めて参加したカテキスタによる講座の印象は新鮮で、受講される方々の心に届くよう、チーム・担当者によって工夫をされている様子を学ぶことができました。
これから現場に立つわたしにとって、貴重な見学の機会をいただけたことに、心から感謝しています。
今、私は、チーム清瀬のカテキスタによる新しい入門講座の計画を、教区カテキスタの第1期・第2期の経験豊富な先輩方に教えていただきながら検討し、4月から実践に移していけることにワクワクしています。
私自身は新任カテキスタであり、現場経験がないため、これからの講座では思ったようにはいかないことも多くあると思いますが、苦労は学びの機会と考え、自身の成長につなげていければと思います。
イエスさまが教えられ、使徒たちを通して、2000年間、伝えられてきた神の愛の福音を人々に伝えることは、本当に幸せなことです。
東京の北西部の清瀬を中心に、福音の種をまき育てていけるよう、マザー・テレサの祈りの通り、「お望みでしたらわたしをお使いください」と神に祈っています。
入門講座で何より伝えたいこと、それは信仰の喜びと希望です。
青年時代に自分がキリスト教の信仰に目覚めた頃の「心の底からの喜び」「主日ミサが待ち遠しいワクワク感」を思い起こし、多くの方と共有できればと思います。
受洗した40年前の初心に返って、講座に参加される方々と共に歩みを進めながら、私自身も信仰の道を一歩ずつ前に進んでいければと願っています。
受講生の声
愛の源である神さまの眼差しを感じ、恵みである奉仕をするために
受講者 第5期生
多摩教会 中原 信一郎
私は、4歳の時に幼児洗礼を授けてもらいました。既に、母と二人の年子の姉の3人が洗礼(姉は乳児での洗礼)を授かっていました。最後に、父が72歳の時に洗礼を授かりました。かれこれ、今年の9月で受洗50年が経過し、歳月が過ぎるのが早いのを感じます。
小学生から侍者、大学生の頃から祭壇奉仕・聖体奉仕(臨時)・侍者長・典礼委員長補佐など、カテキズム(要理教育)における毎年の典礼歴の流れの中での奉仕をさせていただいています。
今回、このプログラムに参加しようと思った動機を振り返ってみました。
これまで信徒して経験させていただいている奉仕職は自分を培ってきたもののベースであり、カテケージスの流れの中で信徒が理解し深めていけるものであると感じつつ、神様から頂く恵みを通しての奉仕であると気付かせてもらいました。
このコロナ禍において、カトリック東京大司教区HPの生涯養成委員会にカテキスタ募集の案内を見つけ、カテキスタはカトリックに入信を希望する方の最終確認をするサポーターであることを、募集要項を通読し感じました。
特に、募集要項の前段で、菊地大司教が使徒言行録2章42節の『彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった』を引用し、「学びあい、支え合い、分かち合い、祈りあい」は、豊かで成熟した信仰共同体に不可欠な要素であると伝えています。これを繰り返し読み、振り返ってみました。
そして、一つの応えとして、主イエスが私に語りかけてくださったように感じられたことは、「お前自身、ぶどうの木である私につながっていることでどのような恵みを受けているか」という問いかけでした。
神様からの無償の愛(アガペー)と恵みによって、賜物が与えられていることを信じることが大切であると感じられました。
また、信徒職における奉仕とは何かを問いかける中で、自分のミッション(使命)としてカテキスタとしての養成を受けるように召し出されていることを思い始めました。
昨年9月下旬より、カテキスタ5期生として養成講座のプログラムに参加し、6ヶ月が経ちました。
カリキュラムでは、第5回目より受講生の模擬講義担当が組まれ、初めに先輩カテキスタの見本講義、その後受講生2名による模擬授業という流れで、受講生2番目として担当しました。テーマは、「父なる神と私たち」で与えられた御言葉は、ルカ15章1節~7節「『見失った羊』のたとえ」でした。
模擬講義レジュメの準備のなかで、第1~4回まで担当をした猪熊神父様によるオリエンテーションの導入講座があり、その中での「自分の信仰を語ってください」との話を聞きました。このことを思い出し、与えられたテーマとテーマに関係する御言葉を受けて、自分のもっとも辛かったことを赤裸々に話しつつ、乗り越えて得られた恵みから私自身が生かされていることの感謝を話しました。
終わった後に講評があり、担当司祭からは自分の心に落雷を受けるようなかなりの叱咤激励を受けました。思い起こせば、全く顔を上げて話せていなかったことは確かなのです。正直、完全に気落ちしたことは確かでしたが、言われたことは的を射ていて、心の中が 「すっきり」したように思います。
また、第1期生の方の講評で「絵を提示されことで、読まれた御言葉のイメージを掴みやすくなり良かった」と褒め言葉を頂き、次へのステップアップにつなげられると感じました。
今、聖霊の助けを頂きながら一歩ずつ進んでいけるように、祈りつつ進んでいきたいと思います。
また、神父様から「一人一人が『福音化』されることが大切である」とも言われました。このことも心に刻もうと思います。
私は、黙想会・祈りの集い等への参加やこれまで所属したカトリック教会で代親の経験はありますが、霊的な歩みを共にさせていただいたことはありません。
初めて、カトリック教会の門を叩き訪れる方は、心に闇を抱えて光を求めておられたり、人間関係に苦しみ、また、経済的な苦しさや生き苦しさから解放され、心の安らぎを得たいと望んでいる人たちが多いのではと感じます。
そのような方々のために寄り添い、同伴(パラリンピックのマラソンの伴走者)できるように、各テーマと与えられた御言葉を通じて恵みを受け取り、わかち合いながら成長させて頂けるよう願い、一歩一歩進み精進して行きたいと思います。
今、私たちは四旬節にありますが、コロナ禍4年目を迎えている中、4月初旬の復活徹夜祭での洗礼の準備をされている洗礼志願者の方々のうえに、神様からの慈しみと愛が豊かに注がれますように。アーメン。
現場の声
「チームが変わっても…」
カテキスタ第2期生
チーム清瀬
赤堤教会 椿 望
私は2020年9月にカテキスタ養成講座を修了し、松原教会で開催される入門講座の奉仕の任に就きました。
松原教会は京王線明大前駅から徒歩数分と極めて交通至便な場所にあります。しかし、他の会場と異なり、唯一、平日の夜7時からの開催だったため、果たして、受講者が集まってくれるのか心配でしたが、開講日に数名の方が参加され、心強く思ったことが今でも忘れられません。
開講後しばらくは順調に進んでいましたが、コロナの影響を受け、やむなく長期の中断となり、再開後も受講者の方が集まりにくい状況が続きました。
私が担当した講義でも、受講者が一人もいらっしゃらないという時がありました。そのような時は講座を中止するのでしょうか?いいえ、例え、一人もいらっしゃらない時でも講座はいつも通りに行います。
講座は講義をするメイン担当とサポート役のサブ担当の2人で担当するのですが、講義はサブ担当に受講者役になってもらい同じ内容を行います。講義中に、ひょっとしたら受講者が来てくれるかもしれない、という期待を込めながら行うのです。
その後、コロナ禍は続くも、再び、受講希望者が集まってくれるようになりました。現在は、既に洗礼を受けた方が学び直しのために入門講座に参加されています。他の会場の中でも学び直しを希望する信徒の方が参加されていると聞きます。
カテキスタたちの講座では、このような受洗者たちのニーズに応えるため、2023年4月より神田教会と松原教会を会場として、参加資格を問わない新しい講座、フォローアップ講座を開設します。
松原会場では新しい講座への模様替えとなります。 都合のつく時だけの参加も可能なので、講座に興味のある方、カテキスタの奉仕内容を実際にご覧になりたい方は、気軽に参加していただければと思います。
さて、そのような中、私は2022年9月の認定任命ミサにて、チーム松原からチーム清瀬へ奉仕先を変更する任命を受けました。
官公庁や民間企業等で行われる人事異動と同じです。 せっかくチーム松原のメンバーとも親しくなり、講座の更なる充実を目指していただけに残念ではありましたが、一方で、新しいメンバーとの触れ合いも経験できるという喜びもありました。
チーム清瀬は2022年9月の任命式で結成された最も新しいチームです。清瀬教会を会場として、2023年4月より開講する講座を担当します。
構成メンバーは、既にカテキスタに任命されていた1・2期生4名と、2022年9月に新たにカテキスタに任命された4期生2名の計6名です。
チーム松原の時は、既に、事前準備を終え、後は開講を待つばかりという時点で合流したので、スケマの作り方、講義回数、開講日、会場を提供してくださる教会との打ち合わせなど、事前の準備を全く体験できませんでしたが、今回は事前の準備すべてを体験することができました。
事前準備の段階で最も問題となったのが、開講日時をいつにするか、ということでした。土曜日の開催、日曜日の開催など、様々な意見がある中、「入門講座で学びながら、同時に信仰生活の中心をなす典礼(=ミサ)にともに与ることは非常に意義深い」という意見が多くを占め、月2回の開催のうち、1回を日曜日ミサ後に開催し、残り1回を土曜日午後の開催としました。ちなみに日曜日に開催するのは、他の開催場所にはなく、2023年度は清瀬会場となります。
現在、一層充実した講座を提供できるよう、具体的な運営方法(配付資料の形式、量、講義水準の設定、分かち合いの仕方など)について、開講日までしっかりと準備していこうと考えております。
私のこの文章を読んで、自分にもできるかもしれないと感じた方、よく分からないけれど面白そうだと感じた方、それはきっと神様が背中を押してくださっているのだと思います。
カテキスタになるためには、受洗後の経過年数など、いくつかの条件がありますが、条件に適う方は、是非、カテキスタを目指してください。
私たちは常に新しい仲間を求めています。
一人でも多くの方が参画されることで、カテキスタ活動も進化していきます。皆様の参画を心よりお待ちしています。
チーム清瀬の産みの喜び
カテキスタ第1期生
チーム清瀬
秋津教会 原 一之
+主の平和
今回は、「チーム清瀬」という新しいカテキスタのチームがどのようにして作られ、生き生きと活動を始めたかを皆さんと分かち合いたいと思います。
2021年度の私は、チーム関町のカテキスタとして4名の受講者と一緒に歩み、受講生の皆さんが神様に導かれて「変容」して行く様子を現場で体験しました。そして、3名の受講生が2022年の復活祭で受洗したと伝え聞き、大きな感動をいただきました。また、豊多摩南宣教協力体の集まりで、受洗した元受講生にお会いし、喜びを共にしました。
このように私は2022年6月までチーム関町で奉仕していましたが、7月からはチーム清瀬の立ち上げに関わることになりました。
チーム清瀬は、カトリック清瀬教会を拠点として、2022年9月に発足した新しいチームです。
清瀬という地域は、東京都の多摩地区や埼玉県とも隣接する地域で、武蔵野線が埼玉県と多摩地区を縦に結び、西武池袋線、西武新宿線、中央線、京王線、小田急線が、都心とこの地域を横に結ぶという交通の便の良い地域です。
私の属している秋津教会は清瀬教会の兄弟教会です。
そして、この二つの教会は、一人の神父様が主任司祭を兼任されており、ある時からミサ後に神父様が教会にいることのできないという状況となりました。信徒はその忙しさを容易に想像できました。
私は主任司祭から、2つの教会で入門講座をたくさん担当されている、というお話をお聞きしていたので、3月のカテキスタの黙想会で、カテキスタ養成の担当司祭である猪熊神父様に、秋津・清瀬教会の入門講座の現状についてご相談しました。
これがチーム清瀬誕生の一つのきっかけになりました。
4月から秋津と清瀬教会の主任司祭である野口神父様と入門講座について相談を始め、6月の猪熊神父様との面接でチーム清瀬への移動を打診され、9月からチーム清瀬へ移ることになりました。
野口神父様からは入門講座の現状として、受講者の都合に合わせて、講座の曜日を決めていること。日曜日に開催希望があるが、司祭は対応できないので、カテキスタが対応できたらいいと思うなどとのご意見も伺いました。
そして7月、8月にはチーム清瀬の枠組みが作られました。
9月の認定任命ミサ後は、チーム清瀬の全メンバーも決まり、一気に活動が始まりました。
チーム清瀬のカテキスタは1期生3名、2期生1名、3・4期生2名の6名で構成されています。1期生、2期生は異なるチームから集まりました。
チームによる講座のすすめ方に違いがあり、それは、私たちが思っていた以上に大きなものでした。私たちはまず、その違いを明らかにして、違いを乗り越えていくために、「言いたいことを言い合い、聞き合い、話し合うこと」をモットーに、チーム作りに力を入れました。
各自が言いたいことを言うためには、各自が他者の意見を受け止める努力と忍耐と時間が必要でした。派遣前講習だけでは時間が足りず、ときにはチームのZoomで会議を開き、メンバーはお互いの意見を理解しようと協力的に努力しました。
初めに問題になったのは、講座の日曜日開催の是非についてでした。
この議論によって、カテキスタとしての自己認識として、「カテキスタである前に、自分は、小教区の一信徒である」という問題が表面化しました。
カテキスタの奉仕に対する考え方は1期生、2期生、3・4期生で大きく異なっていました。
これは講座を担当した経験があるか無いかの違いからではありませんし、また、チーム作りの経験のある1期生と、チームに合流した2期生でも違っていました。 そのため私たちは、「カテキスタは公な立場なのだから、まずチームを優先しましょう」という順位をメンバー全員で確認し、意見を纏める努力をしました。
そして、根気よく議論を重ね、11月頃になって、ようやく、講座の第1日曜日、第4土曜日の月2回開講という方針を決めました。 これは意見が纏まった、というより、お互いの努力と協力で意見を纏めた結果でした。
私たちが講座の日曜日開催にこだわった理由は、ミサを始めとする典礼を講座から切り離したくない、という強い思いでした。
私自身は成人洗礼で、入門講座の仲間と一緒にミサに与れることが本当に心強かったと記憶しています。しかし、求道者が自らミサに与ることは敷居が高いのです。ミサに参加することで自然と身につくことがあり、また、大切なことがたくさんあります。
ミサと講座は車の両輪だと思います。何より、受洗後に教会共同体に溶け込み、信仰を持ち続けられるか否かは、信徒として、とても大切な問題です。
これはミサに参加する喜びを知っているか否かにかかっていると私は思います。
もちろん信仰を継続するためのフォローアップも大切です。 こうして私たちが、何とか歩み始められたのは、気づかないところで働かれる神がいらして、その導きがあるからこそだと思います。
私たちの講座を通して、受講生たちを信仰へと導くのも神です。
そのためにも皆様のお祈りをお願いいたします。
+神に感謝
典礼あれこれ
第2回 「四旬節の典礼」
今年も2月22日の「灰の水曜日」から四旬節が始まりました。
私たちは、四旬節第1主日から第5主日と受難の主日(枝の主日)の6回の日曜日を含み、復活祭前の40日間を、荒野での主の断食にならって、節制と愛の業に励んで過ごしていきます。
元来、この季節は、復活祭の頃、洗礼を受ける洗礼志願者の断食の期間だったようです。そして、その期間は、それぞれの地域の教会によって異なっていましたが、325年のニケア公会議後に統合されて、すべての信者が、自らが受けた洗礼を思い起こし、償いの業を行う40日間の四旬節として定着していきました。
また、ローマでは、日曜日には断食を行っていなかったことから、40日という数字を実践するために、4日間前倒しして、四旬節第1主日の前の水曜日(灰の水曜日)から四旬節が始まったとされています。
この灰の水曜日には、前年の受難の主日(枝の主日)で配布された枝を燃やして作った灰を受ける行列と、一人ひとりの額に灰を塗布する式が行われます。
灰を受けることは、粗布をかぶることと同じく、悔い改めのしるしとして聖書に記されています。また、額に灰を受けることは、元来、公の回心を必要とする人たちのものでしたが、1091年の教会会議で教皇ウルバノ2世(在位1088年~1099年)によって全信者になされるようになったといわれています。
灰を塗布する時に、司祭は「回心して福音を信じなさい」あるいは「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです」のどちらかの式文を用います。回心と新しい復活の約束に向かう心構えを持つために、この灰の式は行われます。
さて、この季節、司祭の祭服の色は、痛悔を表す紫になり(四旬節第4主日ではバラ色の祭服を使うことができます)、ミサや『教会の祈り』では「アレルヤ」という言葉を控え、栄光の賛歌も歌われません。オルガンや他の楽器も、歌を支えるためだけに用いられ、楽器のみによる奏楽は控えることになっています。日本の教会のための適応として、控えめに祭壇を花で飾ることはできます。
さらに今年は聖書朗読配分A年にあたり、主日には、成人のキリスト教入信プロセスに合った聖書朗読箇所が選ばれています。復活祭に洗礼を受ける人たちとともに、今年の四旬節は、より心を込めて聖書のみ言葉に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?